- FARION MES( 2):【居酒屋1999】自己紹介・雑談--------<09> 94/04/06 - 02007/02009 NBB01420 SUKE RE:無事に・・・。 ( 2) 94/04/05 22:58 01976へのコメント  #1976 シゲさん!  オートパイロットで流しながら、ふと画面のメッセージに  「お! こりゃお祝いアップだ!」  と思っていざ、ログを読んでみたら.....ナアンダァ(^^;)…☆ッテナモンダ Suke. 02008/02009 PFA03563 YAHATA 4月になって ( 2) 94/04/06 00:10  会社では新年度がスタートし、今年も新人が入社したことであろう。  同期の社員は級職(社員のレベルみたいなもんだ。これに応じて「資格手当」 なる手当がつく。しかし普通、資格ったら国家資格とかじゃないか?)が1つ 上がっているであろう。これは余程のことがない限り上げてもらえる。  私は足踏み状態である。おまけにしばらくの間は傷病手当金でやりくりをし なければならない。…ピットインだと思っておこう。只今エンジンの乗せ換え &チューニング中なのだな。  今年も1/4が過ぎた。秋に買った車も6ヵ月点検の時期だと車屋さんから はがきが来た。もう春だ。スキーキャリアもはずそうかな、そろそろ。  減量でもしようとどこかに書いて1ヵ月くらい経った現在、ようやくそれら しいアクションを始めた。朝の体操で締めた骨盤をなるべく開かないように、 パソコンを専用机に移設。週3回のペースでトレーニングセンターに行って汗 を流す(普通の運動もすることにした)。  気功も始めた。ビデオを見ながらやっているが、気功で大汗をかくとは思わ なかった。(-_-;)←コンナモンジャナイヨ 動きと呼吸がまだまだうまく合わないし、体 が型を覚えてないせいだろうなぁ。それでも気の感覚は強まったように感じて いる(錯覚かな(^_^;))。一通り覚えたら符呪気功をしようと思い、使う墨汁 には遁甲瞑想図で気をチャージ中である。符呪気功が軌道に乗ったら仙道魔術 にも手を出そうと思っている。  まずはできる範囲のことをこなすことだ。 YAHATA 02009/02009 VFD02105 メルク 忙しいメルクより ( 2) 94/04/06 14:33  しばらくアクセス出来なさそうな感じです。  良く分かんないけど、1ヶ月か2ヶ月か・・・・。  隙を縫って、たまにダウンロードくらいはするかも知れないけど(^_^;)  未読の数字があんまり増えるとやだからさ。  でも書き込みは当分なしです。  月狼さん。7番会議室のレスしてないままでゴメン。  本人はそのうちするつもりでいます。  では、またねん>ALL                           メ ル ク - FARION MES( 3):【めでぃあ室】本/映画/音楽 etc----<01> 94/04/06 - 00431/00433 PFA03563 YAHATA RE^2:ある「教授」について ( 3) 94/04/06 00:11 00426へのコメント  #00426 月狼 さん 》 氏の書いた某宜さんの批判本をこの前読んだんですけど、氏は「未来を科学する 》 子供達を霊的視野の徒輩から守る」のだそうです(^^;)  霊的視野でしか見れなくなるのを防ぐのは良いことだと思います。  でも霊現象を拒絶すべきではないとも私は思うのです。  “じゃん、…科学的視野も大切にね”(でんこ) 》 がんばって欲しいですね(^◇^;)  ええ、ほどほどに。(^_^;) YAHATA 00432/00433 PFA03563 YAHATA RE^2:B4でコピー ( 3) 94/04/06 00:11 00428へのコメント  #00428 ぴさ さん 》  しかもあの抜けるような笑顔はどこから来るんだ?  最近はのーてんきな輩が出回ってますなぁ。  「会社はいいな、おなかがへるよ♪」なんて歌ってるのもいるし。  (Jリーグ通帳作って喜んでる奴ね) 》  TVよく見てますねぇ(^^;;>YAHATAさん  生まれつきのテレビっ子なもので。(^_^;) 画面に向かって突っ込みを入れる YAHATA 00433/00433 PFA03563 YAHATA 「もんじゅ」臨界に思う ( 3) 94/04/06 00:11  まず私の立場を言わせてもらえば、「単に原子力が嫌い」なだけである。  ことを簡単に考えてみる。「もんじゅ」に限らず原発は、平和であるならば 安全性の問題はさほどなかろうと思われる。しかし。一朝有事の際、そこにミ サイルを撃ち込まれたら…それは巨大な核爆弾と化す。ミサイルの側に核弾頭 は必要ない。原発ある限り、核兵器がなくても核戦争は行えるのである。  虚妄だと思う方の意見をお待ちします。 「うむ、なるほど」なんてほど 説得力はないのだ YAHATA - FARION MES( 6):・壁(1)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 94/04/06 - 02314/02314 KFG01743 智美パパ 今日のできごと ( 6) 94/04/06 00:01 偶然、まさに偶然 15年ぶりくらいに大学の同窓と客先でばったり 明日から3年間 アラブの大学の講師をやるという 中村さんからメイルをいただいた。 返事を書いたら、お誘いがあった。 近々 お会いさせていただくつもりだ。 バーチャルコミュニティという書籍を訳したいと思った。 しかし、翻訳権がとられてしまっているようだ。 残念だ。 - FARION MES( 7):★アリオン世紀末書込み寺------------<02> 94/04/06 - 02092/02094 NBB01420 SUKE RE:アーリオーンは超能力集団とどこが異るのです ( 7) 94/04/05 22:57 02091へのコメント  #2091 アポロさん、レス遅くなりましてごめんなさい。  会議室で意見を交わした相手でも、RT等で出会うと「はじめまして」なんて挨拶  は結構交わすものですから、まぁいいかなぁと軽く考えていましたが、失礼に思わ  れたようなら済みませんでした。  忙しさにかまけて数日未読を溜めておりました。多くのレスを頂いたようで、恐縮  です。                 =====  ところでユリ・ゲラー氏については本やTVで何度か拝見しましたが、実際本人に  会ったことはないので、どのような人物かはっきり感触を持っておりません。  とりあえず世間的に言われている「超能力者」が何人かいて、集団を作って何か活  動している、ということでよろしいのでしょうか?  >> 東京都のxx市、SUKEさんの近くに、その集団の中心人物は住んでいます。  >>従ってSUKEさんは、既にその仲間になっている可能性があります。  (#2080)  え?? それは大変です。  お近くに住んでいるだけでいつの間にか仲間になってしまっているのですか?  どうも自覚はありませんが...??  >> 普段のお仕事は、なんと×い×い××機関にお勤めなのです。  >>ここの××機関には、確認出来ただけでも3人、さらに専門医師がいました。                                   (#2080)  伏せ字がよくわかりませんが(^^;)  どうも危ない集団のように見受けますので、近所にそんな名前の表札が下がってい  たら、是非気を付けるようにしたいと思います。                  =====  一連の「超能力者集団」に関するアップを拝見しましたが、アポロさんが何を伝え  ようとしているのか、やっぱりよくわかりません(^^;)ゴメンナサイ  #2083を読むに、その「超能力者集団」はあまり当たり前の人達ではないようで  すね(^^;)  例えばモーターを止める話、世間的に広く認められた現象ではないので、いわゆる  「不思議」とされるのでしょうけれど、修練によってそうした能力を身につけるこ  とが、どのような意味を持つのか今一つ理解できません。能力そのものを目指して  いるだけならば「趣味」の一言で片づきますが...  つまり「超能力者集団」という人達の目的がよく見えてこなかったのです。  むしろ私にはその「超能力者集団」という人々が、「超能力者はかくあるべし」と  いう拘りを持っていて、その拘りを実践しているだけのように見えます。  ゲラー氏は彼自身の能力を研究的な物事へ役立てようとする意志があることを雑誌  か何かで読んだように記憶しています。もちろん「始めに能力ありき」で、目的は  後からついてきたにせよ、それはそれで立派な目的意識として彼の生活の基盤を担っ  ているものと見受けました。                  =====  >> 難しい事をいいますね。よく解らないのですが?  (#2091)  難解でしたでしょうか。  敢えて難しく表現したつもりはなかったのですが、  なるべくわかり易い文章を組み立てるよう、  今後も気を付けていきたいと思っております。  >> SUKEさんの場合は、とにかく操作方法がわかればどれでもかまわない早く家に  >>持って帰って暖かい生活をエンジョイしようと言うタイプですね。  という意味ではないつもりでした。やはり例えが悪かったのだと思います。  ではどういうつもりで書いたか、それはまた説明する機会を待ちたいと思います。  ただ、アポロさんのこの文章から、アポロさんがARIONという存在に対して御  自分なりに納得されたいと思っていることは読めました。  それはそれで良いのではないかと思います。心配性でよく考慮されてから行動され  るというのがアポロさんのアポロさんらしいところなのでしょう。  参考までに私の場合の感触を書きますと、自分が経験した物事に対して、そこから  何かを学べる時というのは、ちょうどそれについて自分が成長過程にある時なのだ  ということです。  だからアポロさんにとって理解し難い言葉は、あまり詳細に拘らなくても良いので  はないかなぁと思っています。                  未読はまだこれから(^^)…☆ッテナモンダ Suke. 02093/02094 PXH01650 英雄 RE:決別のための旅行記 ( 7) 94/04/06 00:59 02084へのコメント おおっ、ユ―リさん。(;_;)(;_;) 親しい友人を、納得のいかない形で失うことになった、その心情は いかばかりかと思います。 わたしもかつて、似たような状況で2人の友人を失ったことがありま す。たしかに「なぜ?」という思いもありました。しかし、”自殺” という形でこの世を去ったからといって、全部が全部、否定的でもの ばかりではい、という事を学びました。