- FARION MES( 2):【居酒屋1999】自己紹介・雑談--------<09> 94/01/01 - 01412/01415 GHF01210 Zap! 新年好 ( 2) 94/01/01 07:03 明けましてお目出度うございます。 今年は去年にも増して、幅広い活動を 狙ひます。 01413/01415 PGB01143 魔界のめーそん 迎春 ( 2) 94/01/01 09:30 新しき年に   めーそん  新しき春を迎えて、皆様の御繁栄を御祝い申し上げます。   振り返れば、過ぎし日は全て泡沫(うたかた)    せめて人生の最後だけには、地に爪痕を残しておきたい。     新年を迎えて 心新たに                      めーそん 01414/01415 HGE03563 SONIC あけましておめでと ( 2) 94/01/01 12:39 謹賀新年 今年もよろしく。 ・・毎年思うんだけど、正月って暇だなぁ。 01415/01415 NBB01420 SUKE RE:風邪をこじらせてしまった(;。;) ( 2) 94/01/01 13:33 01398へのコメント  #1398 みれさん  お風邪だそうで...お大事にしてください。  かくいう私も、スキーから帰ったら、喉の痛みが咳に変わって、  結構胸苦しい年明けです。            居酒屋にも風邪が蔓延か!?(-_-;)…☆ッテナモンダ Suke. - FARION MES( 7):★アリオン世紀末書込み寺------------<02> 94/01/01 - 01825/01828 NBB01420 SUKE RE:決裂がなぜ生じるか ( 7) 94/01/01 13:34 01807へのコメント  #1807 オリハルさんへ  年明けましたが、いかがお過ごしですか。  >>面白くはないかも知れませんが、私はその通りの事を想定してタイプしました。  ということは、B氏は珍しいタイプの人間ではないということになりましょうか?  私が面白くないと表現したのは、珍しいことではないという意味あいがありました。  >>まあ、そこだけ読むとね。  そういう意味でなかったことは承知の上でコメントしました。  こう言ってしまうとオリハルさんの気に触るかも知れませんが、オリハルさんがど  ういう意図を持っているか、ということが結構理解しにくいことがあります。  (私だけかも知れないけれど)  価値観が人それぞれであるように、オリハルさんがどのような人柄なのかというこ  とは、割合謎に包まれているような気がします。(^^;)  そこでこういう風に突っ込みになってしまうかも知れないけれど、どういう意味だっ  たのかなとコメントしてしまいました。  >>それぞれのお役目を果たしたほうがいいのではないかという事でした。   (改行更新)  その意味はわかるつもりです。  では、「お役目」を果たそうとしていない人間というのは、例えばどういう人の事  でしょうか?  実名入りでは問題もあると思いますが、察するにオリハルさんの身の周辺にはその  ようなタイプの人がいるのではないですか?  その辺がもう一歩踏み込んだ問題に発展して行きそうな気がします。  失礼に当たるところがあったら、ごめんなさい。             風邪で思考力が足らないなぁ(^^)…☆ッテナモンダ Suke. 01826/01828 HGE03563 SONIC RE:今・・現在・・ ( 7) 94/01/01 21:20 01821へのコメント やりたいからって、 ただ、「やる」だけじゃあダメだ。 僕はかんがえなきゃ。考えるんじゃなくて、周りを観るというのか・・? 刹那主義はいけない。 考え過ぎも良くないけれど・・。 世の資本家どもは近視的で、 地球の限界を頭に入れないでやっちゃうから、 あんなふうになっちゃうんじゃないか。 イライラ落ち着かないなら、一服でもして・・。 「僕」は本とにこういう状況でいいのかなぁ?? ・・これは会話になってないですね。いいたいこと言ってるだけ。 01827/01828 HGE03563 SONIC 発言者削除 :ついか ( 7) 94/01/01 22:22 01828/01828 HGE03563 SONIC ウチんとこのカカリチョウは・・ ( 7) 94/01/01 22:33 ウチんとこのカカリチョウとゆうカタガキを持つヒトをカンサツして。 ナルホド、弱小カイシャながらカカリチョウというカタガキを持ってるだけあって、 シッカリした人生観に基づく、自信と行動力をモッテイル。人をツカウのも上手い。 ダガシカシそれだけだ。彼はリーダーシップをとる、上から管理する、のは得意そう で、説得力ある説教は得意だが、彼の話は面白くない。 人と対等に会話するのがヘタクソな奴なんだ。でも、説教は上手いんだ。 ドウリョウのオヤジどもは単純に関心するんだ。 でも、会話はヘタなんだ。対等の交流が。でも、説教とも感じない説教は得意なんだ。 でも、対等な所に出てこない。出てこないんじゃなくて、出てき方を知らない? でも、説教は得意なんだ。人生観がシッカリしてるから。典型的な山羊座のオトコだ。 頂点に立つ資格を持っているのだ。でも、会話はヘタだ。心を開かないから。 でも説教は得意。実力を持ってるから。でも説教は人生観の押しつけなんだ。 でも、いいんだそれは。皆納得するし、尊敬してる。シッカリしたテツガクだ。 周りを関心させる。でも、心は開けない。 ・・・・彼、カカリチョウがジムショにいると、 下ッパの連中もみな厳格な雰囲気にけおされるのかムッツリ状態になる。 オイ、どうした皆、テツガクが怖いのか??いいとしこいたオヤジが。 てめぇ何年生きているっ? そして・・あのカカリチョウの傍にあの娘がいつもくっついていたから とうとう、アコガレのあの娘と和気あいあいとした、コンタクトを取れなかったじゃ ないかっ!チキショウ!バカヤロウ!(・・と心は叫ぶ。) - FARION MES( 8):★シゲの【恋愛玉手箱】爆走編--------<01> 94/01/01 - 00094/00096 NBB01420 SUKE RE:隣室から持ち込みです(^^;) ( 8) 94/01/01 13:35 00081へのコメント  #81 しまうまさん  レス遅くなってごめんなさい。  >>結局その根っこに何があるか、という気がします。(改行更新)  確かにその通りですね。表現の方法よりも、心持ちの在り方なのですね。  >>切り裂かれても、暖かい血があふれるなら。(改行更新)  結構フラれた回数は多いSUKEですが、ある恋の告白に対して「お断りのお手紙」と  いうのをもらったことがあります。確かに失恋には違いないのですが、その手紙を  読んだとき、なぜか幸せな気分になりました。何の変哲もない文面の奥に、相手の  誠意と真心を感じさせる手紙だったのです。  もちろんそれからしばらくは辛い日々でした。しかし相手にいつも感謝の気持ちを  持つことが出来たものです。  暖かい血というのはそういうものかもしれないなぁ、と思い出しました。  >>「じゃあ今度みんなで飲みに行こう」と言ってくれた。(改行更新)  想いは伝わったのですね!  信じることが信じた時点で完結していると言われるように、しまうまさんの恋はそ  れ自体で一つの完成を見ていると思います。  辛いかも知れないけど、精一杯輝いているしまうまさんを表現して行ってみてはど  うですか?               慰めの言葉が見つからないけど... Suke. 00095/00096 NBB01420 SUKE SUKE、爆走ゴミ撒きする ( 8) 94/01/01 13:35 どうでもいいけど、この年末ってどうなってんだぁ!? しょぼくれた話ばっか聞くぞぉ、俺も含めて!                   珍しく爆走モード(^^)…☆ッテナモンダ Suke. 00096/00096 TBE03167 ねずみ RE:負け惜しみなど(^^;) ( 8) 94/01/01 17:47 00093へのコメント た、たった……隆さん(コエガウワズッテイル)新年早々思いっきり露骨な言い方せんといて ください。アタシ心臓が止まりますがな\^O^;/ - FARION MES(10):★Dr.Sooの《夢酔い人の部屋》--------<01> 94/01/01 - 00293/00293 NCD00736 白紙'in Hygiene RE:就任おめでとうございます (10) 94/01/01 15:03 00290へのコメント >アラミス副議長さん,  親切なアドバイス,ありがとうございます。私が抜けたあと,ご迷惑を  おかけしたにもかかわらず・・・・。  確かに,今の私に一番欠いているのは,ケジメなんだろう,と感じます。  一方特定の,当事者の人達に対する,「私のケジメ」はついている人もつ いていない人もあります。勿論あくまでも相手の了承あってのことですが。  他方,SYSOP氏にアドバイス戴いたのは「謝罪」ということでしたから, この件は,SYSOP氏に相談のうえ,かならず善処します。     なお,  ウヤムヤにしようという気はないことだけは,ここで表明しておきます。 そんなことをすれば,潜在意識の反乱=「自業自得」を受けるだけですから。 - FARION MES(11):★アキラの《平井和正*異界漂流》----<01> 94/01/01 - 160/160 MGH00465 アキラ 今年の…… (11) 94/01/01 06:11  明けましておめでとうございます。  てことで、昨日平井さんにお伺いしたところによると、ただいまは丑寅の金 神が動き回っているそうです。あっと驚く大逆転は、みんなこの神様の仕業だ とか(Wカップとか(^^;))。無任所大臣なので、どんなことでも頭越しにやっ てしまうし、その業はサタンと区別がつかないほどだとのこと。  あと、ウルフガイは、誰も想像がつかないような結末に向けて爆進中だそう です。  それから、平井さんに関してとんでもないニュースがあるのですが、これは もう少ししたらお話できるでしょう。  んでは、今年も凄い年になりそうなんで、よろしくお願いいたしますです。 MGH00465 アキラ - FARION MES(12):★SUBUDHの《アジア・チャンプル》----<01> 94/01/01 - 00109/00109 NBH03111 AVIDYA RE:はじめまして (12) 94/01/01 18:38 00101へのコメント SUBUDHさん, ご返事ありがとうございます. 私は『カンダ・パット・ブータ』を読んだことはありません. でも中沢新一さんの 『虹の理論』所収の「ファルマコスの島」で紹介されていた『カンダ・ウンパット・ ブタ・サリニン・サリ』と同じものなのかな, と思っているのですが. それを裏付けるのが, 彼が参考文献として挙げた, Tonjaya の ^Kanda pat Bhuta" だと思います. それと中沢さんはしばしば長音と短音を問題にしないので. 『カンダ・パット・ブータ』と『カンダ・ウンパット・ブタ・サリニン・サリ』が 同一のものだとすると, 中沢さんが展開している「パンチャ・マハー・ブタ」説は, 一元論的サーンキャ説じゃないかと思われるのですが. 本当に,一元論的な「ブタ」 から次第に物質化が進み可視的な物質が生成される,というようなことが書いてある のでしょうか.SUBUDHさん教えてください. 一元論的サーンキャ説というのは(御存じでしょうが一応説明しますと)インドの 古典,『ウパニシャッド』や『マハーバーラタ』などに記述される一元的な存在から 現象界が現れるという考えです.これは中沢さんも言っているように「ネオプラトニ ズムを連想」させます.(『サーンキャ・カーリカー』に説かれるような,二元論的 ?なものの原形と考えられます)  こんなことをいうと分かっていないな,と思われるかもしれませんが,一元論的サ ーンキャ説は,ヒンドゥー・タントラは勿論.ブッディスト・タントラにも見られま す.例えば所謂『金剛頂経』,『グヒヤ・サマージャ・タントラ』などの五仏は五大 を表します.この五大が正に「パンチャ・マハー・ブータ」ですから.それが日本に きて,弘法大師の「六大無碍常瑜伽」に変化しつつも伝わっています.  ジャワにも『サン・ヒャン・カマハーヤーニカン』が伝わり,バリに『カンダ・パ ット・ブータ』が伝わったという感じなのではないでしょうか.  