- FARION MES( 2):【居酒屋1999】自己紹介・雑談--------<09> 94/01/16 - 01504/01506 GBD03557 シゲ RE:プリンスっていっても ( 2) 94/01/16 00:32 01500へのコメント  #01500 さはし さん 大事な人が一緒だから高いホテルに泊まるっていうのは違いますよね。 ビジネスホテルはさみしいけど、旅館や、民宿や、プチホテルや、 選択肢は色々と有りますよね。 最近の僕のストレスに、そういう所に泊まれないっていうのがあります。 車椅子ユーザーだとベッドが必須条件だから民宿や旅館の和室には泊まれないし、 トイレの問題なんかを考えると大きいシティホテルになってしまいます。 それと温泉にも入れないしね。 まぁ、以前、ホテル関係のインテリアや備品のデザインをしてたので もともとホテルは好きで泊まるのは嬉しいのですけど・・・ シゲ - FARION MES( 4):【宴会/オフ】プラン・レポート------------<02> 94/01/16 - 448/449 TBE03167 ねずみ 大阪オフ行けないみたいです ( 4) 94/01/16 10:14 今日は(も!)頭のおかしいのがぶり返してて、ちょっとアブナイ日なので、 大阪オフ行けそうにないなぁ。 Soo先生からお誘いがあったのだけど、ご迷惑をかけそうな予感がするので やめときます。(Soo先生ありがとうございましたm(__)m) 他人づきあいどころか自分につきあうのにも往生している ねずみ でした。 - FARION MES( 6):・壁(1)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 94/01/16 - 01992/01996 GGA01457 宗生 「悪魔」君?!?! ( 6) 94/01/16 01:40  昨日の夜中、  普段は付けない時間にテレビを付けた。    3歳の娘にビデオを借りてきたので、恐くない内容か見ておこうと思ったから。  娘は、恐い内容のテレビを見ると泣き出してしまうから。喧嘩の場面とか。      ニュースをやっていた。    一瞬、内容が解らなかった。    次に、耳を疑った。    画面には新聞記事の見出しが映っていた。    こう、書いて有った。    ”「悪魔」君、命名”    アナウンサーは言っていた。    ”市役所では、受理するかどうか、協議しました。”    ”そして、  個人の意志に行政が介入すべきではないとして受理することとされました。”    なんということ!!!!    なぜ????    親は、どんなつもりで、そんな名前を、つけるのだろう。    子供の未来をどう考えているのだろう。    面白がっているのだろうか?    他の意図が有るのだろうか?    なにか、人の心の中に有る真っ黒なシミを見たような気がした。人の心は、  こんなにも変わってしまったのだろうか。こういう想念を持った人ばかりに  成ってしまったら世の中はどうなってしまうのだろう。あまりにも、想像したくない  内容である。ほんとうに、高レベルの意志が存在するならば、介入しだすのも  あたりまえと、当然のように考えてしまう。    今年になって自分の想念も悪化しだしているのでは、無いかと感じる。  流れの中に漂っているのだろうか?自分を見失わないようにだけは、したいものだ。  娘を、世の中から隔離して檻の中で育てるつもりは無いけれど、大変な世の中に  生まれてきたことだけは、確かである。親を乗り越え巣立つまで保護するのが  親の努めであると考えているが現実を正しく認識する目も持たせてあげたい。    そして、レンタルビデオを見た。うん、これなら一緒に楽しめそうである。      今日、喜んで見ていた。  見終った後、昨日のテレビのことを思い出したので書きました。               GGA01457   親馬鹿の ’宗生’でした。 01993/01996 TBE03167 ねずみ 悪いヤツ>わたし ( 6) 94/01/16 10:07 僕は昔から人づきあいがヘタなんだ。きっと……心の中に鬼がいるのかもしれない な。自己を抑制して善人になろうと努力することもあるんだけど、そうすると、心 の鬼が窒息死しそうになる。すると、生きていることがイヤになるんだな。善人に なれない。鬼のほうがいい。 01994/01996 VFD02105 メルク 開放 ( 6) 94/01/16 11:50  嵐 稲妻の轟音と暴風  暗闇と 激しい振動  盲目の賢者が大声で叫ぶ 我は王者なり と  やがて嵐が過ぎ去った時 彼は見る  光の優しさと 青空の力強さと  そしてそこに舞う 一羽の白い鳩を                          メ ル ク 01995/01996 VFD02105 メルク RE:昨日のTV見て思った事 ( 6) 94/01/16 11:54 01990へのコメント >> 虐められた人間にだって悪い所があった筈だからさ  どうなんでしょうかねぇ。  私が私の経験をもとにして考えるに、  いじめられっ子がいじめられる最大の原因は、  いじめっ子にとって、その子が「いじめても大丈夫」だからだと思う。  たとえば、その子が、肉体的に、あるいは精神的に弱者であるとか、  クラス全体の雰囲気が、その子をいじめる雰囲気になったために、  多数決的に弱者になるとか。  それは、良いとか悪いとかいう問題ではないような気がする。  だからといって、いじめっ子だけが悪いとも思わない。  だからたぶん、いじめっ子が、誰かをいじめる理由は、  全く別のところにあるのかもしれない。  なんて思ったりする。  それはたとえば、家庭であるかもしれない。  その場合、いじめっ子も家庭では被害者だという事になる。  たとえば、極端な話だけど、通り魔殺人というのがある。  通り魔殺人の被害者にも、悪い面はあったのだろうか。  通り魔殺人の加害者にも、ひょっとしたら、  なにかのっぴきならない理由があったのかもしれない。  でも、その理由は、被害者とは別のどこかにあるかもしれない。  その通り魔殺人の加害者も、別のある時には被害者だったのだろうか。  100%の加害者、100%の悪というのは、たぶん存在しないのだろう。  しかし、加害者と被害者という視点だけでは、  永遠に堂々巡りを続けるような気がするなぁ。  う〜む。                             メ ル ク 01996/01996 JBH00742 スサノオ 元気回復 ( 6) 94/01/16 13:02  昨日は図書館に調べ物をしに出掛けてみたが休館日。  成人の日であることを忘れていたのである。 仕方がないので代わりに本屋へ直行した。  店内には成人式の着物姿の女性もちらほら。  しばし気になる本をチェックして店を出た。  表では成人の日にちなんでかどうかミニ・コンサートが開かれ、  4、5人のグループでロックのバンド演奏。元気がいい。  小さなステージの前には僅かばかりの椅子が並べられていた。  2、3曲ステージを遠巻きにしながら演奏に耳を傾けた。  お世辞にも上手とは言えなかったが何故か好感が持てた。  