- FARION MES( 7):★アリオン世紀末書込み寺------------<02> 93/12/29 - 01810/01812 GDB00064 オリハル ARIONへ ( 7) 93/12/29 00:32 今年7/23のRTで本の出版は来年にした方がよいと示唆して頂きましたが、 つい最近、とても大きな発見がありました。 時間さえあればもうちょっと前に発見できていたかも知れません。 しかし、これが神の御意志だったのだろうと思います。 どうもありがとうございます。                            オリハル 01811/01812 GBE02650 ユ−リ ふさわしい題は思いつきません ( 7) 93/12/29 01:59  ARIONさん、お元気ですか?  いつも仲間達がお世話になっています。  私があなたに対して持っている友情を、あなたも同じように私に対して持っていてく れると嬉しいのですが…  本当は、この書き込みもしないつもりでした。  もし返事を貰えたとしても、私が読むのは来年になるでしょう。  でも、書かなければ眠れそうになかった…  ARIONさん、私には人に見えないものが見えているのでしょうか…  それとも、私に見えるものは、いみじくもある人が私に対して言ったように、全て「 私のイメージの産物」なのでしょうか…  全ては、私の暗い心の傷の産物…という事になるのでしょうか…そのようなものが本 当に実在するとしての話ですが…  ARIONさん、私は書き込みにせよ、RTにせよ、カンや思い付きで言葉を綴った ことは無いつもりでした。  私は、いつも自分の持つ全てを相手にぶつけてきたつもりでした。  いつも相手の事を考えていた、と書けば笑う人もいるでしょう。でも私は常にそのつ もりでした。  私には、その人の歩く先に崖が落ちているのが見えたのです。少なくとも、見えたと 思ったのです。  カンや思い付きで見えたのではありません。私の持つ過去の経験と知識から類推でき るのです。  それなら、話をすれば理解してくれるはずです。  しかし、言葉にすればするほど、それは荒唐無稽で意味のなさそうなものになってゆ くのです。  ARIONさん、私は今ほど自分の持つ言葉の拙さを呪っている事はありません。  私は今ほど、人に言葉でものを教えることの困難さを噛み締めていることはありませ ん。  過去に、「人がものを覚えるのは、傷ついた時だけだ」と書きました。  しかし、それでも人が無防備に崖に突っ込んでゆくのを黙ってみていることはできま せん。  でも、私にはその人を救う手段が何も無いのです。  それとも、やはり全ては私の作り出した「イメージ」にすぎないのでしょうか…  人に誤解されることは苦痛ではありません。  人に誹謗中傷されることも苦痛ではありません。  相手が結果的に幸せになりさえすれば、どのような報酬を受ける意思もありません。  ただ、自分が骨身を削っていることが、全て徒労であったのかもしれない…というこ とを認めるのが恐いのです。  …少し楽になりました。(ARIONさんを精神安定剤代わりに使ってどうする(^^;) これで眠れそうです。  それでは、良い新年をお迎えください。  どうか、風邪などお召しになりませんように。(宇宙神霊にうつる程、根性のある風 邪菌が実在するとしての話ですが…(^^;)  来年も、どうかよろしくお願いします。 GBE02650 ユ−リ 01812/01812 VFD02105 メルク 反省と観察 ( 7) 93/12/29 03:33  反省と観察は違うのです。  心の動きを観察していたとしましょう。  満員電車の中で、周りの人間をうっとうしく思い、  「ええい、うっとうしい! 死んじまえ、クソムシどもめ!」  と、たとえば心の中で思ったとしましょう。  ここで、  そのようなことを思った自分を見て、  「あ、しまった。私ったら、こんなことを考えるなんて」  と、思ったとしますね。  これは、  一種の反省をしているわけですけど、  「自分を観る」ということではないのんです。  ただ単に、  その昔「そのようなことを思うのは良くない」というようなことを、  思ったり言われたりしたことがあって、  それを思い出したというだけなのです。  このタイプの反省というのは、  単なる機械的な反射運動であって、  それで満足していては、いっこうに盲目のままなのよん。  そこで、  「あ、しまった。反省してしまった」  なんて思うのも、もちろんおなじレベルのことだよね。  