- FARION MES( 2):【居酒屋1999】自己紹介・雑談--------<09> 94/04/27 - 02062/02064 PBB00456 FLYING V RE:初めまして!あの上田からです!! ( 2) 94/04/26 20:48 02060へのコメント はじめまして、純子さん。(^_^;) 私も、なんか面白そうだな、と思って最近このフォーラムに入会させていただいた ばかりの者です。 お役に立つかどうかわかんないのですが、色について聞きかじった程度のことでしたら お話できるかと思います。 では、早速・・・。 ※色の中でも、基本的なものは、白・黒・赤だといわれています。 特に赤は、古くから「魔除け」「厄除け」の呪術色でもあったそうです。 何でも今から4000年前の古代オリエントでは、魔除けのために赤土をくちびるに 塗ってたとのこと。(今の口紅とはえらい違いですね。(^_^;) ※文化人類学、民族学などの分野では人間にとって、基本的な色を上記の3色として いるらしいです。 特に白と赤は生命活動と深くむすびついた側面を象徴し、黒は一般に白赤の反対色 として死、凶、悪などの象徴とされているようです。 ※一般に白は受容的、黒は否定的であり、これに対して赤は白黒いずれに対しても 両方の意味をもつことがあるとのことです。 ※さらに日本語の「くろ」「しろ」「あか」の語源は、 「くら」かった夜が「しら」み、空が「あか」るくなるという日々繰り返される自然現象に 由来しているらしいです。 引用は「配色事典」(河出書房新社)からでした。 このフォーラムでは私も新入生ですが、毎日とても豊かな気分にさせてもらえます。 この居酒屋1999も居心地が良くて、入り浸ってます。 13番会議室なども覗いて見られてはいかがでしょうか? 私もついこの間からお邪魔し はじめた所です。 また何か仕入れてきたら、お知らせしますね。これからもよろしくお願いします(^_^) FLYING V 02063/02064 KHC03120 坂本 大策    本で知りました! ( 2) 94/04/27 08:43 はじめまして。 どうぞよろしくお願い致します。 興味のあるテーマは、 フリーメーソン結社、 国際陰謀・ 黙示録などです。アリオン 世紀末書き込み寺という本の付録で登録させていただきました。 02064/02064 SDI00635 みれ RE:初めまして!あの上田からです!! ( 2) 94/04/27 08:48 02060へのコメント  #02060 純子 さん  ようこそ世紀末フォーラムへ!!  お尋ねの件には関係無いのですけど、最近上田、真田方面に2度ほど 続けて訪問しましたので、なんだか親近感を勝手に感じてRESしてし まいました(^^;)  私の訪問の理由は真田氏について調べることでした。  主に真田氏の前身である滋野氏と海野氏について知りたかったんです が、それは滋野氏が今で言う医学を呪術・妖術の形で伝承していた家系 であったという文献を見つけたからです。  もし、真田氏(滋野氏・海野氏)のこと何か御存知でしたら、教えて くださいましねっ(^_-)-☆  では、FARIONでお楽しみください。          ★世紀末フォーラム/SYSOP/SDI00635/みれ(北川恵子)★ - FARION MES( 4):【宴会/オフ】プラン・レポート------------<02> 94/04/27 - 556/561 KHC01313 まるにちょん 上京します ( 4) 94/04/27 00:24 コメント数:1 こんにちは、まるにちょんです。 最近、東京へ行きたいって思っていたら、急 に上京することになった。 理由は、母君が、3年前上京した次男の生活 ぶりをみたいと言うことと 戦死した父親の慰霊のために靖国神社に参拝 したいと急に言い出したからだ。 日程は、4月29日から5月1日の2泊3日 である。 できれば、30日の夜に関東のみなさんにお 会いできればうれしいのですが。どなたか、 オフの段取りなんぞをしてくだされば幸いで す。  なにぶん急な上、先週末にKAZEさんの オフがあったばかりなので、無理かなあ。  それに、連休はじまって、いろいろ予定も あることでしょうから・・・  世話の焼けるお願いですが、どなたかお願 いします。でも、無理はいいません。                               まるにちょん、○<ゝ 557/561 HGC02325 ガッチャ RE:上京します ( 4) 94/04/27 00:41 556へのコメント コメント数:2  ほほい、30日の夜ですね。  30日といえば、連休の最初だったりしますが、毎年遠くへは行かないで日帰り  ばかりの私ですから、たぶん30日もOKという事で、段取りしてしまいます。  という訳で、30日6:00頃から、『まるにちょんさん迎撃オフ』を開催した  いと思います。  ご希望の場所(例えば新宿とか渋谷とか東京とか品川とか)や、どいう宴会(勝手に  宴会と決めているけど(^^;))が良いか、希望を聞かせて下さい。  N地さんに色々報告してくださるまるにちょんさんの上京ですから、アキラさんも  参加される事でしょう(^^;)                             HGC02325 ガッチャ 558/561 HGC02325 ガッチャ RE:上京します ( 4) 94/04/27 01:05 557へのコメント  今RTでまるにちょんさんに聞いたら、開始は6:30が都合が良いとの事です  ので、開始は6:30からとします。  #557で言い忘れましたが、参加者はお早く#557にRES付けて下さい  ではでは                      HGC02325 ガッチャ 559/561 NBB01420 SUKE オフその後 ( 4) 94/04/27 01:47  遅ればせながらKAZEさん迎撃オフお疲れさまでした。  今回は誰が来るかよくわからないオフでしたが、待ち合わせ場所で最初に会ったのは  AKITU=☆=ALPHAさんでした。  KAZEさんやEARTH WORKさんは初めてお会いしたのですが、いろいろなお話が出来て、  とても良かったなぁと思っています。  それから峰岸さんもお初でした。峰岸さんの感動の姿を見ていて、こちらまで暖か  ものを頂きました。  わっきぃさんも初めてでしたね。なかなかハイパーな御仁でらっしゃる(^^;)、でも  笑顔の向こうに強さが隠れている人なのですね(^^)  二次会に繰り出した面子は、散々飲んだ挙げ句にAKITU=☆=ALPHAさんのお車に  ご厄介になったのでした(^^;)  忙しい毎日に溺れそうだった私としては、今回のオフはとてもいい体験に  なりました。皆さん、どうもありがとう!  また次の機会もよろしくお願いします!                      (^^)…☆ッテナモンダ Suke. 560/561 SDI00635 みれ RE:上京します ( 4) 94/04/27 08:48 557へのコメント  #557 ガッチャ  早速の幹事さん立候補、ありがとう(*^^*)  あたしも出来るだけ出席しま〜す>オフ  で、場所は…池袋か新宿あたりが個人的には便利でふ(^^;)  あと京浜東北線沿線もOKです(と言っても横浜方面は勘弁(^O^;))  時間的に言っても、やっぱ…居酒屋さんかな?  以前、よく池袋近辺で使ってた居酒屋さんあたりでも良いよん。  以上、個人的希望を述べさせていただきました、宜しくっちゃね>ガッチャ   ・:*:・みれ・:・。,★ 561/561 GBD03557 シゲ 誰かさんは究極のお馬鹿 ( 4) 94/04/27 17:14 >541/541 GGA02514 KAZE では、24日の場所はおまかせします(^^) >542/542 GGA02514 KAZE で、結局、京王プラザ1Fなのかな? この辺のタイトルだけ見て、24日に京王プラザに行ったのはなにを隠そう僕です。 ちょうど維/YUIちゃの実家に行ったので「あ、そうそう、今日はオフだ」と 新宿へ向かったのでした・・・。 - FARION MES( 6):・壁(1)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 94/04/27 - 02343/02343 GBD03557 シゲ 名古屋の事故の独り言 ( 6) 94/04/27 17:14  エアバスA300−600Rを含めて、A300やA320って オートスロットルのままでオートパイロットを解除してマニュアル 操縦してしまうと、機首が大幅に上がるんだよなぁ。  失速してもおかしくはないよなぁ。  このことをTVとかで言わないのは何か問題あるんでしょかね。 まぁ、現段階で安直には物言えないけど・・・。 (オートスロットルのままになっちゃうあたりにエンジンの不具合 がありそうだ・・・) - FARION MES( 7):★アリオン世紀末書込み寺------------<02> 94/04/27 - 02142/02143 PXH01650 英雄 一致 ( 7) 94/04/26 23:15 コメント数:1 先日から、ハロ―メッセ―ジの内容が、再び「麒麟」になった。 前回の時(本年1月,2月)、日本国内外で、火の災害や事故等の混 乱が起きていた。 そして、今回は、社会党の離反、飛行機の炎上事故。 何か関連があると考えるのは、無意味なことだろうか....? :英雄: 02143/02143 SDI00635 みれ RE:一致 ( 7) 94/04/27 08:48 02142へのコメント  #02142 英雄 さん  こんにちわ、いつも書き込みを興味深く読ませて頂いてます(^_^)  不思議な符合については、私も英雄さんと同様に感じています。  