- FARION MES( 2):【居酒屋1999】自己紹介・雑談--------<09> 94/01/12 - 01473/01473 PXH01650 英雄 ちょっとよってみました ( 2) 94/01/12 00:13 マスタ―、こんにちは!いつものブレンドね。 何か、この店明るくなりましたねえ!インテリア変えました? そうそう、この前のRTの時にはお世話になりました。 また、新しい話を聞かせて下さいな。 豊田なら、ミニオフできそうですね。 静岡県内は、他にいないかなあ。 オ―ストラリアの火事、収まってきたようでよかったですね。 でも最近、放火が多いのよね。 浜松駅付近でも同時7件の放火があったし... みなも気よつけてね。 そういえば、このごろ、ぱうわ―さんをみかけないなあ。 :英雄: - FARION MES( 4):【宴会/オフ】プラン・レポート------------<02> 94/01/12 - 435/442 PBA02422 さはし RE:1/16大阪,この指とまれ ( 4) 94/01/11 19:19 425へのコメント コメント数:1 こんにちは、Sooさん。 なんとか行きたいと思います。おそらく行くなら近鉄を利用すると 思うんですが、ぜんぜん地理が判りません。(^^;) と言うことで、よろしくお願いします。                            さはし 439/442 GGD02212 Soo RE:1/16大阪,この指とまれ ( 4) 94/01/11 22:02 435へのコメント  さはしさん うわ〜(@_@ ;続々と名乗りが上がって嬉しいパニックです。 あわやMAKOTOさんと二人きりのランデブーになるかと思いきや、…ですね。  近鉄線のアーバンライナーで難波まで二時間ほどでしたっけ?あれの切符は 早めに押さえないとスグ売り切れるみたいですよ。私も難波経由で梅田へ行く ことになりますが、地下鉄で なんば→梅田が だいたい20分ぐらいかな? 阪急梅田駅まで辿り着くのも結構タイヘンかも…。私も迷うかも知んない…。 (地図が要りますか…。なんて頼りない幹事なんだ…(-_-;)ではまた。Soo. 440/442 PFC02535 カナメ RE:1/16大阪,この指とまれ ( 4) 94/01/12 02:59 425へのコメント コメント数:1  おや、お昼からですか。それなら、その日のうちに東京に帰れますな(笑)。  BIGMAN前とは懐かしい。大阪に住んでいた頃は、サークル仲間との待ち合わ せに使ってました。当時は大人数で長居のできる喫茶店をよく利用したものですが、 今はもうつぶれていることでしょう。場所はSooさんにお任せですじゃ。  そんな訳で参加しますです。大阪には前日に行って泊まることにします。実家があ るとこういう時に便利でよい。お初の方も多いので楽しみです。どうぞ、よろしくお 願いします。 442/442 GGD02212 Soo おいでやす>大阪オフ6人目 ( 4) 94/01/12 16:06 440へのコメント  昨夜のRTで噂してましたんやけどホンマに来はりまっか!>カナメはん。 顔知ってる地元の人間が一人居てくれるだけでも心強いっちゅうもんですわ。  あのTV、『BIGMAN』言うんでっかぁ…そら、知りまへなんだ(^_^;。 カナメはんで6人目ぇでんなぁ。もっと増えたら入れる店おまっしゃろか? わて地元の人間と違チャいますさかい梅田界隈の店一戸も知りまへんのやけど、 (何ちゅう幹事や)道に迷いそうになったら教えたってや。頼んまっさ。Soo. 436/442 GGD02212 Soo 大阪ミニオフの目印は… ( 4) 94/01/11 22:02 432へのコメント  私が食い倒れの人形の格好をする、というのは目立ち過ぎて近寄れないか(^_^;。 緑色の白粉を塗り青い外套を纏う、なんてのはどう?…って冗談だってば。(^_^; ★それでは私も例の『キンキラキンの本』持つことにしましょうか。私の体格は 見かけは175cm/75kgほど。丸顔に黒縁メガネ("くいだおれ"の人形?)です。 ~~~~~~~~(^^;サバヨミ↑ ★集合日時:1月16日(日曜日)13時 ★集合場所:阪急梅田駅前、紀伊国屋書店前の巨大TVの下あたり… ★昼食会の店は未定。このままだと現地で決定することになるかと…(^_^; 437/442 GGD02212 Soo RE:1/16大阪,この指とまれ ( 4) 94/01/11 22:02 433へのコメント  これはこれは!>[○=ゝ]さん。はじめまして。名乗りをあげて 頂き感謝感激です。お会いするのがとっても楽しみです! はてさて、 集合場所と目印は一つ前のMAKOTOさんへのコメントで判ります?  当日の私は連続当直の後で道に迷ったり訳の解らない事を言ったり するかも知れませんが危害を加える事は無いと思いますのでよろしく。 438/442 GGD02212 Soo RE:大阪ミニオフ ( 4) 94/01/11 22:02 434へのコメント  魔界のめーそん様 初対面の人が増えるのは大歓迎です。(^^)  そうそう御自身の事を年寄り年寄りって言わないで下さいよ。  たぶん13:30頃 食事になるでしょうから、低血糖にならないよう、 必要であれば当日の朝食(や注射)の時刻を調整しておいて下さい。 (じ実は私は魔界のめーそんさん達の天敵、生意気な口をきく若僧、 な何とDMetc.が専門の内科医なんです!サテ タコヤキ1コ=ナンタンイ ?(^^;) 441/442 PGB01143 魔界のめーそん 有り難う Soo ( 4) 94/01/12 09:01  お誘いを掛けて下さって有り難う。  当日の待合場所は、阪急電車を降りて大きなTVの在る紀国屋書店前で 良かったのですね。多分間違えずに行けると思いますが、...  当日の拙老の服装・風体は、頭の薄くなった白髪・サングラス(白内症 手術のため)濃紺の結城紬の着物姿です。  まごついているようでしたら、声を掛けて下さい。お願します。                  京都暇庵より 魔界のめーそん - FARION MES( 6):・壁(1)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 94/01/12 - 01973/01977 GEB02033 Szp 完全無欠の幸福 ( 6) 94/01/11 19:25 コメント数:1  今日、本屋で「神秘人」という新しく発刊された本をみかけた。不思議 世界の情報マガジンというのがサブタイトルになっている。購入して読ん でみて、そのなかで雄二郎氏の「幸せの心理学」がなかなか面白かった。  彼の言説によると、誰もが胎児の頃、子宮の中で、羊水に浮かびながら 宇宙と一体となった完全なる幸福を経験しているのだという。そして、そ の幸福は我々の無意識の中にあり、人生に大きな影響を及ぼしている。  彼は、『完全無欠の幸福の中から出てきた私たちは、山の彼方の幸を求 めて、幸・不幸の錯綜する人生を現に歩む存在なのである。』と結んでい る。  あぁ、求めても求めても… 子宮の中の幸福…。 01977/01977 VFD02105 メルク RE:完全無欠の幸福 ( 6) 94/01/12 14:33 01973へのコメント  こういう話を聞いたことがあります。  胎児の時に体験した至福を、  今度は外の世界で表現するために、人は生まれて来るんだ、って。  人生はそんなにむなしいものじゃない、  人生は、生きるに値するものだって、私は思います。                             メ ル ク PS.ちなみに1973って、わしの生まれた年だったりして・・・・ 01974/01977 PFA03563 YAHATA YAHATA、スキー場へ(0) ( 6) 94/01/12 00:30 コメント数:2  そもそもとりたててしたいとも思ってはいなかったスキーであるが、中学だ か高校だかのスキー教室以来数年振りに行ったのが去年の4月だった。このと きは友人に誘われたのである。…悲惨であった。滑っては転び、滑っては転び…。 体が忘れかけていた。冬が来て、「今度は教本くらい読んでおこう」と思いつ つも体調を崩したり何やかやで時は流れ、いつの間にか年も暮れかかっていた。  既に療養のため休み始めていたある日、本屋で「驚異の超科学が実証された」 という本を買った。著者の発明による記憶力増強装置を使うと苦もなく暗記が できたりスキーが上手になったなどという報告があるという。奇をてらうのが 好きなYAHATAが飛び付かないわけはない。これは確か甲府のある書店で扱って いた…というわけで、暮れに精神科に行った帰りに入手した。  さて年が明け、安売り店でスキーキャリアを購入し、自分の車に取り付ける。 テキストも買い、前半だけ読んだ(後半は高等技術だったので後回しだ)。も ちろん記憶力増強装置を使いながらである。練習のメニューくらい覚えておか ないと、まさかゲレンデで本を広げるわけにはいくまい。行く前日のことであっ た。 つづく。 YAHATA 01975/01977 PFA03563 YAHATA YAHATA、スキー場へ(1) ( 6) 94/01/12 00:31 01974へのコメント  土曜日に行ったのは失敗だった。リフト券が高い上に人が多すぎる。ああ、 それなのに1日券を買ってしまった…。もったいないことこの上ない。5回く らいしか乗れなかったなぁ。  上から下まで混んでいたので練習どころじゃない、というのは言い訳っぽい。 とりあえず滑る。…しかしそれでは面白くも何ともない。転ぶとなかなか起き 上がれない。要領が悪いのか腕力がないのか…。後者かな。足首が固定されて いるというのは辛いものである。片方の板をはずしてやっとこさ立ち上がる。 …平日に来よう。休日は危険だ。(^_^;)ソコマデイウカ  帰りは遠回りしてスキーのビデオを買った。 もひとつね YAHATA 01976/01977 PFA03563 YAHATA YAHATA、スキー場へ(2) ( 6) 94/01/12 00:31 01974へのコメント  月曜日。それでも来る人はいるものだ(自分もそうだが)。駐車場で聞いた 放送でスキーレッスンについて言っていた。何となく気になった。…次に来た ら受けようかな。  受付をちらっと見掛けて、通り過ぎてゲレンデに向かう。平日は1日券も安 い。人も少ない。こうでなくっちゃ。(^_^)…しかし。リフトに乗っている間、 心に葛藤が。「受けるなら早い方がいい。金の問題ではない!今日受けよう」 リフトを降りると急ぎ滑り下り、受付を済ませた。半日コースでよかろう。午 後はいつでも帰れるように。  …受けて正解だった。やっぱり実地でいろいろ見聞きしないとわからんもの だ。でも足元に目が行く癖はまだ抜けない。