- FARION MES( 6):・壁(1)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 94/04/18 - 02336/02338 GGD02212 Soo Secret File Apr.'94 ( 6) 94/04/14 23:34 女の家を脅かす長老は倒れ 家を出た息子が蹟を継いだ 飢えて痩せた熊が爪を研ぐ 村人は熊の怖さを知らない 若い猟師が息子にささやく 熊に餌をやる嫁とは別れろ その嫁を追い出そうとして 息子は家の主の座を失った 熊を鎮めるために山へ登る 女達の事を村人は知らない * * * * * * Soo Gun Ray * 02337/02338 TBE03167 ねずみ RE:岡目八目なんとやら(^_^;) ( 6) 94/04/15 01:45 02335へのコメント コメント数:1 著美さん、すげーっ!! よく、あーゆー細かいとこ気がつくものですねぇ。 ボクなんか、長いことアタマがぱーになってるもんで、ああいうのって全然考える ことすら出来なかったりして・・・(マジな話) そーいや、ディスクX2の動作もちょびっとおかしいし、GFも一部のディレクトリ をちゃんと認識してなかったりするし・・・ なんか、すごーくいい加減な設定で うちのパソ根野郎は動いています。かあいそうなNS/Tちゃん(;_;) これでもホントにA型かぁ?>わたし 02338/02338 JBH01750 著美 パソ根、どはは…(^o^) ( 6) 94/04/15 23:41 02337へのコメント  >ねずみ算(←しゃれです(^_^;))  パソコンは根性で動くものなのかと、改めて認識を新たにしました。  私のパソコンも、使用者がよく分かっていないのに、なぜだか動いてます(^_^;) PATHが異様に長い(現在767byteあります、普通は125byteの長さが限界)し、なぜ か一太郎Ver.3やVer.4.3がATOK8で動いていたりする(^_^;)  PATHが長いのは、単にバッチファイルを作るのが面倒なだけでして…(^_^;)  一太郎も、3、4、5と揃えば壮観だろうという単純な理由で、3と4をHDに 残してあるのです(あとDashも持っている(^_^;))。  まぁ、NS/Tは、B型がよくあうようで…<B型著美 - FARION MES( 7):★アリオン世紀末書込み寺------------<02> 94/04/18 - 02121/02123 PXH01650 英雄 道を照らす灯として ( 7) 94/04/16 21:36 今年始めに、封印が解かれたという意味のメッセ―ジが出て以来、混乱・ 葛藤・分裂の様相が、わたしの身の回りにも目立ってきているように感 じています。 このフォ―ラムに集っている人々は、一様に何かを求めているのではな いでしょうか。単なる情報や知識ではなく、生きていく上での生活の知 恵以上の、もっと本質的な何かを。議論ではなく、共感や暖かさ、親密 さを。そして、灯そのものを.... この場が、そういった調和に満ちた場所、オアシスであり、学びの舎で あり、くつろぎの場、炎が発する場所であればいいと思います。 この部屋が、明るい「光」に満ちた声で満たされますように。 わたしとしては、「光よりの光」に立ち返って、ARIONのメッセ― ジについて感じたこと等を示すことによって、ささやかながら場創りに 貢献していこう、と思います。 94.4.16:英雄:from H. 02122/02123 JCF00616 YUI 私のARION像 ( 7) 94/04/17 17:10  ARIONとは、一体何物なのか?という問いや、また、それを超えた、  意義については延々と議論が繰り広げられて来きました。  僕は、今までにこの話題について意見を未だに出していないので、  今回、アップしてみようと思います。  ■ハローメッセージが語るように..   人間の思いは全て「映された」ものを見ているに過ぎない、ことが   ハローメッセージがありましたが、それは真実でありましょう。   また、だとすればARIONとは、やはりその鏡像にすぎず、   我々が知っているARIONはホンモノではないのですね。。   僕はARIONの本心と対話しているのではなくて、   鏡(YUI )と鏡(ARION )が反射しあっているのであります。   私たちは、この一線「鏡」を越えない限り、ARIONの本性とは何か?に   答えるすべもないのです。   また、ARIONは、自ら自身の鏡像を、「みれさん」という方に   預け、表現して貰うことによって、その「鏡」という真理を伝えようとして   いるとも考えられます。が、考えても無駄なことであり、それを知ることは   賢いことだと思います。  ■ARION=みれさん ARIONの姿とは?   ARIONは、「みれさん」という方便(失礼な言い方ですが)を通じて   メッセージを伝達している訳だから、ARIONの「お話」を聴いているのは   みれさんであり、ARIONとはみれさんの描いた(想像した)産物に   過ぎないのであって、ARIONという存在は受信側であるチャネラーの   姿それ自身であるのです。   なんだかムズカシイ印象を与えてしまったかもしれないので、   その補助として、以下の文章を引用してみたいと思います。   「自然は、そこに、ただ、あるだけ、なんだね。だが、それを見るとき、   お前は、そこに、お前自身を投影してしまう。(中略)   結局、お前は、そこに、自分自身をうつしだすことになる。だから、   自然は、鏡にすぎんのさ」   また、18番との関連も併せて..   「そして、お前もまた、自然、なんだよ。このことをよく覚えておくがいい。    お前もまた、本当は、そこに、ただあるだけ、なんだよ。ところが、お前は   そこに、様々な出来事や体験やらを投影しているのさ。たとえば、瞑想してい   て、ものすごい光が見えたとか、仏様が見えたとか、霊が見えたとか……それ   ら一切は、お前自身の思考や感情の反映さ。お前という鏡に、それらの出来事   を映しだして、自分自身の姿をながめているにすぎない。つまり、お前は、自   分自身を夢みていることになる。(後略)」 『気楽体』、宮城英男、水泉社   これは、著者の宮城さんが夢の中で出会った老人との会話の中から   引用したものです。この老人、なんとなく老子のように感じますが、   ARIONを始めとした助言者は、なんとなく口調が似ていると思われる   のですが、それは私自身の反映された幻影にすぎないのでしょうね。   結局の所、僕はARIONの発言は全てみれさん自身の投影された姿   だと思いますから、ARIONはARIONとして別にその本性が存在し、   発言はみれさんの発言として受取ることにしたいと思います。   そういえば、こんな言葉も在りました。   Nothing is real.  ('STRAWBERRY FIELDS FOREVER' by John Lennon)  ■鏡像の「裏」にある本心を「見つめる」べき   鏡像の反映、という考え方からいくと、私たちは永遠の反射の迷宮を彷徨う   こととなってしまいますね?そしたら、ものすごく悲しく、はかなく、   愛などは全くない世界だと言ってよいでしょう。   ところが、何事にも、「本心」というものがあります。   鏡の裏に隠れた「本心」があるのです。これが人間の本当の姿とは、   この「本心」を指しているのでしょう。   本当に何かを、理解、する以前に「見つめて」みたいなら、   その「本心」とうち解け合うことでしょう。そのためには、   私自身の「本心」が鏡を超えて見えて来る、ようにならなければなりませんね。   そのとき、ホンモノの、言葉さえもない「会話」が成立するのでしょう。   すべてが解るようになる、そんな人間の姿はすぐそこに来ているのかも   しれません。 p.s.そいえば今年は世界史の授業でアイザック・アシモフの『西暦3000年の人類』   (徳間書店)を使用しています。ちなみに、原題が THE MARCH OF THE MILLENIA   ということで、MILLENIAがMILLENIUM の複数形ということもあり、みれさんの   昔のハンドルを思い出してしまいました(^^)    あれは、「千年期」という意味だったのですね。 YUI 02123/02123 MHD02502 ARION ARIONよりアマデウスへ ( 7) 94/04/18 14:21 01947へのコメント  #01947 アマデウス へ  さて、ようやくあなたのことについて応えることが可能になった。  かなりの時間の経過があったが、その点についての詳細は追って話してゆく  つもりであるので、この場では話さない事とするが了承して貰いたい。  あなたと、あなたの妻の関係についてはあなたからの後報を待つことにして、  あなたの書き込みについて、コメントをすることにしよう。 |原因は、ひとことで言えば人生の目標に対する考え方の違いである。 |彼女は、物質的に満たされることにより心の平安が得られると考えていて、 |そのため強い上昇指向を持っている。(かなり乱暴な言い方だが) |そして結婚後一度は勤めていた会社を退職したものの、語学を勉強して |外資系の会社に再就職した。 |だが私には彼女ほど強い上昇指向はなく、むしろ心の問題に目が向いており、 |彼女から見ると向上心が欠如しているように見えるらしい。  このあなたの話は私が以前、「光よりの光点」に掲載したところの  「自由を希求する 1&2」を髣髴とさせるね。  あの話は読んだかな?  人間は、物質的なことで満たされたい心と精神的なことで満たされたい心の  狭間で苦しむことが多い様だね。何故、この二つは相互に位置出来ないのだろう?  生活は物質的な側面と精神的な側面の双方向を備えているにも関らず、  そのどちらに重きを置くか?というところで、お互いに容れ合わない感情を持って  しまうことが多いのだね。  それが夫婦間でなくとも、人間関係の中で上記のようなことが持ち上がった時、  どちらに重きを置くか?で争うと本質的な会話が不可能になってしまうので、  お互いに「物質的なこと」「精神的なこと」への思惑を払拭してから、  話し合う様に努力するのがベストだね。  そのために、お互いの主張する立場を入れ替えてみると良い。  そう、まるでゲームの様にやってみると、見えなかったものが見えてくる事も  多いのだよ。 |このような下地があった上に、上述した考え方の違いが積み重なり、昨年夏 |あたりから彼女の方からサインが出始め、年末に離婚話にまで発展した。 |(現在は保留中) |まあ、いろいろ細々した話はあるのだが、本質はやはり考え方の違いだと思 |う。これが、私と彼女との「差」である。  これはアマデウスだけに言うのでは無いが、こうして離婚という形を模索する前に、  先ずお互いにシッカリ確認して欲しいことがある。  それは離婚という言葉を出すに至る、お互いの気持ちの経緯の確認だ。     ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^  このことは、離婚に限らない。離婚という言葉の代りに結婚を当てはめても良いし、  外食を当てはめても通用する。ある言葉が出るに至る経緯を確認するのは、  面倒な事かも知れないが、必要なことだ。  私は今までに触れ合った離婚願望を持つ人達や、相手が離婚願望を持つ人達の口から  「何かしらの原因があり、結婚を維持出来ないと思う」という言葉が出るのを見た。  しかし、よくよく聞いてみると、この言葉の持つ意味は「何かしらの原因があり、  相手が嫌いになった。だから離婚したいと思う」であったりした。相手が嫌いに  なったから離婚するというのは、私の目からはおかしなものに見える。  結婚とは生まれも育ちも性も異なる者二人が、お互いに出会うまでの間に培った  経験などを持ち寄って、お互いの個性を維持しながら、二人の個性を合わせた  「第3の個性」を築き、二人だけでは得ることの出来なかった世界を共有し、  二人で多くの経験を積んで生活してゆくもの、という風に私は解釈している。  勿論、生物学的な見地に立っての見方では無いけれどね。  好き嫌いという感情は、それはそれで大事な判断基準であろうが、  人間二人の長い人生経験を持ち寄り築き上げる結婚生活の中では、もう少しお互いに  お互いの個性を見つめあい、理解し合う努力があっても良いと思うのだが。 |この差を乗り越えること、それがサトリなのだろう。 |今年のテーマが「決意、実践」ならば、サトリを実行せねばなるまい。 |だが、ここで自問してしまう。 |私たちにこの差を乗り越えることができるか? と。  今年は確かに「決意、実践」の年だ。  判断→決意→実行の年と言い換えても良いだろう。  しかし、だからこそ、差を取り除く…となると、そうかな?  あなたが何を以って「差」と感じるか?  相手が何を以って「差」と感じるか?  その「差」は、何を基盤にして感じたものか?などを話し合わねば、  お互いに感じる「差」を前に意固地になってしまうだろう。 |この差を差として受けとめた上で、なお夫婦として一緒に暮らして行くこと |が出来るのか?  「差」が出来る基盤をお互いに理解しあったら、そこに在るのは「差」だけで、  「差」があることでお互いの心に溝が出来ることは無いのだよ。  これを理解するのは、少し難しいかも知れないがやってゆくうちに分かる。  また、夫婦としてやってゆけるのか?では無く、「夫婦としてやってゆきたい」  或は、「夫婦としてやってゆきたくない」、このどちらかを基盤に話が組み立てられ  ているのか?でも、会話は異なってくるんだよ。  その辺りをクリアにして話をしてみると良いね。  正直に自分の気持ちを伝えているようで、人間は違ったことを言っている場合が  ある。自分の気持ちは一体、何を望んでいるのか?と自問自答してみると良いね。  以前、私が誰かに指摘したように「私の好きなこと、したいこと」などをノートに  書き出してみて、優先順位を付けるというのも「自分を観る」手助けになる。                         −−−ARION,O∴O−−− - FARION MES( 8):★シゲの【恋愛玉手箱】爆走編--------<01> 94/04/18 - 00266/00279 GBG02043 維/YUI 一人語り ( 8) 94/04/14 22:36 コメント数:2  人生の一大イベントのはず(?)のお嫁にいくということを、思いがけなくあっけな くしてから すでに半年が過ぎた。 生活の場所も、周囲の人々も以前とは大変に違っている。 正直な話、よく平気だったなぁ・・・と、ふと思ってしまうのである。 だいたい、結婚ってもんはじっくりとつき合って右往左往して、なんだかんだと悪態を ついたり とまどったりして、お互いの味が飲み込めてからするものだと、自然と勝手に思ってい たので、 自分で決めたにしろ、晴天の壁暦だったんである。(爆笑)  だから・・・というわけではないが、時々無償に腹が立つことがある。 なんで、こ んな初歩的 なつまづきばっかりやってなきゃいけないんだぁって。  で、ふと思い出すとあたり まえであっ た・・・(^ ^)ゞポリポリ  知り合って数カ月やそこらで、そんな阿吽にギャグが飛ば せ たら・・・ぢゃなかった、日常の行動なりをキャッチできていたら、家庭裁判所はきっ ととっても暇になるに 違いない。 私にとって結婚前に当たり前であるところの、「おつき合い」なるものが、 いままでの 私のノリからすれば、皆無に等しいのであるからほとんど赤の他人と突然同居すること になったようなもんである。  おおっ!!!な・なんと大胆なことを・・・・と、い まさらながら考えたりして いる。      マッキントッシュで、書いてみたの・・ちゃんとUPできたかなっと(^−^)                                  維/YUI。 00267/00279 MGH00465 アキラ RE:一人語り ( 8) 94/04/14 23:01 00266へのコメント  はーい、ちゃんとアップできてないでぇーす(^^;)  1行の文字数がちいと多すぎるみたいね。ちゃんと、40文字になるように 横幅調整しました? あと、フォントは等幅のフォントを使わないと、プロポ ーショナルされてしまって、同じ横幅の中に入る文字数が違ってしまいます。                        