- FARION MES( 2):【居酒屋1999】自己紹介・雑談--------<09> 94/01/20 - 01520/01522 JBH01750 著美 ログの「超」整理法 ( 2) 94/01/20 02:10 コメント数:1  パソコン通信をやっていて、一番頭を悩ますのが、ログの整理法だと思います。 世にはマニュアル本が数多く出回っています。たとえばパソコン通信の場合、通信 ソフトの使い方、NIFでのコマンドの使い方については、詳細なものが出版され ていたりしていますが、肝心のログの整理法というのには、出会ったことがありま せん。  そんな折り、出会ったのが、野口悠紀雄氏の『「超」整理法』(中公新書1159) です。読んでいて、眼からウロコが落ちまくりました。  氏の方法をログ整理に応用してみましょう。ただし、問題点は、ワープロ専用機 で通信している場合、機能上の制約で氏の整理法が有効に働かないということです。 この方法は、パソコンを使用している場合に有効だということを、あらかじめお断 りしておきます m(__)m  整理法の原理は、通信した順にダウンロードしていく、これだけですョ(^_^;)。 会議室ごとに切り分けなければとか、考えなくてもよいのです。注意することは、 ダウンロードしたログを 'NIF.LOG'とか適当なファイルに「一つに」まとめておく ことだけです。この「一つに」まとめておくというのが、ミソなのです。「一つに」 まとめておけば、自分の書き込みはもちろん、他の人の発言もこの一つのファイル のなかに収まっているわけです。あとは、適当なログ・ページャ(LogPager)とか、 ログ・ブラウザ(LogBrowser)を使ってログの内容を読めばよいのです。レスに必要 な内容検索は、こういったソフトにまかせればよいのです。  そうは言っても、ログが巨大になれば、読むのにも検索するのにも時間がかかり ます。そこで、週単位あるいは月単位でファイルを分割します。一般にレスがつく のは、1週間以内の発言につくということが多いです。長く見積もっても、1カ月 以内の発言にレスがつくのが大多数でしょう。ですから、月単位にまとめていけば、 コメントがついても、コメント元の発言を参照するのに、一つ前(つまり前の月) のファイルを参照すれば事足りると思います。それに、コメント元の番号は明記さ れているわけですから、発言元が一つ前のファイルに仮に見つからなくとも、その 番号を頼りに検索ソフトで検索すればすむことです(最悪の場合ログの全ファイル 検索となろうとも、20Mbyteや30Mbyteくらいのファイルでは、有限時間内に 終わることでしょう(^_^;)←経験済み)。  この整理法は、あくまでも、参照する発言が1週間以内か長くとも1カ月以内で あろう標準的な(?)ユーザー向けです。絶えずフォーラム全体、あるいは会議室 全体の発言に気を配らなければならないシスオペ、ボードリーダーに対して、どれ ほど有効な手段なのか分かりません(^_^;)  ですが、ログ整理に特別気を使わなくてもいいのだ、ということに気をつかせて くれた野口氏の提言は、画期的なものだと思いました。 P.S.  野口氏の「超整理法」について、まとめておきます。要は、資料は封筒に入れて、 封筒の所定の位置に、日付と入っている内容を書き出しておき、さらに必要に応じ て封筒の端にマーカーで色分けしておき、「使った順に」並べていくということだ けです。最近に使った資料こそが、最も頻繁に参照され使われ、それゆえ最も重要 なはずだから、すぐ取り出される位置に置いておくわけです。この場合に、重要な ことは、資料は一カ所にまとめておき、資料の配置は時間軸に沿うことを守ること だけです。資料は時間順に並んでいます。重要な資料ほど頻繁に使うので、それは 最新の位置に並んでいるはずです。ですから、資料検索は時間軸に沿って行うのが 最も合理的ということになります。  野口氏のテーゼは、世にいう「整理法」は「資料の分類にあり」ということに対 する強力なアンチ・テーゼです。「資料を分類する」には、その資料の性質に対す る完璧な知識がなければできません。「分類法」が完璧なら無敵でしょうが、個人 的レベルでは無理があります。そこで、資料整理には分類よりも検索が適している という発想をしたのが野口氏です。野口氏の整理法では、検索する条件は「時間」 しかありません。ですから、時間軸に沿って並べてある資料を最新のものから遡っ ていけば、必ず目当ての資料を探し出せるというわけです。しかも、資料は一カ所 にまとめて置いてありますから(これがミソ(^_^;))、見つからずに全部の資料を 点検するハメになったとしても、探す範囲は有限ですので、探していけば必ず所定 以内の時間内には見つかるはずです。  万一見つからなかった場合には、不注意か何かで捨ててしまったという結論がく だせるわけで、その場合には、ただちに他の方策をたてればよいのです。  氏の方法は、氏も認めていますが、紙を媒体とする情報(書類、手紙、名刺類) という定型(A4版以内)に収まり、それに比較的かさばらないものには有効なの でしょうが、本というかさばり場所をとり、そして何よりも心理的に捨て難いもの には、全くの無効です(^_^;) それに、時間軸に沿って整理するというのは、パー ソナル・ユースにはむきますが、情報を多人数で共有しようとする場合にはあまり 適しません。  ですが、氏の方法はパーソナル・ユースでのパソコンのファイル整理・管理法に は強力です。繰り返しますが、読んでいて、眼からウロコが落ちまくりました。                        長々とスイマセンでした(^_^;) 01521/01522 JBH01750 著美 RE:ログの「超」整理法 ( 2) 94/01/20 02:47 01520へのコメント  もち、この方法が、唯一最善と主張するものではありません(^_^;)  発言にレスがついたりして、参照する機会があるうちには、ログを小分けにせず 「ひとまとめ」にしておいたほうが、ある程度便利かも、という提言でしかありま せん。私自身、この方法を試している最中なのです(^_^;)  したがって、もしもあなたが、この方法を採用して、結局は(`´)という結論に なったとしても、私は最後まで責任は負えません アシカラズ(^_^;) 01522/01522 JAE00201 竜人 fN|チニか,治りそう(^^) ( 2) 94/01/20 16:51  ボロボロになっていましたが,来週辺りから復活できそうです(^^)。  久々に医者に行きましたが,薬のお陰でしょうか?