- FARION MES( 2):【居酒屋1999】自己紹介・雑談--------<09> 94/03/13 - 01903/01905 GBE02650 ユ−リ RE:とーとつですが・・・・ ( 2) 94/03/13 12:37 01895へのコメント  僕も、ロビン・ウイリアムスが大好きですぅ!  そいでもって、ピ−タ−・ウィア−の「いまを生きる」も大好きですぅ!  ロビン・ウィリアムスは、いい役者ですよ。   元々がコメディアンで、それも最初の頃は結構アクの強い奴だったのですが、  カドが取れていくに従って、グングンいい役者さんになっていきました。   ひびきさんがまだ観ていない、彼主演の映画では、  バリ−・レビンソン監督の「グッドモ−ニング・ベトナム」がお勧めです。  でも、「いまを生きる」って映画そのものも、いい映画です。   あの先生の、生徒達に対する接しかた、というか、  スタンスの取り方が大好きなんですよねえ…   口ではうまく説明できないんですけど、  基本的に生徒達のサイドに立った教え方をするけれども、  決して「僕は君たちの仲間だ」みたいな、  一昔前の日本のテレビの熱血先生みたいな「生徒べったり」でも無い。  それでいて、詩の素晴らしさというか、  (彼は英語(国語)の先生)  詩の持つ「エッセンス」のようなものを確実に生徒達に理解させていく。  ううん…今、思い出しても、いい映画だなあ…(^^;  でも、現実にはこうこう教師は居ないかもしれないな…   でも、みんながみんな、彼のような先生だったら、  生徒達は疲れ切ってしまうかもしれないな…(^^;                      GBE02650 ユ−リ  追伸 この映画でのヒトコマ。    彼が授業中マ−ロン・ブランドとジョン・ウエインのモノ真似で、    シェ−クスピアのセリフを朗読するシ−ンがある。     シ−ンと静まりかえった映画館の中で、    僕は必死で笑いを噛み殺していた…(^^;; 01904/01905 NBA02777 アポロ RE:はじめまして>アポロ☆ ( 2) 94/03/13 13:43 01893へのコメント #01893 みれさん 宜しくお願いします.  お会いできまして光栄です.なんて澄ましてますが(^O^)ワッワッ..ドドド パソコンに向かってニタニタ・ワクワクしていました(不気味な光景)   ほんとは,<臆病な>自性は硬派なのですが(<>は省略可 )!! 今日,クロネコブックサービスで「光よりの光〜」を注文しました.  お米屋さんの安否を一時心配しましたが,とてもお優しい心づかい の方とわかりましたので安心しました.                           アポロ 01905/01905 GBD03557 シゲ RE:はじめまして、ぴさです(^O^)/ ( 2) 94/03/13 15:23 01901へのコメント  #01901 ぴさ さん  ”変な”ギャグってのはなんやねん!  いつもギャグを言っているようですが、ぢつは、二人になると冗談の一つさえも 言わない、ぶっ堅い男に変身するのでありました。 "SHIGE"yuki.NAKAMA. from YOKOHAMA Bay Side. - FARION MES( 3):【めでぃあ室】本/映画/音楽 etc----<01> 94/03/13 - 00406/00406 JCF00616 YUI ICも「石」でしょ? ( 3) 94/03/13 12:17 00403へのコメント  どうも、お世話になってます(^^)  ■ICが石であること   マインドコントロールのお話が出たついでですけど、「石」が人の   心を混乱させたり落ち着けたりする効果は昔から知られていますよね。   そう、宝石がその代表でしょう。   あるひとから聞いた話によれば   「宝石」は本来世を治める「王様」が持つべきなのだそうです。   というのも「宝石」が世の悪を吸い取る力があるそうだからです。   だから、王様という職業は世の悪を吸い取る力が無くてはならなくて、   そのために宝石を散りばめた「王冠」が存在したというワケ。   だから「宝石」を母親から娘へと”受け継ぐ”習慣は吸い取った「悪」を   娘にまで与えてしまう事になるからあまり感心できない、といいます。   「石」にも「許容量(capacity)」があるのかな?  ■「石」は人を虚ろにする?   ファミコン、パソコンでどんなに「虚ろ」になった人が多い事か、   そんな「虚ろ」になりかけている友人を見て残念に思います。   パソコンを「利用」しているのではなくて「そのもの」に酔ってしまっている..。   CPUへの「心酔」の状況をみていると、なんだかぞっとして来ます。   そういえば「メーソン」も「石工」を意味するし、「石」と「支配権力」の   関係は注目に値しますね。