- FARION MES( 6):・壁(1)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 93/12/13 - 01903/01904 JBH00742 スサノオ ポン太再び ( 6) 93/12/13 00:03  今日はN市に日帰りの旅行に行った。  N市に用事があって訪れる際には  必ずと言っていいほど参拝する小さな神社がある。  そうこの間ミケ猫のポン太が居た××神社である。  今回も彼に会えるだろうかなどと思いながら  古い町並みを残す裏道を歩いているとやはり居たのである。  民家の入り口にシベリアンハスキーが(^0^)。  大人しそうなので近寄ってみたが身体が大きかったので  恐怖心も手伝い撫でてやるという訳には行かなかった。  私は一瞬今日は「犬の日?」だから(^_^;)  ポン太には会えないかも知れないと思った。  しかしポン太は居たのである。  参道の真ん中に座り鳥居を潜ろうとする私を見ていた。  今日も良く私に懐いて腹までこちらに向けている。  しかし今回はすぐ気も漫ろに「ニャー、ニャー」と鳴きだした。  どうやら境内にある飼い主の所に帰りたい様子。  家の人もそれに気付いたのか「お帰り」と言って  ポン太を玄関から迎え入れたのである。  これは作り話ではない(^_^;)。                       スサノオ  追記 実は今日の旅行で最も不思議な?出来事は     帰りの新幹線の中で起こったのである。 01904/01904 NBB01420 SUKE コマンドーを観て... ( 6) 93/12/13 00:21  コマンドーって映画がTVでやってました。  ゲリラに誘拐された娘を取り戻すために、軍属時代のノウハウを活かして敵を壊滅  させるパパを、アーノルド・シュワルツネッカーが演じていました。  最後に宿敵と白兵戦になるシーン、あの戦いぶりを11歳の娘は「パパ!」って叫  びながらずっと見守っていたのですね。そして宿敵にとどめをグサリと打ち込んだ  ところで、満身創痍のパパと目を合わせ、安心したような笑顔を見せるのです。そ  してパパもまた、娘を振り向いたときに見せる笑顔がとっても優しい。  何か違うんだなぁ。  だって目の前に胸刺された奴が白目向いてるんだよね。  そいつは今し方、パパに殺されたんだよね。  確かに半分狂人の悪党かもしれないが、そんなことは問題じゃない。  目の前で殺し合いを見せられても平然と笑える娘、殺し合いの後に一瞬で優しい笑  顔に戻れる兵士、そんな無感動のスイッチングが非人間的なような気がして...      この映画、今一 何が何だかわからなかった (^^)…☆ッテナモンダ Suke. - FARION MES( 7):★アリオン世紀末書込み寺------------<02> 93/12/13 - 01779/01780 NBB01420 SUKE RE:苦しみは魂の砥石か? ( 7) 93/12/13 00:23 01776へのコメント コメント数:1  #01776 しまうまさん  恋をしておられるということ、うん、それは何にせよ良いですね(^^)  >> 自分を磨く、というのは、もちろん自分で決意して自分のためにおこなうもので  >>す。ただ、自分ひとりでは手の届かないところというのが、あると思うんです。  それが気になったところでした。  ということは恋人のない私などには、どう頑張っても「手の届かない」部分が磨け  ないということになりましょうか。(T_T;)  確かにそういう部分がありそうです。例えば...        (^o^)))))))))))/  ある恋人が自分を愛していてくれて、楽しい時間を持つことが出来るという状況に  あれば、何も疑うことなく、「相手を幸せにするためには、まず自分を幸せにでき  なけりゃ」と奮起出来ることでしょう。        ((((((((((((((((-_-;)  私には現状では、私を好いてくれてステイブルに付き合ってくれるような相手はい  ません。  ですから旅行しても土産を買う宛がないし、独り寮から電話する宛もない。まして  空けておかなければならない休日もなければ、早く帰らなければならないベルサッ  サの日もありません。更に言うならば、書店で情報誌が並んでいても、デートの事  など発想しませんし、夕食の買い物に出ても、次のデートの予算を残すような気遣  いはありません。苦しいときにでも笑顔で会おうという相手はいないので、直に苦  しい顔を続けてしまっているでしょう。          (-_-メ)ケッキョク...  恋人がいるというのは、生活の一つ一つの視点が変化しますね。恋をしていると、  自分を幸せにしようとする原動力が働くというのも、今一秒一秒が独り者と違うの  でしょう。  現実的に見て、恋人がいるといないとでは、自分の磨き方も大分違うのですね。          (^_^;)  >> 僕はどちらかというと、「自分のために何かしてやる」というのが苦手な方で  >>(←最近まで美徳かと思っていたが、実はすごい悪徳だと気づいた)、  私も美徳ではないだろうと思います。悪徳と言ってしまうと、何か過激なことのよ  うな気がするけれど(^^;)  でも逆に自分が不幸せ状態(^^;)だと、周りも不幸せに引きずり込むだろうなとは  思います。  先日以来、様々な苦しさに出会っていますが、とりあえず仕事上での方向だけは見  えて来たのですが、その次にこの頃の私には、まさに「恋」にまつわることで、自  分を観る時期になっているようです。  そんな日々の苦しみの中に、しまうまさんの書き込みを見て、ふと突っ込んでみた  くなってしまいました。ごめんね(^_^;)  これについては、もう少し苦しみが要るみたいです。       しまうまさんの恋が幸せになりますように! (^^)…☆ッテナモンダ Suke. 01780/01780 GBA01276 しまうま RE:苦しみは魂の砥石か? ( 7) 93/12/13 02:42 01779へのコメント  #1779 Sukeさん、どーもです(^_^)。 :ということは恋人のない私などには、どう頑張っても「手の届かない」部分が磨け :ないということになりましょうか。(T_T;)  僕だって恋人なんていませんよー(^^;)。いるのは片思いの相手だけです。でも 「どう頑張っても「手の届かない」部分が磨けない」とは思わないですよん(^_^)。 たとえば「好き」と思える対象がいれば、どうしたって「その人の視点」でもモノ を考えるようになります。心底真剣に「他人の視点」に立とうと思えるって、やっ ぱり自分一人では手の届かない部分なのではないかなぁ。 :ある恋人が自分を愛していてくれて、楽しい時間を持つことが出来るという状況に :あれば、何も疑うことなく、「相手を幸せにするためには、まず自分を幸せにでき :なけりゃ」と奮起出来ることでしょう。  好きな人が僕を愛してくれているのかどうか、またいつか楽しい時間を共有する ことができるのかどうかわかんないですが、でもそうなるに相応しい自分になるた めに、また、そうなったときに相手を幸せにしてあげられる自分であるために、僕 は自分を幸せにしてやろうと思ってます。 :ですから旅行しても土産を買う宛がないし、独り寮から電話する宛もない。まして :空けておかなければならない休日もなければ、早く帰らなければならないベルサッ :サの日もありません。(以下略)  「ベルサッサがない」というところまでまったく一緒です(-_-;)ちょっと悲しい かも。でも書店の情報誌はチェックします。なぜなら「いつかきっと・・・」と甘い夢 を抱いているからです(^^;)。また、苦しいときは、好きな人の前でも苦しそうにな っちまいますよ、根性ないですから。 :その次にこの頃の私には、まさに「恋」にまつわることで、自分を観る時期になっ :ているようです。  さては、Sukeさんも恋をしていますね?(^_^)違ったらごめんなさい。 :これについては、もう少し苦しみが要るみたいです。  というと? どのような苦しみなのでしょうか。もし差し支えなければご同輩(^^;) としてお聞かせ願えればと思います。 :しまうまさんの恋が幸せになりますように!  ううううっ(;_;)嬉しい!!!! そういっていただけると、本当に嬉しいです!  Sukeさんの恋(?)にも、いいことありますように!!(^_^)                             しまうま (GBA01276) - FARION MES( 8):★シゲの【恋愛玉手箱】爆走編--------<01> 93/12/13 - 00001/00003 GBD03557 シゲ はじめに【巻頭言】 ( 8) 93/12/13 15:01 コメント数:1 。・:*:・。 恋愛は甘く優美な香り。時に、はかなくも切ない想い。。・:*:・。 。・:*:・。 丈夫な扉の向こうに、新しい日々は待っている。  。・:*:・。 。・:*:・。 今までの自分を捨て、大きく重い扉をみんなで開こう。。・:*:・。 。・:*:・。 そこにはきっと笑顔で迎えてくれる愛しい人が待って 。・:*:・。 。・:*:・。 いてくれる筈だから・・・  。・:*:・。 ■とかなんとか鼻をつまみそうな臭い台詞を言ってしまうシゲさまじゃな いのよ。だいたいねぇ、恋愛だの何だのってグチグチしている連中とかね、 恋愛に妙な幻想を懐いてる輩が多いからオレがこんなくだらねぇ会議室を やらなきゃならねえのよ。わかる? ■恋愛なんてのはイケイケで済まされることが半分を占める訳だ。(あ、 今、オレが勝手に決めたんだけどな) ■結局はさぁ。 「いつも成功だけを考えてた。 いつも臆病になっていた。 失敗したときのことを考えて...」 「ここで足踏みしてても靴は減る。 何かを必死にやってるとき、 いつも他人の言い草なんて シカトしているじゃないか...」 「ここで留まって靴の裏を減らすんだったら 一歩ずつ踏み出そうよ。」 ということなんだよ。 ■恋愛って基本的に激しいものなんだわ。 恋愛に限ったことじゃない。後ずさりしないで前を向いててほしい。 ■だけど、臆病になっちまって動けなかったり、ふと立ち止まっちまった りするときもあるのは理解できっから。そんな時にみんなで愚痴を聞いて あげて、元気つけてあげて、そんで、立ち上がって前に歩きだし、いつし か突っ走れるようになったらいいって訳だ。 □注意事項 著作権に十分配慮するとか、公序良俗に反する発言はしない・・・ 等は別途 SYSOP より注意があるかと思うが、他の会議室同様。 会議室としては「特定個人へのプライバシーには十分気を付けて貰う」 というこった。 ■おっと、そういえば会議室の目的を書き忘れちまったぜい。 まぁ、そんなもんタイトル通りだ。恋愛に関する諸々を書いてくれれば いいのよ。別に範囲は設けないから片思いでも、口説き方でも、不倫で も、なんでも書けってんだ。 ちくしょ〜!こんな大雑把な会議室はないぜ!涙ちょちょぎれまんがな。 ■それじゃあ、突っ走れぇ!! (*`。`*) ウフッ! シゲ 00003/00003 GBG02755 すまる 発言者削除 :間違えただ・・(-_-;) ( 8) 93/12/13 17:12 00001へのコメント 00002/00003 JBH02324 なえ おめでとー ( 8) 93/12/13 16:46 でわ、僭越ですが、たまたまお昼にアクセスしてしまい、おニューの部屋を 知ってしまった、某あやしいおばさまが愛の一言など・・・送ります(^-^)v   愛は、微笑む事じゃなく、心殴り付け、始まる。                 ¢     アヤ シイ シゲ       ▽   愛の守護天使に乾杯 (^o^)/|   アヤシイ恋を知ったなえでした(^^;                 ̄ - FARION MES(11):★アキラの《平井和正*異界漂流》----<01> 93/12/13 - 153/153 NCD00736 Fact'in Hygiene ホムスビ・ホノカグツチの神ニツイテ (11) 93/12/13 17:11 >みれさん, ご無沙汰してました。 ありぃ,削除したMESにRESをつけてくれたのね(^_^;;) 。 玉置にかこつけて,ここにかいたのですが,やっぱりHVHY氏の部屋の ほうが( 書くなら) 適当だなと,反省して,消したのですが・・・・ さて、本題。 