- FARION MES( 2):【居酒屋1999】自己紹介・雑談--------<09> 94/01/30 - 01560/01565 HGE02116 MAKOTO RE:居酒屋風景 ( 2) 94/01/29 23:45 01558へのコメント コメント数:1 いかに魔界の方とは言え、ご老体に風邪を引かせるのはお気の毒、 ふんわりと、ストールをかけて差し上げましょう。 「マスター、ミルクティーいただける?」 雪も止み、雲間から、少し欠けた月が顔を覗かせた静かな夜に…                    MAKOTO でした☆ 01565/01565 PBA02422 さはし 津軽海峡ならぬ、居酒屋冬景色 ( 2) 94/01/30 13:05 01560へのコメント いらっしゃい、めーそんさん、MAKOTOさん。 京都以来ですね。あれから寒くなったり雪が降ったりしましたが、 お変わりありませんでしたか? さぁて、ミルクティですか、MAKOTOさん。 なんでも有りのこのお店は、喫茶店もやっているとみえて、おや まあ、ミルクティまで出てくるんですよん。(^^;) 多角経営ってところでしょうか。(笑) 01561/01565 GBG02755 すまる 今日はめでたいだよ。 ( 2) 94/01/30 11:28 コメント数:1 なんちゃって、今日は「すまる」の満1才の誕生日です。 一昨年の冬に夢の中で不動妙王さんから、1月30日に死んで 新たに生まれ変わりなさい、そして愛に生きなさいとメッセージを戴き、 ハンドルもスサノオさんから命名して戴きました。 この1年いろいろありました。 最初は本当に赤ちゃんで泣いてばかりいました。 この世に生まれでることは喜びながら、馴染んだ世界を後に しなければならない悲しさでも感じていたのでしょうか。 そして、実生活でも学生になったり、りんご病(幼児しかかからない伝染病)に なったり、初恋みたいな片思いしてみたり、友達やBFも新しく出来たり、 何もかもが目新しく新鮮で、少しづつだけど自分がしっかり成長していることも 確認しながら今日まで来ました。 恋も1年中しました。心に誰もいなかったことがなくて、いつも誰かを愛していました。 まさに不動妙王さんのメッセージ通り、「愛」に生きて、「愛」をひたすら学びました。 (久しぶりに今日は誰も愛していないのだ・・・ボソ) 本当に多くの事を短い時間で学ぶことが出来ました。 そして自分の方向も確認出来るまでに成長しました。 そう、今年4月から、私の本当の巣立ち、社会参加が始まります。 ここで学んだことを実生活にも応用し、自分の方向にしっかり歩みだしたいなって 決意しています。 またもやお祝いなのかな、一昨年の春私の33の誕生日に私の育てている洋蘭に 咲き始めましたが、今日も洋蘭が咲き始めました。 きっと厳しいけど、素敵な1年になるだろうって思います。 この1年は本当にいっぱい友達が出来て、しかも「愛されている」ことを実感できる ような神様からの配慮も戴き、幸せでした。思わぬ悲しみもいっぱい味わいましたけど、 それも私のこれからの人生の肥しになってゆくだろうって思います。 「すまる」の名前は戴いた当初、真珠、スバルと言う意味を教えていただいて、 本名と馴染むなあって言うんでつけさせて戴いたんですけど、 それからこの名前につながっているいろいろなことに出会うことがあったんですけど、 けっこうしんどい名前なんですね。  「統」という漢字になるんだそうです。まとめるって意味なんですが。。。 恐れ多い名前ですね。それにスバルはその昔、ギリシャ神話の時代、ポセイドンの 愛人でもあったらしいし、日本でも信仰されていた星だとか・・・ 真珠もARIONの予言メッセージにも出て来るし、、、げ!とか思いました。 だんだんこのハンドルを名乗るのが恥ずかしくなって来ていたんですけど、 いまさら変えられないし、敢えて自分に宿題のつもりで使って行こうかななんて、 生意気にも考えています。 そういえば、スバルには人が住んでいるですか?>みれちゃ なんか、不思議な感じがしますね。出会ったら友達になれるかしら・・なんちゃって。 昨年、この誕生日を前にしまうまさんに会うことが出来、彼の訪問に 何か祝福、励ましを感じて、嬉しかったのを覚えています。 今年の、昨日はめまぐるしくたいへん苦しくて、のたうちまわりましたが、 目が冷めてみたら、すっきり新しい1年の始まりを感じられていますし、 素敵な友達がまた一人増える予感もあって、楽しくて仕方がありません。 みんな、これからも精いっぱい愛のメッセージ贈り続けるから、 すまるを応援してほしいんだ。 みんなで一緒に泣いて、笑おうよ。愛してるよー(*^^*) どんな時も希望を失ったらだめなんだよ。 希望が見えなく感じたら、すまるに話しかけてほしい。 一緒に泣くことしかできないけど、そばにいてあげるから。 今日のすまるは希望でいっぱいなんだな!(*^^*)                           すまる 01562/01565 PBA02422 さはし おめでとう ( 2) 94/01/30 12:45 01561へのコメント こんちは、すまるさん。 ハンドル誕生日、おめでとう。 何かが変わるというのは、何らかの契機になることが多いけれど、 ことがハンドル名になると、大きな意味を持つ事がありますね。 ここは文字だけの世界(ちょっと例外もありますが)なので、い わば顔が変わるようなものだと思います。流れが変わることも、 当然、ありえますものね。 そして、1つの流れが変われば、他の流れにも波及し、ひょっと すると、大河の流れさえ変えるものになるかもしれません。 僕も今、別の流れのなかにいるんですよ。                           さはし 01563/01565 PBA02422 さはし RE:もっとギャグを!! ( 2) 94/01/30 12:55 01557へのコメント こんにちは、英雄さん。 最初に高橋瑠美子を知ったのは、実は、その隣に高橋葉介の本が並んでいた からで、絵柄を見て「ほほう、なかなかだなあ」と思ったからでした。(^^;) 今でも高橋葉介も好きですが、あのとき書店の棚に「仮面少年」が無ければ、 「うる星やつら」を手にする機会は無かったでしょう。もちろん、後になっ て、アニメで知る事になったでしょうけど、アニメを見て、その原作が読み たいなあ、と思うことは、僕の場合、あまり無いので、ファンにはなり得な かったかもしれません、極端な話。 ギャグといえば、前のレスでも書きましたが、猫十字社の「黒のもんもん組」 「県立 御陀仏高校」(字が怪しいな。違っているかも)、が秀逸でした。 間も良かったし、シュールさと現実の中間で、なんとも言えず、読みふけっ てしまいました。 01564/01565 PBA02422 さはし 雪って奇麗 ( 2) 94/01/30 13:00 01559へのコメント こんにちは、みれ姐さん。 太平洋側に住んでいると、雪ってのは、珍しくて降って来ると、 どうしても嬉しくて、窓を明けては、降って来る雪を飽きずに 眺めたりしているんですが、これって、単に子供っぽいってこ とだけかな?(^^;) 福島方面には一度だけ行ったことがあります。もう4年前にな りますか、FCOMICの仙台七夕オフの時に通過しました。 18切符で行ったので「どこまで行っても福島県なんだなあ」 とため息交じりに景色を眺めてました。 - FARION MES( 3):【めでぃあ室】本/映画/音楽 etc----<01> 94/01/30 - 00356/00356 VFD02105 メルク やっと観れる (^_^)/ ( 3) 94/01/30 13:11  今日、30日(日曜日)午後2時から、NHK教育テレビで、  あの噂の、「ベルリン・天使の詩」がやる。  う〜ん、ついに、ついに観れるのねん。ウルウル (;_;) ウレシナキ                         メ ル ク - FARION MES( 6):・壁(1)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 94/01/30 - 02068/02076 PFA03317 Eddie 説明 ( 6) 94/01/29 22:51  いつだって僕は説明をしてきた。  わからないと気がすまない。  説明できないと気がすまない。  そう言えば、  彼女と話しをすることも「愛について」の話しばかりだった。  決して「愛のため」の話しじゃなかった。  なんのため?  僕自身が愛そのものを受け入れられなかったから。    本当は、  逃げていたのは君じゃない僕の方。  求めていたのは僕じゃない君の方。  真実は目に見える現実とは正反対だね。                              Eddie 02069/02076 GBE02650 ユ−リ RE:杞憂なのだろうか ( 6) 94/01/29 23:23 02047へのコメント  ううん…、結局、夢も希望も無い言いかたをしてしまうと、 そういう結論にどうしてもなってしまうんでよねえ… > 私が役所にいたら、このような名前を提出されてもあからさまに怪訝な顔を >して「ほんとにいいんですかぁ?」と言うことしかしないであろう。それ以上 >の権利がない。  それは、YAHATAさんだけではなく、多分僕自身も同じ事を考え、 同じ事をしたんだろうと思います。  さらに言うと、僕やYAHATAさんだけでなく、 誰があの窓口に座ったとしても、最終的に同じ結論に達せざるを得ないんです。  この点に関しては、行政上の基本的な考え方として、 窓口で取り扱いをする人間によって、 申請者の利益が変化するような事があってはならない… という側面もあるものですから、これはこれで問題は無いんですけど。  特に、今回の件では、窓口で一度「待った」をかけて、 法務省(だったかな?)にまで登って検討がなされている、と、 その上で父親に対し名前を変えるよう指導がなされています。  さらに、その上色々あって、最終的に「悪魔」の名前が認可された訳ですから、 既に打たれるべき手は打ち尽くされていると思われるのです。  ですから、現時点において、問題は素人の口を差し挟める領域を超えています。  …ただ、それで「問題解決」というのでは、 僕自身釈然としないモノが残るものですから… それでグルッと話は最初に戻って、 前に話した「改名権」みたいなものを持ち出して来た訳です。 (「改名権」…あんなアナだらけの思いつきも、 こうやって書くと立派な学説みたいだ…(^^;)  ただ、それでも「悪魔」ってのが名前としてどうか… …って問題は依然として残ってるんだよな…これが…(^^;;                      GBE02650 ユ−リ 02070/02076 KFD00473 たまご RE:境界に立つ者 ( 6) 94/01/29 23:34 02066へのコメント なんだかしんないけど迫力あるねぇ。 02071/02076 GBG02755 すまる 自分の責任だろう? ( 6) 94/01/30 00:38 追いかけられて生きてきた。 追いつめられて自分を見た。 もう嫌だ。 追いかけられるのも、追いつめられるもの。 自分ではどうしようもない袋小路に追いつめられて いやいや、なくなく、ここまで生きてきた。 自分の意志でだったろうか・・・ いや、目に見えない衝動ともいうべきものに追い立てられて 生きてしまったような気がする。 「理不尽」自分ではどうすることも出来ないこと。 全く、理屈では説明も、棄権も出来ないこと。 ただただ、そんな人生を選ばされてしまったように思える。 しかし、そんな人生を演出したのは、間違いなくこの「私」であって、 他の誰でもない。 同じ出来事、同じ衝動を感じても、同じ感情や考えを持つとは限らない。 まして、同じ結果を選ぶことも限ることではない。 その理不尽に痛みを感じたのはこの私である。 この私だから、「この痛み」を感じたのである。 