- FARION MES( 2):【居酒屋1999】自己紹介・雑談--------<09> 94/01/13 - 01476/01481 JBH00742 スサノオ RE:うーん、なるほど ( 2) 94/01/12 23:53 01475へのコメント  あなたは自分の肉体には愛着があるようですが…。                   スサノオ 01481/01481 SDI00635 みれ RE:うーん、なるほど ( 2) 94/01/13 18:39 01475へのコメント  #01475 シゲっぴ |だって制服がミニスカートですよ。子持ち柳葉魚(シシャモ)のような足を |お客さんの前にさらすなんて迷惑以外のなにものでもないです。  ここの居酒屋のママさんも「子持ち柳葉魚脚」ですもんね(`_´) ドーセ  ウェイトレスのお姉さんを庇うつもりは無いけれどぉ…子持ち柳葉魚脚 は庇いたい。何故ならば、あれは筋力の強い脚なんだからぁ…シゲってば 脚の外観にこだわる人だったのね(^"^;) 男性は殆どの人がそうなのかも 知れないけどさ…あ、なんだかムシャクシャしてきたど(笑)                              匿名希望 01477/01481 NBB01420 SUKE まったくもぉ!(ゴミです) ( 2) 94/01/13 00:22  どーしてこんなにいそがしいんだろー!!  起き出したら自転車で五分の職場に向かい、残業が終わって寮に帰り着くと23時  とかだったりする。  こんなの毎日やってたんじゃ仕事の他に風呂もはいれんじゃないか!!              どうしたらいいんだろう?(-_-;)…☆ッテナモンダ Suke. 01478/01481 GGD03030 《 隆 》 帰ってきましたぁ ( 2) 94/01/13 00:47  って言っても、たかだか一週間程でしたが・・・(^^;)。まあ、とりあぜずという  事で。  未読は・・・やっぱりたまっていました。トホホ                               by 隆ちゃん 01479/01481 QFF02531 angie RE:こんにちは、angieさん。 ( 2) 94/01/13 06:55 01458へのコメント さはしマスター始めまして、お体の調子がいかがですか? 品川にいらしたんですか〜?私の勤務先はそこから1駅。アンナミラーズも 品川プリンスも、しょっちゅうご飯たべにいきますよ。 アンナミラーズの制服気にいっていただけました? ちなみに、高校時代アンナミラーズでバイトしてて「超ミニ&胸強調制服」 にとまどった私です(ハズカシカッタ。)でも可愛いですよね。 これからもよろしくお願致します。 01480/01481 QFF02531 angie RE:アロマテラピーについて ( 2) 94/01/13 06:55 01459へのコメント YUIさん始めまして。angieです。 うーん、私驍ワったくの独学なので、その養成講座の事わかんないんですよ。 すいません。でもプロにならった方独学よりヨいいのかも。(特にマッサージの やり方とか。) 芳香療法師の資格がもらえるなら、私もいってみたいなあ。 これから、アロマテラピーみたいな「自然療法」は「くる」と思いますよ。 私が参考にしたのはマギーティスランド著の「新女性の為のアロマテラピー」 (フレグランスジャーナル社)です。同じ出版社の「84の精油」も為に なりましたね。 今アロマテラピーと反射療法とマッサージに関する本を読んでいます。 もう、市販の薬は一切使っていません。アトピーが菜食とこれでだいぶ 良くなりましたよ。 もっといろんな種類の精油が欲しい〜。(ガーリック油とかあるんですよ。) あらゆるヒーリング関係に興味有りのangieでした。 - FARION MES( 3):【めでぃあ室】本/映画/音楽 etc----<01> 94/01/13 - 00338/00339 GGD02212 Soo RE:臭い匂いは元から… ( 3) 94/01/13 12:43 00337へのコメント コメント数:1  た*し氏がCX(×ジTV)に良く出てるからと言ってウゴルーと結び付け るのは乱暴だけど、スサノオ氏の危惧するところが全く理解できなくはない。  CXの「面白けりゃ何でも良い」みたいなノリには、少々行きすぎかな?と 思わされることがある。た*し軍団が色々とヒドイ目にあうことで笑いを取る やり方も、あまり子供に見せたくない。(イジメは面白いという感覚の助長)  良い子の頭脳を蝕む『ウゴルー』は関西じゃ遅れて週に一回分しかオンエア されないようだが、子供の情操面への影響なんぞ考慮されているとは思い難く、 むしろ大人の娯楽番組だと私は思っている。幼児に見せるのはちょっと…。Soo. 00339/00339 JBH02324 なえ RE:臭い匂いは元から… ( 3) 94/01/13 17:11 00338へのコメント ちょい飛躍かも知れないけど、個人的にはウゴルーは見た事無い。でも話聞いて どっかあったような・・。ああ、8時だよ、全員*合の様に、一世を風びして、 子供には刺激が強いからと某P*A団体から総スカンを食いながらも、生き延び た・・。それを思い出した。 そいうTVを面白がって見た世代が大人になった・・そして世間受けだけを狙っ た番組を見て、そいう人達は何と感じるんだろうねぇ。そしてその子供達は。 刷り込みは知らぬ間に施され、その次世代には、当然で通る。恐いよね。 どこか違和感を持ちながら、まぁ良いや、で終わる恐怖。 かつて、生の卵を投げ合いながら、卵の崩れ散乱した洋服で何事も無かった様に 笑った番組。ただ笑いを誘う為だけの。 知らず知らず忘れていく(忘れさせられていく)大切な事。 - FARION MES( 4):【宴会/オフ】プラン・レポート------------<02> 94/01/13 - 444/444 GGD02212 Soo 大阪ミニオフ参加者リスト ( 4) 94/01/13 07:51  コメントNo. ID   ハンドル  #432  HGE02116 MAKOTO 主賓☆岡山より来阪  #433  KHC01313 まるにちょん どちらからですか?  #434  PGB01143 魔界のめーそん 京都より参加  #435  PBA02422 さはし 名古屋からですね?  #440  PFC02535 カナメ 東京より帰省  #436  GGD02212 Soo 和歌山イチオウ(^^;幹事  以上6名  16日(日)午後1時、梅田の阪急電車のりば向かい紀国屋書店前に集合。  (#436参照)店は現地で決定。飛び入り参加も、まあ何とかなるでしょう。 <RE:441> 魔界のめーそん様の、白髪・サングラス、濃紺の結城紬の着物姿 …ってのも、良い目印になってしまうかも知れませんね。(^^;     Soo. - FARION MES( 6):・壁(1)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 94/01/13 - 01978/01979 GBG02755 すまる もっと楽しく生きていたいのに・・・ ( 6) 94/01/13 17:12 ねえ、どうしてそんなに簡単に自分の心をごまかせるの? そんなの信じらんない。 