- FARION MES( 2):【居酒屋1999】自己紹介・雑談--------<09> 94/04/21 - 02051/02052 PBB00456 平野 昌功    RE:ご同業なんですね(^^)>平野さん ( 2) 94/04/21 14:59 02049へのコメント KAZE さん。はじめまして。 早々に、コメントを下さいまして、ありがとうございます。(^^) 現在の職業においても、共通点があるみたいですね。重ねてよろしくお願いします。 「ホリスティック教育は、<かかわり(リレーションシップ)>に焦点を当て  た教育である。・・・ そうですよね。私が言ってる「コミュニケーション」は、このホリスティック教育が 目指しているところの<「かかわり」を取り巻くあれこれ>に近いものだと思います。 もちろん、KAZEさんもご承知のように「教育」に限らず、全てのことにおいて大切に したいテーマですよね。 いろいろとお話したいことは山ほどあるのですが、今回は或る書籍をご紹介すること に致します。 「新訂カウンセリング 」伊東 博 著 (誠信書房) ※この中で、「主体性」ということについて次のように取り上げられていました。 ちょっと長くなりますが、ご了承下さい。    >・・・つまり人間というものは、たとえば患者として、医師により治療「される」もの  でなくて、「自らなおる」ものであり、教師に教え「られる」ものでなくて、「自  ら学ぶ」ものであり、管理者に管理され、働かせ「られる」ものではなく、「自ら  働き」「自ら行動する」能動的な存在である。  医師が治療しているように「見える」けれども、実は患者が自らの「治癒力」によ  ってなおっているのだということ、教師が教えて、生徒が習っているように「見え  る」けれども、現実には子どもが「自ら学ぼう」としているときにだけ「学んでい  る」のだということである。  医師は「診断し」「治療している」ように見えるけれども、医師が「なおして」いる  のだということは錯覚にすぎない。医師が治そうとしても死んでいく人がたくさんあ  ること、いや、いつかはだれでもがみんな死んでいく、医師はこういう人を「なおそ  う」とは思わなかったのだろうか?  医師もくすりも、患者の「自らなおる」力を刺激し、それに援助を与えているだけの  ことである。患者の「自らなおる」力が、復元しがたいほど傷つけられたときに、  人間の身体は死んでいくのである。 同じように、教師が子どもを「教えている」ということも錯覚である。このような  錯覚がおこるのは、教師が「教えて」も「学ばない」子どもを、特例として除外して  しまうからなのである。 だから、子どもをよく勉強「させる」教師は、ほんとうは「勉強させ」ているのでは  なくして、子どもの「自ら学ぼう」とする力によく刺激を与え、よく援助を与えてい  るというのが現実の姿なのである。  同じことは企業の監督者についてもいえるだろう。監督者はうまく部下を「取り扱っ  ている」のでもなければ、うまく「働かせて」いるのでもない。部下が「自ら働く」 ことに援助を与え、自ら働くことができるように諸条件を整えていることなのである ・・・私たちが、教育・企業・人間社会において今取り戻さなければならないのは、 人間そのものであり、その為には人間が「主体的、能動的、自発的な存在」であるこ  とをはっきりとしかも深く認識するところから出発しなければならないであろう。  ・・・人にたよらないで、「自分のやりたいようにやる」ことが、なおるということに  つながってくる・・・主体性を著しく阻害されたとき、その快復には長い努力が必要に  なってくるようである。 と、まあほんとに長くなってしまいました。かなり旧い本でして、著者の伊東氏からの 情報では、近々、改訂版を発刊すべく、現在執筆中とのことでした。 (^^;) とても、当たり前のことかもしれませんが、その当たり前のことが、なかなか難しいこ とな訳で、何だかマーケティングの世界にも似てる感じですね(^^)  また、まとまりませんでしたが、取り急ぎお返事まで。今度はお言葉に甘えて、 会議室にお邪魔いたします。                      平野 02052/02052 PBB00456 平野 昌功    RE:数理波動とは…? ( 2) 94/04/21 16:05 02050へのコメント はじめまして、YUIさん。 早速、コメントをいただきまして、ありがとうございました。 (^O^)/ 宇宙子科学についても、私のアタマがついていけるところまで、アンテナを向けてみ ようと思います。今後ともよろしくご助言くださいませ。 さて、「数理波動コンサルタント」の方ですが、私が先日、初めてお目にかかった時に ご本人からいただいたリーフレットがありますので、その中のプロフィール部分を抜粋 してご紹介致します。 >・・・精神分析・臨床心理の門をくぐり、中国算命学、手相占い、自己啓発セミナー等  の幅広い研鑽の末、波動エネルギー学と出会う。新量子力学粒子一元論により、ミク  ロからマクロの世界のエネルギーをホロニック、立体相似でとらえ時間即エネルギー  ノ理論体系により、エネルギーのシルエットを数と形で表した。  これは太田実勒先生が体系した、世界で初めて自然時間を算出しエネルギーを分析す  る理論(算哲動態命理学)である。  