そこで,SUBUDHさんにお願いなのですが,『カンダ・パット・ブータ』を紹介して いただけないでしょか.ついでに詳細な文献目録も付けていただけるとありがたいで す.  それから,プダンダ・ボッダについてホーイカース以外に研究している人がいたら 教えてください.またプダンダ・ボッダが使用しているテクストを紹介していただけ ると嬉しいです.なにしろホーイカースも読んでいないものですから.  いろいろ知らないことなのでバカなことを書いちゃったかもしれませんが,大目に みて訂正,紹介よろしくお願いします. AVIDYA 拝 - FARION MES(13):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<03> 94/01/01 - 00934/00934 GGA02514 KAZE 元旦年男揃い踏み(^^)なんて (13) 94/01/01 18:49 00932へのコメント 隆ちゃん、あけましておめでとうございます。 数日前から相棒の実家の向島(尾道の向かい)にきてます。 昨年のお正月はちょうど親戚に不幸があって、新年を高速の上で迎えたりの 大変さでしたが、今年は静かにほのぼのという時間を過ごしています。 でも、相変わらずの不信心さで^^;お宮参りなどには行っていません。 なんだか昔からお正月に神社仏閣に行くのってどうもピンとこないんですよね。 お正月に限ったことではないけど、ま、不精というだけなのかもしれません^^;。 でも、なぜか去年は神社だけはいろいろ回ったような^^;。なぜだろう? >人間は種族としてその財産を貰っているのかもしれませんね。 そういう部分は多分にあるでしょうね。 肉体的な部分やエーテル体の部分っていうのは、財産だと思います。 でも、それは「個」が継承するものではありませんから、 そこらへんは混同しない方がいいかもしれません。 でも、今ここに生きているということは、仮とはいえ、 まがりなりにもそれを継承しているのですから、無駄には使えない^^;。 というよりもむしろ、それを自覚しながら、個に生かし、 真の意味での「社会」のためにも生かしていかなければいけませんよね。 「傲慢を不可能にする不自由さを容認するもっとひどい傲慢さ」ということですが、 これは、傲慢であるということはまずそれが可能になる条件がいるということです。 つまり、ロボットには傲慢になることが不可能であるということです。 そのことを「傲慢を不可能にする不自由さ」といったわけです。 自由というのは、「わがまま」というふうに低次の現れ方をすることが多いですが 「わがまま」が不可能になるということはロボットになるということです。 そこにはいかなる意味での「自由」も存在することができません。 自由というのが、人間の意志に関わるということはそういうことです。 ですから、「傲慢が不可能になるというのと自由がなくなる」のとは同じなのです。 傲慢は不可能にすべきではなくて、変容させるべきなのです。 つまり、低次に発現した自由を高次のものに変容させるということです。 低次の自由は、許されるべきでは決してありませんが、 それが不可能にされるということは、人間の意志を虚勢することでもあるのです。 もちろん、おっしゃるように、カルマ論的に考えても、 >傲慢は許されるべきものではなくて、仮にそのように見えても、それはそう見え >るだけで必ずしっぺ返し・・・があるはずだと信じています。 ということは、当然のことです。 そしてその「しっぺ返し」は、現れ方はどうあれ、他から来るのではなくて、 自責の念によって、「与えたものが返ってくる」わけなのです。 ですから、長〜い目でみてあげれば、怒りはほとんどわかなくなります。 むしろ、「あ〜あ、この人、大変だろうな」って思えますし、 そういう意味で、怒りではなく、その方をどうやったら「生かして」あげることが できるかという戦略的な愛^^;によって対応することが可能になります(^^)。 >人間が地球上で一番優れた生物であるならば、他の生物にとっての「神様」的な >存在でなければならないはずですが、現実はさにあらずです。 「一番優れた」という意味は、自由があるということ以外にないんですよね、 ですから、傲慢になることでさえ可能ですし、 それによって自滅することも可能になってしまっているわけです。 人間の能力に溺れるというのは、自由を低次の方向に発現させるということで、 もちろん、そういう自由ではなく「天命を知る」という自由こそが必要です。 >愛のあるところに傲慢はなく、自由のあるところにもまた傲慢はない。逆に言う >と傲慢のあるところには愛も自由も無いと僕は思います。傲慢を許容するような >愛や自由は本物ではないというイメージはちょっと極端でしょうかねぇ(^^;)。 それは、善と悪の問題にもつながってくることで、 なぜこの世に「悪」として発現する可能性があるのかということなのです。 「傲慢」ということでも同じです。 僕の考える本物の愛や自由は、対立項を可能にする排除的なものではなく、 憎しみまでも包み込んでそれを変容させる愛、 傲慢さまでも包み込んでそれを変容させる自由、ということです。 ですから、傲慢さえも愛するところにしか愛はなく、 傲慢さえも愛するところにしか自由はないともいえるかもしれません。 何度も言いますが、愛も自由もそこには「すべて」を高次のあり方へと 根気よく根気よく変容させ導いていこうとする働きがあると思うからです。 教育でも、「いい子ちゃん」だけのためのものではなく、 刺だらけの人を傷つけかねない子ほど、それを否定せず、 根気よく導いていくことが何よりも大切なことだと思うのです。 「おまえは傲慢だから自由などない」っていうことで臨むのが教育では 決してないですよね。 「右の頬を打たれたら左の頬をさしだせ」っていうこと、 そしてその上で、その方が少しでもいい方向に向かうように働きかける、 っていうことが大事だと、僕は思うのですが・・・。 >民主主義に関しては、最近はどうも不信感しか浮かびません。 現状をまともに見るとそう感じるのが当然といえば当然ですよね。 