- FARION MES( 2):【居酒屋1999】自己紹介・雑談--------<09> 94/06/27 - 02361/02361 KFA05313 プラマタ RE:居酒屋に長めの書き込みはそぐわないか ( 2) 94/06/27 10:54 02360へのコメント LOVE 始めと終わりの挨拶を 楽しんでくれたみたいでありがとう。 僕には、それで十分すぎるくらいです。 あと、他の事は気にしないで下さい。 本当は、あなたを傷つけてしまったかなと そればかり心配していました・・・気になって、気になって。 P.S の最後の一文の所で気がついていた事なのに・・・ > 柔らかさは、もっとも重要な事だと思う。 あ!全部がこんな調子だったのか、とほんの少しだけど確かに思った。 「いちばん大切なことだと思う」と言うべきだったなと アップロードした後でも思い続けておりました。 僕は、その時の自分の姿勢の事を問題にしています。 ・・・どこかで「魂とは、凝固した光だ」と言う文を見掛けたけれど おそらくそれって「人間は光で出来ている」ってことだよね。 同じ表明にも姿勢の違いがあるよね それでなんとはなしに、ごめんなさい・ごめんなさいねって思っていました。 心配・は、していないけどね。 ありがとう(^_^)・七穂さん LOVE      プラマタ - FARION MES( 4):【宴会/オフ】プラン・レポート------------<02> 94/06/27 - 640/640 GGD02212 スウ RE:もんじゃOFF無事終了 ( 4) 94/06/27 06:45 636へのコメント  幹事をしてくださったアラミスさん、MOLYXさん、ありがとうございました。 それにしても怪しい言葉の並んだメニューでしたね〜。(店主は何者なんだろう?) それと店員さんの中に維/YUIさんソックリの人がいてビックリ。何だか本人が オフに来てくれてたみたいな気分で良かったですね〜。 いや〜、あれが もんじゃ だったんですか〜。『何だか子供のイタズラみたいな食いもん』というのが感想。 わりとジューシーなネタが…*ロ焼きピーッと言うウワサも…はみ出して薄く伸びて 焦げてカサ*タみたいピーッになったのを剥がしたのがウマイんですね。帰ってから もう一度もんじゃが作れそうピーッなくらい満腹しました(^_^;(_ _)。服にニオイが 滲みちゃうけど低予算で満足できて良かったですよ、本当に。2次回で優位さんの 『荒んだ心をいたわって』(#633)?あげることが出来なかったけれど、私の唄は イタワリではなくワルノリなのでマサノリ君は聴かない方が良かったかもしれん。 また遊んでね〜>ALL                       (スウ) - FARION MES( 6):・壁(1)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 94/06/27 - 02511/02513 KFA05313 プラマタ RE:戦車はドイツが、かっこいい ( 6) 94/06/27 09:07 02505へのコメント コメント数:1 LOVE 私には、それが信じられません。   ・・・「戦車を美しい」と言っているヒトラーに、あなたが 同意しているということが。です。 突然のRESで申しわけありません。 ほんとうに、そんな風に受け取っていいのか? それとも僕の読み違いなのか 確かめたくてRESしています。 それが全くの「人を殺す為だけの道具」だということを 彼なら知っていたと思う。 ヒトラーが、それを言うのは、理解出来ます。 おそらく 「戦車が美しい」と言える人は・・・他には思い当たらない。     敗走する人々にとどめをさす為の高性能マシンガン装備? 隠れている相手を挨拶がわりに、建物ごと吹き飛ばすことの出来る・・・? 恐怖と共に子供を抱きしめる母親のすぐ横を 軽快なエンジン音を轟かせて疾駆する何とかミッション・・・ とでもいうのでしょうか?     いくら考えてみても・・・不可能です。 戦車は決して美しいものには、なりえない。 戦車は、決して美しさの対象としてはありえないと思う。 同じ人間のひとりとして そうした物を創り出した事に責任を感じます。 おそらく、あなたは、自分が何を言っているのか気がついていない 可愛そうな「戦車」の為にどうかもう一度 考え直してみてください。 それは、美の対象としては、ありえないと思います。 LOVE こんな事くらいで泣きたいとは思わないけど           ちょっと悲しい・プラマタ・でした。 02512/02513 GBD03557 シゲ 何かご用でしょうか? ( 6) 94/06/27 09:15  昨日駐車禁止でお巡りから出頭せよとのこと。  駐車してあったところは確かに駐車禁止ではあるけど、駐停車禁止でもなく、 消火栓がある等の法定駐車禁止区域でもないので、駐車禁止除外指定車両にな っているうちの車が切符を切られる理由はない。  取りあえず警察署に行ってかけあうことにする。チョークを引いて出頭要請 したのは27〜28歳の若造お巡り。  「うちの車は除外車両の認定を受けているんだけどねぇ・・・」  「除外車両でもどこにでも止めていいわけではありません」とお巡り氏  取りあえずちょいとお巡りを試してみましょかね。  「参考までにお巡りさん、駐停車禁止でもなく、法定禁止区域じゃない場合は  他にどういう基準があるんっでしょうかね?」  「歩道に乗り上げるのはどこまでいいんですかね?」  「左に止めた場合、右側はどれだけの幅員があればいいんですかね?」  「除外車両の標証は向かって左に掲示ですかね、乗って左手なんですかね?」  指導員資格を持っていた(以前免許とともに剥奪された)僕としてはそんなもん 常識の範疇なんですけどね。  お巡り氏曰く、もう切符を切るつもりはないらしいがぶつぶつ言っている。  お巡りのくせにハキハキ喋らないのが気に入らない。  「お巡りさん、はっきり喋ってくれないと何を言ってるんだか分からないんだ  よねぇ・・・」  結局、除外車両の標証をお巡りが見落としたってことで・・・。  