- FARION MES( 2):【居酒屋1999】自己紹介・雑談--------<09> 94/05/01 - 02071/02075 JCF02051 めのう 迷える25歳 ( 2) 94/04/30 03:20 コメント数:1  先日やっと『光よりの光』と『カミ・コメ・ツチ・ヒト』を買いました。  迷いがあるときは時機じゃない、と思って延び延びにしていたんです。  ようやく「今すぐ買うのだ!」という気持ちになったので買いました。  たいした理由もないのに何で迷うのかな。  『I LOVE YOU 1・2』は迷わず買ったのにね。  感想は7番の方がいいのかしら。そのうち書き込むかもしれません。  あとは『光の黙示録』だけなんだな〜。  どなたか札幌市内および近郊で発見された方はご一報ください。   澁澤龍彦全集も揃えたいのに、貧しくて...シクシク ◆◆ めのう ◆◆ 02072/02075 SDI00635 みれ RE:迷える25歳 ( 2) 94/04/30 14:15 02071へのコメント  #02071 めのう さん  こんにちわっっ★  ARIONの本を買って頂いて、ありがとうございます(^_^)  感想を是非、お聞かせくださいね。  カミ・コメ〜の方は、私もエッセイ風に書いていまして、ARIONの 文章とは活字を変えてあります。写真もARIONに言われて私が器材を 揃えるところから始めたものが数点収められています(^_^;)  ARIONの本は、カミ・コメ〜に限らず装丁デザイン、写真の選定に までARIONの要望が込められているんですよ。だからデザイナーさん は大変でした(^O^;)  「光の黙示録」は絶版で、出版社(大陸書房)が倒産したために、私の 手元に残っている数冊を除いては、古本屋さんにもあまり出まわってはい ないと思います。ご希望でしたら、メールで送付先の住所や連絡方法を私 宛に送ってください。未だ残っていますのでお送りします。  ただ、今までにもお送りする約束の方々も待って頂いている状態で(^_^;) 少し時間が掛かりますが、それでよろしければ…ということなんですが。 ARIONは、直接本をお渡しする方一人一人にメッセージ(英文)を付 ける主義なので、そのメッセージが来るまで本を送れないのです(__;)ゴメンネ  FARIONでのことが、めのうさんの人生の中で暖かいページになれば良い なぁ…と、そう思います(*^^*)           ★世紀末フォーラム/SYSOP/SDI00635/みれ(北川恵子)★ 02073/02075 PXH01650 英雄 同世代 ( 2) 94/05/01 01:32 02061へのコメント FLYING Vさん、タンカレ―のロックですね、お待たせしました(^^)_。 そうそう、「あさりの酒蒸し」でしたね。熱い内にお召し上がれ。 ひょっとこ、じゃなかった、ひょっとしてひょっとして、同世代です よ(^_^)。ちなみにワタシは、196「1」年生まれです。(これは ほとんど動燃、もとい同年だア!(^^;) ウチの部署は、平均年齢23.5才。ムムム....七月には「小父さん」 になるし...。 おっと、年齢を公開してしまい、チト後悔しとる(^^;。このフォ―ラム の平均年齢は幾つダロウ....。 おかわりは? :英雄: 02074/02075 GGD02212 スウ 満2歳の誕生日おめでとう>FARION ( 2) 94/05/01 01:47  この2年の間に様々な別れと出会いがありましたねぇ…シミジミ これからも色々とあるんでしょうが、皆様との新たな出会いを期待 しています。既に会った事のある人とも「新たな出会い」を成して いけるよう、自分自身も生まれ変わって行きたいと思っています。 そういう意味も含め、ハンドルを スウ にマイナーチェンジします。 (Sooだと[ソオ]と読み違えられたりSOOになってしまうことがあるの と、RTで初めてARIONと会話した時もスウと名乗ってました ので今後このハンドルにしたいと思います。)       Soo = スウ 02075/02075 VFD07310 NORI はじめまして!! ( 2) 94/05/01 12:26 はじめまして,みなさま ぼくは,まだ高校2年生で16歳です ARIONのことは,「光よりの光」,「アリオン世紀末書き込み寺」, 「I LOVE YOU 1,2」,などで知りました。で,アリオン にいろんなことをおしえてほしいなぁ。などとと数年前から思っていま した。 こんな,私ですが迷惑をかけぬよう一生懸命参加したいと思いますので NORI をどうか宜しくお願いします。(m。 。m)                                                     BY  NORI - FARION MES( 3):【めでぃあ室】本/映画/音楽 etc----<01> 94/05/01 - 00448/00450 JAE00201 竜人 RE:FARAWAY SO CLOSE! ( 3) 94/04/30 00:42 00446へのコメント コメント数:1  #00446 ぴさ さん   初めまして、ぴささん。最近アクセスを再開したたつとという者です(RT  でお目にかかったことがあるかもしれませんが(^^;))。  「ベルリン・天使の詩」の続編の公開の書き込みをしようと思っていたら、も  う先客がおられたので結構焦りました。(^^;)。   劇場での公開は、5/7から渋谷のシネマライズ渋谷という所で始まるそう  です。   レンタルビデオもお手軽で良いと思いますが、劇場での感動も良い物だと思  います。東京近郊にお住まいで、お時間がありましたらいかがかと思います。 たつと (JAE00201) 00450/00450 CXJ00675 ぴさ RE^2:FARAWAY SO CLOSE! ( 3) 94/05/01 02:12 00448へのコメント  #448 竜人 さん   こんにちは。   「時の翼にのって」、来月から公開ですか。おっと、もう今月でした。   え〜っと、映画館って思い起こせばもう4年ほど行ってませんねぇ。(--;;   あれは確か「BACK TO THE FUTURE II」だったかなぁ。(?_?) うんうん   たぶんそれ以降は行ってませんね。 それよりベルリンの方もみなきゃ。   それからかなぁ、こっちは。   映画が終わって映画館から出て、外の現実の世界〜太陽が燦々と降り注ぎ   ぜんまい仕掛のように人々が黙々と歩いている世界〜に戻ったとき、妙な   気持ちになったものです。 …あ、全く関係ない。(--;;                      東京都というより多摩地区の /// ぴさ /// - FARION MES( 4):【宴会/オフ】プラン・レポート------------<02> 94/05/01 - 570/570 QFH02012 アラミス RE:「まるにちょんさん迎撃オフ」最終報告 ( 4) 94/04/30 13:14 569へのコメント ガッチャさん>> 新宿に用事が有ったので、その帰りOFFに途中から顔出せるかなと思ったのですが 予定が変更になりましてどうも出席できる時間的余裕が無いようなので、今回は残 念ながら欠席になりそうです(_ _)。 - FARION MES( 7):★アリオン世紀末書込み寺------------<02> 94/05/01 - 02144/02147 PXH01650 英雄 RE:Enter セン・シュア ( 7) 94/05/01 01:33 02136へのコメント コメント数:1 はじめまして、セン・シュアさん(^^)/。 できれば、居酒屋1999の方へ、自己紹介なんぞして頂けるとありがたい ですネ(^^)。これからもよろしくお願いいたしますm(__)m。 さあて、ご質問に応えさせて頂きます。 質問の意味は、何かを決定(決断)した時、一方を選んだ根拠は何だろ う、という事でいいですか? 問い:「わたしは、その時、なぜそれを選んだか(選ぶようになったの か)」 一般的な応え1:「それは、偶然だ」(無神論) 一般的な応え2:「それは、運命がそうさせたのだ」(運命論) 一般的な応え3:「神様がそうせよ、とわたしに選ばせたのだ」(唯神論) わたしの個人的見解: 「ほとんどの場合、それは過去の自分の思考と行動の結果が、選択の 場において、その道を作る」 人間は本来完全なる自由を有していますが、現在の状況ではほとんど 発揮できず、既に定められた状況を歩むしかできなくなっている、と いうのがわたしが感じている事です。 こんなお応えでよろしいでしょうか? :英雄: 02145/02147 PXH01650 英雄 預言 ( 7) 94/05/01 01:36 02143へのコメント みれさん、早速のRESありがとうございました。大変参考になり ました(__)。 霊的な事柄の「関連付け」というのは、慎重さが必要ですよね。お墓 でちょっとつまづいたら、霊のせいにする人がいますが、こういう無 意味な事には注意していきたい、と常々思います。 