- FARION MES( 2):【居酒屋1999】自己紹介・雑談--------<09> 94/04/07 - 02010/02015 GBD03557 シゲ 高野連って・・・。 ( 2) 94/04/06 20:13 コメント数:1  高野連とか相撲連盟って、しばしば訳が分からないことを言っているけど、 先日の春の選抜高校野球でこういうことがあった。  第三回戦の沖縄代表の沖縄商業(たぶん)と高知商業の試合の時、沖縄の 応援に沖縄の民族衣装と太鼓を持った有志たちが駆けつけた。  高野連はそれを「平服ではなく奇異なもの」としてアルプススタンドより 追い出した。応援の人たちはしょうがなく外野に移動したのだが、そこでも 高野連は応援を認めず、応援団は反発したが、肝心な沖縄商業に迷惑をかけ るといけないので仕方なく退場した。  確かに純粋な学校の応援団以外は太鼓の持ち込み応援は禁止されているそ うだが、ここでの応援禁止の理由は「服装が奇異」だということ。  沖縄の民族衣装が果たして奇異なのだろうか?一つの文化ではなかろうか? 沖縄の民族衣装が奇異なものなら、紋付き羽織袴は奇異ではないというのか。  甚だ呆れてくる出来事だった。  だけど、常々思うのは日本人って文化を大切にしない人種だなぁ・・・と。  宮中晩餐会に限らず、外国から来賓があるとなぜフランス料理なんだ? 刺身と天ぷらと芋の煮っころがしじゃいけないのか?(ちょいと極端か?)  それになぜ燕尾服にドレスなんだ?和服じゃいけないのか?  別に日常の生活にまで古来の文化がどうこういうつもりはないし、する気も ないが、大切なお客様なら日本流のおもてなしをするのが礼儀じゃないか?                                シゲ 02011/02015 GBH03266 青い山 自己紹介 ( 2) 94/04/06 23:14 コメント数:2  はじめまして<青い山>といいます.      半年ぐらいROMをやっておりましたが,今度からは,       発言もしていこうと思います.       僕はこの4月から高3になるのですが,去年授業で倫理を       学んだことが凄く自分のためになったと思ったんです.それで       ここにはいりました.                       青い山   02012/02015 GGD02212 Soo RE:高野連って・・・。 ( 2) 94/04/06 23:56 02010へのコメント 高野連って、むかし宗教団体かと思ったけど、高野山とは無関係なんだってね。(^^; 02013/02015 CXJ00675 ぴさ RE:自己紹介 ( 2) 94/04/07 02:00 02011へのコメント  #2011 青い山 さん    こんにちわ。ぴさと申します。以後よろしくお願いします。    私の学校では来年度から倫理の授業が始まります。    いま、教科書が手元にありましてどんな授業か今から楽しみに    しています。やっぱり暗記暗記暗記!で本来の教育・・・、    にはならないんだろうなぁ。教師だって何考えてるんだか    わからないし、・・・おっと、愚痴になってしまいそうだ・・・     青い山さん、っておもしろい名前ですね。由来なんぞ    お聞かせ願えたら、なぞと思っております。     それでは・・・ /// ぴさ /// 02014/02015 CXK03125 月狼 Re:自己紹介 ( 2) 94/04/07 07:17 02011へのコメント  初めまして(^-^)>青い山さん  高校生のかたですか?(^^) 私は大学浪人をやっている者です(^^;)  倫理を学んだと言う事は文系のかたかな(・_・D?  私は受験の直前に、理系から文系に転向した人なので正規の文系授業は受けて  ないんですよ(^^;) 今にして思えば2年の科目選択の時にもう少しよく考え  てれば・・・・・・・。と、まぁ今さらどうにもならん話ではありますが、今でも  高校の時の生活については反省すべき点が多々あります(_ _;)  青い山さんの進路がどのような方向性であるかはわかりませんが、もし  来年受験と言う事であれば、お互いがんばりましょう(^^)  FARION的な事に興味があって、年齢の近しい方には特に親近感を覚えて  しまいます(^^) これからもどうぞよろしく(^o^)/~~~       数学にトラウマありき・・・・・・・。  ☆ 月狼 ☆ 02015/02015 JCF02051 めのう RE:2回目の書き込み ( 2) 94/04/07 07:35 02003へのコメント  英雄さん、RESをどうもありがとうございました。  (RESってこんなに嬉しいものなのね!)  『世紀末書き込み寺【壱の巻】』から今日まで、ずいぶんひらめきが  あるので、ゴールデンウィークの間にでも過去の会議室LOGをじっくり  読もうかと思います。(他に予定が無いよう...)                          ★ めのう ★ - FARION MES( 7):★アリオン世紀末書込み寺------------<02> 94/04/07 - 02095/02098 NBA02777 アポロ RE:アーリオーンは超能力集団とどこが異るのです ( 7) 94/04/07 02:26 02092へのコメント コメント数:1 #2092 sukeさん、こんばんわ (^O^;)  私は、ろくな挨拶ができなくて、恥ずかしい思いばかりです。 好きなのは、ペンギン村のアラレちゃんのように、「うんちゃ ばいちゃ!!」 くらいの軽いほうが、気が楽です。あれは少しきつ過ぎる挨拶でした。反省(^^;) | つまり「超能力者集団」という人達の目的がよく見えてこなかったのです。  目的ですか?。ムーン、むーん、本来の目的はなんなのか教えてほしいです。 でも、私個人に彼らが行った事なら正確にわかります。最初は、遊び、それが エスカレートして罠に落ちて大失敗しました。 |一連の「超能力者集団」に関するアップを拝見しましたが、アポロさんが何を伝え | ようとしているのか、やっぱりよくわかりません(^^;)ゴメンナサイ  どうも私の持っている刀の切れ味は良くないようで、ごめんなさい。 あまり楽しいものにはならないので、推測して頂きたかったのですが 私には文才がないもので・・・・・どぎつくなりますがご勘弁ください。 要約すると、「彼らの使用する武器とその使用方法」  説明が旨くできないのが、その人の得意な分野、過去の恋人や友人、 最も信頼する物、親兄弟、先祖などを利用し、ある事柄が真実であるか偽りである のか判断に迷う事を次々に引き起こし、精神を錯乱状態にさせる話術やイメージの効果。  でも、この手の心理作戦は、一度学習すると次からは同じ手にはかからない と思うのです。従って思い出した所からづらづらと並べてみました。  これで、sukeさんが、万が一の場合でも余裕で対応できると思います。  少なくても身元保証人には、頭の中で声が聴こえる事=病気であるとの 公式を今の段階で修正して置く事が問題を大きくしないポイントであると 思います。(運悪く追い詰められた場合ここが最後の砦になります)    友達や知人に無条件に話す事は出来ないし、仕事関係に知れた場合も 恐いものが有ります。  襲われている最中には、自動車の運転は危険。何も障害物の無い直線で 中央分離帯に激突したり、緩いカーブでハンドル操作を誤ったり通常では考 えられない交通事故になる可能性が十分にあると思う。  唯一助けてくれた人のように、根本的な防止方法があれば是非教えて欲しい のです。  超能力者=悪なんて事を言ってるのではないのです。悪人もいれば善人も いるのと同じです。  電話器に盗聴器が仕掛られただけなのに、プライバシの侵害などと言って 仕掛けた相手を逮捕できるのに変ですね世の中は?                              アポロ 02096/02098 CXK03125 月狼 Re:アーリオーンは超能力集団とどこが異るのです ( 7) 94/04/07 07:18 02095へのコメント  初めましてアポロさん(^^)  ずっとROMしていましたが、なんか面白い話をしていますね(*^^*)  FARIONにアポロさんが来た当初からアポロさんの文章って凄く面白いな〜  って常々感じています。  