MRE - FARION MES( 3):【めでぃあ室】--------本/映画/音楽 etc 94/09/26 - 00616/00621 GDB00064 オリハル RE:テレパシー? ( 3) 94/09/25 16:14 00614へのコメント コメント数:1 ROマンさん、始めまして。 「同調体験」というのは、奇異なものではなく、誰でも日常で体験しているものです。 周波数の低い所で言えば、「誰でも」経験してて分りやすいと思いますので、その 範囲で説明します。 例えば、満員電車に乗っている時に、自分はバッグを肩に下げて、周囲のヒンシュク を買っているとします。それをなぜあなたは分るのでしょうか。 「なんだか重たいなぁ」とか、あるいは、攻撃的目線が当てられているからかも 知れませんが、沢山の人からの念の集中は、これは明かに感じると思います。 中には、電車通勤の行で、変にテレパシーを開発してものすごい非難の念を人に集中 する事の出来る人もいます。その程度の意味です。それと、「同調体験」という言葉 は、私の造語でして、FARION新参者と仰るあなたに説明するようなもんじゃぁありま せん。FARIONという社会に規則があるとすれば、各自の独自性が尊重され、バラバラ であること、とも言えるかも知れないと思います。ですから、ROマンさん個人の 独自性も尊重されてると思います。                                オリハル 00617/00621 TAB01276 ROマン RE:テレパシー? ( 3) 94/09/25 22:27 00616へのコメント   オリハルさん どうもありがとうございます。   たいへんわかりやすい例えで、自分なりに理解をす  ることができました。   つまり、誰でも念波のようなものを発信することや  受信することができるということ。   しかし、感度が鈍い人がいれば、鋭い人もいる。訓  練によって能力を高める人もいる。   (先天的に? 訓練によって?)特殊な周波数帯を  利用できる人もいる(のかな)。  「目で話す」とかいうのはきっと、パラボラアンテナ  みたいに念波を対象に向けて集中する役割があるんで  すね。その辺は私は得意なのかも知れない。よく道ゆ  く女性を見て「素敵だな」と思った瞬間、相手が振り  向くなんてことがあってあせるんですよ (^o^;>                 ROマン 00618/00621 GBE02650 ユ−リ レザボア・ドッグス ( 3) 94/09/25 22:44  マドンナの「ライク・ア・ヴァージン」の歌詞の、意外な歌詞解釈か ら始まる、この映画は、70年代のヒット曲に乗って、ひとクセも、ふ たクセもあるギャング達が、異常なテンションで繰り広げる、友情、暴 力、駆け引き、裏切りの物語。  監督するのは、この一作で認められ、次の作品でカンヌ映画祭のパル ムド−ルを受けた、クエンティン・タランティ−ノ。  この人は、「買い」です。  とにかく、脚本が良く出来ているので、次の展開が全く予想できない。  最後の最後までハラハラさせて、ラストでは、なんとも言いようの無 い、今までに、あまり経験したことの無いタイプの感動を覚える。  これをしも、「感動」という言葉で表現できれば…の、話だが…  主演は、「最後の誘惑」のユダ役や、「テルマ&ルイ−ズ」の刑事役 等で、存在感のある脇役として知られる、ハ−ヴェイ・カイテル。  もっとも、僕としては、「タクシ−・ドライバ−」でジュディ・フォ スタ−の情夫役を演じていた人なんだけど…  全編に渡って画面を支配する、怒鳴り声と暴力に耐えられる人にだけ、 お薦めの映画。                    ユ−リ(GBE02650) 00621/00621 HFB02065 天介 新しい時代を生きる人間学[長谷 章宏] ( 3) 94/09/26 01:46  題名 :新しい時代を生きる人間学  著者 :長谷 章宏  出版社:たま出版  新書の紹介です。 1章.新しい時代はアベコベの世界になる 2章.自分のココロを素直に行動する 3章.自分の責任ですべて行動する 4章.あなたが知らない神の仕組みがある 5章.目の前のものを神の目で見る 著者は、この本と合わせて[火水伝文][日月神示]を読むことを勧めています。 - FARION MES( 4):【宴会/オフ】--------プランとレポート 94/09/26 - 779/779 KFR02477 ひびき RE:秋はオフの季節! ( 4) 94/09/25 22:25 778へのコメント  #778 英雄 さん   こんにちわ!確かこの会議室では初めてお会いしますね。私は以前から 英雄さんにはぜひ会ってみたかんたんです!参加させてくださいませ。と ころで、英雄さんはどちらにお住まいでしたっけ?  もしよろしければ、ある程度の融通が聞く、池袋なんていかがでしょう か?。池袋でしたら私が幹事をさせていただきます。    昼間は都電に乗って「東京トワイライト・ゾーン」ごっこなどして、と ても東京とは思えない風景をながめながら、吟醸酒でもどうでしょうか?      でももし「池袋以外のほうがいいなあ」と思ってらっしゃる方がいるよ うでしたら、その方に幹事はおまかせしたいとおもってます。  まあ、都電に乗るのも何も池袋でなくてはならないってわけでもないん ですけど。  もし早稲田とかくわしいかたがいらっしゃるようでしたら、ご協力お願い 致しますです。    それと日時がきまってないようですけど、よろしければ10月9日の   日曜日なんてどうでしょうか?/ALL (^^) ひびき ( KFR02477 ) - FARION MES( 6):∞・∞ 壁(カベ)・∞・∞・∞・∞・∞・∞・∞・∞・∞ 94/09/26 - 02962/02962 JBH02324 なえ RE:雷雨 ( 6) 94/09/26 12:01 02956へのコメント  こんちゃ、ユ−リさん。  ええっ??。植生が違うのかぁ。知らなかったなぁ。  カヤの一種だよね、確か>ススキ  そうそう、この所ずっと雨模様な天気が続きますね。西日本は、何処ぞの  誰かが「ハレ女」だもんで、しっかり晴天続きですが。どうしましょう。(^^;  ああっ、昨日は稲刈りをしていたら、近所の悪友が「雨が降るど!!。」  (普段余りしない事をするから)とからかわれてしまった。のに、今日も  しっかり晴れました。タクゥ (^^;  釧路は霧ですか、霧に咽ぶ港ってのも風情があるなぁ、しかし、そろそろ  寒くなるのでわ?? ハックショイ…ダァ。(^^;  ほよよ、天体シュミレーションですかぁ、良いなぁ、ってあたしも98用  だけど、一つ持ってる。あ、アスキーのもあるけど、昨年のだから古いわ。  結構楽しいですね。時間をドンドン進めて、先の事も過去の事も解るし、  絵が綺麗だしね。  シェークスピアなんて聞いただけで背中がかゆいのよぉ。ウルウル。文学オン  チなあたしでした。チャンチャン - FARION MES( 7):★世紀末書込み寺★・・・・・・・・・・・・ARION 94/09/26 - 03538/03550 GHB02532 ごとうくまお RE:おずおず・・・。 ( 7) 94/09/25 21:17 03527へのコメント MAKOTOさん、はじめまして。RESありがとうございます。 ごとうくまおです。 MAKOTOさんご指摘のとおり、わたしがいいたかったのは、 「奇麗ごと言ってるだけじゃないか」ということです。 ただしこれは、奇麗ごとを言うのがいいとか悪いとか、正しい、間違ってるという ことではなく、あるがままを言葉にすることによって、あるがままを見失う危険があ るのではないだろうか?と言いたかったのです。 