「波動理論」にボディーワーク、心理カウンセリング等を加え理論と感性の両面から、個人・  家庭・企業の相談、予知予測を行っている。・・・   ただし、まあこの「文字づら」だけでは、なかなか伝わりにくいし、誤解されやすいかも しれませんね。実際に、カウンセリングやヒーリングを受けてみて判断するしかないかな、という 気持ちもいたします。 (その場での会話はテープに録音して記録することも、OKしていただけましたよ) YUIさんにとって、お役に立つ情報かどうか、心配ですが、とりあえず概要として、 ご案内致します。さらにご興味あれば、おっしゃってください。 さて、私も「世紀末」については、YUIさんがおしゃっていることに近い「気持ち」を 漠然と、直観(直感)しています。上述したコンサルタントの方もそうでした。 うまく表現することはできないのですが、 大きな流れとしては、良い方向に向かっているのだそうです。ただし、 変化のプロセスとして、淘汰があったり、個人にも世界にも いろいろな徴候が現れる ようです。そのプロセスを経てはじめて、よき時代が訪れるという感じかな。 上っ面の "Positive Thinking"ではなく、自分自身と、他者をまっすぐ理解して あらゆるものと共感、共生できるような状態を無理なく保っていくことを大切に していきたいと、心から思えるように成りはじめました。数理波動のコンサルタントの方も そうですが、今まで私がコミュニケーションさせていただいた方々、事象全てが 今となってみれば、そのことにわたしが気づく「きっかけ」を与えてくれているように 思います。 YUIさんのおっしゃるように、今後とも意義深いところで、「良いきっかけ」をお互いに もたらしあえるようなお話をさせていただければ、幸いです。 今後とも宜しくお願いいたします。 平野 - FARION MES( 4):【宴会/オフ】プラン・レポート------------<02> 94/04/21 - 542/542 GGA02514 KAZE で、結局、京王プラザ1Fなのかな? ( 4) 94/04/21 13:10 明日の朝には上京しますので、今夜までしかアクセスできません。 ということで、待ち合わせは、 ●23日の午後7時頃に  新宿の京王プラザの1Fにあるであろう^^;ロビーで ということでいいのでしょうか。 特に別の場所ということがなければ、 一応そういうことで理解しておきたいと思います。 (訂正があったら、今日中によろしく) 第2回目の待ち合わせという9時頃は、 あとで適当に決めといてくださいね。 ま、参加者は自由参加ということなので、 暇があって気が向けばよろしく。 なお、MES13関係からは、「EARTH WORK」さんが参加されるそうです。 では、よろしく。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES( 7):★アリオン世紀末書込み寺------------<02> 94/04/21 - 02126/02126 MHD02672 TAO 私が向かって行く場とは… ( 7) 94/04/21 02:53  パソコン通信にはまってからもう3年間も経つ。こんなに続くとは  思ってもみなかったのだが、やはりARIONに出会ったのが  一番大きい出来事であり、この3年間で自分が全く違った人間に  変わったように思える。  しかし、最近は FARION という場に拘る必要性が、自分の中で希薄に  なって来たように感じている。ARIONや FARION が嫌いになった  訳でもなく、面白くないとも思っている訳ではない。  パソコン通信というネットワークに限っての話になるが、もし自分に  とって FARION よりも大切だと感じられる場を見いだせるならば、  迷いなくそこへ赴くだろう。決して FARION 自体や FARION の存在価値を  軽視するのではなく、自分が居ることがより自然に感じられる“場”を  求めて出て行くということだけだ。  FARION 自体の存在価値、存在意義というのは、人によって様々な様相を  持つだろう。語り合う人、戯れる人、依存する人、求める人…  FARION という場が無くなることに恐怖を感じていたこともある。しかし、  今は本当に恐れるべきなのは、FARION が本来の役割を果たせないままに  萎縮して行くことであり、消えて行くこと自体ではないと感じている。  何故ならば、自分の望む「場」を創る意思がある人間は、一つの「場」が  消えたとしても、新たに「場」を求めて行く筈だからだ。  その「場」が何であるかは、その人が求めるものによって違うことだろう。  人間とは、諦めない限り、必ず自分が心の奥底で求めている場所へ向かって  行くものではないだろうか。その過程で、ここが単なる通過駅になったと  しても、それはそれで必要な過程だったろう。  ここを去ることがあるとしても、“絆”と呼ぶのに価するつながりを  結べた人々とは心が離れることはないと思うし、またどこにいても  ARIONの言う「全ての人間の為の人間」であろうとすることは  可能である筈だからだ。 TAO - FARION MES(10):★Dr.Sooの《夢酔い人の部屋》--------<01> 94/04/21 - 00407/00407 JCF02051 めのう 仮想現実という夢 (10) 94/04/21 05:32 仮想現実(バーチャルリアリティー)って言葉がなんとなく怖いんです。 