ある意味で「殉死」ともいえ る”自殺”もあるようなのです。 ユ―リさんの友人に対する真摯な思いは、必ずや、彼方の世界での彼 の歩む道を、明るく、力強く照らす灯となる事を、確信しております。 :英雄: 02094/02094 PXH01650 英雄 RE:アーリオーンは超能力集団とどこが異るのです ( 7) 94/04/06 00:59 02087へのコメント アポロさん、こんにちは。 疑ってしまって申し訳ないんですが、この「超能力集団」の事は、 ほんとに本当の事なんですか? だとすれば、ARIONとは似ても似つかぬ存在ですね。第一、ARION は、わたしたちと同じ「肉体」を有した存在ではありませんから。それに 人の自由を奪う事を、平気でしたりはしませんから。 しかし、ひょっとすると、アポロさんも超能力者? :英雄: - FARION MES( 9):★TAO の《神々の曼陀羅》―美と信仰と史― 94/04/06 - 010/032 GDB00064 オリハル RE:Untitled ( 9) 94/04/05 20:55 009へのコメント NoBさん、こんにちは。 |ある種、共同体的な意識での強迫観念のようなものを持ちます。               ~~~~~~~~ 下線部は「特別意識」と言った方が正確ではないでしょうか? つまり、 |この特別意識は、一般的には、「建国神話」というものを形成します。    ~~~~~~~~ ということだと思いますが。                        オリハル 011/032 NBB01420 SUKE RE:新規巻き直しの「巻頭言」 ( 9) 94/04/05 23:05 001へのコメント コメント数:1 新装開店おめでとうございます! 実は歴史は苦手な私ですが、古代都市の遺跡の写真なんかは 喜んで眺めたりもします。 こんな私などには、なんだか結構難しそうな気がしますが、 よろしくお願いします、TAO議長!           取り急ぎオンラインにて(^^)…☆ッテナモンダ Suke, 012/032 MHD02672 TAO まとめレス(#003−#006)ですいません ( 9) 94/04/05 23:36  まるにちょんさん(#003)、智美パパさん(#004)、ガッチャさん(#005)、  オリハルさん(#006)、祝辞をありがとうございました。  日頃は自分の非力さをよく自覚しているのにもかかわらず、巻頭言では  いささか大上段に構えてしまって、多少気恥ずかしさもありますが、  まず“慣らし運転”として軽い話題から始めて行き、次第に本格的な  展開に持ち込めて行けたら…と考えています。今後もどうぞご支援の程を  よろしくお願い致します。  TAO 013/032 MHD02672 TAO ありがと(^"^)/~~☆ ピシッ >シゲ ( 9) 94/04/05 23:36 008へのコメント 014/032 MHD02672 TAO 共同体意識における宗教の権威性 ( 9) 94/04/05 23:37 009へのコメント コメント数:1  NoBさん、お越しの程をありがとうございました。(_ _)  #009 は、この会議室の方向性に於いて、非常にベーシックなところを  押さえて頂いたと思っております。とても参考になりました。NoBさんの  意図とはずれるかもしれませんが、ちょっとコメントをば。    「民族」「国家」といった概念が、人類史に於いて、様々な共同体意識を  形成して行き、温存していることは確かだと思います。その上で「宗教」が  その共同体意識をさらに強固なものに固めて行くことが出来るというのは、  そこに何らかの“超越的な権威性”があるからだと考えるのですが、その  権威性とはどこからくるのか、と考え始めると、なかなか難しい問題だと  気付かされます。  本来の宗教の機能とは、必ずしも民族的アンデンティティーを形成して行く  為だけにあるのではないと思いますが、宗教的帰依が結果的に、排他的な  民族意識を高揚してしまうということは、歴史にはしばしば見られますね。  個人的に思うのは、宗教的帰依が争いに発展して行くのは、宗教的権威という  イデオロギーが、政治的意図によって歪められた形で、共同体意識を操作する  のに使われるからではないでしょうか。  民族的アンデンティティーの基盤としての「宗教」には、まさに“美意識”の  差異が大きくかかわり合っているのは間違いないように思えます。現代では、  「人種」や居住地、風土の差異にかかわらず、様々な宗教の中から己が帰依  したいと思えるような宗教を選べるようになって来ていますが、それは世界的に  高情報社会化して行き、個人の意識に於いても情報量が増大して行くにつれて、  民族や国家の宗教的バイアスを超えることが可能になったからではないか、と  考えるのですが。  と言っても、あらかじめ与えられた宗教的バイアスを超えて、己の帰属意識  そのものを客観視しうる人間とは、まだ数少ないかもしれませんね。  さて、日本の場合には、3つのエポックが存在する(天武朝に始まる国家成立、  南北朝分裂、明治維新)というNoBさんのお話には、基本的には同意出来ますし、  特に、天武・持統天皇から聖武天皇に至るまでの時期には、個人的にも非常に  興味がそそられるので、そこら辺の話題が盛り上がったらいいなぁと思って  います。  先は長いことですし、じっくり構えて行きましょう。  TAO 015/032 PXH01650 英雄 祝辞(^^) ( 9) 94/04/06 00:58 コメント数:1 神々のナンタラ・カンタラ....す、すいません、のっけからボケを     かましてしまいました(^^;)。     何はともあれ、ようやく待ち望んでいたオ−プンを′}えることが     できて喜ばしき限りです。開設おめでとうございます。     さて....イキナリの長文の嵐!(見参!)ちょっと、ビビってしま     いました。ああ、またRESが追いつかない...(-_-)。     早くもROMをもあきらめかけているワタシ:英雄: 016/032 CXK03125 月狼 ごあいさつ〈(゜。゜) ( 9) 94/04/06 07:20 コメント数:1  会議室新設おめでとうございます。(*^^*)  知識が全然たりないので(^^;)おそらくROMに徹する事になるかと思いますが  今後の展開に期待しています。  歴史、宗教史関係の教科書、あるいは通俗書と言う物は、世に溢れてはいますが  その中で「清水」に値する物は少ないのではないか?そんなふうに思う今日この頃  この会議室で語られるテーマが権威筋の称賛する説を超え、会員にとって新しい  視野を開拓する上での「こやし」になったりしたら凄くいいですね(^^) ではこれからもどうぞよろしく、TAOさんもがんばってください(^o^)/~~~ Nobさんって凄い(゚_ ゚; ☆ 月狼 ☆ 017/032 PFH02766 河井 浩美 001へのコメントです。 ( 9) 94/04/06 08:19 開店おめでとうございます。 「開店の挨拶」の文面がカタすぎて、ちょっとよくわかりませんが  多分そのうちわかってくるのでしょう・・・  解ってきたら書込させていただきます。  しばらくは模様眺めの浩美さんでした。 018/032 TCC00116 NoB RE:共同体意識における宗教の権威性 ( 9) 94/04/06 11:20 014へのコメント TAOさん、どうも。初回の発言が重くなってしまってごめんなさい。どうもうまく言 えないなというのと、ある意味で「宗教史会議室」のほうの積み上げ部分を簡単にサ マリできないかみたいな思いもあって、ごちゃごちゃしました。 そのまえに、オリハルさん、コメントどうも。民族国家の強迫性(脅迫ではなく)で すが、特殊性というものより、強迫ではないかと思うのです。このあたりは、ゆっく り展開できたらと思うのですが(なにもこの会議室でという意味ではありません)。 ついでごめん、月狼さん、リファーどうも。気になる点があったら、つっこんでくだ さいね。 さて、TAOさんからのレスと前回の補足みたいな話をします。桜のこととかも展開で きればいいのですが、ごめん。 補足したいなと思ったのは、TAOさんと僕の考えの差異のようなものがあり、それは それで差異としていいのですが、もうちょっと僕側の考えを提示しておきたく思った のです。 で、まず、なんでこんなことをしているかというと、「美意識」というのは、普遍的 な要素と歴史文化的な要素がありますが、「民族」の成立以降(近代化と異民族支配 の契機による)この歴史文化性が普遍性と融合してしまうという現象がおこります。 どういうことかというと、「日本人の美意識」みたいな実体が登場してしまうという ことです。これは、ある意味で人間にとって普遍的な美意識というもの対抗としてあ るのかもしれませんが、実際は、歴史が築き上げた意識なのであって、日本民族とい う実体性に固有のものではありません。日本で生まれたオランダ人もそれを持ちえ、 また、歴史文化の意識性を継承できるでしょう。 しかし、そのあたりが、実際にはそう簡単にいきませんし、この困難さはどの民族国 家にもみられる「言霊」説に帰着しがちです。言語のなかに伝統意識性が保存されて いるのはごくあたりまえのことで、たとえば、「せつない」という言葉と感情は、日 本文化以外には翻訳が難しいかもしれません。「夜の海をわたる風がせつない」とい う言表(ステートメント)は日本という言語文化の秩序でしか成立しないでしょう。 ここで話が錯綜してしまうというか丹念にこうしたものを解体していかなくてはなら ないのは、普遍性もまた仮説であるという点です。というか、ある意識性(美意識や 宗教)が普遍性をもちえるということそれ自体が、世界宗教の副産物であり、歴史の 従属なのです。(ついでにいうと世界宗教それ自体が独自の帝国的な権力である可能 性があります。どのように言説の上で「平和」を提唱としようとしても)。 で、NoBさんの前提は、民族的共同体意識と分離される、普遍性の宗教意識それ自体 が虚構ではないか?という疑念なのです。 別の言い方をすると「本来の宗教」というものは、きわめて歴史産物ではないかとい うふうに思えるのです。 このことは、なにもNoBさんの考えが正しいと言いたいわけではなく、そういう「批 判性」(「批判」ということばは誤解されがちですが)の視点もありえるというか、 僕はそのあたりから、発言していくだろうと思うのです。 ただし、この発言は、よく誤解されるように(誤解されてもしかたのない面もあるけ れど)、個別的な俗語のコミュニケーションで実践することは今回はしないつもりで す。