- FARION MES( 2):【居酒屋1999】自己紹介・雑談--------<09> 94/02/28 - 01797/01806 GDB00064 オリハル RE:こんにちわ!! ( 2) 94/02/27 17:00 01792へのコメント 私はFM聞いてたんですが、「NHK・FM」とか言ってたので、あ、違うと思って、 微調整したら、ザーザーいいながら、ハマラジが聞けました。身体をある場所に位置付 けますと、よく聞けました。しかし、時既に遅かった。18:00でした。どうやら、 17:30頃に出演されたんではないですか? そのテープって、ダビングがだめなら、 貸して頂けませんか?                              オリハル 01798/01806 HCD03151 SYUKI をを!どろろ!!...SYUKI ( 2) 94/02/27 17:54 01794へのコメント コメント数:1 ど、「どろろ」をご存じの方がいたぁ!?  失礼しました。はじめまして、なえさん。  カウンタ−の隅で、ず−っと居眠りしてました、SYUKIといいます。  どうぞ、よろしくお願いします(^^)。  テレビの前でわくわくしながら見てたんです。「どろろ」。    でも、私のまわりの友達には話が通じなかったんですよ。  物語を説明しようものなら、ろこつに変な顔されるし...。  そんなにえぐいマンガじゃなかったですよねぇ?    友達に白い目で見られてから幾年月、思いでの小箱に閉じ込めっきりだった  「どろろ」の名を、この居酒屋で聞くなんて。う−っ、感激!!    こんどはあまりの浮かれぶりに白い目で見られそう...(^^;)  では、居眠りモ−ドに戻ります。   ***こういうの、割りコメというのでせうか?   ごめんなさい。なえさん 赤兎馬さん...SYUKI*** 01802/01806 JBH02324 なえ きゃはは、仲間がいた(^ー^) ( 2) 94/02/27 21:22 01798へのコメント  こちらこそよろしくね。SYUKIさん。(^ー^)v  まぁ、あれ説明したら・・どろどろぐちゃぐちゃべろべろにょろにょろ・・。  (意味は無いケド・・(^^;)  しかし、生まれた時から身体を探して旅をするってのも悲しい物語ですねぇ。  でも、コブラじゃ無いけど、手をはずしたら剣が出てくるって、格好良いよ  ねぇ・・。(ああ、マンガオタクの素性が・・バレバレ・・。)  手塚さんのマンガは結構どれもスペクタクルですよねぇ。しかし「どろろ」  は女なので、最後まで剣を持たそうとしない・・。フェミニストな一面を、  覗かせる名作でしょう??。(^^; ←勝手に名作にしないように。  こいうワリコメは大好きですよぉ。(^ー^)  この際、居酒屋は古本ネタで盛り上げてしまいませう。せう・・。 01799/01806 GBE02650 ユ−リ RE:Re*2:Re*2:Re*2:RE^2:サル出現! ( 2) 94/02/27 18:24 01793へのコメント  #1793 スサノオさん > 室内犬であろうと主人にとって困った犬というのは >  泥棒が入ってきても吠えない犬ではないか > などと思ったりもします。  そうですね。  その点、例の実家の犬は良いですよ。  お客さんが来ようが、泥棒が来ようが、セ−ルスマンが来ようが、  吠える吠える吠える吠える…  一度なんか、昼寝をしている僕の上を、  (僕は実家に帰ると、ずっと昼寝をしている…(^^;)  「縦」に走り抜けて、お客さんに向かって行きましたからね…(^^;                …犬それぞれ…                      GBE02650 ユ−リ 01800/01806 GBE02650 ユ−リ RE:名字の話し ( 2) 94/02/27 18:32 01796へのコメント #1796 さはしマスタ−  「佐藤さーん」      シ−ン  「佐藤さーん、佐藤さーん」      シ−−ン  「佐藤さーーん」!!      シ−−−ン  「次のかた、どうぞー」  マスタ−「あれ?」  わっはっは!  いやあ、悪いけど笑える。(^^;                      GBE02650 ユ−リ 01801/01806 GBE02650 ユ−リ RE:原作は確か名作の…(^_^;) ( 2) 94/02/27 18:33 01789へのコメント コメント数:1 #1789 著美さん > ユーリさんへのレスに途中からなっていませんね(笑)  ええ、僕もそう思います。(笑)  途中から、というより「ほとんど」なってないんじゃないでしょうか…(爆)  いいなあ、北海道では「ハマラジ」の番組なんて、  聞きようが無いもんなあ…  ああ、ついついテレビ東京が中継した、  サッカ−のアジア予選最終戦を思い出してしまった…  (あの時は、テレビ東京に火をつけてやろうかと、   一時は本気で思ったもんな…(^^;;;)  (注 北海道のほとんどのエリアでは、    テレビ東京「だけ」はネットされていない。)  それはそうと、オフには遅れずに着きましたでしょうか?   もしも遅れたとしたら、  僕の「うらやましい」光線のせいです。(何を言っている…(^^;)                     GBE02650 ユ−リ 01805/01806 JBH01750 著美 今度はちゃんとレスを…(^_^;) ( 2) 94/02/28 09:46 01801へのコメント  >ユ−リさん  東京で以前住んでいたところは、TVの難視帯でして、ほとんどNHKしか 入らないところでした。原因は、周辺にバブルの産物である高層マンションと かビルとかが、どんどん建設されたからでした。なかでも、特にテレビ東京が ひどかった。ほとんど、「ラジオ東京」的状態でした。サッカーのW杯アジア 予選最終戦は観ていました、というよりは、聴いていましたと言うほうが正確 です(^_^;)  オフには遅れずに、ちゃんと着きました。「うらやましい」光線は届くまで に弱くなっちゃったようですね(笑) 01803/01806 JAC03213 ぽん おひさしぶり! ( 2) 94/02/27 21:45 コメント数:1  ども、おひさしぶりです。  卒業研究が忙しかったので、3カ月ほどごぶさたしてました。  先週の月曜日に発表会がありまして、8時半、朝イチの発表ながらも激しい攻撃を 喰らい、久しぶりに”先生に説教されている子供”の気分を味わう羽目になりました。  論文の方は先週土曜日にほぼ完成し、後は教授印を頂くのみになり、やっと通信に 戻る気になった次第です。  ちなみに、研究題目は「低降伏比鋼材の冷間加工による靭性低下」といいまして、 そのままマスターコースに進んでこの研究を続ける予定です。  (ふっふっふっ、あと2年学生だあい)  また名古屋オフしようね                                    ぽん 01806/01806 JBH01750 著美 RE:おひさしぶり! ( 2) 94/02/28 09:47 01803へのコメント  >ぽんさん、おひさでした。それに論文ごくろうさまでした。  >>ちなみに、研究題目は「低降伏比鋼材の冷間加工による靭性低下」といいまして  これについては、コメントなし(^_^;)  >>そのままマスターコースに進んでこの研究を続ける予定です。  >> (ふっふっふっ、あと2年学生だあい)  これについては、大いに言うことあり(^_^;) M的世界の住人になるのですか… 「あっあっあっ、まだ学生だぁぁぁ…」と思うまでにならないと、この世界一人前 ではありません(爆笑)  先週オフの日(土曜日)、D的世界の住人になることが正式に決まったわたし…                           ・・・ 01804/01806 PXH01650 英雄 風の便り ( 2) 94/02/27 23:02 01711へのコメント (ありゃっ?どこかで聞いたようなタイトル。まあ、いいかあ(^^;)) こんにちは、たきぽんさん。茨城でしたかあ、失礼しました。 >茨城も風はひどく 上州のからっ風ですか。からっ風は、浜松も有名です。けれど、根本的 に温暖なものですから、風が吹かなければ、かなり暖かいですね。 小学校から高校までは、徒歩でしたが、一時期通勤が自転車だった事も ありました。たしかに、足が鍛えられますよね。 >「だいく」の練習の方はどうですか >発表会などがあれば聞きに行きたいですね ありがとうございます。だいく(第九)は、10月の16、17日です。 練習を3回休むと出られなくなるので、ちょっと心配です。 5月8日に、演奏会があります。わたしの所属する混声合唱団の10周 年記念となります。メインの曲は、団員作曲の曲をやります。ヘッセの 短編集「メルヒェン」から「詩人」を基にした曲です。 :英雄: - FARION MES( 3):【めでぃあ室】本/映画/音楽 etc----<01> 94/02/28 - 00391/00392 PAG03543 NOISE 東日流外三郡誌「偽書」の証明 ( 3) 94/02/27 15:01 昭和22年、青森県五所川原市、和田喜八郎宅の改築中の屋根裏を突き破り、 大きな長持が落下、中身は膨大な量の煤けた古文書であったという。この古文 書群は日本史の常識を覆す衝撃的な内容を含み、俗に「津軽外三郡誌」といわ れている。 ところが昨年の春ごろからこの古文書群を巡って、和田氏を擁護する昭和薬科 大教授・古田武彦氏と偽書を主張する産能大教授・安本美典氏の二人による真 偽論争がマスコミを賑わすこととなった。このへんの経緯はFREKISHIの【古田 史学研究会】に詳しいが、古田氏のファンクラブ的な要素もあるこの会議室で さえ、古田氏を擁護する発言は極めて少ないということが物語るように、偽書 ということでほぼ決着が付いたといってもいい。しかし和田、古田両氏は頑迷 に真作を主張しつづけている。 「津軽外三郡誌」は現代も書き綴られている、盗用、引用に満ちた歴史伝奇ロ マン小説なのだ。新たな遺跡が発掘されればそれに関した古文書が発見!!され、 どんどん増殖していく。偽書の証拠は枚挙に暇が無い。 図書館で郷土資料を調べていると「津軽外三郡誌」を無批判に資料としたもの が多いのには辟易としてしまう。それだけ「津軽外三郡誌」が東北人の琴線に 触れる旋律を奏でている、ということで私もそのロマンに酔っていた一人あっ たのだが、このままでは東北の歴史は歪められていくばかりだ。罪は大きい。 それにしても、あれだけの膨大なモノガタリを取り憑かれたように紡ぎ続ける 和田氏の情熱には驚かされる。そこには「敗者の怨念」とでもいうべきものが あるのだろうが、それを利用するある種の霊界からの働きかけが存在するらし い。  東日流外三郡誌「偽書」の証明 安本美典編 広済堂出版 この本は安本美典編集の季刊誌「邪馬台国」から転載したものが中心になって いて、このフォーラムの常連であったシュメール氏の寄稿した「知の陥穽」も 載っているので立ち読みでもしてください。  季刊「邪馬台国」52号 虚妄の偽作物「津軽外三郡誌」 梓書院                         **PAG03543/NOISE** 00392/00392 JAD02715 m.nori RE:[A]中矢氏の本 ( 3) 94/02/27 22:33 00379へのコメント >遅い返事ですが、中矢伸一氏にたずねたところ、「伊勢天照御祖神社」は久留米市の >大石町にあるということです。町役場に電話すれば判るのでは、ということでした。 一輝さん、回答ありがとうございます。返事が遅くなってすみませんでした。 >紀行文などを12番会議室に掲載して頂けると、嬉しいですね。 予定が変わって、九州へ行くのはちょっと先のことになってしまったのですが、 その時には報告させていただきます。                              m.nori - FARION MES( 6):・壁(1)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 94/02/28 - 02204/02206 GDB00064 オリハル RE:いとしい学友へ ( 6) 94/02/27 17:09 02200へのコメント コメント数:1 いえ、私は怒りに振り回されたのではありません。 怒りを満足させてあげようとしたのです。 ちょっとした趣味的な発言をしたかったのであります。 でも、なぜ皆さん、私にはっきりしたRESをつけないのでしょうね。 怒る事が悪い事だとは思いません。そのように思っていたのは、高校生の頃でした。 しかし、パソ通とは不便な面もある。実名バシバシで、どんなことでも言いたい事バシ バシとはいかないもんかなぁ。公開の場で。某団体の人が大学の時、下宿に来て、私を 誘ったのだ。「話を聞くだけでいい」というから「話を聞きに」言ったのだが、彼らは 嘘をついた。話を聞き終わったら私一人を4人がかりで説得し始めるではないか。だか ら議論になったのだ。最後には私が4人全員の頭を縦に振らせて頂きました。まあ、私 が怒気のこもった迫力で攻撃したからでもあるのしょう。ああ、愉快愉快。                                オリハル 02205/02206 TBE03167 ねずみ RE:いとしい学友へ ( 6) 94/02/27 18:44 02204へのコメント で・・・ どこの団体?(笑)>オリハさん 02206/02206 GBG02043 維/YUI ひきいるもの ( 6) 94/02/28 10:00 ふと、ゆうべ帰りの電車の中で思ったこと。 国を統べる者は、すべての代表となる器の者であれば、どこの種族(?)、どこの 党、どこの派閥からでてもいいはず。 それよりも、そういう器を見つける、育てる、守る・・ってことが、できていない のではないかしら。 自分の利益を追うばかりにね、一個人のせいぜい100年あればいいほうの生の それも我侭な欲望を満たすためのね。 もっと大きな流れを見据えて、その流れの行く末を見極めた上で、必要とされる人物を 見いだし、やがてその人物が国を守り、流れを守る者となるように援助していくという ような力を、いまの政治を動かす者をはじめほとんどのひとは持っていない。 そういう力を忘れているのかも。 そうして、世の中の成功者というのも、実はマニュアルで造られた成功ロボットに なっているのかもしれず、それをめざして日夜努力する子ども達・・・。 これだけのことができれば世の中では成功した・・という秤にかけても、それがその人 の魂からの活動にならなければ、本当の力は発揮されない。 そして、本当の力のない ところは、自生を忘れていってしまう。 そのときに、生き延びる糧を横から与えられ たら・・・・・・。 くぐつは、対岸のことではなく自分自身のことでもある。 維/YUI。 - FARION MES( 7):★アリオン世紀末書込み寺------------<02> 94/02/28 - 01988/01994 GBG02755 すまる 現実逃避? ( 7) 94/02/27 20:14 ときどき、自分がここにいない気がする。 