MGH00465 アキラ 00268/00279 JBH01750 著美 RE:一人語り ( 8) 94/04/14 23:28 00266へのコメント コメント数:4  >維/YUIさま、おひさです  うーみゅ、マックですか。何を隠そうこの著美もマック(Classic II)を使用して いるのである。Quadra 840AV なんてのも使っていたりするのである。  しかし、どちらもモデムがないので、ファックスモデム搭載(←唯一自慢(^_^;)) のノートパソコン PC-9801NS/T でアクセスしておりやす。  ついでに言うと、この著美も、この春(あっ!!来月)に、速攻の結婚をしてしまう らしいです(*^_^*) しかも、具体的な話が出たのがなんと3月末 (^_^;) オイオイ  披露宴は9月?(←今のところ未定(^_^;))  手が早かったのは某シ*の記録を塗り替えたかも (^_^;) ウソウソ P.S. 今はやりのネット関係での結婚ではないです(お断り) 00269/00279 MGH00465 アキラ RE:一人語り ( 8) 94/04/15 05:10 00268へのコメント コメント数:1  #00268 著美 さん  ううっ、また先を越されてしまった(;_;)  おめでとっ!(^_^) MGH00465 アキラ 00270/00279 GBG02755 SMAL おめでとう!>>著美 ( 8) 94/04/15 20:47 00268へのコメント コメント数:1 結婚するんだって、よかったね。 どんな彼女なのかな。 よかったら、ノロケなんか聞かせてよね。 いいなぁ。すまるもいつか、きっと結婚するぞ!っと。 00271/00279 JBH01750 著美 お先に失礼しますだ(^_^;) ( 8) 94/04/15 22:47 00269へのコメント コメント数:1  >アキラさん  「先を越された」ということは、後に続くという意味ね!! (^_^) 00272/00279 JBH01750 著美 どうもです(^_^)>SMAL ( 8) 94/04/15 22:48 00270へのコメント  うーみゅ、そんなにしてまで、著美のノロケを聞きたい? >>FARION MES( 8):★著美の【恋愛玉手箱】爆走編--------<01>  というのができたら、会議室まるごと、ノロケ話で埋め尽くして進ぜよう(笑) 00273/00279 PFA03563 YAHATA なに〜っ ( 8) 94/04/15 23:07 00268へのコメント コメント数:1  #00268 著美 さん 》 ついでに言うと、この著美も、この春(あっ!!来月)に、速攻の結婚をしてしまう 》らしいです(*^_^*) しかも、具体的な話が出たのがなんと3月末 (^_^;) オイオイ  いーなーいーなー。私も早く結婚…の前に復職せにゃ。 YAHATA 00274/00279 MHD02672 TAO ををを(^^) ( 8) 94/04/15 23:53 00268へのコメント コメント数:1  おめでとう〜 > 著美さん  これで、FARION に巣食う(?)独身善男善女の群れから、  また一人“片づいた”訳ね(^^;)。  今度の朗報は誰から出ることやら…(^_^)。  TAO 00275/00279 JBH01750 著美 RE:なに〜っ ( 8) 94/04/15 23:54 00273へのコメント コメント数:1  >YAHATAさん  実を言うと、あたしゃ、結婚を前にして、職に就いてない(^_^;)  「復職」というからには、前に職に就いていたから言えることであり、著美は 自慢でないが、このトシまでいわゆる「定職」というものに就いたことがない!! (…と自慢してどーする(^_^;)>わたし)  それにしても、いーだろ、ヤーイ  ちなみに、カミサン(となるであろう御方様)は、著美の倍の収入があります (^_^;) 00276/00279 JBH01750 著美 RE:ををを(^^) ( 8) 94/04/16 00:02 00274へのコメント  >TAOさん  わはは。これからは、オフに出ても、某ガ*チ*氏の「結婚してるのは俺だけね」 っていう優越的視線は、やりすごすことができる(?) 00277/00279 PXH01650 英雄 RE:お先に失礼しますだ(^_^;) ( 8) 94/04/16 21:35 00271へのコメント うげげっ!著美さん、おムコにいっちゃうのお〜(;_;)。 おめでとうございますだm(__)m。 SMALさんと同じく、どんな彼女か?どこで知り合ったか?などなど、 根堀葉堀聞いちゃうぞ!!(^^;) つうわけで、著美さんのノロケで、 >>番号 発言 (未読) 最新 会議室名 >> 8 276 ( 100) 04/17 ★シゲの【恋愛玉手箱】爆走編--------<01> ^^^ 等となったりして....(^_^) :英雄: 00278/00279 PFA03563 YAHATA RE^2:なに〜っ ( 8) 94/04/17 00:01 00275へのコメント  #00275 著美 さん 》 ちなみに、カミサン(となるであろう御方様)は、著美の倍の収入があります 》(^_^;)  余計にいーなーいーなー(@_@)  ギャグ玉の輿ってやつね。 YAHATA 00279/00279 GBD03557 シゲ おめでと〜>著美 ( 8) 94/04/17 12:48  著美氏のおかげで、 8 276 ( 6) 04/16 ★シゲの【恋愛玉手箱】滞り編--------<01>                          ^^^^^^ にならなくてよかったよかった。 - FARION MES( 9):★TAO の《神々の曼陀羅》―美と信仰と史― 94/04/18 - 125/129 MHD02672 TAO >>Kony さん ( 9) 94/04/15 22:27 123へのコメント  いらっしゃいませ〜。  Konyさんは“気”に敏感なのですね。私はそういう感覚があまり働かない  たちですから、こういうお話を伺うと「ほぇぇ、そういうものか」などと  感心してしまいます。もっとも霊感というのは、いわゆる五感と同じように  全ての人間に備わっている訳ではありませんから、どうしても「人類共通の  普遍的な認識」として成立しにくいですね。もし霊的感覚の個人的な差異と  いうのがあるとしても、今のところはそれを客観的に判断するすべがない。  霊的感覚が、今の五感と同じように共通認識形態として人類全体に芽生える  のなら、また霊的認識に対する姿勢も大きく変化するのではないでしょうか。  話がそれました。  白山と白山比v神社は、何故か「その類の方々」に注目されているようですが、  それだけ強いエネルギーが感じられるということでしょうか。巡礼に見られる  ように、俗に言う聖地に対する憧れや思い入れというのは、結構普遍的な衝動  だろうと思います。「巡礼」というテーマはいつか取り上げたいものです。  また、お寄り下さいね。  TAO 126/129 JBH00712 桂 桂 浮世絵美論 ( 9) 94/04/17 14:10 コメント数:2  浮世絵の性はなぜかくも美しいか?  それは人間の性の営みが、富士山の大自然と等しく描かれているからである。  18世紀における日本の春画の特徴は、凡そそれが古今東西類を見ないような 男女の性器の「誇大表現」である。それは西洋人ですら痛く五感を刺激する物で あった。このような表現技法は何処からもたらされたか?  元々春画を描くと言う事すら中国から渡って来た物であるが、単なるポルノグ ラフィーには収まりのつかない情念、神経の集中を感じさせる。  江戸時代、文化が爛熟期を迎えた元禄の頃、もはやこの時代の近代的な戦争は 皆無であった。だが、浮世絵師は絵の中に、自身の中で見つめる「自然」の中で 新しい戦争を発見する。のんびりと安定した自然ではなく、興奮し、汗を流し、 痙攣し、うちもだえ、声にならない声をあげ、快楽に目をくらませている。  昼といわず夜といわず、枕辺でこの戦争は続く。  西洋でポルノグラフィーが描かれる時、それはレンズを通して無気質な視線が まるで解剖学の実習と見間違えるくらいの精度さを持って描かれる。  だが浮世絵の制作工程は非常に技術的な工房の連結、組織、構造化によって産 み出された。絵師、彫師、刷り師達のマニファクチャリングな技術の集大成は、 「性器」の描写にその跡が見られる。世界中何処を見渡しても浮世絵のような、 「美しい陰毛」を描いた絵はない。それはあたかもシリコン・チップの様な正確 さで一本一本が描かれその微細な黒い描画をルーペで見れば、一本一本かき分け られたちぢれ毛が、あやしく波をうっているのが解るのだ。  絵師による鋭い観察と、その細やかな下絵をアクチュアライズできる優れた彫 師の技術がここには見事に結集されている。彫師の工房においては、この陰毛の 彫りの部分は顔や髪の毛や内面の快楽を表現する手足の「表情」とともに、もっ とも優れた技量を持つ親方が担当していて、「頭(かしら)彫り」と呼ばれてい た。  京の西陣織に優れた織物マニファクチャリングのシステムを作り出していた18 世紀の日本の技術は、陰毛の「毛彫り」にももてる才能の全てを傾注出来るほどの 成熟をみせていたのである。  それは即ちピュシス(自然)か、テクネー(技術)か、といえる。  現代の、セルロイドやコミックキャラクターを代替物として描かれる架空の性 ではなく、ピュシスを表現するのにテクネーの粋を尽くし、そしてそれを「見る」 のにテクネーの視線は正鵠にピュシスをみてとる。  「自然」と「技術」の幸福な連結、昇華が、浮世絵にみられる、とも言えそう である。 桂 桂(JBH00712) 127/129 MHD02672 TAO >>桂 桂 さん ( 9) 94/04/17 22:58 126へのコメント  どうも。#126 の「浮世絵美論」、面白く読ませて頂きました(^_^)。  この会議室では、芸術史もテーマの一つとして扱いますので、こういう  アーティクルは大歓迎です。  浮世絵の春画については、リニューアルする前の当会議室でも、  みれさんが触れていられましたが、私から見ても、春画には性の持つ  根源的な“力”が生々しく顕現されている、という感じがありますね。  そこには桂さんも指摘されるように、驚くほどの職人芸の高度さや成熟も  貢献していますが、性を見つめる眼差しそのものが、森羅万象の中に  “生命力の氾濫”を感じ取る感受性を内在して注がれているからではない  でしょうか。うまく言えているかどうか分かりませんが、浮世絵師たちは、  単に性行為や性器自体を即物的に描くのに飽きたらず、美意識に則った  (か、どうかは分かりませんが)極端なデフォルメによって、性行為の  もたらす喜悦や恍惚感、意識の混濁状態 …それは、人間の生命力自体が  持つポテンシャルの顕現でもありましょう… をも表現しようと図って  いたように思えます。  浮世絵師の微細な表現を可能にした、彫師や刷り師の驚くほどの技術力の  蓄積というのも、歴史的に見てどこまで遡れるか、興味深い問題ですね。  桂さんは歴史に詳しいですし、この会議室で今後も発言を続けて頂けたら  嬉しいですね。今、読まれているという「持統天皇 −日本古代帝王の呪術−」  (吉野裕子著)の感想も、良ければここで聞かせて下さいね(^_^)。  TAO 128/129 KFH00666 0 RE:浮世絵美論 ( 9) 94/04/18 10:37 126へのコメント コメント数:1 はじめまして、tenといいます。桂桂さん。このお話しはとても面白いですけど、中沢 新 一氏の確か「悪党的思考」のなかでよくにた評論を見たことがあるんですけど^^;。 129/129 TCC00116 NoB RE:浮世絵美論 ( 9) 94/04/18 12:11 128へのコメント あれは、さらに、初出は雑誌「オルガン」でしたね。なんて、ちょっと僕もコメント しようかと思ったけど、ま、いいかと思っていたんだ(桂 桂さん、0さんこんにち は)。もとの中沢のピュシス(自然)か、テクネー(技術)は、後期ハイデガーのパ ロディなんだけれど、中沢はわざと語ってなかったかもしれません。いかにも中沢ら しい、優等生的なチャート見解というのが、面白いかもしれません。 ま、ついでですが、浮世絵というか枕絵というか春画というか、あれですね、たし か、どっかで、みれさんもお好き(?)というようなアーティクルを見かけたけれ ど、うーん、どうなんでしょね。なんて、なにを言っているやら。 僕なんかだと、あの絵の細密性より、イマジネーションの問題が先にたつというのは あります。あの生殖器官の描写それ自体のイマジネーションといいますか。あと、夜 這いの民俗学なんかでも言及があったみたいだけど、真宗のシンクレティズムのなか にある種、性儀式があり、これらは、立川流などの痕跡かもしれません。むしろ、そ のあたりの性イマジネーションの隠れた歴史のほうが僕は関心あります。 ま、ハイデガー的にいうなら、「人間の性の営み」がそもそもテクネーであって、 「自然」ではないと僕は思います。というか、我々は貴族というと、いかにも尊いと いうイメージを持っていますが、日本の平安時代解体以降の皇室とそれにまつわる貴 族というのは、むしろ、性のテクネーの保持集団なんです。むしろ、そういう面か ら、権力を媒介している臭い感じがします。一般に、宗教なり、宗教権威としてこれ らが見られているようですが、そうでもないんじゃないか、むしろ、問題は、「性」 だという感じがします。 ただ、性のテクネーというと、いかにも、スコラ大特集みたいになりがちですが、か ならずしもそうではなく、民衆のほうは、また別のテクネーがあったのかもしれませ ん。 それでも、やはり、構図としては、皇室の性テクネーが、むしろ、親王の配分と関連 した精神図式であるかもしれません。うまく言えてないのですが、同じ、皇帝でも中 国の場合、宦官が皇帝集団を形成する、ところが、日本ではそうではなく、親王の性 の配分という形で地域性が獲得されているわけです。 NoB - FARION MES(10):★Dr.Sooの《夢酔い人の部屋》--------<01> 94/04/18 - 00395/00399 GGD02212 Soo 発言者削除 :夢と無関係なシモネタ (10) 94/04/14 23:34 00394へのコメント ※ホストシステムに挑む悪戯タイトルです(↑削除はウソ)。ゴメンナサイ(_ _) *ギノ*ヨウ*さんのお姉さんは*ギノ*ケイ*さんだ。(伏せ字を辿るな) ****ヨウコさんがヘアヌードのターゲットにされているという噂がある。 しかし問題は「ミナ*のヨーコ***がマルミエ〜」というフザケタ変え唄が まんま実現してしまってはダシャレとして低劣過ぎることだろう。(ー_ー;(_ _) 00396/00399 JCF02051 めのう カインの末裔 (10) 94/04/16 04:10 00393へのコメント コメント数:1 Sooさん、RESありがとうございます。 「カインとアベル」とはこれまた痛いところをつかれてしまいました。 私は3人姉弟の真ん中です。 出来のいい「自慢の娘」の姉と目に入れても痛くない「宝息子」の弟。 間の私は、期待を裏切って女に生まれてしまったり(とにかく2番目は 男の子が欲しかったので大層がっかりしたと祖母から聞かされた)特別 成績優秀でもなかったりしたので、あまり母に関心を持たれなかったよ うに思います。 カインコンプレックスといわれる兄弟への無意識の憎悪や嫉妬っていう のは結局は母親への執着なんでしょうね。 私はこの執着がめちゃくちゃ強いと自覚します。 私が男だったら弟のように無条件で愛されていたのかなーなんて考えた りして。 「母がもうすぐ死ぬから身辺の整理をしなくては...」と漠然と 考えるという夢もときどき見ます。これも関係あるのかな。 もうすぐどころか今年で七回忌なんですが。                        ◆◆ めのう ◆◆ 00397/00399 GGD02212 Soo RE:カインの末裔 (10) 94/04/16 13:54 00396へのコメント  「カインの末裔」って、有島武郎だったかな?