MRE - FARION MES( 2):【居酒屋1999】--------自己紹介・雑談 94/07/16 - 02506/02508 KHA02710 S・N RE 2489 ( 2) 94/07/15 03:53 RES ありがとうございます。 顔文字とバイナリデータの件、今度の休日、あわてずに操作して みようと思います。 >今は、なんか生きているのがただ、ただ嬉しいです(T_T) 同感です。毎月、「MANGA BOYS」の発売日めざして、生きる意欲を かきたてることができます。(ちなみに、他文書からの複写、 はじめてやりました。) >とにかく直観的にARIONも平井さんの言っている事は... 「幻魔大戦」を読んだ頃、[反省]っていうのがありましたね。 それに近いことを、今、改めて要求されてるって気がします。 ではまた。こちらか、11番で会いましょう。 02507/02508 GCG01101 アマデウス RE:新幹線大阪行き最終にて ( 2) 94/07/15 23:38 02498へのコメント  英雄さん    えへへ(^^;)    後半はだいぶ脚色して書いたのですが、イメージはバッチリだったでしょ?    (K福のK学の皆さん、おちゃらけて御免ね (^^;)ゞポリポリ)    でも、やっぱちょっと不気味だったすよ。    なんででしょうねぇ???                              アマデウス 02508/02508 GCG01101 アマデウス RE:ボードでも、よろしく。 ( 2) 94/07/15 23:39 02505へのコメント はなさん   こちらこそ よろしくお願いします(^^)/" >> O(オ-) MEN なのであった(666)! (大冗談)   秀逸ですねー、座布団1枚。(はっ!ついRTのノリになってしまった)   「O川R法」って、全然伏字になってないのが笑えてしまいますね。   なんぼでも類型が出来そうだぞ。   たとえば、O MEN といえば「OムS理教」の人たちもそうかなぁ、とか   プラズマ「O槻教授」は最近おとなしいなぁ、とかね。(^O^;)   こういうこと言ってると、スウさんが「わしも混ぜてっ」って来そうだにゃ。   でも、あんまりやりすぎて呪われるのも嫌だから、この辺にしとこっと。                              アマデウス - FARION MES( 4):【宴会/オフ】--------プランとレポート 94/07/16 - 713/715 KFG01743 智美パパ RE:■23日六本木オフ詳細■ ( 4) 94/07/15 16:53 711へのコメント 私もYUIの公演にいきます 714/715 KFG01743 智美パパ RE:■23日六本木オフ詳細■ ( 4) 94/07/15 16:53 711へのコメント オフもでるよ 715/715 JCF00616 優位 23日もう一人参加お願いします ( 4) 94/07/15 22:56  23日のオフですが、またまた、中学時代からのお付き合いをしている、  本名「外川 卓」君を、追加させて頂いても、よろしいでしょうか?  ※彼は、ニフティーに入会する見込みはないそうです (^^; ∴ YUI ∞ TANAKA Masanori ∴ - FARION MES( 6):∞・∞ 壁(カベ)・∞・∞・∞・∞・∞・∞・∞・∞・∞ 94/07/16 - 02598/02603 CXJ00675 ぴさ 最後のもう1つ、か… ( 6) 94/07/15 07:54   僕の弟は障害児である。おそらく精神薄弱、精薄…、というのだろう。  学術的な詳しい事は知らない。ただ弟が障害児であると言う事だけだ。  それ以外に何もない。僕が17で弟が16、16年間つきあってきたこと  になる。小学生の頃、僕は弟が嫌いだった。たぶん、…嫌いだったと思う。  父親の仕事の関係でその頃3度転校を経験した。その度毎に新しい友達の  「兄弟は?」という問に言葉を濁していた。弟が僕の下敷きに何かインクの  類をこぼしてしまった事があった。その時僕は弟を蹴った。母親がとんで  きて僕をピシャリと殴った。こんな事件が象徴するようにやっぱり僕は弟を  嫌いだったと思う。ここでもあの時と同じように言葉を濁してしまう。  断定したくないのは…、なぜだろうか。 小学校から中学校にあがった。  その頃は、まわりの友達はみんなそれとなしに僕の弟が障害児であることに  気付いていたから、そのことを気にした経験はあまりない。   そして高校生になった。それほど「弟が障害児である」ということが  気にならなくなってきた。“自分を中心に据えて見た弟”よりは“弟”  そのものが見えてきたような気がする。最近やっと不幸なのは自分じゃなく  弟自身であった事に気がついた。(俺はバカだ…) 学校から帰ると  弟が既に帰っていて机で針仕事をしている。弟は養護学校に通っている。  おそらくその作業の一つだろう。襖を開けて弟の部屋、弟が顔をこちらに  向ける。…しばしの沈黙…。僕は弟の目を見つめる。弟は16にして  “刺し子”をしている。まだ僕は弟の目を見つめる。…    僕「何か言う事は?」    弟、気が付く、そして「おかえり!」    僕「はい、ただいま」   弟は養護学校を出たら就職する。そのために父母は最近、奔走している  ようだ。神様、あなたは声こそ出さないがきっとこの世のどこかにいるんだろう。  答は要らない、決して。だけど一つだけ質問させて下さい。弟は何をするために  生まれてきた…?   吉祥寺にぶらっと出かける。昔通っていた塾が懐かしくてそっちの方に歩いて  いった。あの頃と同じバーやキャバレーのある通りだ。勧誘の声をそこの人に  掛けられた。大人になってしまった。 > 今は孤独だけど辛くなないさ > でも最後のもう一つが残っているんだ 悪いけれど俺に手を貸してくれないか > 最後の涙を拭うために 手を貸してくれないか                          尾崎豊『白紙の散乱』 /// ぴさ /// 02599/02603 TBE03167 うんこ うんこのひとりごと ( 6) 94/07/15 08:01 コメント数:1 苦節7年であった。 不眠症+ノイローゼ連続攻撃の7年は苦闘の歴史であった。 人格崩壊起こすわ、退行するわ、自分が何やってるか理解できないわ、 はっきし言って、アブナかったけれど、その代わり、人間とは何か よく分かって勉強にもなった。 人生70年分がこの7年に凝縮されたといってよいぐらいである。 あとは、もうちょっと外面を整えて、いかにもわたしゃマトモな人間 ですよというフリをすることを覚えれば結構なんとかなりそうな気もする のだが、やればやれるようにも思うのだが、めんどくさいので やりたくなひです。 でも、それをやらないと社会生活できないのでやらないといけないのですが、 ああ・・・ どうして世の中はこんなにシンキクサイのだろうか。 話はかわるが、今ここに新しく入ってきた人たちを見ていて思うことは 何を言っているのかよくわからないという 一語につきるのだが、 それはひょっとしたら、キミタチがええかっこしぃだから、言語が分裂 しておるのではないかと思ふ。 ええかっこしぃなんか、糞の役にもたたんです。 はよ、ほってしまいなさい。 02600/02603 GBD03557 シゲ ダビデ像 ( 6) 94/07/15 10:33 02592へのコメント  デザイン学校のデッサンの授業だったか、高校の美術だったかダビデ像は 描きましたねぇ。めのうさんはああいうのが好みですか・・・。  一反木綿・・・(__;)まるで僕のことを言われているようだ。怪我してからは 麻痺の関係で筋肉がつかないから洗濯板なのはしょうがないけど(腹はビール腹 で出ているけどな)怪我する前も一反木綿状態といえなくもない。  ただケツの格好良さは負けなかったんだけど骨盤骨折で右側が下がって、縫い目 150針じゃ格好良くはないな。  しかしちんちんはダビデよりでかいだろ。  ところでデッサンの時の裸婦スケッチって若い娘だったんかぁ?>樹  授業サボって藤沢在住の裸婦に竿さしてたからデッサン出てないだな。 02601/02603 KFA05313 プラマタ RE:うんこのひとりごと ( 6) 94/07/15 10:45 02599へのコメント コメント数:1 * 初めまして*うんこ*さん 私はここに来て、まだ一月にも満たないの者です。 あなたの言う 「今ここに新しく入ってきた人たち」に、充分あてはまると思うので 発言の権利のあることを確認して うんこ*さんに、おたずねいたいます。 それは、私は出て行くべきだと言うことなのでしょうか。 こまった*と僕は思いました。 もしそうでしたら、不特定多数をさす「ひとりごと」のような形でなく 直接話して頂けますか? あなたの発言は、たとえ「ひとりごと」をよそおっていても 身に覚えのない多数の人を、傷つけるのに充分なほどの 不特定多数にねらいを定めた 誹謗と中傷になってしまいます。 何か言って頂けますか? プラマタ 02602/02603 TBE03167 うんこ RE:うんこのひとりごと ( 6) 94/07/15 12:50 02601へのコメント コメント数:1 あー、それは違うのよ>出ていけ>プラマタさん 意見が合わない人と話をしていて、不快感を感じることはよくあることで、 多くの人は、そういう時に、出ていけっおまえの顔なんか見たくもないっ というような反応を示すことが多いのだけど、僕はそういう態度は一番 よくないことだと思ってます。 話というのは、双方が納得いくまで徹底的にやればいいんですよ。 ただ、プラマタさんの意見(このあいだの武器は美しいか?議論など) を見ていると、どうもいまいち話の焦点があってないなーという感じがしました。 もっと、核心をずばっとついた話をするようにした方が、議論はうまく行くんだよ。 やっぱり、アレなんだよな。プラマタさん、その他の人を見ていると 何か恐れているというか、ええかっこしぃというか(失礼)そういう余計なもん ばかり感じてしまいます。 男は度胸だよよよよん(笑) PS 出ていけって言われたぐらいで出ていくよーな軟弱な精神では生きて いけないぞ ^。^ 02603/02603 KFA05313 プラマタ RE:うんこのひとりごと ( 6) 94/07/15 15:38 02602へのコメント * うんこ*さんへ なるほど、読み返して今度は意味が通りました。 うんこ*さんが感じる「ええかっこしぃ」的な姿勢の部分を 捨てるべきだ*と言っていたのですね。 私が馬鹿な読み方をしただけなのが解ってほっとしました。 僕は、 キミタチ=ええかっこしぃ=糞の役にもたたん=ほってしまい と読んでしまった訳です。 まァ、このあいだは僕がダダをこねただけで、議論してたわけでは ないので、焦点の話しは勘弁して下さい。 それでも、実際にこのような誤解の面倒さがパソ通には 確かにある訳で、多少はそんな風に見えたとしても しょうがないんじゃないかな、と思います。 あと、***確かに皆、たくましい人ばかりだな〜と実感します。 それでも、出ていけと言われれば、 ではそうしてみることにしましょう と、言う人も「軟弱な精神」のせいでなくして いるかも知れませんね。 こころよくRESを付けてくれて感謝しています。 うんこ*さんへ*ありがとう*です。 プラマタ - FARION MES( 7):★世紀末書込み寺★・・・・・・・・・・・・ARION 94/07/16 - 02736/02740 GDB00064 オリハル RE:目からウロコ ( 7) 94/07/15 02:50 02730へのコメント めのうさん、ありがとう。 お訳に立てて嬉しいです。        オリハル 02737/02740 KHC03435 ゆうじ57世 RE:正邪善悪問題について ( 7) 94/07/15 12:22 02733へのコメント  どうも、こんにちわ。  −−第三者が関係者の立場(当該関係者を取りまく種々の状況・事情)を想像    してみてどのくらい「共感」できるかあるいは「共感」できないかが、正    しい事か悪い事かの判断基準に使えるだろうと言うことです。     第三者という立場を持ち出すとは思いませんでした (^_^;     主人が「どんな理由があるにせよ、こいつは泥棒だ」と言い張り、盗ん     だ人が「どんな都合があるにせよ、子供がかわいそうだ」と言い張り、     子供は「とにかくお腹が空いて死にそうだ」と言い張るでしょうね。第     三者といっても、誰の支援をしたら得か、なんて基準で考えるかもしれ     ないし。つまり、店の主人の片棒をかつげば後でいろいろと得するかも     しれないし、子供が大金持ちの子供なら自分でお金を建て替えてやるか     もしれないし。     