- FARION MES( 2):【居酒屋1999】自己紹介・雑談--------<09> 94/05/25 - 02193/02195 NBB01420 SUKE 独り言ごめんなさい(^.^;) ( 2) 94/05/24 03:47 ただいまぁーっと。全く!夕飯はレンジグルメ一皿でこの時間まで残業だぁ! この職場はどうなっとるの(^^;)!?                       寝る(^^)…☆ッテナモンダ Suke. 02194/02195 PGB01143 魔界のめーそん 悲しく美しく ( 2) 94/05/24 08:22  昨日、40数年続いた一軒のスナックが、幕を閉じました。それは、 拙老の青春時代から老境に至るまでの、歴史の一片を失うものでも有 りました。大して美人でもないママの、数人で満員になるカウンター を囲んだ、カラオケすら無い貧相なスナックでしたが、安らぎを求め て集う人達に与えられたオアシスでした。  名残りを惜しんで馳せ参じた仲間は、遠くは札幌.広島から... 30数名が文字どおり立錐の余地もなく、寂しさの中で思い出を語り 合いました。そして皆で店を閉め、ママを送り出しました。  「ママ..決して後ろを振り向くなよ...」  想いが伝わったのか、地下鉄に消えるまでママは振り返りませんで した。しかしその肩が細かく震えていました。花束を抱きしめて..  見送る私たちの目も、その潤みを止めることは出来ませんでした。  人生は美しく、そして悲しいものです。                      魔界のめーそん 02195/02195 PXA06646 樹 ヨロシクお願いします。 ( 2) 94/05/25 12:13    はじめまして、樹 と申します。「いつき」と読んで下さい。   某シゲさんに紹介されて、こちらにおじゃまさせていただきました。   パソコンもNIFも入って1ヶ月のワタシです。右も左も上も下も   よく解っておりませんが、とりあえずヨロシクお願い致します。 PXA06646 樹 - FARION MES( 6):・壁(1)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 94/05/25 - 02386/02388 GBE02650 ユ−リ RE:ご報告 ( 6) 94/05/24 00:25 02383へのコメント  小倉さんの御尊父様の悲報に接し、謹んでお悔やみ申しあげます。  いろいろと大変だとは思いますが、決して気を落とすことのないよう、 頑張ってください。                    ユ−リ(GBE02650) 02387/02388 PFA03317 Eddie ただいま! ( 6) 94/05/24 07:57  みなさん、ただいまです。  しばらくカード更新手続き等のため Nifty はお休みしていました。  また、ちょくちょく書きますのでよろしくお願いします。(*^.^*) Eddie 02388/02388 NBB01420 SUKE RE:ご報告 ( 6) 94/05/24 21:57 02383へのコメント  #2383 しまうまさんへ  人の死に慰める言葉がありません。  ただ しまうまさんがご無沙汰でも、ずっとこの場にいるだろうと思いますし、  ご実家に戻られたとしても、つながりが遠くなるものではないと信じています。  今はご親戚方々の間にあって、悲しみを内に秘めながらも、  毅然と生を歩まれますようにとお祈り申し上げます。                                   Suke. - FARION MES( 7):★アリオン世紀末書込み寺------------<02> 94/05/25 - 02312/02323 KFG01743 智美パパ 全ての人に自由と本当の幸福を ( 7) 94/05/24 00:11      昨今、大変に業務多忙で、日々の発言を一覧が精一杯。こんな状態が年末まで   続きそうだ。貧乏、暇なしともいうが、仕事のない人も多いこの時代。仕事が   あるだけで幸福なのかもしれない。しかも、国家の仕事に関係したいという希   望は叶えられ、多忙を恨むのは、贅沢な悩みというものだ。      数日前。何故、自分が政府関係の仕事に関心を持つのか自覚した。自分は権力   と名声が欲しいのである。行政や司法への行き場のない怒りは、権力への妬み   にすぎない。権力と名声への願望は、責められるべきものでもなく、褒められ   るべきものでもない。そのことに愕然とする必要もなく、反省する必要もなく   自らの士気を高揚すべきものでもない。      なぜ、権力を欲するのか? それは、幼い子供が全てを欲して泣き叫ぶ貪欲な   叫びにも似ているが、否。むしろ。それは親を求め続ける幼子の姿なのかもし   れないと。娘を抱きながら感じる今日この頃である。      この仕事を通じて、知ったこと。この国は国家官僚の権力のために存在してい   る。権力の渦から逃れるには、私達は本当の自由を手に入れていかなけばなら   ない。全ての知識と教育を引き出す理由はここにある。そして、自由は、破壊   と創造の連続。国民は大人しい。何も破壊せず、何も壊さない。その恐ろしさ   が分かる。この国は破壊が隠されている。だから、創造もない。死がなく、そ   して誕生がない。      我々が死しても守らなければならないもの。それは、自立と自由なのかもしれ   ない。      ARIONの数々のメッセージがジグゾーハズルのように一枚の絵画になって   いく。このような体験は、何度もしたし、今後もするだろう。それは、簡単な   メッセージだと思うこともあったが、世界そのもの。人生の織物であった。      自分をみることは辛いことだそうだが、必ずしも、そのようなことはない。そ   のように思う必要ない。公式は全ての人それぞれ異なる。ただ、始まりは、た   だひとつ。自立と自由。目指すところは、幸福。実り豊かな人生のために。   自分をみることは、自分の抑圧をとっていく過程。自由への道なのかもしれな   い。      智美パパ。 02313/02323 PXB05763 セン・シュア RE:???? ( 7) 94/05/24 00:21 02308へのコメント  英雄さんへ。  O.K.!   わかりました。そうしましょう。気軽に話をすることにしましょう。  私としては、そうすることに全然いぎありません。  ここARION会議室は気軽に話をする場所だったんですね。忘れてました。  前回、私が訪れた宗教団体は修行系の宗教で、  彼らの言葉の一つ一つは真剣そのものであり、  こちらが、不明確な言葉の一つでも発言しようものなら、  激しく否定し、私をうちのめしたものでした。  まあ、その時のノリが少し残っていたのかも知れません。  そう言えば、その宗教の基盤はジュディアーナ・ヨーガだったけか?  高度に分析的な思想を基盤とするものでして、  私も彼らと語る時には高度に分析的にならざるを得なかった訳でした。  何しろ私は修行していないのですから、精神力で勝ち目ないですからね。  その時の3時間というのは有意義だったなあ・・・。  でもなぜ、あれほど優秀な修行者がいて、表面上は奇行に走っているのだろう?  けれど、いいのかなあ。  たとえ一見難解でも、イメージに基づく言葉なのだから、  イメージさえつかめば、直ちにすべてを理解できるはずなのに・・・。    まあ、今後は楽しくいきましょう(^^)       調和・統一・継続・向上・克服・実現・理想・希望の8語を信奉する人                              セン・シュアでした。 02314/02323 PXB05763 セン・シュア RE:なにか矛盾があるような ( 7) 94/05/24 00:21 02310へのコメント  おみゃーさんへ。 >維/YUIさんの思考パターンを把握できていなかったと解釈してよろしいですか? >(ふれて欲しくないというあなたの主観発言は、いつものあなたのやりかたなら >「あなたはこの話題に発言する人だったのですね」としなければ思考パターンを > 把握しようとする分析者としてのセン・シュアさんとは矛盾していると思えます)  ちゃう(^^)。  簡潔に言えば、この話題は私とアラミスさんとの間で何とか解決しますから、維/  YUIさんからは、先の話題の継続で色々聞きたいことがありますので、こっちに  注意を向けなくてもいいですよ、という意味です。  複数の話題を同時並行的に頭の中で回転させると、はなはだ疲労するのでした。  そのため私は、維/YUIさんがこの話題に参加するのに使った頭の分だけ「共感  と創造」に関する話題の成熟度が低くなるのを恐れたのでした。  今となっては、まるで無駄な気苦労かな・・・、いじょ(^^)。       調和・統一・継続・向上・克服・実現・理想・希望の8語を信奉する人                              セン・シュアでした。 02315/02323 QFH02012 アラミス 質問と再考察 ( 7) 94/05/24 01:22 02300へのコメント コメント数:1 引用の方が長くなりますが、確認の意味も含めて質問します。 >>アラミスさんの場合、オカルト的な用語にピンと反応する一方、それぞれに対する >>私の考え方に関わる部分にはまるで興味を示していないかのようです。