麒麟だけじゃなく、以前龍のメッセージの翌日に鹿児島で竜ヶ崎 での惨事があったり…。麒麟や龍のハロー・メッセージが出たら、天変地異 や政変などの社会的な事象が起こるという風に見えますよね。  ただ、それを尋ねても微笑んでいるだけのARIONなので、確証 を得ることは出来ないのですが…。  もう一つ不思議な符合があって、それは去年カミゴトで熊本に出か けた後に、熊本から細川首相が誕生し、今年信州上田にカミゴトで出 かけた後、羽田首相が誕生したことです。  何もかもを関連付けて考えることが嫌いな私でさえも、上記に挙げ た事々に関しては…(-_-;)ウウム…です。  ところで…  今年になってから、ARIONが私に言ったことの一つにこういう のがありました(この話も、今日になってやっと公開の場で話すこと ですが…)  「預言という形で事前に色々と報せても、あなたがたは対処の方法を真剣に考   えることもせずに、預言の真贋を問うてみたり、はたまた私達神霊族の出自   を疑ってみたりと、他のことにかまけて忙しい。   ならば預言という形では無く、分かりにくくなるが毎日一行ずつのハロー・メッセー   ジで報せるようにすると、「分かりにくい、あれは本当にARIONの言葉   なのか?」と言う。では預言という形で予め何事か起きる前に報せるのも止   めてしまう方が良いのか?と言うと「分かっているのに教えてくれないのか?   そんな冷たいこと言う天使なんて嘘だ」と文句を言う。   結局、何を以ってしても不足を感じる、不平不満ばかりで何事も自ら為さな   い者には、何を話し掛けても無駄であると判断するしか無いのだろう。私は、   ハロー・メッセージと時折会議室で、ただ黙って預言とその対処方法を唐突に掲載す   ることにしよう」  …とまぁ、 こういうことですから、尚のこと預言については答え て貰えそうも無いわけなんですが、まぁ、分かる人に分かれば良いと いう考えなんでしょうねぇ…最初っからARIONはそう言ってたっ て話もありますけど(^_^;)  これからも面白いお話を続けてくださいね、縦横無尽に会員同士が ARIONのくれた情報について、また個々の経験について話し合っ てゆくことをARIONも望んでいるのですから、英雄さんの書き込 みの感じでピッタリなんですよ。      ・:*:・みれ・:・。,★ - FARION MES( 9):★TAO の《神々の曼陀羅》―美と信仰と史― 94/04/27 - 146/146 JBH02324 なえ ありり ( 9) 94/04/27 17:28 145へのコメント  やっほ。YAHATAさん。  お飾りね、あたしの書き方がまずったね。ごめんしてね。  実は陰陽の四神の意味を知っていたかって事を言ったので、  鏡が飾りだってのでは無いのよ。鏡は大事だけど、柄の意味  まで知って使ったか・・。という点ね。  でも、光通信なんて凄いねぇ。のろしよりも効果的なんだろ  か。(^^; - FARION MES(13):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<03> 94/04/27 - 01202/01209 PBB00456 FLYING V RE:「相互変容の積極的な場」へ、ようこそ (13) 94/04/26 19:52 01192へのコメント コメント数:1 KAZEさん、お疲れさまでした。 東京にてオフが開催されたとのこと、ご出張で行かれたとのことだそうで、 お疲れさまでした。 私も毎月1週間程度は上京していますので、今度の機会には参加させていただければ 幸いに存じます。 (私は岡山から地を這って行くのですが、新幹線って腰に厳しい・・・) この半月余りの間に、あまりに様々の分野のお話を聞けたり、本を読んだりそして久々 にパソコン通信を再開したり、特にこのフォーラムに入会させていただき、いろいろな 出会いが始まろうとしていることを、何だか素直に喜び、感謝しています。 私の意識が 、「自分を相互変容の場に連れだそうとしている」そして「様々な機会を 通じて、自分のアンテナを拡げようとしている」のを実感します。それに最近では 携帯電話なども持ち歩くようになって、これも本当に使い方さえしっかりしていれば コミュニケーションのステージが広がるって感じです。 (私はパソコン通信普及会とか携帯電話振興会の人間ではありません・・・) なんだか人に逢うことが楽しみで、毎日がすごくワクワクしています。 もちろん問題がないわけではありません。私が研修で受け持った「可愛い弟・妹達」 は全国から毎週のように、電話や手紙が寄せられてきます。 (なんだか、うさん臭い広告のコピーみたいだ (^_^;) 職場、組織の矛盾、人間関係など・・・我々より下の世代は、もっと直観的に物事の本質 みきわめることができるので、敏感に思い煩うことが多いようです。 いつの間にか、彼らの私設カウンセラーになってしまったのですが、ちょっと前までは それをまともに受けてしまって、かなりやり切れない状態でした。しかし今は、 「私自身の自由な感情」を大切にしたい、そのことによって、私の回りの人々に、良い エネルギーを感じてもらうことが、何にも代えがたいことのように思います。 (表現力が乏しくてすみません) 決して無理して、楽しそうに振る舞うのではなく、コミュニケーションを心から楽しみ 「相互変容の積極的な場」を創造していきたいと思います。 私の知人が1年ほど前 、手紙でこんなことを教えてくれました。 > 空海はおおらかな人で、「我がいのちが役に立つならば、いのちを助けよ!」と、  > 叫んで 断崖から飛び下りて一命をとりとめたそうです。私たちはそんな物騒な  > 真似をするのではなくて、今の時を充分に楽しむことです。そうするとある日、  > 幸運が別の顔をして貴方の扉をknockするんです・・・自分自身を楽しむことが > 出来る人が次の平和と調和の時代をつなぐ人なのです・・・。 今、心からこの言葉が実感できるようになった思いです。 自分のことばかりで、ごめんなさい。 ※KAZEさんのおっしゃるとおり、私は1960年生まれです。殆ど同世代でございますので 今後ともよろしくお願い致します。 あ、それと「朱に・・・」より「青は・・・」 の例えは 私のオリジナルですので、どうぞ遠慮なくお使いください。 (今なら特別奉仕期間中につき、無料で引用可能です!)(^_^;) ※あと、いくつかオリジナル持ってますので、次の機会に聞いて下さい。もちろん   適切なご助言をいただければ、さらに幸いに存じます。 相変わらず、とりとめもなく失礼致しました。                                 FLYING V 01203/01209 GGA02514 KAZE 「空気」からの自由 (13) 94/04/27 01:29 01201へのコメント 隆ちゃん、どうも。 >なかなか充実したオフだったようで、良かったですね(^^)。 しっかし、僕も数年前とはブレイクスルーしたもので^^;、 なんとか人に会ってもそんなに疲れなくてすむようになりました。 そういえば、ベルリンの壁が崩壊する前あたりまでは(変な例だなあ)、 僕はほんとうに人と極力会うのを避けるライフスタイルだったんです。 別にそのころと今とが性格がそう変わっているわけでもないのですが、 なんだか人間にはそのときどきに応じたあり方が求められるようで、 ほんとうに不思議なものですね。 >考えてみると、僕がこのフォーラムで直接お話した事がある方ってKAZEさんだけ >なんですね。パソ通って不思議だ。 そういえばそうなんですよね。 そして、何故か隆ちゃんには2度も結構ちゃんと会ってる(^^)。 もっと不思議なのが、僕の方が結構いろんな人に会ってるということですね。 そういえば、松川さんに会っているのも僕くらいのものかもしれませんね。 いやいや、TAOさんは九州旅行の時に会ったようではありますが。 繰り返してしつこくいいますが、 ほんとうにいろんな人と会うようになったものだと 自分でも感心するくらいです^^;。 >注文していた本が届きました。とりあえず、比嘉さんと船井幸雄さんの本を読んで >(EMは非常に興味深いですから)、その後、東さんの本をゆっくり読もうと思っ >ています。 比嘉さんの本は、ほんとうに読んでも絶対に損しない本だと思います。 船井幸雄さんのは、いろんな情報がぎっしり詰まってるわりには、 非常に読みやすいですよね。 東さんの本は、そいえば、YUIさんと輪読会の約束をしておきながら、 なかなか始まられないでいます。 YUIさんに会ったときに、ちょうど書泉グランデで、東さんの本を前にして、 ちゃんとそのうち始めるようにするからと改めて約束したのでしたが、 果たしていつ始められることやら(がんばらなくてはね)。 隆ちゃんも、読まれたら、その進め方について提案してくだされば、助かります。 >極端な事を言うと、一人一人がそうやって自分の足元を固めて行かない事には、 >国が(と言うより地球が?)ダメになってしまうような気がします。 そうですよね、みんなが「自分だけはいいんだ」なんて 無責任なことを言っていると、 それが集まって「足下」がふにゃふにゃになってしまう。 「みんなで渡れば怖くない」式の発想っていうのも、結局は この「自分だけはいいんだ」の裏返しで、どちらも無責任なんですよねぇ。 松川さんの部屋でちょっと前に、 山本七平さんの名著「空気の研究」(文春文庫)についてコメントしたのですが その場の空気に迎合していくのって、危険ですよね。 そうした「みんなもそう思っている」とか 「みんながそうなんだから」っていうのは 自分の主体的な自由意志を自らが放棄することでもあるんですよね。 主体的な自由意志というのは、もちろん「自分だけはいいんだ」というのとは 反対のことであるのはもちろんのことです。 