ARIONの仰った事、一々うなづくばかりです。 神霊が預言する場合、それが否定的な状況であっても、それが公開さ れるという事は、必ず既に対処方法が用意されている、という事を聞 いた事があります。つまり、対処方法がない預言は、ありえないとい う事でしょうか。 もはや、ARIONの真贋や出所を議論する時期ではない、と思いま すが、そういうと、「それでは宗教だ」とか何とか議論を始めたりで いささかうんざりします。もう少し、本質的な会話ができればいいな と思います。 今、世界云々のみならず身近な範囲でも、人間同士の様々な葛藤や対 立が見られます。俗に言う「困ったちゃん」が急速に増えているよう な感じがします。長い間、奥に潜んでいたモノがかつてない勢いで、 浮上してきているようです。先月のARIONのハロ―・メッセ―ジ は、その原因と対処方法を示していましたね。 今後、ますます混迷は深まっていくと思います。このフォ―ラムが、 歩むべく道を照らすともしびであり、湧き出づる清水であって欲しい と再度願う次第です。 :英雄: 02146/02147 CXK03125 月狼 月狼よりARIONへ ( 7) 94/05/01 06:10  ARIONへ 5月1日 月の初めなんで少し決意を(^^;)  ARIONの著書に出会ってからかなりの月日が流れましたね。ARIO Nのメッセージに感動し実践しようと最初に思ったあの日から早数年。し かしその間に実践できた事の少なさにははっきり言って愕然としてしまう ほとんどなにもやっていないのと同じだし、ARIONの言葉の持つ雰囲 気、示された世界に酔っぱらっていただけ、と言うのがあるがままの僕な んじゃないかと思う。  実践。これに勝る物はないのですね?今までこの会議室でも何度もいわれ  た事であると思うし、あたり前と言えばこれほどあたり前の事もないわけ だけど、今僕の中では頭ではなく実感としてこの現実が横たわっている  「考える前に飛べ」  某小説の中にでてきた文句でもあるけれど、僕はこの言葉がとても好きで  す。ごちゃごちゃ考える前に少しでもいいから実際に動いてみる。そして  そこから見えてくる物を味わい、観じてみる。 高度な精神世界的知識、高尚な理屈は自分には必要ないと知りました。少  し前まではそう言った物の供給の必要性を感じていたわけだけど最近では  いそいで手に入れる必要性のあるものでもないと認識しています。また、 これからは自分にとって興味がない事は興味がないとはっきりさせて、興 味がない事に対してさも私は興味がありますみたいな態度はやめにしよう  真理などと言う物は、山に籠もったり本を百冊読でえられる物ではなくて 生活の中での小さな実践から始まる・・・・・。  この事実をもう一度みつめなおして、これから頭のなかで描く絵を少しほ ったらかしにして、実践に基づいた新しい絵を書き直せれば・・・・・。  そう思うのでした。 ヘヘ     明日の百より今日の五十か     月狼 ミ・・ミ 02147/02147 PXB05763 セン・シュア RE:Enter セン・シュア ( 7) 94/05/01 10:42 02144へのコメント  こんにちは、セン・シュアです。  英雄さん、RESをどうもありがとうございます。自己紹介は、そのうちき ちんとやりますが、この場では、先の質問がその代わりということです。  一応、この場の雰囲気を乱さない程度には、現在のテーマを継続させていき たいと思います。もう少し、深刻に聞きたい内容も幾つかあるのですが、ここ や隣接会議室での過去の発言を読む必要があるし、普段奥の方にしまっておい た思考を引っ張り出してくる必要が出てきますので、今はまだ。  さて、英雄さんの回答は、不完全です。  ※ 質問は、二者択一から先の状況を考察しようとするものです。  # まず、一般論を片付けると・・。 >一般的な応え1:「それは、偶然だ」(無神論)  この応えはなお、2つの結論をあいまいに含んでます。    1−1   純粋に半々の偶然    1−2   志向性を加味した確率的偶然 >一般的な応え2:「それは、運命がそうさせたのだ」(運命論)  運命の定義がなされていません。  運命が外的作用の一種ならば、二者択一の段階に入った内的判断過程に対し ては決定的な影響を与えることはできません。  運命が時間的空間的に判断の瞬間の外側から作用するのではないとすれば、 それはこの問の考察の対象そのものです。  つまり、私の質問を「運命とは何か」という問に同値変形したに過ぎず、何 の解決にもなっていません。 >一般的な応え3:「神様がそうせよ、とわたしに選ばせたのだ」(唯神論)  この応えは神の存在をどう受け止めるかによって分岐します。    3−1   神とは唯一の存在である。    3−2   神とはつねに相反する価値をもった二種の存在を有する。    3−3   神とは多種多様な価値をもった存在の総称である。  「私」とは、判断する主体の仮の定義なのですから、すべての判断が神によ ってなされたとするならば、「神」が判断する際の過程を考えなければなりま せん。結局、単に主体の入れ換えが行われたに過ぎません。  つまり、私の質問を「神とは何か」という問に同値変形したに過ぎず、何の 解決にもなっていません。     # それで英雄さんの応えはというと、  まず、あなたの立場が不明確なので確認します。  英雄さんは、環境のもたらす影響力を指摘していません。それが故意になさ れたもので、あなたの立場を明らかにするものであれば、人間の自由意志を尊 重するという一つの極端な立場ということです。その場合、理想型としてそれ を支持するという限定もつくようですね。  一方で、人間の判断は環境によってすべて決定するという考え方も存在しま す。経験の蓄積もまた、環境の与えた影響力の蓄積であるとする考え方です。 2つの考え方の相違の発生した原点を探ると、結局「過去の自分の思考はどの ようになされたのか」という問に行きつきます。  つまりこの場合には、私の質問を時間的に過去へ戻しただけに過ぎず、何の 解決にもなっていないわけです。 >「ほとんどの場合、それは過去の自分の思考と行動の結果が、選択の >場において、その道を作る」  これまでの他の人との間の考察においては、過去の自分の思考と行動の結果 (及び、その時点での環境の与える影響力)をすべて計算に入れた後、依然と して二者択一の状況が保存される場合が存在すると考えられています。  私はまだ納得できていないのですが、この段階で3つ以上の選択肢が残るこ とはあり得ないという主張がなされています。これについては、この場の皆さ んはどうお考えになりますか? >人間は本来完全なる自由を有していますが、現在の状況ではほとんど >発揮できず、既に定められた状況を歩むしかできなくなっている、と >いうのがわたしが感じている事です。  本来の「完全に自由な判断」とはいったいどのようなものなのでしょうか。 それに応えることが、この質問の趣旨なのです。それを解決しないうちは、先 の私の質問における「日常的には・・」以降の判断放棄過程をまとめても仕方 がありません。また、あなたの応えに関しては「自由とは何か・何からの自由 なのか」という問題を解決しなければなりません。    ● まとめ  今回は英雄さんの応えに対するRESという形でしたが、この問に応えるこ との困難さがわかってもらえたでしょうか。話が高度にならない程度において、 一般的解答のパターンはまだ幾つか存在しますので、是非他の方も考えてみて ください。  この問題を考える上で驚くべきことは、どのような解答を構築しても、必ず それと対立し、打ち消しあうもう一組の解答が考えられるか、その解答を分析 ・展開してみると、結局元の位置に戻ってしまうことです。  つまり、この問題を解決しようとする過程が、その問題の本質である二者択 一へと収束するのです。下手をすると、この問題を解決するためには、あらか じめこの問題の解答を知っていなければならないという結論を出しかねません。  私はもう少し、先の方でつまづいていますので、どなたかそこまでたどり着 いてください。それでは、、。 - FARION MES(10):★Dr.Sooの《夢酔い人の部屋》--------<01> 94/05/01 - 00416/00416 GGD02212 スウ 室長ハンドル変更 (10) 94/05/01 02:17  暫時タイトルと室長ハンドルの不一致を来しますが、お見逃しを>ALL  慌ててタイトル変更して頂かなくてもよろしいでしょう…また色々とある みたいですから…(^_ー) >運営の方々            Soo = スウ - FARION MES(13):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<03> 94/05/01 - 01214/01217 GGD03030 《 隆 》 空気に逆らうへそ曲がり(^^;) (13) 94/04/30 17:52 01203へのコメント  KAZEさん、こんにちは。    