- FARION MES( 2):【居酒屋1999】自己紹介・雑談--------<09> 94/05/19 - 02171/02173 PXB05763 セン・シュア 馬 ( 2) 94/05/19 00:05  セン・シュアですが、まだ、ここに居座っております。  (7)02250 へのRESをこっちに持ってきました。馬の話です。    うまくは言えませんが、私は生まれてこのかた馬をじかに見たことがないので、馬 という生き物と馬が合うがどうかまだよくわかりませんでして、もしこんど生まれ変 わる時には、馬の骨にでも転生して、馬の何たるかをじっくりと味わってみることに しましょう。  ちなみに「おい、戦車の大軍が襲ってきたぞ!!」と、「おい、馬の群れが襲って きたぞ!!」とでは、後者の方が私はワクワクします。  7番会議室には、現在「セン・シュア共同体」の中でも一番分析力の高い奴を送り 込んでありますので、こっちでは、安心して馬鹿話でもしましょう。あいつは、ユー モアを解さない奴でして、悩みごととか持ちかけると、容赦なく要素に分解して一つ 一つ潰してくれるありがたい奴です。  大学生は高級なアルコールなど飲めるはずもなく、あまり高級な友人を作るのもペ イできませんので、飲むといったら、ひたすらビールですね。みんな、気持ち悪い位 に飲みますよ。ああいうのって、やだなー。  なんか、気持ちよく飲めるお酒を紹介してください!!      調和・統一・継続・向上・克服・実現・理想・希望の8語を信奉する人                              セン・シュアでした。   02172/02173 PXH01650 英雄 RE:新しき人達へ ( 2) 94/05/19 00:41 02165へのコメント め―そん翁、情熱や熱く赤い血潮は、何も若者だけのものではありま せんですよ。人間には、どんなに年を経ても、「魂の火」は熱く燃え たぎっているもの、と確信しておりますです(^^)。 なになに、翁こそ、若者に劣らぬ情熱に燃えているのではありません か。そうでなければ、この居酒屋を訪れやすまい....(^^)。 ささ、キ―プしたボトルはどれでしょうか?ここは、一つ、ぐぐ―っ と一杯いきましょう(^_^)。そして、夢を共に語り合おうではありま せんか(^^)/。 日雇いサブ・マスタ―?:英雄: 02173/02173 VFD07310 NORI テストだー ( 2) 94/05/19 07:29 テストのため1週間ほどRES出来ないと思います どうもすいません。(m..m) ところで、優位さんもテストなのでは? お互い頑張りましょう。 NORI - FARION MES( 3):【めでぃあ室】本/映画/音楽 etc----<01> 94/05/19 - 00469/00469 GFD00204 松川 貴     スサノオノミコトの歌 ( 3) 94/05/19 10:32  ここFARIONでは、スサノオノミコトの話も飛び交うゆえ、そのスサノオノミコトに まつわる思い出話なぞを一席。  私が高校生だった頃、正確な年次は分かりませんが、きっと70年代後半のことで はなかったかと思います。本当の題名は分からないんですが、『スサノオノミコトの 歌』が作られてドーナツ盤になって発売され、ラジオでも一時流れたことがあるのを 皆さんは御存じでしょうか。  そのレコードを出したミュージシャンの名前は──ラジオを通してのみの体験でし たから正確な文字の表記は分からないのですが──たぶん、セトオリュウスケといっ たと思います。私はたった一度、ちらりとその曲の一部を耳にして、「なんじゃこり ゃーっ」と、かなりびっくりしたのですが、結局、ただびっくりしただけで、そのま まになってしまいました。あえて買おうという気にまではならなかったからです。ま た、その曲自体もまったく売れませんでした。しかしそれ以来、「スサノオ」という 言葉を聞くと、「そういやあ昔、『スサノオノミコトの歌』があったよなあ」と、当 時のことを思い出すようになってしまいました。(だから、いつか「スサノオ話」に かこつけて、このフォーラムでこの歌の話をしようと思っていたんですよ。)その人 の他の曲も私は聴いた記憶がありますが、普段のその人は、いわゆるニューミュージ ック系のミュージシャンであったと思います。その『スサノオノミコトの歌』は、当 時の日本の商業音楽の傾向の中では、かなり異質感があったためでしょうか、私は現 在でもその曲の出だしの2小節分だけは覚えております。  その『スサノオノミコトの歌』の出だしは「ス・サ・ノー・ノー・ミ・コ・トー」 で始まり、テンポは歩くくらいの速さ、リズムは「タ・タ・タン・タン・タ・タ/タ ーアーア(休)」(2小節分)、オリジナル盤の原調が分からないので、ここでは便 宜的な音階にして御紹介いたしますが──音階にすると「ミ・ラ・ラー・ラー・ラ・ ラ/ラーアーア(休)」であったと思います。歌詞の中には姫の名も出てきました。 歌の発声法も日本の吟詠の──「たかさごや〜」とか、そんな感じのニュアンスがち ょっと出ていたような印象を受けました。(この段落不都合でしたら、カットお願い します。)  チャンスがあったら、もう一度じっくりこの歌を聴いてみたいのですが、どなたか このレコードをお持ちの方はいらっしゃらないでしょうか。あるいは、「ああ、それ 聴いたことがある」というような記憶をお持ちの方はいらっしゃるでしょうか。                                   松川 貴 - FARION MES( 7):★アリオン世紀末書込み寺------------<02> 94/05/19 - 02262/02264 GDB00064 オリハル RE:セン・シュアよりオリハルへ ( 7) 94/05/19 00:27 02261へのコメント セン・シュアさん、誠意あるRESを感謝いたします。あなたは自分に似ているような 気がしてきました。FARIONには、ねずみさんという人がいますが、その人とセン・シュ アさんが今のところ自分と似てるような気がする人です。 私は基本的にARIONには信頼感を持っています。私は今、経済活動に力を入れたい と思っております。そこである事を始めようとしましたら、ARIONの以下の日替り メッセージがありました。 | 皿の上の果実は食するに値しない、川辺の賛歌は火をもて凍る   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 上記下線部が私の論理に引っ掛かりました。「そんな小さな事!」と思いましたが、し かし、天使の言葉です。誠実に受け取ろうとすると、自分は何も出来なくなります。そ れで私は「天使というのは人間が必要とする地上的活動の金銭とか生理的な調和作用」 という要素についてほとんど考慮できないのではないかと考えました。そのような内容 をUPしてあります。私にとってはちいさな事をARIONは殊更に強調しています。 私という人間が「ちょっと言葉で言えば分る人間」であることを知らないかのようです。 私はARIONについては、FARIONに来るはるか以前から何の疑いも持ってなかったの にまるでARIONは「我を信じよ」と言ってるかの様です(これはみれさんの要求か? )。 しかし、これは私の表面的な心理です。実は、私は最近、次の様な思いを持つようにな っていたのです。 最近の想い: 「ARIONから“掟は破られた”と言われてから自分はFARIONの全会議室に目を通し、 働いていたが、今は自分の思考浄化の時期であり、本当はこれを続けるわけにはいかな い。しかし、続けなければ・・・」 という想いがあったのでした。それで上記の事件があり、私はARIONに反発し、結 果として、「感覚器官(目)から得た情報(ARIONの言葉)に惑わされ、それに立 脚してしまうことで本源の世界を忘れて動揺していた」という自分を見たので、それは 全く間違っていたので、その時にみれさんからのメールへの返事にてそこを補正し、安 定化するようにARION宛てに自分の方針を明確にし、特に問題がなければARIO Nが承認したと受け取ると明記したメールにRESはないので安心しています。つまり、 この問題が起った事によって私はFARIONで義務的に働くモードから開放されたと認識し たのです(まあ、「義務的」と言ってもARIONはそうでもしなければ私を生かせな い事をご存知でした。というのは私は常に「一人になろう」とするからです)。という 結果をARIONは導いてくれたのだと思っています。ですので、個人的には解決して いるのです。よってセン・シュアさんは私への遠慮を解いて下さって結構です。ARI ONのセン・シュアさん宛ての3つのエピソードのRESはまた、私宛てでもあったと 受け取っていますし。今後は、私はFARIONの全発言を必ずしも詳細に読むとは限らなく なりました。また、自分の判断でFARIONの全発言をチェックしなくなる可能性も生じま したが、ま、一応、今まで通り続けてみようと思っています。今の所、QUITするこ とはありませんが、しかし、自分の判断でQUITする可能性がないとは言えません。 ここらへんの判断は私へ委ねられたのです。本来の姿に戻りました。つまり、ARIO Nは上記の「最近の想い」に解答をくれたのです。                                 オリハル 02263/02264 PXH01650 英雄 本源へ ( 7) 94/05/19 00:43 02221へのコメント コメント数:1 ハイホ―!、 優位さん、1週間遅れのRESですいません(^^;)/。 さてさて、「祈り」についての続編です。 ほら、そこに花が咲いています。...そう、それが「祈り」の姿ですヨ。 精神と物質のいずれにも偏らず、その中心にいる姿が、「祈り」という 事ですね。これを「縦横十字調和」と呼ぶこともあります。 縦が精神、横を物質になぞっているのでしょう。「十字(架)」の象徴 の真意は、本来の人間の在り方を示しているようです。 で、現在の人間は、どちらかにひどく偏っていて、バランスを崩してい る、と言われます。その偏りが様々な苦痛を引き起こしているのだ、と も言われていますね。 そこで、その偏りを直し、人間を縦横(精神・物質)十字交差のド真ん 中に戻すための行為が、いわゆる「祈り」というわけです。 つまり、人間を本源へつなぎ直そう、ARIONの言い方を借りれば、 宇宙生命潮流へ戻そう、とする方法が「祈り」なのである、と言うこと ですネ。 ....とりあえず、けふは、ここまで(__)。 まだまだ、ある(^^;:英雄: 02264/02264 PXB05763 セン・シュア RE:本源へ ( 7) 94/05/19 03:25 02263へのコメント  英雄さん、久しぶりのRESです。前回の反省からまず疑問点を確認します。今の 私は殺伐とした発言しかできませんので、ユーモアのある会話は居酒屋でしましょう。  