- FARION MES( 6):・壁(1)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 93/12/22 - 01914/01916 TBE03167 ねずみ あはははは^^ ( 6) 93/12/21 20:41 やっと自分の馬鹿さ加減に気がついてきた。そうして僕は少しだけ平和になった。 昔はなんだってあんなにかしこいように見せようとしたのだろう。 かしこく見せたって、本当はなんの値打ちもないのにね。 01915/01916 GBG02755 すまる 似てても違うけど、??? ( 6) 93/12/22 13:11 ぼそっと思ったこと。 毎日死にたいって感じながら生きてるけど・・・ 死ぬ覚悟で生きるってことは、似ているけど、じぇんじぇん違うんだろうなってこと。 でも、何か、どこか、つながってるような気もするんだ。 ???                        すまる 01916/01916 GBG02755 すまる 羽がほしい ( 6) 93/12/22 14:09 あなたがいるところなら、どこにだって飛んで行きたい。 それが極地であろうが、孤島だろうが、 あなたの笑顔が見れるなら、どんなことだってしてあげたい。 この私を葬る以外の事は、 どうして、ここに私はいるのかしら? どうして、私はここに縛られていなくちゃいけないのかしら? あなたのところへ飛んでいける、体の翼と心の翼がほしい。 この時間、この場所に、留まらなくてはいけないなんて・・・拷問なのよ。 そして、あなたのところに飛んで行けないって決めつけてる私が大嫌い。 でも、この心と体で、あなたを感じたいし、確かめたいの。 その両方の思いが私を困らせる。 あなたに愛を感じることだけは、私の自由なの。 それは、誰であろうと、神様であろうと奪うことなんかできやしない。 自由を奪うことなんか、誰にも出来ないのよ。 だって、私は私なんだもの。 翼はないけど、あなたを感じる私は生きてる。 それが、何よりも、愛しいことだわ!                           すまる - FARION MES( 8):★シゲの【恋愛玉手箱】爆走編--------<01> 93/12/22 - 00066/00068 GBG02755 すまる RE:僕は硬派ですから…ららら? ( 8) 93/12/22 00:23 00059へのコメント やっほー>>ねずみさん! そうですか、こんなちゃらちゃらした会議室は嫌いですか?  私も好きだってはっきりしてて、うだうだしてる連中は嫌いです。 ちゃらちゃらするつもりはないよ。 でも、うだうだしたくなる気持ちもわからんでもない。 そういってるねずみさんもそれなりに うだうだしていらっしゃるようで? でも、どうして恋にすぐぶつかる人と、そうでない人がいるのかしらねぇ・・ 今もってわからないなあ・・・ ねずみさんはまだなんですか? 私も結局、クリスマスは一人ぼっちなんだな・・・ うぇーん寂しいよぅ(;_;)                  ふて寝するだ! すまる    00067/00068 GBG02755 すまる RE:玉手箱だいすき! ( 8) 93/12/22 00:24 00061へのコメント こんばんわ,いらっしゃいませー まるにちょんさん ふふふ,そうですか,古傷がいっぱいなんですか. それは楽しみですわ. なにやら,持ち上がったときは,お世話願いますね. よろしく!                    すまる 00068/00068 GBG02755 すまる RE:独断と偏見ですが ( 8) 93/12/22 00:24 00064へのコメント こんばんわ>>Y.S 喧嘩ね.... そうね,本音で話し合えるのっていいよね. 私はとうとう旦那さまと喧嘩しなかったよ. 意見が違うってわかると,それで二人とも黙ってしまって, それでちょんだったのよね. 理解されることも,することもしなかったんだね. 傷つけることを恐れて,結局,傷は思わぬほど深くなっていたみたい. 傷つけても,いたわりあって,そうやって繰り返して, 二人は融け合うのかもしれないね. 簡単便利な恋愛じゃなくて,思いきりハード&ヘビーなのがいいのかな?                        すまる - FARION MES(12):★SUBUDHの《アジア・チャンプル》----<01> 93/12/22 - 00055/00063 TBD00623 SUBUDH RE:神代文字のことなど (12) 93/12/21 22:13 00047へのコメント Sooさん 確かにあのハングルに似た「神代文字」はパクリと思われてもしかたがないでしょう ね。僕もアレもはじめて見た時、「これハングルじゃん!」と思ったものです。 だからといって全ての「神代文字」がニセモノとは思っていません。 ウチの近くにニギハヤヒを祭っている矢田坐久志玉比古神社というのがあるのですが ここで「十種神宝」をあしらった「御札」をくばっています。この「御札」にもアヤ シイ文字が描かれているんですが、これがバリで呪術に用いられる文字と非常に似て いるんです。また、この神社の宮司の話しでは、玉置でも同じ文字の「御札」がある そうです。残念ながら僕自身は玉置のものは実際に見たことがないんですけどね。                     《アジア・チャンプル》案内人 SUBUDH 00056/00063 TBD00623 SUBUDH RE:アジアだいすき! (12) 93/12/21 22:14 00049へのコメント ミーモさん ふむふむ。ジャパンはそういう所から言われてきたんですね。 音を一度漢字にして、その漢字を又もや音にすると確かにそのような変換が起こり得 ますね。例えば般若心教の最後のマントラ部分は漢字であらわされていまして、その 漢字自体から意味を読み取ろうとしても無理なんです。実はこれはサンスクリットの 音を漢字にあてはめたからで、大抵の坊さんの「読み」もこの漢字を読んでいるので 意味不明状態なんですが、もともとのサンスクリットですと、ちゃんと意味がありま す。(当たり前だよね)   サンスクリット−>(音を)漢字−>漢字を読む っていう変換です。                     《アジア・チャンプル》案内人 SUBUDH 00058/00063 TBD00623 SUBUDH RE:日本or日本国、ニホンorニッポン? (12) 93/12/21 22:14 00051へのコメント 村長さん あやふやな記憶をたどると戦前は「ニッポン」と言っていたそうなんですが、敗戦後 にGHQによって「ニホン」と呼ぶようにされてきたらしいです。このあたりの一輝 さんにコメントしてもらえたらと思います。 僕自身としては絶対に「ニッポン(NIPPONG)」と呼びたい。 マントラとして考えるならば、この方が強力だからです。                     《アジア・チャンプル》案内人 SUBUDH 00059/00063 TBD00623 SUBUDH RE:初めまして*^^* (12) 93/12/21 22:14 00052へのコメント 隆さん >  来年の2月をめどに穀物菜食を始めようと思っています。 バリの聖職者はまさに「穀物菜食」を行っています。