しかし、無理に走らされるのは嫌だと叫びたい。 もし出来るならば、痛みなど感じないで済ませたいし、 そんな「理不尽」に巡り合うことも拒みたい。 そんな自由が人間に残されているだろうか? そういう自由を与えられているだろうか? たぶん、そんな自由はないだろう。 社会や規範からの自由はあるだろうが、 自分自身からの自由はないだろう。 要は意識の問題なのだろう。 走らされていると感じるのか、 自分で走っていると感じるのか。 もちろん、走らせているのは、この私自身なのだが・・・ 否応なく訪れる「理不尽」、ほとほと疲れた。 その理不尽を制御することが出来れば、人生の勝利者だろうな。 しかし、私はその「理不尽」を制御出来ない。 しかし、それが「人間」を生きると言うことなのかもしれない。 「迷う」ことが人たることではないのかしら・・・・ 嘘をつき続けることは出来なかった。それを諌められても、どうすることも 出来なかった。嘘をつくつもりはなかった。 そのとき、私は自分をまだ、知らなかった。 安易な受け答えがここまで事をこじらせてしまった。 もはや、その時は帰らない。どう説明しても言い訳になるだろう。 傷ついた心を癒すのは・・・・・・・・・・・・ 私を拒み続ける人には、どんなことも意味を為さない。 癒すことさえ、拒まれてしまう・・・ 私には癒す方法さえ見えない・・・・                       すまる RELEASE YOUR SOUL・・・・ 02072/02076 GBG02755 すまる ごめんね。 ( 6) 94/01/30 01:03 コメント数:1 一人でかってに決めつけて、 一人でかってに傷ついて、 それを人のせいにするなんて、ひどすぎる。                    すまる 02073/02076 TBE03167 ねずみ RE:ごめんね。 ( 6) 94/01/30 01:26 02072へのコメント あ、それって俺もちょくちょくやってるんだわ(大笑い)。 もーちょい進歩せんものかと思うのだが、進歩しないねぇ。 02074/02076 GBG02755 すまる メッセージだよん! ( 6) 94/01/30 12:20 って、こともないけど。 他人の行動の逐一を責める時、そしてその人に直にその行為のわけを聞きもしないで 決めつけるときってさ、どうなんだろう。 私はその人が自分の何かを守るために、好戦的になっているって感じるんだよ。 で、何が守りたいの?どうして欲しかったの?って聞きたくなる。 何から逃げようとしているんだろうって思う。 偏見かもしれないけどね。 でね、そういう人を見ると悲しくなるし、同情するんだ。 自分の考えを相手に押しつけることは、自分を守る行為なわけで、 相手を受け入れないわけで、相手を受け入れることに、自分の何かが 壊れたり、傷ついたりするってことを意識してかしないのかわからないけど、 否定的になっているのね。 「頑な」ってことなのね。 感情的になっているときは、そういう自分の存在に気がつけないでいることが多いけど 静かになったら、自分にどうしたかったのかって本心を聞くと、 知らない自分がそこに見えて来るだろうって思うのよ。 「自分をみる」の初歩だけどね。 相手の対応に確かにまずいことがあったことは確かだろうけど、 そこまで、興奮するのはどうしてだろうとか、 何を恐れて、自分を檻の中に縛ろうとしていたのかとか、 初心に戻って観察することも必要だなって思うわけ。 「決めつける」行為は、傲慢の始まりだし、 それは何よりも恐れなければならないことで、だって可能性つぶしの行為なんだもの 「決めつける」行為は、それをされた相手はものすごく傷つく。 「愛」が足りないのよ、相手にも自分にも。 ただね、私はそういう行為を行なった人の、悲しみが想像出来るから、 それを非難しないよ。だけど、ちゃんと自分をケアしてほしいって思う。 そんなに恐がらなくても、生きて行ける自分を信じてあげてほしいなって思う。 ・・・・え? うん、私が最近人と触れ合って感じたこと。   私は人を責めることは出来ないよ。頭に来ると思わずしちゃうけど、   本質的には、痛みを分け合いたい人だからさ。より深く傷つけるなんて   泥沼は好まないよ。   私は「恨まない」ことにしているし、「愛する」ことの方が楽しいから。 人を一方的に責める時って、可愛そうだな。 責められてびっくりしちゃったけど、あわててしまったけど、 責められるようなことしてる自分も反省出来たし、 その上で、やっぱりその人を大切にしたいって思えたのね。 >>私を責めた人へ   もう終わったよ。心配しないでいいよ。安心して             いつもの自分に戻ってください。そして自分の可能性に             ついてもう1度みつめなおしてくださいね。 それから、探すとき「形」に拘ったら、見えてこないってことも伝えておきたい。 本気ならなおさら、形を捨てなきゃみつからないよ。 思いがけない形で用意されていることもあるからね。拘ると見えなくなる。 もっと自由にラフに構えるといいよ。幸せ祈ってる。 ある人への公開メールだね、これは。                          すまる 02075/02076 GBG02755 すまる 愛されない? ( 6) 94/01/30 12:47 愛されないって思っているんだろうか? 愛することって努力するってことと同義よね。 出会った最初は互いの環境が違ってて、分かり合えないって思える部分もあるだろう。 だけど、その分かり合えないと思われる部分や、可能性の少ない部分にこそ、 愛情が注がれるわけで、それが「愛」のエネルギーなわけで。 しかも、相手のそういった努力も信じるってこともこれまた「愛」の為せるわざで。 信じるってことが出来ないのは、愛していないと同じことなのね。 相手との距離を縮める努力が出来る自分と、相手との双方を信じることが愛なのよ。 そういう努力を相手に求めることが出来ないとか、信じられないとか決めつけることは せっかく出会ったのに、そこで終わってしまうってことなの。 相手の努力を信じるってことは、愛される自分を信じるってことで、 愛されることに否定的な人は、その時点で愛を見失う。 上滑りかどうか、距離が縮められるかどうか、それを相手にしっかり確認を しないであきらめるってのは、愛情不足。愛することや愛されることに 努力が足りない。 相手がどこまでも自分との距離を縮めてくれると信じることを努力しなかったら 永遠に愛されることから離れたままだね。 愛することにさえもなっていない。 今の環境では、二人がいつまでも愛することに可能性が少ないって判断することは たやすいけど、その不可能に近い互いの環境をなんとか、開拓するのが、 愛するって作業なんだよね。 「愛」ってものすごい努力いるんだよ。「愛」ってそんなお手がるじゃない。 甘くもない。ほとんどが戦い。 愛されたかったら、信じること。限界を作らずに信じること。 そして相手に自分を委ねること。 それが出来ないうちは、本当に愛される幸せは感じられないだろうな。 そういう予感があるから、本気の愛が恐くてしりごみしてしまうのよね。 でも、だからって軽い恋を選んでいるわけじゃないよ。 本気で愛すること、愛されることって、簡単にわからないの。 自分のどこからどこまでが限界ってこともわからないくせに、 それを相手をも抱えるってことだからね。 人は一つの宇宙だからさ、愛する行為も限りないわけなんだ。 そんなふうに思うから、びびってしまう。 ってなことを書くと、すまるはまだ「愛」を頭でわかってるなんてみれちゃに 笑われてしまいそうだにゃ。ま、あるがままだよね・・・                          すまる 02076/02076 GBG02755 すまる ってなわけで・・・ ( 6) 94/01/30 13:21 まあ、上にいろいろ書いてみたんだけど。 そんなわけで、「本気」で自分を生きるってことは、 かなりシンドイわけなんですね。 どこまで「本気」なのかが問われているわけで、 その本気の程度によって、巡り合うことも違って来るわけなんですね。 「本気」にもいろいろで、簡単に自分はここまでやれば、本気だって 言ってしまう人もいれば、私からみて、そんなに真剣にならないと だめ?ってな場合もあるわけで。 「本気」にも程度が人にいろいろなわけです。 だから、私からみて、「あ、ずる!」「あ!楽決め込んでる」           「ああ、そんじゃ言ってるほどのものは獲られないよー」 ってな感想を持つことも多々在るわけで。 「本気」ってことは、なりふり構わずってことで、自分を捨てる覚悟ってことで、 小さいことに拘っていたらだめだし、でも自分の感性を最大限に研ぎすませることも 必要なわけで、安易な妥協は許されない。でも、それは本人にしかわからないし、 本人の意志によることでもある。 頑張れば、それだけの「何か」はつかめるのね。 それが自分の欲しかった物と形が違うことはあるけど、 「何か」は与えられる、ご褒美として。単なる満足感かもしれないけど。 もう「本気」しないといけないのかもしれないね。 甘ったれていたんじゃ、だめなのかもね。 求めるものは人それぞれ、でも真剣ってことはしてゆかないとね。 そんな風に思うだな。 ああ、でもさ、「本気」で生きるのってシンドイよね。 でも、遊ぶのも、休むのも本気であるってこと。 四六時中、一生懸命何かに立ち向かうのではなくて、 自分に楽させるときはやっぱりしっかり楽させるべきなのよ。 こんなことを肩の力抜いて、さりげなく生きて行かれると すっげーかっこいいだよね。 それも自分としっかり向かい合っていれば、その呼吸もだんだんわかるように なってくるんだ。さりげないようでいて、けっこう真剣みたいな! 人生1回勝負、でも何度でもやり直せるんだ。 本気でやり直すなら、いいんじゃないかな。                          すまる - FARION MES( 7):★アリオン世紀末書込み寺------------<02> 94/01/30 - 01936/01936 HGE02116 MAKOTO RE:あるがままの地球を・・・ ( 7) 94/01/29 23:46 01935へのコメント うわ〜い、あたしも大好きなんですぅ。 といっても、できたてのホヤホヤのファンなの。 だって、始めて聞いたのが十日程前なんだもん(^^;) それ以降、今日までどっぷりでございます。 たった今も、横で流れてたりして… あぁ、こんなとこにゴミ撒きしてしもうた。 でも、嬉しかったんだもん(*^_^*)             MAKOTO でした☆ - FARION MES( 8):★シゲの【恋愛玉手箱】爆走編--------<01> 94/01/30 - 00136/00136 HGE03563 SONIC RE:うふふ、ありがとう>とかち ( 8) 94/01/29 23:46 00132へのコメント トkissとゆうと、僕は小学生から中学生あたりまで会話がわりに、おとーとや可愛いこ ぶた みたいないとこの男の子のぽっちゃりしたほっぺたにちゅーするのが好きで、いつも嫌 がられておりました。(・・僕はあぶねー奴か?)でも僕はホモではありません。 17の時に上京して3年振りに帰省したんですがうらしまたろう、 肩までしかなかったわがおとーとがのっそりと自分と同じ背丈に! 上京する寸前までちゅーしてたいとこのぶうちゃんが全く別人の体育会系のゴリラに 変身していたっ!あのときのきまりわるさっていったら無かったなぁ。 ・・まさかゴリラにちゅーは出来ないっ。反対に蹴飛ばしてやりたくなったが・・。 あと今、所属している職場の先輩に19才のこれまた可愛い童顔のぽっちゃりしたこぶた ちゃんがおりますが、肌が触れそうに近づくと、思わず胸がドキドキして・・いや、俺は いったい何を言ってるんだっ! でゎ盖寺pホモではありません。信じて下さい。下の欲求じゃなくて、上の欲求なんです 。 彼らとは話さずして、心が通じるんだと思う。 僕は下と上の欲求が別れてないってことには自信があるな。 