熱と咳がどうやら  治まってくれてきましたので,卒業のため(^^;)に学校に顔を出しつつ  書き込みをしてまふ(^^;)。                   風邪が治り掛けの竜人(たつと) - FARION MES( 3):【めでぃあ室】本/映画/音楽 etc----<01> 94/01/20 - 00349/00349 PFA03563 YAHATA RE^2:「驚異の超科学が実証された」 ( 3) 94/01/19 23:10 00347へのコメント  #00347 英雄 さん 》 た。工学博士という事で、そういった現象の科学的説明とかを聞ける 》 のかと期待したのですが、全然そういう事は言わずに、お札を出現さ 》 せた、とかいう話ばかりだったので、時間が経つにつれ聴衆が減って 》 行くのには笑っちゃいました(最後まで聞いていたわたしも相当なも 》 んですが(^^;)。なにせ3時間半だもんなあ)。  そりゃまあそういう期待はするでしょうねぇ。それが体験談に終始したんで は期待外れなのもわかります。でも私も最後まで聞く方でしょう。(-.-) 》 結局、超常現象は科学で説明できない、と某プラズマ教授と正反対の 》 立場になっていたようでした。当時は、例の記憶力増強・潜在意識開 》 発装置ができる前でしたので、「これができれば、受験勉強は一切い 》 らなくなる!」と力説していました。  壁に書きましたが、私は例の装置を買いました。  θ波レベルにセットして本を読んでると眠くなるんですが(素直に眠ってし まうと言え>自分)…炬燵にあたってるからかな?(^_^;)α波レベルだとそれ ほどでもないです。ちなみにこの装置、説明書とかついてませんしACアダプ タ別売です。電池は単4なので田舎では探すのが手間です。(いいかげんだな >製造元)いくらヘッドホンかけてスイッチ入れるだけだって、ねぇ。  θ波レベルは瞑想にいいかも知れないです。(それとも、私は無心になると 意識がなくなってしまうのだろうか…?) YAHATA - FARION MES( 6):・壁(1)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 94/01/20 - 02028/02031 TBE03167 ねずみ RE:ハローメッセージより・・ ( 6) 94/01/19 21:53 02026へのコメント コメント数:1 苦しんだら、その分必ずいいことあるから ^^ >すまる 02030/02031 GBG02755 すまる RE:ハローメッセージより・・ ( 6) 94/01/20 00:20 02028へのコメント うん、ありがとう>ねずみ 02029/02031 GBE02650 ユ−リ RE:「悪魔」君?!?! ( 6) 94/01/19 23:45 01992へのコメント  宗生さん、はじめまして。  私の記憶が確かなら…(^^;  今から、もう10年前くらいになるのかな?  「角栄」なる名前の改名(をを!「頭痛が痛い」!(^^;)を求めて裁判が行われた事 がありましたっけ…  で、その時出た判決は、余程の事が無い限り戸籍上の改名は認めない…とのことであ りました。  ただ、それに付け加えて、名前は安易に時流に乗ったものをつけるべきでは無い、 とのお達しがありまして、そんなこと言うなら名前変えてやれよ、とか思ったものです が…(^^;  で、思うのですが、 できれば20才を超えたあたりで、一度くらい「改名」の権利があってもいいんじゃ無 いかと…  一生つきあうものなのに、自分の意思が入る余地が無いってのも変ですしね。  ただ、そうすると、 役所は書類の整理が大変だぁとか、つい心配をしてしまいます。(^^;  その点は電算化が進めば個人情報の取り扱いもしやすくなるので、 いずれは問題無くなるのかな、とも思いますけど。  そうすると今度は、 せっかく親が苦労してつけた名前を、子供がワケワカメな理由で勝手に変えてしまうと の事例も絶対出てくると思われますから、 本当に世の中はうまくいかないように出来てる。(^^;  で、問題の「悪魔」くんについてなんですが…  一言で名前の善し悪しの基準を設けるといっても難しいですからね。  確かに「悪魔」なる言葉の持つネガティブなイメージは相当のものがありますが、 「悪魔」が駄目なら、「天使」や「神様」ならいいわけ? とか、そういう問題にもなりますし。(^^;  基準が存在し得ないなら「命名」は親の良識に任される訳ですから、 親が考えて決めた名前ですから他人がとやかく言う必要は無いかと思われます。  それに、今でこそ「非常識な名前」ってのが一般論ですが、 将来にそれが普通の名前になる可能性は全く無きにしもあらずですからね。  「あきら」って名前の女の子がいるじゃないですか。  今でこそ女性の名前としても通用してるけど、  最初にこの男名前を女の子につけた人は勇気があったと思うんですよ。  「悪魔」に関しても将来、これと同じ事が起らないと言い切ることはできないでしょ?  それから…  将来「悪魔」君が世間を渡って行くにあたって、 自分の名前にどうしても馴染めないというのであれば、 最近では「通り名」でもある程度通用するようになってますから、 それで通すことになるかもしれませんし、 将来は改名の権利も認められるかもしれないし、 案外、立派に自分の名前として受け入れてしまうかもしれないし。  やはり、「悪魔」君自身が自分の名前とどうつきあっていくかが、 一番大切な問題であって、 他人がそれをつかまえてどうこう言う事では無いと思います。  と、またもや安易な結論に走るユ−リ君であった…(^^;                       GBE02650 ユ−リ 02031/02031 GBG02755 すまる 愚痴です。飛ばしてくださいね。 ( 6) 94/01/20 17:28 リタイアしたいと思った。 生きることからリタイアしたいと思った。 いつか、幸せは訪れるだろう。 夢は叶うかもしれない。 でも、今が苦しい。 そして、知っている。 死ぬ最後の瞬間まで、この苦しみが繰り返し訪れることも。 何度も、何度も、必死にならなければ、抜けられないトンネルに出会う。 逃げようもない苦しみが、何度も形を変え、色を変え、訪れる。 愛することに夢を抱いている人がいるが、 愛することの喜びばかり思い描いているんだろうね。 でも、ほとんど、毎日が真剣勝負なんだよ、その愛を維持、成長させるのは。 ものすごい努力が必要なんだよ。 もちろん、それだけの「愛」が与えられるのだけれどね。 私は、もう疲れているよ。 「愛」に正面から挑むだけの気力なんかないよ。 今の私には、愛は苦しみにしか思えない。 リタイアしたかったよ。 したかった。。。つまりまた、死に損ねたんだ。 バカだなあ。 