元気を分けてもらった気がした。  スサノオ - FARION MES( 7):★アリオン世紀末書込み寺------------<02> 94/01/16 - 01901/01903 KFD00473 たまご RE:人との衝突 ( 7) 94/01/16 00:29 01899へのコメント  >>まるにちょん さん 確かに、わけわかめなコメントですね。 (好評につき、辛口コメント(^_^;)深い意味はないから、 間違っても傷ついちゃやーよ) 挨拶が遅れましたが、コメントどうもです。 今後ともどうぞよろしく。 結局のところ話にかなり迷いがあるなぁって風に読めましたけど、 それであっているでしょうか? まず徹底的にやり合うのはよくないらしいと思っている。 まるにちょんさんの言葉を引けば、 >>すべての人間が理解できるものでもないと思いますよ。 >> 強引に差をとりにこられた相手にとっては、(まあ、人によりますが、)たまご >>さんの方法は敵対行為、あるいは傲慢ちきと取るかもしれませんね。 またもうひとつには、 >>だから言うのですが、相手の状況を想いやり、決めつけること無く耳をかたむける。 >>そうすれば、時間はかかるかもしれないが、相手に響く可能性も大きいのです。 とは思っていても、 >>まあ、ぼくの方法が最良なんてこともないでしょうけどね。(^0^) いまひとつ自信がもてないでいて、迷っているのがわけわかめな コメントになってあらわれているのかなぁって感じられます。 さて、ここで私が思うことは、 だからよくないという批判をしたいのではなくて、 自信を持ってやっていく方がいいだろうっていう激励です。 どの方法がいいのかって考え込んでいても、 パーフェクトないい方法なんてありません。 出会う相手はそれぞれ違いますから、 出会ってから最良の方法を見つけるのが自然な展開です。 最初から万人向きの会話の方法なんて存在しないし、 ある方が不自然なのです。 だから少なくとも言えることは、 自分自身のやり方に自信がなければ話なんて出来ません。 話しているうちに迷いが出てしまって、とても他人と話すどころでは なくなってしまうからです。 自分は正しいのか間違っているのか、気にしていたら会話は無理でしょう。 自信を持って話すことです。 違っていたら、そのときに軌道修正していけばいい。 そう思います。       たまご 01902/01903 GDB00064 オリハル 内圧 ( 7) 94/01/16 02:16 なんか最近、FARIONの内圧が高いようですね。 人はなぜか個々の理由で感情的になり、 理解やら誤解やら敵や味方が生じているような気がする。 自意識過剰的に見れば、私の行動があなたの感情の理由になってるように見える。 それは多分、個々の深読みが原因しているように思いました。 本当に私が理由なのかなぁ。 私の限界に関して言えば、 特定の人間に意図的に嫌な事柄を執拗にされ続けて5年我慢できます。 ところが、こんなパソ通の文字だけの関係で何がどうだというのでしょうか。 私は何も我慢してないし、何があったわけでもありません。 最近は他のフォーラムやHPに行ったりしてますが、 このフォーラムの人に何か理由があったりはしません。 比較的、自分だけの理由で行動している人です。 昔からそうです。 フォーラムの事を言ったりしてるのではないのですが、 集団行動と言うものについて「何とかならんのかね」という感想をいつも持ちます。 どうしても集団行動をしなければならない場面でも、チャンスを見つけて 「“私は”これで」と言ってスタコラサッサと一人になってしまうのが私です。 ですので、私に関しては関係性に重きを置かずに見て頂くとご理解頂けると思うのです。つまり、何か感情的な理由やら問題やらは、ないということです。 ・「あなたは理由ではない」 私は社会に従う人間ではなく、公=神に従おうとする人間です。 あなたが社会に感じる恐怖や忠誠はあなたという人間の中に植え付けられている 神への恐怖であり、忠誠であることに気づけば、「神」と「社会」を感覚の上で 識別できるようになるでしょう。「神」は本来矛盾がなく、絶対であります。 ところがどうでしょう、あなたの感じている「社会」は矛盾だらけであり、不完全です。そのために「社会」に対して怒りが出ます。本来、完全なはずのものだからです。 実際問題、「社会」に矛盾が見えて当り前、「神」は完全であって当り前です。 あなたの感覚の上に於て両者をしっかりと区別しましょう。 例えば、「社会をすべて敵にまわしても神に従う」という感覚。 「社会の代表者に対する恐れの念は全く存在しない」という感覚。 シュタイナーの「いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか」の中でも まず最初に行なうのは、「畏怖の念を育むこと」です。 畏怖の念は「社会」へ向けられると、いずれ矛盾を見たときに怒りの原因となります。 畏怖の念と言うものをなぜ人は持ち得るのでしょうか。 畏怖の念は湧いてきます。 それは自我が弱い人に与えられた恩寵です。 畏怖の念は神から湧いて、神へと向けられるのが正しいのだと思います。 去年の雛形形成から実行へと私も移りましたので、今後は、何か無い限りは、なるべく ROMにしようと思ってます。(少し凝ってみました ↓)                          ●▲● オリハル ▲●▲ 01903/01903 VFD02105 メルク 生と死 ( 7) 94/01/16 11:56  もし、「今、死にたい? 死にたくない?」と聞かれたら、  死にたくないと答える。  だって、やり残している事がいっぱいあるから。  まだまだ、死ねない。死にたくない。  これは、たとえば、  買った食べ物を、まだ食べていないというのに似ている。  今死んだら、  生まれてからの自分の人生を、まだあまり活かせていないうちに、  手放してしまうという気がする。  なんとも、もったいないと思う。  いつ死んでもいいように・・・・、  って言っても、べつに一刻も早く死ねるようになりたいというわけではないけど、  後でもったいない思いをしないように、  やり残している色々なことを、少しずつでも、  クリアーしていきたい、と思う。                            メ ル ク - FARION MES(11):★アキラの《平井和正*異界漂流》----<01> 94/01/16 - 171/171 MGH00465 アキラ RE:地球樹とカグツチ (11) 94/01/16 17:17 170へのコメント  その通りです。平井さんが、その通りのことを言ってました。  まるにちょんさんの解読、楽しみです。                       MGH00465 アキラ - FARION MES(12):★SUBUDHの《アジア・チャンプル》----<01> 94/01/16 - 00124/00127 KHC01313 まるにちょん RE:神社・鳥居・祭 (12) 94/01/16 00:20 00122へのコメント  TBD00623 SUBUDHさんへ  ことしもよろしく。  「鳥居」の話題が続いていますが、興味深いですね。  