ちょっとでも興味わいた女性に対してのkissとsexの興味は平行して同時に やってきます。 kissせずにsex出来るわけねーじゃん。心が向きあってない人と肌合わせれるわけねー。 目が、心が、こっち向いてない人ってピンときて、そういうのはよく分かるだあね。 *注)・・・ですから僕はホモではありません。 - FARION MES( 9):★TAO のヒーリング・ルーム----------<01> 94/01/30 - 333/341 GGD02212 Soo 当直医はパニック ( 9) 94/01/29 23:27 コメント数:1  #310>寒暖の変化に対応できず体調を崩す人が出そう…と、予期していたら <これは経験に基づく推測>案の定、気管支炎や肺炎を発症する患者が増え、 私も病棟のスタッフも忙殺され、パニック状態だった。まるで皮肉のように、 昨夜は痰で気道が閉塞して窒息しそうな患者を相手に格闘していたのでした。 医者が体調を崩してる時に限って患者が沢山来る…って法則?があるのかな。 <RE:320>細さん。  抗生物質の体内への残留というとTC系だったかな?歯が黄色に染まるやつ とかが該当しますかね?コミックの「美味しんぼ」で抗生物質>家畜の飼料> 糞便>有機農法の肥料>農作物の汚染というルートが指摘されてましたね。(-_-;  MRSAマーサちゃんは、マスコミが大衆の偏見を煽るようなことを書き立てたりで、 困ったものですが、現代医学というか医療の矛盾が生んだ落とし子でしょうか。 抗生物質が数多くの幼い命を救って来た実績は無視できませんがね。 <RE:330>で、細菌もとい最近用いられる抗生物質というと、PCペニシリン系で Gグラム陽性菌を叩いてG陰性菌が出てきたらセフェム系、黄色ブドウ球菌とか が問題になって来るとTCテトラサイクリン系が見直されたり、MRSAマーサ ちゃんに ペプチド系使ったり、経口剤ではニューキノロン系っていうサルファ剤の子孫 みたいなのが流行ったりして、バクテリアとのイタチごっこしてます。(-_-; <RE:322>NoBさん。 毎度チェックをありがとうございます。(__) 「喫煙による繊毛運動の阻害」は映像化されたものを見た記憶があるのですが …(#319)リュウカクサンのリュウは竜じゃなくて龍だっけか、あのCMみたいなVTRで、 繊毛(最近は線毛と書く事になってるかな)が見事に止まってましたけどね。  素人向けにヤニと言ったのがまずかったかな。あ、ある成分の多くは気管に 達する前に咽頭粘膜から吸収されるんだった。気道分泌物に溶けこんでからも そこに留まらず、どんどん吸収され血流に奪われていく成分もあるだろうな。 それで肺癌以上に膀胱癌の相対リスクが喫煙者で高かったりするんだろうな。 発癌物質とかの具体的な名前は手元に資料がないのでしばらくお待ち下さい。  喉の炎症を抑えるたばこ?それこそ繊毛運動の阻害のように防御を鈍らせて いるのではないでしょうか?炎症は生体の防御反応という面もありますから、 抑えるとかえって治癒過程を遷延化し疾病を慢性化させることも有り得ます。 ←これは抗炎症剤でも同様なんですが。一時的に有益な作用をもたらすように 見えることはあっても、常習者になってしまうと慢性閉塞性肺疾患や成人病の リスクなど、害のほうが上回るように思います。           Soo. 338/341 TCC00116 NoB RE:当直医はパニック ( 9) 94/01/30 10:40 333へのコメント Sooさん、どうも。失礼な言い方にならないように懸念するのですが、#333は、 僕にはよくわかりませんでした。ひとつには、「素人向けにヤニと言ったのがま ずかったかな。」というあたりですね、別に些末なことをつつくわけではないの ですが、この発想に隠れている「素人」対「玄人」的なパラダイムそれ自体をか なり疑っている僕などには、ちょっとコメントしづらいものが前提にあるように 思えました。 Sooさんの議論をだしにしたり、別にそれをネタに論争したいわけではないので すが、僕としては、Sooさんがそれ以前に書かれている範囲での、煙草の害と風 邪の関連は、あまり、医学的な言説を形成していないように思えるのです。 煙草有害論については、言説上の特徴が面白いので、いろいろ調べてみたことが あります。以前は面白がってに、嫌煙家の人に論争ふっかけたりもしてました (ちなみに、NoBさんは実際はほぼ嫌煙ですよ)が、そうしてみて、あまり、医 学的な言説が出てこないし、医学的な言説は「玄人」的煙巻き(おっと)になり がちでした。 以前だれかが述べてましたが、有害というのなら、地球生物にとって酸素も有害 たりえます。ま、活性酸素を論じるべきなのでしょうが。 煙草の場合、近代の始めに世界史に登場したわりには、そのひろがりが尋常では ありません。人類という種とのある必然があるとみなしたほうがいいし、そうし た考察がなされないことには、その否定はむつかしいでしょう。もうひとつ、こ うした例でいうと、「砂糖」がありますね。これは、現代になって世界に広がっ たものです。 人類はそれほど、たばこも砂糖も摂取してこなかった生物だったのにどうしてこ うなったかについて、ある程度説得力のある説明が必要だし、問題設定がされな くてはならないでしょう。 繰り返しになりますが、Sooさんの文章に揶揄したいわけでもなく、批判したい わけでもないのです。ただ、#333については、「素人」対「玄人」的なパラダイ ムでかかれているので、このパラダイムに乗るためには、重装備NoBさんの出動 が必要ですし、やってやないもんでもないのですが、しません。たんか切ってい るわけではなく、一応、いろんな分野のアカデミズムの形態は知っているので、 それ自体の言説の場にはそれほどびびりません。ただ、なぜ、そうしないかとい うと、そもそも「煙草」の害なるもの言説は、そのパラダイムで論じられるべき ものではない、と思えるからです。言うだけまどろっこしくなりましたが。 NoB 334/341 MHD02672 TAO 新しい戒律 ( 9) 94/01/29 23:39 326へのコメント  すまるさん、どうもです。  社会規範によって形成されている性意識というものは、周囲の環境より  いつしか自我形成において複写されて行きますね。  己の身体の中に、その複写された性意識と噛み合わない“異質性”を  感じると、「分水嶺」が目の前にあります。己の異質性を認め、  社会的容認を得られずとも、それに忠実に生きて行くか。逆に、  異質性を封じ込め、ステレオタイプの性関係に追従して行くことを  選ぶか。その「分水嶺」において、選択肢は正に個々の“魂”に  委ねられる訳で、それはあくまでも本人の責任に帰せられることに  なりますね。  と言っても、日本社会においては「性」は商品化されているものの、  性生活における相互関係の質の追求、個人の思想や嗜好に対して  人権意識に基づいた自由を認めること、などがあまり省みられていない  ように感じます。そういう社会状況では、選択自体がジレンマに陥り、  閉塞感に閉じこめられるより仕方なくなるのかもしれません。  となると、道徳的責任を踏み外すことなく、しかし社会規範そのもの、  その社会規範に填められた人々に、異議申し立てを行うより他はない  ように思えます。  性関係とは、決して人種の再生産機能に留まらない、もっと深い  社会的な意味を備えているのだと、思います。因襲的なパターンに  閉じこめられた性観念や性生活に充足出来る人々には、本人達が  そう望む限りは変化を無理強い出来ませんが、そのパターンに  填められない、或いは圧迫感や閉塞感を感じさせられている人々の  為に、より緩やかでより賢明な“新しい戒律”を創り出す必要が  あるでしょう。  TAO 335/341 MHD02672 TAO NoBさんは女嫌いなのだろうか ( 9) 94/01/29 23:40 328へのコメント  NoBさん、別にフォーラムの性格に配慮されることはないと思いますよ。  むしろ、NoBさんが「妥協」されたりするとかえって気持ち悪いしぃ(^O^)。  FMISTY MES 13 の方はいつもROMだけですが、サクルス論の展開には  常に目を配っていますよ。  えっと、#328 を一読して、「ありゃ、NoBさん、女嫌い?」なんていう  ごくごく単純な感想を持ってしまったのですが、それだけでなく、  同性愛にもすごい不快感があるということで、一体何なのだろう、と  考え込んでしまったのでした。  「いわゆる生物的な性から必然的に疎外される性をはぐくむしかしかた  ないのない子供」というのは、こういう言い方は危険かもしれませんが、  “生物学的な奇形”と考えていいのでしょうか。実際、自然言語の男女と  いう分類に当てはまらない、存在形の方も実在しますね。  例えば「睾丸性女性化症状」の方は、性染色体はXYだが、睾丸から  男性ホルモンが正常に分泌されるものの、男性ホルモンを男性ホルモンと  して感応することが出来ないため、外性器は女性化する。膣は浅く狭く  盲端で無月経だが、性交は可能、外見は女性…ということで、男性と  結婚して夫婦生活を過ごされている方もいると聞きます。  関係ない方向へ話がそれたか。  さてさて、ペニス意識ですが、それって精通を体験した時から、誰にでも  あるのじゃないですか。単なる排泄器なら、それほどペニスの存在を意識  しないでしょうが、ある時期から精通とそれに伴う快感を知ったら、  快感の源泉としてペニスを重視するのは、当たり前じゃないかとも  思いますけれども。また、勃起しなければ精通も起こらない訳だから、  勃起時の状態に対して、特別な意識を持つのも当然だと感じるのですが。  比べたがるのは、単に男のサガだったりして。  ま、快感は何も性器しかから得られないということはないと思いますし、  勃起しなくとも、スキン・コミュニケーションだけでも満たされる、という  方もいらっしゃるでしょう。  ま、NoBさんのご自身についてほのめかしているところは、何となく理解  出来ますし、無神経な言い方かもしれませんが、こういう言説もNoBさんの  自己セラピーになっているのかもしれませんね。  あの、NoBさんの面している状況というのは、かなり読み取れてしまうので  これ以上言及するのは、遠慮します。というのも、かなり失礼な言い方に  なってしまいますけど…。  エロスを絡めながらも、性的関係性、性的交渉を超えた「至高の恋愛」、  「究極の恋愛」というのは可能か? 実はこれが一番問題だったりして…。  (↑某グルメ漫画じゃないんだからさぁ)  「妥協と比較」で恋愛は成り立っている、というのは、そうとも限らない  じゃないかな、とも思えるし、何かNoBさんのルサンチマンみたいなものが  あって、それで理屈で割り切りたいんじゃないかな、と感じました。  今回はかなりNoBさんに失礼な言い方をしたような気がしますが、もし気に  障るところがあったら、それはご容赦のほどを。(でも、NoBさん自身も  女性に対してかなり失礼のような気が…)  TAO 337/341 VFD03335 ISYUWARI RE:RE:この世界専門以外はみなXX ( 9) 94/01/30 00:51 322へのコメント TAOさん、皆さん始めまして。 いつも興味深く拝見させてもらっています。 nobさんの書き込みを見て思ったんですが、インドのビィディー(葉巻)で は、癌の発生率をあまり高めないと聞くし、フンザかどこか忘れたけど、そう いった長寿国の100歳位の人達もタバコスパスパ吸ってる話し聞くし。 また、タバコの葉を長期保存するためにコバルト60の放射能を使っていると か、紙巻タバコの紙に放射性物質という話しも聞くし。 ネイティブが神聖な儀式に使っていたタバコを、害あるものにしてしまったの は、結局は人間が作りだした汚染物質なのかな。 私自身、タバコやめなきゃと思っていて(ショーもない奴)、このところ本を 読んだりしたもので、突然の割り込み失礼しました。 