「もっと板を平行にしてみましょ う」「自分の制動能力を信じてもっとスピードを出しましょう」という課題を いただきつつ、レッスンは終わり。  午後は自分の好きに滑ってみた。谷足荷重がかなり徹底できてるみたいで、 山足が自由になっている。(それでもまだ急斜面は恐いから踏ん張ってしまう が…(^^;)パラレルもどきのターンができるようになった。上達すれば面白い というのはこういうことか…。なぜか転んでから楽に起き上がれるようにもなっ た。 風邪が抜けん(+_+) YAHATA - FARION MES( 7):★アリオン世紀末書込み寺------------<02> 94/01/12 - 01882/01889 HGE03563 SONIC 発言者削除 :訂正 ( 7) 94/01/12 01:39 01883/01889 HGE03563 SONIC あの時の悩みは今・・ ( 7) 94/01/12 01:47 コメント数:1 年のハジマリしょっぱなから、怒濤のようなグチともいえるがでも本人は 問題解決はかろうとしてた書き込み、をしたからには、なにかしら結果報告を表明 せねばなるまい、というわけで、以下に書きます。 SONICは今生きている喜びで満ちております。いやー、たのしい。 過去に悩んだのはなんだんだったんだろう?と思うくらい。 順調な生活です。あれはいつだったろう?先週半ばあたりから、自分を取り戻した。 ・・というわけで、今は何も問題ないわけです。オールライト。 ・・で、僕は何を悩んでたんだっけ? 友達・コイビトできないよー、なんて言っていたんですよね。 僕が以前に捕らわれていたと思われる事をあげると・・・。 1)友達・コイビトって自分から「作る」もんだと思っていた。 自分から積極的に働きかけることも大事だと思うけれど、それと同じくらいに、 「受容」のココロが大事なんだなーと感じるようになった。具体的に厳密に書くと、 またヘンになりそうなのでやめとく。とにかく第一に、「相手に何も期待しないこと」 を心掛けるようにし、甘えたいときは甘えようということだ。そして、受け入れる時は いつでも受け入れる。 ぼくは「(頭)欲しい」のに「(体)出来ない」と書いたようだが、 以前のARIONのメッセージを見ていたら、それはただ、「したくない」のだと。 欲しいという考えは頭がしていたようだ。 でも、実行出来なかった。そして悩む。 ・・頭と体が対立していたようだ。 あと、「寂しい」と感じていたのは、ただ、僕が、その恋人なり友達に 何かを「期待」していたせいだと思う。「期待」することをやめたら、 双方の葛藤が水のアワの如く消え去り、 そして僕の「心」は僕に一発で回答をだした。 「流れにまかせろ」と。 友達を「作りたい」「作れない」という問題にこだわっていた。 そして実際は、自分の流れにまかせてたら、トモダチ出来たよ。あっけないもんだ。 2)「会話出来る=トモダチ」という公式に捕らわれてすぎていた。  じっさい、会話上手、はしゃぎ上手の人なのに友達出来ない人いるのに気付いた  そして、全然会話しないのに視線だけで、笑顔だけで、いつの間にか心が通じ合って  いる人どうしが居る、というのに気付いた。)  要するに、心が開いているか開いていないかの問題と、会話出来る出来ないの問題は  別個だ。そして、心が開いているかいないかと、興味あるかどうかという問題も。 *(この気付きは、自分の猛烈にわきあがる、蛇のように執念深い「否定的感情」を歯   を食い縛って押さえよう、と決心した時に来た。心の潜在的な自分の敵に気付いた   後の「気付き」だったけれど、これとそれに相関関係あるかどうかは知らない。)  僕にとって、「愛する」という問題は大変身近な行為であるので、  そのことに気付いただけで、今までの「会話できないよー」という技術的な悩みは  小さなことに見えてきて、問題でなくなった。  物事を肯定的みる、というか、可能性を信じる、ことをして、  心にゆとりを持っていれば、いつか活路は開けるものなんだなぁと実感した。   そして、特に現在、特別な「悩み」は無くなったので、 プライベートな時間を見つけて、やりたいことやればいいだけの話だ。 プライベートな自分のやりたいことってのは、心が安定しているからこそ、 ゆうゆうと出来るもんなんだろう、なんて思った。マイペースって自分の時間なんだ。 01885/01889 JBH01750 著美 おしあわせそうで、なにより(^_^) ( 7) 94/01/12 02:54 01883へのコメント  >SONICどん、おひさ!!  新年早々、SONICどんの愉しそうなお顔を拝顔できるとは…(^_^)  それにしても…、あまりハシャギすぎると、8番会議室のこあーいオヂさんの ところに連れて行っちゃうからね(笑) 01884/01889 HGE03563 SONIC RE:今・・現在・・ ( 7) 94/01/12 02:52 01846へのコメント しまうまさんへ。 いつもRESどうも有り難う。 >:同じ人というのはありえないので、似ている人を探します。 >:結果がどうあれとりあえずやります。 > > そっかそっかぁ・・・。そう決心しているのなら、ぜひやってみるとよいですね。結 >果も知らせてもらえればなぁと思います。 結果報告します。 すいません、しまうまさん。 僕の心は変わりやすいんです。 物事を否定的に見るのをやめよう、と、決心して、そのようにして生活してくうちに、 周りの人にけっこう自分に似たところがあることを発見しました。 そして、目的が同じ人もいます。いたのだけれど、その人を見ようとはしなかった。 そのような成り行きで、「やる」という積極的意志は無くなりました。 今は巡り合わせに任せるようにしています。しかしチャンスは逃しません。 期をとらえて積極的に行動すればいいものだ、思うようになりました。 「とりあえず進んでみて、自分の心の意にそわないものは見つめ直す必要がある」 と、いうような言葉を記憶していますが、早い話、心替わりです。 > それはたぶん、「友達」ほど濃厚な人間関係が周りにないからでは? 近づけば > 近づくほど、アラが見えてきたり意見の衝突があったりすると思いますよぉ。 ・・そうですか。そうかもしれないです。 ・・ではしまうまさんに質問していいですか? しまうまさんは、どういう状況で他人のアラに感じ衝突するんですか? >#1857 > 自分は友達がほしいのか、ホントは一人でいたいのか・・・。とことん突き詰めて、 >結論が出るまで感じ、考えてみてはどうでしょうか。 今、その二つの欲求が消えたのに、 その問いには今も明確に答えられません。 今、お互い求め合う者が現実に居るのだ、という確信があり、寂しさを感じません。 それで、今僕は自分一人だけの時間を楽しく持っています。 それでもその問いに答えられないのは何故か?自分でも分かりません。 01886/01889 HGE03563 SONIC RE:今・・現在・・ ( 7) 94/01/12 03:21 01859へのコメント Szpさんへ えーと、 上の書き込みで、悩みは消えたよー、という報告はしましたし、 実際悩んではいませんが、 果たしてこれでよいのかどうか?の判断は神ノミゾシル・・一抹の不安は残らないでも ないけれど、不安しても仕方無いからしないです。 今回はSzpさんの御指摘どおり、自分はちと ネガティブに物事を見がちだったということで反省しています。 自分自身に宿題ですか?うーむ。今まで何度自分自身に宿題出しては破ってきたことか ・・・(^_^;)。「宿題」っていうのは、小心者の僕にはちと厳しすぎるので、 「キッカケ」を掴んだ時に、「エイ!」とチョットの勇気をふりしぼる、という方針で 今はいっています。 どうやっても、体が「できない」場合は、頭はやりたいと考えていても、 心は「やりたくない」のかな?たぶん・・と判断するようにしました。(逃げか?) これは自分の現在の方針です。変わるかもしれないけど。今はこれがいいと思う。 小心者は受ける傷も少なくてすむけど、逃がす可能性も・・多いのかなぁ? ・・ていわれるかもしれない・・耳の痛い言葉です・・。 01887/01889 HGC02325 ガッチャ RE:WHAT DO YOU IT? ( 7) 94/01/12 05:23 01869へのコメント  #01869 たまご さん     RTの事は知らないけど気の向くままにRESしてしまったりするのだった。    | 努力した分以上の幸せは得られないっていうか。  | でも、努力してもすぐに効果が出るとも限らないし。     どうなんだろう?実際は「自分が望んだ物以外にはならない」という事だと思  う。   「何に成りたいの?」「どうしたいの?」という事が解っていないと、何にも  成らないのではないかと思うだす。つまり、やみくもに「こうするのが良い、好  き、前向き」と思って行動していても、疲れるだけという事だすね。                              HGC02325 ガッチャ 01888/01889 HGC02325 ガッチャ RE:啓示 ( 7) 94/01/12 05:23 01872へのコメント  #01872 TAO さん    過去に何をしてきていても、消滅する事は無い。  それは悪魔でさえも。  それが愛されている証ではないかと思います。  気が付く事は簡単ではないのでしょう。  恐怖は目に見えない物。愛も目に見えない物かもしれません。  感じるのは自分だけですから、開放するのも束縛するのも自分ですね。                              HGC02325 ガッチャ 01889/01889 VFD02105 メルク ありがとぉ〜>>すまる ( 7) 94/01/12 14:27 01878へのコメント  けっこう偉そうな書き方をしたので、  正直言って、ちょっと不安でした。  だから「ありがとう」の一言がとても嬉しかったです。  さて。 ・最低?  私は、すまるさんの事を最低と思ったことはないし、  軽蔑したこともないですけどねぇ。(^_^;)  すまるさんが今現在やってる最低の事って、いったいなんだろう・・・(?_?) ・愛したい?  「愛したい」という思いは、意識の中に矛盾を作り出します。  矛盾は、壁と言い替えてもいいでしょう。  意識の表層で「愛したい」を繰り返すと、  潜在意識の中では「愛していない」が増幅され、  それが壁になるのです。  だから、壁を越えようとすればするほど、壁は大きく厚くなっていく、  ということになります。 ・壁?  壁って、どうしてあるんでしょうか?  私は、すまるさんの心がそれを作り出しているんじゃないかと思う。  つまり、ある精神状態のことを、壁がある状態と感じるわけですね。  ならば、精神状態を少し切り替えれば、少し楽になるんじゃないかなぁ。  それから私は、簡単に実現できるとは、特に言ってないですよ。  