…っと、その前に…(ー_ー; 「3人姉弟の真ん中」のお姉さんで妹、でしたか。どういうわけだか#00391の 文面からお兄さんと思い込んで#00393では同性間…と決めつけてしまいました。 ゴメンナサイ。m(_ _)m 姉弟間の場合、無意識の憎悪や嫉妬っていうのはどう なんでしょうね。性的虐待みたいな形で夢に表れても不思議ではないですが… (私なんかは一人っ子で、お姉さんに虐められてみたいです(^_^;(ー_ー;(_ _) 00398/00399 GHD00256 七穂 魚、鯉、鮫..の夢のはなしです (10) 94/04/17 19:22     おじゃまします。(^0^)  えっと、最近サメの夢を見てちょっと印象的だったのですが、振り返ってみたら、  サメの夢ってはじめてじゃなかった。夢日記をつけはじめてから、シリーズものに  わけられるものがあるかもなーとは思っていたのだけど、これはどうだろう?  ぜんぜんそれぞれ無関係かもしれないけど、とりあえず水の中の生物の夢で、  サメ以前に見たものも合わせて、並べてみました。 ?/?  湖で、小舟に乗って長い竿を持ったおじいさんが、サイズぴったりのビニール袋に  詰められた鯉をいっせいにざばざばとビニール袋ごと水の中に放している。  鯉はどれも灰色っぽいくすんだ色をしていて、最初死んだように固まっていたのが  水の中に放されると元気にぴちぴち泳ぎだす。  その鯉にあんまりいい印象を持たなかった。 ?/?  修学旅行かなにかで団体行動している。  どこかの大きなデパートの中の生鮮食品売り場にいて、なぜかみんなそこで  お土産を選んでいる。  いろんな魚やイカ、タコなどが並んでいて、売り場のおじさんの威勢のいい声が  聞こえている。熱心に説明していろんな魚をお買い得だよとすすめてくれる。    場面が少し変わる。  小さな干涸びた魚が目にとまる。生気のないちっぽけな魚。でも引きつけられる。  なにか象徴的な感じ。 7/9   すみれ色の花びらを池の水に浸して食べる。  黒い鯉が何匹も泳いでいる池に、一匹の赤と金色の鯉を放す場面がゆっくり進行。  とてもきれいなシーン。  (鯉のいる池の水を飲んでしまったような気がして、起きた後でちょっと口の中が   気持悪く感じられる。)   9/29?  漁船がたくさん。サメがいるところ。囲みのある区域。危険なイメージ。  北海??と頭に浮かぶ(がそこにはサメはいるのか?ナンテシラナイ..) ?/?  水の中。水面に近く、光が反射してみえる。わりときれいな眺め。  幾筋ものエラがびろびろと目立つ、奇妙な形をしたサメの集団の中に自分がいる。  その中の一匹がわざとわたしを威嚇しに接近してくるので恐怖感で縮こまり、  冷汗がでる。気がつくと、なぜか自分もサメの姿をしている。  同じサメなのになんで襲ってくるのか。理不尽だと感じ、憤りと困惑を覚える。  そのあと、がぶりとやられたような気がするが、そのまま場面は変わって、  どうも無事だったみたいである。   1/23  子どものサメ。  成長の段階によって、ずらりと並んだエラのような筋が、次第に厚いサメ皮の紋様に  変化してゆく。その変化の仕方をじっくりと見せられている。  気味が悪いのだが、その変化する部分が特にフォーカスされて展開していく。見事な  紋様に変化するとその場面は終わる。    とても大きなサメが海岸の砂浜に海の方を向いている。  そのサメに対してなにか仲間意識のようなものを感じている。  そのサメを海に帰してやらなければならない。  わたしと一緒にその場にいた女性は勇敢に?サメの口元を引っ張って海に引きずって  いき、サメと一緒に途中まで海に入っていって、優しくサメを海に送ってあげた。  わたしは自分でもちっぽけな恐怖心だとどこかで感じながらも、尻込みして結局  それを見送っているだけ。   サメを海にかえせたことをうれしく思いほのぼのとした気分ではあるのだけど、  見送るだけだったことをちょっと残念に思いながら目覚める。 3/31  なにか細長い化け物が8〜10匹ほどいる?  大きな壷から黒く細長い図体が空の方に伸びている。とても長い。仰ぎ見る。  黒い色がちょっと不気味。  剣で壷の口のところあたりから切断してしまうのが退治する一番いい方法だ、  という思いがして、それを実行する。  何故か、最後の一匹だけは切断せずに(殺さずに?)そのまま残してやり、  弱ったその一匹を白い大きな紙箱?に入れて、どこかの海に送り届けてやることに。  白い箱から落ちないようにするためなのか、それともまた暴れださないように用心で  しているのかはっきりしないが、わたしはこんなこと必要なのか?とふと思いつつも   ビニールの紐でその海獣?のからだを二、三重に結わえている。  いつのまにかその海獣の体は丸まった形にまとまっていて、色も不気味な黒では  なくなっている。皮膚がつるつるしている感じ。  結局、ビニールの紐で結わえる必要はないということになり、どこかの店の女主人が  登場してきて、その大きな鯨みたいに丸まった海獣を愛情込めて?白い箱の中に納め、  ついでに白い大きな布で包む。隠した、という感じもした。  その女主人のことは得体が知れないと思うのだがが、その海獣には可哀相という思い と 愛しさとを同時に感じている自分に変化している。    ...ビニール袋に詰められていた鯉とか干涸びた魚っていうのは自分の心の中の  状態を表わしていたのかな、としばらくしてから振り返って思ったのだけども、  一方サメのほうは、何を表わしているのかさっぱりわからないと思ってたのだけど  こうしてみると単純に恐怖心とかに関係しているだけかもしれないという気が  してきました(^^;)。ところで鮫のエラがやけに目についたのはなぜなのだろう?    それにしても、象徴される?生き物が、魚、鯉、鮫、とだんだん大きくなってきてい る ようなのがおもしろいです。気のせいかも知れないけど。    なにか気がつくことがありましたらコメントくださいませませ。  それではおじゃましました〜(^^)/~~                                    七穂 00399/00399 KHC01313 まるにちょん 墓場のまるにちょん (10) 94/04/18 01:07 こんにちはSOOさん、ここでの書き込みは 初めてです。 よろしくお願いしますね(^O^) 変てこな夢のこと 4月13日にこんな夢を見た。  暗い路地をふたりで歩いている。  しばらくすると広い空間にでた。  「ここは古い墓場なんよ。」  ここまでぼくを連れてきた成地さんは、傍 らにたって、そう言った。  成地さんの風体は、藍の作務衣に白足袋で 、雪足(せった)をつっかけている。  周りは、見た目にも打ち捨てられたことが はっきりと分かる廃虚と化した大きな墓地 であった。  崩れた墓石や地面に半分埋もれた墓石の群 れがひろがる。  供養する子孫もいないようにみえる。  なぜだか恐怖は感じない。ただ、暗いなあ 、って思っている。  ほんとにあたりは薄暗く、少しジケジケし ている感じである。  成地さんは、続けて言う。  「わし、この墓らを供養してきたんよ。」  ぼくが言う。  「それはたいへんやったでしょう。」  なぜ、そんなことをするのかは聞かない。 それは当たり前のことに思っている。  しばらく歩いてゆくと、地面に半分埋もれ ている墓石があった。  ぼくは何気なくその墓石のてっぺんを指で 撫でてみた。  と突然、「わしの墓にさわるな!」とゆう 怒鳴り声が後ろからした。  声の主を探して振り返ってみると、今まで 気づかなかったが、 なんと木造平屋の長屋があって、その内の一 軒の引き戸が開け放たれていて、 奥に床に臥せっている老人が見える。この老 人が、がりがりの体を起ィオて 声を限りにして怒鳴ったのであった。  また、しばらく行くツニ┌度は完全に地面に 埋もれていたらしい墓石があった。  この墓石は、遺跡の発掘現場みたいに、地  面から掘り出されていた。  しかも丁寧に板で補強までしていた。  ぼくは成地さんに尋ねた。  「これ、掘りはったんですか?」  成地さんが言う。  「いいや、ここは道路ができるんで、墓を 移すことになっとるんよ。」 つづく。 (注 成地さんは、11番で話題のあの方で す。) なんでこんな夢みたのかは、わからんけんど も、最近「鎮魂」「供養」って 言葉が心にうかぶのじゃは、これが。 あぶない夢にはまだ続きがあります。(^^;) 気が向いたら書きますじゃ では、また。                           まるにちょん、○<ゝ  - FARION MES(12):★SUBUDHの《アジア・チャンプル》----<01> 94/04/18 - 00210/00212 GFB00026 一輝 RE:ふたつのバリアガ (12) 94/04/15 13:31 00209へのコメント 追記  言い忘れてたんですが、”不安から逃げた、ふり現象”と書きましたけれども、 不安から完全に逃げ切ることなんか、誰もできないんですよね。できるのだったら、 とっくに皆逃げてしまって、逃げ道がマニュアル付きで店頭に並んで売られている わけはない。それらは、全部”不安から逃げた、つもり(頭の中だけのシミュレー ション)”にしかならない。そこで得た安心はいつも一瞬。だから次を探し求める。  不安の正体を確かめもせずに「怖い怖い」と頭の中だけで一人煽っている自分。 煽ることで不安を隠そうと、わざわざ自分に嘘を付き始める自分。(オカルトを例 にして一例を挙げれば、自分をチャネラーや超能力者だと思い込み他者に過剰に披 露する傾向の人は、能力の有無を問わず、そう披露することで自己の不安を隠蔽し、 他者の反応に映る自分に安心する傾向がある)そして「この逃げ道は安全だ」と” 逃げたつもりにしかならないもの”をわざわざ商品化(先の例で挙げれば、戦後の 新興宗教や自己啓発セミナーなどが典型)する社会。  「これは奇妙だ、まったく奇妙な世界だ」というような思いがして、しょうがな くなってきたんです。                                     一輝 00211/00212 JBH00712 桂 桂 お土産話し (12) 94/04/17 14:09 00176へのコメント  #00176 一輝 さん  ちと、随分遅くなってしまいましたが、玉置山へいった時、 成地さんにお聞きした話しで興味深いのを二三紹介致す事にしましょう。 「今、神社に奉られているの神は昔、海の向こうからやって来た異国の 人間じゃった。それが日本の土着の人間とはえらく違ってけむくじゃら やったから、迫害して山においかいしたりしたんじゃ。 「それだからそれらは動物の骨なんかで兜や鎧を作って里に下り立った。 何でそんなことをしたのかというと、本能でな、角やなんかで着飾る事 によって威嚇して自分の身を守ろうとしたのよ。 「だからこの人達は鬼とも呼ばれたりもしたのよ。 「この人達の持って来た技術がやがて根付いて、そして神社に奉られて 何千年とたつうちに神と呼ばれるようになったのよ。 「玉置はカムヤマトイワレヒコより3000年、熊野はそれよりもっと 旧い縄文の、今度は海の向こうからやって来た縄文以前の、もっともっと旧 いのを呼び覚まさなければいかんのよ。 「熊野は異国の人が大勢渡って来ているから、いまでも日本人離れした ガタイのでかい人が大勢いるんじゃて。 「太平洋沖にな、昔でかい大陸があって沈んだ跡がある。そやからいま でも熊野の周りにはムーの頃の古い地名がその時の名残で残っておるん じゃ」  ざっとこんなもんですが、これを聞いていてAMAの事を思い出してい たのは多分僕一人でしたでしょう(^_^;) 桂 桂(JBH00712) 00212/00212 JBH00712 桂 桂 テキヤが戻る街の風景 (12) 94/04/17 14:10  暫く前の暴対法のせいで追い払われたテキヤが、少しずつ戻って来ている。  花見で集まる山の周りに、テキヤの出店が増えて来た。  駅の周辺開発のせいで、名物の屋台とかも少しずつ消えようとしている。  名目は「環境美化」。そのせいで夜の街は人間離れした冷たさ、何もない 暗闇しか残らない。都市開発は結局の所、冷たい無気質な街作りしか残さない。  横浜のベイブリッチとかいってみればわかるが、人工的に開発された夜の風 景では何か寂漠とした情感しか奮い立たない。ライトアップされた赤い火はま さに世紀末の風景。文明の終末すら予感させる。  街の屋台の提灯に火が灯れば、そこには人の顔がある。  人の活気は人を呼び、街が命で沸き返る。                           桂 桂(JBH00712) - FARION MES(13):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<03> 94/04/18 - 01168/01172 GGA02514 KAZE KAZEの便り●村上春樹・ねじまき鳥クロニクル (13) 94/04/15 00:04 ひさびさの村上春樹の長編小説を面白く読んだ。 ●村上春樹「ねじまき鳥クロニクル/第1部泥棒かささぎ編」(新潮社)      「ねじまき鳥クロニクル/第2部「予言する鳥編」 ここのところぱっとしなかった村上春樹だが、今回のは、「世界の終わりとハー ドボイルドワンダーランド」に次ぐなかなかの面白さだった。 この小説を読みながらずっと感じ続けていたのは、「解放」ということ。 人は、自分の中に闇を抱えて生きている。それはあるとき、自分という意識の膜 を破って姿を現そうとする。それは、自分の意識の底にあるまだ認められてない 自分。その闇は表の意識に語りかけ続ける。「僕を認めてよ!」「僕をわかって よ!」「僕はほんとうは君なんだ!」と。 闇は光の対立物として自分の奥にしまわれている。いや、光を憎みながら光の空 きをうかがっている。そしてときには光に襲いかかろうとする。光に勝るほどに なることも往々にしてある。 だが、その光と闇は対立物としてのもの。その光は、闇を拒否することで存在し ているのだ。だから、それら対立としての光と闇は変容を遂げなければならない。 闇は解放されなければならない。闇から逃げるのではなく、闇を理解しなければ ならない。そうでなければ解放されない。 光もまた同じ。光は闇を拒んではならない。闇を拒む光はにせものの愛。愛のな い光は偽善である。それには闇を解放する力はない。光は闇を受け入れ、理解す ることによって変容を遂げるのだ。 小説には直接関係しない内容になったので、ここで小説に戻って、第二部の最後 の方に印象深い言葉があったのでそれを。 ・・・ここは血なまぐさく暴力的な世界です。強くならなくては生き残って はいけません。でもそれと同時に、どんな小さな音をも聞き逃さないように 静かに耳を澄ませていることもとても大事なのです。おわかりになりますか? 良いニュースというのは、多くの場合小さな声で語られるのです。どうかそ のことを覚えていて下さい 現代の私達にとって「どんな小さな音をも聞き逃さないように静かに耳を澄ませ ていること」は難しい。家ではいつもテレビが語りかけ、CDが鳴り続ける。耳 を澄ませるときなどないように思える。しかしそうしなければ「良いニュース」 というのは聞き取れない。それは「多くの場合小さな声で語られる」からだ。 「良いニュース」とは「福音」のこと。福音は耳を澄まさなければ聞こえない。 別の言葉で言うと、己を空しくして、自分を器にしなければ、そこに「福音」は 盛られない。 自分の内の闇も、それは耳を澄ませてその声を聞かなければ解放されない。その 闇という「他」を己としなければ解放されないのだ。 世を眺めると、闇はいよいよ深くなってきている。それは多くの人が闇を拒否し 続けているからだ。その拒否によって「他者」は「荒ぶる者」として姿を現す。 その「荒ぶる者」は「解放」されたとき、己を進化させるものとなる。言葉をか えていえば「愛そのもの」となるのだ。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 01169/01172 GGA02514 KAZE KAZEの便り●ユリイカ4・宮沢賢治特集 (13) 94/04/15 00:05 ユリイカの4月号の特集は「宮沢賢治/4次元のヴィジオネール」。 その中の対談が面白かったので、少し紹介しておきます。 ●中沢新一・小林康夫 「ダルマが挨拶するとき−−−法華経・反コスモス・悪。