ここにいる私は実は幻で、本当は存在しないって思うことがある。 心を封鎖して、真っ白にして、人形みたいに感じることがある。 どんなに熾烈な人生選んでも、どんなに感情が激しく搖れても 私のものではない。私とは関わりのないもう一人の人間のやっていること。 この私は本当は痛みも感動もしない存在。 どんなにこの体を鞭で打たれてもいたがっているのは私ではないもう一人の私。 そう、この私はこの世界には存在しない・・ だからこの私がどんな選択をしても、もう一人の私が演じているのだから、 痛みは私のものではない・・・ こういう感覚が芽生えるときと言うのは、自分の中にある感情を否定しようと した時に起こるような気がする。どうでもいい、そんなのは有るわけが無い、 そう思い込んでいるだけだ、そんな風に自分をあるがままに認めようとしないときだ。 そして次に何が起こるのか・・・ もう一人ではないこの私が、どうしようもない、逃げようのない辛い感情が起こる。 悲しいと言うのでもなし、切ないと言うのでもなし、虚しいと言うのでもなく、 涙がこぼれ落ちる。そして、私は友を呼んでいる自分に気づく。 「助けてくれ」「抱きしめてくれ」「そばにいてくれ」 そして私は我に帰る。 もう一人の私とこの私が互いに重なり合う。 去年の今ごろ、この現象が当り前のようにあったが、いつのまにか忘れていた。 自分が二つになって像がぶれる感覚だ。 現実の痛みと、痛みのない世界。 両方の世界の住人になると言うような感覚。 どっちも「生きる」ためには欠かせない世界だろうと思う。 両方がうまく融和せずに、片方だけが強い時、 人は人ではないような気がする。なぜかはわからないが・・・                                すまる 01989/01994 JBH02324 なえ なえからARIONへお礼 ( 7) 94/02/27 21:05 01950へのコメント > 後悔しない生き方は素晴らしいが、反省→改善の無い生き方は悲しいね。 > 命は、それを生かすために > 命は、それが生かされるために > 命は、それが全うされるために > 多くの事をあなたに要求する、そして、あなたはそれを遂行する。  貴方のRESを幾度も読み返しては、一体どんな事をこれから出来るだろう  と、随分と考えてみたよ。  遂行するという事は当然責任も発生する。あたしは単に言われて実行すると  言うロボットをイメージしてみた事もあるが、実はその事を行うという決心  をした時、既にそれは命を持って自分の事として動いている事に気が付いた  の。大事な事だね。  生かし生かされ全うされる、その全てにあたしの全部で体当たりして生きる  と言う事。改めて、それがあたしの前方向だと言う事を確認したのだと思う。  眼には見えない。手には触れられない、でも、確かなもの。  あたしは、その心の支えを持ち生きる限りは幸せだと言える。  感謝しているのよ。とても。貴方の言葉の一つ一つを確かめられる事に。 01990/01994 GBD03557 シゲ 日常生活から離れて・・・ ( 7) 94/02/27 23:02  別に日常の生活が嫌だっていう訳じゃない。確かに日常からのワープ願望だけど、 決して現実を逃避する事じゃないんだ。現在をよりよく生きるための必要不可欠な ものなんだ。  僕には僕の絵がある。真っ白な紙の上に描かれた大きな木。透明だったその木に 色を付けてくれたのが僕にとってのオートバイだった。  自分のテリトリーから離れてさすらい歩く。それは自分の目では見えない遥か遠 くに、頭で理解できないことの答えがあることを体が感じていたのかも知れない。 自分を動かせば何かが見つかることを体は知っていたんだ。  僕は「谷川俊太郎」の詩が好きなんだけどその「62のソネット」だったかの中 に「かなしみ」という詩があるんだ。その中にこういうフレーズがある。         「ここにいてすべての遠いものを夢見よう」  僕は未だに谷川俊太郎がここで何を言いたいのか分からない。文面通りに受け取っ ていいのか?  僕は夢見るだけじゃ物足りなくて、否、体や心がごく当たり前のように移動する ことで何かを得ようとしていたんだ。  自分のテリトリーから離れてさすらい歩く。冒険なんていう大袈裟なもんじゃな くて、当然の欲求なんだ。 01991/01994 GBD03557 シゲ 木漏れ陽眩しい林道で ( 7) 94/02/27 23:03  バイクの種類なんて関係ないんだ。林道に行くからといってオフロードのバイク じゃなくてはならないって訳じゃない。ただその方が走りやすいってだけの事。  木漏れ陽眩しい山奥の林道で2輪しかないという不安と2輪もあるという自信が まじりながら走る。大地の逞しさを実感しながら走ると峠の頂で遥か遠くに小さな 町並みが見える。  里に下りる林道で霧に包まれて走る。前が見えない不安に包まれる。下りるにし たがって霧は雨に変わる。首筋に伝わる雨に体を震わせながら走る。感じるのは自 分というものの存在。  山を越して小さな町並みにはいると天候はよくなった。すべてを蒼く染め変えさ せる夕暮れの街並み。ふと思うのは過ぎ去った日々。  水の確保できるところにテントを張って、テントから頭を出して見上げる夜空。 手を伸ばすと届きそうな星空。愛しい人々の顔を思い出す。  大切なのは人と自分を愛すること。 01992/01994 GBD03557 シゲ アンテナの感度はいいですか? ( 7) 94/02/27 23:03  前に維/YUIちゃが18番会議室にこういうことを書いていた。 「アパートメントの出口にきたら春が感じられた。こんな人工的な街にも春がき てて嬉しかった。都会はかみさま住めないかも知れないけど、ちょっとお茶のみに 寄るくらいいいじゃない」って。  ふと思ったんだ。都会に神様は住めないのかなって。僕は目前に垂れ込める暗雲 にも似たビルばかりの町に住んでるよ。だけど春は随所に感じられるんだ。もしも 人工的な街並みに住んでいて春を感じとれない奴がいたら心のアンテナの修理を近 所の電器屋にでも依頼したほうがいいね。新宿の副都心にだって自然はあるんだ。 もちろん、だからってあの街が許せるかっていうとそれは別問題だけどね。ただ、 意外にも多く残された自然を感じとろうともしないで、あの街の環境は云々言って る奴に心のアンテナの修理を勧めてるだけ。  ついでだから書き加えてしまう事柄なんだけどね、今、環境問題が取り沙汰され ているよ。確かに地球は瀕死の重傷に近い位置にいるのだろう。訳の分からない市 民団体が環境保全を叫ぶよ。でも彼らは本当に地球の状況を把握して叫んでいるの だろうか。アンテナの感度の鈍い連中が環境保全を叫んで何になるのだろう。  まぁ、いいや。話しをバイクの旅に戻そう。  バイクでの旅だって同じ。どんなに短い旅でもアンテナの感度次第で得る物は重 くなれる。一歩出たらそこはどこでもミステリーランド。  ちょっと矛盾しちゃったかな。たとえ行動半径が小さくても得る物はいっぱいあ るのだけど、やはりもっとたくさん手に入れたい。僕は近所の街で色々な物を得て いるのだけど、やはりバイクで旅に出て僕の知らない世界をみてみたいんだ。 01993/01994 GBD03557 シゲ 水たまりで遊んだいつもの道が・・ ( 7) 94/02/27 23:04  水たまりで遊んだいつもの道が、日に日にアスファルトへと塗り替えられてしまっ た時代に僕は育った。  