私は日本の神様には,とんと疎いので,山田クエヒコ師に 「ホノカグツチ・ホムスビの神」について,話を伺いました。 (資料を手元に置いての雑談ではないので,非常にアヤフヤな話ですが) ====================================== 『ホノカグツチは軍神で,首をはなたら,「ミカヤヒ,ヒハヤヒ」等の神がでてきた 「火器」の神ではないか。Wヲオてホムスビの神は「ホ=火」を結ぶ神で火のカガヒコ という神に類似している。  アタゴ神社の神は,カム・アタカ姫とかアタツ姫と呼ばれており,イカズチ(雷) (タケミカズチ)と共に降臨したので,イカズチの娘(だから火?)ではないかと推測してる。 やはり武器をもった神様で,火に関係があり,それゆえ「防火や武運長久」の神として まつられているのだろう。ギリシア神話ではアテナに相当するのではと推測している。  愛染明王については,詳しくしらないが,え?キューピッドの矢を持っているって?そう,じゃあ(男性神としては)ヘルメスに似ているねえ。  愛染明王が,愛宕の神の生まれ変わりだって?そうかもしれないねえ。』 ======================================  ちなみに,棒名富士(群馬)の富士神社には,ホムスビの神が祭られていると, 師匠の,現地調査記録(新説・古事記)には書かれてました。その文章中では, 「ホムスビの穂」とはピラミッドを想定して、推論をしてましたが,,, イマデハ アヤマリダッタト・・・ワラッテ オリマシタ・・・・・ - FARION MES(13):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<03> 93/12/13 - 00884/00887 GGA02514 KAZE 自己の向上のために (13) 93/12/13 00:43 00877へのコメント RE]:877 DIRACさん、どうも。 >善と悪の見極めは難しいということです。・・・ >悪に知らずのうちに指向していく心、増長させてしまう自身の心をよくみつ >めて、日々過ごしたいと思います。 そうですね、そういう意味での反省というのは、 結局、自分の心を鏡に映してみて恥ずかしくないかどうかということですね。 なかなか、人に見られて恥ずかしくない心にはなれないのが実状ですが^^;、 少しでもそういう状態に近づけるように心がけていきたいと切に思います。 >自分の顔が自分自身では見えないように、自分の心(主観の源)を自分でみ >ることは出来ないのではないでしょうか。客観視が必要でしょう。客観視の >一つのあり方が、知識を基にした実践の歩み、そして幸いにも同時に知識の >応用にもなっていると思います。 本当に難しい限りですね。 このフォーラムの歌い文句というか看板のようになっていたのが、 「自分を見る」ということなのですが、 それは簡単にできないからこそ大きな目標になるものなんです。 それと、主観と客観という問題も、こうした場合には、 そのとらえる視点とレベルの問題を考慮しないと誤解されがたいものです。 シュタイナーも、先日の新刊の「霊視と霊聴」(イザラ書房)のなかの 「内的進化」という章で、次のように述べています。 提示の自己に関するかぎり、わたしは他人とは別です。しかし、高次の 自己に関しては、わたしは他者と離れてはいません。他者と一体なので す。わたしに高次の真理について語る人は「わたし自身」なのです。 しかし、こうともいえます。 自分の内面に語らせようと試みると、高次の自己が現れたと思われるとき、 一般に、提示の自己が語っているものなのです。 ですから、おっしゃるように、「ある種、密教的考え方」に従って、 高次の自己を見いださなければならないのです。 その大前提が、先の本にも書かれてあるように、 キリスト教で「汝ら、幼子のごとくならずんば、天の国に入ることをえず」 という言葉で表される「尊敬の感情」「畏敬の念」をなくしてはいけない、 ということですが、それとともに大切なのが「謙虚な姿勢」ということで、 それが、キリストが使徒たちの足を洗うという行為で示されています。 これがいわゆる道徳的ファンタジーの基礎ともなるものですが、 そういう前提に立って、シュタイナーは「一連の特性」を発展させなばならない ということを述べています。 つまり、「思考のコントロール」「行動のコントロール」「忍耐」 「あらゆる存在に対する理解」「出会う新しいものに対するとらわれのなさ」 ということです。 こうしたことは、密教云々ということを抜きにしても、 人間学の大原則でもありますから、日々ありがたく修行させていただいている、 という姿勢で臨みたいものです。 >自己を向上させていかないとより上部の境涯に祈りが通じない 人の「思い」というのはいってみれば「波動」ですから、 一定の周波数をもっています。 ということは、その周波数で受信できるものだけに祈りが通じるということで そういう意味で、「自己を向上」させて、波動を高次なものにしていかないと 「上部の境涯」には届きにくいということなのだと思います。 そういう意味で自己を向上させていく道が、先の「密教的な考え方」で、 その基本が、自己を確立しながら、同時に自分を虚しくするという、 一見矛盾したようなあり方に他ならないのではないでしょうか。 なぜ、 >その方法は2000年以上の昔から経験的に「利他」の歩みであるらしい のかというと、シュタイナーが先の本でいうように、 わたしたちは自分を自分のなかにおいてではなく、わたしたちの周囲にお いて認識します。・・・人間は周囲の世界をとおして、自分を認識するの です。ほんとうのところ、内面認識、自己静観というものはありません。 ・・・人間がたんなる自己観照をとおしてなにかに到達できると思うなら、 それは無駄で空虚な静観です。自分のなかに神的な器官を目覚めさせると き、人間は神を自分のなかに見いだします。 ということですが、「利他」ということは、自分の周囲を通して、 自分を認識するための最上の方法論でもあると思うのです。 つまり、自分の周囲に投げかけたものが「反射」することでしか、 実のところ自分は何も得ていないということでもあります。 