- FARION MES( 2):【居酒屋1999】自己紹介・雑談--------<09> 94/05/03 - 02080/02087 PBB00456 FLYING V RE:同世代 ( 2) 94/05/02 20:04 02073へのコメント 秀雄さん。 ども! 連休中のお客様の入りはいかがですか? (^_^) そうですかあ。同世代ですね。ま、お互いあんまし歳のことは気にしないように いたしませふ。(という言葉の裏に、年齢を気にする私が見え隠れしている・・・) >ウチの部署は、平均年齢23.5才。 ムム、ということは、もし部下がお一人なら、その人は13才。それでもって、 お二人なら、その人達は二人とも18才かも知れないし、三人だったら・・・。 うー夢は広がる・・・(何のこっちゃ?)、きりがないのでやめます。(-_-)シツレイシマシタ ごめんなさい。すっかり酔っぱらいました。 >七月には「小父さん」 になられるんですね! おめでとうございます。(^O^)ワーイ! 私も実は2児の父 なのです(小2と幼稚園)。これからしっかりと育児なさって下さいな! ま、わからないことがあったら、何でも遠慮なく尋ねてください・・・ (・・・と先輩風を吹かせる私でございました(^^;) 5/9より、9日間上京致します。出張先からも居酒屋1999に立ち寄らせて下さい。 それでは、「もうすぐ、本物のオヤジになられる英雄さんに、カンパイ! 良いお休みをお過ごしください。 FLYING V 02081/02087 VFD03722 アステア RE:自己紹介と質問 ( 2) 94/05/02 21:41 02067へのコメント 早5月に入り、もう初夏のような暑さですね。 はじめまして、FLYING Vさん。 コメントありがとうございます。 私はパソコン通信は最近始めたばかりで、数ヶ月前までワープロと パソコンの違いもわからなかったのです。(笑) まだよく解らないので、トンチンカンなことしていますが、”習うより 慣れ”ですよね... 私も、このフォーラムでの発言からよい刺激を受取り、学ばせて頂きたく 思っています。 こちらこそ、今後ともよろしくお願い致します。 アステア 02082/02087 JCF02051 めのう ありがとうございます ( 2) 94/05/03 00:55 02072へのコメント  #02072 みれさんへ  こんにちわ。  丁寧なRESをいただきましてどうもありがとうございます。  本の書き手と読み手がこんなふうに対話できるんだから、パソ通ってスゴイ!  今回買った2冊はただいま旦那が読んでいますので、読み終わったら二人分の  感想などをUPしたいと思います。  (ARIONの本は私が買ったにもかかわらず、いつのまにか旦那のモノに   なってしまふ。『I LOVE YOU1・2』は常にカバンに入れて歩いてるし)  メールを送りましたのでよろしくお願いします。  『カミ・コメ〜』のアンケートカードも送りますね。                            ◆◆ めのう ◆◆ 02083/02087 PXH01650 英雄 RE:満2歳の誕生日おめでとう>FARIO ( 2) 94/05/03 10:58 02074へのコメント そうですか、2年になるんですか。わたしは、ここに来て半年。 ネットワ―カ―としても、まだまだ焚きだし、もとい、駆け出し。 「日々、新生」という所でしょうか。 これからもよろしくお願いいたします。>スウさん ちなみに、わたしは会社で「ス―さん」と呼ばれております(^^;。 やっぱ、どことなくギャグが似ているせいでしょうか? :英雄: 02084/02087 PXH01650 英雄 RE:はじめまして!! ( 2) 94/05/03 10:59 02075へのコメント あら、早速、YUI さんを紹介しようと思ったら.....(^^;。 NORIさん、何はともあれ、ようこそ世紀末の館へ(^^)/。 ....こうこうせい、ですかあ。若いな〜(・_・)(コラコラ)。 段々、高校生の方も増えてきていて、頼もしい限りです。ここには、 をじさん、をばさんが一杯おりますけど(高校生から見れば、20才 過ぎればオジン・オバンよ(^^;)、ちい〜っとも恐くないですからね。 どうぞ、お膝をくずして、気軽に話して下さい。 おっと、ここは居酒屋だった!高校生は喫茶店すら行っちゃいけなかっ たんだっけ?(いつの話じゃあ) まっ、いいかあ。マスタ―、オ―ナ―には内緒よ(^^)。 日雇いウエイタ―:英雄: P.S 遅ればせながら、お誕生日おめでとう>YUI さん ...しかし、まだ 未成年なのよ、お酒はダメッ! 02085/02087 VFD07310 NORI いきなり告白です ( 2) 94/05/03 13:34 コメント数:1 はじめまして YUI さん。RESありがとうございます。 みなさん文章がうまいんで、ぼくのぎこちない文章を出すのはちょっと はずかしいです。同じ高2とは思えませんねぇ(^^; わからない言葉もおおいんです。根本的な国語力がたりないんだなぁ^^; ドーセ コウギョウコウコウデスヨ (イジイジ) でもここでいろんな事身に付けるんだっ! 17歳の誕生日おめでとうざいます。ぼくは8月10日でまだ16です。 1人前かぁぼくはちょっと1人前になるのはこわいなぁ。 僕の性格は... 知識だけで行動がほとんどない。 周囲の目が怖いんです。なさけない... 目標はARIONが言っていた「嘘をつかない」です。 そして、 じつは、ぼくは... 同性愛者なんです!!(よし、言えたっ)周りの人にはあまりはなしてません。 周りの人にうそついてますよね、ぼく。 工業高校ですので女性の話はよくしますよっ(^^; そのたび居心地わるくなるんだなぁ。 YUIさんは同性愛ってどう思いますか。もしよかったら聞かせてください。 がっかりさせちゃったかなぁ(^^;)&(;;) 部活とかやってるんですか? ばくは 1月まではラグビーやってました、 今はなにもやってません。無部です。 それでは、また (^^/) NORI 02086/02087 VFD07310 NORI はじめましてですが質問です ( 2) 94/05/03 13:40 はじめまして、みれさん。RESありがとうございます なんと!!みれさんの息子さんとぼくが同級生だったとは。 いまぼくは、まだ反抗期(終期かな?)です。 みれさんの息子さん(なんかおない年の僕がいうとしっくりこないなぁ) はどうですか? ARIONにはもうすこし考えがまとまってから RESしたいと思います。 嘘のない文章ってむずかしいですね、なんかぎこちなくなってしまいます ところで、「カミ・コメ・ツチ・ヒト」は、どこの出版社からでてるんですか。 僕が持ってるのは、前に書いたとおり、「光よりの光」、「I LOVE YOU 1,2」、「アリオン 世紀末書き込み寺 壱の巻」で「光の黙示録」 というのがあるのもききましたが、ほかにもありますか? しつもーん!! YUIさん宛てのにも書きましたが、ぼく同性愛者なんです。(^^;汗 もし、もしですよ、子供が同性愛者だったらどんなきもちですか? 親に告白するのが一番怖いんです。お願いです聞かせてください。 「NORI」と「ARION」って紛らわしいかなぁ?だいじょぶだよね? 質問ばかりですみません。それではまた(^^/)。 NORI 02087/02087 JCF00616 YUI 私も、同性愛者だ、なんて.. ( 2) 94/05/03 16:09 02085へのコメント RE:#2085/TO:HIROさん  こんにちは、HIROさん。  GWウィークは、いかがお過ごしでしょうか?  僕は生憎バイトでぎっしりで、貧乏暇なしといった所です^^;  (月に1万円以上本代のかかる身ですから、小遣いだけではキツイのです)  ■日常の同性愛/自分も同性愛者なのか?  はっきり言いますが、僕自身も時々ですが、「同性愛者なのか?」と自問して  みる時があります。  こんな事言って気味悪がられるかもしれませんが、  「ほれぼれするような」男性も、存在するのは事実です。  自分と対比させる訳では無いのですが、  その人の魅力が、自分を捉えて離さないんですね。  だから、相手が「輝いて」見えたり、その魅力にうっとりさえしてしまう  ことは、結構日常からあるんですよ。  自分でさえ、そういった感情が芽生え、さらに発展してゆけば、  所謂「同性愛」の関係も、必然的に生まれてくるかもしれません。  ただ、僕の場合は〈男性〉と〈男性〉とが、どう見ても──つまり、  生理的な面や、人体の構造からしても──相反してしまうもののように、見える。  もちろん、個人差はあり、また時代の変化による影響も大きいのでしょうが、  少なくとも、〈男性〉と〈男性〉との関係は、+と+の関係を”基本的に”、  保っているように思えるのです。  別な観点を採れば、+と−は互いに引き合うと言う事。  もし、HIROさんの内面に、  +が−となるような、精神状態が存在するのであれば、  それは自然な事で、当然の事ながら、HIROさん自身に問題は無い、と  言い切る事ができます。  僕を正当化する物ではありませんが、  僕だって〈男性〉への特殊な感情を持った時は、僕自身が〈女性〉の方へ、  傾いている事であり、少なくとも〈同性愛〉に関しては問題は見られません。  ■世間の目は、冷たく。  最も問題となるのは、  〈同性愛〉の「同性」という部分で、  これはチョット誤解を招き、偏見を拡大する恐れのある言葉だと感じています。  なぜ、同性、なのか?  確かに、体の構造は〈男性〉であり、それは厳然たる事実ですよね?  また、社会的にもあなたは、〈男性〉で通っている。  でも、あなたの心は、完全に〈男性〉であると、決める事ができるでしょうか?  +でもない、−でもない、特殊な存在かもしれませんよね?  〈性〉の何たるか、をハッキリと自覚しない限り、  同性愛の問題については、言及できる見込みは、ないのかもしれません。  人間 ──世間体の目 は、  自分とは異種である物を、または自分とはかけ離れたように「見える」事実を、  どうも、排斥する傾向にあるようです。  民族間の問題にしても、そうです。  お互い、自分とは異種の物であるから、「理解できない」状態が生じる。  それを理由にさえして、排斥し始め、結局行き着く所は、醜い戦争です。  民族については、民族の姿が外面的に、区別ができますが、  〈性〉については、外面的には現状では、〈不可能〉とされています。  