ISYUWARI 336/341 MHD02672 TAO それにしても ( 9) 94/01/29 23:42  最近、何故か活発になって…。本当は明後日にクローズするはずだったのに、  これでは当分閉められないわぁ(^O^;)。まあ、こちらにお構いなくどんどん  ご発言下さい。>皆様  TAO 339/341 TCC00116 NoB Untitled^^; ( 9) 94/01/30 10:42 細さん、TAOさん、「性」の件、コメントどうもでした。とくに、溶連菌につい ては、また、では、なにかのおりに僕から問題提起しましょう。 コメント読ましていただいて、思ったことは、自分の考えがうまく理解されてい ないかというのと、あんなもの理解してどうする?ということがありました。 TAOさんが、僕の論にある種ルサンチマンを読まれていましたし、女性のかたに は失礼かもしれない件懸念されていましたが、僕としては、むしろ、自分をでき るだけ相対化、遠隔化してこの問題は考えてきてはいます。ということで、自分 としては、述説の普遍化については案外ゆるぎないのですが、ああした問題意識 がどれだけ、他者に問題たるか?というところは、どうやら、違うかなぁという 気がしました。 話がてら、いくつか個別に。細さんの「むしろ女性というものへのエロス志向が あり、それがペニスに集約して行く(行かざるを得ない)という順番」について は、実は、サルクス論(FMISTY MES13)でも暗黙にふれているように、唇⇒乳首、 肛門⇒おしめとっかえ、というような対象化がそれぞれの層において「他者=欲 望の系在学」を形成するのであって、「女性なるもの」はむしろ、ペニス意識と ともに現われてくるだろうと考えています。 「女から承認されたい」の件は、言葉や知という意味あいはないのです。僕自身 経験はないのですが、性交時に「あんたってだめね」とか、また、自分は「女」 を愛していると思い「女」もそう思っているけど、「男」からみればたんなる 「裏切り」とかそうい側面では、「承認」はなくなる。こういうとき、「男」 は、総体的に存在否定されるてしまうように、「男」意識が形成されている。… …ただ、誤解されるむきもあるかもしれないけど、NoBさん自身はそういう経験 はないのですよ。 恋愛における「妥協」については、「経済学」としてとらえてもいいのかもしれ ません。恋愛とは市場なんだよ、という意味です。このあたりは、もうちょっと 詳しく論じたほうがいいのでしょうが、簡単にいえば、恋愛は、「この人」しか いないという意識に本質を持つようでいて、それがたえず「疑念」とともにある 状態でしょう。この疑念は、実は、自己の不安定に依存しています。極言すると 「女」は、それ自体の欲望は「空無」なのではないかと思います。存在獲得の欲 望の充足がそれに代替するようにできている(これは、おそらく、ペニスがない からだと僕は考えます。ちなみに、こうした思考において、NoBさんはかなりが りがりのフロイディアンです)のではないかと思います。卑近にいえば、だか ら、「女」はつねに愛され(充足)されないとならないわけで、しかもこの充足 像は、実は、言語像なのではないかと思います。(NoB用語をつかうと、MDと は、女の言葉、でしょう。) TAOさんのコメントに対して。疎外される性についてですが、“生物学的な奇 形”ではまったくありません。このあたりは、フロイト理論でもかなりとかれて いるあたりですが、多形倒錯は、いわゆる倒錯ではありません。 これもうまく説明できないし、NoB学が顔を出してしまうのですが、多形倒錯は 進化におけるネオテニィ戦略の一貫ではないかと思います。むしろ、人類が選択 したものでしょう。 ペニスについては、もうちょっと補足したほうがいいのかもしれないのですが、 これも誤解をおそれず簡略していうと、男はペニスだ、なんです。というか、ペ ニスが勃起するありかたが、つまり器官が充血して、別の身体形状をもつこと、 つまり、サルクスが可視顕現するありかたは、男という身体のサルクスのもっと も象徴的な特化なのでしょう。ですから、それが勃起する形状への自己同一が、 男意識でもあるし、実は存在意識でもあるのでしょう。ただし、うまく伝わらな いかもしれないのは、そのように、人間は、歴史文化的にしくまれているという だけで、それがいい悪いとか理想とかいやしとか、そういうことはまったく関係 ないでしょう。 とま、書いてみたものの、それでも、どうなんでしょうかねぇ。うーむ。 NoB 340/341 TCC00116 NoB 性について ( 9) 94/01/30 11:23 とくに書きたいことがあるわけではないのですが、ちょっと書いてみたい気もす るので書いてみます。 そういえば、以前、KAZEさんの部屋だったかな、また、ほかの部屋でもそうなん だけど、NoBさんが、ごちごちとしたこと書くと、NoBさんとはどいう人間なの か、内心恐怖を抱えているのではないか、とか、そういうリアクションが多いの で、ちょっと驚きました。そういう、発言者との関係性を言説のおもてにすぐも ちこむ発想というのは、僕にはかなり違和感があります。 ま、とはいえ、NoBさんがNoBさんと書いている発言者自体が一種も媒体のような ものだからそれはそれでいいかぁという気はします。 書こうかと思ったのは、NoBさんは、36歳。独身。プライバシーのことなど書 く趣味はないのですが、まぁ、この歳こいてほとんど童貞というのはめずらしい かもしれないのでつけ加えておきますが、ま、そんな存在です。これだと、現代 の日本の社会では、恋愛とか男女がどうたらということにおいては、ほとんど発 言できる立場にはなさそうな気がしますね。 NoBさんは女性が嫌いかというと、そのあたりがよくわかりません。そうした問 いとたてなくなったかなというのはあるかもしれません。今、専門学校で数学を 高卒の女性たちに教えているので、毎週、200人くらいの、「女の子」見るわ けですが、さして関心ないのですね。若いなぁ、子供だな、という感じでしょう かね。というか、ブルセラとか、若い女性とか、下着とかに関心をもつ男性も多 いようですが、僕にはほとんどわかんねーぞですか。 ただ、なんだろうなと思うことは、僕は、25んときに自分では、もう生きてる のもやだということがあって、学問にも恋愛にも挫折したんですが、そんときの ガールフレンドが22歳だったかな、そのくらい。21だったかもしれない。忘 れた。で、自分が、「恋愛」なるものをしていたときの、お相手が、その年代の 「女の子」だというのが、ある意味で解けない問題のようになっていますね。 あと、若いときは、ある種美少年だったのか、よく同性愛的な人から誘いがあっ て、乗ったことないけど、気持ちわりよぉ、が、ありましたね。同性愛っていう のは、僕には、すごい、不快ですね。 TVっていうのは僕はほとんどみないのですが、こないだやっていた「都合のい い女」というのは見ました。あれが、一種のギャグというかマンガというか、そ ういう娯楽ドラマですが、ああいう、20代後半から30代の、男女の修羅場と いうかは、実経験はないですね。ただ、ドラマ見て、よくわかる感じはしまし た。 もっと露骨にいうと、20代くらいの、恋愛、願望っていうのかな、よほどのま ぬけでなければ、大人になってまで持っているわけはないので、そのあたりです ね。ただ、面食いみたいんで、好きだのなんだのというのは、子供の特権でしょ う。 で、その、大人になるっていうのは、性的な自己アイデンティにおいても、かな り、孤独、になると思うのですよ。このあたりの孤独の陰影というか、そういう のっていうのが、あんまし他者に感じられない。ひどいこというと、おお、日本 人ってぇのはすごい民族だなぁというか、アジア人っていうのはこういうもんか というか。 なんか言いたいことがうまく言えないので、やっぱし、このへんでやめといて、 すんません、ゴミ程度にアップさしてくださいな。 あ、余談ですが、けっこうボディワークものが好きなんですが、性的な応用とい うのは僕はないのですが、そのぉ、他者の身体や活動をみてると、あまりエレガ ントではないなぁと思える。というか、そういう面での教育ができていないなぁ というかですね。あれでみなさん性交されているのなという、奇妙な感じってい うのはありますね。ま、性交はボディワークじゃないっていう面もあるのでしょ うが。あと、単体のボディワークと、対のグループワークはかなり違うだろうな とも思うのですが。 NoB 341/341 GCC01413 HVHY コメントみたいなもの。 ( 9) 94/01/30 19:32  >> NoB さん、TAO さん、他  NoB さんの言説は、概ね難しいので、  それを理解できたかどうか、定かでありません。  しかし、何となく、なるほど、と思う部分はありました。  ちょっと例を出してみますと、  「男に対して怖いと感じる感じ方」と「女に対して怖いと感じる感じ方」は、  もちろん、これは、男の側からの話であり、  また、こういう一括りの話は大雑把すぎるけれども、  どうも相当に異なっているような気がします。  フェミニズム論者に叱られそうな語り口かも知れませんが。  一般論として語ることは危険なので、  私自身の感じ方ということに限定しておきましょう。  全ての女性に対して、という意味ではなく、  女性に対して、瞬間的に、恐怖を感じることがあります。  私の場合、そういう恐怖を感じさせる女性には、二度と近付きません。  さて、もしも、全ての女性が、恐怖の対象となれば、  恋愛の成立する余地は消え去ってしまいます。  したがって、NoB さんの言う「吸引するヴァギナ」説が、  恋愛を語る上での唯一の一般論だとすると、困ったことになってしまう。  (※もちろん「何も困らない」という立場もあるだろう…)  ところが、幸いなことに、「吸引するヴァギナ」説の圏外にある恋愛も存在する。  NoB さんの話だと、日本にはほとんど無い、とのことですが、どうでしょう?  少なくとも、NoB さんは、日本にはほとんど無い、と言いながら、  他の所には有る、ということを示唆しているわけですから、  それが日本にも有ったところで、何ら不思議ではありませんね。  ここのところは大事ですので、よく心に留めて頂きたいと思います。  ワーク関連の話は、今のところ、保留です。  NoB さんは、オカルト的言説を嫌っているようですが、  それはオカルト的問題であって、差し当たり、必要ありません。  と言うより、問題をゴチャゴチャにしたくないのです。       〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  さて、「吸引するヴァギナ」には、おそらく、  生物学的側面と、文化人類学的側面の、両方があって、  (※もっとも2つに綺麗に分類できるわけではありませんが…)  もしも文化人類学的側面のウェイトが高ければ、  正に(NoB さんお得意の)“ドツボの構図”を生み出しているわけです。  そして、この“ドツボの構図”というものは、  どう考えても、「オカルト・ドツボ」より規模(範囲)が大きい。  更に悪いことには、多くのメディアが、これを煽っている。  しかしながら、これは、せいぜいが一般的状況であって、  個々人にとっては、本来、一般的状況など何にも関係ないはず…。  いや、正確に言えば、関係ない、というわけにも行かないでしょう。  誰一人として、密室の中で暮らすことは出来ないのですから。  それでも、結局これは、いわゆる“イタチごっこ”の問題であって、  そうである以上、肝心なのは、一般論より個別論、ではないでしょうか?  やってみなければ分からないのが愚者で、やってみなくても分かるのが賢者。  …という考え方もある。だが、その一方で、  やって分かろうとするのが賢者で、やらずに分かろうとするのが愚者。  …という考え方もある。もちろん、これは誰かのことを言っているのではない。  