どうしてそんなに簡単に嘘がつけるの? そんなの、嘘でしょう? 言い訳いっぱいしてさ、 へ理屈いっぱい作ってさ、 どこかに本心おいてこれちゃうなんて、 そんなの信じらんないよ。 どんなに逃げようとしても、逃げられないのが心なのに、 いつのまに、そんな高等技術身につけたの? やだやだ。 嘘はやだ。 ごまかしなんかやだ。 事なかれ主義なんて、子供の心失った馬鹿な大人のすることよね。 その積み重ねが今の社会の住み難さよね。 事を荒立てないようにして、かえって息苦しい世界になっちゃったのよね。 もう、そんなばかばかしい積み重ねはやだ。 絶対、やだ。 わかったぶりっこもやだ。 やなことはやだって言おう。 変なことは変だって言おう。 まっすぐな心生きられないなんて、そんなの苦しいだけだよー。                            すまる 01979/01979 SDI00635 みれ ぼやき(-_-;)ウウム ( 6) 94/01/13 18:39  あたしはSYSOPだ。  でも人間だから、風邪も引くし落ち込んだりもする。  あたしはチャネラーと呼ばれているらしい。  でも人間だから、弱音を吐いたり愚痴ったりもする。  …と、こぉんな当たり前のことが時々、自他共に不明になる。  責任感とかのご大層な問題じゃなくても、ただ黙っていても感じる圧力 のようなものがある…でも、あたしだけが感じるものでも無いらしい。  時々、広い野原かなんかに出かけて「ガォーッ!!」とか叫んでみたく なったりするんだけど、日常のあれやこれやを片付けている内に夕方とな り「あ、夕餉の支度せねば…」とか自動的に思っている自分がいる。  何もかも放り出してしまうことに誘惑を感じたりする反面、何も放り出 せないことに気付く自分がいる。  否、放り出せない…と考えるからオカシイんだ。放り出せない…っての は、外からの圧力で放り出すことを制限されているかのような言い方だも んな。違う違う、自分が放り出さないだけなんだ。 …とグルグル考えている内に「あ!夕方だわ(^"^;)」となってしまう(笑)  SYSOP だろうがチャネラーだろうが、あたしはあたしの色で生きてゆく しか無い、こんなことワザワザ書くまでも無いんだけどね。  わはは、くっだらない事考えてるだろう?>あたし  風邪引いてこじらせて、その上にあれやこれやと私事で悩みが多くて、 いつものペースを乱してしまい、それが原因で落ち込んだり気力失ってし まったんだよ、あたし。一過性のことだと知りつつも…つい愚痴りたくな るのよね(^_^;)おーい、すまるちゃ、一緒だよ(笑)一緒。  ここが壁で、独り言OKの部屋で良かった(笑) ・:*:・みれ・:・。,★ - FARION MES( 7):★アリオン世紀末書込み寺------------<02> 94/01/13 - 01894/01895 GBG02755 すまる RE:発言者削除 :ひどいので止めただ(-_-;) ( 7) 94/01/12 23:31 01893へのコメント ごめんね。                     すまる 01895/01895 GBA01276 しまうま 思い出 ( 7) 94/01/13 06:37 :過ぎ行きて遠き思い出は、来たりくる真新しい思いを優しく包む あの夜のあの思い。  こがれ、灼け、やがて深まってゆく。 切なさに歩き続けたプラットホーム。  半泣きの自分が、今も。 誰にも言わずに終わった。  誰も傷つけることなく・・・?  僕は、過去に出会ったすべての人の優しさに、いわば守られている。  信じる心。愛する心。夢を見る心。人を尊ぶ心。自らに克つ心。  過ぎ去ってしまった、今なお暖かく照らしてくれているすべてに−− ありがとう。  僕も誰かを照らせるといいな。  なんて、傲慢な自分が。  そして、まぶしいくらい新しい思いに−−。 - FARION MES(10):★Dr.Sooの《夢酔い人の部屋》--------<01> 94/01/13 - 00321/00321 GGD02212 Soo 夢解釈(のマネゴト) (10) 94/01/13 12:43 00319へのコメント  ユング風の夢解釈の方法として、登場人物すべてを自分の分身、他の事物も 自身が内包する何らかの要素の表象と見なし、印象に残ったイメージがどんな 感情・直感・感覚・思考を惹起するか観察する。  このようにして夢の意味するところの全てを読み取れるとは言い切れないが、 自身の内面のかなりの比重を占める部分を引き出す(まさに自分を観ることの) 手段の一つとなりうる。 すべて自分の内から出たものと見るのであるから、 夢を解釈するのに最適な者は夢を見た本人自身だろう。  一例として以下に自分が見た夢(#319)を題材に解釈を試みる。  学校では劣等生のヲタク少年、一人暮しの幼児。いずれも夢を見た本人の、 ある時期のある側面を表わしているというのは当たっている。落雷と鉄砲水で 部屋から路上に投げ落とされた幼児(人格的に未熟なまま社会に出てしまった 自分)は、小さなゴキブリ(矮小化された自己評価)と仮し、少年(もう一人 の分身で専ら趣味に生きるている)の嘆きの対象となっている(自己憐憫)。  随分と情けない自己評価の現れだが、人生を投げちゃいないぞぉ〜>?? …っつうか、まだ投げるほどの人生を生きちゃいないぞってか。(^_-; Soo. /E いや待て、雷や水の解釈がまだだ。少年よ嘆くな。別の自分が叫んでいる。 いつまでも自分を憐れみ古い小さな独りの存在として部屋へ閉じ込めて置くな。 そんな自分は打ちのめし押し流してしまおうとする働きも自分の中にあるんだ。 - FARION MES(12):★SUBUDHの《アジア・チャンプル》----<01> 94/01/13 - 00122/00122 TBD00623 SUBUDH 神社・鳥居・祭 (12) 94/01/13 15:42 Sooさんも以前書かれていましたが「鳥居」とは何なのでしょうか。 まず考えられることは、「鳥居」は神社への門であるということです。 神社に入るには鳥居をくぐって行きますが、鳥居の脇をすり抜けて入ることもできま す。参道の中央を通って行くという事は「カミ」に対して失礼に当たるともいいま す。 神社は普段は「カミ」は居られず「祭り」のときに御迎えする所です。 「祭り」の主役のカミに対して「客」のカミも来られるはずです。 こんなことを考えると「鳥居」をくぐって神社に入ってくるのは「客のカミ」なので はないでしょうか。 奈良県の三輪周辺の鳥居は2本の棒を建てて、それの最上部を「注連縄」でつないだ ものを多く見られます。 構造が非常に簡単で設定するのも楽にできます。 古来、「常設」の神社というものはなくて、カミとしての神体山などが良く見える場 所に「カミ」を迎える為の場所を設け、そこで「祭り」をするというものでした。 