- FARION MES( 2):【居酒屋1999】自己紹介・雑談--------<09> 94/02/17 - 01693/01701 PBA02422 さはし 春間近と思ったら… ( 2) 94/02/16 19:40 部屋の中の鉢植えのバラが幾つも花を付けました。 道端を歩いていたら、タンポポの花が開いていました。 春間近と思ったら…。 夕方になったら、再び木枯らしが戻ってきました。 01694/01701 JAB00735 ぱうわー はっはは ( 2) 94/02/16 19:57 01691へのコメント コメント数:1 楽しみにしております。>YAHATAさん、著美さん 女性は3人(正確には女性2人に女の子1人)いますけど、 その中で落ち着きないのが私ですからすぐわかると思います。 一番痩せて「ない」のが私ですんで、よろしくー。 ではでは、いってまいります。 ぱうわー 01701/01701 JBH01750 著美 確率は3分の1か、それとも100%か?(^_^ ; ( 2) 94/02/17 02:47 01694へのコメント  >ぱうわーさん  >>女性は3人(正確には女性2人に女の子1人)いますけど、 そうだとすると、ぱうわーさんに声かける確率は単純計算で3分の1ぢゃにゃ〜。  でも、ハンドル(ハンドルは体をあらわす!!(^◇^;))を頼りにすれば、確率は いきなり100%に跳ね上がる?(^_^;) 01698/01701 PFA03563 YAHATA RE:マックワールドエキスポでミニOFF? ( 2) 94/02/17 00:15 01691へのコメント  #01691 著美 さん 》 その日は、ぱうわーさんとミニOFFやる予定が入っているんだけど…(←本人に 》は確認をとっていない(^_^;))  私も混ぜてぇヽ(^o^)丿という冗談はさておき…(^_^;) 》幕張メッセには、これまで行ったことがありません。時間と絶対に迷わないという 》場所を指定してくだされば、一緒に某ぱうわーさんのブースを急襲しましょう(^_^;)  最寄りの駅は海浜幕張だったっけ?  待ち合わせは駅にしましょうか…。 》 なにはともあれ、19日の午後は空いてます。18日でも結構です。あっ、17日もいい 》かなぁ…(^_^;) 第一希望は、19日の午後2時頃に、現場近くの分かりやすいところ 》ということでお願いします m(__)m  第一希望を通しましょう。  手元に地図みたいなものがないので説明は難しいな…(^_^;) YAHATA 01695/01701 PXH01650 英雄 信長、雪、幻魔 ( 2) 94/02/16 23:07 コメント数:1 こんにちは、マスタ―、みなさん。 きょうも寒いですねえ。何か、体が暖まるものはないですか? 信長の目指した日本は、天皇家を絶滅させ、ある種の中央集権的 軍事国家だったようです。彼は、民衆をコントロ―ルするための 手段として宗教を用いようともしていたようです。いわば、日本 を”神ながらの道”より大きく逸脱させる結果になる所でした。 これは、後の世代(つまり現代)の世界の存続を危ぶませる可能 性を持っていたのです。(という説を聞いた事があります) 今月に入って、日本のみならず、世界的に寒波に襲われているよ うです。やはり、着実に進んでいるようですね。 平井和正ですか。一応、幻魔大戦(真、新も)読みましたね。 「ハルマゲドンの少女」以降は、ごぶさたしていますが。 東丈は、どうなったんでしょうか? :英雄: 01699/01701 CXK03125 月影 :幻魔よー ( 2) 94/02/17 00:15 01695へのコメント はじめまして、英雄さん > 平井和正ですか。一応、幻魔大戦(真、新も)読みましたね。 >「ハルマゲドンの少女」以降は、ごぶさたしていますが。 > 東丈は、どうなったんでしょうか? うーん、東丈はまだ帰らないのでした(;_;) 11番でも幻魔の話題は少ないのでした。シクシク お時さーん、月影である私はいつまでもまっている。早く帰ってきてー(;_;) 平井さんに直訴しょうか: 月影 01696/01701 PXH01650 英雄 from 浜松 ( 2) 94/02/16 23:08 >すまる さん 豊橋?―あらまあ、お隣じゃないですかあ! ホント、チュ―ブ、おっとお、中部地区オフなんかいいですね。 お会いできるのを、楽しみにしてまあす!(^_^)/ 浜松駅から歩いて15分、日当たり良好:英雄: 01697/01701 PXH01650 英雄 RE:Re:始めまして ( 2) 94/02/16 23:09 01682へのコメント コメント数:1 月影さん、オ―ラさん、はじめまして。 シンセが趣味というんで、ノコノコ出て参りました。 富田サウンドを耳にして以来(あれって、確か中学の時だな)、 シンセに取りつかれて、よくレコ―ドを集めました。 以前はとても手が出ない代物でしたが、今ではワ―プロより安い(!) んで、デジタルピアノとシンセ(01/W Pro)を手に入れて遊ん でます。 シンセは、ピアノが弾けなくてもできますよ。(打ち込みか、DTM) というわけで、これからもよろしく!(^^)/ あっと、人体オ―ラは、黒い背景で手をかざすと、手のオ―ラが見える というのを聞いたことがあります。 昔は、瞑想もよくやったなあ...:英雄: 01700/01701 CXK03125 月影 シンセって ( 2) 94/02/17 00:15 01697へのコメント 再びこんにちは、英雄さん。 シンセ、ご趣味なんですか? しかも富田サウンドときましたか、ムムム >シンセは、ピアノが弾けなくてもできますよ。(打ち込みか、DTM) >というわけで、これからもよろしく!(^^)/ ああ、今これって凄く性能が向上してるようですねぇ。 考えてみようかな。 でも金がないの(;_;) この通信のために買ったワープロ、OASYSちゃん 私の財布の有り金を無言で奪っていった。 サブリミナルは嫌いです:月影 - FARION MES( 3):【めでぃあ室】本/映画/音楽 etc----<01> 94/02/17 - 00380/00382 PXH01650 英雄 ベネトンの叫び ( 3) 94/02/16 23:10 本日の(2/16)日経新聞をご覧になった方はおりますか?あるいは、朝日 新聞、またはニュ―ス・ステ―ション。 全面に、衝撃的な「広告」が掲載されていました 血に染まった戦闘服のカラ―写真です ボスニアで戦死した兵士の遺品です クライアントは、やはりベネトン社でした 出産直後の赤ん坊や、性器のアップ等、常に注目を浴びる「広告」を 掲げています。今回のテ―マは、”戦争” 誰しも最初はビックリするでしょう。しかし、仕事の忙しさに忘れて しまうでしょう 戦場は、「広告」など比較にならない惨状ですが、それを何度も目の 当たりにしていても、「戦い」をやめようとしません なぜなら、人生は”戦い”であると信じ込んでいるからです。”幸福” は”戦って”勝ちとるものだと信じているからです 人々の心から”争い”の思いがなくならない限り、真の平和も幸福も 達成できないでしょう。”戦い”と”調和”は、同じ次元のものでは ないからです :英雄: 00381/00382 MGH00465 アキラ SPAにFARION ( 3) 94/02/17 12:52  誰も報告してないんで書きますが、今でているSPA('94/2/23)の「若者 に蔓延する世紀末シンドローム」という記事の中で、FARIONが紹介して います。記事自体は全体にたいしたことないんだけど、少年マガジンのMMR と並べられて紹介されているのがおもろい。  それにしても、みれさんの写真(後ろ姿のみ)に写ってるのがOASYSっ てことは、いったいいつの写真なんだぁ?                         MGH00465 アキラ 00382/00382 CXK03125 月影 サルの歌 ( 3) 94/02/17 15:56 こんにちは>ALL  最近、橘いずみが好きだ。何となく熱い物が彼女の歌にはある。  心に響く歌を歌う歌い手は、現音楽界には全くもって枯渇している。  橘いずみは、そんな風潮が高まる今において、ちょっとした救いを  私に与えてくた。  私は、素直に彼女の詩にうたれた。理屈ではなく、  心に来たのだ。  私は今、売れまくっているアーチストは、ポップ、ロックにかかわらず、  みんな嫌いだ。今書店に溢れる本同様、救いがないと思う。  感情、心情、情感。  とにかくハートのうせた歌は、いかに音的に優れていようとも、ただの  気違いの呻きなのだ。  しかし、シリアス、バラードが、 かならずしもいいのかと言えばそんな事はない。  お涙ちょうだいは、ごめんだ。    上記の橘いずみの芸風は、作為的な物がないとは言えない。 しかし、心に響いた事は間違いない。デジタル的にではなくアナログ的に  理解した。 彼女は自分の内に、トラウマを抱えているらしい。それが何なのかは  わからない。でも私は、かざらない彼女が好きだ。 難波弘之氏ってアルバムだしているのかしら?誰か教えてー :月影 - FARION MES( 4):【宴会/オフ】プラン・レポート------------<02> 94/02/17 - 489/489 NBB01420 SUKE 奈良オフごめんなさいでした.. ( 4) 94/02/17 01:21 465へのコメント  12日当日、17時に私はまだ、熊野の山奥で、雪道と戦っておりました(-_-;)  うーん、みんなに会いたかったけど残念!!  大雪の日にどーしてそんな無謀なことしてたかというのは、  別の会議室に報告します。  TAOさん、ごめんなさいでしたぁ             SUKE - FARION MES( 6):・壁(1)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 94/02/17 - 02158/02163 NBB01420 SUKE 熊野談(序) ( 6) 94/02/17 01:22  この2月12日に玉置神社に詣でて来ました。  浅はかな事前準備のため、多くの方々に心配をかけました。  今回猛雪の中、無事帰ってこられたのも、私が思っていた以上に  多くの人達の心があったればこそ、と知りました。  そこで長文にはなりますが、私の熊野旅路についてここに報告しようと思います。 =================================  元々熊野の奥には、漠然と旅行してみたいと思っておりましたが、  私は玉置山が何たるかも特に知らない者でした。  TAOさんの熊野旅行記のコメントを読み、心の片隅でどこかひっかかっていた  思いがあったくらいでした。  今年に入ってから生活の中で何かと感じるものが多く、  ちょうど2月中旬には京都に車で行く用事がありましたので、  連休にして熊野に詣でようと宿を予約したのが一週間前。  この日、ずっとガイドブックやロードマップを繙いて過ごしたのですが、  ふと部屋の時計を見たときに333に出会したことを覚えています。  午後3:33もその夜の午前3:33にも両方見てしまいました(^^;)。  実は正月のRTで私のジョブ番号がちょうど333だったのをMOLYXさんに  指摘されて以来、この数字の符号には何度も出会しました。  実際の旅行までの一週間は、何か意識が朦朧とし、また体調も  確実に自分の意志から離れて、勝手に歩き出すような態でした。  こうした状況で、私自身非常に不安だったものです。 ============================================  それでも、とにかく行ってみようということでスタートした今回の旅行は、  実に私の最長運転記録(^_^;)だけでなく、  初チェーン走行(・_・)マジッ、  自己南限記録更新(^.^;)、  等々、結構大冒険な旅行となりました。  我が愛車は日産エクサ。  ご存じの方もいると思いますが、雪の山道には最も適さないだろうという  低車高リトラクタブルヘッドライトのFF車です。  これにノーマルタイヤとチェーンという装備で走っているということを  念頭に読んで頂ければ、楽しさ倍増?です。(^^;)                          (つづく) 02159/02163 NBB01420 SUKE 熊野談1・新宮市へ(77行) ( 6) 94/02/17 01:23  往路というのは玉置神社に直接は関係ないのですが、実は今回の旅行の成功は、  往路に出会った多くの人々のサポートのおかげでもありました。  それで、ここにその記録を残したいと思います。  SUKEが玉置神社で何をしてきたか読みたい人は、熊野談3にどうぞ(^^;) ==============================================  連休初日、東名高速道路渋滞40キロ(^^;)…  その半分を体験し乍のスタートでした。  奈良を基地に熊野に日帰りする計画でしたが、アキラさんの助言を頂き、  途中のSAで急遽一泊目を新宮市のビジネスホテルに切り替えました。  奈良のキャンセル料は80%(-_-;)でしたが、  実にこの直前変更は正解だったのです。  和歌山県の国道に降りてからは夕食の店も見つからず、  給油の際にスタンドで聞くと、コンビニさえ無いとのこと。  でもこのスタンドの人々は皆親切で、新宮市のホテルまで電話してくれました。  国道沿いの闇の中に、ぽつんと立つ本屋&ゲームセンターを発見、  その脇の客のいない喫茶店(^^;)で、何とか夕食にありつきました。  出かける直前まで、肉類を食べると気持ちが悪くなるという体質に  変化していたため、肉の入っていなさそうなエビピラフにしてもらいました。  一緒に出てきた豚汁は豚肉を避けたのですが、汁を一口味見して「こりゃだめだ」  とわかりました。入っている野菜は大丈夫かと、小さいのを一つつまみましたが、  これも止め。  おばさんも結構気にしてくれちゃったんですけれど、  結局豚汁はまるまる残させていただきました(-_-;)。  新宮市近くで、まだ開いている酒屋を発見。  玉置山に詳しいあもりさんに教わった日本酒と線香は、ここで入手出来たのですが、  塩はちょうど品切れ。店の奥さんに探してもらったけれど見つからず、他に翌日の  朝食のためのパンなど買い込みました。  実はこれより後開いている店は期待できず、翌朝早く塩を入手できるかどうか  はなはだ疑問でありました。  新宮市のホテルを見つけたのはもう21時近く。  礼儀正しい初老のフロントさんが親切に迎えてくれました。  疲れて辿り着いた旅人には暖かい限りですね。  (ちなみに後に泊まったホテルでは、いずれもここよりお高いのに、   ここよりもどこか非人間的なフロントでありました。)  夜は何度も目が覚めました。  よく眠れないのはこの一週間同じでしたが、この夜中は目が覚めて時計を見ると  3:33!...「え?」と思って見直すと3:53でした。  デジタルの表示では似てるんですよね。  12日、東京は大雪だったそうですが、新宮市は夜明け方大雪で、目覚めた頃には  小雨になっていました。しかし薄暗い天気に、ふと山道の不安を覚えたものです。  ここでふと「やっぱり中止かなぁ」という気がしました。  ところがホテルの玄関を出たところで、急に空が明るくなり、まるでぽっかりと  そこだけ青空が覗いていたのです。  空はすぐに暗くなりましたが、この時見えた真っ青な空に勇気づけられ、  車をスタートさせたのでした。  ホテルのフロントさんで教わった町の塩屋を見つけましたが、  本当に目立たない小さな店でした。  まだ9時前だというのに、なんとおばあちゃんが一人でやってました。  お参りに使うのだというと、それじゃ一番小さいので充分だねと、1キロの袋(^^;)  を出してくれました。ここでようやく塩も手には入ったわけです。  このおばあちゃんには「めはりずし」の店を教わり、天気のこともあって  「気をつけていってらっしゃい」と送られました。  しかし肝心の「めはりずし」総本家は定休日でもないのに鍵が閉まっていまして、  仕方がないので町のコンビニで総菜系のおにぎりを買い込んでお弁当にしました。  しかしこの「めはりずしを弁当にする」という思いは後に叶えられることになりま  す。  こうして新宮市を後にし、一路国道を玉置山に向けて走り出しました。  ここまで振り返ってみても、どうやら私は十分にサポートされていたようです。  しかし本当に大変なのは山に入ってからでした。                               (つづく) ※今回出てきた方々:スタンドの皆さん、喫茶店のおばさん、酒屋の奥さん、         ホテルのフロントさん、塩屋のおばあちゃん でした。ありがとう! 02160/02163 NBB01420 SUKE 熊野談2・往路(126行) ( 6) 94/02/17 01:25 ===========瀞の郷==================  小雨の中、カーブの連続を走り続け、突然小さな橋に出てしまいました。  マップと符合しないので、とりあえず忽然と現れた喫茶店で道を尋ねることに  しました。  現地をご存じの方は、ここが「瀞の郷」であることがおわかり頂けると思います。  「瀞の郷」で車を降りてみると、音がないのですね!  動物の鳴き声さえなく、森のざわめきもなく、川の水の音もなく、  キーンと耳鳴りがしてくるようでした。  店のおばさんとおばあちゃんが代わる代わる道を教えてくれました。  天候のこともあって、玉置山に詳しいあもりさんに連絡を取ろうと思ったのですが、  つながりませんでした。私は知らなかったのですが、東京は交通麻痺状態だったの  ですね。  しかし連絡がとれないというのも、これは「独りでやれ」ということであろうと  解して諦めました。  おばさんがそっと電話脇にお茶を置いてくれました...  弁当にと思っていた「めはりずし」は、ここ「瀞の郷」で思いがけなく手に入れる  ことが出来ました。  雨は不安だけどラッキーもあるじゃん!と思うことにしました。 ===========玉置口へ==================  「瀞の郷」を後にして教わった道を登ると、程なく「玉置口」という分岐点に達し  ました。  そこには軽ワゴン車が2台停まっており、運転手同士が立ち話ならぬ乗り話をして  おりました。  ここからチェーンを装着した方が良いかと訪ねると   「そんなもん、滑り初めてからつけりゃいいのよ」  と笑われてしまいました。滑ったら困るんじゃないのかな、と納得が行かなかった  のですが、そこは笑ってスタートしました。まぁまだまだ大丈夫という意味だろう  と解釈して...(^^;)  登り始めて「亀岩」を見つけました。ここの湧き水でお清めをすると教わっていた  ので、車を停め、手を洗い口を濯ぎました。  亀岩に向けて二礼二拍一礼をしたのですが、このとき   「やり方がちょっと違うんじゃない?」  という思いが浮かびました。うーむ、予行演習になってしまった(^^;)  おかげで山頂ではちゃんと出来ました(と思う(^^;)…)。 =================雪の山道===================  それからすぐにチェーンが必要になり、せっかく清めたのにと気にしながら、  新品の軍手を出して装着しました。  雪道に残る轍は結構なだらかに埋まっています。ということは車が通ったのは大分  前でしょう。  更に「落石注意」だけのことはあり、白い雪の上に真新しい真っ黒の岩石が散ら  ばっています。  小雨はいつしか吹雪に変わりました。  後輪は全くグリップを無くして、車重を支えるだけです。前輪駆動の車ですが、  チェーンを巻いてさえ殆ど空回りで、人が歩くような具合です。  恐らく一度停車したらもう動けないでしょう。もちろんUターンなど出来る道では  ありません。ましてバックで戻るなど不可能です。  このまま身動きとれなくなれば、ガソリンは一晩持たないでしょうから、凍えてし  まいます。  吹雪の中、何度も諦めようかという考えが過ぎりましたが、前に進むしか無かった  のです。  そうして進む内に、前方に真新しい轍が見え始めました。なんとガードレールの方に  向かって途切れているではありませんか。  「ありゃ!!」と驚きましたが、近づいて見ると方向転換した跡だったのですね。  いずれにせよ、前方からここまで車がこれたのだということと、その車さえも断念  した道を自分は走ってこれたのだと言う事実に勇気づけられました。  このとき見た轍の車は、山頂近くの大本辻(だったかな)という分岐点に停まって  いました。4WDのバンでしたが、乗員は見あたりません。  そこには半ば雪に埋もれたダンプカーも2台停まっていました。  恐らく玉置神社の駐車場に至るには、そこから奥の道に入るのでしょうが、  ダンプカーも4WDも諦めたようです。  仕方なく風の中に出て辺りを調べたところ、山肌を登るハイキングコースのような  ところに「玉置神社1.2km」とありました。  雪の表には、まだ靴底の形の残る足跡が付いています。  「これを登るしかない」と思われました。  もう昼時でしたが食事は後にして、とりあえず、用意の酒・塩・線香等を持ち、  運動靴にはきかえて、ジャンパーのフードを引被り、黙々と登り始めました。 ===============徒歩で登る=======================  吹雪はいっそう強く、手も顔もひりひりします。  雪の上の足跡は大小二組と見えます。これは男女でしょうか。  斜面の中、幅1メートルにも満たないような小道を続いています。  結構険しく細く足場ギリギリでしたので、雪に惑わされて踏み外そうものなら、  転落ということもあります。  足跡を正確に辿って進むには時間が要りました。  途中で無線機を車に置いてきたことに気が付きました。食料も持っていません。  自分の命一つが頼りになっている状況に、このとき初めて気が付きました。  何度か人の声を聞いたような気がして、風の中に耳を澄ませてみましたが、  空耳だったようです。  「この足跡をつけた人がいるはずだ」と思って登って行く内に、  「もしかするとこの二人は心中しにきたのではなかろうか」  「この先で首つり死体に出会したらどうしようか」  などという迷いが過ぎりました。(^^;) =================境内に======================  気が付くと、吹雪が止んでいました。  フードを取ると、風は止まりただ薄暗い静けさが満ちています。  やがて左手の斜面に痛んだ看板があり、「境内禁煙」とありました。  この山肌は、既に境内なのですね。いつの間にか私は境内に入っていたのでした。  そしてなお、細い斜面を進む内に、前方から来る人々に出会いました。  奈良から来たというおじさん、おばさん、おばあちゃんと...それから青年。  彼は外国人のようでした。4WD車の主は彼らだったわけで、  足跡も実は4人分だったのでした。  私が一人で登ってきたことに驚かれましたが、更に私の車の事を知ると  「うーん、まぁ大丈夫じゃない?」  と、全然大丈夫じゃない顔(^^;)で苦笑いしていました。  「玉置神社は...」