この場にいながらにしてまったく別のリアルを体験することと私は解釈 していますが、むかーし読んだ萩尾望都さんの『百億の昼と千億の夜』 という漫画(原作は光瀬龍さんだったと思う)に「イスカリオテのユダ が治める未来の都市で、原形質状態(ドロドロの液体状の姿?)でカプ セルに入って平和な市民生活の夢を与えられるA級市民」というのが出 てきて、それを思い出してしまいます。 管理された夢の中で永遠に幸せな生活を送るA級市民と、夢のカプセル 欲しさに反乱をおこすB級市民。 どっちも不気味だなーと子供心に強烈に焼き付いてしまったのです。 ん〜、よく考えるとパソコン通信なんてのも一種の仮想現実なのかしら。 こんなにお手軽に全国津々浦々の見ず知らずの人とコミュニケーション できるっていうのは。でもこれはホントの現実だよな〜。だけど、この 現実と思っていることが実は私の見ている夢だったらどうしよう ・・・ああ、だんだんわけがわからなくなってきた。 そういえば昔『のび太・植物人間説』なんていうのがありましたね。   仕組まれた現実と本当の現実の区別がつかなくなったら非常にヤバイなあ。 勝手に支離滅裂でごめんなさい。                          ◆◆ めのう ◆◆ - FARION MES(12):★SUBUDHの《アジア・チャンプル》----<01> 94/04/21 - 00224/00224 GFB00026 一輝 牛の一族 (12) 94/04/21 12:52 00214へのコメント SUBUDHさんへ  キンタマーニのバリアガは、たしかに風葬でした。森の中へ案内されて、竹で囲ま れた柵の中に死体が安置されていました。奥へ入るときに何気なく自分の足が踏んで いるたくさんの木の枝が、実は人間の骨だったのでビビッた記憶があります。木の枝 も人骨も、朽ちれば同じように森へ還ってゆくのでしょう。  AMA族では、葬祭を人生最大の行事にしている部族が多く、バリ島もそうですし バリ島の北方に位置するスラウェシ島のトラジャ族もそうです。いずれも葬儀は哀し いものではなく、楽しいもの(バリ)であったり、果敢なもの(トラジャ)であった りします。両者とも、旅行者から「葬式のために生きている」と言われています。  バトゥール湖を見下ろす所の寺院というと、トゥグン・コリパン寺院ですね。私も 行きましたが寒かったですよ。バリで一番標高の高い寺院。霧に包まれて辺りが真っ 白になったかと思うと、急に晴れ夕陽が差し出し、眼下にキンタマーニ高原や遠くに アグン山が現れ、絶景が広がる。荘厳で感動しました。あそこには仏像も多かったで すね。理由はわかりませんが、一体だけカミの座っている椅子がありました。製造が 椅子より新しいので、奇をてらった作品かもしれません。謎です。  同志社大教授の小川光暘氏が発見したものですが、ジャワ島・チャンディチェトの メルには、三重塔のてっぺんに陽石(男性性器)が突き出ているのがあるそうです。 同じものは、バリ島テンガナン村の奥地や奈良の飛鳥座神社にもあります。またテン ガナンの奥地にあるプサ寺院には二組の建築群があって、割門付きのヒンズー教形式 の拝殿と日本の神社に似た形式の拝殿の両方があったと小川氏は伝えています。本殿 には装飾がなく、正面が開け放たれていて、中には寝台のような木製の台がただひと つ置かれ、背後にジャングルに覆われた山がこんもり盛り上がって見える。  これが面白いことに、昨年中矢伸一さんに紹介されてSUBUDHさんと訪れた、石上神 社(石上神宮ではない)の神殿形式とそっくりなんです。あそこにも装飾らしきもの はなかった。しかも礼拝法がバリと全く同じ。今まで日本では見たことがない礼拝で した。大三輪神社の原初的な神殿形式や礼拝方式も、ひよっとしたらこれと同じだっ たのではないかと思っているんです。何もない拝殿の向こうに三輪山が見えるだけの ね。これが、かつてAMA族がもたらした神殿形式や礼拝方式だったのではないかと ね。  アマ族の発音が「アゥマ」族だったことは、十分に考えられます。AMA族でもあ ると同時に、AUM族でもあったというわけでしょうね。  タロ村、面白そうですね。結婚の日の前日に突如「秘密の場所」に行け、という師 匠さんも、いかにも、という感じでいいですね。肝だめしじゃあるまいし、どういう 意味があったんでしょうね。成人儀礼のような、成長する(ある意味では不安を乗り 越える)ために用意された通過儀礼(成長シミュレーション)だったんでしょうか。 SUBUDHさんが逃げないことを知っていて、わざと不安をかきたてるような場所へ行か せる。そこで起こる不安からの揺さぶりを利用して、SUBUDHさんを新たな意識へと目 覚めさせようと促したのかもしれませんね。だとしたら呪術師ならではの戦略!  住民と一緒での礼拝を条件に、管理するマンクーの許可がないと入れないのは、ブ サキ寺院もそうでした。今度バリに行くときは、ぜひタロ村に行ってみたいと思って います。  SUBUDHさんによると、タロ周辺には「聖なる白い牛」がいる、とのことですが、放 し飼いの牛はテンガナン村の中央を走る路上にもゴロゴロいました。「むかしからい るんだってさ」と、バリの友人が教えてくれました(テンガナン村とタロ村は祭事の 際に交流がある)が、この牛、実は出雲系AMA族にとっては重要なトーテムなんで す。  