心理学にしても、その基盤はもろく、迷宮入りになることさえ、あるんです。  こんなことからも、現状の生理学や、心理学が人間の精神の働きについて  言及できない、「もろさ」が伺えます。  ■今は、どうするべきか?  一般的な人間の世界観が、現在に至る学術的な研究を基に  「つくられて」いるとすれば、今の段階ではハッキリとした、  〈同性愛者〉に対する回答はできそうにもありません。  でもね、だからこそ、HIROさんは、自分に自身を持つべきなんですよ。  HIROさんは、例えて言うならば、先天的な「超能力者」なのかも、  しれませんヨ(^^)  普通では解らない、〈同性間〉の感情のやり取りが  スムーズに行くというのは、本当に相手を理解していなければ、不可能ですよね?  もし、現段階で〈同性愛〉があなたにとって、  〈ハンディキャップ〉として映っているのなら、なおさらそれを  「バネ」にする可能性が、広がっているとは言えませんか?  ハンディキャップは、次なる進歩へのジャンプ台なのです。  また、ハンディキャップを負った人間は、  それを一度「体験」済だから、アドバイスもしてあげられる。  病気だってそう、精神的な病気だって同じです。  体験から得られる本当の理解があるから、優しくなれる、強くなれる。  そう考えれば、あなたの身に沸き起こった〈同性愛〉の感情は、  感謝すべき、愛すべきあなたの大切な財産なのです。 p.s.親に告白するか、しないか、ですが   ARIONも言うように、何事にも「時期」があります。   そのタイミングはもちろん、踏み外さない方がイイに決まっていますが、   今の自分で決める事は、できませんよね?   だったら、是非、ARIONに聴いてみてはいかがですか?   あなたの精神的な状態や、身の回りの環境の事まで考慮して   良いアドバイスをしてくれる事でしょう。 p.s.それにしても、HIROさんはどこにお住まいですか?   ちなみに、私は埼玉県の和光市と言う所です。 〓 YUI ⇔ TANAKA Masanori 〓 - FARION MES( 3):【めでぃあ室】本/映画/音楽 etc----<01> 94/05/03 - 00451/00453 GFB00026 一輝 もうひとりのビートルズ『バック・ビート』 ( 3) 94/05/02 21:20 00446へのコメント コメント数:1 ぴささんへ はじめまして。 TOKYO FM出版の方と時々仕事でお会いしているので、『ベルリン・天使の詩』の原作 本について聞いてみましたところ、出版してはいない(出版予定も無し)とのことで した。原作本『時の翼にのって』は、いかがでしたか? 最近では、ジョンレノン&オノヨーコのカップルの雛形でもあった、もうひとりのビ ートルズ、スチュワート・サトクリフ&アストリッド・キルヒャー(ジョンは二人の 恋愛関係に強い憧れを抱いていた)の映画『バック・ビート』が、芸術家としての生 きざまや葛藤が熱く描かれて面白かった(こちらは、扶桑社から原作本やデジタルブ ックが出版されています)です。やりたいことへまっしぐら、やりたいことをやって しまうと、あっという間に早逝するサトクリフの生き方は、まるで落ちてきた天使の ようでした。映画は、ビートルズに最も影響を与えた二人とジョンの物語です。                                     一輝 00452/00453 CXJ00675 ぴさ RE:もうひとりのビートルズ『バック・ビー ( 3) 94/05/03 01:39 00451へのコメント  #451 一輝 さん   どうも、はじめまして。(^O^)/   『AMA族の系譜』の一輝さんですよね。つい最近(!)興味深く読ませて   頂きました。また今度、地図帳片手に読み返してみようと思っています。   アレクサンダー大王の話なんておもしろいですね。   『ベルリン』の原作本はないんですね。わざわざ出版者の方に聞いて頂いて   ありがとうございます。あの映画は難しいそうで、数度観てやっと意味がわかる   とか…。どうなんでしょう?>観た方(^O^;; 続編の『時の翼』の方は   やはりまだ前編を観ていないので読む事が出来ずに、しまってあります。   う〜む、残念。   ところで、この最近は「若死に」が流行っているとは思いませんか。山田かまち、   尾崎豊、スチュワート・サトクリフ(あまり知らない(;_;))、ニルバーナの   ボーカルの人(名前は知らない(;_;))…、どの人も死後、爆発的な支持を   得ています。「死」という事は、人々にどのような影響を与えるんでしょう。   死への憧れ??? これは考えてみるとおもしろそうですね。                      これからセナはどうなるだろう? /// ぴさ /// 00453/00453 JAE00201 竜人 RE^3:FARAWAY SO CLOSE! ( 3) 94/05/03 04:52 00450へのコメント  #00450 ぴさ さん   こんにちわ(^^)。   なるほど、第一作をご覧になられてからの方がいいですよね。確かに(^^;)。  私は、第一作はとうとう映画館で見れ無くてTV放映(CXやNHK教育だった  と思います(^^;))で、見ました。ですから、第2作は映画館で等と考えている  ところです(^^)。   映画館に今回行けるのなら、去年の夏以来ですね。私の方は(^^;)。題名をろ  くに覚えてないのは、どたばたコメディだったからのような気がします(ただ単  なる物覚えが悪いやつという話もありますが(^^;))。 >  映画が終わって映画館から出て、外の現実の世界〜太陽が燦々と降り注ぎ >  ぜんまい仕掛のように人々が黙々と歩いている世界〜に戻ったとき、妙な >  気持ちになったものです。 …あ、全く関係ない。(--;;   この感覚はありますよねぇ。以前に平日の真っ昼間に映画を見てた事があり  まして、外に出た時には、人込みの中で思いっきり違和感を感じてました。   第一作は確かビデオで出てると思いましたが(記憶違いでしたら、申し訳な  いのですが)、こちらの方でご覧になるが得策かと思います(そういえば、レ  ンタルにわざわざ加入するのが・・・・トアッタヨウナ(^^;))。 たつと (JAE00201) - FARION MES( 4):【宴会/オフ】プラン・レポート------------<02> 94/05/03 - 571/571 KHC01313 まるにちょん 東京オフ、ありがとう ( 4) 94/05/03 02:07  こんにちは、まるにちょんです。 4月30日の東京迎撃オフ、大変楽しかったよ。(^O^)/  急に上京することになったのに10人も集まってくれて本当に嬉しかった。  まずは、ガッチャに心からお礼を言いたい。  「幹事ご苦労さまでした。ありがとうございました。」  また、忙しい中、当日集まってくれたみんなに感謝。 「ありがとう、楽しかったよ。」  かたさん、みれさん、ホテルまで送ってくれてありがとう。 集まってくださったのは、ガッチャ、たか&みれご夫婦、YHVH&PATA ご夫婦、MOLYX、カナメ、桂 桂、アキツ=アルファ、あもりの10人。  正直にいうと、こんなに大勢あつまってくれるとは、思っていなかった。 だって、あまりに急な上京だったし、その上1週間前にKAZEさんのオフがあったばか りだったから。(だから、よけいに嬉しい。)    帰ってきてから、よく考えてみると、なんかみんなと合うべくして合ったって言う 感じがしているんだな、これが。  実は、ARIONがこっそりお膳立てしていたりして(^^;) なぜか、初めて合うっていう感じではなくて、すごく自然な雰囲気でうちとけた 感じだった。なかなか盛り上がったしね。  みれからあだなを拝名した。  「ごった煮」だって。ミーハーなところとシリアスなところがゴチャマゼになって いるといっていた。(スッ、スルドイ(^^;))  みんなと合って何かしら、感じるものがあった。  みんなと会えて本当に良かったと思う。 ホテルへ送ってくれる途中で、みれが言ってたっけ、  「縁ある者が集まって、またそれぞれの持ち場に帰ってゆく。」って。 みれの言うように、神仕組みってあるような気がする。  (みれいわく、ARIONは、ぼくとHVを会わせた方がいいって言っていた とのこと)  みんなも、大阪に来るときは、しらせてね。十分とは言えないかも知れないけど 歓迎するよ。  最後になったけど、もう一度みんなにお礼を言いたい。 「ほんまに、おおきにありがとう。みんなええ人達なんやね。」           では、また。まるにちょん、○=ゝ(あだ名、ごった煮) - FARION MES( 9):★TAO の《神々の曼陀羅》―美と信仰と史― 94/05/03 - 153/154 TCC00116 NoB なえさんどうも ( 9) 94/05/02 17:36 151へのコメント コメント数:1 なえさんどうもです。うーむ、そういう線の解釈でしたか。 僕自身としては、「遥か古代の人々は、心を澄ませ瞳を凝らして「そのもの」を凝視 していた。そこに、古代人の感性があり、宇宙は一体である、という事を感じてい た。」ということは、ない、と、考えるのです。これは、古代はない、という意味で はなく、万葉集は、古代という意識が擬古されていると思うのです。 この問題は、古代ロマンをもっている人には侮辱のように感じられるかと思うので、 この場での探求はむつかしいかもしれません。 なんか、せっかくなえさんに調べていただいて、でも、感謝してます。 話変わって、TAOさん、僕のほうの引っ越しもだいぶ進みました。もう新居暮らしの ほうがメインです。 信州といえば、僕はまさに信州人2世なのですよ。ま、この話はまたなにかのおりに でも。 NoB 154/154 JBH02324 なえ 宇宙意識? ( 9) 94/05/02 20:34 153へのコメント  どもです。NoB さん  あたし個人はロマンであってもなくても別段拘りは無いのですが、拘り有る人  には酷な言葉かも知れませんね。(^^; 宇宙一体意識・・。無いのね。あ、そ  いう見方もあるのね。ふむふむ・・って感じ(^^;。  でも、万葉集というものには、少し突っ込みを入れて解釈をすると、何処か、  人間臭い、汗と涙の凝縮みたいな所が在ります。