それが聖職者の義務の1つにな っているからです。直会(なおらい)の席でも彼らは決して肉を口にしません。 僕が見たところでは彼らは「赤米の粥」をいつも食べていました。                     《アジア・チャンプル》案内人 SUBUDH 00060/00063 TBD00623 SUBUDH RE:おっと遅刻か? (12) 93/12/21 22:14 00053へのコメント メルクさん >  いきなり落ちてやんの。 >  途中でまた落ちてやんの(^^;) そういう偶然が重なった時って、僕ならカミさんからの何かの合図であると受け取り ます。この会議室を持ってからもそういう事が何度かありました。ある事を書き込も うとしたとき、いきなり回線がきれてしまったりね。あとになって、その「ある事」 は書いてはいけないという事実に気がついたりしましてホッとしたものです。                     《アジア・チャンプル》案内人 SUBUDH 00061/00063 QFG02515 メルク RE:《アジア・チャンプル》 (12) 93/12/22 01:38 00041へのコメント コメント数:1  こんにちわ、NoBさん。  いくつかの項目にコメントしてみました。 >>古神道……そんなものは存在しないのね、  縄文時代の遺跡にも、宗教的なものと思われる場所のあととかあるわけで、  なんらかの形の宗教(?)があったのではないかと私は思うのだけど。  それは、いま残っている神道の源流の一つではないかとも思う。  まあ、古神道という言葉は、私もあんまし好きではないのだけど。 >>台湾……というけど、これも中国正統政府なんだよ。首都は南京なんですよ。知っ てた?   台湾側は、それを望んでないみたいだけどな。  もっとも、近年まで、  教育の場で、いたいけな生徒たちに、  「大陸に帰りたい」と刷り込み(?)してたらしいけど。 >>米問題……解放するっきゃないよ。昨今のTVの論説とかは欺瞞だよ。  わらわは日本の米が食いたいぞ。 >>『古事記』っていうのは平安時代に多氏が作った偽書でっせ。  戦国時代に岩屋天狗って人が書いたという説もありまっせ。 >>だから、仏教だの神道だのいう意識はごく近代のものなのにね。  それは、日本に仏教が伝来して以来、  仏教勢力と神道勢力が仲違いしたことなど、ただの一度もありはしない、  ってことかえ?  ・・・・では、また。                        メ ル ク 00062/00063 TCC00116 NoB たはは (12) 93/12/22 16:46 00061へのコメント コメント数:1 というわけで、2度寄るとは思ってないんで、ちょっと悪い冗談をかましてごめ んよぉ。というわけで、幾人か私的に、FARIONじゃさぁ、NoBさんのギャグ通じ ないまじめな人多いんよぉ、という話もうかがいました。ま、そうかもしれへ ん。 でも、気がついたこと、レスまじりで。 メルクさん、どうも。古神道というときの、「古」っていうのは、98MATE(きゅ うはちまて)の新バージョン、「新98MATE」のようなもんで、この手のものにろ くなものありゃせんわい、とかね。ありゃりゃ。悪たれさておき、「古神道」と いうとき、資料については、十分典拠にお気をつけあれ。そんだけですね。「東 日本……」みたいな話になりませぬようにね、と。 台湾話。台湾側が、あれ望んでないか、というのは、僕もそうかなと思っていの ですよ。でもね、でもでも、の、話もあるんすよ。関心ある?これやるとかなり やばいんじゃないかな。 日本の米? ……たはー。どうなんざんしょ。あれれ、ど忘れ、自然農法やって いる藤原っていう人だったかな、「日本人は米食うようになってから権力に拘束 されるようになったのじゃ雑穀食え」、みたいのあるけど、これってなかなかい いギャグだよね。 というのも、「日本」と「米」というのは歴史的に見てそう、ダイレクトに結合 するもんじゃないのね。あえていうと、「米も食えない」じゃなくて、「米を食 わない」という日本の側面が愕然とあるわけさね。 日本の仏教と神道だけど、明治時代以前には、区別なんかあんましなかったので すよ。江戸時代はこれを区別せーよっていうイデオロギーが胚胎しつつあったの で、いろいろ面白いケースもあるんだけどね。でも、大きくみれば、ないない。 ついでに言うと、日本の葬式は、儒教に寄るものなんですよ。 隆ちゃんさん、こんにちは。あっちの部屋がごぶさた。ありゃ、もう、わたしな んぞ話がついてけないよぉ。MRTはその後どうですか。これについて面白い裏 話があるけど、僕がいうと、誤解されっからね。やめやめ。で、「穀物菜食」だ けど、マクロバイオティクスかな。どうしようかな。あとで困らないように、ち ょっとコーション出しておこうかなという気もしないではないけど、うーむ、よ けいなおせわになりかねないな、ちょっと迷うな。やめとこ。 バリの聖職者が「穀物菜食」っていうのは、実は……、バリで意外なことを聞い て、ぞぞっとしたのだけど、ま、そうなんかいな?というのはありますね。これ は、ヒンドゥイズム全体に言えることで、エリアーデなんか読めば、そっかぁと いうことなんだけどね。ふふ、内緒。 しかし、そのぉ、なんつうかな、「バリ」ってSUBUDHさんもご存じだと思うけ ど、全然単一じゃないんですよ。それに、雑駁に言って、現在のバラニーは、征 服側の民族なんです。「征服」というのは問題ありかもしれないけどね。いずれ にせよ、移民してきた人たちなんです。 この点は倭人も同じね。「倭人」概念は実は定義がむつかしいけれど、おそらく ベースはポリネシアンであるところに古代中国の華僑がどどっとやってきたので しょう。 ほいで、米作っていうのは、この華僑の商品作物臭いんですよ。例証としては、 弥生時代の米作域っていうのは海辺なのね、あれって輸出ようの商品作物だから 港が近くないと困るからのようです。また、これが、一気に日本諸島に伝搬して いるのも、内陸や人間の伝搬によるんじゃなくて、プランテーション的に海側か らファクトリー化したからのようですよ。ま、このあたりは、いろいろ異論もあ るのですけどね。ただ、いずれにせよ、この時代は、せいぜい3−5世紀。で、 「日本」が成立したのは、7世紀です(たぶん)ね。 「日本」国号の読みですが、なんと読んでいたのでしょうね。現代の日本では、 佐藤政権のとき、彼が、「ニッポン」と俺は読むなぁみたいなことがあって、以 来、こっちが優勢ですね。そうそう、神代文字っていうか、あの手のへんてこカ バリスティック文字の創造っていうのは江戸時代に流行したみたいです。つまり 現在みたいなオカルトブームがあったようです。ほいでもってできた臭い。 また、これとは別に、ハングルですが、これは、モンゴルが朝鮮半島を支配した とき、政府側から使わされたチベット僧による創作のようです。 ついでに国旗も国歌ですが、これも法的には根拠がないのではと記憶していま す。日の丸というのは、もとは、たしか江戸末期の島津藩の海軍に由来。「きみ がよ」は、古今集の「わがきみはちよにやちよに」の頭の5文字をすげかえたパ ロディです。このもと歌自体が、石が大きくなっていう中国趣味まるだしなん で、こんな「漢心(からごころ)」の趣向がさね、やまとうたのフォームなって いるわけね。