理想的にはテーマ毎に、「徳」のある方をある程度信頼しながら、 基本的には民主主義的なあり方を大切にするということですよね。 問題は、それだけの「徳」のある方がどうにも見あたらないということと 民主主義の構成員のレベルが恐ろしく低いということだと思います。 結局、人の自覚しかないということはそういうことです。 >「公平」とか「平等」も何か変だと感じています。 問題は、どの部分が「公平」であることが望ましく、 どの部分が「平等」であることが望ましいかということだと思います。 どちらも無差別的に適用したときや適用範囲を誤ったときに、 その問題が続々とでてくるのだと思います。 「公平」や「平等」が必要な部分というのは確かに現にありますから、 それを否定すべきではないと思うんです。 それらは「毒」にもなるかもしれないが「薬」にもなるんです。 「毒にも薬にもならない」というのだ一番役に立たないともいえますよね。 >個人の自由に関する事はさておき、社会を構成するための物事(現状では法にあ >たるのでしょうか)は、議論しなくても、当たり前の事としてすべての人が認識 >できないものなのだろうかと思うのです。 ううむ、でも「議論」するから人間は進歩もするし混乱もするのでは。 最初から「当たり前のこと」は「当たり前」だというといいのですが、 それを認識するためにはある程度の高次の能力が要求されますし、 神々にも霊統があるように、人間の「当たり前」にもいろいろあります。 そこらへんのことは考えれば考えるほど、何が当たり前なのかわからなくなります。 「人間は死んだらおしまい」だというのも 「当たり前」になっているのですから、やれやれです^^;。 >我々は年男になるわけで、だからというわけではないですが、例によってマイペ >ースで頑張りましょう(^^)。 僕は以前から35歳までにものの考え方をある程度整理し基盤を作ることが目標で それについてはいろいろな苦労もあったりして、なんとか欠点は免れそうで、 今度は、それを基盤にしてこれからの7年間でもそっとちゃんとしかことが 具体的にできるようにといろいろ妄想^^;してたりします。 今年はそのアウトラインづくりということで、 いろいろ試行錯誤してこうということです。 もちろん、これまでのマイペースをますますマイペースにしながら 頑張っていこうと思っていますので、 あきれずに^^;、これからもよろしくお願いします(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES(14):★HVHYの預言解読部屋------------<03> 94/01/01 - 01643/01651 GBG02043 維/YUI 血統なことと、そうでないこと (14) 94/01/01 11:47 01641へのコメント なぜ、血なのか・・・を吟味することはたまごさんにまかせてぇ・・(^^;) 血を追いかけることから見えてくるものが何なのか・・・に興味をそそられます。 なぜ・・・を知ることも大切だけれど、そこにあった流れを隠されたものも含めて 見て行くときに、”なぜ”の答えも見えてくるものなのかもしれません。 もし、そこまで見てもやはり”なぜ”だったとして、それはもっとつきつめた ”なぜ”になっているだろうと思うのです。 底にあるのは、血統だけのことなのかしら? それによって組み立てられたものから、今が成り立っているとしたら、 それがなんであるのか見極めるのは、決して無駄なことではないし、 むやみに血統にこだわるってことではないでしょう? そんなわけで、たまごさんの疑問も、HVHYさんの怒涛の書き込みも、 私はいかしてみていたいなぁ・・・と、他力本願寺の尼さんをきめこむのでした。 ・・・これが今年初のかきこみ・・・ (^_^;)アハハ 維/YUI。 01644/01651 MHD02672 TAO 血統の罠 (14) 94/01/01 15:24 01641へのコメント コメント数:1  >たまご 殿  血自体が全てを決する訳でなく、「血」あるいは「血統」に対する  人間側の思い込みが、「血」に対する価値体系を定めているということ  なのでしょう。  私自身は、「神の目」の前には、全ての人間は等しく“塵”に過ぎないと  いう考え方ですから、血統によって人間の価値が決まるということは  全く信じていない。全ての人間は、その行為によって量られる。  ただ、己の出自が、他者に対して有力、有利な立場にあると知った時、  その立場に在ることによって与えられている“力”をいかに使うか?  自分の為のみならず、公共の幸福の為に、その“力”を間違いなく  駆使しうるか、その結果に責任を負えるか、それだけ義務も増してくる。  みれさんが時々言う「ノブレス・オブリージュ」ですね。  藤原氏の手によって、記紀編纂の際に「血統」が捏造されたのも、  その天才的な政治的才覚によって、人間の「血統」に対する拘りを  知り尽くしていたからこそ、“権力の中心”を移す為には、「血統」の  本来の流れを隠ぺいし、藤原氏に都合が良くなるように改ざんするのが  一番効果がある、と考えたからでしょうね。  さて、本来の「血統」の流れが、完璧に解明されたとしても、それで  何が“変わる”のか? これが実は一番大きい問題なのでしょうね。  「血統」には、人間の主観ではなく、客観的に見てどのような意義が  あるというのか? 実は、シュタイナーが「血はまったく特製のジュースだ」という講演集  (イザラ書房)で、「血統」と「血」に関する興味深い見解を披露して  います。後はKAZEさんに下駄を預けておこう(^^;)。ただ、現代でも、  大量の輸血を受けた人が、その後「性格が変わってしまった」という  ケースが報告されていることもつけ加えておきます。  かえって混乱させてしまったかもしれませんが(^^;)、何かのヒントに  なれば幸いです。それでは。  TAO 01647/01651 GGA02514 KAZE RE:血統の罠 (14) 94/01/01 18:49 01644へのコメント TAOさん、あけましておめでとうございます。 「血」「血統」についてですが、僕自身の関心についていえば、 たまごさんのおっしゃっていたように「なんでこだわるの?」