たとえば、「アジアなんてないんだよーん」とか、「古神道なんて江戸時代に創 作された復古神道だよん」「現在のバリ民は侵略民なんだよん」みたいな、直球はだ さないだろと思います。 むしろ、我々、日本近代人が、美として、あるいは宗教として、感じられているもを 解体することで、日本という重層性を見いだし、そこから、民族意識の解体の契機を つかめていけたらと思うのです。(むしろ、高度情報社会化や国際交流の契機はハン ティントンのいうようり文明の衝突を生み出していくことでしょう。) ま、ごちゃごちゃいいましたが、僕も20代の後半よく奈良とかよく行きましたが、 TAOさんもよく旅をされているご様子。実際、足で見てまわり、人に聞いてまわると いうことから考えていくというのが大切であるように思えます。どうしても、傾向と してメディアからの知識に偏重しすぎでしょう。ついでにいうと、だいたい書籍のた ぐいは、1500円くらいで5000部出ればなんとかなるものなので、以前なら小 宗教として集団化したものが、軽いメディア化してくるので、こういうメディアを通 して、さまざまに語られがちです。ですから、誰のプリンテッドなりメディアを介在 した伝聞情報から発想するより、実物を見る、聞いてまわるということがとても大切 でしょう。 ま、総論は以上のとおりなんで、これからは各論かと思います。 NoB 019/032 JBH02324 なえ まるにちょんさん ( 9) 94/04/06 13:25 003へのコメント  よろしくね。神も噛み砕き血と肉にしなきゃ理解も半端かもしれませんね。  信仰と美が崇高な意識を高めた辺り、出来れば文字で現せれば良いですね。 020/032 JBH02324 なえ ぱぱありがとう ( 9) 94/04/06 13:25 004へのコメント  たった一つの出来事も、沢山の視点がとても重要です。  ぜひいろんなお話書き込み下さいませね。  お待ちしてま〜す。 021/032 JBH02324 なえ ガッチャさん ( 9) 94/04/06 13:26 005へのコメント  あじゃぱ〜。期待されてしまっただ。(^^;  んじゃ、期待に添える様にがんばりまっす。書き込みもドシドシしてね〜。 022/032 JBH02324 なえ オリハルさん ( 9) 94/04/06 13:26 006へのコメント  史は師で視の詩を思し、始して使い示すだすね。  よろしくね。 023/032 JBH02324 なえ へへーん。 ( 9) 94/04/06 13:26 008へのコメント  シゲちゃんたらぁ。またまたジョークがじょーくなんだからぁ。(^^;  もっといたぶって欲しい?。 (^"^)/~~~~ ピシピシ (^"^)_凵@ゲシゲシ 024/032 JBH02324 なえ RE:Untitled ( 9) 94/04/06 13:27 009へのコメント  こんにちわ NoBさん。  歴史は時々ですけど、お邪魔してROMしています、なえです。(書き込んだ事  は無いです、すんません。(^^;)  テーゼを明確に提示していくというのは意義在りますね。何故にARIONが  宗教を排除し、しかも組織を作らない点に重きを置くのかイマイチ解らない部  分は在りますが、それはそれで選択肢が与えられる訳だから良いのだろうと、  思いますです。  そもそも宗教は後から便宜的に枠を限定し、宗教という名を冠しテーゼを理解  して来た、と考えるなら、その根本には排他的要素も在ったのです。来る者拒  まず、去る者追わずですね。しかし、その枠を位置付けたのは何でしょう。教  祖なる存在でしょうか。それとも弟子の考えでしょうか。それともそれとも。  枠すら実は越えないと全体像は見えない。或いは排除された部分に実は意味が  在る。果ては、宗教という言葉に惑わされる壁が在る。ですか。  そいう事をもっと突っ込んでしたいなぁ。と思いお世話になろうと思った訳で  す。きゃほほ、生意気。(^^;  何と言っても人間そうそう経験出来る程長生きではありませんしね、高々40  年程度の経験値で何が出来るっつー事ですが、そいう事をカバー出来るのが、  案外現代の知識欲を満たすデータバンクなり、書籍なり、そっち方面の情報を  的確に抽出出来る辺りに期待している訳で、希望もあるのですね。  NoBさんの文章には示唆が多く考えさせられる部分が多いので勉強になります。  まぁ、鼻垂れ小僧位な年齢までは現役で出来ればと考えますゆえ、宜しくご指  導下さいませねっ。  アンチなんて・・・気づきの喚起や、多角的視点の情報っつー観点であれば、  そんな気分には、とてもなれないですけどね〜。変だかなや?(^^;                   蝶ンブレサリョ なえ 025/032 JBH02324 なえ Sukeさん ( 9) 94/04/06 14:18 011へのコメント  いらっしゃいませ〜〜。  マチュピチュとか、太陽の神殿とか。空撮で解った地上絵等も、作っ  た人の意識が計り知れなくて面白いですものね。砂漠に消えた楼蘭と  か・・。興味は尽きないですね〜。  日本でも、未だ場所が特定出来ないヒミコさんの居た場所とか、ね。  難しい〜なんて事はないですよん。・・・テナモンダ なえだす。(^^;                   蝶ンブレサリョ なえ 026/032 JBH02324 なえ 英雄さん ( 9) 94/04/06 14:18 015へのコメント  いらっしゃい。ROMを諦めるだなんてぇ・・。(^^;  ビビでばびでぶう。~(^o^)~ でゆっくり参りましょう。(^^;                   蝶ンブレサリョ なえ 027/032 JBH02324 なえ 月狼さん ( 9) 94/04/06 14:18 016へのコメント  こんにちわ。よろしくね。  知識なんて・・・実は興味があれば知識はブットビなんですよぉ。  (ここだけの話だけど、14番で始めの頃・・ホント無知識で、脳  味噌うに状態で会話してはボケかましてたんですよぉ。あたし(^^;)  キャラキャラ・・・(^ー^;)                   蝶ンブレサリョ なえ 028/032 KFG01743 智美パパ 長文注意です ( 9) 94/04/06 14:42 コメント数:1   TAOさんの会議室の趣旨に関心があります。   残念ながら、どちらかというと知的レベルでの関心です。      Nob さんがこの会議室にいらっしゃるようでして、発言を大変に期待しており   ます。勉強させて下さい。      まず、この題材に関しまして、個人的な歴史に触れたいと思います。      そもそも、自分は科学的マインドの強い人間です。ただし、それは不思議なこ   とが好きという立場からの関心でした。だから、天文学はもとより、工学、現   代物理学から、ヨガやら超能力にも幼いときから興味がありました。私の年代   ではこれはめずらしいことです。      始めて宗教的なものに関心をもったのは、高校の世界史の授業でした。それは   ウパニシャット哲学の紹介でした。教師は、その哲学書の一部をよみあげてく   れました。「空の空は空である」。大変なインパクトを受けまして、これは真   理であると強い感動を覚えました。図書館でその哲学書を借りましたが、まる   で話がわからず、すぐに返却しました。      宗教を論じたアーティクルは1976年の2月に初めて触れました。それは、   ある大学の入試に出題された論文でした。論文はふたつありました。ひとつは   土着宗教と世界宗教の比較。もうひとつは、多分マックスウェバーかあるいは   その研究者の論文です。前者の文章はたいした論文ではありませんでしたが、   後者の論文はなかなか含蓄がありました。      さて、当時、私はちゃきちゃきの理科系だったのですが、学友にインテリが多   く、不思議と宗教性にからむ著作に触れる機会が多々ありました。西洋的な哲   学やキリスト教につきまして学ぶ機会もありました。私と親しかった白血病で   なくなった友人が、トマスアキナス、デカルト、(あとひとり忘れました)に   関心があったので、いろいろ話を聞かせてもらいました。デカルトについては   自然科学的視点から、私の方から解説していたように思われます。一方的に教   えてもらうばかりの私が、唯一、彼に話せる題材でした。ふたりは、同じ女性   に恋をして、私が最初にふられ、彼はその後1年ほどして、その女性と1年程   度深くつきあい、その後、わかれました。      また、このころは、量子力学に惚れ込んでいました。そして、相対性理論が最   後のデカルト的世界観であり、ニュートン力学の、あるいは近代科学の最後の   徒花であるということも知りました。その意味において、相対性理論は、全く   古典的物理学的な世界観にたった理論だということを悟ったのです。それは、   みごとな美術品でした。この悟りと同時に、キリスト教というよりはキリスト   教的な神学の宇宙観というものも瞬時にして、理解してしまいました。(学術   的な話は別です)。      また、後に、相対性理論のねっこにあるものが、実はマッハではなくて、カン   トにあることを知りました。これは、かなり衝撃的なできごとでした。なお、   カント的な世界観は、後に、人工知能と関係していることも知りました。カン   トの哲学がインド的世界観と近いことを知りました。これも、かなり衝撃的な   できごとでした。さらに、カント的世界観は、インド的世界観をデカルト的な   世界観に焼き直したものあると思うようになり、心の安定?が得られたのです   。しかし、皮肉なことに、こうした世界観の誤解?が、後の量子力学的な世界   観につながっていくのはないかと、今は思っています。(ですから、人工知能   は、たいした成果はうまないと思っています)。      大学の学友のうち一部の女性たちは、大変に量子力学の根底をなす不確定性原   理に関心をもっていましたが、彼らの論点がさっばりわからず、苦笑したこと   も覚えております。何度も説明を求められるのですが、結局、彼女たちが満足   する答えをしてあげられることができませんでした。彼女の論点が、わかるよ   うになったのは、なぜ彼女が、この原理に関心があるのかわかったのは、ずっ   と後になってからです。      この原理は、たしかにわかりにくい概念ですが、数学的操作では、とにかく現   象を説明できてしまうので、その哲学的な思想的な背景は、関心はあったもの   の、棚上げすることができました。彼女たちには、物理学的なあるいは皮相的   な答えしかできない私に満足できなかったのだと思います。