MRE - FARION MES( 2):【居酒屋1999】--------自己紹介・雑談 94/10/06 - 02771/02775 GBE02650 ユ−リ 地震の続報 ( 2) 94/10/05 22:42  地震情報の第2弾です。  来るか、来るかと楽しみにしていた津波ですが、ほとんど大きいもの が来ないまま、警報が解除されてしまいました。  余震は震度1から3まで今日一日中(今もですが)断続的に続きまし たが、自覚できるものは震度3が限度ですね。  もっとも、じっと椅子に座っていれば、小さな余震も感じられるので、 そのうちに始終揺れているような気がしてきます。(^^;  テレビのニュ−スを見ていると、まるで釧路が崩壊してしまったよう に思えるのですが、実際にテレビが映すのは被害の大きな場所だけで、 被害の無かった場所は映しませんから…  実際に大きな地震を経験してみると分かるのですが、地盤が違えば、 極めて近くの場所でも被害の大きさが全然違います。  今回大きな被害が報道されているのは、主に海岸沿いか湿地帯ですの で、これは仕方の無いところだと言えるのではないでしょうか。  もっとも、根室では断水する地域があったりして、結構大変みたいです。  今回は、地震の規模そのものは、去年の釧路沖や南西沖よりも大きか ったにもかかわらず、幸いなことに国内では負傷者も少なく、直接地震 で亡くなったのは、ショックでお亡くなりになった帯広のお爺さん1人 だけでした。  これだけ被害が少なかった理由には、二つの点が考えられます。  まず、地震の揺れ方が去年の釧路沖地震とは全然違ったということです。  前回は縦揺れで、とても足で立っていられなかったり、学校では書類 の入ったロッカ−がずれ落ちたりといったような激しい地震でした。  それに比べ、今回はゆっくりとした横揺れの地震で、それほど危機感 の感じられるものではありませんでした。  ただし、時間だけは嫌になるほど長くて、なかなか終らなかったんで すけどね。  それから、次の点が一番の理由だと思うのですが、市民が前回の経験 で地震に慣れていた。これにつきると思いますね。  地震に対する備えが行き渡っていたばかりでなく、津波の被害を恐れ ての高台への避難も、すみやかに行なわれたと聞きます。  やはり、経験に勝る学習は無い、ということでしょうか。  ただ、残念ながら、前述のお爺さんの他、被害の偵察に出た自衛隊機 の墜落で2人が、そして、クリル諸島(北方四島)では建物の倒壊など で16人の死者が出たと聞いております。  お亡くなりになった全てのかたに、心からの御冥福をお祈りいたします。                    ユ−リ(GBE02650) 02772/02775 PXH01650 英雄 地震続報 ( 2) 94/10/05 23:04 いやあ、昨日はたいへんな騒ぎでしたね。昨年の奥尻に続いてです から、尋常ではないものを感じたことと思われます。 どうも北海道は、東海沖よりはるかに不安定な場所らしく、今後も いろんなタイプの地震が起きるらしいです。 カムチャッカの火山噴火に続き、国後でも噴火があったようです。 小説「日本沈没」(小松左京)のように、あちこちの火山が火を吹 くようになるのでしょうか。 :英雄: 02773/02775 NBB01420 SUKE RE:再び会う日まで、さようなら ( 2) 94/10/06 01:03 02756へのコメント さはしマスター、ご苦労さまでした。 私もいろいろお世話になったくちですね。 何事にも変化があるのは当たり前ではありますが、さよならと言われてしまうと やはり寂しいものです。 タイトル通り、再び会う日までということで、これからのためのさよならと思って、 気持ちを新たにしたいと思います。 お疲れさまでした!! (^^)…☆ッテナモンダ Suke. 02774/02775 JCF02051 めのう RE:地震見舞い ( 2) 94/10/06 05:51 02768へのコメント  #2768 英雄さん  テレビ局ではNHKが一番緊迫感のある報道をしていましたね。  「津波を避けるには逃げるしかありません!」と繰り返しアナウンス  していました。(↑なんとなく変な日本語じゃないですか?)  昼休みに「笑っていいとも」を見ている間に4回も地震速報が入りま  したが、そのうち12:16の速報では根室と鹿児島で震度3とのテロップ  が出て一瞬我が目を疑いました。 ~~~~ ~~~~~~  その後の情報は確認していませんが...まるで挟み討ちじゃないか!  ここしばらくは気を抜けないなあという感じがします。                         ◆◆ めのう ◆◆ 02775/02775 CXK03125 月狼 RE:再び会う日まで、さようなら ( 2) 94/10/06 08:26 02756へのコメント   さはしマスター   思えば、僕が通信に入って、初めてRESと言うものを経験さ せてくれた人・・・・・だったんですね。   FARIONにきて、コチコチになって居酒屋に自己紹介をしていた   自分。そしてそれに「いらっしゃいませ」とRESしてくださ   った、さはしマスター。   些細なことなのかもしれませんが、あの時ほんと嬉しかったの   を覚えています(^_^) あまりお話しはできませんでしたが、ど うぞお元気で。そして、またお会いしましょう・・・・・                             月狼 - FARION MES( 6):∞・∞ 壁(カベ)・∞・∞・∞・∞・∞・∞・∞・∞・∞ 94/10/06 - 02972/02972 HGB00715 MISORA タイヤキ ( 6) 94/10/06 01:44  世の中はアンコをけちったタイヤキの様だ  外側からはとってもきれいでおいしそうにみえるのに  一口食べたらタテマエの皮しか食えなかった  当然尻尾になんか入っているはずもない  ホンネで生きることは難しい  どーすんべーかりー       最近疲れぎみの MISORA(HGB00715) - FARION MES( 7):★世紀末書込み寺★・・・・・・・・・・・・ARION 94/10/06 - 03599/03601 GDB00064 オリハル 私の仕事 ( 7) 94/10/05 21:04 02900へのコメント は、休みが無い。 人をどんどん雇えばいいけど、そんな余裕がない。 最初は月収7桁の勢いだったが、6桁になった。                 オリハル 03600/03601 GGD02212 スウ 我欲と呼ばれる虎ですか ( 7) 94/10/05 23:24 03560へのコメント 虎だ虎だおまえは虎になるのだbyタイガーマスクじゃなくて、 虎を捕らえてお見せしますから追い出して下さいby一休さん <以上二行抹消>  少し考えてナルホドでしたが、すぐにはピンと来ませんでした、 我欲って。私は虎を見くびって猫ぐらいにしか思ってないようです。 個人主義の蔓延で、自分を自分が独占して当然と思うことが我欲、 って思わないんですね。誰かのための自分なんてバカげてるとまで 主張する輩もいる。年老いた親の面倒さえ見ない人がやがて自分の 息子娘に見捨てられる。果して地球の世話をしない人類は…(スウ) 03601/03601 CXK03125 月狼 嵐の前の静けさ ( 7) 94/10/06 08:27   なんとなくここ最近のFARIONは元気がないような(^^;   書き込みがほんと少ないですね。   みんな通信から離れた所。つまり現実生活における「自分」と の対峙を迫られている・・・・そんな時期なのかな???   通信や、夢物語を一端ストップさせて、現実に目を向けること 温かい羽毛布団を捨て、冷気厳しい、外に飛び出すこと・・・・   ようするに、今まで通りやっていては、あかん。今の自分の位 置を再度確認せよ。と言うメッセージなの現れ・・なのかもしれ ませんね。   飛びなさい・・・・・   小説、地球樹の女神の千枝様と依の修行シーン。その修行の最 終段階で、千枝様が依に崖を飛び越えることを促したのを思い 出してしまった。   僕も今、崖・・(扉でもいいげと)を飛ぶことを迫られている。 今まで通りの安寧な生き方を続けることを良しとさせない、圧 迫のない圧力。静かな大声が胸の内に届いている。   FARIONの・・・・とりわけ、7番にくるようになってから、「聞こ えない呼びかけ」を、よく感じてはいましたが、最近はそれが 強さを増した・・・・そんな感触があります。   今、火山だの地震だの、鬱積していたものが、前面に吹き出す   と言う、象徴的なエネルギーの流れが感じられますが、これも   未だ、前哨あるいは、大きな変革の前兆の域を出ないもので、 いよいよこれから・・・・なのでしょう。   