子供達をまともに育てられる人間がいないことに気づいてしまった。 簡単に危険にさらす人がいる。 自分の子供なのにね・・・・ 子供がいるから、しかたなし生きるんだよ。 そう、いま、私を支えているのは、子供達への愛だけ。 彼女たちにいっぱい希望をもたせて、 自由をおもいきり味合わせてやりたいから。 それだけ・・・ 生きている、それだけのことが、どうしてこんなに辛いんだろうね。 息をする、それだけのことなのにね。 それを続けるために、どれだけ苦しめばいいのだろう。 それが自然に終わるまで、、、、、 お迎えが来るまで、とにかく、息をし続けるだろう・・・ だから、早く、息が止まればいいんだ。 自分では止められない。 「死」は恐くて、自分を止めることが出来ないんだ。 まったく、うまく人間って出来ているもんだね。 死にたがる人間には「恐怖」を植え付けておくのだから。                             すまる - FARION MES( 7):★アリオン世紀末書込み寺------------<02> 94/01/20 - 01914/01915 JBH00742 スサノオ 神の宮 ( 7) 94/01/20 00:57  もし神を迎える宮を作りたいのなら   人間の側が清める努力などせねば   何千人集めようが高き霊魂は作用しない   もしそうでないなら低き霊魂に弄ばれ   それでお終いである。  スサノオ 01915/01915 HGC02325 ガッチャ 芸術における感動について色々 ( 7) 94/01/20 04:31   芸術における感動について思いついた事を色々書きます。     最初は音楽から。     私はロックが好きでして、特にプログレッシブ・ロックのYESの音楽が好み  です。どうしてプログレかというと、8ビートや16ビートだけでは何か単調な  気がするから、と昔は思っていたけど、今は何でもいいや。   アルバムでも全曲含めた構成が重要で最後の曲が終わった時点で初めて、その  アルバムのテーマが表現されるのではないか?なんて思います。  では、ヒット曲だけを集めたベストアルバムは良くないかと言うとそうではあり  ません。ベストはベストでそれなりの楽しみ方があります。昔の曲を聞くとその  当時の事を思い出したりするので、ヒット曲はその当時の生活と密接に関係する  事が多いみたい。そういう曲を集めたのがベストアルバムなら、それなりに楽し  めるというものですね。(ま、悲しい思い出もあるでしょうが…。)     私は、ただ聞くだけではあまり感動しません。意識をリズムに合わせて、一緒  に歌うなどの事をしてジンジン来るという感じがします。自分で声を出せばその  分波長は合いやすいし、何かその波長のような物が合わないと駄目って感じです。  気持ちが合っていないと、どんな良い曲を聞いても上の空。  これって、人との会話にも似ているのかもしれません。     町で聞いた何でもない音をきっかけに、その音が入っている曲が頭の中にドー  ンと流れ出す事があります。そうなったらもう、その場で陶酔状態になってしま  います。この感覚は非常に好ましい感覚で気持ち良いです。    BGM : YES "AWAKEN" FROM "GOING FOR THE ONE"                              HGC02325 ガッチャ - FARION MES( 9):★TAO のヒーリング・ルーム----------<01> 94/01/20 - 289/298 TCC00116 NoB うーみゅ ( 9) 94/01/19 23:18 283へのコメント コメント数:1 うーん、どうしようかな。別に乱闘したいわけじゃないし、悪い冗談まく気もな いけど、うーん。ま、ちょっくら。えっと、レス形式にしたけど、レスじゃない です。 その、これはグルジェフ(G)が言ってることなんだけど(そのままじゃないけ どね)、体にいいことばっかしてたら、体というものは衰えてしまうのですよ。 内臓もそう。ある程度、内臓に仕事させないといけない。この考えは、Gがそう いうからというのじゃなくて、そうだろうなと思います。あと、胃の性質を考え ても、胃壁はある程度代謝しないといけないので、これは、壊れてもなおるとい うことなんです。うまく言えないけど、人間というのはリズムがあり、そのリズ ムはシバ神のダンスではないけど、破壊と祭り、そして再生というのが含まれて いると思うのだね。食事や生活もそうだと思うよ。 胃腸とかそのほかあるていどリズミカルに負荷をかけたり、危機に接近させない と、衰えてしまうよぉ。 水を飲めというのは、どうなのかな? たしか、中医では、これは認めていない と思う。とくに妊婦は水を飲ませるなというかですね。これは、水分をとらない という意味ではないですよ。詳細は省略するけれどね。また、マクロバイオティ クスでも水はできるだけ少なくとしていますね。彼らはそうすることで腎臓に休 息を与えよというわけです。医学的にはどうか? これは、そのぉ、喉が乾くか どうかという、乾きの感性を養うことが一番大切だと思いますよ。ARIONの言っ てることはやがて科学的に証明されるかもしれないけど、盲信はよしたほうがい いですよ。自分が自分の生きる生理の感覚を失うとき、言葉で語るものにしたが っては、絶対に駄目だと思う。 農薬については、これは、ちょっと資料を出して説明するのはめんどいのだけ ど、ちょっと、エコ関係の人はナーバスになりすぎていると思う。実際、現在の 農薬でそれほど害があるわけでもないようですよ。問題は、農薬を使わなけれ ば、別のコストを払わなくてはならないわけですよ。 肉食もそうだけど、我々の社会というのは、動物を食のために殺すシステムを持 ち、我々自身はそれを職業として疎外しているわけです。これがとても重要なこ とです。無農薬野菜とか喰う人は、案外、社会の総体を失って、自分の健康の信 仰を信奉しているだけなんですよ。社会の総体をみて、また、そのなかで、自分 の選択を見ていかないといけないと思います。 これも、どうしようかな、身土不二、というのは、まったく非科学的だと思いま すし、人類史から見ても、現在の人類の生態から見ても、でたらめだと僕は思い ます。自分の生活圏以外の食というのは、嗜好的なものをはらみがちなんで、そ れはその点を考慮しないといけないと思うわけですが、それだけのことです。 身土不二なら、そもそも、人類なんてありゃしないんです。こんなふうに世界に 広がりもしない。また、遊牧民の食の体系を見ていると、本質的に他の地域との 公益が含まれているんです。エコ関連の人が、稲のこというけれど、この植物は 日本のような高い緯度地域で栽培できるように改良したという歴史そのものが、 身土不二じゃない証明のようなものなんです。 