今回、私は#02229とは別の視点から発言していくつもりです。そちらへのRESは この話題を遠いところから見ている人からもらいたいと思います。#02211及び#02248 を参照して下さい。 >精神と物質のいずれにも偏らず、その中心にいる姿が、「祈り」という >事ですね。これを「縦横十字調和」と呼ぶこともあります。 >縦が精神、横を物質になぞっているのでしょう。「十字(架)」の象徴 >の真意は、本来の人間の在り方を示しているようです。  この会議室では、精神/物質という用語は、特別な意味あいや限定づけを加味され て用いられてきましたか? そうでしたら参照発言等を示すか、簡単に説明してくだ さい。私は単に精神/物質とだけ言う場合、意味あいの境界線は認識の程度によって 変わると考えています。 >  現在の人間は、どちらかにひどく偏っていて、バランスを崩してい >る、と言われます。その偏りが様々な苦痛を引き起こしているのだ、と >も言われていますね。  両方の場合がどのように苦痛を引き起こしているのかについて説明してもらえれば 英雄さんの考える精神/物質の視野を理解できると思います。また少し、言葉の補充 が必要ではないかと考えています。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  <祈り>の話題については、現在非常に興味深く見ている最中です。私の祈りに関 する考え方は#02222にあります。そのままでは英雄さんの話題に導入できないので、 ニュアンスの違いを確認しています。      調和・統一・継続・向上・克服・実現・理想・希望の8語を信奉する人                             セン・シュアでした。 - FARION MES( 9):★TAO の《神々の曼陀羅》―美と信仰と史― 94/05/19 - 194/198 MHD02672 TAO 女神信仰の系譜 ( 9) 94/05/18 23:44 190へのコメント  >NOISE さん  お久しぶりですね。ようこそいらっしゃいませ。  佐保田さんの著書のご紹介、どうもありがとうございます。  そんな本も出ていたのですね。心経の本文は、実は最後のマントラ  「ギャーテイ………」の為にある、というのは初耳でした。  そういえば、「アベマリア」と「般若心経」は歌の波動が似ていると  いう話が、先日のRTで出て来ました。おやまあ?という感じでしたが、  マリア信仰というのも、女神信仰の系譜と言えないこともないですね。  聖母=女神とは思えないけど、マリア信仰には大地母神信仰が入って  いるという説もあるようですから…。  そういえば、マリア観音というのもあったなぁ。  クロマンタと言えば、ピラミッド説が流れている山でしたね?  そういえば、こないだ奈良へ行った時、甘橿丘から眺めてみると  耳成山は人工的な印象があり、ピラミッドのようだという感じも  ありました。  信州に行った時も、皆神山にもピラミッド説が流れているので、  一度見に行きたかったのですが、スケジュールの都合がつかず、  見られずじまいでした。残念。  またお越しになって下さいませ。  TAO 195/198 MHD02672 TAO 北と南の異郷 ( 9) 94/05/18 23:45 191へのコメント コメント数:1  雑談ですが。  沖縄といえば、個人的な感傷になりますが、沖縄ろう学校のろう球児を  描いた「遥かなる甲子園」という漫画を思い出してしまいますね。  沖縄にはまだ行っていないのですが、真夏を避けていつか行ってみたい  ものです。北海道にも二度行っていますが、アイヌ関係のところは  まだ廻っていません。  沖縄ネイティヴとアイヌ民族には、その痛ましい迫害史とは別に、その  宗教観には興味をかき立てられるものがありますね。沖縄のニライカナイ、  アイヌの熊送りなどなど。国家宗教としての神道や仏教とは無関係だし、  「日本」宗教史という枠の中に取り込めないでしょうが、「日本」号成立  以前の宗教世界より継承されて来た祭祀として眺めて行くと、その歴史に  豊潤な世界が見えてくることでしょう。  飛鳥坐神社… ファルス(男根)が奥の方に立っていますね。その写真も  写していますが、そのファルスに注連縄が張られているのが面白い。  NoBさんが言及された「性的に面白い儀礼」というのは、「おんだ祭」の  ことですね。あと、飛鳥坐神社の近くに藤原氏一族の本貫とされる  「小原の里」もありますが、鎌足の母である大伴夫人の墓も建っています。  もう少し先に行った大原神社も、藤原鎌足およびその孫藤原武智麻呂の  生地だということです。ちょっと不思議な雰囲気がある処です。  TAO 196/198 TCC00116 NoB 次長文です。ご注意。 ( 9) 94/05/19 09:30 なえさん、オリハルさん、TAOさん、どうも。 えっと、参考までに般若心経関連のこと書いたのを別形式でまとめた のがあるのでアップします。長文なのでご注意を。NoB 197/198 TCC00116 NoB 般若心経について(長文) ( 9) 94/05/19 09:32 般若心経について、以前、宗教史会議室で触れたあたりを、別の形式でまとめておき ます。 ■般若心経は経典なのか? 命題1 経典はすべて仏教の聖典・教典であるから般若心経も経典である? この命題からは、般若心経は、イスラム教徒やキリスト教徒が信奉するものではな く、仏教徒のが信奉するものだから、仏教の聖典の聖典でよいのだとなりそうです。 しかし、「経」については、「老子」などの古典も「経」として歴史上では扱われて います。が、これらは、大まかにみても「仏教徒」は信奉しません。この命題は成立 しません。 加えて、問題は「仏教徒」が信奉する文書、というとき、なにが「仏教徒」なのかに ついての判別がむつかしい問題なります。一般的には、このような判別である「異 端」は、聖典に対する解釈権の問題に依存しており、解釈権は聖典の読み方に依存し ています。つまり聖典とその解釈権から、異端についても議論できるわけです。同じ ことが「仏教」なるものにあてはまらないかもしれませんが、そもそも聖典と解釈権 分離したかたちでは特定宗教の信徒がなんであるかは規定は議論できないでしょう。 つまり、聖典こそが、教徒を教義的に定義できるのであって、逆ではありません。し かし、別の聖典から、般若心経という補助聖典を見るのであれば話は整合的です。と ころが、実際には、般若心経こそが仏教各派の共通経典にもっとも近いものなので す。問題が錯綜するのは、仏教徒なるものが根本聖典からは規定できないという点に あります。あるいは、般若心経によっては、仏教徒というものが規定できそうにな い、ということもあります。 命題2 仏教の聖典には、経と論があるが、般若心経は経である? これは、先の「仏教徒」の規定にも関連して、ようは、「仏教」が教義的に規定でき ない(般若心経が共通経典にもっとも近いがまったく許容しない宗派がある)うえ に、「経」の概念は道教のものなどのものも含まれています。つまり、この命題は仏 教という前提の上でしか成立しない命題で、命題のトートロジーでしょう。 命題3 経とは仏説である、よって、般若心経は経典である これは、2つの意味で般若心経を規定しません。1つは、歴史学的に未て仏陀の説で あはありえないこと。2つめは、この経典には仏陀が登場しないこと。むしろ、仏陀 を排除しているところにこの経典の意義があるのかもしれません。 命題4 経とは経と呼ばれているものこと、よって、般若心経は経典である 簡単に言えば、「般若心経」と、ちゃんと表題に「経」とあるではないか、という命 題ですが、『般若心経 金岡秀友校注』では、   (前略)法隆寺に残る『心経』の多羅葉の写本は経題を『般若   波羅蜜多心』(prajna paramitahrdaya)と名乗るだけであって   『経』(sutra)をということばをつけていない。 とあります。ちなみに、般若心経のもっとも権威ある写本は空海の功労もあって、日 本に残されています。さて、さらに金岡は、次のように推測しています。   これらの点からも『心経』の表題が歴史上、いくらかの異動が   あったとは考えられ、しかも大切なことは、それは、『経」と   いう名をもたず『……心』あるいは『……大明呪』の名によっ   て完結したかもしれないことである。 また、とくに鳩摩羅什訳では、『大明呪』であった可能性があるようです。 ここで以上の命題の吟味をまとめますと、般若心経が「経」であるかは、かなり疑わ しいものであることが示唆できるでしょう。 では、通称「般若心経」とはいったいなにか?ですが、原鳩摩羅什訳から考えられる ようにこれは、『呪』でしょう。ただ、『大明呪』がそのタイトルであるかという と、おそらく、『般若波羅蜜多心』でしょう。つまり、『般若波羅蜜多心』という 『呪』が通称「般若心経」と呼ばれているスクリプトについて史的に考えられる妥当 なところです。では、『呪』とはなにか? ですが、「のろい」の意味も含めて、呪 文です。実際に、「般若心経」のなかみを読めば、それが呪文以外のなにものでもあ りませ。 この問題は、さらに検討の余地がありますが、とりあえずここで言えることは、現存 日本仏教派で唯一共通聖典に近いとみられている「般若心経」は、「呪文」であり、 この聖典から、統一的に「仏教」を考えるなら、「仏教」とは、「呪文」をとなえる 宗教となるでしょう。と、いう言いかたは、必然的にアイロニカルなトーンが含まれ ざるをえないのですが、困ったことに、日本の仏教史を鎮護国家と民衆の信仰形態か らみるなら、残念ながら、むしろそれこそが実体に近いでしょう。だからこそ、「般 若心経」が史的に生き残っているともいえます。 関連した問題は、では、「呪術としての仏教」は、仏教なのか?がありますがこの問 題はここでは扱いません。 ■「般若心経」で「心経」というときの、「心」ついて 現代日本語の用語では、「心」というと、心理現象の主体なり、思考、感情などを考 えます。また、空海のいう「心の実相」というときも、そうした心理面でとりあえず とらえるわけですが、「般若心経」の「心」は、そういう心理過程を包括するもので はないのです。「経」の有無をひとまずおいて、般若心経の元タイトルと推定される サンスクリットでは、   Prajana-paramita-hrdaya-sutram で、「心」はhrdayaが相当します。そこで、金岡は、   中国人はフリダヤが心臓を意味するときは肉団心と翻訳する。   心臓の形を丸いものとみて、そこに心の宿るところとしての   訳語である。 として、「心臓」という解釈から心理的な「心」としています。また、佐保田(『般 若心経の真実』)は、   「心」を大般若六百巻の「提要」などと解するのは、インドの   思想を全く知らない証拠でございます。「心」の原語「フリダ   ヤ」(hrdaya)はまさに心臓のことであります。 