ただ私も読解力の不足からかアポロさんの言わんとしている事がいまいち  理解できなくて(^^;) (馬鹿な私・・・・・・・。(_ _;))  なんか凄いテーマのような気もしますので、できればもう少し直線的な表現  をとっていただければ、と。そんな事をふと思ってしまいました(^◇^;) m(__)mペコ ごめんなさい ☆ 月狼 ☆ 02097/02098 NBA02777 アポロ RE:質問です ( 7) 94/04/07 15:36 02090へのコメント #2090 アラミスさん こんばんわ (^O^)/  はじめまして、書き込みの途中でしたので、寄り道をするのが嫌いな 性分ですので、RES遅れて済みません。  同業者なのですね(*^^*)。たしかにこの業界変な人沢山います。 5ー6人で1年も2年もかけてバグだらけの物をたった一人で 半年もあれば、一級品に仕上げてしまう人、不定期に発生する 再現できないバグを簡単に発見してしまう人  そうかと思えばテンカンを引き起こしたり、凶暴になったり (パソコンに八つ当り)いろいろ、人間模様が見える仕事の部類でしょうか   |アポロさんの身の上に不可思議な事が起きた事はわかりました、それで |アポロさん自身はその様な出来事をどの様に受け止めているのでしょう |か?  sukeさんと同じ気持ちでの質問でしたら#02095を参照して下さい。  自宅の電話器に、盗聴器を仕掛けられた人への質問と考えれば  怒りの鉄ちゃんですよ、こらこらどついたろ!ですよこれは、ん・・・  そんなのではない?・・・そうですか、どうしても必要でしたら  もそっと具体的にお願いつかまつりますー。(こんな日本語あったかなぁ) |私自身の感想を言えば似たような話しを過去に見た事もあるし(別の場 |所ですが)その他にも色々と不可思議な話しをここで見ていますので、  そうですか、私はとにかく情報がほしいのです。ここで都合が悪い様で したら、どこへでも出向きますので、ご指示お願いします。    今後とも宜しくお願い致します m(__)m アポロ            02098/02098 NBA02777 アポロ RE:アーリオーンは超能力集団とどこが異るのです ( 7) 94/04/07 15:37 02094へのコメント #02094 英雄さん 再会できて私は嬉しいです。 こんばんわ  いろいろお世話になりました。なにやら難しい書き込みを沢山されて   いたよいうですが、霊界うんぬんとか。霊界が存在する確信あるのですか?   | 疑ってしまって申し訳ないんですが、この「超能力集団」の事は、   |ほんとに本当の事なんですか?     パパさんに言わせれば、「嘘の本当の嘘なのだ」と・・    冗談ぐらい言わないと気がめいってしまうほど、真実です。(;_;)   | しかし、ひょっとすると、アポロさんも超能力者?    なんで、????。本当はこの言葉、差別するみたいで嫌いなんですけど   百歩譲ってそうだとすれば、英雄さんはスーパサイヤ人以上の超超能力者に なってしまいます。なぜなら、魂覚醒の指導を既に受けているからです。                                  アポロ - FARION MES( 9):★TAO の《神々の曼陀羅》―美と信仰と史― 94/04/07 - 033/049 GBD03557 シゲ アンチNoB派っはっはぁ←喘ぎ声にあらず ( 9) 94/04/06 20:13 009へのコメント コメント数:1  アンチNoBさんというより、回りくどい言い方が嫌いな人は多いかもしれない。 が、NoBさんは以外と人気高いのだった。  のぶさんは難しいことばかりの人間かと思いきや、スライムみたいなのを 中華料理屋の壁めがけ投げつけて人目も気にせず遊ぶ・・・という変な人である。  のぶさんの著書は難しいかと思いきや、流石に出版物だけあってわかりやすい のである。  しかし、のぶさんの著書(マックの通信関係)を読んでも未だに思うように 通信がマックで出来ない(これは98でやっている)僕はアホかもしれん。 以上、ゴミである。 034/049 GDB00064 オリハル RE:共同体意識における宗教の権威性 ( 9) 94/04/06 21:09 018へのコメント |で、NoBさんの前提は、民族的共同体意識と分離される、普遍性の宗教意識それ自体 |が虚構ではないか?という疑念なのです。 | |別の言い方をすると「本来の宗教」というものは、きわめて歴史産物ではないかとい |うふうに思えるのです。 「宗教は〜」というより、人間の性質に則して出現したものが「宗教」と名付けられた のだと思いますが。                             オリハル 035/049 GDB00064 オリハル RE:オリハルさん ( 9) 94/04/06 21:48 022へのコメント | 史は師で視の詩を思し、始して使い示すだすね。 これは、「死」を暗喩してるのでしょうか。 でも、何故このような事を言うのか理解が出来ませんが。 副議長頑張って下さい。                 オリハル 037/049 TBE03167 ねずみ れれれれの36 ( 9) 94/04/06 22:40 れ36 くおらぁぁぁぁぁ^^;;;; びっくりするよーなことしないように。 俺、寝てる間に、しらんあいだにアップしたかと思ったじゃないかっ! 俺はこないだまでノイローゼやってたから、そゆ冗談見てるとつい本気に しそうになるから、コアイことしないやふに。 038/049 HGH01753 モリネズミ TAOさんおめでとうございます。 ( 9) 94/04/06 22:45 001へのコメント コメント数:1 飛び入りで挨拶だけですが、おめでとうございます。 参考までに、私の美意識、”だれが、桂離宮なんか見に行ってやるか〜”です。 とうぶん、ROMですが、よろしくお願いします。 #36は、ハンドル名のミスで削除しました。わたしのせいです。ご容赦下さい。皆々様。 ☆モリネズミ 039/049 HGH01753 モリネズミ ごみんね。 ( 9) 94/04/06 22:58 038へのコメント コメント数:1 ねみずみさんごめんなさい。 わたし、ねずみ年生まれなもんで、ネズミ関係の名前使用してます。 ご容赦下さいませ。m(__)m。 よろしく。ちゃんと削除できてるかなぁ。 ☆モリネズミ 040/049 TBE03167 ねずみ RE:ごみんね。 ( 9) 94/04/06 23:05 039へのコメント こちらこそごめんなさい。>モリネズミさん 僕、てっきり誰かがふざけてワザといたずらしているのだとばかり思ってて・・・ ついなれなれしい口のききかたをしてしまいました。 モリネズミさんはこのフォーラムでは新顔の方ですね? ここは、変人が多いので楽しいですよん。ごゆっくりおくつろぎくださいませm(__)m では、またん^^/~~~~ 041/049 MHD02672 TAO またまた、まとめレス(^^;) ( 9) 94/04/06 23:08  横着さ故に、皆様の祝辞に禁断のマルチコメントしてしまう不届きな  議長です(^^;)。(>なえさん、きめ細かなフォローありがとうね!)  Sukeさん(#11)、英雄さん(#15)、月狼さん(#16)、河井 浩美さん(#17)、  ようこそ(^^)。巻頭言がアレですから、いささかお硬い印象を与えて  しまったかもしれませんが(^^;)、ROMに徹する…と言う方も、ま、  そうおっしゃらずに、質問や突っ込みでもドウゾドウゾ。この会議室が、  皆様にとって、歴史に対する既成概念や思い込みを見直すきっかけに  なれば幸いですね。  TAO 042/049 MHD02672 TAO 宗教を超える ( 9) 94/04/06 23:09 018へのコメント  NoBさん、どうもです。  