- FARION MES( 2):【居酒屋1999】自己紹介・雑談--------<09> 94/02/08 - 01614/01625 GGB03631 新村 篤史 はじめまして。月の輪熊です。 ( 2) 94/02/07 18:39 コメント数:1 お初に、お目にかかります。こちらのことは、フォーラム 案内で知りまして、なにげなく入会し、会議室を覗きまして、いた く興味を持った次第です。 もともと、占ですとか、心霊ですとか、UFOですとか、 未知のものには興味津々の口でして、怖いもの見たさもひとしお、 そういう同好の志がいらっしゃるということでも、いたく感動した 次第です。 もっとも、この分野で知識が深いとか、特別な能力に恵ま れているとか、確固たる見識をもっていると言うわけではありませ んので、俗に野次馬根性と言うものに近い魂胆をひっさげて、皆様 の交流の一端に参加させて頂こうという、少々浅ましい名乗りです。 早速、私に理解しやすく、まがりにも参加できそうな部屋 は、やはり『夢』のコーナーでして、人間である以上、夢だけは人 並みに見れるものですから、今書き溜めております『夢日記』から、 面白いものがでてきましたら、ご披露に及びたいと思います。 どういう訳か、私は夢というものに興味をもっておりまし て、自分の潜在的な思考の一端として記録・保管し、折に触れ反芻 しては、現実生活の判断の一助として重宝しております。 まぁ、人によっては、毎朝トイレで自分の排泄したものを 眺めては。「今日も元気だ。調子最高。」と一人ごちる方があるよ うに、習慣と化しているものです。 いわく、自分の嗜好にあう物を探す時、つまりセンスが求 められる時などは、「そういえば、あの日の夢で、こんな服が格好 良かったな〜。」とか、百貨店などをウィンドウショッピングして 歩く時などに、「ああ、これこれ。こんな物が欲しかったんだ〜。」 とか言う時に、迷える心を決する一助になります。 もっとも、いいことばかりではなく、「後悔の上塗り」に なることも、しばしばです。「そういえば、夢で見たはずなのにな んでこんな失敗をしてしまったのか?」とか、とりたてて脈絡のな い事でも、関連づけては口惜しい思いをしたりして、複雑なもので す。 まぁ、他人にしてみれば、「なんて暇な奴なんだろ〜?」 と顰蹙かってしまいそうな趣味ではありますが、本人は大真面目で して、せっせと書き込んでは悦に入っております。 さて、夢はここらで置いておいて、超常の世界についての 興味でありますが、元々私自体が、理路整然とした思考の持ち主で はないものですから、体系的に物事を極めようとする崇高な目的意 識と言うものには縁遠く、人様のお話しに聞き耳立てて楽しむのが なによりの法楽です。 という訳でございまして、全くの初心者ながら、皆様の議 論の一端にでも参加できる程の蘊蓄ができますように、今後ともよ ろしくご指導下さいますようお願い致します。 それでは、お見知りおきを!                                        月の輪熊 01616/01625 PBA02422 さはし こんにちは、月の輪熊さん ( 2) 94/02/07 19:56 01614へのコメント コメント数:1 いらっしゃいませ、月の輪熊さん。 夢の会議室は下の方にありますけど、ご覧になりました? いろんな人が 参加されてますんで、新参なんて気にせずに、気楽に参加してくださいネ。 野次馬根性こそ、新しい知識や楽しい時間を手に入れる動力源だと思いま すから、卑下されることないと思いますよ〜。 そういえば、最近、夢を見る事がめっきり減ってしまった僕ですが、夢見 を良くする方法って有るんでしょうかねえ…。 でわ、こちらこそ、宜しくお願いします。                              居酒屋マスターさはし 01620/01625 GGB03631 新村 篤史 RE:こんにちは、月の輪熊さん ( 2) 94/02/07 22:38 01616へのコメント  早速のRES有難うございます。是非、今後共宜しくお願いいた します。  で、『良い夢の見方』についてなんですが、結構確率の高い方法 として、次のようなものがあります。誰でもいいですから、『あの 人に、これをしてあげよう、この人にこうしてあげよう。喜ぶかな 〜?」と想像しながら、眠りにつくことです。自分の欲しいものの 裏返しであろうと、実際には喜ばれる保証がなかろうと、空手形で す。夢は大きく、華やかに!  実存しない人でも、面識のない空想だけの関係の人でも、自由自 在!ひとしきり、空想の世界で遊んだら、いさぎよく現実にもどり、 『羊が一匹、羊が二匹…』とやりながら、はたまた難しい本でも読 みながら、ひたすら睡魔の訪れを待ちます。  夢の内容にまでは、責任がもてませんが、かなりの確率で、楽し い夢に出会えます。それに、ウィンドウショッピングなんかすると きに、決して高価ではなくても、人にプレゼントをするつもりで、 街を歩くと、なかなか楽しいものです。  まぁ、基本的には、ストレスをとって寝るのが一番なのでしょう し、人それぞれやり方はあるとは思いますが、自分も他人も楽しめ ることを考えるのも、家族をお持ちの方などには、家庭円満に効果 があるように思います。  『これは確実!夢の見方よりどりみどり!』なんて商売ができれ ば、儲かるかもしれませんね。                                         月の輪熊 01622/01625 GFG01634 じみくん はじめまして!!('93/02/08) ( 2) 94/02/08 03:10 どおも始めまして。「はなま」と申します。 通信初日です。が、さんざんうろついた挙げ句ここに流れ着きました。 ちょっと覗いた感じでは、なんだか肩の力が抜けそうに見えたもので、、、。 