- FARION MES( 2):【居酒屋1999】自己紹介・雑談--------<09> 94/01/14 - 01485/01496 PBA02422 さはし RE:まったくもぉ!(ゴミです) ( 2) 94/01/14 01:21 01477へのコメント あはは、勝ちました。(^^;) 今夜は12時まで残業して、家に帰って御飯を食べおわったら、 午前1時。そのうえ、明日は会社の新年会なのに、宴会が終わっ てから、事務所に戻って残業しないと納期に間に合わない…(^^;) う〜む。 01486/01496 PBA02422 さはし おかえりなさい、隆ちゃん ( 2) 94/01/14 01:25 01478へのコメント おかえんなさい、隆ちゃん。(て書くと、小学生の帰宅時のお母さんのようだ) お元気そうで何よりでした。 台風情報等(^_^;)、若干、未読がありますが、頑張って消化してください。 ま、「枯れ木も山の…」なんとかですから。(^^;)                                  さはし 01487/01496 PBA02422 さはし どもども、angieさん。 ( 2) 94/01/14 01:36 01479へのコメント コメント数:1 どもども、angieさん、ご心配頂きまして、ありがとうございます。 幸いに身体の方は元気になりまして、精神状態も陽気と言っても良い ほどに回復しました。どもどもです。(^^) 品川の近くに御勤めなんですか。 品川プリンスに宿泊したのは初めてなんですけど、ホテルん中の公衆 電話の多くがISDN電話だったので、楽しく過ごすことができまし た。(^^;) やっぱ、部屋のサイズと言い、料金と言い、公衆電話と言い、ビジネ ス・ユースを考慮した作りですね。少なくともシングルの部屋は。 アンナミラーズの制服は可愛いですけど、少し寒そうですネ。(^^;) 他のファミリーレストランと比べると、食事代が割高のように感じま したが、服飾関係のサービス料金ってことなんでしょうか。(^^;) では、こちらこそ、宜しくお願いします。              なんか、思い出すだけで赤面してしまう(^^;) さはし 01494/01496 GBD03557 シゲ プリンスっていっても ( 2) 94/01/14 15:23 01487へのコメント  #01487 さはし さん 品川プリンスは経営が(株)プリンスホテルじゃなくて、国土計画 なんですよ、確か。 高輪プリンスとか、赤坂プリンスとか、横浜じゃ横浜、新横浜プリ ンスがプリンスの経営で、品川や新宿のプリンスは国土計画なんで ビジネスホテルしちゃってるんです。あ、観光地のプリンスも国土 計画が多いんじゃないかな。 シゲ 01488/01496 PBA02422 さはし RE:うーん、なるほど ( 2) 94/01/14 01:40 01481へのコメント 「子持ちシシャモ」のような足よりも、「白魚」のような指がいいなあ。(^^;)                                通行人S 01492/01496 GBD03557 シゲ RE:うーん、なるほど ( 2) 94/01/14 15:22 01481へのコメント  #01481 みれ (おば)さん ちょっと言わせてもらうけどさぁ、これっていうのは維/YUIちゃが 自分から「アンナミラーズで働いて、あんな制服着たんじゃお客さんが 可哀想よねぇ・・・私の脚じゃ」って言ってたのよ。 僕が脚の外観にこだわる人だったら、ウェイトレスのお姉さんとなんて 一緒になりませんがな。 まぁ、確かに街中で観るのは綺麗なお姉さんの綺麗なあんよばかりです けどね。   シゲ 01493/01496 GBD03557 シゲ RE:うーん、なるほど ( 2) 94/01/14 15:23 01476へのコメント コメント数:1  #01476 スサノオ さん あ、僕の体は「愛着仕様」(*1)ですからね。 (*1)西武の無印良品みたいなダイエーかどっかのブランド シゲ 01496/01496 JBH01750 著美 RE:うーん、なるほど ( 2) 94/01/14 18:23 01493へのコメント  シゲ(匿名希望)の本音解析  >>あ、僕の体は「愛着仕様」(*1)ですからね。 これは、  >>あ、僕の体は「愛妻仕様」(*1)ですからね。  >>(*1)西武の無印良品みたいなダイエーかどっかのブランド これは、  >>(*1)シゲ(匿名希望)の独占ブランド               匿名希望第3号による意味解析 01489/01496 PBA02422 さはし 過大評価ですってば(^^;) ( 2) 94/01/14 01:45 01482へのコメント こんちは、著美さん。 打てば響くような人が一番マスターにうってつけなんだろうけど、 あたしゃ「打てば砕ける」ようなガラスのハートの持ち主ですか ら、時々、落ち込んだりもします。タダモノどころか、セトモノ のワレモノ注意です。(^^;) あの「きしめん」は乾麺なんで日持ちはすると思いますけど、や はり味が落ちたりするので、早めに召し上がってくださいネ。 01490/01496 PBA02422 さはし 惑星直列でしたね ( 2) 94/01/14 01:57 01484へのコメント こんにちは、SQSQUIさん。 そういえば、1982年の「惑星直列」でした。 あの時は、太陽に対して、より大きな潮汐力を持つ内惑星の配置がけっこう バラバラだったので、見掛けの上で「直列」といっても、潮汐力に限って言 えば、影響は微々たるものだったそうです。 富士山はどうでしょうねえ。例えば会津の磐梯山が噴火して堰止湖を作った 時のように、何百年も沈黙していて、いきなり噴火する山もありますし。考 え方によっては、火山は何万年ものあいだ活動するものですから、たかだか、 数百年沈黙しているからといって、「休火山」のレッテルを貼って、観光地 化してしまうのも妙なものかもしれません。 なんと言っても、富士山は、かぐや姫の残して行った「不死の霊薬」を焼き 捨てた場所ですから。(^^;)                            居酒屋マスターさはし 01491/01496 JAE00201 竜人 卒論提出!! ( 2) 94/01/14 05:31 コメント数:1  おかげさまで,無事卒論提出の運びとなりました(^^)。  これで,一つ片が付きそうですが,やる事は沢山積み  あがったままです。   とりあえず,ご報告まで                    竜人(たつと) 01495/01496 JBH01750 著美 RE:卒論提出!! ( 2) 94/01/14 18:23 01491へのコメント  竜人どの  「とりあえず,(卒論の提出の)ご報告まで」  は口実で、本当はここへ飲みにきたのでしょう?