世の中はGWなのだそうですが、僕は毎日が日曜日で、なおかつ貧乏だから別段変  わった事もせず、淡々と初夏を楽しんでいます。それにしても、暖かくなってきま  した。    >もっと不思議なのが、僕の方が結構いろんな人に会ってるということですね。  僕は人と会うのが苦手ではありませんが、逆に最近は人と会う機会がとても少なく  なりました。まあ、サラリーマンをやめたからというのもありますが、それにして  もねぇ。しかし、こんな状態でどうして食べてゆけているのだろう?。不思議だな  あ(不思議がってる場合じゃないのかもしれませんが・・・(^^;))。    比嘉さんの本を読み始めていますが、面白いですねぇ(^^)。まだ、少ししか読んで  ませんが、太古の地球で嫌気性微生物が増えすぎて、その環境破壊の結果が水と酸  素の星という話には思わず笑ってしまいました。おかげで、彼らはすみっこに追い  やられてしまったそうですが、なんとも、その間抜けさかげんがほほえましい。人  類も同じようにお間抜けな事をしているわけですが、そんなのんきな事を言ってる  場合じゃないですから、EMはぜひぜひ活用して行きたいですね。それにしても、  微生物の世界というのは、結構面白そうで、僕はそこいらにワサワサいるであろう  微生物にいとおしさを感じたのでした。    >YUIさんに会ったときに、ちょうど書泉グランデで、東さんの本を前にして、  どうでもいいことですが、東さんの本は書泉グランデのどこのコーナーに置いてあ  るんですか。正月に行ったときに探したのだけど(「東」という姓しかわからなか  ったので本屋のお姉さんにも聞けなかった(^^;))、見つかりませんでした。    >「みんなで渡れば怖くない」式の発想っていうのも、結局は  >この「自分だけはいいんだ」の裏返しで、どちらも無責任なんですよねぇ。  比嘉さんの本に書いてあった「微生物の多くは日和見であるというのを思い出して  しまいましたが、人間がこれではまずいですよね。もちろん、日和見なところもあ  っていいのでしょうが、押さえるところは押さえておかないと、とんでもない事に  なってしまいます。    >そうした「みんなもそう思っている」とか「みんながそうなんだから」っていう  >のは自分の主体的な自由意志を自らが放棄することでもあるんですよね。  >主体的な自由意志というのは、もちろん「自分だけはいいんだ」というのとは  >反対のことであるのはもちろんのことです。  そうですね。僕は必ずしも「みんなと同じ」ようには生きてこなかったから(要す  るにへそ曲がり(^^;))、そういう事の意味を色々考えざるを得ませんでした。時々  はみんなと違う事に不安を感じたり、後悔したりもしましたが、それも単なる取り  越し苦労にすぎないんじゃないかと今は思います。自分で悩むのは良い事ですが、  問題なのは、みんなと違うという事で、必要以上に外部から干渉される事です。実  際は大きなお世話以外のなにものでもないのですが、以外と大きなお世話をする方  が多くてウンザリです(^^;)。    っで、そういうお節介なおじさん・おばさんの言う事は決まって「主体的な自由意  志=自分だけはいいんだ」という勘違いでして、反論する気にもなれなくなってし  まうのでした。ちなみに、多数決の論理などというのは「自分だけはいいんだ」と  いう意識が巨大化したものなのに、僕らはそれを錦の御旗みたいに教えられてきた  わけで、今考えるとムカムカします。プンプン    ところで、「空気」ですが、僕はこれらをかぎわけたり、察したりするのが得意で  す。先天的な事もあるのでしょうが、どうしてそうなったのかと言うと、僕にとっ  て、こいつは危険なものであり、くせ者だからなんだと思います。「空気」のおか  げで、何度も痛い目を見てきましたから・・・(^^;)。  「空気」もなごやかな雰囲気という感じであれば結構なのですが、それがひとたび  「排他」や「束縛」になったときは、どうしようもないものとなりますから、心せ  ねばなりません。    >シュタイナーによれば、同時代人というのは、  >前世においても同時代人だったということなのだそうです。  一定の間隔で受肉を繰り返すということであれば、自然とそうなりますよね。最近  ちょっと考えるのは、来世を考えるとき、それは必ずしも物理的な時間感覚におけ  る未来ではないかもしれないという事です。  非常に突飛で、単なる思いつきに過ぎないのですが、歴史(ヒストリーという意味。  紙に書いた記録という意味ではない)というものは魂の数だけ実はあって、その歴  史が複雑に入り組んでいるのが、今目にしている世界かもしれないと、ふと思いま  した。    7月には甥(または姪)が生まれるのですが、その子は白人とのハーフです。考え  てみれば、昔の日本(神代の時代は知りませんが)ではよほどの事がないと白人と  のハーフが生まれる事は無かった。もっと言えば、同じ時間帯に生きていても、な  んら影響しあわずに過ごす人間が今よりもたくさんいたのです。これは一体何を意  味してるのかなどとウダウダ考えていて、魂がどこのどの時代にに受肉するのか、  というのは、結構重要な事なのかもしれんなぁと思ったのでした。    >願わくば、その「変化」が、進化の良き流れに沿った「変容」となりますように。  >そう祈りたいものです(^^)。  ですね。少なくとも、後退だけはぜひとも避けたいものです。                                by 隆ちゃん 01215/01217 GGD03030 《 隆 》 驚いたぁ(@_@) (13) 94/04/30 17:53 01208へのコメント  FLYING Vさん、こんにちは。    おちゃめな愛機のFEPは何ですか?(ちなみに僕のATOKは以前、「フランス  料理」を「腐乱す料理」と変換してくれました アッパレ)。    >私の住まいは倉敷でございます。  おお、倉敷でしたか。それでは結構お近くですね(^^)。毎月上京されると聞きまし  たから、東京の近くかと思いましたが・・・、しかし、倉敷から東京は遠いですね。  お疲れさまです(^^;)。    >神戸といえば縁のあるところでして、西宮市にあって、キャンパスの真ん中に広  >い芝生がある大学に通ってました。  ゲッ、それってもしかして「バナナキログラム」ですか?。実は僕はそこの付属の  中学校・高校に通っていました。妹(1961年生まれ、いまだに独身(^^;))もそ  の大学に通ってました。「カゼニオモウ、ソラノツバサァ-」ットキタモンダァ    >でもって、学生時代はアルバイトで、三宮の北野にありますHONKY TON  >Kという店でBLUEGLASS MUSICを演奏してたんです。(わたしはBASS PLAYERです)  ゲゲッ、HONKY TONKは名前しか知りませんが、実は僕もベースをやってま  した。大学に入ってからはやめてしまいましたが、中学から始めて(この頃はブル  ースが好きでクリームなんかをコピーしていました)、高校時代は一人でイエスや  ピンクフロイドをしこしこコピーしてました。    う〜む、世の中広いようで、狭いなぁ。    RE #1212  色残像のお話、ありがとうございました。    >細かいことは知りませんが、私たちの眼にある網膜の細胞には、  >特定の波長の光があたると、「変化する物質」があるということです。  光電効果というのがありますが、あれと似たような感じなのでしょうかね(光電効  果の場合は短波長の光が電子をはじき出すというような話ですが・・・)。    >この物質が変化する時に生じるエネルギーが電気信号として、視神経を通って、  >色を識別するとのことです。  これは僕の夢なのですが、脳に直接働きかけて(勿論電極をぶち込んだりするので  はなくて、テレパシーのような形でです)視覚や聴覚を補えるような器具を作りた  いと常々思っています。こういう研究が進めば、現実になるかもしれませんね(^^)。    常に「バランスを取ろう」としているというのが、確かに面白いですね。空っぽに  なった赤色の水のバケツに「まあ、まあ遠慮なさらずに」とか言いながら、緑色の  水のバケツが、自分の水をあげているとかいうイメージを思い浮かべてしまいまし  た(幼稚園児のような発想だぁ(^^;))。    ちなみに、僕も世の中は波動(というより振動かも(^^;))で成り立っていると感じ  ていますので、そのあたりの事もまた、ぜひぜひお聞かせ下さい。                                by 隆ちゃん 01216/01217 GGD03030 《 隆 》 お久しぶり (13) 94/04/30 17:53 01209へのコメント  シゲさん、こんにちは。    う〜ん、なんだかわかったような、わからないような(^^;)。要するに、刺激の反作  用なのでしょうか???。    心理補色って何?。これって、人によって違ってくるのかなぁ。    