だけど、辛うじて僕は「草むらに埋もれて流れ行く雲を眺める大切さ」を知って いる。  前ファイルで人工的な街並みにも意外に多くの自然が残っていると書いたんだけ ど、やはり行き着くところはあの頃の・・・そう、草むらに埋もれて流れ行く雲を 眺めることなんだ。あの頃の匂いを追い求めているんだ。  自然との触れ合いばかりじゃない、人間の心と心のコミュニケーションだってそ う。昭和50年代の前半くらいまでは人も暖かかったんだ。それは月日が記憶を美 化させているんじゃなくて、現実のことだ。  田舎の農道でも、浜辺でも、どこかのドライブインでもいい。「何をしにここま で来たんだね?」とか「バイクでツーリング?体が資本だから大盛りにしといたよ」 とか「ここで雨宿りしてきんしゃい」とかね。  そんなね、違う空の下で生きている、違う空の下で一生懸命生活している人達の 笑顔に接したいんだ。 01994/01994 GBD03557 シゲ 笑顔に接したいから笑顔で返したい ( 7) 94/02/27 23:04  嫁さんにも笑顔でいてもらいたいんだ。嫁さんも手段や方法は違っても前に書い たような感性を持っている人だ。だけど僕が障害者っていう手が掛かる状態で色々 と拘束せねばならないかと思うと僕は悲しい。  悲しくて笑顔が作れなくなっちゃったよ。他人の過失のせいで僕の行動が大幅に 制限されたのもそうだけど、嫁さんの行動まで大幅に制約させないとならないなん てね。  ちょいと本棚の本も取れないんだよ。FAX送ろうったって送れない。マックの 電源入れようったって入れられない。鉛筆も握れない。着替えもできない。車椅子 からベッドに移って寝ることだってできない・・・・・・・・・・  家事に慣れない嫁さんを横目に魚を調理するのをむず痒く眺めている。そのうち イライラしてきて「アジのたたきはこうやればいい」なんて言っても見本を見せて やれない卓上講義。そのうち「じゃあ自分でやればぁ!」なんて怒りだしたりして。  食欲だって内蔵が麻痺しているからないし、血糖値が下がってきてはじめて「あぁ、 腹が減ったんだなぁ」と思う始末。睡眠だって一度その姿勢で寝たら起こしてもら うまでそのまんま。腕が痒くて眠れなくたって掻くこともできない。セックスだっ て麻痺してるから完全に勃起はしない。ポテンツが伴わないからリビドーも高まら ない。ああ、これって人間の三大欲求じゃないの。それさえもどうしようもない。  いくら強がったって、いくら笑顔つくったって、泣きたいときだってあるんだ。  たまには泣きたいよ。 - FARION MES(11):★アキラの《平井和正*異界漂流》----<01> 94/02/28 - 220/220 MGH00465 アキラ 玉置山ツアー開催のお知らせ (11) 94/02/28 06:58  突然ですが、3月19、20、21日の3連休を使って玉置山に行きます。  今のところ参加表明しているのは、ガッチャ、桂 桂、える、私の4人。あと、 先日のオフでAKITSU=☆=ALPHA氏ととかちさんが「行きたいなぁ」と言っておりま した。  細かい旅程や宿などを決めるのはこれからなので、一緒に行きたいと思う奇特 な方がいらっしゃいましたら名乗りをあげてください(^^;)  移動には車が必須なので、自分で用意できるかどうかも明記していただけると ありがたいです。なるべくみんなで同乗して、交通費を安くあげたいと思ってい ます。そのあたりの割り振りなども、この会議室でする予定。  現地集合の方でもOKです(たぶん、玉置に登るのは20日)。  宿のほうは、いまからだと3連休に温泉宿は予約が一杯で無理っぽいので、新 宮あたりのビジネスホテルになりそうです。とりあえず、今週末あたりに宿の予 約を入れておきたいので、参加希望の方は今週金曜日までに表明しておいてくだ さいませ。  ま、それまでに参加表明できなくても、車の席に余裕があるか、自分で足を確 保できて、近所の別の宿でも確保することができれば参加は可能です。宿の確保 のお手伝いくらいはしますので。  費用は、交通費がガソリン代と高速代の頭割り、宿泊費はビジネスホテルだと 一泊一人5000円前後の2泊となるでしょう。詳しくは各自イメージしてくだ さい(^^;)  一応これは、オフというより、お知り合い同士(ネットだけの知り合いもちろ ん含む)の旅行という感じなので、オフの部屋ではなく、この会議室を使います。 ま、玉置に興味ない人は行かないでしょーし(^^;) というか、玉置山に興味な い人、邪心をもってる人(?)は今回はご遠慮ください。  ちなみに今回の目的は、玉石を掃除して、温泉入って、うまいものを食うだけ です(^^;) 神秘的なことや、H氏・N氏と会えるなどとゆーことは一切期待し ないよーに(^^;) これ、くれぐれも言っておきます。旅行後、おもしろくなか った、幹事がいいかげんだった、というよーな苦情は一切受け付けません!  あ、ついでに、なんかトラブル起きても、一切責任とりませんので、個人の 責任で参加してください。  あと、玉置山頂附近は、この時期道路が凍結している可能性もありますので、 雪道の準備は必要かもしれません。運悪く、雪道の用意をしてない車に同乗し て、玉置に行けなくても苦情をいわないよーに(^^;)  すごいわがままですが、ご理解のほどお願いいたします。  繰り返しになりますが、これはFARIONのオフではなく、私が個人的に 呼びかける旅行です。  以上のことにご了承いただける方のみ参加表明してください。お待ちしていま す。                         MGH00465 アキラ - FARION MES(13):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<03> 94/02/28 - 01105/01105 GGD03030 《 隆 》 「個」と「集団」 (13) 94/02/28 14:25 01103へのコメント  KAZEさん、こんにちは。    梅ですかぁ、いいですねぇ。京都で浪人していたとき、北野天満宮の梅を見に行っ  た事がありますが、桜がお姫様だとしたら、梅は町娘といった風情でたしかにかわ  いらしい感じはあります。しかし、1万5千本というのは凄い。さぞや見事なもの  なのでしょうね。  わが家では、花より団子でありまして、梅や桜よりツクシを待っております。先日  カミさんが「山野草を食べる本」とかいうのを図書館で借りてきまして、「草って  ほとんど食べられるのね」などと目を輝かせておりました(^^;)。そのうち食料調達  ハイキングに行くそうです。    >そういえば、回答欄に「誰がそんなのわかるんですか?」って書いて、  >先生に呼び出されたことがありましたね(カワイクナイコダ^^;)。  ははは、その気持ちはよくわかります。僕はそんな事する勇気はありませんでした  けど、「先生にはわかるの?」とよく思ったものです。もっと訳がわからないのが、  小説や何かの「主人公の気持ちは?」ってやつでして、「そんな架空の人物の気持  ちなんてわかるわけがないでしょ!」といつも思っていました。    >でも、僕の生意気さは別としても、なんであの「国語」っていうのは、  >しょうもないテストっていうのを続けるんでしょうか、いまだに理解できない。  確かに無意味ですよね。僕のようなひねくれ者を喜ばすだけです(^^;)。読解力と言  いますが、ある文章から何を受け取るかは、色々あっていいはずですし、意味がわ  かっているかどうかという問題も、わからなきゃそれはそれでしょうがない事です。  