ということで、そのときに引用した山本七平さんの「空気の研究」を もう一度ここで紹介しておくことにします。  一体、以上に記した「空気」とは何であろうか。それは非常に強固で ほぼ絶対的な支配力をもつ「判断の基準」であり、それに抵抗する者を 異端として、「抗空気罪」で社会的に葬るほどの力をもつ超能力である ことは明かである。以上の諸例は、われわれが「空気」に順応して判断 し決断しているのであって、総合された客観情勢の論理的検討の下に判 断を下して決断しているのでないことを示している。だがこの基準は口 にされない。それは当然であり、論理の積み重ねで説明することができ ないから「空気」と呼ばれているのだから。従ってわれわれは常に、論 理的判断の基準と、空気的判断の基準という、一種の二重基準のもとに 生きているわけである。そしてわれわれが通常口にするのは論理的判断 の基準だが、本当の決断の基本となっているのは、「空気が許さない」 という空気的判断の基準である。(22P)  では一体この「空気」は、どのようにして醸成され、どのように作用 し、作用が終わればどのようにして跡形もなく消えてしまうのであろう。 これを探求する一つの手掛かりは、だれかが、何らかの意図のもとに、 ある種の「空気」を意識的に醸成した場合である。言いかえれば、議論 が議論そのものよりも、明らかに、議論によるある種の「空気」の醸成 を狙っている場合である。通常「空気」は、このような人工的操作によ って作られるものではなく、言葉の交換によって、無意識のうちに、不 作為に、いわば自然発生的に醸成されるから「空気」なのだが、それは ある種の意図を秘めた作為的な「人工空気」の醸成が不可能だというこ とではない。(23P) 「『空気』の研究」とともに、これまで記してきたことは、一言でいえ ば日本における拘束の原理の解明である。ある状態で、人は何に拘束さ れて自由を失うのか?なぜ自由な思考とそれに基づく自由な発言ができ ないのか。そしてその状態にありながら、なぜ「現在の日本には自由が 多すぎる」といえるのか。なぜ「譲れる自由」と「譲れない自由」とい ったおそらく世界の「自由」という概念に類例のない、まことに不自由 な分類が出てくるのか。それはおそらくわれわれが、「空気的拘束的通 常性」の中の、どこに「自由」という概念を置いてよいかわからないか らであろう。(165〜166P)  我々は確かに「世界の趨勢」を追っかけて来たし、これが「趨勢だ」 ですべてがすんだ時代には「自由」は「不能率」の同義語として笑殺し てよかったし、その方が問題が少なかった。ただ、この方法が通用しな い位置に達したとき、その「何かの力」は方向を失い、新しい臨在的把 握の対象を求めて徒に右往左往し、衝突し、狂騒状態を現出して自らの 「力」を破壊的にしか作用し得なくなって当然である。その力は破滅と 知りつつ外部に突出もしようとし、内部的混乱で自壊することもあろう。 そしてその時にそれから脱却しうる唯一の道は、前述のあらゆる拘束を 自らの意志で断ち切った「思考の自由」と、それに基づく模索だけであ る。−−まず「空気」から脱却し、通常性的規範から脱し、「自由」に なること。この結論は、だれが「思わず笑い出そう」と、それしか方法 はない。  そしてそれを行いうる前提は、一体全体、自分の精神を拘束している ものが何なのか、それを徹底的に探求することであり、すべてはここに 始まる。(189P) 僕が神秘学をまがりなりにも探求している学徒であると自称してるのは、 この「自由」を探求することを自分のテーマにしているからです。 >カルマというと、何か特別な事のように思いがちですが、結局は生きている事その >ものだったりするのかもしれません。 そうねんですよね、カルマというのは我々が生きている条件そのものなんです。 その条件の中で活動する自由が与えられているわけなのです。 そういう意味では、その条件がなければ「自由」はないともいえるのです。 また「カルマ」は、我々の関係性そのものでもあります。 この世に生まれでているのは、こうしてさまざまに関係している人たちとの 関係性という「カルマ」があるからともいえるわけです。 シュタイナーによれば、同時代人というのは、 前世においても同時代人だったということなのだそうです。 ある地上生においてある人とともにいるなら、その人と前世においてもともに いたし、さらに前世においてもともにいたのだ。ずれが生じることはあるが、 少なくとも一般的にそうである。 ある人間集団が一定の間隔で受肉を繰り返し、べつの人間集団も一定の間隔で 受肉を繰り返しています。その二つの人間集団はたがいに離れており、地上で いっしょになることはありません。死と再受肉のあいだの生においてはともに あります。地上生では、いつも限られた人々のサークルとともに地上に下りま す。繰り返される地上生にとって、同時代人は内的な意味、内的な重要性を持 っています。             シュタイナー「カルマの形成」(イザラ書房)より >変容させる事の重要性をひしひしと感じます。とんでもないものに変容させちゃ >ったら、かえってペケかなぁと一瞬思いましたが、それでも、固定化しているよ >りはましかも・・・(^^;)。 諸行無常の響きあり・・・で、行く川の流れは絶えずして・・・ですから すべては一見固定しているようにみえても、それは思いこみなんですよね。 人間の身体だって7年ですっかりと物質的も変わってしまうくらいです。 物質的にみれば7年前の自分というのはまったくの別人だともいえるわけです。 願わくば、その「変化」が、進化の良き流れに沿った「変容」となりますように。 そう祈りたいものです(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 01204/01209 GGA02514 KAZE 自他ともに楽しむこと (13) 94/04/27 01:29 01202へのコメント FLYING Vさん、どうも。 FLYING Vさんは岡山の方でしたか。 僕は四国は松山におります(^^)。 岡山方面にはわりと出かけることも多いですから、 機会があればお目にかかれれば幸いです。 お話をお聞きするにつけ、同じような立場にあるようで、 いろいろ有意義なお話をお聞きできるかなと期待してしまいます。 そういえば、この連休の後半は広島の尾道方面で過ごす予定ですが、 そこらへんから岡山までって、1時間ほどなんですよね。 このお正月にも岡山の吉備神社や国分寺なんかに行ったところです(^^)。 >私の意識が 、「自分を相互変容の場に連れだそうとしている」そして「様々な機 >会を通じて、自分のアンテナを拡げようとしている」のを実感します。 僕もここ数年前からそういうことを実感し続けています。 そして一度アンテナを拡げ始めると、もうそれ以前には戻れなくなります。 それを「気づき」というふうに呼んでもいいのかもしれませんね。 >なんだか人に逢うことが楽しみで、毎日がすごくワクワクしています。 ううむ、僕は性格上、本来ひとりでいるのが一番好きで、 人にあうというのはわりと億劫なところがあるのですが、 最近は何の因果か巡り合わせかいろんな人に会うことが多くなりました^^;。 仕事上でも人を指導しなければならない立場に否応なくなってしまっています。 でもそのことが自分も成長させることになるのだということが実感できます。 「ワクワク」というわけにはいきませんが、 人と会うことが可能性を拡げてくれるというのは確かのようです。 もちろん、それはこちらの主体的なあり方次第で その拡がり方は変わってくるということは忘れないようにしたいと思っています。 >いつの間にか、彼らの私設カウンセラーになってしまったのですが、ちょっと前ま >ではそれをまともに受けてしまって、かなりやり切れない状態でした。しかし今 >は、「私自身の自由な感情」を大切にしたい、そのことによって、私の回りの人々 >に、良いエネルギーを感じてもらうことが、何にも代えがたいことのように思いま >す。 なんだかおっしゃっていること、とってもよくわかるような気がします。 僕もいろんな相談を受けたりして、結構疲れたりもするのですが、 やはりそこに自分をも変容させてくれるような「場」を見いだし、 ともに成長していく機会とできるように心がけなければなりませんね。 そしてそうした「創造」は楽しくなければ本物ではないのかもしれません。 そこらへんのことは、僕にとっては非常に大きな課題のようで、 これからも悪戦苦闘が続きそうですので^^;、 そこらへんのことについて今後アドバイスなどいただければ助かります(^^)。 僕はともすれば、「自分自身を楽しむ」あまりに これまでそのなかには「他者」が入り込むのを拒んでいるところがあったようです。 それに気づいて、自分を変容させなければ!というここ数年間だったのですが、 やっと「自分自身を楽しむ」ことが、主体的でありながら、 同時に「他」を許容し認めあい楽しみあうというのでなければならないというのが 実感として少しずつ分かってきたように思います。 別の言葉でいえば、それこそ「自利即自他」といもいえることなのかもしれません。 FLYING Vさんが来て下さって、そこらへんのことが もっと理解できるようになりそうだなと期待していますので、 これからもいろいろよろしくお願いします。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 01205/01209 MGG01713 バトゥーラ RE:OFF出れなくて残念でした (13) 94/04/27 01:37 01190へのコメント 岳同さんへ どうもお久しぶりです。こっちのほうは、全然気にしなくていいですよ。 