今の社会ではこのような共通の価値観を「法律」あるいは「社会通念」     に頼っていますよね。ただ、いかなる事情があろうとも「窃盗」という     事実は否定できないでしょう。でも、この法律が国によって違い、規律     が宗教によって違うため、地球レベルで考察すると「共感」できる基準     が確立できるのか、という問題ですよね。どうしても、国あるいは民族     だけの枠内に閉じ篭ってしまう。     実は、今、日本でも外国籍の人達が日本の会社で働くようになってきて     いますよね。しかも、設計などの分野で能力を発揮してきています。い     ずれ、部長が女性で、課長がイラン人で、平社員が東大出という状況が     普通になるかもしれません(それまで日本があればの話だが... )。そ     ういう環境で、国や民族・宗教を超えた共通の価値基準を作るにはどう     したらよいのか、って考えたこと、ないですか。それぞれが「良い」や     「好き」という基準で判断しても、収拾がつかないような気がします。  −−好き・嫌い、面白い・面白くないを、初歩的な判断基準などとあっさりと    切り捨てるのは、性急すぎる判断だと思われるのです。     言葉がまずかったかもしれませんが、切り捨てたつもりはないのです。     単に、判断基準の一つであり、自分の主観に近い基準という意味で言っ     たのです。残念ながら、私もまだ「好き・嫌い」を超越していません (^_^;     相手が仕事のようなことなら好き・嫌いはどうでもいいことが多いのだ     けれど、人間が絡んでくるとうまくいかないですね。特に、明らかに波     動が合わない人と仕事する時って、結構、疲れますよね。トマスさんが     好き・嫌いだけでどこまでやれるか、私も楽しみにしています。永遠に     好き・嫌いだけでやっていけるとしたら、好き・嫌いが正邪と一致して     いたということですよね。それはそれで素晴らしいことだと思います。     私も、それを見習いたいぐらいです。     でも、時々、「人間が好き」といって、どんな人とでも仲よく、楽しく     話などをする人がいますよね。私は「羨ましい」と思います。私はまだ     そんな風になれないので、そういう人を見るととても素晴らしい人だと     思ってしまいます。                           ...ゆうじ57世 02738/02740 KHC03435 ゆうじ57世 RE:まずは「進化」論 ( 7) 94/07/15 12:23 02734へのコメント   こんにちわ。2泊の成果はどうでしたか。  −−「進化」についてというのはどうでしょう。そこに意味を見いだそう    とすると、どうしても社会的弱者を切り捨てたり他民族を侵略するこ    とを正当化することにつながってしまう傾向が強いからです。     進化も面白いテーマですね。いきなり宇宙とか持ち出すとおかしく     なるから、身近な話題から展開していきましょうね。     マイケル釈尊さんがなぜ「進化」に対してちょっとした抵抗を感じ     ていたのか分かりましたよ。「適者生存」「弱肉強食」「焼肉定食」     というイメージを抱えていたのですね。私の個人的な感想としては、     ダーウィンの進化論は半分は正しく、半分は適当でないという気がし     ています。直線的に、自然にまかせて、成り行きで進化したような感     じがするけど、私からみると実にうまく進化してきていると思えます。     人間も知性を発達させ、次第に「善い方向」へと向かっているような     気がします。他の動物についても、食物についても、決して悪い方向     へと向かっているようには思えません。例えば、だんだん病弱になっ     ていくとか、だんだん不便な体形になっていくとかにはなっていない     ように思えます。自然にまかせてこれだけうまく進むって、実は大変     なことだと思います。私は明らかに自然の流れに「良い方向へと向か     わせる意思」を感じるのです。ただ、人間はこの意思を無視し、やり     たい放題のことをして戦争を蔓延させ、地球破壊を目前にしているよ     うな気がします。     さて、マイケル釈尊さんは、本当に猿が人間に進化したと思いますか。     もし、そうなら上野動物園の猿は、あと何年したら、人間になるのか、     計算してみてくれますか (^_^) 私は、人間のなれの果てが猿だと思っ     ています。人間に進化できなかった「人間候補」ですね。それと、この     自然界、1日24時間、1年365日という周期があるのは誰でも知っ     ていますよね。でも、1年が最大の「周期」と誰が断言できるのでしょ     う。7年とか、35年とか、1億年とか、そういった永い期間の周期が     あっても不思議はないと思います。単に、地球上の科学で解明されてい     ないだけだと。仮に、そういう永い周期があるのなら、その周期ごとに     何かが繰り返されている、と想像できませんか。                           ...ゆうじ57世 02739/02740 KHC03435 ゆうじ57世 RE:RE^2:トマスからゆうじ57世さんへ ( 7) 94/07/15 12:26 02735へのコメント   どうもありがとう。  −−現場においてはたとえどんな行動をしたとしても、許されるのではないで    しょうか。     でも、気の短い「店の主人」だったら、顔を真っ赤にして怒鳴り散らす     かもしれませんよ。盗んだのが「若くて美人の女性」だったら、許すか     わりに「付き合ってくれ」なんて言い出すかもしれないし。いずれにし     ても立場によって違うのは明らかですよね。     それで良い、というのなら話はまったく進まないのですが、とりあえず、     世の中、次第に国際化し、地球人全体で考えるべきことが増えてきてい     ますよね。仮に、今まで通りそれぞれがその時に思った通りのことをや     れば良い、というわけではうまくいかなくなってきています。じゃあ、     どうしたら良いのか。     よく、アメリカ人が「日本は不正だ」といって抗議してきますが、あれ     はアメリカ人から見た正しい(justify)という判断基準ですよね。我々     の判断基準とはかなり違います。このままで良いのか、どうしたら皆が     うまくいくようになるのか。そんな必要がない、という意見を持ってい     る人もあるでしょうが、そうすると戦争は永遠になくならないような気     がします。今の勢いなら、本当に地球の破壊に結び付いてしまう。アリ     オンは、地球の破壊は宇宙にとって何の貢献もしない、というようなこ     とを言っていたと思うのですが、少なくとも地球の破壊は望んでいない     と思います。 ...ととと、話が大きくなってしまった。変になったら困     るので、とにかくこのままの価値基準で良いのか、ということですよね。  −−それから、好き嫌いというのはそんなにダメでしょうか。     好き・嫌いでこんなに話題が展開するとは思わなんだ (^_^;     まず、私は「好き・嫌い」という感情そのものを否定しているわけでは     ない、ということを理解してくれるとありがたいのです。こういった感     情を抑圧しようとすると目茶苦茶になってしまいますからね。綺麗な女     性と反抗的な男と、どっちが好きかって言われれば、そりゃぁ... 。そ     れと、表出した感情を無理に抑えつけるのは逆効果だとも思います。で     すから、ダメというつもりは毛頭ありません。     ただ、人間が二人以上集まると、なぜか自分の役割が与えられてしまう     という気がしませんか。私はいつも感じてしまうんです。集まりごとに     役割が違うんですがね。もっとも、気が付かないうちは自分の得意な役     割ばかりしようと演じていたけど、それじゃ全体がうまくいかないよう     な気がしたのです。それで全体がうまくいくには、自分はどういう役割     をするのが適切なのかなぁ、と。それが場合によっては、自分の気の進     まないことだってあるけど。でも、自分以外に誰もそれを代替できそう     な人がいない時は、やはり自分がそうすべきなんだろう、と。好き・嫌     いの問題じゃないということですよね。     おそらく皆さんにもあると思いますよ。婆さんの面倒を見なくちゃいけ     ない、早く起きないと会社に遅れる、家賃を払わなきゃいけない、税金     を払わなきゃいけない。結局、これの延長だと思うんです。嫌いだけど、     しなきゃならない。義務感は自分を縛り付けるから、普通の意志でそれ     を実行する、ということでしょうか。     一番良いのは、自分の好きなことと良いこと、正しいことが一致してい     ることですよね。でも、世の中、そんなうまく出来ていない。かといっ     て自分の好きなことばかりやって、本当に上手くいくのか。でも、世の     中、自分の好きなことやってどんどん上手くいっている人がいますね。     私はそういう人にも話を聞いてみたいですね。妥協したことや、不本意     ながら相手に従ったことがないのか、と。「ない」と、きっぱり言われ     たら、また考えを改めよう (^_^;                           ...ゆうじ57世 02740/02740 HGB02122 あもり RE:見極めるという事 ( 7) 94/07/16 00:50 02686へのコメント  #02686 ゆうじ57世 さん § −−質問です。 §   人は人を救えるのか? § §   人が人を愛してはいけないのか。  遅れ馳せながら、RESのRESです。  「救えるのか?」という質問に「いけないのか」の問い返しは少々オカシな気が  します。  しかし、恐らく深い意味があると言う風に解釈して、話を続けます。  愛するということと救うということが、同義だと考えてよろしいでしょうか?  救うという事がどういうことなのか、私にはよく分かっていません。  私には、「救う」ということが傲慢に思えてならないのです。  一体、自分にはどれだけのことができるのだろう?と考えた時点で、「救う」と  いう命題が非常にぼやけて来てしまう。  では、「愛する」ことはどうなのか問われれば、何となく「あれをやらなきゃ」  といった実際的な行動を思い浮かべることが出来ます。  何故なのか?  単に人生経験の違いでしょうか?                  HGB02122 あもり - FARION MES( 9):★神々の曼陀羅/美と信仰と史★・・・・・・・TAO 94/07/16 - 288/288 JBH02324 なえ 天狗と修験道 1 ( 9) 94/07/15 14:14 139へのコメント  さて、陰陽道は鬼を封じ、結界に依って守られると言いました。  その基盤には虐げられて恨みを残した者からの逃避とも考えられる部分がありま  す。そしてそれは頂点に立つという夢の様な存在が、人を人から鬼へと変えても  行ったのでした。死という事がこの世から身体という実体を失わせても、なお、  この世に留まり、そして厄災として現れる。見えない恐怖。畏怖。見えないから  こそそれはますます増幅する様に世の中に蔓延したのでした。  実はこの死生感が古代から連綿と続いた感性の一つと見なせる気もします。  死が実体を失わせても、その念、ココロ、或いは、その者の再来として残される  「不思議さ」。どうして見えなくなった姿が、再び蘇ると信じる事が出来たのか。  言ってみれば、そこに特別な何かを持っていたからに違いありません。  そして、その姿を辿ると、不思議と、再来伝説を持つ幾多の過去の聖者伝説に行  き当たるのでした。  しかしここで変革が起こったと思うのは、鬼・モノノケ・そして幾多の化け物達  は実体化し、目で見る事が出来る様になった事でしょう。つまり、清明等の陰陽  師達の行動が絵画の題材として表現された。具現化された事は一大センセーショ  ンだったハズです。しかし、一方でこの具現化はイメージの固定化をも進めてし  まいました。(これも仏教絵が氾濫し始めた事で、促した事は否めない)  イメージの固定化は、ある意味ではその内面の衰退を意味します。  ここに陰陽道が辿る衰退も存在します。  この陰陽道が発展した影には朝廷というバックアップがあったからこそでした。  しかし、一方では鬼と、いえ、鬼よりも恐怖させる存在が台頭して来ます。それ  が仏教絵の描く地獄絵でした。