それにしても、色って不思議だと思いませんか。僕は初めてカラーTVを見たとき  「これは一体何なのだ?」と思いました。要するに白黒の方がリアリティーがあっ  たのですが・・・。色は必ずしも目だけで感じるものではなくて、触感や香りでで  も感じられます。っで、白黒TVを見ながら感じていた色は、自分の頭の中(それ  こそ心理?)で感じていたのでしょうね。                                by 隆ちゃん 01217/01217 GGD03030 《 隆 》 僕はドイツ人が好きです (13) 94/04/30 17:54 01210へのコメント  YUIさん、こんにちは。    >でも、本当に高校生で真剣に、疑問を投げかけて生活している人は、  >めっぽう少ないんですよ。同世代ではなかなか見つからないかなぁ〜と  それは、よ〜くわかります。高校生どころか、大学生・社会人さえもそういう人は  少ない今日この頃ですから・・・。  ただ、人間には人それぞれに時期というものがあるようですから、暖かい目で見て  あげるというのも必要かも(自己弁護みたいですが(^^;))しれません。高校時代に  ボーっとしていても40過ぎて覚醒する方もいるでしょうし、そのへんは本当に人  それぞれです。    ドイツ人の留学生ですか、いいですね(変な意味じゃないです(^^;))。僕は一度だ  け仕事でドイツ(ハノーバーです)に行った事がありますが、すごく良いところで  した。僕の接したドイツ人は、昔の日本人の美徳のようなものを備えていて、「あ  あ、この人たちは僕らと似てるんだ」と思いました。人種としては全然違うのでし  ょうが、感性の部分で通い合うものが多いんじゃないかと・・・。ただ、彼らは少  々真面目の度が過ぎている感じで、ジョークは通用しなかったですが。    日本人の学生よりも外国の学生の方が、目標を見据えて行動しているというのは、  多分正解なのでしょうね。日本の学生はどうもアイデンティティー(めんどくさい  ので以下IDにします(^^;))がはっきりしていないみたいです。偉そうな事をいい  ながら、僕自身もずっとそうでした。これは何故なのかと言うと、日本人の民族と  してのIDがはっきりしている事の裏返しではなかろうかと僕は思っています。要  するに変な安心感があるためなんじゃないでしょうか。日本人の祖先が何であった  かはともかく、僕たちは過去千年以上に渡って日本人でした。そういうIDは欧米  にはあまりない。  民族のIDがはっきりしていて、個人のIDが希薄だというのは、KAZEさんの言わ  れる「アリさん」型なのでしょうが、自覚に目覚めたアリさんになるためには、も  う少し個人の自覚が必要ですよね。    >日本人の高校生の中で、己というもの、また人間の「不思議さ」を追求したがる  >ものは圧倒的に少ない、と感じます。チョット興味はあるけれど、  >自分とはかけ離れた、別世界のように捉える人ならたくさん居るんですが。  高校生というと「いかに異性の気を引くか」に目の色を変えているというイメージ  があります。だから、YUIさんのようなタイプはやっぱり珍しいのでしょうね。実は  僕も違う意味で珍しいタイプでした。根がスケベですから、下ネタは大好きでした  が(^^;)、恋愛や実際の色恋いには全然興味がありませんでした。    本当は己の追求も、恋愛も並行して考えたり、悩んだりするのが健全な高校生なの  かもしれませんけど、ま、人それぞれですからねぇ。同世代で話の合う人が少ない  のは、ちょっと寂しいですが、KAZEさんと知り合えたのは非常にラッキーだったわ  けで、神様も捨てたものではないということですよね(^^)。                                by 隆ちゃん - FARION MES(14):★YHVHの預言解読部屋------------<03> 94/05/01 - 02035/02043 GDB00064 オリハル 裏読みの達人様へ (14) 94/04/29 18:27 02034へのコメント 上記書込みは私がKAZEさんからYHVHさんに 寝返ったという意志表示ではありません。 はっはっはっ、私の勝ちぃー。                 オリハル 02036/02043 JBH02324 なえ RE:ポセイドン・クロス。 (14) 94/04/29 22:20 02032へのコメント  渦巻状に切った紙の一番中央に糸を付けて、ぶら下げてね、  下から蝋燭なんかの火を当てる。すると、紙はクルクル回る。  まるで龍が登るみたいに。そんな子供の遊びが在った。  下から火で暖めるのがミソなんだよね。 02037/02043 SDI00635 みれ RE:補足 (14) 94/04/30 01:02 02026へのコメント コメント数:1  #02026 なえ さん  5月1日が該当する日かも知れないし、そうでないかも知れない…と、 今の時点で言えることは、これくらいなんだけど(^_^;) あたし個人の感 触では恐らく、なえさんの指摘に近いことは起きる可能性が高いんじゃ無 いのかな?と思ってる。  これに絡めて、ARIONが言ってるのは相似形現象(ミクロで起こる ことはマクロでも起こるとかの)で何事かが用意されているらしいんだよ ね。  ミクロで5月1日なら、相似形でのマクロはいつなのか?  はたまた、反転した場合には???  …と謎が謎を呼ぶことになるんだけど(^_^;) | それが仮のまほろばが真のまほろばになる行程。 | | わたし達は火→水をかみごとの様にしてきたが、それが災いの元で、 | これから水→火によって正しい転換を迫られる。  この部分の指摘は、ほぼ正しいです。  私は、このことを教えられてカミゴトをしていますです、ハイ…(笑)  以前のメッセージなんかで「カリマホロバ」って言葉が出てきてたんだ けど、「火(カ)」→「水(ミ)」(つまり、カミの方向性)で人間がカミ ゴトに準じてヒトゴトを行えば、カリマホロバにしかならないという意味 ですね。  今こそカリマホロバがマホロバにならなければ…そういう時期に差し掛 かっているのでしょうね…ア、エラソウナコトヲ…>アタシ ・:*:・みれ・:・。,★ 02038/02043 GHD00256 七穂 現地レポート(^^;?) (14) 94/04/30 01:33 福井県勝山市平泉寺にある白山神社についてちょっとUPします。    えっと、#2008で、”白山神社でありながら、祭神が全く異なる所が  あるらしいのだ”と、HVHさんに書かれてしまったので、  なんとなくたいへんだー!(^^;) と思って改めて調べてきました。  本社の祭神は伊弉冊尊でした。  あと、境内社の越南知社(祭神大己貴尊、彦火火出見尊、宇賀魂神、愛宕大神  を祀る)と、別山社(祭神天忍穂耳尊、少彦名尊、瓊々杵尊、武甕槌尊を祀る)  を合わせて白山三所大権現と総称するそうです。  他に、三の宮(拷幡千々比売尊を祀る)というのが、それら三所大権現のある  ところよりも山を登った先にあります。  それから、末社として、池の王神社(祭神彦火火出見尊)、辻の宮(祭神  天忍穂耳尊)、結神社(祭神高皇産霊神)今宮(鵜萱草不合尊、倉稲魂尊、  禅?子王子..etc)、八幡神社(譽田別尊)がありました。  とりあえず、自分で行ってみて確認できたのは本社の祭神が伊弉冊尊であること   と、越南知社の祭神(大己貴尊)と、別山社の祭神(天忍穂耳尊)。(中世から  近世には、さらに金劔宮と加宝社も加えられていたと書かれていました。)  それに、三の宮の祭神(拷幡千々比売尊)で、他のかみさまの名前は木の札には  記されていませんでした。上に書いたのは図書館の本に載っていたものです。  本の名前は調べてくるのを忘れてしまったので、必要だったらまたチェックして  きまっす(^^;) ところで、拷幡千々比売尊は、社の前にある説明によると  安産の守護神として信仰が篤いとのことです...岩田帯がどうとか...。    三の宮のすぐ脇には、楠木正成公の公墓塔が建っています。  社の前の説明というのが、    当社は御醍醐天皇の建武の中興に際して北条一族を    大野郡手ヶ原に攻め滅ぼすなど、官軍との関係が密接であった。    古い縁起によると楠木正成公の甥恵秀律師は平泉寺衆徒の一人で    延元元年(1336)当社三の宮に参籠していると、    夢に大楠公が騎馬姿で現われ、不思議に思っていたが    やがて大楠公湊川戦死を聞き知るにおよんで、    それがまさに夢見の日とわかり    その場所に五重の石塔を立てて菩提を弔った、と伝える  というものでした。    ここの白山神社には、鳥居をくぐってすぐ左に入ったところに御手洗池が  あるのですが、    泰澄大師が白山登拝の途中、この林泉を発見され、    大師の祈念に応じて泉の中の影向岩に白山の大神が出現され    「神明遊止の地なり」とのお告げがあったため、    当社に社を建てて白山の神を奉斎されたと伝える。    