その場所に「仮設の社(やしろ)」をもうけました。 この社は祭りが終わると壊されました。 この為、「仮設の社」も構造が簡単で設定するのが楽であったはずです。 現在の神社では屋根に突き出した「千木(ちぎ)」が見られますが、僕はこれは「仮 設の社」を作ったとき、屋根の部分は2本の棒を上部でクロスさせて結んだものの名 残りではないかと考えています。これは「サンカ」の移動用住居の写真を観て思いま した。彼らの住居には「千木」みたいなものがあったからです。 古神道での祭りは、カミを降ろす場所(神域)に「仮設の社」と「結界」と「結界へ の門としての鳥居」を設け、祭りが終わったら(カミが帰られたら)これらを取り壊 したというのが本来の姿だったのだと思います。                     《アジア・チャンプル》案内人 SUBUDH - FARION MES(13):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<03> 94/01/13 - 00964/00970 GGD03030 《 隆 》 幸せはささやかなるをもって最良とする(^^) (13) 94/01/13 00:48 00934へのコメント コメント数:2  KAZEさん、こんにちは。    やっとこさ帰ってきましたが、「やはり神戸は暖かい」というのが正直な感想で、  寒い方が好きな僕は尚一層関西脱出を考えてしまったのでした(^^;)。  お正月に神社に行くのは、人が多くて疲れますが、そのかわりに屋台がたくさん  出ていて楽しいものです。一昨日は「十日戎」なのでありまして、幼い頃よく行  った西宮戎神社もきっと大賑わいだったのでありましょう(なんか無性に酒饅頭  を食べたくなってしまった)。  本当に神社に参拝したいと思ったら、正月は避けて人の少ない平日がいいですね。  それでも正月に行きたくなってしまうのは、子供の頃の楽しい思い出がそこにあ  るからというのが、多くの方の潜在的な理由の一つだと思います。    栃木では、カミさんのお母さんの実家で「家系図」を見せていただいたのですが、  これがなかなか立派なもので、なんでも那須与一(字がわからない(^^;))のご親  戚だそうです。上の方は藤原氏が登場しまして、藤原鎌足なんかの名前もありま  した。このあたりになると、ちょいとマユツバな感じもしますが(^^;)、面白かっ  たです。そして、一番始めは「○○の命」でして、「うぅん、日本人!」などと  感心したのでした。  肉体的な部分やエーテル体の部分が財産だというお話がありましたが、最近また、  先祖とのつながりとは一体何なんだろうと考えています。勿論、この身体はご先  祖の賜物ではあるのですが、精神的(魂的?)なつながりは別物のような気もし  ます。だからといって、「先祖の色情因縁が・・・」というような事に意味がな  い、と僕は思わないのですが、肉体的な部分と魂の部分の系列は別のようにこの  頃思うようになりました。  勿論、接点は多々有って、さっきの因縁云々は、何かの理由(カルマって事にな  るのでしょうね)で魂がそういう場所(肉体)に生まれついてくるのであろうと  は思います。  この世は修行なんて考えると、ちょいと窮屈な感じがしますが、やっぱり修行を  積むために生まれてきたと考える方が合点がゆくような気もします。できれば修  行を楽しめるようになりたいものですが、どうなるのやら・・・(^^;)。    >「わがまま」が不可能になるということはロボットになるということです。  >そこにはいかなる意味での「自由」も存在することができません。  うぅむ、そうでしょうかねぇ。精神的ロボットは確かに「自由」がないですが、  そうでなければ「自由」の有無はその人次第だと思いますが。    >ですから、「傲慢が不可能になるというのと自由がなくなる」のとは同じなの  >です。  これもやっぱり「傲慢が可能なところにある自由は見せかけの自由であろう」と  僕は思います。傲慢を変容させて云々はわからないでもないですが、傲慢がなく  ならないかぎり、そこにある「自由」はやっぱり偽物でしょ?。    KAZEさんのおっしゃる事はわかるつもりですが、これって卵が先か鶏が先かって  話と似ていますね。「自由である」が先か「傲慢でない」が先かという感じです。  っで、僕は「傲慢でない」が先なのですね。これは好みの問題って気がしますか  ら、仕方がないのかもしれません。ただ、KAZEさんが「自由でない事」がとても  ひどい事だと思うのと同じくらい、僕にとっては「傲慢が存在する事」はひどい  事なのです。    >「一番優れた」という意味は、自由があるということ以外にないんですよね、  そう思います。ただ、自滅する自由はあっても、他を滅っするのは断じて自由で  はなくて、単なる思い上がりであったり、それこそ傲慢であったりします。ちょ  っと変な考え方かもしれませんが、本当の自由は外界を束縛しない事であると今  は思っています。他人の自由を阻害している人は実は自由ではないんじゃないか  と思うわけです。  変な話ついでに、人間は幸福になる自由があると同時に、不幸になる自由もある  わけです。黒金ヒロシさんがいつだったかおっしゃっていましたが、例えばギャ  ンブルを規制しようとする方々は「賭事にのめり込んで、不幸にならないように」  等と言います。しかしながら、競馬ですってんてんになって、オケラ街道をトボ  トボ歩く自由を奪う権利は誰にもないはずです。幸福は苦労が多いほど嬉しいも  のですし、文化は不幸の中にこそ生まれるようにも思います。勿論、マゾじゃな  いですから、幸福を目指して努力はするわけですし、努力がなければ不幸は単な  る不幸に終わってしまうのですが・・・。なんか卑近な例え話になってしまいま  したが、要するに「幸せはささやかなるをもって最良とする」と思うのでありま  す(^^)。    >ですから、傲慢さえも愛するところにしか愛はなく、  >傲慢さえも愛するところにしか自由はないともいえるかもしれません。  人間対人間という事に限って言えば、それはそれでよいと思いますが、人間以外  のものに対する傲慢を許容する訳にはいかないと思います。人間はそれくらい大  きな力を持っているからです。その責任の重さを自覚できない者は去るべきであ  ると思います。そういう意味で、僕は人間同士の関係で「おまえは傲慢だから自  由などない」とは言いませんが、そうでなければハッキリと言います。それは僕  がまだまだレベルの低い証拠なのかもしれませんけど、それは正直な感性の発露  ですし、それが僕の役目なのかもしれませんから・・・。「右の頬を打たれたら  左の頬をさしだせ」っていうのも一つの思いやりかもしれませんけど、はり倒し  て目を覚まさせるってもの思いやりでしょ(^^;)。ちょいと極端ですが・・・。    >ううむ、でも「議論」するから人間は進歩もするし混乱もするのでは。  >最初から「当たり前のこと」は「当たり前」だというといいのですが、  >それを認識するためにはある程度の高次の能力が要求されますし、  >神々にも霊統があるように、人間の「当たり前」にもいろいろあります。  