(^_^;)  まずは、一献 (^_^)/□-☆-□\(^_^) - FARION MES( 6):・壁(1)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 94/01/14 - 01981/01985 NBB01420 SUKE RE:ぼやき(-_-;)ウウム ( 6) 94/01/14 00:08 01979へのコメント  #01979 みれさん、まだ風邪は治りませんか?  (人のことは言えない、僕もさっぱり治らない(-_-;)...)  最近RTでだったと思う、みれさんは僕などよりも遥かに強い人間なのだろうと突  然思った。  そりゃ年上の分、長い人生を送っているんだし、そうでなくでも僕のような温室育  ちよりずっと苦労されてきた人だろう。当たり前じゃないか..けども。  少し前に仕事で落ち込んでいたときのこと、人生の先輩と言う意味で上司や恩師に  話を聞いたことがあった。  ばりばりの企業戦士?である上司であるが、実のところ落ち込むこともあるという  話を初めて聞いた。  人間誰にでも波がある、と。そしてそんなとき愚痴ることもあるのだって。  上司の場合、奥さんがいるからいい。奥さんというのは決して夫の悪口を言わない  のだそうだ。  そりゃ近所の立ち話で「うちの夫ったら困るのよぉ」なんていう話はあるにせよ、  これが他人だったら、案外陰で「あいつこの前こんなこと言ってたぜ」などと噂し  てるかもしれない。  「そーかー、夫婦ってそんなとこもあるんかぁ」  独り者の私はただ感心するばかりでしたけども。  みれさんがチャネラーであろうと、ARIONとずっと一緒に仕事をしてきた存在  であるにしても、実のところ一人のおばさん(失礼)なんだよね。  そして多分、チャネリングとかに何か特別なんだと感じるのは、自分は当たり前の  人間だと思っている人だからなんだろうね。  どうしてもみれさんだから聞いてみたいということがあったりする。でもそれはチャ  ネラーだからといって特別にと言うわけでもない筈だ。  だって上司に話し聞いた時も、自分にない人生経験の示唆を求めて聞いてみたのだ  し、それが例えば英語得意な人にスペルを訊くのと大差ない筈だ。  超人ロックって漫画知ってる人も多いでしょう?  およそ無限の力を操り、歳をとらない少年ロックの言葉にあったと思う。  「超能力者同士の戦いで一番厄介なのが、互いに相手の能力を封じ合うことだ。そ  んなときなにが勝負を決めると思う? それは忍耐だよ」  っていうようなことだった。  ってことは、超能力者でも結局最後のところは、人間当たり前のレベルのところで  戦っているのねって。(^^;)           うん...なんだかこれも独り言だな(^^)…☆ッテナモンダ Suke. 01982/01985 KFD00473 たまご RE:ぼやき(-_-;)ウウム ( 6) 94/01/14 00:11 01979へのコメント  うーむ。壁2みたいだ!  わっかるかなぁ、わかんねぇだろうなぁ   いぇーーい!!(^_^)  たまご 01983/01985 TBE03167 ねずみ 大した話でもないのだが^^; ( 6) 94/01/14 01:28 今さっきRTってなものをやってきた。 今まで病気のせいでとてもRTなんかできる状態じゃなかったんだけど、 近頃少しは精神的に安定してきたように思う。RTにも参加できるようになった。 それがどないしてん、と言われそうな気もするんだけど、これは僕にとって むちゃくちゃ大きな進歩なんだぞ。嬉しい。 - FARION MES( 7):★アリオン世紀末書込み寺------------<02> 94/01/14 - 01897/01898 JBH00742 スサノオ 目から鱗 ( 7) 94/01/14 00:42 キリスト教の信仰とは「汝の敵を愛せよ」「汝の敵のために祈れ」 と言われるようにかなり過激なものである(あった)。 勿論、現代のいわゆるクリスチャンの方々がどうかは別である。 私が思うに信仰というものは宗教の中にどっぷりと浸からないと その本質が見えないのでは、と思う。 そうしたことからすれば、いわゆる宗教史をされている方にとって 「信仰とは何か」と改めて問いたくなってしまう。 そういえばパウロ(サウロ)は最初パリサイ人ではなかったか。 語学堪能な彼がギリシャ語によってキリスト教の東方への布教に その後尽力したことは既に触れた。 「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」 使徒行伝 第九章より  スサノオ 01898/01898 GBA01276 しまうま RE:今・・現在・・ ( 7) 94/01/14 06:35 01884へのコメント  #1884 SONICぴゃん :しまうまさんは、どういう状況で他人のアラに感じ衝突するんですか?  たとえば今回のやりとりで、SONICぴゃんと僕の距離は以前よりほんの少し 近づきました。するとホラ、なんとなく「ちょっと気の弱い坊ちゃん」くらいに思 っていたSONICぴゃんが、実はけっこう頑固で我が道を最優先しちゃう人なん だなあと思うようになったりしたのです。でも近づいて見えてくるのはアラばかり じゃなくて、いいところもだんだん見えてきますよね。これだけ僕が好き勝手なこ と言ってるのに、誠実にレスを返してくれ、しかも自分の心情を短い文章で的確に、 ちょっぴりユーモラスに語ることができるSONICぴゃん。どちらも「オレなら こうはいかんわ」と思いました。  これから話すのは、あくまで僕の感じ方です。SONICぴゃんはどう思います か?  人が悩み苦しむのは、坂を登るのに似ている。そこにじっとして何も感じずにい れば、こんなに苦しいはずはないのに、まだ見ない何かをさがして、あるいは単純 にそこがイヤになって、坂を登り始める。  しかし悩みと苦しみは、いつか必ず解消される。坂道の勾配や長さには差がある にしても、そのうち頂上にたどりつく。あるいは、坂道の途中で後ろを振り返り、 もといた方へ戻ることに決める。すると登ってきた坂に比例して、今度は滑降する 楽しみが待っている。この滑降が、悩みの解消によるカタルシスみたいなものだ。  もといた方に戻るにしても、登った分だけのカタルシスは味わえる。ただ、次も 同じテーマに悩むことになるだろう。  頂上まで登りきって、まだ知らない坂を滑降する勇気をもっていれば、新しい場 所へ滑ってゆくことができる。滑りながら見るモノ、また滑り降りた後に見るモノ は、知らないものばかり。不安と期待が同居する。そして今までの悩みは消え、い つか新しい壁に突き当たる。  もっとも、頂上まで登ったとしても、そこで後ろを振り返り、もと来た方向へ滑 り去ることもできる。自由意志ってやつだ。        しまうま (GBA01276) - FARION MES( 8):★シゲの【恋愛玉手箱】爆走編--------<01> 94/01/14 - 00122/00122 GBD03557 シゲ 彼女の背負う影が気になって(1) ( 8) 94/01/14 15:23 一言で言ってしまえば「美人」といえるあの彼女には影があった。 その彼女のクラスは隣で、週に二回、材料構造概論と社会心理学の授業の時に 一緒になる。