あるいは乱反射の春」 中沢 …仏教の中では、法の言葉の比喩として鳥が出てくる。鳥の声が法の呼 びかけの比喩として使われることが一番多いんじゃないかな。そこでは鳥の声 を分析して、カッコウカッコウとかホゥホゥなんていう鳥の声は、それぞれが 違う<法>からの挨拶なんですね。挨拶であると同時にそれはテリトリーを作 っている訳だから、空間性を作り出している。「ここは私の空間です」と。 …… 「山川草木の全てがブッダの法だ」という道元禅師の言葉とか、本覚的な理解 の法なのかというと、ちょっと違うなとも僕は感じます。道元禅師の言うよう に、万物がダルマの響きとして響きあっているというんじゃなくて、僕は何か もっと森の中で啼いている鳥は一羽しかいないっていう状態を考えちゃうんで すね。確かにこれは<法>なんだけども、この鳥っていう個体がないと響きは 表には出てきませんよ、という問題が語られているんだと思うんですね。  山川草木全てが法の響きなんだと言っちゃうと、これはまた本体論の中へ入 って来ますけれども、賢治のなかには「いや、これは私という個体がここにあ る」と、<私という個体>や<鳥という個体>があるからこそ初めてダルマも 存在するんだという、個体性の孤独感の思想がはっきり語られているんじゃな いかと思うんですね。だから、個体性というものがあるとしたら、それはどう しても法華経の中へいくと思います。個体は時間の中に入っていく契機でもあ りますからね。…… ある意味で、「個体性」というのは「反コスモス」で「悪」に他ならない。しかし その「反コスモス」「悪」としての「個体」を通じてしか「法」は表には出ない。 この絶対矛盾の世界が我々のこの「世界」として提示されている。 ここには「自由」の問題も同時に提示されていると見てもよいかもしれない。 「個体性」というのは「自由」の根拠である。「集合性」には「自由」はない。だ から、「自由」は「反コスモス」であり「悪」なのだ。 宗教に戒律なるものがあるのは、「自由」や「個体性」を恐れているからだ。だか ら可能な限り「自由」や「個体性」を「集団性」「規則性」の中に従属させようと する。もちろん、ここでいう宗教とは「団体」としてのそれである。 悲しいかな、また喜ばしいかな。「法」は個体を通じてしか出てこない。だから教 祖はファッショ化し、またその裏面として悪が続々と生産されてしまうことになる。 個体性の可能性ということを考えると、「組織化」ということは宗教化ということ になる。だからこそ「組織なきネットワーク」の可能性が模索されねばならない。 それによって、個体性と自由を「反コスモス」とするのではなく、「コスモス」へ とする端緒が開かれるのではないか。 なんだか全然「宮沢賢治特集」の紹介にならなかったので、 今回の特集の中で面白そうなものをいくつかピックアップしておくことにしよう。 ●金子務「『春と修羅』序と四次元問題」 ●今泉文子「鉱物幻想の世界/賢治とノヴァーリス」 ●勅使河原三郎「ノート「春と修羅」から30cm離れて」 ●斎藤文一「銀河系意識の誕生/「農民芸術概論要綱」における」 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 01170/01172 GGD03030 《 隆 》 盲目の野良猫 (13) 94/04/16 16:43 01167へのコメント  KAZEさん、こんにちは。    家の近所の桜は、先日の強風にもめげず、まだ花をつけています。そろそろ花びら  が落ちてきましたが、桜の花びらがヒラヒラ落ちる中を歩くのも風情があって良い  ものです。    >好き嫌いがいろいろありながらも、  >そこでめいっぱい楽しめるというのが一番なのだと思います。  そうそう(^^)。自分のいる状況をそれなりに楽しめるのが、一番幸せかなと思いま  す。もちろん、楽しんでばかりでもまずいでしょうが・・・。  最近思うのですが、何事も「○○で不幸だ」と考えるよりも「○○で幸せ」と考え  る方が、楽ちんですよね。僕はどちらかというと「○○さえ無かったら」とか言っ  て、しつこく後悔する方でしたから、随分損してきたなぁと思います。    >しかし、僕のこのひとがたくさんいるとそれだけで疲れてしまう性格って、  >どうにかならないもんでしょうか。  >これって、やっぱり一種の不幸なのかもしれないと改めて思うのでした^^;。  仕事をする以上は、ある程度仕方がない部分もあるでしょうけど、我々くらいの歳  になると、嫌なら避ければよい訳で、そういう意味では助かりますよね。今の教育  システムでは、子供のうちはそれが許されないから(我がままだと言われてしまう)  大変です。勿論、嫌だから逃げるばかりではダメなのかもしれませんけど、他人か  らの押しつけだとストレスや疲れがたまるだけです。自分の意志でぶち当たらない  と意味がないですよね。    上の娘は、幼稚園の時に問題児視されてましたし(要はヒステリーの主任教師の思  い通りに動かなかっただけなのですが)、幼稚園でよくしてくれた先生から「美貴  子ちゃんの良いところは、なかなかわかってもらえないかもしれないけど、心配し  なくても大丈夫ですよ」と実は心配されていた(^^;)のですが、毎日が非常に楽しそ  うです。以前、KAZEさんが「この子は大物になるかもね」とおっしゃってください  ましたが、なんかわかるような気がします。彼女は一見恥ずかしがりやで、気弱に  見えますが、実は非常に図太いのじゃなかろうかと思います。    ついでながら、彼女は給食が嬉しくてしょうがないようです。わが家では、お肉を  食べません(お魚は食べさせてるんですが)から、給食の鶏の空揚げだとか、ビー  フカレーがとっても楽しみなようです(^^;)。    >感覚っていうのは不思議なもので、  >それがないと「世界」へと開けないのではありますが、  >その反面、その感覚こそがある種の障げになっているともいえそうです。  難しいですね。確かに、感覚がないと何にもわからなくて、進歩が止まりますし、  逆に感覚を絶対視すると、またまたそこで行き止まりになってしまう。そのあたり  のバランスをとらなければいけないわけですよね。そのバランスをとるのも、ただ  じっとしていれば良いわけではなくて、それこそ分離と結合を繰り返しながら、ダ  イナミックに行われなければならないのかもしれません。ちょっと、変な例えです  けど、なんかパンやパイの粉コネみたいですね(^^;)。蕎麦やうどんを打つときも、  やっぱり同じ様な感じだなぁ・・・。    先日、カミさんが盲目の野良猫(ひょっとしたら人間に飼われていたのかもしれな  い)を見つけまして、時々食料を持って行ってるのですが、よく生きてるなぁと思  います。彼女がどういう訳で盲目になったのかわかりませんが、実に不思議な気が  しました。野良猫にとっては非常に重要な感覚が欠如している訳ですから・・・。  ある感覚が失われたとき、なにか想像できないような新たな感覚が芽生えたりする  ものなのでしょうかねぇ。僕としては、そうあって欲しいなぁとその猫を見ながら  思うのですが・・・。    >人間は肉体だけでできているとか、その反対にその肉体を牢獄のようにとらえる  >のってやはり不幸以外のなにものでもないと思うんですよね。  >でも人間って極端が好きなんですよね、懲りもせず^^;。  ほんと、懲りもせず。結びという事と絡めて考えると、今一番必要な結びは、こう  いう両極端を結んで「円」にしてあげることかもしれません。    >しかし、ひとが真に進化するのは、「他」としての「闇」に直面しながら、  >それと真にコミュニケーションしていくことなのではないでしょうか。  それがないと、進歩がないと思います。本当の意味での「信仰」は、このコミニュ  ケーションの支えになってくれる(人間は弱い部分をたくさん持っていますから)  ものであるはずなのですが、宗教の多くは逆にコミュニケーションしないように、  耳や目を塞ごうとしている様です。頭から否定して排除しようとするのですよね。  っで、どんどん無感覚な人間になって行っているような気が・・・。オソロシイ    >これを人間的に引き下げて考えますと、自己満足している人っていうのは、自分  >のなかに成長の種をもっていないということで、それはそれで調和していていい  >のかもしれませんが、僕はそういうのって欺瞞だなあと感じてしまいます。  ですね。欺瞞というよりも、実際問題として自己満足している人が、調和している  かというと、さにあらずなんじゃないでしょうか。停止している状態は、実はもの  すごく不安定で、そこにはダイナミズムが欠落していますから、実はとっても不調  和なんじゃないかという、ひねくれた見方もできる訳です(^^;)。    とはいうものの、頭の中では色々考えられても、実際に行うのは至難の技ですから、  翻って自分の事を見直すと「ううむ(^^;)」と唸るばかりです。まあ、気長にやって  行くしかないですが・・・。気長に腹を据えてというのが理想なのだけど、僕のよ  うに、気が短くて浮ついている人間にはたいへん難しいです(^^;)。                                by 隆ちゃん 01171/01172 JCF00616 YUI 魂の現れは人格となる (13) 94/04/17 17:10 01162へのコメント  こんにちは、YUI です。  MES 8 でもとり上げましたが、本心と人格の関りについてチョットばかり。  ただ、これをレスとするのは、人格の向上と高次の科学についての話題が  出たからです。  ■人格の開発と本心(魂)の開発   人格の向上が先か、魂(本心)を磨き上げるのが先か、果たして   これはどっちなのでしょうか?   僕は魂の開発が先である、そして人格はそれに伴って自然と向上してゆくもの   であって、人格という枠に縛られ、拘束されて生きてゆくのは間違っていると   考えます。人格というのは本心の当然の現れとして「他人」が見る、ものであ   り、僕自身はどうすることもできない、所謂「他人の評価」なのです。   もちろん、これは僕の言葉の使い方であって、KAZEさんの言われる「人格」と   は、人格+本心=人格のことだと思っています。   他人の評価、というのは他人によってその評価は様々であり、当然のことなが   ら自らを評価するのは馬鹿げていることです。ただ、私たちはその「馬鹿げて   いる」ことを”知った”上で、日常の生活を営むのであり、それは鏡像の世界   を超越した生活態度という認識をもつべきなのです。東さんの言葉でいうと、   「不確定性原理を越えた世界」となるでしょうか。また、それに関連して言え   ば、「本心と一体となる」ことは「不確定性原理の世界」を変容し、超越して   ゆくことと言えそうです。そして「諦め」たのなら、……なワケです(^^)   僕の日常生活というのは、生活の途上、(目的の途上とでも言いましょうか)   で”障害にならない程度に”常識を身に付け、それを越えた所、すなわち「超   常識」で、日常生活とは全く異なった時間を持ちます。僕が見る限りでは、そ   の「特殊な時間」を持つ意欲のある友人は少なく、学校を宗教とするような^^;   「学校信仰家」であったり、目的意識の無い、ふにゃふにゃな人間が多く見ら   れます。また、目的があるにせよ、「将来の為、」であったり、あまり大きな   目標を持つ者は限られています。   もちろん、大企業に勤めるのが夢、であっても構いません。また、今日1日だ   けが快適に過ごせればよい、という目的でも構いません。   ですが、ですが、僕はそれを「越える」ことが必要であることを強調したいの   です。現代人は余りにも日常だけを見つめ過ぎています。それを越えた、領域、   時間が、持てない、持とうとする目的・意欲さえもない…。   それを単純に「悪」だとは言いません。ただ、「日常」に振り回され過ぎてい   る状況を見て、痛切に、感じるモノがあるのです。ただ、それだけです。   この感情を、「兄弟(人類)愛」と呼んでも良いのかもしれません。   人のことをとやかく言えたものでは在りませんが、とにかく言えることは、  ●一切は方便であり、鏡像である。そしてそれを知るべきである。   具体的には、学校の教科書さえも方便にすぎないんです。   それを踏まえた上で、超えて行かねばなりません、と特に同世代の   高校生には知って頂きたい、そんな想いがします。 p.s.「やってみようともしない」「聞く耳をさえ持たない」友人を見て、   【体得】──この言葉がこれ程まで強く迫って来たことはありませんでした。 YUI 01172/01172 JCF00616 YUI 食と感謝の祈り (13) 94/04/17 17:11 01164へのコメント  どうも、YUI です。  肉食や炭酸禁止主義に対しては僕も何等「規制」しているところは  ありません。ただ、本心(魂)の現れの流れと共に、食べたい物を、  食べる、といった有り様です。そうすれば、自ずと食事に対しても  「規制」ではなく、〜を食べようという意欲の様な物が沸き起こって  くるのではないでしょうか?  (ただ、完全菜食主義を一度は体験されるとよいでしょうね。   僕も一度だけ(3ヶ月ほど)試した時期がありました)  ■食物に感謝する   僕の場合、ハッキリ言って、本心の奥底から、「ありがとう!」と食物さんに   言えたことは、一度も無いでしょう。なぜなら、過去の習慣や、環境、果ては   過去世からの因縁によってか、感謝することを忘れてしまったのですから。   ですけれども、僕は「ありがとう」と言う。まったく、字面だけ読んで、   「アリガトー」という感じで、言う。ある人は、それでは心が篭っていないで   はないか、とおっしゃいますが、いえいえ、そうではないんですね。   波動として、”響いて”いるんです。微弱な波動かもしれませんが、相手は   確実にそれを受取ってくれます。食物は、今の人間に比べれば、よっぽど素直   だからなんでしょうか(それは不明ですが)。   しかも、そうして行く内に、つまり波動が積み重なって大きく共鳴するように   なると、習慣となり、常にその人間の内に、想いが響き渡るようになるんです。   で、そうなってくると、人間の深層部分に溜まってくる、泉の波動みたいな   ものが確実に自分のものとなれば、それが魂となり、人格として現れるのだと   思います。   チョット話題が深層部分にまで及びますが^^; ・・・   参考に、以下の文章を引用したいと思います。   エンデ:(前略)    いちど記憶したものが、消えていってくれる……それはどこへいくと思い    ますか?無意識のなかへですよ。それは私の全継続性の基礎になります。    ふとした機会によみがえる記憶もあるだろう。が、たいていのものは無意    識の深みで、すっかり変形、変容し、それら膨大な意識下記憶の総和が、    私に自分はひとつの人格だ、という感情を可能にしてくれます。     そのように変容されたものは、とつぜんファンタジーや、アイディアや    、イメージになって、私の目の前に現れます。言いかえれば、忘れて変容    した記憶が多ければ多いだけ人格が豊かになる、ということです。(後略) ───『エンデと語る』、子安美知子、朝日選書306   記憶はその忘却する過程で変容を遂げ、未来を創造してゆく作用に他なり   ません。ファンタジーやアイディアなどは過去世の因縁で忘却されて現れ   てくるもので、その人の──人格とも呼べる──未来を形成します。   まさに、ルシファー的な役割を担う過去から現在までの因縁(カルマ)は   未来を創造する為のジャンプ台であり、それを変容させ、進化して行く起   爆剤と成り得るのは、人間の自由意志なのです。また、逆に言えば、人間   に求められるものは、その起因となる意志のみです。あとは、別の存在に   「全託」すれば良いのです。それが、中道・中庸と言われるところだとも   いえるでしょう。   「知」は鏡像でありつつも、人格形成の担い手でもあります。ですから、   次なる進化には、それを吸収した後に変容させる過程を持たねばなりませ   ん──。そして、それを体得する為に、「忘却」という作用が存在してい   ることを噛みしめ、さらには自由意志により進化のベクトルを未来へ向け、   定める──これが中央駅の我々が受けた使命とも言えそうです。  ■食物は毒である、というテーゼ   ある知人から、食物は全て毒であり、我々の肉体は毒そのものである。という   ことを聴きまして、僕はびっくり仰天してしまいました(^^;この意味する所を   次回はじっくりと探って行きたいと思っています。   でも、ワタシ、直接ご本人からお話を伺ったワケではないんですね^^;  それでは、お楽しみに(←?!) p.s.TAOさん、見ていてくださって、ありがとうございます(^-^)/~ YUI - FARION MES(14):★YHVHの預言解読部屋------------<03> 94/04/18 - 01998/02000 PFA03563 YAHATA RE:危機を知らないから (14) 94/04/15 23:07 01990へのコメント コメント数:1  #01990 なえ さん 》 しかし労働一号をむやみに発射したら、何処に飛ぶか保証出来ない。これ 》 は発射した本人にも解らないなら「危機」でしょう。核弾頭積まなくても 》 落ちた所が***施設や***発電所なら、もろ日本全土アブナイ訳です。 》 即座にめるとだうんですかね〜〜。  同じような危機感を前から持ってた私です。(読みました?)  めでぃあ室でぽんさん語るところによりますと格納容器は大丈夫らしいとの ことですが、ショックで中の細管がはずれたりして…とまだまだ心配は尽きま せん。素人なもんで。(-.-) YAHATA 01999/02000 JBH02324 なえ あぶない お国 (14) 94/04/18 09:58 01998へのコメント  やっほ、YAHATAさん。RES遅くなってごめんね。  そうそう、メデイア見ましただ。格納容器が大丈夫って??  ふみふみ・・。  れも、先日も言っていた、もんじゅ増殖炉の細管が冷却水と接触すると、  もう「親分てぇてんだぁ。」状態だそうですね。細管の繋ぎ部分は、「事  故を起こした細管は「はめ込み」だからです。もんじゅは溶接だから大丈  夫」ってコメントの意味を解って言ってんのか。って事も在ったりします。  溶接したら、はめ込みよりも安全性が高いって、一体根拠は何だしょ。  溶接した部分が大丈夫でも、腐食しない保証はあるんだしょうか??。  溶接した継ぎ目の際(キワ)は溶接時の熱で、硬度や製品の耐久性が落ちちゃ  う・・事にならないざんしょうか??。>返事くで〜〜専門家の誰か。  あたしも、ど素人ですが、その素人が「変だ」「おかしい」と思う位、妙  な常識や情報が流されてしまう事が変だにゃ〜〜。などと思う昨今(^^; 02000/02000 JBH02324 なえ ボスニア (14) 94/04/18 14:07 01987へのコメント    ボスニアは第二のベトナムになるか。  湾岸戦争に依ってアメリカは大きくその戦略効果を上げた。  実際砂漠という建物が少なく目標を的確に掴む好条件と、ハイテク  機器のもたらす相乗効果が、大きく実力に貢献した事は否めない。  しかし、ボスニアはどうか。  山並がレーダーを使い難くし、霧が視界を悪化させ、状況は非常に  困難と言える。今回の誤射が起こした問題点は、事実ハイテクに依  る恩恵の、まさに裏側である弱点が拠出したと言える。人員削減の  変わりに機械化で、事の起こりから結果までかなりハイスピードで  出せてしまう。という事。つまり、安全確認の手作業が省けた部分  が機械に安易に頼りすぎる危険をはらんでいる・・という事実。  アメリカが異様に紛争に関わり、手を出し過ぎではないか・・と言  う懸念があるが、実際、国防力や軍事介入の実力を宣伝しその効果  を証明をするには、効果的紛争解決をして大衆にアピールする必要  が在る。出来なければ??即座に朝鮮・中国・また露と多くの国が  アメリカをして武力に訴える可能性が大であるからに違いない。  ベトナムの問題点は湾岸戦争に依って払拭された様に見えた。  もうアメリカはハイテクとその高度なテクニックで右に出る者は居  ないという印象を強く訴えかけた。しかしボスニアで同じ効果が出  るだろうか。多くのジャーナリストは疑問視している。また、安易  に空爆をするアメリカに批判の声も上がる。しかしここまで深まっ  た状況を打破するのは、事実紛争解決への実力行使しか残された道  は無い。さて、ベトナムの二の舞は防ぐ事が出来るだろうか。 - FARION MES(15):★平成松川塾◎日本を考える----------<01> 94/04/18 - 525/525 GFD00204 松川 貴     RE:近・現代史の謎。 (15) 94/04/15 02:44 524へのコメント  YHVHさん  鹿島昇氏の『邪馬壱国興亡史』ですが、実をいうと、今回の書き込みを読んで私が もっとも印象に残った箇所はYHVHさんの以下の感想部分なんですよ。  「下級」とか「体制」とか、言葉遣いがあまり好きではありませんが、  正直言って、私はむしろ、こちらの〈印象感覚〉の方が重要なんじゃないかと思っ たんです。隠れた意味を読み取る〈文体感受の力〉と言いますか、人間の内部にはま だ完全に鍛えられてはいない、そのような、何か〈隠れた読み取り能力〉が眠ってい るのではないかと私は思うんです。確かに、HVHYさんは無意識に、鹿島氏の〈思 考法則〉──あるいはこれを別様に〈文体に投影されている現代人の価値意識、ある いは史観〉と言い換えてもよいですけれども──を読み取ったに違いないのです。  私は、この書き込みを読んだ時、YHVHさんが「あまり好きではありませんが」 とおっしゃっていたのは、本当は「下級」とか「体制」とかいう〈言葉そのもの〉で はなく、「下級」とか「体制」とかいうような言葉たちが、ある特定の文脈に置かれ た時に、それらの言葉と他の多くの語群によって組み立てられた文体が、それらの単 語を介して〈自分に向かって〉発し始める、〈ある隠れた意味のようなもの〉に対す る、YHVHさんの〈内部判断表明〉ではなかったろうかと感じたんです。  漠然とではあるけれども、筆者の用いている思考方法の骨格(あるいは前提なり価 値意識なり)のようなものが、その文章を読むものの内部に浮かび出してきて、読む 者の言語印象感覚をざわざわとゆすぶるんです。  私は、今回のYHVHさんの書き込みを読んで、そんなことを思いました。  明治維新時に、日本という国家が歴史的に背負っている、何らかの激突する隠れた 意識(あるいはカルマのようなもの)が存在していたと仮定しても、それら激突する 力は、肉体をまとって地上の現実を生きた彼ら自身には、明確に意識できていたわけ ではなかったろうというのが現在のところの私の見解です。                                   松川 貴 - FARION MES(18):★あもりの二人三脚ネットワーク------<01> 94/04/18 - 00878/00898 QFH02012 アラミス 是々非々 (18) 94/04/14 23:38 00872へのコメント コメント数:1 自分に自覚があったから、悪かったと思っているから頭を下げる・・・これは 別にどうと言う事はない、私は納得している事だ。だが私が謝罪したのは敬称 の事で話の内容を取り下げた訳ではない、869で書いた疑念が変わらないのは 言うまでも無い。 それはそれ、これはこれである。 00879/00898 QFH02012 アラミス 予定を変更して (18) 94/04/14 23:40 00878へのコメント コメント数:1  もう一つ気になる事がある。869は他の人にさん付けし、彼(たまごさん) に対しては付けてない・・・彼が不快を感じるのは至極当然であろう、それは それでわかる話だ。だが敬称だけに限って見れば付けていないのは私だけで はない、他の人もいる。何故彼は私だけにあの様なRESをしたのだろう? たまたま目についたからか? それとも書かれている内容が気にくわないモノであったからか? はっきりと言っておくが、869は彼を非難したり誹ボウ中傷の為に書いたので は断じて無い。 00880/00898 QFH02012 アラミス 傷付くと言う事 (18) 94/04/14 23:40 00879へのコメント コメント数:2  870で彼の書いた内容は正直言ってショックだった・・・ 親しみを感じていない・・・まさか自分がこの様に言われるとは思ってもみな かった。私は本音も交えて気軽に話ができる仲間と思って接して来たつもり だった、友人であるとも思っていた。だがどうやらそれは私の思い込みでし かなかったらしい・・・結局彼との今までの付き合いなり縁なりは何だったの であろう?あの言葉はそういったもの全てを踏みにじる様な行為だ。 思えば彼からこの様な仕打ちを受けるのは今度で3回目、いや4回目になる であろうか?その度に私は怒りに震えて手を振り上げるが我慢してきた。 今回は怒りは無い、むしろガックリときている、無常感に犯されていると 言ってもよい(余談ながらみれさんの私に対する指摘は当ってしまった・・・) 智美パパさんは「したたか・・・」と言っているが私からは「何も変わってい ない」だ。人を怒らせる天才?などと言う話が出ていたが、そんなものは自 ら改めようとも思わなければ只の開き直りだ。 * さて、皆さん。私は今後彼を前にしていったいどういう態度で接していっ たら良いのだろう?まったくもってわからなくなってしまった。 00881/00898 HGE02116 MAKOTO RE:おいおい、私の側の責任かぁ? (18) 94/04/15 01:05 00867へのコメント コメント数:1 質問その一 > ところがMAKOTOさんは、このフォーラムとは関わり無い「MAKOTO流自分を観る >事」について主張したいのでは無いかと思われます。それとも、MAKOTOさんは自 >分の考えが、ここでの「自分を観る事」だと言いたいのかもしれません。私がこ >う思う理由は先の発言に書いた通りです。  ってあるけど、「自分を観る」に、このフォーラム風のものなんてあるの? 「自分を観る」でも、「自分を知る」でも、言い方は色々あるけどさ、「こう でなけりゃ!!」ってものなんてあるのかなぁ?  あたしね、ARIONの言った事を、勘違いも、読み違いもなく、間違いも なく、全てを完璧に理解してるのは、発信者のARIONだけだって思ってる よ。あたしら人間はね、自分のフィルターを通して、自分の心の糸に触れた一 部分を、自分の中に取り込んでるだけだって思ってるんだよねぇ… ガッチャ のそれはガッチャ風で、あたしのこれはMAKOTO風で、みれさんだって、みれさ んなりのやり方でやってるだけで、それこそ、百人いれば、百人なりのやり方 があると思ってるんだけど、これってあたしの勘違いかな? ガッチャ、どう 思う? ガッチャのそれは、ガッチャ風なんじゃないのかなぁ… だからさ、 > 「自分を観る事」に付いては、MAKOTOさんと私との間に捉え方の違いがあるの >ではなくて、MAKOTOさんが勘違いしているだけではないかと思います。  こんな風に書かれると、不思議で仕方ないのよねぇ… ねえねえガッチャ、 なんで、あたしのやってる事を、勘違いしてるだけじゃないかなんて言うの? なんで、このフォーラムとは関わりのない、MAKOTO流自分を観るだなんて言う の? このフォーラム風の「自分を観る」ってなんなの? ぜひ、そこらへん の所を聞かせてよ。 質問その二 > ハローをどう感じるかという事を人に聞くのは何も問題のない事だと思います。 >但し、その感想をその人を判断する材料に使う事は、ハローの受け止め方に勘違 >いがあると思います。  って書てるけど、 > 最近のハローについての感想を言います。 > >04/06 他に刃を向けると、相手が傷つき屈する事が目的になりかねない > > 私は傷つける事も屈服させる事も目的にしていないのですよ>MAKOTO > >04/07 己に刃を向けると、己が傷つくかも知れない…だから怖れ、避ける > > 自分を切った血のついた刃を向けて下さい>MAKOTO > >04/08 本当に傷ついた経験の無い者ほど、傷つくことを怖れるという現象 > > 私は経験あるから大丈夫だけど、前の発言で傷ついているなら、だれかフォロー >してあげなければまずいかも>MAKOTOを    #831にはこんな風に書いてあるからさぁ、あたしゃガッチャが何を言い たいのかよくわからないんだけど…  ちなみにあたしが「敵味方」って書いたのはね、攻撃してるとか、されてる とかって風にガッチャが#831で書いてたからだよ。これ読んで、敵味方っ て意識があるんだろうなって感じたんだけど、違うのかなぁ? 質問その三 > みれさんの発言はみれさんの意見なのですから、それを引用して「もう一度振 >り返ってみて欲しいな」では、ほとんどデタラメですね。その理由は以下です。  現状を考察する為に、有効だって思ったからそう書いたんだけどな…(^^;) 以下、#565から引用させてもらいま〜す。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  一つは、自分の感情を中心に、自分の感情吐露や説明を試みるもの。  他方は、相手の感情や言動を中心に、自分の感情吐露や説明を試みるもの。  (基盤の例)   A) こんなことが起きてしまった…これが自分は、とても悲しい。   ----------------------------------------------------------------   B) こんなことが起きてしまった…あなたは、これをどうするのか?  Bは一見、感情的な発言には見られないことが多いのですが、私はこ れも感情的な発言の一つだと思います。(注:感情的な発言が悪いとか 良いとかの問題ではありません) 起きた事が同じでも、AとBではその後の会話の展開が変化します。  Aは、自分の心の動きを話してゆくことで、自分にも相手にも心の動 きの違いが見えやすくなるだろうと思われます。  Bは、自分がどう思ったか?が分かりにくいので、これを受けた相手 は追求されていると感じがちなので、感情的にもつれやすくなるだろう と思われます。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  あたしは、これ読んで自分がAに当てはまるなって思ったよ。でも、Bの事 はよくわからなかったの… でも、最近やっとこれに納得がいったのよねぇ。 みれさんの意図を正しくくみ取ってるかどうかはわからないけど、多分こうな んだなって思うところがあったんだよねぇ…  もう一度聞くけど、ガッチャこれを読んでどう思う? あたしは、それが聞 いてみたいんだけどなぁ。なんでそんな風に曲解されるのかわかんないんだ…  今回はこんな書き方したけど、あなたがあたしに投げかけたものを無視する 気はないからね。それはそれとして、ちゃんと考察してる。取り敢えず今回は、 質問だけ先にしとくって事です。はい(^^)                        MAKOTO でした☆ 00882/00898 HGE02116 MAKOTO RE:やっぱりこれは… (18) 94/04/15 01:05 00865へのコメント 何だか虚しい作業を続けてるって気もするんだよなぁ… それでもまだ、 何かが伝わるのではないかって思いを捨てられないでいる… 僅かな部分で も、響けたらなって気持ちを捨てきれないである… 我ながら、諦めの悪い おお馬鹿やろだよ…(^^;)  ちょっと前にも書いたけど、十人十色、百人百様、それぞれにいろんなも のを抱えて生きてるよね。でも、それを実感としてわかるって人、どれくら いいるんだろうって思うの。大抵は、確かめる事もせずに、自分のわかる形 を当てはめて、無意識のうちに諦めてるだけじゃないのかなって思う… だ から簡単に切捨てられるんじゃないかって思うの…  私自身、わかったような気になってただけだと思うよ… どんなに身近な 所にいる人の事だってわからない。親子だって、兄弟だって、どんなに近し い人だって、心の中にどんなものを抱えて生きてるのかなんてわかんない。 それはただ一人の中の、ただ一つのもの… 似てるなって思えたり、自分も 以前そうだって思えたり、あぁその気持ちわかるなって思えたり… でも、 やっぱ、どこかが違うんじゃないかなぁ… だって、同じじゃないんだもの ね。