ノリトの中に、「鳥居の祓」と言うのがありますので、紹介しておきます。   鳥居の祓(トリイノハライ)    神の在座鳥居に伊禮ば此身より日月の宮と安らげくす   (かみのいます、とりいにいれば、このみより、ひつきのみやとやすらげくす)  思うに鳥居は、SUBUDHさんが指摘するように、結界として存在するのでしょう。  日猶同祖論者の中には、旧約聖書の中の「過ぎ越しの夜」に出てくる、  モーゼが戸口に赤い血を塗り、災厄を避けたという故事に鑑み、  赤く血に染まった戸口を災厄を避ける結界としてとらえ、これを鳥居の起源とし、 かつ鳥居が何故赤いかと言うことも説明がつくとしているようです。  鳥居には謎が多いので、もっとこの話題が続いて、謎の一端が解ければなんて かってに思っています。(^0^)                     では、また。まるにちょん、○=ゝ 00126/00127 TBD00623 SUBUDH RE:こんにちわ (12) 94/01/16 06:57 00123へのコメント コメント数:1 SUKEさん。ようこそ。 初詣の人ごみはさぞモノスゴかったでしょう。明治神宮でもココゾトバカリに巨大な 「賽銭箱(箱ってもんじゃないよネ)」を用意して、いくら位「儲かる」か気になっ ていたことでしょうね。こんな神社の態度こそ「失礼千万」です。 僕の頭の中では「コンナモノイラナイ」に「神主」が入っています。神社を封印して いる張本人は「神主」だと思っています。                     《アジア・チャンプル》案内人 SUBUDH 00127/00127 JBH00742 スサノオ Re*2:こんにちわ (12) 94/01/16 13:02 00126へのコメント  SUBUDHさんへ (この会議室では)初めまして。  私はSUBUDHさんが思っている程、神社の側が儲けを気にしている  とは思いません。確かに一部の神社(寺)や新興宗教等々では  金儲けに血眼になっているのかも知れませんが、  そうばかりで無い団体も存在すると思います。(これは希望的観測か)  ところで真の宗教者が育ち、後継者(あるいは伝承者)となるには  それなりの金銭的背景がなければ不可能だと思いますが  その点は如何お考えですか。  この際はっきり言っておきますが、只で(ボランティア)で  カミゴトを行うというのは「偽物」の証拠です。  スサノオ 00125/00127 TBD00623 SUBUDH RE:はじめまして (12) 94/01/16 06:57 00121へのコメント AVIDYAさん、こんにちわ。 僕自身はまだ「伝承者」ではありません。そうなれるようにしたいのですが。 バリ島で呪術の叡智が消えてゆくのは忍びないです。若い人々でバリ語の読み書きが できる者がだんだんと減ってきています。 >  というのは paleography でいうシッダマートリカーとかなのでしょうか. 僕は専門用語をあまり知りません。バリの文字を実際に見てもらえたらよいのですが 画像ファイルとしてUPいたしましょうか? GIF画像をそちらで表示する手段は ありますか? 「SANGHYANG SIWA GRIGUH」の他にも「NERANG UJAN」なんていう資料もあります。 これらのものも紹介していこうと思っています。気長にお待ちくださいね。 それと、カンダ・パットというもの自体は4元ですね。 それらが自分自身(アートマ?) との相互作用によってパンチャ・マハー・ブータのように5元になってゆきます。 このあたりを踏まえると神道での「奇霊」「幸霊」「和霊」「荒霊」との共通性も探 れるのではないかと考えています。                     《アジア・チャンプル》案内人 SUBUDH - FARION MES(13):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<03> 94/01/16 - 00979/00982 PXH01650 英雄 けえかほうこく(2) (13) 94/01/16 00:24 HVHYさん、YUI さん、こんにちは。 >宇宙子ナントカの紹介をなさっているのは、具体的には、約2名ですので (#966 HVHY) すいません、そのうち約1名がわたしで〜す! ちょっと紹介したつもりがいろいろ物議を醸し出しているようで、 言いだしっぺのわたしが黙ってるんじゃあ申し訳ないので、コメン トさせて頂きます。とは言え、今じゃあわたしが聞いた範囲を越え てるんであまりお役に立てないかもしれませんが。直接、情報源に 接しているYUI さんに期待するばかりです。わたしは、また聞きな んで。 >「数」は、どのように扱おうと、「質」を伴っている(#958 HVHY) >「6」そのものが“こういう性質”を備えている点(同上) 不勉強なわたしですからトンチンカンかもしれませんが、 「質」=「性質」ではないんじゃあないでしょうか? YUI さんやKAZEさんの発言を読むと、何か別のニュアンスのような 気がするんですが.... 今度は、YUI さんに質問です。 >完全でなければそれは存在しないのか?(#962 YUI) 「完全/不完全」と「存在する/しない」とが対応する議論が出て くるのがわかりません。どういう意味でしょうか? 再びHVHYさんの発言について。まったくものを知らない人間で 申し訳ないんですが、以下の事について教えて下さい。 >「一流の科学者は芸術家」(#960 HVHY) から >科学と芸術が融合する必要はありません(同上) という結論が出てくる論拠がわかりません。 また、どういった意味で、科学者が芸術家なのでしょう。世間では そうでない科学者もいるのではありませんか。 >「動機として認識される以前の動機」 これは具体的にどういうことでしょうか? >現在の科学の到達点と限界について 上記の文を読んでの通り、まったく科学について無知なわたしが 限界云々について意見を言える資格はありませんが、シロ―トな りにこう考えています。 現在の科学は、精神(心)や生命を、物質から発生したものと考 えていると思います。これはオカルトの、初めに霊ありき、とま ったくの正反対です。わたしは、科学がいまだ、霊や霊界、ある いは神について説明できていない(プラズマやタキオンでは、納 得できないんです)事が、その限界ではないかと思います。 また、人類が迎えようとしている状況を乗り越えるには、精神や 生命についてオカルティックな面を科学で説明できなければなら ないとも考えるからです。 宇宙子科学は、精神と物質とをはっきり分けて説明する、という こと、肉体・精神共のヒ―リング、無限エネルギ―、人類精神の バイブレ―ション・アップ等、あらゆるメンタルなム―ブメント が目指す目的を達成するための科学である、ということを伺った からです。 詳細はまったく非公開なので、是非や真偽を論ずる事は適切では ないのではないか、とも思います。わたしとしては、断片を人間 精神の研究のための参考資料とさせていただいております。 聞く所によりますと、宇宙子科学は一般の科学とは異なり、いわ ゆる”霊的”なプロセスから始まったという事です。もちろん、 内容はすべて数式と図形により記述されている、とも聞きます。 