でも、あの単調な文体に、そ  の意識は呑まれて消えて、ただ綺麗な表面だけが残される。潔さみたいな。  一種のリズムですね。何処か単調なロックにのめり込む恍愡感?を内在する。  ビートルズかな・・。内に秘めた気持ちと美しいメロディ。  アニメ化された万葉集など見ても、何処か別世界の様で味が薄い。やはり、  その詠む心の芯に近づきたいなって思ってしまうのです。  > 万葉集は、古代という意識が擬古されていると思うのです。  ”古代”という有り様をどう解釈して良いのか解らないのですが、縮図と取っ  ても良いのでしょうか?。そうであるならば、あたしもそう感じます。  時代が離れると生活も違い、基本的習慣も解らないと精神は理解出来ない?。  って感じますので、出来る限りは沢山の資料、文献、その他意見を見て、そし  て自分なりな古代感を求められたら良いなって思います。んで、そんなお互い  の意見の中でも共感の持てる言葉に出会えたら嬉しいです。  色々お話し、してみて下さいませね。                   蝶ンブレサリョ なえ - FARION MES(10):★Dr.Sooの《夢酔い人の部屋》--------<01> 94/05/03 - 00418/00418 JCF02051 めのう コミック版を読み直しています (10) 94/05/03 00:56 00412へのコメント  #412 SUKEさん、こんにちは!  コメントを頂いたその日にコミック版を古本屋で見つけました。  「これはもう一度読めってことかあ?」と思って買っちゃった。  (上下で200円...安い!)  今読むと新鮮です。昔とはまた違った印象を受けました。  原作はまだ見つけていませんが、札幌の古本屋のどこかに  1冊くらいはあるだろうと信じて気長に探します。   「妙なアクセント」と言われても      ゼンゼンわからないよ〜ん  ◆◆ めのう ◆◆ - FARION MES(11):★アキラの《平井和正*異界漂流》----<01> 94/05/03 - 441/444 NCD01751 しろおか 巨星落ちる (11) 94/05/02 20:45 コメント数:2 「関口宏のサンデ−モ−ニング」というテレビ番組で、大山倍達氏の死去が報じられま した。(;_;)カナシイ〜!! その後、いろいろなニュ−スに目を配ってみましたが、極真会館、大山倍達氏に関連し た報道は皆無でした。出てくるのはプロ・サッカ−のJリ−グ、プロ野球といったロ− カルなニュ−スばかり、世界に「空手道」を広め、カラテという日本語を世界の共通語 にしたほどの人物の死が何のニュ−ス・バリュ−も無いとでもいうのだろうか?。 「一撃必殺」、ワン・パンチで人間を即死に至らしめるというカラテの概念は、世界的 にも、特に欧米人にとって相当なカルチャ−ショックだったらしい。ハリウット映画の 格闘シ−ンも今ではカラテのイメ−ジに取って変り、ジョン・ウェインに代表されるよ うな"ジャリンコ・パンチの応酬"といった素人のケンカのイメ−ジは廃れてしまいまし た。米国の警察官が腰にぶら下げている警棒はカラテの武具「トンファ−」ですしね。 (因みに、トンファ−、ヌンチャク、棒術といった空手の武具のル−ツは沖縄で使用さ れていた農耕器具なのだそうです) PS:平井和正さんが作中に、古武術の達人を登場させるなどという構想を読まされると、 私は内心、失望と軽蔑を感じてしまう、思わず、眠狂四郎の円月殺法を想像してしまう からです(^ ^;)。本物には敬意を払うべきで、奇を衒うべきではないのです。(テコ ンド−などというカラテの紛い物をオリンピックの正式種目にするなど無礼千万、笑止 千万なのだ!!(`_´)プン プン!! 442/444 GGD02212 スウ RE:巨星落ちる (11) 94/05/03 00:22 441へのコメント  大山倍達氏の死去の報道は、中華航空機事故の陰に隠れてしまいましたが、 一応新聞記事に載っていました。ソウル生まれだったんですね、やっぱり…。 たまに館長がTV出演された時の話し方は露骨に韓国訛りでしたもんね…。 カラテ・チョップの力道山もアチラ出身だった…。*田**も**力も…。  USAだとカラテもカンフーもテコンドーもゴッチャになっていて、ブルー スリーは日本人だと思っているアメリカ人も少なくなかったり、KARATE の看板を掲げた道場の中でテコンドーを教えていたりするそうですが、これは “ゴッド・ハンド”のマス・オーヤマの影響が大きかったせいでしょうかね。 一方で逆にカカト落とし(=ネリ・チャギ)のようにテコンドーの技が極真系 カラテに入り込んだりもしてるようです。  カラテはフルコンタクトか寸止めかで争っているうちに、オリンピック種目 としては、足技主体の格闘競技として武道からスポーツに脱皮したテコンドー に先を越されちゃったようですね。恐らく国際的にはライトコンタクトで統一 されるかと思いますが、スタイル的にもスピリット的にも伝統的空手とは異質 なものになっちゃうんでしょうね。柔術とJUDOみたいに。   (スウ) - FARION MES(13):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<03> 94/05/03 - 01222/01226 JCF00616 YUI 螺旋/東理論読書会開催! (13) 94/05/02 17:40 01220へのコメント コメント数:1 RE:#1220/TO:英雄さん  こんにちは、お元気ですか?  最近は地球のバイブレーションもアップしているようで、  ますます(^^)な反面、当然の「調整」と言いますか、  なにかと残念に思われてしまうニュースも多いですね。  ■エネルギーの螺旋構造  DNAの二重螺旋構造何ですが、ツイ先日もこのことをフト閃いた  ばかりです。なぜ、同じ時期(?)に同じことを思い付くのか、それも  立派な話題になりそうですが、それはおいといってっと..  DNAの2重螺旋はそれぞれが重なることなく、  互いに噛み合うようにして構成されているんですよね?  そんなことを考え、またその構造を立体的に〈角度を変えて〉、つまり  トップ・ビューにしたり、ボトム・ビューにしたりと、色々と工夫を重ねて行くと、  最終的には〈メビウスの帯の2面性〉に行き着くんです。  螺旋状のエネルギーが互いに交差することがない、という前提を以って、  まず、DNA型の「螺旋」をイメージします。  で、次に、その螺旋を「上から」見る、要するに「円」になるように、  見てみるんです。  すると、どうでしょう?  そこに、メビウスの帯を想起させる形象が湧いて来ないでしょうか?  一方(陽)の螺旋が時計周りをしている時、もう一方の螺旋(陰)は、反時計周りを  しているのではないでしょうか??  そして、一方の螺旋のみを円として描いた場合、  もう一方の螺旋はその「裏側に」隠れてしまっているはずです。  そのような性質をDNAの二重螺旋構造に垣間見る時、  僕は〈メビウスの帯〉が、螺旋状エネルギーを現すことのできる、  「完結した」3次元の物体であることを認識してしまいます。  さらに、メビウスの帯はあくまで文字通り、表面的ですが、2次元への  変換、つまりは「三角変換」と呼ばれる変換も可能であるという点を  見つめる時、さらなる希望を持ってしまうんです。  何故かと言えば、〈波動〉や〈螺旋〉を幾何学的に説明が可能であることを  示す、手掛かりになるのではないかと考えるからです。  ■右脳と左脳と螺旋/2重螺旋は生命体であること  まだ、ここにはアップしていないんですが、  梅田氏のチャクラ論(※梅田氏はチャクラと表現してはいませんが)にも  関係することで、頭上のチャクラとエネルギーも興味の対象となりそうですが、  それはまたの機会に回すことにして^^;;、  とりあえず、またまた「閃いた」ことをひとつ。  僕に「あなたは右脳型人間ですか、それとも左脳型ですか?」と最近  自問してみました。  基準はといえば、音楽・美術の別や、言語処理・感性面などを  つぶさに調べていきました所、どうやら「全脳型」みたいです。  自分でいうのも可笑しいのですが、  一応、美術的な能力(センスは別として)はあるし、  語学は結構やっていてそれなりの効果が上がっている様だし..  右脳と左脳はそれぞれの生み出す螺旋(波動)が  「陰と陽とが交わってひとつに成り」、その結果中心にエネルギーが発生する、  そんなことが直感的にイメージされます。  婉曲的になりますが、メビウスの帯はそれ自体で〈生命〉そのものを  生み出す”源泉”のような「型」であるのかもしれません。  「意味」が奇妙に繋がるこの循環の輪は、  まさに、「意味の」メビウスの輪と言っても過言では在りませんよね?  ■次なる発展へ ──→東理論  次は、ズバリ!「円周運動とスピン運動」と「螺旋/波動」についての  考察になるでしょう。  また、「生命」と「時間」と「質量」を考えるにあたって、  東理論はその神髄をここぞとばかりに見せ付けて(?)くれると思いますので、  そちらの方も参考にして、いろいろと考えたいものです。  で、肝心の「東理論読書会」ですが、きっと心待ちにしておられる方も  多いかと存じますので(実は自分だったりする^^;)、早速、この会議室で  始めてみたい、と考えています。  何にもわかちゃっちゃいない、このワタクシめがいうのも何ですが^^;  まず、『アインシュタインの悩みとファインマンの悩みの解消に向けて』から  始めたいと考えています。  『ポスト「不確定性」文明の曙』は結構読んでいて「曖昧だなぁ」と感じたり、  イメージが湧きにくい部分も多々ありましたので(私見)、  まず、具体性があり、図版も多く含まれている東理論第3部をテキストに、  読書会を開催したいと思います。  基本的には、1週間につき1項目を消化してゆく方針ですが、  この分ですと全項目が36ありますから、約9ヶ月ほどかかってしまいます。  ですから、簡単に理解可能と思われる部分では早めに消化してしまい、  その分をじっくりと深い理解の必要な(核心部分)所に充てて行きたい、と  考えています。  ただ、唯一問題なのは、会議室にどのように書き込むか、でありまして、  コメントリンクして行く方法が一番無難だと思われるのですが、  話が飛び飛びになったり、なにかと問題が発生する気配があります。  どなたか、良い案がございましたら御提示ください。 