そして、自分のなかに低次の偽善的な自己を見いださないためにも、 さきのような自己確立という前提が必要だということだと思います。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 00885/00887 GGA02514 KAZE 真の大人への変容のために (13) 93/12/13 00:44 00879へのコメント 隆ちゃん、どうも。 実は昨日あたりから僕も風邪をひいてしまったようで、 別に熱もなく大したことはないのですが、ちょっと鼻がグスンとなります^^;。 その上、今日は朝からCMのロケでちょっと遠出をしたものですから、 その分、風邪が少しだけ停滞してしまったようで、 ちょっと疲れやすくなっています。 今年もまだ半月ありますし、年内に片づけないといけない仕事も まだまだありますので、ひどくならないように気をつけたいと思っています。 >考えてみればこの遊戯団はFARIONでは特異な会議室かもしれませんね。 ううむ、このFARIONはFMISTYからARIONの部屋とこの遊戯団、 そして今はなきハイジンさんの夢の部屋が移動してきた会議室を核として できたものなのですが、その最初からこの会議室がなぜ移動するのかについては 明確にこうだといえるものはありませんでした^^;。 でも、何だか移動した方がいいような気がして移動してきまたのですが、 だからといってフォーラム全体の方向性に沿っているかどうかは?で、 そのままずるずると、居心地がいいもので(^^)、そのままのやり方を続けています。 最近になって、やっと、なぜこの会議室がこのフォーラムにあるのかが、 漠然と理解されてはきましたが、 まあ、これはこれで意味があるということなのでしょう。 で、なんらかの参加者のいるかぎり、これからもこうした感じでつかず離れず^^; マイペースで続けて、いろんな学びの場にしていきたいな、と思っていますので、 あきれずにおつきあいくだされば、と思います。 >僕にとっては非常に居心地がよいので、長々といついているわけですが(^^;)、 僕にしても先にもいったように、居心地が良くて続けているわけだし、 隆ちゃんとの結構ながく続いているキャッチボールも、 勉強になるし楽しいから続けているわけで、 隆ちゃんと似たようなスタンスといえばいえるようです(^^)。 「総じて知的」かどうかはわかりませんが、 そのあり方はどうあれ、参加される方にとって、 なんらかの学びになれればそれでいいと思っています。 >風にはずいぶん泣かされて来たような気がしますが、逆に言うと風に鍛えられ >て育ってきたとも言えます。 実は僕も隆ちゃんを鍛えてたりなんかして^^;・・・ってことはないですが、 ひとにはそれぞれその育ってきたなかでの得手不得手や関係の深さ、 またそうでないものがいろいろあるということですね。 しかし、自然現象や四季にちなんだものなどは、程度の差はあれ、 どんなひとにもなんらかの思い出はつくりだしているんでしょうね。 特に、日本に住んでいると四季やそれにともなった自然の変化ということには 深く影響されているものと思います。 >子供を持って始めて感じたのですが、頭でわかっている以上に子供の可能性は計 >り知れないものがあります。今、つくづく思うのは、最低限のしつけ以外は過度 >に関与すべきではないという事です。 教師や大人にできるのは、子供のもっている可能性を できるだけ発現しやすいようにしてあげることだけだと思います。 そのためのこそ、畏敬の念だとか愛情だという基本的な魂の栄養が必要で、 それがちゃんと育っていると、子供は世界に向けて安心して育って行こう!という 教育上もっとも大切な感情をずっと持つことができるのだと思います。 小さい頃から誰も信じず、誰にも愛されないでいると、 魂はこの世界全体を拒否するようになりかねないのです。 それこそが、反社会的という意味での破壊的なものの「根」なわけです。 もちろん、この社会をよりよく変えていこうという社会意識は絶対必要ですが それが「破壊」という方向性だけはとってはならないのだと思うのです。 >忘れた人もどこかに必ず憶えているはずなのです。僕は子供との付き合いで思い >出しましたが、何かの刺激でよみがえって来るものなのですよね。 子供の頃を振り返ってみて大切なのは、(これは僕だけかもしれませんが) 子供は純粋だ、とか純真だとかいうのには、かなり偏見だと知ることです。 子供は子供なりにセコイし、自分勝手だし、わがままなんです。 もちろん、成長しながら身につける思考の技術だとか言葉の表現力とかありますが 魂的にはかなり成長しても子供の頃と基本的に大同小異なのです。 これは、僕自身のことでももちろんありますが、 人間は、いろんな苦しみや悲しみを通して魂を成長させていかなければ、 その子供のころのコントロールされない魂のあり方そのものだということです。 もちろん、これは別に性悪説だというのでは決してなく、 そこにはコントロールされていないさまざまな可能性が まだ明確な形にならない状態で眠っているということです。 でも、それは、あくまでも「プレ」の状態で「ポスト」ではないんです。 それは、ひとりひとりの血と汗で練ってこそ発現してくることになります。 もちろん、ひとりひとりの魂は明確に違いますし、能力もさまざまで、 その可能性もかなり限界づけられているのは確かです。 そうしたことを含めて子供の頃は可能性の爆弾なんだと思うんです。 その可能性ということに、自分勝手やわがままもふくんでいるということです。 >向上心も欲ですし、餓鬼の食欲も欲には違いがない。例が極端ですが、要する >にバランスが大事という事なのでしょうか。 そういうことだと思います。 物事にはいろんな側面があって、それが過度に顕現しすぎると あまり良くないということだと思います。 たとえば、嫉妬というあまり良さそうではないことも、 ある種の向上心に結びつくという意味は必要な場合もあります。 これも、すべて「中道」が大切だということでしょうね。 (いつもそういう結論になってしまう自分がコワイ^^;) >子供の頃、「大人びた子供」とよく言われたものですが、大人になってみる >といわゆる大人の世界は居心地が悪かったりします。 