いろいろな意味での妨害等を防ぐという意味でも、研究メンバ― 以外、研究室に入ることも、図面を見ることも許可されていない、 との事です。他にも理由があるそうですが、わかりません。 とまあ、まったくわからない事ばかりですが、YUI さんが研究生 と会っているので、全然ハッタリという訳ではないんでしょうね。 まあ、理論が完成して実験段階になればわかるのでしょう。 その時を待つしかないようです。 でも、ほんとうに、精神や生命、あるいは死後の世界について、 宗教やオカルトでは多くの人は納得しないでしょう。少なくとも 医学が、生命の永遠性を認めなければ、臓器移植や、体外受精や 告知、AIDS等の問題は一向に解決できないと思います。 精神科医が、宗教をやる人間は精神障害者だ、と言うようでは、 心を癒すことは不可能ではないでしょうか。ロ―マ法皇やアメリ カ大統領、あるいは牧師さん、お坊さんは、みんな病気なのでし ょうか。科学がこういったレベルでは、人類の滅亡は必至だと思 います。しかし、宗教でも同様ではないでしょうか。もはや、従 来の宗教・科学では、一歩も進めない状況ではないかと感じます。 真の意味での科学・宗教・芸術が融合した、まったく新しいもの が必要だと思います。人知のレベルを超えなければならない、そ れには人間(地球人)だけでは到底達成できない、という事を理 解する事が、原点ではなかろうかと思う次第です。 ∞英雄∞ 00980/00982 GBA01350 まるじろう RE:ひとりぼっちから (13) 94/01/16 01:15 00976へのコメント コメント数:1  KAZEさん   なんかそれとは違うかも知れないんだけど、今日、分かったような気がします。   変な言い方ですが、今、妙に嬉しいんですね。  これは、ふっきれたというのとは違って、元々苦しんでいたこと自体に対して   とことん深く落ちてそのまま向こう側へ突き抜けて、   その結果離れて振り向いたら、全く違ってたんだなという感じ。   ただし、突き抜けるというのは、残念ながら、ひとりでは出来なかった。  とことん深く落ちて、というのは、とにかくここ数日ほとんど夜眠れなくて、   ひどくつらくて眠れなかったのですが、睡眠不足の頭で悶々と考えるから   余計にドロ沼に入っていく感じだったんですね。今だからこうわかるけど。   昨日ふと、ある友人のことを思い出して、電話して時間を作ってもらって、   今日3年近くぶりに会って、見えないこと、苦しいこと全部聞いてもらった。   私も、彼女の夫が苦しんでいること、それに伴う彼女の苦しみも聞いてあげた。   もうひとつ。明日が母の誕生日で還暦なので、私のささやかな贈り物として、   今日の夜(明日が私の都合でダメなので)家族4人揃ってちょっといいとこに   食事しに行ったのです。(ウチではこんな事とても珍しいんですよ)  そんなこんなで、何となく見えてきたんですね。これなんだとね。   ひとりぼっちになることも必要だけど、必要な場面では人の存在も必要だと。   友人、血縁、形は問わないけど、だいじなのは物理的じゃない結び付き。   そう気がつくと、今日の昼くらいまで苦しんでいたことも、   本当は実体のないもので、ただもう自分の心の中に勝手に作り上げていたもの。   そんなものに囚われて苦しんで深刻になっていた自分が、まぁバカみたい。   「失った」と思い込んでいたものはちゃんと不動にあって、新たに「得た」。  「愛する」は「与える」こと、「愛される」は「求められる」ことなんですね。   たいていの苦しみはそこを逆に勘違いしているために起こっているようで、   「愛する」を「奪う」、「愛される」は「与えてくれる」と思っちゃう。   私のも、どうもそれに近かった。もちろんそんなこと理屈では分かってたけど、   実感として理解するのは、なかなかです。   そして、それがお互いにわかった間柄なら、真の自由も生まれるのですね。   これが多くなればなるほど、その人の心の世界が豊かになります。   「与えられない」=「愛されていない」と思いこんでたら、どうしようもない。   「求められている」=「愛されている」、「与えることができる」=「愛せる」   と気がつけば、もう大丈夫でしょう。苦しいとか楽しいとかは関係ないですね。  自分は何が間違ってて、これからどうすればいいのか、やっとわかってきました。   しかも、それっていうのは、気付きさえすればそんなに難しくはないんですね。  で、不思議なことに、食事から帰宅すると、何だか「来たぞ」という感じがして、   久し振りに気持ちが向いて、フラウト・トラヴェルソを吹いてみたら・・・・・。   やっぱり音はウソつきません。何ケ月ぶりかで自然ないい音で鳴った。   あぁ、これなら自分は大丈夫みたいだぞ、と感じられるのも幸せ。                  今夜は眠れる   まるじろう 00981/00982 GGA02514 KAZE 与えよ、さらば与えられん (13) 94/01/16 03:22 00980へのコメント まるじろうさん、どうも。 >ひとりぼっちになることも必要だけど、必要な場面では人の存在も必要だと。 >友人、血縁、形は問わないけど、だいじなのは物理的じゃない結び付き。 そうですね、大切なことですね。 僕なんかは、親、兄弟、友人などをふくめて、 相談なるものをしたことがないから、それだけ解決が遅れたというのも あるかもしれませんねえ(僕はかなりの強情者だから^^;)。 でも、たぶん人の存在は、たとえ抜け道がないとしても、 ひとりでそれなりに七転八倒した上で、というのがいいのだと思います。 しかし、無事暗闇を抜け出られたようで、おめでとうございます(^^)。 今度、僕が暗闇に突入したときには、迷わず、 まるじろうさんに相談に乗ってもらうことにしたいと思いますので、 そのときはよろしくお願いします(^^)。 >「失った」と思い込んでいたものはちゃんと不動にあって、新たに「得た」。 その「新たに「得た」」というの、いい表現ですね。 失ってはいなかったけど、失ったかのように思っていることって多いです。 でも、それを取り戻すことができて、そのときになってようやく、 それが本当はなくしていなかったのだということがわかるのです。 禅の十牛図というのも、そういうことの表現でもあるんですよね。 失ったと思っていたものは、いつもちゃんと自分といっしょにいた。 失ったと思ってそれを探し求める旅にでていろいろあるわけだけど、 その探索の末に、それが再発見されるのだけれど、 そのときにはもはや最初の牧歌的な融合状態ではなくて、 いわば自覚的な自然(じねん)の状態でもあるわけです。 たぶん、その時点から自分との本当の対話がはじまるんではないかな、 なんてイメージを僕はもっています。 >「愛する」は「与える」こと、「愛される」は「求められる」ことなんですね。 >たいていの苦しみはそこを逆に勘違いしているために起こっているようで、 >「愛する」を「奪う」、「愛される」は「与えてくれる」と思っちゃう。 「与えよ、さらば与えられん」っていうことを深く実感するまでに、 人は与えられない苦しみに焼かれながら日々を送らざるを得ません。 