〓 YUI ⇔ TANAKA Masanori 〓 01223/01226 PBB00456 FLYING V RE:自他ともに楽しむこと (13) 94/05/02 20:23 01204へのコメント コメント数:1 KAZEさん、こんにちわ(^_^) 連休はいかがお過ごしですか? 後半からは、尾道にいらっしゃるとのことですね。楽しいお休みを(^O^)! 松山の方なんですね。機会を見つけて、お目にかかれれば幸いです。 で、岡山にも結構いらっしゃってるんですね。身近な所をKAZEさんが御存知なので 何だかとても不思議な感じです。 >そして一度アンテナを拡げ始めると、もうそれ以前には戻れなくなります。・・・ そ、そうなんですよ。この会議室にアクセスすることだって、義務感ではなく、 毎日の自然なリズムになろうとしてるんです。私にとっては全然無理がないこと なんです。 >「創造」は楽しくなければ本物ではないかもしれません。そこらへんのことは、 >僕にとっては、非常に大きな課題のようで、これからも悪戦苦闘が続きそうですので >そこらへんのことについて今後アドバイスいただければ助かります・・・ アドバイスっていうか、そんなに立派なことは申し上げられませんが、これからも、 私が見聞き、経験したことを、ごくナチュラルにお話しさせていただくことで 何かのきっかけや気づきとしていただければ幸いです。 話は全く変わるのですが、この連休に私は何と「アート」してるんです。 え?「ヘアチェックあたりまえ〜。」ではないですよ。(^_^;) 音楽は少しかじっているのですが、今まで全然見向きもしていなかった「絵を描く」 ことを始めたんです。ま、これもある方との出逢いがきっかけとなったわけですが・・・ で、こともあろうに手をつけたのは「パステル画」です。理由は全くありませんが、 とにかく画材屋さんで目に留まったのが、パステルだったからです。とりあえず、 今はこの画材に慣れることからと思い、結構笑いをこらえながら「なんじゃこりゃ!」 という作品を描いてます。 ただ、言えることはとても自由な気持ちでいられるということです。即席のアトリエで ああでもないこうでもないとやっていると、あっという間に時間が過ぎていくんです。 短絡的になってしまうかもしれませんが、「自分自身を楽しむ」という感じを、久々に 取り戻した感じなんです。「自分の自由な感情に栄養をあげる」とでもいうので しょうか? そのことが、これから自分が無理なく変容していく第一歩かもしれません。 もちろん、そのことは「他」を許容し認め合い楽しみあう原動力になりますよね。 とりあえず、本日はここまでと致します。改めましてこちらこそ宜しく、 お願い申し上げます。連休中のご移動の際にはくれぐれもお気をつけください。                                   FLYING V 01224/01226 GGA02514 KAZE RE:螺旋/東理論読書会開催! (13) 94/05/03 00:41 01222へのコメント YUIさん、どうも。 僕がなかなか踏ん切りが悪くて始めないものだから、 YUIさんが「東理論」の読書会をはじめてしまいましたね^^;。 テキストは、 ●『アインシュタインの悩みとファインマンの悩みの解消に向けて』 ということですね。 僕も、YUIさんに負けないように、 YUIさんの進行をフォローしながら(できるかな?) いっしょに「東理論」の可能性について考えていきたいと思いますので よろしくお願いします。 「1週間につき1項目を消化してゆく」というペースが早いのか遅いのかわかりません が何はともあれ、はじめてみなければわかりませんよね。 まずは、YUIさんのチャレンジ精神にエールを送ります(^^)。 PS 「螺旋構造」に関するコメントは、また。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 01225/01226 GGA02514 KAZE シュタイナーの色彩論(1) (13) 94/05/03 00:42 先日から「色」に関するテーマが出ているので、それを受ける形で、シュタイナー の色彩論についてその一部をここで紹介してみることにしたい。 シュタイナーは1884年〜1897年の間、「ゲーテ自然科学論文集」全五巻を 編集しているが、そのなかの第三巻〜第五巻に収められているのがゲーテの色彩論 である。シュタイナーは現代の自然科学の成果の上に立ってゲーテ的な意味での色 彩論を書くことを「わたしの人生のもっとも美しい課題」としているが、その成果 の一端は、次の訳書で日本の私たちにもふれることができるものとなっている。 ●シュタイナー「色彩の本質」(高橋厳訳/イザラ書房) ●シュタイナー「色彩の秘密/『色彩の本質』秘教篇」(西川隆範訳/イザラ書房) 通常の色彩に関する研究の現在について概観するには、今年に入って刊行された手 軽なものがある。 ●大山正「色彩心理学入門/ニュートンとゲーテの流れを追って」(中公新書) 副題にもあるように、色彩の研究には大きな二つの流れがあって、それはニュート ンの「光学/光の反射、屈折、回折、及び色に関する論述」で論じられたプリズム 実験による色の物理学的側面を中心に扱ったものと、そのニュートンの色彩論への 批判という形で展開されたゲーテの「色彩論」における色彩体験の主観的な体験の 現象学である。 この本ではその二つの流れを端緒として、その両者に欠けているという「色覚の生 理学」についてドールトンの色覚異常研究やヤング−ヘルモホルツの三色節、ヘー リングの反対色説などが紹介されたりしているが、大きくはニュートンとゲーテに 色彩論の方向性は大別できるものと思われる。 シュタイナーの色彩論の方向性は、最初に述べたようにゲーテの色彩論の流れにあ る。シュタイナーはゲーテのニュートン批判のようにニュートンの色彩論を批判し ているが、そのすべてが肯定すべき見解であるとはいえない。しかし、基本的にニ ュートンの「光学」の延長線上にある現在の色彩の考え方、つまり、色というもの は光が目に入り、それで生じた神経作用が大脳に伝えられたときにはじめて生じる 感覚であって、自然界にはさまざまな色の感覚を生じさせる波長の光があるだけで あるという考え方に対する根本的なアンチテーゼとしては、注目に値するのはない だろうか。 「色彩の秘密」に収められた「霊的諸存在と虹」の章では、シュタイナーはニュー トンの色彩論が信仰箇条となっていったことなどについて次のように語っています。 シュタイナーの神秘学的な言葉使いに戸惑われる向きもあるだろうが、シュタイナ ーのいうような「人々は、一方では物理学者のいうことを聞き、他方では絵画を見 ます。しかし、その両者を統合しようとは思いません。画家は。この両者を統合し なければなりません。」という言葉にみられるように、ゲーテ的な色彩論を採用し そこに見られる自然への理解のために、ニュートン的な意味でのあまりにわかりや すい科学的信仰から目を覚ます必要があるのではないだろうか。たとえば、そうし た「科学的信仰」では、空がなぜ青いのか、朝焼けや夕焼けの意味についても、お そろしく複雑かつ陳腐な説明しか可能でなくなる。結局、その波長の光がある、と しかいえないのである。これでは、自然の神秘はまるで解明できないのは当然なの である。  ニュートンの色彩論からは、霊的世界についてなにも知ることができません。 ゲーテのように霊的世界から刺激を受けた人はニュートンの色彩論に対して、 真正な色彩論を打ち立てて、ニュートンに恥辱を与えました。ニュートンに対 してほど、ゲーテがぼろくそに語ったことは、ほかにありません。ゲーテは、 ニュートンの愚にもつかない色彩論を手ひどく罵っています。今日では、ゲー テのこのような悪態は理解できないものになっています。ニュートンの色彩論 を承認しない者は愚か者だと物理学者がいうからです。けれども、ゲーテの時 代にあっては、ただゲーテひとりがこのような反論をしたのではありません。 外部にむかって発言したのはゲーテひとりでしたが、十八世紀にいたるまで、 識者はいかに色彩は霊的なものから流れ出るかをはっきりと知っていました。  空気は光の影です。光が生じると、ある条件下に影が生じます。色彩が存在 し、その色彩が空気要素のなかで作用し、空気中にきらめくように飛び散ると 空気要素のなかにある別の要素が生じます。ある条件の下で、圧力によって逆 流が生じるように、色彩から液体状、水状の要素が生じるのです。光の影が空 気であるように、水は色彩の反映なのです。  理解しがたいことかもしれませんが、一度、色彩の真の意味を把握しようと してみてください。たとえば赤というのは、なにか攻撃的な色です。赤の前を 走り去ろうとすると、赤は人を突き返します。青紫にむかって走ると、青紫は わたしたちから逃げ去り、ますます遠くなっていきます。色彩のなかになにか が生きているのです。色彩は一個の世界です。心を込めて色彩を体験すると、 感動せずにはいられません。そのように魂は、色彩世界のなかで自己を感じる のです。 まず、何よりも大切なのは色彩を抽象化するのではなく、それを実際に体験するこ とではないだろうか。抽象化されて語られた色彩には「いのち」の輝きはないから。 末永蒼生さんの「色彩教室」があるが、まずはそうした体験的な色彩体験からはじ めなければならないと思う。 色彩には歴史があり、さまざまな文明がさまざまな色彩で彩られていたが、そうし た色について考察するときにも、物理学的な説明でその色を説明したところで、何 もわかったことにならないのに気づかねばならない。 「シュタイナーの色彩論」の第1回目として、最後に、上記に紹介した意外で、今 後引合にだすであろう主な文献を紹介しておくことにする。機会があれば、参照さ れたい。 ●ゲーテ「色彩論」(木村直司訳「ゲーテ全集14/潮出版社」所収) ●ゲーテ「色彩論/色彩学の歴史」(菊池永一訳/岩波文庫/赤407−4) ●城一夫「色彩の宇宙誌/色彩の文化史」(明現社) ●is 総特集「色」(ポーラ研究所) ●北沢方邦「数の不思議・色の謎/日本文化の記号を読み解く」(廣済堂) (たぶん^^;、続く) ☆☆☆KAZE☆☆☆ 01226/01226 GGA02514 KAZE JIZZY^^;の茶飲み話なり、楽しみまし (13) 94/05/03 09:20 01223へのコメント FLYING Vさん、どうも。 連休は仕事のこともすっかり頭から追い払って、のんびりしてます(^^)。 