後にシュレンジン   ガーの、このテーマに関する、簡単な書籍を読みましたが、このとき、この原   理の根底にある思想が、仏教的なもの(その典型的なサンプルは般若心経でし   ょう)またはオカルト的なものに通じることもわかりました。それは、ゲーデ   ルの不完全性定理とも通じるところがありますが(此の論文は、論理学がわか   れば、とてもエレガントに書かれていますので、読破は困難ではありません)      というわけで、自分がもっている科学的な世界観というものは、簡単にくずれ   るものでもなく、ある意味においての霊的な体験や宗教的なな体験とも付随し   ていますから、私の全てともいっていいくらい、誰がなんと言おうともゆずれ   ない部分があるのです。強烈な自意識と自尊心と自信に裏付けらておりますか   ら、誰にも触れてほしくない、私の一番大事な、本当に大事なねっこが、ここ   にあります。しかし、以前にYHVHさんにやってもらった占いによると、こ   の世界観も破壊しなければならないようです。      しかし、自分が本当に関心があったのは、クラブ活動の同学年の女性たちの一   部が関心をもっていた心理学です。このころから、心理学と宗教の類似性が気   にかかっていました。なかでも、実存的心理学に強い関心をもちました。レイ   ンやクーパからはいり、その周辺の文学や哲学なとにも興味がありました。最   近知ったことですが、量子力学と実存主義は関係があるそうで、この当時、自   分が古典的な物理学的世界観に強い哀愁をかんじながらも、量子力学にのめり   こんだ理由がわかりました。      しかし、結局、ユングにのめりこみました。その周辺の文学にも関心も持ちま   したヘッセやジョイスを読んだのもこのころです。(こういうものはもっと若   い時に読むものなんですが)。また、部分と全体だとか、偶然と必然といった   著名な書籍を何度も読みましたが、それが、後に、遠いところでオカルティズ   ムと関係していることを知りました。      社会人になっても、ユングの勉強を続けました。できたばかりのユング学会に   もはいりました。こうして、宗教学や神話学などにも興味をもつようになりま   した。トランスパーソナル心理学に関心をもったのをこのころだったと思いま   す。      その後,仏教に傾倒しました。その後、トンスパーソナル心理学やら占星術や   らグルシェフなどに傾倒しました。前後して、NIFTYに加入しています。   不思議な因縁でマルクスを読み、続けて、あれほど悪戦苦闘したマックスウェ   バーがすらすらわかるようになりました。(共産主義は一種の唯物論をベース   とした宗教であるというのが私の視点です。この視点にはじめて触れたのは、   大学の旧約聖書の講義でしたが、旧ソ連の政治的活動を調べていくうちに、そ   の思いを強くしました)。現代は神道に関心があります。      私が宗教にからむとき、それは,常に物理学的な世界観におきなおすという特   徴があります。もうひとつは、心理学とのかかわりです。前者は、宇宙の真理   を知りたいという素朴な欲求です。後者は純粋に自分といは何かという素朴な   話であり、はっきりいうと「自分をもてあましている」あわれな存在でしかあ   りません。その意味で、人の中に宇宙があるというのは、ごく自明なことに思   うのです。いづれも合理的視点と非合理的が意識混在しており、オカルティズ   ムとかかわっていくのです。ここに、ひとつの確信があるのですが、自分が宇   宙の真理をわかったとき、(そこは愛に満たされているという強い確信があり   ますが)、自分をあますこともないでしょう。つまり、外に限りなく意識を広   げるか、自分の中に意識をひろげるか ふたつの方法があるように思います。   今は、後者の方法をとろうとしており、若いときは前者の方法をとっていたの   です。      なにか、とりとめもないことを書いて、独白めいてしまいました。すみません   最後に、宗教と歴史のかかわりを触れます。      さて、Nob さんは歴史的な3つのふしめを与えています。   私は、もうすこし別の視点をもっています。それは、多分、TAO さんのイメー   ジに近いと思いますが、学術的な裏付けはもちろん、自分自身の体験としても   裏付けはありません。      − 前縄文時代    超深層      ??1 前史時代   − 縄文時代     深層      ??2 神話時代(弥生時代)   − 神武天皇     表層      ??3 古代      YHVHさんあたりが追求しているテーマは???3と神武天皇以降の話でし   ょう。   今、おきている時代的な混乱は、縄文時代が表にでてきて神武天皇時代と関係   しているように思われますが、神武天皇時代を生かすには縄文時代が必要であ   り、縄文時代をいかすには前縄文時代が必要だと思われます。これは人の心の   3分割にしたものと似ているようにも思われます(上図)      まあ。これは落書きみたいなものですから、適当にほっておいて下さい。 029/032 KFG01743 智美パパ RE:長文注意です ( 9) 94/04/06 14:52 028へのコメント   実はNob さんは顔は良く知っております。   機会があれば、Nob さんとお会いしたいと思います。   会えば、Nob さんも私が誰だか思い出すでしょう。 032/032 KFG01743 智美パパ 馬鹿な私ね ( 9) 94/04/06 18:15 アリオンがここは宗教ではないというというのはわけがあるという話 納得しました 烽アこが宗教か宗教ではないか そのどちらでもないということを 論ずるのは意味がなく アリオンの意図が大事ですね さとりから遠いところで話をしていました >なえさん - FARION MES(11):★アキラの《平井和正*異界漂流》----<01> 94/04/06 - 396/396 GEH01636 酔狂生 便器に宝石 (11) 94/04/05 22:59 331へのコメント  どなたもかかれないようなので、玉置神社参拝のときのエピソードをひとつ。  集合場所の駐車場から神社への参道の途中、何台か車のとめれるスペースが あり、そこには乗用車が数台と、小型(十数人乗り)の観光バスがとまってま した。窓には「××会」との貼り紙。はて、奇特なことだ、と横目でみながら とおりすぎる。  さて、玉置神社についたのはいいけれど、足のはやい人とおそい人がいるの で、おそい人がくるまでしばらく休憩。その間に小生は御朱印をもらおうと、 社務所へ。そこでは中年の女性が数名、なにやら買い物の最中。どうもさきほ どの××会の一行らしい。そのうち素っ頓狂な女性の声。「あかり、あかり」 「トイレに…」「棒が…」 宮司さんもなにやらこまった様子。  はて、なんだろうとおもったが、女性のトイレの話に聞き耳をたてるのもイ ヤラシイので、しばらくして、今回の一行の中で、トイレにいった女性の話を きく。 「どうやらあの人、トイレにダイヤモンドの指輪をおとしたみたいね」 「あそこは、くみとり式だからみえてるんだけど、棒でひっかけようとしても むずかしいみたい」 「ほら、あそこ(トイレの前)に懐中電灯があるでしょ」 「みえてるから、よけいくやしいんじゃない」  N地さんいわく 「そんなもんもってくるから、カミサンがおこるんや」  結局、指輪がとれたかどうか、小生はしらない。  これをたんなる教訓ととるか、それともカミサンのユーモアととるか、はた またもっと深遠なことを暗示しているのか、それはわからない。でも、こんな 場面にめったにでくわさないことだけはたしか。                           酔狂生(GEH01636) - FARION MES(15):★平成松川塾◎日本を考える----------<01> 94/04/06 - 514/515 JCC00626 ナガト RE:「空気」を変えなくちゃ^^; (15) 94/04/06 02:07 513へのコメント コメント数:1 おお、松川塾長! どうもお久しぶりです。 何と申しますか、しばらくぶりに塾長の歴史認識の真骨頂をお聞きしました。 やはり不精をせずに、気になることには発言をしてみるものですね。こういう コメントを得られるとは思いませんでした。実に欣快です。 以下、順不同に拝見した感想を。 >この〈神話〉は実際は二つの意識の支脈を持っているのではないでしょうか。 >・・・・・・・・ 以下に続く部分で述べられている「二つの支脈」ですが、確かにこの二つの態 度では議論は噛み合うべくもないことでしょう。そもそもご紹介の二つの見方 には、ともに「これは自分の問題なのだ」という意識が欠けているのではない でしょうか。散々通行人を轢き殺した暴走車が、暴走の最後に第二の暴走車に 追突して止めたのだから「暴走にも善い所があったのを認めろ」というのは、 どうみても子供の理屈ですし、一方「俺は手を汚していないぞ、声に出しはし なかったが内心は反対していたんだ、あいつが俺を洗脳していただけなんだ」 というのもあまり潔い態度だとは思えませんが、いかがでしょうか。 私はそのどちらの見方にも与しませんが、ただ一つ明快に申し上げることがで きます。それは、 「現実に根差すことのなかった思想はついに歴史とはなりえない」 ということですね。同時にこの点を等閑にする限り、いわゆる「責任」の問題 も永遠に不毛な堂々巡りを続け、また今後も決して私たちは責任が何であるか を知ることができないことでしょう。あまり熱心な読者ではないのでよくは知 りませんがあの西部邁氏が悲憤しているのも、案外こういう点に関わる問題-- 現代日本人の責任ある思考態度の欠如--なのではないでしょうか。 これは以前に林房雄に関する話題の時にも申し上げたことですので、これ以上 は繰り返しませんが、私の申し上げているのは要は「もしアジア解放なる思想 があったのだとすれば、それをなぜ現実に反映することができなかったかを考 えるのが、少なくとも後世に生きる我々の責任なのではなかろうか」という だけのことですので、それをご理解いただければと思います。 >先の〈太平洋戦争〉について語られるときに、現代日本人が実際に頭の中に >思い浮かべているのは、アメリカという国家との戦争行為ではなくて中国や >朝鮮や南方諸国に対する政治行為や戦闘行為についてであって、日本の宣戦 >布告相手国たるアメリカ(更にその他の西欧諸国)という国家との政治関係に >ついてであることは稀であったということです。 というのは確かに戦後の現代日本にも見られる傾向ですが、実はそれは日露戦 争以降の日本の為政者やオピニオンリーダーにも非常に顕著だった傾向と思わ れます。