また、この鬼を巡ってもう一つの勢力が出来上が  りつつありました。それが山岳仏教に代表される天台宗等、修験道の行者達でし  た。  仏教は死後の世界を輪廻からの解脱をする事と説きます。つまり、この現世での  生まれ変わりという事そのものが「苦」と考えられました。その現世からの脱却  こそが人の行くべき道であると言います。ここには、再来が苦(悪)とも取れる  ニュアンスがあります。強いて言えば、山岳信仰は仏教と在来の陰陽道が融合し  た姿とも取れます。そしてその目指した先には、やはり解脱という事が挙げられ  るでしょう。そしてここで鬼は封じられる存在から消し去られる存在へと変遷さ  せられてしまうのです。解脱とは、この世からの完全消滅だったのです。  人々が内面に持ち、そして見ようとしないモノ。見たくないモノ。ユングが説い  たシャドーの部分を「鬼」に重ね合わせた時、完全に目の前から消滅させるパワ  ーの修験道は大衆にとっても都合が良かったのです。  このシャドーを表したものに、もう一つの存在が在りました。それが天狗でした。  天狗草紙という絵が延暦寺に残されています。そもそも天狗とは「あいつは天狗  な鼻持ちならない奴だ」と言える様に、高慢で驕慢心の高い事を言います。しか  も、仏道修行をし、高僧となる人物が「天狗」となっています。  崇徳院、後白河院、十楽院仁慶、大原僧正、慈円など、高名な人物が天狗と謂れ  世を乱す天狗の所業とし、その悪行を事細かく描写しています。  そしてなお、この天狗道からの脱却を、それぞれの仏道教義に習い得脱出来ると  説いています。視覚化された仏道絵は、鬼ばかりかこの天狗をもイメージの固定  化から衰退させ、ついには何の力もない無力な輩としての未来を提示する役割を  持ったまま、戦乱の時代を迎えます。  時は平安の幕を下ろし武力、実力社会が台頭する鎌倉時代へと向かっていました。  源頼朝(鎌倉殿)がその武力で威圧するのは腐った時代。朝廷を始めとする一党  独裁の天狗と鬼を駆逐する役割を頼朝は演じたのかも知れません。  この新たな鎌倉の時代、仏教が果たした役割は重要なポイントとなります。  壇家、地頭、氏寺、外護寄進による寺とは一線を画した縁の無い仏教集合体、つ  まり「無縁所」の出現でした。この無縁所が新しい仏教により「金貸し」「集金」  (商業ベース)の拠り所となって、それまでの古い「神仏」に基盤を持った商業  及び交易の体系は大きく変化する事になるのです。  鎌倉新仏教。これが後に神仏習合と神仏判然令(排仏棄釈)と、一本に結びつい  て行くのです。                   ◇アンブレサリョ◇ なえ - FARION MES(10):★夢酔い人の部屋★・・・・・・・・・・・・・・・・・・スウ 94/07/16 - 00481/00482 NCD00736 Hygiene 心の自立と, 垣根 (10) 94/07/15 16:44 00450へのコメント RE450 PXA06646 樹さん, はじめまして,だいぶ遅ればせのRESです。  5才というと,反抗期も半ばで,自分の心に「垣根」を作り始める年頃です。 今までは「家=特に母親>父親」との一帯感が強かったのが,反抗期とともに 「自分だけの秘密」=自分だけの心を持ち始める歳ごろなんですね。  それが芽生えるのは,幼稚園という社会生活と,家庭生活のはざまの時間帯。 「道草」ってのは,そういう意味で,すごく重要なことだ,と慶応大の精神科の 小此木教授なんぞが,おっしゃってました。これって一理あると思います。 「自分の心」作りは,自分一人でなし遂げなくてはならない。だから「帰りの バス」も一人ぼっちだったのではないでしょうか。  登場する生き物は,「虎+蛇」対「白蛇」の2つ。この2つを比較してみましょう。 虎+蛇は,攻撃的であり,男性的な感じがしますよね。すると「白蛇」は女性的な 存在と考えて間違いはないでしょう。  さて家に待つ「白蛇」とは…。 蛇自体は男性的なものですが,白色(=中性的)ということで,子供の目から みると「母親役も父親役もこなす」母親を示すもののように,見受けられました。 幼稚園から帰宅すると,良くお母さんは眠っていたのかも,なんってね。  もちろん,「白蛇」とは,「ご先祖様からのお使い」というような解釈もあり まして,そういう意味でも「貴方を育てる為に、先祖から授かった人」=母親と いうのも,あながち間違いではないような気がします。  では,もう一度「半獣半蛇」について考えてみます。 尻尾の蛇が2又に分かれてましたね。 「じぶん」と「自分以外」或いは「自分のもの」「他人のもの」と,2つに物事を 分けて考え始める年頃ですよね。これは母親との一体感の喪失と引換えに,自分を 確立するということです。それは恐怖でもあり,喜びでもある。  幼い子供にとっては,父親が世間の代表にみえます。その場合世間は男性的存在 ですね。 「幼稚園」と「家庭」の様にあなたを保護する人のいない空間=帰り道。 一人で帰る道は,怖い(けれど喜びも)世間を通過しなくてはならない。 それがこの半獣の意味のように思います。  「母親を,父親と奪い合う」葛藤というのも,心の形成過程では必須です ので,「2又蛇」はそういう性的な葛藤に関連しているように思います。  そして,クライマックス。文章からは「白蛇」が半獣から守ってくれたと 読み取って良いのでしょうね?  すると,「母親とは分離したいけど、結局母親に保護してもらった」という 意味になりそうです。  さて,なぜこの夢をいまだに鮮明に覚えているか? 母親との間,或いは他人との間の,心の垣根作りが,まだ上手くいっていない事を しめすのかも,しれませんね。この辺りは,是非自分で考えてみてください。 かりにそうだとしても,心配いりませんよ。日本人の男性は,多かれ少なかれ, そういう部分が強い民族なのですから。 【追記】  夢は複合的な意味を持ちますが,1番,その夢の「伝えたかった」意味が 納得できた時は,「胸(又は腹)がすっとする」気分が必ず訪れます。  上の解釈はあくまでも参考にしかなりません。けれど,それを参考に自分の夢を もう一度よく感じてみて,やはり「すっと」しないなら,また相談にのりましょう。 00482/00482 NCD00736 Hygiene 上半身と下半身の意味。 (10) 94/07/15 18:00 00454へのコメント  はじめまして. めのうさん。夢解き歴4年のHygiene といいます。 スウさんの解釈は,さすがですね。 後から登場するほど,情報は揃っているので,解釈し易いのは当たり前で, ただ,少しだけ気付いたことなど,かいておきます。 >実際とはまるで違う、厚生年金会館の大ホールのような式場での盛大な葬儀。 これは,失ったものが,心の中で占める大きさ・立派さが反映された のではないか,と思います。そして,それだけ「(盛大にできるほど)周囲の人 の心の準備がととのっていたことも,示しているような気がします。ですから, すくなくとも,突然の死ではなさそうだったように,感じました。 >執着のセメダインはどうしたらはがれるんだろう。 とのことですが。ちゃんと夢の中に回答は現れていると思います。 それが >私は楽屋で喪服に着替えるが、それがパンツ丸見えの超ミニ丈だった。 >「これじゃ親戚に何を言われるか・・・」と思い、下に黒いレースのスカートを >着ける。  今のままの自分の(社会的)有り方だと超ミニ(若い女性の象徴)で,自分の母親 の様にうまくやっていく自信がない。だから,黒いレースのスカート(少し若々しい けど,喪服に合わないわけではない)を,身に付けた。 社会的な体裁=「母親らしくあること」を,母親からもっと学びたかったのに, 学べなかったという思いが,「身なり」という形で,夢には現れやすいものです。  ちなみに,この類の夢では,「素肌の見えた恥ずかしい姿」を笑われる場面が 現れやすいのですから,結局うまくやってゆける(既にうまくやっている)こと を示しているといえましょう(違いますか?)  ついでに,この夢に性的な部分は,余り関係ないと私は考えます。 「ぷよぷよのおなか」が母親の体を連想させ,夢の導入に重要な役割を果たした ことは事実だと思いますが,それ以上のものではないと思います。  では,何故,上半身でなく下半身が晒されたのか? 下半身は,「行動」・「自分の人生を歩むこと」を意味することがあります。 (対する「上半身」は思考とか,工夫を意味します) 「母親ほど,老練にうまくは,生活を切り盛りできないけど,         とにかく,ひたすら行動するっきゃないわ。」  …夢は、そうあなたに語りかけては,いませんか? >「このままじゃお母さんが困るだろうに」と思うところで目が覚めた。 これは「このままじゃ私が困る……」という気持ちの裏返しでしょう。 それが,母の命の灯(ろうそく)がもう一度蘇ってほしい,という思い。  そして,最後にもう少しだけ補足するとすれば 「形が優先して(盛大な葬式),心が置き去りにされてきた」感じが否めません。 >死別してかえって愛情がわいたような。 というのも,それに関連していませんか? 「心より形を優先する」それこそがまさに「執着」を生み出すのだと, 私の経験は語ってくれています。 ===== というわけで,母への執着を断ち切るには,1に行動あるのみ,でしょうか。 ロウソクに火を付け,語り掛けるように,母に言いたかったことなどを, いってみる。きっとこの行為は,あなたに「ロウソク」が何を意味したか, を知るうえで,きっと何らかのヒントをくれると思います。 - FARION MES(11):★平井和正/異界漂流★・・・・・・・・・・・・アキラ 94/07/16 - 543/547 PFC02535 カナメ もしかして (11) 94/07/15 02:05 535へのコメント  11月号から連載開始だったら大笑い……もとい、大喜びなのですが。  ガンバレ、ひらりん。ガキどもを洗脳だぁ(笑)。 545/547 NCD01751 しろおか ともみちゃんはかく語れり (11) 94/07/15 19:36 BACHIGAMI、さっそく読んでみました。作品としては、中々楽しくてまあまあ の出来栄えだったのではありませんか?(^_^)。 しかし(^_^;)、未来を担う健全な少年少女を対象としたマンガに、やれ!艮の金神 だの、体系化妄想としか評価しようのない、ろくでもない教派神道の教義などを流布し てもいいものだろうか(;^ ^;; 日本の行く末が心配だ!!)。 神業を、ナニの一つ覚えみたいに因果的解釈しかできない仏教思想の腐敗、審美主義的 な‥…いや、やめておこう、相手は「トリックスタ−(悪戯者)」だった(^ ^;)。 私には、原始神道や御利益信仰(統計的デ−タ−)こそが最も信用に足る現象的事実だ という確信があります。20世紀というものは総じて、始原的なものに回帰する時代で これから以降もそれは続くものという認識があります。新宗教・新新宗教の教義や、口 寄せ(神口)に対する現象的認識や解釈などは、私の目には不純物(虚偽)の寄せ集め としか映りません。まるで、箱庭療法を受けている患者の、病的な、閉ざされた主観世 界を見せられているような気がします。 やはり、「トリックスタ−」としても神様のほうが人間などよりも一枚も二枚も上手な のではないだろうか?。すくなくとも、神様に飴玉やガラガラ(玩具)を与えられて無邪 気に喜んでいるような人間ではありたくないな!!。 フッ フッ フッ 「教理は死んだ」 PS:いよいよ、リアル犬神明さんの体験、経験的事実の数々を公開するとか。垂涎もの   です(^т^)。 546/547 GEH01636 酔狂生 RE:「BACHI GAMI」感想 (11) 94/07/15 21:52 532へのコメント  はじめまして、S・Nさん、酔狂生ともうします。ど〜ぞよろしく。  さて、 >>平井先生の私淑する女宮司のS先生 >>神罰担当の神霊部隊の存在を記述した神学関係の本  これについては、小生もしりたいな〜、とはおもうのですが、あんまり興味 本意だとバチガミ様が出動しそうなので、悩ましいとこですねぇ。  ただ、あかしても別に問題のないようなら、そのうちBACHI GAMI の中で、ひらりんがかたってくれるのではないでしょうか。  そうそう、この「黄金の少女 3」には、玉置山は閉ざされたのでT山とし か表記できない、とあるのに、この会議室ではお山の名前がぼんぼんでている のですが、ほんま大丈夫なんかいな? それとも、「山野の鳥獣と同一レベル」 ということなのかなぁ。  おまけ。これは、カンチャンとバトゥーラさんのやりとりをみていておもっ たのですが、現在のT山の神様は、前の神様とは別の神様か、あるいは前と同 じ神様でも、別の面が顕現している、ということはないのでしょうか。  