ついでにいうと、まるごと食べろ主義、とかいうのも、でたらめでしょう。フグ の毒まで喰うわけはないし、だいたいが豆腐なんて豆をいじくりまわしたきわみ のような食べ物ですよ。 とにかく、食については、理性的に考えないといけないと思います。 排泄のことなんですが……、大便はたしかに排泄物ではあるんですが、身体組織 の排泄ではないんですよ。あれは食べ物と腸内菌です。ですから、身体のなんら かの排泄(不要なものを捨てる)というのなら、ちょっとそれは、科学的におか しな説だと思います。 ただ、腸造血説というのが正しければ、ちょっとこの考えは訂正する必要もある でしょう。しかし、基本ではそう考えるべきであることはゆるがないと思いま す。 日本古来の食い物については、ちょっと歴史的にきちんと批判したいと思うけれ ど、今日ある日本の野菜はほとんど近代になって日本にもたらされたものです。 また、日本古来というとき、日本の各地の食のありかたの多様性も考えないとい けません。このあたりは、もうちょっときちんと議論したほうがいいのかもしれ ませんが。 食というのを考えるとき、それがよいかわるいかみたく、その内容のありかたに 言及してしまうというのは、ビタミン主義であろうが、マクロバイトティックス であろうが、結局は、食を分析的に外物としてとらえているだけで、近代知のあ りかたのパラダイムから見れば同じです。 食は、人間にとっては、よろこびなんです。うまい、とか、この人とくえて楽し いとかですね。そういうフェスタの要素を抜きにして議論したら、人間をただの 有機物の機械として見ているだけなんですよ。 そして、皮肉じゃないけど、食は、生きる社会の総体の問題として現われてくる のだから、この社会との関わりを考えないといけないはずです。 NoB 294/298 MHD02672 TAO 別に構いませんよぉ ( 9) 94/01/20 02:37 289へのコメント コメント数:1  疑問があれば、どんどん言って頂くのは有り難いことですよ。  私自身も、別に自分の意見に何が何でも執着している訳ではないし、  自分の見識を広げる為には、他人のコメントはどんどん利用させて  頂いています。  ただ…。こないだ「アジア・チャンプル」部屋でトラブったのは、  内容よりも、NoBさんの喧嘩を売るような口調が最大の原因じゃなかったか  と思っております。(-_-;)  さて、いちいちコメントすると大変なので、ごく簡単に。  「自分が自分の生きる生理の感覚を失うとき、言葉で語るものにしたがっては、  絶対に駄目だと思う。」  私も、色々な健康法をやりましたが、ほんの少ししか効き目がなかったと  いう苦い体験から、今は食生活については、自分の身体が語る直感というのを  重視しています。これはしまうまさんへのコメントでも書きました。  水カブ飲みも、気持ちがいいからやっているのですしね。食生活の楽しさを  無視するつもりはないし、単に健康の為の、禁欲的な食生活というのも、  勘弁したいですし。  日本の食文化やその歴史的変移については、マジに取り組もうとすると、  大変な作業になるでしょうなぁ。米についても、色々調べれば調べるほど、  へぇぇとなるような内容がどんどん出て来ますし。天皇制という王権下での  米の「神聖性」については、確か折口信夫が何か書いていたような記憶が…。  「食は、生きる社会の総体の問題として現われてくるのだから、この社会  との関わりを考えないといけないはずです。」  それは、皆さんも認識していられることだと思います。喧嘩腰にならずに、  お互い冷静に議論して頂ければ、得られるところも多々あるでしょう。  ということで、チャンチャン。  TAO 298/298 TCC00116 NoB RE:別に構いませんよぉ ( 9) 94/01/20 16:36 294へのコメント あ、どうも。 そういえば、もう見てないけど、「アジア・チャンプル」部屋で、ああした振る 舞いをしたのは、彼らに「他者」というものを知って欲しかったというのがある んです。うまく言えるかどうかわからないけど、アジアが好きというとき、アジ アがいかに日本人の自分にとって他者であることが見えて、なお、好き、と言え るときにしか成立しないと思うのですよ。 もちろん、各人、勝手に好き勝手というのはいいのだろうと思うのです。あと、 なんというのかな、あのときの口調はそんなひどいですかぁ?というかな、これ は、アリオン・フォーラム全体に感じる、なんか、かびくささというか、ある種 陰気臭さを感じるのですね。まじめであるっていうことは、かならずしもいいこ とじゃないんだ、という、あたりの力が欠落しているというかな。NoBさんは、 基本的にこのフォーラムには関心ないので、見ているのは、この部屋だけなんで す。でも、ほっておくと、きのこにように新しい部屋ができて通信ソフトで見え るので、たまたまのぞいてみるだけなんです。 くどいかもしれないけど、自分が歳をとり、多少なりとも知識があり、また、そ れなりに世界に触れて思うのは、できるだけ、若い人にとって「他者」であるべ きではないかというある種の倫理なんです。 グルジェフの逸話なんですが、彼がどう考えても理不尽で不公正なことをする話 があって、どうしてだろうと思った人が、彼につきつめたことがある。するとグ ルジェフはこう言うふうにいうのです。そのおり、私は、悪い。でも、そのこと で、みんなの公正の意識をかきたてた。問題は、多くの人の公正の意識の高揚の エネルギーなしでは行えない。悪というのは、ただ、それだけで悪ではない。 と、いうような。 別にNoBさんがグルジェフを気取るわけではありません。ただ、異なる存在が同 じ場にあり、言葉を発することに、耐える、というか、その嫌われ役はかっても いいかなと思うのです。こういえるのは、幸いにしてか、少しずつNoBさんが他 所では理解されているからでもあるのでしょう。 愛のこと、補足、というか。 僕はたぶん死にたいのだろうと思うのです。そういう無意識がどこかあって、ど うしても、ついに、けしさることはできないのだろうと思うのです。この「死」 というのは、「自殺」じゃなくて、「戦死」なんです。この死の意味だけをわか ちあえる人と生きて、死にたいというかですね。 「あらゆる愛というのは実は禁じられていない」というのは、なんとなくわかる 感じがします。ただ、このわかるというのは、かなり正直にいうと、それは、自 分にとって戦うべき異教なのだろうなという感じです。かなり正直に言うのです が、僕は、愛というのは、ただ神との関係にしかないんじゃないかというふうに 思っています。