スサノオは「牛頭天王」とも呼ばれていましたが、出雲族が日本国内で分散し、大 和朝廷成立後も一大勢力を誇っていた地方は、必ず牛の名産地になっています。例え ば、松坂牛や丹波牛や但馬牛などが、その典型的な例として挙げられます。諏訪地方 も出雲族の主要拠点ですが、日向族に追われていたタケミナカタは、戦闘を続けなが らの亡命だったため牛を引き連れて行けるどころじゃなかったみたいで、牛の産地に はなっていません。  また、伊勢地方に日向族より早く現地入りした出雲族は「蘇民」と呼ばれていまし た。「蘇」は、牛のバターを煮詰めて濃くしたものです(神道勢力を駆逐した仏教勢 力であるはずの蘇我氏にも、「蘇」という文字が入っています。私が両者の抗争をデ ッチ挙げられたものであると主張しているのは、蘇我氏が元々は同じ出雲族出身であ り、出雲族内部の過激派と穏健派の紛争が、両者と死闘を繰り広げた藤原鎌足・不比 等親子によって書き変えられているからです)。伊勢外宮の神官である渡会氏の祖先 は「乙乃古命」ですが「ウルのフルみこと」と呼びます。シュメール語では「ウル」 =「牛」、高句麗語では「フル」=「部族」の意味なので「ウルのフルみこと」=「 牛部族の長」ではないかという説があります。  また牛は、出雲系AMA族の葬儀に必ずといってもよいほど出てきます。バリでも そうですし、トラジャでは牛にとっては迷惑かもしれませんが、すさまじい生贄とし て葬儀に登場します。私はまだ写真でしか見たことがありませんが、屠殺者だけでな く観客も含め参加者全員が血まみれになるそうです。ウブドゥ村のカセット屋で、こ の儀式のビデオが売られていました。サンヒャン(カミを自らの身体に乗り移してク リスという剣で自虐的に身体を刺す。痛みは全く無いという)で血まみれになるバリ 人の宴と同じイベントをトラジャ族も持っているのだ、と私は考えます。  また、スマトラ島のミナンカバウ族でも牛は重要なシンボルで、かつては民族内部 での対立抗争では、互いに戦闘をして憎しみ合うのを防ぐため、闘牛で戦争の勝敗を 決めていた時代もありました。これはミナンカバウ族の女系社会ならではの話です。 いずれにしてトーテムである牛を登場させたり、それによって血まみれになったり誰 でも心の奥深く抱えている人間の内なる狂気の力を、祭事の場で公然と放出させるこ とで昇華させているのでしょう。  出雲系AMA族は、インドネシア〜フィリピンと北上し、台湾に上陸してからは” サンヒャン”の祭事が、”タンキー”に変化します。何度かTVで観たのですが、サ ンヒャンよりも血しぶきが激しい。タンキーは世襲制であるため、血しぶきをあげる 後ろには奥さんが武具をたくさん入れたカートを牽いて控え、トランスに陥っている 旦那の動きを冷静に目で追っていたりしている。武具といっても剣だけじゃなくて、 鋸から串のようなものから何でもある。カミ懸かって血まみれの旦那の要請の応じて 「はい」「はい」と淡々と武具を手渡している奥さんの光景は、私たちには異様に映 ってしまうが、彼らにはカミへの絶対の信頼があるので、不安が全く見られない。  出雲族の狂気の祭事は、日本国内に入ると縄文族のタタラ祭事と融合し、”血祭り ”から”火祭り”へと変化する。AMA族の本家本元に相応しく、アジアで最も激し く速く力強く活気や狂気に溢れているのは、やはり日本の祭りですね。火祭りのある ところは、だいたい出雲族が早い時期に到達した地点です。鞍馬の火祭り・那智の火 祭り・富士吉田の火祭りなどがありますね。日本でも実は殺牛祭があったのですが、 延暦十年(791) に日向系の桓武天皇が禁制令を出して禁じてしまいました。仏教面か らの禁令というより出雲系の天武天皇と深い関連のあった地域、すなわち殺牛祭や食 牛が盛んに行われた、伊勢・尾張・近江・若狭・越前諸地域での「漢神(あやのかみ )」(=出雲系の諸神)への祭祀を禁じることが目的でした。桓武天皇は、禁制令の 名目で全国の祭祀を統括する意図を有していたのでしょう。これは残念なことです。  これらの祭事は、全て人間ではなくカミに捧げられたものです。人間のモノサシを 超えてこそ祭事。本来抑圧された狂気の放出の場である祭事に於いて、消防法など様 々な規制を加え、純度の高いエネルギーを抑え込もうとする最近の日本の風潮は間違 っています。日常のストレスから生まれるノイジーなエネルギーが行き場を失い方向 性を見失いつつあるのは、通り魔殺人やバラバラ殺人事件の増加などを見れば明らか です。カミは、人間の影の部分に存在するエネルギーの道標でもあります。AMA族 は、そのエネルギーの有効な活用法を熟知していたのです。                                     一輝 - FARION MES(13):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<03> 94/04/21 - 01182/01184 GGA02514 KAZE 色彩の本質●万田酵素●ホリスティック教育 (13) 94/04/21 02:15 01181へのコメント 隆ちゃん、どうも。 >東京へ行かれるそうで… そういえば最近東京方面には行ってませんでしたねぇ。 仕事にかこつければ度々行けないこともないのですが、 どうも東京ってとことは人が多くて疲れるものですから、 よけいに腰が重くなって避けてしまうところがあります。 