近頃の細川内閣の動き(2月8日現在)を見ていると、この後の政局に振り回され ているばかりで、いい加減なことばっかり言っているにあきれております。 私、プー太郎しています。会社の理不尽さに負けて、現在超無気力状態です。 なんか、このまっくらやみの状態を忘れさしてくれるような話があれば、 教えて頂ければ幸いです。 とりとめのない挨拶ですが、以後宜しくお願いします。 - FARION MES( 6):・壁(1)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 94/02/08 - 02126/02126 PFA03563 YAHATA 天の邪鬼な奴 ( 6) 94/02/08 01:00  憂えれば憂える程に不安は増す。  自信に根拠など求めてはならぬ。  自信などははったりと紙一重である。それが我慢ならない。  この先どこへ行くのかは、歩きださなければわからないと言うのか。  結局自分自身の性格の問題である。今の身体の異状だけが問題なのではない。  いつまでも一年生でいいのかと言われた。それは嫌だが進歩が遅いのもまた 事実。それを見てられない者があるのも事実。  個人の自由な考えとは何か。そんなものが許されていていいのか。  選択の自由とは選択の放棄を含まないか。  何を成すべきかなど私は知らない。  何ができるかなど答えられない。  「何とかなるじゃ駄目だ」と言った上司よ。そう言われたら私は、最初から 絶望する。楽観的すぎると責めるのは勝手だが、それを否定されたら完全に悲 観的になるだけである。休養にあたり私が退いたプロジェクトは、どんな調子 であろう。私がいなくなってから随分と進んだのであろうが。…あまりマイナ スな言葉は口にしたくなかった(それにエンジニアとしてのレベルの低さから 説得力皆無)ので言わなかったが、今作ってる装置コントローラを10年持た そうなんて無理な話だ。せいぜい長くて5年がいいとこだろう。  それはさておき。世の啓蒙の書には「何とかなる」と大きく構えよ、なんて 書いてあるものが多い。  悩むことなく仕事だけするロボットになりたい。 ぬくい夜だ YAHATA - FARION MES( 7):★アリオン世紀末書込み寺------------<02> 94/02/08 - 01947/01951 GCG01101 アマデウス アマデウスよりARIONへ ( 7) 94/02/07 22:54 こんにちは ARION こうやって直接話しかけるのは初めてになるかな。 実はずいぶん前から、これについて書くべきではと思っていたが、込み入っ た話なのでうまく表現できず、書き出せないでいた。 でも、なぜだかARIONが、私が話し出すのを待っているかのように感じ られるので、とうとうこうしてアップすることにした。 (とんでもない自意識過剰かも(^^;)) 私には、2つ年下の妻がいる。子供はいない。結婚して4年目3カ月になる が、今、離婚すべきかどうか真剣に話し合っている。 原因は、ひとことで言えば人生の目標に対する考え方の違いである。 彼女は、物質的に満たされることにより心の平安が得られると考えていて、 そのため強い上昇指向を持っている。(かなり乱暴な言い方だが) そして結婚後一度は勤めていた会社を退職したものの、語学を勉強して 外資系の会社に再就職した。 だが私には彼女ほど強い上昇指向はなく、むしろ心の問題に目が向いており、 彼女から見ると向上心が欠如しているように見えるらしい。 これとは別に、どこの夫婦でもあると思うが、結婚前には見えなかった性格 の違いが顕在化して、幾度か喧嘩があった。それらは大体私の方が悪いこと が多かった。実際、結婚前の私はかなり利己的な性格だったと自分でも思う。 結婚してから彼女が私にとっての鏡になってくれて、そのおかげで私の性格 はかなり改善されたのではないかと思う。この点、彼女にいくら感謝しても し足りない。しかし鏡にされた彼女の方はたまったものではなく、ストレス もかなりたまったようだ。 このような下地があった上に、上述した考え方の違いが積み重なり、昨年夏 あたりから彼女の方からサインが出始め、年末に離婚話にまで発展した。 (現在は保留中) まあ、いろいろ細々した話はあるのだが、本質はやはり考え方の違いだと思 う。これが、私と彼女との「差」である。 この差を乗り越えること、それがサトリなのだろう。 今年のテーマが「決意、実践」ならば、サトリを実行せねばなるまい。 だが、ここで自問してしまう。 私たちにこの差を乗り越えることができるか? と。 乗り越えるべきなのだろうと思うのだが、いざ彼女と議論を始めると、二人 の間に横たわる溝の深さに愕然とし、どうあがいても歩み寄れないことに 苛立ち、投げ出したくなってしまう自分に気づく。 こんな大きな差、逆立ちしたって乗り越えられないよ。 ここまでして乗り越えるべきなのか? それとも別の道に進むべきなのか? この差を差として受けとめた上で、なお夫婦として一緒に暮らして行くこと が出来るのか? きっと模範回答は「愛があるなら乗り越えられる」に違いない。 愛がなければ無理。 サトリは、それほど困難な道、戦いなのだろうと思う。 はったりではなく、これは本当に大変な道だろうと思う。 演歌じゃないが、確かに強い愛があれば、その戦いを切り抜けられるんじゃ ないかな、という気はしている。 では、今の自分に愛はあるのか? それが分からない。 愛があるのかないのか、自分でわからないなんて.... でも、これが本音だ。 そして、これが私を不安に陥れている原因でもある。 なるようになるさ、と思いたいが、不安は拭いきれない。 とにかく今私に出来ることは、自分を観つづけることだけのように思う。 