としています。もちろん、心臓に精神現象が宿るというふうに論を進めます。それで は、古代人や心臓に心理現象があるとみなしたのだ、という解釈でいいか、なのです が、さらに佐保田はこれを、宋時代の施護の訳による「聖仏母般若波羅蜜多経」の例 も参照しながら、   ハンニャ・ハラミッタ(Prajana-paramita)というのは、ここで   は女性のボサツの御名前でございます。施護の訳に「聖仏母」   ととあるのは、この女性のボサツが、仏母(Bhagavati)すなわち   仏をお生になった母上であるからでございます。 としています。この佐保田の文体が奇妙な説教体ということもあって、なにかいかが わしいような印象を与えますが、この点は、エリアーデ(『ヨーガ』)のほうが明瞭 に議論を進めています、般若心経に対して、彼(エリアーデ)は、   しかし、ここには、『般若波羅蜜多』の「要約」が存するので   はなく、「女神」の姿を取った「宇宙的空の真理」(Sunyata)   の直接的、全体的な同化が存する、というのは、全宇宙が、そ   のなかのすべての神々、面、および存在様態を含めて、或る数   のマントンラのなかに顕現しているからだ。 また、別箇所でエリアーデは、   しかしながら、アーリア・インドの精神史において、はじめて   偉大な女神が支配的な姿を得ることに注目しよう。古くは、紀   元二世紀には二柱の女神が仏教に入った。その姿、プラジュニャ   パラーラーミーターPrajana-paramita<般若波羅蜜多>は形而   上学者と苦行写の「産物」であり最高の知慧の権化である。 としてまとめています。エリアーデが宗教史の大家だからというのではなく、どうや ら、「般若心経」の、ハンニャハラミタというのは、女神名であると考えてよいよう です。すると、「般若心経」とは、「ハンニャハラミタ女神の心臓」で、その実体 は、呪文であるわけです。そして、これを、日本の仏教派の大半が唱えているわけで す。さらに、エリアーデはさらに、こうした仏教の女神崇拝から、タントリスムに到 ると、   Padma(蓮華)はBhaga(女性性器)であると解釈され、Vajra   (文字通りには「雷」)は、Linga(男性性器)を意味する。   このようにして、ブッダ(vajrasattva)が女尊の神秘的Bhaga   の中に休む、と言うことができる。 としています。先に佐保田は仏母(Bhagavati)について示唆していましたが、このよ うにしてみると、「般若心経」もそのようなタントリスムの文脈にあるように思えま す。別の言い方をすると、「般若心経」は、先行する般若経典群、道行般若経・八千 頌般若・大品般若経・十万頌般若経などの関連よりも、こうしたタントリスムの文脈 にあると言えるでしょう。 ■「般若心経」の観自在菩薩について ごく簡単に「般若心経」の観自在菩薩についてコメントします。人口に膾炙する、   観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊 皆空 における観自在菩薩は、Aryavalokitesvara-bodhisattovoで、これがいったいなにも のなのか?を考えてみます。 一般には観音菩薩として考えられているのですが、Aryavalokitesvaraは、 Aryavalok-itesvaraで、itesvaraは後代ではヨガの神様でもあってシバ神を指す( 『シヴァ・サンヒター』を参照)のです。つまり、インド神の最高神です。では、い ったい、Aryavalokitesvara-bodhisattovoが何者かですが、これは、以前宗教史会議 室の観音菩薩の議論でも扱ったので、そのあたりの話ははしょって、ここで私の推測 を加えます。 あくまで推測なんですが、行深般若波羅蜜多時は、般若波羅蜜多という行、は、ある 種のヨガのようなものではないかと思います。これに「観自在」があるところから、 「観」の行でしょう。そこで、これは、自在神を見る行を実践する、ということでは ないかと思います。ここで問題なのは、「観相行」が呪であるマントラとどう関わる か(テクニック)がよくわかりません。チベット密教などからある程度推測できない ものでもないのですが、この問題の言及はここまで。 いずれにせよ、ここでは、そうした般若波羅蜜多女神に関連する行とマントラの行 (テクニック)で、五蘊は、空(Sunyata)であると見える、ということが述べられて いるわけです。あえていうと、それが実現できなければ、インスタントラーメンの袋 に書いてあるインスタントラーメンの作り方を読んでいるか、呪術的な模倣をしてい るかということになるのかもしれません。 ■縁起論の観点から、 次に、縁起についてふれておきます。「般若心経」では、このように、ある行の結 果、空(Sunyata)が心理的に実現するわけです。そして、そのことが、縁起を超越す ることが示されているということが、「般若心経」に書かれている内容です。 そこで話をはしょりますが、「無無明」というのは、明確に一二縁起の起点あるいは 遡求された実体を否定していることの言明が重要です。ですから、佐保田の、   心経の本文のなかの「無無明」から「亦無老死尽」までは、こ   の十二縁起の順観と逆観の両者を否定したのでございますから、   ブッダの根本教説に対する反逆だと申さねばなりません。もち   ろんそう見るのは皮相の見でございまして、大乗の立場はブッ   ダの教説を表面的に否定しながら、かえってその根本精神を生   かそうとするところにございます。 というのも前半はうなづけます。後半の皮相ではない見解(空海などはその説をとっ ている)のようにややこしい問題をまねくでしょう。結局、佐保田のいやがる見解を あえてとりたいわけではないですが、「無無明」から「亦無老死尽」は、やはり、一 二縁起を意識して、あえて否定していると見ていいでしょう。そして、そのようにと らえたほうが、女神信仰との関連もつながるように思われます。 NoB 198/198 GFD00204 松川 貴     RE:北と南の異郷 ( 9) 94/05/19 10:16 195へのコメント  TAO さん、お久しぶりです。いつぞやはどうも。ホテル孔雀荘の前の道端に立って 筆談しながら、「じゃあメシでも食いに行こう」というので、「それでは」と互いに うなずき合ったまではよかったのですが、お互い同時に鉢合わせ方向に向かって動き 出したために、私がTAO さんの胸にタックルを食らわす恰好になってしまい、そのた めにTAO さん、「うっ」と言ってのけぞってしまいました。申し訳ないです。でもフ ィルム置き忘れ事件も含めて、そんなもろもろの出来事が私のよい思い出になりまし た。(タックルを食らわしておいて、「よい思い出になりました」とは、私もかなり ひでえやつですね。) さて、本題です。 >沖縄ネイティヴとアイヌ民族には、その痛ましい迫害史  私が提供したい情報は、例の原田常治氏が『古代日本正史』に書いている〈狗奴国 =琉球諸島説〉のことなんですよ。  『魏志倭人伝』には「女王国の境界の尽きるところの、そのさらに南には狗奴国が あり、男子を王とする。男子は大小の区別なく、みな顔や体に入墨する」(岩波文庫 版 P79)などと書いてありますが、その一連の記述に対して原田氏は、このようなこ とを書いているんです。    蛇(ハブ)除けにホリモノをしたとか、大魚(サメ)除けにホリモノを   したようなことは、九州や本州の歴史にはない。    また、牛や馬がいないと書いてあるが、日本の九州や本州に、当時牛や   馬が居なかったなどはあり得ない。現在、出雲や日向の西都の古墳群から   発掘したものに馬具がたくさん出土している。この記述が沖縄であること   は、どこから考えても間違いはない。(前掲書 P494)  原田氏は、当時の女王国(邪馬台国)の南の境界(勢力範囲)は、現在の鹿児島県 の〈海の県境〉、つまり薩南諸島の南端たる与論島に一致すると書いています。(与 論島の先は沖縄県に属する琉球諸島です。)そして当時の九州(今の熊本県)には、 狗奴国の植民地があり、そこに住んでいた種族(球磨族、つまり琉球民族)が女王国 と戦争をしたと書いています。  ここでちょっと、倭人の入墨の件について、ビデオ『田原坂』を見て得た知識に関 連させてお話いたします。これは琉球諸島ではなく、薩南諸島に属する奄美大島に住 んでいた女性たちのことなんですが、彼女たちは維新の時代にもまだ、手の甲に装飾 用の入墨をする習慣を持っていました。あの西郷さんが、奄美大島に流罪になってい る間に一緒になった於戸間金(オトマカネ)さんも──彼女のことを西郷さんはのちに愛加 那(アイカナ)と呼ぶようになりますが──やはり手に入墨をしておりました。(愛加那さ ん自身は、西郷さんとの間にできた二人の子供を鹿児島に送り出したまま、生涯鹿児 島の地を踏むことなく一生を終えています。)  愛加那さんの住んでいた奄美大島は、原田氏の区分で言えば、『魏志倭人伝』にい う邪馬国に当たります。原田氏は、薩南諸島の島々(国々)は、九州にあった女王国 (邪馬台国)の勢力範囲だったと書いています。しかし、『魏志倭人伝』においては 琉球諸島(狗奴国)の住人も──つまり薩南諸島と琉球諸島(あわせると南西諸島に なります)の住人をも、一括して倭人と呼んでいるのです。しかし実際には「倭人」 というふうに中国人から呼ばれていた九州や南西諸島の住人たちが、自分たちのこと をそのようなカテゴリーで認識していたのかどうかという話になると、これは分かり ません。そのような視点に立って以下の『魏志倭人伝』の記述を読むと、倭人の入墨 についての記述も氷解するように思われます。    夏后少康の子が、会稽に封ぜられ、髪を断ちからだに入墨して蛟竜(み   ずちとたつ)の害を避ける。いま倭の水人は、好んでもぐって魚やはまぐ   りを捕らえ、体に入墨して大魚や水鳥の危害をはらう。のちに入墨は飾り   となる。諸国の入墨はおのおの異なり、あるいは左に、あるいは右に、あ   るいは大きく、あるいは小さく、身分の上下によって差がある。その道里   を計ってみると、ちょうど会稽の東冶の東にあたる。(前掲書 P80)  岩波文庫版の現代語訳と原田氏の解釈は、細かい部分にいくつか相違点があります が、それはここでは省略しておきます。ポイントは「会稽の東冶の東」の部分で、原 田氏はこれを「会稽(浙江省)と東冶(福建省)の東」と読んでいますが、いずれに しても、地図帳を実際に開いて、中国のその辺り一帯から──この点については、岩 波文庫版にも別に「会稽(浙江)」「東冶(福建)」と学者による注が入っています ──緯度を東へ辿っていくと、琉球諸島に突き当たることが分かります。そういうと ころから、原田氏は〈狗奴国=琉球諸島説〉を主張するわけです。  