当社発祥の地であり「平泉寺」や「平清水」の名の由来はここにある。    神泉は今もって絶えることなく湧き出ている。  と説明が書かれていて、実際ちょっと神秘的な雰囲気が漂っているような  ところだなーと感じました。      あと、参道の石燈篭の穴?がまるとみかづきの形をしていたのが目につきました。    と、現地レポート(^0^;?)はこんなところです。  なにかお役に立てると幸いですが(^0^;)                         GHD00256/ 七穂 02039/02043 JBH02324 なえ 可能性 (14) 94/04/30 09:54 02037へのコメント コメント数:1  そうですね。でも、あたし・・不謹慎だけども、これが事実になろうと  はたまたなるまいと、どっちでも良いんです。  本質はそんな所では無いのです。  目の見えない人が、目の前の穴に気づかない。気づいた者が、そっと声  を掛けて、危ないから、こちらの方へお寄りなさいよ。・・・これは至  極当然の事で、その誰かに悪意が在るから聞かないでおこうとか、見え  ないからって馬鹿にしているんだろう、とか、疑心暗鬼ばっかり言って、  素直に聞けない事が、問題なんです。  相手が誰であったとしても、そんな事問題ではない、いつまでもそんな  下らないレベルで議論するから、真意が見えない。  まず考えなければならないのは「何か」自問自答しても良い時期にさし  かかっているのではないでしょうか?。  あたしも偉そうだわ(^^; 02040/02043 SDI00635 みれ RE:可能性 (14) 94/04/30 14:21 02039へのコメント  #02039 なえ さん  うんうん、なえさんの言う通りね(*^^*)  あたしも、そう思います。  ところで、先程、九州の宮崎近辺で地震があったようですね。  震源地は種子島の沖の海の中のようで…思わず、みつまたの矛 のハロー・メッセージを思い出してしまった(^_^;)  ARIONの預言は今までにも必ず形を顕すんですけど、それ が当たったとか当たらないとか言って騒ぐのは、何か違うなぁと いう感じですよね。  次は雷ということになるかな…。  そして、これらの預言を伝えることによって何を知らせようと しているのか?を考えてゆくようにしたいですね。 ・:*:・みれ・:・。,★ 02041/02043 PFH02766 河井 浩美 RE:ちょっと、質問です。 (14) 94/04/30 22:39 02029へのコメント 偶然はない。すべては必然である。 慎んで『大難を小難に』とお祈りさせていただきます。 わたしのいう「かみ」とは、このうちゅうをそのうちにはらんだそんざいのことです。 アリオンのいう『宇宙神』でもいいですし、相似象の『潜象』でもいいと思います。 さしあたりついでに。 02042/02043 GFB00026 一輝 RE:雷鳴ってぇと… (14) 94/05/01 02:17 02022へのコメント Soo.さん、興味深いお話ですね。ありがとう。 群馬県佐波郡にある雷電神社は、前方後円墳の頂上にありました。 鎮守の森には、歴代の落雷によって倒壊した樹木が沢山残っていました。 平地に古墳があれば、雷はそこへめがけて落ちます。 古墳のまわりに田んぼが多いのは、避雷針の役目もあったからでしょう。 また、人工的なイヤシロチである古墳の周囲や落雷の多い地区は収穫も多いのです。 一族がアマの力を得るためのアンテナだったのでしょう。 ところで「イカズチ」はスサノオの別称、「ワケイカズチ」はニギハヤヒの別称。 「イカズチ・ワケイカズチ」は、雷神の父子です。 スサノオとニギハヤヒの父子は、共に同じ神社に祀られるか、 あるいは近所の二つの神社に、一人ずつ祀られることがあります。 ただし、「スサノオ・ニギハヤヒ」という本当の名では祀られていません。 政治的な圧力で、別称に変えざるを得なくなったものがほとんどです。 父子が組んで祀られる場合の別称は、以下です。            <スサノオ>  −  <ニギハヤヒ>             タカオカミ  −   クラオカミ             天御柱    −    国御柱             天水分    −    国水分             イカズチ   −   ワケイカズチ ここで、かつてイスラエル建国に大活躍した、 ダビデ(五茫星)とソロモン(六茫星=かごめ)の父子を思い出しました。                                     一輝 02043/02043 GFB00026 一輝 RE:ちょっと、質問です。 (14) 94/05/01 02:20 02028へのコメント 二木さんへ。 はじめまして。失礼します。ご面倒でしょうから本人が出てきました。 これからもよろしくってことで面識アリにしましょう。 YHVHさんをアシストするつもりで足早にいきますね。 まず「かごめかごめ」については、 当フォーラム・データライブラリ4番[NO.7 & 8]に登録されている 「ANA族の系譜&外伝」を宜しくご参照ください。 「童謡(わざうた)」には、 後世へ秘密の情報を伝達するために作られたものがあります。 その中には、政治的に封じられた歴史的事件や、 未来に起こるべく事件(預言)についての情報が隠されています。 つまり、一見何でもないような童謡が、古伝や黙示録だったりするわけです。 その場合、隠喩という方法で、 歌詞の中の言葉が、動物や植物などの自然によって巧みに置き換えられ、 別の重要人物や事件を象徴していることが、 関係者やその子孫にだけはわかるように工夫されています。 子供たちに代々歌い継がせて、 その子孫の中から解読する者が現れるのを待つ暗号文なのです。 最も有名なものでは、 日向族・藤原不比等のライバルだった出雲族のリーダー(天武天皇の子)、 高市皇子(高松塚古墳の被葬者)の重臣・柿本人麻呂の「いろは歌」があります。 高市皇子の死後、藤原不比等によって都を追放された柿本人麻呂は、 石見の岩礁にある牢屋へ幽閉されながら、言霊を「いろは歌」に託しました。 柿本人麻呂は、俗人の警戒心をくぐり抜けるために、 牢の中で、それを日向族が崇めていた仏典の巻頭に書き入れておいたのです。 処刑後の遺品から僧侶が仏典を発見すると、懐に入れて都へ持ち去ってゆきました。 ベストセラー『いろは歌の謎』(篠原央憲・カッパブックス)をご参照ください。 きっと面白いですよ。 二木さんの研究成果も楽しみにしています。                                     一輝 - FARION MES(15):★平成松川塾◎日本を考える----------<01> 94/05/01 - 537/537 GFD00204 松川 貴     唯物論時代の宗教 (15) 94/04/30 02:14    唯物論の影響は宗教にも及んでいます。霊界を信じながらも、霊界を認識   しようとする意志を持たない人は、唯物論者ではないでしょうか。聖書に記   された六日間の宇宙創造の秘密を自分の目の前で展開されるべきだと望み、   キリスト・イエスを一人の「歴史上の人物」として語り、ゴルゴタの秘儀を   軽視するのは、宗教の中の唯物論です。自然科学における唯物論は、宗教に   おける唯物論の産物にすぎません。宗教生活に唯物論が浸透しなかったなら、   自然科学が唯物論になることはなかったのです。今日、宗教に順応している   人々は、かつては自然科学の中に唯物論を持ち込んだ人たちなのです。唯物   論から生じる神経の錯乱は、個々人の生活の中でと同様、家族全体、民族全   体に作用します。    もし、霊的な流れが大きな力を持たず、腐敗や無精が混ざりこめば、カル   マ的な結果として、人類はますます神経質になり、中世に癩病が流行したよ   うに、唯物論的精神を通して深刻な神経症が発生し、すべての民族が狂気の   伝染に襲われることになります。    カルマの法則を洞察することによって、霊学は人類に治癒をもたらすもの   なのです。人類が霊的になれば、神経系統と魂の疾病はなくなっていきます。   (シュタイナー『薔薇十字の神智学』平河出版社 P91)  シュタイナーは「宗教生活に唯物論が浸透しなかったなら、自然科学が唯物論にな ることはなかったのです」とここで語っていますが、普通私たちは、そのようには思 っておりません。実際には、大部分の現代の西洋のプロテスタントたちは──そして 彼ら西洋人から、科学のなんたるかを学んだ日本人もまた──こう思ってます。   科学が宗教を侵し、その結果教会のしりごみによって行動は束縛から解放さ  れて自由になった。(ジナ・サーミナラ『転生の秘密』たま出版 P115)  愛情を込めてケイシーを紹介してくれた、あのジナ・サーミナラ女史でさえ、この ような認識をもって宗教を眺めています。唯物論的な価値意識のみによって、かつて あったことを眺めてみれば、確かに、サーミナラさんのおっしゃっていることは正し いのです。