堅く考えすぎだろうか? もっと別の視点が必要だろうか?                               アマデウス 01948/01951 GGD03030 《 隆 》 プログレの話で恐縮です(^^;) ( 7) 94/02/08 00:15 01946へのコメント  ガッチャさん、こんにちは。    >私も感動のない芸術は存在しないとおもいます。  ですね(^^)。ちなみに、何に感動するのかは、その人それぞれなわけで、芸術の定  義も百人百様なのでしょう。だから、他の人が芸術として尊重しているものを「そ  んなものは芸術じゃない!!」なんて言うのは、お下劣な事なのですが、僕はとき  どきこれをやってしまいます(^^;)。オハズカシイ    >ふむー、ベースというパートだけでも、そのアレンジや音、演奏で心にジンジ  >ン来るものを表現出来るのですね。これは考えたら当然の事ですが、実際に体験  まあ、もちろん他のパートがあって初めてそうなるのであって、ベースのソロを聞  いてもダメかもしれませんが、僕は何故かベースの音に聞き耳を立ててしまいます。    中島みゆきさんの歌は確かに「暗い」というイメージが強くて(山崎ハコさんの次  に暗い気がする)、僕も最初はめげそうでしたが、基本的に暗い音楽が生にあって  いるようです。考えてみれば、「PINK FLOYD」も「KING CRIMSON」も「U.K」も「VGG」もみ  んな暗い(^^;)。  「DARK SIDE OF THE MOON」は大傑作ですね(^^)。評判は良くありませんでしたが、豚  が飛んでいるジャケットでおなじみの「ANIMALS」も好きです。前にも書いた「WISH YOU   WERE HEAR」や「WALL」もいいなぁ(要するにみんな好きなのね(^^;))。  僕はロジャー・ウォータースの気違いじみた世界が好きなのでした。    P.S.  ボーナム君にそんな話があったとは・・・。最近は例の「エロイカより愛をこめて」  を読んだときにしか思い出さないZEPの2人。はあ、「ハードロックははるか遠く  になりにけり」ですね。                                by 隆ちゃん 01949/01951 MHD02502 ARION RE:SUKEよりARIONへ(目先の苦しさ) ( 7) 94/02/08 00:38 01624へのコメント ARIONより #01624 SUKE へ 以前のあなたのRESから順を追って話そう。  あなたの文章を編集してみた。  例によって、あなたにの胸に刺さるような言葉であるやも知れぬが、  私の意図するところは、あなたの胸を刺すことでは無いことを理解して貰えれば、  私としては嬉しい。 |    (1) 寂しいと思う |    (2) 興味を持たれない |    (3) 見下している | | こうしてみると、孤独感が初めにあるようです。そして最初の質問に答えた時にわ | かったことで、他人を見下す自分が存在するというのが、まさに自分の傲慢さとし | て気になっています。(1),(2),(3)  あなたの問題は表現すれば、傲慢というよりも「優越していた筈の自分自身への  コンプレックス」に近いだろうね。  これは今現在、あなたが優越していないという意味では無く、あなたの願う分野に  おいて、あなた自身が自分を優越していると思えない状態(つまり、思い通りに  ならないということだが)も、最近はあるとあなた自身が感じているだろうと、  そういった意味と受け取ってもらいたい。 | 悩みの最初にあったのは、たった一人になったときの孤独感でした。 | そして、今は自分に傲慢さが潜んでいることに気づきかけています。 | 自分が他人に対して傲慢に見ているから、孤独に思うのではないかとも思います。  あなたが傲慢に見ているから孤独なのでは無く、あなた自身が持ち続けている  自分自身のイメージ=「優れていなければならない、優れていたい」が、  他人との溝を作る一因となっているのだろう。  あなたは優れていなければならないと常々思ってはいない、と反論するかも  知れないが、以下の文はきっとあなたには有効な文になると、私は思う。  優れているということ自体に、他から抜き出ている、つまり他を寄せ付けない印象が  持たれやすく、その事に拘泥する傾向にある者は物理的にも、他の者を寄せ付けない  ことが多い。  しかし真に優れている者は、他の者を寄せ付けないのでは無く、その他大勢の中に  居ながら輝き、その輝きによってその他大勢を明るく照らすことが出来るのだよ。  この相互扶助的な関係があるからこそ、真に優れている者は大勢の知るところと  なるのだね。  そうした真に優れた者は、だからこそ自らの優越の因を自らの能力のみに求めない。  人は全人格的に優れている必要は無い。  その時その場に応じて、職能上優れている者が優れた仕事を為すべきで、また、  その場の職務に携わる者は、職能上優れることを目的にして自らを磨く努力を  惜しんではならない。そうしたお互いの切磋琢磨によって優れた能力が生まれ、  また活かされてゆくのだよ。  問題は、人間社会が優れた者をその他大勢から切り離して評価する傾向がある事で、  それによって誤った感覚を、評価された者も、その他大勢も持ってしまうことだね。  抜き出て優れた者は、その能力範囲に於いて抜き出て優れた権利と同時に義務をも  背負う。この権利と義務を遂行する事こそが、抜き出て優れた能力を持ち得た者の  喜びであり、その喜びは反映され還元される社会があってこそなのだよ。  もしあなたが孤独なのであれば、それは、あなた自身の評価が反映され、還元される  社会を、あなたが見出していない、或は、見ていないからでは無いか?  