昨日は、岡山方面にドライブして、矢掛町や真備町などの 吉備真備関係の神社仏閣や公園などにいって楽しんでました。 なぜかちょっとまえから吉備真備に関心がでてきたんです。 >この会議室にアクセスすることだって、義務感ではなく、毎日の自然なリズムに >なろうとしてるんです。 それはありがたいですね(^^)。 義務感なんかでやっても楽しくないから、そうならやめたほうがいい^^;。 僕も自然なリズムにまかせてこの会議室を運営しているつもりですが、 ときには、書き込みが「長い!」とか「難しい」とかいう感想をもらいながらも それはそれとして、必要以上に妥協しないでやってこうと思ってますので、 それこそJIZZY^^;の茶飲み話なりと、楽しくやっていきましょう。 >私が見聞き、経験したことを、ごくナチュラルにお話しさせていただくことで >何かのきっかけや気づきとしていただければ幸いです。 それが一番ありがたいんですよ。 百聞は一見に如かず、っていいますが、 やはりそれぞれの体験に裏打ちされたことっていうのは 特に聞くべきものがあるんだと思います。 >この連休に私は何と「アート」してるんです。 それはそれは(^^)。 それを聞いて僕もアートしてみたくなりました。 先日、イルカの研究で有名なリリー博士のワークショップで、 「色彩教室」をやっている末永蒼生さんのお話をお聞きする機会があったのですが 「色」を使って「アート」するっていうのは、 意識を解放し拡大していくための非常に大きなキーになるんだと感じました。 ちょうど、「色彩」に関する話題がちらほらありましたので、 以前にも幾度かとりあげたことのあるシュタイナーをはじめとした色彩論を 少しばかりまとめて紹介しようと思い立ったところです。 実は、色彩論だけではなく、音楽論についても、 シュタイナーのそれを基軸として続いて少しばかりまとまったものを 展開してみようと思ってますので、興味があれば読んでみてくださいね。 ま、計画倒れで大したものにはならないかもしれませんが、 ネタの提供程度のことはできると思います。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES(14):★YHVHの預言解読部屋------------<03> 94/05/03 - 02045/02046 GCC01413 YHVH 出帆。 (14) 94/05/03 12:21   「マホロバ」について、光の黙示録の中では、「摩穂呂覇」と綴られていた。   「真・ホ・ロ・場」だとすれば、「ホ」+「ロ」が、その核心である。   そこで、差し当たり、「ホ」と「ロ」に関して、いろいろ考えてみよう。      「ホ」+「ロ」     −−−−−−−−−      「火」+「露」・・・・・「火(稲穂)」と「水(雫石)」      「雷」+「炉」・・・・・「水を生む者」と「火を生む者」      「帆」+「櫓」・・・・・「鳥船の制御」と「鳥船の動力」   この分析によっても分かることは、やはり、「反転」という事柄である。   おそらく、「有翼太陽」=「天鳥船」であって、これこそ「帆掛船」だろう。   まるにちょんさんが、OFFの時に、電気分解の話をされていた。   神秘というものは、意外にも、物理学なのではないか?…このことは、   当初から強調してきたことである。(※その昔の「髪結い問答」を参照)       〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜   いずれにしても、「ミ」→「カ」ならば、先ずは「ミ」ということになる。                                 YHVH 02046/02046 GCC01413 YHVH 反転。 (14) 94/05/03 12:22  引き続いて、「マホロバ」に関する分析をしてみよう。(※「反転」を意識して)        (間)          「ロ」       「ホ」        『マ』           ・ \     / ・        /・\           ・  \   /  ・       / ・ \          ・   \ /   ・  (火)「ホ」 ・ 「ロ」(水)    「ハ」  『マ』  「ハ」       \ ・ /          ・   / \   ・        \・/           ・  /   \  ・        「バ」           ・ /     \ ・        (波)   [図1]   「ホ」       「ロ」 [図2]  何度も言う通り、図式というものは“表現の便法”であって、それ以上ではない。                                  YHVH - FARION MES(15):★平成松川塾◎日本を考える----------<01> 94/05/03 - 538/540 GGA02514 KAZE 「空気」を見る目を養うために (15) 94/05/03 12:48 535へのコメント 松川 貴さん、どうも。 >「言葉の中に生命があった(1.4) 」 >とはいえ、この場合の〈言葉=生命〉はキリストのことでありましょうが……。 言葉は数であり、それは「運命」「立命」の「命」ということでもありますよね。 つまりは、それはこの宇宙の「法」とでもいえる法則そのものでもあります。 ですから、言葉に精神が宿ってないと、「言葉」により「立命」ではなく、 「宿命」とでもいうべきものに流され、主体性をなくした状態になってしまいます。 >私は、日本人の自信喪失の原因のひとつを、先の敗戦体験に求めています。戦後そ >の失意の民族の心の隙間に大挙して流れこんできたアメリカ思想(個人主義)と社 >会主義思想(集団主義)のはざまで、日本人の心はひきさかれたままなんですよ。 「日本人の自信喪失の原因のひとつ」としての「敗戦体験」というのは 確かにあるでしょうが、それによって「日本人の心はひきさかれたまま」というのは 僕は少しばかり違った側面から考えたいと思っています。 つまり、「日本人の自信喪失」ということについて、果たして日本人は 喪失する「自信」なるものをどれほど持っていたかということなんです。 山本七平さんは日本人のことを 「本心教徒」というように呼んでいることもありますが、 肝心なのは、あると思っていた「本心」なるものを、 「敗戦」ということをきっかけにして覗き込まざるを得なくて、 仕方なく少しばかり目をやったところ、そこには何も見えなかった、というか 確固たる本心というか自信といったものは見つからなかったということなのです。 で、驚いた日本人が慌てふためいてやったことが、「お金」を、 これが実は本心だったんだと思いこむことではなかったかと思うんです。 その反作用として戦後は雨後の竹の子のように新宗教、新新宗教が起こります。 その両者は一見逆のようにみえてその実同じことの裏表でしかないように思えます。 「科学信仰」や「唯物論信仰」なんてのもそうした宗教の大きな潮流のひとつで それを「本心」だと思いこむしかなかったということではないでしょうか。 それと、そうした現象がはじまったのは、実は「敗戦後」ではなくて、 規格大量生産を可能にしようとして平均化した日本人なるものを指向しようとした 明治期の後半から始まっていて、それが確立するのが、 堺屋太一さんのよく言っているような「昭和16年体制」のように思えます。 つまり、みんなが同じ本心というものを持つべきだという信仰の確立です。 そして、「敗戦後」はその矛先がちょっと変わっただけなんです。 ですから、アメリカ思想(個人主義)と社会主義思想(集団主義)のはざまと いっても建て前は別でしょうが、実のところ、 「昭和16年体制」の延長でしかありません。 つけ加えていうとすると、「お金」に関する感覚も、 戦後こうなってしまったというふうにも考えられますが、 そうでもないようで、そうでないのは江戸の町民くらいのものだったようです。 (江戸の町民のお気楽さについては、高橋克彦・杉浦日向子の  「その日ぐらし/江戸っ子人生のすすめ」(PHP文庫)が面白かった) 山本七平さんもこう言っています。 (「日本型リーダーの条件」(講談社文庫)より) 日本は「まだら社会」であったから、一概に「日本では……」という形で断言 できない面があることは否定できないが、しかし全般的にいって、日本人のお カネに対する感覚は昔から相当に敏感であったと思われる。  人間がおカネを強く意識するようになるのは、預金・利息・融資等が行われ て、おカネそれ自体がおカネを生み出すという状態になったとき、またそれで 地位や権力も入手できるようになったとき、またその逆で、インフレその他で おカネの価値が下落するかまたは無価値になったようなときであろう。そして こういう経験を長期間にわたって直接にまた間接に数多く積んだ民族がおカネ というものに敏感になっても不思議でない。と同時に日本にはイスラム法や教 会法のような「利子禁止法」がなかったことも大きく作用していたであろう。 利息をとることは日本人にとって少しも「罪」ではなかった。……  少なくとも鎌倉時代以来、おカネは日本人の生活についてまわり、平和な時 も戦乱の時もさまざまな威力を発揮しているが、武力を必要としない時代にな ると、カネだけが唯一の威力になってくる。…… こういうことをいうとどうも日本人は定住し続けたユダヤ人のようにも 感じられてしまいますが、それはともかく、 「日本人の自信喪失」?などということに関して考えていくには、 現在の日本人のメンタリティーの形成について、 もっといろいろ考えていかなければならないように思えます。 「はざま」といえば、日本人は、 山本七平さんが「貞永式目」に関していっているようなその能力主義的なあり方と、 「本心教徒」の落とし子でもある半ば強制的な平等主義との「はざま」について その両者を平気で混在させてきた部分について 見ていく必要があるのではないでしょうか。 それは「敗戦」のせいというよりも、明治維新後いつかは顕在化してくるはずの 必要不可欠のテーマだったともいえるのですから。 >だから、これは日本独特の、というよりももっと普遍的な問題なはずなんですよ。 そうですね、それぞれの社会の「空気」への信仰が 他の「空気」との接触によって乱され、 その乱れにその社会がどういうふうに対処していくかということが 「民族魂とその使命」ということに関連しても「普遍的」な問題だと思います。 