もっと想像をたくましくすれば、T山にあった次元変換孔が、以前とは別の 世界とつながったとか……地球樹のよみすぎかな(^_^;                        酔狂生(GEH01636) 547/547 GEH01636 酔狂生 RE:こんにちは (11) 94/07/15 21:53 541へのコメント  どうもこんにちは、ハヤカシさん。いつぞやは大変お世話になりましたね。 そのうちまた海岸でお弁当をたべませう。 >>内容についてというより、自分のことですけれど首の筋が腫れて痛くて >>たまらない。『天罰ステッカー』の罰が今頃きたぞ。マズイナ(ちょっ >>とおおげさ)。  あらら、おだいじに。スウさんもなんか被害にあわれたようですが(#482 参照)、あのステッカーは、そんな効果があるんですかねぇ。くわばらく わばら。 >>ところで、ワレメちゃんのおとうさんはいつ登場するのでしょう?  堅磐(カキワ)という姓もさることながら、娘にレノなんて名前をつける ぐらいですから、それなりのツワモノなんでしょうね。(ところで、カキワ レノって名前、なにを暗示してるのかな。ワレメちゃんなんつー、放送禁止 一歩手前のギャグのためだけとはおもえないけど) それとも、ハヤカシさ んのおっしゃるような、ちょっと影のうすい人なのかな。                        酔狂生(GEH01636) - FARION MES(12):★アジア・チャンプル★・・・・・・・・・・・・・・一輝 94/07/16 - 00297/00299 JBH02324 なえ RE:破壊と創造と。 (12) 94/07/15 11:15 00289へのコメント  一輝さん  わおお。凄く大変なお産だったのですね。>奥様  まったくお産だけは毎回始めてという感がします。(と言っても3回と半分だけど  もね、イッカイ シザン ダッタ ノ )(^^;  男の方がお産に付き添う図というのは、うちの旦那も言っていたけど、最高にかっ  こ悪い状態だそうですね。あたしはウンウン唸って大変な最中に、ただウロウロと  オリの中の熊みたく、あっちこっちするだけで一向に役立たずで申し訳ないのと  自分の分身が産まれる事の不安と喜びで、もう、どうしてよいやら。状態だった様  で…。←亭主後日談  あたしのお産は2回目がやっぱ生死の境をいったり来たりのヒデー状態だったので、  今のピンシャンした自分も子供も夢の様です。人間忘れる事が出来ると言うのは、  実は幸せな事なんですね。アッケラカンとお産のアレコレを話せるには、それ相当  の時間も必要なんですね。今はそれもこれも夢の出来事の様な気もします。  でも、やっぱりお産はシンデェー。(苦しいの意)  女の人が男の人の平均寿命を上回るのも、こういった底のチカラが、経験的にある  からなのでしょうか。(なんせ女はシブトイ)(^^;  でも、それでも男の人は楯になって火の粉から守る務めがありますもの。女の細腕  では(本当に細いかどうかは不明)とても無理ですよん。(^^;(これを役割の違い  といふ)←注:違いは差別では無い。  破壊が新たな創造である。と言う事は、まさに命の誕生に現れていると感じます。  子供は羊水の中では肺の機能が働きませんが、この世界に出る瞬間、(産道の中)  心臓が圧迫で一時的に止まり、次の瞬間にはその止まった血液の圧力で心臓の穴(  右心房と左心房の境界の穴)が塞がれ、始めて左右の心臓は個別に分かれ機能し始  め、そして肺呼吸が出来る準備が整います。そしてオギャーというその産声と共に、  肺呼吸という新たなイノチの鼓動は、ヘソの緒を切り取り、過去と切断する事で始  まるのです。同時にこの世の一杯の希望と共に動き始める。それはまさに、か細い  切れそうな綱渡りにも似たイノチの儚さを切実に感じ、そして、それでも、なお、  「生きたい」と泣き叫ぶ小さなコワレモノの様な幼い姿に、感動してしまう事かも  知れません。  その瞬間に、人は命の貴さと同じように宇宙のイノチをも、無意識に実感するのか  も知れません。ね。…でも、最近では病院での無痛分娩が主流だから、少し嫌い、  痛みも伴うからイノチの重さも深く理解できる気もするんだけど…。違うかな?。  ちなみにあたしは全部が産婆というラマーズ呼吸法だけの自然分娩でした。マル。(^^;  ああ、いかん、お産の話題になると、どうしてこう饒舌になぁだや。(^^;> 00298/00299 GFB00026 一輝 RE:「百匹目のサル」話の嘘 (12) 94/07/15 22:25 00296へのコメント >Paper Birchさん   初めまして、Paper Birchさん。お隣の13番会議室で時々読んでいます。   こちらこそ、どうもです。   意識上に立ちのぼる前の心の動きが、すっと誰かの発言によって現れる、   そんな不思議現象に出会うのが世紀末フォーラム。   これからも、よろしくお願いします。                      《アジア・チャンプル》案内人 一輝 00299/00299 GFB00026 一輝 バリ島にもあった「お歯黒」 (12) 94/07/15 22:28 00290へのコメント  <バリ島にもあった「お歯黒」>   先程、日本へ帰国したばかりのバリ呪術師・SUBUDHさんから電話がありまして、  いろいろ話した中で、お歯黒について聞いてみたら、「バリでも成人(14〜15歳)  となる為の通過儀礼として、昔はポトン・ギギ(現在でも行われる削歯儀式。犬歯  から門歯までの上歯六本を鉄ヤスリで削る。人間の六つの魔性<カマ=性欲、コド  ハ=怒り、ロブハ=欲張り、モハ=馬鹿な部分、マダ=酔い、マサリア=嫉妬>を  削り取る為に行われる。儀式を受けるものは前日より不浄の者扱いを受ける。激し  い苦痛を伴う儀式を終えると披露宴を行い、家族や客人たちと成人の門出を祝う)  の後に、歯を黒くしていたものだよ」と教えてくれました。   ポトン=落とす(祓う)、ギギ=歯。バリでは悪霊の象徴として歯を見せるので、  描かれる悪霊は全て歯を剥き出し状態。聖獣バロンなどは逆にお歯黒となっている、  ということです。一応、参考にUPしてみました。                      《アジア・チャンプル》案内人 一輝 - FARION MES(13):★神秘学遊戯団★・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・KAZE 94/07/16 - 01542/01551 GFD00204 松川 貴     KAZEさんへのお願い (13) 94/07/15 09:57 コメント数:1  KAZEさん  「シュタイナーがこう言っている」というときは──あるいは他の人の場合におい てもそうですが──、〈KAZEさん御自身の脳味噌を通過した後のシュタイナー解釈〉 だけを──つまり、KAZEさんによる〈まとめ〉のみを──この部屋の読者に示すので なく、〈誰が読んでもそのように解釈できる〉ということを示すために、〈シュタイ ナー自身の言葉〉もあわせて──〈証拠〉として──必ず載せるようにしていただけ ないでしょうか。読者が、後で〈自分自身でそれを確認する〉ための煩を軽減させる ために、出典とページ数も併記してです。その上で、なぜKAZEさんが〈そのように判 断したのかという理路〉が示される必要があります。読者は、KAZEさんと共に、ここ で示された〈KAZEさんの証拠提示とその理路〉を追うことによって、KAZEさんの〈結 論〉が納得いくものかどうかを判断することができます。しかし、現在のようなKAZE さんの〈書き方〉、あるいは〈紹介の仕方〉ではそのようなことはできません。 〈典拠とそこから派生してくる理路、そしてその理路の結果を示す〉習慣は、議論 する者同士が互いに〈順当な思考手順〉を形成し、それを維持していくための土台で す。本来なら、読者は、〈KAZEさんの解釈〉をも、再度〈自己検証〉する必要がある のです。 〈議論する人〉は、あるいは、〈考える人〉は、「他者の繰り出す解説だけで判断 する」のではなく、「自分自身でそこに、つまりその知識の源泉におもむき、自分自 身で苦労しながら考え、解釈してゆく習慣を身に着ける」必要があります。しかし、 「テキトー主義者」には、それはできません。マスコミのプロパガンダが大勢力を維 持できるのも、視聴者・読者のそういった〈怠惰な思考習慣〉が支えになっているか らです。多くの視聴者・読者が「他者の繰り出す解説だけで判断している自分自身」 に何の疑いも持っておりません。  そういうわけですから、私は、今後はもっと、KAZEさんが〈注意深い書き方〉をさ れるようになっていただきたいと思っております。そうでないと、私は、KAZEさんが よくここでお吐きになるあの言葉──「○○さんは、偏っているので、こっちを見た 方がよいでしょう」──の中の「○○さん」の部分に、KAZEさん御自身の名前を入れ なければならないことになります。                         松川 貴 01543/01551 GGA02514 KAZE キツネ信仰など (13) 94/07/15 20:07 01534へのコメント 隆ちゃん、どうも。 こちらは全然雨の気配もなく、ダムの水量は日増しに減ってきています^^;。 まだ断水にまではなっていませんが、時間の問題かもしれません。 日々耳にする話題の多くが水不足のテーマで、 今年は「否応なく水を考える夏」というフォーラムを 街中でしているようなものなのかもしれません。 >日本人は水をなんだと思ってるんでしょうね。プンプン 水に流したがるというのが日本人の特性のひとつですが、 水に流せなくなったとき、日本人はいったいどうするのかを考えると、 いろんなことが想像されてきます。 お米に続いて水、こうくると今度は一気に電力の問題もでてくるかもしれません。 クーラーをガンガンにかけて電力を湯水のように使っている方などに、 今度は試練がくるといいきっかけになるかもしれません。 やはりこうした問題は一部の人間が考えているだけではだめで、 ひとりひとりが否応なくそれらひとつひとつの問題を考えざるをえなくならないと、 具体的な対策なりビジョンなりはでてこないのではないでしょうか。 >僕は水洗便所にさえも疑問を感じています。なんか水がもったいない。以前にも >書いた覚えがありますが、僕の理想は閉じた水循環設備を個々人が持つ事です。 今年の教訓をきっかけにして一気にEMの水処理システムが 注目されることになればいいですね。 水の有効活用と浄化というのは環境問題の核になるテーマだと思いますから、 そこらへんのことにもっと国の予算をつぎ込んでもらいたいのですが、 渡辺昇一さんの書かれてきた雑誌の記事によれば、 農林水産省ではEMをまだほとんど無視しているのだそうです。 >僕はダムも大嫌いで(相変わらず偏屈なオヤジだなぁ(^^;))、あんないい加減な >ものを作る奴の気がしれません。 肝心なのは、ダムで供給していた水や電力に代わるものを開発することでしょう。 現状では電力はともかく水の供給ということを考えるとなかなか難しいようで、 そこらへんのシステムをなんとかしないといけませんね。 そこらへんのことへの僕の認識はまだまだかなり低いようですから、 機会があればちゃんと勉強してみないといけないようです。 >「自然に帰れ!」っていうのは「古代に帰れ!」っていうのと実はかわらないの >かもしれませんけど、少なくとも自然を壊すのはもうやめてもらいたいと思いま >す。壊さなくたって人間は進歩できるはずですし、自然を壊す目的ってほとんど >自分達の快楽の為みたいですからねぇ。 自然というのは、ある見方をすれば、自分の外化したものですから、 自然を壊すというのは自分を壊していくことに他なりません。 文明というのはこれまで森を破壊し続けることでもありましたし、 自然のなかからさまざまなものを取り出し それを技術力によってさまざまなものを作り上げることでもありました。 それは破壊を前提にした創造ということだったわけです。 おそらくこれからはそれではいけないのは確かなことだと思います。 外界を破壊することによって内界も破壊されてくるからです。 サドとマゾは同じことだというのと同じです^^;。 しかし、こうした破壊の意味を考えてみますと、 内界が即外界というのではなく、その関連がわからなくなり、 その間に複雑なプロセスがあるということを少しずつ学習してきたということです。 誰でも、外界をひとつ破壊するごとに自分に恐ろしい痛みや苦しみが襲うならば、 外界を破壊しようなどとは決して思いもしないことでしょう。 しかし、それがわからなくなってくるということは、 自由な意志によって自らを律していかなければならないということになります。 