そして恐らく、あなたは無理な評価方法を自らにも他人にも、暗黙の内に求めて  いるのでは無いか? ---------------------------ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  #01922 〜 #01924 SUKEへ |自分の欠点に目を向けて苦しい作業に身を投じて行く姿は、自分に理想を強制して |いるのではないか? |むしろ自分の長所を伸ばすのに夢中になっている姿は、自分を活かして(生かして) | いるんじゃないか? | |実は今まで自分を観るという作業をしてきたつもりが、欠点を観るという作業でし |かなかったかもしれません。自分の長所と言われても、よくわからないのです..  欠点とあなたは言うが、恐らく短所というべきところだろうね。  長所も短所も、TPOで変化してしまうようなものなのだよ。  その場その場、対する相手次第と言っても過言では無い。  長所も短所も、結局は自己申告とでも言うべきものに近いのだよ。  「自分を観る」ことは、短所や長所という具合に分別してしまうことでは無い。  厭だな、と思うことも、好きだな、と思うことも全て一括りにして、ああ、これが  私なんだな、と先ずは見つけることだ。  勿論、自分でも嫌いな自分の性格の部分に出会うと、人は目を背け見ないように  する傾向があり、これは自然なことなのだよ。  また、こうした厭な部分を、自分が気に入っている人には見せたくない、と思う。  そうした心の動きは自然であり、とがめだてする必要も無いし、反対に評価する  必要も無い。  良いことも悪いことも、全てを先ず自分の中に見つけて「ここにある」と認識し、  その次にそれを一つ一つ善悪評価や、上下評価しないで置いておくこと。  例えば、自らの性格を箇条書きにして、気に入った性格の順番に番号を付けたから  といって、その性格自体に上下関係があるわけでは無いのだからね。  こんな時に自分はこう思った、でも友人は別のことを思った。  この違いは何なんだろう? 自分はこうであるのに、友人はこうでは無い。  自分と友人の違いは何だろう?と考え、お互いの持つ違いや差を認識して、その差を  お互いに超えてゆくことを目指すためには、自らの性格を先ず見つけること、  そして色々な基準に基づく評価を与えないことから始める…これを、「自分を観る」  と私は名付けているんだよ。                 −−−ARION,O∴O−−− 01950/01951 MHD02502 ARION RE:なえからARIONへ ( 7) 94/02/08 02:08 01748へのコメント  ARIONより #01748 なえ へ |あたしは自分に対して後悔なんてしない生き方をするんだ。ってずっと思ってきたけ |ど、そんな物はさ程価値のある事では無かったのかもしれないね。むしろ後悔したと |感じるだけの謙虚さと、後悔から生まれる二度としないぞ。と言う前向きさに気が付 |く事が大事だった様な気がするんだ。自分に自信があると思うとつい、踏み間違える |事だものね。今は全部後悔だらけだよ。でも、それを間違いだったとは思えない。そ |のどれもあたしには必要な事だったんだと。そう思うから。  言葉の使い方のことだろうが、後悔という言葉より「反省」という言葉を  使う方が、あなたらしいと思うのだが。  後悔しない生き方は素晴らしいが、反省→改善の無い生き方は悲しいね。  命は、それを生かすために  命は、それが生かされるために  命は、それが全うされるために  多くの事をあなたに要求する、そして、あなたはそれを遂行する。  ここに素直に書き込むあなたが「在った、そして在り続ける」ことに、ありがとう。                       −−−ARION,O∴O−−− 01951/01951 MHD02502 ARION RE:ふさわしい題は思いつきません ( 7) 94/02/08 02:14 01811へのコメント  ARIONより #01811 ユ−リ へ |ARIONさん、私には人に見えないものが見えているのでしょうか… |それとも、私に見えるものは、いみじくもある人が私に対して言ったように、全て 「 |私のイメージの産物」なのでしょうか… |全ては、私の暗い心の傷の産物…という事になるのでしょうか…そのようなものが本 |当に実在するとしての話ですが…  あなたにはあなたしか見えないものがある、人はそれぞれに「その人にしか  見えないもの」があるのだよ。  例え、それがあなたのイメージの産物であろうが、あなたにとっては実際に見える  ものであるということならば、あなたの世界には存在するものであろう?  自分が見えるものを他者に認めさせ得ることが出来れば、コミュニケーションの  円滑化を図る上では、とても有効なのだが、容易くない場合が多い。  それが自らのイメージの産物であるか否か?は、あなた自身が一番よく分かる。  イメージであるならば、決して自らのイメージ上の想像を裏切らない言動・行動・  様式を伴うからね。或は、自らのイメージする真反対の言動・行動・様式を伴う場合  も多い。いずれにせよ、あなたに新たなる情報を加えてくることは無いだろう。 |私は、いつも自分の持つ全てを相手にぶつけてきたつもりでした。 |いつも相手の事を考えていた、と書けば笑う人もいるでしょう。でも私は常にそのつ |もりでした。 |私には、その人の歩く先に崖が落ちているのが見えたのです。少なくとも、見えたと |思ったのです。 |カンや思い付きで見えたのではありません。私の持つ過去の経験と知識から類推でき |るのです。 |それなら、話をすれば理解してくれるはずです。 |しかし、言葉にすればするほど、それは荒唐無稽で意味のなさそうなものになってゆ |くのです。  ユーリ、あなたの一生懸命な態度は理解する。  