ってことで 単なる素朴な「血」「血統」への盲信ってマイナス面しか見あたらないけど、 TAOさんのおっしゃるように、 >人間側の思い込みが、「血」に対する価値体系を定めている ということから見れば、それをめぐって(もしくは利用して) 形成されてきた歴史というのは非常に重要だともいえると思います。 それと、これは言っておかなければならないのは、 「血」「血統」と人間の「個」ということは切り放して考えないと、 テーマが錯綜してわからなくなってしまうということです。 >血統によって人間の価値が決まるということは全く信じていない。 >全ての人間は、その行為によって量られる。 TAOさんがこうおっしゃるのは、「個」としての人間についてであって、 「血」「血統」によって遺伝的に継承されるものというのも確かにあります。 そしてそれによって継承する部分というのも、 「個」ではなく「民族性」(ちょっと表現はまずいかもしれないけど)においては 非常に重要な部分だろうと思います。 カルマ論的にいっても、個としてのカルマともっと大きな単位で、 そこに生まれる者の多くが共有するカルマというのもあるわけです。 仏教でも、確か偶合(グウゴウっていうんだけど漢字は違ってるかも)っていって 集団的な単位でのカルマについての見解があると思います。 ちなみに個人的な単位のカルマを「不偶合」っていいます。 それはともかく、「血」「血統」を重要視するにせよしないにせよ、 個々の人間がある時代、ある場所に生まれさまざまに行為することというのは 「必然」であるということは確かのようです。 そのときに、「個」が「血」「血統」を継承するように考えるから、 問題が錯綜してきてわからなくなるということなのでしょう。 で、国常立さん関連が「血」や「血統」に拘るように見えるのは 「個」というのではなく、ある種の「霊統」によって継承すべきある要素や この三次元世界において「型」として成就すべき部分の必要性という点で、 そういう動きを見せているということなのではないかと思われます。 ですから、それを単なる「血」「血統」というような素朴な信仰とは ちょっと切り放して考えないといけないだろうなという気がします。 僕も、やっと最近になってそこらへんのことが見えてきたように思います。 >本来の「血統」の流れが、完璧に解明されたとしても、それで >何が“変わる”のか? これが実は一番大きい問題なのでしょうね。 「血統」の流れの解明によって「変わる」のは、「型」です。 それ自体に意味があるというよりも、それによって「反射」されるもの、 というのが最も重要な視点です。 もちろん、先ほども言ったようにそれは「個」云々の問題ではなく、 霊統などを含んだもっと大きな単位での問題です。 シュタイナー的にいえば「民族霊」、場合によっては「時代霊」といった 霊的働きの展開に関わるともいえるかもしれません。 自我やアストラル体などの問題であるよりエーテル体、物質体の問題を 考える必要があるのかもしれません。 (その方がいわゆる「高次」の神的存在の関わる部分ですから。) むしろその方がここでは優先して考えられなければならないのかもしれません。 シュタイナーは「血」は「自我」と密接に関連していると言っていますし、 僕もそう考えていますが、「血統」という場合とは直接的には テーマが違ってきますので、それについてここでふれる必要はないと思います。 ちなみに、シュタイナーの著作でいいますと、 「血はまったく特製のジュースだ」よりも「オカルト生理学」や 「カルマの開示」、それから「民族魂の使命」(どれもイザラ書房)などが 今回のテーマには近いのだろうなと思います。 それから、 >私自身は、「神の目」の前には、全ての人間は等しく“塵”に過ぎないと >いう考え方ですから、 というところですが、僕はそうは思ってません^;。 人間は「塵」という無常な部分とそれに吹き込まれた「息」という 本質的な部分でできていて、いってみれば「塵」=人間とは思わないのです。 もちろんその「塵」には「塵」の非常に重要な働きがあります。 そして塵+息である人間でしかできないことがあって、 それについては神が直接的に働きかけることはできない。 もちろん、すべてを破壊することはできるでしょうけどね(^^)。 どちらにせよ、人間と「神」を切り放して考えない方がいいと思います。 そこらへんの見解は仏教的な宇宙論が僕にとっては魅力的ですね。 つまり、「仏」ということはいうが「神」とはいわないというように、ね。 ま、表現の趣味の問題かもしれませんが^^;。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 01645/01651 GBD03557 シゲ 発言者削除 (14) 94/01/01 18:29 01641へのコメント 01650/01651 KFD00473 たまご RE:なぜ血統なのか (14) 94/01/01 20:44 01641へのコメント  自分のメッセージにコメント付けるのも間抜けですが(^_^;)  予想外に一杯RESがついてしまったので、それもしかたないかなと。 >> なぜ、そーまでしてみんな血統にこだわっているんでしょうね。  この部分をそれぞれの人がそれぞれに解釈してRESをくださったんですが、 それが非常に興味深かったですね。  私自身は「みんな」を「実際に古代に生きていた人々みんな」のつもりで 書いたんですが、なるほど現代人がどう血統にこだわっているのかって視点も おもしろいですね。  それらの考察についてはそれらが得意な方々に任せる他力本願坊さんに なります(^_^;)<副議長のまねっこ  私が考えたていたのは、彼ら(=古代人)が血統にこだわったのは「遺伝」の 問題ではなかったのかという疑問になります。それもオカルトな霊的なパワーの 伝承という面があったのかなということだったんです。  オカルト嫌いの人は、霊的パワーの存在の有無は放り出して考えて構わないの ですけど、(ただの信仰だったとか)、そういう側面があるから、血にこだわっ たのではないかなと考えるわけです。  (ここいらへんはKAZEさん、ガッチャさんに意見接近?)  すると・・・?  異常なまでに血に執着したのもなるほどなぁという気がするのですけどね。  