「日本人の自信とその喪失」というテーマがあるとしたら、 「アメリカ人の自信とその喪失」というテーマももちろんあります。 そして、アメリカ人も現在それに直面せざるをえない状態になっています。 しかし、湾岸戦争のときのように、「強いアメリカ」への信仰は捨てがたい。 そういうことを見ていくには、それぞれの社会の「空気」について しっかりと見る目を養うということが必要なんだと思います。 長くなりましたので、今回のアーティクルの最後に、山本七平さんの次の言葉を 引用して終わりたいと思います。 (●山本七平・良樹   「東京−ニューヨーク 父と息子の往復書簡」(日本経済新聞社)より)  西欧文化を摂取したのは日本が地球上で最後だったけれども、トルコや インドはこれに失敗した。日本がなぜ成功したかについて、そのはっきり とした方法論を『日本人』自身が呈示してきたわけではない。ただ西欧の 評価に任せてきたんだ。  これからの近代化を成功させるためには、地球上のそれぞれの民族が自 分達自身の眼で自己の伝統文化を見つめるしかないだろう。自分達の文化 的前提を調べて、それぞれの国からの方法論を捜し出す他ないのだ。『日 本人』は自分達の近代化と伝統文化との関係を、自らの手で明らかにしよ うとはしなかった。その関係、方法論の呈示こそ、『日本人』が世界に対 してこれからなしてゆくべき課題ではないだろうか。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 539/540 GGA02514 KAZE 桜のようにはぱっと散らない生き方への讃 (15) 94/05/03 12:48 536へのコメント 松川 貴さん、どうも。 ご紹介いただいた勝海舟のエピソードは、 僕も非常に深く感動したもののひとつです。 よく西郷隆盛と勝海舟を比較して、勝海舟を才の人とし、 西郷隆盛の大器には及ばないというような言い方をする方もいますが、 僕などは、西郷隆盛は「待つ」という器がなかったと思っています^^;。 ま、それぞれの人にはそれぞれの器があるということで、 それを安易に比較するのも余り意味のないことかもしれませんが、 どちからというとあまり評判の芳しくない大久保利通やこの勝海舟、 そして榎本武揚のような方のほうに心惹かれるものがあるのは、 やはり日本では少数派なのかもしれませんね。 日本人は、桜の花のようにぱっと散るのが好きですから^^;。 PS そういえば、セナが散りましたが、 伝説化するにはこういう死に方がふさわしいのかも^^;。 考えてみれば、ぱっと散るのを物語化するのって、 別に日本だけの専売特許というわけでもないようですね。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 540/540 GGA02514 KAZE RE:唯物論時代の宗教 (15) 94/05/03 12:48 537へのコメント 松川 貴さん、どうも。 >唯物論の影響は宗教にも及んでいます。 僕の考えでは、宗教と唯物論というのは 同じコインの裏表なんではないかという気がずっとしています。 もちろん、宗教というのは宗教性ということとは別で、 宗教団体的ということですし、 唯物論というのも、それが科学的探求ということとは当然まったく別のことです。 どちらも低次の意味での「信仰的態度」なわけです。 そこには「権威主義」という属性が当然の如く居座っています。 なぜそういうことになりやすいかというと、 その根本には「認識の怠惰」ということがあると思います。 安易に認識の限界を設定してしまう態度もそうですし、 その裏返しとして、何でもお祈りして叶えてもらおうとするのもそうです。 別の言い方をすると、「空気」を絶対化するのが楽でいい、というような態度が そういう権威主義的宗教や唯物論的科学をのさばらせるということです。 そういう意味で、唯物論からの解放というのは 宗教からの解放ということと切り離しては考えられないともいえます。 それは「空気」からの解放ということでもあります。 意識を拡げること、認識力を向上させること、 「ドグマ」でない「自信回復」のためにも、 それしか方向性はないと思うのですが、 科学主義的唯物論の牙城はまだまだ堅固だし、 御利益的宗教という唯物論もますます隆盛しそうな気配です^^;。 はてさて、「待つ」という積極的行為が ますます大事になりそうですね。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES(18):★あもりの二人三脚ネットワーク------<01> 94/05/03 - 00926/00929 JBH00712 桂 桂 実戦を実践する(5) (18) 94/05/03 00:31  いわゆる「自己チャネル」というやつにしたって、これは自分が 勝手にそういっているだけであって、これはあもりさんが頭に浮か んだイメージを自分に向かって言葉にして自分に言っていただけで ある。そんな大事なわけでない。  何で自分がそれだけで大袈裟に騒いだかと言えば、それがあの、 たまごに「波動を送るぞ」といわれたほぼ直後であったからだ。  例の体験、そしてたまごのこの言葉の後は暫くは徹底的にサイキ カルなものに対して反吐が吐くような嫌悪感を覚えていた。  とりあえず話が一段落した後、「でもやるのか?」といわれた。  「やる」と応えた。  組手にする事にした。  だが実際にやってみるとどうにも技に腰が決らない。映画や漫画 のようにいかないものである。傍から見てれば、結構間が抜けてい たのかもしれない。 桂 桂(JBH00712) 00927/00929 JBH00712 桂 桂 実戦を実践する(6) (18) 94/05/03 00:31  理解、理解と人は簡単に言ってくれるが、一体何をもってすれば 「わかる」ことなのだろうか? これは甚だ疑問に思う事だ。  自分はよく余裕が無いといわれるが(自分とあった人なら誰でもそう 思う事なのかもしれない)、自分でもそう思う。ただ、そう、何でも一 つの事で気にする事があったら、それこそそれだけしか考えないで突っ 走る事が往々にしてある。今回ぐらい燃えまくったぐらいに。  最初の自分の発言を読んで、「どうしてその後あんな風に書かないの ?」といわれるのだが、最初の頃は本当に大爆発で、それこそ「ふざけ るな・・・・」から3つめまで書き上げた時、「もう俺には書くことはない」 「何にもない」と思えて全てを投げ出そうかとも思った。でもやっぱり 書き続けたけど、どうにも空回りしている気分が強くて、で書く事が書 く事だから、逆に苦痛の方が強かった。  「聞きたい」「知りたい」と言う気分が先行し過ぎて結論が用意されて しまって、記憶を遡行して「あの時ああいう事があった」というのを思い 出すと全てを結論のための準備段階であったと解釈してしまう。そして臆 面もなくそれを書く。「言え言え」といって、その架空の結論の前に、も しくはあもりさんは自分に確とした事をはっきりと表で言えない事がある のを解っていたのに(人間が付き合い始めればそんなプライベートな事ば かりなってしまうのは当然だろう)それでももう自分を止める事は出来な かった。 桂 桂(JBH00712) 00928/00929 JBH00712 桂 桂 実戦を実践する(7) (18) 94/05/03 00:31  「何で会った瞬間に殴らなかった?」  そういわれても、どうした具合か千葉に行く前日ぐらいに、 「俺って八つ当たりしたいだけなんだ」ということに気が付 いてしまったのからだ。どうにもそれぐらいしか説明が付か ない。  だから言いたい事を全部言っていた時はどうにも感情の歯 止めがきかなくて、怒鳴りまくって言葉が口からつかえて吃 りながら言っていたような気がする。  3月の頃だったら間違いなく会った瞬間に問答無用で拳を 出していただろう。今の頃になってしまうとプロセスが必要 になって、尚且つ理屈が無いと「さぁやるぞ」という気分に なれない。どうにも怒り方が下手だ。 桂 桂(JBH00712) 00929/00929 JBH00712 桂 桂 実戦を実践する(8) (18) 94/05/03 00:32  ではこれで誤解は解けたか? というとやはりそれは解けたと言える。  というより、これはもう自分の思い付きで決め付けをやっていただけ の話であるから誤解もくそもなくて、あもりさんにとってはえらい迷惑 であった事は想像に固くない。  ではこれで理解出来たか? というとそれはやはり別の問題になる。  人間を理解出来る事なんぞそれこそ10年20年と言うタイムスパン をかけてする事ではないのか? もし今ここで解る事と言うのならば、 それは10在るうちのほんの1か2であって、いやむしろその1か2を 心底理解する事こそ大切ではないのかと言う気がする。  それが絆と成り得るものか? 桂 桂(JBH00712) - FARION MES(19):■精神世界ぶっ飛び話/バチアタリQ&Q--<01> 94/05/03 - 254/256 CXJ00675 ぴさ RE:人格の多面性 (19) 94/05/02 20:52 252へのコメント コメント数:1  #252 竜人 さん   「表面の自分」、そして「冷静な自分」…、これがキーワードのようですね。   僕もそんな感じがわかるつもりです。ARIONがよく「自分を観る」という   ことについて話していますよね。その中の…   > 冷静に客観的に『自分』を見る行為は、あなたの心に黄金をもたらす。                    (「カミ・コメ・ツチ・ヒト」p132)   というこの言葉。なにか関係ありそうじゃありませんか。「冷静」な(「客観   的」な)「自分」を観る。これはその「自分」になる、否、なってみるという   事では…? そして…   > 私は、唯心論と唯物論の総合があれば、その方がいいと思っているよ。                (アリオン世紀末書込み寺1a LIB:3,002 #090)   僕は昔、「神なんているもんか。死んだら骨と皮になるだけさ。へっへっへ。」   (--;; なんて考えてた時期もありましたが、それを経て所謂唯心論者というもの   になっています。(「唯(ヒタスラ)」というとちと問題ありですがね。しかし、なんで   唯物論者が唯心論者になったんだろ?