ここ数日のFARIONの静けさ・・・・新たな嵐の前の静けさにも似て   少し不気味に思うのでした。                             月狼 - FARION MES( 8):☆恋愛玉手箱/風まかせ編☆・・・・・・・・・・・・・・ 94/10/06 - 00531/00533 VFE01003 くりす RE:30シングルレディ ( 8) 94/10/06 05:43 00514へのコメント 確か、38か9じゃなかったでしたけ?、ちがったかな〜?。                                                くりすでした 00532/00533 JCF02051 めのう RE^2:イイ女・イイ男 ( 8) 94/10/06 05:51 00524へのコメント  #524 おみゃーさん    性熟した「をんな」って例えばどんな人ですか?  (全然好きじゃないけど)ビールのCMの岩下志麻を連想しましたが、  いわゆる年増とは別モノですよねえ。 》危險な「にほい」のする男と母性夲能をくすぐる男  おみゃーさんの使う旧漢字ってなんだか色っぽい...いやいやそんな話じゃ  なくて(^^;  個人的には、前者はな〜んかうさん臭くてイヤだなあ(笑)。  影のあるタイプとか「昔ワルでした」みたいなのはちょっとねえ。  後者も「優柔不断で手間のかかるお子様」という意味なら願い下げです。  「真面目で一生懸命だけどちょっと不器用」というのは好き。  まあ、そういうのがウリになっちゃうとこれまたイヤなんですが。           ^^^^  異性に受けようと雑誌なんかで研究しちゃったりするのは邪道ではないかと  私は思います。「男の子の好きな服」とかね。作為的って気がする。  男も女もやっぱり「自然体で素敵な人」がいいなあ。                         ◆◆ めのう ◆◆ 00533/00533 JCF02051 めのう RE:自立した人間 ( 8) 94/10/06 05:51 00530へのコメント  #530 英雄さん  ロマンですかあ...ロマンねえ...久々に聞いたな、この言葉(^^;  地に足がついた夢やロマンならいいと思います。  実現のために前向きに努力しているならね。単なる夢想家なら私はパスです。  (あ、今思ったけれど、自己実現能力の高い人って魅力的かもしれない)  人間としての魅力については語れるけれど、男女それぞれの魅力ってこれと  いって思い浮かばないです。ごく個人的な趣味嗜好の話になってしまう。  う〜ん...。                         ◆◆ めのう ◆◆ - FARION MES(10):★夢酔い人の部屋★・・・・・・・・・・・・・・・・・・スウ 94/10/06 - 00606/00607 GGD02212 スウ RE:ラジオが呼んでる (10) 94/10/05 19:38 00603へのコメント  そのラジオ放送がホンモノだったら便利ですね。>めのうさん。 学生時代によくラジオを聞きながらウタタ寝しませんでしたか? そのせいでウタタ寝中にラジオの音声の記憶が再生されるとか? (スウ) <RE:604>寝言の件ですが、寝言は無意味に感じられるから寝言であって、 そう度々インパクトのある寝言ばかり言えるもんじゃないような気がします。 00607/00607 GGD02212 スウ RE:竜子姫・・・ (10) 94/10/05 19:38 00605へのコメント  私も直接関係のないコメントなんですが、先日「寝相」の話題が 出ましたが、日本列島の寝相も良くない事がありますね…(^^;(ス) - FARION MES(12):★アジア・チャンプル★・・・・・・・・・・・・・・一輝 94/10/06 - 00360/00363 GFB00026 一輝 「東征・AMA族・日本」 (12) 94/10/05 21:03 00359へのコメント コメント数:2 >スウさん  ■なかなか興味深い視点からのお話だと思いました。きっと「興味」を持たれた数  だけ解答も見つかることでしょう。歴史の得意不得意など「興味」の持つ磁力に比  べたら、「疎外感」や「劣等感」同様、取るに足らない単なる思い込みにしか過ぎ  ないものです。歴史の探究は”ロマンを創りロマンを壊す”、この繰り返しです。  ■太陽信仰は、その民族がAMA族であるないを問わず世界的な規模で広がってお  り、キリスト教の伝播以前の欧州では、太陽信仰に基づく冬至祭が各地で執り行わ  れていました。それが伝導の後にキリストの命日と重ねられ、やがてクリスマスに  なったのです。実際のキリストの命日と復活は、正月明けだったと言われています。  ■「稲作民の水信仰と産鉄民の火信仰」という分け方ですが、水は火の蒸散の結果  ですから、拝火教は即ち拝水教に繋がります。縄文人には「火」と「水」という現  代の私たちのような区別ではなくて、ある種のエネルギーというか気の流れの一形  態として、あるときは「火」あるときは「水」というふうに認識していたように思  います。私たちの現代の「心」と「身体」という認識も、この約半世紀で概念に大  きな変化が起きて、従来とは全然違うものになっているそうです。  ■あと、これはなえさんから聞いた話ですが、日向族が製鉄技術や産地を求めて、  本拠地の九州から中国地方へ出張していたことや、日向族の支配地域から鉄器の出  土が少ないことなどから、製鉄技術に於いては日向族より出雲族の方が圧倒的に進  歩していたようなのです。製鉄技術の発達は、農耕技術や武器生産能力にも関与し  ていますから、恐らくはこの製鉄技術の問題で日向族は圧倒的技術力を持つ出雲族  に帰順せざるを得なかったのではないでしょうか。  ■小学校の社会科の教科書でよく説明されているのですが、鉄鋼業の盛んな都市に  は以下の条件があります。まず、鉄の産地が近くにあること、石灰の産地が近くに  あること、そして水が豊かであることです。これらは製鉄には不可欠ですから、製  鉄民は「火」だけではなく「水」も信仰の対象にしていました。しかしこの教科書  に出ている話も、今や原料の殆どを輸入に頼る日本では説得力の無いものです。過  去の製鉄を調べる際の重要なポイントにはなると思いますが。  ■スウさんの秦の話は頷くところが多いですね。私もNHKの「秦」の特番を観ま  した。後日に続きを放映するそうで楽しみにしています。世田谷美術館では青銅器  の他に鉄器も展示されていました。鉄器類は錆でボロボロになっていましたが、青  銅器はかなり保存が良く、銅剣など今でもそのまま使えるのではないかと思いまし  た。祭祀用には青銅器、実際には鉄器が多く使われていたのは、酸化のスピードの  問題でしょうか。  ■西アジア起源の火信仰(の文化)を渡来系鍛冶族が西アジア起源の火信仰(の文  化)をもたらしているというのは、そのままズバリではないでしょうか。縄文古来  の製鉄法では量産が間に合わない。人口の増加に伴って量産に間に合わせるには、  後から後から大陸からやってくる後続のAMA族の方が、稲作技術にしろ製鉄技術  にしろ熟練されたものがもたらされていたというわけでしょうか。伏見稲荷を祭っ  た秦氏が稲作と製鉄技術に優れていたというのは、この辺の意味が大きいと思われ  ます。  ■スウさんからマケドニアのアレクサンダー大王の話が出て、よくトイレに入って  いるときに考えていることを思い出しました。  ■それはアレクサンダー大王がAMA族を保護して東征したこと、そして彼らを日  本へ送りだした帰路の途上で間もなく早世したこと。それと同じように、秦の始皇  帝も中国統一後に徐福(調べると徐市が正式名。読みはジョフツ)ら一行3000  名を保護して日本へ送り出し、その帰路の途上で間もなく早世してしまったことで  す(始皇帝が本当に望んでいたのは「不老長寿の薬」などという後世に逸話を作り  易いファンタジーめいたものではなく、カタカムナ上古代人の扱っていた錬金術)。  ■二人とも世襲や人種やコネにとらわれず、大胆な人材登用と政治改革に成功し、  後の国家の礎を先駆けて作りながら、死後まもなく国家は滅び血脈も途絶えてしま  うことや、子孫と称する一族が東進する点(アレクサンダー大王はインドネシアで  ミナンカバウ族を残し、始皇帝は韓国で秦韓族を、日本で秦氏を残した)も似てい  ます。  ■やや時代がズレて出現した、二人の英雄に共通しているキーワードが「東征・A  MA族・日本」だとすると、AMA族の血脈を受けていたのは秦の始皇帝だけなく、  ひょっとしたらアレクサンダー大王もそうだったのではないかと思うわけです。徐  福(ジョフツ)がAMA族の族長だったかどうかはともかくとして、二人の世界的  英雄の存在無しにはAMA族の日本到達や歴史も無かったのでは…。