- FARION MES( 2):【居酒屋1999】自己紹介・雑談--------<09> 94/01/09 - 01459/01461 JCF00616 YUI アロマテラピーについて ( 2) 94/01/09 10:14 01457へのコメント  どうも、はじめまして、YUIと申します。  アロマテラピーのお話が出ているようで、(^^)です。  実は、母がエクセルインターナショナルのアロマセラピスト  養成講座を受講しようかと迷っていまして、なんらかのアドバイス  が得られればいいな、と思ったのです。  聞いた所によると、この養成講座は日本で初の試みだということで、  将来性など、心配でならないそうです。  こちらの方の評判も気になります。angieさんは、ご自身の  趣味でやっていらっしゃるんですか?なにか良い文献などが  おありでしたら、是非、教えていただきたいのですが。  いきなり質問の連続で、スミマセン(^^;  でも、母は真剣なようですから、どうぞ、答えてやってくださいまし(^^) YUI 01461/01461 PXH01650 英雄 ハンドル名の設定のおしらせ:英雄 ( 2) 94/01/09 18:52 こんにちは。 ハンドル名を設定しなくて実名でしたが、 どうもうざったい(?)ので、簡潔にしようと ハンドル名を新たに設定しました。 英雄(えいゆう、または、ひでお、ひでゆう、のいずれの 読みでもけっこうです) プロフィ―ルも更新しましたので、そちらもヨロシク! :英雄: - FARION MES( 3):【めでぃあ室】本/映画/音楽 etc----<01> 94/01/09 - 00337/00337 VFD02105 メルク RE:臭い匂いは元から… ( 3) 94/01/09 13:01 00336へのコメント  こんにちわ、スサノオさん。  それって勘繰り過ぎだと思うけど・・・・。  そういう勘繰りにふけるのは、楽しいかもしれないが不毛だと思う。  もっとも、最近は早起きしていないので、  ウゴルー見てないけどね、あたしゃ。  (こんどまた見てみようかしら。   何を見るかって、あ〜た、ルーガちゃんを見るのよ)  ちなみに、ウゴルー作ってるスタッフが以前作っていた、  「アインシュタイン」という番組も、けっこう好きだった。  (本も持ってたりして)  では、また。                           メ ル ク - FARION MES( 7):★アリオン世紀末書込み寺------------<02> 94/01/09 - 01870/01873 KHC01313 まるにちょん RE:愛しているよ。 ( 7) 94/01/09 01:51 01860へのコメント  GBG02755 すまるさんへ  まるにちょんです。お初にRESします。  すまるさんの一連の書き込みのついて、ぼくなりに思ったことを書き込みます。  「愛することとはどうゆうことか」   言葉ではあらわすことは、困難かもしれませんね。   でも、あえて拙い言葉でいうならば、相手の長所や欠点、あるいは、  好きなところや嫌いなところ等、相手のあまねく全てのものを受け入れると言う  ことではないでしょうか。   自分は自分、相手は相手、それぞれ個性があり、差があります。   アリオンさんの言うように、差を理解した上で、全部ひっくるめて受け入れ  ちゃうんですよ。(^0^)   > 差がみつかることは、悲しい。   >一緒であってほしい。   僕にもこうゆう気持ちはあります。  でも、差があるほうが良いとも思っています。   僕には妻がいますが、彼女と僕は性格も趣味もちがいますが、その分世界が  広がるとゆうか、不足を補いあえるとゆうか、おもしろいのです。   彼女は、何でも一緒過ぎると窮屈でつまらない、と言う。   だから、すまるさん、   >あなたを愛したい気持ちに嘘はない。   それなら、悲しまないで(^0^)/   >ただ、あなたが私と違っていたことが悲しかった。   >分かり会えないと思っていたことが悲しかった。   愛しているのに悲しいなんていわないで。   分かり合うってことは、たぶん差を認め合うってことなんだと思います。   でも、もし相手がすまるさんとの差を認めなかったら・・・   もし相手がすまるさんの一部のみしか見ようとしなかったら・・・   恐れないで!   すまるさんの気持ちのわからないヤツなどふってしまえ!   (なんて、言えないよ。)   でも、相手を恨まないで!   それは、あなたの得手勝手だから。   相手を自分のサイズに切り刻むことだから。   すまるさんは自分の気持ちの素直であればいいのだと思います。   自分の気持ち、自分の愛をつきつめていってください。   つきつめていって、出たものを、想いたけを相手のぶつけてみれば・・・   すまるさんの愛が、相手に響けばいいな。心からそう思います。   愛することは、自分中心に考えると辛くなります。   