「それじゃあ、ここは市内で一番の繁華街で事故、事件も多いだろうから、  君も日々頑張るよーに!」  「君、何かご不審な点でも?(^_-)」  お巡りも楽じゃねぇ〜よなぁ。うんうん。(^_^;                        シゲ(お巡りさん大好き!) 02513/02513 GBD03557 シゲ 戦車は美になり得る ( 6) 94/06/27 11:00 02511へのコメント  >プラマタさん  はじめまして。初めての会話では楽しく行いたいのですが、プラマタさんの #02511は僕にとっては納得できないのでレスしますね。  申し訳ないが引用の形式を取りますね。  #02511 プラマタさん : 私には、それが信じられません。 : ・・・「戦車を美しい」と言っているヒトラーに、あなたが : 同意しているということが。です。  #02505 くりすさん :ヒトラーいわく、「なんて美しい戦車だ」といわしめた中戦車としては、 :最高、最強ではないかと・・・(タミヤの1/35のキットがほしい・・・) :軍人のなかでは「ミヒャエル・ビットマン」が一番好きです。 :彼はナチスではなく国防軍の精神を持ち続けたので・・・。 :        ドイツ軍はすきだけどナチスは嫌いなくりすでした  プラマタさんの発言に対し、くりすさんの発言のこの部分を読めばたいがいの 人は理解できると思うのですが、くりすさんはヒトラーの思想、行動を肯定して いるわけではありません。  悪人だからといって、思想や行動と美を同一次元に考えていいものなんでしょう か? 悪人だからといって「殺傷に優れたものこそが美だ」という考えは成り立ち ませんし、ヒトラーが「殺傷に優れているからこそ美だ」と思っていてもある意味 人間としては当然なんじゃないでしょうか。 人を殺すのは悪いことです。だけど 戦争はどうこうとか、きれい事だけを並べ立てる人達はもっと悪です。  善し悪しはともかく、出世したいとか地位や財産、名誉を手に入れたいとかって いうのもそうだし、強姦したいっていうのだって人間の欲求として当然とはいえな くても持っていてもおかしくない。それは舞台で脚光を浴びたいとか、人前で目立 ちたいとかっていうのと次元としてはあまり変わらないもので、ヒトラーの独裁主 義っていうのは人間としてあってもおかしくないですよ。  創造に破壊がつきものである。つまり、創造するためには創造の大きさと同じ分 だけの破壊がつくと僕は思っているのですが、逆に言うと破壊なくしては創造は出 来ない。 この場合、目に見える殺傷能力や、破壊能力ばかりに目がいってしまい ますが本質は同じです。  戦車が人を殺す(建物などを破壊する)だけの道具だとしても「美」というのは 「目的」とは別の次元にあります。  目的が殺傷でも機能を追い求めた砲身、装備、走破性は美です。  一本の日本刀。人を斬る道具です。では何故美術館で展示されることがあるので しょうか? NHKでも刀を美術品として取り上げることがあります。プラマタさ んが日本刀を美と思うかどうかは知りませんが、世の中では美としての認識を持っ ている人はけっして少なくありません。  刀同様に戦車には(目的がどうあれ)機能を追い求めた姿があります。美しい 曲線や造りの造形美があります。  それに今向かっているパソコン等の情報機器にしてもそうだけど、人を殺傷する ための戦争からのフィードバックや、戦争で勝利を収めるために開発された機器類 のお世話になって生活しているという事もお忘れなく。                         シゲ(綺麗事に批判的) - FARION MES( 7):★アリオン世紀末書込み寺------------<02> 94/06/27 - 02535/02539 MGH00465 アキラ IDの違いについて ( 7) 94/06/27 02:02 02526へのコメント コメント数:1  #02526 エスペラント さん  Sub-SYSOPのガッチャ氏がすでに一度お伝えしていますが、セン・シュア氏 (PXB05763)とエスペラントさん(SGW00342)のIDは異なっています。  エスペラントさんは、セン・シュア氏と同一人物であると主張されています が、SGW00342のIDでしかその発言がない現状では、その真偽を確認すること ができません(あるいは、無関係のエスペラントさんが、セン・シュア氏を騙 っている可能性も否定しえない、ということです)。  こうした無用な誤解を避けるためにも、PXB05763のほうのIDで、まずID を変更することを告知し、そのうえでSGW00342のIDをお使いいただければ幸 いです。また、IDでしか本人を確認できない通信上では、それがマナーだと も思いますが、いかがでしょう? FARION Sub-SYSOP MGH00465 アキラ 02536/02539 PXB05763 セン・シュア RE:IDの違いについて ( 7) 94/06/27 02:54 02535へのコメント  わかりました。私とエスペラントは同一の実体であることをここに明記します。 PS. 久しぶりにこのIDで発言しますが、先のSUKEさんの問いかけに対しては、やは   りエスペラントとして発言することにします。                  <わたし/わたしたち/セン・シュア>より 02537/02539 KHC03435 ゆうじ57世 RE:身近な話題から ( 7) 94/06/27 11:49 02509へのコメント わぁ〜〜い、RESありがとう。こちらこそよろしくお願いします。> 英雄 −−心のきれいな人ほど欠点を見過ぎて、生き方が小さくなっているよ うな気がしますが、いかが思いますか?   それと真面目な人ほど窮屈に生きているような気がします。特に日本人は    人生は苦労するもの、男はこういうものだ、女はこういうものだ、、   という観念を植え付けられ、それを信じて真面目に生きている人が立派な人   であるというような風潮がありました(過去形)。