こういう方向へ話が流れて行くのは、予定外でしたが、もう少し。  歴史関連の話題で、感心すると共に共感したのは、「風景」という言葉でした。  ああいう文脈は、恋愛に関しても、通用するのではないか?  逆に言えば、「風景」の欠落した恋愛論議は、至ってつまらない。  恋愛というフィールドも、言葉がひとつなので画一化されがちだが、  実際には、「離散に分布する無限の風景」を持っているような気がします。  「連続」ではなく「離散」であるところが“ミソ”ですね。  具体的なところへ話題を戻すと、自覚的か無自覚かに拘らず、  ルールを勝手に決めて、そのルールに付随するゲームを演ずる。  …そういう類いのことが、世の中には極めて多い。  (※広い意味での「自己憧摘」(←漢字は正しいですか?)と言える…)  ルールなんか、もともと存在しない。とすると、  それに付随して現れるゲームも“茶番”なわけです。  しかし、その“茶番”の中にすら、時として、  “茶番でないもの”が顔を覗かせることはあるでしょう。  これでは、回りくどいというか、効率が悪すぎる。  それはそうなのですが、一足飛びは、一般的には不可能。  一足飛びを狙えば、今度は、それこそ「オカルト・ドツボ」の道が待ってます。       〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  ちょっと過激なことを言ってしまえば、  多夫多妻だったら、チマチマしたゲームは削ぎ落とされて、  もはやゲームとは言えない恋愛の核みたいなものが、  クリアーに現れる可能性が大きいと思います。  核という言葉を使いましたが、画一的なイメージではありません。  ドロドロからキラキラまで、それぞれが、裸の状態で現れるだけです。  ドロドロはもっとドロドロ、キラキラはもっとキラキラ…という感じでしょうか。  但し、現在の社会には、「私」という概念が蔓延していますので、  こういう具合にはならずに、ただ単に混乱するばかりかも知れませんが…。  今の世の中、「誰が誰と」という事柄と、それに付随する事柄に右往左往し、  「恋愛そのもの」については、ちっとも問題とされていませんからね。  例が変わりますが、どうして「自分の子供でなければならない」のか?  まず「自分でなければならない」からに他なりません。  「自分でなくてもいい」のなら、「自分の子供でなくてもいい」はずです。  さっきの多夫多妻の話は、この辺りのことと“セット”なので、  実は、“「私」って何だ?”という問題、その歴史、が問われることになります。  つまり、「恋愛」と「私」は、元来、そんなに関係なかったのではないか。  関係なかったどころか、「私」という概念のベクトルは、  「恋愛」の持っているベクトルと、ちょうど直交しているかも知れない。  ここで言っていることは、一般的な恋愛のイメージから掛け離れています。  シゲ君が、その昔、「一夜のベッドにも愛はある」と言いました。  中には、そういう言い種が、“ウソ”にしか聞こえない人も居るだろう。  そういう人は、まず、シゲ君に抱かれてから、結論を出せば良い。(笑)  …というのは冗談ですが、本当のことだと思います。  絵に書いたような恋愛ストーリーがあって、恋愛がないのでは、意味がない。  恋愛は、ストーリーでもなく、ゲームでもないんです。  一輝さんが、別の部屋で、TVは一番オイシイところを描かない、  と書かれていましたが、全く同感ですね。  「誰と誰がSEXしたか?」というレベルと、  「どういうSEXをしたか?」というレベルと、  「誰と誰がどういうSEXをしたか?」というレベルは、  それぞれに違うんであって、3番目のレベルが“面白い”のは、  「誰と誰が」という近代的文脈と「SEXの中身」が交差してるからです。  例えば、「誰と誰が」という部分だけに目を奪われてしまうと、  江口洋介と鈴木保奈美か〜、う〜む、恰好いいな〜。…となるのだが、  実際のところは、“どうだか判らない”わけです。  だから、「吸引するヴァギナ」に何も負けてしまうことはない。  また、反対に、“どうだか判らない”からこそ、  全ては「吸引するヴァギナ」の作り出すドツボ空間である、と言う必要もない。       〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  取り留めもなく、ダラダラと長くなってしまいました。  いずれにしても、女性と言ったって、ありとあらゆる人が居るのですから、  その意味で、あんまり大括りな話は、偏見と受けとられ兼ねません。  但し、実際には、実例を以て偏見かどうか判断されるべきで、  NoB さんの言説そのものについては、ちっとも偏見でない可能性も十分ある。  そして、他人の恋愛を本当に見ることなど、出来るわけがない以上、  恋愛に関するNoB さんの言説は、NoB さんの恋愛によってのみ成立し、  したがって、その言説の系内では、偏見かどうかの判断が永久につかない。  これは「インストゥールド・オナニズム」とは、ちょっと違うわけですが…。                                  HVHY - FARION MES(10):★Dr.Sooの《夢酔い人の部屋》--------<01> 94/01/30 - 00335/00336 KFD00473 たまご 火事 (10) 94/01/29 23:33 自宅が火事だった。 慌てず騒がず、預金通帳やら、印鑑やら、重要書類を持ち出し、 家族も無事避難した。 家は燃えてしまったけど、なんだか平穏無事な夢だった。 (つまり、裏を返すと、通常見る夢はとてもじゃないが 平穏無事じゃないという・・(-_-;))   夢を見ることはとても少ない たまご 00336/00336 KFD00473 たまご RE:夢のつづきは、いつでもぉ〜〜〜 (10) 94/01/29 23:33 00333へのコメント >>・・・(- -;;)ウウム・・・・・・・FARION症候群かもしれない・・・・・・ウウッ! いい加減慣れればいいのに(^O^;)アヤシインダカラァ それはさておき。 これこれって見つけたもの。 それは重要なものだと思うなぁ。 そのうちまたその関連の夢を見るかもしれないから、 今度はちゃんとタイトルを記憶しといてね。        たまご - FARION MES(11):★アキラの《平井和正*異界漂流》----<01> 94/01/30 - 192/194 JBH00742 スサノオ Re:ちょいと、ちゃちゃ?! (11) 94/01/29 23:29 191へのコメント  ○                   ○   これは思わず転んでしまいました。 大変失礼をしました。>すすてんさん 魔界のそーめんさん以来の勘違いでした。  スサノオ  ○                   ○ 194/194 MXB00255 すすてん それはともかく、・・・ (11) 94/01/30 13:01 191へのコメント  維/YUIさんはじめまして、でもってありがとうございます。  そうそう、ぼく、「すすてん」です。(^^)  こんどまた、お話でもしませうね。  ほかのみなさんも、お気になさいませぬよう。では。                          すすてん。 193/194 MXB00255 すすてん RE^7:日本とユダヤの和解とは? (11) 94/01/30 13:00 189へのコメント  スサノオさんありがとうございます、すすてんです。  う〜ん、何と言ったらいいでしょうかねぇ・・・。  いまのぼくは「自分が今何を疑問に思っているかが自分で分かっていないと いう状態にあるのかもしれないですね。(これは込み入ったことを考えると誰 しもよく陥りがちなことだろうとは思いますが。)  さて、スサノオさんには、ぼくが、 >  「ユダヤが何かしら陰謀を持っている」という噂をまず念頭に置いているの > ではないか と感じられるとのことですが、この「念頭に置く」という言葉(「振り回され る」「危機感に煽られ」という言葉も同様かと思われます)のニュアンスを細 かく見ていく必要はあるのかな、と感じます。  まずぼくは、ユダヤ陰謀説を真に受ける気は今のところない、ということを #188でもはっきり申し上げておりますし、(「そうはいっても無意識のうちに」 という様な議論はあり得るのでしょうが、)そういう意味では「念頭に置いて」 いるという意識は「顕在的には」持っておらないつもりです。  あるいは、ぼくが#188に描いた4段階の道筋に注目が行ったのかなとも思い ますが、個人的には、いまはその最初の1行にさえぼくは強く否定的であり、 ただその心証を覆すものがどこかにはあるのかもしれないので、そういう物が あるのならぜひ見たい、というのがぼくの今のスタンス、であるつもりです。  いちばん始めに書きましたようにぼくにはユダヤ人の友人がいます。ぼくは 彼女の夫や子供とともにシナゴーグの見学もさせていただきました。当然のこ ととは言え、そこは怪しげな陰謀やら復讐心やらが渦巻くところでは全くなく、 皆ただ敬虔に自分達の儀礼を行なう、暖かくアットホームな感じのところでし た。・・・ ぼくは、こういう人達の一部が何か空恐ろしいことを考えている とは思いたくありませんし、今の世界のシステムの複雑さから見ても、一民族 のそのまた一部が世界を牛耳るというようなことは常識的には不可能に近く、 従ってそれが現実のものであるとする説は非常に信憑性の薄いものではないか、 というのがぼくの今の心証なのです。  ただこれを、「軽くタワ言と見做せないならばそれも振り回されているうち である」とか、「拒絶反応も念頭に置いているうちである」と見るということ であれば、そういう意味ではたしかにご指摘の通りではあるまいか、とも思う わけです。「危機感」についても、「本当だったらどうしよう、恐いな。」と いう意味での危機感は持っていないつもりですが、「この手の話がデマだとし たらとんでもないことだな」という類のことは思ってはいますので、そういう 意味での「危機感」は持っていると言えなくもないかと思います。  そんなわけですので、よろしければ、今のぼくがどういう立場をとっている ”ように見えるか”について、(スサノオさん、アキラさんに限らず)ご意見 をいただければ幸です。 ・・・事実を検証していくに当たって「スタンス」 が重要であるとお考えならば特に・・・。  また、スサノオさんのおっしゃる「もっと他にやること」とは、 >  噂の真相はともかく、それより以前に一体「ユダヤとは何か」という根本的 > な疑問に答え ることを指し、さらに遡ればそれは結局ギリシア哲学とか象徴学とかを通じて カバラ的な物を理解する、ということを意味するものと思われますが、この件 に関しては、やや思うことがあります。  そのひとつは、「今のぼくにとって『ユダヤとは何か』ということが『根本 的な疑問』たり得るか?」というもので、またもうひとつは、「カバラ的な物 を理解することが本当に『ユダヤとは何か』を理解する早道なのだろうか?」 というものです。  上に書いたことからもお分かりのように、ぼくが得たい最良の結論は、「ぼ くの友人のひとりの属する民族である『ユダヤ』が陰謀を企てているなどとは 全くのデマであった」というもので、それさえ分かればあとは、その友人の身 になって物を考えることがよりよくできるように、という意味から、「普通の ユダヤを知る」ということができれば満足です。(具体的には普通のユダヤ人 の習俗なり、生身のユダヤ人が頭を悩ます現実の差別問題なりパレスチナ問題 なりを知る、といったことになるでしょう。)  ぼくの考えは、「民族の間には簡単に越え難い壁はどうしてもある」という もので、またそれを敢えて越える必要があるときというのは、よっぽど「その 民族に同化しようとする」ときか、または「『パワーのある要チェック集団』」 という認識を持った」ときくらいであり、そのとき以外はむしろ互いのちがい を尊重しあうという気持ちの方が大事だ、というものです。  