古代の南方の諸島人と入墨の習慣の関係、あるいは、古代の本土人と入墨の習慣の 関係は、ちゃんと調べたことがないので、なんとも言えないのですが、原田氏の上記 の箇所を読んだときに、西郷さんと愛加那さんのことを思い出したので、これをここ に書き加えておく気になりました。  さて、話を戻して、さっきの続きです。原田氏はこう書いています。   球磨族というのは、「魏志倭人伝」に「狗奴国」(当時は球磨国)と書いて  ある琉球民族のことで、いつ頃からか、いまの熊本県の有明海に入りこんで、  球磨川の流域の八代から人吉のほうにかけて住んでいた民族である。   古事記以前の神社を、白地図に点々と書き込んでみたら、あの辺は空白地帯  になった。というのは、球磨族があそこに蟠踞していたために、日本人の神社  を祀らなかったからである。(前掲書 P530)  原田氏によると、西暦247年、女王卑弥呼の率いる倭国が男王卑弥弓呼率いる狗 奴国と戦争を始めます。その時に狗奴国の男王卑弥弓呼の意を受けて倭国と闘った中 心勢力が九州に拠点を持っていた球磨族だったのです。   (卑弥呼は)熊襲(狗奴族)、つまり琉球民族が肥後から攻撃してきたのを、  京城を通じて中国に知らせた。中国のほうでも、驚いて激励の詔書と黄色い旗  を持たせてよこしたら、女王はその戦争の最中に死んでいた。(前掲書 P504)  原田氏は、熊本に残っている琉球系と思われる独特の墓の形式を紹介した後で、そ の後の球磨族についてこう言っています。   その球磨族も、平安期の大温暖時代になって、経済が上昇し、征伐にゆく必  要もなくなり、また、反乱する必要もなくなって、自然に溶けこんだのだと思  われる。(中略)   この球磨族の話をしたら、酒好きの知人が「あッ、それでわかった」と次の  ような話をした。   八代に「熊焼酎」という独特の製法の酒がある。それがわかってみたら、麹  からはじまってその製法が、琉球の焼酎と全部同じで、日本の他の土地にはな  い酒である。それがどういうわけかわからなかった。やっぱり昔琉球人があそ  こに入りこんでいたのですかという。   この話も球磨族の一つの証明になると思う。(前掲書 P534)  当時中国は三国志の時代。そして現代日本の──特に子供たちを中心としての── 三国志ブームがあります。外面的な原因としては、漫画本や人形劇やファミコンなど を挙げることもできますが、私には、なぜ三国志がこれほどまでに子供たちの心を掴 んでしまったのか、正直なところ分からないところがあるのです。これもまた何かの 反射力のせいでしょうか、(などと言うところが私のアブナイところでして……。)  原田説に立つと、沖縄と本土の関係には、まだ現代日本人には知られていない、さ らなる奥行きが存在していることになります。事実はどうなんでしょうか。  以上、ひとつの仮説として、紹介してみました。                                   松川 貴 - FARION MES(11):★アキラの《平井和正*異界漂流》----<01> 94/05/19 - 459/459 NCP00862 宗 純一朗    はじめまして。フロイと東丈について。 (11) 94/05/19 04:26 皆さん、はじめまして。 "宗 純一朗"(29才)と申します。どうぞよろしく。 私は、「幻魔大戦」と「風の谷のナウシカ」が好きな一人です。 別にアニメファンではないのですが、こういった救世主伝説みないなのに、いつも ひかれてしまうのです。他には「デューン・砂の惑星」「地球少年ジュン」(五島 勉) (五島さんには申し訳ないですが、小説としてはあまり出来の良いものではないです が・・・)などなどです。 なぜ私が惹かれるかというと、こういう物語に出てくる主人公は、人格的に大変素 晴らしく、自分もこういう人格になりたいと強く思うからです。 特に「幻魔大戦」は、特別な思いがあるのですが、なぜかというとこれは、変に思 われる方もいらっしゃるかもしれませんし、又"平井和正ファンによくあるパターン" と思われる方も沢山いらっしゃると思いますが、私が「幻魔大戦」の映画や小説にふ れる前に(名前しか知らなかった時)、ここで言う「フロイ」と全く同じものを見た( 感じた)経験があったからです。それも東丈と同じ様にある人間的に純粋な人の「眼」 の奥から"入って来た"ものでした。 この時の情報量といえば一瞬だったんですが物凄く、見えた光体はうっすらと真っ 白に光る巨大な球体の上面の一部でした。それは丁度「地球全体に雲が覆い、それに 太陽光線が反射しているような奇麗な光」という感じの巨大な純白の「光体」で、「 至上の純粋な光」でした。(背後はやはり真っ暗で、まるで宇宙に浮かぶ光体のよう でした。) そこで同時に入ってきた情報は、「これが言葉にすると"愛という存在"で、"神"と いわれているものはこれで、しかも"神"という言葉は、誤解を招きやすく、まるで幻 魔そのもののような邪悪な宗教に発展したり、人が"神"のせいにして、自分の反省を 怠ったりするので、今となっては"神"という言葉は、言わば『人間が進化する"前段階 "に於いての"おくれた言葉""不必要な言語"』であり、今までにあった"神"というもの は存在しない。」そして、「この美しい巨大な"愛という存在"は、すべての人の究極 の中に全く同じ大きさ、同じ美しさで存在している。」と、言葉にするとこんなもの になりますが、ここには、「強烈な確信」の情報も入ってきたり、何か言葉に出来な い、"人間には処理しきれない"ような大量の情報が、入ってきました。 これは私が、小学生の頃から「愛というのは何だろう」とずっと試行錯誤して追い 求めてきた解答でした。 その後映画の「幻魔大戦」にめぐり合いましたが、この時は単に「救世主物語が好 きな私」として、何度もビデオで見ました。 そして、映画「風の谷のナウシカ」にめぐり合い、この時私は、一日中涙が止まり ませんでしたが、私が救世主物語を見て涙を流す時は、いつも「感動して・・・」ではな くて、なぜか「人類に対しての非常な悲しみ」を感じて涙が出てしまうのです。 そして、小説「幻魔大戦」に出会いました。 実はこの小説は、姉(実は私の姉は、"ミチコ"という名前で、私と九才はなれてい るんですが、このような偶然の一致的な事は、他にもいっぱいあるんです。が、勿論 考えすぎといえば考えすぎかも知れないですが、例えば久保陽子の様な存在が居たと か・・・その事は、またいずれ書きます。)が以前から読んでいたので、私もよく目には 、していまして、「読んでみようかな?」とずっと思っていたのですが、ちょっと読 みかけてみたりしたんですが、一巻目の途中でやめてばかりでした。 そして、そういった事が色々あってから、ふと読み始めることがあり、その時から ずっと「幻魔大戦」「新幻魔大戦」「真幻魔大戦」と読み続けました。やはり、こう いった事は、とてもタイミングが大切というか、勝手に寄ってくるというか、その人 その人にとって大きな意味を持つ事柄は、必要な時にやってくる事が多いです(しか 、そのような有る事が、きっかけで人生を悪い方向に向いてしまう事も多いですが・・ ・)。 やはり私も、それらを読んだ後で、ある朝鮮人が教祖の宗教に洗脳されかけたりし て、「宗教」の道が「東丈の道」とレベル的に考えたりしていたみたいでしたが、そ の後の他の色々な経験によって、「宗教」という形が本当の意味に於いて「東丈の道 」ではないと、確信しています。 大きく言いますと一つには、宗教家のほぼ全員が究極的な立場に立たされた時に、 昔、権力者にとっての革命家であるキリストがしたように、その当時の権力者に対し て、「自分の信念」に於いて"他人"の身代わりに命をかけたり、例えばもっと身近に分 かりやすく言うと、愛する人の為に(キリストにとっては、すべての人)今で言う刑務 所に入るという事さえなかなか出来ないものです。この事は、ほとんどの方が、出来 ないと思いますが(私もまだ自身がありませんが、そうなりたいと思います)、「東丈 の道」を進もうと思うならば、それぐらいの事は出来ないと話にならないと、私は考 えますし、現にそういった事が出来るレベルの人が私のまわりには存在するのです。 そういう精神が、自分のなかに入り込む「幻魔」、あらゆる所に存在する「幻魔」に勝 てる唯一の武器だと思います。 「幻魔」というものは、そういう表現を借りれば存在するとも言えますが、これは明 らかに自分の中にある「幻魔」との戦いです。 自分の中の「幻魔」に勝てる事が出来れば、自然と、他人の中にある「幻魔」には必ず 勝てます。逆に言うと、他人に「幻魔」の存在を感じれば、それは即ち自分の中に「幻 魔」が存在しているのです。ですから、真の「東丈の道」を進もうとするならば、要 は「自分に対してのみ」の厳しさを追求することなのです。 しかしこれは、人生において最も難しく、限界のないものですが、「幻魔」との戦い は、まだ私達の寿命の間には、おそらく終戦は、迎えないでしょう。 戦いが終わる時は、地球が一つの意識体になるとき、すなわち「フロイ」になる時 だと思います。 そのほんの最初の「段階」であるのが、この情報のネットワークだと私は考えます 。 情報ネットワークは、客観的にみると人間ひとりひとりの知性や意識が、通信とい う現実的(な形なのでピンとこない方も多いと思いますが)な形で結び付いているわけ ですが、通信というのは、コンピューターによって結ばれていて、このコンピュータ ーとは、人間の欠けている部分や、出来ない部分の、記憶力や、計算力などの部分を 補っているものですが、通信といえば、霊的に言う、又は昔で言う「テレパシー」の 最初の段階だと思います。 これは、自分の意思や、知性を別の知性に伝えたり、交換したりするという、言わ ば「脳=意識」の共有化にあたり、この発達が、一人一人の意識を一体化させる「フ ロイ」への進化の過程にあたると、私は考えます。 昔は、一人一人がバラバラの脳だったのが、極論的には、最終的に地球レベルで一 つの脳と化す、昔は、単細胞だったものが、多細胞になるように・・・。 これが、最終的に一つの細胞と化し、その時には今必要と考えられる「権力」とい うバランスが、一つの生命体(人間という肉体を持った動物の機能として考えると、 その生命体には、「ブレイン」という「権力」が存在していますが、意識が一つにな ということは、肉体は関係ないので、肉体に必要な"脳"という"権力"の存在は、意識 体としては全く不必要になる。脳の中では権力にあたるものは、存在しない)として 機能しているので、存在しなくなり、生命の持つ「進化しながら生きる」といるプラ スの方向性に向かうわけです。 「生きる」という方向性は、今現在では権力によって戦争や、飢餓、差別による自 殺などというかたちで、失われる事が多分にあるが、これは肉体的レベルで、癌細胞 やウイルスに食われてしまう、「生きようとする細胞」の存在に似ていて、その時の 脳細胞の働きは、白血球を増やしたりして抵抗するのみである。