これって、昔は確かに   美徳であったと思うけど、どう見てもイキイキとした生命力を感じません。   心から自分の納得のいく人生を送っていないという感じがします。親が言う   から、先生がそういうから、友達がみんなそうだから、、、   誰のために生きているのかっていう感じですね。人のためというのはそれは   それで良いのですが、自分の人生を見失ってまで人に合わせる必要があるのか   って思います。自分にしかできない役割があると思います。 −−ありゃ、「八正道」なるものを実践なさっているならば、「彼岸」 とかの意味も知っているんでしょう?   「彼岸」はわかるのですが「此岸」が分からないのです。ひょってして同じ   意味だったんですか。 −− あ、できれば2番会議室の「居酒屋1999」にでも顔を出しておく んなまし。みんな、どんな人か興味津々でしょうし(^^)。   わかりました。時々覗いてみます。でも、最近アルコールは控えています。   オレンジジュースとか、ありますか。                           ...ゆうじ57世 02538/02539 KHC03435 ゆうじ57世 RE:生命の本質は連続性 ( 7) 94/06/27 11:51 02512へのコメント どうも。政争、円高、、、世間が騒がしいですね。 > マイケル釈尊 −−立花隆の対談集『生、死、神秘体験』の中身はどれも面白かったのですが、   生と死って、本当に不思議ですね。一見、簡単な現象ですが、その奥が   とてつもなく深い。   以前、ある大学の先生の講演を聞いて感激したのですが、ある若い人が   交通事故で重傷、しかも頭が割れ脳味噌が飛び出してしまった、という   状況で病院にかつぎ込まれたそうです。当然、誰もが「時間の問題」と   判断しました。ところが入念な手術のせいか、なんとか一命は取り戻せ、   しかも会話できるようになり、体の右半分だか左半分だか忘れたが動く   までに回復したそうです。   そこでの最大の治療法は、常に親などがそばにいて、手を握り、返事や   反応のまったくない状態でもひたすら回復した時のことを思って愛の念   を送り続けたそうです。単なる結果論なのか、愛の念の効果なのかは誰   も分かりませんが。   また、人間はしぶとい。どんな重傷を負っても、手がなくなっても、足が   なくなっても死なないものだ。また、きわめて弱い。健康な肉体でありな   がらポックリと死んでしまう。これも医者から昔聞いた話です。   私は生と死は決して偶然の出来事とは思えません。                           ...ゆうじ57世 02539/02539 KHC03435 ゆうじ57世 RE:はじめまして、私も仲間に入れて下さい ( 7) 94/06/27 11:57 02525へのコメント どうもお付き合い、ありがとうございます > SUKE −−だから相手の可能性を奪う殺人という行為は悪いことなんだ、って。   私は、生まれる前に、人生でやるべきことやそれを全うして人生を終了する   までのことはすべて本人が納得済みである、と思っていたので、死について   も自殺以外は計画通りと理解していました。だから殺人は相手の可能性を奪   うことにはならないと思っていました。むしろ、こう生きなくちゃいけない、   ああしなくちゃいけない、と決めつける方が相手の自由意思を奪っているよ   うに思えたのです。肉体を奪おうとしても、死期でなければ死には至らない、   と思っていたのです。だからといって無謀な行動をとるのは自殺行為ですが。                           ...ゆうじ57世 - FARION MES(13):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<03> 94/06/27 - 01419/01419 GBB03425 Paper Birch 盲信の罠に気をつけましょう (13) 94/06/27 10:53 01418へのコメント  KAZEさん、どうも。  いつも迅速なレスをありがとうございます。  どうも、順番にすべての発言にレスをつけようとすると、会話を成り立たせるこ  とが、僕の場合難しいみたいです(^_^;ゞ。  というわけで、今日は#1418にコメントしますm(_ _)mペコリン。 >でも、シュタイナーの人智学系の人って、わりと盲信的なんですよね。 >妄信的なくせに、あまりちゃんとシュタイナーを読んでなかったりして^^;。  いやいや、これはシュタイナー関係の人ばかりではないと思いますよ。心霊関係 のことというのは、精一杯がんばって科学的な思考法を心がけても、絶対的な真実 は(おそらく)証明不可能ですし、ほとんどの人は自分で確認できない事ですから、 どうしても盲信の罠にはまりやすいんですよね。  かく言う僕も、ハッと気がつくと「シルバーバーチがこう言っているからこうだ!」 と、いつのまにかシルバーバーチの言葉を絶対化していることに気付いて、ドキッ とすることがあります。シルバーバーチ自身が、「自分を盲信しないように」と何 度も言っているというのに、この始末です。なんとも情けないというか、はずかし いことです。  これは、いくら気をつけても注意しすぎるということはないですよね。お互い気 をつけたいものです。 >シュタイナーは、人智学を精神科学(霊学)としてとらえ、 >それは通常の科学とは異なった対象を、 >科学と同じ方法で探求するものであるとしています。 >科学といっても、自然科学、生命科学、社会科学、経済学云々というように >その対象が異なれば、それなりの方法論があるというのと同じです。  なるほど。やはりここらへんの考え方は、僕が考えるスピリチュアリズム=心霊 学と同じみたいですね。  心霊を信じている人というのは、なにかというと「科学では解明できない。」と かなんとか言って、そこで思考停止してしまう人が多いんですよね。しかし、この FARIONにもKAZEさんのような人がいることがわかって、心強いかぎりです(^^)。 