確かにプロテスタントはかつてあった因習の多くを打ち壊しました。  しかし、それは──大方の人々がそのように思い込んでいるのとは違って──「科 学が宗教を侵した(唯物論化した)」からではなく、本当は「当時のプロテスタント たちの唯物論化した精神生活が、科学を侵した(唯物論化した)から」なのです。そ れは「プロテスタントたちが〈科学者〉になった結果」なのです。(私は、このよう なことは間違いだったと、ここで主張しているのではありません。むしろ、それはあ る意味で必要なことでさえありました。)  アメリカもまた基本的にはプロテスタントの国といってよいかと思いますが、例え ば、アメリカ人のジナ・サーミナラさんは、キリスト教に対してこのような認識を持 っています。   われわれキリスト教国に生まれ育ったものは、人生やその悩みに対して自分  流儀のある説明をつけている。それは次のようなものである。   人間は霊魂をもっている。この霊魂は不滅である。悩みは神から与えられた  試練であり、天国や地獄はわれわれをまつ賞罰であり、どちらに行くかはこの  世の苦難にいかに対処したかにかかっている、と。   われわれのうち、この説明を信じるものは信じている。それは何も証拠があ  るからではないが、両親や聖職者たちの権威において教えられたものだからで  ある。こうしてたどってゆけばついには、バイブルという一冊の書物の権威と  イエスという名の一人の男に行きつくのである。   きわめて多くの人が一致して推すように、バイブルは注目すべき書物であり、  イエスは人間であるか神であるかはともかく、非凡な人間であったことにはち  がいない。しかしルネサンス以後──つまり、プロテスタントの始まる時代で  す(松川注)──西欧人は、それが書物であれ人間であれ、権威に支えられ伝  承された信仰には次第に懐疑的になってきており、冷酷な科学の実験室で証明  されない一切の信仰に対してますます懐疑の度を深めている。  (前掲書 P23-P24)  高橋巌氏の書かれた『ヨーロッパの闇と光』(イザラ書房)の中の「ヒエラルキア の崩壊とルネサンスの調和」の章には、キリスト教を奉じている西欧の人々の〈まな ざし〉が、ルネサンス時代へと至るまでの約200年の時の流れの中で、だんだんと 〈天上的な生〉から〈地上的な生〉へと変化していく様子が大変分かりやすく描かれ ています。高橋氏は、読者とともに、西欧のさまざまな建築様式や絵画(聖画)の様 式の変遷をたどっていきながら、このようなことを書いております。   このような空間を教会のためにえらんだ十四、十五世紀ドイツがサクラメ  ンタリズムを否定するにいたる後年のプロテスタンティズムの精神をそだて  たのは当然すぎるくらいであろう。(P58)   私にとって、ヨーロッパの美術史の与えるもっとも圧倒的な光景のひとつ  は、このような中世的空間から近世的空間へのドラマティックな場面転換で  あった。実際それは圧倒的な必然性をもって展開されている。その変化は目  立たず進行していくが、或る日突然気がついたとき、人々はまったく別の世  界にいる自分を発見した、といったおもむきがある。それはヨーロッパのい  たるところで十四世紀から十五世紀にかけて進行していったようだ。(P59)  確かにプロテスタントの登場によって、西欧人たちには、悟性というものを発展さ せることができました。そのお陰で、現在、私たち日本人も前時代とはくらべものに ならないほどの大きな物質生活上の恩恵に浴することができています。しかし代わり に西欧は、それ以前にはあったはずの、真の〈霊界へのまなざし〉を失ってしまいま した。それは、西欧人が悟性の芽を発展させ、さらに力強い悟性を獲得していくため の、いわば代償のようなものだったのです。あるものが発展していくときは、別の可 能性は閉じられます。  結果、彼らは「キリスト教徒である」にもかかわらず、現代において、一方で、こ のようなことまで平気で言うようになってしまいました。   キリストが人類を自由にするために自分のいのちを捧げたということは、歴  史上特異な事件ではない。比較宗教を研究するならば、他の民族にも殉教の死  をとげた救い主のあることが明らかである。西欧文化における多くの理想主義  者はすすんでその生命を人類のために捧げた。マチニ、ボリヴァール、リンカ  ーン、聖フランシス、ゼンメルヴァイス、聖女テレザやその他何百人という男  女が人間を自由にするため生き、かつ死んだ。だが誰も彼らの努力によってわ  れわれの努力が免除されるとか、または彼らの犠牲によってわれわれの自身の  個人的罪がゆるされるなどと感じているものはいない。   それ故キリストは神の子であり、彼は人類の救いのために死んだという──  この二つの説から教義を作り上げるということ及び救いがこの教義を信ずるこ  とにありとすることは、キリスト教というよりはむしろ一部の神学者の犯した  大罪なのである。(前掲書 P113-P112)  現代は、キリスト教徒である〈はず〉の者が「キリストが人類を自由にするために 自分のいのちを捧げたということは、歴史上特異な事件ではない」と言い、「キリス トは神の子であり、彼は人類の救いのために死んだという──この二つの説から教義 を作り上げるということ及び救いがこの教義を信ずることにありとすることは、キリ スト教というよりはむしろ一部の神学者の犯した大罪なのである」と言うように〈キ リスト教徒という体面〉だけは守りながら、一方ではキリストを人間化し、「キリス トは神の子であり、彼は人類の救いのために死んだ」ということを説いて回ったパウ ロやペテロまでを──というのは、サーミナラさんの指す〈一部の神学者〉がパウロ やペテロではないと仮定したとしても、結局彼ら〈一部の神学者〉もまたパウロやペ テロに負っているでしょうから──大罪人だと呼ぶほどにまで、唯物論化してしまっ ている時代なのです。これが約500年に渡るプロテスタントたちの精神生活の結果 です。ここから共産主義思想まではそれほど遠くありません。  サーミナラさんの不思議さは、カルマの思想を精力的に紹介しながら、一方では、 キリスト教というものを、まったく唯物論的に取り扱っていることです。  サーミナラさんは、アメリカにケイシーが出現する前に、ヨーロッパにおいて、す でにシュタイナーという人物が出て、ケイシーよりも格段に詳細なキリスト論とカル マ論を説いていたことを知らなかったのです。もしサーミナラさんがシュタイナーを 研究していたら、彼女のキリスト論はどのように変化していたことだろうかと思いま す。  日本人は「西洋はキリスト教文化だから、うんぬん」とよく言います。しかし、そ のように言うだけでは、本当は何も言ったことにはならないのです。そのような〈言 い回し〉で話が通じると思っているの唯物論者だけです。神秘学徒は、事物の外面の みによって、世界を判断しようとはいたしません。                                   松川 貴 - FARION MES(18):★あもりの二人三脚ネットワーク------<01> 94/05/01 - 00922/00925 JBH00712 桂 桂 実戦を実践する(1) (18) 94/04/29 23:22  あもりさんと殴り会うため、29日千葉に行った。  場所は神社の境内だった。  始め彼は「何故俺を殴る?」といってきた。  そこで僕はこういった。  「理由は、、、、自分の馬鹿さ加減が許せないから」  途端にあもりさんは大コケした。当然だろう。これくらい間を外した 言い方もない。  そう、僕はとても腹が立った時、自分を許せない時、その怒りを周囲 にぶつけると言う困った癖がある。これは「八つ当たり」というもので あろう。  彼が「たまごと話した事なんて何もなかったのだよ」という事は十分 によく解っていたし、自身ですら「実践」ということがまだよく解らな いということは、今までの発言から僕も承知していた。  でもまだ納得出来ない事は幾つかあった。  それはとてもプライベートなことで、今までも僕は怒りに任せてその 片鱗を発言上に匂わせたことがある。それらはほぼあもりさんがどう思っ ていたか、その言質はとれた。  例えばそれはこんなことだ。  たまごからの同胞メールでこんな一節があった(1月)。    「あもりがいったような過去の因縁を桂にも思い出しました(原文)」    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  これに加えてたまごが以前からあもりさんに「ガーディアン」と呼ん でいた事実に加え、この二人が何か裏で画策しているのではないのかと 自分は思い込んでいたのだがところがどうした、    「俺はたまごにそんなことは一言もいっていない。  「たまごが、前世で俺と関りがあったって来たんだよ。  「だけど俺は下手な言い方をしたら余計マズイ方向にいくんじゃない   かと思って、ガーディアンといってきても何も言い返さなかったん   だ」    という返答だったのだ。  