《 まぁ、言葉にする事で、上っ面だけの満足気分になった 《 り、へ理屈になる可能性も高いんだけどさ ということです。 殊に、言葉があまりにも重要視されているこの世界では。 また、言葉は、意識の表面よりも、深いレベルでの活動のほうが、より活発である ような感じがするので、それらに惑わされる可能性も考えなければならないと思うの です。 言葉はあくまで、事実を固定し、他人と意志を通わせるための道具であり、言葉自 体にはさして重要性はないと考えています。 《 「自分を観る」って、やりたい人が、やりたいようにやればいいと思ってる。 《 あなたの言うように、誰にも指導できるようなものではないと思う。だからこ 《 そ、自分なりに納得できるかたちでやればいいんじゃないのかな? 実際に、 《 やりたい人がやりたいようにやってるんだと思う。で、どれが正しいとか間違 《 ってるとかはないんじゃないのかなぁ… 「ありのままの自分を観る」ことは、やりたいようにやれるものでも、自分に納得 できるかたちでやれるものでもないと考えています(これは、言葉のニュアンスによ る誤解かもしれません。ご容赦を)。私達はそれぞれ、個人的な背景を抱えていて、 表面的には独立した意識を持っています。しかし、根本的には、悲しみ、憎しみ、嫉 妬、怒り、その他諸々の要素とそれにまつわる苦痛は、すべての人間に共通のもので はないでしょうか。私達は、肉体は分離しているかもしれませんが、意識、基本的な 精神構造は、自分以外の人間と同じです。さもなければ、意志を通わせることは不可 能でしょう。 「自分を観る」ことは、「人間を観る」ことです。そこに、自分なりのやり方をさ しはさむのは、ありのままを覆い隠すことになるのではないでしょうか。「観る」こ とには、個人的とか非個人的とかいう問題はなく、解釈や理屈を挟む余地もないと思 います。ただ「観る」こと以外には何もありません。 「自分を観る」ことは、確かに、日常に隠された真理を理解するための唯一の道で はありますが、しかし同時に、自己閉鎖的な世界に精神が閉じこもってしまう危険も はらんでいます。自分の「内側」と「外側」、内部の世界と外部の世界の両方を観、 両者の釣り合いがとれていないと、自分自身の奥深くに入り込んでいくことはできな いとおもいます。 堅い文章ですいません。まじめに書くとどうしてもこうなるんです。私も、堅苦し く考える必要はないとおもいます。逆に、「本当のこと」を見つけるためには、極め て柔軟な精神が必要だとおもいます。堅く考えることとまじめに考えることは別だと 思うんです。また、まじめに考えなくちゃならないこともいいかげんに受け流してる と、いつまでたっても変わらないと思います。普段はバカやってても、まじめなこと はまじめにやろうとおもっています。 それでは、これからもよろしく。 ¥くまお 03539/03550 GHB02532 ごとうくまお RE:おずおず・・・。 ( 7) 94/09/25 21:19 03528へのコメント 河合浩美さん、はじめまして。ごとうくまおです。 RESありがとうございます。 《 ただ悲しいことに人間は今のところ 《 言の葉(事の端)以外にコミュニケーション手段を持たない・・・ 《 マイケル釈尊さんが書かれているように、通信では非言語的な 《 手段は取れませんからね。 私もこのへんが難しいところだと思います。 人を直接目の前にしているときには、表情や態度、喋りかたといった全体の雰囲気か ら、ある程度その人の心理状態を感じることはできますが、こういった文面だけのや り取りとなると、相手がどんなレベルにあるのかを感じるのは難しいですね。 パソコン通信というのは、時間と空間の制約をほぼ克服したという意味では画期的 な手段ですが、人間同士の関係を直接に体験することができないというのは、やはり あくまで情報のやり取りを仲介する「道具」であるということの限界でしょうか。 私はこの「新しい道具」が、今後どういった方向に動いていくのか、非常に気にな ります。人間は、コミュニケーションの「道具」として言葉を発達させてきましたが 、その発達のあまり「道具」である言葉に惑わされ、自分自身を分断させています。 そして、その「道具」をさらに拡張する「新しい道具」が急速に発達している今、人 間がこれを使いこなせるのかどうか、と考えると・・・かなり不安です。 「き動戦士ガンダム」に、こんなせりふがあったように思います。 「うぬぼれるなよ・・・そのモビルスーツの性能のおかげで・・・」云々。 私達は、言葉の発達、科学技術の発達を、人間そのものの発達と勘違いしがちです が、戦争や殺人、権力や金銭への欲望などを観ると、原始時代からまるっきり進歩し てないんじゃないか?と思えてきます。 恐らく、人間の精神がこのままでは、これ以上の科学技術の発達は、それこそ3才 の坊やをモビルスーツに乗っけるようなものです。原始的な精神のままでは、膨大に ふくれあがった科学技術を支え、それを正しく使いこなすことはできません。産業革 命以後の歴史がそれを証明しています。 人間の精神、つまりは私達自身の精神を、根本から変えてしまわなければならない とおもいます。それも、いつかではなく、いま。今変えなければ、いつまでたっても 人間はこの苦痛から自由になることはできないとおもいます。 以上、ごとうくまおでした。 ¥くまお 03540/03550 GHB02532 ごとうくまお RE:心が受け入れないのですが、 ( 7) 94/09/25 21:23 03530へのコメント コメント数:1 ガルさん、こんにちは。 はじめにひとつ言っておきますと、私は「心の曇りは放っておけば自然に取れる」 とは思っていません。ただ、曇りを取ろうと努力することは、時間に縛られた行為で あり、自我の領域にあるので、あるがままを変えることはできない、ということをい いたかったのです。あるがままを変えることは時間の問題ではなく、「自分自身が根 本から変わらなければならない」と、真に、強烈に感じるかどうかということです。 それから、ここから先に書かれていることには、ガルさんを納得させようとか、考 えを改めさせようという意図はまったく含まれていないし、ガルさんを非難しようと いうものでもないことを承知していただきたいとおもいます。あまり堅くならずに、 すんなりと読んでほしいのです。 恐らくガルさんは、真理とか、神とか呼ばれる、何か究極のものを求めて、これま で様々なことを学び、実践し、努力してきたこととおもいます。そしていまも、心の 曇りを取ろうと努力しておられます。それは、心の曇りに気付いた人間ならば、当然 予想されると思われる反応です。しかし、ここで注意しなければならないのは、心が 曇っているのは誰なのか?ということです。それは、ガルさんもご承知のとおり、ガ ルさん自身ですよね。そして、曇りを取り除こうとしているのも、ガルさんであるわ けです。ではこの、曇りを取り除こうとするガルさんは(仮に、ガルさん2としまし ょうか)、いつ、どこから出てきたのでしょうか。このガルさん2は、曇っていない のでしょうか。 ガルさんが自分の心の曇りに気がつくまでは、ガルさん2は存在しなかったのでは ないでしょうか。ガルさん2の出現する前には、ガルさんは、自分の曇りに、自分自 身がどういう状態にあるのかを知らなかった。しかし、ガルさんは幸運にも、自分自 身に気がつくという機会に出会った。その途端、ガルさん2があらわれ、それまでの ガルさんにたいし、「なんて心の曇ったやつなんだ」といってそれを消そうとしてい るわけです。これはどうも妙だとは思いませんか?ガルさん2は、過去のガルさんを 消滅させる権利を持つほどに、きれいな心の持ち主なんでしょうか。ガルさんとガル さん2は、どっちが本物なんでしょう。