きっと、その時はわからないのが当たり前の状態で、わかる必要があるのならば、  いつかわかるものなのでしょう。それを無理矢理わからせようとすると歪が生じて  くるんじゃないでしょうかねぇ。  何を感じたかをみんなで語り合うのは結構な事ですが、そこに優劣をつけるのは変  ですよね。読書感想文とか、日記とか、最低限の読み書きは、まああってもいいと  思いますけど・・・。    >最初からそのレースに参加しないで、わが道しか歩めないというところがあって、  >「前に進めない事にイライラ」することもあまりなければ・・・  そのあたりが人間の器の違いという気がしますが、どうでしょう。確かにわが道を  泰然と進めればイライラなんて無くなるのかもしれませんけど、そうする器量も今  のところ僕にはない。かといって決められたコースを進なんてまっぴらだ」という  「どっちつかず」が僕にはあるんです。自分の使命というか、やるべき事が見えて  くればこの「迷い」も薄れるのでしょうが、この歳になってもなかなかそれは見え  てきません。迷いはまだまだ続きます(^^;)。ナンダカナァ    >そういえば、高校の頃、最初の先生があまりにひどいので、みんなで先生をリコ  >ール^^;して、次の年から他の先生にしてもらったことがあります。  (@_@)!! それは凄い。まあ、高校などは義務教育ではないのですから、選択の自由  があって当たり前という気はしますが・・・。僕が高校の頃は・・・授業を潰して  ソフトボールをする事しかみんな考えてなかったような気が・・・ナサケナイ(^^;;;)。    >つまりアリ塚のアリのようなあり方をしていて、  >それだからその「人格の規格化」にうまくはまってしまったとも言えるかも。  >そもそも日本人って「個」っていうのに慣れてないんですよね。  日本人=アリっていう感じは確かにありますよね。だけど、本質的にそうなんでし  ょうか。僕はどちらかというと自由を主張するよりは体制を維持する方にまわる側  の人間だと思いますが、「個」というもののあり方はそれなりに持っているつもり  ではあります。潜在意識の中に「個」がどういう風に存在するかを考えてみますと、  僕の場合、全体から別れたものとしての「個」を意識しています(勿論、実際は自  分の意識以外は全て外界で、主観が失せた状況での客観なんて想像だにできないで  いますが・・・)。これはいわゆる「分け御霊」という感覚です。これはこれで立  派な「個」であると僕は考えますが、そうは思われない方も多いのでしょうね。    日本人を見ていて「うまくないなぁ」と思うのは、「個」と「集団」との中庸がな  い事です。「個」を大事にする方は「集団」を全く無視したり、「集団」を大事に  する方は逆に「個」を無視したりします。一つのものから別れて「個」になるのか、  「個」が集まって一つのものを形成するのかという意識の違いはあって当然ですが、  「個」と「集団」がダイナミズムを持って変化する姿が理想的だと僕は考えるので  すが、どうなのでしょうね。例によって、良く言えば中道、悪く言えばどっちつか  ずの結論ですが、まあ、そういう事です(^^;)。ただし、「人格の規格化」だけは、  さすがの僕もごめん被りたいですが・・・。    ちなみに、カタリーナ・ヴィットさんの滑りは、「ドイツ人らしくない」と僕は感  じました。どうも色気過剰(^^;)という感じで、いまいち僕好みではありませんでし  た。これは主観の相違だからどうでもよい事ですが、彼女の滑りにはノーブルな感  覚が欠如しているような気がします。まあ、そもそも僕などがフィギアスケートを  評論するのが間違いなのですが(白黒がはっきりしない競技は好かん)、今回全体  的に見てレベルが低かったように思います。フィギアはすでに技術競技と化してお  り、美しさを堪能するのならばアイスダンスの方が良いかもしれません。もうひと  つつけ加えておきますと、僕は「美」に関する感覚が貧しくて、美=機能美という  ところがあります。KAZEさんは「おいおい」と思われるでしょうが、ご勘弁のほど  を・・・(^^;)(^^;)(^^;)。    >「まあいいや」といのは「はた迷惑」ではいけないような気がします^^;。  >それはあくまでも「はた迷惑でない」というのが大前提だと思うのですが・・・。  え〜と、そうですね。基本的には「まあいいや」で他人は迷惑を被りません。ここ  で言う「はた」というのは親兄弟・夫妻子の類です。この方々も実質的には迷惑を  被るわけではないのですが、ハラハラしたりドキドキしたりして気をもむというス  チュエーションが生まれる事がありまして、それを称して「はた迷惑」と言った訳  です。例えば僕などが「まあいいや」とお金儲けをしばしやめちゃうと母親などは  「大丈夫なのかしら」と気をもんだりするのです。彼女は勝手に気をもんでいるの  ですが、だからといってほっとくわけには行かないという事でして・・・(^^;)。    暖かくなると体調はいまひとつ優れなくなるのですが、やはり春というのは気持ち  がほんわかするもので、どこかへドライブにでも出かけたい気分です。多分ドライ  ブではなくて、食料調達ハイキングになると思いますが・・・(^^;)。                                by 隆ちゃん - FARION MES(15):★平成松川塾◎日本を考える----------<01> 94/02/28 - 474/476 GFD00204 松川 貴     何が問題なのか (15) 94/02/27 23:54 コメント数:2 巖本 維新後、大機会をあやまったということは、いかなる場合ですか。 海舟 十年(1877)の西南戦争と、今度の朝鮮征伐〔日清戦争〕(1894-1895) サ。    しかし十年の時は、まだ善かった。アレデ、こうなったというものもま    だなかったが、今度は、皆がソウ言って来るようだ。どっちも勝ったも    のだから、実にいけない。もとよりドレといって明らかな事もなし、ズ    ルズルだが、どうせ、これでいいと思う高慢がいけないのだ。                        『海舟座談』岩波文庫 P165  あの司馬遼太郎さんもどこかで書いていたように記憶しておるんですが、どうも日 本人は──特に〈庶民たち〉が──日本が日清・日露の戦争に連勝したことで、段々 と民族的増上慢に陥っていったように見えます。(例えば、日露戦争講和後の日本の 庶民の外交無視ぶりは、ドラマ『海はよみがえる』〔ビデオで出てます〕の中にもち ゃんと描かれておりましす。)現代日本の庶民は、太平洋戦争後、かつて得た増上慢 の反動状態を走っているのです。  海舟は文久の初年(1861)にこのような建議書を出しています。   よろしくその規模を大にし、海軍を拡張し、営所を兵庫、対馬に設け、その  一を朝鮮に置き、ついにシナに及ぼし、三国合従連衡して西洋諸国に抗すべし。  (『氷川清話』角川文庫 P169)  当時の日本人にとって、この「西洋諸国に抗す」という動機の大きな筋は動かしよ うもありませんでした。海舟は『氷川清話』の中で「将来に起こるべき、東洋の大禍 乱(P126)」というような表現をしていますが、70歳代半ばの晩年になっても、維新時 の若い時代に持った認識の大前提は変わらなかったようです。(ちなみに海舟は1899 年に亡くなりましたので、そのあとすぐに起こった日露戦争には立ち会ってはおりま せん。)しかし、結局日本は三国合従連衡に失敗してしまいました。時勢はそのよう には動いてくれなかったのです。