なるほど話題 >>はオカルト的になっていきそうだな、と分かったのでしたら、そういう視点で2度目 >>の推理を行ってみましょう。自分で自分の説明を説明するのもいい加減恥ずかしいの >>でね。  >>「あっ、OK! オカルトですね、この人は。わかりました。よしよし。」 >>では困るんですよね。 つまりセン・シュアさんは「困った」のですね? なるほど、そう思ったのですか・・・ 念を押しますが、「困った」 これで間違いないですね? * もう一つ質問とは別に再度考察をしてもらいたいのですが、 >>私は#02166で、自分自身のずっと遠い未来までをも決定してしまう選択という >>限定づけをした訳ですから、その限定のもとで発言して欲しいのです。 もちろんこの事を私は忘れていた訳では有りません。先の二者択一の発言はこれ を踏まえた上での私自身の回答です。・・・・さて、というところで改めて考察した 上でRESが有るならばお願いします。 02316/02323 PXB05763 セン・シュア RE:質問と再考察 ( 7) 94/05/24 01:58 02315へのコメント コメント数:1  アラミスさんへ。  困っています。できれば、私の口に森を入れさせて下さい。窮屈です。  ^  (速攻RESゆえ、ご容赦)      調和・統一・継続・向上・克服・実現・理想・希望の8語を信奉する人                             セン・シュアでした。 02317/02323 QFH02012 アラミス RE:質問と再考察 ( 7) 94/05/24 20:01 02316へのコメント 成程、あなたは「困った」とこう思ったのですね。 ところで私はこういう場合はこの様に思う訳です。 ・・・私が会議室上で色々と発言したとしましょう、それに対してある人が推測も 交えて、これはこういう事ではないのか?と私は思う、とRESを返してきました。 (丁度私がセン・シュアさんの立場に居ると考えて下さい) その様なRESが来たら私はこうします。 内容を見て私の発言を誤解なり誤読してない様であれば、フムフムなるほど、 この人はこう感じたのか・・・で終ります(内容の評価はしません) もし明らかに誤解や誤読があるならば、私は「いえ、これはこれこれこういう 事なのです」と背景なり説明なりのRESを返します(これは誤解や誤読を解く 為なのですから、わかりやすい言葉で理解できる様に事実を書きます) フムフムなるほど・・・の場合でも(会話を継続する、しないによりますが) 私は自分自身の背景なり説明なりのRESを返します。 * さて、セン・シュアさん。あなたは何故「困った」とこう思ったのですか? お聞かせ下さい。 02318/02323 QFH02012 アラミス RE:???? ( 7) 94/05/24 20:03 02308へのコメント 英雄さん>> そうですね、英雄さんが嘆くのは最もな事だと私も思います。 こういう時にはこの会議室の議長は誰で、ここでどういう会話が望まれているのか をもう一度思い出さなくてはなりませんね。 この7番会議室の議長はARIONです、ここで彼と私達は会話をします。そして我々会 員どうしが活発に話し合う事も彼は望んでいます。そういった会話の内容なり話し 合う態度はどういう方向性でどうあるべきか?ARIONはこうあって欲しいとはっきり と言っています(過去のLOGを見ればわかる事)、これはつまり議長の意向でもあり この会議室に各自が参加する上での最低限の心構えであり、マナーやルールになる でしょう(礼儀とも言えますね)。 こんな簡単な事も理解できない守れないとは、いったい何なんでしょうね? 思い返せば、私は過去に何度「勘違い」している人達にそうではありませんよと、 (お節介にも(苦笑))言ってきた事か。(たまたま気付いたから指摘しているだけ です(^^;))過去のLOGを見るなりして、この会議室の主旨を理解してから話せばい いのに・・・と常々思ってしまうのですよ。 02319/02323 NBB01420 SUKE RE 2270としてのRE 2243 ( 7) 94/05/24 22:00 02243へのコメント  #2270でセン・シュアさんからご希望があった#2243へのレスポンスです。  セン・シュアさんのご希望により発言するものですので、私としてはどの辺に重  点を置いたテーマを求めておられるのか判りませんので、いわゆるサンドイッチ  形式で私が思うことを作文してみたいと思います。   >>簡潔なRESを受け取りたいのです。(#2270 改行更新)  とのことですが、簡潔かどうかはあまり保証できません(^^;)...長文だし..        ====================  #2243 セン・シュアさん  >> あなたが希望のビジョンを手に入れることができますように。  私にはビジョンというものが体験としてよくわかりません。  ですから希望通りのものが手に入れられれば、それで良いのかどうか判断できな  い、というのが正直なところです。  >> そうですか・・。それは、本当に、良かった。あのような言葉は必要なけれ  >>ば、使わないで済ますに越したことはありませんからね。私にとっても、あの  >>言葉を必要とした時期は随分昔のことです。  セン・シュアさんは随分昔に苦労され、その時に前出の「メソッド」というもの  を構築なされたのでしょうね。  しかし私は、人間が悩みを克服するときの定石というものは、果たして詳述定式  化できるものだろうか?と疑問もあります。  セン・シュアさんにとって最も有効である手段が、私にとっても最有効かどうか  は、私が共感できるかどうか、あたりで判断しています。  >> 私も同じような感覚をよく経験したものです。いったい、何をきっかけとし  >>ているのか、ともかく、予期しない時に、そういった現実からすっと離れて未  >>知の世界への暗示を感じ、そして、また消えてしまう。私達は、そのイメージ  >>を具体的に記憶できなくても、そこへ向かって魅きよせられていくのでしょう  >>か。そうだといいと思います。  そうだといいかどうか、私にはわかりません。  なぜならそれらのイメージは魅きよせられるべき確かなものであるかどうか、保  証がないからです。  先日の私の例で言えば、かつて感じていたイメージが建設的で重大なものであっ  たという結論は特にありませんでした。  >> それは、本当に素晴らしいビジョンでした。  >>  >> これを記憶から失わせない様にするためには、本当に厳密に言葉を用いて、  >>一つ一つを大切に取り出していく作業を行うしかないと思いました。あいまい  >>な言葉を用いると、直ちに、イメージは別のイメージとリンクして、次から次  >>へ、拡散して、価値のない雰囲気の垂れ流ししか残らなくなってしまうんです。  >>私はそのビジョンを眺めて満足したいとは思いませんでした。  私としては、厳密に言葉を用いて定着させる必要があるのは、学術論文だけだと  考えています。学術論文では、不特定多数に向けて共通認識を誤解無く伝える必  要があるからです。まぁそういう必要がある状況ならば別段論文でなくても厳密  にする必要がありますが、少なくとも日常会話では必要ないことと考えています。  (ここで言う厳密さというのは、それ以外解釈しようがないという厳密さです)  私が白昼夢のように画像情報なり発想なりを得たとして、それをなるべくそのま  まの生情報で保存したいと考えるならば、逆に厳密な言葉を用いないと思います。  むしろ絵なり写真なり、詩なり音楽なり、そうしたような記録媒体を用いると思  います。  例えば夢日記を時たま付けます。夢で見た光景などとても写真には出来ませんが、  下手ながらノートに落書きします。未だにその落書きを見るとその時の夢の光景  を再生できますよ。もっともそういう落書きを描ける程覚えていることは数える  ほどしか在りませんが。  次から次へとイメージがリンクするというのは、セン・シュアさんが回転の速い  頭脳をお持ちだと言うことではないでしょうか?  イメージが連鎖し流れるというのは、それはそれで変化の様式として、素晴らし  いものではないかとも思います。  >> 今度、再びビジョンの降下が訪れた時に、自動的にそういう体系化作業を行  >>えるよう、思考パターンの整理を真剣に行った時期がありました。最近では、  >>随分と疎かになっています。また、ビジョンの降下を引き出す、謙虚な姿勢を  >>見失いつつあるようで、反省しています。  プランナーとしてのお仕事上では、そうしたビジョンの定着は非常に役立つもの  でしょうね。発明家がよくメモを取ったという話を思い出します。  >> そうですね。SUKEさんの体験談には、私が大切に感じている重要な要素がき  >>ちんと含まれていましたよ。  場違いな内容ではなかったようで、良かったと思いました。  >>             ですから、その想いをもう少し、肯定的に、そし  >>て冷静に見つめてみて欲しいと思います。きっと新しい発見ができますよ。  実の所、私は否定的に捕らえてもいません。かといって肯定的に捕らえているわ  けでもない、いわば「...だったなぁ」と思っただけでした。別段良い悪いと  いう明らかな意識は無かったわけです。  同様に、興奮してもいなかったし、特に冷静であったという感触もありません。  文章から察するに、セン・シュアさんは「新しい発見」があったようですね。  