そう考えると  胸の高鳴りを覚えざるを得なくなるのです。                      《アジア・チャンプル》案内人 一輝 00361/00363 GFB00026 一輝 「諸君、狂え」 (12) 94/10/05 21:07 吉田松陰は、いつも門人たちに「諸君、狂え」と言っていた。 「狂え」というのは、”発狂しろ””頭がおかしくなれ”という意味ではな い。松陰は、「”休まず遅れず働かず、沈香も焚かず屁もひらず”などとい う生活を送っていたのでは、世の中の変革などできない。社会変革は”狂” の一字から生まれる」と云う。吉田松陰は幕末の指導者の中で、極めて異彩 を放つ人物であった。 彼の門人である高杉晋作は「東行」という号の他に「狂夫」という号も持っ ていた。高杉の後輩だった山県有朋も「狂介」と名乗っていた。高杉晋作の 晩年にかけての華々しい活躍は、松陰から受け継いだ「狂」の理念から生ま れたものだ。 この頃の「狂」という言葉に対する概念は、現在の”精神疾患”という意味 を込めたものとは違い、”純粋さ”を表すニュアンスが濃厚だった。つまり 松陰の「諸君、狂え」と云うのは、「常識ではない純粋な変革を目指す心の 在り方」を唱えることだったのである。「純粋さ無しには、何をも変えるこ とは出来ない」と弟子たちに力説していたわけだ。 ”変える”という行為には、いくつかの過程がある。まず「理念の提起」→ 「実験(試行錯誤)」→「方法論の再検討と軌道修正」→「方法論の確定」 といったものだ。ところが、人間というのは愚かなもので、だんだんと当初 の「理念の提起」を忘れてしまう。方法論の是非が微細に論じられて結局は 何もしないで終わるか、手段がいつのまにか目的にスリ変わってしまうこと が多いのだ。明治維新で言えば”尊皇”や”攘夷”という理念がそれであっ たはずだが、それを実行する為の”倒幕”が目的化した。 「理念の想起」こそ、「狂(私が初期衝動や霊的衝動と呼ぶ形容のし難いも のであるが)」から生み出される。相当な危険や不安があっても、「狂」の 理念に基づいた行動によって乗り越え、不可能を可能にしてしまうのだ。こ れは現代の欧米人や、その文化の影響を受けた日本人には、理解の枠を超え たものとなってしまっている。理解の超えたもであるからこそ”戦前的”と 云う表現で否定されてきた経緯があるのだ。 ところが、世界史をひもといてゆくと、歴史の大きな原動力は、全て一人の 人間の「狂」の理念と行動から生まれたものであることに気付く。アレクサ ンダーの東征しかりオルレアンの処女しかり明治維新しかり、無数の物語を 編み出したヒーローたちの心中奥底には、「狂」の理念があった。それは古 今東西を問わない。   『身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも               留め置かまし大和魂』                          (吉田松陰遺詠) むかし、友人がこんな文章を書いていたのを思い出した。   『天を稲妻が駆け、地を男が走る。    こ奴、一体何をしでかそうというのか。    予測を避け、予感のみを増殖させる者。    それは徴(しるし)を持った者でもあった。    時代が静寂の風景と化したとき、「時間」の復讐が始まった。    時間の意志に感応した瞬間、体は忽ち動き出してしまう。    それが覚醒なのか。目覚めなのか。    奴の動きは「恋」を「友情」を「教え」を巻き込み、    そして、無数のヒーローを輩出してゆく。    それが宇宙のロジックなのか。    その答えは今も時間の結界の中に封印されている。』 ■松陰神社 東京都世田谷区若林4−35−1       東急世田谷線・松陰神社駅徒歩3分       年中行事・祈年祭……2/21            春季大祭…4/27            秋期大祭…10/27            新嘗祭……11/29                      《アジア・チャンプル》案内人 一輝 00363/00363 GGD02212 スウ 火信仰と鉄文化など (12) 94/10/06 06:53 00360へのコメント  コメントありがとうございます。