簡単か難しいかというのは、相対的な主観であって、  あまり気にしなくてもいいような気がする。   >>だって、神様の愛なのだもの。私はただの普通の女だしね。  これがイカンよ、これが。  せっかく努力するんだもの。こういう事は言いっこなしにしましょうよ。  すまるさんの書き込みから、私はヒロイズム(って言うのかな? ^^;)  のようなものを感じたよ。  平凡な主人公が非凡なものに挑むというところに、  ロマンがあったりして、  それはやる気でもあるわけだけど、  同時に「差」を生み出すことでもあるんだよ。  まあ、お互い頑張りましょうってとこですかね。ナンチテ (^_^;)  では、また。                           メ ル ク - FARION MES( 8):★シゲの【恋愛玉手箱】爆走編--------<01> 94/01/12 - 00120/00120 SDI00635 みれ RE:「ろんな柵(しがらみ)があるのよ ( 8) 94/01/12 02:54 00118へのコメント  #00118 シゲ   あ、また…そんなこと言ってるのかぁ(^"^;)   あほくさいこと言うてんと、シッカリ爆走しんしゃい。   霊主体従やんかぁ!…ヤヤ、イミフメ…(笑)   つーて、あたしもイマイチ気力が出ない状態ではあるん だけど、きっと、もうじきウマク行くような気がしてるんよ。 気力も体力も充実した暁には、見てろよぉお>自分    ・:*:・みれ・:・。,★ - FARION MES(10):★Dr.Sooの《夢酔い人の部屋》--------<01> 94/01/12 - 00319/00319 GGD02212 Soo 何だこの夢は?(^_^; (10) 94/01/11 22:03  1/10朝の夢。アメリカ映画を見るよう(ワイドでセピア調カラー)であった。  主人公の少年は小学生。学校の成績はあまり良くないらしいがラジオの部品を いじったりするのが好きで、夏休みに電気屋でアルバイトさせてもらっている。  主人公が弟のように可愛がっている幼児がいて、男の子だが名をエレンと言い、 古い大きなアパートの上の方の階の一室に何故か一人で住んでいる。  突然アパートに落雷があり、続いてエレンの部屋に天から大量の水が鉄砲水の ように落ちて来て中の物が全てレンガ敷きの路上に流し出されてしまう。 私の 意識は既に少年と同化し、幼児の名を叫びながら現場に駈け寄る。幼児は何故か ゴキブリの子供?に変身してしまっている!私は絶叫する。"Elle〜n !" Soo. - FARION MES(11):★アキラの《平井和正*異界漂流》----<01> 94/01/12 - 167/169 NCD01751 しろおか RE:大槻教授の態度について (11) 94/01/12 04:41 165へのコメント コメント数:1 大槻義彦さんはとても不真面目な人ですよ(^_^;)、そして、世の中を余りにもなめす ぎています。『超心理学』にせよ『ユング派心理学』にせよ『心霊学』にせよ、その道 にはれっきとした専門家の人たちが存在するのです。そういった人たちの論文とを比較 してみるとその余りの不真面目さ狡賢さに呆れ果ててしまいます。 ユングやラインといった人たちは、「霊魂」や「神」といった対象が客観的に存在する のか?といった問題には否定もしなければ肯定もしないといった事実上のモラトリアム 宣言をしています。それは科学的(知的)概念では充分な説明をすることが不可能だから です。科学者というものは、知的概念の限界というものを熟知していなければなりませ ん。ましてや、その論理が純粋な理論に属するものか、単なる現象的な分類に属するも のなのか、十二分に認知しその事実を明記しなければなりません。 例えば、日本の社会には「企業の耐用年数(寿命)は25年」といった恐ろしいジンクス があり、統計的にも確認されていたりします。まるで運に見放されたように悪い事が纏 まって次々と押し寄せて来る様で、なにか人知を越えた不可思議な力か法則でも働いて いるかの様です。時として、その不可思議な"力か法則の様なもの"は企業主の生命を奪 うという形で現れることもあります。そういった社会的現象に対しては、科学的(因果 法則)概念では説明されません。科学的根拠が無いからといって、その様な社会的現象 を否定することはできません、し、するべきでもありません。何故なら、そういった問 題には"企業主の生存権"にも抵触する問題が含まれているからです、人の生死に関わる 問題を安易な考えで扱うべきではありません。 169/169 GGD02212 Soo O教授の芸風は… (11) 94/01/12 16:06 167へのコメント  「私が知りたいのはその科学的根拠だ!」とか言って、スパゲティか何かの CMに出ていたのには笑わせてもらった。いくらギャラを貰ったか知らないが、 コギート,オルガスムじゃなかった、われ懐疑(思惟)す故に我あり…的なスタンスが 売り物のO教授自ら、自身のキャラクターのパロディと知りつつ演じていた。  超能力者・霊能者vs科学者・唯物論者という一般大衆に解りやすい構図は、 視聴者を満足させる為には不真面目な演出も厭わぬTV番組の制作側の設定で、 その中に組み込まれていると知りつつ憎まれ役(悪役レスラーみたいなもの) を引き受けたO教授の態度は多分に演出されたもので、一面的なイメージしか 表に出て来ないのは当然、と私は見ていますが…。  冷めた見方をすると、世間の無理解に対する憤りを特定の個人にぶつけたり マスコミへの不信にスリ代えたりしてもつまらないし…。(これは独り言です)  まあTVとかは娯楽であって大衆の関心をひく(受ける)内容でないと成り 立たない(スポンサーが付かない)訳ですから、タモリ氏が冗談半分に言った 「つまらない真実より楽しいウソ」を提供するものだと思って、気に入らない なら見なきゃ良い。TVなんぞリモコンを猫が踏んでもチャンネルが変わって しまうもんで、その程度の軽さの情報しか出て来ないと思えば腹も立たない。Soo. 168/169 NCD01751 しろおか RE:『GS美神』と言うと… (11) 94/01/12 04:42 166へのコメント ど〜も Sooさん、おひさ!!(^_^) 同じ漫画家の山本鈴美香さんの影響も多分に受けているようです。山本鈴美香さんとい う人物は、漫画界ではもはや伝説化されているようです ^^。 「金髪のモンゴロイド、お蝶夫人」、「宗方コ−チ」、「微笑むと前歯から閃光を発す る藤堂さん」、数ある個性的なキャラクタ−の中でも、やはり一番の傑作したキャラク タ−は他ならぬ作者本人でありましょう!!(^ ^)。ところで、月刊誌『ム−』の目次 から「山本鈴美香の新御神託メッセ−ジ」の連載が消えてしまいました(; ;)、ど〜 したんだろう?。毎回、楽しみにしていたのに!。人間、徹頭徹尾あそこまで奇矯化す ると嫌悪感を通り越して寧ろ清清しささえ感じます。中途半端はいけません。 PS:『おキヌちゃんフィギィア・キット』が欲しいよ〜っ!!(^ ^;) - FARION MES(12):★SUBUDHの《アジア・チャンプル》----<01> 94/01/12 - 00121/00121 NBH03111 AVIDYA RE:はじめまして (12) 94/01/11 22:55 00120へのコメント SUBUDHさん,どうもありがとうございます. SUBUDHさんは伝承者なのですね. 羨ましい.                     Sang   Sang                            Bang              Ang    Bang   Tang        Ang                 Ang   Om −     − Ung  − Tang − Ing        Ah                  Nang              Mang   Ang    Mang                            Sing                     Ing    Wang                            Yang  という,展開のしかたは益々,サーンキャににています.より似ているのはあたり まえですが,ヒンドゥー・タントラですね.  艪烽チと丸っぽい。そうそう、日本の密教でみられる梵字みたいです。  というのは paleography でいうシッダマートリカーとかなのでしょうか.  「サンヒャン・シヴァ・グリグー」や, その他文献案内をしていただけると嬉しい のですが, だめでしょうか. avidya 拝 - FARION MES(13):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<03> 94/01/12 - 00955/00960 JCF00616 YUI 宇宙子科学と神秘学 (13) 94/01/11 21:54 00954へのコメント コメント数:1  KAZEさん、こんにちは。 >ううむ、やはり視点は神秘学と同じであるように思われますねえ。  確かに、基本的な導入部分の視点は神秘学に近いものがありますね。  でも、物事の現象をとらえる上でのつっこみ方の度合いが違います。  例えば、シュタイナーなどの人智学や神智学などでは生体をエーテ  ル体、アストラル体、などの抽象的概念にとりあえず分けて、その  機能からの分析の結果として、神秘学を構築していますよね?  宇宙子科学の場合、シュタイナーが予言したような未来の「機械」  を説明すべく、原子の根本的イメージ(認識上)である”宇宙子”  に代表される宇宙子から原子までの段階を認識し、そこからエーテ  ル体、アストラル体、などを描写します(これはあくまでもぼくの  推測です。理由については後述しますが、あとでお電話をおかけし  て実際にそのところを確かめてみるつもりです。また、先生はシュ  タイナーをはじめ、神秘学についてもご存じですから(人智学など)  、その辺の関係も説明していただけると思います。先生は対談の最  後に、「いつでも力になるからね」とおっしゃってくれました。)。 >「対象性原理」というのは、「照応」ということでもあるのでしょうか。  そうですね。そんな感じかもしれません。詳しくはまた聞いてこよ  うと思っていますが、この会議室のログはお見せしても構いません  よね?できるだけ、ご協力をお願いします。 >カズタマなんかの考え方なんかもかなり近いような感じもします。  私が「カズタマってご存じですか?」とお聞きしたところ、先生は、  「それがなにかは知らないけれど、宇宙子科学ではね、数を意味に置  き換えて読むんだよ。」と教えてくださいました。