「数学幻視行」は、なかなか面白そうですね。こんど書店で探してみることにしま す。 >多彩な天才科学者でもあるスウェーデンボルグは、 >自分が霊界探訪していたわけですから、一種の社会学的な手法で、 >霊界を描写しルポをしていたわけですから、ケイシーとは異なります。  そうですね。この二人がまったく違うタイプの霊能者だということは、僕も知っ てました。僕の考えでは、この二人とも背後霊団の助けを借りているはずなのに、 それに気づいていない。あまつさえケイシーは、霊が関与するスピリチュアリズム を否定している。けしからん! というだけのことだったのでした。詳しい説明も なく一緒に並べてはいけませんでしたね。反省....  ちなみにスピリチュアリズムで、スウェデンボルグのような霊界探訪記というと F.C.スカルソープの「私の霊界紀行」(潮文社)がありますが、これを読むと、一見 勝手に行っているようにも見える霊界探訪も、実は背後霊団の綿密な計画があると いうことが分かって興味深いです。興味があるかたは、是非ご一読を(^_^)。 >で、僕の知る範囲では、ケイシーのそれは、かなり高いレベルだと思います。 >もちろん医療だけではなく、そのリーディングは多方面に渡っています。  僕が思っていたのは、医療関係のような、どちらかというと実務的なことに関し ては(所詮、物質界のことにすぎませんから)ケイシーの方法でも良いかもしれな いが、高級霊界からの霊的な教えの部分は、バイブレーションが合わないのではな いか、ということでした。しかし、僕はケイシーに対していわれのない偏見を持っ ていた時期がありまして、全然しらないんですよね(^_^;ゞ。勉強してみるまでは、 レベルがどうだという話はひかえることにします。  ....いつもいつも、「ああ言えばこう言う」みたいな感じになってしまって申し 分けないですm(_ _)mペコリン。シュタイナーの本をまだ読んでないってゆうのに、我 ながら失礼なはなしだよなぁと、いつも恐縮しております。  隆さんとの、子供の教育に関する話は興味深く読ませてもらってますよ(^^)。 (そういえば「シュタイナー教育の方法」という本は読んだことがあったよなぁ) 僕は、そちらの話題にはどうも口をだせないでいますが、今後の展開には期待して ます。僕もけっこう歪んだ人間に育ってしまってますからねぇ。(教育のせいじゃ ないような気もするが....(;_;))            ...では、また。  △▼△ Paper Birch △▼△ - FARION MES( 2):【居酒屋1999】自己紹介・雑談--------<09> 94/06/27 - 02362/02362 GEE03670 福島 健 RE:はじめまして、どうぞよろしく。 ( 2) 94/06/27 17:41 02358へのコメント 英雄さんさん、こんにちは。応答ありがとうございました。 えーと、この宇宙で起きることには何事も偶然はない、などとよく言われます。 だから、自分の身の回りで起きている全ての事には、きっと何かしらの確かな 理由があるのでしょうが、ごく些細な出来事の起こる理由まで、いちいち考えて いたら、それこそ夜も眠れませんよね。 そんなわけで、実は僕自身は楽観主義者で、将来のことなどについては、あんま り心配していません。 僕の本は、『グレート・ポイント』という題名で、(東京経済)というところ から出版される予定です。 内容は1992年12月にエジプトで10日間にわたって開催された、チャネリング・ コンファランスの体験ドキュメントです。 ケビン・ライヤーソンやダリル・アンカをはじめとする十数名のチャネラー達に よる、チャネリングのセッションの模様も収録されています。 中にはバシャールによる、あたらしい情報なども含まれていますので、そういう 事に興味がおありでしたら、書店で立ち読みでもしてくださると嬉しいです。 それでは、また、ごきげんよう。 - FARION MES( 6):・壁(1)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 94/06/27 - 02514/02515 TBE03167 ねずみ RE:何かご用でしょうか? ( 6) 94/06/27 12:57 02512へのコメント コメント数:1 おまわりさんに同情するねずみであった・・・ あ、それだけっす(笑) 02515/02515 GBD03557 シゲ RE:何かご用でしょうか? ( 6) 94/06/27 17:32 02514へのコメント  ねずみさん  いや、試すとか、からかうとか、そーいうのは言葉のあやで実際には・・・ いぢめてただけです。はい。  来月は七夕なので、お巡りさんに青や赤の七夕飾りを買わされないように 注意して走りましょう。                     シゲ(警察には協力的なんだよ) - FARION MES( 7):★アリオン世紀末書込み寺------------<02> 94/06/27 - 02540/02540 CXK03125 月狼 Re:再び祈りへ ( 7) 94/06/27 18:05 02521へのコメント こんばんは〜(^。^)>英雄さん  丁寧なRES、感謝します。では僕なりに、思う所で意見をのべていきますね。 >わたしはかなりのリアリスト(現実主義)を自負していますが、たし >かに傾向として、精神世界的な教義が現実離れしている事は否めませ >ん。現にここでも、抽象的な、実際に現実の生活に追われているもの >からすれば笑止な事が語らぬ。腐翌ヘfOwす。  例えば、宇宙の真理が云々。神の愛はあれこれ。浄化の時・・・・こう言う抽象的な  表現は、そのての本にそれこそ腐るほどあって、新興宗教本ともなると、もうオ ンパレードですよね。  だけど本当は、例えば「愛」と言う言葉一つとってしても、それを語る事がゆる  されるようになるには、ほんと10年ぐらいかかるものなのかも・・・・極論ですけ  ど、実際はそう言うもんなんだろな〜って、最近ではとみに思いますよ。  