他の生徒たちよりも年齢が上だからだろうか、あまりにも美人な ので声をかけにくいのだろうか、授業の合間の休憩時間にも彼女は独りでベン チに座りタバコを煙らせている。僕はそんな彼女が気になって仕方なかった。 ある日授業の時間よりもだいぶ早く学校に着いた僕は教室にはいるとその彼女 の鞄をみつけて隣の席に自分の荷物をおいた。取りあえず顔を知っておいても らおうという算段である。何度か近くに席を取って辞書や建築基準法令集を一 緒に見せてもらう。 偶然にも学校の帰りに神田の駅で彼女の姿を見つけた。ホームで声をかけた。 数分世間話をしていると鶴見行きの電車がホームに入ってきた。どうやら乗る ようだ。乗る直前に「どこに住んでるの?」と聞くと蒲田だそうだ。蒲田なら どこ行きの電車に乗ってもかまわない。僕は終点まで行く大船行きに乗らない とならない。だからこれでさようならだ。 三日ほど経った日、神田の駅で待ち伏せをしてみたんだ。30分くらいしたら 彼女の姿が見えた。偶然を装って彼女に声をかける「今の中央線で来たの? 僕は一本前ので来たんだ」京浜東北線の磯子行きがくる。今日は僕も大船行き じゃないその電車に乗り込む。彼女は「大船行きじゃないよ」と言うが、僕は 「今日は夕方から蒲田で仕事があるからいいんだ」って言う。 蒲田で「仕事までまだ間があるからお茶でもしない?」と誘ってみる。待ち伏 せして偶然を装い、お茶に誘うという姑息な手段をとってしまう自分に嫌な気 もしたけど、気になる彼女の魅力には勝てなかった・・・・ シゲ - FARION MES(10):★Dr.Sooの《夢酔い人の部屋》--------<01> 94/01/14 - 00322/00322 VFD02105 メルク RE:何だこの夢は?(^_^; (10) 94/01/14 01:08 00319へのコメント  最近、殺虫剤か熱湯でゴキブリを退治した心当たりは? - FARION MES(12):★SUBUDHの《アジア・チャンプル》----<01> 94/01/14 - 00123/00123 NBB01420 SUKE こんにちわ (12) 94/01/14 00:09 00122へのコメント  SUBUDHさん、こんにちは!  この部屋には初めてお邪魔します。よろしく!  この正月に、突然成り行きで友人らと明治神宮に初詣に行きました。  人混みに混ざりながら大きな鳥居をくぐりました。  そのときはなんだか、くぐらないと失礼なのかしら、と漠然と思ってしまった。  うーむ、かえって余計失礼だったのかもしれないのですね(-_-;)        でも混雑顧みず手は洗いに行ったよぉ(^^)…☆ッテナモンダ Suke. - FARION MES(13):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<03> 94/01/14 - 00971/00974 MHD02672 TAO 人は癒されて愛を知る (13) 94/01/13 22:35 00953へのコメント コメント数:1  >KAZEさん  どうでもいいことだと一度は思いましたが、会話が噛み合わないままに  しておくのも何だと思いましたので、#953 へのコメントを。  MES 7 での私のアーティクルですが、KAZEさんのおっしゃったような、  カルマ論的解釈ははっきり言って「お門違い」です。「愛さないから  愛されない」というような因果論を持ち出すと、現実の人間が見えなく  なります。  現に、児童心理学や発達心理学では、人格の健全な成長に必要なのは、  親子間の親密な信頼関係が不可欠だというのは、もう常識になっている  ことですね。問題は、愛情や信頼が欠けた家庭で育ち、情性欠如(感情が  冷たくなっていて、相手の痛みや苦しみが全く分からないという状態を  指す)に陥った人間については、どう考えればいいのです?  人間は「愛される」体験を通して、「愛」のなんたるかを知るのでは  ありませんか? 知らないことをやれと言われても、それは土台無理な  話です。  或いは深刻な心的外傷を負って、恐れや不信感にとらわれている場合は、  馬鹿の一つ覚えみたいに「心を開きなさい、愛しなさい」と“言葉だけ”で  いくら諭しても無駄でしょう。傷ついた心を癒すのには、「愛されている、  在るがままに受けとめられている」という実感を、全力傾けて与えるしか  ないのです。  人が愛することを知るのには、まず「愛」とはどんなものか、それを体験する  という過程があらねばならないのではないでしょうか? 「愛」を与えられる  ということは、「力」を与えられるのに等しいことです。「愛する」という  意志が生まれるためには、まず「愛」が与えられなければならないのです。  有名な逸話がありますね。ある王様が、人間の言葉を一切話さないで、  赤ちゃんを育てたらどうなるか、という実験を行った。生まれたばかりで  捨てられた赤ちゃんを何人か選び、保母や看護婦に養育させることにし、  その時赤ちゃんに話しかけたり、あやしたり、愛撫したり…ということを  全て禁止させた。その結果はどうなったかと言えば、実験に使われた  赤ちゃんは全員、あまり大きくならないうちに死んだという。  勿論、上記のエピソードは本当にあったかどうか分かりませんが、  児童精神分析学では「母親喪失症候群」という症状があって、まだ赤ちゃんが  幼い時に、長い間母親から引き離しておくと、成人してから様々な心理的な  障害が起こるといいます。  無論、「愛される」ことが、限度のない甘えにすり変わっては困りますが、  傷ついた心を癒し、世界や他人に対する基本的信頼を取り戻させる為には、  「愛されている」「理解されている」という実感を持たせることで、  不信感や恐怖から解放するしかないのです。そして、愛する心を甦らせる  ことが可能になるのです。  生身の人間に直面させられると、教条的な解釈とは、現実には何の役にも  立たないということを思い知らされます。人間と人間の触れ合いしか、人間を  変貌させられるものはないのですから。  TAO 00973/00974 GGA02514 KAZE 体験的に学んだこと (13) 94/01/14 00:47 00971へのコメント TAOさん、どうも。 えっと、TAOさんが「カルマ論的解釈」と名づけたことについてですが、 あれは、別に理論でいったわけではなくて、ほとんど僕の体験的なものです^^;。 カルマ論ではこうなっています、なんてことは言わなかったと 記憶してるのですが、僕の記憶違いだったらすみません^^;。 そうでなくてもそう誤解されるような書き方をしててとしたら、 すみませんです、もっと体験記風に書けばよかったのでしょうね^^;。 どうも、こうしたことを体験的に感情を入れて書くというのは、 苦手なものですから、いらぬ誤解を招いたようです、反省^^;。 僕にとって「感情」的なことというのはまだまだ大きな課題のようです。 それと、TAOさんのおっしゃっていたことはもちろん当然のことで、 あの僕の実感というのは、それはちゃんと踏まえた上でのことです。 