こが日本的なるもの……というのは、ちょっと、うーむものです ね。もうちょっというと、「きみがよ」というような王朝に対する賛美ちゅうの も、やまとうた的じゃないんですよ。 曲のほうは明治になって、当初賛美歌のようなものができてしまって、おいこり ゃちょっとねーべということで、いかにも擬古ふうに作りなおしたという経緯が あるようです(そういえば、こないだの天皇即位儀式も明治に擬古っぽく作った ものだったはず)。ついでに、おかしいのは、その他、明治政府が指示した唱歌 のたぐいは、たぶんにキリスト教の賛美歌をアレンジした要素が多多々あるらし い。そういわれてみれば、しゃぼんだまとんだ、と、主我を愛す、は、ぐふふで すよ(え、おかしくないって?)。 くふっぷさん、どうも。え? ヨーロッパにいても正月があるのか? シチリア 島で雑煮とか食ってたりしてね。うぷ。トマト雑煮とかね。 そういえば、トマトなんだけど、そのぉ、なんというか、エコロジーとか自然と か言う人たちって、でも、前提に、トマトは食い物なんだという世界観があると 思うのだね。でも、それすら僕は、変じゃないのぉとか思うよ。トマトは人間に 食われたくないんじゃないかな。しくしく泣いているのはその誤解かもね(うご うごるーが参照)。 NoBさんの言うことなんか、アリオンチャネルじゃねーんだから、あんまりマジ にうけちゃだめだよ。でも、関心あったら、ちゃんと学術的に調べてみてね。 NoB 00063/00063 GBD03557 シゲ RE:たはは (12) 93/12/22 17:52 00062へのコメント NoB の「ウゴルー」・・・(-_-;) ああ、みかん星人のスクリーンセイバーほしいなぁ。 あ、**の浅ヤンってのも(-_-;)(-_-;)(-_-;)だぞ。伏せ字は別に二文字って 訳じゃなく、勝手にどうぞ。 - FARION MES(13):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<03> 93/12/22 - 00915/00918 JCF00616 YUI 「弓」=「機械」! (13) 93/12/21 23:52 00914へのコメント コメント数:1  こんにちは、YUIです。  KAZEさんのRESも参考にさせていただきましたので、  KAZEさんへのRESとしてこちらをご覧ください。>KAZEさん   英雄さんのご紹介された、「宇宙子波動生命物理学」ですが、ちょっと  わたしは誤解していたようですね(^^;てっきり今までの物理学の拡張的存  在だと思い込んでいたのでした(^_^;やはり、勝手な想像はいけませんね。  反省、反省。 > う〜ん、そう否定的な見方をしなくてもよいと思います。 > わたしは、むしろ逆だと思いますね。 > 「管理」を「自由な交流」と言いかえたいですね。 > そのいい例が、このパソコン通信ではないでしょうか? > KAZEさんが見事に指摘しているように、それを決めるのは > 人間自身(意識)でしょう。   まさにそれを言っているのですよ。もちろん、「それ」を決めねばならない  のは、人間自身の意識に他ならないのです。だからこそ、私は現在の人類の意  識に対して警告を発するのです。「否定的」という表現が出ましたが、いえい  え、実はそうではないと言いたいのです。たしかに、「人間」の「管理」とい  う言葉を聞けば、普通の人でも直感(即ちモラルで)で「危険」を感じ取るこ  とと思います。ただ、ここでいう「生身の管理」とはもちろん人間の核心をす  べて捉えて言っているのではありません。あくまで、DATAとしての人間であっ  て人間の本質を言っているわけではないのです。そもそも、DATAとしての人間  はその意味から言って存在しないわけなんですね。つまり、虚構のものがDATA  であり、それがコンピューターによって人間を人間として扱わなくなることが  問題なのです。即ち… > ですから、一次元情報のみを人間のすべてとみなし、そういった > 観点から「管理」をする、…。  ことはあってはならない、と感じるのです。         結局の所、人間の意識の変革が行われない限り、真の意味での  「自由な」ネットワークは実現不可能なのではないか、ということなんです。  その「意識の変革」の一助となり得る可能性を「東理論」なり、「宇宙子科学  」なりに見出す希望が持てれば、と思うのです。ですから、「パラダイム・シ  フト」は「人間の意識」と互いに引き合い、同時進行の形をとるのではないか  、と思ったりもするのですが。   もちろん、「管理」が「自由な交流」と完全にくるっと転換してしまう日は  くるでしょう。でも、今現在、本当に「自由なネットワーク」が実現されてい  るとは思えません。いま、このパソコン通信にしても、実際目にみえる所で、  また目にみえない所で、どんな「管理」が行われているか、想像するだけでも  ぞっとしてしまいますが、それを正視し、知っておくことは重要なことだと思  います。   なぜなら、ほとんどの先進社会においては先程も言いましたように、「悪魔  の循環」に陥りがちです。労働者は普通、「自分の生活は正しいのか」という  疑問に答えることを拒みます(事実、私だってそうです)。もちろん、「考え  る暇はない」わけ(とりわけ日本では)で、積極的に思考能力は衰退の一途を  たどって行くのが現状ではないでしょうか?実際に、社会では、何かムズカシイこ  とをいう学者みたいな労働者より、人付き合いのよい、気さくな人間を好むの  ではないでしょうか?できる限りの誤解を未然に防ぐ為(シュタイナーのよう  に?)に言いますと、もちろんそれだけが全てではありません。 > 宇宙子科学と東理論との関係ですが、ポイントは「精神」をどう扱っ > ているか、にあると思われます。   ああ、それを聞いて安心しましたよ。宇宙子科学は「精神」についても(ど  んな観点かは分かりませんが)扱っているのですね。どうも、今まで念頭には  「クオークのレベルから数十段階遡ったレベルの」物理学だと思い込んでいる  所がありましたので。きっとその驚嘆から脳裏に焼き付いて離れなかった(^^;  のだと思います。”唯物”論的見方だと思われても、しかたがありません。 > 優れた精神波動でしか正しく操作できない機械、というものを > 想像できますか?   私が想像していたのは他でもない、これなんです。だからこそ、人間の意識  について言及したわけです。でも、これは誰でも一度は想像しますよね?だっ  て超能力やら気功やらいわれるこの頃ですけれど、誰にでもできるわけではな  いのにできるようになる人が存在するっているのは、容易にこのような機械の  誕生を想像させると思うのです。AKIRAのような存在はありえないのかもしれ  ませんが、逆の発想として、また黒魔術との関連から言ってもそちらの方も気  になってしまうのです。やはり、まだまだ修行が足りませんね。 > 優れた精神波動でしか正しく操作できない機械、というものを > 想像できますか?   弓 ……です!  最近悟ったことを身近な例で表現してみました。  「弓」はまさに、「優れた精神波動」でしか操作はできません。できるにしても、  真の意味での「操作」ではありえません。  