おっしゃるように、「「与えられない」=「愛されていない」」と思いこんで いるとなかなか苦しみはなくなりませんが、それがわかれば苦労はない^^;。 愛されたらその与えられたことに深く感謝し、 そして、愛することを喜びにできるようになれば、いいのですが、 実感としてそれを理解するのは確かになかなか難しいですね。 >それがお互いにわかった間柄なら、真の自由も生まれるのですね。 >これが多くなればなるほど、その人の心の世界が豊かになります。 そう、真の自由はそこからはじまるのだと思います。 与えれば与えるほど心の富は増えていき、 与えられることに感謝することでさらに心は豊かになっていく。 僕もそれを理想としていつも忘れないようにしたいものです。 そんな人間関係がふえていけば、それが本当に豊かな社会を生むのでしょうね。 >で、不思議なことに、食事から帰宅すると、何だか「来たぞ」という感じがして、 >久し振りに気持ちが向いて、フラウト・トラヴェルソを吹いてみたら・・・・・。 >やっぱり音はウソつきません。何ケ月ぶりかで自然ないい音で鳴った。 来ましたかあ(^^)、それはよかった。 やっぱり「与えよ、さらば与えられん」というのは、音楽でも言えそうですね。 そういう意味で、音楽も真に自由でなければ、できないのかもしれません。 「愛されたい」音楽ではいけない、与える音楽でなければいけない。 与えたときに音が「来る」、そしてそれがまた与えることである、という 音楽の不思議があるような、そんな気がします。 演奏の場というのも、そんな真の自由を理解する方が集まることで、 すごく豊かなものとなるような気がします。 そんな場にお誘いいただいて恥ずかしくないように、 僕もそんな心をもちたいものだと思います(ガンバラナクテハ)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 00982/00982 HCB00374 DIRAC RE:祈りのチェック (13) 94/01/16 10:34 00978へのコメント  KAZEさん。RESありがとうございます。 本年もよろしくお願い申し上げます。さて、RESの内容ですが、  (1)外の世界から自分の心の見返りとは、信仰でなく認識。  (2)宗教的な教義による和合でなく、すべての人の共通認識。 と捉えさせて頂きました、これについて少し。  (1)外の世界から自分の心の見返りとは、信仰でなく認識。    外で起こっていることを心に見返るということは、まず認識があってから 自分の意志によって行動(見返る)するという手続きがあると思います。 外の世界の認識だけでは、見返りまでには至らないのではないのでしょうか? 自分の心の認識も必要ですし、見返ろうとする動機も必要でしょうし、見返り の方法論も必要でしょうし、見返るという行動も必要です。 そして、自分の心を立て替えようとするその祈りと努力に、自分自身の発見の 機会を頂き、かつての自分の気づかなかったところを気づかせて頂き、自分自身 の殻破りが出来ていく。祈りが通じるということになるのでしょうか。 こういう向上のプロセスを考えるとき、これはもう信仰以外の何物でもないと 思うのです。補足しますと、「ただ拝む」とか「おすがりする」というのも 信仰であるという認識が一般的ではありますが、それは私の意図する信仰とは 別物です。私の意図する信仰には、祈りと努力(修行の継続)があります。  (2)宗教的な教義による和合でなく、すべての人の共通認識。  宗教的な教義による和合−−このようなことがあっては、むしろ大変だと 私も危機感を持ちます。これは、特定の宗派の支配を意味するからです。 真理による和合が大切だと思います。ただし、ここで考えなければならないの は、真理とはひょっとすると、合理主義の思想でカチカチの我々の今の感覚 でいうと、不合理なものにうつるかも知れないということです。 その不合理にみえる部分が、俗に言う「宗教的」な雰囲気をもつ物だとしたら どうでしょうか。逆に、実は真理ではない宗教的な教義を、宇宙エネルギーだ とかエントロピーだとか不確定性原理などという科学的言葉に置き換えれば 共通の認識として認められるのでしょうか。真理は真理であって、その形式は 科学的であろうが宗教的であろうが関係のないはずのことです。 形式にとらわれる事なく、真理を真理として共通認識することが大切だと思い ます。そこに理解が生まれる。しかし、これだけでは和合の成就はなりません。 理解の上に大乗の思想と祈りと行動が必要です。相手を気遣う実践が必要でし ょう。いづれにしても、認識以上のものは必要だと思います−−というより、 それ以前に、現状では共通認識を持ち得難いと思うのです。和合していないの ですから。真理故に、言葉は違っていてもシュタイナーの意図するところは 大枠では同じだと思うのですが。 ありがとうございました。     - FARION MES(14):★HVHYの預言解読部屋------------<03> 94/01/16 - 01663/01664 KHC01313 まるにちょん 桃太郎伝説2 (14) 94/01/16 00:23 コメント数:1  以前桃太郎について書き込みをしましたが、あれからまた閃いたので、 性懲りもなく書き込みをします(^0^)  桃太郎には、3匹の従者がいたが、これを下記のように解釈することが できないだろうか。  それぞれの従者を三種の神器にあてはめてみる。  ・サル=知恵=ヤサカノマガタマ(=穀霊)  ・イヌ=誠実=ヤタノカガミ(=太陽神)  ・キジ=勇気=クサナグノツルギ(=軍事)  さらに、これを三貴神にあてはめてみる。  ・ヤサカノマガタマ=ツクヨミノミコト  ・ヤタノカガミ=アマテラスオオミカミ  ・クサナグノツルギ=タケハヤスサノオノミコト  となる。  つまり、桃太郎は、三種の神器を持ち、かつ三貴神の霊系(または血統)を 併せ持つカミではないだろうか。  ぼくは、桃太郎=オオカムズミノミコトと以前書き込んだが、じつは桃太郎は ホノガグツチではないかと思っている。  しかもこのカグツチは、浄化され、禊ぎ終わっているだろう。  追 記   RG01147 誠惇さんへ   以前桃太郎伝説について、コメントを頂いておりましたが、RESしなくて  すみませんでした。   誠惇さんのチャチャ入れ、いやいや、コメントはなかなか面白いですね。   白い花嫁は、白衣観音かな?。いやいや、国際化の折、白人を嫁にもらい  ますか。(^0^)/   ところで、三色論議ってなんだすか。                     では、また。まるにちょん、○=ゝ 01664/01664 JBH00742 スサノオ Re:桃太郎伝説2 (14) 94/01/16 13:03 01663へのコメント  三種の神器に「マガタマ」があったとは初めて聞きました。  「マガ(禍)タマ」ではなく「マカ(真)タマ」ではないですか。  濁ったカミゴトもあるのでしょうが、…。 スサノオ - FARION MES(17):★パワフルなえ★の《おふくろ通信》--<01> 94/01/16 - 756/756 GDB00064 オリハル RE:夫婦か・・・ (17) 94/01/16 02:16 755へのコメント 私の傾向としては言わないよりは言ったほうがよろしい、という判断があるもので。 