>一輝さん  太陽信仰に基づく冬至祭と聞くと、須佐之男命を奉る「大宮の氷川神社を 基点として、氷川女躰神社や中氷川神社が見沼周辺に一直線上に並んでいる が、これは冬至の日に日の出が見られる東南東三〇度の角度に一致している」 (『別冊太陽・日本の神』平凡社)ことを思い出し、興味深く感じました。  稲作民の水信仰と産鉄民の火信仰…と書きましたが、実は火信仰は水信仰と セットになっていたはず、と言うのは後に述べようと思っていたところです。 稲作はもちろん、製鉄技術にも水は不可欠ですし。ついでに言うと、風信仰と 「地」信仰も伴っていたことでしょうね。「タタラ」は火を煽って高温とする 風を得るためのものですが、古代は山に吹きつける天然の風を利用した山頂の 製鉄炉のことだったようですし、言うまでもなく稲や鉄鉱石は大地の恵みだし。  昔から農耕民と鉄文化は密接な関係にあって、鉄製の農機具はそのまま武器 にも転用され、鉄を制する者が政治経済を掌握したようですね。現代もかな? 稲:鉄→出雲:日向と言う類比には いささか無理があったかもしれませんね。 出雲の神々や神社の名の語源を探ると鍛冶と関係のあるものが多いようです。 (具体的には別の機会に改めてUPします。)  確かに鉄剣は錆びますね。ウチの田舎の旧家の蔵に火縄銃がありましたが、 赤錆でボロボロでした。二千年以上前なら殆ど錆び朽ちているでしょうね。  鉄剣は鉄文化の結晶で、その背景には火/水信仰があったことでしょう。 鍛冶の盛んな土地(ウチの田舎も昔はそうだったらしい)は大陸〜韓半島と 縁が深くて、更にその背景には西アジア起源の文化と繋がりそうな気がして、 (密教や修験道で護摩木を焚くなんてのも怪しい)興味が持たれるんです。(スウ) - FARION MES(13):★神秘学遊戯団★・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・KAZE 94/10/06 - 01791/01792 GBB03425 Paper Birch RE:「類魂とは何か/その2」感想・質問 (13) 94/10/06 08:28 01727へのコメント KAZEさん、こんにちは。 グズグズしているうちに一ヶ月も経ってしまいましたが、 御質問への解答(?)をはじめます。 >つまり、最初はすべて「人間」であり、 >そうしたものをみずから放出していくことで進化してきたというのです。 >ということは、人間は可能性として >それらすべての要素を有しているということもできます。 >人間はすべての地球上のすべてのDNAを型としてもっているらしいですし、 >子どもが受胎してから生まれるまで、「個体発生は系統発生を繰り返」しながら >成長していくというのもそこらへんのことと関係してくることのように思います。  なるほど。スピリチュアリズムとは、まったく逆なワケですね。スピリチュ アリズムでは、鉱物、植物、動物という段階を経て(ただし、霊とか魂と呼べ るのは、動物の段階からだと思いますが)人間に到達し、さらに進化していく という考え方です。つまり「人間」は、一つの通過点にすぎないわけです。  シュタイナーの場合は、人間を中心に置いて、人間も進化するし、人間から 出た植物や動物も進化していくという事ですね。  しかし、そうするといくつか疑問が出てきます。そのように人間から「放出」 された動物は、進化したらどうなるのでしょうか。人間になるのではないので すか? それとも、まったく違う進化の系統を進んでいくのでしょうか?  最初が人間だったというのも、不思議な感じがします。単純なものから複雑 なものへというのが、自然界の摂理だと僕は思っていたのですが、霊的な世界 では違うということになるのでしょうか。  それから、最初が人間だったとすると「すべてのDNAを型としてもってい る」のも「個体発生は系統発生を繰り返」すというのも、ちょっと理屈に合わ ないように思います。どちらかというと、過去に辿ってきた進化の道程の痕跡 であると考える方が、僕にとっては納得できます。 >ですから、単にそれらの存在を否定するのではなく、 >それらを「解放」していきさらに高次の存在として進化させるというのも >人間にとっての重要な課題であるということになります。  そうですね。その通りだと思います。  この前の部分、「供儀」とか「ルシフェル」の事はともかく(^^)、人間には、 他の者を進化させる責任(?)もあるという考え方は、シルバーバーチなども 言っています。  