ですからぼくにとっては、ぼくが「ユダヤ民族の本質に迫る」というような ことは、ぼく自身が「ユダヤが何かしら陰謀を持っている」といった前提にで も立たない限り考えにくいことだと感じています。いかがでしょうか?  またぼくは、以上のこととは別にカバラなどの知識を追求することも考えて はいますが、これは特に問題のない限りあくまで純粋な興味の対象として峻別 したいと思っております。  というのは、(おそらくはご存じの通り、)少なくとも表向きには、カバラ は非正統のユダヤ教の産物とされていて、またユダヤ人との普通のつき合いの 中にカバラ的な物が立ち現れることはまずないからです。すでにここは、表の 世界から見れば「『考えすぎ』の世界」とされてしまっている分野でしょう。  ましてそこにユダヤの本質を見いだすというのなら、まずカバラの魔術的な 実効力を認め、その上で更に「ユダヤが何かしら陰謀を持っている」という類 の仮定を置く、という二重に困難な前提に立つことになるでしょう。今のぼく にはこのどちらも自明なことではなく(心証としては否定的)、そのため今は、 「ギリシア哲学、象徴学 (−> カバラ) −> ユダヤの本質」との図式 は、「この図式が妥当であるという根拠」の検証なくして受け入れるわけには いき難いものであると考えています。  この検証作業が、当のギリシア哲学や象徴学をあたること自体によりできる というのならば、話も変わってまいりますが。この点も、いかがでしょうか?  少なくとも、「ゾーハルやセーフェル・イエツィラーはよく知っているけど ハヌカやベゴはよく分からん」というような知識の集め方をしてしまったら、 ぼく個人にとってはイマニ、イマサンだなぁ、という気がしています。  以上の冗文がぼくの考え方をよりよく説明するものになっていたらよいので すが・・・。 「この考え方は改めた方がいい」というような点がありました ら、どなたもぜひお教えください。よろしくおねがいいたします。  『ユダヤ・ブック』、読了は致しましたので感想を後日。では。                               すすてん - FARION MES(12):★SUBUDHの《アジア・チャンプル》----<01> 94/01/30 - 00149/00151 GFB00026 一輝 CIA,数千人に洗脳実験 (12) 94/01/30 05:56 コメント数:1 「CIA,数千人に洗脳実験」 既に新聞でも報じられていることだが、米週刊誌「US NEWS & REPORT」によると、C IAは1950年代にソ連に対抗する「洗脳」技術を開発するため、米国内で数千人を対 象にLSDなどの幻覚剤や電気ショックなどによる人体実験を実施していたという。 CIAの洗脳実験は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)で米兵捕虜が洗脳されてい るという報告に触発されて行われた。 一例では、女性精神病患者が30回の電気ショック治療を受けたあと、56日間も眠 らされたという。クリントン米大統領は記者の質問に対して、「事実は認めるが被験 者の後遺症への保障は考えていない」とコメントした。 問題は、1960年代に薬品会社や意識の自由を唱える大学関係者から流布されたと言わ れていたLSDが、一般へ売買されるようになる以前の1950年代、既にCIAで研究 対象となっていたことだ。このパターンは、エイズが世間へ広がる前に米軍がエイズ を服役中の囚人に接種させて人体実験していた事実と酷似している。両者のルーツは 米政府内部でクロスした。 CIAが「洗脳」技術開発の為にLSD研究をしていた事実の公開によって、これま で対抗文化が生んだとされていた、幻覚剤使用に始まる意識変容のニューエイジ神話 は、終焉を迎えた。 00150/00151 GFB00026 一輝 なぜ米政府はLSDとエイズを蒔いたのか? (12) 94/01/30 06:01 00149へのコメント ●なぜ、米政府(イルミナティ)は意図的にLSDとエイズをバラ蒔いたのか? →50年代、爆発的に増加する有色人種が米国内外で台頭してくるのを恐れたため。 第二次大戦後独立した、「自主・自立・共存」を掲げる第三世界諸国民族の台頭を  封じる装置として、東西両陣営の冷戦構造によるイデオロギー対立が、大いに利用  されてきた。しかし、生命力豊かな彼らの台頭の勢いを徹底的に封じるには、人間  の欲望に直接的に働きかけることで、肉体の内部から直接的に攻撃可能な、LSD  やエイズの方が、誰にも知られることなく戦略的に利用出来たのである。双方とも  遺伝子に対して最も大きな損傷を与えることで共通の化学兵器だ。  現実からの安易な逃げ道を促す麻薬に関する取り締りは、麻薬そのものの産地であ  りながらも第三世界の方が欧米に比べ非常に厳しく、死刑や終身刑がほとんどであ  る。それは19世紀、イギリスと清国との間で起きたアヘン戦争による教訓から、欧  米諸国が第三世界へ戦略的に麻薬を密輸することに対して、アジア・アフリカ諸国  が長期に渡って防御策を講じてきた為である。  日本でも、この麻薬取り締り法規制緩和へ向けて、様々な麻薬肯定本が翻訳されて  きているが、どれも60年代〜70年代にかけて米国で書かれたもので、データや資料  そのものが古く、科学的裏付けの困難な、いかがわしい内容のものばかりである。  80年代に入って麻薬後遺症が社会問題としてマスメディアへ提起された頃には、米  国の全ての書店からこれらの書籍は姿を消した。これらが、なぜ今頃になって日本  でたくさん翻訳されるのかを考えてみる必要があるだろう。 00151/00151 GFB00026 一輝 銅の鳴る音 (12) 94/01/30 06:08 00139へのコメント >SUBUDHさん >追伸1: >縄文式土器って「縄」で模様をつけてあったりします。「縄」といえば「稲」が原料 >だと思うのです。縄文式土器を作っていた人々は米食っていたのかな? 縄文時代と一重に言っても、数千年と言うとてつもなく長い時代なのです。弥生時代 など縄文時代に比べれば一瞬です。縄目の前は線目や櫛目の縄文土器が多く、縄目に なったのは、ずっと後です。この縄目の縄文土器も日本だけで発見されているわけで はなく、江南地方や遠く離れた南米でも発見されています。 問題はここなのですが、銅鐸文化圏というのがあって、その分布図を調べるとAMA 族の王権の存在する場所や行動範囲と全然違うのです。出雲族にも日向族にも重なり ません。ところが、ナガスネヒコ縄文族長グループ(大和族)の王権があった鳥見地 方(大和盆地)を中心にすると、ぴったり重なるのです。東は東海地方、西は瀬戸内 海までの範囲です。彼らは稲作をやっていました。 一方、銅矛・銅剣文化圏は、出雲→北九州→瀬戸内海など、出雲族の王権の存在した 場所と行動範囲に重なります。日向族の王権のあった西都原では、銅鐸も銅矛・銅剣 も発見されていません。 この銅鐸に描かれた文様や動物が、江南地域に住む少数民族・苗族の銅鼓にも、同じ ように描かれていることが最近の調査でわかってきています。苗族の銅鼓は、紀元前、 ドンソン文化として稲とともにメコン川を下り、インドシナ半島やマレーシア半島を 経てジャワ島やバリ島に到達します。銅鼓は、やがて青銅の交響楽器ガムランになり ます。バリのガムランと日本の銅鐸が、苗族の銅鼓を通じて繋がるのです。 中東からはるばるAMA族が陸路や海路でやって来る少し前に、中国山岳地帯に端を 発する旧タイプのAMA族が、江南地方から日本へ到達したと私は見ています。彼ら の稲作は、現在のような集約的稲作法ではなく、雑稲栽培でしたので人口も少なくて すみ、あまり文化的な発達もなかったようです。その一方で呪術的な力を重んじてい た傾向が多くの土偶の発見などに見られます。 また縄文時代、既に階級構造もありました。これは、最近の発掘で徐々に明らかにな ってきたことですが、墓群の形状などから縄文前期に身分階層の分化、縄文晩期には 腕かせをした労働をしない、貴族のような階級が存在していたことが明らかになりつ つあります。似たような身分の階層構造は、苗族にも存在します。 彼らは、江南地方から黒潮に乗って途中日本海流に移り、そこから若狭湾に入って上 陸したようです。製銅技術が入ってからすぐに製鉄技術が入っていることから(同時 期の可能性もあり)縄文晩期には製鉄技術の痕跡を残すタタラ遺跡が6件、北陸地方 で発見されています。 タタラ遺跡は出雲族や大和族の居た北陸地方が群を抜いて多く約270件。次いで日 向族の居た九州地方の約180件。その次が、出雲族の居た山陰・山陽地方の約17 0件です。 蛇足ながら氷川神社が最も多いのは北陸地方と北関東地方です。タタラ遺跡との関連 が深く、元の主祭神はスサノオ。氷川神社でスサノオ以前に祭られていたのは、ナガ スネヒコ一派が崇めていたアラハバキ神です。末社に落とされていることもあるので、 お見逃しなく。タタラ遺跡は、白山信仰とも関連があります。 ヒヨットコは、タタラ(産鉄)に従事していた人々がカマドに風を送り込んでいる顔 です。タタラ遺跡の近くには片目の無い人物の伝説が多く、火の粉で目を焼くタタラ 職人の残像でしょうか。タタラ職人はサンカでした。 日本は、鉄鋼業で真価が発揮された国です。明治以降、最も胎動した産業は鉄鋼業で した。鉄鋼を裏から支えたのが産鉄民サンカ。坂本竜馬亡き後、亀山社中(日本初の 株式会社)へのサンカの後ろ楯を引き継いだのが三菱の創始者、岩崎弥太郎でした。 さて、先に陸路を経て日本に到達した日向族は、ナガスネヒコ縄文族長グループの阻 止に逢い、なかなか瀬戸内海以東へは進めませんでした。淡路島が限界です。そこへ 長年の航海による旅で、外交手腕巧みな出雲族が日本にやってきました。武力の上で も他の部族を圧倒していたのが出雲族です。この三者(大和族・日向族・出雲族)の 関係が、日本の歴史のうねりを作るのです。 日向族の大王だったアマテラスには、姉を傀儡とする呪術師の弟が居たのですが、こ の弟が軍勢を連れて、ナガスネヒコ縄文族長グループに攻撃を仕掛け、彼らの大切な 呪具だった銅鐸を破壊しながら進軍しています。これが銅鐸が山地の勾配などで破壊 された状態のまま発見される理由です。それでもナガスネヒコ一派は頑強に抵抗して、 自分たちの防衛線を死守していたようです。 こういった状況を情報収拾した上で、スサノオはまず自分とアマテラスとの婚姻によ って日向+出雲合体策を講じ、次に息子のオオトシと現地人ナガスネヒコの妹との婚 姻関係を結び、大和+出雲合体策を講じたのです。AMA族は、もともと他の人種と の交配を避けてきましたから、自分たちの部族の能力劣化は避けられないけれども、 全体として見れば目的地日本での文化興隆になるわけですから、将来を懸けてスサノ オは思い切った決断をしたのだと思います。 ここで、先住権を巡ってアマテラスの弟はゴネます。後からノコノコやって来た出雲 族が、あれよあれよと他民族を懐柔してゆくのは面白くない。それだけでなく、他民 族との婚姻を巡っても反対の立場を固辞していた。特に大和族の血と交じることにつ いては忌避していたようです。それがやがて大和族と同化した出雲族に対する確執へ となってゆきます。この確執は8世紀まで続くのです。この話の続きはいずれまた…。 今日は、この辺で。 追伸2についての御返事は後日…。                                     一輝 - FARION MES(13):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<03> 94/01/30 - 01024/01025 GBA01350 まるじろう 「生きるということ(TO HAVE OR TO BE ?)」 (13) 94/01/30 00:16  という本を今日書店で見付けて買ってきました。   (E・フロム著 佐野哲郎訳 紀伊国屋書店 ISBN4-314-00181-X \1,400 )  などということを今頃言ってると笑われるかもしれませんね。何しろ無教養で。  E・フロムというと「愛するということ(THE ART OF LOVING)」が有名で、   私も、もう5年ちょっと前に友人からその本をプレゼントされて読んで、   本当に感銘を受けて、ひとつ成長した実感を持ったことがありました。   その後いくらかは実際の行動に生かした、身についたとも自負しています。  こんどの本は、恥ずかしながら今日の夕方本屋で見て初めて知ったのですが、   手にとってしばらく読み進めるうちにショックを覚えました。   「持つ」のではなく「ある」べきであると。  私は、こんな事言うと思い上がっているととられそうですが、   自分なりに考えてきて、「持つ」意識からはかなり解放されてたつもりでした。   実際、普通の人々(語弊がある言い方ですが)が持っているモノや行動様式を   ほとんど欲しいともうらやましいとも思っていませんから。  ところが、やっぱりまだダメだったんですね、これ読んで気がついたのは・・・。   でも、これは私のような未熟な人間にとっては、本当に引き裂かれるような   厳しい課題です。いつになったら本当にそうあることが出来るのでしょうか。  これとはちょっと違う「持つ」について・・・。ちょっと考え込んでること。   ちょうど2週間前、苦しみに耐えきれず友人に頼って3年ぶりに会って貰った時、   色々と話し合った後、彼女はポツリと不思議なことを言ったのです。   「あなたは持ちすぎる不幸を背負ってる。時間とかお金とかの事じゃなく。」   それ以上説明してくれなかったし、言葉にするのが難しかったんだと思うけど、   いまだに、このことについては、本当にはわからないのです。  ともあれ、この本、読み始めたばかりですが、今の私には示唆に富みます。   >>何も持たず自分を開き<空虚>とすること、自分の自我にじゃまされないことが   >>精神的富と力を達成するための条件である   >>愛は持つことができる物ではなく、一つの過程であり、人がその主体となる   >>内的能動性である。 (中略) 実際、持つことが少なければ少ないほど、   >>多く愛することができるのである。   >>しかし存在し、愛し、憎む、苦しむ人間の現実から出発すれば、あることは   >>みな同時に、なることであり、変化することである。生きている構造は、   >>なる時にのみありうる。それらは変化する時にのみ存在しうる。変化と成長は   >>生命の過程に内在する特質である。  これは、まさに本質的な「変容」の意味につながるのでは?  また、「愛する」という動詞を「愛」という名詞で置き換えて抽象化し   人間と切り離すこと、それにより自分の現実に向き合うことから逃れようとする   現代人の傾向について述べられています。   全くの偶然ですが、ほんの1ケ月ちょっと前、この名詞、動詞について考えていて   どんなに誠実から出ても言葉というものは「まやかし」を含んでしまうという事に   やり切れなさを感じたことがありました。この本のとはちょっと観点が違うけど。  何だか支離滅裂ですが、溺れる者は何とか、ではないですが、   このところ本とか音楽とかに敏感で、過剰反応してるかも知れません。   お騒がせしました。                                まるじろう 01025/01025 HCB00374 DIRAC 霊的問題とファシズム (13) 94/01/30 11:05 こんにちは。  霊的な話ということになりますが、例えば「霊能力」を持ったとして どうだというのでしょうか?超能力を持ったとして何なんでしょうか? そして、何の為に、それらを欲するのでしょうか? * もし、自己の存在のアッピールが根底にあったとしたら、そういう能力は  かえって人々を迷わせて、わけの分からない世の中になってしまう可能性が  大でありましょう。結局、自己拡張のための能力なのですから。 * もし、霊的?といわれる存在を認知してもらうという使命感の場合、その  能力を何等かの思想で位置づけておかないと、発電か爆弾かの原子力のよう  なことになりましょう。「霊的な存在の認知」だけでは、いささか無責任だ  と思います。 * 霊的能力を人間性向上のために、平和のために、いってみれば、利他の   ために、その能力をお預かりして超越的な存在の意志(利他)に沿って、   させて頂くという感覚がいいなあ、と思っています。ですから、世間で流行?   している霊能力には、そう言う意味でいささか疑問だと感じています。   疑問というのは、霊能の真偽ではなく、そのあり方ということです。   高次からお預かりする霊能ならば、その高次の意志に反すれば止まると考え   るのは理論的だと思います。利己的なレベルの霊能が悪用され、悪用され   るのは、利己的なレベルの霊能であると思います。  何の本だったか忘れましたが、古代の文明で、 (1)霊能、超能力の悪用 (2)企業(の様な社会的利潤追求団体?)の金銭(価値?)の倫理観を    逸脱したどん欲な追求。 がきっかけで、滅びた−−−という、証明も反証も私には出来ない知識?が 記憶にありましたが、現代の姿に重なって来つつあるものがあり、一笑に ふしえないものがあります。霊的なものの接し方は慎重にしたいものです。    ところで、そんな世の中にあって「何とかしなければ」という気持ち、 尊いものだと、一連の書き込みを見ていて思いまして、是非、その気持ちを 見習っていきたいと思い、頭が下がるばかりです。 だだし、「自分が行動していく」のですが、自分の思う、または感じられる 超越的存在の意志(頭)に沿わせて頂いて、自分が行動(手、足となって) させて頂くという謙虚さを持ち続けないと、霊的ファシズムといいますか、 、”我”といいますか、カリスマ的存在というか、良からぬ方向への危険も はらんでいますので、注意が必要だということを気にとめていただけると 嬉しいなあと思います。  そこで、また思い出すのが、宗教の弊害です。(話題が、拡散してすいません) 問題をきちっと分離する試みをすると、宗教の弊害とは、一言。 ”思想的ファシズム”だと思われます。侵略的、排他的、カリスマ的存在、 とKEYワードが並びます。”悪”は、ファシズムにあるのであって、 宗教にあるのではないということだと思います。ただ、宗教と名乗る ”思想的ファシズム”が少なくないということでしょうか? ここを明確にしないと、宗教を避けながらも、気づいたら、それらしきもの になっていた−−というような運命の皮肉にはまるとも限りません。 なんだか、難しくなってしまいました。宜しく、ご検討の程を。 ありがとうがざいました。 - FARION MES(15):★平成松川塾◎日本を考える----------<01> 94/01/30 - 458/459 GFD00204 松川 貴     生きた問題 (15) 94/01/30 07:06 コメント数:1  KAZEさんがMES13(#1020)で夏目漱石に言及されておりましたが、TAO さんに引き続 いてまたまた奇妙と言いますか、私もごく最近、夏目漱石の書いた、ある小説に引き 寄せられていたんです。先の書き込みの時に、私の大学生時代の記憶(内村鑑三)へ の接続があったように、高校時代の友人の言葉を介して、漱石への記憶の接続があっ たのです。  高校の3年生だった頃、歴史、それも特に軍事関係に大変強い興味を持っていた友 人がおりました。その友人というのは、好きな女の子へのお近づきの印に初めて貸し てあげた本が『零戦のすべて』だったというようなユニークな友人でして、「本の選 択を間違ったのかなあ。せっかく貸してやったのに、すぐに返ってきちまった」など と苦笑しながら話すような友人でありました。しかし、私はそれでも、彼のその突撃 精神に感心し「おー、すげーなー」などと言って彼のする話を聞いておったのです。  その彼がなにげない雑談の折りにもらした話のうち、いまなお私の印象に残ってい る話がいくつかありました。幕末の志士と夏目漱石なのです。  友人がしてくれた話のひとつは、幕末の志士たちは実際には大変若い人々であった ということでした。彼は「大発見をした」というような顔をしながら志士たちの年齢 を具体的に語ってくれました。このことが私がかつてFARIONにあった『葉隠部屋』へ UPした書き込みの内容の伏線になりました。あれを書いたとき、私は同時に彼のこ とも思い出していたのです。  そしてもうひとつが、彼が私に独特のしぐさで近づいてきて、またまた、いかにも 「驚いた」というふうな顔をして夏目漱石の『三四郎』という小説の話をしてくれた ことです。それが最近特に気になっていたので、実際にその本を買ってきて、その記 憶を再確認してみようと思ったのです。  友人が「驚いた」という箇所はこの部分でした。  「──あなたは東京が始めてなら、まだ富士山を見た事がないでしょう。今に見  えるから御覧なさい。あれが日本一の名物だ。あれより外に自慢するものは何も  ない。ところがその富士山は天然自然に昔からあったものなんだから仕方がない。  我々が拵えたものじゃない」と云って又にやにや笑っている。三四郎は日露戦争  以後こんな人間に出逢うとは思いも寄らなかった。どうも日本人じゃない様な気  がする。  「然しこれからは日本も段々発展するでしょう」と弁護した。すると、かの男は  すましたもので、  「亡びるね」と云った。──熊本でこんなことを口に出せば、すぐ擲ぐられる。  わるくすると国賊取扱にされる。三四郎は頭の中の何処の隅にもこう云う思想を  入れる余裕はない様な空気の裡で生長した。だからことによると自分の年齢の若  いのに乗じて、他を愚弄するのではなかろうかとも考えた。男は例のごとくにや  にや笑っている。その癖言葉つきはどこまでも落付いている。どうも見当が付か  ないから、相手になるのを已めて黙ってしまった。すると男が、こう云った。  「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より……」で一寸切ったが、  三四郎の顔を見ると耳を傾けている。  「日本より頭の中の方が広いでしょう」と云った。「因われちゃ駄目だ。いくら  日本の為を思ったって贔屓の引倒しになるばかりだ」(新潮文庫 P20-P21)  今回改めて文庫本を買って確認して、友人が言っていたのは、ここのことだったん だなと得心がいきました。  KAZEさんが漱石の話をもとに語られていた、〈内発性〉と〈外発性〉の問題は明治 維新以後1世紀以上経過した今日においても、たびたび言及されてきました。  ここで、シュタイナーの日本批判を見てみましょう。   日本人は大きな進化を遂げた、といわれています。それは幻想です。日本人は  自分たちの特性から進化を遂げたのではありません。先の戦争(日露戦争 引用  者注)で日本が勝ったときも、日本人は外来の文化を用いたのです。ある民族が  他民族の本質から発したものを受け入れたのは、進歩ではありません」  (『いま、シュタイナーの「民族論」をどう読むか」』イザラ書房 P76) (続く) 459/459 GFD00204 松川 貴     RE:生きた問題 (15) 94/01/30 07:09 458へのコメント  「日本人は猿真似民族だ」というヨーロッパ人たちのなした日本批判は維新後の日 本を強く襲いましたが、当時の日本人たちは、たとえそうではあったとしても、その 批判を顧慮して自虐に陥っている暇はなかったのです。というのも、当時の日本人の 精神の前には、いつもあるひとつの大前提が置かれていたからです。それは「いつか 日本は欧米列強と激突しなければならない」という暗い予感でした。(『新潮45』に 載っている松本健一氏の「白旗伝説異聞」に面白いエピソードが出ていますよ。)  