たはは、それはそうなんですけど、例えば「うどんはめんから食べるべきか、お  つゆからか?」なんて議論はしたくないでしょ?。議論も有益なものなら良いの  ですが、どうも無意味なものが多くて疲れます。これは僕が不精であるとか、わ  がままであるとかいう事なのかもしれませんけどね(^^;)。ちなみにさっきのうど  んの命題に関する当たり前の答は「そんな事はどちらでも良い」です(^^)。    「とうとう四捨五入すると40だね」とか言われて、ムムムと思いましたが、や  っとここまできたかという感じもなきにしもあらずです。小学生の頃、21世紀  を見たくてしょうがない時期がありまして、「21世紀には、え〜と42歳かぁ、  まだ先は長いなぁ」などと思ったものですが、もうすぐそこまで来ている訳で、  またまたムムムなのでありました。                               by 隆ちゃん 00967/00970 GGA02514 KAZE 発言者削除 :アップミスです^^; (13) 94/01/13 09:08 00964へのコメント 00968/00970 GGA02514 KAZE いい死に方ができそうだなと思えるこの頃 (13) 94/01/13 14:04 00964へのコメント 隆ちゃん、どうも。 「やっとこさ帰って」こられましたね(^^)。 考えてみれば、長く遠出する機会が僕にとってはとんとないので、 なんだかうらやましいような気がしていました。 こういうサラリーマンをしているとなかなか時間が自由にならなくて、 まとまった時間をとって何かをするとか、思いっきり気分転換をする、 なんていうことがなかなかできにくいですね。 そのうち、僕も「ひとくぎり」ついたら、まとまった時間をとって、 まとまった気分転換なり、まとまった勉強なりしたいという気になりました。 特に今年に入ってから、なんだか気分が今までより前向きになってきたようで 取り組んでみたいことが次々と目の前に現れてきたような感じがしてます。 そうしたことがある程度はっきりしたら、 まとまった時間をそうしたことに使ってみたいと思います。 >本当に神社に参拝したいと思ったら、正月は避けて人の少ない平日がいいですね。 そうですね、今年のお正月は、前回のレスでは、 お正月にお参りはしない、というようなことを言っていましたが、 何故か、次の日、岡山までドライブしての吉備津神社と国分寺に行ってきました。 吉備津神社の人出はほんとうにすごかったですが、 国分寺はそんなでもなくて、ひろびろしていて気持ちよかったです。 その国分寺の鐘をおもいっきり気合いを入れてついたのも気分がよかったです。 >この身体はご先祖の賜物ではあるのですが、精神的(魂的?)なつながりは別物 >のような気もします。だからといって、「先祖の色情因縁が・・・」というよう >な事に意味がない、と僕は思わないのですが、肉体的な部分と魂の部分の系列は >別のようにこの頃思うようになりました。 僕のように、血縁などについて無頓着なばかりか、 感覚的には、ほとんど血縁には否定的な意味しか認めていないのも 行き過ぎかもしれませんが、 血縁の部分だけに拘りすぎるのもまた行き過ぎなのでしょうね。 ただ、人間の本来の部分は「精神」で、そのいれものとして、 この肉体があるという考え方は、一番大事だとは思います。 高級車に乗って車を自分だと勘違いしているタイプの方もいますが^^;、 やはりいくら素晴らしい車でもそれは乗ってる人の入れ物だし、 また、いくら素晴らしい包装紙でくるまれていても、 結局のところ肝心なのは中身だということです。 僕のイメージでは、潜水服を着て深海に潜っているというのが、 こうして生きている感じに近いかなと思います。 肉体には、ご苦労さんといつも感謝しなくちゃあとも思いますが、 やはり車は車、僕は僕という認識?って忘れちゃいけないと考えます。 >この世は修行なんて考えると、ちょいと窮屈な感じがしますが、やっぱり修行を >積むために生まれてきたと考える方が合点がゆくような気もします。できれば修 >行を楽しめるようになりたいものですが、どうなるのやら・・・(^^;)。 僕は生まれてこの方、物心ついてから、こうして生きているのって、 まさに修行というか「苦行」^^;ってイメージがつきまとっていました。 でも、やっと最近になって、こうして生きている、いや生かされているということが なんとありがたいのだろうかと、思えるようになってきています(^^)。 三十数年の苦行イメージがあっただけに、このわきあがるような喜びは、 なんともいえない感慨があります。 もちろん、それはそんなに大げさなものでもないのですが、 やはり、生かされているありがたさというのが感じられるかどうかというのは、 天と地の開きがあるような、そんな感じがします。 もちろん、この喜びは、マラソンの後の一杯の水のようなもので、 苦しい感覚が強かった後だからこそのものなんだとは思います。 変な言い方かもしれませんが、こうなってみて、やっとこさ、 「いい死に方ができそうだな」という感じがしてます(^^)。 >「傲慢が可能なところにある自由は見せかけの自由であろう」と >僕は思います。傲慢を変容させて云々はわからないでもないですが、傲慢がなく >ならないかぎり、そこにある「自由」はやっぱり偽物でしょ?。 たぶん、僕と隆ちゃんとでは「自由」についての捉え方が違うのでしょう。 自由と傲慢の後先っていう考えは、僕の捉える自由ではでてきようがないからです。 それと、僕は自由を階層的ないくつかの段階としてとらえています。 まず、大前提となる自由というのが、ここで問題となるのですが、 僕のいう自由の基本は、一種の「可能性」そのものでもあります。 たとえば、仮に(変な例ですが)、人間には触覚しか与えられてないとしましょう。 それ以外の感覚があると、人間には傲慢になる「可能性」があるとします。 だから、目も鼻も耳も声帯も、「危険」だからという理由で与えられません。 別に、目も鼻も耳も声帯の機能が与えられるからといって、 その人間が傲慢になるとは限らないのですが、 その「自由」を与えると、人間は堕落への「可能性」を得ることになるのです。 従って、この世界では、堕落もありませんが、自由もありません。 そこで、問題になるのが、触覚だけで傲慢には決してならない人間と その他の感覚を付与されて「可能性」は拡がったが、 ちょっと間違うと「堕落」してしまいかねない人間との比較です。 隆ちゃんは、どっちの人間を選びたいと思いますか。 傲慢という可能性のまったくない不自由人間と、 傲慢という可能性を与えられた自由な人間と、どっちがいいですか。 僕にとっては、たとえ堕落しようとも、迷わず可能性の方を選択します。 もちろん、これは単なる譬ではありますが、 僕のいわんとしていたことはこういうことだったのです。 これは、教育についても同じことで、 子どもが「非行」するかもしれないという理由で、 一切の自由行動が禁止されていて、すべてが管理されているのと、 「非行」への可能性は多々あるが、それなりの自由行動が許されているのと、 どっちの教育がいいと思いますか。 