実際、率直に申し上げて、この会議室は FREKISHI の「宗教史会議室」の  コンセプトにかなり影響されていると、自分でも自覚出来ますね。こういう  ハイブロウな会議室を FARION 風にアレンジして運営してみたいものだと  常々思っておりましたから。  NoBさんとの差異というのは、それ自体だけでは特に問題ではないと  考えますし、より妥当であると考えられる結論にたどり着く為にも、  より多角的な視点は取り入れられてしかるべきしょうね。  果たして人類にとっての「普遍的な宗教意識」というのは存在しうるのか?  という問いかけには、まず何をもって「普遍」と称するのか、という  設問にも答えなければならないでしょうし、そもそも「宗教を超える」と  いう課題を設定して、いかに超えるのかという問題になってくると、  やはり「宗教」という現象或いは概念、そしてその周辺に纏わる問題を  丹念に解いて行く作業が、必要になってくるでしょう。  もし「普遍的な宗教意識」が虚偽だとしたら、それにとって変わる何かが  人間には可能なのか? 人間という生命形態を進化させ、人間社会の  在り方を変え得る何かが、果たして人間の中には秘められているのか?  おっと、話が飛びました。  今後は抽象的な議論よりも、一つ一つのケースを取り上げ、具体的に  語り合って行きたいと思っていますし、今後もご助力をお願い致します。  TAO 043/049 JCF00616 YUI 開設おめでとうございます ( 9) 94/04/06 23:10  こんにちは、YUI です。  博識なTAO さんの展開してゆくこの会議室を陰ながら応援したいと  思います。なにしろ、理系とも文系とも徹し切れないYUI ですから、  積極的な発言は控えたいと思っています。というよりも、できないんですね(^^;  宗教と信仰の関係などは、現代に於いてもう一度深く問い直す必要が  あると日々日常から感じておりました。その点について、みなさんの  御意見などを聴いてみたいな、とも思っています。  なにはともあれ、  実りある議論が展開されますように! p.s.なえさんへ..   ずうっとなえさんの発言には注目しておりました。   今後も、明るい笑顔(^-^)/で会議室を支えてください!   なえさんの御活躍を願っています! YUI 044/049 MHD02672 TAO 縁とは奇なもの ( 9) 94/04/06 23:10 029へのコメント  智美パパさん、#28 の個人史(といいますか…)は、智美パパさんの  バックボーンが窺えて、興味深く読ませて頂きました。NoBさんの発言に  注目されていらっしゃるようですが、智美パパさんとNoBさんの対話が  始まれば、面白い展開になるかもしれませんね。  そういえば、智美パパさんはNoBさんと同年輩で、しかも大学も同じ  だったとお聞きしていますから、顔見知りでも不思議はないですね。  縁とは面白いものです。  TAO 045/049 TCC00116 NoB 満開の桜の木の下 ( 9) 94/04/07 00:21 ちょっと重たい話が続いたので、すこし、トーンを下げましょうか。NoBさん、 おとくいの日記(?)ものですかね。 今日は仕事の仲間と桜を見に行きました。山手線内というと、桜はどこかねぇ、 というので、NoBさんのグルメDBもあわせて無難に市ヶ谷/飯田橋ラインにし ました。この桜はいちおう毎年おさえてはいるのですが、今年は以前になく、山 桜系のものに心ひかれましたなぁ。童貞36歳の人生にも人生はある! 桜木のふりから見て、戦後のもので、昭和30年代のものではないかとも思うの ですが、枝振りのこまやかさ(木々がいじめられている)を見ると、10年は桜 木も苦労しているのかもしれません。かわいそうに。でも、カレンに咲くこと よ。 それにしても、この木々は誰が植えたものであろうか……。戦後の焦土(なんつ う言葉は死語か)にここにこの桜のバラエティを備えた人たちのことを謝念を持 って思いました。 桜は、山桜系のほうが美しい。宣長先生の歌の、しきしまのやまとごころをたと うえれば、ではないですが、桜はもの狂おしいほどに美しい。この、あんまりだ ぜ、の美しさはどういうことなのだろうか、というか、自分が、歳をとるにつれ この思いがましてきますね。 小林秀雄という昭和の評論家がいるのですが、ご存じのかたもあるでしょうか ね。彼は評論を日本において文学たらしめた偉人ではあるのですが、現代では、 こうした言説はあまり意味を持ちえないのかもしれません。彼については、いず れ語るかもしれませんし、たしか、彼と中也との三角関係も漫画になってもいた りしたようですが(「含恥」という題だったか)、ま、もしかすると彼のことも 語るかもしれません。NoBさんが、深く傾倒した文学者です。 彼は、フランス文学者なのですが、晩年は宣長先生に傾倒していました。その大 著「本居宣長」は今では新潮社の文庫にもなっています。これは、雑誌新潮に連 載されていたもので、ちょうどNoBさんが大学生のころ出版されていたものでし て、智美ぱぱさんもごぞんじのD館の売店で注文して購入したものでした。布張 のいい本です。美しい本です。今の若い人は、美しい本をもっているでしょうか な。もってないなら、岩波の「はてしない物語」を買いなさい。おっと、じじく さい忠告でしたね。いずれにせよ、小林の本は、ただ、旧かなでよみにくいもの でもありました。 この本と、正宗白鳥についてはもしかすると語るかもしれません。ま、それはさ ておき、この本のお話は、桜の季節、ふと著者の小林が宣長先生の墓参りに行く 話から始まります。いえいえ、厳密には、折口信夫先生との対話からと言うべき でしょうかね。この出だしは、とても、印象的です。モーツアルトの転調のよう な印象をまず与えます。というか、あまりに美しい挿話です。だもんで、いつ か、僕も、桜の季節、伊勢へ失踪したいものだと思っていました。この桜の季 節、また、今年もそれを逸するのかと思うとくやしくて、やけ酒です。おーい、 これ、もうひとつくれぇ……。 すみません、ちょっと酔ってこのアーティクルを書いています。では、JARCにひ っからない歌など、いっぱつ。   あな醜く!   さかしら押すと   酒飲むまぬ人を   よく見れば   猿にかも似る      おお、なんと醜悪なことか!      てめーら、酒も飲まないで議論しくさって      そんなやからの面を見れば       おやおや、猿の面じゃねーか   酒の名を   聖とおおせし古しえの大き聖の   言のよろしさ      酒ちゅうもんが      聖なるものだんよ〜んとのたまわった古代中国の聖人の      その哲学はなんと健全なことであろう    価なき宝というとも    一杯の濁れる酒に    あに益さめやも      ギャリーフィクの藤田でも価値がつけない宝石でも      NoBさんの飲んでいる宮城一の蔵の源酒ほどの      価値なんかないのさ とま、NoBさんが一番好きな「万酔う」じゃない、「万葉」の詩人、大伴旅人の 歌とその、現代訳をそえて、シュプラッハしてみましたがぁ、だ、桜は美しい。 美しいすぎる。もの狂おしというかね。 ま、今年も「花」を逸したものの、宣長先生の松坂への旅のことはふと思いだし ます。夏の日の夕暮れ、彼の指定したオクツキには行けず、仏式の墓を探したも のでした。春洋の墓とともにありました。そして、その夏、父が突然死にまし た。 そういえば、この宣長先生の仏式のほうの墓は浄土真宗のものでしょう。先生も この世では門徒であったわけで、意外に国学には門徒的なものもひそんでいるこ とでしょう。なんとも因縁深い! であれば、こないだのイースタ・サンデー に、クリスチャンであるNoBさんの父の7回忌に聞いた蓮如の「お文」もまた、 宣長先生にも身近なことであったことでしょう。 なんだか、ろれつのまわらぬ、酔漢のたわごとみたいな文章になってたぞ、ごめ んよぉ。 どれほどか、日本なるものを憎んでも、それを知的に(さかしらおして)とりく んでも、NoBさんですら、このニッポンの桜の妖艶と酒と歌の美にはかなわな い。どうしてもかなわないというところに、たしかに、「美」というものはあ る。