観察するということは、  「ふみみ、今日は、こういう場面でこういう想念が発生したか。φ(..) メモメモ」  ってこで、それにいちいち善し悪しの評価を下すことではないのれす。  仮に、ついうっかり反省しちゃっても、たとえば、  「某月某日、ついうっかり反省する。φ(..) メモメモ」  というぐあいに、ただそれを観察してればよろしいのです。  ・・・・ってなことを、さいきん思うメルクなのでした。                             メ ル ク - FARION MES( 8):★シゲの【恋愛玉手箱】爆走編--------<01> 93/12/29 - 00090/00092 GBA01276 しまうま RE:隣室から持ち込みです(^^;) ( 8) 93/12/29 02:43 00089へのコメント  みれさん。風邪はその後いかがですか? 早くよくなるといいですね〜。  コメントどうもありがとうございました。自分の気持ちを整理しなおすよいきっ かけになりました。 : 誰かが「身を張って」私の幸せを考えてくれる…ってのは、かなり凄い :インパクトがあるね。  彼女の心に「僕自身」を刻み込めればいいなと思います。そのためにはやはりイ ンパクトの瞬間、グリップを鋭く回転させなくちゃ・・・(^^;)違うって? :      「確かに身を張って」自分との幸せを考えてくれる男の人の :存在は、既に居る恋人の存在よりも大きくなる可能性あると思うのよね。  その可能性に、賭けます。 : 恋は命掛け…って言うけれど、本当に人生賭けてかな来るヤツは凄いよ、 :事実そういうヤツと出会って結婚したから(笑)ノロケ…(・.)イヂメル?イヂメル?  鷹兄(恋愛関連のお話では勝手に兄事しておりますのでどうかご了承ください m(__)m>鷹さん)が以前おっしゃってた話。「おれとつきあったこともないのに、 好きか嫌いかわかるわけないだろう。イエスにしろノーにしろ、返事はつきあって からにしろ」という言葉は衝撃的でした。僕もその精神でいきたいと思っています。 : 既にいる恋人より、自分の方が相手を幸せに出来る!と思うなら、そう :相手に伝えて実績で勝負するしか無いよ。  想像するだけで動悸が激しくなります。それは「本当にそうするしかない」と感 じるからです。 :              自分の思いに自信があり、相手を既にいる :恋人より幸せにできる、自分も幸せになるっ★って、自信と意気込みと勇 :気を持って相手に伝えることって、大事なんじゃないかな?  「自分も幸せになる」というのは、大事なところですね。僕はついつい忘れてし まって「自己犠牲(←自己満足的な)の上になりたつ相手の幸せ」を目指してしま いがちです。気をつけます。  伝えたい思いはたくさんあります。何にこめて伝えようか、考えているところで す。写真、音楽、言葉、絵、品物・・・。そして何よりも生き様。 : 自分が身を引いて相手が幸せになるなら…なんて、本心なの?って、つ :い思ってしまう…。  みれさんのこのフレーズが、一番身にしみました。  「自分が身を引くことによる○○の幸福」という思考パターンで、いくつのハー ドルをごまかしてきたことだろう。僕にとって、「相手のために身を引く自分」と いうのはすごく想像しやすく、また実行にも躊躇のない行為なのです。  しかしその自分の姿に空々しさがあるのはなぜだろう。また、みれさんからの言 葉を読んだときの、心の中の異物感は何だろう。  僕は彼女のことを、幸せを自分でつかめる人だと感じている。何が幸せなのか深 いところでわかっているし、また幸せを求める気持ちをごまかさない、ごまかせな い人だと思う。  その一方で、僕は「彼女の幸せのために身を引く」ことを考えている。これは彼 女自身の判断を信じていないということではないのか? 彼女が自分の幸せをその 手で選び取るのなら、僕は精いっぱいの自分として彼女に接する、それでいいはず。  そう考えた方が、ずっとすっきりすることに気づきました。  どうもありがとうございましたm(__)m。なんか、すごく嬉しいです(^_^)。                             しまうま (GBA01276) 00091/00092 GBA01276 しまうま RE:隣室から持ち込みです(^^;) ( 8) 93/12/29 02:43 00082へのコメント  #82 まるにちょん さん  しつこいコメントで失礼します。 :もっと、もっと、恋の炎を燃やしなさい。 :その炎の影に自分の本当の姿と、彼女の本当の姿が、 :そして陽炎の中には、自分の幻想と、彼女の幻想が観えるだろう。 :何方を信じるか? :あなたにしか決められない。  この言葉が、日を追って僕の中で大きくなっていく気がしています。  日々、感じる意味が少しづつ違ったりもするのですが、 「自分の根っこを見るか、それともその幻想(ユメ)を見るか。彼女の根っこを見るか、 それともその幻想(ユメ)を見るか」  うつろうものとうつろわぬもの。うつろいつつ育ち、はぐくみ、生き続けるもの。  もっともっと、恋の炎を燃やせるよう、アブラギッシュな男を目指します(^^;)違 うか。                         しまうま (GBA01276) 00092/00092 GGD02212 Soo 祝辞がまだだった。 ( 8) 93/12/29 18:21  今更ですが、議長就任ごくろーさん。>シゲ殿   波乱はまだかなー?  祝辞よりも、もうすぐ新年の挨拶だにゃ。高校生の時、「売…もとい迎春」 なんてお下劣な年賀状を出す前に父親に「売」の字を消された思い出がある私。  あの頃の私なら平成六年の年賀状のデザインは、牡犬が牝犬にのっかる絵 になっとるやろな…(-_-;今年最後かも知れない書き込みがこれだはは。Soo. - FARION MES(10):★Dr.Sooの《夢酔い人の部屋》--------<01> 93/12/29 - 00281/00284 GBA01276 しまうま RE:こないだ見た夢 (10) 93/12/29 02:42 00259へのコメント  #259 アラミス さん  副議長ご就任、おめでとうございます。お世話になります。 :因みに私の夢では「犬」を男性原理、父性原理的な象徴として受け取っています。  僕にとって犬のイメージは、 「友人・忠実・従順・家畜・黒い目・尻尾・舌・散歩」  という感じです。ステレオタイプですね。  ただ、この夢に出てきた犬たちは、どれも自信に満ち、男気、侠気、というもの を感じさせるキャラクターではありました。        しまうま (GBA01276) 00282/00284 GBA01276 しまうま RE:こないだ見た夢 (10) 93/12/29 02:42 00265へのコメント  #265 Soo さん  あえて夢を解釈しようという気持ちは、あまりありません。  心象世界の変化に連なるように、現象世界も変わるのだろう、とは思っています。  そういう意味では、夢は解釈するものではなく、現実と同じように「ただ精いっ ぱい生きていく」ことが大切なのかもしれないなぁ・・・とか。                   勝手なことをほざく しまうま (GBA01276) 追伸:カメに乗る夢は、明日実現する予定です(^^;)。 00283/00284 GGD02212 Soo RE:就任おめでとうございます (10) 93/12/29 07:04 00276へのコメント  ようこそ、いいえ、お帰りなさい。(^_^)>Hygiene 先々代議長。  実は《夢酔い人》ってのはね、以前恋愛騒動を起こした某氏と某女史に私が 送ろうとした称号だったんですよ。だから、ここは博士の部屋です。  私も博士と同じ天秤座(みれさんやオリちゃんとも同じ)で、ついでに魚座 の女性に振り回された経験があって、ユングに関心があるなど共通項が多くて、 カルマまで共有するのか…?なんて妄想していると、夢会議室の議長になって しまいました(^^;。当方は毎日アクセスできませんので、よろしかったら名誉 議長として、またどうぞ、いつでも、どんどん書き込んでやって下さい。Soo. 00284/00284 GGD02212 Soo RE:夢と脳&脳波, そして下意識>>RE268 (10) 93/12/29 07:04 00278へのコメント <RE:00277>  REM云々の話をダストいや出すと何処かアカデミックな方面からツッコミ が入るかな(私の書き込みは学術論文ではなくエッセイみたいなもんですから) …と思ったら博士でしたか。補足して頂きどうも有り難うございます。 <RE:00278>  夢はREM睡眠期に限らない、というのは聞いた事がある気がします。また 学習した情報を脳に定着するのがREM期、というのをパソコンにたとえると メモリのデータをフロッピーに書き込んでいる過程がそうでしょうか。FDD (フロッピーディスクドライブ)がスコン、スココンとアクセスを受けるのが 急速眼球運動にたとえられるとしたら面白いですね。  #278を読んでいて思い出したのがフロッピーディスクの発明者、Dr.中松! TVで見たんですが、あのDr.によると、発明のインスピレーションは水に 潜っているとヒラメキやすいそうで、そのためにワザワザ水中でも書けるメモ 用紙とペンをまた発明してましたね。これは潜水でわざと脳を酸欠に陥らせて 相対的に左脳や新皮質への酸素供給を減らし右脳や旧皮質を開放するテクニッ クと言えるんでしょうね。(良い子は真似しないように…(^_^;)    Soo. - FARION MES(12):★SUBUDHの《アジア・チャンプル》----<01> 93/12/29 - 00105/00108 GFB00026 一輝 RE:こだわり京風うどんの屋台 (12) 93/12/29 00:14 00094へのコメント 夕べのこだわり屋台、聞いたら正式な店名は「京楽(きょうらく)」。 「京風うどん」というのは私の見まちがいで、 赤提灯には「京うどん」と「京楽」が記されていました。 屋台料理は、日本の中のアジア。 即興で歌を短冊に書いて客にサービスでくれる、二子玉川のラーメン屋台など、 こだわりオヤジの屋台は、湯気に埋もれて結構あちらこちらにあるようです。 「こーゆー、こだわりの屋台を知っている」というのがありましたら、 ぜひぜひ教えて下さいな。                                     一輝 00106/00108 GFB00026 一輝 国名「日本」について………前編 (12) 93/12/29 00:30 00058へのコメント コメント数:2 国名「日本」について………前編 古くはこの国を「アメノシタ」と呼んでいました。これは何故かというと、皇 族が「アマ」という名字だったからです。漢字にすると「天下」になりますね。 初代天皇ニギハヤヒが、最初に大和の地に入った時に出雲から率いてきた武将 の面々には、全員名前の最初に「アマノ」が入っています。「AMA族」は、 その名の如くの「アマさん一家」だったというわけです。 また、岩波文庫の『隋書倭国伝』P129には「倭王姓阿毎字多利思比」という語 りで、倭王(天皇)の姓が、「阿毎(アマ)」であることが記されています。 「アメノシタ」という国名は、日本列島にようやく到達してこれから文化事業 を始めようと意気込む、AMA族からの視点で名付けられています。 中心地である「やまと」を国の総称として「倭」や「大倭」と記され出したの は、日本統一の兆しがようやく見えて来たころです。統一とは言っても、AM A族間(日向族vs出雲族)での内乱、熊本での球磨(琉球の植民地)族の抵 抗や東北の蝦夷たちの反乱など、まだまだ中央ではクーデター騒ぎ、辺境では 武力衝突、などがあった頃です。 「やまと」つまり現在の奈良盆地は、AMA族がやって来る前はナガスネヒコ ら縄文族長グループの支配する「とみ(鳥見)の里」と呼ばれていました。現 在の大和郡山市あたりがその頃の中心です。そこへ弥生文化をもたらしたAM A族(出雲系)が友好的に入植して来て融和し、中心地は現在の桜井市や天理 市周辺に移り、数々のピラミッドが作られていったのです。 AMA族の長であるニギハヤヒとナガスネヒコの妹であるミカシギヒメが婚姻 関係を結び、「とみ」の地名は「あま(アマ族=弥生人)+とみ(ツチ族=縄 文人)」になって、それが徐々に「あまとみ」→「やまとみ」→「やまと」と 変化して現在に至ります。「やまと」という国名は、二つの民族が融和(或い は、そう望みたいという想いを込めて)したという歴史的視点から名付けられ たのです。 中国との国交が盛んになってくると、国際的な視野に立った、例の聖徳太子が 記した隋に対する”日出処”という自意識が目覚めてきて、7世紀後半から「 日本」が正式な国号として用いられるようになりました。 唐に白村江の戦いで破られた天智天皇(日向系)が倒れ、次の天武天皇(出雲 系)が、改めて唐を相手に対等な外交関係を作ろうと試みる為、国名を変えま す。中国を方位の基準として捉えた”日出処”としての「日本」という国名で すが、どこか唐と対等か優位であるかのような印象を与えています。これは統 一した国家として承認された(或いは、そう望みたいという想いを込めて)こ とを意味しています。 大宝元年(701)の律令施行以後、対外的に「日本」という国名になりました。 『旧唐書』では、「倭(ワ)」の中国での意味が「醜い」「人に従うさま」「 背が曲がって低い」といった意味があり、漢字の知識が深くなるにつれ、元々 は、中国から当て字された「倭」の意味が良くないので「日本」と変えた、と 記されてあります。