と聞くと「もうそこだよ」と言うので目を上げると、  林の向こうに赤い幟が並んでいるのが見えています。  ここまで来ることが出来たのは、彼らの足跡があったればこそでした。  この4人に聞いたところでは、単独徒歩で登ってきたイギリス人がいて、  下山も一人歩いて行ったということでした。  そのイギリス人には遂に会えませんでしたが。  ようやくたどり着いた玉置神社は、静かにたたずむ古いお社でした。                                (つづく)  ※今回出てきた人:瀞の郷のおばさん・おばあちゃん 軽ワゴン車のおじさん達                 4WDの4人の人達 ありがとうございました! ィ 02161/02163 NBB01420 SUKE 熊野談3・山頂にて(50行) ( 6) 94/02/17 01:26  玉置神社の鳥居の前で、しばし呆然と立っていました。  「来れた」という思いよりも先に、「ここが玉置神社だ」という気がしました。  心引き締めて鳥居をくぐり、境内を見回します。古いけれど立派な神社でした。  一応(?) お社の前で参拝してから、「玉石」を示す立て札に従って奥へ進みました。  社務所の庭にある池に氷が張っていました。過冷却によるものでしょうか、  ミルククラウンの形そのままに凍り付いています。  社務所に電話があったので、再びあもりさんに到達を連絡してみようかと  思いましたが、ここに至って私は電話番号のメモを車に忘れて来ていたのでした。  やはり最後まで自分でやりなさいと言うことでしょうか。  「いわれ杉」という立派な杉の木にしばし見とれていましたが、そのまま私は、  山頂駐車場に至るものと思われる参道を登ってしまい、雪の中に散々迷った挙げ句  元の境内に戻りました。そこでちょうど出てきていた社務所のおばさんに訪ね、  ようやく道筋を知ったのです。  途中のお地蔵様の所で線香をあげます。が、マッチの火がどうしても移らなかった  ので、火をつけずにそのまま雪に立てました。  玉石に続く小道は、幾つもの小さい鳥居をくぐります。  足跡は無く、どうやら訪れた誰も、ここには来なかったようです。  雪の中に踵まで埋まりながら、もう息切れ状態でした。  玉石は柵に囲まれていて、なんと雪に埋もれて見えませんでした(^^;)  それでも用意してきた酒と塩を供え、二礼二拍一礼して心に思いを映しました。  願いでもなければ瞑想でもありません。  それは私が心に描いたものなのか、それともそこで頂いたビジョンなのか、  それさえも定かではありません。  ともかく、ここまで「来ました」ということだけをやっとのことで思いました。  塩は蒔き、酒は蓋をして持ちました。置いて行けばゴミになるばかりでしょう。  ふと帰りの交通安全をお願いしようかなと思いましたが、止めました。来る時と  同様、それは自分一人でやらなければならないことなのだと思ったからです。  酒も塩も線香も、社務所のおばさんにもらってもらいました。  玉置神社を後にして、再びあの斜面の小道を戻り始めましたが、  もう踏みならされて黒く濁った道筋で、随分と楽でした。  日が出始めたのか、少し明るく、鳥の声も聞こえました。  途中で、一人上がってきた男性とすれ違いました。彼は驚くほど薄着で、  笑顔で挨拶をくれました。おかげでようやく私の顔にも笑顔が戻りました。  不思議と先ほどの息切れも収まり、心が軽くなったような気がしました。  車が見えるところまで降りてくると、突然突風が吹き始め猛然と吹雪き始めました。  振り返ることが出来る足場では無かったのですが、背後で玉置山は、再び風の中に  没してゆくように感じられました。  こうしてようやく車に戻ることが出来たのです。車の時計は2:22でしたが(^^;)  ※今回出てきた人:社務所のおばさん 薄着のおじさん ありがとうございました! 02162/02163 NBB01420 SUKE 熊野談(付記) ( 6) 94/02/17 01:26  というわけで、参拝を終えて車に戻ると、急に食欲が湧いてきて、めはりずしを  平らげてしまいました(^^;)。  一路奈良に向けて再び我が愛車は雪道を走ったのですが、車高の低いエクサは腹の  底を雪にこすりっぱなしで、後輪は殆どあってなきがごとしでした。前輪は雪を  かいて回るばかり、まぁまるで腹這いで雪の中を泳いでいるような状態でした。  奈良オフはその日の17時に奈良駅前集合だったのですが(^^;)、その時間には  まだ雪の山の中で車を「泳がせて」いました(^^;)。  東京が25年ぶりの大雪であったということを知ったのは、その夜遅く奈良の宿に  着いてからでした。 =================================================  今回の参拝は、自分でも相当大変な旅だったと思います。  私も車も、持てる能力・装備を出し惜しみなく全て使わなければなりませんでした。  自分一人でやらなければだめだ、という気持ちで頑張ったつもりでしたが、  その実これだけ多くの人々に支えられ、なおかつ、FARIONで心配して下さった多くの  人々の心が、私のバックアップになっていたのだと思います。  してみれば今回、玉置神社には皆で詣でたものとも言えるかもしれません。  そして無謀とも無茶とも言われるかもしれませんが、結果として最後まで諦めずに  行って来たという事そのものが、これから私たちが正に実行してゆかなければ  ならない変化の時代の心の構えなのではないか、と感じました。  ご心配かけた皆様、見守って下さった方々、どうもありがとうございました!  そして終始きっと側に在ってくれたであろうARIONにも、ありがとう!                              (^^)…☆ Suke. 02163/02163 CXK03125 月影 カミコメツチヒト ( 6) 94/02/17 14:16 >みれさんとARION 今日、本屋に「カミ コメ ツチ ヒト 」が、入りました。  これから取りに行ってきます。(^_^)  以前、図書館で借りて読んだ時は、それほど熱心に読まなかったんですよ(^^;)  ですから、今日一日じっくりと、読みなおしてみます。  自分で言うのもなんですが、今ちょっと心境に少し変化が起こっているので  以前読んだ時に見えなかった物が、見えてくるかもしれません。  読後感など、時が許せばUPしてみようか、などと考えたりもします。  では、行ってきます。                                                       月影 - FARION MES( 7):★アリオン世紀末書込み寺------------<02> 94/02/17 - 01962/01969 PAF02400 湖の鷹 先日、祖母が亡くなりました。 ( 7) 94/02/16 22:24 90と余年も生きてきての臨終だった訳ですが、葬式の段になって祖母の両親 が分からなかいとか、結婚日が分からなかったとか、もしかすると私には親戚 が沢山いるんじゃなかろうか(←私の父母とも上京してからの結婚だったため 私自身はほとんど親戚付き合いをしてない)とか、(死去した)祖父の名前を初 めて知ったとか、祖母の過去の話を初めて聞いたとか、まぁ、いろいろな新事 実がたっくさん出てまいりました。 で、祖母の縁者(の一部)の方がなんとか都合をつけられて遠路はるばるやっ て来られたのですが、やはり血を引いてる方は性格の方も存分に引き継いでお られましたね。私の中にも引き継いでると思われる部分を見つけてしまいまし た。もっとも、弟の方が口うるさくってケチくさいという外見的な祖母の性格 を継いでるみたいですけどね。私の方は父母の両方、そしてそれより過去にあっ たであろう反社会的(かつ性悪!?)な性格を主に引き継いだんじゃなかろうか と想う次第だったりしますが(^^;)。 ということで、血の絆、なんていうものを考えてみたりしたのだけども、人間 の性格なんてのは遺伝によって決まる、というのがかなり真実に近そうですね。 さて、ここで問題。輪廻転生が事実であり、その時に性格が変わったりしない、 とするのなら、生まれ変わっても血液型は同じということなのだろうか?。 もひとつ問題、人は死んだ後に霊としての存在になると聞くのだが、霊体にな ると当然のことながら物質的な血を持たないのだから性格も考え方もコロッと 変わってしまうものなのだろうか?。     湖の鷹 ps. また後悔にさい悩まれることが増えてしまったな。枕元に出て来ても驚か   ないように心構えだけは用意しておくけど、望むならば俗世のプライバシー   いうものにも気を使ってくれることを願います。おばあちゃんへ。まぁ、   こっちでネタにして欲しくない思うようなことは肴にしないでね(^^;)。 01963/01969 CXK03125 月影 内的自信とは? ( 7) 94/02/16 23:28 01961へのコメント はじめまして、メルクさん。 RESどうもでした(^_^)   >内的自信ていうのは、 >なんでも成功させるぞ的なガシガシ押しまくる自信とは、 >ちょっと違うものだという気がしています。 そうですね(^_^)私もそう思います。どちらかといえば、成功させるぞ!! 的自信って言うのは、外的評価に翻弄されているが故の産物。そんな気がします。  「何を持ってして成功と呼ぶのか?」「なんのための成功なのか?」 この内に対する呼びかけ、問いかけ、動機の洗い直し、と、言った物がスッポリ ぬけおちているが、上記の自信なんじゃないか。そう思いますねぇ(^_^)   >月影さんにとっての内的自信は、違ったものであるかもしれないですね。 いえいえ。感覚的に同じだと思います。(^_^) 「穏やかで透き通ったもの。」 おそらく、ここでメルクさんは、内的自信の言葉が持つイメージから この表現を使ったのではないかと思いますが、実際、私の知る人で 内的自信に恵まれていると、おぼしき人物には、驚く事に上記のような 穏やかで透き通った印象を持つ、あるいは与える人が多いんですよね。 あの透明感ってなんなんだろう? かと言って弱々しいのかって言ったらそんな事もなくて、 他人がどう自分の事を思っているのか知っているんだけど、そこに判断を置かない って言うか、これだけはゆずらないって言う何かを持っていて、そこに自分の根 を張っているみたいな。それでいて凄く謙虚だったりする。 私、思うに。力が強い、話術や人付き合いが巧み、何て言うのと内的自信は あまり関係ないんじゃないか、そう思います。 そおいった外的甲冑の強固な人に限って、自己の判断を越えた現象にぶちあたると 簡単に崩れるのではないか、幽霊をみた物質主義者のように、一目散で逃げ去る なんて事になるんじゃないか、最近はそんなふうに考えてます。(^_^) あ、でこれは、メルクさんに是非お聞きしたいことですが(^^;) 仏のように恒常的にニコニコしていて、人が死のうがなんだろうが絶対に ぐらつかない人って、果して内的自信の力を体現している人なんでしょうか? 私は疑問ですねぇ(^^;) どんなもんでしょ。 月影 01965/01969 GDB00064 オリハル RE:日替りメッセージ ( 7) 94/02/17 01:06 01919へのコメント コメント数:1 1/31と同じ月曜日に。        オリハル 01967/01969 GDB00064 オリハル RE:日替りメッセージ ( 7) 94/02/17 01:54 01965へのコメント 29日の翌日の1/30と同じ日曜日の間違い。                