詳しいところまで  は分かりませんが、その辺も聞いてみようと思います。 >結局、多次元的な逆接的射影そのものが現象化するという視点なのでしょう。 >(ちょっと、むずかしい言い方になってしまったかな?)  この部分は、つまり「多次元の現象」を具体化してこの3次元の世界  に「降ろす」ことは宇宙子科学の職員でも困難な作業であるみたいで  す。それについては前にも紹介した、『幸せになる秘訣』にもそれに  関する記述がありました。私も、中学1年生くらいの時に4次元の立  方体を想像するという努力をしてみましたが、かなりの時間を要しま  した。それに、そのイメージっていうのはもろくもすぐに消えてしま  うんですよね。イメージを持続させて次元を転換させるというのは難  しいことなのだなあ、と感じましたっけ。 >結局、多次元宇宙としてこの時空をとらえながら、 >その「観測」の「視点」についての明確なあり方を >ちゃんともっているというのが宇宙子科学なんでしょうね。  先生は東理論に興味を示されていましたけど、特にメビウス環につい  てでした。「面白いんだよ」とかおっしゃっていたのを思い出します。  「観測の視点」の問題は多次元の要素、つまり宇宙子科学で言う、   「宇宙の法則」を捉える上で必要不可欠の「道具」ですから、その点  ではかなり発達した技術が要求されそうです。 >宇宙子科学は、カルマ論的などをちゃんとふまえた >しっかりした人間学がセットされてないとやはり危険なのだと思います。  カルマ論に関して言えば、宇宙子科学では「宇宙の法則」の一部として  扱うようです。というのも、今日買ってきた『[超真相]宇宙人!』  (深野一幸著、徳間書店)に興味深い記述があります。ちなみに、この  本、読んで損はしないと思います。神秘学と宇宙子科学の接点を見つけ  たようで思わず買ってしまいました。  ついでに、物理学の総合的な歴史を押さえるために、『アインシュタイ  ンの世界』(平井正則監修、PHP研究所)も買ってきました。物理学  のことについてもちょっとつっこんでみたいですね。 >つまり、経済における(友)愛、精神における自由、法における平等です。  うーん、これについてはちょっと疑問があるんです。その疑問を提示す  る前にシュタイナーの「社会有機体三分節」について説明してください  ませんか?とくに、「経済における」と「法における」という箇所なん  ですが。それぞれ(友)愛、平等という言葉に対して意味上、どのよう  な制限をするのかが知りたいのです。  宇宙子科学については実際に面会してからでないとお話しできそうにな  い部分というのが多々あります。  というのも、それだけの判断力と勇気が備わっていないからなのですが、  これだけは時間が過ぎるのを待つしかありません。  また、様々な問題が絡み合ってきますから、ある一つの話題に対しての  リプライというわけにもいかないと言うのが現状です。こういうのって、  一つの統一された事柄なのに、分裂してレスをつけなければならない。  何にせよ、こちらで整理ができるまで待っていただきたいとも、思うの  でした。また、情報が入り次第、報告したいと思います。 YUI 00959/00960 GGA02514 KAZE 社会有機体三分節化など (13) 94/01/12 10:55 00955へのコメント YUIさん、どうも。 >宇宙子科学の場合、シュタイナーが予言したような未来の「機械」 >を説明すべく、原子の根本的イメージ(認識上)である”宇宙子” >に代表される宇宙子から原子までの段階を認識し、そこからエーテ >ル体、アストラル体、などを描写します。 そこらへんのことも、その描写の仕方は違うかもしれませんが、 特に神智学などではけっこう詳しく描写されているようです。 たとえば、日本語に訳されたものでは神智学のダイジェストともいえる 「神智学大要1エーテル体」(たま出版)には、原子となるまでの様子が 次のように描かれています(P35〜36)。 ・・・太陽と惑星群とが未来において生ずべき宇宙空間のこの茫漠たる 圏内には、その原初は、今日の太陽系にある可視および不可視の質料の 類のものは何もなかった。あるのはただムーラプラクリティすなわち [根本質料]すなわちまたかつて科学が想定したエーテルがあるのみであ る。神智学ではこの原初のエーテル(すなわち質料の否定)をコイロン (原意は「空」)という。(KAZE注/このエーテルは、エーテル体の エーテルという意味ではないようですのでご注意)  このコイロンの中に宇宙神はご自分のエネルギーを注ぎ、コイロンの 中の無数の点でコイロンを後ろに押さえつけられたのである。  しかたがってコイロンのない所に各「泡」すなわち光の点が存在する。 故に実際は一つ一つの泡は宇宙神の第三の側面の意識の一点である。一 つ一つの泡は包み込もうとするコイロンを宇宙神が後ろに押しつけてい る間だけ存続する。  次に太陽神は第三側面として働き、これらの泡を螺旋状にし、おのお の一コの螺旋に七コの泡をつける。これらの泡は太陽神の意志によって その状態を保つ。これを「第一次の螺旋」という。太陽神はこれらの第 一次螺旋の繋がり全体を、さらに大きな螺旋にし、こうして七つの螺旋 を一コの第二次螺旋にする。次にまたこれらの第二次螺旋の繋がり全体 を、前と同じように捻って第三次螺旋にする。こうして次々とより複雑 ・精妙な螺旋を造り進んで「第六次螺旋」に至る。  第六次の螺旋の繋がりより成る十の平行した撚りが更に図表9(陽性 物質原子の図表あり/KAZE注)のように捻られて、ついにわれわれの 物質の一基本単位(原子)と成る。・・・ ちょっとイメージしがたいかもしれませんが、 その他の箇所についてもかなり詳細な描写がありますので、 機会があれば一度参照されるといいと思います。 >先生はシュタイナーをはじめ、神秘学についてもご存じですから(人智学 >など)、その辺の関係も説明していただけると思います。 それは心強いですね。 おそらくその宇宙子科学というのは、内容的には 古代の叡智の再現ということもいえるのだろうと思いますが、 古代的なそれと現代におけるそれとの根本的な相違についても とらえられているはずだと思います。 つまり、古代におけるそれは「叡智」そのものだったのに対し、 現代においては、それが「愛」によって貫かれる必要があるということです。 いってみれば「質」が異なっているともいえるでしょうか。 先日、シュタイナーの「バガヴァット・ギータとパウロ書簡」(未訳)という 講演集を参照していましたら、古代インドのサーンキヤ哲学などを背景にした クリシュナの叡智というのが相当な高みにあったことが述べられていました。 そうした叡智というのは、古代にすでにちゃんと存在していたのですが、 その後、それが人類から失われる必要があったのです。 そして、それが今また「愛」に貫かれながら再創造されなければなりません。 ですから、単なる叡智としての宇宙子科学ではなく、 愛に貫かれた叡智としての宇宙子科学のスタンスについて、 ぜひお聞きしたいところです。 >「それがなにかは知らないけれど、宇宙子科学ではね、数を意味に置 >き換えて読むんだよ。」と教えてくださいました。 それでしたらなおのこと、カズタマについて紹介された方がいいでしょうね。 できれば、FFORTUNEのDLにある、カズタマ教科書やミラクル論などを ご紹介されてはどうでしょうか。 >カルマ論に関して言えば、宇宙子科学では「宇宙の法則」の一部として >扱うようです。というのも、今日買ってきた『[超真相]宇宙人!』 >(深野一幸著、徳間書店)に興味深い記述があります。 深野さんの著書は一応全部買って読んでいます(^^)。 フリーエネルギーに関するものも、なかなか興味深いですよね。 確かにカルマ論は「宇宙の法則」そのものというのが正しいと思います。 それは、単純にいえば「与えたものが返ってくる」ということが 多次元的な仕方で特定の仕方で現象化するということですよね。 >物理学のことについてもちょっとつっこんでみたいですね。 そうですね、僕もそんなに詳しくないですから、 東理論をちゃんと理解するためにも、ちゃんと勉強したいと思っています。 それと、これはやっと最近になって少しだけ理解できるようになったのですが FARIONのMES20の「有機体ノウスの宇宙論」が、 現状の認識を打破した叡智を理論化していてスゴイと思います。 ただ、ちょっと気になるのが「愛」に貫かれているかどうか、ですが^^;。 >シュタイナーの「社会有機体三分節」について説明してください >ませんか?とくに、「経済における」と「法における」という箇所なん >ですが。それぞれ(友)愛、平等という言葉に対して意味上、どのよう >な制限をするのかが知りたいのです。 えっと、僕もちゃんと理解しているかどうかは疑問ですが^^;、 それについて理解するには、邦訳の「社会の未来」(イザラ書房)、 「現代と社会を生きるのに必要な社会問題の核心」(イザラ書房)を通じて シュタイナーが第一次大戦中から戦争直後、あのドイツの状況のなかで 何を提唱しようとしたかを理解する必要があると思いますし、 そのあり方が決して教条的なものでもスタティックなものでもないことも 理解する必要があると思います。 また、シュタイナーは上記の「社会問題の核心」のまえがきで、 人生の観察の中から本書の諸理念は闘い取られた。人生の観察を通して 本書を読みとっていただきたい。 と述べているように、 あくまでも生活実践を通して社会生活の歩むべき道を語っているわけです。 ま、それはそれとして、とにかく、一応説明してみることにします。 シュタイナーは、社会有機体を健全に機能させるためには、 三分節化された各部分を合法則的に形成しなければならないといいます。 まず、そのひとつが経済生活で、その組織は、 人間が外界との物質的関係を規制するのに必要なすべてに関わります。 また、法、政治生活における組織というのは、 人間と人間との関係のために社会有機体の中で必要とされるすべてに関わり、 精神生活における組織というのは、 個々の人間個性から生じたものが社会有機体の中へ組み込まれるのに 必要とされるすべてに関わるものです。 そして、その三つの有機体がそれぞれ独立しながら、その上で、 それらが有機的に結びつきあわなければならないというのです。 シュタイナーがこういう考え方を提唱したのは、 人間の有機体の研究を通じて、人体の中に、 精神活動に関わる頭脳=神経系、物質活動に関わる代謝=運動系、 そして両者の働きを相互に調和的に結びつける呼吸=循環系という 三分節化された働きを見いだし、それぞれの組織に それぞれ思考、意志、感情という三つの魂の目標があるということを 認めるようになったことからきているようで、 社会有機体も、精神活動に関わる精神生活、物質活動に関わる経済生活、 そしてその両者を相互に調和的に結びつける国家=法生活をもち、 その三つの生活形式に、それぞれ自由、友愛、平等という目標が与えられる、 ということなのです。 