たしかに、美はひとつのなぐさめとして、しかも孤立した文化の育成の成果 として、愕然とある。美とはすごいものだ。 これはいったいなんなのだろうかね。ただ、それを酔いなくして、そのまま、若 さゆえの真摯さに向けて語ることができるのだろうか? そこがよくわからない のだなぁ。そこがほんとうにわからないことだ。「美」という概念ではなく、美 に酔い、それにまったきに囚われることなくして、どうして美がありえることだ ろうか。美は、チカラなのだから。しかし、それを、語ることは可能なのだろう か? さてさて、桜に酔ったあと、懇意の店でNoBさんは、酒を飲んでこのていたらく というわけだが、おかみは、のびると、のふき、と、野性の三ッ葉と……、お お!、しながきにもないメニューを出してくれるではないか! これこそ、日本 の「おやじ道」の王道ではないか。泣けるなぁ。飯島愛ちゃんは、のびるの味を 知っているだろうか。PowerPCが使えてもこの味がわからんでは、くだらない WakeyRaceみたいなしかできないよぉ。3DOなんかつまらんぞぉ。 とま、さてさてさて。 シゲさん、チャオ。こんどは、子ども作り方を押しえてちょ、ね(冗談ですて ば)。オリハルさん、どうも。はぐらかしたようでごめんなさい。いずれ答えら れると思います。 みれさんのSENDハローもどうもでした。 NoB 046/049 GGA02514 KAZE おめでとう、がんばってね(^^)。 ( 9) 94/04/07 00:48 001へのコメント TAOさん、どうも。 新しい会議室のオープン、おめでとうございます。 まだ、この会議室の趣旨がよくわからないでいますが^^;、 そのうちに面白そうなテーマが見つかったら、 参加させていただこうかなとも思っています(^^)。 まずは、とりあえず簡単な祝辞でした。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 047/049 KFD00473 たまご 祝☆会議室オープン ( 9) 94/04/07 07:12 033へのコメント 何を隠そう私はNoBさんのファンなんです。 ほんとだもん。嘘じゃないもん。(^_^;) TAOさんにNoBさんを巻き込んじゃえってけしかけたくらいだもん。 あー。何はともあれ。 会議室開設おめでとうごじゃりまする。  あ、お祝いがシゲ発言にコメントリンクしてしまった たまご 048/049 PFH02766 河井 浩美 桜の話題 ( 9) 94/04/07 08:27 桜が話題のひとつになってるみたいなので 少しだけの書き込み。 ここの部屋の趣旨とは外れそうだけど、皆さんご容赦のほど・・・ 「梅で開いて松で治める。万古末代変わらぬ世にするぞよ。」 「ただ散るための花を咲かせているのではないぞよ。  毎年、桜で型を見せておるのにまだ解らぬのか。」 049/049 GGD03030 《 隆 》 祝!新装開店 ( 9) 94/04/07 13:43  新装開店おめでとうございます。パチンコヤサンミタイダナァ    ボーちゃんの隆ちゃんは、例によって、ただただボーっと眺めている事になりそう  ですが(^^;)、議長&副議長のご活躍を心よりお祈り申し上げます(^^)。                                by 隆ちゃん - FARION MES(10):★Dr.Sooの《夢酔い人の部屋》--------<01> 94/04/07 - 00387/00388 GGD02212 Soo 「H川君さようなら」 (10) 94/04/06 22:56 コメント数:1  今朝一度目覚めてまたウトウトしながら見た夢。  どういう団体だったか若者達がミーティングをしていて、会う人毎に 別れ際に「**カワ君さようなら」と言うことに決まる。「**カワ」 は某国の首相の名(^^;である。彼らは首相を辞めさせるつもりらしい。  個人的にはH川君は嫌いじゃないんだけど、なぜなんだろうなぁ(Soo) 00388/00388 GGD02212 Soo RE:「H川君さようなら」 (10) 94/04/06 23:56 00387へのコメント  断っておくが、私が今回の首相辞任騒動を知ったのは、今朝この夢を 見た後なんである。ウソではな〜い。うーむ、失言につけこんで辞任に 追い込もうとする人々の想念の混信か。…なんてことは本気にしてない フリをしておかないとアブナイ人にされかねない…ってもう遅いか。(^_^;Soo) - FARION MES(13):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<03> 94/04/07 - 01161/01165 GGA02514 KAZE 花の色はなぜ? (13) 94/04/07 00:49 01154へのコメント 隆ちゃん、どうも。 昨日あたりから桜が一気に咲き始めて、とたんに華やかになりました。 こんな季節には仕事などそっちのけにして遊びに行きたいのですが、 ここにきてまた仕事漬けの毎日になりちょっと息切れしています^^;。 こういう状態はしばらくは続きそうで、ちょっと気の滅入る毎日。 まったく「春なのに」っていいたいですね、ほんと。 >日本人は花を見ながら、いろんな事を考えたようですし、禅の世界でも花の美しさ >を例にとって、物の見方や考え方を説明する方がいるようです。・・・花を見ると >心がなごむのは、一体何なのでしょうねぇ。 「花」という漢字は、「くさかんむり」が「化」けると書くんですね。 やはり、花が咲くというのは「いのち」の変容。 冬の間に内に秘めた力を一気に解き放つ儀式で、 この儀式がないと、花は実を結ぶことができません。 そうした儀式、一種のイニシエーションというものに、 人は魅せられ、そこにさまざまな象徴を見出すのかもしれません。 さて、花の色というのはいったい何を意味しているのでしょうか。 隆ちゃんはそんなことを思ったことはありませんか。 これについて、シュタイナーはこういう説明をしています(^^)。 (シュタイナー「農業講座」(人智学出版社)より) …色のある花の場合には、太陽の宇宙的力だけではなく、太陽の宇宙的力が火 星、木星、土星という遠い惑星達から受けとる補助的な力もまた、そこに生き ています。こういう観点から植物の成長を見るとき初めて、バラの色の中に火 星の力を読みとることができるのです。黄色のヒマワリをごらんください。こ れは太陽の花と呼ばれていますが、それは形からきた名称に過ぎず、この黄色 からするならば本来は木星の花と呼ばれるべきものです。なぜならば、太陽の 宇宙的力を補助している木星の力は、花の中に白色と黄色を生み出すからです。 また私達が青みがかった色を持つチコリを見る時、この青味がかった色の中に 太陽の働きを助けている土星の作用を感じとらなければなりません。すなわち、 私達は、赤い花の中に火星を、白と黄色の花の中に木星を、青い花の中に土星 を見ることができるのであり、他の惑星の働きを受けていない太陽それ自身を 私達は緑の葉の中に見ているのです。  ところで、花の色として現れるものは、特に根の中で一つの作用となって強 い力を発揮します。なぜならば、外惑星中から力を送ってくるこの存在は、ま た地面の中でも作用力を発揮するからです。つまり、もし私達がある植物を大 地から引き抜いた場合、その下方に根がついていますと、宇宙的な要素は根の 中にあり、花の中にあるのはほとんどすべて地球的な要素であって、ただ花の 色の非常に繊細な濃淡の中にのみ、宇宙的な要素が含まれていると言わなけれ ばならないのです。 ですから、人が花の色に魅せられるというのは、 ひょっとしたら故郷である宇宙への郷愁故にそう感じるのかもしれない。 そういうファンタジーを思い浮かべてみるのも一興でしょう(^^)。 そういう意味では、花を愛でるというのは、 宇宙を愛でることでもあって、なかなか深い意味があるような。 >コンクリートやアスファルトのない空間、土や緑に囲まれて小川のせらぎや鳥や >虫の声が聞こえる空間が理想ですね。 