オリハル 01966/01969 NBB01420 SUKE RE:SUKEよりARIONへ(目先の苦しさ) ( 7) 94/02/17 01:28 01949へのコメント  #01949 ARIONへ お返事ありがとう!  もちろん、ARIONの意図は私の胸を刺すことではないと理解し信頼しています。  ARIONが指摘してくれることは、多分無意識に避けてきた認めたくない内面を、  正確に示してくれているので、刺さるような感じを受けるのだと思います。  でもそれが自分の試練となり、ARIONが伝えようとしている事を理解しようと  することで、自分を見つめてゆくチャンスになっているのだと思っています。  前回のアップの後、生活の至る所で、様々な示唆を受けました。  そうして今になってコメントを読むことで、素直に受け入れることが出来、  また理解できるのだろうと思います。 ======自分を縛ってきたイメージ===============  「優越していた筈の自分自身へのコンプレックス」という表現にしてみると、  いっそうはっきり解ってきました。正にその通りです。  多分私は、今の職場に都合良い「得手」を多く持っています。  それがいつの間にか、優越感になっていたのだと思います。  しかし能力というのは優劣ではなく、得手・不得手でしかない筈でしたね。  人間として見れば自分は何も偉いわけではない、ということを、  理屈では解っていても、ついつい優越感に甘んじていたのではないか、  と思えます。  >>あなたは優れていなければならないと常々思ってはいない、と反論するかも  >>知れないが、.....(以下略)  潜在的に大いにそう思っているのだと認めます。  そのことはつい最近になって感じることが出来るようになりました。  職場に限ったことではなく、恐らく生活の全てにおいて、「優れていなければ  ならない」というイメージを抱いて生きてきたのだと思います。  明確にそう意識していなくても、潜在的には自分をずっとそう縛ってきているので  しょう。  これは私にとって重大な問題です。 ===========優れていることの容認=================  優れていること自体によって他を寄せ付けない印象が出来てしまうことには、  気が付きませんでした。印象を持たれやすい、というのは受け取る側の問題だと  思ってきたからです。でもそれは人間心理として当然の流れなのですね?  むしろ私は、正に「拘泥」しているのかもしれません。  自分の得手にこだわる気持ちがあるというところで、  既に自分の言動に「優越」のバイアスがかかってしまうのでしょう。  確かに、そんな高飛車な雰囲気の人間に寄りつこうとは誰も思いませんものね。  誉められることをした時には、多少戸惑いながらも、その評価を自分だけのものと  して遠慮無く受け取ってきていました。しかし、そうしてしまってきたことに、  自分の間違いがあったのだと思います。  そういう時の「戸惑い」の意味が、これではっきりしてきました。  周囲の人々みなに還元されるからこそ、遠慮無く評価を喜べるのですね。  明日から実践するにあたり、とりあえず   @自分の得手について、優れていなければならないと                      自分にイメージしていないか?   A自分の評価を自分だけのものとして受け取っていないか?  ということに注意してゆきたいと思います。  間違った方向であれば、指摘下さい。 ===========自分を観ることについて================  #01922 〜 #01924は、別にもう一つ気が付いたこととしてアップしたものです。  確かにこうしてみると、欠点というより短所と表現する方が正確だったと思います。  長所も短所も見方によって変わることは理解できますが、  相手次第でありながら自己申告によってどうにでも変わるものでしょうか?  #01923で書いた「自分に課している制約」というのは、  上記の「優れているべき自分」というイメージを持っていることかもしれません。  それが「私なんだな」と見つけた段階でしょうか?  私はこの短所をプラスに転じたいと思いました。  しかし善悪上下の評価をせずに置いておくのでしょうか?  直したいと思うのは、行き過ぎなのでしょうか?  とりあえず、上記のようなことに注意して明日からやってみようと思いますが、  どんな時にどんな自分が現れているのかを認識すると言う段階で、  まだまだ直す直さないの段階ではないのかなと思います。                                  Suke. 01968/01969 GFB00026 一輝 RE:芸術における感動について色々 ( 7) 94/02/17 14:36 01943へのコメント >ガッチャさんへ とろいRESは、お互いさまですね。気長にこれからもよろしくお願いします。                   ◆ 学生時代に涙が思わずこぼれた曲というのは、マイク・オールドフィールドの「オ マドーン」というアルバムでした。当時プログレでは、アルバム一枚一曲という形 式が全然珍しくなくて、この曲もそんな大作のひとつでした。最初に聴いたロック が彼の作品だったので、中学の頃は他の友人とロック観が違っていて当惑しました。 彼の曲は、欧州民謡、アフリカ音楽、南米音楽、教会音楽、R&Bなど、様々な音 楽要素が交錯し、あたかも宇宙船から地球の音楽をフッと一瞬聴くような印象で、 だからと言って退屈なシンセサイザー音楽でもなく、奇妙な表現ですが「地球的郷 愁感」に満ちていました。もちろん当時は音楽知識など全然無いのでそんなことを 考える余裕も無く、あくまでも今聴きなおしてみた感想ですが。現況のニューエイ ジミュージックやハウスミュージックの原流をなす作品とも言えるでしょうね。 マイク・オールドフィールドの曲を最初に聴いたのは、映画「エクソシスト」のテ ーマ曲に処女作「チューブラーベルズ」が使われた時です。ロンドンで通販でしか 売られていなかったこの秘作が、世界的な大ヒットとなり、今や航空会社も経営す る大会社・ヴァージンレコード設立の契機となりました。私が感動したアルバム「 オマドーン」は、彼が10代の時に発表した三作目です。(5年位まえにジョン・ア ンダーソンと組んだデュエット・シングルを一枚出しています)                   ◆ プログレ(プログレッシブ・ロック)では、魂を揺さぶる何かが、あらゆる音楽ジ ャンルの既成概念を超えたところで表現されていたように思います。 やがて自己陶酔を誘う音楽テクニックが評価され、フユージョンぽい音楽になって きたあたりで、魂を揺さぶる何かが抜け、様式美(プログレとはこういうもんだ云 々)だけが残り、やがて名付けようもない感動から名付けられた疑似感動へ移行し ていったように思えてなりません。 音楽の実験室(キング・クリムゾンなどは、自らを「生命を持った音楽の血統の統 合、または再結合の為の実験室」と呼んでいました)だったものが「音楽の実験室 」という名札を付けた部屋に閉じ込められてゆくのを、私は失望とともに感じてい ました。 ジャンルを超えたはずの音楽が、それさえもひとつの音楽ジャンルとして商業的に 囲い込まれる悲劇でした。リスナーの過剰なアンコールによって、過去の熱狂ばか りをなぞり始め、未知なる生命力を既知の箱に押し込めたのでしょうね。 その頃からだんだん私は、プログレ様式であるものに関心を失い「魂を揺さぶる音 楽ならジャンルは何でも路線」に転向しました。体裁良く言えば、リスナーとして プログレ魂を未だに追いかけている、のかもしれません。                   ◆ 私が学生時代(中学〜高校)に好きだった音楽はブリティッシュロックやジャーマ ンロックをはじめとするユーロピアンロックでした。特にキングクリムゾンやイエ ス、ピンクフロイド、マイク・オールドフィールドは、今でも好きで聴いています。 音楽論議も好きだった高校当時は、イエスを「現実社会から向こうの世界に向けて 建設的に語ろうと試みる音楽」、キングクリムゾンを「向こうの世界から現実社会 を批評的に語ろうと試みる音楽」などと、友人間で背伸びしては論じていました。 どのバンドのメンバーも、10代後半にデビューし20代半ばには空前のヒットや名作 を創造した人々です。最近彼らの回顧録などが出版されいて、そこには当時の奇跡 的な出来事の頻発についてが書かれています。彼ら自身がプログレ全盛時代を不思 議がっているのがとても興味深いですね。彼らのやがて音楽の奇跡が起きなくなっ ていったことへの苦悩を、私は今になって知ったのです。 リスナーである私だけでなく、彼ら自身が「時代の音楽」に呼ばれていたのです。 音楽を主体として語れば、彼らの心身を通して「音楽」は、初めて「生命」と成っ たのです。当時、彼らは「エレキなシャーマン」でした。                   ◆ もともとコンプレックスの強い私は、彼らの音楽を聴いて「年齢的にも彼らと近い わけだし、あんなふうに人々を感動させることが自分には出来ないものか。このま ま何もしないで社会に出て終わるのは嫌だ」と大袈裟にも真剣に考えていました。 70年代当時の友人の間では、そういった「何か創造しようよ」という風潮が強かっ たように記憶しています。音楽や戯曲、小説、詩作に励む者、8ミリ映画に取り組 む者など、創造する行為や表現する行為が当たり前の友人関係。それほどまで生き 方へ影響を与えていたのがロック、中でも一番影響力を持っていたのがプログレで した。 昨年春に当時の仲間が久々に会合したところ、「プログレを聴いたり、そんな大そ れたことを考えていたのは自分だけだったって、進学してから気付いたよ」という セリフが誰かの口から出ました。これは”現実”に敗北した”夢”の言い訳ではな かったのかと今にして思います。敗北を認めたくないが為に”自分だけだった”と 自分を慰めているにすぎないのではないかと…。あの時、みな黙ってうなずいてい ました。大人の狡さを嫌っていたはずの私たち自身が、知らず知らず狡さを身に付 けていたのです。 プログレ音楽の心地良さは、逃避癖のある私にとって新たな現実世界からの逃げ場 所にもなりました。学校や家庭での嫌なことから逃げては、ヘッドホンの中の世界 で閉じ籠もっていたのです。音楽を聴く行為そのものが、今でも現実逃避になって いるところがあります。私は、自分の抱える問題から目を遠ざけようとすればする 程、対象に夢中になることで、問題そのものから無自覚に目隠しをするところがあ るのです。 しかし、音楽であれ何であれ、魂を揺さぶられた記憶というのは普段は忘れていて も、深層の記憶として忘れられるものではありません。魂を揺さぶること、揺さぶ られること。私も「魂の震え」をちょうど忘れていたところです。 そういえば、以前お会いしたときのガッチャさんの髪形ってプログレ系でしたね。                                     一輝 01969/01969 JBH00742 スサノオ 特に意味は無い? ( 7) 94/02/17 17:20 ◇ ○ ○ \ /  ◇ ◆ ◇ / \ ○ ○ ◇  スサノオ - FARION MES( 8):★シゲの【恋愛玉手箱】爆走編--------<01> 94/02/17 - 00216/00217 PXH01650 英雄 おっとっと ( 8) 94/02/16 23:11 >男の方が好きなら言い切れるかも どひえ―、これは危ない!(^^;) ううむ、でもニュ―ハ―フと結婚した人もいるし、ニュ―ハ―フの 方が”古風な女性でいい”という意見もあるし.... 