近頃では、そのまんまに発言する人の意見はあまり信用しない事にしました。 「魂の浄化」とか「神の光が云々」とか「意識がどうのこうの」とか・・・・・。  (無論、場合によりけりで、この語句を使う事が悪と言う事ではなくて、使いか  たの事ですが。。実際に私も何度となく使ってますし(^^;)自戒、自戒) やっぱり、高尚な表現を使うなら、その裏の経験を、提示するべき・・・・かな?  英雄さんの言っていたように、難解な用語をやたら常習する人に対しては、無論  その人の性格や、会話の流れや質を洞察した上でですけど、「それはどう言う意 味ですか?」って言う形で、どんどん突っ込むべきなんですよね。まぁ、だいた いは受け売りの知識で武装して返答してくる・・・・と言う形になるのだと思います が、「経験に基づいて発言しているか?否か?」 その断片を知る・・・・と言う点 では結構有意義なんではないか、相手を識ると言う点からみてももっとお互い、 質問し合うべきなのでしょう。でも言葉尻を捕らえての質問の押収は、不毛だか らあまりしたくはないものの一つではありますが(^^;)  おっとまた話しがづれてきたぞっと えっと 祈りでしたね。 >祈り  う〜ん。やっぱり僕はまだこの行為に信を置く心境にはほど遠いいみたいです。  なんて言うか、本当の祈り・・・・って言うものがなんであるかわかってないんです  ね。なんか無意識のうちに効果を求めてしまっているって言うか、祈りの行為後 にある種の効能を必ず期待してしまう。  祈りってやっぱり「無私」の心のもとにおこなわなければ、偽物なんではないか な〜。やっぱりどうせ祈るのであれば、本物の「祈り」ってやつをやってみたい じゃあ本物の祈りってなんだろう?・・・・私が思う「真の祈り」は、「結果を求め ずただひたすらに行う事」これですか。  ただ、同じひたすらでも新興宗教(全部とは言わない)で日々行われている「ひ たすら」は本物であるとは思わない。彼らが行っているのは、「祈り」を利用し た自己陶酔だと思うから。祈る事が、視界を曇らす事に寄与するような事では本 末転倒ですものね。  僕個人の経験で言えば、祈りと呼吸法を併用する事で、荒れてた心は静まり、視 界が鮮明になり、現実における苦しみが自分が思っていたほどたいへんではない  と言う認識に変換されたり・・・・と、なかなか乙な体験があります。 感情が波立ってきてどうしようもない時は、まず「祈り」を実行して、一定方向  に流れる意識に一端ブレーキをかけ、冷静になってから、現実の問題に着手して  いく。あ、でもこれってやっぱり効能を求めての祈りなんだろうか(^^;)  とにかく、祈りについてはこれからも色々話していきたいですね。本物の祈りは  なんであるのか?祈りってそもそも何?・・・・って実に興味深いです。人類が延々  と過去の時より積み重ねてきたこの行為。よろしくお願いいたします(^_^) ヘ_ヘ 月狼 ミ・・ ミ P.S  ちなみに僕が祈りの時に使う文句と言えば、「神は我とともにあり我は神ととも  にあり」。僕の好きな小説の中にあったものなんですけど、ゴチャゴチャ文句を たれるよりは、簡潔なこう言う短いのが好きです。最近は、また般若心経なんて ものにも懲りだしてきましたし(^^;)アブナイアブナイ - FARION MES(13):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<03> 94/06/27 - 01420/01423 GGA02514 KAZE 「花巡礼イニシエーション」のご案内 (13) 94/06/27 16:36 ●「花巡礼プロジェクト」のスタートを記念する  「花巡礼イニシエーション」についてのインフォメーション 知人から、面白そうなプロジェクト&イベントの案内が送られてきましたので、 せっかくですから、それを、僕なりに理解した形のダイジェストとして お知らせしておこうと思います。 プロジェクトのスタートを記念したイベントも 7月9日に鎌倉であるということですので、 興味があって、参加出来る方はぜひ参加してみてくださいね。 相変わらずながら、こういうときは、都心に近い人がうらやましい。 ■「花巡礼プロジェクト」とは何か 「花巡礼」は、来るべき20001年以降の新世紀文化創造のための「縁=ネット ワーク」の「花園」であり、ひとりひとりの「意識の冒険旅行」の果実をその花園 に実らせていきたいという願いから企画されたプロジェクトです。 その「花園」には、「人」と「人」との新しい関係性を科学することで生まれてく る「知恵の種」があり、その種を育てるために共有できる「時間」や「エネルギー」 や「能力」に満ちた「知恵の土壌」があります。 この「花巡礼」の旅を通じて、地球上の「花」といえる人(花の人)同士が出会い、 「花の人ネットワーク」を創成し、地球上のすべてに「花の縁」を結んでいきたい。 ■花巡礼イニシエーション(旅立ち)イベントについて この「花巡礼」プロジェクトのスタートにあたり、7月9日、「それぞれの花巡礼」 と題したコンサートと語りのミニイベントが開催されます。 概要は以下の通り。 ●日時/7月9日(土)午後1時〜6時(1時15分開演) ●会場/鎌倉「歐林洞サロン」     鎌倉市雪の下2−12−18 県立近代美術館右前     TEL0467−23−8838 ●会費/5000円(珈琲&ケーキ付) ●定員/先着80名 ●申し込み方法/6月末日までに下記までTELまたはFAXで。 ●申込先/TEL0467−46−8081      FAX0467−46−8077      〒247 鎌倉市山ノ内527      グローバルネットワーキングカンパニー      (椎原正昭・澄・中山清まで) ■花巡礼イニシエーション・ゲスト ●大倉庄之助/能楽大倉流大鼓方。伝統の継承と新しい響きを求め、人と自然        の調和を接点として鼓を打つ。 ●森山佳代子/万葉の調べから宮沢賢治の銀河鉄道の夜まで、聴く者にイメー        ジそのものを彷彿させることのできるほどの「謡い」を奏でる        シンガー。        