さっきの王様の例と併せて。   考えて見れば「水」と「石」って安定性という面からみると、   まったく逆なんですね。「水」は安定してるけど「石」は安定していないんだ   そうです。そんなとことからも、「石」が心を不安定にさせる、つまりは   マインド・コントロールに通じているのかも。 YUI - FARION MES( 6):・壁(1)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 94/03/13 - 02251/02251 TBE03167 ねずみ あ、そうかっ! ( 6) 94/03/13 09:09 おれ、自分の性格のいちばん悪いとこみつけちまった。 ふんふん、なるほどなぁ・・・ そか、こうゆう感じでアレがこうなって コレがああなって、ほんで俺は今まで苦しかったんだな。あはは、なんかこう、 今までつまらんことで悩んでいたんだなぁ。 - FARION MES( 8):★シゲの【恋愛玉手箱】爆走編--------<01> 94/03/13 - 00236/00236 GBD03557 シゲ RE:報告 ( 8) 94/03/13 15:23 00228へのコメント  #00228 しまうま さん  敢えて「叶わない恋い」をしてりゃあ、そりゃ実りっこないよなぁー。 "SHIGE"yuki.NAKAMA. from YOKOHAMA Bay Side. - FARION MES(13):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<03> 94/03/13 - 01126/01126 GGA02514 KAZE 「ムー」のシュタイナー特集 (13) 94/03/13 01:10 01125へのコメント 英雄さん、どうも。 「ムー」は、創刊当時じばらく買って特集記事などを読んでましたが、 なにせ、広告をはじめとして、あのけばけばしさ!がシンドくなって、 買うのをやめるようになりました。 もちろん、一応、毎月なんの特集をしてるかはチェックしておいて、 たまに面白い特集があると買っていました。 最近では、阿部清明の特集のときは買いましたねぇ。 しかし、この手の雑誌、一時は「マヤ」だとか「ワンダーライフ」とか いうのがありましたが、やはり最後まで残ったのは「ムー」でしたね。 しかし、この手の雑誌、もっといいのが出てても良さそうなのに、 やっぱりそれだと採算がとれないのかもしれませんね。 「AZ」ってのが良かったんですが、次第に値段は上がるは しまいには現代思想風になるは、で、やっぱり難しくなっています^^;。 さて、シュタイナーのあの写真は、晩年のもので 60歳くらいのときのものだと思います。 もっと若い頃の写真もなかなか凛とした感じがしていいですよ。 学生のころの初々しい写真なども、甘いマスク!って感じがグーです。 シュタイナーについては、最近いろんな種類の原書を取り寄せてみて 思うんですが、まだまだ紹介されてない部分が多くて残念ですね。 読めば読むほど、シュタイナーの大きさを実感し、 「こんなことまで言っていたのか!」って感嘆するばかりです。 それに、一度読んでわかったと思っていたことも、 こちらのキャパが大きくなるにつれて、それがさらにふくらむんです。 最近では、西川隆範さんもがんばって訳してはいるものの、 やはり片寄があるようですね。 僕も未訳のもの、未紹介のものについて、紹介しようとも思うんですが、 なにせ手間暇のかかることですから、なかなか思うようにいきません。 今後の大きな課題にしたいと思います。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES(15):★平成松川塾◎日本を考える----------<01> 94/03/13 - 489/489 JCC00626 ナガト RE:こんばんわぁぁあ  (15) 94/03/13 12:13 485へのコメント #485  智美パパ さん >しかし、欧米式は、冷たいやりかたではなく、彼らには彼らの、合理主 >義とは別の、人間尊重の精神が流れています。退職金制度、年金制度、雇用 >保健制度などなど。こうした制度は日本が整備されないまま、冷酷に物のよ >うに人を扱っている。それが欧米式だと勘違いしているのではないでしょう >か。根底にある人の尊重について、この国と、とても冷酷ではないかと、思 >うこのごろでございます。 この指摘にはとても共感するものがあります。 いま私は子細がありまして法律を勉強しているのですが、おっしゃることは 法の分野でも感じることがありますよ。 たとえば民法などには、いわばドイツとフランスの民法典をミックスさせ更に 日本式に応用した法思考が非常に多く見られます。 