ちょっと日露戦争を例に挙げましょうか。あの戦争を当時の日本がど う戦ったかという点に関し、日露戦後に不当に低く評価されてしまった部分が あります。日英同盟の存在です。 あの戦争は決して日本が独自で戦ったものでも、また日本軍の勇猛果敢さだけ でやっとこさ勝利を勝ち得たものでもありませんでした。あれは日英同盟の勝 利だったのです。より具体的にいえば、それは英国の情報収集力と国際世論-- 特に日本に戦費を提供した米国の資本--への影響力がなくしては望むべくもな い勝利、そして日本が真に誇るべきはその国際環境を築くことのできた外交的 手腕だった、ということですね。 ところがこの部分に関する評価は戦後非常に低いものとなってしまいました。 そしてそれに変わるものとして「亜細亜で初めて列強に勝利した日本こそアジ アの盟主・東洋文明の代弁者に相応しい」という捏造された自画像が登場する 結果となってしまうのです。 >日本は幕末維新以来絶えず、アジアという広大な大陸の向こう側に住んで >いる欧米列強の力をまず問題にしてきたのだということを忘れるべきではない 従って、これはまさにその通りなのですね。ただしそれは東西両文明の衝突と いう文脈においてではなく、維新の指導者達は日本の存亡のためにアジアの向 こう側に存在する欧米列強の力をどう取り込むか、というまことに切実な選択 の問題に常に注意を払っていた、という意味においてなのですが。まず、現実 の歴史において日本がアングロサクソンと同盟を結ばずに行った国際行動が成 功した例はない、という事実ははっきり認識しておくべきではなかろうかと考 えます。 元来、テロと謀略の渦巻く維新の動乱を潜り抜けてきたガチガチのリアリスト 揃いの維新の指導者達には、このような感覚はおそらく自明のことであったの に違いないのですが、不思議なことに彼らの後継者は全く別の人種としか思え ないほど頭のすっ飛んだ発想をするようになってしまいました。 まあ、これも民間の時流便乗学者や憂国の士が行う分にはさして害がないので 構わないのですが、しかし為政者までがこのような空気に従って思考するよう では、どうしようもありませんね。あらゆる外交手段を講じ、交渉での自分の 手札の値をせり上げておき、かつ戦時に備えて民衆を避難させる準備までした 上で西郷との「降伏交渉」に臨んだ海舟がこの有り様を見れば、おそらく心底 呆れ果てたことでしょう。 この事情は戦後も同じです。非武装中立論が遂に幻想----それは大東亜共栄圏 が実体のないまさに〈空気〉だったのと同じ意味で、まさに日本人の脳髄の中 だけに映し出された架空の物語だったのですが----でしかなかったのも、上記 のごとき歴史認識が欠けていたことが大いに関わっていたようですね。 戦後の非武装中立論者も戦前の大東亜共栄圏論者も、ともに現実を見据えぬま ま自らの脳裏の幻影を追っただけでしかなかったのです。奇妙なことにこの一 点において、両者は実はその根を同じ所から発していることになります。kaze さんが〈空気〉について述べられていた一連のお話は、いわばこのような根拠 なき幻影の呪縛をいかに振り払うかに関わるものではなかったか、と私は受け 止めておりまして、その意味で非常に共感できるものを----誠実な思考態度を、 感じたのですね。 >日本はこの〈共栄圏思想〉を独自に発案したのでしょうか。 これについては私は不勉強ですので確かなところは言えませんが、おそらくは、 違うのではないでしょうか。 非常に大ざっぱに言いますと、幕末に存在していた「日清朝・東亜文明連盟」 の構想は、早くも維新直後の段階で現実に清国・李氏朝鮮と交渉を持つように なるとあっという間に雲散霧消してしまいます。 このこと自体、実は「そもそも日清朝の間には共通の文明的要素が存在しては いなかったのではないか」という疑いを抱かせるのですが、取り敢えずそれは 措いて話を進めます。 その後、様々な歴史体験を積む間に、日本人自体が次第にこの構想そのものを 全く別種のものに変質させ、資本主義・共産主義・ファシズム、そして「近代 の超克」等々の思想を取込みながら、ある奇形的な一つの空気を作りあげてい きます。それは、実は幕末の同盟論を裏切り続けた現実を正当化する、いわば 「精神安定剤」の役目を果たすものだったのですが、肝心なのは、その過程で この奇形的思考は現実を決して取込みはしなかった、という点ではなかろうか と私は思います。 端的にいえば、幕末の「東亜文明同盟」とその後のいわゆる「大東亜共栄圏」 構想には明確に断層がある、ということですね。歴史はすでにこの途中で切れ てしまっているということなのです。 こんな例がありますよ。例の海舟の日記ですが、文久二年(1862年)40才だっ た海舟は日記にこんなことを書いています。    今朝、桂小五郎、対馬藩大島友之充同道にて来る。朝鮮の議を論ず。  わが策は、当今亜細亜州中、欧羅巴に抵抗する者なし。これ皆規模狭小、彼  が遠大の策に及ばざるが故なり。いま我が邦より船艦を出しひろく亜細亜各国  の主に説き、横縦連合、ともに海軍を盛大し有無を通じ学術を研究せずんば、  彼が蹂躙を遁がるるべからず。まず最初隣国朝鮮よりこれを説き、後、支那に  及ばんとす、と。同人悉く同意。 さてこれを塾長がご引用の明治29年(1896年)の海舟の座談と並べてみましょ う。  おれが李鴻章にしても、ナニ馬鹿ナ、日本などと本気に戦うものか。サッサ  と逃げるよ。土地が広いから、逃げ回って二、三年もかかるサ。大きに都合  が善いよ。(『海舟座談』岩波文庫 P341) ついでにご紹介しますと上の座談を行ったのと同じ日清戦争の前夜に、海舟は 以下のような漢詩を作っています。これは同じ岩波文庫にも載っていますね。  隣国、兵を交うるの日  その軍(いくさ)、更に名なし  憐れむべし、鶏林の肉  割きて以て魯英(ロシア・英国)に与う さてこの三十四年を隔てた落差は、一体何なのでしょうか? 海舟自身は何も変わってはおりません。彼は相変わらず冷徹に現実を見つめる リアリストであり続けています。彼にとって重要なのは東亜の国々が連盟し、 そして現在進行形の列強の侵略から自らを防衛することでした。彼は決して東 亜が西欧と雌雄を決すべし、などとは述べておりません。しかしその後の現実 の推移は海舟を「その軍、更に名なし」と呟かざるを得ないところにまで追い 込んでしまったのですね。 私はここに非常に無惨なものを感じます。と同時に、これは既に明治前期に、 かつて海舟が桂とともに談じ合った「亜細亜各国の横縦連合」の試みが崩壊 してしまったことの、何よりの証のように思えるのです。 では例の「大東亜共栄圏構想」が、或は海舟の夢見た横縦連合の遅れてきた 復活を目指すものだったでしょうか。残念ながら、そうではありません。 先の海舟の日記は、私が古本屋で見つけた書物から孫引きしたものなのですが、 昭和13年にある著名な言論人によって出版されたその本には以下のような文言 が記されています。    大和民族は今まさに本来の故郷に帰る運動を起こしつつある。  鮭や鱒は川から下って海に入りまた海から川に遡上する。・・・・元来我が国で  北進南守といい若しくは南進北守というのは、我が祖先の来たりたるその  故郷の一方に帰ることを意味したもので、まったき事実は、北進また南守、  南進また北進、大陸にも大洋にも膨張蔓延することが、即ち祖先の故郷に  帰る所以であろう。  元来大和民族はいつまでも日本の内地に田螺の如く蓑虫の如く篭城する運命  をもっている者ではない。本来世界に雄飛すべき人種であるが、不幸にして  未だその機運が熟さなかったのだ。言い換ゆれば雄飛すべき訓練期間が余り  に長かったのである。たまたま雄飛の痕跡を表したのは、南北朝の末から徳川  氏の初期にかけての和冦の歴史がよくこれを語っている。或は豊太閤の征韓の  ごときもその意味にとられないこともない。  そもそも今回の事変(*支那事変のこと)は正直のところ日本が故らに製作  したものでも無ければ構造したるものでもない。・・・・然るに相手の支那が  強制的に我に向かって挑戦し来るものにて、有態の事実はいやいやながら  売られた喧嘩を余儀なく買ったまでのことである。・・・・  日本には絶対に征服の思想はない。三千年来の歴史がこれを語りている。膨  張はするが征服はしない・共栄は図るが搾取はしない。世界の総ての国をして  その国たらしめ世界の総ての人をしてその人たらしむるのが、わが皇道の眼  目である。・・・・日本は先ず自覚したのである。ここに於て、日本は第一著に日  本を日本たらしむることに於て殆どその目的を達しえた。今や更に進んで東亜  をして東亜たらしめんことを努むべき時節が到来しつつある。 まあ「1000年前の俺の先祖がそこの出身なのだから俺にはそこに出張る権利が あるんだ」では、1000年前の同族のことなど覚えてもいない現地の住人はいい 面の皮ですし、そう主張するわりには「売られた喧嘩を買ってるだけだ」とい うのでは、これは当たり屋の開き直りです。雄飛の例に秀吉の「征韓」を挙げ ながらも日本史に征服の思想はない、というのも、論旨が滅茶苦茶でみっとも ないこと甚だしい限りなのですが、これが市井の憂国の士の与太話ではなく 著名な言論人の言説だとすると、どうにも異常なことですね。 因みにこの本は「亜細亜をアングロサクソンと共産主義から守る」ことを目的 として書かれたものなのだそうですが、(林の思考と実に似ていますね)「日 本が守る」根拠として書かれていることは終始、上記のような主張の域を越え ていません。 昭和13年----つまり海舟と桂の座談から70年を経た時、かつて海舟と桂が膝を 打って論じた「横縦連合」の夢は、これほど奇態な思想となり、もはや全く別の 性質のものになってしまったのです。 不思議なことにこの本の著者は、それを「同じものだ」と錯覚しています。彼 は文久二年の海舟の日記を自身の主張の根拠として引用しているのですが、し かし決して明治29年の海舟の苦渋に満ちた詩「名なき軍(いくさ)」への嘆き に目を配ろうとはしていません。これはまさしく、kazeさんが指摘されていた 「空気」によって思考し、無意識のうちに事実の内から何かだけを選択し、そ れに沿わない要素は切り捨てる、という思考態度の典型的な例だと思えてなら ないのですね。もう一度繰り返しますが、やはり歴史は切れてしまっているの ですよ。 最後にこの本の題名をご紹介しましょう。それはいわゆる「大東亜共栄圏」構 想を支えていた〈空気〉が、海舟の目指した水平的な連盟としての亜細亜の 「横縦連合」などではなく、実は「亜細亜の日本化」であったことをはっきりと 示しています。 