つまり全体的視点か らすると、細胞を失わせる働きを持つものに抵抗するという方向性の働きが、地球と いう生命には、進化の過程で存在する。 しかしその生命も癌細胞に負けて死んでしまう時がある。 つまり我々が、「命をかけて戦う白血球」のようになる努力をしなければ、地球も 死滅するという事です。これが即ち「幻魔に負ける」という事であると私は考えます 。 わかりやすく説明させて頂くと、こういう事だと思いますが、これが「東丈」のや っている「白血球を増やそうとするブレインとしての細胞」だと思いますが、いかに この事を実行できる人になるのが困難な事か、いかに「幻魔」の入り込む余地が人間 に多く存在するかが、いかに東丈のやっている事が困難な事かが、小説のなかでも読 み取れると思います。 ですから、小説で「東丈は常に孤独だった」というのもよく分かると思いますし、 別の指導者を必要とするのもよくわかると思います。あまりにそのブレインが少な過 ぎるのです。 それと、「光のネットワーク」についてですが、これはこじつけの可能性も非常に 高いのですが(しかし将来フロイが勝ったときじゃないとわかりませんが・・・)もうす ぐ情報ネットワークが、光ファイバーになります。もしかするとこの事の預言かもし れません。 すべては、未来になった時でないと、解らないのです。 私達が今やるべき事は、すくなくとも認識すべき事は、未来を見る事ではなく、「 幻魔大戦」の事を分析する事でもありません。それぞれ自分一人一人が、本当に命を かけれる「白血球」になれるよう、努力すべきである事のみだと私は思います。 私は、実は音楽をやっているんですが、私が小説「幻魔大戦」に出会う前に出てき た文章で、私の作曲している作品集(自分の作品に関しても自分とは又別の「普遍性 を持っているように感じるんですが・・・)に必ずつけている、私の訴えたい中心部分を あらわすものをここに記して今回は、終わりたいと思います。(下記の文にもありま すが、「自己主張、自己表現でないもの」とは、この時点では"言霊"のことは知らな かったんですが、私の曲もいつも自分とは違う、いわば自分の中からの「フロイ」か らの曲のような、"音霊"のようなものをずっと前から意識していました。なぜそう思 ったかというと、私の好きな、又は勉強してきた音楽は、ジャズやフュージョンなん ですが、若い頃は、不思議に思っていたんですが、私が作曲するとそれらには似ても 似つかないようなものがでてくるのです。) ****************************** 20世紀の世紀末という時代に生きる我々人類は、無限に大き く、無限に美しい「愛」という存在を知る必要がある。 それはどこにあるのか? それは、一人一人の中に存在する。 人の究極にはそれがあり、ひとのことばで言うと「愛」であ る。 この事を私を通じて、すべての人の超根本的無意識にあるそ れに、直接訴えかける事によって、純粋なそれを感じ出させ、 人の生命をもとのように美しくしようとする、自己主張、自己 表現でないものを示す。 ****************************** - FARION MES(18):★あもりの二人三脚ネットワーク------<01> 94/05/19 - 00985/00985 HGE02116 MAKOTO まだ、言葉にならない部分が多いのだけど… (18) 94/05/19 00:25 00983へのコメント 切っ掛けは外にあった。 でも、原因は内側にある。 傷つけられたのではなく、傷ついたんだ。 拘りの始まりは、なにげない一言だよ。 言った当人も、なんら意識はしていないだろう。 実際、普通なら受け流せるようなものかもしれない… でも、あたしは傷ついた。 痛みを感じると共に、葛藤も抱え込んでしまった… ここに書いた部分なんて些細なものだ。 そして、外はどうとでも取り繕えるんだよな。 でも、己自身は偽れない… 他者とのやり取りに疲れ果てたのではないよ。 それが切っ掛けとなって始まった、自分との戦いに疲れ果てたのだ… 本当にわからないのか…? ただ、目を塞いでいたいだけではないのか…? ただ、気付きたくないだけではないのか…? うちなる葛藤は、今も続いているんだ…                      MAKOTO - FARION MES(20):■世紀末ウォッチ:これって…!?----<01> 94/05/19 - 581/581 GBA01052 CHARAN 未知との遭遇!!!!!!! (20) 94/05/19 16:40 私のライフワークは「未知と遭遇すること」である(えー加減なことを!)。 先日幸運にもその一つを果たすことが出来た。 それはなんと「自転車に乗ったホームレス」である。 おそらく人類史上でも極めて稀な遭遇例であろうと思われる。 それはさておき、何故このようなホームレスが自転車に乗るという事態に至ったか? ということはかなり重大な示唆を含んではいないだろうか。 つまり、これは日本を席巻する不況がもたらした珍事としか言いようがないのだ。 食料の拾得を主目的として移動する彼らにとって、 従来徒歩で可能な範囲内で済んでいたことが、 自転車を利用しないと達せられなくなったという事を意味しているからだ。 実に深いのである。 今後諸君も「自転車に乗ったホームレス」に遭遇されたなら、 この日本の将来に思いをはせてみることをお勧めしたい。 それにしても、彼らにとって自転車との出会いは必要から生じたもの故か、 その急激な変化に対応するにはまだまだ時間がかかりそうである。 私の遭遇例では自転車のサドルに雑誌を乗せて、 それを読みながら足で地面を蹴るようにしてゆっくりと移動していたのである。 習い性になる、とでも言うか、なかなか長年の習性は抜けにくいものであるようだ。 - FARION MES( 2):【居酒屋1999】自己紹介・雑談--------<09> 94/05/20 - 02174/02176 JCF00616 優位 RE:テストだー ( 2) 94/05/19 19:49 02173へのコメント RE:#2173/TO:NORIさん  こんにちは!  実は、ウチの学校には中間テストなるものが存在しないのです(^^;  あるのは1期、2期、3期にある期末テストだけなんですね。  でも、恐いのは   1期の評価=1期のテスト   2期の評価=1期+2期のテスト   3期の評価=1期+2期+3期のテスト=1年間の評価  なのです。  つまり、全てのテストが大事で、学年末には、ガンバラにゃならんのです(^^;  ま、テストの時期になっても勉強など殆どしてないおサボり優位くんですけど、  今後も宜しくね! 〓 YUI ⇔ TANAKA Masanori 〓 02175/02176 JCF02051 めのう 私は睡魔の虜 ( 2) 94/05/19 21:22 02158へのコメント  #2158 みれさん  こんにちは。札幌はリラの季節になりました。  初夏は風が気持ちよいですね。 》 私って放っておいたら一日24時間のペースじゃなくて、大体、起きてい 》る時間が36時間で睡眠時間入れると44時間位になってしまうのだけど、  す、すごい。  36時間に対して8時間の睡眠で足りてしまうんですか?  私は夜更かししたらその分眠らないとカラダがいうことをききません。  36時間起きていたら20時間は眠らないと。効率悪いなあ...(^^;    睡魔といえば、鼻炎の薬ってどうしてあんなに眠くなるんでしょう。  私の場合、季節の変わり目になると鼻炎がやってきて、薬に頼らざるを  得なくなります。今もちょうどその時期です。  一日2回の薬を1回にしても一日中眠たいのです。  仕事で電卓を叩いているときなんかもう生き地獄!  「このまま私を遠くへ連れ去ってェ〜」と睡魔に懇願したくなります。  眠くならないと鼻水が止まらないような身体のしくみなのかなあ?      実は寝付きも寝起きもたいへん悪い ◆◆ めのう ◆◆ 02176/02176 GBG02043 維/YUI セン・シュアさんって ( 2) 94/05/19 21:57 こんばんわ!!! セン・シュアさんのハンドルって、英語のcensureからきてるの??? ちがうかぁ・・・・ボソ。 今日、職場であまりにも暇だったので、辞書をながめていたんです。 そしたらね、censure ってのがあって、発音がセン・シュアだったものだから、 ついつい・・・。 けど、あんまりいい意味ではないのよね、非難とかとがめるとかいう意味だから。 読み飛ばしてるのかなぁ。。。由来って、書いてたことありました? 書いてなくて、由来があるのでしたら、よかったらきかせてください。 とつぜんの書込でごめんなさいねっ!!!!                        維/YUI。 - FARION MES( 6):・壁(1)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 94/05/20 - 02377/02377 KGH02737 弥沙 ぼくの地球を守って ( 6) 94/05/19 21:21  「ぼくの地球を守って」という日渡早紀さんの漫画の雑誌連載が  今回の号で終わりました。  7年間続いたらしいけど、私は途中から読み始めたので5年くらいの  付き合いになります。  長かったなぁ。「ほんとに終わるのかしらん(^^;」と思ってたけど、  無事完結したわ。うん。ハピ−エンド。  この漫画には特に思い入れが強くて、ほとんど欠かさず読み続けてました。  普通の高校生6人と、小学生一人。  その人達が前世の仲間であり、そして、それ故に巻き込まれていく。  今の自分と、前世の自分の狭間でそれぞれの苦しみを背負っていて...  「あれは、前世を引きずり過ぎてて暗い」  RTである方がこう話されてましたけど、分かる気もします。  もしも、前世を思い出してしまったら、そしてこの漫画のように  それに巻き込まれてしまったら、自分じゃない「前世の自分」が犯した罪でも、  償わないといけなくなるのかな。そう思うとやっぱり恐い。   だけどね、思うの。そうなるとしても、それは“前世の自分が望んだこと”   私は、「自分の一番深い所にある記憶」が前世だと思います。  それを内包したのが「今の自分」だから、“前世の自分が望んだこと”は  『今の自分が望んだこと』になるのじゃないかな。  知る不幸より知らぬ平穏と言うけど、分かってしまったのなら、  それなりに、その状況を楽しまなきゃね。  何事も気の持ちようで、事態は好転すると思うから。  そうよ、引きずられて苦しみながら生きるなんて、まっぴらごめんだわ。   そういうのって人事じゃないのよね、今、何も知らない人が、明日、  突然に思い出す事もあるのだから。   