恋人が、実はニュ―ハ―フだったらどうします?(^^;) >YAHATAさん、ALL けっこうニュ―ハ―フが好き!?:英雄: 00217/00217 PXH01650 英雄 RE:こんな私をどう思いますか? ( 8) 94/02/16 23:13 00213へのコメント ぱうわ―さん、おひさしぶりです。 "えきすぽ"は、残念ながら行けない!(出張するヒマと金がない) さて、 >「恋人と遊ぶより、よっぽど仕事や趣味のほうが楽しい」 ふうむ、それは、恋人に魅力がないか、自分のやりたい事が見つかった という事かもしれない。 別に、「冷酷」って事でもないですよ。誰でも、一時期そういう時って あるし、特に男なんか、30代40代は仕事にのめり込むし。 あなたも成長しているのだし、恋人とそのテンポが合わなくなる事はよ くあります。結婚してから、その差が極端になると、離婚て事態にもな りますね。 ところで.... 完ぺきな利己主義者でない限り、「人と付き合う資格が無い」という事 はありません。人は、人と付き合ってこそ生きる事ができる。「資格が ない」と感じる時こそ、人と付き合って行かなければならない、と思う んです。 極端な事言ってしまえば、現在の人類の大半は「生きる資格がない」っ て言えます。でも、人間は生きているのではなく、「生かされている」 のだから、「資格があるない」は考えなくてもいいでしょう。ほんとに 資格がなければ、今ごろ呼吸していませんよ。 この世に生きている人は、一人残らず、役目があります。必要があって、 「生かされて」います。本人が自覚するしないに関わらず、生命エネル ギ―は定められた期間、無償で与えられているのです。自分を否定する 必要はどこにもありません。 6億分の1の確率で生まれてきたのですから、みんな尊いのです。得難 いものなのです。どうか、ご自分を大切に.... >ぱうわ―さん、さはしさん、ALL 人間とは素晴らしいもの:英雄: - FARION MES(12):★SUBUDHの《アジア・チャンプル》----<01> 94/02/17 - 00164/00164 JBH00712 桂 桂 RE:再び鳥居考 (12) 94/02/17 00:43 00162へのコメント  #00162 一輝 さん  先日奈良へ訪れたおり、三輪山に登ってまいりました。  帰り際、その横の神社を過ぎて来ましたのですが、そこの鳥居は二本 の支柱に荒縄をかけただけのいわば原始的な作りでありました。  SUBUDHさんの説明によれば、これが鳥居の尤も原始的な形ではないか と言う事でした。なるほど、直接的に考えて見ただけでもそれから装飾 的に発展して来て現在の形になったとも言える事でしょう。また三輪山 の三つ鳥居もなかなか興味深い作りでありました。  そこにかけられていた荒縄は、いわば注連縄と同意儀に考えてもいい のではないか、とも思っています。注連縄は聖と俗を分ける結界、そし て怒れる神を押し留める封印の二重の意味が在ると聞きます。  しかしこの注連縄、最近の神社で使われる大きなものは、何と殆ど が東南アジアで作られるそうです(!!)。  国の神を、その国民が心血を注いで奉らなければならないものを輸入に 頼らなくてはならないなんて、一体この国の人達はどうしてしまったの だろうと思えてなりません。農家の後継者不足のため、藁ですら入手困難 になってしまったのでしょうか。神社がこうした文化的側面の伝承をな おざりにしたまま神を奉る態度には非常な遺憾の念に絶えません。 桂 桂(JBH00712) - FARION MES(13):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<03> 94/02/17 - 01073/01078 JCF00616 YUI RE:衝突する★達 (13) 94/02/16 18:54 01059へのコメント  どうも、出前ごくろうさまです。  つい先日は、SEND通信でお世話になりました(^^)  もう、テスト前だというのに風邪引いて、せっかくのテスト休みを  みすみす無駄にしてしまい、本当におバカさんなYUI です(^^;; >「トーチタス」は2000年9月に地球に衝突するかもしれない(^^;)と >フランスの天文学者が発表した小惑星です。  どうやら「トーチタス」ではなくて、「トータチス」らしいですね(^^;;  フランスの天文学者の方が発表したそうですが、  たしか日本でもスパコンを使ってはじき出したと聞きます。  結果は忘れましたが(^^;この小惑星、衝突時に莫大なエネルギーを出すのだそうで。  世紀末を実感させる現象となりそうですね。 >「シューメーカー・レヴィ第9彗星」  KAZEさんからの紹介もありましたが、  木星に与える影響が少ないのなら、ましてや地球に与える影響は  それほどないとみてよいのでしょうか?  でも、 >10万年から1000万年に一度ともいわれているようで、(#01062/KAZEさん)  ともあり、太陽の黒点などの与える影響などもかなりあるようですし、  たかが彗星一つ、という事件ではないのでしょうね。 YUI 01074/01078 PXH01650 英雄 おめでとうございます! (13) 94/02/16 23:17 コメント数:1 KAZEさん、何はともあれ、お誕生日おめでとうございます!!(^_^) 誕生日というのは、本当は、自分を産んでくれた両親に感謝する日、 という事を知人から聞きました。 男は30代から!:英雄:(^^)/ 01076/01078 GGA02514 KAZE RE:おめでとうございます! (13) 94/02/17 01:51 01074へのコメント 英雄さん、どうも。 >誕生日というのは、本当は、自分を産んでくれた両親に感謝する日 ううむ、なかなか感謝することが少ないだけに耳が痛い^^;。 ずっと以前両親が離婚してからは、父親にほとんど会ってなかったりするし^^;。 でも、ほとんど自分でがんばってきたことは別として、 ちゃんと感謝の気持ちはもつことを忘れないようにしなくちゃと思ってます。 ま、両親への感謝は感謝として、人間はまずはひとりだちすることが先決。 ひとりだちすることが、最大の感謝だったりするかも。 >男は30代から! そ、結局、そういうこと(^^)。 でも、僕もまだまだしっかりしないといけないから、 はやくもっとがんばらなくちゃあ、の毎日です。 道ははるかに遠い^^;。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 01075/01078 GGD03030 《 隆 》 好きこそものの上手なり (13) 94/02/16 23:23 01065へのコメント コメント数:1  KAZEさん、こんにちは。    お誕生日おめでとうございます(*^^*)。昨年から十年ほどは財運が上向きですし、  今年はいろんな方からの引き立てで、福分多い年になるでしょう・・・などという  運勢鑑定はともかく(^^;)、36才もお元気で!。    >占いなどに関わることが増えると、そのことで「気」が消耗することがあります。  僕はちょっと実感できないですけど、そういう事もあるのかもしれません。僕は占  いを単なる当てものではなくて、セラピー(人生相談みたいな意味です)の一種と  とらえていますが、そう考えると「気」が消耗するのは有り得る事でしょうね。聞  くところによりますと、鍼灸師の方の中にも治療によって「気」が虚してしまうと  感じる方がおられるそうで、ひょっとするとお医者さん(真面目なという限定がつ  きますが(^^;))なんかもそうなのかも・・・。    >僕などは「行きたくない」即「行かない」というわがままで、  >家をでたまま幼稚園に行かずに放浪していましたから^^;、  彼女は行きも帰りも送り迎えがありますし、幼稚園まで5分とかからないので、逃  亡は不可能です(^^;)。最近は「もうどうでもいいや」という心境らしく(これは親  譲りですかね(^^;))、淡々としてます。おもしろいなぁと思うのは僕が「こいつや  な奴だなぁ」と思う先生は子供たちにも人気がないのですね。子供はちゃんと見て  るんです(^^)。  実はこの「やな先生」(主任なんだそうな)が自分のお手柄を見せびらかしたいが  為に(そういうふうにしか見えない)子供を叱りながら劇の練習をさせるのですが、  これがとっても嫌みたいです。勿論、彼女特有の「大勢の前で改まった事をするの  が恥ずかしい」というのが主たる原因ではあるのですが、そういう感覚を無視され  て強要される事でプレッシャーがどんどん重くなるようですね。    しかし、子供に嫌われる幼稚園の先生って、なんかプロ意識に欠けるなぁと思いま  せん?。小学校の高学年や中学生ならいざしらず、幼稚園の園児が先生を嫌いにな  るというのは問題です。子供をなめてかかっているのか、バカなのかはわかりませ  んが、こういう人に税金が払われている(それも主任だから多額の報酬)と思うと  なんだかムカムカしてきます。    >でもやっぱり、学校の類は融通がきかないから嫌いだあ^^;。  学校だけでなく、お役所関係はすべからく融通がきかなくて嫌ですね。学校の先生  と同様、まともなお役人も少しはおられるようですが、おおかたは頭に来る方ばか  りです。今日も税務署から来たハガキの問い合わせの電話をしたのですが、全く何  を考えてしゃべっているのやら・・・。「一応」とか「まあ」とかいい加減な対応  ばかりで、こっちが頭にきて口調が厳しくなると「係りの者がいないのでわかりま  せん」と言う。「だったらお前が電話口に出てくるな!!、ボケッ!!」と思わず  叫びそうになってしまいました(^^;)。行政を役人が司るのは結構ですが、実務は民  間に委託できないもんなんでしょうかねぇ。実際の業務はサービス業がほとんどな  のに、きゃつらには自覚というものが全然ない。この前の税金の話じゃないですけ  ど、私企業はぎりぎりまでリストラしてるのに、役所は相も変わらずオオマヌケと  きている現状を見ると、税金払いたくなくなりますよねぇ。    >実際に意味のあるイメージトレーニングというのは、  >感情や精神の動きをイメージするものだと僕は思っています。  そうそう。でも、実はそれがとっても難しくてできない(^^;)。でも、トレーニング  なのだから、最初はうまくできなくても努力はしなくてはだめですよね。っという  わけで、時々やってはいますが・・・。コウカノホドハ、マダワカラナイ    イメージトレーニングといえば、「KAZEの便り●志ん生・圓生」を読んでいて思っ  たのですが、落語を聞くのも一つの方法かもしれませんね。実は僕も落語は小学生  の時分から大好きでした。要するに寄席とかの演芸が好きで、単なるお笑い体質な  のですが・・・。ただし、落語も聞いていたのはもっぱら上方落語で、志ん生や圓  生にはなじみがありません。上方落語では米朝、枝雀、文枝、春団次、松鶴、仁鶴  なんてところが有名ですし僕も好きな落語家さんたちですが、マイナーなところで、  露の五郎さんという方の怪談話などはお薦めですよ(^^)。    >ううむ、ちょと難しいのは、日本の神道の多くは「願掛け」のような御利益的な  >あり方と結びついていますし・・・  あっちゃっちゃ、また「宗教」と「信仰」を書き間違えちゃいました(^^;)。スミマセン  「宗教」はまさしく御利益重視かもしれませんね。まあ、マゾではないですから、  幸せに暮らしたいと思うのは当たり前ですけど、あんまり現世利益をちらつかせら  れると「何か違うんじゃないかぁ」とは思いますよね。