とかちさんにとっては、いまさらの事かも知れませんが、保証人について一言。 保証人の代わりに保証証券で代用する個人保証制度があるのですから、「保証人になっ たために・・・」という事態に直面しなくていいのです。保証人=人質。このような封 建的な制度がまだ残っているのは先進国の中では日本ぐらいなものだそうですね。                                  オリハル - FARION MES( 2):【居酒屋1999】自己紹介・雑談--------<09> 94/01/16 - 01507/01507 GBE02650 ユ−リ 衣川旅行記 第2回 ( 2) 94/01/16 22:43        『巌(イワオ)神社の鳥居は見えるか!?』  さて、バスを衣川村の入り口で降りてから、  曇り空と、時折パラつく雨の中を歩いた歩いた。  ちょっかいをかけてくる子供達とおばちゃん。  (僕は旅行者だっつうの…(^^;)  見知らぬ旅人にも「こんにちは」と声をかける女学生。(^_^)  さて、実際に衣川をこの足で歩いた感想は、 ここが、まぎれも無く難攻不落の天然の要塞である事実ですね。  四方を山で囲まれ、開いている場所といえば、 僕が実際に歩いた東からの進入路のみなんですが、 この狭い経路の半ばを横切る川の橋を落とせば、 こちらからの道を閉ざすのは容易です。  地図によれば、 南北の山々は何層にも重なっていますので、 かつて安倍の時代にしたように、 それぞれの山に砦を設ければ、 はっきり言って正面からの正攻法での進入は不可能でしょう。  それから、もうひとつ。  北海道の雄大と言えばあまりにも雄大な風景に慣れ親しみすぎて、 もはやそれが、あたりまえの景色になっている僕の目から見れば、 衣川の景色は山と山の間のわずかな土地に開けた、 箱庭のような風景なのですが…  なんと言えばよいのか… この衣川の中で全てが完結していると言うか、 小さいながらも立派な小宇宙が成立している感じがしました。  さて、衣川の中心街を抜けて更に先へ。  奥に、小高い丘のようになっている場所がありまして、 多分場所によっては、この丘から衣川の全景が見渡せるのでしょうが、 かつての安倍の本拠地ともいえる場所が、ここにありました。  そして、坂道を登り切った時、 田んぼの向こうに、まぎれもない、 石神神社の鳥居と社殿が姿を表したのです。  そして、間違いが無ければ、 本来の目的地である御神体の石神様は、 あの神社の森の中で眠っているはずです…  以下、次号。  感動の最終回に続く。(^^; P.S 巌(イワオ)神社とは、石神神社の別名です。 - FARION MES( 3):【めでぃあ室】本/映画/音楽 etc----<01> 94/01/16 - 00343/00343 PXH01650 英雄 2001年幻のスコア ( 3) 94/01/16 22:04 S.キュ―ブリック「2001年宇宙の旅」のサントラに もう一つ全然別のスコアがあったんだってね。 (デストロイド・バ―ジョン) (ツアラトウストラを使っていないやつ) どなたか聞いた人いますか? ∞英雄∞ - FARION MES( 6):・壁(1)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 94/01/16 - 01997/02000 JCC02647 とかち 大きな愛に守られてる ( 6) 94/01/16 21:13  今日鎌倉へ行ってきました  って書くと誰かの歌の文句になりそうなんですが  北鎌倉から歩いて円覚寺・名月院・建長寺・鶴岡八幡宮に歩き廻ってました。  その時の内容ではないのです  最近って言ってもここ数カ月の事の話しです。  昨年8月山中湖BQオフ以来の事なんです  自分が「**したい、**行きたい」って願って出かけると  曇っていようが、雨が降ってようが晴れるんです  山中湖BQオフの時は台風の心配があったのですが2日とも晴天  11月の池袋オフも昼間は雨が降っていたんだが  集合時間前から雨が止み、夜中には月が出るくらい晴れた  12月の名古屋・豊橋行った時もそう  会社の後輩に頼まれた列車の写真撮りに鳥羽に着いた頃から雲が  雨雲に変わり、その列車で名古屋に着く寸前まで雨だったんです  それが名古屋に着いてからは雲が切れ晴れ間がのぞいた  1月に豊橋に行ったときもそう、2日間とも晴れていた  1月のとある火曜日の事、朝から雨だった、今年始めての雨の日  急に小田原の仕事がはいったのよ  で、横浜から小田原まで特急の踊り子号に乗って  「最近幸せだなーーー」って考えてた時  車窓を眺めたら丹沢辺りの雲が切れて晴れ間が顔だしたんだ  で、今日、朝から雲が多かった、晴れてはいたが  電車で横浜から北鎌倉に向かう途中雲が少なくなってるのに気づく  円覚寺・明月院・建長寺と廻るにつれて柔らかな陽射しが  包み始めるのに気づく  ここ数カ月間の些細な事、たまたま天気がいい日だったのかもしれない  でもね、自分の行きたい所に行く、したい事をするって日は  必ずっていっていいほど柔らかな陽射しが私を待っていてくれる  なんか大きな愛に守られてるようなそんな気がする  今月豊橋に行った時、つい太陽に向かって2拍打ってしまった  それほど太陽のあの柔らかな愛をありがたいって思えた事が嬉しいの                              とかち 01998/02000 GBG02755 すまる RE:悪いヤツ>わたし ( 6) 94/01/16 21:21 01993へのコメント ねずみさん、あたし、鬼って好きよ。 あたし自身の中にも鬼はいるよ。 でも、あたしは自分の中の鬼が好き。 いいえ、あたしの自慢できるキャラクターでもあるわ。 鬼でありたいなら、鬼であればいいのよ。 そのときどき、思うがまま、自在に変化すればいいよ。 善人したいときは善人、鬼でいたいときは鬼。 それが普通だと思う。 ねずみさんはものすごく正直なだけ。 みんなが仮面かぶって良い子してるだけ。 ねずみさんのファンより。                    すまる 01999/02000 PFA03563 YAHATA RE:今の自分に必要な事 ( 6) 94/01/16 23:19 01989へのコメント  #01989 とかち さん  毎日が日曜日の私は最近スキーをやりこんでます。自分の中だけで完結する 行動だからすべては自分に起因します。うまく滑ってもうまく滑れなくても。 (斜面のせいにするほど愚かではないつもりです。)  素直に「偉いぞ!自分」と思えるようになりました。思ったようにコントロー ルできた時です。そうでなくても問題点に気付けば「よーしよく気がついた、 偉いぞ私」と、とりあえず褒めておきます。…勿論、やり直しがきくからです が。時間も無制限みたいなもんだし。(期限を切るとそればかりが気になると いう性向はまだ治ってません。)  今まで自分を褒めるのは自意識過剰とか自惚れであると思って必死に抑えて きました。彼女にもたまに言われました。「そんなに卑下ばかりしてないで、 もっと自信持っていいと思います」…その頃の私にとって自信とは自惚れでし た。自己を客観的に見るとき、主観でしかない自信なるものは排除すべしと考 えていました。