それはセン・シュアさんが発見されたセン・シュアさんのもので、誰もが必ず一  度は発見するものではないかもしれません。  私が何かを発見するとしても、私が発見するのであって、同じものを他人が発見  するかどうかはやはりわかりません。  私が出した体験談を読んで、そこからセン・シュアさんが何か得られても、私が  それを意図しているとは限りません。  >> 私達は、その場、その時を、何かにとりつかれたように生きていきますが、  >>後になって大切になってくる経験への思いは、いつでも疎かになったまま捨て  >>置かれているものです。私達はもっと今という瞬間に忠実に生きていくべきな  >>のでしょう。  一瞬一瞬を大切に生きたいとは思います。しかし過去に多くを捨ててしまったと  は思いません。多分、捨ててしまったと思いこんでいるだけだろうと感じます。  だから捨てないようにという気持ちで今を生きるのではなく、次々と流れ行く中  に、さらりと在りたいと思っています。  捨てないようにと思って執着してしまうと、そのまま両手が一杯になってしまい、  身動きがとれなくなってしまいそうではないですか?        ====================  今回の発言は他人から求められて発言するという、私にとっていささか特殊な  ケースです。改めて読み直し作文したわけですが、依然、セン・シュアさんの  #2243に対するレスポンスとして、わざわざアップするほどのことはないんじゃ  ないかと感じております。  何故なら、これは正に私がどう感じるかということでしかなく、何かを主張した  り、テーマを絞って考えを表明するという状況ではないからです。  読まれる方はそういう前提を以て読まれて下さい。                     ということで(^^)…☆ッテナモンダ Suke. 02320/02323 NBB01420 SUKE おまけへのおこたえ ( 7) 94/05/24 22:04 02270へのコメント  #2190 セン・シュアさんのアップについては...  戦士Aが主人公らしいので、すなわちAがセン・シュアさんなのだろうとばかり  思って読んでおりましたが、違ったのでしょうか??  まあセン・シュアさんが何回も転生されていて、しかも転生する毎に戦死されて  いるというのは考えにくいので、多分何かの例えなのだろうとは思っていますが。  戦士Aが誰であるかを私がどう見るかということから、何を提唱されたいので  しょうか?>セン・シュアさん                            (^^)…☆ッテナモンダ Suke. 02321/02323 NBB01420 SUKE オリハルさんの雰囲気って? ( 7) 94/05/24 22:05 02307へのコメント #2307 オリハルさん、どうもです。  >>確かに私が近付くと人は急にゴッホやゴーギャンに変身しますし、人によって  >>はムンクの叫び状態になるようです。(改行変更)  ひえぇぇ(^_^;) オリハルさんってお会いしたことないけど、外見は普通の人な  んですよね?(ひどい言い方かもしれない...ごめんなさい)  >>SUKEさんが私に会って確かめてみることもいいかと思います。  オフとかで機会があればいいですね。  私のハンドルは実名の一部の読みであって、深い意味はありません。                           (^^)…☆ッテナモンダ Suke. 02322/02323 NBB01420 SUKE レベル分けで説明し得るものか? ( 7) 94/05/24 22:07 02302へのコメント  セン・シュアさんの発言で、人間の心のレベル分けということが語られていまし  た。  その後のセン・シュアさんの発言で、レベルという言葉が段階分けではなく、種  類分類というニュアンスであることが示されました。  いずれにせよ、人間の価値観、思考、感じ方など心の作用を定式化しようという  試みであるという点では変わりません。  しかし私は、人の心の機能を分類することに、大きい意味はないと考えるのです。                 ===  説明しにくいので、音楽を例にとってみます。  音楽は音符で表現されます。音符は音階というものによって音の分類をしたこと  により、記号化されたものです。つまりどんな音楽にしても、五線紙上に音符を  並べることで定式化できます。  ところが、この音階というものに依らない音楽もあるのですね。音程がまるではっ  きりしない音楽もあれば、太鼓で叩くだけの音楽もあります。そしていずれも音  による表現である点では違いはないのです。  更に重要なのは、どちらにせよ音の集まりである音楽によって人が感動するとき、  その感動は音符上に書き込みようがありません。同じ楽譜でも演奏者によって聴  衆に与える感動は全然違うものです。  つまり音楽の一番大切な「感動」という部分については、音符という分解定式化  の手法は全く関係ないということです。  心のレベル分けは、学問的には意味があるのかもしれません。しかしそれで心の  全てを記述することはできないと思います。それが通用するのは小手先まででは  ないか、と思うのです。            読まれた方、どう思われますか?(^^)…☆ッテナモンダ Suke. 02323/02323 PXB05763 セン・シュア セン・シュアよりARIONへ ( 7) 94/05/25 00:17  セン・シュアより、ARIONへ。  今のこの状況をあなたがどのように観察しているのか知りませんが、私が今までこ  の会議室で用いられたことのない思考パターンを導入しようとして、色々と苦労し  ている様子位は読み取れるだろうと思います。  私のより内面に関わる部分に関しては、すべてその思考方法によって扱われている  ため、そこに関する合意なしでは、私はより突っ込んだ言葉を語ることはできない  のです。  もちろん、私の体験のすべては、ここで一般に用いられている様式で解釈すること  ができますし、結局思考パターンなどというものはイメージを言葉に移す際の道具  にしかすぎない訳ですから、その目的と、精度に応じて使い分ければいいのだとも  思います。  しかし私は、自分の体験をオカルト的に評価されるのが嫌だし、オカルト的にはそ  れほど価値もないし、興味を引くようなものでもないのです。ただ私の価値観に基  づく場合のみ、それらは価値を持つようになるからです。  ただ先も申しましたように、現行の私の思考パターンは所詮道具に過ぎないのです  から、あまり突っ込んだ心情を語らないという事でしたら、無理してこの会議室に  導入する必要はないし、この会議室上で、それが有益でないのでしたら、なおのこ  と、混乱を招く発言を繰り返す訳にはいきません。  私としては、もう少し、今のまま続けていきたいと考えているのですが、どうでし  ょうか。この会議室の議長として、ご意見伺いたいのです。  その他、どんな問題に関しても、ARIONが必要と感じた部分に関して、コメン  トを戴きたいと思います。それでは。      調和・統一・継続・向上・克服・実現・理想・希望の8語を信奉する人                             セン・シュアでした。 - FARION MES( 9):★TAO の《神々の曼陀羅》―美と信仰と史― 94/05/25 - 211/220 GFD00204 松川 貴     RE:なんとなく長文です。ご注意。 ( 9) 94/05/24 11:29 207へのコメント コメント数:1  NoB さん  NoB さんとはずいぶん昔、二度ほどお話したことがあります。KAZEさんの部屋でし た。二度目のレスでNoB さんが御先祖さんの話をされたので、その時私は、「おサム ライさんの子孫だったんですね、なんか面白いです」というような内容のレスを返し た記憶があります。そうそうTAO さんも似たようなレスをしたはずです。  そうですか、NoB さんも、サリンジャーがお好きで……。  『フィールド・オブ・ドリームス』については、以前この映画を見て、14歳以来 ずっとしたことのなかった〈特殊な体験〉をしたので、それについて昔(92年の暮れ のことですが)FARIONにあった「メディア・レポート」という会議室で、ユーリさん たちとしゃべったことがあります。〈私の恥ずかしい秘密の体験談〉です。  古代史関係についてのNoB さんの文章は、ほとんど〈結論の羅列〉になっているの で、なんともコメントしかねます。私の場合、まあ〈知らん人〉の部類に入りますか ら、いずれ〈簡単な論拠紹介〉とあわせて、各論をやっていただけたら幸いですが、 いかがなものでしょうか。(あるいは、ここでそのような作業をするのは面倒だとい うことでしたら、出典名も含めて、「この結論は誰に拠っている」ということをもっ と明確に語っていただけると有り難いです。)                                   松川 貴 212/220 JBH02324 なえ RE:心経=女神信仰 ( 9) 94/05/24 17:20 190へのコメント  NOISEさん。ちょっと古くなってRESしてごめんなさいね。  実はあたし般若心経で助けられた事があるんです。ずっと昔ですが。  その時に、どうせ写教をするのなら、ぼん字で書かなきゃ意味が無い  なんて、勝手に思い込んで、本を買い込んで、せっせと習ったのです  が・・・。