経済生活における連合作業は連合体から生じる友愛に基づく必要があり、 法においては人と人との人間関係が問題となるから、 そこには平等の理念の実現が目指されなければなりませんし、 精神の領域においては、自由の衝動が実現されなければならないというのです。 で、問題は、三つの社会分野は、それぞれ固有の原理をもっていて それぞれの原理が独立して働く必要があるということです。 たとえば、精神や経済について平等であることが求められるといった、 悪平等につながるような原理を無差別に適用すべきではないということです。 そう考えてみた上で、それぞれの原理を考えてみてくだされば、 もちろんそれがベストではないとしても、有効な原理であることが 理解されるでしょうし、それぞれが独立して働いた上で、 それが共同して働き合う統一性のダイナミズムについて、 イメージすることができるのではないでしょうか。 もちろん、最初にも言いましたように、それがベストとは限りませんし、 現実問題からいって、それが成立する基本条件として、 最低限、その社会の構成員の最低限の自覚というものがなければなりません。 で、その自覚がないから、そうした社会構造が困難ななわけです^^;。 ただ、社会を有機的に機能させるある種のモデルとして それを検討してみるというのは、それなりに意味のあることだと思うのです。 最後に、特に精神生活についてのシュタイナーの考え方を、 「社会問題の核心」から少し参考までに紹介しておきましょう。  われわれの公共生活の混乱は、精神生活が国家と経済とに依存しているこ とによる。このことを明示するという、今日あまり歓迎されない課題を、本 書は引き受けなければならない。そしてこの依存から精神生活を解放するこ とが極めて緊急な社会問題の一部分を構成していることも明示しなければな らない。 ・・・国家制度の内部で精神生活は自由を獲得するようになったが、完全な 自己管理が許されなければ、これからの精神生活はこの自由の中で、正しく 生きることができない。  栄進生活はその本質上、社会有機体の中で、完全に独立した分野として形 成されることを求めている。・・・  もちろん精神生活のこの自己管理がすべてうまくいくわけはない。しかし 現実生活においては、完全であることを要求する必要はまったくないのだ。 可能な限りで最善を尽くす、ということだけが求められうる。必要な判断を 精神的な根拠から下せる人だけが、子どものなかで成長する諸能力を社会の ために本当に役立つものにまで育成することができる。子どもを特定の方向 にどこまで導いていくのかを判断することは、自由な精神共同体の中でのみ 可能である。そしてそのような判断を正しく下すのも、そのような共同体が 基準にならなければ不可能である。国家生活、経済生活は自分の立場から精 神生活を形成するときには獲得できなかった力を、その精神共同体から受け 取ることができる。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 00956/00960 PXH01650 英雄 経過報告1.11 (13) 94/01/12 00:16 チャ―リ―・ゴ―ドンみたいだね(^^;) YUI さん、 改めて、あけましておめでとうございます。 本年もよろしくお願いいたしますm(_)m KAZEさん、こんにちは! さてさて、新年早々、怒涛の長文発言の嵐じゃあ!! おまけに調子に乗って、2日連チャンの狂乱RTに参加したもんで もうへろへろ...(*_*;) またまた、RESがまにあわにゃいよ〜(^^;) KAZEさんからもYUI さんからも、いっぱい課題をもらっちゃったんで、 ここは一つ一つ、じっくりと研究してみましょう(^^) つうわけで、研究内容の発言と区別してアップしますんで、 まとめRESになるのをお許し下さいね(^^) 研究テ―マ1:カルマの認識 研究テ―マ2:科学芸術への道 とまあ、便宜上タイトルを付けて、シリ―ズでアップしまあす。 (MES 14みたい(^^;)) ◎じゃあまずは、YUIさんから... >私の(削除された)発言をご覧になって苦笑されました(#944) わたしも読んでみたいなあ、その(削除された)発言(^^;) よっぽど過激だったのかしらん。 >まさに、我々人間が地球を支えていかねばならない.... >こんなちっぽけな子供でさえもそう感じざるを得ません >囚われのない思考を持って、何事にも前向きに、積極的に取り組んで (#948) すばらしいですね!地球の未来はYUI さんのような若者の肩に かかっています。もう”子供”じゃあないですね(^^) >批判される可能性が高いというのは宗教として..(#947) キリスト教もそうでしたよね。K福の科学もそうでした。 現代は、宗教がやり玉に挙げられる時代のような気がします。 >「認識者」(#947) (^^) 何かファンタジ―小説によく出る「代弁者」とか「審判者」 みたい。つうよりも「探究者」ですね、わたしは。 >読者側から見ればもうちょっと説明がほしい(#948) この点が、宗教と科学の違いかもしれません。宗教は、理詰めで 追っていてもかわされる部分がありますよね。まあ、理屈がまっ すぐ通れば、それこそ「宗教=科学」でしょう。 >なにか、大きな精神波動が動きつつある気がしてなりません KAZEさんも、そうおっしゃってましたよ。楽しみですね(^_^) ◆そして、KAZE賛江... >それを「破壊」と見るのではなく「創造」と見ること(#946) そうですね。巷の予言の多くは「破壊」と見ているんですね。 >これからの技術や思想というのは.... >ある種統合されたビジョンであることがめられている(#946) シュタイナ―の神秘学は、そういった土台ともいえる、と 思います。視点というか、観点というか。 で、科学に対する試みを、科学芸術への道として探求して みようと思っています。 >毎日1〜2冊程度の読書(#946) すごいですねえ。わたしなんか、未読を読むのに手一杯(^^;) YUI さんくらいの時は、1日3、4冊は平気だってんですけ どねえ。まだ色彩の秘密が終わっていない、というロ―ペ― スです。で、今は浮気して「ツイスタ―理論」を勉強してます。 RT続きで疲労気味:英雄: 00957/00960 PXH01650 英雄 科学芸術への道(1) 数量と数質 (13) 94/01/12 00:18 コメント数:1 けえかほうこく1.11で予告しました通り、YUI さんとKAZEさんの 発言を基に、研究した結果をアップさせていただきます。 ☆本日のテ―マ☆(^_^) >数に”質”という道具を用いる(#944 YUI) ふむむ、なるほど。わたしの直観が裏付けられたようですね。 常々、数には量と質があると感じていました。 これを、便宜的に、”数量”と”数質”と名付けてみました。 ”数”を、その数が導きだされたプロセスをも含めてとらえる ということになりましょうか。 (2×3=)6 ≠ 6(=2+2+2) 数量としては等しいが、数質としては異なるものだ、 ということですね。 (計算結果が数量、計算過程が数質かな) これはよくよく考えるに、数を立体的に動的に直覚する事に なりますね。”1”といったとき、過去も未来も、”現在” に同時に存在するイメ―ジ。ああ、「数霊」を覚知する、っ ていうことかしら? この考え方は、たしかに、人生においても同じような気が します。例えば.... 2人のセ―ルスマンが、車を10台売りました。 1人は、ずいぶんアンフェアなやり方で売りました。 1人は、誠実に、お客様に喜ばれて売りました。 この場合の”10”台は、同じものですか? あるいは、YUI さんが示した試験問題やKAZEさんの病気治療 においても... こうすると、数学が人間学を記述するのにふさわしいものに 進化したように感じます。 また、”数”がダイナミックに(「生き生きと」)躍動する イメ―ジも感じられます。これは、”プロセス”という時間 軸(?)を加えたからなのでしょうか。 1には始原と統合の響きを、4には調和・均衡、7には完成 と次のレベルへの予感、をそれぞれ有する、などという表現 ができそうです。数と図形により、宇宙を記述するのですね、 きっと。 これが原理とすれば、例えば原子(元素)についても適用 できるのではないかと考えました。つまり: 原子は無個性ではない。その生成化合の過程により、 様々な個性を持った水素原子というものをみること ができる といえそうです。 (H+H+O=)H ≠ H(=H+CL) 水 塩酸 医学的な応用を考えると、水から作られた水素と、塩酸から作られた 水素は、人体に対してそれぞれ異なった作用を及ぼす、と考えられそ うです。人体内部についても同様かもしれません。薬効の個人差も、 この観点から説明できるかもしれませんね。 音楽でも似たような例があります。 ラ♯(As) ≠ シ♭(B) 楽譜上、あるいはピアノ鍵盤上では”同じ”音とみなされていますが、 音の下降(♭)と上昇(♯)とでは違う、ということです。 アラビア音階などでは、明瞭です。 今度は逆に: 「1つの銀河」と「1つの素粒子」の”1”は、 まったく異なった数質を有しているのだ ということになりますが、しかし、この極大と極小は、 ”1”という数量では同じものである、といえませんか。 書きながらフト思いついたのですけれども、 科学は”量”を追及するものである 芸術は”質”を追及するものである 夕焼けの赤さを科学的に説明されても、感情的には納得できない 理由がここにあるように感じました。そういう意味で、数質と数 量の概念は、科学と芸術の融合を実現するように思えます。 (ナンカ、ウマクハマリスギテマスナア) ..つうわけで、怒涛の次回「部分=全体=∞」に続く(カナ?)(^^;) P.S 部分=全体を考える時、一部を見てそれがすべてとみなす事とは 異なる、という事にご留意下さい。 1∞英雄∞7 00960/00960 GGA02514 KAZE RE:科学芸術への道(1) 数量と数質 (13) 94/01/12 13:07 00957へのコメント 英雄さん、どうも。 >常々、数には量と質があると感じていました。 >これを、便宜的に、”数量”と”数質”と名付けてみました。 >”数”を、その数が導きだされたプロセスをも含めてとらえる >ということになりましょうか。 この「量」と「質」に関連して、ちょいと思ったのは、 「知行合一」ということです。 たとえば、「観測者の視点」とかいうことを持ち出して理論化したとしても 自分の行いが「観測の視点」を固定化・絶対化していたのではダメなのです。 そういう意味では、行為においては、 量と質が等価でなければならないということかもしれません。 