「傲慢」への隆ちゃんの嫌悪感というのは、十分に理解できますし、 何よりも、僕自身、傲慢ということに対して、非常な悲しみを覚えています。 でも、可能性を奪うことで傲慢を無くすというのは、 こうして生きていることそのものを否定してしまうことになると思うのです。 もし、傲慢への可能性がないということは、 その反対のあり方への可能性もないということになります。 その両者は決して別のものではないのですから。 もちろん、自由も最終的には「天命を知る」というまでの 高次の自由へと高められていかなければならないものです。 しかし、高次の自由への道は、最初の一段がないとしたら、 そこに昇っていくことは決してできませんよね。 >本当の自由は外界を束縛しない事であると今は思っています。他人の自由を阻害し >ている人は実は自由ではないんじゃないかと思うわけです。 他人の自由を侵害するというのは、自由の反対のものです。 でも、「反対のもの」は、自由がなければ生じません。 すべてのあり方はプラスがあればマイナスの可能性が生じます。 実のところ、他人の自由を束縛することは、 自分の自由の可能性を束縛することになります。 「与えたものが返ってくる」ということなんですよね。 で、最初に肝心なのは「与えるものがある」ということです。 そこがなければ、他人の自由を侵害することさえ不可能になります。 もちろん、僕もその「反−自由」に対しては、ひと以上に憤りを覚えますし、 それを克服していくことこそが、人間が人間である最低の条件だとも思っています。 >「幸せはささやかなるをもって最良とする」と思うのであります(^^)。 「足ることを知る」ということですね、大事なことだと思います。 でも、それと同時に、人間には「向上心」というのが欠かせません。 「足ることを知る」ことは、向上しない怠惰への言い訳にしないという前提条件が あるということは忘れないようにしたいと思っています。 「ささやか」=「最大の発展要因」という厳しさということを自覚しとかないと その「ささやか」がアダになってしまうことが多々あるからです。 もっともよく調和していることが、もっとも発展することである、というのが 「中道」ということの本義だと思うのです(マタ、ダシテシマッタ^^;)。 >人間以外のものに対する傲慢を許容する訳にはいかないと思います。人間はそれ >くらい大きな力を持っているからです。その責任の重さを自覚できない者は去る >べきであると思います。 結局のところ、人間以外のものに対する傲慢は、即、人間への傲慢でもあります。 人間に対してだけ傲慢だとか、人間以外に対してだけ傲慢というのは、 僕の見るところではまずないのではないかと思っています。 もちろん、偽装されたカタチでは一見そう見える場合もありますが、 その方の真の意図を洞察すると、それは同じ所に根をもっているのです。 つまり、「エゴの暴走」ということです。 科学者がモルモットを使って実験するというのも、 人間に対しての傲慢ではないと思われがちですが、 実際のところ決してそうではないことは、簡単にわかることです。 それは最良の場合でも、認識の欠如ということに他なりません。 「傲慢」は、他を排することをみずからのよろこびとするということですが、 実際のところ、それはみずからを排することに他ならないということを、 もっと多くの方がちゃんと理解するようにならないといけないと思います。 ま、結局、こういうのって、「マゾ」ってことになるんです^^;。 >議論も有益なものなら良いのですが、どうも無意味なものが多くて疲れます。 実の所、僕も議論というのは疲れるのでできれば避けようと思っています^^;。 そもそもほっとけば一人で勝手にやってて飽きない人間ですから、 議論が好きということはあり得ないことなのですが、 仕事でクライアントと討議しないといけないとか、 会社なんかでひとのお世話などさせられるはめになって特に思うのは、 無意味な議論がほとんどだとは思いますが、仕方ないなということです。 みんなが直観的なテレパティックな能力で理解し合えるようになればいいのですが なかなかそうなりそうもありませんので、やれやれです。 いいのは、議論する前に無益な議論かそうでないかが予めわかるといいのですが、 なかなかそういうのも難しいんですよね^^;。 それに、「有益」か「無益」かっていうのもひとそれぞれで、 サッカーや野球のファンが、(僕からみると絶対的に)無益な議論をしていて、 それがもとで喧嘩になるということはよくありますが、 なんであんなアホなと(僕が)思っていても、そういう(わけのわからん)方には そういうことが生き死にの問題に近い大問題となる場合があって、 「そんな事はどちらでも良い」と言おうもんなら、 こっちの命がなくなってしまいかねません^^;。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 00965/00970 GBA01350 まるじろう 夜です。 (13) 94/01/13 03:30 コメント数:1  静かですね。全く静か。  世界が呼吸を止めているのに、  私だけが息をしているのは、  とても不思議です。   レナード・バーンスタインの詩の一部を   うろ覚えですが、ふと思い出しました。      − 虹が消えて行く。        われわれは目覚めなければならない。        そして、夜明けは寒い。 −  私の大好きな曲の中に出てくる言葉です。    もういいよと息が止まるまでは息をし続け、    生きていきますよね。    時は、すべてをその渦に吸い込みながら、    人間の存在の小ささを思い知らせる。    私は、やっとこんな齢になって、    いつか息が終わる時に臨んで、    私は確かに生きたんだぞと言えるように    生きることができました。    そして、まだまだこれからです。   でも、夜は静かですね。夜は美しいですね。        KAZEさん、皆さん、ゴミ・メッセージでごめんなさい。        今日だけここで(ここしかないので)甘えさせて下さい。                           まるじろう 00969/00970 GGA02514 KAZE 目覚めの前の夜の息 (13) 94/01/13 14:12 00965へのコメント まるじろうさんへ ひみつ みせて ひとり だけの ひみつ みせて よるの いきを はいて すって ときの かなた おもい こらし あすの ことを じっと おもう だって ずっと こころ いつか ひらき あえる そんな ことを ゆめに みてた はなが ひらき ほしが ひかる こんな よるに ひとり きりで いきを すって いきを はいて いのち ひとつ ここに ひとつ じっと いきて ほしに いのる ひみつ みせて ひとり だけの ひみつ みせて そっと きっと こころが目覚めるまえの、しんと静まりかえった夜というの、 僕にも幾度も幾度もありました。 