僕も「若年寄」と母親から言われてたりしましたし^^;、 「いわゆる大人の世界」というのも苦手きわまりないものがあります。 でも、やっと最近になって、本当の大人という方が皆無!^^;になってくると、 いっちょ自分くらいは大人になってやるか!と少しは思えるようになりました。 でも、矛盾するようですが、真の意味でのこの「大人」というのは、 子供のような心をなくしては「大人」とは決していえないんだと思います。 通常いわれる偽物の大人というのは、 子供から成長できない、いってみれば半人間なのだと思います。 僕も、その自分の半人間性に気づきはじめ、 これではいけないと思うようになりました。 日本では、女性は子供から一気に母親になり、 男性は、子供のままで、ただ母親から第二の母親としての妻に抱えられる、 というほとんど子供と未熟児と母親しかいない社会ともいえます。 今、この荒廃しかけている社会を脱皮、成長させていくためには、 現在の混乱を過去へと退行させることではなく、 現在の荒廃を糧として少しずつ男女のあり方を変容させていくことだと思います。 なんだか、最近過去の日本の歴史を再認識しようという動きがありますが、 それが真に意味あるものとなるのは、過去への退行としての発展ではなく、 歴史のプロセスの意味するものを糧として 新しい道を探るときだけだと思うのです。 それこそが、未熟児の半人間から脱し、成長するための踏切台だとも思います。 僕も、はやく未熟児から脱して真の大人の魂に変容したいものだと思います。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 00886/00887 GGA02514 KAZE RE:今日感じたことなど・・・ (13) 93/12/13 00:44 00880へのコメント 岳同さん、どうも。 >遅れ馳せながら、私もCPUを増強してWINDOWSユーザになりました。 僕はWINDOWSを使ったことはまだないんですが、 基本的にはMACと同じようなものですね? 僕もDOSからMACへと移行したとき、最初は戸惑いましたが、 今では、このあまりの重宝さに、たまにDOSを使うと、 かえって戸惑ってしまいます。 >勢いを失っている事柄と >相変わらず堅実な事象を考え合わせてみると >本質から離れている物事が >次第に摘みとられていくように思います そうですね、僕もまわりをみてみると、見かけだけのものが 次第にその実像を露にしてきているようで、 最後に残るのは真実の部分だけなんだろうなと考えたりします。 僕のなかの虚像の部分も、はやくちゃんと中身をいれておかないと、 摘み取られて何も残らなくなるので、がんばりたいと思います^^;。 >仕事に関連してLANについて勉強していますが、OSIという組織でネットワーク >を7階層に設定しています。 「7階層」というと、僕などはすぐに「4」という中心が 気になるのですが、名称も中心にふさわしく「トランスポート層」なのですね。 僕は、残念ながらLANと聞いても全然ピンとこないのですが、 単に「7」とうことでそれぞれの関係を勝手に予測してみると、「4」を中心に 「1−7」「2−6」「3−5」というのがでてきますが、 ま、無責任な想像ではあります^^;。 もし、そこらへんに関連があるとしたら、面白いですね。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 00887/00887 GGA02514 KAZE 風遊戯26●空の青に永遠を見た日 (13) 93/12/13 16:49 空の青に永遠を見た日*1 花の色は惑星の音に染められ 人の言葉は銀河の舟に乗る 光あれ するとそこに永遠の絵画が現れ 響け言霊 するとそこに永遠の声が流れ出す 「色は花の咲く前でなければ、此岸には留まらない」*2 そして染織家は花に移る前の色を取り出し 「声はみずからを空にしなければ、この世には届かない」 そして声楽家は自我の器に色鮮やかな音を盛る ああ 幾たびも夢見た空の青 ああ 幾たびも待ちわびた声の永遠 わたしは冬の午後 みずからの内なる弦を試みに弾いてみる するとどこからか魂のかたちがころがりだし それがみるみるひろがり空の青に融けだす *1友人の画家「白石裕三 油彩展」の「鏡の中の如く」へのイメージ *2志村ふくみ「語りかける花」(人文書院)より - FARION MES(14):★HVHYの預言解読部屋------------<03> 93/12/13 - 01575/01581 KFD00473 たまご RE:久々の時間論 (14) 93/12/12 22:12 01570へのコメント コメント数:1  「それぞれの時間・・2」  つまり。  時間は誰にでも均一に流れており、全体を包含しているという想像は実は 間違っていて、個々が持っている時間は個に属しているのではないかという 仮定が得られた訳です。  では、預言解読の側面のひとつである「未来を見ること」とはどんな意味 があるのか、それはあいまいになってくる可能性があるのではないでしょうか。  待てよ?その未来は一体「誰の」未来なんだろう・・?       たまご 01579/01581 JBH01750 著美 RE:久々の時間論 (14) 93/12/13 02:22 01575へのコメント  たまごさんへ再び  >> 時間は誰にでも均一に流れており、全体を包含しているという想像は実は  >>間違っていて、個々が持っている時間は個に属しているのではないかという  >>仮定が得られた訳です。  これにつきましては、アンリ・ベルクソン(フランスの哲学者)やエドムント・ フッサール(ドイツの哲学者)の時間論が参考になると思います。  とくに、フッサールの『内的時間意識の現象学』を紹介しておきます。 01577/01581 JBH01750 著美 RE:久々の時間論 (14) 93/12/13 00:46 01570へのコメント  >たまごどん、久々のレスですが…  本川達雄氏の「ゾウの時間ネズミの時間」(中公新書)は、絵本にもなっている そーな。文は、本川氏自身で、絵はあべ弘士氏。あべ氏は旭川の旭川動物園の飼育 係をしているそうです。  