認識即行為であるようなあり方が求められるということです。 「嘘をつく」というのが神秘学的にみれば自分を焼くほどの行為に 他ならないように、行為と乖離した認識はそこになんらかの 明確な差異が存在しているはずだということです。 ちょっと説明しづらいのですが、そういう意味では、 数の質と量というのも等価であるような記述が必要な気がします。 >数学が人間学を記述するのにふさわしいものに進化 するということはそういうことだと思うのです。 >これは、”プロセス”という時間軸(?)を加えたからなのでしょうか。 ううむ、どうなんでしょう。 それだけではないような感じもしますねぇ。 (勉強不足でそこらへんのことがうまく表現できません^^;)。 思いつくままにいってみると、表現するものと表現されるもの、 そしてそれを結びつける認識と行為というあたりの記述ということでしょうか。 それが幾何学図形のように表現可能になるということかな? それとも、意識という幾何学図形で象徴される記述が、 表現するものと表現されるものとの間にダイナミックに働く関数ということか? そのうちそこらあたりのことが直観できるようになればいいのですが・・・。 >原子は無個性ではない。その生成化合の過程により、 >様トヘ々な個性を持った水素原子というものをみることができる 原子というのは「場」の違いで明確に「質」が変わってきます。 原子という振動のカタチが、場との間で取り交わされる 振動の位相の違いということなのかなあ、なんて考えたりもします。 医学や音楽でも、同じ成分や同じ音とみなされているものでも、 その働きの場での振動のプロセスということを考えれば、 「同じ」でも「同じでない」ということになるのは明かです。 たぶん「時間」というのも「同じ」であって「同じでない」というのは 同じようなことがいえるのかもしれません。 >科学は”量”を追及するものである >芸術は”質”を追及するものである > 夕焼けの赤さを科学的に説明されても、感情的には納得できない >理由がここにあるように感じました。そういう意味で、数質と数 >量の概念は、科学と芸術の融合を実現するように思えます。 「夕焼けが赤い」ということは、その理由を知るということと それを見て感動するということと、それを見て行動するということ それらがイコール「夕焼けが赤い」ということでなければならない ということだと思います。 つまり、「私が夕焼けを見る」ということは、 「私」対「夕焼け」であるとともに、「私」即「夕焼け」であり、 その矛盾が同一であることが求められていることではないでしょうか。 「夕焼けの赤さ」を記述できるような「数」は、 まさにそれが「私」でもあるようなものでなければならないということです。 もちろん、その「私」は対「世界」でありかつ矛盾的に即「世界」でもあり、 そのときに、科学も芸術も、もちろん宗教も、 切り離しては表現できないものとなるはずです。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 00958/00960 GCC01413 HVHY 単なる感想ですが…。 (13) 94/01/12 05:38  *「宇宙子ナントカ」についての感想  まず、「実無限」「仮無限」というネーミングは、  KAZEさん同様に、ナルホドと思いました。  しかし、「実無限」で提示された概念は、殊更に新しいわけではありません。  中学で習う「無理数」にも、既にそういう概念が出てきます。  そして、本格的には「実数論」という分野があります。  「実数論」の本質が「選択公理」に等しいことは知られていますが、  大概の数学の体系は、この「選択公理」を前提としています。  逆に言えば、「選択公理」を外すと、有意義な数学はほとんど得られません。  この辺りの話は、ゲーデルの不完全性定理に繋がって行きます。  ところで、「実無限」の概念の最も解りやすい例の一つは、  ここ10年ぐらい流行っている「フラクタル」ではないでしょうか?  自然現象の中に「フラクタル」が極めて豊饒に存在していることが重要です。       〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  さて、かつて14番で連載していた「やさしい空間論」では、  「実無限」と「仮無限」を“或る特定の形”で連結する「位相」を設定しました。  具体的には、複素平面上に「双曲距離」とでも言うべきものを導入しました。  この「双曲距離」そのものが、実空間では普通の「距離」です。  即ち、実空間における物理学(光速度不変の原理など)が成立しながら、  「無限遠点」(=「仮無限」)と「原点」(=「実無限」)が、  “或る特定の形”で連結している、そういう「位相」を考えたわけです。  この「位相」を入れた複素平面上の“斜めのクロス”は、  時間・空間の消失点(そもそも時間・空間が無い)を表しており、  神秘学的には「虚空蔵(チッダアカーシャ?)」と呼ばれています。  それが神格化すると、「虚空蔵菩薩」ですね。  この菩薩が“別格”であることは、経典に記された通りです。  さて、神秘学で言う「大宇宙と小宇宙の照応」は、  占星術で用いるようなシンボリックな意味合いもありますが、  本質的に“物理学的な事柄”を指していると言えます。  つまり、「虚空蔵」という「位相」が正に“それ”を示しています。  そして、「宇宙子」という言葉で想像されるものを私が勝手に解釈すれば、  「宇宙子」=「虚空蔵の素粒子」ということになります。  そもそも時間・空間の無い世界で「素粒子」を考えるというのは、  言ってみれば“インチキ”ですが、その程度のことは数学では“ザラ”ですね。  数学に関しては何故か否定的な見解がありましたが、全く腑に落ちません。  それはともかく、「宇宙子」は「虚空蔵」に閉じ込められているのか?  「時間化」「空間化」するのか? この辺りが問題でしょう。  「時間化」「空間化」するのであれば、通常の物理学との整合性が要求されます。  「時間化の方程式」や「空間化の方程式」が存在するはずです。  「宇宙子の科学」が完成しているのなら、このぐらいは進んでいるでしょう。  因みに、私は、「アインシュタインの公式の複素化」を考えています。  このことに関しては、既に昨年末、考え付いたのですが、  未だ模索中なので、もう少しまとまったら14番にUPするつもりです。       〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  ここで、数学批判について、誤解が生じるといけませんので、フォローします。  近代以降の数学が「量」しか扱っていないというのは“ウソ”です。  なぜなら、「数」は、どのように扱おうと、「質」を伴っているからです。  どのような場面においても“そう”であって、例外はありません。  このことは、ピタゴラスの時代から変わりません。  その意味で、現代数学もまた、ピタゴラスの延長線に確実にあるのです。  例えば、「有限群の分類問題」というのがあります。  何らかの形で系列化出来るもの以外に、  「モンスター」と呼ばれる有限群があるのですが、  その位数(元の数)に法則性を見て取ることは出来ません。  この「モンスター」の位数は、いったい何の意味があるのでしょうか?  大きい数ばかりでなく、小さい数にも不思議があります。  例えば、高次元のトポロジーよりも、低次元のトポロジーの方が難しい。  低次元と言っても、ここでは、3次元・4次元を指しています。  「3次元世界」と「4次元世界」が最も“豊饒”だというわけです。  簡単な例では、どなたかが書かれたのに似てますが、  「6」=「1+2+3」=「1×2×3」というのがある。  このような「数」を「完全数」と呼びます。  (※同じ数の「和」と「積」に分解できる自然数を「完全数」と言う)  わざわざ表現しなくても、既に最初から、  「6」そのものが“こういう性質”を備えている点が重要です。  繰り返しますが、扱い方の問題ではありません。       〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  さて、ちょっと気になるのですが、少なくとも“科学”を称するのならば、  “出し惜しみ”は不要ではないでしょうか?  ここのフォーラムには、SUBUDHさんを始め、理数系で商売している人も居ます。  今までの中途半端な記述では、エセ科学に間違えられ兼ねません。  核心部分を出すのがマズイのであれば、核心部分で無い部分を、  もう少し具体的に記述して頂ければ有り難いですね。  少なくとも、今までの記述に関して言う限り、  Nob さんが大嫌いな「古典的オカルト」も超えていないし、  かと言って、「従来の科学(数学を含む)」を超えているようにも見えない。  言うまでもないことですが、ここに書いたことは、  個人攻撃ではなく、内容批判ですので、くれぐれも誤解なきように…。                                  HVHY 00961/00961 GCC01413 HVHY 具体例。 (13) 94/01/12 18:27  *具体的な記述とは…。  「位相」というものを考えるために、極めて簡単な例を説明します。  メビウス・バンドルなどは面白い例ですが、ここではもっと簡単なものを。   問: 点P(x,y)が円板D:xx+yy≦1の内部及び周上を動くとき、      点Q(x+y,xy)の動く範囲Wを求めて図示せよ。       〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜   答: 点Pを点Qへ写す写像をf:平面→平面とする。(fは単射に注意)      円板Dは半径r(0≦r≦1)の円D(r):xx+yy=rrの束。      したがって、D(r)の像W(r)=f( D(r))が求まれば、      WはW(r)(即ちf( D(r)))の束として求められる。        f :(x,y)→(x+y,xy) [点の対応]        f : D(r) →  W(r)    [線の対応]        f :  D  →  W      [面の対応]      さて、D(r)上の点(x,y)は、      パラメータtを用いて(r cos(t),r sin(t))と書ける。      よって、x+y=X,xy=Yと置くと、        X = r( cos(t)+ sin(t))        Y = rr cos(t) sin(t)      パラメータを消去すれば、2Y=XX−rr(これは放物線)となる。      但し、X=2r sin(t+a)(aは定数)なので、|X|≦2r。      つまり、円D(r)は写像fによって、放物線の一部に写る。      