ま、自分がしっかりしてい  ればとりあえず今のところはそれでもいいかなとは思いますが・・・。    >やっぱり、「学ぶ」ということは楽しいのが一番ですね。  そそ(^^)。辛い事もたまには必要かもしれませんけど、「好きこそものの上手なれ」  というのは言い得て妙だなと思います。ちなみに僕は宿題を授業時間にしていまし  た。「ここがきっと宿題になるな」とか見当をつけてやってしまうのですね。この  へんの要領の良さというか「楽しよう精神」はどうも昔からだったようです(^^;)。  「学校の勉強は学校でしかしない」などと言い放っておったわけですが、そのまま  の状態で中学に上がったものだから、中学では成績ががた落ちだったのでした(T_T)。    >その豊かな世界をもっともっと考えていかなければいかませんね。  >そして、貧しく暗い波動を与えないように気を付けていかなければね。  そうですね。まあ、どこまでできるかわかりませんけど、努力だけはしないとと思  います。けど、子供と接するのは努力というイメージよりも楽しさが大きいですか  ら、助かります。世の中はうまくできているというんでしょうか、ちゃんと子供を  育てやすいようになっているんですよね。    そうそう、我が家にもMACがやってきました(^^)。まだ、モデムのケーブルを手にい  れていない(僕のミスでまだ1週間くらいかかりそう(^^;))ので、PDSを落とせな  い事もあって、ほとんどソフトは入っていないのですが、娘達は取りあいっこしな  がら楽しんでいる様子です。やっぱりMACは良い(^^)。                                by 隆ちゃん 01077/01078 GGA02514 KAZE しばらくは隆ちゃんもMACづけですね(^^) (13) 94/02/17 14:34 01075へのコメント 隆ちゃん、どうも。 >昨年から十年ほどは財運が上向きですし、 >今年はいろんな方からの引き立てで、福分多い年になるでしょう・・・ ううむ、そうだといいんですが・・・。 確かに昨年からいろんな人に否応なく関わる場合が飛躍的に増えましたが、 そんなに得した^^;って感じはなかったですね。 でも、CM関連の賞を昨年は3つほどもらったし、いいこともあったんですね^^;。 ま、ほとんど占いを気にしたことのないお気楽な性格ですから。 >36才もお元気で!。 そうですね、以前から35歳というのがひとつめの区切りということがあって、 それまでにしておきたいことというのは結構できたような気がするので、 今度は42歳までを目標にして、がんばっていきたいと思ってます。 >僕は占いを単なる当てものではなくて、セラピー(人生相談みたいな意味です)の >一種ととらえていますが、そう考えると「気」が消耗するのは有り得る事でしょう >ね。 占いを立てるというのは、一種のチャネリングのようなものですから、 そこにはある種の「場」が形成されることになります。 そうすると、その「場」の「気」が活きてない場合、 どうしてもまわりから「気」を補充することが困難ですから、 結局自分の「気」を使って消耗してしまうわけです。 このことは、占いをわりと行っている相棒の実感として聞いていることで 気をつけないと、かなりの疲労感に襲われたりするのだそうです。 やっぱりほとんど占いに手を染めてなくてよかったという気もします。 もちろん、占いの原理というか考え方についてはいろいろ調べてますが^^;。 >彼女は行きも帰りも送り迎えがありますし、幼稚園まで5分とかからないので、逃 >亡は不可能です(^^;)。 ううむ、悲惨だ^^;。 そういえば、最近の幼稚園は送迎バス付きなんですね、ほとんどが。 僕なんかからすれば大きなお世話という感覚の方が強いけど、 世のお母さん方からすればありがたいことなんでしょうね。 でも、道草の楽しみやら、敵前逃亡^^;の醍醐味なんかを、剥奪されてるのって どうも管理のための管理という気がして好きになれません。 合理的、快適、便利などだけではかろうとすることって、どうもね。 >おもしろいなぁと思うのは僕が「こいつやな奴だなぁ」と思う先生は子供たちにも >人気がないのですね。子供はちゃんと見てるんです(^^)。 そりゃあそうです。 そういう「やな先生」に欠けてるのが、早い話「徳」なんです。 人間にとって一番大事なのが「徳」だから、 つまりはそういう先生は人間失格ということに他なりません^^;。 ま、そういう性格の人間が先生なんてするな!っていうことです。 知人の幼稚園の園長さんや保母さん経験者からよく聞く話ですが、 発表会の前になると、保母さんたちの多くは、 子供達を自分たちの思うとおりに動かそうとして、 ひどいときには、子供を蹴ったりさえすることもあるようで、 それが少数ではないといいますから、困ったことです。 そういう類の保母さんって、自分の評価しか念頭にないようなんです。 子供は道具でしかないんですよね、そういう人にとっては。 >行政を役人が司るのは結構ですが、実務は民間に委託できないもんなんでしょうか >ねぇ。 そうなんです、僕もそう考えています。 それと、サービスを有料化してその分税金を減らせばいいのではないかと思います。 そして、そのサービス機関を複数化して、競わせると、 使う人間が行きたい方に行くようになりますから、 オオマヌケで横柄な態度の機関は閑古鳥がなくようになって、 市場原理が働くようになる。 やはり、お役所にもそういう市場原理を導入するというのが必要なんでしょうね。 >でも、トレーニングなのだから、最初はうまくできなくても努力はしなくてはだめ >ですよね。 最初からうまくできるようだと、その「トレーニング」には必要なくて、 うまくできないからこそのトレーニングです^^;。 肝心なのはそのプロセスにおいてどれだけ得るものがあるかということで、 「結果」というのはそんなに重要じゃないということも言えると思います。 そのプロセスで得たものというのは、他のシチュエーションにも応用できますから それは無限の可能性をもっているともいえるのではないでしょうか。 >上方落語では米朝、枝雀、文枝、春団次、松鶴、仁鶴なんてところが有名ですし僕 >も好きな落語家さんたちですが、マイナーなところで、露の五郎さんという方の怪 >談話などはお薦めですよ(^^)。 圓生さんなどの分を聞いたら、今度は上方落語を聞いてみようと思ってました。 でも、「霧の吾郎さん」っていうのは初耳ですね、どんな人なんだろう。 しかし、落語の世界というのは本当に豊かな世界なんですね。 僕も小さい頃からテレビやラジオを通じてではありますが、 とっても楽しみに聞いてましたから、改めてこの年になって聞き直すのって また新たな発見などがたくさんあって楽しいかぎりです。 >ちなみに僕は宿題を授業時間にしていました。 ははは、僕もそうでした。 ほとんど3回分ほどの授業分の宿題はいつもストックしてましたねぇ。 で、家に勉強を持ち込んだことなんかはほとんどありませんで、 家では自分の好きなことしかしてませんでした。 ですから、家に帰ってからまた塾などにいくなんてよくわからない。 それもひとつの社交場だということはわかりますが、 そもそも社交下手の僕にとっては無意味な場所です。 僕は高校の半ばあたりまでそれでなんとかやってまして、 そのころまではそれで医者志望だったんですが、やはり現実は甘くなくて それ以降、勉強しないツケがまわってきて散々でした^^;。 >我が家にもMACがやってきました(^^)。まだ、モデムのケーブルを手にい >れていない(僕のミスでまだ1週間くらいかかりそう(^^;))ので、PDSを落とせな >い事もあって、ほとんどソフトは入っていないのですが、・・・ やっと、届きましたか(^^)。 僕は、パソ通には、「ComNifty」「茄子R」「魔法のナイフ」といった、 MACでは一番ベーシックなソフトを使っています。 これは、ソフトの紹介から使い方まで、NOISEさんに教えてもらったのですが、 一度使い始めたら、これはもう重宝するソフトです。 そうしたソフトを含めて、別途メールででも、 PDSをご紹介させていただきますので、ご期待ください。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 01078/01078 GGA02514 KAZE KAZEの便り●手塚治虫「ファウスト」 (13) 94/02/17 18:54  手塚治虫「ファウスト」(朝日文庫)を読む。  手塚治虫には「ファウスト作品三部作」があるが、この中には1950年に描かれた 「ファウスト」、そして1971年に描かれた「百物語」という第二のファウストとも いうべき作品が収められている。もちろん、第三のファウストは、絶筆となった未完の 「ネオ・ファウスト」である。  この文庫の解説で述べられているように、「百物語」には「従来のファウスト作品中 受動的女性像を一挙に覆した」「女悪魔と主人公の恋」による「その恋ゆえの地獄から の脱却」ということが描かれている。  これはなかなかのアイデアではないかと思うのだが、さらにいえば、主人公に恋する ことで、この女悪魔は自らを解放へと導くことになるのではないかという考えが浮か ぶ。  シュタイナーの神秘学には「四大霊の解放」というテーマがあるが、その解放のため には、人間の働きかけが不可欠である。閉じこめられた存在者たちを、人間の感謝が、 祈りが、その魔法から解放させるのである。そこには、人間の自我の働きがある。自我 を低次の方向で働かせるのではなく、それを浄化し、ソフィアへと高めることで、魔法 は溶けて、天上へと上昇させる契機となるのである。  手塚治虫の「百物語」で非常に興味深いのは、自らを閉じこめて魔と化している存在 によって働きかけられた人間が、さまざまな営為を通して、逆に魔に働きかけることで その間に「恋」という錬金術的変容である「結び」が生まれ、その結びによって、むし ろその魔から解放されるということである。  先ほども述べたように、おそらくはそのことで魔そのものも解放され、変容していく のではないか。魔のより高次の善への変容というのは、人間の、自我を高次の「器」へ と高める営為によってなされるのではないか。  このことは、シュタイナーのマニ教に関する善と悪というテーマとも非常に近いもの があるように思われる。そして、そこに女性性ということに関する、「受動的」ではな い、新たな変容のためのビジョンが見えてくるような気がする。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES(14):★HVHYの預言解読部屋------------<03> 94/02/17 - 01737/01737 GBA01276 しまうま RE:元々在るもの、元々あったもの (14) 94/02/17 07:46 01720へのコメント  HVHYさん、どうもご無沙汰しています。コメントどうもありがとうございま したm(__)m。 :戦いも勝負ごとも、集約すれば「己との真剣勝負・己との戦い」  「光の黙示録」のメッセージの19にも、 戦うのは 全ての人々 全ての自己 最後に残るは 自己 己れ 自己と闘い 勝ったとき カリマホロバ マホロバとなり 輪廻の鎖は解かれる  という言葉がありましたね。これからの一人一人の日常の中での戦いの結果如何 で、カリマホロバをマホロバにできるかどうかが決まるのでしょう。  同じ19の中に、 メンフィス北方五〇km アスランタの町 帽子の男 ふくろうの目に気を付けて行くこと 約束の地へ行け 黄金の壺が待つ 覗くな 手を入れるな 捧げ持て 民の苦しみを取り払うには このことしか無い 剣に手を掛けるしか無い 意志に逆らう事の無いように しかと言い渡したぞ  という一節があります。