児童心理学云々については僕も自分の欠如感について、 たぶん小さい頃からの僕の環境だからなんだろうな、と つい最近までそのとおりだと思ってきましたし、 前提としてはそれはそれで正しいと今でも考えています。 あまり言いたくはありませんが、ちょっとだけいうと、 僕は物心ついたら精神的にひとりでした。 そして、そのときは両親も兄もいましたが、ほとんどいつも 精神的にも経済的にも崩壊状態の家でした^^;。 (で、その後現実的に崩壊することになります^^;)。 で、それを反映したのだと思うのですが、 たぶん「愛が欲しい」という叫びのようなものが理由でか、 小学校に入るとすぐ病気になり入院したりしました。 そんなことではもちろん愛が得られようはずもなく、 病気がかろうじて治った後からは、どうにもこうにも、 自分を表現するということがちぐはぐになってしまって、 かなりあとまでそれを引きずってしまうことになりました。 「恐怖感」というのも小さい頃からかなりなものがあったと思います。 それはたぶん「世界」から拒絶されているということからくるもので、 ちょっと熱を出したりすると、その恐怖は、 実際に視覚的にも聴覚的にも「世界が歪む」という現象となって現れました。 これは今から思い出してもかなりなもので、冷や汗ものです。 それに、夢の中でことあるごとに繰り返し現れる恐怖の情景というのは、 ほんとうに拷問のようなもので、汗をびっしょりとかいては 飛び起きたりしていたものです(何だったんだろう、あれは^^;)。 で、そんなここんなで^^;、そうしたことから、特に感情面からくる 僕の対人関係へのコンプレックスは、一見なくなったかに見えるとしても まだまだ消えているとはいいがたいと思います。 でも、先日体験的な結論としてお話したことは僕なりにせいいっぱいの実践で 今ではほとんど大丈夫になっていると思いますし、 ここ数年で、かえってそんなことは知らぬげにアホげに見えるように なっているのは、自分なりの進歩だなと思っています。 で、そうしたけっこう苦しい体験からほんとうに実感したのは、 愛されたい、人を含んだ「世界」から受け入れられたいということを 狂おしいほどに欲したとしてもそれがかえってプラスに働かないことです。 その愛されたいということを克服するためには、 ひたすら愛すること以外には根本的な解決にならないのです。 もし、実際に愛が与えられたとしても、 それだけでその渇きがほんとうに癒されることはないと僕は思います。 僕が恐怖から少しずつ解放されはじめたのは、愛されたいから愛したいへと、 自分のあり方を変えるようになってからでした。 あれほど愛されたい許されたい恐怖をなくしてほしいと欲していたことが それを欲すれば欲するほどさらなる渇きに変わっていくのです。 これは実際のところ拷問以外のなにものでもないです。 でも、その渇きを癒そうと思ったら、方向が逆だったんですね。 それに気づきかけたとき、ああ、救われたなと感じたんだったな、 と今になってみればよくわかります(そのときはわかんなかった^^;)。 ちょっと以前から、どうみても愛されて育ってきたとしか思えない方が、 僕とほとんど同じ年なんですが、「愛が欲しい」故に ちょっとバランスを崩してしまっている方が幾人かいらっしゃいまして、 お話する機会があるのですが、いくら話しても、結局のところ 「自分は愛されてない」ということばかりを繰り返しているんです。 で、決して自分から愛そうとはこれっぽちも思ってなくて、 それゆえに、更に餓鬼地獄のようになってしまっているように思えます。 でも、やはりそれではいけないと気づいた方は、 少しずつ「恐怖」から解放されてきつつあるようなのです。 ま、そんなところで、僕もまだまだ今でも無明を続けているのは事実ですが、 少なくともそうしたことからくる恐怖からはかなり解放されたなと思います。 これは、あくまでも僕の体験からくるもので、他の方に云々というのも 単なるおせっかい以外の何者でもないので失礼千万なのでしたが、 ひょっとしたら参考になるかなと思ってつい書いてしまったのでした。 気に障ったらゴメンナサイ、でした^^;。 ちょいと繰り返しになりますが、自分の体験からいっても、 特に子どものころの信頼関係というのはとっても大事で、 それなしでもいいと言っているのではなくて、 むしろそれだけは何とか子どもに「与える」義務が親にはあると思います。 でも、ほとんどの(僕のように^^;)問題のあるタイプは、 そういう大事な時期が疾に過ぎ去ってからその影響が現れて、 七転八倒するようになるわけで、 実際問題としてそれと格闘することで解決していくしかありません。 ですから、 >生身の人間に直面させられると、教条的な解釈とは、現実には何の役にも >立たないということを思い知らされます。人間と人間の触れ合いしか、人 >間を変貌させられるものはないのですから。 というのはその通りで、だからこそ、その生々しい体験を通じて、 本当に恐怖から解放される道を 自分なりに見つけだす必要があるのだと思います。 それは、それこそ児童心理学などの学問からは、 言い訳や慰めしか見いだすことはできないものです。 現に僕がそうで、いくらそうしたものを勉強しても 何の足しにもならないどころか、言い訳の発見でしかなかったように思えます。 カルマ論云々というのもそれを教条的にいくら知っても何にもなりません。 それを生きた実感としてわずかながら体験を通じて身につけることでしか、 意味のないものであることが多いのです。 「認識」というのはまさに「知行合一」としてしか身につかないからです。 ひとはそれぞれ他のひととは違った課題をもって生きていますから、 他の方の「例題」は抽象でしかありません。 だからこそ、自分がぶつかっていくしかないと、 TAOさんとたぶん同じように僕も感じているのです。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 00972/00974 KFD00473 たまご RE:夜です。 (13) 94/01/14 00:12 00965へのコメント   レナード・バーンスタインといえばPMF。   PMFといえば札幌。   札幌在住といえば私。   短い札幌の夏にPMFという音楽会は開かれます。   故バーンスタインが創った国際教育音楽祭が一月あまり。   芝生の野外ステージでオーケトラの響きを聞きながら、   大地の香りに包まれるとき、   いやぁ、生きているって幸せって思う。          