題名「皇道日本の世界化」 昭和13年:明治書院刊行 そしてこの本の著者は、明治初期に自由民権の言論の旗手として論壇にデビュ ーし、長年にわたって評論家として活躍した、あの徳富蘇峰です。これもまた 誠に無惨としかいいようのない話です。  ps:最後に政治漫談を一つ。    塾長は「日本がまず東西両文明の対決の露払い役を務め、ついで中国が    その歴史的使命を継承する」とお考えのようですね。    その歴史観について私がとやかく口を挟むのは差し控えますが、仮に    そうなった場合、私は日本は相当悲惨な立場に追い込まれることになろ    うかと思いますよ。    中国の近代史は、まさに誇り高き中華文明のプライドをずたずたに引き    割かれることの連続だったわけですが、昨今の経済発展によってその    プライドも復活しつつあるかに見えます。プライドを踏みにじられなが    らも臥薪嘗胆を誓って膝を屈してきたものが、実力をつけた時に真っ先に    考える事は何でしょうか?    それはかつて自らを辱めた者への復讐戦です。中国の徳富蘇峰が、これ    からは大中華が膨張するのが歴史の宿命である。欧米を片付ける前にまず    日本を同化すべしと叫んでも、これは不思議ではありませんね。    中国の目には日本は西欧文明とも中華文明とも異質の東夷と映っている    ようですし、現実にこの百年の日本の行動を支配していたのは、海舟の    思考ではなく蘇峰の思考だったわけですから、仮に日本が    「いや、私たちが目指していたものは実は・・・・」と主張をしたところで    さして効果はないことでしょう。悠長なようで結構シビアな民族ですから。    まあ、北京の高級ホテルのカラオケバーで、美女を侍らせながら先の戦争    の記録フィルムをレーザーディスクで流し軍歌を朗々と歌っていた日本人    商社マンの集団の姿を思い出しますと、どうにも、これは・・・・などと思っ    てしまう今日この頃であります。 ps2:アジアと西欧の「視線」の交換形態については私もよくわかりません。    ロシアのお坊さんの説には関心をそそられますが、日本が「汎モンゴル    主義」を体現しているとする見方は、伝統的に東方の脅威に曝され続けて    きたロシアの民族意識の反映であるようにも思えます。もっとも、そもそ    も「汎モンゴル主義」が何かについて私は全く知らないので偉そうなこと    は言えません。これは要するにジンギスカンの事を言っているのでしょう    か?前掲の蘇峰は、「古代海外から移住してきた日本人は、いまその帰巣    本能によって国外の父祖の地に帰ろうとしている」と考えたようですが、    この「汎モンゴル主義」もこのような衝動を指しているのですか。    それと、ご指摘の視線のチャートですが、あれはロシアと極東アジアに    ついては当てはまるかもしれません。ヨーロッパ諸国・アメリカを考える    場合にはもっと別のものになりそうな気がいたしますが、どうも今は頭が    働かないのでいい図が思い浮かびません。それはまた気ののった時に試み    てみようと思います。 515/515 GFD00204 松川 貴     RE:「空気」を変えなくちゃ^^; (15) 94/04/06 14:14 514へのコメント  ナガトさん  私は世界史を考えるときに表の史学的な意識と別に、もうひとつ別の意識の流れの ようなものがいつもまとわりついているんですよ。私もまた〈少々キ印〉っぽい連中 のひとりなのです。というのも、先の大戦については、ここでもよく引用する、あの エドガー・ケイシーのふたつのリーディングが、いつも頭にこびりついて離れないか らです。  彼は戦争が始まるとこのような質問を受けました。  今度の大戦の目的は何か。  「ユダヤ人に国を与えるためである」  日本はなぜ大陸に進出したのか。  「古い中国に新しい動きを起こさせるためである」  ケイシーのリーディングを用いなくとも、大戦からその終結へかけての歴史の推移 を眺めてみれば、確かにひとつの〈歴史的結果〉のようなものが出ているということ が分かります。けれども、あのエドガー・ケイシーは、大戦がまだ行われている最中 にそれを語っていたのです。私がここで開陳したのは、かつて私がこの会議室で語っ たことのある〈日中泣いた赤鬼論〉の別な再現です。ケイシー・リーディングなしに はこのような議論は思い浮かばなかったでしょう。〈青鬼〉たる日本軍部は〈赤鬼〉 たる中国共産党の人々にために──中国人民のためではありません──働いたんだと いう議論です。そういうわけで、このような中国認識は、まったく学問的ではないの で、お恥ずかしい話ですが。  ですから、ここは誤読です。 >塾長は「日本がまず東西両文明の対決の露払い役を務め、ついで中国が >その歴史的使命を継承する」とお考えのようですね。  私は、過去の──つまり大戦中における──〈中国(共産党)と日本(軍部)〉の 関係について書いたのです。私は林房雄氏とはまた違います。また、私は政治学者で も、ケイシーのような予言者でもありません。先のことはまったく分かりません。 >「空気」によって思考し  現実的にも比喩的にも「空気」は世界中に充満しておるではないですか。それぞれ の国の人がそれぞれの国の空気を吸って生きています。現実的にも比喩的にも……。 >ソロヴィヨフの話  朝日新聞問題にからんで派生した話ゆえ、もうひとつ〈空気〉という点で、ソロヴ ィヨフの書いた文章の、以下の部分に注意を喚起しておきたいと思います。日本が戦 前同様、〈空気〉という点で共通性があるという議論があるのなら、なおさらです。  彼らは新聞と歴史の教科書から、西洋には汎ギリシア主義、汎ゲルマン  主義、汎スラブ主義、汎イスラム主義があるのを知り、汎モンゴル主義  の理念を告げた。  今日の日本人は〈新聞〉から、いったいどのような理念を知り、それを世界に告げ ようとするつもりなのでしょうか。                                   松川 貴 - FARION MES(17):★パワフルなえ★の《おふくろ通信》--<01> 94/04/06 - 877/877 JBH02324 なえ う・・産まれた (17) 94/04/06 17:02  って、産まれただよぉぉ。きゃあきゃあ。  今の今だから・・えとえと、4時45分くらいかな・・。  母子共に健康でいますぅ。うるうる。  昨年が難産で死産だったからさー。もぉ心配だったけど、  という割には世話してないが・・。(^^;  それでも、それでも、いちお無事産まれた事をUPします  だよ。  あ、まだ男か女か見てない(^^; ウヘヘ - FARION MES(18):★あもりの二人三脚ネットワーク------<01> 94/04/06 - 00811/00816 JBH00712 桂 桂 RE:桂 桂 へ(3) (18) 94/04/05 21:17 00779へのコメント コメント数:1  #0077-00779   正直な感想を申し上げると、「退屈」の一語に尽きる。  以下に理由を述べる。  #777、#778については、「誤解がある」のであったなら、正直にどの 事実において、あなたと僕とで食い違いがあったのか、それを書けばい いことでしかない。たとえば「親友」という言葉について、もしくは「 (電話において)本気か」といったのはあなたはその言葉を発したのは どのような感情、意志に基づくものであったのか、それを淡々とその時 の自己の感情と共に書けばいいだけの話しである。  それをまるで「僕はこう思っていったのだよ、それはよく考えれば解 るじゃないか」という風にいってしまうのでは、いつまでたってもお互 いの誤解は解けないままになってしまう(これらについて自分はどう受 け止めていたか、それは既に書いた)。  それと例の体験について。  あなたは「エネルギーを送る」「アリオン云々」に関する自己の発言 を全て冗談で済ませる気かどうかしらないが、僕にたいしては過去「何 故エネルギーを送るような事をした?(例の体験のあとに彼にした質問) 」という問いかけにたいして、「そうでもしなければ死んでいたよ(誰 かにすがりたかった?)」という返答を返している。これに関しては言っ てないとは言わせない。  この他にもあなたは「桂の未来を見た」、「あの人は今こう思っている」 などの自己の能力に基づく発言を自分の前で繰り返している。  つまり、あなた自身が自己の能力を肯定(確信)してやった(こうし た発言をいった)のだろうと、僕は以上の事実を元にいっているに過 ぎない。よって#779にあるような、「自分自身のせいじゃないの?」と いう発言は何ら意味を持たないものでしかない。  同じ様に、僕に向かって「被害者意識を捨てたら」というのは自己の 行動を全くないがしろにした発言にしかすぎない。  智美パパさんその他の方が言われているとおり、今までの事件発生か ら一番抜けているのがたまごの、彼の行動に関する「自己の感情」である。 それをした時(あった時)、あなたはどう思っていたのか、その事実を書 いてもらわなければ、いつまでたってもこのままでしかない。  事実のみが、これから書かなければならないことである。  僕は自身が見聞きしていた事に付いて、正確な日時、発言と共に書いて いくつもりである。それらは正確な証拠に基づくものであり、「本当はこ ういうつもりだった」という言い訳は許されないものである。誤解を本気 で解くつもりがあるのなら、これまでおきた事実に付いて、それに付随す る感情と共に正確に書いてゆけばよかろう。 桂 桂(JBH00712) 00812/00816 KFD00473 たまご 話はおしまい (18) 94/04/05 23:10 00811へのコメント  >>>>桂 桂 へ 君の中で既に出来上がってしまっている事実以外事実でない、 あるいは、君が想定している感情の動き以外はそれと認めないという態度を 取り続けようと言うのなら、僕は君に何かを語るのは辞めようと思う。 君のあげる証拠とやらにいちいち答えるのは、とても面倒だし、 君に僕の言うことを受け入れようとする余地が少しもないうちは何を言っても無駄だ。 それに、 もしも君が感じていることが僕に対しての誤解ではなく、正確に僕を理解または把握 していると言うのであるとすれば、(僕には君がそう言っているように見えるが)、 僕から君に何かを説明する必要はないはずだ。 なぜなら、上の仮定が正しいなら、君が僕について語ったことは全て真実であり、 君の語る僕の心の動きは全て正確であることは自明だからである。 しかし、そうではない。 君の多数ある誤解のうち、ひとつだけ例を示しておくと、 僕は今回の一連の中で「被害者意識」に覆われたことは無かった。 