最後に「ぼくの地球をまもって」最終回から     そしてそこは私たちの新たな故郷になる     そんな話をどこか懐かしげに輪(りん)くんは目を細めて話す     そして時折 月を仰ぐ     地球もまた どこかへ還ってゆく     たくさんの憶い出 過去     みんな抱えて     ゆっくりと まわりながら     そしてきっと 夢を見ている     光と緑の 子守歌を 聴きながら     懐かしく 遠い未来を  P.S この漫画のOVAの主題歌、「時の記憶」はARIONが作詞しています。  ありがとう。ARION。すごく感動したよ。きっと、いつまでも忘れない  (ここに書いたってだめかな〜?)                 最近、よく書くなと思う(^^;....弥沙  - FARION MES( 7):★アリオン世紀末書込み寺------------<02> 94/05/20 - 02265/02268 JCF00616 優位 RE:本源へ ( 7) 94/05/19 19:49 02263へのコメント RE:#2263/TO:英雄さん  英雄さん、こんにちは(^^)  祈りについての話題が盛り上がりつつあり、  核心部分にも触れて来ましたね。  さあて、今回は結構突っ込んだ部分まで言っちゃうぞ!(^^;  ■アンバランスを矯正して調和へ……そして平和な世界像が浮かぶ。  物質と精神のいずれにも偏らない、中心の「祈り」…。  まさに、「縦横十字調和」ですね。 >ほら、そこに花が咲いています。...そう、それが「祈り」の姿ですヨ。  自然体そのもので、純粋無垢な花は、  真の「祈り」の姿であると、僕も思います。  花には雑念という言葉さえもないし、ただ、そこにある。  たとえ風が吹こうと、雨が降ろうと、あるがままに任せている。  そして、日が照ってくると、素直に喜ぶのですね(^^)  ホント、「聖」なる姿なのだと感じてしまいます。  「聖」=「ひじり」=「日知り」ですから、  本源の世界に在る「日」、即ち光明を受け入れる心、  そんな姿が見て取れるようです。 >つまり、人間を本源へつなぎ直そう、ARIONの言い方を借りれば、 >宇宙生命潮流へ戻そう、とする方法が「祈り」なのである、と言うこと  宇宙とは、変化そのものを意味して居る訳ですから、  その潮流に戻す、ということは我々が地球の天命に添って  地球を運行してゆく、ということですね。  しかも、そのためには人間を本源の世界へ「つなぐ」ことが必要ですね。  あるひとつの本源の世界に多くの地球人類が「繋がっている」状態に  なれば、母なる本源のもとに人類を平和に導く事も可能ではありませんか?  みんなみんな、同じひとつの母なる根源から、生まれているからこそ、  人類最大の悲願である世界平和を実現出来そうですよね(^^)  現在の人類のレベルは、太陽系の他の惑星郡のそれと比べると、  かなり低いと伝え聞きます(波動が粗い)。  だから、他の惑星から観れば、当然地球世界の遅れは、  他の惑星にも悪影響を及ぼしてしまいます。  赤子同然の地球世界を救おうという動きが彼らにはあり、  現在に至っては、かなり救済の為に活発な活動がなされているのだそう。  具体的には、波動の照射、ということになるんですけどネ(^_^)  最後に、皆さんへ。  ある宇宙神霊によれば、日本は世界中で最も進んだ国なのだそう。  地球の宇宙生命潮流への凱旋は、日本を中心として行われるのだと聞きます。  ───私たち日本人の天命は、何であると思いますか? 〓 YUI ⇔ TANAKA Masanori 〓 02266/02268 PXB05763 セン・シュア RE:セン・シュアよりオリハルへ ( 7) 94/05/19 22:19 02262へのコメント  これで状況がだいぶすっきりしました。不安もありましたが、思い切って発 言してみて、本当によかったと思います。これからもこの会議室で充実した日 々を共に過ごしましょう。そしてオリハルさんが希望のビジョンを手に入れる ことができますように。  私はARIONの日々のメッセージについては、あまり真剣に考えてきませ んでした。まだARIONの立脚する基盤というべきものを把握できていませ んので、例えば麒麟など、象徴的な用語が何を意味するように用いられている のかも、つかめません。別会議室で分析が行われているようですね。  そうそう、オリハルさんから「自分に似ている」という言葉を戴けるとは、 たいへん光栄です。勿論、羊の意味する「似ている」ではなくて、ですよね。 そして、狼の意味する「似ている」でもない。私の場合、狼よりはやや程度が 高く、丘の上から森をじっと見守っていて、時に降り注いでいく存在、であり たいと願っているのですが・・・。これは感覚的な理解ですけどね。  この会議室上で、今までは感覚的にしか理解していなかった自分の性質をつ かめるようになりたいと思っています。ではまた。    調和・統一・継続・向上・克服・実現・理想・希望の8語を信奉する人                           セン・シュアでした。 02267/02268 PXB05763 セン・シュア RE:RESをありがとう。 ( 7) 94/05/19 22:21 02194へのコメント  湖の鷹さん、RESが遅れ気味で申し訳ありませーん。一旦、FARIONから離れて、 ゆっくり温泉にでも浸かったあと、静かに瞑想でもしながら考えていけば、何かつか めることもたくさんありそうなんですけれどもね。余裕が・・ない。  あなたは結構、高く飛翔して上から眺めることのできる方ではないかと思っていま すので、私が色々な方と様々な視点で対話している様子を眺めつつ、私がちゃんと首 尾一貫した価値観を持っているのかどうかってなことに関心を持って頂けると、非常 に嬉しいです。  湖の鷹さんとは、二者択一の問題を考えることができるんですよね。うれしいです。 さて#2194から行きましょう。 >選択肢が1つしかないのなら、・・・それはゴミ箱にでもぶち込むべきだな。 > >選択肢が2つしかないのなら、・・・そりゃ両方とも最悪な結果しか産まな >いからやはり廃棄処分にすべきだね。 > >というわけで、より良い選択を望むならば、今現在は存在しえない3番目以降 >を選ぶのが本筋だろうな。ふっ、未知なる未来を選ばんで、なんとする?。  意識が二者択一の状況に入る時、そこに危険な罠が仕掛けられている恐れがありま す。それを指摘されてしまいましたね。つまり程度が高かろうと低かろうと、二者択 一の状況は、お互いにお互いを否定しあう形をとっているため、非常に安定した構造 にはまってしまうのです。そして、そのまま自分自身を高めることもできずに、そこ に留まってしまう恐れがあるんです。  子供なんかの場合は微笑ましいです。小銭持って出歩いていた時に「暑くてたまら ない」と思って、「アイスにしようか、ジュースにしようか。」って考え始めると、 もうそのお金を貯金して後に役立てようという発想がどこかへ飛んでいってしまい、 アイスを食べることと、ジュースを飲むことを相互にイメージし初めて、どちらか一 つの選択しかあり得ないような気分になってしまう。  大人の場合は、ちょっとした悪のテクニックですね。大きな買い物決めかねている 人に対して「現金でお払いになりますか、それともローンをお組みしましょうか。」 ってな聞きかたをすると、現金で払った方が得だけど手持ちの金がギリギリで云々と か考え出すから、何となく買うことが既に前提とされているような状況へと追い詰め ていくことができる訳です。そう本に書いてありました。  見方を変えれば、二者択一の状況というのは、その人の意識のレベルを忠実に反映 しているということと、常に何らかの二者択一が内に含まれているものだということ を考えに入れてみれば、現在の二者択一を知るということが、自分自身を向上させて いく際の一つの指標となり得ますね。  私にとってしばしば問題となるのは「俗世に留まるべきか、新天地を求めるべきか」 という二者択一です。世紀末に関する情報をそのまま受け取ると、今の時期に、俗世 で(この用語は借り物です)様々な刺激に翻弄されながら生きている場合ではなくて、 どこか宗教団体なり、共同体なりに参加して、自分自身を磨いていく必要があるので はないかと思うことがあります。(>継続します?)  個人から離れれば、色々具体例をあげることができますね。20世紀の人類社会に とって最大の二者択一ってなんでしたっけ。そこへ話を進めていくのも、面白いかも 知れません。そして、個々の例について、思い切って廃棄処分にできるような意識の 飛翔がどうすれば実現するか、なんてことも考えてみる価値がありそうですね。      調和・統一・継続・向上・克服・実現・理想・希望の8語を信奉する人                             セン・シュアでした。 02268/02268 PXB01563 おみゃー 誤解が起きないための補足 ( 7) 94/05/19 23:15 02255へのコメント もう一度ふりだしに戻ってみよう。 #2190 >> 例えば、祖国を守るために戦っている戦士Aがいたとしますね。それで、戦 >>って死んでしまったとします。Aは「私は祖国を守るため戦って死んだ。自分 >>の一生をそれで貫いた。我が一生に悔いなし!」と思って死んだのでしょうか。 >> >> 精神世界のドラマはこうです。Aは死んだ。しかし転生して戦士になり、ま >>た守るために戦って死んだ。また転生して戦って死んだ。また戦って死んだ。 >>また死んだ。死んだ、死んだ、死んだ、もうやめてくれって叫びたくなる位、 >>同じことの繰り返し。だって戦っても守れないんですから、幾ら繰り返しても >>結果は同じでしょう? それでもいいっていうのは、それこそ自己満足。 >> >> そこで現実のAはどう考えていたかというと、必死になって自分にない要素、 >>祖国を守るための本当の切り札、未来のビジョンを持った人間を探すしかない >>と考えたのです。Aもまた祖国を守りたいと願う一つの存在、完成されてはい >>ないけれど、荒削りのビジョンを大切に抱えて、それを伝える能力がなくて、 >>戦う以外なくて戦っていた。 >> >> そこにBが現れる。Bはビジョンを持っている。未来の希望のビジョン、し >>かしそれはAの存在を否定するもの。祖国の未来を知ると同時に、自分にとっ >>てのドラマの続きを知ってしまう。Aにとってはある意味で絶望だ。どんなに >>わかっていても自分の戦いは意味なしだと宣言されるのはつらい。これが未来 >>の希望のビジョンの本質。裏に絶望を秘めている。 >> >> しかしAは自分のビジョンをBの全体図の中から探します。そう、ここに私 >>の願う祖国の姿がある。ここはしかし、こうあるべきではないか。この方がも >>っと優っている。了解した、今後私のビジョンはそのように訂正しよう。そこ >>にあなたの存在の成果があったことを覚えておこう、とBは約束する。 >> >> そしてAは再び、戦場に出て、戦って死んでいく。Aはその死自体に何の意 >>味もないことを知っている。自分という存在への絶望、そして滅び去っていく。 >>しかしこの場合だけ、Aは喜んで滅び去っていく。