ゴミコメントになってしまった(^_^;) たまご 00974/00974 GGA02514 KAZE 風遊戯30●愛すること (13) 94/01/14 15:37 愛されたいひとが地上に満ちて 愛したいひとが地上にいなくなったとき この地上から愛は消える 自分だけは愛されたいという思い それはいろんな衣装を着て現れる そしてそれはあまりにも同情しやすい物語だ 単純な真実はひとにきびしいことが多い しかもなぜかそれはむずかしいことのようにされる 真実は同情しがたいからかもしれない 子どものような心を失ってはならない だがすべてのひとが子どもになってしまったらどうだろう 庇護すべき大人はどこにも見あたらないことになる 大人になること 真に大人になること それこそが子どものような心を失わないことなのだ それを誤解するのはたやすい 甘えるのをはばからないことはたやすい 子どものままでいるのはたやすいことなのだ 大人であることは愛すること 子どもであることは愛されたいこと 世界は大人を探している だれでも子どもだったのは事実 自分を子どもとみなすのは簡単 だが世界は大人を捜している 愛されたい人は理論家だ 理論ほど簡単なことはない けれど必要なのは愛するというその行為なのだ 愛よこの地に満てよ 不毛の大地に満てよ そこに叡智の花が咲く - FARION MES(15):★平成松川塾◎日本を考える----------<01> 94/01/14 - 433/437 VFD02105 メルク RE:恐怖を捨てよ (15) 94/01/14 01:09 430へのコメント コメント数:1  こんにちわ、松川さん。レスありがとうございました。 >>私は一度も教会に行ったことはないとすでにこの部屋に書いてあったはずです。  そうでしたか。  おそらく、読み飛ばしていたか、失念してしまったかのどちらかでしょうね。  でも、松川さんが教会に行ったことがあるかないかという事は、  あの場合あまり問題ではありませんでした。  ちょっとちがう角度から質問してみましょうか。  松川さんにとって、イエス・キリストは重要な権威的存在ですか?  ちなみに私にとっては、違います。 >>                  それはつまりシュタイナーとケイシーに対し >>てもそう言っているということになります。  え? (?_?)  言っていることになるから・・・・なんですか?  あなたは何のために、そんなふうに言うのですか?  たとえシュタイナーだろうとケイシーだろうと、  もしくは、ヨハネだろうとパウロだろうと、  あるいは、イエスだろうと、ARIONだろうと、         「 オカシイものはオカシイと思う。 」  それが、私には当然のことだと思えます。 >>私は誰にもキリスト教徒になれと強要したことはありませんよ。  イエス・キリストを「ただの人間」と見なすことが、  あまり好ましくないことである、というような内容の文章を、  書いていたと思いましたけど。  私はそれに対して、反対意見を述べたくて書きました。  言葉は、多少極端だったかも知れませんが。 >>                あなたが宗教と歴史を〈どのように考えているの >>か〉ということは漠然とながらですが分かりました。  松川さんがどう感じたのかということは、私にとってとても興味深いことですので、  もしよかったら、教えてください。  なお、このUPがこの会議室にとって不適当であると判断された場合には、  削除してくださって結構です。  (たぶん、自分からは削除しないと思いますので)  では、また。                             メ ル ク 436/437 GFD00204 松川 貴     RE:恐怖を捨てよ (15) 94/01/14 15:35 433へのコメント  メルクさん >松川さんにとって、イエス・キリストは重要な権威的存在ですか? >ちなみに私にとっては、違います。  あなたは私のなすキリスト論に〈権威化〉を見、そしてそれに嫌悪を感じ、それを 排除しようとやっきになっています。しかし、私はそもそもの初めからそんなことに は何の関心もないのです。あなたが私に対してなす質問はいちいち的はずれなことば かりです。 >オカシイものはオカシイと思う。  あなたが何をオカシイと思うのもあなたの自由です。  ここでも大いに〈オカシイ〉とお叫びください。ただし、ちゃんと〈論理〉を駆使 してそう叫ぶことを忘れないでください。そうでないと新聞に載ったあの中野翠さん の本の広告文のようになってしまいますよ。いわく、 「イヤダカライヤダ、スキダカラスキダ」(朝日新聞掲載『満月雑記帳92〜93年』) >松川さんがどう感じたのかということは、私にとってとても興味深いことですので >、もしよかったら、教えてください。  ここFARIONは〈自分を見る〉ためにも存在しているのでなかったでしょうか。どう して私があなたの思考方式の解説をしてあげなければならないのです。そんなことを すれば、あなたに楽をさせるだけです。あなたもそろそろ〈自分を見る〉を始めたら いかかですか。 >#434 >>>イエスのことを「イエスというやつ、云々」と言っていましたよ。 > >ぎゃはははっ。おもしろ〜いっ(^^) >松川さんは、こういうのキライ?  人の書いたことを指さして笑うのは楽しいでしょう。またやるといいです。 >ところで、他の人にはすべて、お知り合いみたく「さん」付けしているのに、 >なぜ、イエスさんだけは呼び捨てなのですか?  他意はありませんよ。 >ひとつ聞き忘れていたのですが、(ケイシー本の話とは関係ないのですが) >太陽霊さんって、偉いのですか? >私、太陽霊さんって、存じ上げないものですから。  あなたは〈偉いもの〉がキライなんでしょう。  それからあなたはもうひとつの誤解をしております。それもこれもあなたがキリス ト教に対する不十分な知識で私の書いていることを読んでいるからです。キリストは 神の子ではなかったでしょうか。神の子の後ろには父なる神がいるのです。キリスト は〈地に巻き込まれた人類〉が自分を通して再び〈大いなる世界〉へと至れるように なるための〈中継者〉となるために〈父のみこころ〉を行おうと地球にやってきたの です。  ですが、これはあなたにとっては余談でした。実際ことはあまりにも複雑すぎて、 あなたに言えば言うほど、あなたはそれを笑いのめそうとするでしょうから。  世界にある宗教をそれぞれ〈人間の恣意〉によってに分けて、あれとこれは対立す るというようなことばかりに目を向けようとするような態度は私にはありません。                                   松川 貴 435/437 GFD00204 松川 貴     RE:侍とロシア正教 (15) 94/01/14 15:34 432へのコメント  ナガトさん  最近、いつものように、何かよい本はないかと本屋に立ち寄ったんですが、例の野 村秋介氏の『さらば群青』が一冊だけ棚に飾ってあったので、買って帰ることにしま した。その時ふと棚の下の平積みされている本の群れを眺め回してみると、『命懸け の論理』(堀辺正史・ターザン山本 ベースボール・マガジン社)という本が目に止 まったので、それをぱらぱらとめくって中を覗いてみると、武士道にまつわる対談を しておりました。ちょっとおもしろそうだったのでそれも買って帰ることにしたので す。  その中で堀辺正史氏はこんなことを述べておりました。  「自分はいつも思うのだが、武士とキリストの精神は、究極的には一致している  というのが、自分の説なんです」(P50)  さらに堀辺氏は内村鑑三の『余は如何にして基督信徒となりし乎』に言及して、こ のようなことをおっしゃっています。  