でも、今回はリリー博士の話を聞きたいなと思ったのとシンクロするように 仕事の話が発生してきました(^^)。 そういうときには、その機会にはきっと意味があるんだろうと 信じることにしてまして、出張することにしたのでした。 やはり、必要なことを、執着としてではなく、望んでいれば、 自分の潜在意識のどこかの働きで 必ず目的にかなったことが起こるのだと思います。 「求めよ、さらば、与えられん」っていうのはそいうことだと思います。 ま、東京へ行くっていうことはもちろん大したことではありませんが、 いろんなことで必要なことが必要なかたちで現実になるということを 実感させられることがこのところ、とみに多くなってきつつあります。 ですから、「必要なことは、必ず現実になるのだ!」ということを いつも信じていることが大事だと思います。 もちろん、それに伴う自助努力というのが 前提になることを忘れてはいけませんが。 >緑の葉の中に現れる赤や黄の花を眺めていると、そのコントラストに驚きます。あ >の緑からどうしてこんな赤が出てくるのか?。 色彩というのは非常に興味深いですよね。 シュタイナーによれば、植物の緑以外の色は「太陽」の働きだといいます。 …植物は黄、青、白、赤など、さまざまな色の花を咲かせます。また胡瓜のよ うに緑から黄色に移行する実もあります。植物は緑以外の色を表すようになる とき、何がそこに作用しているのでしょうか。…  植物が緑以外の色を表すとき、そこには太陽の光がそこに直接働いています。 …太陽が…緑を変化させるのです。緑に干渉し、緑を他の状態にするのは太陽 なのです。…  そこで、次のように問うことができます。−−「どの天体が地球に最大の影 響を及ぼすのか。太陽に対峙し、太陽の光が変化させ、消滅させ、他の色に移 行させる以前の、植物の色を生じさせたのは、一体どんな星なのか。植物界の 中に緑を生じさせるのは何なのか。」  それは太陽の対極にある天体、つまり月なのです。そして霊学は…植物の緑 とこの月の存在との間の関連を、ちょうど植物の他の色彩と太陽との関連を確 認するのと同じ意味で、確認することができます。…緑は植物に定着していま す。皆さんはその中に大宇宙の中に知覚するものの模像を見るのです。太陽の 光は輝いています。月の光は太陽の光の像です。その光像が、像としての色が 植物の緑として現れるのです。ですから、皆さんは植物の中に一方では太陽に よる輝きの色を見、他方では緑という定着した色を、像の色を見るのです。        ( シュタイナー「色彩の本質」(高橋厳訳/イザラ書房)より) 色彩体験について追求していくと、 色についての似非科学的な説明では満足できないというか 苛立たしくなってしまいます。 ちょうど、上記に引用した「色彩の本質」では、 ゲーテの色彩論に関連して次のような面白いたとえが語られています。 ちょっとおもしろいたとえなのでご紹介しておきます。 さて、近代になって物理学者たちも色彩の本質を研究するようになりました。 そして色彩論を光学の一分野と考え、物体における色彩の本質についても近 代物理学にふさわしい説明がなされてきました。「なぜ、この物体は赤いの か」という問いに対しても、まったくこの科学にふさわしい説明がなされて きました。或物体が赤いのは、その物体が他のすべての色を呑み込み、赤だ けを投げ返すからだ、というのです。−−これは近代物理学にふさわしい説 明に仕方です。なぜなら、それは論理的には、ほぼ次のように語るのと同じ ことなのですから。−−「なぜ、この人間は馬鹿なのか。なぜなら、この人 はすべての利口さを自分の中に呑み込み、馬鹿さだけを外に投げ返している から。」色彩の場合に通用させているこの論理を、もしも別の生活分野に適 応させるなら、このような面白い論理がまかり通ることになるのです。 >ちなみにわが家のチューリップとスミレは、植物と相性の悪いカミさんがいるにも >かかわらず見事に咲きました。これは、ひとえにEMのお水のおかげだと考えてい >るのですが、どうでしょうかねぇ?(^^;)。 その実際のところはわかりませんが、 うちでもEMの働きというのは目に見えてありますからその可能性は大でしょう(^^)。 EMを知ってからというもの、その「微生物」による「抗酸化作用」ということと シュタイナー農法の関係についてあれこれ考えていたのですが、 今度は仕事の関係で(今度の出張はその関連でもあるのですが) 「万田酵素」というのに今は注目しています。 先日、広島の因島にある万田酵素の工場に出かけて、 実際にそれについていろいろと話を伺ってきたのですが、 僕の見るところ、この万田酵素とEMというのは原理的に非常に近いと思いました。 万田酵素をつくった「松浦新吾郎」さんという方の登場する 「心のまんなか」というビデオの中で、「酵素」の働きを 牛のお腹のなかで反すうしながらミルクをつくりだすプロセスで 紹介してたりしたのですが、 シュタイナーなんかの説明から考えていくと、 「酵素」の働きというのは「大地」の働きのプラスの働きなんだと思います。 工場を魅せてもらいながら聞いた話で面白かったのが、 「万田酵素」を熟成させる(なんと3年3カ月以上かかるそうです)には 平地にしなければいけないということでした。 マンションのように何階建てかにすることはできないということ。 つまり、「大地」からのエネルギーを強く受けないと熟成されないということです。 