絵本のほうは、月刊「たくさんのふしぎ」(福音館書店)のシリーズから出てて、 1993年3月号(通巻96号)の「絵とき ゾウの時間とネズミの時間」です。  あと、氏の本で読んだのは、「歌う生物学」(出版社、失念(^_^;))ですけど、 これも楽しい本です。氏の専門である生物学の専門的な内容を歌にして歌ってしま おうというもの。歌は、もちろん氏の自作で、楽譜もちゃんと載っています。  それから、自作の歌の自演テープ(ピアノ伴奏は奥領烽ゥ)0xe蜚┣mチ竄「ーzチFュH森す。 ウ レ01576/01581 GCC01413 HVHY RE:久々の解読(古代史の盲点) (14) 93/12/12 23:59 01555へのコメント  *[なぜ、ハジベなのか・・・その13]  それが本物か偽物かはともかく、不比等までの時代は、  「ニギハヤヒ」の末裔と称する部族を中心に動いていた。  したがって、「ニギハヤヒ」の偉大なる伝承をそのまま残しておけば、  必ず「ニギハヤヒ」の末裔と称する部族が現れて、戦乱を呼び起こすだろう。  そこで、不比等は“埋もれていた伝承”を掘り起こした。  そこには「アマテラス」や「イハレヒコ」の伝承があった。  その末裔を称する部族は、例え居たとしても、ほとんど駆逐されていた。  だからこそ、不比等は「天孫降臨」の神話を採用した。  それは言わば、“連続の神話”ではなく、“断絶の神話”であった。                    (持統)          タカミムスビ−+−アマテラス                 |               オシホミミ(草壁)                 |               ホノニニギ(文武)  ところで、不比等の婚姻関係は、神話をなぞっているだろうか?  「ホノニニギ」に嫁がせるべきは、「宗像3女神」の血であった。  それを引き継ぐのは「イハレヒコ系」と「タカヒコネ系」が考えられたが、  既に述べた通り、「イハレヒコ系」は落ぶれてしまっていた。  不比等が文武[42]へ嫁がせたのは、「賀茂比売」との間に設けた子供である。                賀茂比売−+−不比等                     |            文武[42]−+−宮 子                  |                聖武[43](イハレヒコ)  さて、次には、「イハレヒコ」の結婚である。  嫁がせるべきは「シタテルヒメ」ではなく、最初から「イスズヒメ」であった。  過去の失敗というものを生かさなければならない。  (※つまり「ウガヤフキアヘズ」の失敗のことを言っている…)  旧大和勢力を無視した強引な合体策がその後の混乱を招いたのである。  ところが、これを実行するためには、本物の「物部氏」を探さねばならなかった。  もし、不比等の鎮魂と呪術が完璧なものだったとすれば、  ここで“本物の「物部氏」”が見付かったことになるのだが…。  即ち、「県犬養三千代(橘三千代)」とは、どういう人物だったのか?  ここが問題の焦点となってくるのである。そして、本物の「物部氏」とは、  「ニギハヤヒ」と「トミの一族」の血を両方引いている、そういう一族である。             (…これは古代史の話か?…)                                  HVHY 01580/01581 GCC01413 HVHY RE:久々の解読(古代史の盲点) (14) 93/12/13 02:40 01555へのコメント  *[なぜ、ハジベなのか?・・・その14]  県犬養三千代(橘三千代)は、  江戸時代における春日局のような存在であった。  ところで、最も有名なあの春日局は、  江戸時代を解くための要に位置していることは既に述べた。  これに関しては、八切止夫の有名な仮説(?)がある。       〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  さて、「政事」と「祭事」が分離して以来、  「政事」は「大王」が司り、「祭事」は「物部」が司ると決まっていた。  この「物部」は一氏族の名前ではなく、職掌である。  家において神様の世話(?)をするのは、  太古の昔から“奥方”の仕事であるとは、かの大沼先生の話だが、  然らば、家庭における「物部」は“奥方”である。  「物部」の「物(モノ)」とは、武器を表すとの説もあるが、そうではない。  「モノ」とは「魂」或いは「祭器」のことである。そして、  古来、存在する全ての物には「魂」が宿っている、と考えられていた。  然らば、「祭器」とは、“全ての物”のことである。  まず第一に、「物(モノ)」とは何か? 「物部」とは何か?  その辺りに関する理解(知識ではない)が前提となる。       〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  「忌部」については、少し前にかなり取り上げた。  「太玉(フトダマ)」は「忌部」の祖とされているが、  「太(フト)」=「布都(フツ)」=「剣」。  「玉(タマ)」=「宝珠」=「マニ宝珠」。  というわけで、「太玉」=「フトマニ」=「虚空蔵菩薩」。  ARION用語における「無色界」の覇者。  この「太玉(フトダマ)」は、先代旧事本紀によれば、  “イハレヒコの大和入り”ではなく、“ニギハヤヒの大和入り”に伴った。  これが本当のことだとすれば、「祭事」を司るという意味での「物部」は、  ニギハヤヒ以来、「太玉(フトダマ)」であったことになる。  (※“ニギハヤヒ大和入り”の段に書かれている「物部」は軍団だった…)  言ってみれば、日本の初代「物部」は「太玉(フトダマ)」だったのである。  もちろん、この場合、ヒミコのいわゆる鬼道は数えていない。  ところが、“ニギハヤヒ大和入り”は何処が出発点であったか?  既に示した私の仮説によれば、《宗像》の地である。  したがって、「太玉(フトダマ)」に関しても、  《宗像》→〈大和〉と動いたことだけは間違いない。  それでは、「太玉(フトダマ)」は最初から《宗像》に居たのか?  