たぶんこれからも何度もあるなだろうなと思います。 でも、そんな夜って、静かでとってもきれいなんですよね。 そんな時間の中に、「ひみつ」を注ぎ込んでみると なぜか少しだけ勇気づけられる気がするものです。 たとえ、涙が滲んできても、 それは希望へと向かう思いをつれてきてくれるはずです。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 00966/00970 GCC01413 HVHY RE:理念の違い (13) 94/01/13 05:06 00962へのコメント  >> YUI さん  素早いRESを有り難うございました。  今のところ、宇宙子ナントカの紹介をなさっているのは、  具体的には、約2名ですので、(^^;) 特定の個人に向けたものではない、  と言ったところで、そうではない感じになってしまいます。  その点、全く他意はございませんので、ご容赦下さいませ。(_ _)       〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  例えば、ブラヴァッキーのシークレット・ドクトリンにしても、  「宗教と科学と芸術の融合」といった“謳い文句”が付加されています。  しかし、どう見ても、そういう風には見えません。  シークレット・ドクトリンが素晴らしいのは、  「宗教と科学と芸術の融合」の故に、ではないのです。  また、これは比喩的な意味ではなくて、「一流の科学者は芸術家」です。  その意味で、科学と芸術が融合する必要はありません。  確かに、ギリシャ・ローマの時代と比べると、学問は細分化に細分化を重ね、  極端なことを言えば、その内実がどこにあるのか全く解らない分野すら存在する。  そういった事柄は、必ずしも歓迎されるべきではないでしょう。  しかしながら、いわゆる科学は、相当に興味深い多くのことを明らかにしている。  これは紛れもない事実です。もちろん、森羅万象を明らかにしたわけではない。  そして、今後どれほど科学が進んでも、知り得ないことは無限に残るでしょう。  だからと言って、科学の成果を軽視するには当たりません。  話は前後しますが、科学者を支えるものも、芸術家を支えるものも、  根本的には「情熱」であるような気が、私はします。  どういう人を宗教家と呼ぶかはともかく、宗教家についても、同じでしょう。  いい例が、悪名高きクロウリーかも知れません。  どういう根拠があってそう言うのかと問われれば困りますが、  クロウリーから感じられるものは、「情熱」或いは「真摯さ」です。  レコーディングをすっぽかすチャーリー・パーカーみたいなもんです。  夏でも手袋をして一生童貞だったというグールドを例に出しても良いでしょう。  決闘であっさり命を落とした天才数学者ガウス(だったはず)でも良い。  「愛」「自由」「平等」だそうですが、何だかよく解りません。  現代の日本でも、「情熱」という言葉は生きているか?  何か、このように問題を掲げると、松川さんの部屋にも似てくるわけですが、  それぞれの個人にとって、おそらく最も大切なものは、  「動機として認識される以前の動機」ではないでしょうか?  例のNob さんが、FMISTYの13番で、「サルクス論」を展開されています。  その辺りも、言葉は違えど、関係あるような気がしますね。       〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  「宇宙子科学」については、これから勉強されるとのことですから、  勉強された暁には、より具体的なご報告を頂ければ幸いです。  (※「日月神示」の続きとやらよりはずっと興味がありますので…)  それとは別に、現在の科学の到達点と限界について、  どのように認識なさっているのか、是非伺ってみたいと思います。  「宇宙子科学」へ向かう“切実な過程”というものが、  きっとお有りになったに違いない、と想像されるからに他なりません。  尚、一部、「何を言っているのか不明」の箇所がありました。  しかし、プリンターが壊れているため、書き込みを見ながらコメント出来ません。  具体的なコメントは改めてさせて頂きますので、今回のところはご勘弁下さい。  また、同様の理由で、意にそぐわないRESになってしまった点も、  合わせてご容赦下さいますようお願い申し上げます。                                  HVHY 00970/00970 GGA02514 KAZE 風遊戯29●メランコリック (13) 94/01/13 15:49 ら ら ら ら 時間 が 渦巻く メランコリック 夜の息 祈り とどかない まま ら ら ら ら わたしの 裏側 から 言葉のない言葉が とどく 遊びにしては つらい ら ら ら ら 光 が 反転して わたしの逆物語 映す 告白にしては 笑える ら ら ら ら 未来から わたしがくる 過去から わたしがくる 美しすぎる と 涙が苦い ら ら ら ら 時間 が 渦巻く メランコリック 夜の息 祈り いつか とどく か - FARION MES(14):★HVHYの預言解読部屋------------<03> 94/01/13 - 01662/01662 JBH00742 スサノオ 火の無いところに水煙? (14) 94/01/13 10:43  昔のことになるが、当会議室「海賊」関連で話題になった?  リオ・デジャネイロの地球サミットで採択された  「国際NGO(非政府機関による)条約」の一つに  「軍備、環境及び開発に関するNGO条約」がある。  その一部を以下に抜粋してみる。    報道機関や、戦争ゲームや戦争玩具による社会、    特にこどもへの条件反射的な刷りこみ教育を行なうこと    に対する反対活動を展開する。         (朝日ジャーナル地球サミット特集号より)  つまり実際に刷りこみ(=CONDITIONING)が行なわれているからこそ  こうした条文が取り入れられるのである。  もちろん地球サミットをバックアップしている国連の指導者たちも  刷りこみを行なっている人々と“「根が同じ」である”  可能性が無い訳でもない。                      スサノオ - FARION MES(15):★平成松川塾◎日本を考える----------<01> 94/01/13 - 430/432 GFD00204 松川 貴     RE:恐怖を捨てよ (15) 94/01/12 23:47 428へのコメント  メルクさん >松川さんはキリスト教徒だったのですか?  私は一度も教会に行ったことはないとすでにこの部屋に書いてあったはずです。 >太陽霊云々という話は、私には全く信用できません。  太陽霊の話については、私のシュタイナー・ケイシー研究をもっとも簡単にまとめ た結果です。まだまだ語られていない細部がたくさんあるのです。  あなたはこれを「ハク付け」などと言っていますが、あなたこそ聖書を読んだこと があるのでしょうか。