この「万田酵素」は、 山深く自生する野生有用食料を原料に無農薬野菜、海草類、穀類など50数種 類を加え培養、発酵で熟成した製品 ということですが、それはEMと同じく、 農業や医療の分野でも確かな成果があがってきつつあるようです。 因島の工場には、おばけ大根やおばけかぼちゃなどがたくさんありましたし^^;、 大根の味もまるでメロンのようでそれが外見だということでもなさそうでした。 また、「万田酵素のガン細胞破壊活性に関する研究」などの研究、データ蓄積などを おこなっている「奥田拓道」という方が僕の地元にある 愛媛大学の医学部教授だというのも面白かったです。 ここらへんの学術論文などももらってきましたので、 ちょいと勉強してからまたそれについてはご紹介したいと思います。 しかし、この「酵素」と「大地性」という問題は、 日月神示などに書かれているような穀類をよく噛んで食べることにも繋がっていて 唾液という酵素でしっかりと食べものを「発酵」させることで 人間の体が大地性を取り戻すということだと思われます。 今後、そこらへんの問題についてもいろいろ考える材料がたくさんあって、 なかなか面白くなってきました(^^)。 >人生で与えられる試練の多くは、幸せの卵と言えなくもありません。それによっ >て、カルマがはがされてゆくという側面もありますし、苦しみは幸せに変容できる >ような気がしています。 やはり大事なのは「変容」ということなのでしょうね。 最近興味深く読んでいる教育関連の本に ●ジョン・P・ミラー「ホリスティック教育」(春秋社) というのがあるのですが、そこで提唱されている「ホリスティック教育」というのは 教師と生徒が単に一方通行でもまた相互行為的なのでもなくて、 いってみれば「相互変容的」とでもいえるようなもののようです。 僕が学校というところに「苦しみ」しか感じなかったのは、 そこには「変容」という要素が希薄だったからかもしれないと これを読みながらいろいろ考えていました。 この「変容」は教育ということに限らず、 すべてのことについて非常に大事なことなのだと思います。 「変容する幸せ」というのこそ、 「進化」ということに他ならないともいえるでしょうし。 >朝学校へ行くときも、こちらは、時間が迫ってくるので「さっさと用意をせんか >い!」と思うのですが、当のご本人は悠然と構えている。・・・。しかし・・・ >あ〜イライラする(^^;;;;。 そうしたことでも、よくよく考えてみれば、 そこには親と子が「相互変容」していくための 非常に典型的な材料があるわけで^^;、 「人生を学ばせていただいている」という実感がありませんか? 「お互いそれを学びのかてとして変容していきましょうね」 っていうことなのでしょう(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 01183/01184 HGB02764 EARTH WORK お久しぶりです。 (13) 94/04/21 09:57 01174へのコメント コメント数:1 KAZEさん、どうも。 22〜24日に東京に来られるということですが、オフ参加しますよー。 23日待ち合わせの場所と時間を決めてください。 取り急ぎご連絡まで。 ぎりぎり駆けこみのearth workでした。 01184/01184 GGA02514 KAZE 23日のオフ関係はMES4で (13) 94/04/21 13:10 01183へのコメント EARTH WORKさん、お久しぶり。 お元気でしょうか? さて、23日のオフに関しては、 MES4のオフの会議室に情報がありますのでご覧下さい。 突然決まった上京ですので、まだ正確ではありませんが、 ●土曜日夜19時に新宿の京王プラザの1階ロビー ということになりそうです。 それと、仕事の打ち合わせは夕方までに終わると思いますので、 たぶん4時か5時頃から時間はとれるはずですので、 もし時間があるようでしたら、その頃どこかで待ち合わせしてもいいです。 仕事の打ち合わせは、信濃町駅の近くの南元町でありますので、 やはり新宿の近くがいいような気もしますが。 では、楽しみにしています。 PS EARTH WORKさんの名前で、岳同さんを思い出してしまいました。 岳同さんはオフのこと知ってるかな? ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES(17):★パワフルなえ★の《おふくろ通信》--<01> 94/04/21 - 896/896 JBH02324 なえ 元気録ぱわー《叱られる》 (17) 94/04/21 09:48   《 叱られる 》  「叱られたのではない 育てられたのだ」  そう自分の心に言い聞かせています  厳しく叱る それは相手を思う気持ち  親は切なく痛い 心を鬼にして意見をします  叱られて嫌だ と思うから うるさい 邪魔だ  やかましい 憎い・・そんな気持ちが生まれます  叱られたのではない 育てられたのだ  見込みの無い者には 叱る事もありません  苦労苦労と言いますが 見込みのある人ほど  叱られ 責められ やかましく言われれるのだと  気持ちを切り替える事が幸せへの転換なのです  そして例え相手が誰であろうと   叱られたら育てさせて貰うチャンス  そんな気持ちになれたなら 苦境という言葉は  辛いという状況は失せてしまうかも知れません  人生は永遠の勉強です 謙虚な気持ちが心育てます - FARION MES(18):★あもりの二人三脚ネットワーク------<01> 94/04/21 - 00909/00909 GDB00064 オリハル RE:質問>桂さん (18) 94/04/21 01:41 00908へのコメント 私は一応当事者ではないが、発言当事者でもある。 