ですから、その神の、嫉妬の燃えるような、火のような思いのな かで、ほかの愛というのは、相対化され、なくなってしまうような感じがしてい ます。 「NoBさんの中にも情念が生きている筈なんです。その情念をどういう方向へ向 けるか、後はNoBさんの選択次第じゃないですか。」というのは、これも、正直 にいうと、違うと思っています。 さっき、「死」の話をちょっとしたが、NoBさんは、もうすでに死んでいるとい うか死んだのだという感じがしているのです。死すべきものであり、そして、死 んで、そして、今、なぜか生かされている。で、この「生」は、それを生かした ものの命令のように思えるのです。うまく言えてないかもしれませんが、「NoB さんの選択次第」という「NoBさん」はもう死んだのだという感じがするので す。 自分は、なにかによって生かされ、この運命にあるのだ、と思うのです。愛がな んであるかはわかりませんが、この運命=使命、そして、ちょっとエゴイスティ ックな言い方をすれば、それは悲劇でもあるのでしょう。 全然うまく言えてないかもしれません。意志がないわけでも、生命がないわけで もないんですが。 自分の経験の全貌が、なんらかの「悲劇」を意味しているとして、その「悲劇」 の意味づけの創造者が「私」であり、その「私」がすでに死んであるとしても、 現在というものがなお「悲劇」として立ち向かってくるのなら、それは、再生さ せられた自分の意義なんだろうと思うのですよ。 話が会議室話題からそれてしまったけど、健康というのはそれ自体ではかならず しもいいことではないのだろうと思っています。病むこと、苦しむことの意義を 見失ってはならないわけで、そのなかで、「いやし」というのは、また、別の意 味をもつだろうと思うのです。 また、新規会議室ができましたら、教えてください。僕は、TAOさんのファンで すよ。 NoB 293/298 MHD02672 TAO ようこそ>英雄さん ( 9) 94/01/20 02:36 288へのコメント  英雄さん、RTではお世話になっております(^^)。  しまうまさんへ具体的なアドバイスをどうも。 : 「みそ汁一杯三里の力」「柿が赤くなれば医者が青くなる」 : 「春は苦味、夏は酢の物、秋は辛味、冬は油と心得て食せ」  なんて、懐かしいですね(^_^;)。 タコが精力(性力)を養うというのは、初耳でしたが、今のところ  役立てる機会もないか。ああ、カサノバ御用達の牡蛎も、亜鉛を  豊富に含んでいるといいますね。  TAO 291/298 GGD02212 Soo くだらない話 ( 9) 94/01/20 02:23 287へのコメント コメント数:2  「つまらない話」のついでに「くだらない話」も書き込んでおきましょうか。 便秘が体に毒と聞いて便秘恐怖症や下剤依存症になられても困りますが…。 (※実際にそんな病名↑があるかは未確認です(^^;) <RE:289>NoBさん。  クッソー(これはダジャダレね(^_^;)じゃなくて…  えーと、糞便には食物残渣と腸内細菌以外に消化管粘膜の遺骸やら肝臓から 分泌された胆汁が含まれ、胆汁には肝臓での代謝物(解毒済)が含まれるので、 糞便とともに老廃物が排泄されるというのは間違った表現では無いはずです。 (但し胆汁の9割は腸管から再吸収され、その成分の一部は再利用されます) 糞便が腸管に停滞する時間が長いと無害な成分が細菌により代謝されて毒素が 産生される可能性が高くなります。 <閑話休題> <「健康第一」なんて考えは不健康?(これはレトリック)>  健康のためには規則正しい生活が必要というのは概ね間違ってはいませんが、 多くの人は不規則な生活に耐えるために健康が欲しいわけで、そんな人には、 健康のために規則な生活を強いるのでは本末転倒になってしまうわけですね。 『健康とは不健康に耐えられる状態を言う。』(これもレトリック)なんちて。Soo. 296/298 MHD02672 TAO どうも>ドクター ( 9) 94/01/20 03:01 291へのコメント  Dr.Soo、コメントを色々とありがとうございました。  誤解される方もいらっしゃいましたが(^_^;)、今後も懲りずに  医学的な見地からのフォローをどうぞよろしくお願い致します  (と言っても、あと少しで終わる予定なのですが^^;)。 以上、簡易コメントでした(^_^;)。  TAO 297/298 GGD02212 Soo RE:くだらない話 ( 9) 94/01/20 07:04 291へのコメント  #291で、論旨に変更はありませんが、また細かい訂正があります。(=_=)(_ _) ×ダジャダレ →ダジャレだ ×(但し胆汁の9割は腸管から再吸収され、その成分の一部は再利用されます) →(但し胆汁の成分のうち胆汁酸の約9割は腸管から再吸収・再利用されます) ×健康のために規則な生活を強いる… →健康のために規則的生活を強いる…  訂正記事だけでは「つまらない」ので追加コメントなど。健康を気にし過ぎ 色々な健康法に凝る「病的な健康第一主義」も困り物ですね。 正直言って、 体が求める以上の水を意図的にガブ飲みするのも健康的とは言い難い…(^_^; ARIONお薦めの「一日に最低1リットルの 出来るだけ清浄な ただの水」は、 実際には食事中や食間の種々の飲料を合計すれば1リットル程度になるはずで、 ついつい糖分やカフェインを多く含む嗜好品に偏りがちなところを清浄な水に 置き換えるだけで足りるように思いますね。ただしARIONのメッセージは 「日没後六時間以降は多量の水を摂取しない事」と続いていて、ちゃんと腎臓を 休めるべき時間も指定していたのもお忘れなく。医学的な説明も可能ですが、 夜中にトイレに行ってばかりで眠れないと困るって常識でもわかりますよね。Soo. 290/298 GBG02043 維/YUI 雑感 ( 9) 94/01/20 01:01 コメント数:1 あのぉ・・・、いろいろな健康マニュアル本(?!)を読み漁っていたものが なにをいえるわけでもないのですが・・・(けど、だからこそいえるのかも しれないけれど)。 どこかの誰かが、こういう方法をとると、体によい!!と、発言をするなり 本を書くなりしたとして、それがすべての人にすべての条件の基で効く わけではないですよね。 だから、どこのどういう方法が、いいのわるいの・・・ではなくて、最終的には そういうヒントをもって、自分で自分の反応をみながら、自分の体や心を大切に していく・・・なのです。 水を飲むことが、いくつか取りざたされていたけれど、あれだってやみくもに 飲むのがいいわけではなくて、自分の状態をみながら、自分のためになる飲み方を 自分の体と相談しながら飲んでいけばいいわけです。