「縄文人」なのか? 「日向族」なのか? 「出雲族」なのか?       〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  福岡の住吉神社と香椎宮に行ったことは既に書いた。  香椎宮については、誰が奉ってあるか全く記憶に無かったのに、  タクシーに乗っている時、道路標識で見掛けて、  「あそこに行く!」と決めたのである。(※こういうことは珍しい?)  そして翌日、親戚一行が太宰府へ行く中、  無理を通して、私(&私の妻)だけ香椎宮へ行ったのだ。  そこには武内屋敷というのがあって、武内宿禰の子孫が未だに住んでいた。  (※これに関しては別伝があるので“ここに居てはオカシイ”の意見もあろう…)  その隣りには名水百選にも選ばれている「不老水」が奉られていた。  もう一つ。全く整地されていない小高い丘に、「早辻神社」というのがあった。  私の妻が言うには、「ハヤ」は「ニギハヤヒ」。「ツジ」は「ツチ(土)」。  当てになったものではない。(!) …とばかり言い切れるだろうか?  香椎宮の縁故神社として、和白(わじろ)に「大神(オオミワ)神社」があり、  「オオモノヌシ」つまり「ニギハヤヒ」を奉っている。  そして、「早辻神社」の小さな拝殿の手前には、  表土に歴然と露出した「朱」が観測されたのである。(※手にとってみた)  因みに、ここには「大伴武以大連」と「清原眞人氏貞」が奉られている。  解説書によれば、御田氏の祖神に清原氏の祖神を合祀した神社だというのだが…。  さらに、これは当たり前かも知れないが、  「名島神社」と称して「宗像神」が奉られている。       〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  住吉神社についても、やはり偶然、タクシーの運転手が教えてくれた。  親戚の人に取って貰った宿が法華倶楽部というホテルで、そこへ向かう途中、  「直ぐ隣りに“住吉大社”があるよ」と教えてくれたのである。  ここは行った時間が遅かったので、解説書を買い損ねて、細かいことは解らない。  しかし、一番大きくて“意味あり気”な摂社は、  明らかに「恵比寿神社」であった。「恵比寿」は「コトシロヌシ」である。  航海に関係があるから「恵比寿」が奉られているのでは無い。  因みに、住吉神社の祭神は「表筒男・中筒男・底筒男」の3神だったと思う。  フハ.ノ ヒ5イ ,ソこれは「オリオンの3ツ星に対応している」という説がある。  この辺りについては、再び検討することもあろう…。  「百太夫(=白太夫)」に関する話は既に詳しく述べたことがあった。  もう一つ、「サルタヒコ」を奉った神社の隣りに、  比較的大きな摂社があったが、どういう神社か忘れてしまった。  ここの摂社だけ、出雲式の屋根になっていたことを記憶している。  この付近には「アワシマ様」も(小さくだが)奉られていた。       〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  今回の仮説は、この2つの神社へ偶然行ったことがキッカケになった。  ひとつ言えることは、これらの神社はいずれも、  神功皇后の時代を由来として奉られたように書かれているが、  もっと古くから神社としての祖型を備えていたに違いない、ということ。  装飾古墳の一大本拠地は、北部九州沿岸地方であり、  ここの土地がかなり古くから相当な文化を育んでいたことは明らかだ。  (※第一の金印が出たのはその先に浮かんでいる沖の島である…)  「ニギハヤヒ」がまだ〈大和〉へ向かう以前の本拠地《宗像》。  そこは「出雲族」と「日向族」が結合した最初の場所でもあった。      (…装飾古墳についても検討してみる必要があるようだ…)                                  HVHY 01581/01581 GCC01413 HVHY RE:久々の解読(古代史の盲点) (14) 93/12/13 14:52 01555へのコメント  *[なぜ、ハジベなのか?・・・その15]  吉備地方の豪族が、いわゆる大和朝廷が成立して以降も、  厳然たる勢力を誇っていたことは、普通の歴史にも書かれている。  しかし、その理由については、あまり明確な説明が為されていない。  (※勢力の背景としてもちろん鉄の生産力もあったが…これは何時の時代?)  ところが、例の初期王権の系図([1]〜[10])を見れば、  極めて簡単に説明できる。それはどういうことか?        「イワレヒコ」       「タカヒコネ」           ↓             ↓         [考昭系]         [懿徳系]         考安[6]         考元[8]           |             |         考霊[7]         開化[9]           |             |         大吉備津彦         崇神[10]  吉備の勢力は、[考昭系]の王族、つまり「イワレヒコ」の末裔だった。  考元[8]が本当に懿徳[4]に繋がっているか、という問題はあるが、  ともかく、考元[8]を母体として“いわゆる崇神王朝”が成立する段階で、  [考昭系]のグループは次第に中央(大和地方)から駆逐された。  この時、逃れた場所というのは、大きく分ければ2つある。  「東」(東海地方、関東地方)と「西」(主に神武東遷の経路上)である。  この「西」に属する地域の“一つ”が吉備であった。  因みに、吉備(岡山)の隣りは安芸(広島)。この辺りの瀬戸内海沿岸は、  後のいわゆる「平家」を支える水軍の本拠地であった。  「イワレヒコ大和入り」において、中心となった軍団は「クメ族」。  後の「佐伯氏」である。そして、この系統から「空海」が出るのだが…。  そして、宮島の対岸に当たる佐伯郡に、かつて「海(アマ)郷」があった。  (※この話は既に断片的に述べたことがある…)  神話によれば、この近辺は「イワレヒコ」が“てこずった”地域である。  しかしまた、“長居をした”地域と言い直すことも出来ないか?  