「人が日常生活をおくることに関しては、キリスト教を持つ必要はない。それぐ  らい武士道に関して、内村鑑三は強い信頼を寄せていた。つまり、自分の生活を  律するのは武士道にあると…。ではなぜ内村鑑三にとって、キリスト教は必要な  のか? 武士道は本格的な宗教ではないから、魂の救済とか、そういう点につい  ては欠けるものがあった。(中略)内村鑑三はそこの部分を、よくわかっていた  ので武士道とキリスト教が接ぎ木されれば、もしかすると西欧の文明国以上の国  になり得るのではないか、そういう展望を持った。またその内村鑑三の言葉を聞  くことによって、我々は武士道がどういう性質のものであったかを、よく理解す  ることができる。世俗化された宗教という言い方は武士道の本質をいいあらわす  ピッタリした言葉であることがわかってくるでしょう」(前掲書 P71)  私は内村鑑三がこんなことを考えていたとはまったく知りませんでした。  実を言いますと、私は内村鑑三の『余は如何にして基督信徒となりし乎』を読んだ ことがあるのです。まだ大学生だった二十歳頃の話です。大学の文学の先生が、この 本を講義のテキストに使ったのでした。当時キリスト教にはまったく関心のなかった 私は「どうしてここで、しかも文学書でもない本を採り上げて先生は講義をするんだ ろう」と思ったのですが、とにかくその頃は他学生同様、単位を取ることが重要で、 黙ってその講義を受けておりました。しかし私は、あまり真面目な学生でもなかった ので、その頃に受けた講義内容についてはまったく何も頭の中に残っておりません。  今そのころの記憶を振り返って、改めて眺め直してみますと、今でも昔同様、その テキスト採用の理由は分かりませんが、奇妙な因縁(奇妙な記憶の接続)みたいなも のを感じます。  〈大いなる世界〉によって世界にどのような働きかけがなされているのか、その全 体像はとても見渡し尽くすことはできません。しかし、それがなしているものは、き っと人間の目には理不尽で時には馬鹿げて見えるに違いありません。人があまりにも 知的になり、学者がしきっている活字の中の世界観でもって宗教でも政治でも経済で もしきろうとすれば、なおさらそう見えるでしょう。しかし、私はあの勝海舟が言う ことの方が本当だろうと思っているのです。すなわち、  「李鴻章の今度の処置などは、巧みなのか、馬鹿なのか、少しもその結果の分か  らないのには、大いに驚いています。これまでの長い経験では、たいてい、日本  人の目に大馬鹿と見えるのがエライようです」(『海舟座談』P213)  人のなすことでさえそうならば、まして〈大いなる世界〉がなすことは、なおさら 人の目はそのように見えるのではないでしょうか。                                   松川 貴 434/437 VFD02105 メルク RE:ケイシーさんについて1 (15) 94/01/14 01:10 431へのコメント コメント数:1 >>(ちなみにケイシーさんをよく知っているTAO さんも、  ○○さんをよく知っている・・・・って、まるで友達みたいね。  そのビデオって、見たことはありませんが、  ひょっとして「予言大爆発」というタイトルではありませんでしたか? >>イエスのことを「イエスというやつ、云々」と言っていましたよ。  ぎゃはははっ。おもしろ〜いっ(^^)  松川さんは、こういうのキライ?  ところで、他の人にはすべて、お知り合いみたく「さん」付けしているのに、  なぜ、イエスさんだけは呼び捨てなのですか? >> ところでメルクさんは五島さんがケイシーさんを使って書いた2冊の本の内容につ >>いてどのように思われておられるのでしょうか。  まるっきり信じるといったようなことはありませんが、  なかなか興味深く、また面白い読み物でした。  ひとつ聞き忘れていたのですが、(ケイシー本の話とは関係ないのですが)  太陽霊さんって、偉いのですか?  私、太陽霊さんって、存じ上げないものですから。  では、また。                           メ ル ク 437/437 VFD02105 メルク RE:ケイシーさんについて1 (15) 94/01/14 15:43 434へのコメント  ひとつ言い忘れていました。  五島勉のケイシーの本の内容に関する話(must等の話)ですが、  手もとにあったはずの本がいまだ見つからないので、  とりあえず保留にさせていただきます。  失礼しました。  では、また。                        メ ル ク - FARION MES(17):★パワフルなえ★の《おふくろ通信》--<01> 94/01/14 - 744/752 JBH02324 なえ 心のぺーじ・その七・夫婦って? (17) 94/01/14 06:12 738へのコメント   夫婦喧嘩→→夫婦円満 では、どうすれば、円満な家庭が築けるのでしょう。 一つは「お互いの欠点を包隠さず出し合う」という事だと思います。 「誰がこの皿を割ったんだ」 「あら、ちょっと当たって落ちたのよ。わたしが悪いんじゃ無いわ」 というのと 「誰がこの皿を割ったんだ」 「ごめんなさい。わたしが不注意だったの。」 同じ場所、同じ様な言い方で、随分と違うように感じます。 片方は実は正当性を持ちながら自己庇護しているんです。 これでは相手はつい更に責任を追求してしまう・・。 しかし、もう一方、一見自分を犠牲にした様に思われるかも知れませんが、 実は「壊した」現実をありのままに受けとめ、正直に望んだ結果なんです。 こういうと、相手の態度も自然と柔らかくなり、言葉は叱ったとしても、 心の中では「許そう」とか「いたわろう」という気持ちが湧いてくる。 この言葉のクッションを、現代の自由と平等という、皆幸せになりましょう論が 見えなくしたのかも知れません。 こんな風に、身近な事・・少しずつ考えてみませんか?                         - なえ - 747/752 JBH02324 なえ 心のぺーじ・その八・夫婦って? (17) 94/01/14 11:20 738へのコメント   夫婦円満→→力こぶ 朝から喧嘩して出た御主人が、会社でうまく仕事をこなせるハズはありません。 どこか嫌な、気まずい空気が残っているからです。 そんな人が、ちょっとしたスキに事故に合う。 気持ち一つで、指一本、或いは足片方・・失う事にもなるのです。 朝・・・出かける亭主殿と・・くれぐれも喧嘩をせぬよう。>奥様 では、朝から機嫌良く出かけた御主人は・・。 少々の辛い仕事もなんのその。家で待ってるカアチャンの為ならエンヤコラ。 朝・・・出かける亭主殿に・・・熱い気持ちの一言を。>奥様 女はおしゃべりで軽い・・と言われているけれど・・? そいう軽い言葉を使うのは、夫婦喧嘩した気まずい空気を、 軽くあしらいジョークに出来る・・天性の恵みなんですよ。>奥様 それは綺麗事だと思いますか?? お互い、誰かに頼まれて縁を作り、夫婦になった訳では無いのでしょう?? 誰の為でも無い、自分がどうするか? その為に、何が出来るか???  