さらに、付け加えれば、「正しい操作技術」も必要なのです。「優れた精神波動」  のみでは「不可能」であることも「可能」にする力が「正しい操作技術」の意味  するところです。  また、「優れた精神波動」がなければ「正しい操作技術」も不安定なものとなりま  す。そう言った意味では、「弓」もいわゆるその”機械”にあてはまるでしょう。  ただ、時代の変化に伴って、「機械」のレベル=次元がシフトしたのではないでし  ょうか?そう言う意味では、未来の「機械」は根っこの部分で「弓」とつながって  いるように感じます。   「空」の究極ともいえる「場」を根源とする宇宙子科学…   「有」と「非有」の中心から波動となっていずる「矢」…  運命ともいうべき不思議な繋がりを感じます。 P.S.足りない言葉で大変御迷惑をおかけしました。   また、勉強不足であるにもかかわらず、何かに「言及」することの危険性   を悟りました。今後の発言に生かしたいと思います。 大変失礼しましたことを御詫びいたします。 YUI 00918/00918 GGA02514 KAZE RE:「弓」=「機械」! (13) 93/12/22 13:59 00915へのコメント YUIさん、どうも。 >結局の所、人間の意識の変革が行われない限り、真の意味での >「自由な」ネットワークは実現不可能なのではないか、ということなんです。 そういうことですね。 パソ通上でしばしば起こっている罵倒騒ぎ?のようなチャンチキ遊び^^;というのも、 それをも高次のネットワーク可能性としてシフトさせていくためには、 それぞれの人間の意識をシフトさせていくしか解決へと向かわないのだと思います。 その「意識変革」のキーは、ごくごくわかりやすくいえば、 「ひとの考えがわかる・感じかたがわかる幅を大きく拡げる」ということです。 たやすくひとを罵倒したり、非難したりする方というのは、 結局のところ、ものすごく視野が狭くて、自分を閉じこめているのです。 その閉じこめられた腹いせをぶつけているだけなのです。 そうしたときに、そういう方の言葉の波動には悲しみが隠されています。 そうした方にとっての自由というのは、即「わがまま」ということなのですが、 そういう方に、「自由とは他を生かし許すことでもあるのだよ」ということを 押しつけでなく感じとってもらえるようにする必要もあります。 そういう一種、意識改革のためのヒーリング機能まで含みこんだかたちで、 「自由なネットワーク」は生成していかなければならないのだと思います。 「管理」という問題にしても、それは結局自らが自も他も生かす方向で、 ネットワークそのものが自己展開していってはじめて、 それが「管理」ではなく「場としての快適環境づくり」へと変容します。 もちろんそれの前提も「意識の変革」というか「変容」です。 >労働者は普通、「自分の生活は正しいのか」という疑問に答えることを拒みま >す。・・・もちろん、「考える暇はない」わけ(とりわけ日本では)で、積極 >的に思考能力は衰退の一途をたどって行くのが現状ではないでしょうか? 「考える暇がない」わけでは決してなく、「恐いから」考えないのだと思います。 酒を飲みカラオケを歌い、ゴルフをし、レジャーを楽しみ、・・・ といった時間なら山のようにもっているわけですから。 多くの方は、今のある種の安定した生活がそのまま永遠に続くと思いたいのです。 諸行無常ということを生活の実感としては拒否したいわけです。 でも、心の底の底の方ではどこかでそれを感じているから、 なおさら、今の「生活」に必死になってしがみつきたがるのです。 ですから、そういう方のほとんどは、「死」から目を逸らそうとし、 それに直面するとひどく取り乱します。 「ホスピス」とかが必要だというのも、ほとんどそういう方のためです。 ホスピスが必要だとか云々という議論も、そのほとんどが、 日常からの意識変革を前提としていないだけに虚しいものがあります。 僕のまわりにも、死から目をそらしたままホスピスを推奨している医者がいます。 僕の目からみっても、その方がいったい何をしようとしているのか、 はちゃめちゃとしか言いようがありません。 >「弓」はまさに、「優れた精神波動」でしか操作はできません。できるにして >も、真の意味での「操作」ではありえません。 >さらに、付け加えれば、「正しい操作技術」も必要なのです。「優れた精神波 >動」のみでは「不可能」であることも「可能」にする力が「正しい操作技術」 >の意味するところです。 >また、「優れた精神波動」がなければ「正しい操作技術」も不安定なものとな >ります。 「弓」にかぎらず、歌うことや楽器を演奏すること、 ひいては人間が生きていることそのものが、ほんとうは 「優れた精神波動」「正しい操作技術」を必要としているように思います。 一見、それなくしても存在しているかに見えても、 見るひとが見れば、聴くひとが聴けば、一目(一聴)瞭然なわけです。 でも、その「違い」をわかる方が今はまだあまりにも少なすぎます。 つまり、意識の質や幅というのは、唯物論的な視点からは無意味になるからです。 唯物論者はまさに「精神」を殺しているともいえるでしょうね。 意識改革・変容の最初のシフトとしては、まずそこから始める必要がありそうです。 この世の「諸行無常」を直視し、「死」をみすえるというような仏教的なビジョンが まず最初の課題なのだと思うのです。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 00916/00918 GGA02514 KAZE すきとおったほんとうのたべもの (13) 93/12/22 01:59 00912へのコメント 隆ちゃん、どうも。 >くれぐれも人にうつさないように気をつけながら風邪を楽しむきゃないですね。 そういうことかもしれませんね。 シュタイナーは、人間の日常生活というのは、 少し病気になり、また治っているというのの繰り返しだといいます。 たとえば喉が渇いたりお腹がへったりというのも一種の病気で、 その「病気」を直すために水を飲んだりご飯をたべたりするのです。 シュタイナーは、物質体とエーテル体を「外的人間」、 アストラル体と自我を「内的人間」といっているのですが、 どんな病気もその外的人間と内的人間の不調和によって起こるといいます。 眠りというのも、起きてる間に起こる外的人間の消耗を 眠りの間に内的人間が霊界から力をとってきて補充するためにあるのですが、 治癒というのも、外的人間の消耗を内的人間を強めることで補うということです。 その調和が決定的に修復不可能になったときを「死」と呼びます。 病気のときには、そんなことをいろいろ考えながら、 外的人間と内的人間の不調和のさまざまについて思いをめぐらす、 というのもまた楽し!ではないでしょうか(タノシクハナイカモ^^;)。 >そもそも僕は閉所恐怖症ぎみでして、狭くて密閉されている所が大嫌いなのです。 僕は、「胡桃の殻に閉じこめられても無限の天地にいる」とかいう ハムレットの科白のような人間なので(要するに暗いだけかもしれませんが^^;)、 部屋の中にひとりっきりでずっといても退屈せずに遊べます。 もちろん、野山や海にいけば、それはそれで嬉々として遊び続けます。 