正に自分にとって想像にあまりある返答だった。  誤解は常に一方方向の思い込みから始まる。  そしてそれは当人にとっては大変な「事実」であっても、この場合あ もりにとっては、実に「些細」な事柄でしかない。 桂 桂(JBH00712) 00923/00925 JBH00712 桂 桂 実戦を実践する(2) (18) 94/04/30 01:09  それとか「裏でこそこそするな」ということについて。  あもりさんが北海道にたまごを殴りにいった時、彼はそれを表では 絶対いわないつもりであった。  ところがこれがまた、どうした具合かたまごが書きたがる。  「走れメロス」に「信頼関係」における発言削除について。  で、あもりさんはそれを全然表に出す気がなくて、それをたまごが 書いて、そして自分が大激怒していた次第。あーこりゃこりゃ。  あもりさんが人集めしていたということについても、これは本人に とっては誰か新人さんがこのフォーラムに入って来た時、呼び込みゃ 面白いんじゃないかと思ってRTなんかで「OFFにこいよ」と声を 掛けていただけ。ところがたまごとかどっかと誰かさんは、  「彼は人集めをしていて、自分の所にも声を掛けて来た」  と、自分にいって来る。  そして僕は、それを「人集めなんかして何する気なの一体?」 と思っていた。それだけのこと。  会議室へのサポートメンバーの件だって、たまごは当初、自分がよく 話しているアクティブメンバー10人くらいをそれにする気だったとい う(何をいわんや、何を考えているのやら)。  これにあもりさんは怒ってしばしたまごと距離を取っていた訳だ。  ところが自分は全然そんなことは全く知らない。知る由もない。  それなのに自分はあもりさんに向かって「知っていて自分を巻き込ん だ」といっていた訳で、これにはさすがにあもりさんも怒るわなぁ。  たまごは12月のOFFに出た時、「(自分と)あもりと桂とひびき の4人がこれからのFARIONを背負うメンバーだ」だといっていたらしい (自分は直接聞いていない)。何れも「信頼関係」で出て来たメンバー。 一体何の信頼関係の話であったのか、まぁ、話す気があればきいてみた いものだ。  何の事はない、たまごが一番「引っ掻き回し」ていただけなのだ。 00924/00925 JBH00712 桂 桂 実戦を実践する(3) (18) 94/04/30 01:09  で、あもりさんは僕に聞いて来る。「何であんなに激しく質問する?」  なんとまぁ、影でたまごや某ひびきなんかは、僕があんなにグチャグ チャとしたことを書いて来るのは「AとかBと話して吹き込まれている からだ(AもBもアクティブメンバー)」といっていたのだ。  これには流石に呆れた。  一体こうした人間は何を考えているのだろう? よっぽど僕をなめて いるのか、それとも甘く見られているのか、その両方だろう。彼らは会っ た事も話した事もない人間を自分のチンケな思い込みでしか評価出来な いのか。そうした「思い込み」で「断定」して安直に「理解」などとい う言葉を平気で吐いて来る。なかんずく、自分がそうした人々に「惑わ されている」とでも思っているのだろうか? やはりこうした人間とは 金輪際顔もみたくない。今度こそこいつらと会ったらアキレス腱固めを かけたろか。  しかもこのうち一人は、たまごのRTにおける「実践」の姿勢に再三 注意を促し、だが全く耳を貸さない、それどころかヒステリックに反応 するたまごに「わかった。君には一年は何も言わないと約束する」との 言質を取らせた程の人物なのである(もう一人も常にたまごに注意して いたのだが、たまごはせせら笑って全く取り合わなかったのを自分も聞 いている)。自分はこの場に居合わせ、この一件でたまごに重大な疑問 を感じていた。  で、たまごは「桂はこれらの人物に会ってからおかしくなった(!!)」 といっていたそうだ。  これはもう、言われた瞬間、努髪天をつく思いであった。  尤も、たまごからしてもれば僕を「騙し」てたり「裏切っ」ているつも りは毛頭なくて、例えば「たまごのアリオン」にしても本人にしてみれば 本気でそうだと思っていたか(これ自体が凄い問題なのだが)、多重人格 の一つがやっていただけであって(これこそが現時点でのたまごにとって の「事実」なのだから)、それなのに自分があれだけギャーギャー わめき散らすものなのだから、あるいはそう思うのも無理はないのかも知 れない。  だがやはり、如何なる意味でも他人を勝手に自己の思惟に任せて「評価」 する両者の姿勢は度し難い物を感じる。  誤解とはやはりこんなものか 00925/00925 JBH00712 桂 桂 実戦を実践する(4) (18) 94/04/30 01:10  僕はどうしてもたまごの「内部事情」を受け入れる事が出来なかった。  だがそれではいつまでたっても平行線であり、そして何も起きない。  そこで思い切ったパラダイム・シフトをする事にした。  フォーラムに入ってQUITと入力し、「退会する・しない」と表示される 画面をずっと睨む。このまま自己の思い込みのまま突っ走るのなら、全て を投げ出しパソコンをぶっこわしてフォーラムとは今後一切関らない。こ の場合、また暫くしたら戻って来る、というような甘い態度は取らない。  もし今後も発言を続けるのなら、「内部事情」を受け入れ、それに従っ た発言、考え方をしてみる。  10分ともたなかったが、僕はやはり考え方を変えてみる事にしてみた。  そう、僕はずっと「裏切られた」と思っていた。  「大切にして来た物が一瞬にして壊れる瞬間とは?(ハロー)」、自分が 「こうだ」と思っていた物が、それが全く異質な物であったとわかった瞬間 だ。  あるいはオリハルさんが言うとおり、たまごに全人格的なものを求めてい たからかもしれない。だからそれが事件発覚後もいつまで立っても現れない のに業を煮やし、ヒステリックに喚きたてた。この場合問題になるのは僕の 安直によりかかる姿勢だ。寄り掛かられた方はたまったものではない。  不安。  「自分が無い」と思うにつけ、埋めたがる物を常に捜さずにはいられない。  僕は仕事に失敗した後、常に自問自答を続けた。    「俺には能力はないのか、俺は一体なんなのだ」  前から思いつづけた疑問が噴出しだした。  人は何処から来て何処へ行くのか。  私は何者なのか。  自己のルーツを知りたかった。存在理由を知りたかった。  知りたがるあまり知る筈もないあもりさんにしつこく訊ねた「俺の前世 とは?」。 それに答えられないと「あんたはいつも曖昧だ」となじる。単なるわがまま。  あもりさんはある経緯があって自分が仕事をやっていた時どんな失敗をし たのか知る事になった。これは単なる偶然だ。だが僕はそれを「恥」と感じ ていた。それを知る人がいることを苦痛に思っていた。  だから彼の「実践」への呼び掛けに、「そんなことを言う前に自分の方を 何とかしたらどうなんだ」と怒鳴り散らさずにはいられなかった。  僕は自分が大嫌いなのだ。こんな下らぬ事をいつまでも繰り返さずにはい られない自分を嫌悪している。だからこそ、それを知る人に当たり散らさず にはいられない。  たまごに対してもそうだ。  単純に彼が悪いとなれば、詰まる所、僕は「騙された」ということでしか ない。同情の余地がある。「被害者になれる」。  自分の馬鹿さ加減を認めたがらないあまり、喚きたてる。  馬鹿はお前だ。  子供のようにだだをこね、無い物ねだりをし、自己の失敗を認めたがらない お前が一番の愚か物だ。  「言え言え」と何を言わせる気になった? 自分の欲しがる物を与えられな い事への謝罪の文句か?  幼稚。  幻想があった。「俺は絶対のし上がってやる」だがそれがはかない幻だと気 付いた時、認められないとき、それを知る人への憎悪をかきたてられずにはい られない。何もない、「ただ在るだけ」への自己を直視する事を否定する。  常に比較する事により、少しでも周囲への優位を確認せずに入られない。  「(失敗した理由を訊ねた事を)善意でやってたことなんだが(あもり)」  皮相な笑みを浮かべて、そう言った。  「善かれと思ってやった事が必ずしも善き結果を生む訳ではない(ハロー)」  何故なら、僕はその「事実」を認められなかったからだ。  認めたがらないあまり、他人の態度を歪めて受け止める。勘繰る。  歪んだ人間には、善意を善意と受け止められない。  要求するのは、常に「甘え」。  自分を見続けて何がある?  苦しい - FARION MES(19):■精神世界ぶっ飛び話/バチアタリQ&Q--<01> 94/05/01 - 252/253 JAE00201 竜人 人格の多面性 (19) 94/04/30 00:43 コメント数:1   まぁ、タイトルを見れば「ははぁ」等と思われるでしょうが、MES18における  たまごさんの発言に関してです。   で、なぜ此処に書き込むかといいますと、同じくMES18にて桂 桂さんが私の  件でアップされていた内容のうち、オカルト面に係わる事がこの話題に関連して  くるからです。   