ただ、あなたはあなたのイメージした他者に対して、あなたのイメージ通りの  リアクションを期待しているのでは無いか?  あなたはあなたであり、他者は他者である事を、頭だけで理解していないか?  あなたが学んだ場で「是」であるものが、他者の生きる場でも「是」であると  思っていないか?  生活や情報の基盤が異なる人は、思想も異なり「是非判断」の根拠さえも異なる  場合がある事を、あなたは知っているだろう? |ARIONさん、私は今ほど自分の持つ言葉の拙さを呪っている事はありません。 |私は今ほど、人に言葉でものを教えることの困難さを噛み締めていることはありませ |ん。 |過去に、「人がものを覚えるのは、傷ついた時だけだ」と書きました。 |しかし、それでも人が無防備に崖に突っ込んでゆくのを黙ってみていることはできま |せん。 |でも、私にはその人を救う手段が何も無いのです。 |それとも、やはり全ては私の作り出した「イメージ」にすぎないのでしょうか…  人が無防備に崖に突っ込んでゆくのを黙ってみていることは出来ない、と言うと、  とても耳障りが良いが、果たして本当に無防備であるのか? また、本当に崖に  突っ込んでいっているのだろうか?  あなたがあなたの人生で学んだ「崖」であるものは、人によっては「崖」では無い、  ことも多々あるのだよ。物理的な崖に、そこに崖がある事も知らずに飛び込んでゆく  人には、声を掛けて止めてあげるべきだろう。  しかし、あなたの話しているこの「崖」は、あなたが判断した「崖」でしか無い。  相手が崖に無防備に突っ込んでゆく…と判断する前に、相手にとってそれが「崖」  であるかどうか、また無防備に見えるけれど、本当はどうなのか?を確認するべきで  あろう?  これらの手順を飛び越えて、あなたは「教える、救う」と言っているのでは無いか?  相手にキチンと尋ねること、相手が何を、どう思っているのか?を確認すること。  これらのことを省略して、相手に「危ないから止めなさい」と話しても、  相手は理解出来ないし、あなたは相手を受け入れることなしに自らの経験や学び  に基づいて、相手を思い通りにしようとしている、と思われることになるだろう。  相手に確認しても、だからと言って、あなたの学んだ通りにすることが  相手のためになる、とは言えない。  あなたが学んだものは、あなたの人生の小径に一つしか落ちていないのだよ。  それをあなたは他者に見せることは出来る。  そして類似したものを、他者は他者の人生の小径に見つけることが出来る。  だが、それはあなたと同一のものでは、決してないことを忘れてはいけない。  ユーリよ、他者のために一生懸命になることや、他者を思う気持ちが強いことは、  とても素晴らしいことだが、上記の事々をいつも心の片隅に置いておかなければ、  せっかくの優しい気持ちは伝わらないんだよ。                       −−−ARION,O∴O−−− - FARION MES( 9):★TAO のヒーリング・ルーム----------<01> 94/02/08 - 390/390 PXH01650 英雄 RE:性=生=聖 ( 9) 94/02/08 05:39 382へのコメント みれさん、こんにちは。お誉めのコトバを頂いて恐縮ですm(__)m 浮世絵に関連してフト思ったのが、ラファエロやミケランジェロが なぜ、美しい”性”の姿―男女の愛の情景―を描かなかったんだろ う、絵画芸術として、なぜ”性”がなかったんだろう、という事で した。浮世絵に匹敵するような芸術はあるのでしょうか? 最近のヌ―ド写真集なんか見ていますと、およそ「官能的」には程 遠いものばかりです。AVも写真集も飽きるほど見てきましたが、 やはり求めているものがないようです。写真を撮るのが好きで、い つかそういうものを撮ってみたいとも思いましたが、パソ通始めた お陰で、ヒマと金がなくなってしまいました(^^;) ほんとうの意味での「官能」というのを、現代人はどこかへ置き去 りにしてしまったようです。これはまた「情操」や「情緒」といっ たものにも繋がっているのかもしれませんね。 浮世絵を観てドキドキする、羞恥心を覚える、との事ですが、それ って、”性”のあり方にとってすごく大事なことのような気がしま す。 また、性の営みの高揚したエネルギ―のみならず、絶頂(プラト―) に達するまでのプロセスも重要ですね。AVでは、女性がいきなり裸 になってしまう。少しずつ脱がしていくというのは、男にとっては気 分を盛り上げていく重要な要素です。前戯の前戯とでもいえましょう か。前戯なしでいきなりインサ―トしてしまうパタ―ンは、AVに限 らず実生活でも多いようです。これでは、女性は満足しないでしょう。 ...おっと、これでは単なるSEX論になりそうなんで、とりあえ ずきょうはこの辺にします。ARIONが言った、オ―ガズムのトワ イライト性(生と死の中間状態)については、非常に興味深いんで、 後日またアップしたいと思います。 TAOさん、申し訳ない!どんどん引っ張る...(^^;) :英雄: - FARION MES(10):★Dr.Sooの《夢酔い人の部屋》--------<01> 94/02/08 - 00358/00358 GBE02650 ユ−リ RE:こんな夢を見た (10) 94/02/07 23:38 00345へのコメント  #00345 みれ姉 > 部屋は黒を基調にはしてないけど…やや、ダークな家具が置いてある。  そ、そう言われてみれば確かにあの内装は、 「黒を基調にしている」というよりも、「ダ−クな家具」と表現したほうが、 ピッタシ来るかもしれない…ゾゾゾ〜ッ(^^;  夢と水槽と虫が話題に登ったところで、うちの学校に伝わる不思議な話を一席。 (なんか、落語の三題噺みたい…(^^;)  うちの学校の生物室には、半ば生物の先生の趣味で(^^;様々な魚が飼われて いるのですが、 (なかには、ピラニアやアフリカツノガエルなんかも住んでおられる。) 今から三年ほど前に、今は死んでしまったけれど、もう何年も飼われていて、 生物室のヌシみたいになっていた、大きな鯉がいたそうなんです。  で、ある日、うちの図書室の司書の先生が夢を見た…  この先生は、結構霊感が強いことを日頃自分でも自覚している女性なんですが、 くだんの生物室の鯉が、大きくて不気味な寄生虫に噛み付かれて、 バタバタと水槽の中で暴れている、妙に鮮明な夢を見たらしいんです。  で、次の日、生物の先生に「先生、昨日これこれの夢を見たから、 鯉の様子を見たほうがいいよ。」と言ったらしいんですね。  生物の先生は、司書の先生が只の夢にどうしてこんなに大騒ぎするんだろうと 思ったらしいんだけど、あまりに司書の先生が騒ぐので、半ば呆れながらも 鯉の様子を見に行くことにした。  生物室では、鯉が、大きくて不気味な寄生虫に噛み付かれて、 バタバタと水槽の中で暴れていた…  生物の先生は、その時の驚愕を今でも忘れられないと言っています。  『司書の先生は「ほらね、夢で見たんだから!」と叫んでいるし…』  司書の先生が、まざまざと正夢を見た…というのも、 それはそれで不思議な話なんですが、  それ以上に不思議なのが、何故そんな寄生虫が鯉についたのか?という事。  生物の先生が言うには、もう何年も飼っている鯉で、 一度もそんな寄生虫がついた事は無いそうなんです。  しかも、前の日に水を替えた訳でも無いので、 寄生虫が何処からやって来たのか、全く分からないんだそうです。  しかも、その寄生虫は(名前は忘れましたが、) 今まで生物の先生が文献で読んだり、授業で名前を出したりしたことはあっても、 今まで一度として自分の目では見たことの無かった生物だったんだそうです…  これは、僕が当事者の双方から生々しい証言を取っていますので、 3年ほど前に起きた「現実」といっても良いのではないかと思います。(^^; GBE02650 ユ−リ - FARION MES(11):★アキラの《平井和正*異界漂流》----<01> 94/02/08 - 204/204 NCD01751 しろおか RE:へいせい無責任男(他罰編) (11) 94/02/08 05:38 203へのコメント どうも初めまして、まるにちょん さん。 正直に言いまして、何と返事を書いてよいのか思いつかず当惑しております(^ ^;)。 「真摯な読書術」とか「神々と先祖に対する敬い」などといった、純粋に個人的な主観 や感情論で返事を書かれても、私は、それらを経験的に認知することができません。 私が考えますに、「必要性」こそが創造力(想像)の源泉ではないでしょうか?。「必 要性」の無いところには、何の「問題意識」も生じません。それはそれでよい事だと考 えています、私の様な人間は小数派でよいのです。まるにちょんさんの、薔薇色の神観 念から察しますに貴方はそこそこの幸運に恵まれた人生をおくってらっしゃるようです ネ!。毎日毎日、超常現象によるリンチに掛けられた揚げ句に発狂寸前、イジメに耐え かねて自殺未遂までやらかした"どこぞの哀れな男"とは対照的です^^;。[独白:人の 運命を弄ぶこれらの事象なり現象はいったい何者の仕業か?。神々以外の何者でもない ではないか!!] 【しろおかさんの辛口な平井氏批判これからも楽しみにしています 意外です。私は、そんな目で見られていましたか!!(゚゚;)。「自己分析による自己認 識は不可」、アドラ−の学説は正しいかもシンナイ!!<--(白々しい弁解 ^^;) - FARION MES(13):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<03> 94/02/08 - 01044/01045 GDB00064 オリハル オリハルです。 (13) 94/02/07 23:41 KAZEさん、EMについてUPさせていただきました。 KAZEさんには失礼してしまったかもしれません。 EMについてお教えいただき、本当にありがとうございました。                      オリハル 01045/01045 GGA02514 KAZE 教育的指導になってしまった^^; (13) 94/02/08 09:35 オリハルさん、どうも。 わざわざEMについてのご紹介をしていただきありがとうございました。 しかし、今回のオリハルさんの#1040,#1041,#1042のアーティクルは 「自分の文章=主」の部分が無く、 元の本の内容を「要約」という形で紹介するものとなっていて、 「自分の文章=主、引用=従」という原則から外れるものとなっています。 通常、引用部分の割合がファイル全体の半分以下なら良しとしているのが、 NIFTY上での暗黙の了解という事になっていますが、 今回の場合は、どうもそれに抵触するものとなっているようです。 従って、#1040,#1041,#1042のアーティクル、及び (それだけ残しておいても意味不明ですので) それに前後した#1039,#1043のアーティクルを 削除させていただきたいと思いますので、ご理解いただければ幸いです。 ということですので、できれば今回の発言を 「自分の文章=主、引用=従」というカタチに書き直していただいた上で EMについて多くの方に啓蒙していただければ幸いです(^^)。 (*ということで運営の方、よろしくお願いします。) - FARION MES(15):★平成松川塾◎日本を考える----------<01> 94/02/08 - 463/464 GDB00064 オリハル 価値観=自分か? (15) 94/02/07 16:44 462へのコメント コメント数:1 /松川 貴さん、どうもありがとうございます。 