次の20には、        マ ホ ロ バ 夢 マボロシ 摩穂呂覇の剣 其方の手に在り  とも書いてあります。「手を掛けるしか無い」剣が、「摩穂呂覇の剣」なのでし ょう。そしてそれは自己との闘いにおいて得られる。カリマホロバの剣を、摩穂呂 覇の剣に精錬していかなくてはならない。 冥府の従僕を吾が従僕にするために 其方のするべき事を教える ホホデミの炎の剣を ハジベの所へ 持って行け 青龍の吐く息で精錬せよ 冥府の従僕を眠らせ 赤龍を呼べ 赤龍の吐く息を従僕の裡に呼び込み 炎最大となった時に ホホデミ青龍剣を 振り下ろし 炎の根元から切り分けよ 其方達 吾が従僕よ 吾が報せをよくよく胸に留め ゆめゆめ忘れること無かれ  以上は、メッセージの16にある一節です。冒頭ではまだ剣は「炎の剣」でしか ない。まだ「形を成していない」剣なのだと思います。それをハジベ(ごめんなさ い。勉強不足で、未だにハジベのなんたるかがわかってないのです・・・)のところへ 持っていき、青龍の吐く息(すなわち「風」)で精錬する。 :01/20>>見よ、剣は錆び柄は朽ちている…各々が瞳に宿す炎を剣に変えよ。 :01/23>>輝炎を纏い麒麟は疾風と化し天駆ける…大青龍摩王は不二の高嶺 :02/02>>麒麟の封印は解かれ、龍の息は頂きに舞う。混沌の中で清水を…                   (MES(18) #101 アラミスさんの発言より) : 「龍の息」は、炎を呼ぶ風だろう。それは不二の「頂きに舞う」。炎と風は互い :に呼び合いつつ混沌を増してゆく。そこから清水を得る(いわゆる「清水を得る」 :と、炎と水の「水」のダブルミーニング?)。  とすると、麒麟の封印が解かれた29日以降、青龍の吐く息によって剣を精錬し ていくべき時期に、まさに今、あるのでしょう。炎を呼ぶ青龍の息は、すべてを明 らかにし、さらなる混沌を巻き起こしながら、頂きから舞い降りてきます。そこか ら清水を得るのが、僕たちの仕事。  たぶん、「炎最大になった時に」「炎の根元から切り分け」るべき「ホホデミ青 龍剣」が、自己と闘い、炎と風と水によって精錬された「摩穂呂覇の剣」。精錬の ために混乱は避けられない(いったんは炎が最大になる)が、精錬した剣がその混 乱を収める(炎の根元から切り分ける)。  もしくは切り分けることによって初めて、正真正銘の摩穂呂覇の剣になる?  「大青龍摩王」の摩は、摩穂呂覇の摩かもしれません。  また、メッセージの13には、 黄金の壺に 己が剣を浸せよ 剣を抜くときに 中を覗こうとするな 剣に掌を触れるな(剣の刃) 剣に竜の息を吹きかけさせよ  とあります。  「壺」、特に「黄金の壺」と言ったときには、ARIONさんの一連のメッセー ジの中では「黄泉の壺」すなわち「黄泉の世界」「死」「イザナギがイザナミを追 いかけて行って・・・云々」を意味する、というのは、ずいぶん前にこの会議室で立証 されてコンセンサスができていましたよね。  繰り返しになりますが、前出のメッセージ19にも、 約束の地へ行け 黄金の壺が待つ 覗くな 手を入れるな 捧げ持て  という言葉がありました。  剣を精錬する自己との闘いの中では、死を賭してなすべきこともある。死を賭す ということは、命がけで物事をおこなうということであって、黄泉の世界を知る (壺の中を覗く)ことではない。たとえ死の寸前まで来ても、「この向こうはどう なっているんだろう・・・」なんていう暗欝な好奇心を起こして自ら堕ちていかなけれ ば、無事精錬を終えて帰還する(壺から剣を抜く)ことができる。どんなに堕ち果 てたとしても、志を光ある方に向けて、足を踏み出していけばいい。  イザナギも、黄泉の国からの帰りに後ろを振り返ったがためになんたらかんたら だったし、ソドムだかゴモラだかも振り返った人が塩の柱になっちゃったというの がありましたよね。 数々の神話の形をとって現れるものには 大まかに言って 二つの理由がある 一つは その神話が人々に受け入れられ易い場合 二つ目は 送信先から受信先への特定がある場合である どちらの場合も 受け取る側の印象を基盤に送信しているので 個々の印象を大切にしなくてはならない 神話それ自体 一つの媒介であるという事は あなた方には 既知の事実であろう  以上はメッセージの25でした。            しまうま (GBA01276) - FARION MES(15):★平成松川塾◎日本を考える----------<01> 94/02/17 - 470/471 GDB00064 オリハル RE:日本が再び,手を汚す日が間近に (15) 94/02/16 21:28 467へのコメント 私は孫悟空である。 唯一全能の神の御意志によって359として現れた。 世界を支配しているという者よ、本当に力があるのならば、 火がつきそうなユーゴ情勢に水をさすことが出来るはずである。 それが出来るのはその立場にある者である。                      オリハル 471/471 GFD00204 松川 貴     RE:思考を替えよ (15) 94/02/17 02:03 462へのコメント  キリスト教と左翼的思考についてもう少し補足をしておこうと思います。  シュイタイナーは『社会の未来』の中で次のような趣旨のことを述べています。  「プロレタリアートが持っているような唯物論的イエス論は、近代プロテスタント 神学の最後の帰結である。当時のヨーロッパ市民たちの宗教に対する関わり方こそが そのようなプロレタリアートの思考態度の根になったのだ」と。   キリストはますます〈人間〉として考察され、その一方で超感覚的世界に属  するキリストは人間の視野からますます消えていきました。抽象的な魂ではキ  リストへの道を見つけ出すことができませんでした。イエスで満足しておりま  した。(P43-P44)  プロテスタント的キリスト教徒たちの頭の中を支配していた思考態度とは「ものご とをすべて抽象化すること」にあったとシュタイナーは言っているのです。このよう な当時のプロテスタントたちの思考態度を見て、プロレタリアートはどのように感じ たでしょうか。   一体われわれは何のためにイエスについての特別の宗教を必要としているの  か。ブルジョアたち(引用者注 つまりキリスト教徒を自認していた当時のプ  ロテスタント市民たちのことです)はすでにイエスをナザレの素朴な男にした。  もしイエスがナザレの素朴な男であるなら、イエスはもちろんわれわれと同じ  ような人間にすぎない。われわれは経済生活に依存している。なぜイエスが経  済生活に依存していなかったと言えるのか。イエスが単なるナザレの素朴な男  であり、彼が置かれていた経済状況に従って教えを告げていたとすれば、その  彼をまったく新しい人類期の創始者と呼ぶ権利があるだろうか。われわれはむ  しろキリスト教創設期の経済状況を研究しなければならない。そしてその当時  のパレスティナの経済秩序に従って仕事をすることをやめた素朴な職人が、放  浪の日々にさまざまな考えを語ったときの事情を研究しなければならない。そ  うすればなぜイエスがあのように語ったのか理解できるであろう。(P44)  私たちが中学校や高校の歴史の教科書を開けば──いえそれどころか、私たち自身 が世界を眺めるときに用いる〈言葉遣い〉を吟味してみれば──今でもこれと似た発 想が記述全体を後ろ側で支えていることが分かるでしょう。  「宗教が唯物論化しなければ──プロテスタンティズムがその温床となったのです ──自然科学が唯物論化することはなかったであろう」とシュタイナーは語っていま す。  つい最近にも(2月13日)朝日新聞の読書欄に『イエスのミステリー』という本 の紹介が載りました。筆者はシドニー大学で死海文書の講座を担当しているという、 バーバラ・スィーリングという人です。評者は小池民男という方ですが、「キリスト 教史の書きかえ迫る仮説」などと大部分のキリスト教に関心を持っていない日本人を 相手に書いております。しかし結局、このスィーリング氏の本もプロテスタント─左 翼的歴史観という木の枝に実った果実なのです。このような本を大きく紹介するとこ ろがいかにも朝日らしいやりくちです。  しかし、現在でもなおこのような問題を人類が抱え込んでいるとはいえ、人類はす でに新しい課題に向かってもいるのです。   実際、近代人はいわば抽象作用によって生きており、すべてを何らかの抽象  概念に結びつけなければ安心できません。市民社会の実際生活の中でも、さま  ざまの抽象概念が人びとの魂を支配しています。しかし──このことは私たち  の時代のこれからの特徴となるでしょうが──人間の深層でまどろんでいた衝  動が目覚めかけ、ふたたび霊視へ向かおうとしているのです。(P40)  シュタイナーはこれを「概念が霊視へ向かおうとしている(P41) 」という簡単な表 現でまとめております。  このようにシュタイナー的視点に立ってヨーロッパを眺めてみるなら、現代のヨー ロッパ人たちは確かにイエス教徒ではあるけれども、キリスト教の本質自体はすでに 見失ってしまっているのだということが分かります。それなのに日本では今だに西欧 文明を指してキリスト教文明などと言ってはばからないでいます。マスコミ経由で流 される情報や、あるいは学者や評論家たちの掲げる〈学〉の肩書のみを信奉している からです。  シュタイナーは『自由の哲学』(イザラ書房)において「自ら唯物論者と名乗らな い人も、やはり唯物論者という言葉を適応せざるを得ない場合が多い」と述べており ます。   問題になっているのは、或る思想家が、世界には物質存在しかない、と主張  しているかどうかなのではなく、物質存在にしか適用できない概念を用いて論  旨を展開しているかどうかなのである。   現代人の多くは、物質にしか適用できない概念を使用しながら、そのことに  気がついていない。皮を被った現代の唯物論は、前世紀のむき出しの唯物論よ  りも、精神的な世界観に対して、より悲寛容な態度をとっている。   精神的なものを志向する世界観をわざわざ認める必要はない、と多くの人た  ちを思い込ませているのも、この皮を被った唯物論なのである。(P104-P105)  私たちは〈皮を被った唯物論者〉を注意深く見分け、また私たち自身の中にも巣く っているそうした思考態度を克服していかねばなりません。  最後にプロテスタントばかりを批判してもつまらないので、現在カトリックの行っ ている儀式が何に由来しているのかについて、シュタイナーから引用して今回の終わ りとしたいと思います。   アカシャ年代記を霊視的に読んでいきますと、近東から南ヨーロッパにまで  種々の祭祀を折衷したアジアの神事、特にミトラ神の儀礼が広まっていたこと  分かります。様々の地方にミトラ神礼拝のための神殿が数多く建設されていま  した。アッティス神礼拝に似た儀礼を行っているところも数多くありましたが、  本質的にはミトラ神の礼拝でした。神殿や祭祀の町の至る所でミトラ神への供  犠、アッティス神への供犠が行われていました。それらの多くは古代の異教だ  ったのですが、ミトラ神、あるいはアッティス神礼拝の風習と儀式の浸透した  ものでした。ミトラ神礼拝はイタリア半島にまで広がり、たとえば、ローマの  聖ピエトロ寺院の建っているところはかつてはこのような祭祀の町でした。ロ  ーマ・カトリックの信者には冒涜的に聞こえるかもしれませんが、聖ピエトロ  寺院で行われているミサの原型は、かつて聖ピエトロ寺院と同じ場所にあった  神殿で行われていた古代のアッティス神礼拝外見上は全く類似したものです。  