どうもあの時期は、周りの友達の知り合いなんかでも同じような動きをしていまして、 何か連動するものがあったのでしょう。 それにあの講演会の資料は、普通の生活を今後も続けて行こうと思っている人には、結 構しんどい部分がありますからね。私も初めの頃はその辺のところを調整するのに結構 時間がかかりましたから。まぁ気にしないで行きましょう (^_^) それと今読んでいる農に関する本の紹介をさせてください。 「妙なる畑に立ちて」 川口由一著 野草社 2884円(税込み) 自然の農、 耕さず、肥料は施さず、農薬除草剤は用いず、草や虫を敵としない、 生命の営みにまかせた農のあり方を、写真と文章で紹介する。 生命(いのち)の農へ 序文に、 「汚され 損なわれ 病み続ける地球が 地球上のあらゆる生命(いのち)達が そうして私達人間が これ以上に 生命衰えさせていくことなく 浄化を盛んとし  生命寿(ひさ)しく 美しい姿して 巡りつづけてくれますように ・・・・・    迷いの中の私達人間が 真の知性に目覚め 優れた能力よく働かせ 崇高なる精神忘れ ることなく 清くして 心平和に 楽しく 美しい姿して巡りつつづけること出来ます ように ・・・・・ この一書が 天の道 地の道 人の道を見失い 宇宙自然の道 生命の道からはずれ 神仏の親心を忘れつつある 私達人間の足元を照らす 働きしてくれますように ・・・・・                                  」 著者・・・・・川口由一(かわぐちよしかず) 1939年、約八反歩の田畑を耕作する集約農業と、養蚕、製麺を副業とする日本の平 均的な小作農業の長男として生まれる。 小学校6年生のとき父と死別し中学卒業と同時に農業を引き継ぐ。 BHC、ホリドール、2・4・D除草剤、そして硫安、尿素、化学肥料、耕耘機・・・ という農村の大変化と共に歩む農業を二十年余り営む。 やがて心身を損ねてその誤りに気付き、自然の農へ切り換えて十数年を経る。 この間、夜間高校に三年間、天王寺美術研究所に六年間学ぶ。 1987年より、野草社発行の「80年代」誌に「妙なる畑に立ちて」を連載。 田畑の見学会、合宿会、赤目自然農塾など、自然の農を求める人々と共に学ぶ場をつく り今日にいたる。 著書に「自然農から農を超えて」(カタツムリ社) 現住所 奈良県桜井市   01206/01209 NBB01420 SUKE RE:オフのことなど (13) 94/04/27 01:49 01193へのコメント コメント数:1  KAZEさん、こんにちわ!  オフでは色々とお話頂けてありがとうございました。  >>田舎の空港に足を踏み出したとたんに、  >>ああ、気に満ちている、きれいだ、と感じました。  私は東京都と神奈川県の境界近くに住んでおり、育った実家は横浜です。  最近では町並みも変わり、以前の面影は少なくなりました。  でもたまに帰省して駅前まで(車など使わずに)自分で歩くと、  何故か肌にぴったりくるものを感じます。  現住所からそう遠いわけでもないのに、やはり育った土地というものは、  どこか自分に合ったものがあるのでしょうか。  私は「神秘学」関連にあまり体系だって詳しくないこともあって、  ついついここの会議室は未読が溜まりがちなのですが、(ゴメンナサイ)  お会いしたのを機会にもう少し身を浸らせてみたいと思い、  ご挨拶させていただきました。          今後ともよろしくお願いします! (^^)…☆ッテナモンダ Suke. 01207/01209 GGA02514 KAZE いらっしゃい>SUKEさん (13) 94/04/27 11:39 01206へのコメント SUKEさん、オフではどうもです(^^)。 もうちょっと時間がとれたらよかったなとは思いますが、 直にお顔を見ながら話せるのってやっぱりいいですね。 ぜひ、また上京などの節にはいろいろお話できればと思います。 >やはり育った土地というものは、どこか自分に合ったものがあるのでしょうか。 そうですね、その「土地」から「いのち」が生まれてきたのですし、 そこにある言葉もその「土地」に沿ったものですから、 時には生まれ育ったところで癒してもらうことも必要なのかもしれません。 もちろん、生まれ育った土地にしがみついて生きる云々に 執着すべきではないでしょうが・・・。 つまり、古代的なものを引きずった土地や民族などという発想からの自由のために 現代では生まれ育った土地から自立して自由になならなければなりませんが、 またその反面、やはり生まれ育った土地を愛することは必要だと思います。 この二つの考え方は、一見矛盾しているようでいて 実の所、相補的な関係にあります。 生まれ育った土地を愛することができればこその自由なわけです。 これは、自分の家族や友人を大切にできるからこそ、 その他の人とも自由で生かしあう関係でいられるというのと同じです。 自分の身近なところを粗末にする人は、やはりそこを離れたところで 他を大切にできるとは思えないからです。 ですから、そこには個として自立した上で 他と「結んで」いくというテーマがあるように思われます。 全体と個というのはそういうダイナミクスとしてみなければならないのです。 >私は「神秘学」関連にあまり体系だって詳しくないこともあって、 >ついついここの会議室は未読が溜まりがちなのですが、・・・ ううむ、この会議室は、ひとつのログが長すぎる^^;とか、 わからないことをわからないように表現している^^;とかいうことが 指摘されることが多々あるのですが、 確かにそういう部分もあるかなあと「少し^^;」は反省しています。 でも、僕のスタンスとしては、オフでお話したように、 「神秘学」ということで、 それまでばらばらに切り離されているかのように見えるものの 深いところでの関係を少しずつ身近なところから検討していく、 というような意味を表しているつもりなんです。 そういう意味で「遊戯団」というネーミングにしているのです。 ま、わかんない話もするかもしれませんが、それはそれとして^^;、 自分のものの見方を拡げたり、もっと他の見方を理解するために、 自分の足下から見直してみるということは意味があると思いますので ま、茶飲み話のようなところからでもご参加いただければ幸いです。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 01208/01209 PBB00456 FLYING V RE:36から??? (13) 94/04/27 17:08 01200へのコメント 隆さん、こんにちわ(^_^) おお、隆さんは神戸に押すまい(私の愛機は変換で、時々大笑いさせてくれる…) いえ、お住まいなのですね! 私の住まいは倉敷でございます。神戸といえば縁のあるところでして、西宮市にあ って、キャンパスの真ん中に広い芝生がある大学に通ってました。でもって、 学生時代はアルバイトで、三宮の北野にありますHONKY TONKという店で BLUEGLASS MUSICを演奏してたんです。(わたしはBASS PLAYERです) 出張では、なかなか関西方面にいく機会が少ないのですが、2〜3か月後くらいに いく可能性がある感じです(すごく曖昧…(^_^)` とにかくそちら方面に参ります 際には、お声をかけさせてくださいな。 私は1960年生まれでございますので、ほとんど同世代と申し上げさせて下さい。 >ジジイというのはしぶ茶をすすりながら、ウダウダ雑談している暇な奴です… さようでございます。そういう人の総称をジジイと呼ぶのですよね。ま、しぶ茶 以外のものをすすって下さってもかまいませんけどね…。ところで、「ジジイ」 というのはこうやって片仮名表記だと、結構「ぐさっ」という感じもありますので いっそイメージアップのために、思い切って、      JIZZY と書いてはいかかでしょうか? !(^_^)!                 ちなみにスケベジジイは SKIP BEAT JIZZYとなります。(失礼しました) これ以上、書くと会議室の雰囲気をぶちこわすおそれがございますので、 ひとまず、ひきあげます…。 「赤い色を凝視したあとには、なぜ緑の残像が…」については、別途お話致します!                            FLYING V 01209/01209 GBD03557 シゲ COMPLEMENTARY COLOR (13) 94/04/27 17:14 01200へのコメント  FLYING Vさん、隆さん、こんにちは。    >例えば、「赤い色を凝視したあとには、なぜ緑の残像が残るのか」とか・・・  なぜなんですか?。昔、オーラが見たくて、ちょっと訓練をしてみた事があるので  補色において残像現象が起きるのを少々説明しませう。  残像現象っていうのは、光が取り除かれた後も、感覚経験として持続する像なん ですねん。見つめた色がごく短時間で、離れた色が残る積極的残像と、 残像が生じても、生じなくても色が消えるとすぐに現れる消極的残像があります。  ヘリングの残像っていう言葉もあるのだけど、まぁ、ヘリングっていうのは 4原色説を唱えた人なんだけど、人間の視覚系は赤と緑、黄と青という対をなし、 これらの対の色が補色関係をつくっていて、赤と緑は互いに反発し、混合しなく 赤味青、緑味青はあっても赤味緑はない。こうした反発する2色は求めたり 呼び寄せあったりするようにみえる。たとえば目に赤い刺激を与えることをやめると 赤反応は止まり、反対過程が自動的に始まって緑の感覚を生じる・・・と。  で、残像を起こす補色関係は、物理補色ではなく、心理補色ですねん。まぁ、 物理的に完全な補色関係ではないということですね。  で、金丸や中村代議士のは補色ではなく、汚職です。はい。 - FARION MES(14):★YHVHの預言解読部屋------------<03> 94/04/27 - 02015/02019 HGB03731 二木 聡 RE:ちょっと、質問です。 (14) 94/04/27 00:54 02012へのコメント コメント数:1 TO:河井 浩美様 早速の御教示をありがとうございます。 >目に映る すべてのものは メッセージ。 これは確かにこの通りなのでしょう。 受け手となる者がメッセージと感じた瞬間に「それ」は届けられた事になる筈です。 が、悲しいかな私には「差し出し人」が誰なのかが判らない。 私の手元にはこのての類いの「メッセージ」が沢山あり 返事は書いたものの、宛先は書けず(書かず)に 差し出し人不明の侭、返信出来ずに眠っているのです。 「二木 聡」 02016/02019 GCC01413 YHVH 「くく・くぐ・かか・かが」 (14) 94/04/27 03:52  *『蓮華の花はヘルメスの杖によって開く、麒麟の瞳は何処を示すか』  ・ARIONの補足については、取り敢えず後回しとして、先に進もう。   解読をする場合、これが正解というものがあるわけではない。   したがって、こういう観点から捉えることも出来る、といった程度である。  ・「蓮華の花」とは、ヨーガで言うところの「サハスラーラ」だろう。   つまり、「サハスラーラ」は、「ヘルメスの杖によって開く」というわけだ。   さすれば、「ヘルメスの杖」とは、「中央の柱」ということになる。  ・その一方で、「かの人々は杖を降り下ろす」というフレーズもあった。   「降り下ろす」は、「舞い降りる」と同様、垂直降下のイメージだ。   ここで、「降り下ろす」のは私たちではない。この点に是非とも注意したい。  ・前のアーティクルでは、「ミカエル」+「ポセイドン」→「ヘルメス」とした。   「ヘルメスの杖」は、「太陽と月の結婚」によって、出現するのか?   ポイントは、既に触れた通り、「十字」が「月」の側にあること。  ・次に、「麒麟の瞳」について…。これまた、初出かつ難解である。   そういう場合、直感で語るしかないわけだが、「麒麟の瞳」=「台風の目」。   また、「何処を示すか?」という問いには、「反転の中心」と答えたい。  ・もう少し突っ込むならば、この「反転の中心」というのが、   次元から次元への移動口(=時空間の穴)になるのではないか?   それは、NoB 用語で言うところの「純化サルクス」(の「イデア」)である。  ・もちろん、本来、「イデア」対「サルクス」という構図である。   しかし、「純化サルクス」は、その純化の極において、   「イデア」から最も遠のき、同時に、「イデア」に最も近付く。(余談)  ・「真空の空に風が吹く」=「虚空蔵(アカシック・レコード)の書き替え」。   「虚空蔵」の方向は、「東北(丑寅)」。…「真の緑」とは何か?   やや話がずれてきたので、元へ戻してみたい。(ずらしているのではない)。  ・「ポセイドン・クロス」という概念を、一つ前に提示したが、   「三つ叉の矛」の真ん中の矛は、クロスの垂直方向を示している。   その考え方によれば、クロスの水平方向は、「柄」に対応するだろうか。  ・「柄」については、かなり昔に、スサノオさんが触れていたと思う。   それは、「力の作用点」=「支え」=「土台」である。   新しい力がその力を発揮する上で、「くくり」が「土台」となるのだ。  ・したがって、「くくらぬ」ならば、物事が始まらない。そういうことだろう。   「夢の轍」とは、言わば、オカルトの残骸である。(やや難解か?)   「三輪山」が「蛇」ならば、「鳥居」は「蛇の出入口」と考えられる。  ・「蛇」=「巳」=「水」。「速き水を守る者」は「ニギハヤヒ」。   「スパスシフィカ」は、「水」に隠された「火」。   故に、「水」あらずば「火」もあらず。「鳥居」をくぐるべし…。  ・「ニギハヤヒ」→「9」→「ククリ」。   「隠者」は、右手に「智恵の光」、左手に「杖」を持つ。   「杖」=「ヘルメスの杖」。「智恵の光」=「籠目紋」=「ルシファー」。  ・「ニギハヤヒ」は「男性太陽神」との説もあるが、やはり一理ある。   「光り輝く者」として「上」に居た「ルシファー」は、今は「下」に居るはず。   「666」→「18」→「9」。「神なり」の「太鼓」。…「鼓動」。  ・「ククリ」は「カグツチ」の変化系。そして、「イザナミ・プロブレム」。   「神楽(カグラ)」は、火の神のシナリオ。但し「火」は「水」に隠れている。   「くぐる」=「水を潜る」。「ククリ」は「火」としての正体を現すか?  ・「麒麟の瞳」=「台風の目」は、もちろん移動する。   「反転の中心」で半径最大となる。ここで「反転」が問題となる。   「台風」の発生地点は、おそらく「鳥居」においてであろう。「三輪山の麓」。  ・ほんの束の間、即ち一瞬。「柄の間」→「鳥居の村」→「間人」。(土師部?)   「アメムラクモ」の「剣」とは?…「日向」と「出雲」を結ぶ「剣」。   それは、「剣」の中の「剣」。「神の御成り」=「火と水の顕現」=「雷」。                                  YHVH 02017/02019 PFH02766 河井 浩美 RE:ちょっと、質問です。 (14) 94/04/27 08:55 02015へのコメント 神のメッセージはアリヤカな型としての示しであり、 そしてそれは内容証明郵便のごとく、配達証明つきです。 例えあなたに封筒が届いていても、封を開けていないときは 神はさらなる督促状を届けてくださっているはずです。 今のあなたの行いが抗じがたき力によってトラブったとき、 神からの警告メッセージが届いたとお考えください。 「オーイ、やり方違ってるよ!物事の本質から外れて  相対二元の善悪判断してないかい?  ご自分の「身欲保身我良し」のお心に目が眩んで  「内にあるものが外から来るものを呼び込んでるんだよ。  御霊が汚れてるよ。お掃除してね、神急けるぞ。」ってね。 神は与えっぱなしです。返事書けなんて言わない。 あなたに違っていることをお伝えしたくて、次々と 督促状を出してきます。 あなたが解らなければ段々と文面は強く明確になっていきます。 例えばけがや解雇や離婚なんてのも、督促状なのです。 そうしなければあなたの御霊が壊れてしまうから。 神はひとつたりとも壊れてほしくないのです。 何で壊れるの?相対二元の価値判断で御霊が引き裂かれるの。 霊と体のムスビ引きちぎられるから。 早く督促状にならないうちに「自らを見て」そして「お掃除して」くださいね。 02018/02019 GCC01413 YHVH RE:ちょっと、質問です。 (14) 94/04/27 11:03 02010へのコメント   −−−−−−−−−−−> 二木 聡 さん   二木さん。お久し振りでございます。(^_^)   さて、童謡についてのご質問だったと思います。   これに関しまして、一輝さんが、他の会議室で触れられていました。   そちらもご覧いただきますと、宜しいかと思います。   おっしゃる通り、童謡には、不思議な魅力があります。   誰から誰へということもなく、連綿と唄い継がれて来た童謡。   子供の世界は、ある意味で残酷。しかし、子供だけに、猶予される。   この猶予の中でこそ、刈り取られずに伝えられて来たものがある。   その一方、童子というのは、それ自体が神と見なされていた面もある。   或いは、神の代理人。それは、海の向こうからやって来る。(水平方向?)   抽象的になってしまいましたが、ご容赦を…。ではでは!                                YHVH 02019/02019 GCC01413 YHVH RE:ARIONよりYHVHへ (14) 94/04/27 13:44 02014へのコメント  補足によって、より一層、謎が深まるのだが、何事もトライアルだ。  『 94/04/26 17:21 』  ・一応、数字につa チトチ0ヤpアNしてみると、       *「94」〜「9・4(クシ)」〜「13」       *「4/26/17/21」〜「4/2/6/8/777」      −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  『いつも預言解読への努力を感謝している』  『これを昨日のあなたの誕生日への贐としよう』  ・う〜みゅ。これを、喜んで良いものかどうか…。(^^;)      −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  『そのとおり、月と十字の組み合わせである』  『そして、この形は、錬金術関連から見れば?』  ・「錬金術」というものが何を指すのか。それによって、後の文脈が変わる。   よって、「錬金術」=「太陽と月の結婚」=「ヘルメスの魔術」とする。   「薔薇十字」と言う場合には、「薔薇」は「炎」である。   したがって、「薔薇十字」に「月」は含まれていない。なるほど…。   「十字」というのは、「まるにちょん」で言えば、「ちょん」に当たる。   即ち「十字」=「オホツメ」。そして、「オホツメ」には「ククリ」が必要。   この「十字」は「月」と“セット”になっている。(太陽ではない!)   「神なり」=「神のスイッチング」。それは、「月」の上でなされるのか?   その「月」は、カバラで言うところの「イエソド」である。      −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  『雷の解釈は、かなり面白い』  『しかし、これは一面であり、反転の部分にも留意されたい』  ・これは難解を極めている。ここで「反転」が出てくるのは何故か?   取り敢えず、「上→下」&「下→上」と考えてみよう。   