似てるって感じても、同じ思いでは有り得ない… 身近な所にいて、必 死に努力しても、伝わらない時は伝わらない。必死になって理解しようとし ても、やっぱり理解できなかったりするもんな… ましてや、ここは文字だ けの世界だ… それでも、何かほんの僅かの部分でもいいから、わかりたい なって思うよ。  どんな言葉を使うにせよ、自分を突き詰めていくと、孤独なんだって認識 する事になる… それって、やっぱ寂しいよ。でも同時に、他にかわりのな い、かけがえのないものなんだって事を、認識する事でもあると思う…  そして、時に、ほんの僅かな部分が重なりあうような気がする時もある。 ふと、ああ、こうなんだろうなって、そんな気持ちになる… それが何なの かよく解らない。本当に一瞬でも他者と響きあったのか、それともそんな気 がしただけなのかさえ、わかんないんだけどね…  あたしさぁ、馬鹿やっても、ずっこけても、虚しさに囚われても、とんで もない思い違いやっても、思い上がっても、めいっぱい気負っても、そんな 自分がいとしいよ… そして、人がいとしいな…  こんな事書いちゃったけど、あたしはまだ、頭で理解しようとする傾向か ら抜け出せないでいる。感覚っていうか、直感を大切にしたいな。同時に、 いろんな知識を蓄えて、思考を重ねていくって作業も大切にしたい。まだま だ、バランスがとれてないけどね。そして、わかる形にして理解するってと こから、抜けだせないでいるしなぁ…  ま、それでいいのかもしれないけどね。理想はこうだ!!って、りきんでる うちはまだまだだぁ。先は長いぜぇ…(^O^)                        MAKOTO でした☆ 00883/00898 HGC02325 ガッチャ RE:おいおい、私の側の責任かぁ? (18) 94/04/15 03:26 00881へのコメント  # 00881 MAKOTO さん    回答その一     私は私が思う「自分を観る事」はこのフォーラム流の事に当てはまっていると  いう事、さらに、MAKOTOさんのしている「自分を観る事」は勘違いではないかと  言っている訳です。     MAKOTOさんは、私がしている事が、このフォーラムの趣旨に乗っ取った「自分  を観る事」の推し進めであり、本来誰にとってもそれぞれ千差万別であるはずの  意識を否定していると感じている様子ですね。  人は本来思う事も考える事も千差万別で誰とも何一つとも完全に一致する事が有  り得ない(有っても一瞬)のは当たり前の事ですが、この事を頭で意識している  と、私がMAKOTOさんに言っている事は、人の意見を否定をしていると感じるかも  しれません。     単純に「自分を観る事」と「他の否定」を考えるなら、誰がどんな「自分を観  る事」をしていても何もおかしくはありません。    ですけれど、ここは1つのフォーラムですし、会議室上で人への配慮を欠く事を  「自分を観る事」としては認められないと思います。人の迷惑をかける事と、「  自分を観る事」が矛盾しているはずはないという事。  また、「自分を観る事」が会議室で話されている以上、このフォーラム風という  よりも、このフォーラムの趣旨の一つである「自分を観る事」が存在していると  思います。     余談ですが、「迷惑」という事は本来は自分から意識する事で、人に言われる  のが当たり前な事では有りません。ですから、自分で「迷惑かもしれないが、そ  れでも…」と言うのは甘えている事になってしまう訳です。その所以は、自分で  したい事よりも、他を思いやる気持ちの方を優先したいという、私の考えですが。     一つはこの点において、勘違いではないかと思う訳です。     「自分を観る事」には「こうでなけりゃ」という事はありませんが、「こうだっ  たら変」というのはあると思います。なぜなら、「自分を観る事」が簡単なよう  で実際には難しい事なのはMAKOTOさんも知っている事ですし、各個人によってそ  の事の捉え方に違いがあるのも当然と言えば当然の事。さらには、ARIONの  言う事を認識するのも個人の問題です。  但し、ARIONの言う事には、体験せずに頭で理屈だけで考えては矛盾する事  が多くあります。     ARIONの言う事はARIONだけにしか解らない事なのは当たり前の事で  すが、ARIONの言う事を体験して行くに従って、言っている事の矛盾の意味  が解ってくる、故に言っている事が解ってくると感じています。     「自分を観る事」やそのやり方で、「自分が思うに、こうなんじゃないか?」  とか、「こうだよね」という話を、体験を交えて会議室上で出来たら素敵な事だ  と思います。    回答その二     ハローの感想を相手に聞いて、その答えで判断するのは変だという事が変です  か?     ハローはそれを見た人が、それぞれ何かを感じるという事が本来のハローの意  味であると思います。意味はこれだけで、他には何も必要としていない意図の元  に出されていると思います。ですから、人とその事について話をするのは何も問  題が無いどころか、むしろ話し合う事の方が素敵な事だと思います。ですが、人  を判断する為にあえて「ハローについてどう感じるか?」と聞くという事。その  意図の裏には何があるのかという事に疑問がある訳です。     ですから、今回もう一度MAKOTOさんに聞いてみます。    「何故ハローを出して質問をする必要があったのですか?」     私の発言から「敵・味方」の意識を感じるのはご自由ですが、私にはその意図  はありません事を、お断りしておきます。私はMAKOTOさんの事を何が何だか解ら  ない人であるとは、今回の会話を通して何度も似たような事を言ってきたと思う  のですが。    回答その三     うみみ、何か変な感じです。そもそも、みれさんの発言はたまごさんの事件の  事について書かれたものであると思っています。    | A) こんなことが起きてしまった…これが自分は、とても悲しい。  | ----------------------------------------------------------------  | B) こんなことが起きてしまった…あなたは、これをどうするのか?     上の「こんなこと」とは、みれさんの発言がされた時点ではたまごさんの事件  と直接付随した事以外には想定出来ません。また、たまごさんの事について感じ  た事を中心においた話ですね。    それで、私はMAKOTOさんに聞かれている訳だから、いまさらたまごさんの事につ  いての意見ではなくて、今回の会話の成り行きについての事を聞かれていると思っ  ていした。ですから、妙な話と感じた訳です。たまごさんについてのみれさんの  意見を、今回の自分達に照らし合わせてどう思うかという事を聞きたいのですか?   たまごさんの事に付いて書かれた発言を、今回の会話に照らし合わせて考える  のは無理があると思いますし、何が何だか良く解らない勘違いになってしまうの  ではないかと思います。                              HGC02325 ガッチャ 00884/00898 JBH02324 なえ RE:傷付くと言う事 (18) 94/04/15 17:05 00880へのコメント コメント数:1  はろー。アラミスさん  やっぱ浮き世は豆腐で渡れ・・・って言う位ですから。  真面目にコツコツ、して柔軟が一番ではないかしらん。  アキラ君がいつぞや平井センセに誤解されて辛抱強く、  認めてもらえる様に真面目を通して今があるんだし、そ  れはとても勉強になりましたもの。>引き合いごめんア  キラクン(^^;  でも、短気は損気だよ。>アラミスさん(^^; ヒトノコトイエネー>アタシ  ね。(^ー^)  断行鬼神もこれを避く・・ってね、大丈夫。大丈夫。 00885/00898 MGH00465 アキラ RE:傷付くと言う事 (18) 94/04/15 18:38 00884へのコメント コメント数:1  あれは「誤解」ではなくて、平井センセにとっては、まったく当然のことを しただけでせう。もちろん、私を成長させようとかなんてことはまったく考え ていたわけではなくて、単に「なんじゃこいつは。相手にせんとこ」というこ とだったのだと思います。世の中そういうもんです。  アラミスさんに対して、これを引き合いに出すってのは、ちっと違うのでわ ないかなぁ(むしろ逆だったりして?)  ちなみに私、本当に私が悪かったと心から思えたきっかけは、バイクで事故 って昇天しかけたときに「このまま死んじゃうなんて、なさけねー」と思った ときですね。死の淵を覗くってのも、たまにはいいもんです……。                       MGH00465 アキラ 00886/00898 MGH00465 アキラ RE:傷付くと言う事 (18) 94/04/15 18:44 00885へのコメント コメント数:1  関係ないけど、一度失敗しても真面目に努力を続ければ許してもらえる、 ってのは、必ずしも法則にはなりませんな。いやむしろ、たった一度の失敗 が致命傷になることのほうが世の中には多い。私はかなりラッキーだったの です。  失敗した人間というのは、たとえどんなに反省しても謝罪してもそれが受 け入れられることがない場合でも、そのことを受容しなければならない、と いうのが私の考えです。そう思えなければ、魂のレベルで救われることも、 決してありえないでしょう。                         MGH00465 アキラ 00887/00898 JBH02324 なえ RE:傷付くと言う事 (18) 94/04/15 20:45 00886へのコメント  そっかぁ・・。これで流し読みしたのがバレバレ(^^; 堪忍ね>アキラ君  瀕死状態にはやっぱ悪いなぁ、って反省が生まれるんだろうか。なぁ。  てことはその重大時でないとなかなか反省出来ないって事かな。(^^;>アタシ  しかし許す許さないってのも何か変だなぁ、って感じ。  だって失敗を失敗として一端置いて、っていうか受容?して、それを相手  がそのまま根に持つから、どうこうと言うのは別だって思うだけど、違う??  なんて言ったら良いか解らないけど、場合にも依るんだろうけど、致命傷  を受けても、立ち直りには「やる気」なんであって、失敗した事実を、徹  底糾弾されるという「状態」とは違うような・・違わないような。・・・  わけわかめでご免ね。  で、例えば、傷ついた事をいつまでも持ち続けるのと、巻き返して、転回  するのとでは、相手の態度では無くて、自分の気持ちの入れ方の様に思う  だけど・・。だから許す許さないって言うのと、ちょっと違う・・って気  がするんだな。許して上げるから仲直りしよって??変じゃない?  だって「オレ様が相手してやってんだ」とかじゃ屈辱じゃない?  だって、も一度解り合いたいだもの。だからアキラ君は解って貰いたい気  持ちを持ち続けたのではないの??。それって真面目なコツコツと違う??。  んと、その法則?ってのはならないと思うけど、じゃ、ほっぽって置いて  良い事では無いんだし、誠意であたるしか無いのと違うかなぁ?。って事  なのだけど。(^^; だって、失敗して、叩かれて、もう終わり、ってあん  まり短絡じゃない。  でそ?で、一番は誠意で真面目に話し合うって事から理解を求めるしか無  いのと違うだろっか。って事で、それにはまず自分が相手と「解りたい」  の気持ちをしっかり持つ事だって思うけど。  変かなぁ・・。 00888/00898 HGE02116 MAKOTO ほい、了解ですぅ(^^) (18) 94/04/16 00:42 00873へのコメント  そうですねぇ、なんか、思いっきり面倒な作業になりそうだけど、 取り敢えず、どこまでできるものか、試してみるってのも、興味深い 試みではある… つ〜ことで、あたしの方はかまいませんよぉ。  ただ、2番会議室に書いたんだけど、ちとパソコンの調子が悪いも んで、唐突にここに繋げなくなる可能性があるんだよねぇ。でもって、 レスが思いっきり遅れるかも知れないんだけど…  ま、みれさんの方も、いろんな事で忙しいようだし、あたしの方も、 いろいろばたばたしてたりするし、気長にやりましょって言うことで よろしいでしょうか?  では早速にって言うか、ここからは#873へのレスで〜す。  ふむ、それをあたしは、SysOpとしての意見だろうなって受け取ったん だよね。やっぱ、みれちゃが、SysOpだって事を外せないんだよなぁ。で も、そこら辺を外した方がいいなら、そうするよう努力してみるけど… みれちゃは、その方がいい?  ここで一つ質問で〜す。「ある一つの側面からのものが多いように思っ た」ってあるけど、これってみれちゃの目には、どううつってるのかな? ちょっと聞いてみたいなって思ったの。あたしの書くものが、一方向から のものだってのは、やっぱそうだと思うけど、自分にとっては当たり前の ものだから、みれちゃがどこに引っかかりを感じてるのかが、よくわかん ないんです。  う〜ん、この「引っかかり」って言葉を、好奇心って言葉に変えた方が、 うまく伝わるかなぁ… あたしの場合は、どこかに「これって、なんだろ う?」って引っかかりを感じて始めて、興味っていうか、好奇心が疼き始 めるって感じなんだよね。だから、誤解とはちょっと違うんじゃないかっ て思うんだけど… やっぱ、みれちゃには、誤解に見える?  …もしかして、「引っかかり」って言葉に、捉え方や使い方の差がある から、そんな風に見えちゃうのかな…? みれちゃ、どう思われます?  質問へのお答えです。  1) 感情的にさせてしまったり、冷静な判断力を失わせるんじゃないかって    思ってる。でもこれは、相手次第だって部分があるから、やっぱ、書き辛    いんだよなぁ…     相手に精神的な余裕がなければ、それこそ、喧嘩になったり、落ち込ま    せたり、相手にする気力をなくしてしまう事もありそう… 歩み寄りの見    えない平行線の会話に繋がる可能性もありそうだな… 他にもいろんな影    響がありそうだって感じてるよ。でも、相手に余裕や、経験の蓄積や、確    固たる自信があれば、どんなに否定の言葉を投げかけられても、受け流し    てしまうのかもしれないしね…  2) こんな風に聞かれても、みれちゃが何を聞きたいのか、よくわからない    んだけど… これじゃ、なんて答えていいのか…(?_?)     でも、取り敢えず、見当違いかもしれないけど書いてみる。あたしの場    合、否定の言葉をそのまま、額面通りに受け取ってしまうんだよね。でね、    自信喪失してる時や、迷ってる時なんて、特に否定や拒絶の言葉に敏感に    なるみたいだ…  う〜ん、これでは、どちらも質問の答にはなってないような… ごめんね、 理解力不足で… もうちょい、わかりやすく質問してもらえると嬉しいです。 あたしには、これでは、質問文が足らないみたいなの…                         MAKOTO でした☆ 00889/00898 KFR02477 ひびき ちょっとジョークを・・・ (18) 94/04/17 02:58  アラミスさんて、忍耐強い人なんですね。あんな事書かれたら私だったら、 ブチ切れますよ(#870の書き込み)、本当に・・・。     ・・・・忍耐強い人って尊敬してしまうなあ・・・・。     さて、これまでのたまごさんの書き込みから察するに、彼は人に合わせて人 格を変化させる事の出来る器用な人物のようです。それも相手にとって最も嫌 な人格に変化させる事が多いようで(勿論、相手にとって最も好ましい人格に 変化する場合もあるでしょう・・・・)。    ところで、会話はよくキャッチボールに例えられます。普通キャッチボール は、相手と何回もボールを投げ合う為に、相手にとって受け取りやすいボール を投げると、私は思っております。まあ、時折力を入れて投げるにしても、相 手が取れる範囲の力加減で、方向も相手が動ける範囲に投げるものだと思って おります。  しかし、たまごさんの場合力加減も、方向も大体良いと思うんですが、変化 球を投げるのが好みだったようです。しかも手元で変化するやっかいな球を・・・。 おまけに、七色どころか、100種類以上の変化球を投げる事が出来るようで す。しかも相手にとって、一見受け取りやすいようでも、実は最も取りにく い球を投げるのが十八番のようです(変化球というより曲球(くせだまです、 念の為)かなあ?