逆にいうと、たとえば取引での権利義務関係を定めた極めて観念的なドイツの 法典であっても、そのベースには、長い間に事実として積み上げられてきた ドイツ人の経験に裏打ちされた取引への「一般意識」が横たわっているんですが、それ を輸入した明治時代の日本人はむしろ現実の取引の形態を法形式に合わせて しまったという側面が多々あるのですね。 無論それでは現実に起こる金を巡る紛争の解決はできませんので、江戸時代 から続いている日本独自の形態を法形式化したものもありますが、今では そうした形式は次第に形骸化しつつあります。 この伝統的な意識と明治になって輸入した意識をどう調和させるかは 日本民法典創設以来、多くの学者や実務家が格闘した問題だったのですが、 全体として一貫性をもたねばならないという法の本質から、多くの場合、 形式が(つまり輸入された法思考レベルでの一貫性が)優先される結果に なります。法律がどこがよそよそしい冷たいものと---智美パパさんの言葉 でいえば、まさに冷酷なもの---受け止められることが多いのには、案外 こんなところにも原因があるのかもしれません。 いま日本の法曹関係者に求められるのは、上記のような「法思考レベルでの 一貫性」をできる限り私たちの「普通の一般意識」に根差すものに変質させ る---その両者の間でつねにキャッチボールのように交流が行われるものに していく---ことなのですが、これは言うは易く行うは非常に難しいもの。 しかしこの作業なくしては、「人権」あるいは「個人の権利・義務」など 現在の日本の法文に存在する卓越した価値観も、ついに空疎で観念的な念仏 で終わってしまうことになります。その意味で、今、日弁連が進めている 「当番弁護士制度」などには非常に注目しています。 今回は、松川塾長のいわれる「文化論」の文脈でコメントをつけさせて 貰いました。いささか脱線気味も気配もありますが、「文化論」ということで お許しください。企業論などについては、またいつか。 - FARION MES(17):★パワフルなえ★の《おふくろ通信》--<01> 94/03/13 - 831/833 JBH02324 なえ ありがとうね (17) 94/03/13 09:25 830へのコメント  久々に熱が出て倒れてしまいました。  もうかなり治ったのですが、おかげでデスクには仕事の山が・・(;_;)  ご心配頂いて、書き込み出来ず申し訳なかったのですが、  でも、とても嬉しかったです。  でわね。 832/833 JBH02324 なえ お米騒動 (17) 94/03/13 09:25  巷ではお米で大変な騒動になっていますね。  あたし・・多分農家はそうだと思うけど・・、  一番冷静に米を買う行列を眺めているのは農家  ではないかと・・。  家の年寄りも怒っています。  汗水流して作った米を食べる事無く贅沢にして  供給が在っても需要が無いからと減反を泣く泣  く押し付けられて、今になって米欲しい?  もっと基本的な事から一人一人が考えても、良  いじゃないの?  そう思う人は大勢いるんです。 833/833 JBH02324 なえ ごめんね〜 (17) 94/03/13 13:58  身体の調子はまぁまぁなんだけど、色々と雑事あって  当分ROMしております。  申し訳ないのですが、宜しくお願いします。m(_ _)m - FARION MES(18):★あもりの二人三脚ネットワーク------<01> 94/03/13 - 00493/00494 GBE02650 ユ−リ RE:RE^2:なんだかなあ… (18) 94/03/13 12:07 00283へのコメント  REIZYさん、約束のRESを返すのが遅くなってごめんなさい。   言い訳をするつもりは無いけど、  RESを返さなかったのは忙しかったからであって、  決して「RESをつける必要が無い」なんて思ってたからでは無いのよ。(^^;   さて、先日のRTでREIZYさんが、  「僕はユ−リさんの発言を誤解していたかもしれない」  みたいなコトを言っておられましたけれど、  決してそんなコトは無いと思います。   REISYさんは、結構、僕の言いたいことの的を得ていると思いますよ。  これは「信頼」についての一般論、というか、  僕なりの考え、というコトになりますが…   他人に対して、  まあ、よほど個人的に既に信頼関係が有るのならば別なんでしょうが、  不特定多数の相手に対して、  「私は信頼できる人間だから、信頼しなさい」  等々、自分で言って信頼してもらえる人間は、  絶対にいない、とは言いませんが、  それは、余程のカリスマの権化みたいな人間でしょうね。   やはり、人からの信頼って、  例え小さくても良いから、  自分が今できるコト、しなきゃならないコトを、  確実に続けて行った末に、  初めて人から「与えられる」ものだと思うのですよ。                    GBE02650 ユ−リ 00494/00494 GCC01413 HVHY 物事は順番に起こる。 (18) 94/03/13 15:21  以下は、TAO さんの書き込みで引用されていたARIONのメッセージ。   :03.06 良かれと思って為すことが、必ず待ち望む結果を生む訳ではない   :03.07 ここで注意すべき事は、待ち望む結果が必ず正しいと思い込む事だ   :03.08 自分自身の存在や生き方・考え方を正しいと感じるのは勝手だが…   :03.09 自らの思い、考え、感じが普遍的にも正しいと勘違いするなかれ  さて、この後も続いているわけだが、そして、  実はこの後に、全体の文意を明らかにする部分が登場してくるのだが、  もしも、ここまでしか聞かなかった、と仮定しよう。  その場合、まず、全体の文意が掴めるはずがない。あまりにも当然だ。  したがって、「人の言うことは最後まで聞こう」ということになる。  ところで、「最後」とは、いったい何処だろうか?  言語表現というものは、「常に言い足りなさを残す」のではないか。  故に、「最後まで聞いたとしても、最後までは聞いていない」のである。  それぞれの人が会話する時、このことに気を付けたいものだ。  私が思うに、「憶測」と呼ばれる事柄は、無いよりは有った方が良い。  「意を汲む」〜「憶測する」〜「邪推する」。ニュアンスは異なっている。  しかし、いずれも、「想像する」という点においては変わりない。  何にも想像できない人は、会話すらも出来ない、と言えよう。  捻った言い方をすれば、『邪推しない人は、言葉に騙される』。       〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  具体的に、テクストに基づいて、検討してみよう。  上記の4行の引用文だけで、結論が述べられている、と仮定する。  その場合には、次のようなことを言っているように“読める”だろう。   > あなたは、自分の思い・考え・感じが「正しい」と思って、   > また、その「正しさ」に基づき、「良かれ」と思って、   > 「そのこと」を為しているだろう。しかしながら、   > 「そのこと」が為された結果として「起きること」は、   > 「あなたが待ち望んだ結果」とは大きく異なることがある。   > このことは、ある意味で、当然のことである。なぜなら、   > 「待ち望む結果」そのものが、「正しい」とは限らないからだ。   > あなたの「思い」が間違っている可能性に、思いを至らせよ。  ところが、このように読んでしまうと、疑問が沸いてくる。     (1)「正しい/間違っている」とは、どういうことなのか?     (2)「普遍的に正しい」ということは、有り得るのか?  更に、この疑問の延長線として、次のような疑問も浮上する。     (3)ARIONのメッセージは、常に「正しい」のか?  例えば、上記8行の「要約(=言い換え)」を、そのまま、  ARIONに返したら、いったい、どういうことになるのか?  私の場合は、預言解読という立場にいる以上、まず、  「テクストが何らかの正しいことを表している」という前提を置く。  この前提を崩してしまうと、「解読」にはならない。  だがしかし、一般的に言って、このスタンスの取り方は危険である。  いわゆる「鵜呑み」にする可能性が、かなり大きいからだ。       〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  みれさんの書き込みに対して、私が最も気になった部分は、次の部分です。   『なんだか、私やARIONがたまごや周囲の人にしてもらいたかった    話し合いの方向と、違った方向へと進んでいるようにしか見えない 〜』  この部分を書いたことは、        *みれさんの意思によるか、 ・・・[A]        *ARIONの意思によるか。・・・[B]  まず[A]の場合、「正しい/間違っている」はともかく、  「みれさんの意思」が「ARIONの意思」と異なることも考えられる。  (※こういう大前提を意外にも忘れている人が居るようだが…)  次に[B]の場合、ARIONは、この2行を言うことによって、  いったい「何を望んだ」のだろうか?…という疑問が沸く。  どういうことか、説明しなければならないだろうか?  「ARIONが望んだ話し合いの方向」があったとしよう。  実際に「そこからずれた方向へ話し合いが進んでいる」としよう。  このことは、ARIONが人格神として相対化される限り、  「起こり得る」と言うだけでなく、その結果が「正しい」可能性すらある。  だが、そういうスタンスは、このフォーラムでは「採らない」ことになっている。  したがって、ARIONが×××と言えば、まずは、  「×××は正しい」という前提の下に、話が始まって行くことになる…。  