(あたりまえで、ごめん) あくまでも、他の人が言ったこと書いたことやったことは、参考にしかなりません。 日々刻々と変わっている、生きている自分と向き合っていなきゃ、どんな良い治療法 だって、無駄になってしまうことがあるのではないかしら。 病気は、まずはじめは自分の体や心からの危険信号だっていいますよね。 なんだかよくわかんないけど、頭が痛い・・・とかじゃなくて、親身になって(?!) その原因を自分の中からみつけだして、わかってあげる・・・という行為が 癒しとしては、ポイントなんではないかなぁ・・・。 なんてね、そんなことをromしながら、思いめぐらせていたのです。                           維/YUI。 295/298 MHD02672 TAO 結局、自分次第 ( 9) 94/01/20 03:01 290へのコメント  維/YUIさん、「健康マニュアル本」とやらをを読み漁っていたのは  私も同じでした(^O^;)。  ま〜、結局そうなんですね。体質というのは十人十色だし、全ての人に  間違いなく効くパーフェクトな方法なんかある訳ない。色々試すこと自体は  悪くないと思うし、必要なステップという風にも考えられますが、自分の  身体を自分でコントロールするという、主体性を失ってはどうにもならないと  思います。  NoBさんも同じようなことをおっしゃっていたけれども、「最終的には  そういうヒントをもって、自分で自分の反応をみながら、自分の体や心を  大切にしていく」という維/YUIさんの言葉に尽きますね。  TAO 292/298 MHD02672 TAO 愛は禁じられない ( 9) 94/01/20 02:34 282へのコメント  NoBさん、どうもです。  この会議室も今月末で閉め、インターバルを置いてから新しい趣旨で  新装開店する予定ですので、その節はまたお寄り下さいね。おそらく、  NoBさんにとっても関心のあるテーマ領域だと思います。  #280 は後で読み返してみると、ちょっと情緒過多になり過ぎていて、  ちょっと気恥ずかしくなったのですが、NoBさんのコメントにかこつけて  また喋ってみたいと思います。  愛するという感覚が、実際にはどういうものか、私にもよく分かりません。  去年の恋愛沙汰の時、相手に「愛している」という台詞を吐いたのですが、  その直後に高揚していた感情がスーッと醒めていくのを感じ、ああ、言葉に  すると絵空言になってしまう、と嘆いたものです。結局、こちらの“恋愛  感情”がそれだけのものだったということでしょうが。愛情を傾けてくれた  相手には残酷な事をしてしまったけれども、愛してくれたという事への  感謝はあります。  今までも恋愛が出来なかったというのは(去年のが初めて恋愛らしい恋愛  だった)、人間を愛したくないというよりも、自分と同種類の人間しか、  己の人生の深い部分に迎えたくないからだと感づいています。これはもしか  すると、自己愛の延長にしか過ぎないのかもしれませんが。  多分、愛し方や愛する対象によって、各々の人間は世界を棲み分けるのだと  考えています。自分が愛せない人間、自分を愛さない人間と同じ世界に  棲まざるを得ない時に、愛という概念への憧れあるいは疑いが、脅迫観念に  まで育っていくのでしょう。  人間に対して公平な友人であろうとすることは、その意志があれば決して  難しくないでしょう。しかし個別的な存在を愛したいと望む時、その魂が  深ければ深いほど、世間並みの恋愛に満足出来なくなるのかもしれませんね。  本来、恋愛は恋愛であって、高級も低級もないのですが、魂の渇望が激しい  人ほど、非人間的なほど「純粋」であろうと望むのかもしれません。  おそらくNoBさんは、曰く「見えない戦場」でお互いに全てを惜しみなく  さらけ出せるような、そのような愛を渇望していて、しかしそのような愛は、  自分の力だけで求めて得られるものではない、恩寵としてしか与えられない、  一生、その恩寵が与えられなくとも、それはそれでいい…と考えていられる  ように思われます。勿論、この「恩寵」とは人との関係ばかりでなく、  何か畏怖させる存在との関係の中にも現れるかもしれませんね。  上記のこと、NoBさんというより、自分自身がそうなのかもしれません。  ただ、私の場合、過去に比べて変わったことと言えば、あらゆる愛というのは  実は禁じられていないのだ、と気付いたことでしょうか。例えば、近親相姦や  不倫、同性愛という形の恋愛は、その周辺に「罪悪感」を醸し出しますが、  例えそこに欲望しかないとしても、お互いを求めあうこと自体は決して、  禁じられてなどいないのではないかと。どうやらとんでもないことを  言い始めているようですが、どういう形であれ、愛そのものは禁じられて  いないという確信が、私の心を解放しつつあると感じています。個別的な  関係の豊潤さを味わうことがなくとも、それを追い求めることは諦めない、  今、私はそう考え、行動を始めています。  人が愛することも愛されることも拒絶しようと、それにもかかわらず、  愛はそれぞれの心に沿った形で拾われるまで、底流に遍在していると  思えます。  意図的に人と関わること、愛することをNoBさんがいくら封印しようとも、  NoBさんが誰かを愛すること自体が禁じられているとは決して思わないし、  NoBさんの中にも情念が生きている筈なんです。その情念をどういう方向へ  向けるか、後はNoBさんの選択次第じゃないですか。  余談。山川夫妻は、ここのシスオペみれさんこと北川恵子さんともかって  お付き合いがあったらしく、みれさんからちょっと裏話も伺いました。  一方の話だけで決めつけるつもりはないけど、面白い内容でした。  TAO - FARION MES(11):★アキラの《平井和正*異界漂流》----<01> 94/01/20 - 179/180 MXB00255 すすてん RE^2:日本とユダヤの和解とは? (11) 94/01/19 20:48 176へのコメント  アキラさんありがとうございます、すすてんです。  「日ユ同祖論」というものがあるということ、またそれが「日本人はセム族 の十二支族のうちイスラエルに残らなかった十支族のひとつの末裔だ」という、 いわゆる「失われた十支族」説に基礎を置いている、というような話は、ぼく も聞いたことがあります。第2次大戦中、日本がドイツと異なるユダヤ人政策 を執ったというのは、もしかしてこんな所にも遠因があるのかなぁ、とか思っ たこともあります。(もっとも、「アーリア人」至上主義のナチスが打算を超 越して「非アーリア人の国」日本と仲良くし続けるはずはないと考えたから、 というのがより当たり前な見方かとは思いますが。)  