興味深いことに、シュタイナーの発案した「ライア」と呼ばれ        る竪琴を最近手に入れ、ますます幅広い音楽活動を展開中とい        うこと。しかし、この「ライア」というのはどんな楽器だろう。 ●土井修司/花と緑の財団常務理事。山中の家主宰。心の革命を花に託し、様       々な花事業を企画立案、実践中。花の哲学者であり、花の心を語       らせたら天下一品。 ●一色 宏/ビジュアル・コミュニケーションから生命空間工学デザインまで       を専門分野とするアートディレクター。 ●矢吹紫帆/シンセサイザー音学家。現在、京都比叡山のふもと、緑に囲まれ       たスタジオを基点に音楽活動を展開中。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 01421/01423 GGA02514 KAZE 視覚と聴覚について (13) 94/06/27 16:37 昨日は、ひさしぶりにコンサートにでかけた。ウィーンフィルの若きコンサート マスター「ライナー・ホーネック」のバイオリンリサイタルである。前回行った コンサートといえば、4月の最初の有田正広さんのフラウトトラヴェルソの小規 模のもの。このときの有田正広さんの神技も筆舌に尽くしがたい「共振」を感じ たが、今回のホーネックさんのヴァイオリンも、そのウィーンならではのノリと 繊細には、おもわず身体が波打ってくるような「共振」を感じた。やはり、音楽 は「共振」だなと深く感じたコンサートだった。 バイオリン・リサイタルといえば、もう数年も前に、東京で、モスクワに旅立つ 前の諏訪内晶子さんの50人ほどの規模のものを聴いたのに続き2度目。 プログラムは、シューベルトのソナチネ、モーツァルトの「フランスの歌」、ブラ ームスとベートーヴェンのバイオリンソナタと、かなり渋めのものだった。ちなみに、 ピアノはコルデリア・ヘーファーというモーツァルト一家を祖先としていると いうたくましき女性ピアニスト。 このコンビのCDはキャニオンから発売されたということで、今回のプログラムの シューベルトもその中には含まれている。 さて、これを書いているのは、単にコンサートの紹介というのではない。音楽を聴 くということがいったいどういうことなのかということを考えたいからである。 最近考えることの多いのが、視覚的な人間と聴覚的な人間というのは、多くの場合 かなり截然と分かれているというのはなぜかということである。 僕の個人的に知る範囲でいえば、音楽家の多くは視覚にうとく、画家の多くは音楽 にうとい。そうでない場合もあるが、双方ともに関心が深く、鋭い見識をもってい る方というのはほとんどいない。もちろん、両方ともそこそこ関心があるという方 はいるが、僕のように、どちらにも大したことがない場合がほとんどである。 シュタイナーは数学の才能というのは、耳の能力ということが非常に重要になって くるという。数学と物理学というのはきってもきりはなせない関係にあるが、そう いえば著名な物理学者の多くは音楽に深い造詣を持っている方が多いようである。 ハイゼンベルクしかり、アインシュタインしかり。 その反対に、渋澤龍彦のように非常に博物学的であり、ビジュアル感覚にすぐれて いる方が、ほとんど音楽が音楽として聞こえないという例もある。そういえば、荒 俣宏も、その視覚的な部分での仕事に比べて、僕の知る限りでは、音楽などについ ての著作は見た覚えがない。 それに対して、シュタイナーの影響を受けそ竝いうクレーなどは、画家であり、か つまた音楽にも非常に造詣が深かった。クレーの絵画は非常に音楽的であるという ことにもそれはあらわれている。もちろん、カンディンスキーもそう。そういう視 点で画家を見てみると、音楽的な画家とそうでない画家というのもあるのかもしれ ない。 この視覚と聴覚の関係ということについて、今後具体的に考えてみようと思う。何 かが見えてきそうである。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 01422/01423 GBB03425 Paper Birch 心霊って、もっとあったかいものですよ (13) 94/06/27 17:31 01407へのコメント  tenさん、こんにちは。  え〜と。僕は、小学校の頃から文章を書くのが苦手な人なんで、  いきなり本題に入らせてもらいますね。 >しかじかの神の働きが明らかになる時だ」という話をしたところ、なぜ >かいきなり、その周辺の人たちのなかで霊的な力のある人が、自分はその神の >生まれ変わりであると言い出したり、また、そうでない人まで私は声を聞いた >とか、自分の系統は、その神に縁のものであると言い出すとか、ある人はこと >さら無関心を装うというようような妙な雰囲気になったことがあって、普段は >とても好きな人たちであっただけにちょっとショックで、  そうですか、そんなことがあったんですね。  この事実を知ってしまうと、僕の前回の発言は、かなり思いやりに欠けた書き方 だったと言わざるを得ませんね。霊能者のところに、神様の名を騙る霊が出てくる という実例はよくテレビとかでも出てきますので、そういうのを見て疑問に思った のかな、と思ったものですから....必要以上に辛辣な書き方をしてしまったと、反 省しています。ごめんなさい。m(_ _)mペコリ  実は僕の友達にも、悟りを開いたと言い始めた人がいましたので、TENさんの気 持ちは少しは理解できるつもりです。  彼は、僕とはじめて会ったときには、もう悟りを開いたと言っていました。5年 ぐらい前のことです。心霊の話が縁で友達になったのですが、彼に心霊治療の能力 があったということもあって、彼が悟りを得ているということを、僕は信じてしまっ たんです。今思えばうかつだったと思いますが。  で、一緒に瞑想をしたり、いろいろな話をしたりしていたのですが、やはりどう してもこの人が悟りを開いている人だとは思えなくなる時があるんですよね。