あにはからんや、今だに書棚のこやしとなっています。  いつかきっと完全に写教すっぞ、といちお思っていますだ。(^^;                   蝶ンブレサリョ なえ 213/220 JBH02324 なえ RE:七番目の神、そはインドラ ( 9) 94/05/24 17:21 202へのコメント  こんにちわ、まるにちょんさん。  インドラですね。先日以来、チベット死者の書を読みまして、その中に死後出  会う神々を見せて解脱への道を説き聞かせていますが、インドラも出て来た様  に思います。  恐ろしい姿で憤怒の形相、でも、それに対して敬意を払い、敬う所に解脱への  道が在ると言います。  難しい事ですが、死してまで更に恐ろしい場所をくぐり抜けて解脱する。  仏教が真に求めているのは、個々の問題であって、その他大勢の集団で、皆が  やるから自分もやれば、どうにかなるさ、的に安易な方向に流れ易いから問題  の様な気がします。その事を言ったのは親鸞上人ですが、いわんや誤解されて  いるみたいですね。他人に任せてケセラセラなんて、そんな単純な話では無い  はずなのにね。                   蝶ンブレサリョ なえ 214/220 JBH02324 なえ RE:なんとなく長文です。ご注意。 ( 9) 94/05/24 17:21 207へのコメント  こんにちわ NoB さん  んと、あたしも仏教という側面を見た時に、例えば、大仏作ってしまう所など  どうみても「個々の解脱」という領域から外れているのではないか。或いは、  元々、仏教はニルバーナへの帰依を求めているなら、何故に衆生へ見せつける  様に巨大化させたのか、不思議な事ですね。仏像にしても、崇拝ならば別に、  虚飾の様に飾りたてる様な事をしなくても十分機能するのではと思いますが、  現在のシンプル銅色仏像が、妙に親近感を持って感じるからそう思うのやら。  人種の血縁と言う物を、何処かしら大事にしている現在からしても、混血とい  う姿を無意識に排除したがる傾向から見て、何処か過去に於いても、血が重要  とされた側面があり、それ故、個より集団、そして集団の為の呪、呪は、種の  確保であり、確保は性行に依って完了し、その呪は生活の底辺を支える呪では  なかったか。或いは仏教という笠を着た種保存の為の呪だったのか。そいう見  方も出来るのだなぁ・・。等とあぶない事も考えて居たりしますが、NoBさん  は、そいう見方にどう思われるか聞いてみたい気もします。                   蝶ンブレサリョ なえ 215/220 JBH02324 なえ 稲の起源とほつま5 ( 9) 94/05/24 17:23 139へのコメント  さて、ちょっと内容は飛ぶのだけど、前回の一押し「あじすきたかひこね」  さんに付いての考察をしてみようと思います。  この方の妹(下照姫・高姫・高子姫)が嫁いだ先が「あめのわかひこ」です。  下照姫・高姫は、オオクニヌシの娘ですね。ワカヒコの妹も同じくアジスキ  タカヒコネに妹の小倉姫を嫁がせている。つまり、兄弟同士の結婚関係とい  う事でしょうか。  ワカヒコは、タカミムスビノミコトから使わされた出雲監視視察団ですね。  ワカヒコの前にもアメノホヒノカミが使わされたのにも関わらず、音信不通  になってしまったので、仕方無く第二の使いとして派遣したのでした。この  時、天之麻迦古弓と、天之波波矢を持たせて貰い、巨大化した出雲のオオク  ニヌシの所に行ったのでした。しかしまたしても、ワカヒコも出雲の力にへ  つらってしまって帰らない。そこで業を煮やした天照は、「きぎす」(雉の  鳴女)を使者にした。  この時、意外な事が起こります。ワカヒコのそばに同席していた「あまのさ  ぐめ」という者が、「天照の伝言である、状況報告」を要求する「きぎす」の  言葉を「不吉な鳴き声だから殺してしまえ。」とワカヒコに伝えるのです。  信じたワカヒコは波波矢で射殺してしまいます。すると「きぎす」は天照の  所まで飛び、刺さった矢を見たタカミムスビが「よこしまな心でワカヒコが  射た矢なら、ワカヒコに当たる」と投げ返します。ワカヒコはこの矢を胸に  受け死んでしまいました。  ワカヒコはこうして葬られるのですが、この時、アジスキタカヒコネも葬儀  に参列する為にやって来ます。妹の旦那ですから、当然なのですね。しかし  やって来たタカヒコネを見た人達は「ワカヒコ」にそっくりなタカヒコネを  見て仰天してしまいます。死んだはすのワカヒコが生きて帰ってきた。この  事に驚いたのはタカヒコネ自身です。妹の亭主の葬式に来てみたら、死人と  間違えられるなんて侮辱だ。怒って帰ってしまうその後ろ姿に、妹の高姫が  「違います、あれは兄のアジスキタカヒコネノミコトです。」と訴えるので  す。  ここで、ある面白い話があります。妹の訴えた歌が古事記にこう記述されて  います。   天なるや 弟棚機の項がせる 玉の御統 御統に   穴玉はや み谷 二渡らす 阿治志貴高 日子根の神ぞ 訳  天のたなばた乙女の首に掛けている玉を連ねた首飾りの美玉の様に谷二つを  かけて輝き渡るアジスキタカヒコネノカミです  この歌はたなばたの女の歌とも言われ、実は、二つの谷をも跨ぐ事が出来る  巨大な蛇神で、雷神でもあったと解釈される文献があります。  すると、そっくりだった「ワカヒコ」も、巨大な蛇神だったのでしょうか。  どちらも「水」がポイントです。そして「あまのさぐめ」という者は何者な  のでしょうか。この二点に付いて考えてみたいと思います。                   蝶ンブレサリョ なえ 216/220 TCC00116 NoB RE:本土と異郷 ( 9) 94/05/24 21:31 210へのコメント コメント数:1 スウさん、レスどうも。そうですねぇ、難しいですか。ま、またなにかの折りにでも 個別に展開できたらと思います。 ついでですみません。松川さんどうも。そういえば、KAZEさんの部屋でお合いしまし たか。サリンジャーでは僕はハプワース16日なんかもけっこう好きですよ。 さて、NoBは〈結論の羅列〉とのことですが、ふーむ、そうでしょうか。たしかにそ ういう面もあるかもしれませんね。もしご関心があれば、歴史フォーラムの古代史 室、宗教史室、および参考図書室の僕のアーティクルをあたっていただければとも思 いますが、まぁ、それほど価値のあるものがそっちにあるわけでもないでしょう。具 体的にどのような問題におけるどのような論拠が必要でしょうか? たとえば、古事 記偽書説、魏志倭人伝フィクション説については、岡田英弘先生の「倭国の時代」 (朝日文庫)、および「倭国」(中公新書)を当たっていたければと思います。般若 心経についてはすでに典拠を示したと思うのですが、いかがでしょうか。あと、哲学 背景的な問題は、FMISTYのMES13のほうで展開中です。 あと松川さんに言われてみて、僕にしてみると、けっこうわからないことは多いで す。「ほつまのつたえふみ」は僕は歴史資料の価値はないものだと思いますし(この 文書があることは知っていますが、江戸時代ごろの偽書ではないでしょうか)、AM A族はTAOさんの補足を期待しますが、まったく知りません。こういうとなえさんの アーティクルを批判しているかのようですが、そういう意図ではなく、知らないな ぁ、と思うだけです。 と、なえさん、どうも。上、なんくせみたいですみません。そういう意図ではないの です。でも、この件についてはまったく知りません。あと、稲作の伝承については、 僕は、「伝承」というより(つまり民族とともに移動した)のではなく、古代華僑の いわば戦略工業殖産産業物のようにとらえています(岡田説です)。一般に伝搬モデ ルをとる歴史モデルは、歴史の原理的古代性を希求するという近代国家特有の心理に よるものが多いのではないかと僕は考えています。 仏教については、なにを仏教とするかがむつかしい問題ですね。橋爪大三郎なども仏 教を悟りのゲームとしてとらえていますが、そうとらえる史的な根拠はたぶん存在し ないだろうと思います。このあたり、仏教学関連のかたから明示してもらったことは ないのですが、僕自身は仏陀の実在も疑っていますし、その教説とされているものの 成立過程もそれらの教説の内部で書かれている歴史とは別のものではないかと疑って います。 あと、「人種の血縁」という概念も僕は疑問なんです。「人種」というのは一見生物 学的なカテゴリーのようですが、実際には規定できないのではないかと思いますし、 血縁は、実際には、共同体における家システムのシンボルとしてあるように思えま す。ちょっと別の言い方をすると、混血が「無意識に排除したがる傾向」というのは 人類に固有ということはなく、そういう傾向とそうでない傾向とあるように思えま す。 言葉足りず、不躾な言い方になっている点はすみません。どうもFARIONでは、僕はか なり礼儀知らずであるような印象を与えているのでしょうね。 NoB 217/220 MHD02672 TAO >>スウ さん ( 9) 94/05/25 00:17 205へのコメント  おや、この部屋にはお初ですね(^_^)。>スウ さん  アヤシイお医者さんとして、アヤシイお話をされることを  期待してしまいますので、よろしく(笑)。  またご越し下さいませ。m(_ _)m  TAO 218/220 MHD02672 TAO 岡田史観 ( 9) 94/05/25 00:22 211へのコメント コメント数:1  #211 にちょっと割りコメです。  