瞑想のためのイメージ環境といえば、決まったように小川のせせらぎや 青い空に白い雲、一面の野原や小鳥のさえずり、風のさやぎ・・・ というのがでてくるのは、そうしたものが人間の原風景だからなのかもしれません。 僕などは小さい頃、まさにそういう環境の中で育ったので、 そういうイメージというのは思い浮かべるのは比較的簡単ですが、 考えてみれば、そういう環境に生まれてこの方いたことがない方もいるわけで、 そういう方にとってのそういうイメージというのは、 果たしてヒーリングに結びつくのだろうか、なんて考えてぞっとしたりします。 花の色は宇宙への郷愁かもしれないというのは単なるファンタジーかもしれませんが その延長でいうと、そういう自然環境から隔絶された人間というのは、 地球を含む宇宙との結びつきを絶ってしまっているのかもしれません。 母胎の中で羊水に浮かんでいる胎児が聞いている心音というのは、 ある意味では宇宙の鼓動に他なりませんが、 その宇宙的なリズムに近い自然の鼓動に身をゆだねてみることなどは、 人間にとってときには非常に大切なことのような気がします。 「自然環境」についての恐るべき無知というのは、 そうした自然のリズムから遠ざかってしまったが故のことなのかもしれません。 ファーストフードの味に麻痺してしまうというのも同じことなのだと思います。 >鏡という表現はすごく言い得て妙だと思いますが、自分のまわりの現象は、自分 >自身の投影であるのでしょう。ちょっと極端ですが、僕にとってのこの世界は、 >僕自身が創り出しているとも言えるわけです。 自己認識と世界認識が等価であるとすると、 自分の見ている世界は自分自身に他ならないといえます。 >複雑なのは、そういう世界が人間の人数分ある事で、・・・ 集合無意識というユングの用語がありますが、 その意味を敷衍して考えると、人間の深いところでは、 すべての人間に共通している意識の部分があるわけです。 「自分だけ」というのは、「あらわれ」であり、ある意味ではマーヤであって、 実のところ、一即多、多即一というのが真実だと思います。 世界は一つであり、同時に個別化して意識の数だけあるともいえます。 で、困るのは、自分という意識のほんの表面の部分だけを自分だと思いこんで その他の部分を排撃してしまうということです。 それは、自分で自分の首をしめているのに気づかない愚かな行為なんです。 「愛」というのは、自己認識を拡げることあり、 同時に世界認識を拡げることだというのは、 自分という境界を拡げて、それまで他だと思っていた存在のことを、 自分のことだとして感じられるようになることです。 >妙な話ですが、自分の見た事・考えた事に絶対性をもたせる事も、集団への迎合 >も、実は本質的には同じ事のように思えます。自分の投影もある種の幻想、集団 >が醸し出す世界も幻想なんじゃないんでしょうか。 その通りだと思います、すべてがマーヤに他ならないというのはそのことです。 自分の意識を狭い自分の中で絶対化するか、それを集団レベルでするか。 その違いにすぎないんですね。 集団によるファナティックなあり方と認識を拡げることは反対のことで、 集団の狂気は個の自覚を消す行為なのに対して、 認識の拡大というのは、複数の個を認めた上での自覚が前提となります。 どんな行為も、自覚を消すあり方というのはマーヤに埋没することに他なりません。 >自分の感覚に疑いの目を向ける事は、決して自分を否定する事ではないし、同じよ >うに他人の言う事に懐疑心を抱く事が、相手の人格をおとしめる事でもないのです >が、どうもそのあたりを錯覚しがちなのかもしれません(特に律儀な人は)。 激しい懐疑というのが、すべての前提にあるというのが、 自覚ということの基本中の基本なのだと思います。 自分を認め、相手を認めるということは、自分や相手を甘やかすことではなく ともに激しい懐疑を通じて結晶してくるものを認めあうことだと思います。 それはお互いどうしの自覚を前提としたあり方で、 それを避けたところに、真の共同体は生まれないのかもしれません。 「信じる」ということが積極的な意味を持つのもそういうプロセスの後で、 安易になんでも信じ込んでしまうというのは、信じるのではなく、 没入以外の何者でもないように思うのですが、どうでしょうか。 >いろんな生物が、それぞれにエネルギーを供儀として捧げている(いろんな形で) >事を考えると、その循環こそが宇宙のダイナミズムの一形態なのかもしれません >ね。 人間の役割というのは、世界を認識し同時に自己を認識することだと 僕は考えていて、その一方は科学的なあり方であり、 もう一方がいてみれば宗教的なあり方であり、どちらの方向へと進んでも 究極は同じ所にいきつくのではないかと思っています。 ただ、どちらの方向も、ともすれば間違った方向に行ってしまい、 供儀を捧げるどころか、犠牲を強いることになってしまうのが悲しいですよね^^;。 >子供は自分の言ってる事を理解して欲しいのです。そして、もし、こちらが理解 >できなくても、一生懸命理解する努力をすれば、それはそれで納得してくれるも >のだとも思います。 それは、子供だけではなく、すべての人間に当てはまること。 もっと拡げれば森羅万象すべてに当てはまることだと思います。 もちろん自分についてもそれがいえて、すべての原点は 自分を理解すること、理解しようとすることなのではないでしょうか。 相手に自分を投影するということにしても、 その弊害が出るのは、自分を理解してないことにあります。 やはり、「自分をみる」。 それが原点のようですね(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 01162/01165 GGA02514 KAZE 「影」の解放 (13) 94/04/07 00:49 01155へのコメント YUIさん、どうも。 >要は、その”方便”を使用する主体が問題となる訳で、 >主体そのもの=真理という観点に立てば、一切が方便なのですね。 >そこから、「我即神也」という論理が成り立つとも言えそうです。 数学にしても科学にしても、その他のあらゆる認識のあり方にとって これから特に重要になるのが、その「主体そのもの」ということで、 その「主体」が「偽我」「エゴ」に近いものの場合、 それらの認識はそれに共鳴する波動をもったあり方しか導けません。 すべての人間の意識の根底深くに、 集合無意識の極致としての「神」が存在しているとすれば、 その「神」に近い波動をもつ認識であればあるほど、 その「主体」の導き出すものは神近きあり方になるわけです。 そのための大前提というか、スタートラインとして、 人間にとっては人格の確立ということが必要なんですよね。 人格の劣った科学者には、やはり高次の科学は導けないんです。 >現代は、「ルシファー」の働きが異常に強すぎて、本来人間が進化して >ゆく為の「障害物」的な働きをしていたことが真に理解されていない為 >に、「個」への執着から逃れていない状況なのだと思います。 シュタイナーによれば、人間に個を与えるきっかけになったのが 他ならぬ「ルシファー」なわけで、それは「傷害」であるとともに、 「可能性」でもあるわけです。 つまり、進化のジャンプ台をつくってくれたのがルシファーなわけです。 そういう意味でいえば、理解はその双方に向かう必要があります。 「悪」を否定した「善」は、単なるきれいごとにすぎないということ。 「個への執着から逃れる」のではなく、それを変容させることが必要です。 「影」はそれが理解されるまでは、 その姿を恐れという怪物へと増殖させていくだけです。 人間の進化のエネルギーの源は、まさにその「影」にある。 そう言ってもいいのかもしれません。 その「影」を解放しない限り、人間の進化はないのです。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 01163/01165 GGA02514 KAZE 縁起の中道的展開/光と闇のタペストリー (13) 94/04/07 11:51 01158へのコメント YUIさん、どうも。 >KAZEさんのおっしゃる縁起論はシュタイナーのいう所の >「階層間の結合」で、また次元のシフトから来るダイナミクスも >シュタイナーは言及していたと聞いた覚えがあります。 