彼の 話の中から、行動から、悟りを開いているとはとても思えないことがドンドン出て くる....彼を親友だと思う気持ちと、信じられないという気持ちの板ばさみになっ て、ほんとうに、本当に、苦しい思いをしました。  僕は勇気をふりしぼって、彼と話し合いました。彼のことを本当に大切な親友と 思っているということ....間違っていると思うところ....悟りとは、霊とは....。 彼が、そのときの話だけで納得してくれたわけではありませんが、すくなくとも悟 りについては間違いだったと分かってくれました。  まぁ、その後も結構いろいろなことがあって、彼も懲りない人なもんだから、僕 の知らないところで密教の呪文かなんかを唱えながら瞑想をしたりして(これは、 絶対やってはいけないと厳重に注意していたのですよ!)、低級霊に取りつかれて、 精神病院に入院するようなこともありましたが、その話はまた次の機会にしましょ う(^_^)  今思えば僕が、悟りをひらいたと思い込んだ彼にしたことが、さにわだったんで すよね。本当に真剣な、人間と人間のぶつかりあい。そのなかで、目で見て確認す ることができない霊的な存在が、何者なのかということを探っていくこと。  決して、相手の霊を冷たく断罪することでも、逆にあがめ奉ることでもない。 (おっと、tenさんは、そんなこと言ってませんデシタよね。シツレイシマシタ) >上に書いた出来事の中で知ったのですが、見 >えない存在がある人を依代とした後、その器となった人を廃棄してしまうこと >を意味する言葉があるという話やその様な人たちの存在を知ると、なにか、地 >上的な感情かもしれませんが、どうしても、私はむごいと思って泣きますし、  霊的な世界というのは、そんな冷たいものではないと僕は思いますよ。もしも神 と名乗る存在が、「ある人を依代とした後、その器となった人を廃棄してしまう」 ということがあったとしたら、その存在が低級霊であったということでしょう。  それに本物の神であれば、絶対に自分で神とは名乗らないはずです。高級霊であ ればあるほど自分の身元を明かさないものです。シルバーバーチは、60年のあいだ、 一度も自分の本名を言いませんでした。  おそらく、霊的なことにたいして、冷たく、厳しいものを感じてしまっているの かも知れませんが、一度、シルバーバーチの霊訓を読まれることをおすすめします よ。(もちろん近藤千雄先生の翻訳の方をね(^_^))本当の高級霊というのは、優 しく暖かいものだということが分かると思います。  ここで一つだけシルバーバーチのことばを紹介します。 ≫わたしは荒野に呼ばわる声です。 ≫ ≫大霊の使者の一人として地上へ参っている者です。 ≫ ≫わたしがどの程度の霊であるかは、 ≫ ≫わたしの説いていることが志向しているものから判断してください。 ≫ ≫わたしの述べるささやかな言葉、わたしの誠意、わたしの判断、 ≫ ≫皆さんとともに励んでいる真理普及の仕事が、 ≫ ≫たった一つの魂の支えとなり、たった一つの魂に安らぎを与え、 ≫ ≫暗闇の中でもがいているたった一つの魂に ≫ ≫光明をもたらしてあげることが出来たら、 ≫ ≫それだけでわたしはうれしいのです。  また今度、鎌田さんの話なども聞かせてくださいね。  では、また。  昔を思い出してチョット涙がでそうになった。△▼△ Paper Birch △▼△ 01423/01423 GGD03030 《 隆 》 田舎志向 (13) 94/06/27 17:43 01413へのコメント  KAZEさん、こんにちは。    こちらは「本当に梅雨なんだろうか?」と思うほど暑いですが、どうなっているん  でしょうね。最近、季節のズレを感じる事が多いのですが、また8月くらいに涼し  くなったりしたらと思うと少々不安です。    >教育というのは、非常に総合的なものなんですよね。  >人間学の集大成というようなものでもあるようです。  そういう事なんだと最近になって思うようになりました。なのに、おもいっきり偏  った、おもいっきり表面的な事しか「教育」は扱わないようなのが悲しいです。  KAZEさんが「学校なんてぶっとばしちゃえ!」派だったのに対して、僕は「学校な  んかに期待してないぞ!」派だったのですが、その弊害を考えるとそうは言ってい  られないようです。僕としては、子供が集まるという事にのみ学校の価値を感じて  いたわけですが、そういう事を言ってる場合じゃないのかもしれません。    モンテッソーリの教育の考え方は、そこそこ的を得た話だと思いますが、現状の学  校のシステムで教師にこれを求めるのは不可能だと思いました。むしろ、親がこう  いう事を理解していなければいけないなと・・・。  もちろん、学校のシステムそのものをより良くする必要もあるのでしょうが、子供  が辿る4つの段階を阻害する大人の5つの要素はともかく、子供にある種のストレ  スを与える事は場合によっては教師はしなければならないような気がします(ちょ  っと極端な言い方かもしれませんが(^^;))。    学校には学校の役割が、家庭には家庭の役割があります。それが同じであるとは僕  には思えないのです。もちろん、なんの理解もなしに子供の発達を阻害するのは論  外ですが(たとえば例の忘れ物をしたら立たせるなんていう訳のわからない行動)、  子供を潰さない程度にストレスをかける役目を学校は負っていると思うのです。そ  うでなければ集団で生活している意味がないような気がします。    >こういう考え方からすると、忘れ物をしたら立たす先生はもちろんのこと、  >そうさせないために「お尻ひっぱたいて、寝る前に用意させてる」お母さんも、  >「自分ひとりでできるように手伝って」あげるのとは、  >まったく反対のことを子どもに対して平気でしているということになります。  >そういう意味では、その先生もお母さんも同じ考え方を共有している、  >ということになりますよね^^;。  このお母さんは「自分ひとりでできるように手伝って」あげるのとは確かに反対の  事を子供に対して行っているように見えますが、実は違います。