もしもガルさん2が本物であるなら、彼はす でにきれいな心の持ち主なのだから、過去のガルさんを消す必要はないはずです。ま た、もしガルさんが本物なら、ガルさん2とはいったいだれなんでしょう。 これは、私達の精神・・・自我が、自分自身を「汚れている」と認識するときに、 自己防衛の手段として作り出す巧妙な虚構です。私達は、自分が汚れているというこ とを知るのですが、それを受け入れられず、「汚れていない自分」を作り出し、それ をあたかも本物であるかのように見せかけるのです。しかし、こうして生み出された 正義は、悪にたいする反発の結果であって、悪が無ければ生まれなかったものなので す。この正義は、自らを「善」であると偽り、悪と争いはじめるのですが、「真なる 善」は、一切の争いを持ちません。真なる善は、善悪の争いを越えたところにありま す。正義と悪は、結局のところ「自我」という単一の実体が作り出す虚構であり、両 者の争いは、単にこの自我を存続させるだけなのです。 自我とは、私達が「自分」と呼んでいる実体、「私」と「あなた」を区別する自意 識、自己中心的活動の中心です。重要なのは、この自我、つまりあなた自身を理解す ることです。正義と悪の争いという虚構を作り出しているあなたをです。 自我を理解するためには、つまり、あるがままを観、理解し、それを越えるために は、自我の活動としての「努力」は、一切停止しなければなりません。何かになるた めの努力、どこかに到達するための努力は、すべて自我の活動であり、自己中心的で す。それは「みんなのため」という大義名分を掲げるかもしれませんが、結局は「自 分」が重要なのであり、大義名分とは単なる偽善にすぎません。 ガルさんは、懸命に自分の中の悪を克服しようとしておられますが、言い換えれば それは、悪を完全に抹殺しようとしている、ということではないでしょうか。しか し、殺すことは悪のやり方です。真なる善は、何者も殺しません。 悪を殺すのではなく、それを理解し、そこから自由でなければなりません。自分の 中から悪を締め出すことはできません。悪を生みだすのは自分だからです。 ガルさんは、自分が曇っているということを自分で直接に観ているでしょうか。そ れとも、人に言われたのでそう思い込んでいるだけなのでしょうか。私は別に、ガル さんを見くびっているわけではありません。ただ、ことの真相を、ガルさん自身で見 極めて欲しいと思います。人に言われたことをむやみに受け入れるのは危険です。た とえそれがどんなに偉い人でも。その人の言ったことが真実かどうかをガルさんに証 明できるのは、ガルさん自身だけなのですから。私がここまで書いたことも同じで す。善と悪は虚構なのか、努力はすべて嘘なのか、といったことの真実は、ガルさん が自分自身の中に見つけだすべきものです。 くれぐれも、「自分は知っている」とはいわないように。知っていると言ったとき から、すべての探求はとまってしまいます。 以上、ごとうくまおでした。 繰り返しますが、私はなにも押し付けません。 この発言をどうするかは、すべてガルさんの自由です。 ¥くまお 03541/03550 GHB02532 ごとうくまお RE:おずおず・・・。 ( 7) 94/09/25 21:25 03536へのコメント マイケル釈尊さん、はじめまして。ごとうくまおです。 RESありがとうございます。 わかってくれる人がいて嬉しいです。 マイケルさんのRESを読んで気がついたんですが、私は言葉の違いと意味の違いを 履き違えていたのかもしれません。または、この会議室に何かを期待していたために 「しっくりこないもの」を感じたのかも・・・。 《 天国も地獄も避難所と考えているうちは存在しない……。 そうですね。現実から目を逸らすために、天国や地獄やいろんな理想を作るのは私 達人間の「得意技」の一つだとおもいます。わざわざ作らなくても、現実に存在して いるのに・・・。 新婚ホヤホヤの仲良しカップルとか、自分を完全燃焼させられるような何かをして いる人は、毎日が天国だとおもいます。そして、アフリカやその他の国で起こってい る戦争のさなかにいる人や、飢餓で子供たちがばたばたと死んでいくのを目の前にし ている人達は、それこそ地獄にいるようなものでしょう。そして、天国にいる人の中 でも、天国にいるとはどういうことかを理解している人はごくわずかです。 天国にいること・・・つまり、幸福であることは、人間にとって必要なことです。 しかし、天国と地獄、快楽と苦痛を乗り越えて、真の幸福を見つけることは、それ以 上に重要だとおもっています。 あるがままを越えることが・・・。 それではマイケルさん、これからもよろしく。 ¥くまお 03542/03550 VFD07310 NORI おせっかい(独り言) ( 7) 94/09/25 22:28 かなり前の話しになるのですが、よく行く本屋に二人の中学生か高校生位の人が 話をしていた。ちらっとしか見ていなかったのですが片方が片方を脅している みたいだったのです。そこで、もし、けんかになったら止めようかなあって思った のですが、「関係の無いぼくが止めに入るのはおかしいんじゃないかな」って 余計なおせわなようなきがして、「二人を止める理由なんてないぞ」って 思いました。直接ぼくに害がないと止めにはいることがおかしなことのように 思えてしまうのです。わざわざ理由をつくってとめようかとも思いましたが、 それは嘘になるのでしたくありません。 もう一度引き返してそこを通ったのですがもう彼等はいませんでした。 あのときぼくはなんといってとめに入れば良かったのでしょうか? それとも止めなくてもいいことなのでしょうか。 でも喧嘩をみたらいつも止めに入る勇気はないですね。そんなに体力に自身が あるわけでもないですから。あんまり怖そうな人だと止めにはいるきになれない かもしれないです。 このあいだもおばあちゃんが荷造りして家出みたいに信号機のところの花壇に すわっていたけど声を掛けるのが変な感じでした。困っている人を助けるのは 当然と言う人もいますが、おせっかいじゃないかって思ってしまいます。 「カミ・コメ〜」に書いてあった「善意によって成されたことが全て善の結果を 導く訳ではない。しかし、悪意によってなさてれたことに善の結果は決して 訪れない。」ということなのでしょうか。そういわれるとこんどはぼくが持って いるのは本当に善意なのだろうか?優越感に浸りたいだけじゃないのか。って 思ってしまう。 これは6番に書くほうがよかったのかな?                             NORI 最近はろくにROMもしてないから話題が重なっていたらどうしよう。(^^; 03543/03550 SGW00342 エスペラント RE:Re:少し指摘します ( 7) 94/09/25 23:30 03498へのコメント  #03498 月狼さん  まぁ(^^; もとの私のRES自体が、あまり楽しい内容とは言えませんでしたので、  仕方がないとは思いますが、月狼さんもまた、不愉快だという気持ちを随所に表に  出しているものですから、どうやって返事をしようかと、色々迷っていましたが、  なんか、まぁいいやという気持ちになるまで待つのがいいかと思ってました…  でも一応、要望通り、全体にRESをつけることを心がけてみます。 >           (前略)秀峰さんのRES全体から感じたこ >  とを、元に私は、「もしかして、こう言うことを言っているので >  すか?」と、確かに憶測混じりではありましたが、問い掛けを行 >  ったのです。  しかし、月狼さんの会話、いや、これはちょっとした議論なのかも知れませんが、  月狼さんの、憶測・問いかけは、やや極論だと思いましたよ。    − 参考 −        友人から聞いた話では、相反する価値観の是非を論じる時にはその最極端な    事例を用いて論じなければならないということです。たとえば、共同体社会    の是非を論じる時には、「閉鎖的・排他的ではない共同体もあるはずだ。」    と言ってはならないということです。これが社会学的な議論の際のルールだ    ということです。私はその友人との会話の中で、そのルールに気づかないで、    うっかり曖昧なことを言ってしまい、相当派手にこきおろされましたので、    すっかり懲りています(^^;  意識して極論を提示しているとすれば、それなら、それでむしろ非常に正当な主張  のようですね。お互いに両極端の事例を出発点にするのであれば、フェアな議論に  なります。ただし、秀峰さんの価値観について、 >  これはつまり、テーマ発信者の姿勢など些事でしかなく、自分の興 > 味のわくテーマを提起してくれればそれでよい。相手がどんな人物 > であろうと、話しが合えばいい・・・・・  と極論する場合には、月狼さんの価値観についても、    ある発言の中に、明らかにふさわしくない態度を見つけ出すことが    できれば、その1点により、その発言者の姿勢を正当に評価する必    要はない。その場合、自動的に相手がどんなテーマを持ち出してこ    ようとも、それを評価する必要はない。  と極論しておくのが、フェアな議論というものです。これもまた、徹底的にやる  ならば、安易な妥協ではなく、有意義な結果が得られる組み立て方だと思います。  一方的に相手の意見を極論で解釈する姿勢は、フェアではないということですね。                       ≡△○ エスペラント ☆★ 03544/03550 SGW00342 エスペラント RE:Re:少し指摘します ( 7) 94/09/25 23:31 03498へのコメント  #03498 月狼さん >  なぜそのような問い掛けを行ったのか?と言えば、私が秀峰さん >  と特に語りあってみたいと思うことに、「テーマとテーマ提起者 > はこの会議室において、切り離されて語られるべきものなのか否 > か?」と言うのがあります。    ^^^^^^^^^^^^  月狼さんの心情としては、語られるというよりは、評価するという気持ちで言って  いるのではないかなと思いますが、どうでしょうか?  それと、テーマ提起者と直接対話するのではなく、別の人との議論の中で、相手の  ことをトータルに語り合うというのは、ちょっと変なのではないかな。姿勢・態度  に関する疑問は、はっきりと当事者に対して、発言しないとね。  だけど、ゆうじ57世さんは最近、全然発言しませんね…(; ;)  直感の作用についての説明、そろそろ欲しいんですけど…(; ;)  ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^  それはそれとして、  私達はオーディションの審査員じゃないんだし、批判としてのトータルは、まるで  自分が相手より高見にいるみたいな気分を自分で身に纏うことになって、とっても  不健康なので、あまりやりたくはないです(^^;    でも、大筋として、トータルに評価するという姿勢には私も賛成です。1つ1つを  しっかり区別して考えること、それもまた大事。引っかかるところは、迷わず指摘  して、共感できる部分を積み重ねていく作業も同時に続けていかないとね。                       ≡△○ エスペラント ☆★ 03545/03550 SGW00342 エスペラント RE:Re:少し指摘します ( 7) 94/09/25 23:31 03498へのコメント  #03498 月狼さん >  おことわりしておきますが、私の側には戦略的な意図は、全くあ >  りませんでした。…  ええ、意図的にやっているかどうかは、見ればわかります。けれど、何しろ楽です  から、使い出すと自然に染まってしまうものだと思います(^^;  >  一応、一回目のRES作成における文章量は50行を越えました >  しかし、読みなおしてみると話題がとてつもなく拡散するおそれ >  の濃厚な、贅肉タフタフなデブ文になっていたことに気づき…  ええ(^^) 今回の私への発言が、まあその(^^; 贅肉タフタフなデブ文というやつ  なんでしょうね。でも、月狼さんの気持ちがよく伝わってきますので、よいのでは  と思います…。RESをつけるのは、それはとても大変ですけれど…(^^;  どうでもいいけど、心情記号のパターンが少ないなぁ…。 >  その願いからあのような短文になるよう大幅に削った。と言う経 > 緯がありました。 > >  まさにこれから、会話に入ると言う導入部であったわけですが・・  言い訳っぽいところを、隠しきれないのがいいですね。でも、会話もつながってい  るようですし、これからというところですね。                       ≡△○ エスペラント ☆★ 03546/03550 SGW00342 エスペラント RE:Re:少し指摘します ( 7) 94/09/25 23:32 03498へのコメント  #03498 月狼さん >  さて、エスペラントさん。あなたのご指摘は、なるほど納得でき >  る部分が多くあり、私の気づかなかった無神経さを明確に指摘し >  て頂いたようで、エスペラントさんには感謝しなくてはなりませ >  ん。  月狼さんは、こういう表現をちゃんと、効果を意識して使っているのかなぁ…?  普通、反撃開始の合図だぞと身構えちゃうものなんですけれど(^^; >                  …条件反射的に「あんた、ダ > メよそれ」と言う内容のRESを、即座によこしてくるのは、や > めていただけませんか?  う〜ん、ちゃんと反撃みたいなものもきてますしぃ、これが主文なのかなぁ(^^;  別にいいですけれど…、あのような文章流儀はあまり使わない方がいいですよ。  いや、まあ、少なくとも、私には使わないで下さい。  …とても困りますから。   >  会話は生き物です。部分的に判断しているようでは、その総体を >  把握できるものではありませんよ。  本当に、会話は生き物だと思います。ちゃんと飼い慣らしておかないと、咬みつか  れちゃいます(^^; けれど、上記の部分、口調が大変不躾で高飛車で、無神経で、  不快ですね…。それはそれで、とってもいいと思いますが、私からも、たまには、  グサグサ刺しちゃってもいいですか? >  経過をじっくり洞察して、私が同じ流儀を何度も何度もアホみた > いに繰り返していると判断できたら、注意してください。お願い > いたしますm(__)mペコ  そういう時には、普通、自分で気がつくと思いますが…。  それに、それじゃ、つまらないと思います。寝耳にミミズ(^^; なRESもたまに  ある方が、新鮮で色々と気づきやすいとも思います。でも、あまり迷惑にならない  程度にしましょう。  では、特に何か気になることがあったら返事ちょうだい。  秀峰さんとの会話を続けてね。割コメしてごめんなさい。                         ≡△○ エスペラント ☆★ 03548/03550 TBD01312 ガル #3547 の削除について ( 7) 94/09/26 01:54 #3547 の文書は、削除させて頂きました。  自分の心は決まっているのに、人を試すような事をしてしまいました。 TBD01312 ガル 03549/03550 JBH02324 なえ RE:なえさんARIONありがとうございま ( 7) 94/09/26 12:02 03532へのコメント  こんにちわタカチャン。  そうそう、焦らないでぼちぼち行きましょう。