すなわち「ヨハネによる福音書」の第1章とパウロの書いた一 連の手紙に書かれている内容のことです。  もし私の言うことが信じられず、また、それをあなたが「神の化身だの太陽霊だの とハク付けしなければ、彼の話を受け止められないのだとしたら、それは、全く情け ない限りだと思います」と言うのなら、それはつまりシュタイナーとケイシーに対し てもそう言っているということになります。同時に、あなたのこのような批判の仕方 の中に、また──と言うのも、以前にもあなたはこの部屋で同じことを行ったことが ありますから──あなたの悪いくせが出ています。すなわち、私の言葉に対するあな たの恣意的解釈です。どのように解釈したら、私の態度に対して「ハク付けしなけれ ば、〈彼〉の話を受け止められない」などという評価が出てくるのでしょうか。私は 粉飾のために太陽霊の話をしたのではありません。 >キリスト教だけが良心だというのですか? >断じてそんなことはありません。 >キリスト教のそういう排他的なところが、 >多くの人間の血をすすって来たんじゃないですか? >少なくとも私は、 >「神の愛は有限で、限られたものでしかない」 >と思いながら生きていくのは、まっぴらごめんです。  わたしは一度もあなたの解釈したような内容についてここで語ったことはありませ ん。ですから、どうして私の話からこのような議論があなたの口から飛び出してきた のか私には分かりません。しかし、あなたが宗教と歴史を〈どのように考えているの か〉ということは漠然とながらですが分かりました。  私は誰にもキリスト教徒になれと強要したことはありませんよ。一度も教会へも行 ったこともない私がどうしてそんなことができるというのです。                                   松川 貴 432/432 JCC00626 ナガト 侍とロシア正教 (15) 94/01/13 19:00 424へのコメント 松川塾長 >〈公〉とはいったい何でしょうか、それは私にとって──以前も書いたように── >〈神〉すなわち〈内なるキリスト〉の謂です。西郷さんはこれを〈天〉と呼び、サ >リンジャーは小説『フラニーとゾーイー』の中で、それを〈太っちょのオバサマ〉 >と呼びました。 >今や〈個〉の自立を叫ぶだけでは不完全です。ケイシーさんの言うごとく、確かに >新しい理解が必要になっているのです。私たちは新しい理解を手にすることができ >るでしょうか。そのためには、〈公〉の把握の仕方が変化しなければならないので >す。 これを拝見し、やや思い出したことがありますのでお話します。 それは、維新前後の日本でキリスト教の洗礼を受けた人間には、侍出身の者が相当 多くいた、ということです。 例えば、戊辰戦争時奥羽列藩同盟に加わって西軍と戦い、維新後は凄惨な立場に置 かれた南部藩の元藩士・三井道郎は、維新後洗礼を受けてロシア正教の神父となり その後、日露戦争時の迫害にも耐え、昭和期に至るまで東京神田のニコライ堂で ロシア人神父を支え続けます。 また、幕末に布教のために来日したニコライ神父に最初に帰依したのは、坂本竜馬 の従弟にあたる土佐藩士・沢辺琢磨でした。この沢辺は奇妙な人物でして、最初は 神社の神主に入婿したほどのガチガチの攘夷主義者でした。函館で布教活動をして いた神父・ニコライにいかにも志士らしい憤りを覚え、これを斬殺するつもりで 彼を訪ねます。しかし話を聞くうちにすっかり彼が気に入ってしまい、いきなり 弟子入りしてその後の布教活動の最も忠実な協力者となりやがて入信までしてしま います。(何となく勝海舟と竜馬の対面によく似たシチュエーションではありませ んか) あまり日本語が流暢であったとは思えないニコライが、論理で沢辺を説き伏せたと は考えられません。 おそらく、身分としての侍ではなくなるという運命の激変を味わった幕末〜維新の 時代を生きた侍達には、自らの「公」への思いを受け止めてくれる何かを、舶来の 宗教に感じとったのかもしれません。また万里の波涛を越えて異郷へと赴いてきた 伝道者に対して、利害を越えた共感や賛意を覚えたにしても、単に、使命のために 命の危険をも厭わぬ彼らの勇気に感動しただけなのではなく、〈天〉〈公〉という 超越的な何かに仕える者として彼らと自らに共感する部分を見いだしたからこそ、 その門をくぐったのかもしれません。 因みに、自由民権運動の指導者で朝鮮独立運動の支援者でもあった大井憲太郎も、 ロシア正教の信徒であったようですが、明治10年代、大井は前記の三井など元・ 侍の青年信徒によくこうハッパをかけていたそうです。  「君達はよろしくアムビッシヨン(名誉心)を養うべし」 あるいは、戊辰戦争の末期、函館で榎本武揚や土方歳三らが「函館共和国」の旗を 掲げて最後の抵抗を行っている頃、その函館でニコライの門下となっていた旧奥羽 列藩同盟の藩士達は、仙台藩の同志らにこのような「檄文」を送っています。  「国家の恢復を謀らんがためには人心の帰一を期せざるべからず。人民にして   真正の宗教を信ぜば、人心の統一を得べく、人心統一せば何事か成らざらん。   もしそれ国家を憂うるの赤心あらば速やかに来函ありたし」 名誉心にしても、国家の恢復、国家を憂うる赤心、等々の言葉にしても、当時の侍 たちがどのような情念で「真正の宗教」を見ていたかをよく示しています。 最後に、彼ら「侍上がりのロシア正教徒」たちの手によって明治34年に翻訳された 聖書(新約聖書では「ルカによる福音書」第二章二十五節にあたる部分---内容は エルサレムの予言者シメオンが、イエスがまだ乳呑児であった頃に早くもそのキリ ストとしての将来を予言する、というものです)をご紹介してみます。 これは他の新旧両派の訳と異なりギリシア語から翻訳したもので、日本の聖書翻訳 史の中でも著しく異なる文体(漢文体)で書かれています。 一見すると、確かに論語の書き下し文のようなものですので、一応できる範囲で 読み易く書き換えてみました。 文中「イズライリ」というのはおそらくイスラエルの事なのでしょうが、キリスト 教には全く知識のない私のことですから、余計な解説はしないこととします。    視よ、イエルサレムにシメオンと名づくる人あり。  斯の人、義にして敬虔なり。イズライリを慰むるものをまち、而して聖神[せい  しん]彼に臨めり。彼、聖神[しん]に由りて、主のハリストスを見ざる先には、  死を見ざらんと示されたり。  彼、神に依りて殿に来れり。父母が嬰児[おさなご]イイススをたずさへて、之に  律法の例を行わん為に入りし時、彼は嬰児をその手に取り、神を祝讃して曰へり。  「主宰よ、今、爾の言葉にしたがひて、爾の僕をゆるし、安然として逝かしむ。   けだし我が目は爾の救いを見たり、爾が万民の前に備へし者なり、是れ異邦人を   照す光、及び爾の民イズライリの栄なり」  イオシフ及び嬰児の母は彼に関して言はるることを奇とせり。シメオン、彼等を祝  福して其母マリアに謂へり。  「視よ、此の子は置かれてイズライリの中に衆く[おほく]の者たおれ、又は興る   を致し、且つ駁論の号[しるし]と為らむ。