それは悪くすると破壊を容認することにもなりますが、 それゆえに「責任」ということを 主体的に引き受ける可能性を得たということでもあります。 たとえば、病気になるというのも、あれは自由の表現に他ならないんですよね。 で「純粋・古代に帰れ!派」は、人間は傲慢だから、 そんな自由は要らないからロボットのままでいいという考え方と同じです。 ま、そのロボットを選択する自由もあるのでしょうから、 なんとこの宇宙は愛に満ちているということでしょうか。 そこらへんの選択は非常に難しいのですが、 その選択をしなさいというのが現代の人類への試練なのでしょう。 >映像に手を加える事なんて簡単な話なんですが、それを認識していない人もたくさ >んいるのかもしれませんね。 映像に手を加えるということではなくて、 映像、そのものを伝える意味づけの仕方や報道の演出の問題なんです。 その映像が嘘であればまだ単純なことでいいのですが、 本当の恐さというのはそういうことではない。 湾岸戦争のときに流れた油まみれの鳥。 この鳥はそのまま「油まみれの鳥」なのですが、 それがある種の報道の枠組みにはめられてしまうとすごい効果をもってしまう。 その映像はその原因などを伝えてはいないんですが、 それを思いこませるだけの力をもっている。 イラクへの爆撃を決議させたときのいろんな報道の画策も、 その映像や報道自体は虚偽ではないのですが、 ほんのちいさな映像をものすごく大きなものに思わせる効果があります。 マスコミ報道の多くは、ある種の「効果」をだすための映像を探すわけで、 その映像自体は真実でも、効果としてはその逆の真実を アピールする手段にもなるんです。 >「昔を生かせ」という言葉はいいですね(^^)。 昔を省みないのは愚かですが、それにしがみつくのもまた愚かなことです。 昔を省みないと、無駄な失敗を繰り返してしまう可能性が高いですし、 昔にしがみつくと、ほとんどの人はボケるだけです^^;。 何でも殺してしまうよりは「生かして」いくのがベターだと思います。 >神様はかかるものではなくて、生まれたときから一緒に居て下さっていると思っ >た方がいいような気がします。 山川草木悉皆成仏というのがありますが、 これはすべての存在は仏性をもっているということで、 悟りの可能性を与えられているということです。 それが、神さまと一緒にいるということなんですよね。 だからその仏性、もしくは神性というのを生かしていかなければいけない。 それを間違えて、自分だけが神と交信しているとか思いこんでしまうと、 とんだ大ボケになってしまいます。 もし拝んだり祈ったりするのだったら、 自分の内に活性化しないで眠りこけている仏性、神性へと祈るべきだと思うのです。 >……一番不思議な感じがするのは例のセーマンです。いわゆる五芒星なのですが、 >なんだか西洋のにおいがして…奇妙な感じです。 この五芒星を一筆で描く文様はハーキュリー・ニットといって、 悪魔を防ぐものであり、また永遠を象徴するものでもあったようですね。 この無限の連続としてのハーキュリーニットは、 紀元前3000年のペルシャなんかのものにも描かれていたり、 中南米の遺跡なんかからもでてくるようで、かなりユニバーサルな文様です。 もちろん日本では古くは鳥羽の海女なんかに見られますよね。 つまり海女族関係の象徴でもあるんです(^^)。 >ところで晴明のお母さんは狐だったそうですが、狐も日本には欠かせない化け物 >のソースです。九尾の狐は化け物の代表ですが、逆に荼吉尼天の眷属変じてお稲 >荷さんになったり・・・。何故狐なんでしょうね。フシギダナァ 日本のおキツネさん信仰はそう古いものでもないようですね。 キツネ信仰を匂わせる資料としては9世紀頃の「日本霊異記」にある 「キツネ女房」の話だそうですが、 そのころはキツネ信仰が流行っていたようではなさそうです。 例のお稲荷さんとむすびついたキツネ信仰が流行るのは 鎌倉時代に入ってからのことのようです。 面白いことに古代には大神神社などで 神の使いともされているようなヘビ信仰が優勢で、 中世になるとそれがキツネ信仰が優勢になってくるようです。 お稲荷さんとキツネとを結びつけたのは真言宗のようで、 その真言宗の加持祈祷にキツネが用いられたようですね。 こうしたことのネタになってるのは、 ●中村禎里「動物たちの霊力」(ちくまプリマーブックス31)で、 ここにはヘビ、キツネ、サル、タヌキ、ワニ、イヌ、ウマ、ネズミ、カラス、チョウ といった動物たちの「霊力」が語られているのですが、 化け物好きの隆ちゃんにはかなり楽しめる本ではないかと思います。 ちなみに、このちくまプリマーブックスでは、 ●蔵本四郎「怪物の王国」というのもかなり楽しいですよ(^^)。 で、今回は、「動物たちの霊力」のなかから、 稲荷神社の祭文の中で極秘とされてきた「乙足神供祭文」という 祈祷用のものを現代語訳したものをご紹介させていただきます。 つつしんで重ねて辰弧(しんこ)神王のもろもろの大眷属に申し上げます。 私はありがたい人間の身に生まれ、またありがたい真言宗の密教の教えを受 けました。……どうか本尊である辰弧の四つの徳をこの道場におあらわしく ださり、ただちに私の願いを成就してください。この世と来世の願いごとを おたのみするのに辰弧神王以上にすぐれた方はありません。このために私は 信心をいたし、祈り請い申しあげているのです。……(酒をさしあげて再拝 する)。降臨したまわった辰弧に重ねて申しあげます。夜も深まってまいり ました。辰弧神王が私どもの願いを成就させようと志された誓いを、けっし て疑い申しあげません。今から五日以内に私の心のなかの願いをみたしてく ださい。……(供物をきまりどおり取り下げる。……任意に真言の呪文など を唱える。)(32〜33P) >他人に評価されなくてもいいから(まあ、評価されるに越した事は >ないですけど(^^;))、立派な人になりたいものです。 ま、お互いいろんなことにめげないで、 少しでも立派になったなあと自分で言えるようになりたいものです。 JIZZYになって縁側で茶飲み話をしながら、 相手を褒め合ってるというのだけでは少し情けないかもしれませんが^^;、 そのなかに一端の本心が混じっていればそれでもいいですよね。 それに、人に評価されなくてもいいけど、 少なくとも人の声をちゃんと聞けるだけの耳をもって、 でもそれに流されないようなスタンスがいいですね。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 01544/01551 GGA02514 KAZE 比嘉照夫「地球を救う大変革2」でたよ! (13) 94/07/15 20:08 01541へのコメント Beehiveさん、どうも。 >アーティクルを読んでいるときに、ぱっと扉が開い >ていくような開放感が心に満ちてきました。 >きっと共振した部分があったのではないでしょうか。(^^) そうですか、なんだかとってもうれしいです(^^)。 たぶん現状ではああした考え方に共振して下さる方は、 なかなかいないんですよね。 もちろん相棒とはいつも共振していますが^^;。 こうした共同体についての考え方は、 ひとりひとりの「私」の自由意志が他の自由意志たちとくりひろげる 一大シンフォニーのようなイメージでもとらえられます。 個が個として自律しながらそれが有機的に「大きな私」の一部となっている。 それは決してアリ塚のような個々の構成員が没個性的なものではない。 そんな関係なんですよね。 >閉鎖的な一宗教的な集団感覚や、仕事や社会の中への帰属感覚や、国籍、性 >別などを一気にすっ飛ばして、魂同士の時間や空間を越えた結びつきをイメ >ージしているんです。 僕は漠然とではありますが、小さい頃からそういうイメージしかもてずに、 けっこう現実的には浮いたタイプだったのですが、 最近になってそれが少しずつそれを現実の生き方の中に 関係づけていけそうな気がしています。 このネットワークに関する問題を、スピリチュアルな関係もふくめて ビジョン化していければいいのですが、 それは僕の遠大なライフワークになっていきそうな気がしてます(^^)。 そのためにも、これからのネットワーク社会を考えるためのいろんなビジョンを できるだけ幅広く見ていこうと思っています。 もちろん、はじめからあまりに誇大妄想的になるといけませんので、 現実に提出されているこれからの社会についての考え方を できるだけいろいろ見て良ければいいなと思うのです。 ちなみに、組織論なんかでも非常に面白い視点を提示していた堺屋太一さんの 「世は自尊好縁/満足化社会の方程式を解く」(日本経済新聞社)では 55年体制に代わる新しい体制へのビジョンが提出されています。 もちろん、これは非常に外面的なものではありますが、 現状の在り方に対する具体的な提言としては非けっこう面白いものです。 そのさわりを少しだけ。  一つの体制が崩壊し新しい体制が生まれるまでには、約十年を有する。 最初の四年は旧体制の破壊のために、次の二年ほどは新体制の方向模索 のために、最後の四年間は方向付けられた新体制の中で主流となるべき 組織と産業を確立し、人材を選別するために費やされる。明治維新の場 合も太平洋戦争の敗戦後も、日本が主体的には戦わなかった第一次大戦 後の変革期も、ほぼそんな経緯を辿った。  同じことを今に当てはめると、世界の冷戦構造と日本のバブル景気が 崩壊した一九八九年末からの四年間、昨年までが前体制の破壊の時期だ ったことになる。日本でも昨年は政界の「五五年体制」が消滅し、今年 になると「価格破壊」「経路破壊」がはじまった。まさしく今は、新体 制の方向を模索する変革期の中の変革期、つまり「乱期」である。  この激動の時代を乗り越えて「満足化社会」に到達するためには、政 府も官庁も、企業も個人も、成長時代に拡がった横並びの気質と量的喜 びの心理から脱却、自らの知恵と志向を尊び、好みを共にする人々との 縁を大切にする「自尊好縁」の世の中を作る必要がある。この国におい ても、職場が全人格的な結合の唯一の場であり得なくなる日は、そう遠 くないだろう。(P9) これは、現在の構造が変革していく非常に具体的な方向性についての分析ですが ある種の新しい共同体へむかうひとつの芽としてみていけば、 現状では、現在世の中がどういう方向へ向かおうとしているのを 具体的に理解しようとする場合、けっこう参考になりそうな本です。 さて、EM関連の情報です。 比嘉照夫さんのEMに関する新刊がでました。 ●比嘉照夫「地球を救う大変革2」(サンマーク出版) これは前回の著書の第二弾で、今回はその具体的な応用の例を 最新情報として紹介してあるものです。 僕も今日買ったばかりで内容は概略しか把握してませんが、 「EMセラミックス」なんかについても具体的に取り上げられていて、 非常に面白そうです。 序文を読んだ限りでは、今後このEMは急速に普及していき、 確かにさまざまな「大変革」が具体的に展開していきそうな感じを受けました。 これについてはまた読んでみてから、報告したいと思います。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 01545/01551 GGA02514 KAZE 「テキトー主義者」の反省と申し開き^^; (13) 94/07/15 20:08 01542へのコメント 松川 貴さん、どうも。 ううむ、また耳に痛いことを指摘されてしまった^^;。 <注意深い書き方>の訓練ができていないのは、 僕の足りない部分、不誠実な部分なんでしょう。 もそっと注意深い態度を心がけるとしましょう。 最低限、その出典を明記することは心がけることにします。 確かに引用のページ数なんかもわかると参照しやすいですよね。 >〈議論する人〉は、あるいは、〈考える人〉は、「他者の繰り出す解説だけで判断 >する」のではなく、「自分自身でそこに、つまりその知識の源泉におもむき、自分 >自身で苦労しながら考え、解釈してゆく習慣を身に着ける」必要があります。しか >し、「テキトー主義者」には、それはできません。 おっしゃる趣旨はよくわかります。 僕自身、いろいろ物事を考える場合には、自分で苦労する習慣はあると思いますし、 できるだけ複数の角度から検討を加えた上で発言しているつもりですが、 そのプロセスについては、ちょこっと示唆する程度しかない場合が多いから、 それを辿ろうと思っても難しいでしょうね。 でも、そのことはとっても大切なことですから、 可能な部分については心がけたいと思います。 でも茶飲み話の類についてはご容赦くださいね。 ある物事の好き嫌いをいうなら、その根拠と出典箇所を明示せよ!なんてのは かないませんから、ちょいとした偏見などお許しを願えれば幸いです。 ですから、ちゃんとした議論の場所と、茶飲み話の場所というのは分けた上で、 議論の場合にはでいるだけ気を付けるようにさせてもらいます。 