ですよね。                         - なえ - 748/752 JBH02324 なえ 心のぺーじ・その九・夫婦って? (17) 94/01/14 11:20 738へのコメント   力こぶの素  * やめてね編 お客が来たら、すぐに偉そうに相手を怒鳴らないで・・・威張る程、三文安べえ? 何でもすぐに言いつけないで・・・・いたわる気持ちは風の彼方? 何でも出来事、話してね・・・・他人が先に知れば知る程、恥ずかしい? カラ返事はだめよ・・・・聞いた振りしてTVに夢中、TVと結婚すればぁ? 黙って出かけないでね・・・・・大事な事が有っても言えないと困るでしょ? 里に帰れって、あんまりじゃない?・・・幾ら勢いでも・・女三界に家無しなの?   * もっと言ってね編 子供の前で亭主(妻)を誉める・・子供は、なんて偉い親やと思うで。ホンマ 手伝いは恥ずかしくない・・・・自分の肌着の在処も知らないと・・何れ困る? 食事は宝もの(少々マズくても)顔で笑って心で泣いて・・・気遣いは嬉しい 相手の悪い所と、同じ数の良い所知ってる??・・・・それで平等って言うのよ。 台所は女の城・・・・動き易い場所には美味しい食事も並び易い?設備投資は如何 玄関入ったら大声で「ただ今」って言ってね。きっと明るい「お帰り」が待ってる。 でも・・・・だからって相手にまず求めちゃダメ。自分がお手本示さないと・・・・ 相手に希望したって、だあれも・・・・聞いてはくれないものなの。                         - なえ - 749/752 JBH02324 なえ 心のぺーじ・その十・夫婦って? (17) 94/01/14 11:21 738へのコメント   近 道 水を張った丸いお盆の上に、小さな花びらが落ちました。 綺麗な花びらを手を使わないで取ろうとしました。 そこでスウスウ息を吸ってみました。 幾ら吸っても、苦しいばかりで、一向に近づきませんでした。 そこで、今度は息を吹きかけました。 フ〜フ〜と吹きかけました。 花びらは、すーーと離れて行きましたが、いつか縁にかかり、引き返しました。 縁を辿って、知らぬ間に手元にやってきました。 幸せだと思える様な事を、誰かと一緒にわかちあいたい。 手渡して生きたい。 息をするように、当たり前の様に・・。 知らず知らず、人生は、巡り回りながら、送り出した事を運んで来ます。 お盆の中の花びらの様に・・・・                         - なえ - 745/752 JBH02324 なえ 14番ネタ(^^;かな? (17) 94/01/14 10:39 今日はあちこちで「とんど」をする所があるでしょうね。 あれも一種の祓いみそぎなんですね。一年の厄災を祓い、炎で清める。 昨年の初詣で頂いた「お守り」を燃やし、新たな一年を祈願し、新しい お守りを身につける。書き初めが一番高く登れば、今度書く字も・・?。 もう、ずっと昔からある行事ですね。 竹で挟んだお餅を焼いて、笹酒を飲んで、赤く火照った笑った顔、かお。 炎で見える子供のほっぺも真っ赤なお顔。 あれは、もう随分と遠い昔の話なのだけれど・・・・。 燃える炎の大きさに、凄さにおびえて泣き出した。 パチパチとはじける大きな笹は、時折ドーンと地面を揺るがす程の大き さでコダマする。山の向こうからも、別な場所でしている「とんど」の 竹のはじける音が聞こえてくる。 子供達は夜が更けても起きていられるので、ウキウキしている。 幻想的な夜の風物詩です。 746/752 JBH02324 なえ 発言者削除 :誤字なの(^^; (17) 94/01/14 10:42 750/752 JBH02324 なえ 再びROM (17) 94/01/14 11:28 ちょー時間がとれなくて、またしばらくROMさせてね。>ごめんしゃい よろしくねん 751/752 JBH02324 なえ 今年も終わった(^^; (17) 94/01/14 13:34 この15日で、今年度の子供神楽も終了します。 収剣祭をして、祭神に報告し、一年のお守りを感謝してお帰り頂きます。 もう3−4年になるかなぁ・・。その収剣祭での事。 神様を奉る祭壇に、神主が祝詞を上げて、おおぉぉぉ・・・という神を降 ろす言葉を唱えると・・。 突然あたしの目の前の、その祭壇に現れたお方が・・・。 あたしはずっとそのお方が誰だか知らないで、それでも、きっとそれが、 神楽を舞続け、手伝い続けていられたのも、そこにおいでる方が、守り、 支えて下さるからに違いないと・・。思ったのです。 それから一輝さんによって、氏神はスサノオノミコト様である事や、それ までのいきさつから、もう、あの現れたお方こそ、スサノオノミコト様に 違いない。と・・、妙な確信を持っていました。 世間一般では、破壊神だとか、アマテラスを排除しようとした謀反人だと か、悪名高いと言われているけれど、あたしは全然そんな風に感じません でした。 気高くて、気品があって、優しそうで、それでも威圧感が凄くて・・。 先日には、某氏に無理に頼んでスサノオ神社まで連れて行って貰いました。 それは、これまでのお礼を、ぜひ言いたかったからでした。>某氏に心か ら感謝 まぁローカルですから、いちお知ってもどうしようも無い・・・と思いま すが、地元小学校にて、今年最後の収剣祭を行います。興味のあるお方は 覗いてやって下さいませ。(^^; 詳しくはメールでも(^^;  1/15 (土)  小学校体育館 午後 4時頃より(当日の午前の最後の奉納を終え次第) であ 752/752 GBG02755 すまる 夫婦かぁ・・ (17) 94/01/14 17:43 失敗した私の話。 私たち夫婦はたぶん、理想的な形を維持してきたように思います。 会話は毎日あります。そう未だに・・・ スポーツ、経済、社会、趣味、子育て、天気、仕事、友人、料理、などなど 話さない内容はほとんどなかったね。 毎朝毎晩、車で送り迎え、出張のときは必ず、電話連絡あり、 料理は必ず家で、妻の作ったものを食べる。おいしいまずい工夫の仕方まで二人で相談。喧嘩はしない。しかし討論はした。 私は買物は少し大きなものは必ず、相談した。 笑顔で送り出すことも心がけていた。 信頼関係は深かったと思う。不倫の相談までしたくらいだもの・・・ 金銭感覚のずれもほとんどなかった。 常識と呼ばれるレベルもほとんど同じ。 少しづつ感性に違いはあったけれど、それはわかれば、なんのことはないことだった。 にも関わらず、今月離婚するんですよ。 離婚するのに、二人で旦那さまの一人住まいようの家具を見に行ったり、 会社の仕事の話なんかに花が咲いたりするのね。 誰も離婚するってことを信じないだろうと思うなあ。 ここまで、夫婦してても、離婚することはあるんですよ。 夫婦って言うのは、簡単じゃない。 未だに、なぜ離婚するんだろう・・と不思議になる瞬間がある。 でも、わかっているのね、この人と2度と夫婦したくないってことだけは。 でも、きっととても良い友達になれるだろうな。そう思える。 夫婦って、恋人とも友達とも違う。 夫婦って 夫婦なんだと思う。 夫婦でやっていけないけれど、もしかしたら恋人になれるかも? そんな不思議なことは有り得る。 