いずれNoBさんからご説明があると思いますが、『魏志倭人伝』(東夷伝) =フィクション説の、典拠になる文献と言えば、おそらく岡田英弘氏の 『倭国』(中公新書482)と『倭国の時代』(朝日文庫)でしょう。 簡単に言えば、『魏志倭人伝』という史料は、飽くまでも当時の中国の 国内事情に基づいて書かれたものであり、もし政治的な意図の上に誇張や 歪曲を含んでいるとしたら、果たして「倭国」に関する史料としての 客観性を認め得るか? 著書の岡田英弘氏は当時の国際環境を見ながら  様々な検証を加え、結論として『魏志倭人伝』の史料としての客観性を  否定するに至る訳です。  この「岡田史観」は色々と刺激的なインスパイアを与えてくれる壮大さを  備えており、全面的に賛同できないとしても、その方法論は重要な示唆を  与えてくれます。上記の二冊の他に、「世界史の誕生」(筑摩書房)も  お勧めですね。  ただ、『魏志倭人伝』の描写が全てデタラメか?というと、そうでもないと  思います。原田氏も『古代日本正史』(婦人生活社)でも指摘した通り、  どうせ中国人に読ませるだけだからという訳か、いい加減な描写もかなり  見られるものの、信頼できる部分もかなりあると結論されていますね。  やはり、実際に見聞した人の話を取り入れているのだから、そういう部分に  関しては史料としての信頼性を認めてもいいのではないでしょうか。  TAO 219/220 GFD00204 松川 貴     RE:本土と異郷 ( 9) 94/05/25 02:43 216へのコメント  NoB さん  『ハプワース16,1924』もまた、私の好きな、〈シーモアを巡るお話〉のひ とつです。昔、荒地出版社が出している原田敬一氏の日本語訳のもので読みました。  古代史関連のお話については、TAO さんの〈割りコメ〉(#218)で、もはや何も申し 上げる必要はなくなりました。さっそく、当該の資料にあたってみることにいたしま す。                                   松川 貴 220/220 TCC00116 NoB RE:岡田史観 ( 9) 94/05/25 12:42 218へのコメント TAOさん、どうも、そして、松川さん、レスありがとう。 で、ちょっと補足ですが、仮に「岡田史観」と呼ぶとしても、仮に2つの部分がある と思うのです。ひとつは正統史学であり、もうひとつは岡田先生の史観ですね。で、 重要なのは、正統史学というか、ごく一般的な史学方法論をもって東アジアをとらえ たときどうなるかという面は、いわゆる、「賛同」というよりもっと強い基盤のある ことではないかと思うのです。岡田先生の書籍は、ある意味で、ごく普通の史学者の 見解と方法論の部分も多いのです。 そもそも、「魏志倭人伝」という独立文書はなく、この呼称も日本史学の特有なもの なのです。 その意味で、「『魏志倭人伝』の描写が全てデタラメか?」というわけはなく、しか し、ロケーションの記述については、岡田先生の推察のとおりのように思えます。た だし、その風俗などの描写はかなり信憑性のあるものもあることでしょう。 『倭国』(中公新書482)、『倭国の時代』(朝日文庫)、『世界史の誕生』(筑 摩書房)のISBNコードなどは、歴史フォーラムの書籍室のほうに僕がまとめてありま すので、地方のかたは、パソコン通信などで書籍購入したほうが便利かもしれませ ん。3冊まとめても2500円くらいでしょうか。 岡田先生の本には言及がないのですが、隋書にはすでに琉球への言及があります。こ のあたりの古代について、もっと総合的に、アジアのなかで日本を見ていけたらと今 なんとなく考えつつあるところです。 そういえば、「本土と異郷」という発想は?かなみたいな感じもしますね。 話変わって。 ハプワースのなかのシーモアは、アラン・ケイとジョン・リリーの合成のような感じ ですね。 NoB - FARION MES(10):★Dr.Sooの《夢酔い人の部屋》--------<01> 94/05/25 - 00436/00436 GGD02212 スウ RE:久しぶりの夢 (10) 94/05/24 21:39 00435へのコメント  おはよ〜>ミーモぴゃん。  “秘密結社「ラ・プ〜」”とは、パロディっぽいネーミングですね。もしか するとプ〜大陸の前世記憶とか、それともラーメン・*ー大陸の残像とか…(^^; カカトにその秘密基地?そこに虫の大群が来て毒針?…何でっしゃろなぁ…?  「バビルII世」の僕で海に潜るのはポセイドンでしたっけね。イルカと泳ぐ 女性って小谷M子さん?…マーメイドも連想してしまう。イルカ・女性・魚雷 >たくましい生命力と怖れを知らぬ無邪気さ、それらを脅かす破壊性の象徴? 互いに矛盾するようで実はいずれも無意識の持つエネルギーの側面を表わし、 それは自身の虚構(塔)を内面から打破するチカラを有するとか…。  塔の破壊を契機に異変が生じ、カカトの毒針が抜かれるのが「ラ・プ〜」の 秘密基地にとって不都合らしい、ということは、この秘密結社はミーモさんの 歩みを妨げる者達のようですね。一方で妨げを取り除く事を促す「水星団」と 名乗る使者達の存在(イルカや少女の住む「水の廊下」と呼応しますね↑)。 彼らは宇宙から我々の無意識に働いて、自己の変革を促そうとするかのよう… 邪霊と守護神の対立、あるいは両者何れにも共鳴しうる自己の二面性といった 構造を見て取るとか、ちょっと安易過ぎる解釈かな。       (スウ) - FARION MES(11):★アキラの《平井和正*異界漂流》----<01> 94/05/25 - 474/474 GAF05475 あめんほてっぷ 最近の出来事 (11) 94/05/24 16:51  ほんの十数日前、私の部屋に職場の後輩がやって来ました。彼は創価学会の青年部 所属で、私と是非話がしたいということで来たのでした。そのさらに数日前の飲み会 で突然「長尾さんは宗教についてどう思いますか?」と尋いてきたので酒の勢いも手 伝って、ついつい余計な事を喋ったからであります。  宗教について私が思っているのは、「生きて行く上である種類の人々には是非必要 な方便」だということです。自分がなぜこういう苦難に遭うのであるかという説明を 与えてくれるものだということ、そんなことを喋ったかと思います。  しかしながら、実際の話し合いは全く噛み合わないものでした。大学時代に書いた ゼミ論文のネタ本でもある沼田健哉氏の「現代日本の新宗教」も読んでもらいました が、「こんなに詳しく調べて研究しているのに、なんでどの団体がいいのかっていう 結論を出していないんですかね」というのが彼の感想でした。宗教社会学でそんな結 論出せるわけないという初歩的な議論はさておき、自分の信奉する団体が最高至上の ものであるとなんの疑問もなく思える事が「今の私には」全く信じられませんでした。  異動で離れられた事が或る種ほっとした事でもありました。                             あめんほてっぷ   - FARION MES(13):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<03> 94/05/25 - 01305/01309 JCF00616 優位 東理論第3部の読書会 3) (13) 94/05/23 23:57 コメント数:1 【5月第4週/第3回目の読書会】−ペアレント発言  ■3)物理学者の「時空間」のイメージ  ●4次元時空連続体(P.11〜P.12)  ガモフの説明する、4次元時空連続体の概念は、  ガモフ自身も指摘するように、正確に同等のものではありません。  当然、その理由は、   x^2+y^2+z^2+(ict)^2=0  として、”i”即ち虚数単位を用いた表記であるからです。  ただ、ここでひとつ気付くのが、  「時間は虚数を掛けることにより、空間の1要素として表記できる。」  という点で、時間と空間の変換を行う際には、  何らかの有効な手段となり得るのかもしれません。  もちろん、注意すべき事は、  虚数単位はあくまで〈道具〉であって、  時間そのものの本質を言い当てるモノではないという事でしょう。  ●東理論の指摘する物理学者の「落とし穴」(P.12下部)  〈物理学者の考え方〉  ・時間を空間の1要素として扱う(仮定)  ・時間≠空間 (結論)  〈東理論の指摘〉  ・物理学者には時間を空間に変える変換装置(=意識)が欠落している。  以上、簡単にまとめました。  4次元時空連続体のところで、虚数単位”i”を時間に掛ける事によって  時間は空間の1要素として扱えるということがわかりました。  それなのに、時間≠空間としてしまう物理学者の結論は、  虚数単位を掛けた事により、時間と空間は同等に扱えないというものでした。  そこで、東理論が指摘するように、  物理学者が「変換装置」の視点を確立していないという事は、  物理学者が「虚数単位」の視点を確立していないという事と、  同じことではないでしょうか。  変換装置、即ち意物理学者の意識が変わるなら、  現象の世界もまた違って見えて来る事でしょう。  東理論では、その意識の変換装置を「転がる時計」という概念を用いて説明します。  そして、その「転がる時計」を幾何学的に解析することにより、  東理論は、自己の科学的な立場を明確に主張出来るように成るのです。  つまり、東理論を「科学」としてならしめているのは、  幾何学図形から生まれる「規則」に他ならない、といえるのです。 