たぶん、僕の場合、ほとんどを茶飲み話にしてしまっているという 変なスタンスですから、問題なんでしょうねぇ^^;。 「テキトー主義者」ということについてはいくつかの見方が可能だと思います。 できるだけ真摯に語らねばならない場合のそれは困り者かもしれませんが、 ひとつのものごとにとらわれないための 戦略的なスタンスとしては有効だと思います。 ま、「テキトー主義者」という表現がまずいのかもしれませんね。 むしろ、よくいえば、「細部事大主義的在り方を排した俯瞰的見地」とも いえるでしょうか。 物事をもっとラフな感じで全体を見渡せるような余裕があったほうが、 今自分が見ようとしている物事の大勢がわかりやすいということと、 多視点的なスタンスが比較的容易にとりうるということです。 もちろん、一つの物事に求心的に取り組まなければならないときには それは有効ではないことが多いのですが、 やはりいつも求心的であるということは視野狭窄にもつながるんだと思うのです。 >私は、今後はもっと、KAZEさんが〈注意深い書き方〉をされるようになっていただ >きたいと思っております。そうでないと、私は、KAZEさんがよくここでお吐きにな >るあの言葉──「○○さんは、偏っているので、こっちを見た方がよいでしょう」 >──の中の「○○さん」の部分に、KAZEさん御自身の名前を入れなければならない >ことになります。 できるだけ〈注意深い書き方〉をするよう心がけますが、 そうしなかった場合、ご遠慮なく「KAZEさんは、偏っているので・・・」 ということをご指摘ください。 もちろんその場合はなぜそうなのかも添えてくださいね。 その偏りを少しでも修正するように努力してみたいと思います。 僕が当然のように思いこんでいる部分や説明の必要さえないと思っている部分が 実はぜんぜんそうじゃなかったということもたくさんあるのでしょうから。 場合によれば、三角形の内角の和が180度ということも 当然ということではないのも確かでしょうし。 では、ご指導、ご指摘ありがとうございました(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 01546/01551 GBB03425 Paper Birch ライアル・ワトソンは信用できるか? (13) 94/07/15 21:39 01539へのコメント コメント数:1 KAZEさん、こんにちは。 >その度にある種の認識がそっくり欠けていることを感じてしまいます。 >つまり、知と行がちぐはぐなイメージが、著作から伝わってくるんです。  確かに、それは言えますね。  そういうことと関係有るのかどうかは分かりませんが、一昨年ぐらいにコリン ・ウィルソンを始めてテレビで見たときに、ガックリきたことがありました。書 いている本のイメージから、精悍な感じの人を想像していたのに、全然なんです もん。 「この妊婦みたいなお腹はなんだーっ!!」 と、言いたくなってしまった(^^; いくら中年とは言っても、あれはちょっと酷 すぎます。  まぁ、人を見かけで判断しては、いけないのかもしれませんが.... >そういう意味では、おなじようなもどかしさは感じながらも、 >ライアル・ワトソンなんかのほうがずっと気持ちよく読めますね。 >知と行がちぐはぐなところがあまりないんですよね。  実は僕はライアル・ワトスンの本は少ししか読んだことがないです。しかし、 最近立て続けにワトスン博士に関する、良くない情報を仕入れてしまって、もう 読めないなぁ....などと思っていたところなんです。  ワトスンが「生命潮流」の中で書いた「100匹目のサル」の話については、つい この前、ここの7番で書いたばかり(#2702)ですが、今日はその時紹介した本の 中から、ちょっと紹介したいと思います。  山本弘というSF作家の方(僕の知る限りFSF3やFMISTYなどで発言してらっしゃる ようです。)が、宝島30という雑誌の94年3月号に、こう書いています。 ≫ワトソンが言うように、「100匹目のサル」の新たな参入により、数が明らか ≫に何らかの閾値を超え・・・・その日の夕方にはコロニーのほぼ全員が同じ ≫ことをするようになっていた」(中略)などというのは、嘘っぱちもいいと ≫ころである。彼が参考資料として挙げている河合雅雄博士の論文には、そん ≫な話はどこにも書かれていないのだ(略)。 ≫ 要するにワトソンは、自分の「生命潮流」というアイデア(地球上の生命 ≫体の間には目に見えない連携があるという考え)を読者に印象づけたかった ≫のだが、その材料が不足していたので、オカルトじみた「100匹目のサル」の ≫話を創作したのである。  さらに、テニスボールに切れ目を入れずに裏返しにできた超能力少女の話につ いて。 ≫もし事実なら、その裏返しになったテニス・ボールは超自然現象が実在する最 ≫高の証拠になったはずである。しかし、不可解なことにワトソンはそのボール ≫を他の誰にもみせず、検査もせず、写真にも撮らなかった。  つづいて、「スーパーネイチュア」のデタラメさにふれた後、次のように書い て、結んでいます。 ≫ 近著「シークレットライフ」となると、もはや完全なトンデモ本である。こ ≫の本の中でワトソンは、鉱物生命体が人類を操ってコンピュータを造らせ、地 ≫球征服を企んでいる、と大真面目に主張する。この本を電算写植にした理由は、 ≫自分がすでにその陰謀に気づいていることを、コンピュータどもに教えるため ≫だという! ≫ ワトソンが嘘つきで妄想狂の疑似科学者であることに、早く多くの日本人が ≫気づいてくれることを願わずにいられない。  僕は、「シークレットライフ」は読んでいませんので、軽々しく断定をしては いけないのかもしれませんが、山本さんが書いたとおりだとすると、ワトスンに 関して、僕は信用できないといわざるを得ません。  ま、これだけでははなはだ不十分ですが、詳しくはMES7の#2702で紹介した本を 見て頂ければ、と思います。  ウウム。しかし、他人を批判するのは苦し〜い。(-"-) >単純に、唯心論と唯物論に分けて、「私とあなた」を考えてみますと、 >唯心論は「私からみるあなた」、 >唯物論は「あなたから見るわたし」でもあります。 >でも、真実はおそらくその「私とあなた」という「場」にあるんだと思うのです。  いまいち、意味が分からなくて、何度も読み返してしまいましたが(^_^;;。な るほど、なんとなく分かります。そうなんですよね(^^)。(って、ホントに分かっ てるんかいな^^;)  西田幾多郎ですか。僕は読書範囲が偏っている人間なもので、名前ぐらいしか 知らないんです。是非いろいろと教えてください。(^^)                     △▼△ Paper Birch △▼△ 01547/01551 GBB03425 Paper Birch RE:情けは人のためならず (13) 94/07/15 21:39 01540へのコメント コメント数:1 KAZEさん、またまたこんにちは。 >僕もそれについては言いたいことがた〜くさんあります。 >別にヤバクないと思いますけどねえ。 >そのための「世紀末フォーラム」だとも僕は思っています(^^)。  いやぁ(^^;)。書いてみたは良いものの、なまじっかそういう人たちを個人的 に2〜3人知っていた事があるだけに、あまりにも過激な内容になってしまって。 それに、僕の発言によって傷つく人が出るのも嫌ですし、そういう人は、一般論 みたいな感じでちょっとだけ書いても、反発を覚えるだけで理解してはくれない と思うんです。それでは、他人の悪口を言ったというだけの事で終わってしまい そうで.... >「天の蔵に徳を積む」だと思います(^^)。 えっ!? ま、ま、ま、まぁ、そっ、そうとも言うかな(^_^;;; アナガアッタラ、ハイリタイ。(^^;; >それを僕なりにいうと「究極のエゴイズム」という逆説的な表現になります。 >エゴイズムなら徹底したエゴイズムになって、 >「情け」が自分のためにもなるということを認識せよ!ということです。  どうやら、この辺りの話では、意見の一致を見ることが出来たようですね。(^_^)  逆説ということが出たので、ついでに言うと。僕はいつも自分のことを「究極 の唯物主義者」とか言ったりしています(^^;)。半分ぐらいは本気なんですけど、 誰もまともにとりあってはくれません(;_;)。 >唯物論でも徹底すればそれを突き抜けることができるし、 >唯心論でも徹底すればそれを超える視点が得られます。 これは、達見だ!と思います(^^)。エクセレント!                      △▼△ Paper Birch △▼△ 01548/01551 GGA02514 KAZE 「シュタイナー教育」はなかった? (13) 94/07/16 01:02 01536へのコメント 隆ちゃん、どうも。 >僕の知っている中学の教師(実は中国拳法の師範なのですが)の方が、子供にも >のを示すとき、ワンワンとかニャーニャとか言わずに、犬とか猫と教えるべきだ >と言っていましたが、これは逆にちょいと極端だなぁと思いました。 そうですね、特に日本語は擬声語などが多用されてますけど、 そのほうがずっと感覚的に外界を親密にとらえることができますから、 ワンワンやニャーニャーもそれなりに適切なような気がします。 変に概念的なものを押しつけるとよくないのも確かですし。 >シュタイナーが日本に来て、それこそ1年くらい滞在していたらどんな事を言っ >たでしょうね。結構面白がったんじゃないかなぁと思ったりもしますが、どうな >んでしょう。 おそらく、ヨーロッパの人たちと日本人たちとの共通性と相違する部分について ちゃんと見ながら、その上で人間のスピリチュアリティや発育の違いについて なんらかの講義録でも残したんじゃないでしょうかねぇ。 邦訳はあまりされてませんが、東洋と西洋の違いについての講義は かなり残されているようですから、日本のことをもっと理解すれば、 それなりの内容のものは期待できたような気がします。 しかし、シュタイナーがそれを残さなかったからこそ、 今その課題を残してくれているともいえますから、 できれば少しでもそれについて何か視点が得られればいいですね。 >マザコンが表出したときに、その欲求の鉾先を自分自身の女性的な部分に向ける >というのはどうでしょう。 僕の理解する限り、マザコンというのは、 自らの内なる女性性が育ってないのと、 それをちゃんと見つめることができないということからそうなるわけで、 ちょっと難しいかもしれませんね。 やはりその場合は外的な女性を理解することを通して、 それと同時にみずからの内なる女性性を育てていくことが大事なのでは。 >あんまり分けて考えすぎると木を見て森を見ず状態に陥ってしまいかねない。シ >ュタイナーがそうだとは思わないのですが、どうも意図的に分ける方向へ分ける >方向へ誘導しているような印象は受けるのです。 僕の理解する範囲では、シュタイナーは木を説明しながら、 同時に森を見る必要性を強調していたように思います。 で、木の種類やその発育の仕方、育て方などをけっこう詳しく説明していたのですが 受け取る側はその両方が視野に入りにくくて、 シュタイナーの木の説明を図式的に理解するのがやっとだったのかも。 ちょいと出典は今思い出せませんが^^;、シュタイナーはある説明をした後に、 これを図式的にとらないでください、ということをよく言っていたようです。 シュタイナーの講義録を複数お読みになればわかるのですが、 シュタイナーの話はレジュメがきわめてつくりにくいのです。 というのも、そういう図式的な説明からもっとも遠いからです。 僕も仕方ないから説明はどうしても図式的にならざるを得ないのですが、 説明するたびに、なんか違うんだけどなあ、という感覚は拭えないでいます。 >日本でシュタイナーを勘違いしている人がいるとすると、原因の一つはここにあ >るようにも思うのです。 僕の知る範囲の日本のシュタイナー教育は、 確かに図式的なシュタイナー理解が多くて、 教師の自己教育ということなどにしてもあまり考慮されてないような・・・。 前々から言ってますが、僕も日本でわざわざシュタイナー教育などというものを しなくてもいいのになあという気がしてます。 そのそも、「シュタイナー教育」という名称にしても、 僕の読んだ範囲では、シュタイナーがそう読んだのは知りません。 ヴァルドルフ教育、ヴァルドルフ学校というふうに言ってたんですよね。 ですから、日本の神戸だったら、神戸学校でもいいわけです。 シュタイナー教育という名称を一度なくしてしまって、 そのキーとなる認識の部分を理解し取り入れるようにしたら いいのではないでしょうか。 >親からの遺伝と自分からの遺伝を分ける必要があるのかどうかといわれれば、な >いんじゃないかなとは思います。親からの遺伝も、実際は自分からのものだと考 >えるべきだと僕は思います。 これは変なたとえかもしれませんが、五目飯で説明しましょう^^;。 できあがった五目飯を食べるという実践的な視点^^;からすると、 別に五目飯の構成要素をわけて考える必要はないのかもしれませんが、 ご飯やそれとまぜた五目に注目するとその出自は違ってきます。 ですから、必要性に応じてどっちの視点もとれたほうがいいんですよね(^^)。 >僕は遺伝を運勢(運命じゃないですよ〜)と同義に使っているのかもしれません >ね。 一種の「縁」というふうな感じでしょうか。 ま、これも言葉の感じの問題になりますが、 たぶん僕と隆ちゃんの言ってることはそんなに違わないような気もします。 >「個性化した民族」の存在をイメージできないんですよね(^^;)。 個性化した民族というよりも、ひとりひとりが個としての性格を強く持つように なった段階というふうに言ったほうがいいかもしれません。 昔に遡れば遡るほど、民族の構成員とその民族霊的な主体との間の関係が 否応のない形で結ばれていたのだと思います。 そして、その結びが次第に切り離されてきたのだと思うのです。 今でもヒットラーのときのドイツや第二次世界大戦中の日本で 多くの人がある種の全体意識に左右されていたのは、 そうした影響が強く出た場合なのでしょう。 で、個としての主体を持てた人はあの時代でもそうはなりがたかった。 シュタイナーもそうした時代認識をもって、ヒットラーと対決したわけです。 で、シュタイナーは早々に死んじゃうんですけど^^;。 >個性化する為には己のアイデンティティーをとことん突き詰める必要を感じるん >ですよね。 つまり、己のアイデンティティーが実のところ、 そこにはないんだということがわかるまでがんばんないと、 個として確立できないということでしょうか。 もちろんアイデンティティーするレベルにもよりますが^^;。 >さっきの自分のIDを突き詰めるという話にしても、言うは安しで、実際は厳し >いものがあります。 僕などは、もちろん突き詰めたというわけでもないでしょうが、 僕のIDは僕の内の内の内の内にある核の部分で、 通常いわれる意味でのIDはほとんどマーヤだなあとしか思えません。 こういう感覚を安易に持ってしまうのはあまり良くないのかもしれませんが、 どうも小さい頃から目に見える自分にIDを感じることが少ないです。 ですから、やはり中道的なID認識というのが 必要なのかもしれませんね(ナンノコッチャ)^^;。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 01549/01551 GGA02514 KAZE RE:シュタイナー読書会 (13) 94/07/16 01:03 01537へのコメント Paper Birchさん、どうも。 >このように何歳から何歳までに、何が(エーテル体とかアストラル体とか)造ら >れて、次に何が出来てというように、そんなにはっきりと分けられるものなんで >しょうか。年数だけでなく、このプロセス自体もあまりにもはっきりしていて、 >こんな劇的な(と言うことでもないかな)ことがあるんだろうか?と思ってしま >います。 「造られて」とか「出来て」というのではなくて、 最初からそれらはあるのだけれども、最初はそれらが内的に働いていて、 時期がくるとそれらが外的に成長し働き始めるというイメージのほうが いいように思います。 たとえば、論理的に物事を考えるということにしても、 その考えるという力を育成していくためには、 まず最初は肉体的な土台をつくられ、感覚的な背景が準備され、 感じる力が育成されたうえで、そうした力が育成されはじめるということです。 別の例を挙げると、植物に花が咲き、そして実ることを想像してみてください。 種を植えていきなり花が咲いたりしませんし、いきなり実がなったりしません。 最初はひげ根を伸ばしそれを張り巡らせながら、まず芽を出します。 そうしう成長のプロセスということをイメージされれば理解しやすいと思います。 で、人間の場合、まず物質的な身体があり、生命力的なものがあり、 感情・感覚があり、そして自我的なものがあるわけです。 年数については、その順番のガイドという感じでイメージされたほうが、 誤解が少ないかもしれません。 >シュタイナー教育を忘れて考えても、僕は、小学校に入る前の子 >供には知識を詰め込むべきではないと思っています。 その考え方は福沢諭吉なんかもそうだったようですね。 ですから、人間の教育観についてユニバーサルに共通する側面は 確かにあるのではないかと思います。 儒教的な教育観にしても、教育には「愛」と同時に「敬」というのが 必要だということですが、その「敬」というのは、シュタイナー教育でいえば 7歳からの教育テーマである「権威」ということと通ずるものがあります。 >今では、身体を動かすことが嫌いな僕でさえ、子供の頃は林の中を探検したり、 >柿の木を登ったりしていたものです。子供には、そういうことが大切なんじゃな >いかなぁ、と思います。 そういう感覚的な活動を通じて、 最初は身体づくりをメインテーマとするのが望ましいということを ちゃんとわかっていましょうね、ということですよね。 >僕のおもちゃ屋という立場からいえば、出来上がったおもちゃを与えてはいけな >い、というのは困り物ですね。木の積み木なんて、悪くないと思うんですけど >ねぇ。 「出来上がったおもちゃ」というのは、 それで遊ぶ子どものファンタジーを触発しないものという意味ですから、 それを形式的にとらえないほうがいいと思います。 シュタイナー幼稚園なんかでも「シュタイナーのおもちゃ」というものが なんだか知らぬまに権威的なおもちゃになってたりしますが^^;、 そういうのではなくて、それで遊ぶときに想像力を発揮できるものを おもちゃにすれば、その分の発育がスムーズになるということでしょう。 僕も積み木で遊ぶというのはいいと思いますがねぇ。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 01550/01551 GGA02514 KAZE RE:ライアル・ワトソンは信用できるか? (13) 94/07/16 01:53 01546へのコメント Paper Birchさん、どうも。 ライアル・ワトソンの「良くない情報」についてですが、 そもそもライアル・ワトソンは人から聞いた話を鵜呑みにする傾向と、 自分が信じたがっている話は信じ、そうでないことは否定する傾向があります。 その傾向性ははどの著作を読んでもほとんどの方は感じるだろうと思います。 ある本では、日本人についての超能力的な誇大解釈の話もあり、 苦笑したこともあります。 しかし、それはそれとして、彼はモザンビーク?生まれで、 ヨハネスブルグの動物園長をしていたという経歴からもわかるように、 自然界のさまざまについてきわめて愛情深く体験的です。 「良くない情報」にもあるように、かなり軽率な部分やそうした偏見はあるものの それが分裂しているような印象はあまり感じないんですね。 むしろ、彼の著作は、一種のナチュラル・ファンタジーとして読めば、 非常に楽しめるのではないかと思います。 水をテーマとした著作、風をテーマとした著作など、 かなり楽しくためになるんですけどね。 もちろん、彼は僕の知る範囲では輪廻転生等の霊的な認識を有してはいませんし、 むしろ否定的な発言をいくつかの対談では読んだこともあります。 それはそれとして、僕はけっこうライアルワトソンの著作は好きなんです。 ま、あくまでも僕の趣味に過ぎませんが。 「山本弘というSF作家の方」については僕はよく知りませんが、 そういう指摘は適切なものであるかもしれませんが、 なんだかジャーナリスティックな揚げ足取りも感じますね。 でも、憶測でものをいうのはやめておきましょう。 西田幾多郎については、またね。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 01551/01551 GGA02514 KAZE 究極対談^^; (13) 94/07/16 01:54 01547へのコメント Paper Birchさん、再びどうも。 >僕はいつも自分のことを「究極の唯物主義者」とか言ったりしています(^^;)。 >半分ぐらいは本気なんですけど、誰もまともにとりあってはくれません(;_;)。 僕は究極のエゴイストを目指してたりしますから^^;、 「究極の唯物主義者」と「究極のエゴイスト」の究極対談なんて とってもスリリングですね(^^)。 ま、誤解されるのは承知の上で、 そういうスリリングな対話を続けていきましょう。 時には、審判者!が現れて叱ってくれるかもしれませんが^^;。 シュタイナーの自伝や著作のいくつかを読むと、 シュタイナーは、左翼からは右翼といわれ、右翼からは左翼と言われ、 唯物論者からは妄想狂のように言われ、 宗教者からは唯物論者と言われるような類のことがよくあったようです。 (これは厳密な紹介ではなく、あくまでも意味をとった言い方ですが) ま、そういう意味で、シュタイナーを 究極の多視点的究極突破実践者(なんのこっちゃ)とでも呼んでみましょうか^^;。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES(18):★二人三脚ネットワーク実験室★・・・・あもり 94/07/16 - 01289/01297 GDB00064 オリハル RE:日は昇り、日は沈む…。 (18) 94/07/15 02:50 01276へのコメント エスペラントさん | 「闇」=「絶望」ではなくて、「闇が完全に絶望する」のです。そして太陽が闇か これでは、回転方向が逆です。意識を正方向に戻すことだと思います。 「光が希望をもたらす」とでも言った方がいいのに。 エスペラントさんは何を肯定するためにそんなに否定ばかりするのですか。                              オリハル 01290/01297 GDB00064 オリハル RE:皆さんへ (18) 94/07/15 02:51 01284へのコメント コメント数:1 エスペラントさんへ 私だったら、自分への批判やら変な質問でもその意図を考えずに相手が求める解答を与 え続けようとしします。なぜエスペラントさんは批判に対する耐性がないのですか。質 問や、質疑、批判、例え非難であっても、相手が何を求めているか見極めて、それを満 たそうとしてほしいと思います。有利、不利に関係なく考えることは出来ないものでし ょうか。 それと、アマデウスさんが指摘されてましたが、あなたは、人のハンドル名を「呼び捨 て」にしてますが、ちょっと私には理解できない行為です。よっぽどの事がなければ、 呼び捨てにはしませんけど。                                 オリハル 01291/01297 HGB02122 あもり RE:絶望し尽くして、すべて希望に変わりま (18) 94/07/16 00:08 01272へのコメント  #01272 エスペラント さん § 富士山の山頂がお勧めだけれど、完全な暗闇のある世界に行って、 § そこで日の出を見れば、優位さんも私の気持ちがきっとわかると思います。 § § 普通の人は「あ、明るくなってきた。」と思いますよね。 § そのときに「まだ、闇が残っている。」と思いましょう。 § § 闇がそこに感じられる限り、その残された闇を見つめ続けていきましょう。 § § すべての闇が消えた時、ふと気づくと完全に光に満ちた世界が広がります。 § 徐々に明るくなっていくのではなく、突然にすべてが光に変わる瞬間です。 § § これが自身の内面の出来事であれば、もっと素敵なのにと思うはずですよ。  私の場合ですと....深夜、山中に闇はありません。密やかな息吹きが、昼間より  もずっとそばに感じ取れます。眠れなくて、テントから抜け出すと、闇などどこ  にもないことが分かります。闇を見つけられないまま、いつの間にか夜が明けま  す。  富士山の頂上でも、日の出の何時間も前から空が夜明けを表現しています。  どれもこれも、夜の延長としての夜明け、昼の延長としての夕暮れです。  エスペラントさん、人は、本当に「闇」が何たるか分かることが出来るのでしょ  うか?  エスペラントさんは、「闇」がどう言うものか本当に分かっておられますか?                  HGB02122 あもり 01292/01297 HGB02122 あもり RE:日は昇り、日は沈む…。 (18) 94/07/16 00:09 01276へのコメント  #01276 エスペラント さん § 「闇」=「絶望」ではなくて、「闇が完全に絶望する」のです。