つまり、“てこずる”過程の中で、瀬戸内海の水軍を掌握していったのである。  もちろん、“いわゆる崇神王朝”の系統も、強力な水軍を抱えていた。  それは「ニギハヤヒ大和入り」以来の「物部」の大軍団であった。  (※少なくとも[4]〜[8]が連続している場合の話…)  先代旧事本紀を読むと、「ニギハヤヒ大和入り」の時点では、  これに従っていた沢山の「物部」たちは、明らかに“軍隊”である。  (※朝鮮半島・出雲地方の『鉄』を背景にした日本海沿岸の水軍?)  “祭祀”はむしろ「太玉(フトダマ)」を中心にしていたはずだ。  ところで、“いわゆる崇神王朝”を成立させた「イカガシコオ」のグループは、  記・紀においては、垂仁天皇の時代に「物部」の称号を貰うことになっている。  しかし、もしも「イカガシコオ」のグループが、  「ニギハヤヒ大和入り」以来の“武装軍団”(水軍が中心)だったとしたら?  あまり興味本位のことは書きたくないが、“いわゆる崇神王朝”は、  現在の表現方法によれば、『軍部のクーデター』だった可能性がある。  さて、このような仮定に立った場合、  [考昭系]の水軍(瀬戸内海や熊野を中心とする?)は、  少なくとも崇神[10]の頃までは、大して強くなかった、と考えられる。  それにも拘らず「イワレヒコ大和入り」が果たせたのは、やはり、  「ニギハヤヒ」たちが積極的に戦うことを選ばなかったからだろうか?  まだ「ニギハヤヒ」や「ウマシマジ」が居た頃は、  当初「ナガスネヒコ」「ウマシマジ」の強力な反対があったとはいえ、  最終的に“和平”への道を選んだのである。即ち、  “軍部の暴走”といった事柄は決して起こらなかった。  (※何だか似たような話を聞いたことがある気がしませんか?)  しかし、「タカヒコネ」から下って“孫の世代”では、  [考昭系]の側に王権が確定していくことに納得の行かぬ「物部」たちが、  “武装軍団”によるクーデターを起こした。(※原田説にほぼ準ずる…)  [考昭系]の水軍は、この時点においては、まだ『鉄の生産力』が乏しかった。  即ち、後に吉備地方を開発したのは、実に“敗戦の教訓”であった。  では、なぜ『鉄の生産力』に差があったのだろうか?  これは、「日向族」と「出雲族」の文化層の微妙な(或いは大きな)相違による。  単純に言って、製鉄技術は「スサノオ」が持ち込んだ、ということだ。  もちろん、いわゆる“オオクニヌシの国譲り”以来、  「日向族」の勢力は事実上《宗像》の地もコントロール出来た。  そんな状況下において、既に「宇佐」の製鉄も始まっていた、とは想像できる。  しかしながら、もともと製鉄技術は「出雲族」が持っていたもので、  どちらかと言えば「日向族」の系統に属する[考昭系]の軍団は、  この点において明らかに遅れをとっていたのである。       〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  例えば、普通の歴史の教科書を読むと…、   吉備の豪族は大和朝廷の成立後も、それに匹敵する勢力を誇っていた。   これは、大和地方から4世紀に発生した王権の統率範囲が、   意外に狭かったことを示している。即ち、   初期の大和の大王は地方首長に近いものであった。   吉備の豪族が大王クラスの権力を維持できたのは、   おそらく鉄の生産力を背景にしている、と考えられる。…云々。  大体このような説明が為されていると思う。  しかし、これでは、ほとんど当時の状況を説明していない。          (…初期王権の系図は“重宝”である…)                                  HVHY 01578/01581 GBA01276 しまうま コメのことなど (14) 93/12/13 02:13  最近の世の中の流れを見ていると「日本人に外国の食料を食わせる」という方向 に大勢が向かっているような気がする。  たとえば今年の不作。なんじゃいあの天候は。いろいろ原因があるんだろうが、 なんかしらん作為的なものを感じる。そもそもあんなに「減反、減反」といわなき ゃ少々不作だろーが凶作だろーが、構いはしなかったのだ。自給率5900%くら いあったっていいじゃないか。余ったらひもじい外国に安くゆずってやりゃええ。  でもって、この細川政権。異常に支持率高い。オレもなんだか雰囲気的に好きで 「細川護煕−−リーダーの条件」なんつぅ本を持っていたりもする。外国への対応 も、言葉はいいと思う。あの気難しがりやのえりちゃん大統領にもすっかり気に入 られたようだしな。「米市場開放は嫌だけど、細川首相は好き」という人、結構い るんではないだろうか。だいたい「米の開放反対派」と「自民党嫌い派」って重な ってような気がするだ。「せっかく芽吹いた連立政権」をつぶしたくはないし・・・と いう気持ちの人、いると思う。その間隙をぬって、開放されちゃうんだなー、きっ と。(ちなみに細川政権がつぶれて「やっぱり政治改革なんて絵空事だよなー」と 思っちゃったら“負け”ですぜ)  で、輸入された米がどうなるかってぇと、日本の米に混ぜられて、店頭に並ぶわ けだ。絶対拒否できないよな。まさか買った米を一粒一粒選別するわけにいかない し。新潟に実家を持つ友人のいる人、大切にしましょう。ちなみに僕は「きらら3 97」が好き。来年の今頃、確実に100%きららだという米を知ってる人がいた ら、高くても買うから乞連絡。  あとは関係ないが、テレコミュニケーション関係って、あぶないと思うぞ。今世 界中にネットワークが張り巡らされて、しかもそれは電話回線とかISDNとか、 うんたらケーブルとか、とりあえず公共のものが使われている。首脳同士のホット ラインだろうが、核ミサイル制御の端末だろうが、パスワードだかなんだかが施さ れているだけだろう? すると、世界を1日にして大混乱に陥れることができるん じゃないか。よーするに、意味不明に過激な連中に、そのパスワードをこっそり耳 打ちしてやればいいのだ。  なにか大切なことから大衆の目をそらせたいときなんか、有効かも。                             しまうま (GBA01276)