ね。(^ー^)  ARIONもきっとタカチャンが、がんばる姿を応援しながら  見ていますよん。 03550/03550 CXK03125 月狼 Re:月狼さん、ありがとう! ( 7) 94/09/26 13:03 03512へのコメント   こんにちわSUKEさん   なんか峠を乗り越えられたようで良かったですね(^^)   ほんと苦しい時とか、倦怠感に巻かれている時って通信に関わること   さえできないことってよくあります。僕も最近、鬱気味なので、どう   にも文章を書くきが起きなくて、不義理を重ねてしまったりとかって   言うのがありますが(^_^;)でも心がふさぎ込んでいる時にむりくり文 章を作ろうとすると、かならずその時の心情を反映した雰囲気の付着   した文章になってしまうと言うのがあるんで、コンディションの悪い   時は、ワープロに向かわないようにはしてますです。それでも緊急の   時は書かなくてはならないのですけども(^^; > 何より優先して耳を守らなければならない、という、私にしては >珍しい「緊急モード」でしたので(^^;)、いつもより強気の態度を >とることも必要でした。   今は、耳の調子はいいんですか?(^^) 仕事のストレスによる難聴っ   て最近では凄く多いみたいですね。余談ですが、実はうちの母なんか も右耳が、難聴になってしまいまして、最初はストレスと踏んでいた んですが、調べていくと実は脳腫瘍でした・・・・・(^^;)   最初母が行った病院では、ストレスからです。とか言われて軽く薬を   何個か貰っただけで終わったんですが、どうにも母は腑に落ちなかっ   たらしく、今度は大学病院で調べて貰ったら、ドンピシャリ(笑)   ヤブ医者にはきおつけなくてはなりません(・・;) > でも私にとって高校時代の放課後とか、浪人時代の湯水のような時間とか、 >大学時代の終日自己管理の時間等々は、ぐーたらしていたようでも >大切な私の血肉となっています。   あ(・_・D SUKEさんも浪人されたんですか? (^^)ニコニコ   う〜ん僕はあんまし学生時代にはいい思いではないですね(ー_ー;)学生   時代の経験を今に生かす・・・・と言っても、う〜んって感じです。   でも学校と言う場のもつ雰囲気が懐かしいと思うことは結構あります   ね。グランドの芝生の匂い。体育館に続く冷たい廊下。休み時間のザ   ワメキ、笑いごえや歓声。体育の授業のホイッスルの音。美術室の絵 の具の匂い・・・・とか。   う〜ん(゚-゚)シミジミ   SUKEさんは、学生時代に何かいい思いではありますか?                                月狼 P.S 日記つけようかと考えてる今日このごろ(^^; - FARION MES( 8):☆恋愛玉手箱/風まかせ編☆・・・・・・・・・・・・・・ 94/09/26 - 00499/00504 GDB00064 オリハル RE:同性愛考 ( 8) 94/09/25 16:14 00497へのコメント NORIさん、どうも。 NORIさんのお返事で、「自分の事を知ってもらいたい」というよりも、 「これは特別な事だからみんなに話しておきたい」という理由だと、そして、 「相手を探している」のだという事も分りました。そして、それは、 「嫌われたい」という気分もあることが分りました。 そこで分ったのは、NORIさんは、同性愛者であることで普通の人に嫌われても 構わない、みたいな気分を持っているのですね(質問1)。 なぜNORIさんはそんなに同性愛者であることに大きな価値を置くのですか。                               (質問2) そのように「決めている」ように見えます。 そうだとしたら、なぜそのように「決めている」のか教えて下さい。(質問3) お皿の話は話さなくてもいい事ですので、やめましょう。 |オリハルさんだったらキーボードをみてなにをおもいますか? キーボードだと思います。ははは。 ではでは。                             オリハル 00500/00504 GHB02532 ごとうくまお RE:独り言さ。 ( 8) 94/09/25 21:26 00495へのコメント くりすさん、はじめまして。ごとうくまおです。 RESありがとう。 独り言とはいいながら、聞いてもらいたかったんですよね。 でなかったら、ここに書くわけないもんね。 わかってくれる人がいて、とても嬉しいです。 人に理解してもらえるというのは、なんかいいですね。 ありがとうございました。 ¥くまお 00501/00504 GBE02650 ユ−リ RE:セクシ―なサ―ティズウ―マン ( 8) 94/09/25 22:47 00493へのコメント コメント数:1  割りコメ失礼>ALL  人間って、不思議だよねえ…  30歳も目前になってくると、大人の女性の魅力が自然とわかってくる ものなんですね。  20代前半の時は、30代の女性なんて、おばさんの範疇で、(失礼(^^;) 歯牙にも引っかけて無かったんですけど。  やっぱ、それだけ僕も歳をとった、という事なんでしょうか…  そうやって考えると、多分、うちの高校の女の子連中の眼には、僕も、 いいオジサンに映っているんだろうな…  30代かどうかは知りませんが、個人的にはヤクルトのジョアのCM に出演している女性が好みです。(名前は知らない(^^;)  なんか、ぽーっとしていそうで、安心できそうなんだよね。  …とは、言うものの…内田有紀や桜井幸子の10代の魅力も捨て難い とも思う、今日この頃…(^^;                        ユ−リ(GBE02650)  追伸 「入った!」のCMのタレントさんって、確か、大塚ねね さ    んですよね…出光石油の「わぁ!きれい!」の人だったと思いま    したが。 00502/00504 HGC02325 ガッチャ RE:セクシ―なサ―ティズウ―マン ( 8) 94/09/26 02:29 00484へのコメント  #00484 英雄 さん、ども。     をを、岡部まりさんですか…ええと、昔、日曜夜のJT提供の番組に出ていま  したけど、番組中の失言で失敗したとか。今、関東で岡部まりさんが観れるのは  「探偵ナイトスクープ」ですね(^^;) 私は殆ど毎週観ています(^^;)  そういえば岡部さんは、まゆ毛やまぶたのあたりが昔とちょっと違ってきている  感じで「う〜ん、何かなぁ」という感じを受けます。     中島みゆきさんは、昔ラジオのDJをしている時に聞いていましたね〜。それ  でイイ女かどうかは意識の対象外で(^^;) ううむ、何とも言いようがない(^^;)                              HGC02325 ガッチャ 00503/00504 HGC02325 ガッチャ RE:RE^2:男女における素朴な疑問。 ( 8) 94/09/26 02:29 00496へのコメント  #00496 くりす さん、どうも。     私はくりすさんの話に引かれてやってきたという感じでして、「あたま、わり  〜」と言われても、なんとも(^^;) 気軽で楽しそうな雰囲気が出来ていて、つ  いつい参加したくなってしまいます。スケベネタも楽しいですよねぇ。     あ、私も髪長いです。となると共通項は髪の長さとスケベネタ好き、さらに下  半身好きという事になるのかなぁ(^^;)     あ、もちろん足と腰は切り離せないもので、綺麗な足に綺麗な腰は必需ですね。                              