カトリック教会のミサは多くの点で古代のミトラ神礼拝の継承にすぎません。  (『第五福音書』イザラ書房 P72)                                   松川 貴 - FARION MES(17):★パワフルなえ★の《おふくろ通信》--<01> 94/02/17 - 789/798 PBA02422 さはし 明星 (17) 94/02/16 18:43 788へのコメント コメント数:1 まだ金星は低すぎて見えないんじゃないかなあ。その代わり、月が奇麗です。 それに、そろそろ黄砂の季節だし。 恒星の世界には仲良く連れ立った連星が多いけれど、わが身は唯一人。世間 は広いが、いまは一人。連れ立って星を眺めることができる人がいたなら、 どんなに嬉しいだろうね…。  むらさきの にほへる妹を 憎くあらば 人妻ゆえに われ恋ひめやも 790/798 JBH02324 なえ 黄砂 (17) 94/02/16 21:25 789へのコメント コメント数:1 ああ、そうですね。くしゃみのシーズン(^^;ですねー。 即答出来る、そう!、あたしは悲しいアレルギーちゃん。 (*,,*)ズズズ・・・ 黄砂が合図だったりして(^^; でも、昨年程ぢゃないの。(まだ本気なってないダケかも・・(^^;)  春日山おして照らせるこの月は 妹が庭にも清けかりけり                      未 詳 春は、きっとそこまで来てますよん。(^-^) ね。 791/798 PBA02422 さはし 季節 (17) 94/02/16 22:55 790へのコメント 春が来て、夏が来て…。四季は巡るけど、時々、取り残されて しまったように思う時がある。ちょうど、最後のバスに乗り遅 れて、一人取り残された感じというか。   よのなかは空しきものとあらむとぞ この照る月は満ち欠けしける 再び四季は巡るのかな… 792/798 JBH02324 なえ なああんだぁ。 (17) 94/02/17 09:04 コメント数:6   やれば出来るじゃない。\(^o^)/  その調子! がんばれ。 793/798 JBH02324 なえ へぇぇ・・・。 (17) 94/02/17 09:04 792へのコメント   意外と面白いんだねぇ、もっとやってみよぉよ。 794/798 JBH02324 なえ ほら、 (17) 94/02/17 09:05 792へのコメント   あと、もう少しじゃない。ここで諦めちゃ・だ・め・! ファイト! 795/798 JBH02324 なえ 苦手っ (17) 94/02/17 09:05 792へのコメント   だから克服するのは辛いけど、やり通せたら、サイコー!! だよね。 796/798 JBH02324 なえ 根性っ! (17) 94/02/17 09:05 792へのコメント  の根は、根の張った木(気)。性は、持ち分、徳分。性格かな? だ・か・ら。 797/798 JBH02324 なえ 投げる (17) 94/02/17 09:05 792へのコメント  のは、いつでも出来るぞ!・・・・投げる前にもう一度。ほら、やってみる。 798/798 JBH02324 なえ ようは (17) 94/02/17 09:06 792へのコメント  気持ち、ひとつ、やる気、ひとつ、熱い、ほのお。 燃える、ここに。 - FARION MES(18):★たまごの二人三脚ネットワーク------<01> 94/02/17 - 00112/00119 JCF00616 YUI 知性のある星とは? (18) 94/02/16 18:54 00109へのコメント  はじめまして、おみゃーさん、  そして どうも(^^)、英雄さん。 >人間の身体をかたちづくっている物質と星をかたちづくっている >物質の構成は驚くほどそっくりなのだ (#00106/おみゃーさん)  そ、そうなんですか。だったら僕らはこの星(地球)を形成する  ものとして、何らかの作用を及ぼせるだけの力を秘めていることに  なりませんか?(こんなことですか?>英雄さん) > 星にも"知性"があるのをご存じですか?  やっぱり、太陽系に範囲を絞ってみると、  もっとも知性が高いのは、「金星」ですか??  ぼくの生まれ月の星座である牡牛座にはプレアデス星団という  美しい光を放つ星がありますが、なんとなく”知性”を感じてしまいますねぇ。  (しかし僕には「知性」が欠けていますが...(;_;) ) P.Sお話が「実践」から離れてきてしまい、恐縮です。  ところで、「太陽は冷たい星」説というのはいったいどこから生まれたのでしょう?  宇宙人が教えてくれたと言うだけのことでしょうか?  (↑なんかFMISTYっぽいなぁ) YUI 00116/00119 KFD00473 たまご RE:はじめまして英雄さん (18) 94/02/16 22:04 00110へのコメント  >>>>おみゃー さん & 英雄 さん おみゃー さん、はじめまして。(^_^) 英雄さん、こんにちは。 「星の子達」という表現だ出てきたのは、 カール・セーガン博士の「コスモス」の中だったでしょうか。 (他にもそういう表現をした文献はあるかもしれません) タンパク質を構成する元素の水素、炭素、酸素は星(恒星)の中の 核融合反応で作られていきます。 (核融合反応の説明は略(^^;) (水素はもともと宇宙空間の何処にでもある物質ですが(^^;) だから、「星の子」だという話なんです。 現実主義な人も宇宙を語るときは、 意外にもロマンチストになってしまうという経験が僕にはあります。 宇宙ってのはそれほど大きいですよね。 星を眺めると優しい気持ちになれるでしょう? 都会ではあまり星が見られなくなりましたが、 旅行に出たときなどには、星を観てみるのもいいですよ。     たまご 00113/00119 KFD00473 たまご RE:神倉御燈祭り (18) 94/02/16 22:03 00096へのコメント  >>>>あもり さん おつとめご苦労様でした。 今回も色々あったそうですが、それらはまた機会を改めて 語ってくれるんですよね。あれだけでは語り足りないでしょう? (と半ば強制するのであった(^_^;) 都会にはカミが住めなくなってしまったようです。 カミの事を思うヒトがいなくなったからでしょうか。 日本には八百万のカミが住んでいたはずなのですが(^_^;) カミが身近に住まなくなって、 ヒトには畏怖するものが少なくなりました。 畏怖という感情を失うということ、 それ自体も一つの象徴に過ぎませんが、 これらの過程でヒトはまるでゆっくりと死んでいくのだ というような気がしてならないのです。 必要な何かが失われてしまう。 この感覚は何から発せられているのか。 カミも絶滅危機種にして保護したらどうだろう、 などというのは冗談です。 ただ、 「伝統的なもの」が持っていたものが何だったのか、 身の回りで何が無くなっているのか、 先入観を取り除いて、 感じとるのもひとつの実践ではないかと思います。     たまご 追伸:ブロードキャスターはTBS系列で土曜の夜10時から。 00114/00119 KFD00473 たまご RE:ハローMSG (18) 94/02/16 22:04 00101へのコメント  >>>>アラミス さん 僕にとってハローMSGはどれもこれも関わりが多すぎて、 何から話せばってことが多いんですが、 特に印象深い4つのMSGについて、コメントなど。 01/05>>翔ぶことについての説明を延々とする者は翔べないだろう 予言ですね。 巻頭言などなど、この部屋の最初の方の発言にはずいぶんと このMSGが意識されていました。 今はちゃんと翔べているでしょうか。 少し気になるところです。 01/14>>さて、不完全ではあっても駒は揃った。最初の駒はどう動かすか? ご存知、あもりさんが山奥まで(^_^;報告しに行ったMSGです。 「駒」とは何か。 ということは語る必要はありません。 (それは翔ぶことについての議論か?) 01/21>>あなたがたよ、人間社会(ヒトゴト)を頼む。我々はやるべき事をやる この会議室がオープンした日のMSGです。(^_^; 頼まれてしまいましたので、 我々ヒトもやるべき事をやることにしましょう。 と思ったんですが、どうですか? 01/27>>意識が変化すれば、その人の在り方(生き方)にも影響が出る。 とのことですが、 どうせならいい方向へ変えたいですね。     たまご 00115/00119 KFD00473 たまご RE:だから (18) 94/02/16 22:04 00107へのコメント  >>>>なえ おばさま 実践と言ってばかりいるので、 とかく考えることをしちゃいけないみたいな 印象を与えているでしょうか。 もちろん、そんなことはないですよ。 この部屋に不似合いなのは、 考え込んだまま動けないでいることなんです。     たまご 00117/00119 KFD00473 たまご RE:ありゃりゃ (18) 94/02/16 22:04 00111へのコメント  >>>>シゲ どん & YAHATA どん ここは冗談部屋ではありません。 一瞬そう思えても、それはきっと勘違いです。 ついでにゴミが多かったり、ゴミ当番が居たりしますが、 ゴミ埋め立て地でもありません。 まぁ、夢のような夢の島には違いありませんが(^O^;)     たまご 00118/00119 JBH00712 桂 桂 「西部戦線異状なし」風に (18) 94/02/17 00:42  新潟にスキーにいって来た。  スキーはいい。楽しみながら体を鍛えられる。  上半身、下半身のバランスワークがとても大切だ。初心者だからすぐ 膝から下に力み過ぎるが、うまく滑ろうと思えば、全身に神経を張り巡 らし、適度に力を抜く事が必要だ。いつも力んでいたのではすぐにばて ちまう。  転んでもまた立ち上がれるのがいい。何回でも転びながら上達する。 そのたびに痛いのは参ったが。  汗だくになりながら滑り、転び、また立ち上がる。  ふと周囲を見渡し雪に包まれた山脈の光景に目を奪われる。  足元に日の光を受け白く輝く雪の塊を手にとりながら、その美しさに 思う。繁雑な日常の義務に追われながらも、その美を愛でられるかと。 桂 桂(JBH00712) 00119/00119 GBG02043 維/YUI 実践・・・ということ (18) 94/02/17 11:26 ヒトゴトをする。 実践する時である。 全ての戦いは自己との戦いである。 んなことは、ずいぶんまえから分かっていたことだった。 実践、実践・・・というのが、ウリになっているこの会議室。 けれど、実践って、そんなたいそうなことでもなんでもない。 いわば、朝起きて顔を洗って、支度して、ご飯を食べて・・・というぐらいの ノリなもんだと思う。 なのに、なぜ実践・実践とさわがなければならないのか。 そんな、あたりまえなはずのことさえ、なまけてしまってあげく、忘れてしまって いるのではないか。 または、形だけの行動が残り、そこにあるべき心根(心音)が なくなってしまっているのではないか。 街にいる人々の行動や、TVのプログラムの中に、行動はとってもあるのにもかかわら ず空虚な感じがただよっているのは、そんなせいなのかもしれないね。 街自体をみても・・・、形は豪華ですばらしいものがあるけれど、砂上の楼閣ってか 空中楼閣というか、なんだかふわふわしていて、うつろな幻のようなイメージが ある。 ヒトが望んでいたものって、こんなものだったのだろうか・・・。                             維/YUI。