やはり、桂桂さんの言葉は非常に分りやすい。 他の方もこのように明快に記述してほしいと思いました。 これは私個人の意見として。                    オリハル - FARION MES( 2):【居酒屋1999】自己紹介・雑談--------<09> 94/04/21 - 02053/02053 VFD03722 アステア 自己紹介と質問 ( 2) 94/04/21 20:43 はじめまして。 色々な情報の中から、どうしたら正しい情報を選ぶことができるのか。 この世に生まれて来た時に持って来たはずの”青写真”、つまり、 本当の自分を生きるって今の世の中むつかしい。世間の流行とかマスコミ 等に影響されることなく自分の価値観を持って、自分本来の素直な生き方が したいけれどどうすればいいの??? 自分らしい生き方、自分探しをしていきたいと思っています。 どうぞよろしくお願い致します。 ところで、早々に質問したいのですが。 『メディシン・ウーマン』『イーグル・ウーマン』『ジャガー・ウーマン』 (分類としては、心理学の中の’心霊研究’に入っている)他に、Windhorse Woman, Crystal Woman 等の著者で、アメリカ先住民のメディスン・ウーマン (女呪術師)について修行をした後、「シャーマンの道」を生活信条とし、 現在ロサンゼルス在住で著作活動、カウンセリング、講演等を行っている リン・アンドルース Lynn Andrews について(現住所もしくは連絡先も) 知りたいのです。質問はこの会議室でいいでしょうか。情報よろしくおねがい します。                ハンドルネーム アステア - FARION MES( 4):【宴会/オフ】プラン・レポート------------<02> 94/04/21 - 543/546 MHF01607 える RE:で、結局、京王プラザ1Fなのかな? ( 4) 94/04/21 18:44 542へのコメント コメント数:1  それでは、今からではもう他の案が出ても連絡がうまく いかないでしょうから、「夜7時に京王プラザの1階(にあるで あろう)ロビー」とゆーことにしませう。。。  9時頃からなら...って方はTAOさんがUPされている 南口のところです。                            えるっ 544/546 MGH00465 アキラ RE:で、結局、京王プラザ1Fなのかな? ( 4) 94/04/21 20:08 543へのコメント  んと、京王プラザってのは、下の階が、新宿西口から地下道歩いていった ところの道に、建物のはじっこで面していて、このフロアーと、それから、 その上の道に面している、前記のフロアーより上のフロアーがあって、こっ ちがメインエントランスになってます。んで、どっちが1Fと表記してある か覚えてないんで、場合によっては、上下のフロアーでいき分かれになって しまうかもしれん。  ということで、上のほうの、メインエントランスから入ったところのロビ ー前で待ち合わせたほうがいいと思いますです。   | |            |下|       ▼がメインエントランス   | +−−−−−−−−−−−−+の|   | |            |道|   | | 京王プラザ▼     | | −−+ +−−−−−−−−−−−−+−+−−        上の道             −−−−−−−−−−−−−−−−−+−+−−                  | |                  |地|                  |下|                  |道|         ↓新宿駅西口方面  ちなみに、私は半分仕事なんで、最後までぱーちぃに出たいので、9時に 新宿駅南口待ち合わせのほうに行きますです。  どーぞよろしく。                            MGH00465 アキラ 545/546 JCF00616 YUI では、三省堂書店本店(神保町)で.. ( 4) 94/04/21 21:59 541へのコメント コメント数:1  待ち合わせということに致します。  入口付近に10時頃、ふらふらしています^^; ので、  見掛けたら、声を掛けてください。  服装は紺色のブレザーにブルーのジーパンになると思います。  それと、友人を一人程(2人になるかも)連れて行きますので、  よろしくお願いします。  どなたか参加される方がいらっしゃいましたら、  事前にこれにコメントして参加表明して頂くか、  直接10時ごろに三省堂書店本店入り口に来てくださいね。  でも、そのときはなるべく早めに来て頂いて、私に声をかけてください。  (最初は東京国立近代美術館にしようかと血迷ったYUI でした ^^;)  何をするのかは決まってませんが、  多分喫茶店で1、2時間ほどお話しをする予定でいます。  また、なにか良い案などございましたら、お願いします。 