衆く[おほく]の心の念[おもひ]   の露れん為なり、爾にも剣は霊[たましひ]を貫かん。」云々 解説書によれば、通常(現在の翻訳では)「聖霊」とか「御霊(みたま)」と訳される ギリシャ語の「プネウマ」という言葉を、ここでは「聖神」「神」と訳して[しん]と 読ませるようにしているそうです。 確かに、聖霊というよりも神とした方が、侍達にはより「天」に近いものと受け止め られたのかもしれません。 その辺りの雰囲気がよく出ているようにも思えますので、取り敢えずご紹介しておき ます。 なお、今回のネタ本は 「ニコライ堂の人びと〜日本近代史のなかのロシア正教会〜」長縄光男著 現代企画室 です。                                  ナガト 拝 431/432 GFD00204 松川 貴     RE:ケイシーさんについて1 (15) 94/01/12 23:49 429へのコメント  メルクさん >松川さんは、五島氏の本を読んでから批判しているのですか?  あの批判文は、91年の夏、五島さんの当該の本を読んだ後でUPしたものを、但 し書きで書いたように再度書き直してUPしたものです。(ちなみにケイシーさんを よく知っているTAO さんも、あの本については批判文を掲げておりますよ。)私があ のような批判文を出してから後、五島さんは、ケイシーさんの名前を使ってもう一冊 本を出しているはずですが、私はこちらは読んではおりません。  五島さんは、アメリカのABCというテレビ会社でしたでしょうか、そこが制作し たビデオ(題名は失念いたしました)の解説者として登場した折り、イエスのことを 「イエスというやつ、云々」と言っていましたよ。五島さんがイエスをどのように扱 っているかが分かるでしょう。五島さんにとってイエスは〈やつ〉なんです。この言 い回しを聞いた時はさすがに私もどきりとしましたよ。  ところでメルクさんは五島さんがケイシーさんを使って書いた2冊の本の内容につ いてどのように思われておられるのでしょうか。                                   松川 貴 - FARION MES(17):★パワフルなえ★の《おふくろ通信》--<01> 94/01/13 - 743/743 JBH02324 なえ 心のぺーじ・その六・夫婦って? (17) 94/01/13 17:12 738へのコメント   夫婦喧嘩 種々相々 4 一日の中で言葉と言えば「風呂」「飯」「寝る」という程度。 言葉も少なく会話の無い夫婦。 ある日話をしていると、突然、奥様が泣き出した。 「子供がいるから我慢していましたが、いつ別れようかと悩む毎日です。 妻が夫を愛せないほど辛い事はありません。」 端から見れば裕福で不自由ない生活なのに、裏に回れば世間体を気にする余り 心は毎日いがみ合っていた。 そんな家庭にどんな希望があるのでしょうか。 どんな家庭でも同じ男と女。でも色々な夫婦が有ります。 お互いにどうしたら、より良い未来を、希望を、持つ事が出来るのでしょうね。                         - なえ - - FARION MES(19):■精神世界ぶっ飛び話/バチアタリQ&Q--<01> 94/01/13 - 238/238 JBH00742 スサノオ 偽物のカミゴト (19) 94/01/12 23:52  二行目と三行目で対立させながら?気を動かし  四行〜六行の嘘のなかに五行目のカタカナ挿入。  空海はかつて敵の呪法破りに嘘をうまく使った。                   スサノオ - FARION MES( 2):【居酒屋1999】自己紹介・雑談--------<09> 94/01/13 - 01482/01484 JBH01750 著美 何をおっしゃる(^o^) ( 2) 94/01/13 22:02 01470へのコメント  >さはしマスター  夜な夜な(朝も昼間も来る人がいるらしいが)集まる海千山千の妖しい常連客 を次々とさばいて3枚におろしているマスターが、タダモノであるはずがあーり ませんか(^o^;)  ところで、マスター拝領の「きしめん」は、もったいなくて、まだ食すに至り ません(^_^;)                       何でももったいながり屋の著美                     (部屋から、2年前の缶ジュースが                      出てきたりしたこともある(^◇^)) 01483/01484 JBH01750 著美 発言者削除 :コメント先間違い(^_^;) ( 2) 94/01/13 22:03 01481へのコメント 01484/01484 KGD01735 SESQUI RE:いらっしゃぁい! ( 2) 94/01/13 22:23 01469へのコメント  たぶんそれは、1982年の、いわゆる「惑星直列」のことだと思いますが、 「惑星直列」とはいっても、太陽を中心とした約90度の範囲に惑星が片寄った というだけのことだったから何も起こらなかったのかもしれません。  そういえば、「惑星直列」で富士山大噴火が起こると予言した人がいましたが、 結局何も起こりませんでした。しかし、21世紀にはいるまでに富士山大噴火は あるのでしょうか? - FARION MES( 3):【めでぃあ室】本/映画/音楽 etc----<01> 94/01/13 - 00340/00340 GGD02212 Soo RE:臭い匂いは元から… ( 3) 94/01/13 22:16 00338へのコメント  あ、た*し軍団とかのはCXよりもNテレの方が多いかも知んない。 倫理観を破壊しようと受ける為には手段を選ばない、腐臭が漂うような (スサノオ氏の言う「匂い」とはニュアンスが違うかも知れないけど) 低劣なのは他局でもいくらでもあるように思う。ま、「元から断て」と まで言うつもりはないです。俗悪番組なんか見なきゃ良いんだから…。  実は今、た*しの番組を見ている…(ー_^;(^_ー;        Soo. - FARION MES( 6):・壁(1)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 94/01/13 - 01980/01980 GBG02755 すまる RE:ぼやき(-_-;)ウウム ( 6) 94/01/13 21:04 01979へのコメント おーい、みれちゃ。 そうだよね、人間なんだもん、生きてりゃ愚痴るわな。 今回の無気力も一過星だってわかっているよ。 その無気力から這出たくて、オタオタしてるのもわかってる。 だから、愚痴をいっぱいこぼしながら、耐えてる。 愚痴をこぼされた人にはごめんね、だけど、お陰様で 私が何に溺れて、拘っているのかも見えたりしてさ、 有難いことこの上無いだよ。 死ぬまで、気分良いこと、悪いこと、繰り返す。 そんなもんさぁね。 しかし、落ち込むとさあ、誰かがやたら欲しかったりするくせに、 誰とも口ききたくなかったりして。。。毎度、ややこしいだな。 もちっとわがままするだよー。                       すまる