僕が身動きが取れなくなったのは、僕の「加害者意識」によるものだったことを、 明記しておく。 最後に、前回の僕の発言を訂正しておく。 君はもっとどっぷりと「被害者意識」に浸かる方がよい。 もっともっと意識的に自分は被害者だと思い込むのがよいと思う。 その方が見えてくることもある。 00813/00816 GBG02043 維/YUI なんなのだろか・・・ (18) 94/04/05 23:34 ごぶさたさんですぅ。 このあいだから、通勤族の仲間入りをしてるので、アクセスする回数が減っているの だけれど。 なんなのかなぁ・・って、つらつら思っているのよね。 たまごさんの一件(^^;)があってから顕著になったけれど、自分を見るってこと から派生して、妙な方向に向いている気がするんだわ。 たまごさんが特別だとは思わない。 たとえたまごさんのいうような性格的な特殊性 があったとしても、だからってそれだけのことなんじゃないかしら? たまごさんは、たまごさんとして、やらなきゃならない課題が自分の中にあるだろし、 私も含めみんな、それぞれの課題を自分なりにみつめ、それを越えていくんろうけど。 なぜだか他人のことだとはっきりと見えたりするのかな。 厳しい言葉も、甘やかしも、いいと思う。 けれど、その言葉がその人に響くかなんて 保証できるようなものではないよね。  期待をしすぎて、けれど思った結果がでなく て焦っているとか・・ね。  なんでも手に入りやすくなったかのような世の中で、心が求めるような夢なんかは、 実はとっても手に入りにくくなっているのかもね。  だから余計、他人のことにも 一生懸命になったりするのかもしれない。 自分が向き合ったその人は映し鏡だから、 苦しんでいたり、嫌な奴だったりしたら困るからね。   人の不幸を笑っている人っているけれど、どこか心の片隅で自らの人生をどこか あきらめているんじゃないかって、思う。 まず、自分が誰に対しても、憶することなく自らの生き方を示せるほど、あたりまえに まっとうに生きていて、すくなくとも生きていこうとしていて、はじめて誰かに響く 言葉も言えるものだと思う。 本当にそうやって生きている人は、説教どころかただの井戸端かいぎしていても、 心にしみる言葉を伝えてくれる、さわやかな風のような気持ちと共に。 本当に自分を追及して、可能性の限りまで生き切ってみようと努力する人は、 まちがった道に迷いこんでも、自問自答しながら、他の人の生き方を感じながら、 ころんでも、おなかすいても、何かをひとつひとつ心に刻んで、自分の足で歩いて いけるはずだと思う。 自分が絶対正しいとも、他人はだめだとも、そんなの誰でも 同じじゃない。  うまく出来ないときもあるし、なんか勘違いしてしまうことも、 誰だってそんなこと何十回とやっているのではないの・・・。 それでも、立ち直ってやってきている人なら、わかるんじゃないのかなぁ・・・。 ああ、自分もそうだったな・・・なんてね。  なんで”いますぐ”とかになるの? 通信に参加していると、やたらとせっかちな人に出くわす。 なんで、待つということをしないのだろうか。  すぐに、礼儀に反するだとかの話に なってしまったりね。 通信なんて相手の顔も状況もみえないのに。  思い計ること すら、無駄なのだろうか。  もちろん、すぐにでもしなければマズイってことも世の 中にはあるだろうけど。  けれど、生身の人間の心を扱う(?)場でね・・・。 そんなどこかの試験じゃあるまいし、何時間以内にどうこうして、どうなるっていうの かなぁ・・・。  わたしなら、まっぴらごめんだわ。 かといって、大義名文いいながら、その影で甘えるだけ甘えているってのも、どうかと 思う。  甘えるときは甘える。 頑張るときは、死にそうでも頑張る。 そんなの、あたりまえなことじゃなかったっけ????? そういう私は、日々のいろんな局面で、総て中途半端になりそうで、頭にきている。 けれど、そのうち腹が立ってきて、どんな手にしろいずれやり抜いてしまうんだろう な・・・と、苦笑いしているのでふ。  自分の人生、責任は誰にもとらせない、 私だけがとれるものなんだからねぇぇぇっだぁ!!(笑)               ストレスの解消にもなるのね・・・書き込みって。ボソ 維/YUI。 00814/00816 KFG01743 智美パパ なえさんへ (18) 94/04/06 00:53 コメント数:1 なえさん   御指摘の通り、ボランティアが悪いとか偽善だとかいう点については、本質的な   問題ではありません。ある宗教団体の方の「体育会系」のノリも本質的な問題で   はありません。自分は、そういう方々に対して、自分は強い嫌悪感や憎悪を感じ   ます。      ・・・      以前、ARIONは善悪の判断は好きか嫌いかという判断であるというような趣   旨の発言を繰り返していたように思います。また、ARIONは好きな言葉と嫌   いの言葉は何か、いろいろな人に聞いていました。その背後にある意図がわかっ   たような印象があります簡単な公式を使えば、嫌いなもの=自分が相手に投影し   たいものといえます。しかし、必ずしもそれだけではありません。      好きか嫌いかは、快か不快かという区別にも似ています。この意味で使う、快か   不快かもいくつか分類できることがわかってきました。ひとつは、その裏に欲望   があります。または、感情がくっついてます。他にもいろいろあります。注目し   ているのは、快か不快かは、人と人との間の距離を測定する物差しだということ   です。その距離とは、人と人との交わりの基本である親や兄弟との関係とも関係   しているようです。      これは、「誤解されている。誤解されていない(ここでいう誤解は 単純な文字   づらの誤解ではありません)」という関係や、「人に愛される。愛されない。人   を愛する。愛されない」という基本的な人が生きていくための基盤とも関係して   いるようなのです。      ・・・・・      さて、宗教団体の職員や某ボランティにいだいた私の憎しみの正体は、何でしょ   うか? その正体を今は語りたくはありません。簡単にいうと、人から与えられ   たイメージなり投影されてしまったもので、自分を呪縛するものです。そして、   長い時代の中で、その正体は自分の一部になっています。たとえば、親はいつま   でも自分の一部にあります。しかし、それは親ではなく自分です。その正体にこ   だわる限り、自分は彼らを憎むでしょう。そんな正体にこだわらなくても、人は   自分を愛してくれる・・・。これがわかることが、おそらく私の最大の課題なの   てす。そして、それがさとりをとるための第1歩であることは間違いありません   さとりがきるとるものでもなく、相手を受け入れることでもないと、私は思って   いますが、その理由を少し わかっていただけましたか?      しかし、このことを今、実践していくことは、きわめて大変なことです。 00815/00816 HGC02325 ガッチャ RE:#771へ(長文注意) (18) 94/04/06 04:57 00808へのコメント  # 00808 MAKOTO さん     MAKOTOさんは、意図や感情をさらす事で自分を観る事をしているとの事ですが  それが「自分を観る事」であるとは、全く気がつきませんでした。   私は MAKOTOさんの「ふり返りシリーズ」が、書込みの意図・感情の再認識を  しただけの書込みではないと思っていました。ですから「その後に何があるんだ  ろう?」という疑問がありましたし、#528で確認した訳です。     私は、気持ちの原因までを観ないと「自分を観る事」ではないと思いますので、  MAKOTOが書込みを通して「自分を観る事」をしているとは思いません。     相手の事を書くのに、「言いたい放題」「禁止用語すれすれ」「相手をおとし  めるような言葉を平気で使う」というリスクを犯すのは変ですよ。そんな事  より、自分の気持ちの原因を探り会議室に書く事の方がよほど勇気のいる事だと  思います。     MAKOTOさんの「自分を観る事」について、私は以上のように思います。     この書込み読んで、MAKOTOさんはどう感じるでしょうか? 恐らく「ガッチャ  が自分の行なっている「自分を観る」を絶対視している証拠だ。」と思う事でしょ  う。さらには「ガッチャがMAKOTOさんのしている事を「自分を観る事」と認めな  いのは、ガッチャが理解できない形だからだ。」と思う事でしょう。この事は既  に、#808でMAKOTOさんが言っている事ですね。さらに次に続けて、    | 言葉ではどうとでも言える。「あなたの事を尊重しています」「人それぞれです  |から」肯定の言葉は、どうとでも言える。でも、あたしには、ガッチャの言葉が、  |心から納得してのものとは感じられない。「これは、周りの目を意識しての、建前  |の言葉だ…」と、そんな感触が、今だにぬぐいされない。    と書いてある訳ですが、MAKOTOさんは私にどんな答えが欲しいのでしょうか?     私は、MAKOTOさんにどう思われても、本当の事しか言えないのです。   さて、私はMAKOTOさんの「ふり返りシリーズ」を「感想文」と感じていた訳で  すが、その根本にMAKOTOさんのやり方を受け付けない気持ちは無い事を述べてお  きます。また、同時に認めていないとも言ってはいません。   しかし、ここでこのように私が言っても、MAKOTOさんは納得しない事は既に書  かれていますね。   私の意見から「ガッチャは他人のやり方を認めない」と思うのは、ご自由です  から好きなように思って下さい。私は私で、自分の事をひどく書かれた書込みに  対しては「言いがかり」と感じますので、MAKOTOさんが納得するしないに関わら  ずそれに対して「違います」といいます。ただ、それだけの事です。     私はもう今では、MAKOTOさんにどうしても納得して頂きたいとも思ってはいま  せんし、その為の証明をする気持ちも今はありません。     MAKOTOさんは私の事を、MAKOTOさんと自分との差(認識の違い)を理解してい  ないと思っている様子ですが、私としては殆ど宇宙人と会話をしているつもりで  したが。    ここでは、2つの理由が出ていますが、それぞれ1つづつ分けて観てみます。    1、自分の揺らぎをはっきりさせる為     自分の揺らぎの確認は自分一人でして下さい。私宛てへのRESで行われては   迷惑です。実践の会議室はMAKOTOさんの日記帳ではありません。これでは「甘   え」以外の何物でも無いと思います。    2、ガッチャに違いを理解させる為     これが理由では、MAKOTOさんの発言は倣漫と受けとられる可能性があります。     