シュタイナーは、僕の知る限りでは、 「階層間の結合」や「次元のシフト」ということについて そういう表現では言ってないと思います。 ひょっとしたら僕の説明不足だったかもしれませんね^^;。 それと、僕の言っている「縁起論」は、 「階層間の結合」というテーマとはちょっとずれていると思います。 僕が言っていたのは、時間的な連関及び空間的な連関において 「存在」は「実体」ではなく「関係」として総合連関しているということです。 「次元のシフト」ということをシュタイナー的にいうならば、 「宇宙進化論」的なビジョンという表現が適切だと思います。 >「縁」とは各階層世界が”相互に”扶助している関係であり、 >各階層は調和という大目標に於いて、尊重されるべきものです。 もちろんすべての存在は「縁」で相互に関連しています。 そしてそこには「調和」ということがとっても大切なことです。 しかし、「縁起」による宇宙進化論的なビジョンということにおいては、 「調和」と同時に「進化」ということが非常に大きなファクターを持ちます。 ここに僕の言う、発展としての統合という意味での「中道」ということが、 そのキーコンセプトとして出てくるのです。 つまり、「階層」という「方便」としての「あらわれ」は、 その中道即発展ということと切り離して考えることはできないと思うのです。 そこに、縁起の中道的展開のためのエネルギーダイナミクスとして 「感謝」や「祈り」ということが非常に重要になってきます(^^)。 >時間が存在するがゆえに不完全としての現れがあり、 >時間が「ない」がゆえに完全であるわけです。・・・ >また、時間の存在が究極的に「無」の状態では「我」が存在を消し、 >同時に全ての可能性が生み出されます。 そうですね、なぜ「私」という意識が存在するのかといえば 「時間」が存在するからともいえるんですね。 で、「無」というのは「私」は本来こんなちっぽけな孤立した存在ではなく 本来「神」の一部なのだということでもあるわけです。 そしてその意味では、「神」は「完全」であり、 その完全なるものがさらに展開していくために、 自らの内に一見不完全である存在を階層的に生み出してきたともいえます。 それは神が自らを鏡に映してみたかった(^^)、ということなのかもしれません。 そこには合わせ鏡の無限展開が現出するということになります。 >時間のバネ型モデルについては後ほどアップするかもしれません。 >削除された発言をご存じの方も多いでしょうけど ^^;、 これについてコメントしたのですが、すでに削除されていて、 コメントがつけられなかった^^;、ここにそのレスを書くことにします(^^)。 >■時間とは伸び縮みする一定の長さのバネ(→生命)である これを読んで、YUIさんのいわんとすることはにわかに理解しがたいものの^^;、 すぐ東晃史さんの、 「生命」とは、「質料とエネルギー」の「変換体」のことだ! 本書では、物理学的な「時空」における、「影法師の移動」に対して、「影法 師の時間経過」を「認めるか、認めないか」という視点から、物理学者のいう 「時空」が、実は「時間だけ」であり、「脳を通して、空間になる」という視 点を導き出した。このような視点は、「意識」が、「時間」を「空間」に、 「換える仕事」をし、また、その「仕事のプロセス」は、「物理学的に、図式 で、表現可能になる」という、理解につながる。 というところを思い出しました。 ここでいう「生命」というのは「意識」といってもいいのかもしれませんが、 その意識という変換体がその観測の階層によって、 時間を「伸び縮み」させるということなのでしょう。 ま、僕としてはちゃんとまだつめてないことだから あまり突っ込まないようにしたいと思いますので深くは触れません^^;。 >直線の交点は【中央駅】であり、「秘儀は中央駅で起こる」とは >この点に於いて最大の混乱が訪れることを意味している。 >光と闇が交じりあう、灰色の時代がこの【中央駅】として表現でき、 ><灰色>のもの達の運命はここを境にしてほぼ決まってし愧、のである。 その「秘儀」というのは、別の表現では「最後の審判」のことでしょうか。 最後の審判は、光と闇の交点で起こるということなのかもしれませんし、 灰色の時代としての【中央駅】がその「選り分け」の場所なのかもしれません。 その「混乱」とは「変容」に伴うもの。 秘儀とは進化のための変容に他なりません。 現代の我々は、光を光として闇を闇として峻別するのではなく、 その「灰色」としての【中央駅】において、 その両者を(闇のみではなく)変容させなければならない という使命を持っています。 光は闇を排除するものとしての光ではなく、 闇をも含みこんだ高次の光へと変容させなければなりませんし、 闇はその供儀を理解することでそれを「解放」へと導き、 そこに光の糸を織り込んでいかなければならないのです。 そういう意味で【中央駅】という場は、 光と闇のタペストリーともいえるかもしれませんね(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 01164/01165 GGA02514 KAZE 食べるということ (13) 94/04/07 15:08 01159へのコメント YUIさん、どうも。 >最近、「肉食はよくない」とか「炭酸飲料は危険だ」などという声を >耳にしますが、いったいここら辺はどうしてよいものやら..(^^; そこらへんの問題は、固定的に考えない方がいいと思います。 肉食が良くないとしたら、それはひとつには「肉」が生産^^;されるあり方にあり もうひとつはそれが宇宙からのパワーを受けにくくするということにあります。 炭酸飲料にしてもそうで、それはある種の霊性を破壊してしまうのです。 そうしたことを理解した上で、それを食べるかどうかを決める必要があって、 そうしたあり方を越えるだけの「祈り」や「感謝」ということを それができないとしても、最低限心がけるということが大事なんだと思います。 僕自身はどうしているかというと、別にそれらを自分に禁じてもいないし、 反対にそれらがむしょうに食べたくなるかというとそうではありません。 食べるときには食べ、食べる必要のないときには食べない。 そして、肉食に限らず、食べるときにはかならず「いただきます(^^)」と 宇宙のエネルギー循環のことなどを感じながら、少しながら祈る。 そういうことにしています。 ただ、炭酸飲料の場合は、飲まなくても済みますから、 ほとんんど飲まないようにしています。 そもそも炭酸飲料の代表のコーラなどは、気分悪くて飲めないんです^^;。 もののついでに、YUIさんのつくってくれた「テスト」に答えておきます(^^)。 <あなたは菜食向きか?肉食でもOKか?>のテスト ^^;   1 「あとをひく」食べ方が多い           NO   2 願望はすぐにかなえなければ「イヤだ」      NO   3 大好きなもの、を大量に食べる          NO     (多種少量ではない食べ方をする)   4 食べた後、もしくは欲しいものを手に入れた後、  NO     熱が覚めること(興覚め)が多く、後悔することがよくある。 でも、先にいったように、僕は菜食主義ではありませんし、 「四つ足」の類の肉はあまり食べない場合が多いものの、 魚介類はけっこう好きです。 もちろん、野菜や穀類がベースにはなっていますけど。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 01165/01165 GGA02514 KAZE KAZEの便り●渡部昇一/オカルトについて (13) 94/04/07 15:09 4月6日付朝日新聞の「文化」のコーナーに、「世相観察」として清水克雄「オ カルトブーム/社会的な責任喪失感の恐れ」という評論が載った。 言わずと知れた朝日新聞のこと、その論評は判で押したようなもの。そもそもこ の筆者は「オカルト」の意味を知らない。このお粗末な論評の最後には、 自分たちで作ったきまりも守れないというのは、オカルトブームの影響で 社会的な責任感を喪失した人間が、大人にも増えているのだろうか。 