そのようなことを、いったい、ARIONは、望んだのであろうか?  ARIONが自分で言ったことだが、ARIONが最終的に望むことは、  「もはやARIONという名前で登場しなくても良くなること」であるはず。  にも拘らず、ARIONが、自分の意思でもって、  「私の望んだことと違うことが起こっている」と発言したとすれば、  それは「出過ぎた助け船」である、と言わざるを得ない…。  さてそれでは、実際には、[A]だったのか?[B]だったのか?  これは細かい問題ではない。むしろ、今回の事件(?)に大きく関わっている。  たまご君の最初の弁明は、酷く言い訳がましく見えた。しかし、  あの弁明を「単なる言い訳」として捨て去ってしまっては、片手落ちである。  ところで、あの弁明に対して、もっとも細かく突っ込みを入れたのは、誰か?  このことは、もう一度、最初から読み直してみると、直ぐに解る。  つまり、こういうことを言うのは“酷”かも知れないが、  みれさんは、ARIONという名前を「出す・出さない」に関して、  「注意深くして注意深くし過ぎることは無い」…ということ。       〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  大胆に言ってしまえば、「偽ARION」が現れたって、構わないのだ。  大切なことは、一人一人の判断と行動であり、それ以外には有り得ない。  仮にたまご君が、ARIONチャネラーを名乗ったとしよう。  そのこと自体に惑わされるとしたら、それは惑わされる方が悪いのではないか?  今まで、ここのフォーラムでやってきたことは、何だったのだろうか?  たまご君に対するRESの中で、私は、  「罪」という“言葉遣い”(?)に疑問符を付けた。  もしも、そのような安易な括り方をしてしまうのであれば、  HVHYにも「罪」はあっただろうし、みれさんにも「罪」はあっただろう。  更に言えば、ARIONにだって「罪」はあっただろう。(※分からないが…)  こんなことは、言わば、自明なことなのである。それが故に、  「罪」といった言葉を安易に使って欲しくなかったのだ。  「罪を自覚すれば許される」という発想そのものが「罪深い」のである。  (※たまご君にそういう発想があったという意味ではありません…念のため)  「カタリ」が起こるに至るには、いろいろなファクターがあったはず…。  その「いろいろさ加減」をこそ、全部、俎上に乗せるべきだ。  その場合に、「責任」といった言葉は、使ってはならないし、使う必要もない。  然るに、「責任」ということを、最初に言い出したのは、誰だったのか?  「責任」を言い始めれば、「責任転嫁」が始まるのは、世の常ではないか?  このような意味合いから、私は、次のような疑問を持ったのだ。   *『たまご君の弁明の冒頭に、なぜ「罪」という言葉が出てきたのか?』  何度も「腑に落ちない」と言っているのは、このあたりのことを含む。       〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  いずれにせよ、堂々巡り、のようなことは、出来れば避けたいものである。                                  HVHY - FARION MES(19):■精神世界ぶっ飛び話/バチアタリQ&Q--<01> 94/03/13 - 247/247 KFG01743 智美パパ 星 (19) 94/03/13 02:44    オリオン座に突如現れた星のようなものの存在について、東京天文台からの 返事はなかった。結局、あの星のようなものががなんだかわからずじまい。    ということで、この現象は、うっちゃらすことに決めた。 その数日後、1度、オリオン座をみたが、何もおきなかった。 また、こういう現象を見たら、報告してみたい。    最初に、あの現象をみたときの印象をおもいだしたいのだが、忘れてた。    な。なんなんだ〜。あれは。と思った記憶だけが残っている。    しばらくして、新星かと思った。が、新星は数日間は輝くので新星ではない。    あれかこれか、いろいろ思い悩んだが、わからない。    今、あの星のようなものを思い出すと 禍々しい印象を感じる。が・・・    あの星のようなものは、心像として何度もみえた。    今も目の前に、あの星の印象が残っている。クエサーの写真みたい。    あれは私の心の星なのかもしれない。なんて思ったりもする。    すまるさんが、あもりさんと玉置山に行ったとき、ARIONを思ったら、    流れ星をいくつかみたという発言があった。    彼女は素直に喜んでいたが、私は、自分の体験をARIONと重ねることは    なかなかできない。そういう期待はあるが・・・。どこか醒めている。    また、あの星をみてみたいものだ。今度こそ正体を掴みたい。