今は考えが変わっています。「自己を客観的に評価することは 不可能である。」なぜなら評価の視点自体も自己の内にあるのだから…。それ はサングラスのレンズの色の濃さを確かめるためにそのサングラスをかけて鏡 を見るのと同じことではないかな、と。色眼鏡を通して見た色眼鏡の色は本物 より濃いものになりますね。色眼鏡の存在を認めてしまいましょう。そして、 どうせなら奇麗な色眼鏡で自分を見てみましょう。と、書きながら思い付いて 自分に言い聞かせるYAHATAでありました。(^^ゞ 主観バンザイ \(~o~)/ YAHATA 02000/02000 PFA03563 YAHATA RE:「悪魔」君?!?! ( 6) 94/01/16 23:19 01992へのコメント  #01992 宗生 さん 》 親は、どんなつもりで、そんな名前を、つけるのだろう。  「一度聞いたら忘れられない名前にしようと思った」のだそうです。  いじめに遭うことは疑いないものと思われます。「悪魔払いだ」とか言って ね…。家庭が地獄と化すのが懸念されます。でも他人が何を言ってもしょうが ないですね。こういう“勇気ある”決断に対し、私は「やらせとけば?」と思 うだけです。改名せざるをえなくなる事態が、起こるでしょう。それを期待す る人々も少なくないものと勝手に思い巡らす私です。  「個体識別の記号としての名前」という見方をすれば、「悪魔」という名前 は確かに強烈なインパクトを持っています。しかし、そのような「宴席での一 発芸」的発想では済まないものが、言葉にはあります。「悪魔」くんは、人が 「悪魔」に対して持つ一般的イメージを喚起させずに生きていくことはできな いでしょう。ま、これだけ騒動になったんだから親は喜んでいるのかも知れま せんね。 自分のときは「神一」 とでも…(嘘)(^_^;) YAHATA - FARION MES( 7):★アリオン世紀末書込み寺------------<02> 94/01/16 - 01904/01904 PXH01650 英雄 RE:はじめまして。 ( 7) 94/01/16 22:50 01900へのコメント はじめまして、Konyさん。 >天照皇太神さま どういう神様か、よろしかったらお教え願えますか? >わするなよ むねにひとつの かみみたま >みがけばひかる たからなりけり 内なる神性を磨けよ、との意味でしょうか? いずれ機会がありましたら、お話し下さい。 ∞英雄∞ - FARION MES(12):★SUBUDHの《アジア・チャンプル》----<01> 94/01/16 - 00128/00128 TBD00623 SUBUDH RE:Re*2:こんにちわ (12) 94/01/16 20:16 00127へのコメント スサノオさん >  ところで真の宗教者が育ち、後継者(あるいは伝承者)となるには >  それなりの金銭的背景がなければ不可能だと思いますが >  その点は如何お考えですか。 確かに今の世の中、生活には「金」が必要です。しかし宗教的な行動の対価として金 を受け取るというよりも、「金」の為に「宗教的な行動」を行っている現実がありま す。もはや、そこには「カミ」は存在せず、「カミという言葉」が手段になっている ように思えます。ウチの近くの神社でも「裏」では金儲けに走っていたり、神社の土 地を神主個人の手に入れようとしたりする所を「多く」見受けられるんです。 しかし、「神主」は表向きは「厳かに」しているのでナカナカ見えにくいのですが。 いろいろなモメゴトを起こしている神主は氏子との関係も悪く、地域の奉仕、援助を 期待できないので、遠く離れた地域での「信者」獲得に必死になっている所もありま す。 大抵の神主は神社本庁から「派遣」されてやってくるので、地域に溶けこんでゆくの が困難なようです。神社自体は地域住民が代々守ってきているものです。そこへ他の 所から「神主」がやってきて神社を仕切ってしまったり、伝統を壊してしまったりす るものですから、氏子としても面白いわけがありません。僕自身も神主と氏子の間に 入ってお互いの信頼関係を取り持とうとしたことがあります。氏子からの要望で神主 との話し合いの場を設けるように神主と話し合ったのですが「神主」としては「あい つらとは何も話をすることがない」の一点張りでした。 まあ、この神主はトッテモ極端な人なのかもしれません。ウチの村では大小いろんな 神社があります。それこそ「祠」だけのもあります。先程の神主がそのイロイロな所 の神主を兼任していました。「祠」の回りにゴミが落ちていて、それを村の者が掃除 をしようとしても、その神主は「金」を要求するのです。その理由は、「そこは神域 である。掃除とはいえ個人がその場を占有することになる。従って占有の為の対価を 支払うのは当然。」です。まったく不可解です。 さて、僕の場合。いろいろ教えてもらう行為に対価はありません。呪術はおろか楽器 の演奏等を教えたり教えられたりする行為で対価を求めてはいけない。という事を師 匠から強く言われました。バリで「バリ語」を他の人から「金を払って」教えてもら った時にひどく怒られたものです。楽器の演奏や絵画などの芸術はもともとカミへの 捧げものだからだそうです。 これとは別に生活には「金」が必要です。これも現実です。しかし「カミとの関り合 い」の中で金を期待しなくても、「カミを信じて・カミに対して誠実」であればなん とか生活できるものだと思っています。このあたりはスゴク楽観しています。 あなたがどのような行為を「カミゴト」と言っているのか解りませんが、僕自身が考 える「カミゴト」は個とカミとの関り合いの行為です。そこへは対価の入りようがあ りません。また神社などでの「オハライ」等の行為を「カミゴト」だとすれば、その 行為が只で行うならばそれは「偽者」だという事でしょうか? 「カミゴト」には対価が必要なのでしょうか? あなたの「カミゴト」とはどのような行為なのか教えてください。そうしないと >  この際はっきり言っておきますが、只で(ボランティア)で >  カミゴトを行うというのは「偽物」の証拠です。 について判断できません。                     《アジア・チャンプル》案内人 SUBUDH - FARION MES(13):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<03> 94/01/16 - 00983/00984 PXH01650 英雄 RE:科学芸術への道(1) 数量と数質 (13) 94/01/16 22:05 00960へのコメント KAZEさん、こんにちは。遅いRESでごめんなさい。 >数の質と量というのも等価であるような記述 例えば、コインの表/裏のようなもの、となりましょうか。 数質 ∞ = 数量 うまく書けませんが、メビウス環的な表現を狙ってみました(^^;) 「知行合一」という点において、数学的な連関のイメ―ジが(もや もやと)頭にある感じがするんですが...時期を待ってみます。 >原子というのは「場」の違いで明確に「質」が変わってきます これこれ!「場」というものも、重要な要素だと感じます。 