とあるが、こういう断定口調は朝日新聞に特有の世論操作に他ならない。「オカ ルトブームの影響で社会的な責任感を喪失した人間」というのは、「朝日新聞の 影響で真の社会的な責任感を喪失した人間」と言い換えたほうがもっと適切かも しれない。特に面白いのが「大人にも」という箇所で、この筆者の想定する「大 人」というのはどういう人を指すのだろうか。おそらく筆者は自分を「大人」だ と誤解しているに違いない。もしそうだとすれば、きちんとものが考えられない 人を「大人」と呼ぶしかなくなってしまう。そもそもこの文章は、文章としても 少しおかしい。論理的にものを考えられない人間に「オカルト云々」という資格 が果たしてあるのだろか疑問である。 ちょうど、渡部昇一さんの「文化の時代」(PHP文庫)という新刊が出たので その中の「オカルトについて」というエッセイから、評論するならこういうこと くらいは考えて欲しいということを少し。  「樹はその果実によって知られる」(マタイ伝12・33)  ある樹がよい樹であるか悪い樹であるかはその果実によって判断される。 あるオカルト教、あるいは一般にある宗教がよいか悪いかはその信じている 連中を見て判断するより仕方がない。これは「洞察」の分野のことについて はまことに懸命な忠告である。たとえば禅宗がいい宗教であるかどうかは判 断しようがない。不立文字でこられたのでは理性の光で解明することははじ めから不可能だからである。・・・ ・・・もしあるオカルト教に従ったために、その人がよくなればその樹は善 いのであるし、その人がくだらなくなるならばその樹は悪いのである。これ は十分に明徴である。そのほかオカルトの名を冠するもろもろのいとなみ、 特にエロ・グロ・ナンセンス風の怪奇な文学や絵画などについては、怪力乱 神を語らざる孔子に従って、口をとざすのがよい。 「考える人間の最も美しい幸福は、窮め得るものを究めて、窮め得ないもの を静かに崇めることである」というゲーテの箴言の中には切実な現代的意義 が認められるようである。 もちろん、「オカルトブーム」という現象の悪しき部分は認められるが、それ以 上に悪しき部分がマスコミの世論操作にあることを忘れてはいけない。上記ゲー テの箴言のように、まずは「窮め得るものを究め」るということが大切である。 最初から「窮め得ない」と断定しておいてそれを批判する態度は愚かである。そ してその愚かさの中から、すべての悪しきドグマという怪物が育つのである。や はり「窮め得るものを究め」ながら、その上で謙虚になり、「窮め得ないものを 静かに崇める」という意味での宗教性というのは大切にしたいものである。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES(14):★YHVHの預言解読部屋------------<03> 94/04/07 - 01980/01980 GGD02212 Soo 弁財天が気になる (14) 94/04/06 22:56 <新しい9番会議室に書き損ネタ>  今年春の甲子園の優勝校、和歌山智弁学園の母体は確か弁天宗だった。 (本当は「弁」は旧字体だったかもしれないが出せない(^_^;) 少し前に 鹿児島かどこかで巨大な弁天像建立の計画が有るという話を聞いたせいも あって、これからチョット弁天様が流行るかもしれない…弁財天が何かも ろくに知らずに勝手に予言もとい予想しているSooでやんした。ベンベン。 - FARION MES(15):★平成松川塾◎日本を考える----------<01> 94/04/07 - 516/516 GGA02514 KAZE 「空気の支配」「水」そして「自由」 (15) 94/04/07 11:11 512へのコメント ナガトさん、どうも。 「空気」ということについてですが、もちろん これは松川さんのおっしゃるように日本だけそうだというのではありません。 さまざまなレベルでこの「空気」というのは、 人間のいろんな「集団」(国家も含む)を覆っています。 そのさまざまなレベルでの「空気」について可能な限り意識的であること。 僕の基本的な姿勢のひとつはずっとそこにあります。 松川さんがおっしゃるようにこのフォーラムなどで議論されてたりすることは 常識的に考えるとちょっとおかしなことのように思われるのですが、 その「空気」について考える場合、 どうしてもそこらへんのことを避けて通ることはできないように思うのです。 僕がこのフォーラムで「神秘学遊戯団」という会議室を続けているのも、 そうした、一見では見えないものについて、その深いところにある関係性を 少しずつ意識化していきたいということが大きな動機になっています。 「神秘学」というと一見特別なことのように聞こえたりもしますが、 それは日々私達が意識しないで生きていきがちなことすべてが そのテーマの対象となるわけなのです。 そういう意味で、山本七平さんの「空気の研究」(文春文庫)は、 僕のいうような神秘学的なアプローチのための基本書でもあります(^^)。 せっかくですから、その論考のいくつかをご紹介することにします。  一体、以上に記した「空気」とは何であろうか。それは非常に強固で ほぼ絶対的な支配力をもつ「判断の基準」であり、それに抵抗する者を 異端として、「抗空気罪」で社会的に葬るほどの力をもつ超能力である ことは明かである。以上の諸例は、われわれが「空気」に順応して判断 し決断しているのであって、総合された客観情勢の論理的検討の下に判 断を下して決断しているのでないことを示している。だがこの基準は口 にされない。それは当然であり、論理の積み重ねで説明することができ ないから「空気」と呼ばれているのだから。従ってわれわれは常に、論 理的判断の基準と、空気的判断の基準という、一種の二重基準のもとに 生きているわけである。そしてわれわれが通常口にするのは論理的判断 の基準だが、本当の決断の基本となっているのは、「空気が許さない」 という空気的判断の基準である。(22P)  では一体この「空気」は、どのようにして醸成され、どのように作用 し、作用が終わればどのようにして跡形もなく消えてしまうのであろう。 これを探求する一つの手掛かりは、だれかが、何らかの意図のもとに、 ある種の「空気」を意識的に醸成した場合である。言いかえれば、議論 が議論そのものよりも、明らかに、議論によるある種の「空気」の醸成 を狙っている場合である。通常「空気」は、このような人工的操作によ って作られるものではなく、言葉の交換によって、無意識のうちに、不 作為に、いわば自然発生的に醸成されるから「空気」なのだが、それは ある種の意図を秘めた作為的な「人工空気」の醸成が不可能だというこ とではない。(23P) 「空気」について考えていく場合には、上記のように、 それが「自然発生的」なのか「人工的」なのかを見極めなければなりません。 ただ、「人工的」だからといって「意識的」だとか限らないことは ちゃんとおさえておかなければならない問題だと思います。 「ドグマ」「イデオロギー」「慣習」「慣例」「思想」「文化」云々、 そいった「人工的」ではあるが、「無意識的」なものにこそ、 その「空気を作ろう」という意志の源があるからなのです。 朝日新聞という巨大な「人工的な空気製造器」にしても、 そこで活躍^^;しているのは、実の所、見えない部分、 本人も意識できないでいる部分の氷山の下の部分、 マグマの部分であるような気がするからです。 そのマグマの極めて深いところに、得体の知れない「民族精神」だとか 「時代精神」、もっといえば「地球精神」云々ということがあります。 「空気」には、このようにさまざまなレベルがあって、 それが「どこから来ているのか」について、 可能な限り意識的に探求していくことが必要だということだと思います。 ここで話を「日本」というこの会議室の基本テーマに戻して、 その「空気」に対する「水」ということについて、 また山本七平さんの上記の書からご紹介することにします。  だが、われわれの先祖が、この危険な「空気の支配」に全く無抵抗だ ったわけではない。少なくとも明治時代までは「水を差す」という方法 を、民族の知恵として、われわれは知っていた。