でも、相手の幸せを切に願うなら、愛して欲しいなんて言わずに   相手を愛しまくればいいと思います。   代償を求めずに、愛し続けられたら・・・   (これは僕自身にいい聞かしております。)   すまるさんの書き込みを、誤解していたらごめんなさい。   でも、すまるさんにRESしたかったのです。            女の気持ちが分からない、まるにちょん/○=ゝ 01871/01873 MHD02672 TAO 発言者削除 :行ずれ ( 7) 94/01/09 07:36 01872/01873 MHD02672 TAO 啓示 ( 7) 94/01/09 07:49  >ARION  「全ての人は “愛されない”という恐怖から 解放されるべきだ」  今朝、この単純極まりないフレーズが脳裏に閃いた時、魂が震えるように  感じた。それこそが、正に私自身をむしばんでいた恐怖だったからだ。  かって愛したかった相手から愛されず、また自分を精神的な奇形と  疑いつつ、「愛されること」への遠さを絶えず感じさせられていた年月。  しかしそれだからこそ、人間は無条件で愛されることを体験し、  そして己が愛することで愛を増殖していくことが、限りなく可能な世界が  実現する時、“愛されない”という恐怖から人間は解放される。  ARION、私はまだ恐怖を引きずっている。しかし自分が何から  解放されるべきなのか、それがやっと見えただけでも、幸いだった。  そして、この恐怖から全ての人が解放されることを願おう。  本当にそう思える。  TAO 01873/01873 GBG02755 すまる 愛されないこと。 ( 7) 94/01/09 09:06 まるにちょんさん、ありがとう。 TAOちゃにも・・・ 「差」があることは、恐れを感じます。 その「差」ゆえ、愛されないのではないかと。 理解に限界が生じるのではないかと。 だから、どうしても、その「差」を縮めようと努力しようと してしまうのです。しかし、「差」は、縮める必要が無い。 「差」を縮める行為は、互いの特性を打ち消し合う作業になってしまう。 そんな苦しいこと、辛いことはないと思います。 そうではなくて、「差」をはっきりと認め、許し、愛すること。 「差」をこそ、愛すること。それが本当の愛することであり、 心の喜ぶことだと思います。 TAOさんも言われる通り、「愛されないのではないか」そういう不安は、 とてもとてもあります。「差」があるから、疎まれる、そう感じてしまいます。 人類に共通の事柄、善であること、道徳観念があること、常識的であること・・ そういうことは、「愛される」という幻想が人間にはあります。 しかし、人はそれだけではない。「普通」と呼ばれない「個性」と 言うものがあります。「違い」「差」があります。しかし、人は、「違い」が あるからこそ、「人」であり、「生かされている」と思うのですね。 ロボットがいくついても、しかたないことです。 私自身は、たとえ相手がどんな人間であろうと、「愛したい」。 そこに、どんな差別を持ち込みたくない。 人は簡単に「下らない」いう言葉を使いますが、「下らない」ことなど、 存在しないというのが、私の「信念」なんです。「無駄」なことなど、 何一つ存在しないと言うのが「信念」なんです。 しかし、私も生身の人間、どうしても自分より劣る人間の存在を無意識に 感じてしまうことは否定出来ないのです。 それがどうしようもなく、悲しい。ただの「差」であるのに、そこに 優劣をつけたがる自分の愚かさが・・・・ 自分の中の「優劣」をつけたがるという部分を破壊しないかぎり、 私自身も人から100%愛されることを望めないと感じるのです。 私が、人をどのような無様な生き方をしている人にも、「愛したい」と 感じなければ、自分と同じ命なのだと感じなければ、 私自身も人から自分の望むだけの愛を得られると思えないのです。 私は、真摯だから愛されているのか? 違う。私が真摯でなくても、愛して欲しい。 だったら、私も相手が真摯でなかろうと、逃げる人間であろうと、 愛したい。 愛して欲しい、どこまでも、いつまでも、限りなく。 だから、私も愛したい、限りなく。 そんな「愛」を手に入れるには、私はまだ自分のすべてを相手に 表現していなさすぎるのです。自分のすべてをさらけだしていないのです。 私の中にはまだまだ、未知の部分が自分にとっても多く、 時と共に現われて来るのでしょうが、どんな部分が出てきても、 私自身がそれを愛すること、また、愛されること、相手のそういう部分を 愛することを確かめて生きて行かなければならない。 そんな風に思うんです。 「優劣」を完全に排除すること。「差」を愛しむこと。 そのためには「待つ」ことも大切なことです。 「差」を理解する努力は必要です。 愛されたい・・・そして、愛されている。そう実感したい。 そして、その幸せを、すべての人とわかち合いたい。 そう願っています。 そのためにも、私は自分を恐れる事なく、表現してゆく。 