適切な比喩ではないかもしれませんが、塩水中にあるリンゴ と、砂糖水中にあるリンゴとでは違うように、置かれた「場」 との関係で異なったものになる、といえますね。 (ウ-ム、アンマリ、イイ例デハナイナ(^^;)) >「夕焼けが赤い」 ちょっと、研究テ―マからはずれますが、一つ思い出した事があり ます。 なぜ、夕焼けが赤い事に感動するのか、さらにもっと敷衍して、美 しいものに感動するのか、その科学的(?)理由として、自分の内 にあるものと共鳴するからだ、という話を聞いた事があります。 これは、波動を元にして説明する事になりますが、関連して何か掴 めそうですね。 こうやって見ていくと、いろいろな概念(イメ―ジ?)が湧いてき ます。 ∞英雄∞ 00984/00984 PXH01650 英雄 RE:芸術の質・科学の質 (13) 94/01/16 22:07 00963へのコメント YUI さん、こんにちは。長文が続いたんで、若干RESが遅くなって しまいました。 >ちなみに私はエイユウって読み方が気に入ってます ありがとうございますm(__)m 名前負けしているとも言われますが...(^^;) >こういったカタチで出会うことになるなど、夢に思っていませんでしたから、 >なおさらこの驚きはすさまじいものがあります。 いやあ、同感です!(^^)まさか、直接、研究生の方とお話しする とは。素晴らしい行動力ですね。やはり、”必然”なのでしょうか。 しかし、宇宙子科学について、いろいろな論議が出てきて、今更な がらに、みなさんの関心の深さと知的レベルの高さに驚いています。 わたしは、ほとんど詳しい事は知らないので、YUI さんの情報が今 や頼りです。よろしくお願いいたします。 以下、今までの発言を読んで、わからなかった点について、挙げてみ ます。 白光真宏会と宇宙子科学の関係について。 わたしが調べた所によれば、宇宙子科学は、白光の祈りから生まれた とあります。KAZEさんの発言を読むと、白光は危険な団体とも思える ようですが、この点はどうなのでしょうか? 「世界人類が平和でありますように」は、いいコトバだと思っている んですが... >面積は、「確率」で表されます(#944) ここの意味がよくわかりません。初歩的な事かもしれませんが、まあ 高校時代は数学と物理が赤点ばっかりでしたので、ご勘弁の程を(^^;) >真の宗教は、科学精神そのものである 質問というより、この点について、も少し詳しい説明を聞きたいと 思います。 >世界のすべての事柄というのはパラドックスでできている う〜ん。ここもよくわからない(^^;) パラドックスとは、不完全のような気がするんですが... >「道具」の獲得はまったく持って困難な”修行”であり、高次の自己変革 >を必要とします。そこに、宇宙子科学が「秘密」とする事実は説明される >のです。 ということは、高度な精神の持ち主(いわゆる覚者?)でなければ 宇宙子科学は理解できない、という事でしょうか。もし、そうだと すると、 >宇宙子科学が情報の公開を待つのは、何故か?それは今の人類に >、この「道具」から作られる「機械」が勝手気ままに操作され、 >無秩序な世界を生み出され、世界の破滅を導いてしまうからなの >です。 というのと矛盾するのではないでしょうか? 以前にも書きましたが、もろ刃の剣のような”機械”は、まだ未発 達だと思います。悪用・誤用される事のない”機械”こそ、人類が 真に必要とするものではないかと思います。 >できれば人類が宇宙子科学を頼ることのない方向に人類全体が、進化すれば >宇宙子科学の役目は終わるのに ここの点が一番?です。”宇宙子科学に頼る”とは、どういう事でしょ うか?ウルトラマンを例にしているようですが、それはちょっとおかし い気がします。これでは、コンピュ―タに頼ってはいけない、あるいは、 科学の成果に頼ってはいけない、人間は苦労しなければいけない、と言 っているようにも受け取れます。宇宙子科学のような、宇宙の仕組みを 説明しようとしている科学が役目を終わる、というのもよくわかりませ ん。人類が進歩するために、宇宙子科学があるのではありませんか。 >ナチズムの背景には、熱い想いが流れている。 >ヒトラ―は、(常識からみれば)惨殺者だが、 >彼は自分のすることが正しい、と思っていた。 >人類のため、と。彼は最期にこう言い残したそうだ。 これも、?な話です。正しいと信じて、悪を行う事を肯定する気 にはなれません。人類の歴史上、今までにどれだけ、こういった 「私は正しい」という誤った信念の元に、愚かで残虐な行為が行 われてきたでしょう。もし、白光がこういう考えを持っているな らば、たしかに危険と言わざるをえませんし、自己矛盾している 感じを受けます。 >宇宙子科学が目指すもの、それは、「愛」 「自由」 「平等」 科学がどういった形で、上記を達成するのでしょうか?単なる理念 だけであるならば、従来の科学の範疇だと思います。 ∞英雄∞ - FARION MES(17):★パワフルなえ★の《おふくろ通信》--<01> 94/01/16 - 757/757 JCC02647 とかち 保証人ですか (17) 94/01/16 21:12 320へのコメント  オリハルさんへ、RESどうもです。  なんと書いていいのか考えてしまった(^_^;)  そう言う意味であの書き込みをした訳ではなかったのでね  RES読んだ時(゚O゚;ってなもんでした(^_^;)  あの部分だけを見られたのかな?って感じでしたから  確かに貧乏でしたよ、親父が保証人になって借金を背負った頃  親父の事業(噴水・造園業)も仕事受注が少なかったからさ  でもね、親父に対して尊敬してる一言があるんです  ただ母にしてみれば「家庭犠牲にして」としか感じてなかったみたいですが  「家はまだ3度飯食えて、雨しのげる家に住んで、子供は学校に行けて   ただ人並の生活ってのはできん   けどな、あの家族は借金肩代わりしなきゃ、死ななきゃならん   死なす訳にはいかんのよ、今まで世話になっておきながら   事業に失敗しかけてるからって見殺しにはできん   家がちょっと我慢すればあの家庭は立ち直れるんやから」って   親父が泣きながら母に訴えてたのを憶えてるよ  その家庭がその後どうなったのかは、私にはわからない  でもさ、親父の優しさってのに触れた気がする  普段は見栄と世間体の塊だった父に人間を見た気がしたから  ただ母と兄は経済的な不満だけで父に反論してただけなんだけどね  まあ、私に反論がなかった訳ではないよ  小学校4年の時に3ヶ月給食費を滞納した事がある  学校で虐めの題材としても使われたからね  3度食う飯も米だけはあったけど、おかずなんて少なかったのを憶えてる  でもね、母が蒸発した時(小学校5年の時、1度目)の方が  経済的に貧困だったよ  朝はともかく夕食が御飯に鰹節の猫まんまだったからね  1年間それで生活したよ  作ってくれる人も、材料買う金もなかったからね  だけどさ、今となってはいい想いでだよ  親父の借金の肩代わりで得た物って結構素晴らしい物もあったからね  未だに「金が少なくったって生きていける」って思ってるからさ  米だけあれば2週間でも3週間でも生活できるよ  ただ身体壊しそうだけど                        とかち