HGC02325 ガッチャ 00504/00504 JCC02647 とかち 追伸にRES(^_^;) ( 8) 94/09/26 06:15 00501へのコメント  ユーリさん追伸にRESさせていただきます  「入った!」のCMのタレントって中谷美紀さんで  日本TV系の「遠山金四郎美容室」にも出てた人です  大塚ねねさんはローソンや日産ルキノのCMの人ですよ  ただそれだけです(^_^;)                             とかち - FARION MES( 9):★神々の曼陀羅/美と信仰と史★・・・・・・・TAO 94/09/26 - 370/370 JBH02324 なえ スエの末裔 ( 9) 94/09/26 09:24 245へのコメント  先日の遺跡発掘調査では、須恵器の窯が出土して話題になりました。未発掘も  含めて総数50基位はあるだろう、と言う、規模の大きい窯後です。その中か  ら、個人的にも興味深い内容が解ったので、少し書いてみます。場所は広島の  久井という所です。  最初出土したの窯は、数個出土した内で最も大きい窯ですが、推定時代が8世  紀と言いますから、平安時代で、藤原一族が栄華を極めた頃と言えます。  以前から土師部については色々と資料も見、検索していたのだけれど、須恵と  いう集団は解らなかったので、探していました。で、やっとこ見つけたのが、  渡来系集団という記述でした。  確かに土師部は素焼きの焼き物を作り、祭司を司る重要な一団だったのだけど、  祭司が祭るカミサマの変遷に依って、また衰退もしていく運命だった様で、都  での仏教の伝播が土師部をも衰退させてしまう様にも見えます。  変わって、高温で焼く事で壊れ難い須恵器が台頭してきて、器は殆どがこの須  恵となってしまう様です。しかし、中世でも土師質器は出土している事からも、  全く無くなるという事は無かった様で、一般社会では連綿と続いて行きます。  一方の須恵器が最初にもたらされたのは、と言うと、「日本書紀」の垂仁天皇  の時代にアメノヒボコの従者として朝鮮半島から渡来した旨が記述されていま  す。これらの集団は和泉の国で操業していた、とあります。また雄略天皇の時  代にも、新漢陶部高貴という人物が百済から渡来したとあります。この時代と  ほぼ同じ時期、5世紀頃から須恵器の副葬が始まった様です。  最初の産地は大阪近辺で、和泉の国は須恵器(住吉神社を挟んで南西側)。河  内の国(同じく北東側)は土師器を限定制作していた様で、やがて、東西に広  がって、6世紀末には関東でも須恵器の窯が作られる様になりました。  という事から、須恵器作成集団の元は渡来系民族だった、と言えるのですが、  実際、祭司系に主だって使われた土師系と違い、どちらかと言えば、須恵器は  国分や官が(ここでは府中が近い)に送られている。役人の為の器だった様で  す。  この久井という場所の地名に興味のある名前が幾つか存在します。窯のある土  地から東の方向に10キロ程度離れた所に「土取」(ツットリ)という所。いかにも土  を取る場所だった様にも思えます。所で、このファイルのコメント元になった  家も、土取にあります。そして家の名前が陶の某と言います。あたしは、これ  ら調べて行く内に、どうも、渡来系の人達の集団が在った様に感じて仕方が無  いのです。  さて、この事から、8世紀に出来た窯は、最初は渡来人に依って作られた可能  性は高いと言えます。何故なら、時代を追って作られる窯の規模は小さくなっ  て行くからです。つまり、最初は指導者的な立場でやってきて、そして現地調  達が可能になるまでは指導をし、単独操業が可能になったら、その頃に撤退し  たとも見えるからです。  須恵器のスタイルは色々ありますが、一般にシンプルで、土師器の様に縄目も  なければ、取っ手も無く、また、時代を追って、さらに摘み類も小さく、そし  て無くなって行きます。実用化していったのでしょうか。しかし、須恵器もま  た、中国からやってくる「陶磁器」によって衰退します。焼き物の窯も、また  登り窯となり、大量に高温で焼ける実用的な物に取って変わるのです。瀬戸物、  焼き物。時代は嫌応無く生活品をも変遷させてしまい、平安の時代もまた、武  力で混乱の世にと向かってしまいます。  鎌倉時代に作られた窯が今回の発掘で一番新しい、そして一番規模の小さい窯  ですが、特定の上流階級が栄華を誇り、国交を大事にしてきた平安時代と違い  鎌倉では、渡来人達はどんな境遇になってしまうのでしょうか。土地所の豪族  達が実力を持ち始め、中央に対して簡単には屈服しなくなり、実力で世の中を  渡ろうとする者達に、渡来の民は、地下に潜る様に、その姿は見えなくなって  しまいます。もしかすると、地元の人々と同化し、混血してしまったのでしょ  うか。力が無くて、豪族達に消滅させられてしまうのでしょうか。  今は僅かに残った地名と家名にその名残がある様です。                    ◇アンブレサリョ◇ なえ - FARION MES(11):★平井和正/異界漂流★・・・・・・・・・・・・アキラ 94/09/26 - 792/793 NCD01751 しろおか RE:ラプラスの悪魔!! (11) 94/09/25 15:24 791へのコメント どうも!こんにちわです、S・Nさん。(__)ペコリ [独白--->う〜む(- -;)、巫女(神子)さんの漢字変換を間違えてしまった。] ところで巫女さんと言えば。平井和正さんの見解によると、漫画家の高橋留美子さんも 立派な巫女さんなのだそうです、しかも先天的な神子さんだそうです(神霊現象に先天 的・後天的というのも変ですが ^ ^;)。巫女というのは霊媒のことですね。平井さん の言によると、言霊使いとか自動書記といったものも一種の霊媒なのだそうです。言霊 使い、と、言うよりは言霊に使われていると言った方が正しい様な気がしますが、とに かく言霊使いを自任する平井さんらしい危ない発言です(^ ^;)。 今にして思うと、未婚の女性をつかまえて一方的に巫女さん呼ばわりして勝手に決め付 けてしまう様な態度はひどく冷酷で惨たらしいような気がします(私にはそんなことは 出来ません!!)。 ****************************************************************************** ■副題:言霊論における仮設(以下、悪乗り冗談モ−ド^^;) もしかしたら、この時の平井和正さんの迂闊な一言が、「言霊の力(願望達成力)」と やらを発動してしまったのかもしれません(;^ ^;;)。「言霊の力」が時間・空間を超 越し、高橋留美子さんの人生における現在・過去・未来の時世に対し不可抗力な影響を 行使し、神様に使える巫女さんに人格改造(デ・プログラミング)されてしまったのか もしれません。同様に、人生の現在・過去・未来の時世に対し、高橋留美子さんに言い 寄る不届きな男どもを駆逐するべく「言霊の力」が作用していたのかも‥…。 PS:ここ暫く、この会議室への書込みが途絶えてしまってますね!。どうかしましたか?   何かあったんスか??(゚゚;)。 793/793 NCD01751 しろおか ラプラスの悪魔(一体何の根拠があるんだ? (11) 94/09/25 15:25 かつては、哲学は「神学の婢(ハシタメ)」と呼ばれていた時代があったそうです。 神様御自身が、形而上学や道徳律の下僕と自らを自己規定することはあり得るものでしょうか?。 しかも、形而上学的な宗教には「光り(ヌミノ−スな情動)」をもたらすと同時に「影」 をも生じさせてしまいます。キリスト教に於いてのグノ−シス主義のように、世界を無 価値かつ没意味的だといった厭世主義、霊と物質との極端すぎる二元論。はやい話が、 この世を創造したのは神ではなく、悪魔サタンであるなどといった観念的な教理です。 