朝鮮・中国と日本との間には、ひとつの大きな精神 的溝が横たわっていたからです。それが、結局日本を〈精神の二重拘束〉状態に縛り つけていました。この〈精神の二重拘束〉状態については、後でまた書くことにしま す。  海舟は大機会を誤ったのは、西南戦争と日清戦争だと言いました。西南戦争と言え ば、西郷隆盛と征韓論の関係を思い出しますが、その西郷さんについて、海舟はこの ように言っていたのです。  征韓論ナンテ、馬鹿な事があるものか。西郷の考いも知らないで、その志を  つぐなどというからわからないのだ。おれはあの時、海軍卿だ。戦争のつもり  なら、話がしてあらあネ。あとで、『一体おまいはどうするつもりだった』と  話したら、アハハ、笑って、『あなたには分かってましょう』と言ったよ。ソ  レ切サ。(前掲書 P332)  西郷ナドも、本当に考えを言って、相手にする人が少なくて、まことにさび  しかったようです。(前掲書 P213)  また日清戦争後の日本と中国の関係については、海舟はおのれの死(明治三十二年 [1899]一月十九日)の半年前に、このように語っていました。   こないだも、張〔中国人留学生〕などがやって来て、「今度は、陸軍省の方  で、大層、鄭寧にしてくれた」と言って喜ぶから、ワシはひどく癇癪に障った  から、『ナニ、馬鹿ナ』と言って、怒ってやった。戦争をして勝つと、チャン  チャンだとか何とか言って、いたじゃアないか。先生だってその仲間だろう。  世界に輝かすとか、何とか言ったんだろう。それで、今では、また、シナ、シ  ナと言う。そンな事で、何があてになるものか。   朝鮮を独立させると言って、天子から立派なお言葉が出たじゃアないか、そ  それで、今じゃア、どうしたんだエ。(『海舟座談』 P92)  そしてついに、海舟は死の直前(正確には50日前)にこのようなことを言ってこの 世を去ります。自宅にやってきた、ある役人の質問「何か不平がありますか」に対し てこのように答えたのです、「満腹の不平だ、三十年、おれが苦心して立ててやった ものを、みンなが寄ってたかって、ぶちこわそうとするから、不平だ」。(『海舟座 談』 P57)  明治維新とは〈来たるべき欧米列強との激突に備えての、臨戦フォーメーション作 り〉であって、近代化は──そのかけ声たる「富国強兵・殖産興業」は──その手段 でこそあれ、決して目的なんかではありませんでした。  先の大戦争は国家総力戦でした。富国強兵と殖産興業は、その総力戦のための二本 の柱だったのです。この二つの柱は〈臨戦フォーメーション作り〉に仕える二本の柱 でした。これが以前から私がここで述べてきた持論です。反戦平和というサングラス をかけて日本百年の歴史をふりかえれば、どのようなもの言いになるかは、ここで改 めて言うまでもありません。ちょっとどこそこの活字を見れば、それこそ石ころのご とくそこらいっぱいに転がっていますから。  維新時、かつてのように再び天皇が奥座敷から光の当たる場所に引っ張り出されて きました。国家総力戦のための〈臨戦フォーメーション作り〉のために、それまで各 藩ごとに、しかも、その内部でさらに身分別にばらばらに生きてきた日本人を、天皇 を中心にして団結させる必要があったからです。強力な国家集中力でした。  明治の天皇制は、民族的必要の結果だったのです。日本においても、いまや戦争は 武士という戦士階級だけの手から離れ、欧米諸国同様、国民全体のものになる時代が やってきていたのです。日本人にとって、まったく新しい体験でした。  それまで封建社会しか知らなかった日本人が西洋諸国の圧力から自分たちの国を守 るためには、一気にそのような選択、あるいは跳躍──王政復古による近代化──を せざるを得なかったのです。  ですから、もし、日本人の精神の根本をアリのようだとみなすなら、それは誤った 認識です。これはたかだか百年の間に民族の政治的必要に迫られて作られた行動形態 に過ぎません。私たちはまだ維新後百年の二つの極端(これについては以前書きまし た)の余波の中で生きているのです。ですから私たちは、歴史の局外にいて、それを 学者のように眺めているわけにはいかないのです。かつて日本人を捕まえた力は、今 なお生きて存在しています。大切なのはそれを認識することであって、けっして「日 本人のアリさんぶりには困ったちゃんです、しかし、私の場合は……」と人前でぶち 上げることではないはずです。  いったい何のための近代化だったのでしょうか。いったい何のために……。この問 いに、中学生や高校生が読んでいる現在の歴史の教科書は──またそれらを執筆した 学者たちは──ちゃんと答えてきたでしょうか。  明治維新とは、いずれ欧米列強との間に必ずやってくるであろう国家総力戦の準備 以外の何ものでもありませんでした。しかし、このことを、現在の日本人たちがそれ で正しいとして省みないような思考方式でもって、あるいは悪だと言って、ばっさり と切り捨てることができるでしょうか。彼らのせいで変な日本が生まれたなどと。し かし、これこそが幕末の志士を命懸けで国内改革へ衝き動かした、一番大切な、底に ある動機だったのです。  この動機は近代国家日本を地下から支え、また、マグマのように地の底にあって、 明治維新以後ずっと地表に吹き出る機会を待っていました。最初に日清戦争、続いて 日露戦争という形の小爆発がありました。そしてしばらくの小休止の後、ついに大き な機会がやって来ました。それが太平洋戦争(大東亜戦争)という形の大爆発だった のです。幕末の志士の胸中にあった維新時の動機の目的は、大正・昭和の日本人たち の意識の中にも引き継がれていたのです。 つづく 475/476 GFD00204 松川 貴     RE:何が問題なのか (15) 94/02/27 23:56 474へのコメント  それまで日本の庶民は戦争というものをどのように考えていたのでしょうか。これ については、司馬遼太郎さんの面白い話があります。  司馬さんは書きます。   江戸封建制のもとで、農民はつらかった。が、一面、かれらは、近代の〈国  民〉にくらべてのんきな面もなくはなかったのかもしれない。年貢をおさめ─  ─それが大変だったが──ときに公が命ずる労役さえすれば、あとはすべて私  な存在だったのである。公教育を受けねばならぬ強制もなく、国民国家につき  ものの徴兵もなかった。(『この国のかたち 二』文藝春秋 P76)  カッテンディーケという人がおりました。この人は、幕末、幕府にまねかれて、海 軍教師として長崎で海舟らを仕込んだオランダ軍人です。その人が日本の農民や職人 や商人について、このような書き物を残しております。   むしろ世界のいずれの国のものよりも大きな個人的自由を享有している(司  馬注・これは農民をふくめる)。そうして彼等(司馬注・とくに職人や商人)  の権利は驚くばかり尊重されていると思う(カッテインディーケ『長崎海軍伝  習所の日々』東洋文庫)。(前掲書 P77)  この書き物について司馬さんは「これはべつにほめすぎではない。江戸時代の商人 や職人は、さまざまなかたちで保護されていた。ただ農民に対する重税にだけは、彼 も首をひねっている」と述べています。   日本の農民のごとく勤勉で節倹な百姓が、しかも豊穰な恵まれた国土で働き  ながら、なぜ貧乏しているのか、(重税以外に)その理由が発見できないであ  ろう(カッテンディーケ談 前掲書 P77)  それで、カッテンディーケは当時の日本人を不思議に思ったと言います。