経済活動に集中する最近の私に対する不信感がそういう点にあったことが分りました。 なぜ、このように問題点を言葉にしてくれないのか分らないですが。 でも、私としてみれば、疑問でもなんでもありません。 これを放っておくのはやはりまずいでしょうから、解説します。 私はスブド同胞会という会の会員ですが、一切の教えも教義もありません。 いかなる「価値観」や「考え方」からも自由です。 そういう会がなぜ人類進化に寄与し得るかと言いますと、 神の力と言う事実だけがあるからです。 ただ神の力に全託することで、 今まで大変な苦労をして修業して会得したのと同じ浄化を成すのです。 というのは、現代人の魂は既に多くの転生で成長してきたからだろうと思います。 スブド会員は霊的な事柄はすべて神へ全託してますので、 人間として残されたことはこの世の生活を満たすことだけです。 《考え方》は自分でしょうか? 今までの過去の価値観で考えますと、 例えば、「キリストの踏み絵をどんなことしてもしない」とかいう態度があります。 しかし、この時期、同時に聖母マリア様はフランスに御出現になり、 「私たちは踏まれてもいいのです」とおっしゃっていたのです。私の記憶ですが。 それが単に物質にすぎないことが分らない人であってはならないと思います。 イスラムでは、神は「戦え」とおっしゃいました。 その真実の動機によって戦ったわけです。 仏教(物質的=思考的)、キリスト教(植物的=癒し的)、イスラム(動物的=行動的) 、スブド(人間的=本来的)となってると私は思っています。 人間は本来、神の代理としてこの世を治め、整えるのだと思います。 既に神の力と言う事実が与えられており、《価値観》や《考え方》等に《立脚》 し、守る必要は、なくなっているのです。私は自分の考え方を入れ替えることが 出来ますし、価値観を入れ替えることが出来ます。それに立脚してないからです。 そういうのは「機能」上の事柄です。私ではない。 だから、例えば、過去の話ですが、私をいじめたがる人の自由を認めていたのですが、 そういう人のイジメの価値観を受入れていたのですが、私の肉体上の「生理的な限界」 というものに5年たったら直面したわけです。これには気が付きませんでした。 ですので、今後はこのような事態に直面しないように機能(肉体)保護の立場から 気を付けて行くつもりです。 この世で必要な金銭と言うものを短期間のうちに稼ぎ出す必要が私にはあるのです。 それがどのように見えるのか教えてほしいなと思います。 正直な見えかたを教えてほしいと思います。 このような行為は私にとっては魂の分裂でもなんでもありません。 考え方などいくらでも変えますし、自分の価値観以外を否定しません。 思想や考え方や価値観が変ることは自分が変ることですか? 一つの価値観に縛られない、という価値観もあります。 まあ、私の行動は私の価値観に基づいてるのですが。 「私の価値観」といっても私個人に与えられた神の御意志ととらえてますが。 まあ、金銭と言うものについてはグルジェフはすごいと思っています(表現)。 それで、 めるくまーる出版の「注目すべき人々との出会い」の「物質的問題について」という章 をご紹介もさせていただきたいと思うのです。 まあ、私としての発言すべきことは基本的にこれで果たしたと思います。 後々の誤解を避けるための(MES 7)の発言がまだ理解されてないようですので。 でも、疑問点を問い正すことなくひそかに心の中で断定されても私はそれを少なくとも 1回は訂正する責任があると思いますので、この発言となりました。 今後は私はこの発言を行ったのですから、そこまで責任は持てないと思います。 《価値観》や《考え方》は自分でしょうか? しかし、必要な人もいますのはもちろんの事です。 肉体を最大限に「活用」する、いや、したいというのは違うことなのでしょうか?                            オリハル 464/464 GFD00204 松川 貴     RE:価値観=自分か? (15) 94/02/07 22:48 463へのコメント  オリハルさん  私は〈オリハルさんの話〉をしていたのではありません。  しかし、ちょっとだけオリハルさんのコメントにフック(ボクシング用語とお間違 いなきよう)を掛けておきたいと思います。 >私はスブド同胞会という会の会員ですが、一切の教えも教義もありません。 >いかなる「価値観」や「考え方」からも自由です。  〈思考〉からは自由ですか。                                   松川 貴 - FARION MES(17):★パワフルなえ★の《おふくろ通信》--<01> 94/02/08 - 782/783 GFH02347 ゾウリムシ 花守人 (17) 94/02/07 23:18 コメント数:1 私の夢を書いてみよう。 広葉樹林と少々の田畑。 そこで私は、花守人( はなもりびと) として暮らすのだ。 世話をするのは、桜の木だけではないのだが、森を守って暮らすのだ。 さて、息のあるうちにたどりつけるだろうか。 ・・・・・ゾウリムシ・・・・・ 783/783 JBH02324 なえ 花守のゾウリムシさん(^ー^) (17) 94/02/08 11:26 782へのコメント そうですか、とても良い夢ですね〜。 も〜思いっ切り応援しちゃう。\\(^o^)// がんばれ〜。 やっぱ夢を実現させるのも夢に終わるのも、自分の心ひとつ。ね。 良い夢は見続けちゃいましょう。夢が終わらない様に、醒めない様に。 鉄は熱い内に打てって言うではない?? 熱い気持ちを持ち続ける限り きっと夢は叶いますよん。 - FARION MES(18):★たまごの二人三脚ネットワーク------<01> 94/02/08 - 00076/00081 KFD00473 たまご RE:自然に抱かれる (18) 94/02/07 21:38 00067へのコメント コメント数:2  >>>>英雄 さん 何のCMだったかちょっと忘れてしまいましたが、 日本でただ一人という樹医さんは、 そういうことが出来るって話です。 植物の話声を電流の変化として、 取り出すという実験をしている人もいますしねぇ。 (それって面白くない方法だと思うけど) 植物だって話すんじゃないんだろうか。 たぶんね。     たまご 00079/00081 GBG02043 維/YUI そーなんですよぉ〜〜(^^;) (18) 94/02/07 22:19 00076へのコメント  #00076 たまご さん 樹はお話するんですって。←私の学生時代からの友人談。 彼女はどっちかと いうと草花に話しかけられることが多いようです。 言葉というより想念で しゃべりあうみたいですよ。 ちなみに女優の原田智世さんあたりなども、お話するらしいですが・・・(^^;)ホンマカヤ?! 維/YUI。 00080/00081 GGD02212 Soo 木は心と申しまして… (18) 94/02/08 00:04 00076へのコメント  最近、樹木や草花に心を留めることが少なくなってしまったなぁ…。 彼ら(彼女達)にも心のようなものがあって、人間にも感応できるはず、 そう信じて見ると、植物の輝きや潤いのようなものが増して来て、何か 愛しいような切ないような、純粋で精妙な感情みたいなものを感じとる、 その程度の経験をする人は少なくないと思うんですが、どうでしょう?(Soo) 00077/00081 KFD00473 たまご RE:荒れた山々 (18) 94/02/07 21:38 00068へのコメント コメント数:1 >>>>なえ さん 山が荒れているからといって、 人間だけがそれを何とか出来るというのも、 何かおこがましいというか。 ほっとけば、案外うまく行くんじゃないかって気もしないでもない。 けど。 山を愛している人が居て、 山と共に生きたいという人がいるなら、 それはそれで素晴らしいことで。 山のカミなんかは、 そこんとこどんな風に感じているんでしょうね。     たまご 00081/00081 JBH02324 なえ 山のカミ (18) 94/02/08 10:23 00077へのコメント ああ、ちょうど今読んでいる本があるのですけれど、山の精霊と蛇って 言うんですけどね。これがなかなか・・。 木こりの某氏は、山の中で木を切る前には必ず木の木霊に酒を供える。 それは木こりなら誰でもする事だけれど、まず、切り株に木霊や精霊に 移って頂くように、締め縄を張り、おみきを供える。そうして、移って 頂いてから、やおら、辺りの木を切りはじめる。 それが移って頂けない場合、山が叫び、木は切られる事を拒否し、切り 口からは真っ赤な血が流れると言う。 或いは、無理にでも切ると、その大木の下敷きとなり、命を落とす者が ある。それはつい最近まで、いや、現在もある、木霊と人の踏み入れら れない境界かも知れない。云々・・。 自然を自由に出来るなんて、実は人間の虚栄心や、奢りかも知れない。 と思うんですねー。でも、それと、木を植えなくても良いとは、おのず と違うのって、解るよねー。 木の表面に手を触れて、じっと中を見通してごらんよ。 自分と同じ血が流れている事。同じ命が有ると言う事。 知らない内に感じて、いつか涙が流れてしまうから。 ねー、そりゃそうと、もう「おばさま」って言わないのぉ?? (^^; 00078/00081 KFD00473 たまご 犬ゾリレース見聞録 (18) 94/02/07 21:39 カルビーカップ国際犬ゾリレース札幌大会に土曜・日曜と観に行った。 去年初めて観に行って、とても良かったので、今年も行くことにした。 体にカイロをたくさんくくりつけ、完全防備で寒空の中に立った。 このレースは大仰なタイトルついているけど、素朴なレースなんだ。 会場は北海道らしいワイルドな造りで、小さな雪山をいくつか乗り越え、 ときどき降り積もった雪に埋まりながら、コースの脇までたどり 着かねばならない。(^O^;)観客も大変だ。 コース周辺には簡単なネットが張られているだけでスタート地点では、 犬達まで1メートルくらいの距離に近づける。 スタート地点での犬達の表情は実にいきいきしている。 やる気満々の犬、 明らかに気負っている犬、 静かにスタートを待つ犬と性格は様々。 中にはどうでもいいやってレースを投げている犬もいて、 そんなのを見つけるのも楽しい。 出場する人間も様々で、 スタートまで犬にしきりに話しかける飼い主もいれば、 全然話しかけない飼い主もいる。 それぞれにコンセントレーションを高めていく。 スタートのカウントダウンの最後、 ぎりぎりまで引き絞られた緊張感が、 GO!のかけ声と共にはじけて爆発する。 コースに飛び出していく犬と人間、 走り出す犬のスピードにどよめくギャラリー。 その走りっぷり、かっこいいなぁ。 ゴールに入ってくる犬達は、 目がきらきらしていた。 走りきったってことに満足している。 犬に声を掛けるマッシャー。 みんないい顔をしている。 勝っても負けても何だか充実しているみたいだ。 観戦するのはとても寒いんだけど、 このゴールでの光景を見ると、とても気持ちが暖かくなる。 だから、来年もきっと観に行く。     たまご - FARION MES(19):■精神世界ぶっ飛び話/バチアタリQ&Q--<01> 94/02/08 - 239/239 JBH00742 スサノオ 本物のカバラ (19) 94/02/07 23:49  ☆               ☆  カバラがもし相手を活かす為の ユダヤの知恵だというのなら  バランスを中央の柱にとることを  学ばなければならない。  スサノオ  ☆               ☆