ま、いちばんいやなのが人がたくさんいるところで長い間いることですが、 これだけは、呼吸がだんだん浅くなってきてどっと疲労していまいます。 そういう意味で、僕の日々の仕事はそこにいるだけで僕には非常な修行です。 人間は、快適環境にばかりいすぎると、進歩がないということもいえそうです。 僕などは、環境が許せば、ほとんど誰とも会わずに遊んでいるでしょうが、 それだと何のために生まれてきたかわからないから、これでいいのかも。 >呼吸や音、臭い、触覚も全て摂取ということでは同じように重要なのでしょうね。 >そう考えると、食べるという行為も、ただお腹で消化される云々だけでなく、味や >香り、はては食物が持っている気だとか波動も事ももっと考慮しなければなりませ >ん。 このことで思い出すのが、宮沢賢治の「注文の多い料理店」の「序」です。 シュタイナーの視点からまた賢治のそれを読み返してみると、格別ジーンとします。 わたくしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった 風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。・・・  けれども、わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、おしま い、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、どんなにねがう かわかりません。 賢治が「食べること」についてどれほど考え尽くしたかははかりしれませんが、 「すきとおったほんとうのたべもの」をみんなが食べられるようになったらなあ、 とどれだけ願ったことでしょうか。 賢治は結局自らをその「たべもの」として差しだそうとしたのかもしれませんが、 僕も少しでも「きれいにすきとおった風(^^)」になれるようがんばりたいと思います。 >人間が地球の一部から解放される時には食物摂取という概念そのものから解放さ >れているような感じもしますが・・・。 そうですね、食物摂取というのは、実際に、 この地球上で生きることそのものの表現なのかもしれない、とふと思いました。 地球の一部としての人間の肉体は、植物や動物という同胞からの供儀によって この地上で生存しているのですが、その循環から解放されるときというのは、 たぶんその「供儀」にみあうだけの「感謝」でそれが受けとめられるように なるときなのでしょうね。 現代のようなあまりに感謝のない時代には、そうした「供儀」が閉じこめられ、 その呪詛としてさまざまな病気などが現れるのかもしれません。 >なんで母なる地球にいったん帰らなきゃならんのかという事を考えないとまずい >ですね。わけもわからず帰っちゃうと単なる先祖帰りになってしまう(^^;)。「歴 >史は繰り返す」なんて事を言いますが、あれも平面をクリクリ回っているんじゃ >なくて、螺旋状に登っていると考えなくちゃね。 そう、その螺旋状の展開という視点が欠かせませんよね。 でも、ほんの一部を除けば、ほとんどの自然環境保護派は 「クリクリ」回ってるどころか、問題をすり替えてるだけあのが悲しい。 最近気づいたのですが、科学主義と自然環境保護派と政治家のこき下ろしというのは 現代のジャーナリストの3点セットかもしれませんね。 ジャーナリストって無責任で自分の言葉に酔ってるのが多いから、 その名前を、ジャーナルシスト^^;とでも変えればいいのにね。 >最近上の娘の言動がより一層面白くなってきました(^^;)。先日、TVでカーレース >を観ていたのですが、ある車がクラッシュしてドライバーがヘルメットを投げつけ >てくやしがってるシーンがありました。そのとき娘曰く「そういう事もあるねぇ、 >ねぇお父さん」。 6歳児っていうと、僕自身の記憶では、 もうかなりいろんなことをはっきりと考えられるものです。 それと、そのころは特にひとの口まねとか、言い回しのまねとかしてました。 僕などは、2〜3歳頃の口癖で、 親などが、「この子は何をいうやら・・・。」っていうと、 それに負けじと「語るやら」と返答するのを趣味にしていました^^;。 それは誰を真似たのかまでは記憶がありませんが、 誰かのやりとりが面白くて、それを真似してみたらうけた!ので 持ちネタにした^^;というのだけは、なんとなく記憶があります。 2〜3歳で物心ついてから、まわりの真似を通じて子供はいろんなことを学びます。 それが、6歳くらいになると、おそらくかなりそれが意識的になってくる時期では、 という気もします。 特に、現代はテレビなどの影響もありますから、 もう6歳にもなると、いろんなことを工夫して話すようになるのでは。 たぶん、隆ちゃんも小さい頃はそれなりにいろんなことを言ってたはずで、 その時にはそれなりにけっこうちゃんと考えてたのではないでしょうか。 思い出してみると、結構恥ずかしいことも言ったりしてたりしたのでは? ☆☆☆KAZE☆☆☆ 00917/00918 GGA02514 KAZE 空論●多次元螺旋の空場 (13) 93/12/22 13:59 00913へのコメント 杉本英雄さん、どうも。 >本源の世界が「空 」の奥にあります >すべては「空」より流れ来たります 「握一点開無限」ということがいわれます。 握れば一点となり開けば無限となるのが本源の世界であるということですが、 自分の内なる世界を探求していけば大宇宙へとつながり、 自分の外なる世界を探求していけばまた内なる世界へと至るというのも同じです。 おそらく「本源の世界」というのは、この宇宙のひな形でもあるのだと思います。 諸行無常であり諸法無我である涅槃寂静の世界というのも その宇宙のひな形を感得するということなのではないでしょうか。 しかし、その涅槃寂静としての本源の世界を感得することは、 最終目的では決してないのを決して忘れてはならないのでしょうね。 つまり、涅槃寂静のままではこの宇宙は展開していかないということです。 あえていえば、その本源の世界というのは、静なるものではなく、 その内にすでに「動」、つまり展開への意志が内包されているということです。 涅槃寂静の境地にいるだけというのは、あるそれ自体が矛盾です。 大乗とかキリスト衝動とかいわれる「愛」の衝動というのは、 その展開への意志そのものの表現でもあるのだと僕は考えています。 中心にある「空」は、「空」そのものに展開のダイナミズムを内包し、 渦を巻き、時空間となってこの宇宙を生成し続けている、 というイメージがあります。 「空より流れきたる」というのは、その「流れ」を作り出している意志が、 そこに厳然として存在しているということでもあるのです。 ですから、「空」は「意志」そのものでもあるということでしょう。 では、なぜ「空」でなければならないかというと、 「空」によって展開のための次元が創造されるからです。 > ”宇宙核”は、先程も示した、「空」の究極ともいえる「場」です。・・・ >この”宇宙核”より流れ来たる宇宙子には、陰陽があります。 >活動している宇宙子(陽+)と、静止している宇宙子(陰―)です。 この陽と陰という二極というのも、この展開の意志の現れなのだと思います。 その「空場」という意志が次元を展開させながら、 この物質次元にまで螺旋状に凝縮しているというイメージがあります。 陽と陰が最初のダイナミズムを創り出し、それによって最初の螺旋が生まれます。 