私は、自分が沢山いるとは思ってないのですが、大抵の場合において、冷静な  自分が何かをしている自分を冷ややかに眺めています。   ところが、何かに熱中している時に、この冷静な目で眺めているはずの自分も  消滅しています。熱中から覚めた後には、ぼんやりとしか記憶がない等と言う笑  えない話になります。多分、此処まで辺りなら、大方の人にも経験があるのでは?  と思っています。   此処で、話が少し飛びますが、小学生の頃くらいに有る時ふと自分の中に「何  をしてたんだ?」と言う疑問が起こりました。その時、私は必死にそれよりも前  のことを考えはじめました、けれども、はっきりと覚えていないのです。昨日の  事さえも・・・。   この事の後で、先程書いた冷静な自分が、中に居据わるようになったのです。   冷静な自分と、表面の自分は所謂「本音」と「建前」であるのかもしれません。   冷静な自分と表面の自分、この両者には物事に対して相反した感じ方をする事  がありました。そのうちに、どちらかが自分にとって嫌な感じ方であることが判って  きました。嫌な感じ方は、自分の中にそういう部分があるからだという事も気が  付きました。   この時点で、私は他人と自分との接点というものは、他ならぬ自分が持つさま  ざまな部分(感じ方をするという意味で)だと思いました。私が嫌いだと私自身  が感じる人は、他ならぬ自分の中にあるその人の事を見てしまうからだと思うよ  うになりました。   この様な意味において、たまごさんの人格の多面性は私にとっては理解しやす  いものでした。尤も、実際は彼のケ−スとは違うものだと思っていますし、彼の  場合の統合的なたまごさんの存在(私の思う所の冷静な私)が居ないという点は、  未だに不可解ではありますが・・・。   さて、このように自分というものは、多数の他人の集合体等と自分自身に評価  をして、とりあえず納得出来うる?生活をしていた私ですが、ある時に自分の話  していることが自分の考えとは違うことを言っているという奇妙な出来事が起こ  りました。内面の私は大変焦りましたが、表面上は平然と話をしているという状  態です。その時に私の顔が引き痙っていたかは知りません。そして、一人になった  時に、頭がおかしくなったのかと自分を疑いました。けれども「話していた私の  知らない私」は、意見を言いおわると私の中から消えていたようでした。   その頃の私は、既にオカルト関連に興味を持っていた時期だったので、何か変  なものが自分の中に入ったのか?と疑いました。けれども、この答えは未だに出  ていません。   「これ」が、起きるようになって以降、私自身の生活で変化した事といえば、  所謂霊的なことが起きはじめたと言うことです。私にとって、以上に挙げた事を  言葉以外のもので示せといわれても、どうすればいいのか見当も付きません。   私が狂っているんでしょうか?それとも、全て私の妄想から生まれた産物なの  でしょうか?   これって、何だと思います?>ALL   心有る人の意見をお待ちします(ッテ、レスガ ツクンダロウカ?(-_-;))。 たつと (JAE00201) 253/253 MGG01713 バトゥーラ RE:人格の多面性 (19) 94/05/01 01:28 252へのコメント 竜人さんへ >この時点で、私は他人と自分の接点というものは、他ならぬ自分が持つさまざまな部 分だと思いました。私が嫌いだと私自身がが感じる人は、他ならぬ自分の中にあるその 人の事を見てしまうからだと思うようになりました。 竜人さんの視点は私とまったく同じですね。 例えば100人の人がいて、その人たちに対する場合、その一人一人でこっちの対応の 仕方が違うと思うんですね。つまりこっちも100人のお一人お一人に対応したところ の表情なり感情なり頭の使い方をすると思うのですよ。そして、話し方もそれぞれ違う。 これは見方を変えれば、相手を見ているとというよりも100通りのご自分変化相を見 ているという見方も出来ると思います。つまり鏡面構造の中でご自分を見ている。 この切り口でいくと、人の数だけ別なる自分がいる、物の数だけ自分がいる、宇宙の数 だけ自分がいるということになってきます。 そして、色々な自分が居る中でその調整役をやっているのが、おそらく今自分と思って いるところの存在なのだろうと思います。 たぶん竜人さんがいうところの「冷静なる私」ではないでしょうか? でね、人って大体思いこみで生活している部分が多いって気がするんですよ。 自分はこういう人間だ、誰それさんの性格はこういう性格だ。その誰かさんが予想外の 言動なり行動をするとみんな驚くんですね。あれー! この人こういう面もあったのか! とね。 だいたい過去のその人の行動パターンからるいしんして判断しているだけで、実際そい う人なのかどうかっていうのは、結果が出てみなきゃ分からない部分があります。 つまり、相手次第でどんなお面でも付けて出て(時には鬼のお面だったり、恵比寿様に なったり・・・)くる可能性があります。 このことは自分に当てはめてみてもまったく同じ事がいえると思いますね。 ですから竜人さんの今回の行動は、そんなに不思議なものではないと思います。 ご自分の中にあるバリエーション一つが出てきただけで、その調停にちょとてまどって いる、そういった感じでしょうか。 - FARION MES(20):■世紀末ウォッチ:これって…!?----<01> 94/05/01 - 563/564 JAE00201 竜人 「沈黙の春」 (20) 94/04/30 00:42 コメント数:1   初めて、この本の名前を聞いたのは、中学か高校に入った辺りだと思  います。その当時には、こんな事起きるはずがないと思っていました。   去年の夏頃に此処の書き込み(ゾウリムシさんだったような気が・・)で  蛙が激減しているというものが有りました。その時には軽く読み流して  いたのですが、今年の3月末以降から実家に戻った私の前には現実の事  として目の前に転がっていました。   田んぼの中には、生き物が消えていました。小さい時に捕っていたザ  リガニや、どじょう、ヤゴやおたまじゃくしがいません。蛙が居なくな  れば、蛇が消えていきます。尤も実家近辺の蛇は、鼠を求めてか農家の  回りに出没していますが・・・・。   田んぼの水は、以前、近くの川からの揚水を使用していました。けれ  ども、川の水が洗剤で汚れてきたために相模川からの揚水に切り換えて  使用していたのですが、その当時には相模川からの揚水は鮒や鯰なんか  が沢山いました。   今、相模川の揚水の中にいるものは、私の知る限り奇形の鯰だけです。   この汚れてしまった水を使わざるをえない状況で米を作るとしても何  処まで安全といえるのでしょうか?   私には、甚だ疑問です。   今回このアップをした目的は、この水をきれいにする方法を知りたい  のです。水が何かに汚染されている以上、土をきれいにしても田んぼで  は意味がありません。この水の汚れ人の行う方法で、きれいに出来るの  でしょうか?   土をきれいにするためには、「カタカムナ」の解説書いや、紹介書  (それも新書判(^^;))と言った方が妥当なものにに出てた方法などを  用いようとは思っていますが・・・・。 たつと (JAE00201) 564/564 JBH02324 なえ 浄化槽 (20) 94/04/30 09:55 563へのコメント  はろー竜人さん。  答は簡単です、でも実行は難しいです。  それは合併浄化槽を出来るだけ沢山の家庭が持つ事です。  家庭雑排の汚染が一番の根元であり、その事を「自分だけ  は良いだろう」式のもっともな考えで流し続けた結果です。  地方自治体には補助金を出して、合併浄化槽の切り替えを  進める所も段々出てきました。問題は、見て見ぬ振りをし  てきたツケは大きいという事です。  もう一つは、虫の着いた野菜でも、市場に通らない曲がっ  た作物でも、出来る限り購入運動を展開する事です。  こうして、結果的に農家は少ない農薬で野菜が作れます。  規格だけに捕らわれ、見た目だけを尊重する今の市場には  さらに農薬と汚染を強化する事しか残されていません。  この規格品が価格を下げて、安い商品を提供出来る元になっ  ていますが、安い不安な食品を食べるか、高い無農薬を食  べるか、これも一問題でもありますよね。  先日ある保健レポートで、面白い記事を見ました。  子供達の中には、かつて猛威を奮った回虫等が復活して、  検便の中に沢山見られる様になった。という事です。  取りも直さず、無農薬野菜が普及して、それだけ多くの人  の意識は、自然回帰へと向かっている様子が伺えます。  問題はその無農薬野菜が寄生虫の媒介となっている点で、  これは勿論きちんと洗い、或いは湯を通すなどして、駆除  する事を心がければ良い事なのですね。  そういった、自然回帰の気持ちが出来るだけ沢山の人の中  に起こり、そして改善出来る事を希望しています。 PS  河川には河川の改善もあるのですが、こちらはちょっと、  難しいのでまた。