(^O^;;) 唯物・唯心を整理すると、    唯心論 … 世界の本体を精神的であるとする立場。          →意識は精神的実在の所産、または精神そのものと考える。    唯物論 … 精神に対する物質の根源性を主張する立場。          →意識を高度に組織された物質(脳髄)の所産と考える。   という事になると思います。アリオンが「唯心論と唯物論の総合」といったもの   はなんでしょう。そうです、僕はこんな事を考えました。唯物論的自我と唯心的   自我との統合…。そしてここまで考えられるのではとも思いました。つまり、   「表面の自分」と「冷静な自分」との統合…。その境界線が無くなったとき、   「黄金」が訪れるのではないか、などと愚考しているのです。   いつも何かに奔走している「表面の自分」は論理的です。いつもテキパキ働いて   明確な判断を下します。まるで電子機器のようなこの「自分」は、唯物論的な   心です。脳が作り出す心です。人間として論理的に合理的(故に利己的、多面性   を持つ?)に成長してゆきます。ときどき笑ったり悲しい顔をしたり、ひょっこり   顔を出し、そして心に《色》を添える「冷静な自分」は、唯心論的な心です。   論理でなく言葉でない精神的な心です。成長してゆくにつれ、「表面の自分」の   膨張に「冷静な自分」は行き場を失う。「心の世紀末」…、全てはこの言葉に   集約されるのでは…!? アリオンはこの2つの総合を言っていたのでは…!?   いやいや、なんだか滅茶苦茶な話になってきてしまいました。「人格の多面性」   という事について(「二面性」ですね、主に僕は)、近ごろ考えますが、これが   なかなか難しいです。外へ向いていた興味が内へ内へと歩みを始めたようです。                          な〜んてね〜                            /// ぴさ /// 255/256 JAE00201 竜人 RES有難うございます(^^) (19) 94/05/03 04:53 253へのコメント  #253 バトゥーラ さん   こんにちわ。あまり書き込みをせず、不精な私にRESを頂き有難うござい  ます(^^)。   私と同じような感じ方をされてる人が居たという事で多少安心をしておりま  す。以前、この様なニュアンスの事を書き込みした時に浮いてる等という意見  が出たので内心冷や冷やしていたのです(尤も、その時はオカルト面云々は、  書いてはいなかったのですけれども)。 > そして、色々な自分が居る中でその調整役をやっているのが、おそらく今自分と > 思っているところの存在なのだろうと思います。 > たぶん竜人さんがいうところの「冷静なる私」ではないでしょうか? (改行調整)   まさに、その通りだと自分では思っています。尤も、これが思い込みでない  という保証は何処にもないという事が恐いなとも思いますが(^^;)。 > でね、人って大体思いこみで生活している部分が多いって気がするんですよ。 > 自分はこういう人間だ、誰それさんの性格はこういう性格だ。その誰かさんが予 > 想外の言動なり行動をするとみんな驚くんですね。あれー! この人こういう面 > もあったのか!とね。 > だいたい過去のその人の行動パターンからるいしんして判断しているだけで、実 > 際そいう人なのかどうかっていうのは、結果が出てみなきゃ分からない部分があ > ります。   思い込みで生活って、確かにそうですよね。上のMES18で桂 桂さんが書  き込みをされている内容(注!!最近の発言においてのみであります)など、私  の目で見ていた事との相違が結構あったりするので、改めて「会話」の重要  さを感じています。   新しく会う人などは、特にそういう傾向って強いと考えています。自分の  言葉に反応した相手の態度で、過去の蓄積?(それ程生きてないので、余り  ないのが欠点ですが)で「あぁこういうタイプの人なんだな」と判断してい  る傾向がありますね。   概ねの所では、バトゥーラさんの見方と合致しているのですが、最後の「  バリエ−ションの一つという見方」はしていますが、私にとって、問題は何  を考えているのか本人にも全く判らないという事に尽きるような気がします  (突飛な事をしないのならば、困った物だと片付けてしまうような気がしま  す(^^;))。尤も、これが「調停にちょっととまどっている」のかもしれない  のですけれども・・・・・・。 たつと (JAE00201) 256/256 JAE00201 竜人 レス有難うございます(^^) (19) 94/05/03 04:53 254へのコメント  #254 ぴさ さん   メディア部屋に続き、こちらの部屋でもレスを頂けるとは、嬉しい限りで  す(^^)。   以下、本文です。 >  というこの言葉。なにか関係ありそうじゃありませんか。「冷静」な(「客観 >  的」な)「自分」を観る。これはその「自分」になる、否、なってみるという >  事では…? そして…   ええとですね、私が「冷静な自分」と表現したものは、文字通り傍観者の自  分なのです。ARIONの言う所の「黄金」を私は、自分の「こうありたい自  分の姿」を実現できた時に得られる状態ではなかろうかと、考えております。   尤も、ぴささんが後述して居られるように私の「こうありたい自分の姿」の  中に唯物論的自我と唯心論的自我の結合が、含まれているのかもしれません。   唯物論といえば、以前大学のその手のサ−クルに所属していた事があり、一  応自分の感覚で掴んだという経緯があり、何か懐しさを覚えてしまいました(  と言っても、唯心論的な人間であった事は、お断りしておきます(^^;))。 >  いつも何かに奔走している「表面の自分」は論理的です。いつもテキパキ働いて >  明確な判断を下します。まるで電子機器のようなこの「自分」は、唯物論的な >  心です。脳が作り出す心です。人間として論理的に合理的(故に利己的、多面性 >  を持つ?)に成長してゆきます。   多少疑問を持ったのですが、これって心なんでしょうか?此の部分のみなら  ば、心を持たない機械でも代行できうると私は考えてしまうのです(^^;)。無  茶苦茶な話かもしれませんが、心が眠ってる!(こういう状態がどなたにもあ  るとは思えないのですが)状況下でも、人はまともな行動をできると感じてい  るのですが・・・。「光よりの光・・・・」において「思考」と呼ばれている  物だと思います。すると、私は「思考」と「心」が反発し合ってるんでしょう  ね(う-む、思わぬ所で構図が明解なものになりはじめた(^^;))。 >                    成長してゆくにつれ、「表面の自分」の >  膨張に「冷静な自分」は行き場を失う。「心の世紀末」…、全てはこの言葉に >  集約されるのでは…!? アリオンはこの2つの総合を言っていたのでは…!?   全体として、私との感じ方とは少し違うように思いましたが、この部分は、  私もそう感じています(「光よりの光・・・」を、お持ちでしたら是非とも、  もう一度。読まれる事をお進め致します。私の意見が多少なりとも判りやす  くなるのではと思います(^^))。   また、自分の内なるものをみるのも、私のように不可解な迷路に入り込むこ  とにならなければ、良い事だと思います(^^)。   自分で「判らない」のは、人には害がありませんが、人にまで「判らない」  を垂れ流しに広げるのは、どうかと思っていますので(^^;)。 たつと (JAE00201) - FARION MES(20):■世紀末ウォッチ:これって…!?----<01> 94/05/03 - 565/569 GFB00026 一輝 ついつい…。 (20) 94/05/02 21:24 564へのコメント コメント数:1 農業の現場に無知な私ですが、こんな話があるそうです。 環境汚染の元凶のひとつである農薬。それを使わない有機農法は、収穫が以前に比べ ると落ちるとこれまで言われてきたそうです。これがなかなか農家の方々が有機農法 へ踏み切れない理由のひとつになっているとのこと。ところが、有機農法だと収穫量 は落ちない、という反論があって、これがここ数年の最大の農法論争になっているそ うです。 昨年の冷害で、有機農業による米づくりがどんな影響を受けたかの調査報告によって 新たなデータが出てきました。それは、「有機農業を10年以上続けた田んぼが冷害に 強く、5年未満の田んぼは弱かった」という報告(2/27東京晴海国際見本市・森と海 と大地のDEVANDA 展アジア農民元気大学学長・小松光一氏『なまえのないしんぶん』 No.52 より)でした。 つまり、有機農法は収穫も少ないし冷害にも弱いと即断して、有機農法をやめてしま えば、そこで土(同時に水も)の浄化はダメになってしまうというわけです。始めて からすぐに結果が出ないからと早計な判断をして止めてしまわずに、そこをもっとも っと頑張って地力を高めていく忍耐が一番必要だということなのだそうです。短期で はなく長期的な展望が、有機農法を選択することに必要な心構えなのでしょう。 これは、よくよく考えてみると、現在の日本にとって、有機農法の問題だけではなく 全ての判断に於いて欠けてしまった、持久力や耐久力の問題ですね。何でも結果がす ぐに出ないからと、安易に結果が出るほうへと選択を焦れば焦るほど、知らずのうち に更に悪い結果を生み出している、という最近の私たちの在り方。中身ではなく外見 で判断という消費者の欲求。これはついつい私自身が八百屋でやっていることです。 水質汚濁は、その思考傾向による結果の一端と言ってもよいのではないでしょうか。 同時に、何千回何万回と繰り返された「ついつい」の結果でもあります。 「ついつい」は楽だけど「意識的」は面倒。水質汚染は、「意識的」になるのは面倒 だからと「ついつい」を選んでいるうちに、結果的には面倒なことになってしまった 例のひとつでしょうね。すでに飲み水には、いくつかの発癌物質が混入しています。                                     一輝 566/569 JAE00201 竜人 RE:浄化槽 (20) 94/05/03 04:52 564へのコメント コメント数:2  #564 なえ さん   どうも、早速のレス有難うございます(^^)。 > それは合併浄化槽を出来るだけ沢山の家庭が持つ事です。   確かに、そうですね。