この「日ユ同祖論」というのは、おそらく表向きの世界ではイカレた戯言と いった評価で片付けられてしまうようなものなのでしょうが、少なくともぼく などにとっては「ほんとにそうならいいかもなぁ」と思わせるようなものでは あります。ぼくはつい先日まで、3カ月ほどあめりかの東部、ボストン近郊に 出張しておりまして、WASPとユダヤ人を両方見て来ました。そしてその時 友達になったユダヤ人に、「WASPよりユダヤ人の方が自然に振舞っている ように思える」という感想を率直に述べて参りました (^^;)。  ただ、ユダヤ人というと、「ヨーロッパでさんざん差別されてきた人達」と いうイメージと「パレスチナ人をさんざんいじめてきた人達」というイメージ と、この落差に戸惑わされます。(根が同じことは分かっちゃいるけど。)  それから、あめりかという国が、 > WASPとユダヤの両勢力が、互いに覇権を競いながら制覇している国 であるかどうかというのは、ぼくにはまだよく分かりません。大統領は圧倒的 にWASPだし、WASPに次ぐ勢力はやはりカトリックではないか、という ように見えます。(ケネディー然り。もっとも、大統領なんてただの「顔」、 ではありますが。)今までところ、ぼくが見たユダヤ人というのは、たとえば 黒人等に比べればかなり虐げられることの少ない人達とはいえ、やはりマイノ リティーなんじゃないかな、という人達です。  ユダヤの定義、ですか。広河隆一さんの研究会の本の記述、というのは、そ の本を読んで初めて知ることになると思いますが、岩波新書で拝見した限りで は、広河さんはパレスチナ問題を扱うジャーナリストの方のようですので、そ ういうお立場からの定義付けになっているのだろうと想像します。  ぼくは、あめりかの方では、「サルトルの定義(<ユダヤ人とは、自分自身 をユダヤ人であると考える人のこと>というやつ)は割と知ってる人が多い」 というようなことを言ってみましたら、「それ知らない」とユダヤ人に言われ てしまいました (^^;)。サルトルなんて所詮は他人さまよ、ということでしょ うか。  宇野正美さんについては、『ユダヤが解ると世界が見える』という新書を一 冊読んだだけです。『ユダヤにこだわると世界が見えなくなる』という反論書 とセットで古本屋に売られていたのを面白く思い買って読んだのですが、その 時はその反論書の方に軍配をあげたい気持ちになった記憶があります。世間の 宇野さんへの評価が今ひとつ、ということも影響しているかと思いますが。  広瀬隆さんに至っては、例の原発の本しか読んでません。何か読んでみなく ては。  何にせよ、結局この世を支配するものは「システム」である、とは、ぼくも よく思います。学者先生の本を読むと、そういうシステム論はどうもニヒリス ティックである、とか、システム自体の変化を説明しない、とかいうことにな るらしいですが、会社などに勤めますと、妙にシステム最強説に説得力を感じ てしまいます (^^;)。  では。今後ともよろしくおねがいいたします。   出張のせいで(縁が切れて?)『犬神 Vol.2』を買い損ねた、すすてん。 180/180 JBH00712 桂 桂 RE:日本とユダヤの和解とは? (11) 94/01/19 22:35 174へのコメント  #174 すすてん さん  はじめまして、すすてんさん。  さてご指名がありましたので、すすてんのさんの疑問に応えるべく少し日ユ同祖論に 付いて書かせていただきます。  元々この説は、明治初年に日本にやって来たユダヤ系スコットランド人、N.マクレ オド氏が日本の習俗、行事、文化などが著しく古代ユダヤ人のものと似ている事から、 かの聖書に在る失われた十支族が遥かシルクロードを越えて日本にやって来たのならよ く理解できると、「THE EPITOME OF THE ANCIENT HISTORY OF JAPAN」という本をかい た事から始まった事と思います(明治八年刊行)。そこには、  *日本の神社は内宮と外宮に別れているが、これはユダヤの神殿と構造が酷似してい   る *神社の神官とユダヤの神官は、服装とも儀式の取り方ともほぼ同一  *日本の祭礼行列は古代ユダヤ教の行列と酷似している  *イスラエルの神殿の門には菊の紋章が在り、鳥居に似た石の門が在る という事がその根拠として書かれていたそうです。  これを受けて、小谷全一郎(宗教学者)が更に徹底したこの両民族の比較を行い同様 の結論を導き、佐伯好郎(東洋史学)は京都の太秦にすんでいた古代日本の帰化人、秦 氏がその十支族の末裔であると論じました。特にこの秦説は現在でもその真偽に付いて は非常に好意を持って受け止められています。つまり、現実に古代民族は大陸を渡って 極東の島国まで来たと言うのは在ったわけですから。  ですが、それからが段々と話しがすっとんでいく。  まず中田重治(キリスト教ホーリネス教会派)が同祖の日ユがひとつになって人類協 和を実現すべきと提言、時代は日清日露戦争を迎え正に日本人の目が世界の大陸へと開 かれた頃、こうした「浪漫派」は自然と受け入れられるものであったかもしれません。 しかしながらここで一つ、「古史古伝」と呼ばれる古代文書が世に出て来ます。いわゆ る「竹内文書」「宮下文書」とかいわれるものです。ここに書いて在る事が奇々怪々、 キリストやモーゼ、仏陀が日本に訪れただや、古代日本は世界を統治していただのとそ れは正に異次元の世界の話しです。だがそのシンパ(竹内大麿、酒井勝軍など)は次々 に驚くべき発見をやってのけた。青森県戸来村でのキリストの墓発見(現代でもその真 偽は藪の中)、そして言語学者の川守田英二による日本語とヘブライ語の相似点の指摘、 これらを持って戦前から現代にいたる日ユ同祖論の骨格が形つけられました。  こうしたオカルト以外でも日本はなぜかドイツと同盟を組んだ後でもさまよえる民、 ユダヤ人の救援支援活動をします。知られざるところでは関東軍大連特務機関傘下の安 江仙弘氏は「満州における民族融和の王国を造る」という使命感に燃えてその救援活動 を支持しましたが、これは残念ながら東上内閣が成立した時点で失敗してしまいました (いわゆるフグ計画)。  あの時代の日本人はどうして特別にユダヤ人に理解と興味を示したのでしょうか。そ の答えは、確かに「不和」と「和解」に在るのかもしれません。ユダヤ人は世界の救世 主となるキリスト(しかも彼はユダヤの王ダビデの正当な子孫であったにもかかわらず) を殺した罪によって世界をさ迷い迫害される事になった。彼らにルーツは在ってもよる べき土地はすでに無い。日本人は天皇制国家を復興できたが、その根拠となるべきもの は既に歴史の彼方に置かれて誰も見る事ができない。