友達出来るなら、離婚止めなさいって言われるのね、これが1番説明に困るんだけど。 でも、夫婦で居続けることは私の中の何かが許さない。 それを説明するには、言葉はあまりにつたないものですね。 努力すれば夫婦を続けられるか? たぶん、それだけじゃないだろうな。 努力の仕方とか、方向とかあるだろうと思うよ。 それもまた、言葉には出来ない。 それぞれの夫婦にしかわからないことだろうしね。 どれだけたくさんの夫婦の型を示しても、 参考になる事例があっても、当事者にしかわからない「何か」てあるよ。 そんな風に思ったよ。                             すまる - FARION MES( 2):【居酒屋1999】自己紹介・雑談--------<09> 94/01/14 - 01497/01497 JBH00742 スサノオ RE:#1492 ( 2) 94/01/14 20:50 01492へのコメント  人には本人の努力によっても変えられないものがある。  例えば容姿、あるいは年齢…。  スサノオ - FARION MES( 3):【めでぃあ室】本/映画/音楽 etc----<01> 94/01/14 - 00342/00342 JBH00742 スサノオ RE:#341 ( 3) 94/01/14 20:50 00341へのコメント  余りにも状況がひどいということか…。 スサノオ - FARION MES( 6):・壁(1)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 94/01/14 - 01986/01986 GBD03557 シゲ RE:きがついたら大晦日 ( 6) 94/01/14 20:03 01947へのコメント  #01947 SONIC ぴゃん セブンスターは心を満たす魔法のスティックですか・・・ そういえば小椋ケイの歌で「知らない間に心が凍えて、ポケットをまさぐり 取り出すセブンスター」といった旨の歌がありました。 こういう冬の寒いときには一本の煙草の火が温もりになりますね。 ま、セブンスターはけっこう強いですから吸いすぎに注意してってJTの 人じゃないんだからねぇ。 シゲ - FARION MES( 8):★シゲの【恋愛玉手箱】爆走編--------<01> 94/01/14 - 00123/00124 GBD03557 シゲ RE:負け惜しみなど(^^;) ( 8) 94/01/14 20:03 00093へのコメント  #00093 《 隆 》 さん : 「でも、恵まれた奴らは、悶々としながらイメージする淫美な世界を知らないの : だろうなぁ」なんて結局は負け惜しみなのかも・・・。 化石レスなのですがちょいと目に付いたもので・・・ そういえば1月1日のタイムスタンプですね。 よく友人と話しているとオナペットとして雑誌とかビデオを利用する人が多いことに 気づくんです。独り悶々としながら想像力を膨らませてしていた僕としては不思議な ものがあります。全く自分とは無縁の世界にいる訳ですよね、雑誌やビデオの女性 っていうのは。でも、独り悶々とするのは「憧れのJ子ちゃん(byソニック)」を 想像して「もしかしたらJ子ちゃんと・・・」という希望があるんですよね。 だからそういう感情を移入できない雑誌やビデオ相手っていうのは嫌いなのよん。 シゲ 00124/00124 GBD03557 シゲ RE:彼女の背負う影が気になって(2) ( 8) 94/01/14 20:03 00122へのコメント そうこうして僕と彼女は仲良くなってったんだ。 そしてまるで日課となってしまったような喫茶店での彼女とのひとときの言葉 に「ドライブでもいかない?」彼女の方から誘ってきた。迷わず僕はOK。 夜の10時に駅前で待ち合わせをして一度家に帰る。 あいにく僕は車の免許を持っていない。だから彼女の運転。羽田から首都高速 に乗り横浜方面に、横浜新道より国道一号、西湘バイパスを抜けて箱根新道に。 車の中での会話はもう記憶がない。ただ霧で前が見えなくてこわかったこと。 国道一号を三島方面に下って沼津より松並木の中を走る。田子の浦で左に入り 防波堤の上に車をのせる。外は土砂降りの雨が降り出している。水平線さえも 見えない真っ暗な海にヘッドライトを照射させる。土砂降りの雨の向こうに波 が白く光る。ルーフにたたきつける雨の音と、荒れた波の音が聞こえる。 車のシートを倒ししばし仮眠する。だけど隣に気になってしょうがない彼女が いると思うと寝れるわけがない。僕は彼女の肩に手を回すんだけどそれ以上な にもできない。本当は唇を盗んでしまいたいんだけど・・・ 彼女は目をつぶっているにも関わらず僕の顔を察したのか目も開けぬまま「キ スしたいんでしょう?」だって。図星なんだけどまさか彼女の口からそういう 言葉が出てくるとは思わなかったなぁ。その後彼女がなんて言ったのかは忘れ たけど軽く窘められてキスなんてできない雰囲気になってしまった。 ちょいと朝までに東京に行かなければならない用事があったので明け方早くに 車を出して沼津より東名高速にのって東京に舵を取る。 シゲ - FARION MES(15):★平成松川塾◎日本を考える----------<01> 94/01/14 - 438/438 VFD02105 メルク RE:恐怖を捨てよ (15) 94/01/14 20:13 436へのコメント  こんにちわ、松川さん。 >> あなたは私のなすキリスト論に〈権威化〉を見、そしてそれに嫌悪を感じ、それを >>排除しようとやっきになっています。  嫌悪は感じていませんでした。  しかし、私の文章表現が良くなかったのかも知れませんね。 >>あなたが私に対してなす質問はいちいち的はずれなことばかりです。  まったく面目ないことですが、  なんでも分かっていたら、質問なんかしないのであって、  ときには的外れもしかたがないと思います。 >>どうして私があなたの思考方式の解説をしてあげなければならないのです。  もしよかったら・・・・とお願いしただけです。  「解説してあげなければならない」ということは、まったくないと思います。  ところで松川さんは、「自分を見る」ということを、  人の意見を聞かずに、自分一人でやった方が良いとお考えなのですか? >>そんなことをすれば、あなたに楽をさせるだけです。  私に楽をさせたくないとお考えなのですか?  だとしたら、それはなぜなのでしょうか? >>人の書いたことを指さして笑うのは楽しいでしょう。またやるといいです。  五島勉の言葉が面白かったというだけです。 >>キリストは神の子ではなかったでしょうか。  そういう説が存在することは知っていますが、  じっさいの所がどうなのかは、私は知りません。  つまり、  そういう説もあるけれど、他の説もあり、  それらのうちの、どの説が真実にそったものなのか?  ということを証明する決定的な証拠を私は持っていないということです。  しかし、もちろん、可能性や予測について話すことならできますが。  では。                        メ ル ク