彼はある 時、長崎の一商人に「もし長崎が脅かされたとき、はたしてこの町は防衛できるだろ うか」と質問します。するとその商人は「なんの、そんなことは我々の知ったことで はない。それは幕府のやる事なんだ」と答えました。  これを受けて、カッテンディーケは、先に司馬さんの本から孫引きした『長崎海軍 伝習所の日々』の中にこのように書きます。   どうも、(防衛ということでは)日本人にはその義務の観念が薄いようであ  る。……もし艦長が、一名の士官と四十五名の陸戦隊をひきいて上陸すれば、  おそらく一発の砲弾も放つことなくして、幕府の役所をはじめ海岸に面した町  は苦労なしに占領することができるであろうが、そうした場合にも、市民は或  いはその陸戦隊の上陸を知らぬ顔で見て過ごし、幕府を窮地に陥れるかもしれ  ない。(前掲書 P79-P80)  司馬さんによると「カッテンディーケは、商人のような庶民(封建制のもとでの公 的責任のない階級)だけではなく、大名についても、かれらがどこまで日本国に責任 を感じているかということについて疑問を持っていた」と言います。  司馬さんは続けてこう書きます、「カッテンディーケは、日本に〈国民〉が存在し ないため、万が一の場合〈国民による祖国防衛参加方法〉というものが実施しようも ないことを知っていたし、もし実施すれば封建制そのものがくずれてしまうことにも 気づいていた。そして、カッテンディーケだけでなく、他の西洋の大国もそのことを よく知っていた」。(前掲書 P80-P81)  このような状況のもとで、半ば本能的な洞察力をもって幕末の志士たちの活躍が始 まります。それは最初のうちは、仲間喧嘩のようにも見えました。しかし、当時の志 士たちの行動が、ときに現在から見て、どれほど不合理なものに見えようと、彼らの 行動なくしては、今日の日本の独立国家のもといは生まれはしませんでした。  幕末、カッテンディーケは「日本には〈国民〉が存在しない」と言いました。戦後 になって同じことをつぶやいている人がいます。西部邁さんです。東洋の大動乱を経 て時代は一周し、今日の日本人は、幕末の庶民同様、〈国民たること〉を忘却してし まいました。そして、江戸時代の農民たちのように重税がきついなどといって、政府 を攻撃しているのです。文句を垂れる以外には決して、自分たちの生きている場所に 対して責任を感じることもなく。  半世紀前、天皇陛下万歳で死んだ日本の兵士たち。海舟は死の二ヵ月前こう言って います。   仕方がないやネ。誰れだって、勤王の士は、倒るるまでもしなければならな  いよ。(中略)明治政府の末路は、あの連中がよって、出来ぬまでも片付けな  ければならぬ。(前掲書 P78)  これはもちろん太平洋戦争中の軍部のことを言っているわではありません。しかし 私は思うのです、忠義の士の末裔たちが「よって、出来ぬまでも片付けなければなら ぬ」明治政府の末路に引導を渡す役目を果たしたのでもあろうかと。 つづく 476/476 GFD00204 松川 貴     RE:何が問題なのか (15) 94/02/27 23:58 474へのコメント  明治維新以来、日本は自己のアジア精神の二重拘束状態の中であえいでいました。 どのような二重拘束状態にあったというのでしょうか。それについてシュタイナーは このようなことを書いています。  日本は現在、或る関係においてアジア的生活のもっとも前衛的立場に立って  いる。日本はもっとも外的にヨーロッパ形式を取り入れた。だから人びとは同  盟、条約その他によって、政治的に西洋の慣例に従ったやり方で日本に対処で  きている。しかし民族魂の特質については、日本は今でもアジア的生活全体に  結びついているのである。  (『社会の未来』「世界問題における精神生活の忘却」P266)   西洋人は数世紀の間アジア人の不信感を呼び起こすような考え方をし、感じ  方をしてきた。アジア人がこれから西洋の科学とその技術成果をどれ程知るよ  うになろうとも、それは彼らの心をひきつけずに反発させるだけであろう。彼  らが同じアジア人仲間である日本人の中に西洋文明への傾斜を見るとき、日本  人を真のアジア精神の背教者と見做すであろう。彼らは彼らの魂の生活の内的  な豊かさに較べて、西洋文化をもっと低次のものと見做している。彼らは物質  的進歩の点で立ちおくれていることに注意を向けない。ただ魂の努力だけを見  る。そしてこの努力の点では彼らの方が西洋人よりも優位に立っていると思っ  ている。西洋人のキリスト教に対する態度も、彼らの宗教体験の深さにまで達  しているとは見ていない。この点で今彼らの知るところとなったものは、彼ら  にとっては宗教的唯物論でしかない。そしてキリスト教体験の真の深さは今、  彼らの眼の前には現れていない。(前掲書「世界問題」 P260-P261)  確かに日本は、〈西洋諸国の圧力に対抗する〉ために、ヨーロッパの形式をすばや く取り入れたことで、〈アジア的生活のもっとも前衛的立場〉に立ちました。しかし 同時にそれが、アジアにおける日本の立場を悪くしたのです。なんということでしょ う。日本は、〈アジア的生活のもっとも前衛的立場〉に立ちながら、一方で、〈アジ アの背教者〉となってしまったのです。  司馬さんは書きます。   江戸期、朱子学は官学だったが、夷というものが国内におらず、近隣にもい  なかった。   幕末、ペリー・ショック以来、にわかに尊王攘夷ということばが流行になり、  その大合唱が倒幕運動に転化し、明治政権ができた。もっとも攘夷政権である  べき明治政府は樹立早々に攘夷をやめ、開国にきりかえてしまった。  「なんという国だ」   と、朝鮮は、当時対馬藩主の名で送られてきた通告文に「皇」という文字が  頻出するのにあきれたらしく、日本の新政権をはなはだよろこばなかった。   朝鮮にとって尊王の王は(思弁的な屈折はありつつも)清国皇帝のみをさす  のである。日本の場合は、当時の朝鮮からみれば〈物知らず〉にも自国の天皇  をさしている。日本に礼教という秩序感覚がないのか、というのが明治政権成  立早々の朝鮮側の不快と不安だった。不安とは、礼教がないぶんだけ野蛮だと  いうことである。野蛮とはルールがないことをさし、何をしでかすかわからな  い、ということなのである。   これに対し、明治初年の日本は、朝鮮が頑迷で〈自尊自大、百世の古籍を敲  き、宇宙の時体を解せず〉とした。(『この国のかたち 二』 P87-P88)  海舟は言っておりました。   シナをこらすのは、日本のために不利益であった、ということを世間の人は  今悟ったのだが、それは最初からわかっていたことだ。   丁汝昌も、いつかおれに言ったことがあった。「わが国は、貴国に比べると、  万事につけて進歩は鈍いけれども、その代わり一度動き初めると、けっして退  歩はしない」といったが、シナの恐るべきところは、実にこの辺にあるのだ。   こないだの戦争には、うまく勝ったけれども、かれこれの長所短所を考え合  わしてみると、おれは将来のことを案じるよ。(『氷川清話』 P371-P372) 悲劇でした。さらに日清・日露の戦争に勝つことによる日本国民の朝鮮・中国に対 する増上慢が加わります。こうして段々日本は、西洋と東洋をともに敵に回さざるを 得ないような状況に追い詰められていったのでした。  しかし、当時西洋に対して戦争を仕掛けるだけの能力を保持していたのは、ひとり 日本だけだったのです。日本は、〈アジアの背教者〉のまま、西洋との戦争に突入し ます。  シュタイナーはかねてより、日本の西洋への宣戦布告あることをこのように予言し ておりました。   