つまり、「垂直降下」&「垂直上昇」と考えてみるのである。   カバラで言うところの「流出」の過程を、逆様にすれば、どうなるのか?   「アダム(Y)過程→イヴ(HVH)過程」に対し、これを「反転」すれば、   「イヴ(HVH)過程→アダム(Y)過程」となるわけだ。   「神なり」〜「太鼓の鼓動」〜「垂直降下」。「鳥居」=「蛇の門」。      −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  『「神なり」の分析を、もう少しすれば、どうだろうか?』  ・「神(カミ)」=「火(カ)・水(ミ)」だとするならば、   「神なり」=「神のお成り」=「火と水の顕現」。   「神」の側から見れば「カミ」。「人」の側から見れば「ミカ」。   「ミ」=「身」=「巳」=「三輪山」。「鳥居をくぐる」。「水を潜る」。      −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  『くぐらぬ=くくらぬ、という方向での分析を更にしてごらん』  ・「くくらぬ」の意味は、「束ねない」「終わらせない」など。   「束ねない」と「柄(つか)」が出来ない。すると、「力」は現れない。   その一方、「終わらせない」ならば、「始まらない」。   ARION言うところの「傀儡」とは、「煮え切らない人々」だろうか?   「緑(風)の領域」に立って、「風」を遮っているのか?   「風」を遮ることにより、「台風」を作らない。「神なり」を鳴らせない。      −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  『鳥居とは何であったか?』  『そして、それをくくらぬことによって何があったか?』  ・これは、過去のことを言っているようだ。   「鳥居」=「蛇の門」だとすれば、「鳥居をくぐらぬ」=「蛇を無視する」。   したがって、「くくらぬ」=「蛇を忌み嫌い避ける」。そんな感じ?   「何があったか?」に対しては、「蛇が恨んでイヴを騙した」としておく。      −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  『舞い降りる夢の轍しか残らないことに、繋げてごらん』  ・「舞い降りる夢」は「垂直降下」。「降り下ろされる杖」。   「神なり」の「電光(スパーク)」。その「轍」は、雷に打たれて倒れた木。   「巳」=「身」=「水」の準備がなければ、燃え尽きてしまうのか?   「速き水を守る者」=「ニギハヤヒ」。その数は「9」。「ククリ」。   「鳥居」を「くぐり」、「蛇」に出会う。「水」。「水」から現れる「火」。      −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  『先のハロー・メッセーシ゛を補足する意味が、ここにある』  ・またも「鳥居をくくらぬ」ことによって起き得る失敗について注意している。      −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  『「くぐつ」とは、くくらぬもの、くくることに達しトないもの…との解釈を、   この場合取っているのであるが、これとて全ての場面においてのことでは無い』  ・繰り返しになるが、「傀儡(くぐつ)」とは、「終わらせない者」。   或いは、「終わらせるための然るべきステップを踏まない者」。…だろうか?      −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  『ニギハヤヒはスサノオの子であり、三位一体の一要素である』  『その隠された数は、9である』  ・これは難しい…。この場合の「三位一体」は、どういう「三位一体」か?   「父・子・聖霊」の「子」ならば、「キリスト」である。   つまり、「ニギハヤヒ」=「キリスト」ということになってしまう。   しかしながら、「キリスト」=「ティファレト」=「太陽(火)」なので、   「ニギハヤヒ」の隠れた数字が「9(火)」だとすれば、辻褄が合う。   「ニギハヤヒ」は「速き水を守る者」であり、その最奥に「火」を隠し持つ。   「ポセイドン」=「父」という対応についても語られていたが、   「オシリス(父)」「イシス(母)」「ホルス(子)」と比べてみると、   「冥府の王(プルート)」=「ポセイドン」という可能性も出てくる。   このことは、「海王星」は「冥王星」のダブル・カウント説に関係するか?   「カグツチ」→「ククリ」。一方、「忍穂耳」+「千々姫」→「ホアカリ」。   したがって、「カグツチ/ククリ」は、実は「ホアカリ」かも知れない。   即ち、「萬幡豊秋津師比売」=「ヒミコ」=「アマテラス」。   してみると、「スサノオ」と「ニギハヤヒ」は決裂したのだとも考えられる。   ちょっと、仮説が混沌としてきた。このあたりは確率が低い。      −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  『反転は、タタラ・アタタラの時点で既に出てきている』  『反転は、陰陽道で言えばどういうことを指すか?』  ・「反転」についてのヒントは既に出してある、という意味だろうか?   「タタラ・アタタラ」についての説明が、そう言えば、何処かにあったな…。   「陰陽道」における「反転」。これについては全く知らない。   しかし、想像してみるに、「陰」と「陽」の「反転」であろう。(^^;)   今までの話の流れから言えば、「水」から「火」への変化を指すか?   もちろん、「反転」に関しては、もっといろいろな意味を含んでいるはずだ。      −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  『これからが「大詰めの本番(オホツメ ノ ホンハン)」である』  ・「オホツメ」は「ちょん」。「ククリ」〜「鳥居」〜「速き水」。   「ホンハン」=「ホム(火)」+「ハン」。(「ハン」については保留…)   「ホム・アレ」は「カグツチの再生」であると解釈したが、   「ホン・ハン」も「カグツチ」に関係した何かの事柄であろうか?      −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  『今後の解読に期待する』  ・出来る限りのことしか出来ませんが、出来る限り頑張ってみます。   今後もヒントがあれば、宜しくお願いします。   それから、大きな間違いについては、是非とも訂正して下さい。                                  YHVH - FARION MES(15):★平成松川塾◎日本を考える----------<01> 94/04/27 - 530/534 GFD00204 松川 貴     RE:死んだ思考から生きた思考への変容 (15) 94/04/26 23:10 529へのコメント コメント数:1 KAZEさん >「死んだ思考」と「生きた思考」について  それについて、あの西部邁氏は、今の世の中を「言葉なき時代」と呼んでいます。 現代は、メディアを通して、一人の人間の受容能力だけでは、とても追っていけない ほどに「言葉が溢れかえっている時代」です。それなのに、氏はいったい何というた わけたことを言っているのかと思われる方もいらっしゃるかと思います。  しかし、そういうふうにしか今の世の中を感じとれない人は、たとえ実際に氏の書 いているものに目を通したとしても、氏の感じている問題意識の中心点を何ひとつ自 分の中で掴んでいないのです。山本七平氏が「空気の研究」を行っているとすれば、 西部氏もまたそうなんです。西部氏は、「みなさん、どうか〈生きた言葉〉を用いて 思考してください」と呼びかけているだけなんですよ。  氏は今まで、いろんなところで、「『よき言葉遣い』をとりもどせ」と言ってきま したが、それは、「『ら』抜き言葉や罵倒語を使って話したり書いたりするな」とい うようなことではないのです。しかし、私は、もしかしたら、氏の、この「よき言葉 遣い」という言葉の〈用い方〉すら、氏の敵対者たちには、まともに理解されていな いかもしれないと思っています。しかしそれはまったく当然なことなのです。という のも、氏が「みなさん、どうか〈生きた言葉〉を用いて思考してください」と呼びか けているのは、まさに、そういう人々に対してだったんですから。  私が、この会議室でやった、いくつかの用語批判も──例えば「平和憲法」という 〈言い回し〉なども──そのような西部氏と同じ問題意識の上で行ってきたことだっ たんです。  「用いられている〈言葉遣い〉、あるいは〈言い回し〉と、担われている〈意味〉 の間に、どこか齟齬があるのではないか、あるいは、その〈言葉遣い〉なり〈言い回 し〉なりが、本当は何の〈現実的意味〉も担っていないのではないか」と〈感じとる 力〉の養成が、私たちには必要なんです。そうでないと、私たちは、訳もわからず、 その場の気分や雰囲気だけで、物事を決するようになっていくでしょう。いや、事実 すでにそうなってしまっているんです。    小生はいいたい、言葉を失えばもう人間ではないのだと。小生もさっ   そく鏡に映っているのが人間の顔かどうか確認してみたが、案の定、輪   郭がすっかりぼけていた。まったく、こんな言葉なき時代で人間であり   つづけるのは至難なのだと感じ入った次第である。   ((『新潮45』5月号「細川支持に現われる財界人の幼稚さ」より)  まったく私も同感です。  シュタイナーはかつてこう言っていました。    私たちが必要とするものは、今日のどんな人にも行えることなのです。   