そしてその螺旋が場となってその場自体がまた次の螺旋を生成していきます。 そして次々と螺旋の螺旋の螺旋の・・・と展開していくというイメージです。 従って、物質というのも、それそのものが空場の多次元螺旋凝縮場となります。 シュタイナーが「物質などというものはない」ということをいうのも そのことなのではないかと想像したりします。 また、真空妙有という言葉がありますが、 ある次元場での「空」というのは、その次元場より高次の場では「妙有」で、 そのダイナミズムの「妙有」が、下位の次元では見かけ上「隠されている」、 ということもあっての「空」でもあるのかもしれませんね。 >宇宙子は、すべて”7”を基本として変化してゆきます。 シュタイナーの宇宙進化論もすべてが「7」で展開していきます。 そして常にその中心に「4」があるわけです。 前回もコメントしたと思いますが、「1−7」「2−6」「3−5」という 「4」を中心とした対応関係に、本源の世界の型が射影されているのでは、 なんて、想像をめぐらしてみたりもします。 >??いったいKAZEさんが予感したものは何でしょう?? >わたしにとっても、楽しみな「謎」です.... ううむ、単なる「感」ですから、どこまで正鵠を得ているか^^;???ですが、 なんとなくそういうイメージがでてきましたが、 まだ具体的にはわかりませんが、なにかそういう「現れ?」でもあれば、 教えてくださいね(^^)。 でも、その「夜」の部分っていうのは、かなりの魂の試練のような気がします。 もしそれがたいした「試練」でなければ、それだけ変容の振幅は小さいですから できるだけ大きくその「夜」と遊んでみられると、楽しめる^^;かもしれません。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES(15):★平成松川塾◎日本を考える----------<01> 93/12/22 - 416/417 GFD00204 松川 貴     RE:田中角栄私論 (15) 93/12/22 08:29 415へのコメント  ナガトさん  レスが遅くなりました。どーもいけません、というのも、最近いろいろと迷ってい るものですから。またあの〈よだきんぼ病〉です。 >誰も角栄の「狂信」を学びはしなかった。「狂信」なき理念など、本来はありえな >いのだが。  私はこれを「〈狂〉なき理念」と言い換えたいと思います。そして勝海舟のあの言 葉を思い出すのです。   世間の人はややもすると、芳を千載に残すとか、臭を万世に流すとかいって、  それを出処進退の標準にするが、そんなけちな了見で何ができるものか。男児  世に処する、ただ誠意正心をもって現在に応ずるだけのことさ。   あてにもならない後世の歴史が、狂といおうが、賊といおうが、そんなこと  はかまうものか。   要するに処世の秘訣は「誠」の一字だ。(『氷川清話』角川文庫 P284)  この言葉をもって『氷川清話』の全体が閉じられていることは何か象徴的な感じが します。  今の日本人は自分自身で作り上げた幻想を指さして回るのを正義行動だと思い込ん でいるようです。実は私には、その様子が一つのイメージとなっていつも浮かび上が ってくるのです。  昔の子供たちは近所で広場に呼びあっては、よく集団で遊んだものです。そして、 地面に石や棒切れを使って線を引いて大きなゲーム盤をこさえ、自分たち自身を駒に して様々に遊びました。  今の日本人の姿を、その、広場の地面に線を引いて遊んでいたかつての子供たちの 遊びに例えると、まるで、線で描かれた円の内側で寄り集まっていた子供たちが── しかし、私には彼らがファミコンゲームに出てくるような、ぴょこぴょこ動くキャラ クターのように見えます──外側にぴょこんと飛び出してきてはくるっと向きを変え 、弾劾の指さし運動を円内に向かって繰り返し始めるような図に見えます。ぴょこん ぴょこんとどんどん中から円の外に飛び出してくるのです。相対的に円内にいる子供 たちは段々減っていきます。自分も内側に向かって正義の指さし運動に加わるためで す。ですが、そうしているうちに、いつか円の中には誰もいなくなります。それにも かかわらず、子供たちは正義の指さし運動をやめないのです。  現代日本人は〈弾劾の正義の指さし運動に加わる子供たち〉、つまり海舟言うとこ ろの「〈あてにもならない現代の歴史学者側〉たらん」とするのか、それとも「決然 として〈彼らの振る指〉をみずからに引き受けんとする〈行動家〉たらん」とするの かのどちらかを選ばなければならないのです。  〈行動家〉は〈弾劾の正義の指さし運動に加わる子供たち〉のために戦います。し かし〈指さし運動〉を正義だと思い込んでいる人々は、〈行動家〉たろうとする人々 を危険な敵と見做すでしょう。それなのに〈行動家たち〉は、彼らを敵視する、その 〈子供たち〉のために戦うのです。口舌の徒は言葉の幻想にひっかかり続けるので、 信念というものを持ち得ません。彼らは自分の知的言語にしか自信がないからです。 だから、ちょっとした恫喝にいとも簡単に屈してしまいます。そしてそれを思想のせ いにするのです。役立たずの連中です。彼らの存在はむしろ人を妨げる害悪になるば かりです。しかし、何という矛盾でしょう。〈行動家たち〉はそのような人々のため にも働くのです。なぜなら〈行動家たち〉とは〈キリストの比喩〉だからです。  サムライの原義は〈仕える者〉です。現代のサムライは自らの〈内なる神=キリス ト〉──人によっては、あるいはそれを〈天〉と呼ぼうが〈公〉と呼ぼうがかまいま せん──に仕えます。神への反逆者(子供が時計の分解作業を嬉々として行うように 嬉々として人間の解体作業を行っている現代の左翼系人士たち、あるいはその仲間の 単なる科学主義者たち)はいったい何に仕えているんでしょう。聞いてみたいもので す。彼ら左翼人には神の意識だけが欠けているのです。なぜなら彼らのよって立って いる思想が彼らを神への反逆者になるように強いるからです。彼らの思想が霊を受け 取り、その思想が〈霊化された社会主義〉となるなら、どれほどの変革が可能になる ことでしょう。  霊を拒む左翼系人でありながら同時に〈内なるキリスト〉に仕えるサムライである などということはけっしてできないのです。例えば、左翼系の思想家たちの思想を根 として生えてきた木(現代思想)に寄りかかって生きるキリスト教徒などというのは 言葉の矛盾でしかありません。なぜなら左翼人というのは「霊も魂も神もすべてイデ オロギーに過ぎない。すべては物質に還元できる」と思っているのですから。これが 左翼の思想の根幹です。それなのにそのような木(現代思想)に寄りかかって生きる 自称キリスト教徒がこの地上にはちゃんといるのです。あのパウロが「サタンも光の 天使に偽装する。だから、たといサタンの手下どもが、義の奉仕者のように偽装した としても、不思議ではない」と言った通りです。  さて、イエス・キリストが天から降りてきます。そうして、このように問いかける でしょう、「キリスト教徒の皆さんは手を挙げてください」。すると、多くのキリス ト教徒を自認している人々がここぞとばかりに手を上げるでしょう。しかしその時キ リストは彼らをよくよく見回しながらこう答えるでしょう。「どうやら、ここにはキ リスト教徒はいないようだ。