実際、アジアは古い精神生活の遺産をもっており、日本にとってはそれに優  るものはない。この精神生活は、日本を満足させることのできないような状況  が西洋によって作り出されたときには、強力な焔となって燃え上がるだろう。  しかし西洋の人びとは単なる経済的な手段によってこの状況に秩序を与えるこ  とができると信じている。人びとはこのことによって、此度のヨーロッパ戦争  よりも、もっと恐るべき破局のための出発点を作っているのである。  (前掲書 「世界問題における精神生活の忘却」P265)  シュタイナーははっきり言っています。「西洋人は、此度のヨーロッパ戦争(引用 者注 第1次世界大戦)よりも、もっと恐るべき破局のための出発点を作っている」 と。  大東亜戦争に先立つ十六年前、大川周明は本能的洞察力をもって自著『亜細亜・欧 羅巴・日本』の中でこのように書きました。   いま東洋と西洋とは、それぞれの路を往き尽くした。然り、相離れてはふた  つながら存続し難き点まで進み尽くした。世界史は両者が相結ばねばならぬこ  とを明示している。さりながらこの結合は、恐らく平和の間に行われることは  あるまい。天国は常に剣影裡にある。……この論理は、はたして米国の日本に  対する挑戦として現れた。アジアに於ける唯一の強国は日本であり、欧羅巴を  代表する最強国は米国である。この両者は故意か偶然か、一は太陽を以て、他  は衆星を以て、それぞれの象徴として居るがゆえに、その対立はあたかも白昼  と暗夜との対立を意味するが如く見える。……相戦わねばならぬ運命にある。  (以上『新潮45』2月号の松本健一氏「白旗伝説異聞」より引用)  日本人は戦後半世紀の間、自己認識と世界認識をまったく空想的に行ってきたので はないでしょうか。  海舟は言います。   あまり西洋に酔って、固まってしまったものだから、いけないのだネ、一つ、  看破ってるものがどうも出ない。(『海舟座談』 P53)                                   松川 貴 - FARION MES(17):★パワフルなえ★の《おふくろ通信》--<01> 94/02/28 - 822/822 JBH02324 なえ 春の便り (17) 94/02/28 15:05  今日出かけた道々で、木々の間から「まんさく」の花を見つけました。  春一番を告げる花です。この花が咲き始めると、やがて、つくしだの、  れんげだのが少しずつ顔を覗かせ始めます。  嬉しい気持ち。暖かい日差し。柔らかな午後のひととき・・・。  みんなに届きますように。 \\(^o^)//ソ ~オ レ \\(^o^)// ホワン  *'゚*,.,*゚'*,.〜〜 ホワホワホワ・・・・ - FARION MES(18):★たまごの二人三脚ネットワーク------<01> 94/02/28 - 00162/00165 KFD00473 たまご RE:RE^2:過ぎ行きて (18) 94/02/28 00:01 00157へのコメント  >>>>桂 桂 さん >> 未来は想像がつかない。 うーむ。 超ウルトラスーパーヘビィだね、こりゃ。(^_^;) 迷いの極地というかさぁ。 未来は自分の想像したように展開する。 この方が簡単でいいけどねぇ。 だめ? そういうお気楽ごくらくなのは嫌いかぁ??(^_^;)     たまご 00163/00165 KFD00473 たまご RE:はじめまして? たきぽんより (18) 94/02/28 00:01 00160へのコメント  >>>>たきぽん さん はじめまして、どうぞよろしく。 >> 実践の部屋と言うことなので、自分としては、有言実行というか >> 自分で言った事に関して責任を持って行動していきたい。 >> 言霊という言葉があるくらいだから、自分の言うことがどれだけ >> まわりに影響を与えるか考えて行きたい・・・ いきなり難しいことを課題としてあげたようですが、(^_^;) 何か努力したいという気持ちの人には、 一緒に頑張りましょう、 というのがこの部屋の信条ですから、 是非頑張ってやってみてください、 と応援しちゃいますよん。 何が有言実行で、何がそうでないのか。 日常に起こる一つ一つの事柄で、考える材料はあるはずです。 そうして、ひとつひとつ経験を重ねてみれば、 何かが解ってくると思います。 で、何が解るのか、僕には解りませんが、(^O^;) それはたきぽんさんいとって価値あるものになると思われます。      たまご 00164/00165 KFD00473 たまご お知らせ (18) 94/02/28 06:21 一身上の都合により、代表を辞任します。 後任はあもり氏です。 00165/00165 HGB02122 あもり 議長着任の件 (18) 94/02/28 15:51 世紀末フォーラム18番会議室議長着任の件 過日の運営会議において、私(HGB02122 あもり)の当会議室議長着任が決定し ました。 よろしくお願い致します。 兼ねてより当18番会議室を閲覧、参加の方々には、ご迷惑をお掛けする事と なりますが、会議室にとっても、ひいてはフォーラム全体のことを熟考した結 果ですので、どうかご容赦下さい。 以後の会議室運営のテーマには、何ら変更はありません。 なお、たまご氏解任の事由等についての詳細な理由は、当会議室で論じられる べき題材の重要なウェイトを占めていると考えますので、ボード上で発表する と同時に、会員の方々と共に語りあって行きたいと思っております。                     以上 HGB02122 あもり - FARION MES(20):■世紀末ウォッチ:これって…!?----<01> 94/02/28 - 549/552 GDB00064 オリハル RE:オリハル (20) 94/02/27 19:15 493へのコメント 最近、歌手のREV氏もNoB氏も頑張ってますね。 元気で頑張っiコさい。ではでは。                  オリハル 550/552 GDB00064 オリハル RE:サタン? (20) 94/02/27 19:19 231へのコメント /桑原敬善さんへ 以前、サタンとかいうことで疑問を表明しましたが、3/31bフ著作を読みました。 私の誤解だったかもね。                         オリハル 551/552 GDB00064 オリハル PC−VAN (20) 94/02/27 22:10 コメント数:1 PC−VANに新しくオンライン・ショップが出来た。 「J TELEMART」でジャンプできるのだが、その店を取りしきっているのは、 (株)ミレニアム(みれさんのハンドル名命名の基)と言います。 この名前、なんかパクってるのでは? どうなんだろう。 PC−VANはNIFTY−SERVEのFARIONに注目してるのかな? 私のPC−VANのIDで、ビジネスの掲示板への書込みがなぜか出来なくなって しまった。PC−VAN事務局に2回メールを出したのですが、返事がありません。 もう一度出そっと(^_^;)。                           オリハル 552/552 GDB00064 オリハル RE:PC−VAN (20) 94/02/28 15:49 551へのコメント 昨日はPC−VANについて不穏当な事を書いてしまいました。 よく調べますと、掲示板のメッセージの表示モードが逆転していたため、 登録した自分のメッセージが最後に登録されていたのでした。                       オリハル