西洋のキリスト文化の底流には、人の生存意志を盲目的な悪であると決め付ける思想が 巧みに隠蔽されているようです。 - FARION MES(13):★神秘学遊戯団★・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・KAZE 94/09/26 - 01774/01774 GGA02514 KAZE じぶんで学ぶことの可能性 (13) 94/09/25 20:31 01770へのコメント 隆ちゃん、どうも。 >学校の子供に対するおバカな行為に、我々は文句を言う立場ですからまだ気が楽で >すが、疑問を感じながらそれを遂行しなければならないとしたら・・・、精神的に >はかなり厳しいですよね。 これについては、またまた引き合いにだしますが さきの「教えることと学ぶこと」から。 林 ……教育をだめにしているものに、卑俗な価値観というものがありますね。 教師がほんとうに強くなるためにはそういう独自の自分なりの人生観、価値意識 に支えられる必要があるのではないでしょうか。 灰谷 教師がね。 林 ええ、教師が。そうするともっと自信を持って、ほんとうに子供と向き合っ て、非教育的な観点からの批判とか妨害というものには、毅然として対処できる わけですね。そういう教師には、子供はどこまでも味方になってくれるでしょ う。 …… 灰谷 ……ぼくはこのごろ、組織労働者が日本の国を悪くすると、そんなことば かり言うもんだから、だんだん嫌われてきたんだけれども、例えば、教師という ものは、組合なら組合というものに守られなければ、何ひとつできないのか、と いうんですね。子供のために何かやる、権力ににらまれる、そのために不利益な 処分を受ける、直ちに集団の力を借りて何とかしようとする。そのことはそれで いいとしても、教師というのは、ほんとうの意味で支えてくれるのは子供だとい う精神的な支柱をもっていないと、自立した闘いにならないと思うのです。 林 そして逆に言えば、組織で守れるものというのは、きわめて低いものであっ たりしますね。 灰谷 しかも、大ざっぱなもんでしょう。 林 ええ、大ざっぱな、日常的なものだといえるでしょう。だから、ほんとうに 大事な、決定的なものは、そういうものでは絶対に守ることも壊すこともできな いわけですよ。 林 そうですね。そこのところをもう一回考えてもらうと、案外、教師というの は強くなれるのになあという気はしますね。権力に弱い教師というのは、子供に ずいぶんひどいことをしているんですよね。出世主義という方向にも流れていく し、子供にとってほんとうに冷たい教師という方向にも流れていく悪い方のエネ ルギーが、出てくるんですね。  そういう意味からいって、孤立を怖がるなということは、ほんとうはとっても 大事なことじゃないかというふうに考えますね。     (P255-257) 教育に限らずなにごとでもそうですが、 この「孤立を怖がらない」ということが原則で、 すぐに迎合してしまうばかりの人間が集団化したのと立ち向かっていけるだけの メンタリティがなければ、どうにもならないということでしょう。 本来ならば、教師や役人こそがそうした強さが必要不可欠で、 そういう人でなければそういう仕事を選択すべきではないはずなのに、 そうした人たちこそが率先して迎合型になってしまっているところに 現代の最大の悲劇があるのだと思います。 ぼくなどは「孤立を怖がらない」からずっと「孤立」してきたのではなく、 否応なくそれ以外どうしようもなくてそうなってきたのですが^^;、 迎合してしまうくらいだったら、ひとりっきりのほうがさばさばしていいですよね。 もちろん、それが単なる天邪鬼であってはどうしようもないですが。 >大切なのは自分には何ができるのかという事を考えることかもしれないと思いま >す。そこが出発点かなと。 そう、「自分には何ができるのか」を考えていくことだと思います。 でも通常は、「自分はできるかもしれないけど、みんなはそうでないから・・・」 というぐあいに、「自分」を「わたしたち」「われわれ」というふうに 集団化することで逃げてしまうことが多いわけです。 何か都合の悪いことを指摘されたとしても、 「自分ばかりがしているわけじゃない」とかいって、開き直ったりして。 やはり原点は「個=孤」としての尊厳を もっとひとりひとりが迎合することなく守り抜くという意志なのでしょう。 >本当は公共機関なんて全部叩き壊して、管理は役所、運営は民間ってな具合にして >欲しいんですけど、そうは簡単に行きませんからね。それにしても、どうして役所 >って企業努力(って企業ではないけど・・・)しないんでしょうね。 役所が企業努力しないのは、早い話、通常の民間企業のように潰れないからです。 つまり、企業努力をするさしせまった必要性がないんですよ。 役所内部の保全のためにそのエネルギーの多くを費やしています。 通常の企業だったら日本全国の役所という役所は 全部とうに潰れてしまってるはずです。 たとえば、お役所関係のイベントなどをすると、ぼくひとりでする程度のことを 1ダース以上の方がかかりきりでああでもないこうでもないとやっていたりします。 それにぼくは当然その仕事はたくさんやってる仕事のひとつに過ぎないわけです。 それでもって、そういう方はぼくなんかよりずっと給与が良かったりしてね^^;。 やはり、役所も経営状態が悪化すれば潰れるようにする意外に 方法はないかもしれませんね。 >良い意味での競争原理をちゃんと導入してくれなくては、税金を払っている方も、 >サービスを受ける方もたまったものではありません。当たり前の事を当たり前にし >てくれれば何にも問題はないんですけど、どうしてそうはならないのかなぁ。 ぼくはまだ計算してみたことはないんですが、 公共機関が税金を使ってあるサービスをするとして、 そのなかに占めるその組織内部の人件費の割合ってすごいんじゃないでしょうか。 たぶん、サービス内容よりもそのほうがぐんと高いんじゃないでしょうかね。 もしそうだとしたら、「おまえら飼うために税金払ってるんじゃないやい!」なんて 一度はすごんでみたいなあと思うんですが^^;。 >とりあえず、「管理される事」が大きなマイナス面だと思います。管理が思想統制 >や変な差別&弾圧に利用される可能性もあります。これはいわゆる犯罪防止(脱税 >などの経済犯も含む)の効用の裏返しになる部分ですが、なかなか難しい問題をは >らんでいます。 その「犯罪」がIDの管理側の都合で、 どんどん拡大解釈されてしまう可能性が大きいということですね。 「思想犯」なんていうのもその類のもので、 一度そのレッテルを貼られてしまうと、 一生それから逃げられなくなってしまいます。 「差別」ということにしても、「逆差別」ということも含めて、 そこらへんのことをもっと真剣にとらえることのできる精神性を 多くの人が身につけ自覚を深めているというのが前提条件になりそうです。 で、おっしゃるように現状はやはり「まだまだ」なわけです^^;。 >「あたしも、バカは嫌い」とみのほど知らずに(^^;)申しておりましたが、最終的に >は顔にも内面にあるものが出てくるようで、心しなくてはねぇ。 「知性が顔にでるらしいよ、困ったね」ってやつですね。 ぼくも嫌われるバカにならないように気をつけたいものです。 丸顔でだけはないから助かってますが^^;。 >もちろん我々だってまだその可能性は捨てたものではないぞっと思っていますが >(^^;)、子供のそれは比較にならないほど大きいように思います。少なくとも人間 >ごときの判断でその可能性を阻害するのは良くない事です。 子供と大人というふうに対立的に考えてその可能性を比較するのは好きになれないし ぼくだってまだまだ「可能性の塊」なんだい!