もし日本人が本当にユダヤの血を 引いて、ユダヤ人が失ったものが日本に在るとしたのなら、その「和解(正しこれは非 常にメンタルなものなのでしょうが)」によって導かれる答えというものが在ったから では、などと考えてしまいます。  ユダヤ人のシオニズム運動は「聖なるダビデの土地に復帰する事」でありそのために はモーゼがエジプトから同胞を救うとき一緒に持ち帰った「アーク」を見つけなければ ならないとされています。中には「アーク」は日本に在ると言う人もいます。  ユダヤ人が今でも陰謀を画策しているというのは(現実にそれが在ってもなくても) 聖書根本主義(ファンダメンタリスト)者であるアングロサクソンの、根強い歴史感情 が作り出したものと言う言い方もできそうです。アメリカ人でもヨーロッパ人でも、未 だにキリストの再起と千年王国の到来を大抵の人は信じているそうですから。そこには 当然キリスト殺しのユダヤ人、という「感情」が入ってくるでしょう。同じ様にユダヤ 人はユダヤ人で、シオンの土地にダビデ王の神殿を建設し、そこにアークを納めなけれ ば真のイスラエル王国を建設できた事にはならないと信じている人はいるでしょう。何 しろアークを手中に納めるものは世界の王になることができるのですから。そして永年 に渡り我が民族を手にかけて来た異民族を「聖殺(これは旧約聖書に出てくる言葉)」 しなければならない・・・・  ゆえにマイノリティーであってもユダヤ人と他民族の確執は永劫に渡って続いてしま う。これは島国民族である日本人にはなかなか理解できない感情でしょう。それだから こそ、長く世界の歴史に取り残されていたから、ユダヤ人に深い同情と哀悼の意志を表 明したのかもしれません。  それともう一つ、戦前の日本人は近代化されても「武士道」のような高尚なモラルが 息づいてました。戦後民主教育では教えてくれませんが、本当に一部の日本人は民族融 和と言う高い理想の元でものを考え、それがユダヤ人救済活動につながったという面も 在ります。  最後になりますが、こうしたユダヤ問題の諸説をおおざっぱに把握しようとするなら 「ユダヤ・ブック」(徳間書店)を読めば、かなり広範囲に渡って(日ユ同祖論も含め て)お解りいただけるのではないかと思います。ただし、視点はシニカルですが。それ と「ユダヤ問題と裏返して見た日本歴史」(八幡書店)。これは戦前戦後を通して日本 人がいかにユダヤ人とかかわったか、リアルタイムに理解できるかと思います(ただし、 多少難解)。  極東にユダヤ国家を建設する計画に付いては「大連特務機関と幻のユダヤ国家」 (八幡書店)にその全貌が書いて在ります。  機会が在ったらまたこのような話も書いてゆきましょう。                          桂 桂(JBH00712) - FARION MES(12):★SUBUDHの《アジア・チャンプル》----<01> 94/01/20 - 00143/00143 GFB00026 一輝 RE:しっかりせよ神官。 (12) 94/01/20 00:17 00139へのコメント >SUBUDHさんへ まったくおっしゃるとおりの惨状ですね。 現在の神道の在り方は、神殿で貨幣を鋳造していたイエス出現直前のユダヤ教の状況 や、神父が免罪符を売って職権を乱用していた頃の中世キリスト教の状況に、とても よく似ています。 日本神道は今や、カミ無き時代の、保険屋稼業に成り下がっているような気さえしま す。「安心」という名の免罪符を誰もが買い漁る。時代や国を超えて人間のやること は変わりません。人々の不安に便乗してカミの名を語り収益を稼ぐ人々に、決して神 官が含まれてはならないと思います。神域の大部分を削って駐車場を作り地代を稼ぐ 神官たちを、カミは見逃しはしないでしょう。 今、神社本庁から神官の就任を認められない都内の小さな社では、朽ちた神殿に不況 で仕事にあぶれた浮浪者たちが宿泊を始めています。とうとう神域へのタブーに誰も 異議を唱えなくなりました。宿泊に気が咎める者も居なければ、注意を促す者も居ま せん。戦前の日本人がこの惨状を見たら、どう思うでしょう。これからいったい日本 はどうなるのでしょう。 おかしいことはおかしいと、誰かが言わねばなりません。外部からだけではなく、腐 り切った内側からの変革も必要です。誰でもいいのです、たくさんのイエスの登場が 必要なのです。しかしどうでしょう、人々はこう言うでしょう。「今まで通りでいい じゃないか。みんな儲けているんだし、別に減るものではないのだから……」 神殿が朽ちたのは、人々の心が朽ちているからです。心が朽ちていることにすら、誰 も気付こうとはしないのです。心がねじくれてひん曲がっていることに気付かない。 神社というのは、メディアの発達していなかった時代にとって、唯一のメディアでし た。地域共同体の「神経(カムナガラノミチ)」として機能していました。情報は、 神社に集まり、神社から持ち帰り、別の情報を神社に持ち込んだのです。日常的なも の(ケ)もあれば、非日常のもの(ハレ)もあり、緊張もあれば緩慢もある、密度の 濃い二律背反のシステムです。しかし、中心とも言うべき核(カミ)の存在しない神 経系は虚無状態を生み、方向性を見失ってやがては朽ちるのです。また、核(カミ) を見い出せない地域共同体自身の崩壊によって、この状況は更に加速します。 神官とは、「神経(カムナガラノミチ)」が潤滑に機能出来るように交通整理をする 役目を仰せ預かった人です。カミと一対一で対峙する瞬間を持つと同時に、ヒトとも 一対一或いは一対多で対峙します。交通整理をする人が、カミと対峙することを止め 形式だけになり、ヒトに対して高い通行料を要求し始めたのが、GHQ政策以降の日 本神道の在り方なのではないでしょうか。今やヒトに対してすら対峙しているように は思えないのです。このままでは自動改札口と同じようになります。 日月神示のなかの「注連縄もなくなるのざぞ」というのは、こういった神経系が崩れ て、やがて朽ちてゆくことを表現したのもしれませんね。 一方、ARIONがパソコン通信に登場したのは、情報通信という神経系に核を入魂 することで、本来のカムナガラノミチ(神経)を取り戻そうという試みではないか、 とも思っています。(カミの神経系への介入のことは、10年ほど前に武田崇元氏が「 出口王仁三郎の霊界からの警告」で予見していましたね>桂 桂さん) 今、キプロス島修道士アーキマンドライト・ソフローニの言葉を想起しました。 「汝、魂は地獄にあれど、希望を捨てるなかれ」                                     一輝 追伸へのお返事は、 後日詳しくということで今日は失礼します。