獲得形質(<遺伝学用語)の伝承(あるいは遺伝)の問題だったら、血は そんなに重要な意味を持たないでしょうから。  (このへんTAOさんの意見ですね)  ところで、調子よく書いていますが、ホントウにこれだけだったのかと 言えば自信がないですね。まだ何かありそうですよ。  血統を追いかけている途中で現代の問題と同じ構造にぶつかったという ことはあり得るでしょうし、そのへんを探ってみるのもまた重要らしい ですね。  (このへん14番系の共通認識?)  他力本願の尼さん辺りが何か鋭い観点を発見しそうですから、もう一度 指摘してくださいな。(と他人にフル)  あれ?これでは問題点が出て一巡しただけじゃないですか?  ということで二巡目も期待。   挨拶が遅くなりましたが、今年もどうぞよろしく。  たまご PS:たまには会議室らしい書き込みもせねばなぁ(^_^;)HAHAHA 01646/01651 HGE03563 SONIC RE:久々の解読(古代史の盲点) (14) 94/01/01 18:46 01614へのコメント 僕が最近読んでとても感動した本があります。 「目先の利益主義改革論」梶原一明&徳大寺有恒のほんです。 評論家が自動車産業を評論した本であるがとてもすばらしい!(と思った。(自分は))何故彼らはこんなに鋭く一つのある世界の状況をよめるのか?? 彼らは車の性質だけを知り尽くした只の車オタクではない。 始めに何処から車が生まれて、何処と何処の流れが合併して、 何処の金融機関と繋がっていて、何処の環境で育ったかとか、影響受けたとか、 だから、社風がどうなってるとかチャンと全て把握してるのだ。 てんぐになってるあまり、過去の自社の成り立ちを隠蔽しようとした某社とか、 歴史は繰り返すものなのですね。 いや、すごいなぁ、感動した。世の中を観るってこういうふうにやるのかってゆう、 お手本になりました。 ・・あ、僕が世の中観るの苦手だから感動したに過ぎないもしらんけれど。 ・・というわけで、何が言いたいのかとゆうと、僕も血統に関すること、 全然知らんけれど、こういうのから類推して、雛型づくりとか?? ・・全然カン違いだったらゴメン。ちがうかなぁ。 ps.僕は感情的なため、過剰な誇張表現などあったりしたらお許しを。 01648/01651 GCC01413 HVHY 「豊かな人間像」 (14) 94/01/01 19:10 コメント数:1  *[血の繋がり云々について]  まずは、あけましておめでとうございます。  たまご君の提示してくれた疑問に、いっぱいRESが付いています。  まあ、言わば、シリーズの本論からやや外れているわけですが、  重要なポイントでもあることに、間違いありません。  ちょうど“補遺”として、書こうと思っていたこともあります。       〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  私は(TAO さんと同じで)血統とかに拘る人は大嫌いです。  意味が同じかどうか解りませんが、自分の子供だけ可愛がる人も嫌いです。  文化というものは、血統によってのみ継がれるものでは無い。  確かに、自分の子供に引き継がせようとしてきた人は多いでしょう。  しかし、その一方で、血の繋がりに何の関係も無く弟子を可愛がり、  自らが受け継いだ文化を後の世代に伝えた人も、間違いなく沢山居ました。  こんなことは、当たり前のことだと、私は思うのですが…。  つまり、もう少し正確に言えば、文化というものには、  血の繋がりによって受け継がれるべきものと、  血の繋がりによって受け継がれるべきでは無いもの。  この2つが並立して存在するような気が、私にはするのです。  このどちらかを否定することは、誤謬に繋がるのではないでしょうか?       〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  血統に拘るが故に、血統を改竄した者が居たとすれば、  私は、血統に拘らないが故に、血統を直視しよう、と思います。  それは、「異・なるもの」として退けられた者たちを、  何の価値判断も善悪判断も持たず、そのまま見つめるということです。  退けた者たちについても、出来るだけ、そのまま見つめるということです。  実に注意して頂きたいことですが、  表向きは恰好の良い平等論者が、根は差別論者であったり…。  そういうことが、現代の世の中には罷り通っています。  そのような、言わば二重構造の欺瞞に対してこそ、私は怒りを覚えます。       〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  例えば、天皇に対する何らかの思い入れがある人は、  歴史を直視することを避けるでしょう。  この場合の思い入れとは、ポジティブ・ネガティブ両方向あります。  私の場合には、そのような思い入れは全く無い。  だからこそ、つまり“どっちでもいい”からこそ、  「事実そのものが知りたい」という単純な動機に立つことが出来ます。  この辺りは、ひょっとしたら、理解しにくいでしょうか?  比喩的に言えば、「理科系的接近」と言えるかも知れません。       〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  もう一つ大切なことは、古代史即同時代史、という観点です。  これは、Nob さん辺りが盛んに言っていることですが、  古代史の語り口というものは、おそらく百万通りあって、  それらはどれも、せいぜいが、現代における歴史観念の投影に過ぎない。  だとすれば、尚更のこと、画一的古代史では困るのです。  画一的に古代史を語るということは、現代における立派な洗脳なのです。  そういう意味では、今のシリーズだって、別の洗脳マシーンかも知れません。?  例を挙げて説明しましょう。    [1]こんなことを(人間なら)普通するはずがない。    [2]「×××」はこんなことをしたと書かれている。    [3]したがって「×××」は実在性が極めて乏しい。  …といった三段論法をしばしば見掛けるのですが、こういう論理は論理ではなく、  そういう説明をする人の想像力や人間観察力の貧困さを示すに過ぎません。  その意味で、がっかりさせられる歴史記述が多い、と言わざるを得ませんね。       〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  本物の歴史が浮き彫りにするものは、きっと、  「一人として同じ人間は居なかった」という当たり前の事実。  つまり、「語っても語り尽くせない豊かな人間像」なのではないでしょうか?  但し、ここで言う「豊かさ」の中には、  “どす黒いもの”や“悍ましいもの”も含まれています。  たまご君が提示してくれた疑問については、  結論を出すと言うよりは、いろいろ話してみるのが良いと思います。                                  HVHY 01649/01651 GCC01413 HVHY RE:「豊かな人間像」 (14) 94/01/01 20:33 01648へのコメント  *[血の繋がり云々について…補足]  ちょっと単純な話をしてみます。  「夫婦」という関係は、「血の繋がり」という「縦の流れ」に対して、  これを「分断」する方向付けを持っているということ。  (※これはたまご君の書いた無数の先祖の話に等しい…)  即ち、生殖の仕組みそのものが、「純粋種」を作らないように出来ている。  そして、このことこそが、「幾多の歴史的ドラマ」を、  或いは「理由の説明不能な異文化結合」を、もたらしてきた。  ところが、よくよく考えてみると、「血の繋がり」は、  このこと(「夫婦」という関係)を通じてしか存立し得ない。  つまり、「血の繋がり」とは、実は「分断」の歴史そのものなのです。  ロミオとジュリエットの恋が叶ったのか? 叶わなかったのか?  それはともかく、男女の関係は、そもそも多くの場合、  「縦の流れ」に対して“破壊的”に出で現れる。  そういうことまで含めて「血の繋がり」を追い掛けるとすれば、  それは「低俗な血統主義」と同じでしょうか?  私の一連のシリーズにおいて特徴的なことは、  系図を考える場合に、女系に関しても出来る限り追究している点です。  即ち、「血の繋がり」を把握するということが、むしろ、  「純粋種」を追い掛けるということと“全く逆のベクトル”を持っている。  少なくともこのことに、十分注意しなければなりません。  ここで述べたことは一種の“盲点”かも知れませんね…。                               HVHY 01651/01651 GCC01413 HVHY 「現在進行形」 (14) 94/01/01 21:05  *[正統派のアマテラスとは?]  某副議長から貰った資料(某団体の会報)の中に、  ほぼ言い得ていると思われることが書かれていたので、  そのことについて取り上げてみたい。   > アマテラス神界全体を浄化する段階に至ったとき、   > そのほとんどは魔物として消滅してしまって、   > 正統な神は数えるほどしか残らなかった。   > そのため神界としての存続が難しくなってしまったのである。   > そして残った少数のアマテラスの神々は、   > 各神界に振り分けられることになってしまったのだ。   > そのほとんどはスサノオ神界であったようだが、   > それはスサノオと夫婦になっているアマテラスがあって、   > その神々は正統派として残ることを望んだからであった。                     (光泉堂だより 第21号 より)  このようなフレーミングは、かつての光泉堂の文脈には無かった。  こういう言い方をしては失礼に当たるが、進歩の跡が明らかに伺える。  光泉堂の評価出来るところは、「前言を何時でも撤回する柔軟性」にある。       〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  状況というのは、時々刻々に変化しているわけで、  「オキマリのコト」しか言わないようなところは、全く話にならない。  その点、言うことが目まぐるしく変化してきている光泉堂は、  知っている宗教団体の中では、かなり良心的な部類に属するだろう。                               HVHY - FARION MES(15):★平成松川塾◎日本を考える----------<01> 94/01/01 - 420/421 JCC00626 ナガト 謹賀新年 (15) 94/01/01 01:47 コメント数:1 松川塾長 そして皆様 新年明けましておめでとうございます。 旧年中は、小生の下らぬ書生論をさんざんUP致しまして、まことに お恥ずかしい限りです。 新年は、いよいよ波高く、まさに「世紀末」の様相を呈しつつあります。 お殿様政権の行方、米開放で歯止めの無くなった農業崩壊への道、自衛隊の ユーゴPKFへの参加の可能性、相変わらず出口のない不況、そういった一切に 責任を負うことのないマスメディア、それを利用としてアクセクする有象無象、 そして角栄の幻影に悩まされているかのような「実力者」小沢一郎の霍乱‥‥ このような時代こそ、私たちに何が求められるのか、私たちは何を見据えて どこに立つのかが、厳しく問われることになることでしょう。 この塾での会話が、そうした「海図なき航海」で一つの羅針盤となることを 願って、新しい年の挨拶とさせていただきます。                                                       ナガト 拝 421/421 GFD00204 松川 貴     RE:謹賀新年 (15) 94/01/01 12:48 420へのコメント  ナガトさん、明けましておめでとうございます。  平成松川塾塾長などというようなご大層な肩書でこの会議室を始めてから、とにも かくにも、その時々の世間の事件なんぞにかこつけて自分の思いを述べてまいりまし た。  政治については特に深い知識があったわけでもなく、今まで私の〈助け主〉となっ てくれたのは、『海舟座談』と『氷川清話』という勝海舟の二冊の本とその時々に私 自身にやってくる一種の〈連想=ひらめき〉のごときものでした。  