集合の記法を使って正確に表現すれば、次の通り。        W(r)= {(X,Y)‖ 2Y=XX−rr,|X|≦2r }      今、W(r)の端点は(±2r,1/2rr)だが、      rが0≦r≦1なる範囲を動くと、      この端点は、放物線「4Y=XX,|X|≦2」上を動く。      以上より、W(r)の束としてWが求まり、        W = {(X,Y)‖ 2XX−2≦4Y≦XX }      概形としては、2つの放物線に挟まれた“笑った口”のような形。      図示については、パソコン通信の表現の制約上、省略する。   (終)       〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  何が言いたいのか?  上記の写像fは、いわゆる線形写像ではありません。  そして、「円(端が無い)」を「端の有る曲線」へ写します。  (※これは「輪をハサミで1回切る」という行為に等しい…)  一方で、「円板(穴が無い面)」を「笑った口(穴が無い面)」へ写す。  (※粘土で作った「円板」をちょっと変形すれば「笑った口」になる…)  但し、「円板」は「尖った点が無い」が、「笑った口」には「尖った点が有る」。  この簡単な事実を見るだけでも、宇宙論の考察に役立つ、と思います。  即ち、上記の写像fの逆写像をgとすると、少なくとも、  gは「両端の有る紐」を「輪(サークル)」に変換します。  “極左”と“極右”が何故か似てくる、という話とは訳が違いますよ。       〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  ここからは多分に比喩的になりますが…、  宇宙は「膨脹している」と言います。このことは、  「赤方偏移」(ドップラー効果)によって確かめられています。  しかし、「膨脹している」と言われる宇宙の「仮の端」が“無い”としたら?  つまり、「仮の端」として観測されるものの全てが或る「輪」の上に乗っており、  「輪」の上の“或る運動”が「赤方偏移」として観測されているとしたら?  (※この辺りの記述は既にエセ科学に突入していますね…)  反対方向にそれぞれ「膨脹している」2つの「仮の端」は、  その「距離」を普通に測れば、「無限(∞)」ですね。(※「仮無限」と呼ぶ?)  ところが、この2つの「仮の端」が共に「輪」の上に乗っているならば、  別の測り方をすれば、「距離」は「有限」かも知れません。   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄       「仮端A」         ↑             ・実際には「A」「B」共に、        観測者    >>>>>        円『○』         ↓              の上に乗っている。       「仮端B」   2点の「距離」は「無限(∞)」   2点の「距離」はせいぜい「円の直径」       〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  さて、最後に、練習問題(?)を追加しておきますね。   問: 上記の逆写像gによって、      W(r)(0≦r≦1)の端点の集まりは、      どういう図形に写るか?                                  HVHY - FARION MES(15):★平成松川塾◎日本を考える----------<01> 94/01/12 - 428/429 VFD02105 メルク RE:恐怖を捨てよ (15) 94/01/12 14:35 424へのコメント  松川さん、こんにちわ。  この会議室には、久しぶりに書き込みます、メルクです。  日本を考える会議室で、いきなりキリスト教神秘学をぶちかましてるので、  びっくらこきました。  松川さんはキリスト教徒だったのですか?  ちなみに、私は全くキリスト教徒ではありません。  太陽霊云々という話は、私には全く信用できません。  率直に言いますと、  神の化身だの太陽霊だのとハク付けしなければ、  彼の話を受け止められないのだとしたら、  それは、全く情けない限りだと思います。  ただの人間の言葉だろうが、  あるいは酔っぱらいの言葉だろうが、近所のガキの言葉だろうが、  尊いものは尊いのです。  なぜなら神の愛は無限だからです。  キリスト教だけが良心だというのですか?  断じてそんなことはありません。  何度も言いますが、神の愛は無限なのです。  キリスト教のそういう排他的なところが、  多くの人間の血をすすって来たんじゃないですか?  少なくとも私は、  「神の愛は有限で、限られたものでしかない」  と思いながら生きていくのは、まっぴらごめんです。  では、また。                      メ ル ク 429/429 VFD02105 メルク RE:ケイシーさんについて1 (15) 94/01/12 14:35 425へのコメント  例の「must」ですが、  ちょっと手もとにあった五島勉氏の本が見当たらないので、  断定はできませんが、  二通りの訳が可能だという話は、ちゃんと書いてあったように、  私は記憶しています。 >>                    他の日本で出版され >>ているケイシー関連の書物はすべて「違いない」と訳しています。  少なくとも、このような事実については言及されていました。  最初はその日本語訳を見て、  それから本当の原文を探し出すという展開でしたから。  松川さんは、五島氏の本を読んでから批判しているのですか?                            メ ル ク - FARION MES(17):★パワフルなえ★の《おふくろ通信》--<01> 94/01/12 - 739/740 JBH02324 なえ 心のぺーじ・その弐・夫婦って? (17) 94/01/11 19:52 738へのコメント   人付き合い 亭主は頑固で通っているけど、奥様が優しいからね。 ・・と言って出入りが賑やかなお宅は、良く見かけます。 亭主は飛びきり優しいのに、奥さんが冷たくてね。 そいう家の玄関は、ひっそりしている事が多い様に見えます。 男と女は同じにはなれないのでしょうか。 その身体と同じく、心根も違うのでしょうか。 男の人は立つ事(当たり前か?)を心に持ち 女は台座に構えて、万端引き受ける様に思います。 男は世間の火の粉を払い、女は太陽の様に明るく振る舞う。 言ってみれば「男は天と柱」「女は地と台座」かも知れません。 してみれば・・・・ 男は、雨・風・光を女に与え、女は恵みの命を生み出していく。 人という文字の様にお互い寄り添う事で、 家庭と言う一個の宇宙は輝くのでしょう。 ただ、逆転してうまくいくのもまた事実ですけれど・・・。 それは役割の話・・。身体の作りまでは逆転出来ません。                         - なえ - 740/740 JBH02324 なえ 心のぺーじ・その参・夫婦って? (17) 94/01/11 19:55 738へのコメント   夫婦喧嘩 種々相々 1 朝から晩までひっきり無しに「バカヤロウ」「あんたなんか嫌い」と 一年中喧嘩している夫婦。 近所の人も馴れっこで、案外「また始まった」と「野次馬根性」で、 半ば面白がっている節も・・。 「馬鹿野郎」 「このとうへんぼく」 ・・いつ別れるのかと見ていたら・・・あれよあれよと二十年? 案外こうして続く、仲の良い夫婦もあるんですねぇ。                       - なえ - - FARION MES( 2):【居酒屋1999】自己紹介・雑談--------<09> 94/01/12 - 01475/01475 GBD03557 シゲ RE:うーん、なるほど ( 2) 94/01/12 20:59 01468へのコメント  #01468 著美 さん 居酒屋のお姉さんがあんな店で働いてるわけないでしょう。 だって制服がミニスカートですよ。子持ち柳葉魚(シシャモ)のような足を お客さんの前にさらすなんて迷惑以外のなにものでもないです。    匿名希望 - FARION MES( 4):【宴会/オフ】プラン・レポート------------<02> 94/01/12 - 443/443 VFD00555 遥御前 RE:大阪ミニオフの目印は… ( 4) 94/01/12 21:10 436へのコメント Sooさん、出席できなくて、ごめんなさい (..)ペコッ - FARION MES(17):★パワフルなえ★の《おふくろ通信》--<01> 94/01/12 - 741/742 JBH02324 なえ 心のぺーじ・その四・夫婦って? (17) 94/01/12 20:25 738へのコメント   夫婦喧嘩 種々相々 2 朝から晩までひっきり無しに「バカヤロウ」「あんたなんか嫌い」と 一年中喧嘩している夫婦。 近所の人も馴れっこで、案外「また始まった」と「野次馬根性」で、 半ば面白がっている節も・・。 「馬鹿野郎」 「このとうへんぼく」 そうこうする内に本当に別居して離婚、挙げ句に憎まれ口まで、 一体どうしてこうなってしまったのでしょう。 仲の悪い夫婦は取り返しが付かないのでしょうか。                       - なえ - 742/742 JBH02324 なえ 心のぺーじ・その五・夫婦って? (17) 94/01/12 20:25 738へのコメント   夫婦喧嘩 種々相々 3 一日の中で言葉と言えば「風呂」「飯」「寝る」という程度。 だまって居ても通じているから不思議。 こいう夫婦を「あ・うん。」の呼吸と言うのでしょう。 眼で見ただけで、お茶が出て、立っただけで寝巻きが用意される。 信頼って、どうして築き上げる事が出来るのでしょう。 人の縁は不思議です。                         - なえ - - FARION MES( 7):★アリオン世紀末書込み寺------------<02> 94/01/12 - 01893/01893 JBH02324 なえ RE:発言者削除 :ひどいので止めただ(-_-;) ( 7) 94/01/12 21:55 01892へのコメント UPするなら、吟味してしなされ、削除するまでの間に読み、内容を知った者は 削除しようと既に心に留めてしまった。 貴方がその事を念頭に置きながら削除したのなら、余りと言えば余りだ。 削除は最終手段に置いて有るハズで、遊ぶための物ではない。 - FARION MES(13):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<03> 94/01/12 - 00962/00963 JCF00616 YUI 理念の違い (13) 94/01/12 21:49 00958へのコメント  はじめまして、YUIといいます。  