やっかいな(苦笑))おまけに分身魔球も投げてくる(^^;)。    これまで変化球投手として活躍?してきたたまごさんは、ついに禁じ手であ る大リーグボール3号を使い始めてしまい(ARIONカタリの事だったりし て(^^;))、彼の左腕は、ピシっ!!という破滅の音ともに使えなくなってし まった・・・。  そして、彼は右腕をひっさげて復活したのです、剛速球投手として・・・・ (お願い皆さん、怒らないでね・・・)しかし彼は悲しいかな、ノーコンであ った。相手の胸元に投げ付ける事はおろか、力の加減もできず、相手の顔やら、 向こう脛やら、当たったら痛いとこばっかりボールがいくようです(コマッタモンダ)。   彼のノーコンを直す為には、投げて投げて、投げ込んで行くしかないと思う んですよ。そしてそれに付き合ってくれるキャッチャー、的確なアドバイスを してくれるコーチ、奮い立たせてくれるライバル・・・・・。  しかしたまごさんが、他人の意見に対して虚心になって耳を傾けるようとし なければ、また他人に接する態度を熟考してもらわなければ、やがてキャッチ ャーや、コーチ、ライバルは、たまごさんから離れていってしまうのではない でしょうか?。そうして皆が去ってしまった後にはたまごさんの足元には、投 げ返す事ができなかった数多くのボールが転がっている・・・・なんて寂しい 情景なのか・・・・。  私も、ささやかながらたまごさんが、過去の自分、今の自分に克つことがで きるようにサポートをしましょう。私の出来得る範囲で・・・・。しかしながら 私一人の力では当然不可能でしょう。       たまごさん自身が自分を奮い立たせなければ・・・・・。  P・Sその1       でも真夜中の長電話は勘弁してね。私はそんなに体力ないし、仕事に差し支  えたら課金が払えなくなってしまう(^^;)。ボーナスが貰えない身ですから・  ・・・・・・ビンボウハ、ヤダナア。  P.Sその2   今回はなぜかたまごさんを星飛雄馬に例えてしまった(爆笑)。すると  星一徹はYHVHさんで、明子姉さんはみれさんで、花形満は鷹さんで、  伴宙太はあもりさんか・・・・・。     まあ、YHVHさんはちゃぶ台なげた(秘技一徹返しといふ)し、(TA Oさんも書き込みされてたような・・・)女房役はあもりさんが適役だし、 14番でも書き込みされていたように、父、子、が星一徹、飛雄馬ときたら、 明子さんは、みれさんで決まりでしょう。各方面からお叱りを受けそう(マズイナア)。  皆さん怒んないでくださいね、お願い致しますだあ。  ・・・・しかしみれさんはひょっとすると木の影で、   「そうよ、私はずるいのよ!」といっていたのだろうか?・・・・・                           ひびき /E 00890/00898 JBH00712 桂 桂 これからどうするか、だ (18) 94/04/17 14:10 00876へのコメント  #00876   「何を話したらいいか?」ではない。  何もする気がなければなにもしなくてもいい。  あなたのその「やる気」がこの会議室を作る一因になった。だがいつまで たっても「これからどうするつもりか?」「なにをやるつもりか?」がわか らない。  あなたの言葉はいつも抽象的で私からすると中身が無いような気がする。  何故なら常に他人の言葉を引用するからだ。私とみれさんと、あと誰か。  だから「自分の言葉で語れ」といった。  もし上記の言葉があなたの「そのままの言葉」なら、私はあなたをたいし て中身の無い人間、と言い切りもするだろう。  だがそれならそれで、何故この会議室上で「問いかけ」をしない? 自分 から話しだそうとしない?  自分から言う事は一つにその方法は「会話」だということだ。  お互いに話合う事によって自分の意志、目的、思想、思考を確認出来る。  今の所、その方法しか見つけていない(これだけ、かもしれないが)。  あなたがそれを放棄しているのか、それとも別の方法論で挑もうとしている のか、それはわからないが、わからなければそれを知るためには過去にさかの ぼり「何をする気だったのか」それを推察するより手はないだろう。  そしてそれが「何もない」勢いだけの代物だったとしても(これだけだとし たら、自分にとって全く傍迷惑な代物でしかなく、それだけでもぶっちぎれそ うだ)、思うのは「これから何をする気?」なのだ。  相変わらずぶっちぎれたのはあなたのたまごへの発言削除要求だ。  理由は「みれさんにいわれたから」(それで大して納得もせず要求をのむ方もど うかしているのだが)だけで、それも裏で事を済ませようとした所だ。  言いたい事があるなら表で言え。  裏でこそこそするな。 桂 桂(JBH00712) 00891/00898 HGB02122 あもり パソコン直った (18) 94/04/18 03:51 パソコンが正常動作しなくなって、およそ2週間が経っていた事になる。 その間、アクセス出来るか出来ないかの瀬戸際をうろうろとして、結局一つ の発言もないままに、今日まで来てしまった。 そうして気付いたのは、その2週間と言うもの、時間こそたくさんあったに もかかわらず、真昼の太陽の下に出た事がなかった。季節は桜を過ぎ、私に とっても春の歐いをかみしめたく願う時であるのに、私は外へ出る事をしな かった。 何故か? 私は人間が嫌いだ。 複数の人間が集まって寄り合い、狭すぎる世界に取りすがって生きるだけの 規律の中で、自分を守るだけに終始している社会が嫌いだった。 ついぞ二十五を過ぎるまで、徹底的な孤独との微妙な端境に自分を置いて、 他人が私へのラインを越える事を許さなかった。 私は自分の作り上げた奇妙な想像の世界の中で、人生の半分を曖昧に生きる 事だけに全力を費やした。 全ては、私の臆病な憶測の中で移りゆき、全ては私に終始した。 人と人が付き合うということはこう言う事じゃないのかと、少しずつ気付き 始めたのは、つい最近の事だ。 気付き始めての生活は劇的だった。 本当に生きようと、それを思うだけで背筋が伸びた。他人の笑顔が、割鐘の ように胸に響いて来た。 私は、これだと思った。この為に生きようと誓った。 その為に、少しでも何かをしようと思った。何かが出来ると思った。 私は、疲れてしまった。 だから、パソコンの動かない事をいいことに再び黙ってしまおうとしていた。 今日、陽の下に出た。 所在無く、街をうろついた。 散り残った桜の花が、舞った。                   HGB02122 あもり 00892/00898 HGB02122 あもり 外へ出たんだってば (18) 94/04/18 03:52 犠牲と同期の桜 戦時中の特攻隊員は、犠牲だったか? 二十歳にも満たぬ若い兵士等だったと聞く。爆弾を抱いた艦上攻撃機の コクピットの中で、恐らく永訣の春は目蓋に映らなかったはずだ。 母や恋人の面影、父の背中...きっと彼らを慈しみ育ててくれた人の霞 んだ部分だけを幼い体全体に抱きしめてキャノピーを閉じたのだろう。 恐いようと流した涙は、彼ら自身の為に流された涙ではなかった。 靖国神社が好きである。 もちろん戦争を経験した年齢ではないが、靖国神社が好きである。 泣けるのである。 靴を脱いで社殿に上がり、彼らが肉親に宛てた手紙を思い出して泣くの である。 すいませんすいませんと、何を謝っているのか知れないが、号泣するの である。 体が熱くなる、終いには腰が抜ける。座り込んで、また泣き続ける。 もはや涙の質が違うのだ。 私の涙は、私の為に流されたものであって、いずれは私の肩の上で蒸発 してしまうような軽いものだ。                  HGB02122 あもり 00893/00898 HGB02122 あもり おんなじか... (18) 94/04/18 03:53 ビルの谷間に金星が輝いていた。 星を見続けていたら、星の周囲が軽やかにきらめいた。 都内の某公園に座って、放心状態でベンチに座っていたら、いつの間にか 周囲は恋人たちで溢れていた。 星が光った頃、つがいでいなかったのは、私と傍若無人にごみ箱を漁る幾 人かの自由生活者だけだった。 これじゃ奴等もさぞかし怨まれるだろうな....と、ふと自分の膝小僧を見 つめてしまった。 そして早々にベンチを立った。                  HGB02122 あもり 00894/00898 HGB02122 あもり 調子が合わない (18) 94/04/18 03:54 昼間、大都市の真ん中でビールを飲んだ。 酒を飲む事さえ忘れてしまっていて、おまけにお金がなくて遊びに出た ものだから、すきっ腹にアルコールが堪えた。 トイレに立ち寄って鏡を見たら、顔が盛大に赤くなっていて、こりゃイ カンと、人の少ないところに非難した。 非難する間中、ほんの少し恥ずかしくて、ほんの少しだけうつむいて歩 いた。                    HGB02122 あもり 00895/00898 HGB02122 あもり 難しいと悩んでもさ... (18) 94/04/18 03:55 コメント数:1 人と話をすることがこんなに疲れるとは思っても見なかったことであり、 ひょんな事から会議室を持った訳だけど、それはこれ、私の鋭い一発意 見でコトは簡単に運ぶと思っていた。 経験で話をする分には、ひどく安易な一面もあって、それに気付かなか った私は少々面食らう事になった。 もちろん、想像力が並外れてたくましい私にしてみれば、経験に欠けて いても人を納得させるだけの力量があると思っていたし、今回のような 刃の上に立つようなやりとり...電線を文字が伝わるといった特異な場所 における...は想像外にあった。 期待していた「鉢の一刺し」的意見は全面的に封殺されて、すなわちぐう の音も出なくなってしまった。 とどのつまり、旧HVHY氏やたまご氏、アキラ氏や智美パパ、オリハル 氏桂氏に対し猛烈に腹を立てる事しか出来なかった。 ここで各氏一人一人に、たまご氏にしたように出向いて行ってしばき倒し ても良かったのだが、そこまですると会議室長を降ろされる事は自明のコ トワリであるので、それだけは恥じの上塗りつやだしペイントなので、絶 対にすることは許されない。 さて、会話である。 難しいめんどくさいと自縄自縛にはまっていた最近の私であるけれども、 ふと気付いたら逃げ場がなくなっていたので、おまけにパソコンも非常に 快調であるから、書き込まねばならないであろう。 いや。何故かは知らぬがここに来て書き込まずにはいられなくなった。 気付くとSYSOPみれさんが「会話が難しい」とのたまったのは丁度1ヶ月 前の話であるな....                  HGB02122 あもり 00896/00898 HGB02122 あもり 質問>桂さん (18) 94/04/18 03:56 桂さんに質問である。 桂さんの発言が回を重ねるごとに、以前溢れていた行間の思いが感じられ なくなっていると思った。 何故だろうと殊勝に考える私ではないのだけれども、考えれば考えるだけ 桂さんの文章に否定的な眼を持ってしまう。 だから、教えて下さい。 1.私は何を言えば理に適う会話が成立すると思うのか? 2.私が皆に語っていない、そして桂さんが許せない事実とは? 3.最近、私の事を断定している文章が多く見られるのは何故か? これらは本当に分からないことであり、溺れるもの葦を掴む心境です。                   HGB02122 あもり 00897/00898 HGB02122 あもり RE:傷付くと言う事 (18) 94/04/18 03:57 00880へのコメント アラミスさん... 強いて言えば、私はたまご氏も桂氏も嫌いです。 たまご氏は肝心なところになると見を一歩引くと言うケンカイなところが しゃくに触るし、「殴りに行ってやる」と言いつついつまでたっても殴り に来ない桂氏も嫌いです。 でも、それは一面でしかないんですね。 私はまだまだ「こいつを嫌いになっちゃイカン」という心の圧殺や全てを 許せるだけの心の広さも持ち合わせていない若輩者ですけれど、それらを 除いた所には「あ、こいつって結構いいとこあるのな」みたいな微笑まし き部分もある。今は好きになれないけれど、かつてはそう思った時もある わけだから。 何度も言われてる事だけど、ある人の嫌な面一つで全てを否定してしまう のは、凄くもったいない事だと思う。 ヒトラーにしてもクロウリーにしても、全部ダメで否定してたら見えない 事の方が多くなってしまう。 良い例が最近の政治で、結局はコメを輸入して、政治改革が達成出来なか った細川元首相にしても、ちらほらと「イイトコあったじゃん」と思える し...(少しは政治に参加しろ>おれ) だからって公衆の面前でアラミスさんをはずかしめてしまったたまごさん は許せないね。 一体どーすればよいのだろう...                   HGB02122 あもり 00898/00898 MGH00465 アキラ RE:難しいと悩んでもさ... (18) 94/04/18 04:06 00895へのコメント  #00895 あもり さん  あ、やっと本音を聞けた。  嬉しいなっと(^_^) MGH00465 アキラ - FARION MES(20):■世紀末ウォッチ:これって…!?----<01> 94/04/18 - 559/559 JAA02072 小杉三紀子    世紀末の救世主? (20) 94/04/18 02:36 はじめて発言します. 先日週刊朝日に1ペ−ジの広告でもって, 救世主マイトレ−ヤの出現の道を整えるために活動を行っているとかで, ベンジャミン=クレ−ルという人の後援会の案内が載っていました. この,救世主マイトレ−ヤというのは, 現在どのような文脈でもって語られているのでしょうか? 批判的であろうとなかろうと構いませんので, なにか少しでも御存知の方がおられたら,教えていただきたいのですが. 別に,私自身はなんらこの主催者とは関わりはありませんので, できたらで結構です. もし不適切な発言であったら,削除してください.      小杉 - FARION MES( 4):【宴会/オフ】プラン・レポート------------<02> 94/04/18 - 527/528 GGA02514 KAZE 22日〜24日、東京に行きます。 ( 4) 94/04/18 17:11 コメント数:1 MES13の#01143で、今週の金曜日22日にある ■ジョン・C・リリー博士のライフワーク公開と ワークショップ<地球・色・生命> をお知らせしました。 その時には、たぶん僕は行けないだろうと思っていたのですが、 仕事の関係でそのころ東京に出張することになり、 時間もとれそうなので、そのワークショップに出席することにしました。 (ワークショップについて、詳しくはMES#01143を参照のこと) で、今回のおのぼりさんの日程としては、上記のワークショップ以外では 23日(土)の夕方頃からは時間がとれると思いますので、 もし、お時間がとれる方がありましたら、オフなども可能です。 ま、お暇な方でもいらっしゃいましたら、ご連絡くださいませ(^^)。 では、簡単にお上りさんインフォメーションでした(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 528/528 MGH00465 アキラ RE:22日〜24日、東京に行きます。 ( 4) 94/04/18 18:00 527へのコメント  おおっ、KAZEさん、上京されるんですね。  で、土曜日のほうですが、みれ、ガッチャ、私の3人は、新宿の京王プラザ でぱーちぃに出席してますんですが、夜8時〜9時頃には終わると思いますの で、新宿でオフということであれば、途中から合流できるのではないかと思い ますです。  ということで、どなたかKAZEさん迎撃オフの幹事立候補者はいません?                       MGH00465 アキラ - FARION MES( 9):★TAO の《神々の曼陀羅》―美と信仰と史― 94/04/18 - 130/132 JBH02324 なえ RE:浮世絵美論 ( 9) 94/04/18 15:40 126へのコメント  はろー。桂 桂さん  浮世絵と言えば海外に流出していた物が多く発見されているそうですね。  春画はタマに古美術商等のダイレクトメールで見たりします。