どんなに軽蔑を受けようとも、疎まれようとも、 私のすべてが愛されていることを実感するために・・・ 誤解を恐れずに、誤解さえも受け入れて・・・ そのためかどうかわからないけれど、いま、すまるは、「自分を見る」ことを 捨てています。完全に自分をコントロールすることを止めています。 自分の最低をどこまでも、さらけだしています。ここで、軽蔑されるだろうことを いっぱいやっています。 愛して欲しいから・・・愛しているから・・・ どんなに醜くあっても、愛して欲しい。また、愛せることをわかってほしい。 愛せない存在など有り得ない。それを自分に教え込みたいのです。                           すまる - FARION MES(11):★アキラの《平井和正*異界漂流》----<01> 94/01/09 - 166/166 GGD02212 Soo 『GS美神』と言うと… (11) 94/01/09 11:03 164へのコメント  そのTVアニメ版が関西じゃ日曜8:30AMにテレ朝系でオンエアなんだけど、 今朝放映分のストーリーは、日本有数の霊山にある古い神社が舞台で千年に 一度異界の入口が開き古代の叡智・秘宝がどうのこうの…と言うスジだった。 これって、なんか似たような話を聞いた気が…やっぱモチーフはあそこかな? Soo - FARION MES(13):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<03> 94/01/09 - 00949/00949 MHD02672 TAO 遺伝とカルマ (13) 94/01/09 08:48  RE:MES 14 #1647 >KAZEさん  新年あけましておめでとうございます。(こちらは一応“喪中”ですが)  何かえらく久しぶりですね(^_^;)。  えっと、14番会議室での話題の続きですが、個としての存在と  個を成立ならしめる背景としての「血」「血統」をごっちゃまぜに  してはいけないというのは、私も同意見です。  さて、では「遺伝」という現象にどういう意味があるのか、  どのような意義があるのか、その方に関心が行きますね。  つまり、人間の在り方を考察する際、「遺伝」という問題を  どう理解したらよいのか。  「血」「血統」を通して、個の中に遺伝的に継承されるものが  あるとすれば、それを単に「民族性」と表現してよいものか、  私もためらわれるものがあります。皇国史観にみるような、  “排他的なナショナリズム”と短絡的に結び付けられかねない  危険性が常に付きまといますから…。  ただ、「遺伝」を通して継承される、あらゆる属性の中には、  その社会の価値体系によって持ち上げられたり卑しめられたりする  ものも(例えば美醜など)ありますね。大局的に見れば、その  人生におけるカルマの問題を設定するためのファクターとして、  「遺伝」という現象が起こる、と言えるかもしれません。  こういう言い方も危ないですね。現に遺伝病によって苦しんでいる  方々もいらっしゃいますし、カルマを通して、今の人生の苦難を  選んだのは自分自身だと言われれば、誰でも受け入れ難いのは  ごく自然な感情だと思われますから。  ただ、カルマという問題とは全く別次元で、自分の人生の問題に  果断として立ち向かっている方もいらっしゃるのは確かで、  そういう方々は意識しようとしまいと、努力してカルマの問題を  解いて来ているように思えます。勿論、人生に起こる全てのことが  カルマに定められているとは思わないし、自ら招く展開も含めての  ことでしょう。  逆に、そこまでまだ至っていない方々に対して安易にカルマの教義を  持ち出すのは、よくKAZEさんが危惧するような「自己努力の放棄」や  「現実逃避」といったネガティヴな影響を与えかねませんね。  話を戻すと、「時代」と「場所」が交差する際、「遺伝」による  獲得形質そのものが、その人間の運命の造形に深く関わるのは確かで、  カルマという法則の精妙さを感じさせられます。  集団的な単位でのカルマというのも、取り扱いが難しいテーマですね。  特定の民族の興亡について、侵略者側の行為を正当化するのに利用される  危険性が付きまといますし、実際ナチにもそういう思想があったようで、  シュタイナーの思想も一部利用したといいますね。  何だか現実的な話が多くなりましたが、私が社会的観点に拘るから、  こういう話になるのかもしれませんね。  それと、「全ての人間は等しく“塵”に過ぎない」と書いたのは、  地球を窒息させかねない、人間の傲慢さに対する私なりの戒めです。  人間自体を卑しめる意図は全くありませんが、「神」とは人間の観念を  決して投影出来ない、想像を絶する巨大な“在るもの”だと考えると、  人間の存在というのは本当に塵のようなものです。それに対して「畏怖」と  いう感情さえも感じないようなら、救いようがないように思えます。  (KAZEさんのことを指しているのではないので、念のため)  KAZEさんの考える「神」というのは、人類の運命それ自体に関わる  高次元の存在ではないでしょうか。  TAO