といいたいところですが、 それはそれとして^^;、やはり子供のころいかにそれを阻害しないで、 子供がみずから学んでいくことを大切にするかということは とっても大事なことだと思います。 その子供がみずから学んでいくということについての とっても感動的な灰谷さんの実体験からの例がありますので、 これもちょっと長くなりますが「わたしの出会った子供たち」(新潮文庫)から ご紹介してみたいと思います。  くぼ・ちあきという重い知恵おくれの子どもが、ぼくのクラスにはいってきた のは、たしか五月の終わりごろだったと思う。養護学校にはいるまでの三ヶ月を いっしょに暮らした。  入学したばかりで、まだ、ろくに文章も書けない一年生の子どもが、その、ち あきちゃんという子どものようすを、たどたどしく描写している。 …… 「ちあきちゃんはきゅうしょくのとき、てづかみをする。しようがない。ちあき ちゃんはびょうきになったから、あほうになったから、むちゃむちゃする。きゅ うしょくのとき、ひとのをとる。せんせいにせわばかりかけてる。(つだ・まさ とし)」 「ちあきちゃんのことばは、あんまりわからないのでこまります。べんきょうち ゅうでも、すぐ、すべりだいをするのでこまります。・(くにとも・ふさよ)」  子供たちは、はじめから、ちあきちゃんの世話をしたわけではない。  自分たちと違うようすの子どもに向けられる好奇心は、ときには、ちあきちゃ んをいじめるという方向にもいく。  はじめのうち、すべてのこどもに共通して見られた現象は、かの女から受ける 被害(?)をどのようにして避けるか、あるいは防ぐかということだった。 ……  ひとりひとりの工夫ではとてもだめだと悟ると、こんどはみんなで相談をして 「ちあきちゃん当番」をつくろうといい出したのだった。  当番の子は、ちあきちゃんの面倒をみて、ほかの子は、その間に勉強をすると いうのである。  いろいろ行動の変化はあるけれど、面倒をみる側と見られる側との関係は、少 しも変わらない。その関係に変化が生じはじめたのは、「ちあきちゃん当番」が はじまって、子供たちがさんざんなめにあってからである。 ……(この間、「さんざんなめ」の説明あり^^;/KAZE注)  そうとうの辛酸をなめさせられているのに、当番をやめるという子が、ひとり も出なかった。泣きながら、当番をつづけた子もいた。友だちを見捨てた人間は ひとりもいなかったのである。  共に生きるという実感が、ちあきちゃんも同じ人間だという意識に変わってい く。 「ぼくはちあきちゃんにおこらへん。しょくじのとき、ぼくのをとった。それで も、おこらんかった。ほんをかったとき、ほんをやぶった。それでも、おこらん かった。ちあきちゃんはべんきょうのじかんに、ふでばこやけしごむやしたじき やとったけど、ぼくは、ちあきちゃんとでんしゃごっこしてあそんだった。おこ らんかったら、ちあきちゃんがすきになったで。(もくた・じゅんいち)」  ある日、かの女が風邪を引いて、学校を休んだことがある。子供たちはひどく 気にして、そのうち、数人の子どもたちはわざわざかの女の家まで見舞いにいっ た。  子どもたちの友愛は、ちあきちゃんを対等の人間として、共に学ぶという方向 に、その関係を変えていく。  あるとき、かの女は例によって、となりの子の給食に手をつけた。  前にいたしおた・けいこという子が 「だめ」 といって、かの女の手をぴしゃっとぶった。まわりの子どもが、しおた・けいこ の行為をせめた。  しおた・けいこは、きっとして 「ちあきちゃんもちゃんとしないと一人前にならないでしょ」 といったのである。  面倒をみる、みられるという関係がそこからこわれていく。 …… 「ちあきちゃん。れんしゅうしないといつまでもなおらないでしょう。わるいこ とをするのをなおさないとわたしらはかまわないけど、ちあきちゃんがかしこな らないでしょ。わたしのかんがえは、ちあきちゃんもばんきょうしたら、かしこ くなるとおもうんだけど、せんせいはどういうかんがえですか。(やまもと・さ きこ)」  子どもたちは給食を運ぶときに使う車を改良して、ちあきちゃん専用の乗用車 を作った。ちあきちゃんは黄色いかさをさして、ご機嫌でその車に乗る。……  みんなが後を押して教室中をまわるのであった。 この子どもの可能性。 いや、人間としての可能性。 自分で学ぶこと、学ばざるをえない環境をつくりだすこと。 そうしてみんながほかのみんなといっしょに学んでいくことの大切さを この例をはじめとしたさまざまなことから学ばせてもらったと思います。 こうした教育の現場の例を先日からいろいろ読んでまして、 このところ涙が止まらなくなって困っています。 林竹二さんの湊川高校での例も涙なしでは読めないのですが、 それについてはまた別の機会に。 シュタイナーが教育というテーマで残しているさまざまな実践的な考え方も こういう人間の可能性を深く見つめていたからこそなんだなあと あらためてシュタイナーの人智学への視点もそうしたことを通じて また少し深まったような、そんな気もしているこの頃です。 さあ、学ぶのはこれからだ! ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES(14):★Room 666/預言解読の部屋★・・・・YHVH 94/09/26 - 02514/02515 GCC01413 YHVH カマドの神様はなぜ怖いのか? (14) 94/09/25 14:45   *[……8の富士から9の富士へ……]        ”IF SPICA IS ASC, SPASCIFICA IS FAC-CAP. ”      スピカが上昇宮に来た時、それはファラオの冠となる。         −−−−−−−−−−−−−−−−−−−   この解読における「ファラオの冠」が、   ピラミッドであることについては、すでに触れました。(→過去ログ)   「F・A・C」という組み合わせは、F−major コードを表わし、   「トリン(3)」と「スクエア(4)」の組み合わせになっているからです。   ピラミッドを鏡で反射させれば、もちろん「正八面体」です。   さらに、はなさんの解読と合わせれば、上記の解読は、  >>> 「正八面体」が「正八面体」となるためには、  >>> ”海から空への星の上昇”がその条件となる   という具合に、読み直すことができます。   「上昇宮」とは要するに、”東の地平線”ですからね。         −−−−−−−−−−−−−−−−−−−          『櫛のハ、二重に。鬼、ハシを括る』。              ↓       ↓           「卍」に対応   「+」に対応   古来、香具山の土(ハニ)で作った土器(祭器)を用いることは、   ”何らかの呪力”を引き出すための必須条件だったわけです。   現在でも「カマドの神様」に対しては、「赤+青」の御幣を立てますね……。   「カマドの神様」といえば、「三宝荒神」とか「三宝鬼神」と言いますが、   この三柱は、一般的には「ホムスビ」と「ミズハのメ」と「ミケツ」。   ところが、「竈神」「土公神」「荒神」の三柱とする説もある。   「ニウヅヒメ」が「ミズハのメ」に置き変わってしまったのと同様に、   「土公神」(おそらく土師氏の祭った神様)も「ミズハのメ」に置き変わった。   ……そう考えるのは、あながち間違いではないでしょう。                                 YHVH 02515/02515 PFH02766 河井 浩美 RE:病気も活かせ(^^) (14) 94/09/25 22:47 02508へのコメント ・・・・・なっ、なえさん・・・・∈(‐‐);)∋ >