センデンコウコク  精密画の様で感心しますね〜。美の徹底追求には避けて通れない世界で  しょうか。究極のエロスでしょうか。(*?_?*)>テヘ  でも、歌麿呂さんとか、写楽さんとか・・最近復興の兆しがありますね。  フランキー堺さんも映画を作られるとか・・。楽しみですね。                   蝶ンブレサリョ なえ 131/132 JBH02324 なえ 0 さん ( 9) 94/04/18 15:41 128へのコメント  いらっしゃいませ。tenさん。  お初ですね〜。どぞどぞゆっくりしてって下さいませね〜。  tenさんは美意識ってどんな風に思われます??例えば化粧とかも、案外顔と  同時に内面も変わる・・・なんてありますと、化粧も化けきる事がポイント、  なーんて事もアリかも知れませんね〜。それにしても、美人という姿も、時代  と共に色々変化しています。昔は小野小町等のしもぶくれがもてたとか。研ナ  オコさんも一時期美人と言われませんでした??。(^^; ちょっと飛躍?                   蝶ンブレサリョ なえ 132/132 JBH02324 なえ RE:浮世絵美論 ( 9) 94/04/18 15:41 129へのコメント  こんにちわNoBさん  立川流と言いますと、真言立川流のアレでしょうか。何でも12世紀頃の平安  後期から鎌倉時代に生まれ、江戸時代に消滅したとか、邪教などと言われる?  リンガ・ヨニたらなんたら・・。(^^; すんません>知ったかぶり。(^^;  もすこし詳しくデータを知りたいですが・・。(^^;ダメしょうか・・。                   蝶ンブレサリョ なえ - FARION MES(13):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<03> 94/04/18 - 01173/01174 GGA02514 KAZE 変容のための「待ち」 (13) 94/04/18 17:12 01170へのコメント 隆ちゃん、どうも。 昨日は、松山から車で1時間ほど西に行ったところにある 法安寺という真言宗のお寺に牡丹の花を見に行きました(^^)。 ここはこちらの地方では、牡丹の名所という定評があって、 この季節になると一度は見てみたくなって訪れることにしています。 昨日は非常にいい天気でしたし、ちょうど見ごろということでかなりな人出でした。 あまりに人が多いのでそこそこのところで切り上げて、 その近所の土手を散歩してたりしたのですが、 春の野はいろんな花が見られて楽しいですね。 さて、先日は「花」のことを「草が化ける」と書くという説明を させていただきましたが、ちょうどそこらへんのメタモルフォーゼに関しても 解説されている人智学関係の新刊、 ●ワルター・ビューラー「人智学の死生観」(水声社) というのがでましたので、そこから花が咲くということについての ゲーテ的な説明の部分をご紹介してみたいと思います。  花が咲くのを数カ月も待ったあと、今、その花が咲き始めた植物を目のあた りにした人は、どんな植物にもある緑の部分から現れた、こんなにも繊細で色 あでやかな、まるで星のような形をした花が放つ魅力から逃れることはできな い。今、私たちが見ているのは、一本の小さな植物にすぎないが、その植物の 本質的な発達の一段階を示しているわけで、スミレであれ、チューリップであ れ、またひともとのバラであれ、今や、においやかな花の姿で、その固有の本 質を現したのである。それは、緑の茎葉の中につい今まで隠れていたようにさ え見える。……  これは現時点で見られる小さな事柄だが、それはかつての遠い昔、それまで はシダ類やトクサのような緑の茎葉だけだった植物から突如として最初の多彩 な花冠が現れる、という大きな変化を指し示してくれるのである。それは、植 物界における、前進的で高次化する発展の決定的な進歩の足どりだった。こN 花器の生成ということをもっと深く理解するなら、それだけでも、生物進化そ のものの持つ秘密についての手がかりをつかむ可能性を期待できよう。ゲーテ の植物形態変成論は、それへの道を示しているわけである。ゲーテは、特に色 々の段階の移行型を調べることにより、花の各部分が葉の変化したものである ことを発見した。 漢字の「花」の成り立ちは、このゲーテの説明そのものですよね。 では、どういうふうにして葉が花へと変化してくるのかについての ゲーテの「拡張」と「収縮」などについての説明を続けます。 葉のさまざまの新しい形態や性質が現れるなかで花が生成してくることを、ゲ ーテは緑色の茎葉の「上昇的変化」と名づけた。しかし、これよりももっと重 要な発見は、植物のこうした発展的変化は、葉がそのまま連続的に変化して起 こったわけではないということ、つまり、上昇的変化は生長の単なる展開では ない、ということだった。 では、どういう「展開」なのかというと。  典型的な一年生植物についてみると、花ができるのには、まず、茎について いる葉が小さくなり、形も単純化して高出葉(苞/ほう)になることから始ま り、それがさらに小さくなって、萼片が生じるが、そのあと、茎の伸びる力そ のものがすっかり抑制される。つまり花が現れてくるためには、ある種の退行 を必要とするわけで、ゲーテはこれを「収縮」と呼んだ。これとまったく、ど んな植物でも、花のあと果実(…)へと進むためには、それに先立つ退行、つ まり、着色した花冠が雄蕊へと変わっていくことが必要である。…  一方において、普通葉、花弁、心皮の形成の場合に「拡張」が、他方におい て、萼片、雄蕊、種子の中の子葉の形成の場合に「収縮」が、それぞれ三回に わたって交互に起こることは、植物の形態変成の中に、はっきりと対照的な位 相が存在することを示すわけで、ゲーテはこれを「両極性」と呼び、植物の発 育はみなこの両極性の法則に支配されており、どんな発展的変化も、それに先 立つ位相の相対的退行なしには起こらない、ということを明らかにしようとし た。 この「どんな発展的変化も、それに先立つ位相の相対的退行なしには起こらない」 ということは非常に大事なことで、これを敷衍していうと、 人間が自我をもってある種「退行」しているかのように見えるのは、 これから「花」を咲かそうとしている前段階なのではないかと思います。 その花を咲かせるためには、寒くてつらい冬の季節での忍耐が必要不可欠で、 長い間堪え忍びながらじっと育んできた潜在力が一気に 新しい位相へとメタモルフォーゼしていくということなのです。 そのメタモルフォーゼのためにじっと力を蓄え「待つ」ということなしには 「花」は決して咲くことがないということを忘れないようにしたいものです。 >何事も「○○で不幸だ」と考えるよりも「○○で幸せ」と考える方が、楽ちんです >よね。 「待つ」ということにしても、それを「不幸」だととらえるか、 それともそれを「幸せ」へのプロセスとして認識していくかということで その意味づけが大きく変わってくるんですよね。 「待てない人」というのは、結局そうした「プロセス認識」ができなくて、 すぐに結果がでないとそれを不幸だととらえがちなんだと思います。 「幸せ」にはいろんな位相があるようで、 それを一種類しかない固定的なものであるかのように思ってしまうと、 せっかくの幸せを自分からみすみす逃してしまうことにもなりかねません。 「幸せ」に対する視点も多様化しなければね(^^)。 >仕事をする以上は、ある程度仕方がない部分もあるでしょうけど、我々くらいの歳 >になると、嫌なら避ければよい訳で、そういう意味では助かりますよね。 ううむ、そうでもないかなあ^^;。 仕事というのはそれこそ自分の勝手にはならないから、 僕の場合、それでいろんなひとと会わなくてはなりません。 しかもそれが自分の責任においてそうしなければなりませんからねぇ^^;。 仕事をはじめた当時はかなり無責任で嫌な相手は極力さけてましたが、 とくにここ数年は次第にそんなわがままを言える立場ではなくなりました。 ま、「天」は僕の苦手なことをご存知で、 僕を鍛えて下さっているのだろうと思うしかないようです(ヤレヤレ)。 >自分の意志でぶち当たらないと意味がないですよね。 そいうことで、だから最近では自分から何かを積極的にしていかないと、と思い、 気持ちを入れ替えてがんばっているつもりなのですが、 魂に染み着いたこの傾向性はなかなか変わるものではないようですね^^;。 >彼女は一見恥ずかしがりやで、気弱に見えますが、実は非常に図太いのじゃなかろ >うかと思います。 僕の見るところでは、「気弱」にも見えませんし、「図太い」とも見えませんけど。 非常にマイペースでしっかりしているという感じの方が強いです。 一見そう見えたりするのは、そのマイペースに周囲がついていけないものだから その反作用として「恥ずかしがりや」「気弱」、また「図太さ」という風に 見えたりするのかもしれないなあという気がします。 もちろん、その「マイペース」が「わがまま」になってしまってはいけませんが、 それをうまく伸ばしてあげるとまさに「大物」になるのではないでしょうか(^^)。 >確かに、感覚がないと何にもわからなくて、進歩が止まりますし、逆に感覚を絶対 >視すると、またまたそこで行き止まりになってしまう。そのあたりのバランスをと >らなければいけないわけですよね。 「感覚」ということでいうと、「芸術」というのは、 感覚を開発するためには非常に有効なんですが、 その反面、芸術家と称する方の多くが、その感覚故に、 それ以外の認識を閉ざしてしまう場合があるように思えます。 僕などは、才能の問題もあって^^;、あまり特定の芸術に入れ込んでませんので、 特定の感覚を絶対化してしまう傾向は比較的少ないようで、 自分では何とかバランスをとっているつもりでいます。 そのかわり、そんなに感覚に深みがないのかもしれませんが。 >本当の意味での「信仰」は、このコミニュケーションの支えになってくれる(人間 >は弱い部分をたくさん持っていますから)ものであるはずなのですが、宗教の多く >は逆にコミュニケーションしないように、耳や目を塞ごうとしている様です。 宗教の否定的側面の筆頭が「セクト主義」で、 それ故に自分の教義を絶対化しがちです。 もちろんそうでなければ信仰が成り立たないのですから そうせざるを得ないのです。 そこに宗教の自己矛盾的な基盤があります。 だから、教義によって認められたもの以外とのコミュニケーションは、 それを極力させないように、またできないように教育していくんです。 「コミニュケーションの支え」になるといっても、 すごく狭い範囲の、教義の範囲内においてそうだということに過ぎませんから、 その「檻」を一歩でも出るともうコミュニケーション不能になってしまうんです。 ですから、「宗教性」というのは大事ですが、 「宗教」は要らないと、僕は考えているのです。 >実際問題として自己満足している人が、調和しているかというと、さにあらずなん >じゃないでしょうか。 そうですね、そういう見方の方が正しいといえるでしょうね。 独楽だって、回っているときは一見静止しているように見えて、 その実一生懸命に運動しているからこそそこにじっとしていられるわけで、 動きを止めてしまうとすぐさま倒れてしまいます。 調和っていうのは、確かに「自己満足」では成り立たないようです。 僕もそんな「自己満足」に陥らないように、 確かに自分が懸命に「回っている」かどうか、 自己チェックを怠らないようにしたいと思います。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 01174/01174 GGA02514 KAZE 22日〜24日、東京に行きます。 (13) 94/04/18 17:12 #01143で、今週の金曜日22日にある ■ジョン・C・リリー博士のライフワーク公開とワークショップ<地球・色・生命> をお知らせしました。 その時には、たぶん僕は行けないだろうと思っていたのですが、 仕事の関係でそのころ東京に出張することになり、 時間もとれそうなので、そのワークショップに出席することにしました。 (ワークショップについて、詳しくは#01143を参照のこと) で、今回のおのぼりさんの日程としては、 23日(土)の夕方頃からは時間がとれると思いますので、 もし、お時間がとれる方がありましたら、オフなども可能です。 ま、お暇な方でもいらっしゃいましたら、ご連絡くださいませ(^^)。 では、簡単にお上りさんインフォメーションでした(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES(18):★あもりの二人三脚ネットワーク------<01> 94/04/18 - 00899/00899 GDB00064 オリハル RE:難しいと悩んでもさ... (18) 94/04/18 18:24 00895へのコメント /あもりさん、こんにちは。 |とどのつまり、旧HVHY氏やたまご氏、アキラ氏や智美パパ、オリハル |氏桂氏に対し猛烈に腹を立てる事しか出来なかった。 え? その理由が知りたいと思います。 どうぞ、はっきりと分りやすく、ダイレクトに言葉で書いていただければと思います。                               オリハル - FARION MES(20):■世紀末ウォッチ:これって…!?----<01> 94/04/18 - 560/561 GFB00026 一輝 RE:世紀末の救世主? (20) 94/04/18 16:59 559へのコメント コメント数:1 >小杉さんへ  救世主マイトレーヤ関連では、次のようなデータがあります。  引用ではありますが…、 >ベンジャミンクレーム イギリス生まれの画家。マイトレーヤの降臨によって地球 >           が改革されていくことを説く。マイトレーヤが公衆の面前 >           に姿を現す日時を何度か公表しているが,いまだ実現して >           はいない。(編集者記) > > …………『アリオン世紀末書込み寺』P.326 脚注総覧より >                アーリオーン+北川恵子著(南雲堂刊)  私は、ベンジャミンクレームに対して、世紀末の恐怖を煽るだけ煽っておきながら、 「自分のところへ来れば安全だ」と唱える新手の保険屋だと思っています。  例えば、自分のどこかに不安を抱えている場合、このような一人の人間では抱えき れぬような大きな不安(救世観)をかきたてる言動と自分の不安がオーバーラップし てきて、自分の不安の正体を直視することを恐れるが為に、根拠の異なるはずの不安 同士が脳裏でシンクロする現象が見られます。  不安によって自己の内部に起きた小さな振幅の揺さぶりを、外部の、より大きな振 幅の揺さぶりを取り込んで、自己の内部の揺さぶりを消滅させようとするからです。 しかし、結局は誰も自分の不安から逃げられないし、揺さぶりそのものを消滅するこ とも出来ない。可能だと信じていても長続きしない。そこで、こういった救世主マイ トレーヤだの何だのと、様々な団体を流浪することになる。儲かるのは各団体さん。  ベンジャミンクレームは、自己啓発セミナーと似たような会員拡張展開運動も伴っ て、人々の内奥に呼びかける「偽の揺さぶり」のひとつなのだというのが,私の見解 です。  自己の不安は、誰でも多かれ少なかれ抱えているけれども、自分にしか分からない し、みんなひとりひとり違います。その正体を覗き込み、共生できる(不安の正体や 原因を知り、不安から生まれる揺さぶりに積極的に揉まれ、乗り超えて生きてゆく) のも、また自分だけです。  小杉さんは、その広告にどのような印象を持たれましたか?                                     一輝 561/561 MGH00465 アキラ RE:世紀末の救世主? (20) 94/04/18 18:05 560へのコメント  ベンジャミンクレームは、私か高校生のときに(10数年前)日本で最初の 本を出しまして、そのとき、翌年のファティマの日だったかに、救世主が、 全世界の人間にテレパシーでメッセージを発するとかいうことを言っていた んで、「おぉ、ついに悪の救世主が現れるのか」などと楽しみにしていたら、 結局なんも起こりませんでした(-_-;)                          MGH00465 アキラ