ただそれには、現実そのものにしっかりと眼を向けなければなりません。   現代人は唯物論に陥り、それに満足さえしております。同じ現代人はそ   の一方で抽象的なもの、あらゆる種類の抽象的、知的なものを愛好して   いますが、現実の中には深く入っていこうとしません。    社会生活の中で、現代人は自分が実際的であると信じています。しか   し物事をよく観察し、その真実の姿を認識しようとはしません。たとえ   ば何かが主張されるとき、その主張だけにこだわり、内容を抽象的に受   けとめています。ですから人生そのものから遠ざかるばかりで、それに   近づくことがありません。立派な新聞の社説を読んでも、立派な社説を   書くことは特にむずかしいことではなさそうだ、と考えるだけなのです。   なぜなら近代社会の中では、あらゆる事柄がすでに考えだされており、   いくらかの経験を積めば、美辞麗句をかかげることが容易にできるから   です。けれども大切なのは、内容を言葉通り受けとめて、それに賛成す   るかどうか、ということなのではなく、その内容が現実とどう関わって   いるかを判断することなのです。この意味で現代人の態度は変わらなけ   ればなりません。勇気をもって現実に関わる誠実さをもたなければなら   ないからです。(中略)    今日では言葉通りの内容の裏にひそむ現実を透視できなければなりま   せん。内容を知的に把握するだけではだめです。直観力を働かさなけれ   ばなりません。霊学が求めるのは、まさにこのことなのです。   (『社会の未来』イザラ書房 P250-P253)  これは、ルチフェル的な影響力とアーリマン的な影響力のもとで生きている現代人 がこれから持つべき課題を、霊学用の用語を用いずに、シュタイナーが別様に表現し たものであるとも言えると思います。  そういう意味では、あの西部氏も〈意識せざる霊学者〉かもしれないんですよ。                                   松川 貴 531/534 GFD00204 松川 貴     まなざし (15) 94/04/26 23:17 コメント数:2  『新潮45』5月号を読んでいたら、とても複雑な感情を喚起させる記事に出会いま した。「妻をめとらば創価学会の悲惨」と題された、幼い娘を創価学会員の妻と取り 合った夫の話です。  この記事を書いている夫側の田辺浩三氏は、宗教に対して、以下のような認識を持 っていた人物です。現在は、宗教ほど怖いものはないと考えているかもしれません。   無神論者である私が漠然と考えていたのは、宗教とは慈悲深さとか寛容性、  そういうものを身につける修行の場だろうという程度に過ぎなかったのだ。  (中略)私は趣味で映画や音楽の活動に熱を入れている。朝美も宗教に熱を  入れればいい。宗教も趣味のひとつであり、……  一方、妻の朝美さんの方は、夫にこのように言って入信を勧めるような人物です。   池田先生は日蓮聖人の生まれ変わりぞね。信心もすごいし、立派な人やき。   お題目上げたら、必ず日蓮聖人さんが〔地上的な〕願いごとをかなえてく  れる。あんたの願いごとは何ぞね。(〔地上的な〕は松川による挿入)  朝美さんが夫に「あんたの願いごとは何ぞね」と聞いたのには、おそらく深い理由 があります。それを暗示する出来事について、夫の田辺氏はこういう話を紹介してい ます。   朝美の一家はこの町に住んでおり、朝美は千葉の大学を卒業後、三十歳の  ころまで東京の旅行会社などでOLをしていた。   創価学会に入信したのは、大学生のころ。まず母親が学会に入って信心す  ると、偶然かどうか、難病を患っていた弟がすっかり元気になったのだとい  う。それまで、いろんな宗教をやってみたが、「ああ、これこそ本物の宗教  や」と一家全員が信じ、朝美も父親も弟も学会員になった。  地上に下り立ったキリストは多くの病人を癒しました。しかし、それはそのことを 通して、彼らに〈天上への道〉をさし示すためだったのです。鎌倉時代に登場し、さ まざまな宗派に分かれた日本の新仏教の真価もまた、キリスト教徒がそうであったよ うに、彼ら信徒たちが〈地上的な生へのまなざし〉ではなく、〈天上的な生へのまな ざし〉を持つに至ったことにあると私は考えています。  私は元来日本の仏教には詳しくなく、日蓮がどのようなことを民衆に説いていたの か、ほとんど知りません。しかし、現代の仏教徒である朝美さんが「あんたの願いご とは何ぞね」と夫に尋ね、夫の田辺氏が「自分は無神論者で、人が宗教を信じるのは 一種の趣味であり……」と言うとき、私は何かとても複雑な感情がこみ上げてくるの です。  エドガー・ケイシーという人がいます。彼はリーディングという行為を通して、多 くの病気に苦しむ人々に癒しの道をさし示してきました。ケイシーは助けを求めてく る人々を──その苦しみがかつての生における罪の結果であるような場合にも──決 して拒みはしませんでしたが、その依頼人が〈霊的認識〉を持とうとしない、利己的 な人物であるような場合、大変に厳しい内容の回答を、ときにその当事者に対して与 えたこともありました。  例えば、以下のような回答があります。   そうだ、このからだは前にも見たからだだ。なるほどからだの肉体的な面  はだんだん回復してきた。しかし、まだまだしなければならぬことがある。   前にも言ったようにこれはカルマから来たものである。隣人や物ごとに対  する本人の心の態度を変えなくてはだめだ。   機械的な手段を肉体面の匡正に用いた限りでは、回復はあらわれている。   しかし本人があまりに自己満足し、あまりに自己中心的で、霊的なことを  拒否してその態度を改めないならば──また憎しみや敵意や不正や嫉妬があ  るかぎり──また忍耐や長期の苦しみや隣人愛や親切さややさしさと矛盾す  る何かが心のなかにあるかぎり肉体の治癒は望めない。   この人は何のために病気を治したいのか、自分の肉欲を満足させるためか、  ますます利己主義になるためか、もしそうならば今のまま治らぬ方がよいの  だ。   もし心のもち方や目的が変わり、口にも行いにも変化をあらわすならば、  そしてその上で指示したような物的療法を行うのならば本当によくなるであ  ろう。   だが、まず心情と精神と目的と意図とを変えなくてはならない。あなたの  目的とあなたの霊魂が聖霊の洗礼を受けないならば、あらゆる機械的療法を  用いても完全な回復は望めないであろう。この勧告を受け入れるか拒絶する  か、それはあなたの心次第だ。   あなたが償いをしないならばリーディングをしても無意味である>儖うこ  れで終わる。(ジナ・サーミナラ『転生の秘密』たま出版 P136-P137)  あまりにも厳しい訓戒です。別なリーディングを見てみましょう。   さよう、これは大部分カルマに原因をもつ症状である。人間関係に霊的理  想をよりよく応用するならば、この人の人生経験は非常にちがったものとな  るであろう。   はじめは視力にはあまり大した変化はないかも知れぬが、内的自己に順応  性が獲得されるならば肉体面もよくなるであろう。   脊椎の異状も口や歯茎と同様、目と関係がある。まず霊の実りをあらわし、  キリスト意識を毎日の経験に応用するように努力すべきである。それから隣  人愛と親切と忍耐と長期の苦しみとやさしさを実行することである。  (前掲書 P139)  かつては〈忍耐〉という徳の大切さを、〈現実の地上的生〉を通してちゃんと認識 していた日本人も、今ではまったくこらえ性のない国民に変化してしまいました。多 くの日本人が、おのれのこらえ性のなさを、他者や社会的制度批判へ転嫁するように なってしまいました。  ケイシーのリーディングはよく「地球は3次元である。3次元とは、時間、空間、 忍耐である」と語りました。〈忍耐〉について、ケイシーのリーディングはどんなふ うに語っていたでしょうか。   この人は、他人にしばしば失望してきた。だが、あのキリストの永遠の法  則に心を開け──蒔かれた種はいつか刈りとられなければならない。あなた  は他人を失望させた。それ故、現在は自分自身の失望を通して忍耐というも  っとも美しくもっとも理解されがたい徳を学ばなければならないのだ。  (前掲書 P182-P183)   もし人がこれらの存在の公理の意味を充分に理解したならば、どんな境遇  や環境にいようとも忍耐づよくならざるを得ない。それ故、忍耐はたんに受  動的なものではなくて能動的なものである。それは油断せずたえず待機して  いることであり、消極的よりもむしろ積極的な徳である。これが、時間や空  間はある意味で妄想的制約であることを知る霊魂の態度である。意識が時空  の束縛を受けぬようになったとき忍耐は完成される。(前掲書 P422)  〈霊的認識〉を持つ人々にとって、大切なことは、単に病気が治るということでは ないのです。 つづく 532/534 GFD00204 松川 貴     RE:まなざし (15) 94/04/26 23:19 531へのコメント 〈地上的な生へのまなざし〉のみによって生きようとする人々が起こしたのが、社 会主義革命でした。彼らの目はいつも〈地上〉を向いています。彼らは〈地上を改革 しよう〉としました。しかし、彼らが〈実際に〉地上で行ったことは、〈人間精神に 対する神なき物質至上主義革命〉だったのです。ソ連と敵対したアメリカ人たちは、 無意識的にであれ、そのことをちゃんと分かっていました。共産主義思想とは、近代 の西欧のプロテスタントたちの〈抽象的な精神生活〉から、反動のようにして生み出 された思想なのです。  ですから、例えば、『諸君!』5月号には「“戦場”としての日本」と題された、 かつてのソ連軍人とアメリカ軍人との対談が載っていますが、以下に引用する対談者 のアワー氏のような感想は──日本人は、歴史的に西洋人のような宗教生活を持った 経験がありませんので──まず日本の自由主義者の口からは出てこないでしょう。