諸君(御使いたちのことですが)別の場所を探そう」  それでは私はどうなのか。しかし「木はその実によって知らる」というキリストの 言葉がその証となるとしかここでは言えません。それは私が判断することではないか らです。  このような私の話を読んで、あるいは、もうこの会議室にはくるまいと思われる方 も大勢いらっしゃるかと思います。「ああ、この人は狂っている」、私自身、自分が どこか気違いじみているということは分かっているのです。しかし、今の私にいった い何ができるというのでしょう。私はただただこうしてここでホラを吹き続ける以外 にないのです。あのパウロが「知恵の言葉を用いずに宣べ伝える」と語ったようにで す。私は他人から見れば馬鹿以外の何者でもありません。 「あなたは実際には教会にさえ通ったこともない非キリスト教徒なのに、なぜそのよ うにキリストについて語るのか?」  誰かが、こうたずねるかもしれません。しかし今は、「私にも分かりません」と答 える以外ないのです。あるいは、ケイシーやシュタイナーを読みすぎたせいかもしれ ません。しかし、このようにはっきりと言うことはできます。〈見えない世界に属す る法〉について力強く語ったのはキリストのみであると。  「わたしは、新しいいましめをあなたがたに与える、互いに愛し合いなさい」  これが〈見えない世界に属する法〉です。  現在、人々は〈見える世界に属する法〉のことばかり問題にしています。地上の法 を破るものは、おのおのその行いによってそれに相応しい地上の法の報いを受けなけ ればならないということは小学生でも知っています。しかし、〈見えない世界に属す る法〉もまたそのようなものなのだということについては、小学生ばかりではなく、 大人たちも知りません。人は〈見えない世界に属する法〉を破れば、おのおのその行 いによってそれに相応しい天界の報いを受けなければならないのです。それゆえに、 2000年前に新たなる〈見えない世界に属する天界の法〉を人類に与えたキリスト は天界における人類の審判者となるのです。  しかし、地上の人間にはそのような〈天に属する法〉が現実的なものだとはとても 信じられません。  そして、ある者は例えば「キリスト教は人殺しの宗教だ、歴史を見よ、歴史がそれ を証明している。西洋人の信じるキリスト教に代わる新たなる〈思想〉を人類は手に 入れなければならない、その〈思想〉はアジアから生まれる」などといいかげんなこ とを言うのです。愚かなことを言うものです。キリスト教はアジアから生まれたので す。ただしそれは、アジアと聞くとすぐに極東地方を連想する日本人たちの言うよう なアジア地方とは違いますが。  学者は統計をとって世界のキリスト教徒の数をこれこれであると報告します。しか し、真実を知っている者は、そのような統計など無意味であると言うでしょう。  霊の実在を信じない学者たちが、このようなことを書いた本を出版して、唯物論者 たちの片棒担ぎを行っています。   ヨハネの黙示は、エロス的原理に対する嫌悪と、敵対者に対する烈しい憎悪の  感情をむき出しにしている。……ヨハネは、仲間のキリスト者に対して語るとき  は感情を抑えている。しかし意識の面で抑制しても抑えられた感情は表面下でう  ずきつづけ、一定の潜伏期間をへると、怨念感情が深層領域からの黙示という形  をとって爆発する。そこに寛容と隣人愛の教えに矛盾するおそるべきヴィジョン  が展開してくる。(湯浅泰雄『ユングとキリスト教』人文書院)  なぜ湯浅氏は「寛容と隣人愛の教えに矛盾するおそるべきヴィジョン」などと言わ ざるを得ないのでしょうか。それは氏がこれらのことをまったく地上的な態度で眺め ているからです。肉の思いから離れられない、地上にしか拠点を見いだせない唯物論 者にはこれらのことはすべて矛盾としか映りません。彼らは何一つ理解していないの です。唯物論者的な心理学者というものがいるのです。というよりも、現代の心理学 者のほとんどはみなそうです。心は地上に存する物質の構成体によって作り上げられ た幻想に過ぎないと考えているのです。したがって霊が心と人体を形成するなどとい うような議論は彼らにとって〈たわごと〉にしか過ぎません。  田中角栄にかこつけて、まったく関係のない話をしてしまいました。これらのこと についてナガトさん自身、どのようにお考えになっているのか分かりません。しかし 今は、私の話を黙って聞いていていただきたいのです。2000年前、パウロは自分 の言葉を指して〈愚かな言葉〉と言いつつ、なおその言葉を人々に語り続けました。 ですから私も、ひるまずにここで〈愚かな言葉〉を語るのです。                                   松川 貴 P.S.  今月11日の朝、初めて西郷さんの夢を見ましたよ。西郷さんは遠い宇宙の次元で こちら(地球)を眺めながら、めしを食っていました。すると、別のところから、か つて西郷さんを捕まえるか暗殺するかする役を仰せつかっていた二人組の男たちのこ ういう会話が聞こえてきました、「西郷さんはいつでも死ぬ覚悟だったのさ」。地上 では西郷さんに敵対的な行動をとった彼らが宇宙の別の次元では西郷さんを褒めてい るのです。私は、なぜか彼らの話に感動してしまいました。夢の意味は私にはよく分 かりません。しかし、夢の中でぐっときて涙腺が弛むような経験をしたのもこれが初 めてでした。 417/417 GFD00204 松川 貴     西部邁VS栗本慎一郎 (15) 93/12/22 08:33  『諸君!』という月刊誌(11月号)を読んでいたら面白い対談に目がとまりまし た。ちょっとここで紹介してみましょう。 栗本 私はこうしてたまたま政治家になってしまうと、評論家ではありませんからリ    ベラリズムとかデモクラシーというものがあり得るとは全く信じてないもので    すから、日本にそれがないということに同情もしませんけどね。だから私は民    主主義なんていうことは、いままで一言も言ったことないし……。 西部 だとしたら何のために、何を目指して政治に参画するわけ? (注 これに対する栗本さんの回答はまったく支離滅裂です。読んでみましょう。) 栗本 小室直樹は、国連は戦勝国の敗戦国に対する統括機構なのだから、日本は国連    から出るべきだと言っていますが、私は残れと言っているんです。それを認め    ても残るべきだ、と。今日の議会制民主主義なるものは、具体的に欺瞞であり、    理念的にも欺瞞である。「すべての人間に神は宿れり」というのはローマン・    カトリックがつくった誤解、極限すれば陰謀であって、もし本当にそうならば    一人の命は地球より重くなってしまう、そんなことは絶対にあり得ない。しか    し、そういう虚構の論理の上に乗っかって、いま現に出来上がっているものが    ある。それに対していかほどのことがなし得るのかということはあるにしても、    いかに欺瞞であっても民主主義といっているのなら、それに載ってみせましょ    うということです。 (注 「あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分のうちに宿っていることを知 らないのか」と言ったのは、かのパウロでした。