〓 YUI ⇔ TANAKA Masanori 〓 01306/01309 GGA02514 KAZE われわれの精神の内奥にある矛盾 (13) 94/05/24 01:22 01302へのコメント コメント数:1 隆ちゃん、どうも。 奥さんのギックリ腰、よかったですね。 なによりもいかなるときでも明るくノリの良さそうな性格には脱帽です^^;。 隆ちゃんとこにお伺いして思ったのは、隆ちゃんと奥さんの絶妙な関係(の印象)で、 やはり、必然的な縁で結ばれてるんだろうなという確信でした(^^)。 もちろん、僕んとこもたぶんそれなりの必然的な縁があるんだろうと思いますが。 MRTは、近くにあればぜひ一度は行ってみたいなと思うのですが、 田舎にそうしたところができるにはまだ当分かかるのでしょうね。 ま、僕も貧乏だからそう頻繁に通うわけにはいかないでしょうが^^;。 >僕は浪人中に免許を取るというふざけた奴でしたが(^^;)、やっぱり貧乏のせいでそ >の後10年以上車を持てませんでした(T_T)。 僕の場合、仕事上仕方なくて免許をとったのが、ちょうど就職したころで、 そのときには、全然車など買うつもりなどなくて、 安い原付を買って通勤に使ってたくらいです。 で、就職して2年ほどたったときに、そのときも車をもつつもりはなかったのですが 会社の先輩が乗っていた古いセリカを5万円で売ってやるというので、 ま、5万円ならいいかな、というので、しばらくそれを乗ることになりました。 その後、車検を機に、ガソリンや税金などの維持費の関係で、 思いっきり安くて燃費のいい、いまはなきマイティ・ボーイという スズキの車を買って乗ってました。 「これが噂のマイティ・ボーイ〜」なんていう、 ちょっとオカマっぽいお兄さんがコマーシャルをしてまして、 それになぜか乗せられて買い込んでしまったのでした^^;。 その車は非常に調子が良くて、故障もせず長い間乗ってたのですが、 やはり長距離はつらいというので、今のジェミニというわけなのでした。 >車を運転していると、よほど空いているか渋滞でもしていない限り景 >色を楽しむ事はできません。 そうなんですよ。 会社の先輩には、車に乗ってても、それを無視して、 おネエさんの姿をきょろきょろ見ているたくましい方がいますが^^;、 ま、普通の場合は、そういうことはあぶないからできませんよね。 家や会社の近所にしても、車でただ通り過ぎるのは味も素気もありませんが、 ひとの家の庭や犬、猫などを愛でながら回遊する^^;のは、 薫りなどさえも楽しめてなかなかにグッドです。 川沿いの道で、鳥の種類を見分けたり、植物を見分けたりするのって、 子供の時から次第次第にそういうことをしなくなるんですよね。 それにはやはり車の視線を中心にしすぎる傾向の影響はあるんでしょうね。 そうした豊かさを失ってしまうことのないようにしたいものです。 >この「知」と「行」の分裂が何故起こるのか考えてみると、ここでもエゴが原因ら >しいと思えます。 考えてから走る人、走りながら考える人、走った後で考える人と、いろいろで、 ま、それぞれはひとの性格によるもので、どれがベストであるとはいえないけれど、 走るだけで考えない人、考えるだけで走らない人などは、あまり好ましくない。 もっといえば、走るだけをよしととし、考えることを否定したり、その反対に 考えるだけをよしとし、走ることを否定したりするまでになると それは自己正当化としてのエゴ以外のなにものでもありませんよね。 大切なのは、自分の不得意な部分を不得意であると、とりあえず認識しながら、 その不得意を克服するべく努力し、現状で足りない部分については、 その部分の得意な方へ敬意をもって接し、補ってもらうことだと思います。 ただ多くの場合は、不得意→不必要→軽蔑というようなエゴの方向に走ってしまい、 不得意に対してそれを克服や協同の機会ととらえるのではなく それができなくてもいいとすり替えてしまうか、 そうすること=悪とまでいいかねないほどになるんですよね。 ま、マスコミなどが極端になるとまさにこういう在り方なんですよね。 >僕も幾何学は嫌いではありませんが、まだ幾何学と有機的な現象との接点というか >関係性がイメージできません。 そういう接点をもつためにも自然界にある形態について学ぶことというのが 非常に重要なことのように思えます。 蜜蜂は正6角形を規則正しく組み合わせた巣をつくりますし、 正20面体ウィルスの各面は正三角形で、 それがさらに小さな正三角形のユニットにわけられます。 またケプラーは正多面体を基礎に惑星の幾何学モデルを構築しました。 元素の周期律をプラトン立体で幾何学的に説明しようとする試みもあります。 このように、幾何学はミクロからマクロまで「かたちの科学」というのは、 「代数的」には説明しがたい自然界のふるまいを説明するのに、 これからますます重要になってくるのではないかと思います。 ここらへんのことについては、以前から紹介している ●最新・形の科学/最新科学論シリーズ24(学研) がいろんなテーマをダイジェストで紹介していますので、 機会があれば目を通してみてください。 自然界にあるさまざまな形態の幾何学性についてイメージしやすくなると思います。 >確かに「荒野」にでなければ(たいがいは放り出されるのですが)、自分が何者か >という疑問すら抱かないかもしれませんね。 いいことか悪いことか分かりませんが、 ひとは一度は自分が自分でなくなるような体験をしてみないと、 自分を「外から」見ることができないのかもしれません。 一生涯牧歌的に豊かに過ごすのはそれはそれで結構なことですが、 それで自らを成長させるだけの要素を見つけるのは難しいように思えます。 「私はだ〜れ、ここはどこ?」っていう状態になってはじめて、 このままではいけないと、「真実」を探し始めるのではないでしょうか。 >今は「となりのやまだくん」が読みたいからです(^^;)。 ははは、うちと同じだ^^;。 あのばあさんの味はなかなかだしねぇ。 >朝日新聞の記事にあきれる事は確かに少なくありません(他の新聞はあまり読まな >いのでわからない)。ちなみに天声人語は読みません。 僕はつい最近まで天声人語などを読むことはまずなかったのですが、 相棒が、あれを読んで、ぷんぷん怒ったりあきれたりしているのを見て、 どれどれと怖いものみたさに読んでみたら、これが予想以上にひどい^^;。 特に、「なんだいやぶからぼうに…」なんていうふうに、 対話形式で進められるものなど、ほんとんどパターン化していて、 果たしてこの人は文章力が極めて低いのではないかとさえ疑ってしまいます。 内容のひどさは、文章の最低限の格調でカバーしてほしいのですが…。 他の新聞は、ま朝日ほど気取ってはないにしても、 それ以上にバブバブ…って感じの幼児性と無知にあふれていて ほとんど笑えない状況ですね。 特にこちらの地方紙など、書く人間のひどさを実際に知ってるだけに、 その悲惨さは目を覆わんばかりなのであります^^;。 まず、勉強があまりにも足りないのと、多面的にものごとが見られないというのと、 すぐに「権威」に盲従しているのに自分ではそれに気づいていないなど、 ま、あまり好意的に読めるものではありませんねぇ^^;。 >小沢一郎さんが朝日を名指しで批判したそうですが、それに対するマスコミの反応 >は面白いとしか言いようがありません。 連日の小沢さんのマスコミ批判をことさらに紹介しながら、 その横でアウシュビッツの批判などを載せるなど、 朝日新聞は編集面でも巧妙な読者操作を試みているようです^^;。 ああまであまりにも意図的な編集するとあきれてものがいえませんね。 ただ、21日付の紙面で「佐伯啓思の世話がたり/『小沢』を読む」 というのがあって、次のようなちょっとだけ納得できる記事がありました。  問題は、小沢氏は戦略家かどうかというよりも、西欧的近代化という小沢氏の ビジョンに対抗できる、代替的なビジョンがでてこないということではないか。 そして、もはやそうした代替的なビジョンがでてこないほどに、西欧近代化とい う近代日本の課題は、もうほとんどの人にとって当然のことになったなってしま ったのだろうか。小沢ビジョンはその課題のほとんど唯一の現代的な解答なのだ ろうか。…  …明治以来の西欧的近代化という課題がはらみ続けた矛盾は、依然としてわれ われの心のなかで解消してはいない。…このわれわれの精神の内奥にある矛盾は 小沢ビジョンによっても解決されない。いや、そこまでくると、ことは政治的な 理念や政策以前の問題なのである。 「ナショナル」と「インターナショナル」の分裂というのも、 「われわれの精神の内奥にある矛盾」からのものなんですよね。 その「矛盾」を発展的に乗り越えるためには、 まず、「われわれ」がその「矛盾」に気づくところから 始めなければならないように思えます。 ほとんどの人は、その矛盾に気づかず、それに翻弄されているからです。 >僕は僕でしかないですから(諦めるという意味じゃなくて)僕を淡々と生きて行け >ればと今は思っています。ただ、やっぱり馬鹿を極めるのと同じように自分を極め >てみたいものです(^^)。 結局は、「自分を極める」っていうことなんでしょうね。 それこそが「自由意志」によって「立命」するということでもあると思います。 ま、僕も僕であることから逃げないで、 僕を極めた大馬鹿者を生き抜いていきたいものですが、 なかなか馬鹿に徹することができなくて困る毎日です。 (まだまだ「馬鹿」の宙づりのような状態に終始しているので、 はやく免許皆伝の大馬鹿印を自認できるようになれればと思っています。) ☆☆☆KAZE☆☆☆ 01307/01309 GGA02514 KAZE 英雄さんの「私的波動論」、期待してます (^ (13) 94/05/24 18:56 01304へのコメント 英雄さん、どうも。 >ここいらで一つ徹底的に研究してみようかなと思います。 >以降、タイトルを「私的波動論」としてアップしていく事にします。 それはそれは、期待してま〜す(^^)。 >東理論では「波動」を前面に出していないようですが、読書会と平行 >して、互いに参照し合えるようになればいいと思います。 そうですね、できるだけいろんな視点から、 時間と空間や次元の謎などに迫ってみたいと思っていたところですから、 願ってもないことです。 僕も、東理論と平行しながら、 神話や人類学、哲学などから「時間」というテーマに アプローチしてみたいと思い、 今、手持ちの「時間」をテーマとした資料を集めているところです。 ひょっとしたらそのうち、思いがけない視点が 得られるかもしれないと期待しながら、 お互い「お遊戯」していきたいものですね。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 01308/01309 GGA02514 KAZE 意識の情報幾何学へ (13) 94/05/25 01:12 01305へのコメント 優位さん、どうも。 東理論では、E=mc2といったエネルギーと質量の関係とは別個に 「生命」つまり「意識」という要素を置くんですよね。 決して「生命エネルギー」というように、 エネルギーの一種であるとかはしません。 ここんとこは一番大事なところですので、 誤解しないようにすることが「東論」理解への最初のステップになるようです。 東さんの講義ビデオの最初でも、 生命=意識というのは、エネルギーとは切り離して考えるようにと、 再三に渡って念を押しているシーンがでてきます。 ちなみに、この講義の最初のあたりの内容は、 例の新しいミラクル論の最初のあたりの内容と重なっています。 従来の物理学では、時間と空間は同等に扱えないものとしていますが、 それに対して、東論では、「意識」=「時間を空間に変える変換装置」、 つまり、「意識」を「時間」の「空間」への変換の関数とするわけで、 そこんところから「東理論」がスタートしていくのだと思います。 さて、生命=意識が時間を空間に変換するということに 関連するかもしれないのですが、以前に紹介した ●伊藤俊治監修「テクノカルチャー・マトリックス」のなかの 清水博「生命と時間」には、 人間の行動に因果性の出現させる原因となる不可逆的な「歴史的時間」と 人々の意識のサイクル(生物的リズム)の引き込みによって 行動に時間的な関係性を与える「関係的時間」とが、 その両者を同じ「時間」として括れないにもかかわらず、 自然や社会における人間の生命の在り方が、その両者を融合させている。 そういう内容のことが述べられています。 不可逆的な歴史的時間が、関係的時間と出会うことによってはじめて 「生活」が可能になり、その「生活時間」が社会のなかで共有されることで いわゆる社会活動が人間にとって可能になるというのです。 参考までに、共通の時間の出現とそれに伴う表現空間の出現について 説明されている興味深い部分を引用しておくことにします。  さまざまな役者(関係子)が集団として即興的に劇(自己創出)を行う ための必要条件として、互いの動きの間(ま)があわなければならない。 そのためには役者の間で時間が共有化されることが必要である。このこと はそれぞれの役者の「内部時計」の間に引き込み現象(リズムの自律的な 同調現象)がおきることによって、関係ができることを示している。実際、 意識のサイクルが役者の間で同調すると、集団的意識が形成され、意味が 共有化されるので、深いコミュニケーションが可能になる。この集団的意 識の共有によって、各役者は互いに間(ま)の合った自己創出ができる。  この内部リズムの自律的な同調(引き込み)によって、各役者の意識の 中を流れる時間が共有されることは、劇団という役者(関係子)の集まり の中に、共通の時間が出現したことになる。そしてそれに伴って、場所の 中での位置が役者それぞれに決まる。これは、即興劇という生命システム の中で、共通の時間の出現に伴って表現空間(演劇的関係の表現される空 間)が出現することを意味している。つまり一種の情報幾何学の出現であ る。 共通の時間ということは、「同じ時計」を持っているということですよね。 それが人間相互の「即興劇」によって出現するというのは面白いでしょう。 そしてそれによって、 人類が同じ時計での「表現空間」を出現させるというのは、 結局、意識が時間を空間に変換しているということで、 東理論の考え方と酷似しているように思われるのですがどうでしょうか。 また、「一種の情報幾何学」というのもなかなか興味をひかれますね。 人類は、現在この地球上で、意識の即興劇を行っていて、 その関係性が創出する幾何学的空間が現出しているというイメージにも つながるものですよね。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 01309/01309 GGD03030 《 隆 》 忘却の民 (13) 94/05/25 16:29 01306へのコメント  KAZEさん、こんにちは。    >なによりもいかなるときでも明るくノリの良さそうな性格には脱帽です^^;。  全くです。非常に羨ましいのですが、僕にはなかなか真似ができません。この間お  会いしたとき、車の中で盛り上がった血液型の話を思わず思い出してしまいました。  血液型に性格がでるのかどうかは定かではありませんが、うちのカミさんはまごう  かたなきO型かもしれないなぁと思いました。    余談ですが、あの時はA型の僕がB+O連合に責められましたが(^^;)、我が家では  O型のカミさんが責められるという構図があります。上の娘もきっとA型なのでし  ょう(彼女はマーガリンを端の方からきれいに取ります)。    絶妙な関係というのであれば、KAZEさんご夫婦も絶妙ですよね。最初は似た者夫婦  なのかなぁと思いましたが、お二人のバランスはそれこそ絶妙で、非常に羨ましく  思いました。  漫才のボケとツッコミではありませんが、補い合う関係というか、陰陽のバランス  みたいなものと、その2者の間の「間」が人間関係には欠かせないなぁと感じます。    >思いっきり安くて燃費のいい、いまはなきマイティ・ボーイという  >スズキの車を買って乗ってました。  「スズキのマー坊と呼んでくれ!」ってやつですね。確かに軽は燃費が良くて小回  りが効くから楽しい車です。東京みたいな都会で乗るにはもってこいですけど、長  距離は辛いですね。大学時代、友人の軽で高速に載った時、調子に乗って140km/hく  らいだして、スカイラインを抜き去った事があります(よくまあそんなスピードが出たも  んだ)。その時は「ガッハッハ」とか言って笑っていましたが、目的地に到着して、  その車輪の小さい事を再認識したときはゾ〜っとしました(^^;)。    >家や会社の近所にしても、車でただ通り過ぎるのは味も素気もありませんが、  >ひとの家の庭や犬、猫などを愛でながら回遊する^^;のは、  >薫りなどさえも楽しめてなかなかにグッドです。  そそ、車に乗っていては動植物とお友達になる事はできませんね。あと、車の視線  というより車の視点なのでしょうが、舗装道路の多さをなんとかしてもらいたいも  のです。どこもかしもこアスファルトというのはどうもいただけません。自動車専  用道路はともかく、普通の道路はアスファルトでなくてもいいような気がします。    >大切なのは、自分の不得意な部分を不得意であると、とりあえず認識しながら、  >その不得意を克服するべく努力し、現状で足りない部分については、  >その部分の得意な方へ敬意をもって接し、補ってもらうことだと思います。  ですね。まあ、それがなかなか難しいのだとも言えるんでしょうが、こういう気持  ちをお互いが持っていれば、以外とスンナリ行くもんだとも言えますから、心しな  ければと思います。本当は相手が僕を認めてくれなくても、僕の不得意分野に秀で  た方へ敬意をもって接する事ができれば、それで良い事なのですが、屁の突っ張り  にもならん変なプライドが邪魔する事がよくあって、いかんなぁと後から思う事が  しばしばです(^^;)。    >このように、幾何学はミクロからマクロまで「かたちの科学」というのは、  >「代数的」には説明しがたい自然界のふるまいを説明するのに、  >これからますます重要になってくるのではないかと思います。  例の超ひも理論もそうらしいのですが(僕はこれに関しての知識があまりないので  詳しい事はわからない(^^;))、幾何学的な考察がカギになるという考え方が広がっ  ているようですね。例によって、幾何学がミクロの世界で有機的に展開していると  いうイメージがどうもわかないですが(マクロという観点であればなんとかわかり  ます)、関連のある所を少しづつお勉強してゆきたいと思っています。    >あのばあさんの味はなかなかだしねぇ。  そうなんです、あのばあさんのキャラクターはなんとも面白い(^^)。ちなみに、や  まだくんのお母さんとカミさんはほとんどイコールであります(^^;)。