な ぜなら、日本の自由主義者の中にも、日本の共産主義者がそうであるように、自分が 無神論者であることに何の疑問も感じていない人が大勢いるからです。   これはいっそう個人的な感想になるんですが、私はクリスチャンであり、  多くのアメリカ人は何らかの宗教を信じている。あなたがた、というか、  共産主義は無神論でしょう。だから、来世を信じているわれわれの方が、  無宗教で無神論者の共産主義者より死を恐れないのではないか。むしろ共  産主義者の方が、現世に執着するゆえに、命を落とす戦争を嫌がるはずだ  とも確信していたんですよ(笑)。  革命家たちは、唯物論によって世界を〈科学的〉に把握しようと試みました。現在 でも例えば日本共産党が出す本の新聞広告を見ると、〈科学的〉という言葉が、周回 遅れでトラックを走ってくる長距離走ランナーのようにして、読者の目に中に飛び込 んできます。人によっては、その〈科学的〉という修飾語を見て、奇妙な違和感、あ るいはおかしみのようなものを感じる人もいるはずです。何かがずれているのです。  左翼人たちの社会運動の余波は戦後の日本にも及び、当時多くの若者が気分の反権 力主義者になって、今日に至っています。彼らの世代を待って初めて、〈忍耐〉とい う徳が打ち壊され始めたのです。そしてそんな彼らによって育てられた息子や娘が、 今、新たに日本の子供たちを育て始めています。  ロシアの革命家たちは、〈持たざる労働者たち〉を何よりもまず〈物質的に解放す る〉ためにマルクスの思想を用いました。しかし、結果的に革命家たちが〈持たざる 労働者たち〉に対して行ったことは何だったでしょうか。革命家たちは結局、〈持た ざる労働者たち〉から、さらに、彼らが長い歴史の中でずっと守り続けてきた〈最後 の宝物〉までをも奪い去っていったのです。  革命家たちは、「宗教は阿片だ」と〈持たざる労働者たち〉に吹き込むことで、そ れまでロシアの民衆が大切に守ってきた〈霊界へのまなざし〉に覆いを掛けてしまい ました。革命の結果、〈持たざる労働者たち〉が行ったことと言えば、大向こうに対 して〈自分たちが労働者であることを誇り合う〉ことだけでした。しかし、そんなこ とで、どうして、〈魂の宝物〉を奪い去られたロシアの民衆の魂が癒されたでしょう か。ソ連は、〈精神的に倒れる〉しかなかったのです。  今、ロシアの民衆は、かつて奪い去られた〈宝物〉を取り戻しつつある最中です。 しかし、日本人の多くが、このことの切実さをまったく理解していません。というの も、現代日本人は、誰かに尋ねられなければ、おのれが無神論者であることにさえ気 づかないで生きているような、迂闊な人々だらけになってしまったからです。日本人 はこれからも、訳も分からないまま、さらにさらに失っていくばかりなのでしょう。                                   松川 貴 533/534 GGA02514 KAZE 生きた言葉 (15) 94/04/27 14:50 530へのコメント 松川 貴さん、どうも。 西部邁氏は、おっしゃるとおり〈意識せざる霊学者〉かもしれませんね。 僕も氏の「言葉」は傾聴に価する「生きた言葉」だと思っています。 >小生はいいたい、言葉を失えばもう人間ではないのだと。 それを他の言葉でいうならば、 「精神を失えばもう人間ではない」ともいえるかと思います。 ドイツ語では「霊」と「精神」というのは同じ <der Geist>で、 シュタイナーのいう「霊学」とは「精神科学」のことなのです。 引用されていたシュタイナーの >今日では言葉通りの内容の裏にひそむ現実を透視できなければなりま >せん。内容を知的に把握するだけではだめです。直観力を働かさなけれ >ばなりません。霊学が求めるのは、まさにこのことなのです。 というのは、精神がその生き生きとした直感力を働かせなければ、 それは死んだものになってしまいますよ、ということなのだと思います。 どうして日本の現在は死んだ思考の坩堝になってしまったのでしょうか。 日本人はもともと「大地性」を大切にしてきましたが、 それだからこそ大地から切り離された「個」から 出発しなければならなくなったとき、 それに耐えきれるだけの精神性を持つことが困難になりました。 その困難さから「精神性」を育成する方向ではなく、 「物質性」へと方向転換してしまったのです。 それは「大地性」の裏の側面であるともいえるかと思います。 それは「天」の発想を失ったときに、唯物的な方向性に向かうのです。 僕はいつも「自由」について語ってきていますが、 やはり<個の確立から共生へ>ということが 特に現代日本の大きな課題ではないかとずっと考えてきました。 それは「個のない共生」ということではだめなのです。 そうした「前=個」とでもいえる存在には、 みずからの内にある「闇」に対する認識が欠けているからです。 その欠けた認識が「闇」をルシフェル化しアーリマン化していくのです。 「精神」を取り戻すためには、 まずぎりぎりのところにある「個」からはじめなければなりません。 「生きた思考」のためには、まず「個」が生きなければならないのです。 もちろん、その「個」には常にエゴの肥大や唯物論的なドグマという危険が 「前=個」にくらべて大きなものにみえてくるのは確かでしょう。 しかし、それを恐れていては未来への「生きた言葉」で語り合うことは 決してできないのではないかと思うのです。 なんだか、いつも勝手に言い放題言ってますが、 こうしたことを特に日々強く感じてしまう今日この頃だからかもしれません。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 534/534 GGA02514 KAZE 待つこと (15) 94/04/27 16:47 531へのコメント 松川 貴さん、どうも。 >ケイシーのリーディングはよく「地球は3次元である。3次元とは、時間、空間、 >忍耐である」と語りました。 「忍耐」とは、素晴らしい指摘ですね(^^)。 確かにこの世界で学ぶ姿勢のキーになるのがその「忍耐」かもしれません。 引用していただいたケイシーの >現在は自分自身の失望を通して忍耐というもっとも美しくもっとも理解されがたい >徳を学ばなければならないのだ。 ということには考えさせられるものがあります。 その「忍耐」というのは「待つ」ということでもあり、 また「待つ」ということは「希望を失わない」ということでもあります。 それこそが「信仰」という名の霊的認識なのだと思います。 それと対極にあるのが、「御利益信仰」で、 それは「意識が時空の束縛」をさらに強化するものに他らなくて、 言葉をかえた唯物論ととらえたほうが適切なのかもしれません。 なぜならそこには「精神」というものが欠如しているからです。 現代には「待てない」人のなんと多いことでしょうか。 目の前にある「御利益」以外のものに目を向けようとしない人の なんと多いことでしょうか。 ちょっと手前味噌になりますが、僕の神秘学徒としての姿勢のひとつには、 この「待つ」ということに関連した「続けること」ということがあります。 このパソコン通信でアップ・アンド・ダウンをせず、 雨の日も風の日も^^;マイペースで書き込みをするというのもそのひとつ。 一見それが何の意味ももたない、 何の得にもならないことのように見えたとしても その「続けること」の中で育っていくものが、 自分のなかで確かにあるのではないかということを感じているのです。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES(17):★パワフルなえ★の《おふくろ通信》--<01> 94/04/27 - 904/905 NBB01420 SUKE RE:沸き上がる気持ち (17) 94/04/27 01:49 903へのコメント コメント数:1  #903 なえさん、ありがとう。  この週末から少しずつ「自分をなんとかしなけりゃ」という元気が出てきました。  >> SUKEさんの楽しみは何ですか?。没頭し尽くして、頭の中が真っ白になるく  >> らいに一生懸命になれる事ってありますか?  実はすぐに思いつくことが出来ませんでした。  無いわけではないのに、最近ではすっかり仕事一色でしたので、  仕事こそ没頭の対象(^^;)という状態だった...  それにしても、私はなえさんのお話とことごとく反対の  事をしているかもしれない(^^;)  まず朝食はパン一切れ二切れ位でコーヒー一杯。  うーむ(-_-;)  風呂はユニットバスってやつで、狭苦しいし        サッサと洗って出ましょって感じ。  うーむ(-_-;)  睡眠...最近夜中に何度も目が覚める      うーむ(-_-;)!!                          だめだこりゃ(^_^;)  >> この諸々はつい「ないがしろ」にされがちですけど、実は意識してそいう形  >> にする事が大事なんです。段々本物の大切になりますから。  そうですね、最初は意識してでも始めてみる、そういうものかもしれませんね。  明日は直行出張で他府県へ行って来ますので、朝食のゆとりはとりにくいかも  しれないけど、少しずつでも改善してみたいと思います。                    ありがとう!!(^^)…☆ッテナモンダ Suke. 905/905 JBH02324 なえ 良かった (17) 94/04/27 17:28 904へのコメント  元気が出ましたか??Sukeさん。(^_^)  出張なんて忙しいんですね、無理されませんように。健康が一番。気をつけて  行ってらっしゃい。(^-^)/~~