そのお母さんを養  護するわけではありませんが、彼女は子供の心をくだらん教師から守らなければな  りません。  そのために「早くしなさい!!」とか言って、叱咤するようではダメですが、子供  が用意するように仕向ける事は実際問題として必要な事なのです。っで、この先生  とお母さんが同じ考え方を共有しているというのも全く違うと思います。    教育問題の難しさは、待ったが効かない事です。現状の学校の環境や教師のレベル  (あたりはずれがあるという様な事)に問題があるとしても、子供はその中で否応  無く育てられます。理想を排除するようでは、何の進歩もないでしょうけど、理想  を追い求めてばかりいるわけにもいかないのですね。ですから、モンテッソーリの  考え方を理解する事はとっても大事な事ですが、実際に子育てに直面している人間  にどこまで役立つかという事になると、残念ながら少々疑問です。勿論、実際の方  法論も述べられているのでしょうが、日本の現状を考えるとねぇ・・・。ここまで  すさんでいる場合は個々の処方箋が必要だと思います。    >子どもが自己教育できないようにする大人の怠慢(過保護もふくめて)は、  >大人が「自分を見る」ことができなくなっていることと同じ事です。  そうですね。そして、そういう大人を子供は決して尊敬できないんじゃないんでし  ょうか。少し前のお話で、子供時代に人を尊敬する事の重要性についてKAZEさんか  らうかがいましたが、これがいちばん大きな問題だと感じます。さっき、子供には  ある種のストレスを与える事が場合によっては教師に必要だなどと言いましたが、  これは、教師が子供に尊敬を受けているという絶対条件がつくんですよね。この条  件がなければ、毒にしかならないかもしれません。そして、子供達に尊敬される人  間になるためには自己教育するしかありません。結局は大人も子供も自己教育しな  がらお互いに人生という山を登って行く事しかないのでしょう。これはもちろん教  師に限った事ではなくて、親である僕にはもちろん、そうでない人にも言える事な  のだと思いますが・・・。    >Tちゃんは、パパのあごをなでて「ザラザラ」、ママのあごをなでて「つるつ  >る」、そうつぶやきながら、何度も何度もパパとママのあごを触り続けました。  Tちゃんはわりとわかりやすい表現を使ったようですが、この表現を大人が頭で  考えてもしょうがないんですよね。   >でも、子どもは指先に抵抗感のある感触を確かめながら、  >触覚に刺激を受けると同時に大脳にも生き生きと刺激を受けているのです。  っということですから、パパの髭がどうのこうという事は全然どうでもいいことな  のでしょう。実際子供は触っている事そのものが面白いらしくて、下の娘などは、  サワサワしながら、「デヘヘヘ」と笑うだけだったりします(^^;)。キモチワルイ    >大人が自分を自己教育しようという姿勢が大前提となってこそ、  >それが子どもの自己教育の環境を形成していくのではないでしょうか。  そういう事だと思います。っで、僕は子供と生活を共にして初めてそれを実感した  のですね。情けない話ではありますが、同時に子供はありがたいと思いました。    >「自己表現」ができないというのも、それが主体性の欠如を意味するのだとした  >らそれも困ったことだと思います。  そうですねぇ。最近はとみにそういう人が増えているような・・・。  この事に関連するかどうかわかりませんけど、昨日でしたか、TVでサイエンス・  メルヘンとかいう番組を見ながら、信州への憧憬を益々募らせておりました。っで  田舎と都会の違いってなんだろうねとカミさんと話していたのですが、なんだか都  会よりも田舎の方が個人個人のアイデンティティーがはっきりしてるんじゃないか  という話になりまして・・・。    田舎には「村八分」なんていう嫌な言葉がありますが、少なくとも一人一人のID  が村や町の中ではっきりと機能しているように思えます。それに引きかえ都会では  というと、個人のIDは埋没してしまってほとんど社会の中で機能していない。  昨今の若い人たちは自分自信のIDをはっきりさせるために都会に出て行くように  言われますが、実は都会で過ごせば過ごすほどIDは無機質なものになるんじゃな  いのだろうかと思ったのです。勿論、人が大量に居る都会で自分のIDをはっきり  機能させられれば、それはもう田舎の比ではないのでしょうが、田舎の人間関係を  うっとうしく思っているような人にそんな芸当が果たしてできるのか。そんな事を  考える内に田舎から都会へという志向は、「自己表現」しなくてもなんとか隠れて  いられる場所への逃避なんじゃないかという気がしてきたのです。    ですから、自己表現できない日本人=昔の悪い風習=田舎というわけでもなさそう  だなぁと思ったのでした。僕としては、みんなが顔とIDを知っているという所で  生活した方が快適だと思うのですが(だから田舎に住みたいのでしょうね)、これ  も実際に住んでみなけりゃわからないですかね(^^;)。    >それはただ「結婚式をしない」とか「夫婦でいっしょに勉強している」とか  >「仕事にもいわゆるレジャー娯楽にも関係ないことをしている」とかいうことで  >「何を考えてるのかわからん」というのですから、ほんと困ってしまうのです。  「あんたには関係ないでしょ」と思わず言いたくなりませんか?。僕も夕食の洗い  物をすると口をすべらせたとたん「そんな事をしてるからカミさんになめられるん  だ」と言われたときは、頭が真っ白になって、もうどう答えていいのかわからなく  なっちゃいましたが、よくよく考えてみるとそんな事言われる筋合いのもんじゃな  いんですよね。    僕もKAZEさんもひょっとすると本当に「変!」なのかもしれませんけど(^^;)、だい  たい人間は誰だって「何を考えてるのかわからん」わけですから、そのあたりの認  識をしっかり持って、おかしな偏見に陥らないようにしたいものです。                                by 隆ちゃん