以前にもこの会議室で書きましたが、私に言わせれば、「明治維新とはつまり、い ずれやってくるであろう東西対決へ向けてのフォーメーション(臨戦体制)作りだっ た」のです。その暗い大前提に寄って立っていられた期間(明治維新から先の敗戦ま での期間)は、日本人たちもなんとか自国国民としてのアイデンティティーをその大 前提によって維持し続けることができたのでした。  第2次世界大戦後、アジアの政治的状況は大変貌を遂げましたが、その間日本人が いったい何をしてきたかと言いますと、日本人は、〈伝統破壊〉こそが〈新しい市民 的正義〉を実現してくれると信じて、半世紀をかけて営々と実際には〈自己破壊〉を 行ってきたのでした。日本にかつてあったものはみな悪と見なすやり方がよいことに なってしまったからです。  気がつくと日本人は、〈アジアの中で最も富める国民〉でありながら、〈アジアの 中で最も自分に幸福を感じることのできない国民〉になってしまいました。それなの に、今なお日本人は、その原因を自国の社会制度や伝統的社会規範のせいにして、せ っせと〈『幻想の権力』解体ゲーム〉にいそしんでいます。(私は「弊は存在せず」 と言っているのではありません。社会問題以前問題こそが問題なのだと言っているの です。)しかし日本人たちは決して満足は得られません。〈彼や彼女の脳味噌〉だけ が疲れていくのです。そして一方ではこんなふうにうぬぼれているのです、「他のア ジアの国々は貧しいので不幸だ。しかし我国には世界に誇る経済力がある」。  結果、維新後から敗戦にかけて、世界から〈最も愛国心に富む民族〉と呼ばれた日 本人は、敗戦を境にして今日にいたるまでの間に〈最も愛国心の欠如した民族〉に変 容してしまいました。  世界を知らないで生きてきた維新前の江戸時代的日本人は、その後にやってきた世 界史的圧力によって、〈明治国家フォーメーション〉という一つの極端から〈敗戦国 家フォーメーション〉という別の極端へ走らざるを得ませんでした。しかし、その極 端さこそが、明治維新後〈最も愛国心に富む民族〉を形成し、敗戦後〈最も愛国心の 欠如した民族〉を形成した原動力だったのです。維新後の〈臨戦フォーメーション〉 が〈愛国心〉を極端に育て上げ、戦後の〈敗戦フォーメーション〉が〈愛国心〉を極 端に押しつぶしてしまいました。これが日本100年の歴史の不幸です。日本人は明 治維新によって初めて国民国家を作り上げることができましたが、そこに住む国民は 今まで一度も〈落ちついた愛国心〉というものを持った経験がないのです。  戦後になって私たちがこれまでやってきたのは日本の「解体、解体、解体」です。 しかも現在、学者の用いる、どこかから取ってきた〈解体〉というタームが、その本 来の文脈から離れて世間に流失し始め、一人歩きをするようになっています。人々が 〈気分の支配〉に負けるからです。  「学者は国家を粉飾する(『海舟座談』)」と言ったのは、勝海舟でした。現在で もそれは変わっていないようです。  西川隆範氏によりますと、シュタイナーは、維新後の日本を船に譬えて、このよう な話をしているそうです。   日本人が蒸気船の運転を試みたという話である。どのように運転するか、どの  ように舵を切るかを、日本人は見様見真似で習得した。そして、日本人は外国人  の教師に対して、もう自分たちで航行できる、といった。そうして、外国人教師  を陸に残して、日本人船長の指揮のもとに蒸気船は出発した。日本人は舵を切っ  て、方向転換をした。ところがどうやって元に戻せばよいのかを知らなくて、船  は回転しつづけた。(前掲書 P77)  さて、回転はやんだのでしょうか。いや、もしかしたら、回転スピードが増しただ けかもしれません。  最後に、20世紀の初めに日本に受肉していた魂たちがいかなる人々であったのか についてのシュタイナーの具体的な言及(1920年12月12日)がありますので、それを 御紹介して今回は終わりたいと思います。   歴史において通常、民族移動の時代と呼ばれる時代にヨーロッパに住み、移動  した人々がいます。この住民の魂は、南から北に広まってきたキリスト教を受け  入れた魂に似ています。つまり、キリスト教化のなかで成長した魂です。今日の  キリスト教とはかなり異なった、紀元後数世紀にヨーロッパに生きてキリスト教  を受け入れた魂は、ふたたび中部ヨーロッパに受肉してはいません。……紀元後  数世紀にヨーロッパに受肉し、キリスト教が文化的に南から北に広まってきたの  を体験した魂は、いま、むしろアジアに受肉しています。いま述べたことは、1  910年代の恐ろしい破局のときに、とくにはっきりと現れています。とくに日  本民族にそのような魂が受肉していることを知ると、現在の地球文明を新たな方  法で考察できます。かつてヨーロッパで特別の方法でキリスト教化を体験した魂  は、いま、キリスト教について聞く機会がない地域に生きています。意識下から  の当時のキリスト衝動とともに、退廃したアジア主義のニュアンスを内に担って  います。今日のヨーロッパに対立するものも、内に担っています。それは本質的  に、かつては偉大であったのに退廃した東洋の叡智と、南から北上してくるキリ  スト教を受け入れたヨーロッパの野蛮な民族の素朴なキリスト衝動との共鳴の結  果なのです。(前掲書 P78)  世の中のことは分からんことばかりです。                                   松川 貴 - FARION MES(18):★たまごの二人三脚ネットワーク------<01> 94/01/30 - 00046/00051 GBG02043 維/YUI RE:ツチ (18) 94/01/29 22:55 00045へのコメント  #00045 たまご さん ツチに簡単に触れることのできる場から、簡単に触れられない場へ 季節の香がいち早くわかっていた場から、わかりにくい場へ 自然に咲く花をわすれたかのような街 自然に置き去られたかのような路地裏 嘆くよりも、気づくこと かすかな、消え入るようななつかしい声 なくなったのではなく 目に映らないから、無視してしまう 目に見えるものだけがたよりの なんと悲しい関わり やがて自らの息吹さえ わからなくなってしまうのか それを望むものは、そうなるしかない 望まないのなら、そういう行動をすればいい 自らが動かすことのできるものは 己自身ただ一つ しかし、その一つ一つが自ら動いたとき そこにはかならず場が生まれ 大きな一つの流れと育つ 自分が生きているという感触は 自らの意志で自らを動かし、自らを活かすこと 自らを生かすのは、唯一与えられた権利                     なんちゃって〜〜(笑) 維/YUI。 00050/00051 HGB02122 あもり RE:ツチ (18) 94/01/30 01:42 00045へのコメント ツチ...              _ タイミングのいい発言です>義長 珍しく雪が降った翌晩で、月が凛冽な輝きを反射させていました。 思わず、犬を連れて深夜の散歩に出ていました。 実家に住んでいますが、まだ辺りは土の匂いが濃く、5分ほど歩け ば街灯や建造物のない野原にたどり着けます。 かなり大規模な遺跡のある場所で、いつもは犬と泥だらけになって 走り回っている場所です。 あまり人の来ないところだから、昨夜の雪で真っ白でした。 大地に向かって心を集中してみると、温度(体温)とか、匂いとか、 いろいろなものを感じます。 やがて、「自分は一人ではない」という感触に帰結します。 複雑で緻密な連鎖の中に、紛れもなく自分がいるというような... 空を見上げると、星々が輝いている。地球もまた星辰の中にあるの だから、自分もまた宇宙を形作るパーツだと... そこまでくると、氷点下近い冷気も、余り感じなくなります。 もはや、「生きている」という言葉さえ不毛なくらいです。 無性に何かに祈りたくなるのは、こんな時です。 確実に、自分以外の何かの存在を確認している証拠です。 土と交わる...ツチカウ(土交う)=「培う」ですね。                     HGB02122 あもり 00051/00051 JBH02324 なえ 土に帰る (18) 94/01/30 10:55 00045へのコメント はろー。>たまごどん やっとメッセージを入れる事が出来そうだわ。(^^; あたし・・・田舎者だけど、街はダメみたい。アスファルトを詰めた場所に立つ と、息苦しくて・・。(^^; (自分はそいう仕事してるクセにね)←土方である 特に広島の市内はダメ。おまけに地下街まで最近作ってさ、もう、完ぺきに住め ないわね。(あたしが、だよ)タマに出かけるのは良いけど。 ナウシカの言葉に有ったね。「土と共に生き、風と歌おう」かな? そんな意味の言葉。あたし良く解る。人は宇宙では生きていけないと思う。機械 の中ではね。コロニーに人工土でも作れば別かも知れないけれども。あたしゃ御 免だけど。(^^; 某ウッソの世界だね。 土地の息吹を吸って、風の臭いを感じて、漂々と生きたい。そう思うの。勿論一 人では無くね。大切な人と。(仕事辞めて木こりになりたいね。)(^^; 地面て不思議なのよね。殺菌作用もあるとか、表土50センチ位までが生物圏? とか、ミミズは不思議な音波を出すんだね。ジー。って良く鳴くの。今は冬だか ら無理だけど。あれ?彼女にメッセージ送ってんのかな?。なんて(^^; だって、違う方向から、ちゃんと声に応えるんだよ。>ミミズ。 夏の暑い盛りにね、昼の気温が30度を越えると、夜になったら、草息れが凄い のよ。もう、息が出来ない位に匂う。でも、それがちゃんと計ったように30度 を越えてないと、全然ならない。自然の営みかな?、ああ、暑かったから、木技 も、葉も、命を発散してる。・・なんて感じる。一体感ね。そいうの・・好き。 あ。雑談になったから、これでね。>ばい 00047/00051 PFA03317 Eddie 開設おめでとうございます。 (18) 94/01/30 00:01  たまご 殿、  桂 桂 殿、  あもり 殿  ちょっと目をはなしているうちにこないな会議室が…  よろしうに。  期待しています。                              Eddie   00048/00051 HGB02122 あもり RE:RESかも知れない。 (18) 94/01/30 01:40 00036へのコメント やあ>桂くん (^_^; だからって、大学中退してしまった私はそれはもう悲惨ですよ。 桂さんがひっかっかてることはよく分かりましたが、逆に、「学生でしか 出来ないこと」に目を向けた方がより「生きる」ことに近づくのではない かと思いますね。 「何が出来るか」はこの会議室のメインテーマの一つである訳だけど、そ れは一重に「より生きるため」=「幸せ」になるためなんですよ。 今の桂さんが昨日よりも幸せになるためには、何をしたらいいのか? 飯を食わしてもらってるコトで可能性を縮める事になる方が、よっぽど悲 劇ですよ。 理解なんかしなくともいいから、認めてあげてくださいナ。 付記 「何をしてあげられるか」 これはゴーマンだと思うよ...(-.-) (細かい表現にこだわるようだけど)                   歩くケーススタディ あもり 00049/00051 HGB02122 あもり RE:RESかも知れない。 (18) 94/01/30 01:41 00036へのコメント こんばんわ>MISORAさん (^_^)/ その質問は、大は宇宙から小はウィルスまでにあてはまる 質問だと思いますよ。 「必要だから」 私はこの一言に尽きると思います。 で、2次的な理由がメルクさんの言う、「生きる事の出来る場所」 って思うのね。 「生きる事の出来る場所」が、青く輝く惑星である「地球」として 結晶している事が、とてもラッキーなことだと思ってます。 赤茶けた岩の塊のような惑星にはしたくないよね。                       HGB02122 あもり