p.s.お昼頃までになりますが、昼食はどうします??>KAZEさん YUI 546/546 GGA02514 KAZE 24日は三省堂入口で、ということで ( 4) 94/04/21 22:21 545へのコメント YUIさん、どうも。 では、24日は 「三省堂書店本店(神保町)の入口付近に10時頃」ということで(^^)。 僕のほうはたぶん、ブラックのジーンズに 深めの緑のジャンパーを着てると思います。 「何をするか」は??ですが、 とにかく近場の喫茶店で珈琲でも飲みながら考えましょう。 神保町だと、僕がわりと寄ってたのは書泉グランデの隣の 地下に降りていくところにある珈琲屋さんですが、日曜日は閉まってるかも。 ま、そこらへんにはいくつかましな珈琲屋さんはあったと思いますのでそこで。 「昼食」ですが、どうしましょう。 もしどこかご存知でしたらそこで。 以前神保町駅の岩波ホール側の裏あたりに タイ風カレーのお店でココナツカレーを食べて美味しかった記憶があるけど ひょっとして日曜日は空いてるかどうか?ですね。 ま、近場を探せばどこか見つかるでしょう(^^)。 でも、なんだか高校生づれのおじさんって妙かも知れないなぁ^^;。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES( 6):・壁(1)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 94/04/21 - 02341/02341 PAF02400 湖の鷹 会社のこと・・・ ( 6) 94/04/21 21:17 月曜日、久しぶりに会社を辞めたいと思う。 成り行きとはいえ、受け持たされた“役割”と押し付けられた“部下”いうの にウンザリしてしまったんだな。 いかに管理構造上当然の事だと言われても、毎度毎度、オーム返しに『出来な い・分からない・無理です・他に回して頂戴、エトセトラ・エトセトラ、・・・』。 あたしには、そうとしか答えられないって毎度のように言っているのに、飽き もせずに来やがってからに・・・。だもんで、持って来た仕事は全部やる(も ちろんお望みの期日までにだ!!)、なおかつ、私がやるべき管理上の職務も とどこーりなくやろうじゃないかっ。だからあたしを下階(・_・;)に戻せぇ。 ・・・、と言ったのは2週間前だったか。用事にカコつけて結局その時は言い 逃げした格好になったのだった。相手が会社の責任者として、それなりに深刻 そうな顔をしてたのが印象的だったな。それと何か言いずらそうにしてたとこ ろを見ると、何か言いずらかったんだろうなァ、とか思ってたりするのだが、 結局その時は説得の余地を与えないことに成功?してたので、う〜ん、なんだ、 もしかすると、いまとは別のことを考えてたのかも知れない。これまた、その 時の“考え”いうのは闇の中、恐らく私が知ることになるチャンスはもうある まい。まぁ、彼がどんな手札を持っているかぐらいは知っているから、聞くま でもないと言ってしまえばそれまでだけど・・・。 さてさて、月曜日だぜよ。再度、上申しにいったら今度は事務的にあっさりと “編成変えをしよう”と答えてくれたのだった。う〜ん、こっちの方が結構、 意外だったな。別な意味で悩み抜いての決断だったに違いない。う〜ん、やぱ し、決定までに日を置くと物事ってのはスムーズにすすむもんだなぁ、と思っ たりしたのだが・・・。 う〜み、会社を辞めたいと強烈に思ったのは、その後なんだよな。ある意味で は自分の願った方向だったにも関わらず・・・、うんうん、人の心の動きって のは分からないもんだな。上の人も私が納得すると思ってた。私も私が納得す ると思ってた。だけども私はその裁定を受け入れるのに躊躇した。 さて火曜日だ。一晩寝たら、会社を辞めたいなんて気はすっかり失せてたな。 その日は「あぁ、能無しの部下から開放されただけで、こんなにも仕事がはか どるのものなのか!!」、と感動してしまったのだった(←、性格疑われるか な(^^;))。 *********************************** う〜ん、それにしても、5年間か。私もよくぞ我慢したものだ。逆に言えば私 の堪忍袋の緒を切るにはそれだけの歳月が必要なんだろうな。もっとも、これ は決して長い時間とは言えないのだが。『おしん』を美徳と感じるような社会 では全然短いぞってな言い方も出来るしね。 *********************************** まぁ、なんだ、またもや会社を辞められるチャンスいうのを逸してしまったなぁ、 というお話しでした。個人的な勘定で会社を辞められる人間が羨ましいと常々 思ってしまうのは、恐らくそれこそが私の「無いものねだり」なんだろうな。                              湖の鷹 ps. てな訳で、うまいこと無能なる部下から開放されて、ますます居心地の良   い会社に・・・、なんて喜んで良いのかな?。もしかすると悲しむべきな   のかも知れん。 ps2.どうでもいいけど、ちと書き込む時期を誤ったな。先週書き込めれば良かっ   たのだが事が起こったのは今週だ。書き込みをもうちょい後に延ばしたら、   ・・・、う〜ん、多分書き込もうという気も失せてるんだろうな。という   わけで、今、書き込んだら、対比になってしまうんだけども、まぁ、なん   だ、しゃあないか(^_^;)。