14番会議室での活発な活動は毎日拝見させていただいています。 > 言うまでもないことですが、ここに書いたことは、 > 個人攻撃ではなく、内容批判ですので、くれぐれも誤解なきように…。  と、いうことですが  内容に対する批判は真の合理精神だと考えております  ので、さっそくお応えしましょう。  ただ、直接全ての宇宙子科学の研究成果を知っているわけでは  ありませんから、その辺りはご勘弁願います。 > しかし、「実無限」で提示された概念は、殊更に新しいわけではありません。 > 中学で習う「無理数」にも、既にそういう概念が出てきます。  概念を捉えるとき、それが新しいか、それとも既存のものであったのかは  真理を追究する学問にとって、どうでもよいことなのです。  真の科学精神にとって最も重要なことは、  競争でもない、つまらぬ平面的な議論でもないのです。  正しい姿勢と人間性を持ち得る人格者は  求めるべきものを知っています。  無理数についてですが、  これについても宇宙子科学ははっきりとした(持ち前の)態度で  説明します。宇宙子科学における科学精神は不完全を完全に  変換するという点にあります。  例えばこんなお話を先生はされました。  ルート2という数があるね。  これはどんな数だい?  −1.4142....です(YUI)。  それは完全じゃないね?  では、完全でなければそれは存在しないのか?  (無理数は、存在できないのか?)  インドに行ったら、そこにはルート2という数は存在しないのか?  そんなことはない。完全でないのに、そこにはある。  そこから、不完全->完全という話題に移って行くわけですが、  そこから先の部分については先にも述べたとおりです。  つまり、「次元の拡張」に伴った「視点(道具)の獲得」による  「認識」です。  また、この認識の程度についてですが、  4次元以上、2桁未満の次元(ちょっと公開していいかは後でお聞きします。)  まで進んでいるようです。  ちなみに、円角は360度と従来の数学では  教えられてきましたが、宇宙子科学では、  陽角と陰角をあわせた合計???角から  円周率の修正を図っているようです(あくまでもYUIの推測ですが)  ???角としたのは、やはりお聞きしないといけないという点が一つ、  またこれによって何らかの誤解、もしくはそれ以上の危険な事態を  招くことにもなりかねないからなのです。  以上からも分かるとおり、  私はまだ宇宙子科学の片隅に光を当てただけにすぎません。  真の宇宙子科学の姿、すなわち多次元空間における認識の過程を含む  それは、まだ知ってもいないのです。  ただ、単純に聞いたからといって、それを受けるだけの人間としての  器ができていなければ「いのち」からの理解はできないと思います。  私だって、自分の「無知」と人間性は  十分に承知しているつもりです。 > ここ10年ぐらい流行っている「フラクタル」ではないでしょうか? > 自然現象の中に「フラクタル」が極めて豊饒に存在していることが重要です。  この上の方にあった専門的な数学については私の無学によって(^^;  理解できません。このことをはっきりと申し上げておきます。  しかし、このフラクタルは唯一(?)耳にしたことがありますから、  ちょっとばかり、簡単で幼稚ではありますが、レスをしようと思います。  (ああ、数学をもっと勉強しなきゃなぁ^^;)  と、思ったのですが、  手のひらの上に、突如として現れた(^^;)、  別冊サイエンス 『数学ゲームI』 マーチン・ガードナー著  これは!、と思い目次を見てみたら、「怪物曲線」などというのがあります。  なにか、関係がありそうなので、もうちょっと理解を深めてから  話題に入りたいと思います。  しかしこの本、1/f音楽を自動作成するプログラムする目的で  中学1年生の頃に買ったのですが、机の上にまだ残っていたのですね。  あの頃はなにをしていたのかなぁ・・・。 > 即ち、実空間における物理学(光速度不変の原理など)が成立しながら、 > 「無限遠点」(=「仮無限」)と「原点」(=「実無限」)が、 > “或る特定の形”で連結している、そういう「位相」を考えたわけです。  うーん、やはりまだ抽象的でイメージが掴みにくいところがありますが、  それでもやはり、直感的になにかある、ような気がします。  もし、よろしければ、14番会議室のログが残っている場所を  お教えくださいませんか? > そして、「宇宙子」という言葉で想像されるものを私が勝手に解釈すれば、 > 「宇宙子」=「虚空蔵の素粒子」ということになります。 > それはともかく、「宇宙子」は「虚空蔵」に閉じ込められているのか? > 「時間化」「空間化」するのか? この辺りが問題でしょう。 > 「時間化」「空間化」するのであれば、通常の物理学との整合性が要求されます。 > 「時間化の方程式」や「空間化の方程式」が存在するはずです。  この点についても後でお聞きしたいと思いますが、  「虚空蔵」からイメージされるものと  「宇宙子」は、極限的なものを感じますけれども、  「虚空蔵」における「素粒子」というのは、  やはり違和感を感じます。むしろ、2次元数学から  そのまま存在を決定するのではなくて、次元のシフトという視点から、  その存在のあり様を完全な形で認めた上での視点が、  必要不可欠な気がします。(”シフト”よりも通常の認識の限界を超える  努力、と言った方が適切かもしれません。) > 数学に関しては何故か否定的な見解がありましたが、全く腑に落ちません。  そんな発言がございましたら、ぜひぜひその場所を指摘していただきたいと思います。 無意識の底になんらかの偏見や思いこみが混在している可能性は  十分にあり得ますから。 > 近代以降の数学が「量」しか扱っていないというのは“ウソ”です。  「量」だけを扱っているというのではありません。  むしろ、「量」を前面に押し出した形の教育方針がとられてしまった、  (とられざるを得ない部分もありましたが)ということです。 > どのような場面においても“そう”であって、例外はありません。 > このことは、ピタゴラスの時代から変わりません。  一般にゆがめられつつある数学のイメージが  そのような元通りの形に取り戻す意識を皆が感じとる日を  願ってやみません。  あくまでも、そのような真の姿勢を持った数学は、  堕落こそしないものの、一般的に否定的な感情を  もたれるのは残念でなりません。 > さて、ちょっと気になるのですが、少なくとも“科学”を称するのならば、 > “出し惜しみ”は不要ではないでしょうか?  その理由は宇宙子科学が単に現在いわれる「学問」と  同種ではないからです。質とか方向性などと言ったものではありません。  それは、宇宙子科学の持つコンセプトが根本的に違っています。  果たして今の数学は世界の、人類の未来の「愛」「自由」「平等」  について真剣な立場を明確に呈したことがあるでしょうか?  それが現象を把握する学問であるだけで終わってしまう例が  少ないとはいえないのではないでしょうか?  それは純粋な学問の領域を越えている、  といわれるかもしれません。  でも、本当の「愛」を以てすれば、  それが当たり前となるのは必死ではないでしょうか?  どちらにせよ、  宇宙子科学の発生原因から遡って説明した方が  わかりやすいかもしれません。  それにしても、まだまだ宇宙子科学について知っているわけではないので、  (つまり、「部分」を「全体」に拡張することは不可能です)  あまり勝手な方向へ進んでしまうのは危険です。  宇宙子科学の意志をもう一度掴んでから、その情報を  提供したいと思いますので、その時はよろしくお願いします m(_ _)m YUI 00963/00963 JCF00616 YUI 芸術の質・科学の質 (13) 94/01/12 21:49 00957へのコメント  英雄さん、どうも。  ちなみに私はエイユウって読み方が気に入ってます(^^)  今月は引っ越し、レポート、テスト対策、寒稽古、  などといろいろな行事が詰まっていてなかなか時間をとれない  状況ですが、お許しを。 > 書きながらフト思いついたのですけれども、 > 科学は”量”を追及するものである > 芸術は”質”を追及するものである > 夕焼けの赤さを科学的に説明されても、感情的には納得できない > 理由がここにあるように感じました。そういう意味で、数質と数 > 量の概念は、科学と芸術の融合を実現するように思えます。  ここなんですけど、  確かに科学は「量」を追求すべきところがその本質から  あるような気がしますが、やはり人間学を含む、「質」を見過ごしてはならない、  そういった状況にきているのだと思います。  また、芸術の「質」ですが、それは感情からくる「美観」の意識とは  また違った性質のものである気がします。  ちなみに、子安美知子『エンデと語る』(朝日新聞社)を  読み返していたところ、こんな筋に出会いました。 P.100-101  エンデ ・・・・・・ほんとうにそれはあたっていない、主観と客観は切り放せない      同じひとつのものだということを認識するのです。古い同一性に帰る      のではなく、同一性を新たに発見するのです。そうすれば、自然科学      のなかでも新しい方向にいたりうるでしょう。自然科学とテクノロジ      ーを否定するのではなく、新たな自然科学的態度が生まれるではあり      ませんか、そして、ひょっとしたら、それこそ願わしいことなのだけ      れど、新しい文化と呼べるものにも到達できるかもしれない。  「新たな自然科学的態度」、これこそ宇宙子科学の態度と  そっくりではありませんか?  改めてエンデの予言性を持った(この対談は1985年に行われましたが、  エンデは宇宙子科学のことについては知らないでしょう)文章を読むと、  この方の視点はまったく衰えていないな、と感じるのでした。  やはり、尊敬すべきかただと思った今日なのでした(^^)  当時何となく読み過ごしていたものが  こういったカタチで出会うことになるなど、夢にも思っていませんでしたから、  なおさらこの驚きはすさまじいものがあります。  なお、この前後にも興味深い内容が記されています。  時間の都合により割愛しましたが、  同一性などについての記述が見られましたし、  一読の価値はあると思います。  (これは宣伝かなぁ)  ちなみに同書によれば、このテーマはシュタイナーの処女作、  『ゲーテの世界観における認識論要綱』と、  『ゲーテの自然科学論文』  で取り扱ったテーマはまさに同じだということです。 YUI