確実に未来のビジョンが継 >>承されたから。Bのビジョンは、たしかに自分のビジョンを超えたところにあ >>った。私はそこに自分の希望を託した。だから、喜んで滅びることができる。 >> >> もう少し、具体的に内面に関わるように書いた方がいいでしょうか。これで、 >>説明になっていますか。一応、これで説明は終わりです。 ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ 説明不足です。私が問題にしているのは、A、B、の人間像が見えてこないこと に関してなのです。 セン・シュアさんは悔いが残っていることを前提に話を進めていますが、何故悔 いが残っているのでしょう? 未来のビジョンがあると、何故悔いが無くなるのでしょう? また、Bにビジョンが有ったとしても実現能力が無ければ絵に書いた餅にすぎま せんね。 この文章を読む限りにおいて、A、B、共に多面的に考えられた発言とは思えま せん。 あなたの他の発言は確かにいろいろな方向から分析しているようなのに、この発 言は一方向からの観点にすぎないと思えます。 私の発言は、この件に対してのモノなので誤解の無いようお願いします。 おみゃー PS.なえさんが問題にしているのもこの件に対してだと思っています - FARION MES(13):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<03> 94/05/20 - 01291/01294 JCF00616 優位 追加&補足 (13) 94/05/19 19:49 01290へのコメント RE:#1290  宇宙子科学に関係のある文献などがもうひとつありましたので、  追加してご紹介致します。  ●五井昌久「人類の未来」(白光出版)1,300円   【目次】現代と奇跡/物質文明より霊文化へ/宇宙人と地球人       宇宙人と世界平和の祈り/生命の教育/祈りと念力/その他  宇宙子科学について直接書かれて居る訳ではなさそうですが、  図書目録を見る限りではどうも関係がありそうなので、紹介しました。  なお、連絡先を下記に記載しておきますので御参照下さい。  白光真宏会出版本部(白光出版)  〒272 千葉県市川市中国分5−26−27   TEL.0473(73)2156 FAX.0473(73)1757 郵便為替 東京2-151348 〓 YUI ⇔ TANAKA Masanori 〓 01292/01294 GGA02514 KAZE 荒野で呼ばわる大馬鹿志願^^; (13) 94/05/19 23:08 01288へのコメント 隆ちゃん、どうも。 奥さんがぎっくり腰とは困りましたね。 身近な人の例から考えると、一度ぎっくり腰になると癖になるそうですから、 十分ご自愛くださいね。 そうそう、そんなときこそMRTなんか有効かもしれませんね。 十字式健康法なんかもわりといいようですけど。 >実は僕は愛媛蜜柑の大ファンなのです(^^)。 そうなんですかぁ、それはそれは(^^)。 >特に少し小振りで、皮の薄いのが最高ですね。ミカンヒョウロンカ よくご存知ですね、さすが味にうるさい^^;隆ちゃんだけのことはある。 >どんな薫りがするのでしょう。チョットウラヤマシイ あま〜くて、うっとりするようなかなり強い薫りです(^^)。 どこもかしこも蜜柑山っていうところが多いですから、 それらが山ごといっせいに薫を送ってくれるわけです。 >僕は学生時代に用賀から飯田橋まで自転車で通っていました。 そういえば、僕も学生時代にはほとんど自転車で移動していました。 友人達はひとりまたひとりと自動車の免許をとり、運転していましたが、 僕は貧乏なのと^^;、そのころは「一生車の運転などはしない」と思ってましたから 自転車は一生の友達になるだろうなと思ってたのですが、 仕事上、免許を取ることを義務づけられたのもあって、 その後軟弱な方向に流れてしまいました^^;。 ま、それはそれとして、歩くのと、自転車に乗るのと、車に乗るのとでは、 その行動半径や視界などがまったく違うから、 当然意識のある部分が変わってきますよね。 できれば、いろんな視界を持つことで意識の幅を広げたいと思うのですが、 車ばかり乗るようになると、たとえば歩く速度での風景というのが だんだん見えなくなってくるんですよね。 また、車を運転してるのに歩く感覚で運転されてる方もいて、 道路上で顰蹙をかったりする場合もありますから、 その速度と移動環境に応じた意識を持てるように気を付けたいものです。 >物理学の世界では「実験系」と「理論系」にわかれるという不思議な風習(^^;)があ >りますが、僕にはこれがどうも理解できませんでした。 僕はいまだにそれが実質的にかなり分かれているというのが理解できません^^;。 知行合一ということとはそのまま重なるわけではありませんが、 あえてそれに引っかけていうと、「実験系」が物理学の「行」、 「理論系」が「知」にあたるとすると、 それらを分裂して当然ととらえているわけです。 >本当は両方が手を取り合って行かないとダメなのに、なぜか喧嘩をしてしまう。 おっしゃるとおりですね。 もちろん、そのどちらかにポイントを置くというのは、 現状ではある程度仕方のない部分があるのは確かですが、 その双方が補い合う関係であることを忘れてはいけないと思います。 こうした「知」と「行」か、それに類する分裂というのは、 あらゆる分野でそれがいえますから、どの分野でも双方を尊重し、 できれば双方を兼ね備えたような在り方を模索するようにしたいものですね。 政治や経済の分野でも、批判のための批判に終始するのが日常茶飯事ですが、 こうした「愚」も注意深くみて、 批判するなら実行せよ!を声を大にしていうべきだと思います。 >「振動」しているもの(媒質)と「振動」そのものが別のモノのようにイメージさ >れてはいませんが(そんな事はありえないですよね)、本質的に違う概念であると >いうイメージはあります。 隆ちゃんのイメージとはちょっと違っているかもしれませんけど、 媒質と振動というのは「概念」が違うというよりも、 その「あらわれ」の階層が異なっているといったほうがいいかもしれません。 ちょっとたとえは悪いですが、縄跳びの縄を蛇のように揺らすとしますと、 その縄跳びの縄を「媒質」、現れた「波」を「振動」というわけです。 それともこういう言い方がいいでしょうか(これもやっぱり変か^^;)、 綿棒6本を使って、正四面体をつくるとしましょう。 この綿棒と正四面体としての「あらわれ」は同じでありながら 「階層」が異なっているわけです。 「波動」をイメージする場合、「波」をイメージするよりも、 数の幾何学的変換ということをイメージしたほうが正解かなというふうに、 最近では考えるようになっていますが、なかなか説明しがたいですね。 ま、はやい話がミラクルさんの数霊的宇宙論のような感じです、はい^^;。 >「場」になってくると話はもっとややこしくなって、これはもう「作用」というか >「関係性」そのものに見えます。 ですから、なおさら「数」を「場」としてとらえて、 その「関係性」における、幾何学的変換のような感じが 僕はピンとくるものがあります。 やっぱり、数霊をもそっと僕も真剣に勉強し直してみなくちゃという感じです。 >結局人はみんな自分が何者であるかを探しているのだなぁと感じるとともに、それ >が希薄であればあるほど自然体ではいられないものなのかもしれないとも思いまし >た。 前回とは言い方が反対のようになりますが^^;、 自分が何者であるかを理解しようとすれば、キリストがいったように、 親、兄弟、親戚などの血縁やそうしたことに関連した共同体を 一度根底から(というのは、自分の内からも)捨て去ってしまうことが先決で、 そうしたアイデンティティーをどこかに委託してごまかしてしまうことは 結局のところ「自分が何者であるか」を見ないことなのだと思います。 (こうした考え方は非常にクリシュナムルティに近いです。) もちろん、「非行」というのはそれとは全く逆の行為です。 それは多くの場合、別の共同体を代替にしているだけですから。 こうして、ひとは一度「荒野」にでなければなりません。 そうして、その「荒野」で自らのぎりぎりのアイデンティティーを 模索しなければならないのだと思います。 そうした模索の中でしか「自然体」は生まれないと思います。 そしてそこから生まれでる共同体こそが、 真のアイデンティティーを生み出す土壌になるのではないでしょうか。 >「インターナショナル」は本来「ナショナル」を結ぶというような意味なんでしょ? 「インター」っていうと、「相互」とか「間」、「中」って意味ですから、 国家相互の、とか国家間の、っていう感じだと思います。 人と人との「相互」にしてみても、それぞれの人の主体性がなければ、 「相互」っていうのが無意味になるということと同じですよね。 だから、「ナショナル」に主体性がないから、 「インターナショナル」ということはあり得ないっていうことだと思います。 >自分が見えない人に他人の事など見えるはずもなく、人の事を考える事なんて結 >局はできないんですよね。 先の「インターナショナル」ができないのが、 そういう考え方をするとよくわかりますよね。 僕も、正直いってつい最近まで「ナショナル」をまったく理解しようとしないままで、 「インターナショナル」を指向していたように思います。 それを深く深く反省して、最近ではこれまでほとんどふれなかった、 司馬遼太郎さんや山本七平さん、渡辺昇一さんなどを著書を できるだけいろんな角度から読むようにしています。 こうした方の著書は、「ナショナル」をふまえながら、 「インターナショナル」をきちんと考えようとしているものが多いと思います。 そういう意味では、朝日新聞などに代表されるマスコミの在り方は、 新生党のどっかの支部で小沢一郎さんが批判していた通りなんですよね^^;。 >「言葉は文化である」と言ったそばから「言葉狩」をし、そのくせ「報道の自由」 >と称して平気で人権を侵害しているバカマスコミ(マスコミにも良識のある方は >いるのかもしれませんが)にはほとほとあきれてしまいます。 それって、ほんと朝日新聞ですね^^;。 僕はなぜか昔の余波^^;で、朝日新聞をとっているのですが、 毎朝天声人語を読みながら、吐き気をもよおしています。 それくらいなら読まねばいいと思うのですが、 マゾのようになってしまっています^^;。 そういえば、松川さんもよく朝日新聞の引用をされてますね^^;。 それはともかく、あの天声人語を読めば、 あの似非文化人、いやああいうのこそ文化人なのかもしれませんが、 ああした人間の馬鹿さ加減は度を超していると思います、ほんと。 馬鹿なら馬鹿でいいから、小利口にならずに、 とことん大馬鹿でいればいいのにね。 小利口ほどどうしようもない人間はいないというのは、 確か安岡正篤さんも「知命と立命」かなんかで言ってました。 