この合併浄化槽(この名称は知らなかったのですが、  新方式の浄化槽がある事は聞いた事がありました)を使えば、余分な有機物が  除去されるのでしょうね。しかし、私の住むでいる地域では、ようやく下水処  理施設に送るための下水管の本管が通ったばかりで、市内で一番対策が遅れて  いる地域でもあるのです(尤も、上流からの水はこの範疇には入りませんが)。  完全な普及には、後5、6年掛かるそうです新しく導入される浄化槽がこのタ  イプに統一されるのであるならば、先行きに期待が持てるところです。 > 家庭雑排の汚染が一番の根元であり、その事を「自分だけ > は良いだろう」式のもっともな考えで流し続けた結果です。   全く、同感です。私の家からも相当の量が流れ込んでいるのも確かなので  偉そうなことは言えないのですけれども(何分、自宅に戻っていた時には気  にしてなかったという情けない事をしていたのですから)、現状を改善しな  ければという気持を持ったので、アップした次第です。 > もう一つは、虫の着いた野菜でも、市場に通らない曲がっ > た作物でも、出来る限り購入運動を展開する事です。 > こうして、結果的に農家は少ない農薬で野菜が作れます。   そうですね。無農薬で野菜を作るとある程度の虫食い等が出来てしまいます  よね。私の家では、今の所大量に無農薬で生産できるだけの人手がないので、  販売ができる体制になっていないのですが、近いうちにそうしたいと考えてい  ます(パソコン関係の職に付いたとしても、食べ物が滅茶苦茶な状態になって  しまったら意味がない思うので、多分こちらが優先されるでしょう)。 > 規格だけに捕らわれ、見た目だけを尊重する今の市場には > さらに農薬と汚染を強化する事しか残されていません。 > この規格品が価格を下げて、安い商品を提供出来る元になっ > ていますが、安い不安な食品を食べるか、高い無農薬を食 > べるか、これも一問題でもありますよね。   色艶がよいという野菜をス−パ−等で見る機会がありますが、私個人の考え  では、有機肥料をふんだんに用いた代物の方がよっぽど良い色をしていると思って  います(手前味噌と言われてしまうかもしれませんが(^^;))。形や大きさに価  値を求めたとしても、その影では、市場に渡される品物の倍以上の「不良品」  と呼ばれるものが残っているのも確かだと思います。作るために掛かる労力は  同じなのに非常に不可解な現象ですよね。   価格が高くなるのは、それだけ手間隙を掛けて育てた物ですから当然だとは  思いますが、最近は「無農薬」を唄っているにも拘らず、実際は農薬を使用し  ているまがい物もあるそうです。本当に困った物だと思います(消費者を欺い  てまで商売をしても意味がないと思うのですけれども・・・。)(-_=;)。 > 先日ある保健レポートで、面白い記事を見ました。 > 子供達の中には、かつて猛威を奮った回虫等が復活して、 > 検便の中に沢山見られる様になった。という事です。 > 取りも直さず、無農薬野菜が普及して、それだけ多くの人 > の意識は、自然回帰へと向かっている様子が伺えます。 > 問題はその無農薬野菜が寄生虫の媒介となっている点で、 > これは勿論きちんと洗い、或いは湯を通すなどして、駆除 > する事を心がければ良い事なのですね。   これは、なかなか面白い話(不謹慎かな?(^^;))だと思います。この様な面  においても無農薬野菜の普及が伺えるとは思いもよりませんでした(^^;)。   駆除については、調理などの前にちゃんと洗浄等をしていれば大丈夫ですよ  ね。この回虫普及については、調理時にいい加減に洗っているという様な気も  しますが(^^;)。 > そういった、自然回帰の気持ちが出来るだけ沢山の人の中 > に起こり、そして改善出来る事を希望しています。   私も、そのように感じてくれる人達を少しでも増やすために、微力ですが活  動をしてゆきたいと考えています。以前のような川や田畑に戻ってくれた時を  是非とも見たいものです。 > 河川には河川の改善もあるのですが、こちらはちょっと、 > 難しいのでまた。   水の汚れに関しましては、合併浄化槽を普及させることよりは、川そのもの(  用水路)を、どうにかする方法を知りたかった(前述の理由より)ので、宜しけれ  ば、参考文献などを(有るのかどうかも知らないほど無知なのですが)自分で検  討してみたいと考えていますので、語紹介だけでもお願い致します。   最期になりましたが、素早く現実的な対応方法を丁寧に書いて頂いた事をあり  がたく思います。また、レスが遅れてしまった事をおわび致します。 たつと (JAE00201) 567/569 TBE03167 ねずみ RE:浄化槽 (20) 94/05/03 09:44 566へのコメント EMを浄化槽に使えば水質が改善されるそうですよ>竜人さん、なえさん 一般の浄化槽では、そこで自然繁殖した細菌を使って糞尿や洗剤などの有機物を分 解(腐敗)し、無害な無機物にしているのです。 ところで、自然繁殖する細菌というのは大抵の場合、腐敗菌が主体になる傾向にあ りますが、この腐敗菌は有機物を分解する際に、有害な酪酸を生成し、それが悪臭 や病害虫の原因になるらしいのですね。 で、腐敗菌で腐敗させる代わりに、乳酸菌や酵母を投入し発酵させてやると、 酪酸ではなく、有用なアミノ酸、糖類、ビタミン、その他生理活性物質が生成され るようになります。この水を河川に放流すれば、魚が増え、病気が減少するように なります。もちろん、農作物にもよいのです。 また、乳酸菌がつくる乳酸は腐敗菌を殺す作用があるので、衛生にもよく、悪臭が 減少します。 乳酸菌の他に、合成型微生物や、ペニシリウム、トリコデルマ、ストレプトマイセ スのような抗菌物質をつくる微生物を混用し更に効果を高めたものがEMです。 以上は本からの知識ですので、本当は僕も詳しくは知りません。 とりあえず、本の紹介だけしておきます。 「微生物の農業利用と環境保全」比嘉照夫著(農文協) 568/569 JBH02324 なえ RE:ついつい…。 (20) 94/05/03 15:20 565へのコメント  こんにちわ一輝さん。  いえいえ無知だなんて、そんな事ないです。あたしも実際は畑にそうそう出て  作業ばっかりする訳でもありませんし。でも勉強だけはなるだけして、沢山の  良い所を取り入れられたら嬉しいです。  やはり現実に非農薬に切り替えるにはそれだけの勇気が要ると思うのです。  現実に採算が取れるのか。労働が厳しくならないか。安定供給が出来るのか。  問題は色々あり、そのどれか欠けても、それで生活を支える者には大きな問題  ですものね。他からの情報で、問題点があると言われるのを聞いて、それでも  なおかつ有機農法を取り入れるか?。問題ですもんね。対処出来るだけの蓄え  を持ち、幾年かは試験的に出来る余裕が有れば別だけども、そうそうそんな人  は居ないはずです。  そこが、一輝さんが指摘される通り「持久力耐久力の無さ」に帰結してしまう  のでしょう。安易な結果を求め過ぎ。目の前の事だけに重点を置き、見えない  事がないがしろにされる。いつから、そんな事だけをみてしまう様になったの  でしょうね。案外それも高度成長時代に忘れ去られた意識の部分かも知れませ  んね。 569/569 JBH02324 なえ 河川浄化 (20) 94/05/03 15:21 566へのコメント  はろー。竜人さん。  いえいえ、RESはいつでも気の向いた時でね。気にしてませんです。(^ー^)  そうですね。河川浄化も重要なんですが、一般には難しいと思われるので、止  めとこうと思ったのですが、いちお資料として・・。  河川の浄化に一番必要なのは合併浄化槽の基本構造と同じ原理で「水中のバク  テリア」なんです。これは2種のバクテリアがいて、一つは好気性バクテリア。  もう一つは嫌気性バクテリア。言葉でも解る様にそれぞれ空気を(酸素)好む  好まないというバクテリア達です。  この事は魚を飼った事のある方はご存知だと思われますが、兎に角、排水の中  のアンモニアだの、カスだのを分解するのが一番なんです。この為には、まず  好気性のバクテリアが第一段階として分解し、その後、さらに分解最終生産物  を嫌気性バクテリアが分解するという構造で浄化します。(反対もある)その  為にはバクテリアの住む場所が必要です。これが、河川には護岸に作られる事  が必須条件です。現実には護岸のコンクリートの表面を平にしないで、出来る  限り凹凸のある面で入り組んだ構造にするのが一番だと言えます。  この隙間にバクテリアが多数繁殖し、その結果流れる水中の汚れが浄化される  のです。所がこれには重要な弱点も同時に有ります。つまり目詰まりなんです。  凹凸の隙に繁殖しつつああるバクテリアの塊や、分解した後のクズが詰まって  結局その隙は酸素不足に陥り好気性バクテリアが死滅してしまう。一種のメン  テが非常に重要な、つまり金の掛かるやり方なんです。(だから誰もやりたく  ない)  もう一つの方法は、現在の水路の姿を見ても解ると思いますが、水路が直線的  に配置されています。或意味では水が安全に排水される様に設計されてこうな  ったのですが、直線化もバクテリアの浄化を妨げています。浄化する時間が、  短いのです。例えば、水路A→→→Bが直線で1メートルとしましょうか。そ  の間を出来る限り蛇行させるとA/\/\/\Bの間はその蛇行程度に依って  幾らでも距離が長くなります。しかも水流は緩やかになり、さらに上記の条件  が重なる事で、バクテリアが水に接触する時間が長くなります。この結果水質  は更に綺麗になるのです。  所が、この蛇行さえも、ほ場に大型機械投入の為に拡大化し真四角な田を作っ  たり、区画整理しやすい土地の提供で、河川の蛇行を許されない。しようとも  思わない。  また、河川は河川を管理する国の管轄と、その他の河川に隣接する土地の管轄  が違うために、その折り合いから河川の移動改修は難しいのです。  こうした複雑な機構があるから、なかなか河川の浄化対策は進まないのです。  最終的には水路の途中に引き込み水路を作り、そこに大型合併浄化槽を配置し  その浄化槽を通った水がまた河川に戻されるという形にしか、浄化される方法  が残っていない様に思えます。この多くは国の予算で賄われる事になり、何処  まで行っても、税金の加重に耐える市民構造は改善される気配すら無いみたい  ですね。とほほ・・。