結局私がここでずっと追ってきたのは〈日本人の思考態度〉という一事でした。実 際には世間のことは分からないことばかりです。しかし、このようには感じているの です、すなわち、今までと同じ〈骨格=思考〉に寄り頼んで物事を眺め続ける限り、 新しい発想は決して得られないだろうと。  〈古い骨格=思考〉に寄り頼んで言葉をつむぐと、いったいどういう表現が出てく るのか、そのよい例がさっそく現れたので紹介いたします。  新年第一日目に届いた朝日新聞の第1面に載った見出しの言葉を見てみますと、こ のような表現が目に入ってきます。    ┌───────────────────┐    │ 浮遊感覚 団塊二世は文化を変えるか │    └───────────────────┘  この文章を書いた記者が〈新しい流れ〉を感じさせるものとして挙げた人物たちの 名前や出来事、そしてそれらを語る時に用いている彼自身の文体を感じ取ろうとして みると、この記者自身が今どのような〈骨格=思考〉で世間を眺めているか、また今 日にいたるまでどのような思想(言葉あるいは表現と言ってもよいですが)を奉ずる 人々に共感を抱いて生きてきたのかが見えてきます。  この記者は日本に生まれた〈新しいもの〉を自分自身理解し、また読者にも紹介し たいと考えているのですが、そのように考えている彼の本体自体は彼自身の〈古い骨 格=思考〉なのです。この記者がここで〈新しい流れ〉として挙げたものは、私に言 わせればすべて戦後の日本人たちの用いてきた〈古い骨格=思考〉が生み出した果実 (結実)に過ぎません。それなのに、この記者はそれを〈新しいもの〉として採り上 げ、読者に紹介しようとしているのです。  確かに彼らの言う〈新しい世代〉は〈日本の文化〉──私はむしろ〈風俗〉と言い たいのですが──を変化させていくでしょう。ですが彼らが〈新しいもの〉と考えて いるものは、〈かつて植えられた木〉の上に生えてきた〈果実〉なのです。というの も「今日のことは結果に過ぎない」からです(勝海舟『海舟座談』)。  〈古い木〉も死なない限り成長を続け、時期がやって来るとその木に見合った〈果 実〉を新たに実らせます。そして人はそれを〈新しい果実〉と呼んで取って食うので す。しかし結果は〈果実〉による日本人の中毒死です。  未来のために彼らが本当に目を向けなければならないのは、彼らがここで採り上げ ているような目に見えるような〈果実〉ではなく、ほっておくとこれからもさらに成 長し、〈毒を含んだ実〉を生み続けるであろうところの彼ら自身が自覚なく信奉して いる〈古い木〉そのものです。彼らが本当に〈この木は毒の実を生んでいる〉と自覚 することです。それなのに彼らはけっして自分自身の思考方法には目を向けようとし ません。しかしそれこそが彼らが行うべき第一の態度だと私は思っているのです。  さて、去年は連想と偶然が私の手助けをしてくれましたが、今年はそれもどうなる か分かりません。実際去年の終わりに私は息切れを起こしておりまして、このままこ ういうことを続けていってよいものやらいろいろ迷っていたのです。そして現在もな お迷っています。ですが、今しばらくは忍耐をもってこの会議室を維持していきたい と考えております。今年もよろしくお願い申し上げます。                                   松川 貴 - FARION MES(17):★パワフルなえ★の《おふくろ通信》--<01> 94/01/01 - 729/732 JBH02324 なえ 発言者削除 :ああ・勘違い(^^; (17) 94/01/01 15:40 730/732 JBH02324 なえ おめでとうございます (17) 94/01/01 16:30  謹んで初春のお慶びを申し上げます。 初日の出はご覧になれましたか?、所により曇という天気の中、当所は雨には 至りませんでしたが、あいにくの曇空で見る事は出来ませんでした。 関東辺りは良く晴れたとか、初日レポート等があれば、ぜひお願いしますね。 >みなさま さて、あたしは明日、大三島にある大山祗神社に初詣に参ります。 最近はずっと近隣の久井稲荷に参拝していたのですが、事情で今年だけ変更し て、初めてお参りさせて頂く事になりました。これも何かの縁かも知れません。 オオヤマツミノカミが祭神だそうで、有名な瀬戸内水軍が本拠地の場所ですね。 先日も某TV番組で後藤久美子さんが「鶴姫」の役で時代劇ドラマの主演をさ れていた様です。その鎧甲もこの神社には奉納してあるそうで(^^;。 (見れなかった(;_;)・・だってマンガの方が良いって・・某奴らがぁ(^^;)クソッ であ、お餅の食べ過ぎでウエイトUPしてアセアセにならぬよう・・(^^;自戎 を込めて・・・今年も宜しくね。 731/732 TBE03167 ねずみ 僕もお参り行って来ました。 (17) 94/01/01 18:21 コメント数:1 僕んとこは、うちの母親が天理教の熱心な信者だったりするもんで、天理へお参り に行って来ました。最初は朝4時起きで行くぞーなどと大それたことを言っており ましたが、案の定、目が覚めたのが5時で、遅刻しちゃっちゃいましたね。お勤め の最初の部分でかっこいい笛(「しょう」って言うのかな?漢字がわからないんだ けど)の音が流れるんですが、遅刻したせいで今年は聞けなかったのが残念。 正月に天理へ参ってお願いをすると必ず神様がかなえてくれるという有り難い教え (By うちの母親)に従って、今年こそは彼女ができますよーにとかその他さんざ ん都合のいいことを並べ立ててきました。 神様も、なんで俺みたいなやつの相手せなならんのやろとかぶつぶつ文句言わはる んやろか? 732/732 JBH02324 なえ RE:僕もお参り行って来ました。 (17) 94/01/01 21:52 731へのコメント やほーねずみさん。今年も宜しくねん。(^-^) 神様はねすみさんみたく、素直に自分を見る人が大好きですよん。 ぜひお節会に行って、お餅を食べて下さいね。 自分を磨けば磨く程、きっと相手の方から「ねずみさんでなきゃイヤ」って人が 現れます。(ホント) がんばって彼女を見つけてね。フレフレ(^-^)/~