従って「空気の研究」 のほかに「水の研究」も必要なわけで、この方法についてもだいぶ調べ たのだが、この「水」は、伝統的な日本的儒教の体系内における考え方 に対しては有効なのだが、疑似西洋的な「論理」には無力であった。同 時に西欧を臨在的に把握する空気的進歩主義者は。「水を差す」を敵視 し、それが悪であるかの如き通念を国民に植え付けた。昭和の悲劇とは、 表面的には西欧的といえる仮装の論理に基づく「空気」の支配に対して、 伝統的な「水」が全く無力だったことに起因している。・・・  ・・・われわれは残念ながらまだ新しい「水」を発見していない。だ がその新しい「水」は、おそらく伝統的な日本的な水にある考え方と西 欧的な対立概念による把握とを総合することによって見出されると思わ れる。(87〜88P) この「空気の研究」という著書には、続いて「水=通常性の研究」が 収められていますが、そこで最終的にキーワードとして提示されているのが 「自由」ということです。 シュタイナーの哲学的主著も「自由の哲学」で、 そこには人間の根源的な自由の可能性につイ「トの論考が見られますが、 この「水=通常性の研究」はそれと関連して読めば、 現代日本にこうして生きている我々が突破口を見つけるための なんらかのキーが見つかるようなそんな気がしています。 「『空気』の研究」とともに、これまで記してきたことは、一言でいえ ば日本における拘束の原理の解明である。ある状態で、人は何に拘束さ れて自由を失うのか?なぜ自由な思考とそれに基づく自由な発言ができ ないのか。そしてその状態にありながら、なぜ「現在の日本には自由が 多すぎる」といえるのか。なぜ「譲れる自由」と「譲れない自由」とい ったおそらく世界の「自由」という概念に類例のない、まことに不自由 な分類が出てくるのか。それはおそらくわれわれが、「空気的拘束的通 常性」の中の、どこに「自由」という概念を置いてよいかわからないか らであろう。(165〜166P)  我々は確かに「世界の趨勢」を追っかけて来たし、これが「趨勢だ」 ですべてがすんだ時代には「自由」は「不能率」の同義語として笑殺し てよかったし、その方が問題が少なかった。ただ、この方法が通用しな い位置に達したとき、その「何かの力」は方向を失い、新しい臨在的把 握の対象を求めて徒に右往左往し、衝突し、狂騒状態を現出して自らの 「力」を破壊的にしか作用し得なくなって当然である。その力は破滅と 知りつつ外部に突出もしようとし、内部的混乱で自壊することもあろう。 そしてその時にそれから脱却しうる唯一の道は、前述のあらゆる拘束を 自らの意志で断ち切った「思考の自由」と、それに基づく模索だけであ る。−−まず「空気」から脱却し、通常性的規範から脱し、「自由」に なること。この結論は、だれが「思わず笑い出そう」と、それしか方法 はない。  そしてそれを行いうる前提は、一体全体、自分の精神を拘束している ものが何なのか、それを徹底的に探求することであり、すべてはここに 始まる。(189P) かなり引用が長くなりましたが、 この「始まり」を多くの方が共有することがまず第一歩だと思うのです。 そのための貴重な先駆者として、 すでに亡くなりましたが山本七平さんや渡部昇一さんといった方がいます。 そういえば、渡部昇一さんの 「萬犬虚に吠える/角栄裁判と教科書問題の誤謬を糺す」(PHP文庫) という新刊には、今回の朝日新聞の問題をテーマとした「証言」が 非常にクリォ岨にとりあげられています。 角栄裁判における立花隆氏の危険なあり方についても明確にわかりますし (そういえば、立花隆氏は「脳死」の問題についてもかなり危険だった) 「検閲機関としての朝日新聞」「教科書問題・大新聞の犯罪」 「朝日新聞への公開質問十四箇条」といった、 新聞のあり方を考えるには最適のものが収められています。 もしまだお読みになっていないようでしたら、 これは「空気の研究」ともども必読書だと思います(^^)。 では。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES(17):★パワフルなえ★の《おふくろ通信》--<01> 94/04/07 - 878/879 GGD02212 Soo え?生まれた? (17) 94/04/06 22:56 877へのコメント  あ、馬れたんですか。(なえさんのお産かと思った(^^;)おめでとう。(Soo) 879/879 TBE03167 ねずみ RE:う・・産まれた (17) 94/04/06 23:08 877へのコメント あれ? 馬れたということだったの? 僕はてっきりなえちゃのほうだとばかり・・・ ^^ヾ まぁ、なにはともあれおめれとおうおうぉうをおーーーー - FARION MES(18):★あもりの二人三脚ネットワーク------<01> 94/04/07 - 00817/00818 HGE02116 MAKOTO RE:なんなのだろか・・・ (18) 94/04/06 22:58 00813へのコメント なえさんの書いたものって、不特定多数向けなんだろうけど、 一悶着起してる当事者として、やっぱいろいろ考えちゃうんだよねぇ… でさぁ、もっと自分に余裕が持てたなら、別の視点で見えるのかもしれ ないなって思ったの… でも、今のあたしにはそんな余裕がない。 綱渡りしてるんだよなぁ… 必死になって自分を支えなけりゃやってけ ない程、ぎりぎりの所に追い込いこまれてる。でもって、この会議室で の拘りなんて、そのほんの一部に、すぎないんだよな… ここならね、 繋ぐの止めればそれでおしまい。目を塞ぎ、耳を塞ぐことができる。で も、実生活はそうはいかないんだもの… まじで、正念場ってとこなん だよなぁ… 今、何をするべき…? 今、何をしたいのか…? 今、何をしなければならないのか…? そして、実際に、何ができるのか…? そんな事を考え続けてる。で、必死になって、その時最善だと思ったこ とをやってるつもり… 空回りする事も多いけどね。もっと肩の力が抜 けたらって思うよ。そして、当たり前の事が、当たり前にできればって 思う。でも、あたしには、それが出来ていない… 違うな、当たり前っ て事がわかってないの… 単に、「これ」といったイメージに縛られて るだけかも知れないんだけど… ここでの事に限って言うなら、見当違いの事をしているのかなって思う 時もあるの… 現実からの逃げ道にしてるのかなって、思うことさえあ るの。それでも、浮かんだ疑問は疑問で、今でも心を捕らえて放さない の… でも、あたしの望む形での答は、けっして得られないと思う。なら、何 を持ってよしとするかなんだけど、それが今だにわからないの。どうし ても、拘りがとけないのだもの… そして、噛み合わないことに、噛み 合いようもないことに、焦って疲れてる… それでも止められない… あたしの書くものは、やっぱ一種の甘えなのかも知れないって思う。 ここでならって気持ち、あるからさ… それでもって思う。ぎりぎりの 所に追い込んで、必死になってるうちに、何か大切なものが見えてくる んじゃないかって、そんな気持ち… で、醜態さらしても、諦めたくな いんだよなぁ… しかしさぁ、なんで人の事はよく見えるって気持ちになっちゃうんだろ う…? それが本当なのか、ただのイメージなのかは、わかんないのに さ… そんなとこにも引っかかるから、人のこと「こうだ」って決めつ けたくないって思う。そう思いながら、決めつけは外せない… おかし いよね。矛盾してるよね。笑っちゃうよね…(;_;)                      MAKOTO でした☆ 00818/00818 KFG01743 智美パパ 絶望とは死にいたる病である (18) 94/04/07 12:30 最近の発言のまとめ   関係は関係である。関係の関係は関係である。関係の関係の関係は関係である。   関係の関係の関係の関係は関係である。関係の関係の関係の関係の・・・・関   係は関係である。      やっと、この言葉の意味を理解した。(苦節?15年)      絶望とは死にいたる病である。      さて、俺はどうしたものか。