そして太陽が闇か § ら希望を受け取ります。太陽は、受け取った希望を用いて、新しい一日を創造しま § す。そして、それが終わると、もう一度闇から希望を受け取るまでの間、静かにそ § の日の創造を思い起こし、新しい創造の意志を養います。 § § 「新しい創造の準備は整った。もう昨日の光の残像は、完全にいらなくなった!」 § ってことです。  後の発言で、アラミスさんがエスペラントさんの矛盾点を指摘していますが、私も  感じています。  闇から希望を受け取る....闇の中で希望が育まれた....その闇が絶望する....  「望みが絶えた」状態で再び闇が希望を育む....  言葉の揚げ足を取ると、こうなりますが....?  「闇」「光」、あまたの先人達が何百年も掛けてナゾに挑んで来たとおり。  二者が対立するのか融和するものなのか、それも分かっていない。  そして恐らくは、そのどちらも大切だからこそ、百家争乱が続けられて来た。  「闇」が分かって、「光」が分かったとは言わせません。  ましてや、分かったようなカタチをして他者に説明するのは、ウソだと言えまし  ょう。  エスペラントさんは本当に「光」「闇」「絶望」分かってらっしゃいますか?                  HGB02122 あもり 01293/01297 HGB02122 あもり RE:言葉について見つめること (18) 94/07/16 00:09 01277へのコメント  #01277 エスペラント さん § 何というか、相手に対し、自分と同じ性質を見つけようとする傾向がこのフォーラ § ムにはあるような気がします。実際、私は、アラミスさんがここで何をしているの § だろうとか、何を考えているのだろうってことが、わからないのですね。 § でも私は、あなたが何で突然激情的に怒り出すかと思えば、冷静になって相手の心 § のありようについて説明を要求し始めるのか、知りませんが、それを自分自身が受 § け止める側としては、とても刺激的な演出であるように思いました(^^)。 § 感情表現とか、文体とか、そういうものって、ある程度までの意識にとって、かな § り真剣で切実なものなんですけれど、それより深く掘り下げると、とたんにそれが § 演出であり、虚構だったことに気がつきますね。それは、つい最近ショックを受け § たばかりの話ですが。 § 深く、深く、どこまで掘り下げても、どうにもそれが偽物だとは思えない言葉とは § 何だろう? 最近、自分の言葉遣いに関する批判を受け止めて以来、割と、深刻に § 言葉を見つめるようになりました。  アラミスさんを動かしたものが、何であるか分からない。  しかし、何らかの衝動があったればこそ、アラミスさんは議論を始め、継続して  います。  #1280の発言において、「"演出"はアラミスさんの前に置いた鏡」と表現されてい  ます。  言葉を深く考えようと努める者が、言を弄するとはなにごとか?  もし、エスペラントさんがあくまでも言葉を弄び、真剣に語り合う姿勢が認められ  なかったら、議論の資格がないと判断します。 #1281 アラミスさんのRES §演出だとぉ?、馬鹿なこと言いなさんなよ。私は頭にくれば怒るし、時が経って §落ち着けば冷静にもなる、その時々それぞれを発言しているだけだ!・・・と私は §この発言を見て思ったのですが、MES:1280を見て呆れましたよ。 §・・・そこまで覚悟できているならば、ぐたぐたゴタクを並べていないでとっとと §私の質問にちゃんと答えてくれませんか?  言葉は奇麗とは言えないが、心見える文です。  分かりますか?  文体や表現を越えて伝わるものがあるはず。  深刻に言葉を選ぶより先に、ご自身の語っていることがウソから発したものであ  るのかないのかを見つめるべきではないのか?                  HGB02122 あもり 01294/01297 HGB02122 あもり RE:あなたの最大関心事項は何か? (18) 94/07/16 00:09 01283へのコメント  #01283 エスペラント さん § .........もっと色々なことをぶつけてきて下さい。こっちも自分の限界を試して § みますから。探り入れられるのには、いい加減飽きました。 § 特に、あなたが自分自身に常に課している問題提起を聞かせて下さい。それを自分 § に問い続けることによって、自分に甘えることを許さず、自分を高めていけるよう § な問いかけを、こっちに向けてぶつけてみて下さい。 § § その問いを公開することは、自分の弱さを見せることに等しい。もちろん、それは § 充分に観察力のある者だけが知ることだけれど。しかし、それをせずに相手のこと § を知ろうというのは無茶な話だと思いますよ。  意図して「鏡を作る」よりも、相手と真っ向から議論した方がよほど建設的です。  しかし、今までのやり取りがすべてエスペラントさんには「探り」でしかないの  ですか?  今、私も感じていることですが、相手を分かろうとする努力よりも、相手の発言を  つつき回して、指摘した方がどれだけ簡単か....  現在の私の問題定義です。  すなわち、エスペラントさんは一体何を言いたいのか?分かろうとする努力です。                   HGB02122 あもり 01295/01297 HGB02122 あもり RE:多重人格ということ (18) 94/07/16 00:10 01285へのコメント  #01285 英雄 さん>こんばんは〜 § 今回は、一般的な多重人格性について述べようとしたのでも、またそ § の是非を論じようとしたのでもありません。  大勢のROMerの方に、「多重人格」についてこの会議室の考え方が分かって  貰えたら嬉しい限りです。                  HGB02122 あもり 01296/01297 HGB02122 あもり RE:皆さんへ (18) 94/07/16 00:10 01290へのコメント  #01290 オリハル さん、こんばんは。  ハンドルの敬称についてのご指摘ありがとうございます<議長立場より  自分には見えないのに他人にはよく見えてしまうといった面が往々にしてあります  よね。  何故、そんな現象が起きるのか?  今後の議論でも考えて行きたいことだと思っています。  またよろしくお願いします。                  HGB02122 あもり 01297/01297 GHD00256 七穂 ひとりよがり (18) 94/07/16 00:41            最近の7番と18番の書き込みを読んで、以前姉と口喧嘩したとき生じた    自分の内面の動きを思い出しました。いろんな方の書き込みと、どこか    接点が見つかればいいなと思って18番の方に書き込むことにしました。           自分が言っていることは正しいんだ、という強い思い。    この思いは自分の心からの気持ちだ!という確信が何故か心強い武器になって    その思いに正義感を伴って、相手に挑みかかっていく。    自分の言っていることが正しいと思うので、相手の言っていることが心から    親身になってきけない。どこか間違っているというような決め込みをしている。    だから、相手がどういう思いを背後に抱いてそう発言しているのか、    思いやる余裕は最初からない。    ねじまがった正義感。いつのまにか相手に対して優越感を抱いている状況。    それまでは、もっと良心的だったはずなのに。? どうしてだろう?           7番の#02660で、アリオンの言葉の中に、 >> 自らに正直であるということと、自らの欲望に正直であるということは、   あなたがたの恐らく殆どの者が同一視していることであるが、   天と地以上に隔たりのあるものだと知りおきなさい。         というのがありましたが、この部分が特に胸に響きました。    この”自らに正直”と”自らの欲望に正直”という違いは、この自分をみる    ポイントだと思い、自分の状況に当て嵌めて考えてみました。    すると、”自分の思い(=良心)に正直”と、    ”自分では良心と思い込んでいるところの実は欲望であるものに正直”    と言う風に置き換わりました。          口論が白熱してくると、相手をなんとか負かしたい。さらにはぎゃふんと    言わせてやりたい、とまでもの思いに全身染まってしまって、そういう気持ち    が次第に言葉を暴力に使わせはじめたりした。    でも、そういう気持ちで、いてもたってもいられない、という状態の自分から、    ふとした拍子に我にかえったところで、そう信じたくはないのに、    ただ自分はそんなふうに自己主張したかっただけなんだと気づく。    自分がひとりよがりだったことがわかってしまう。    ただの自己主張。自己顕示欲だなーと。。    相手とよりよい関係を作り出そうなんてこと、露ほどにも頭にはない。    そんな自分に気がつく。    自分が自分が、と主張したさにがんじがらめになっている自分。      本心から相手とよりよい関係を作り出したいという願いがない。    相手と対峙する際に、とにかく自分の言いたいことを    相手に認めさせるということを自分にとっての大きな目的として    設定してしまっている。    そういう状態の自分が、自分の周りに作り出していく状況っていうのは    心のあったかくなるような交流が見当たらない、ただいつまでも    いつまでもひとりよがりな状態。     自分では相手とかかわりを持とうとしているつもりでも、    本当は相手のことなんてなにも思いめぐらしていないからただの一人芝居。    それは”とりあえず”働き掛けている相手に対してとても不遜なことかも    しれないと、このフォーラムに来るようになってやっと気づいた。            いまはちょっと宙に浮いてしまったような気がするけれど、    3、4年程前に自分を捉え直すことに必死になったことがあった。    いわゆる自分のアイデンティティ捜しだったのかもしれないけれど。        自分を捉えようとする行為を普段の意識の中で第一目的としていたために、    そういう自分にとっては外界のもろもろのことが自己確認のためのツール    になっていた部分があったと思う。そこには周囲との人間関係も含まれていた。    自分がやっていることは良心に適っている。というか、自分の良心を    信じたいがためにやっているつもりだったから、この、自分を捉えよう    とする行為は、自分にとって何よりも大切なことであったし、有意義なこと    であると思っていた。でも、自分を捉え直すのに夢中になることで、他人を、    同じ感情を持った人として尊重できなくなってしまう、というこの状況って、    何なのだろう?人を自分と同様に尊重できず、どこまでも自己中心の世界に    しがみついてしまう。思いやりが働かない、という現象。    これもやはり”自らの欲望に正直”を”自らに正直”な状態と勘違いしていた    ことの一つだったのではないかと今から振り返るとそう思える。    なぜ”自らに正直”であると思ったのかというと、    自分はこのままではいけない、自分を変えていかなければいけないという危機感    が、その自分を捉え直す行動のきっかけになっていたからで、そういう危機感が    ”欲望”に絡んだものとは思えなかったから。        問題は、自分を変えようとしていく経過のなかで、いつのまにかなんとか    自分自身になんらかの価値を与えようとしていたことではないかと思う。    自分はこうであるべき、というような。    もうひとつ気がついたのは、それまでのやり方から自由になっていないから、    外界とのかかわり方は無意識のうちに今までと同じ自己中心的方法をとって    いるのだけれども、以前よりも少なくとも自己設定が前向きであるはずだから    自分自身の自己の捉え方を、なんとか肯定的なものとしようとしてしまう傾向。    肯定的に捉えようとすることで、なにか根本的なことが見えなくなってしまう    ということ。自分の中では自己正当化がずっとまかり通ってしまっているので、    そういった微妙だけれど決定的に違うその見別けがつかなくなってしまう。      ひとりよがりはむなしいと思う。    でもひとりよがりに慣れてしまうと、なかなかそこから脱することが    できなくなってしまうような気がする。    本当に自分をさらけ出して相手にぶつかっていくのがこわいからだろうなー    と思う。                       GHD00256// 七穂 >