また、「日本」という国名が物部氏(出雲族)の根拠地で あった「日下(ヒノモト)」から生まれたという説もあります。 この書では他に不思議な話があって、「日本から来たという遣唐使の使者が、 倭国と日本国は別と言った」というのです。つまり「倭(ワ)」は九州から独 自に中国で通商に来ていて「日本(ヒノモト)」とは別国という解釈が出来る 話があるのです。そこで、前者が日向族、後者を出雲族(或いは両者統一を試 みた出雲族)と見ることが出来ます。唐の役人自身が混乱した形跡があること から、遣唐使を出した天武天皇が古墳時代の崇神天皇に倣って、両部族の統一 に苦心していたことが伺えます。没後、天武天皇の奥方が天皇に即位して、日 向系の持統天皇が誕生します。この時代が最も両者の相剋が激しかった頃です。 「アメノシタ」→「倭(ヤマト)」→「日本(ニホン、ニッポン)」という変 遷を経て、日本の国名の歴史には、その時その時の日本人の希望や想いが込め られていたわけです。 00107/00108 GFB00026 一輝 発言者削除 :一部修正の為 (12) 93/12/29 00:33 00106へのコメント 00108/00108 GFB00026 一輝 国名「日本」について………後編 (12) 93/12/29 00:43 00106へのコメント 国名「日本」について………後編 「ニッポン」は、明治期から盛んに使われました。GHQが「ニホン」に改め たという話は、他の方からも聞いたことがあるのですが、未確認です。一応法 的には、「ニホン」も「ニッポン」どちらも良しとなっていますので、あまり 気にしないで好き好きで選んで良いと思います。スポーツと郵便切手だけは、 戦後を通して「NIPPON」表記が続いています。郵便切手は、昭和40年 代から「NIPPON」表記になりました。 戦時中に岡本天明によって記述された『日月神示』の冒頭句は、「二二八八れ 十二ほん八れ(富士は晴れたり日本晴れ)」となっております。「ニホン」表 記でしたので、GHQが表記を変えたという線は薄いかもしれません。 「ニッポン」の「ポン」のところは、リズミカルで脈動感があり、溌剌とした 南洋言語の印象があって私も好きですね。SUBUDHさんの言われるように「ニホ ン」より「ニッポン」のほうが、呪術的にも強い言霊を秘めているように思い ます。バレーボールでの「ニッポン、チャチャチャ♪」など、呪文の如しです。 もうすぐニッポンの正月。 普段の友人というヨコの人間関係に加え、 親類というタテの人間関係が交差する時節。 双方のタテヨコ関係で編まれ、根強く生きてきたアジア。 本年はどうもありがとうございました。 来年もまたよろしくお願い申し上げます。 やや早めですが、皆さん良いお年をお迎え下さい。                                     一輝 - FARION MES(14):★HVHYの預言解読部屋------------<03> 93/12/29 - 01629/01629 GCC01413 HVHY RE:久々の解読(古代史の盲点) (14) 93/12/29 15:52 01555へのコメント  *[なぜ、ハジベなのか?・・・その32]  前節では、稲荷山古墳の鉄剣銘文に関して、新しい観点を提示した。  そのポイントは、銘文の記載者「ヲワケの臣」が、  雄略天皇[21]の時代の人物であることは確実としながら、  その配下にあった者ではなく、むしろ、独自の勢力を誇っていた。  …というポジショニングを試みたところにある。       〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  さて、埼玉(さきたま)古墳群が築造され始めたのは、  そして、荒川対岸にある比企地方のそれも、  ほぼ5世紀の終り頃とされており、その時期は、  吉備地方や奈良盆地の巨大古墳が消失する時期に一致している。  また、同じ時期には、関東の多摩川流域や毛野(群馬)においても、  巨大古墳が造られなくなくっている。(※古墳の規模が極端に小さくなった)  ここで考えられることは、全国的な範囲で勢力地図が塗り変わった可能性だ。  誠に大雑把ではあるが、図式的に整理してみよう。                  +−−−−−−−−−−−−−+                  |  5世紀   6世紀  |     +−−−−+−−−−−−−+−−−−−−−−−−−−−+     |    | 奈良盆地  |   ○     ×   |     | 関西 | 吉備地方  |   ○     ×   |     |    | 今の大阪府 |   ○ 〜〜〜 ○   |     +−−−−+−−−−−−−+−−−−−−−−−−−−−+     |    | 毛野(群馬)|   ○     ×   |     | 関東 | 多摩川流域 |   ○     ×   |     |    | 埼玉・比企 |   ×     ○   |     +−−−−+−−−−−−−+−−−−−−−−−−−−−+  このような流れを眺めてみれば、5世紀の後半に、中央政府(?)によって、  全国的な統一がかなり進んだのではないか、と考えられるのである。  つまり、王統由来の地方豪族が、もはや独自の勢力を維持出来なくなった。  ところが、記・紀においても、雄略天皇[21]の時代には、  吉備の勢力や葛城一族が衰退して行くことになっており、  考古学的事実と文献学的事実は、この件に関する限り、全く一致している。       〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  振り返って、ほぼ稲荷山古墳に始まる埼玉・比企の勢力は、  どのような位置付けにあったのだろうか?  確かに、雄略天皇[21]の下、中央から派遣されてきた勢力である、  という仮説は成り立つどころか、それ以外に考えられそうもない。  (※これが言わば“通説”となっている…)  しかし、鉄剣に銘文を刻んだ年は、まず間違いなく471年であり、・・・[#]  中国史書から想定される雄略[21]の即位年477年をやや遡っている。  「この6年の差をどうみるか?」…これは極めて慎重を要する問題であろう。  なぜなら、吉備の勢力や葛城一族が駆逐されるのは、  雄略[21]が即位して、自分の思う通りに政治を司るようになってからであり、  それ以前の471年という段階では、吉備の勢力や葛城一族は、  依然として厳然たる勢力を誇っていたはずだから。       〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  では、どう考えれば良いのか?  「葛城一族」というのは、それが本当かどうかはともかく、  男系は考元[8]を、女系は「イカガシコメ」を、それぞれルーツとする。  つまり、景行[12]以来その地位が危うくなり、  応神[15]に至って遂に途絶えたはずの“[4]の系統”の末裔である。  ところが、その本宗である考元[8]や「ワカタケ彦」は、  崇神[10]の時代に早くも、いろいろ理由を付けられて東国へ流転していた。  にも拘らず、「葛城一族」が“[4]の系統”だとするならば、  それは中央(大和)における“生き残り組”ということになるだろう。  そして、この“生き残り組”こそが、少なくとも5世紀までは、  奈良盆地の西部において、巨大古墳を築造していた勢力に他ならない。  だとすれば、鉄剣銘文の記載者「ヲワケの臣」は、  471年の時点では、まだ中央(大和)に居たのではないか?  即ち、雄略天皇[21]に連なる人物だったのではなく、  同じく“[4]の系統”の末裔と称した「葛城一族」の兄弟筋として、  これを助ける位置付けで中央(大和)に残っていたのだ。  やがて雄略[21]が猛威を奮って、「葛城一族」が駆逐されていく段階で、  「ヲワケの臣」も中央(大和)を去らねばならなくなり、  既に早くから関東(秩父〜荒川流域)へ流転していた親戚筋を頼ることになった。  “頼る”と言うよりも、あまり奮っていなかった親戚筋と協力しながら、  むしろ自分が中心になって、開発のやや遅れていた荒川流域を開拓し始めた。       〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  つまり、稲荷山古墳の鉄剣とは、  「ヲワケの臣」が中央(大和)に居た頃に作ったものであり、  (※場合によっては何代か前の祖先が作ったもの…)  関東(荒川流域)への移動の時に“自分で持参した”ものである。  即ち、“中央に居て重要な役割を果たしていた”という証拠品なのである。  しかし、「銘文そのものを刻んだのは何時か?」という問題が残る。  いま説明した仮説によれば、471年では有り得ないからだ。  477年以後、雄略[21]が台頭してから、でなければならない。  