「もし本当にそうならば一人の命は 地球より重くなってしまう」というのはどのような論理によって出てきた言葉でしょ うか。栗本さんのみごとな反キリストぶりです。パウロなら栗本さんの論理を受けて かつて手紙の中で語ったように「もし本当にそうならば一人の命は地球より重くなっ てしまうというのだろうか。断じてそうではない」と語るでしょう。明敏な頭脳の持 ち主たる栗本さんらしからぬ言葉ではありませんか。) 西部 乗って何を守ろう、あるいは何を主張されようとしているわけ? 栗本 現時点の私の視線の中で考えてみて、やはり第三次世界大戦はとりあえずない    ほうがいいのではないかと思っているんです。     バタイユを一種の異端文学として日本に紹介したのは澁澤龍彦さんなんです    が、バタイユは実は社会科学者なんですよと紹介したのは私なんです。そのと    きの論理を押し進めて行けば、戦争はいいこと、必要なことなんです。誰も口    を閉ざしているけれど、たとえば過剰な人口を処理する機能として働く。これ    は正常なことではないかというバタイユ流の問題提起もあり得るけれども、と    りあえず堂々と第三次世界大戦は阻止してみせましょうという一種の真剣なゲ    ーム的感覚とでもいうものがあります。 (注 ここでも栗本さんは西部さんの問いかけに明確に答えることができずに、別の 話を始めてしまいました。しかし、それにしても西部さんの忍耐力には恐れいります。 私なら「私はそんなことを聞いているのではない」と反論するところです。さて途中 をばっさり割愛して、もう少し気になる言葉を拾ってみましょう。) 西部 ところで、ここで話しているような言葉と、政治を執行する永田町で話す言葉    とは違いますか。 栗本 思っていたより違いませんね。思ったより話はできる。ただ言葉、タームの問    題はあります。学会がつくってきた、たとえばデコンストラクションなんて言    葉を国会でいきなり言っても通じない。でも、けっこう吉本隆明を読んでいる    議員もいるし、旧ブントだって六人くらいいる。国会議員の百人くらいは、新    聞がからかっているようなレベルではなく、むしろ記者のほうがよほど程度が    低い。 (デコンストラクションという言葉はいったいどのようなタイプの学者が用いるター ムなんでしょうか。また栗本さんが例に上げた吉本隆明やブントなどという言葉の指 し示すものが、どのような思考基盤から生まれてきたものかを調べてみれば、栗本さ んの政治的思想が何に憑依されているか分かるでしょう。当然西部さんは、それに対 してコンストラクションという言葉を対置しています。どうも政治家としての栗本さ んというのは理解に苦しむところがあります。結局最後まで読んでみて、栗本さんが 「何のために、何を目指して、何を守ろうとして政治に参加したのか」分からずじま いでした。ただ、これだけは分かります、栗本さんは〈とりあえず〉第三次世界大戦 はないほうがよいと思っているということです。なぜかは分かりませんが。実にユニ ークで面白い政治家ではありませんか。)  勝海舟の言葉が蘇ってきます。   北条氏は、天下の子民ということが一番で、それはひどく憂えたものだ。栂尾  (とがのお)の明慧(みょうえ)〔上人〕が、ある時、泰時に帝室の事について  注告すると、泰時の言うには、真に恐れ多いことではありますが、先父もしばし  ば申していました。民百姓の事を思えば、やむを得ず、かようの事もせねばなり  ません、致し方がないと申しておりましたと、言ったそうな。このほうも幕府の  末に、果して北条氏だけの決心があるかと自分で問うて見たが、とても出来ない  よ。驚くべき決心じゃアないか。それに無学文盲で、勅文すら読むことが出来な  かったよ。ソレで、学者というものの役に立たんことは、維新前からよくよく実  験したよ。あんな学問は、造作もないことで、至って容易だよ。(『海舟座談』  P217)                                   松川 貴 - FARION MES(17):★パワフルなえ★の《おふくろ通信》--<01> 93/12/22 - 712/713 JBH02324 なえ 元気録ぱわー《喜び》 (17) 93/12/21 23:03   《 喜び 》  今、自分の暮らしの中で、身近に喜べる事がありますか  些細な事でも喜びを持って出来る  これは何ものにも替え難い幸せの素です  小さな事でも辛い事は辛い  けれど、敢えて喜びを見いだしてみる  僅かな事でも良いのです  小さな喜びは 大きな喜びを連れてくる  でも、小さな事にでも不平や不満ばかり  それではいつか、大きな不幸を連れてくるだけ  貴方が小さくても喜びの生活を心がけているだけで  知らぬ間に、回りの誰かをも 幸せにしています 713/713 JBH02324 なえ ちょっとホッとした事 (17) 93/12/22 13:52  午後から予定していた仕事が突然無しになって時間が開いたので嬉しい事など 書いてみます。(^^; 先日以来、中学の娘が体調を崩して通院してたのですけど、(余り心配はなさそ う)昨日からの雪で通行条件が悪いので、陽の良く当たる方の回り道で帰りまし た。行く時に通った道は、早朝事故った車もあって一時止められていたし(^^; この道はかなりな高度で、高い山の上を通るコースです。丁度頂上に着いて、緩 いカーブを曲がろうとしたら、遠く見える山並にキラキラ光るものが見えました。 あら、あれは何だろう、と思い、車を止めて窓越しに良く見ると、それは海でし た。娘とわたしはお互い見合うと、ちょっとほうっ・・としてしまいました。 「あれは瀬戸内海だね・・・。多分竹原の辺りかな・・。その向こうの青い山並 は四国の山だね。」 この道は随分通ったけれど海が見えたのは初めてでした。山と山のすそ野の重な る小さなヘコミだったけれど、太陽の光が当たってキラキラしてとても綺麗でし た。勺ですくって手に取れそうな感じがしてウフフ・・と笑ってしまいました。 「ちょっと得した気分だね。」お互いに見ながらちょっと笑って、また車を走り 始めました。 何でもない・・・つまんない事かも知れないけれど、とても嬉しい気分でした。 なんだか・・・遠い海が間近に見えて・・・少し心が洗われて、きっと良い事が ありそうな気がしたのでした。 - FARION MES(20):■世紀末ウォッチ:これって…!?----<01> 93/12/22 - 544/544 JBH02324 なえ LHA混乱事件? (20) 93/12/21 20:33 ご存知かも知れませんが・・ 某ネットより、LHAの作者吉崎氏による書き込みを操作し、ウイルス感染の疑いのある 様な言い回しで、ウソの情報を流し、LHAユーザーに混乱を与える情報が入りました。 取り合えずこちらに情報としてUPします、混乱に巻き込まれない様、ご注意下さい。 注意点としては吉崎氏のタイムスタンプが消去されている事がポイントで、この様な 操作書き込みを本人は遺憾に思われておられる様です。 詳しい事は転載可能ですが、長文の為、必要であると認められない場合をおもんぱかっ て、敢えて載せておりません。要望次第転載致しますので、その旨申し出て下さい。 なお、これはわたし個人の意志でUPしております。仮に、こちらにそぐわない発言で あると思われる場合は自由に削除下さい。