以上、2つの理由には甘えと倣漫である可能性が大きいと思います。     MAKOTOさんは「言いたい放題」「禁止用語すれすれ」「相手をおとしめるよう  な言葉を平気で使う」という書込みをする事をどう思います?     そのような書込みをする事で迷惑する人の事を考えていないのか、考えたけれ  ど、そうしたのは何故なのでしょう?     MAKOTOさんの「自分の心の動きや疑問を確認する作業を表立って行なうこと」  によって私が MAKOTOさんを理解した気になった等という事はありません。     なぜなら、私の言っている事を解ってくれたという兆候は未だに MAKOTOさんの  書込みには見られませんので、MAKOTOさんの書込みがアップされるたびに、MAKOTO  さんという人の認識をあらたにしているのが現状です。     私は、私が正直に過去の気持ちを書いても、それによって MAKOTOさんがどう感  じるかは推測出来ません。     過去をふり返った時点において、過去はその時点であると思います。ですから、  それは今の感想なんです。過去の事はこうだったが今は違うと、良い逃れしてい  る訳ではありませんので、念の為。    | 今の私には、ガッチャが自分のやり方の正しさを証明しようとしているよう見え  |る。また、冷静で理論的な解釈のできる人物という仮面を被ろうとしているように  |もね。そして、そこから一歩も踏み出そうとはしない… そして、必死になって、  |何かを守ろうとしているようにも見える… これは私のフィルターなのか? それ  |でも、不思議でならないんだ…     何故、私が自分の正しさを証明しようとしていると見えるのでしょうね? 私  にはその正誤の意識はありません。私は私の体験から「こうではないか?」と自  分の思う事を述べているだけなので、MAKOTOさんが何故そう感じるのか理解出来  ませんが、推測は出来ます。この事は最後に総括としてまとめました。    | 何故「現状までのレベルに…」という言葉を、最初から詳しく言わなかったの  |かは、その事がMAKOTOさんの拘りを解くのキーワードになると思っていたからで  |す。     この事をさらに詳しく言う必要なはないでしょう。今回の書込みのそこかしこ  に書いてあります。   でも、MAKOTOさんのRESは変ですよ。まるで、拘りは私が作ったかのような  言い方です。拘っているのはMAKOTOさんである事は、ご自分で表明されている通  りで、答えは私にはありません。     また、「そして、あなたは今でも、一方的に私の側のみに問題があるとしたい  ようだが、果してそうだろうか…?」と言っていますが、そのような事は言って  いません。むしろ問題なのは、何故 MAKOTOさんがそう「一方的」などと責められ  ている感触を持ったのかという事ですね。   私は MAKOTOさんのように「言いたい放題」「禁止用語すれすれ」「相手をおと  しめるような言葉を平気で使う」という事はしていないにも関わらず MAKOTO  さんが、そう感じているのは変な事ですよ。    | それでも、ガッチャのやり方を否定する気はないよ。今のあなたは、あなたなり  |に色々悩んだ結果、行き着いた姿なんだろうからね。言葉に出来ない部分、言葉に  |したく無い部分があって当然だろう。     いや、MAKOTOさんが悩んだほど(この書込みによる推測)私は悩んでいません  ので、私が悩んだあげくにというのは違います。  前に「葛藤」があるという事を言いましたが、葛藤は葛藤であって悩みではあり  ません。「葛藤があって、悩んだあげくに」ではない事を断っておきます。葛藤  は相反する2つの事があって発生する事ですから、どうしたいという事が明確な  場合は、解決は早いのですよ。     言葉にしたくない部分とは何でしょう? 教えて下さい。MAKOTOさんが納得し  たい言葉を私が表現しないという意味でしょうか? もしそうであるならば「  MAKOTOさんが納得できる言葉」という表現に代えて貰わないと、意味が通じませ  ん。     ここに来て、MAKOTOさんが求めていた事の推測が出来ました。つまり、MAKOTO  さんは、誹謗でも中傷でもなんと取られてもしかたのない事(つまり感想文)を  会議室で行う事が、「自分を観る事」の実践だと思っていたのではないでしょう  か?   ここは、相手の言う事に対する感想を「言いたい放題」「禁止用語すれすれ」  「相手をおとしめるような言葉を平気で使う」というリスクを犯しても、感  じた事を表現する事を「実践」し、差を取る会議室では無いと思います。     私はここは、「自分を観る事」の「実践」の会議室だと思っていますが、まさ  か、MAKOTOさんは「これが私の実践だ。ガッチャの考えている実践とは違って当  然。なぜなら、十人十色なのだから。」と思って書込みをしていたのではないで  しょうね。     私は差を取る事を実践しているつもりはありません。  そもそも「差を取る」などと言う事は、自分の言葉になっていないので、そんな  事は今回の会話を通して一言も言ってはいません。なぜなら、私は差を見つめて  差を取るなどという事を体験した事が無いのですから。     MAKOTOさんが私との差を取りたいと思って会話しているのは自由ですが、私に  はそのような意識はありません事を、ここで明確にしておきます。     自分に拘りを抱えたまま、どうどうめぐりをしたいのならして下さい。MAKOTO  さんの望む有意義な会話とはどんな事なのか、私には想像も出来ません。    ※総括     ガッチャは自分では MAKOTOさんより上(あるいは先に進んで)にいると思っ  ている様子だから、ガッチャの言葉にガッチャの中の上下意識、導こうとの意志、  見下した調子を感じている。そんな奴は、上とも、先を行く者とも思えない。  これが MAKOTOさんの気持ちではないでしょうか?    けれど私は自分の事を、上とも先を行く者とも思っていない。  その事を、MAKOTOさんは信用しない。  何故なら、MAKOTOさんが納得する証拠が無いからだ。     故に拘りがあり、さらに今回は自分と違う意見の部分を上げ、その拘りが増し  ていると言っている訳ですが、これでは自分の拘りの答えを私に求めている事に  なってしまいます。     同意と反感の反応は不思議なのですが、上とも下とも思っていい関係が私と  出来ている間柄だと、私の言う事を「そうそう」と気楽に同意してくれるような  事があります。   これとは逆に、「何をあたりまえの事をえらそうに言っているんだ」と、私の  言う事に拘った反応をする人もいます。私は「何をえらそうに…」という人は、  何かの関係(恐らくは、上下関係)を意識しているのではないかと思っています。     MAKOTOさんは、私の事を上とも下とも思っていないのでしょうから、以上の私  の体験からは、MAKOTOさんが私の言う事に拘りを感じないのが普通の反応ではな  いかと思うのですが、過剰反応しているという事から「上下の意識」という事に  拘っている事は明白だと感じます。     具体的に言うと、MAKOTOさんは自分が上と認めていない人からは下とは思われ  たくないのではないかという事。     自分を見下したような事を言う人に過剰反応をするのは、この事が原因だと思  います。     今回は、他人に対する配慮もしない私への書込みさえも、全て自分なりのやり  方であるとの主張し、そして、相手が自分のやり方を認めていないと感じられた  場合には、相手に「自分の行っている事を絶対視しているようだ。」「理解でき  る形での「自分を観る」作業でないと、認めたくないようだ。」「他の人には、  他のやり方があるという事を、受け付けられないようだ。」という言葉を宛てて  いますね。    「他の人には、他のやり方がある」という、誰もが認めるちょうど良い言い訳も  ありますし、なんとかして、下でない事を証明したいと躍起になっているとしか  思えません。     この書込みに対する次回の MAKOTOさんの反応は以前にあったような「私の分析  ばかりしているね。人の分析をして何を証明したいの?」というものかもしれま  せん。     今回の MAKOTOさんの書込みで、「ふり返りシリーズ」の理由が、甘えと倣漫  の可能性があったと認識しましたので、今後MAKOTOさんに対するRESは今回の  ような書込みになる事を断っておきます。                              HGC02325 ガッチャ 00816/00816 JBH02324 なえ ぱぱに (18) 94/04/06 16:10 00814へのコメント  そだね。その親って言う存在は、その存在だけで既に自分を愛してる。  それを理解するには、随分と長い時間が必要なんだろうか。それは言ってみれば  あたしもその不実を感じ、壁を感じていたんだよ。とても長い間ね。  それを理解する一番は、やっぱり親は親「なり」に、どんな形であれ「愛」を、  愛という「態度」で在っても無くても表現しているんだな。って事に「気づく」  事かな。それとも、親だって、その時点では一生懸命に生きていた。という事に  突き当たる事かな。解るというニュアンスには、強制的な観念があるけど、そう  ではなくて、あくまでも自分が自ら解った、という行為でね。  自分が親になれば解るよ。なんて使い古された言葉だけども、案外体得って、真  理かも知れないなんて・・、この頃思う。  それは無論例えが親なので在って、他人でも「愛」の種類は違うかも知れないが  やはり、解り合える一つのキーになると思うの。  まぁ、長い時間で培われたもの(例え嫌悪でも、憎しみでも)だったら、それは  また長い時間掛けて(それじゃイケナイって思えば、そうで無い方向に)修正す  る事が出来れば一番だし、焦る事も無いって思う。ただ、そのままにして置けば、  同じ問題は必ずぶり返し、また、つまづきの箇所で苦悩しなければならない。そ  れは、在ると思うの。  どこまでも「イヤダ」なぁ「修正したい」なぁ。って感じたのなら、その目的を  いつも忘れない事だと思う。案外枠の外に追い出して、それで一時しのぎをして  安心している事が多いもんだよ。それとも、無理矢理触れない様に蓋をして、見  えない様にしてしまう・・かな。小さな事でもさ。それを忘れないで解決したい  という希望を絶やさない。それが結果的には良い方向に持って行ってくれると、  信じていたいからね。  ぱぱのそんな想いが、嫌悪な気分が僅かでも少なくなり、そうして、いつか大し  た問題ではないね。って感じる日がくる事を願っているよ。