このことは、上記の[#]と矛盾してしまう…。  そこで、次のように考えたい。  > 「ヲワケの臣」は、480〜490年頃、関東(荒川流域)において、  > 中央から持参してきた鉄剣に、その鉄剣の由来を刻むことにした。  > その際、ただいま記した、とは刻まずに、  > (実際にその鉄剣を作った)471年頃に記した、と刻んだ。  これは必ずしも虚偽の記述ではない。なぜなら、  実際に、鉄剣そのものは、471年頃に作ったものだから。  即ち、作った時点で刻んでいても良かったものを、  当時はその必要性があまり無かったために、特に刻まなかった。  しかし、後に必要性が生じた段階で、遡って刻んだ、ということだ。  入り組んだことを考えたが、もちろん、もっと単純に、  「ヲワケの臣」が中央に居て鉄剣を作った時点で、  同時に銘文そのものも刻んだ、と考えても良かろう。  ただ、この場合、系図まで載せて鉄剣の由来を誇示する動機が稀薄である。  そのような理由で、私は、  鉄剣を実際に作ったのは、471年頃。大和において。  銘文を刻んだのは、480〜490年頃。北関東において。  …このように設定してみたのである。       〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  以上のように考えた場合、雄略天皇[21]の時代ですら、  畿内や吉備についてはともかく、関東地方については、  必ずしも統一が進んでいなかった、と見なければならなくなる。  むしろ、かつての王族の末裔が“ばっこ”(漢字が出ない)する地域として、  関東というエリアは定着していったのでなかろうか?  (※いま例示しているのは全く一部の話に過ぎないが…)  つまり、関東地方がおよそ中央王権の管理下に組み込まれるのは、  ずっとずっと後の時代であって、雄略[21]の時代には、その片鱗すら無かった。  「埼玉・比企のグループが勢力を誇った」という事実は、  「そのグループの背景に中央政権の助力なり威光があった」ことを示すのでなく、  「王族に所縁を持つ新しい巨大豪族が“また”誕生した」ことを示すに過ぎない。  したがって、「埼玉・比企のグループ」も、結局のところ、  後の時代には“討伐”の対象となったり、“蔑視”の対象となったり、  そういう存在にまで“貶められる”のである…。       (…因みに東松山のお城は新田義貞に縁があるらしい…)                                  HVHY - FARION MES(17):★パワフルなえ★の《おふくろ通信》--<01> 93/12/29 - 726/727 VFD02105 メルク RE:歩調よね (17) 93/12/29 03:34 724へのコメント コメント数:1  こんにちわ、なえさん。また遅いレスになっちまいました。(^_^;)  それも自分らしさの一面だ・・・・っていうのは、  ほんと、そうだなと思います。  あの保育園の話も、似たような体験ってあります。  人ってのは、  「自分をちゃんと生きていれば、全てノープロブレムなんだ」  って気がする。  でも、  その状態へ一歩踏み出すのに、  けっこう、勇気がいるんだなぁ。  いま思ったんだけど、  そういう勇気って、実は「素直さ」のことなのかもしれない。  本当に必要なことってのは、実はみんな用意されているんだね、きっと。                               メ ル ク 727/727 JBH02324 なえ 自分らしさ (17) 93/12/29 21:06 726へのコメント そうそう。素直ってのは良いね〜。メルクさん。 ・・・さん?・・。ちゃん・・。さま・・。ちゃ。 うーにゅ。(^^; そだ。これ! ね〜〜メルクどん。(^^; 殆ど、どんぶり状態(^^; ニャハハ なんちゅー言葉(^^; 自分を見るという事と、素直で居るって事。それがいつも自分の中で 蓄えられて行くならば、きっと、どんな事も出来るって思う。(^ー^)v 勇気はきっと「自分を見て」「自分を信じて」そこから湧いてくる・・ そんな気のする・・きょうこの頃でした。(^ー^) あ〜〜RESの早さは勝負の対象ではありません。なんら気にしてないのだった。 そいえば、今日は29日ですね。餅をつかない日ですね。 なして??・・・て。年寄りに言わせれば、 苦(9)労をつ(2)くからゲンが悪い・・・・だって(^^;  ↑↑↑年寄りと柿は万に一つの仇もなし・・てね。