僕も、馬鹿なら馬鹿で、大馬鹿になってみようと、思うのでありました(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 01293/01294 GGA02514 KAZE RE:自由のためにを読んで (13) 94/05/19 23:09 01289へのコメント 隆ちゃん、どうも。 >理想主義者というか、必要以上に純粋でありろうとする方は、まずいと思われる事 >柄をきれいに排除しようとします。極端な話ですが、そういう人たちは無菌室に居 >る事を望む様に見えます。 純粋が、不純を排除したそれであれば それは「偽純」とでもいえばいいのでしょうか。 善ということでも、それが悪を排除したものであれば、 それを「偽善」と呼んだ方がいいのとまったく同じなんですよね。 ホスピスに関することでもふれましたが、 相手の中にあるものを自分のなかにもあると理解し、 それを相手の反射板であるとし、相互に反射しあいながら、 お互いを解放し合うということが大事なんだと思います。 最近朝日新聞のことにふれることが多いですが^^;、 あれが偽善だというのは、自己正当化することによって、 自分のなかの不純や悪の部分を外に放り出すことしかしてないからです。 結局、マスコミっていうのは現在ほとんど無菌室にいるようなもので、 相手の「悪」や「不純」を糾弾することを 使命と思っている幼稚なところがあります。 そそそろ、そういう幼稚さに自分でちゃんと気づいて、 自分のオシメくらいは自分でかえられるところまでは成長すべきだと思います。 >医師と患者に限らず、親と子、教師と生徒など、おおよそ外見上力関係がはっきり >していると思われる関係において、この考え方は大切だと思います。現代が抱えて >いる問題の多くは、「小さな父」的な感覚の欠如からくるものなのでしょう。   先のマスコミの話ですが、現状、このマスコミも、「大きな父」で、 その権力をふることを自己目的化しているところがあります。 マスコミも「小さな父」となる時期にそろそろきているのではないでしょうか。 「差別」を実体化し、それへの「逆差別」を異常に持ち上げる「愚」なども、 「反権力」という名の「大きな父」の権力闘争であることを知るべきです。 ちなみに、この「自由のために/シリーズ」は、 こうしたスタンスで不定期に続けていこうかなと思っています。 現在UP予定のテーマは、2つほどあるのですが、 まとめるのにちょっと時間がかかるので、時間ができ次第、 ご紹介しますので、読んだ感想などお願いしますね。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 01294/01294 HCB00374 DIRAC 厳しい時代 (13) 94/05/19 23:10  こんにちは。 たいへん御無沙汰をしております。 さて、清家さんの本についていろいろありましたが、あれは私も持っています。 超相対性理論は、なかなか理解できません。しかし、電場の回転については、 あれはすばらしい発想でして、電磁気学の練習問題としてもいいような極めて 正当なものです。メビウスのコイルもなかなか面白いものでして、これは慎重 にならざるを得ませんが、示唆に富むものです。 超光速のローレンツ変換は、アインシュタインの仮定を覆すものであるので 容認しない方が多いのですが、−−−可能性はあると思いますし、速度方向 の次元と時間軸の入れ替えという発想は、1960年代のPYHSICS TODAY のある文献からの延長で考え得るものです。相対性理論は、 再検討される必要があると思います。4次元のコマという発想は、非常に面白 いものです。重力の根元を示唆するものとして。 3次元中の角運動量保存則の破れがあり、これが4次元中の極性ベクトルであ ることを導けば、清家さんの全角運動量波方程式は数学的にも完全なものと なるのでしょうが、いまの説明のままでは、数学的にジャンプがあって−−− 疑問があるということです。しかし、完成すればすごいものになるはず。  さて、いままで、いつも大乗利他について書いてきました。 しかし、場合によっては、人の好意を利用して踏みにじっていく類の人々に 利用されたりすることがあるかもしれません。 そのような好ましくない心の勢力が人に影響を及ぼしやすい時代というのは あるらしいですね。なかなか、厳しい時代になるような予感。 そういう時代に、時代の気分で相手を利用する自分を演じていけば、ますます 没落天使です。しかし、大乗利他の行動も難しい。どうするか? まず、第一歩は、大乗利他をさせて頂けるように、自分の信じるものに祈るこ とだと思います。でも、問題はその祈りを継続させるだけの動機をいかに持つか でして、これが人間性向上のポイントだと思います。−−−−そして祈る。                 ありがとうございました。 - FARION MES(17):★パワフルなえ★の《おふくろ通信》--<01> 94/05/20 - 918/918 JBH02324 なえ 今月の料理<(^o^)/ 3 (17) 94/05/19 20:47  なえママが送ります 初夏のお料理第3段!!  **** 新玉ねぎとニラのモツ炒め ****  なんてったって新玉〜〜ぁぁ。そうです。今玉ねぎの初物が(三年長生き)  安売りで出回る季節になりましたぁ・・・。今なら農家の知り合いが居れば  茎のやたら高いトウの立った玉ねぎはタダで貰えるチャンスでっせぇ。(^^;  (トウの立った奴は売り物になりません。ココがミソ。(^^;)  さて、これからは昼夜の寒暖の差が激しくなって、風邪や病気になりやすい  シーズンなのです。みなさま、スタミナ付けて乗り切りましょ〜〜。イエィ  ではでは、材料など・・・  ****************************   玉ねぎ ニラ 春キャベツ もやし (それから冷蔵庫の残り野菜もの)ALL   そして、こてっちゃん。←←でも良いし、モツなら何でもOK   生のモツなら、一度ゆでてからザルに上げて油抜きしておいてね。   (モツ嫌いな人は牛肉でもOK)   さて、材料は、ひたすら大ざっぱに切りましょう。んで、フライパンに油   少々。後は肉を先頭に、おおまかに火が通ったのを確認してから、硬い材   料から順次フライパンに直行ですね。   おっと、玉ねぎのオニューは水っぽいので、多少水が出ます。鍋の底に水   が溜まる事があります。ベチャベチャしたのが嫌いな方は、なるべく強火   で、ササッと手早く炒めてね。   最後の仕上げは、「焼き肉のタレ」などを、こってり掛けて出来上がり。   (モツ専用にタレのついたのが在れば、そっちで混ぜて)あ、そうだわ、   スライスニンニクなどが在れば、なおOKだよん。   熱あつの間に、ハフハフでいただきましょ〜〜。(^o^)/~  *追記*  これ食べてからの《デート》は御法度でっせぇ。(^^; - FARION MES(20):■世紀末ウォッチ:これって…!?----<01> 94/05/20 - 582/582 GDB00064 オリハル RE:フリーメイソン (20) 94/05/19 18:52 580へのコメント 再び青木宝久氏のフリーメイソンのBBS掲示文を掲示します。許可は得てます。 |(解説3)で書いたように彼らは日本に経済戦争を |仕掛けています。ここの私たちがとりあえずそれに対してとれる有効な方法を |探ってみましょう。 | |失敗例:{ |景気が悪い。給料が安い。しかし、あれもほしいし、これもほしい。やりたいこ |とだらけだ。そのうち何とかなるだろう。いつも日本はそうだったじゃないか。 |日本はすごいんだ!とりあえず今は借金して家でもたてて後で少しずつ返そう。 |またそのうちに景気は良くなるさ。 |そして。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 |いつまで立っても景気は良くならない。借金の利子は増える。給料が予定どうり |上がっていかないから、と、いうよりもどんどん給料が減っていく。もしかした |ら、もしかしなくても会社はつぶれる。で、 | |自衛隊の登場です。自衛隊なら就職できる。戦争行かなくちゃなんないけどしょ |うがないや。女房子供のためならしょうがないや、と、自衛隊に入ってしまう。 |戦争に出かけて人を殺さなくてはいけない。自分もまあ死ぬだろう。あーあ。 |} | |対策:{ |第二次世界大戦の時もそうでしたが、金融機関はこれから非常に危なくなります。 |隠し不良債権(注1)が多発しているし、経理上は有ることになっている、アメ |リカに投資しているお金も絶対に戻ってきません。為替相場の操作屋、踏み倒し |によって。 | |注1:貸したのに景気が悪くなっちゃったんで、会社が潰れたりして変えてこな |くなったお金。 | |次のターンでは、銀行があぶない!お金を引きださなきゃ!と、みんなが窓口に |並び始めたらもう遅い。取引停止ぃー。自分のお金が引き出せなくなってしまい |ます。イ`ォー10xチ、二度と使えない。そうならないために、あっ来たかな?っと |思ったら(それだと遅いけど) | |1:銀行にはお金を預けないようにしましょう。とくに、定期に入れ |  るとまず帰ってこなくなります。実際に支払い停止になりましたよね。 |  いつでしたっけ?前の戦争のときに。だいたい預けたって利子なんでほと |  どつきませんからね。 | |2:(解説3)で書いたようにお金が動くとき、日本の経済はデフレ傾向になり |  ます。ま、デフレには実際なっているわけですが。で、生活の仕方としては |  金を使わない。金がないときは、金がないと認識し、金を使わない。 |  当たり前のことですね。 | |3:借金をしない。 |  今までの感覚で借金をすると絶対に返せなくなってしまう。 |  たとえば借金をして家を買ったとしましょう。利子は付く、給料は上がらな |  い。首が回らなくなる。で、しょうがない。家を売ろう!と、考えたとき |  にはもう景気が悪くなっているのだから買い手がいない。いやでも安く買 |  いたたかれる。あるいは、どうしても払えなくて没収、さらに借金は、まだ |  残ってる。という状況が待っています。そんなときに彼らは買いまくり、ど |  んどん勢力範囲を広げていくのかもしれない。だから、借金はしない。 | |付録:これはだだの私の考えですが、、、今、できる限りの現金を自分の手元に |   保管する。なるべく無駄なお金は使わない。売れるものがあったらみんな |   売っておく。現金をできるだけため込む。 | |   すべてが地滑り的に暴落を始めるのを待つ。これは、彼らがやるから待っ |   ていればよい。そしてもう底かなぁと思ったら、買いに出る。そうとう |   増えると思うよ。でも、これは片手落ち。ある程度はこうなるが、すぐ |   になくなってしまう。 なぜかって??? | |// 続く                        まだ続きは見ていないオリハル