一番笑ったの  は、彼女が勢いがついてガスレンジを磨いたりするところで、カミさんもあるんで  すよね。普段はあんまり掃除しないんですけど、いったん始めると勢いがついてそ  こいらじゅうを掃除してしまう(^^;)。なんか台所でガサガサいってると思ったら、  しっかりガスレンジを磨いていたりするんですよ。ナントモハヤ    >他の新聞は、ま朝日ほど気取ってはないにしても、  >それ以上にバブバブ…って感じの幼児性と無知にあふれていて  >ほとんど笑えない状況ですね。  文章の格調に関しては、偉そうな事を言える身分ではありませんが、言葉遣いに限  っても最近の新聞はちょっと変です。江国滋さんの「日本語八つ当たり」を読むま  でもなく、こんな日本語あったっけ???と思う事がままあります。昔は新聞をお  手本になんて言われていましたが、ちょっとできませんねぇ、現状では・・・。    >ただ、21日付の紙面で「佐伯啓思の世話がたり/『小沢』を読む」  >というのがあって、次のようなちょっとだけ納得できる記事がありました。  僕は小沢さんが嫌いではありませんが、彼の考え方にはあまり同意できないところ  があります。ここで言われている「西欧的近代化」というのがどうも肌に合わない  からなんでしょうが、マスコミの小沢評はもっとチンケなところで行われているよ  うで、ちょっとヤレヤレですね。彼を批判するならもっと核心部分をついて欲しい  のですが、どうしても「金権腐敗」がどうたらこうたら、「強権政治」がどうたら  こうたらになってしまう。これって共産党の専売特許なはずで、良識ある人は使っ  てはいけないと思うんですけどねぇ(^^;)。このあたりは立花隆さんの影響がきっと  大きいんでしょうが、なんとも情けない話です。トホホノホ    昨日、車の中でカミさんと「日本ってどういう国なんだろう」という話をしたので  すが、外国からわかりづらいのと同じように当の日本人にもわかりづらいなぁと思  います。っで、はたと気がついたのですけれど、日本人って忘れっぽいと思いませ  んか?。広島・長崎に原爆落とされたのも、焼夷弾で丸焼けにされたのもすっかり  忘れてアメリカと仲良くしている。良く言えば執着がないし、おもいっきり寛容、  悪く言えばまるっきりの無頓着でしょうか。こう考えると競争とか契約とかには、  おもいっきり不似合いな人たちなのかもしれません。ユダヤ人が千年以上も前の事  をとやかく問題にしている事と比べると、全くの対極にいるような気がしてしまい  ました。日本人は忘却の民族だなぁと思ったのでした。    >はやく免許皆伝の大馬鹿印を自認できるようになれればと思っています。  そうそう、この免許皆伝が欲しいですよね。それが大馬鹿者でも、究極の忘れんぼ  でもよいから、極めてみたいものです。                                by 隆ちゃん - FARION MES(14):★YHVHの預言解読部屋------------<03> 94/05/25 - 02067/02070 GCC01413 YHVH 木を見ず、然して森を見ず。 (14) 94/05/24 01:38    *[ソフィスティケーションということ]    妙なところにこだわっても仕方がない。そういうことはある。    しかし、本当はこだわるべきこと、というのも、あるだろう。    ところが、こういう言い方に対して、次のような疑問もある。    「べき」と判断しているのは、誰かの主観に過ぎない、云々。    これこそ、民主主義の一つの帰結であろう。立派な考え方だ。    そういう立派さが、世の中を荒廃させている…はずもないか?                           YHVH 02068/02070 GCC01413 YHVH これからがバブル。 (14) 94/05/24 01:42 コメント数:1   *プリコラージュ・・・[その22]だったかなぁ。   いま、本業を補うために、仕事(アルバイト含む)を探している。   …と言っても、何が本業か分からない状態なので、   探している仕事が本業になる可能性も、十分に高い。(イイ加減な奴…)   それはともかく、失業者が、潜在的な層も含めると、異常に増えている。   これは、全国的な傾向だろうか? 東京だけのことだろうか?   景気そのものは、やや回復基調にあると言うが、本当に本当だろうか?   私の個人的感触だが、職探しが、不動産探しに近くなっている。   この表現は、かなりの部分で、旨く言い表していると思う。   それにしても、こんな状態、今までになかったのではないだろうか?   おはなしキャラバン(旅回り)には、慶応を出た新卒の女性が来た。   グリーン何とかという輸入レコード業者には、300人を越す応募があった。   一つ言えることは、少しでもマスコミっぽいと、人が殺到するということ。   そういう傾向というのは、昔から変わらないのだろうが、   ここのところ、その傾向に拍車が掛かっているようである。   現実には、傾いてしまった中小プロダクションも多いのに…である。   バブルという言葉が流行ったが、今の方が本当のバブルだと、私は思う。                                YHVH 02070/02070 NBB01420 SUKE RE:これからがバブル。 (14) 94/05/24 22:06 02068へのコメント #2068 YHVHさん、ご無沙汰です。 >>  景気そのものは、やや回復基調にあると言うが、本当に本当だろうか?  夕方、下北沢の街路を歩いていて、ふと「テナント募集」の張り紙が見えました。  にぎやかな店が立ち並ぶ通りの中、明るい照明の雑多な中に、  隠れるように暗いガラスだけの店が紛れているのを、  歩き行く人々は気付いているのでしょうか。  「サービスタイム、ビール1杯5円!」なんていう看板がありました。  これは景気がいいからでは決してない、カラ元気のようなものではないか?  何だか退廃の兆しが見え始めた、という感じを受けたものです。                  人が多かっただよ(-_-;)…☆ッテナモンダ Suke. - FARION MES(18):★あもりの二人三脚ネットワーク------<01> 94/05/25 - 00988/00988 GCC01413 YHVH 青春の礎(いしずえ)。 (18) 94/05/25 00:04  親友とは何か。自分の一番親しい友だちというものはどういう友だちであるか。  私の考えによると、一番親しい友だちというのは、  一番深い孤独を与えてくれる友だちである。  友情を結んだときの経験をとくと考えてみるとわかるように、  昨日まで他人であった人間といきなり親しくなる。あるいは徐々に親しくなる。  そういう場合何が機縁となって親しくなるかといえば、  いうまでもなくお互いに似たような運命や問題をもっていることだ。  しかし、お互いにその問題はわからない。  つまりお互いに未知の世界の前に立っている。  その門口で心が触れ合ったとき、はじめて友情というものが結ばれるのである。  お互いに相手の考え方や運命がわかってしまったら、  かえってわれわれは友だちになれないだろう。  どうにも解決のできないさまざまの世界をもっているからこそ友だちになるのだ。  互いにみしらぬ二つの生命の接触と燃焼と…  …この真剣ないのちの交叉に友情はなりたつ。  われわれを甘やかしてくれる者は決して良友ではない。  よく理解してくれようとすることは悪い事でないが、  それだけでほんとうのいい友だちにはなれない。  つまりいい友だちというものは、  わからないところはどこまでも解らないものとしてお互いに追究し合う。  ある時は責めあう。しかも意見の一致などということはない。  一つの問題に対してさえどんなに二人が異なるかを  身をもって知らされるような友情、それが尊いのである。  表面だけでひとと調子を合わせ、理解しあっているような顔をしているところに  決して真の親しさは起こらぬ。だから  ほんとうの友情というものはかえって辛いものなのだ。  友情のつらさを味わうということがほんとうの友情ではなかろうか。  そして、こういう交わりのできるのも青春時代だけだ。  人生にはじめて目をひらき真剣になったときでなければ、  かような友情はできない。年をとるにつれて  われわれは友情よりはかえってよそよそしい社交の方へおちていく。  親しい間柄でありながら、如何に人間というものはお互いに違ったものであるか  ということを、はっきり知らせるのが友情だ。  青春にとってそれはしばしば驚きであり悲しみでもあろう。  私は孤独を語るべくして友情を語ったが、つまり  生命と生命の激しい接触の上にはじめて孤独がわくことをいいたかったためである。  そしてそういうところでわれわれの精神は錬磨されるのである。  妥協のない、またよりかかるところのない、道なき道の上でわれわれは訓練される。  青春の孤独はむしろ精神の光栄であろう。                       亀井勝一郎「絶望からの出発」より        〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  全面的に引用になってしまった。然して、野暮な補足は「蛇足」というものだ…。                                   YHVH