途中の部分の考え方は違うのに、結論部分は同じであるというのは、興味深 いことですね。 >スピリチュアリズムでは、物質世界での進化と霊的進化というのを >どう関係づけて説明しているのでしょうか。  もしかしたら、質問の意図を取り違えた解答をしてしまうかも知れませんが.... (と、前置きをしておいて(^^;;)  この世に人間として生まれてくるために、ある程度の霊的な進化が必要であ ることからも分かりますが、動物にもそれぞれある程度の「霊格」があります。 つまり人間と犬では、霊的な進化の程度が違うのと同じように、犬や猫、ネズ ミなど、動物の種類によってそれぞれ霊的な進化の程度は異なります。  ただ、たぶんこの霊的な進化と、物質界の動物の「種」としての進化は、あ まり関係がないのではないかと思います。シルバーバーチによれば、同じ類魂 が、何度も繰り返し同じ種類の動物に生まれ変わることは、ほとんど無いそう ですし。  で、ついでに言っておくと、この世の秩序ということで良く言われる「弱肉 強食」というの。あれも、決して普遍的な真理ではないともシルバーバーチは 言っています。 ≫ たしかに捕食動物はいますが、それは“適者生存”の摂理の一環であり、 ≫しかも大自然の摂理全体のほんの小さな側面にすぎません。自然界の本質は ≫協調です。共存共栄です。    (シルバーバーチの霊訓(8) 180ページ) ≫進化の法則は、存在と活動の低い形態から高い形態への絶え間ない進行の中 ≫で働いております。低い動物形態においては、見た目には残忍と思える食い ≫合いの形を取ります。が、進化するにつれてその捕食本能が少しずつ消えて ≫いきます。先史時代をごらんなさい。捕食動物の最大のものが地上から姿を ≫消し、食い合いをしない動物が生き残ってきております。これにはもう一つ ≫考慮すべき側面があります。そうした動物の世界の進化のいくつかの面で人 ≫類自身の進化がかかわっていることです。すなわち人類が進化して動物に対 ≫する残忍な行為が少なくなるにつれて、それが動物界の進化に反映していく ≫ということです。        (シルバーバーチの霊訓(8) 178ページ)  結局どういうことかというと。  個々の類魂のレベルで観ると、いろいろな種類の(それも、少しずつ霊的な 容量の大きな)動物に生まれ変わりながら、霊的に進化していくということに なります。  そして、この世界全体の霊性が進歩すれば、残忍な動物は、この世から姿を 消していくということです。                       △▼△ Paper Birch △▼△ 01792/01792 GBB03425 Paper Birch RE:「類魂とは何か/その3」感想・質問 (13) 94/10/06 08:28 01728へのコメント KAZEさん、どうもです。 >で、その「人差し指=わたし」としての認識と >「人体全体=わたし」としての認識は、 >それが部分的認識か全体的認識かという、認識の現れ方の問題になります。 >さらにいうと、非常事態では、その人差し指が人体から切り離される可能性も >否定できませんね^^;。  実は、この前は敢えて書かなかったのですが、マイヤースの本の中には「あ まりにも酷い地上生活をおくった霊は、分解(?)されてしまうこともある」 というようなことが書いてある部分もあります。シルバーバーチは、そういう ことはあり得ないと、きっぱりと否定していますが、確かに、そういう可能性 も否定は出来ないでしょうね。  ただし、僕自身は、切り離されたり分解されたりという、そういうことはあ り得ないと思っています。 >スピリチュアリズムでは、霊界での経験と地上での経験とを >どう関係づけているのでしょうか。 >また、地上経験の意味ということについて重要な点を整理していただければ >われわれのこうした苦しい地上生活(^^)の意味が理解できると思いますので、 >そこらへんんもよろしくお願いします。  地上経験の意味ということに関して最も重要と思えるのは、やはり「いろい ろな体験ができる」ということでしょうか。  霊界という世界は、KAZEさんもご存知(?)の通り「波長同通の法則」によっ て、おおよそ似たもの同士が集まる世界になっています。人間は、もちろん気 の合う人たち同士ですし、場所の雰囲気もその人の心境にあった心地よいもの です。  しかし、この世は違いますね。霊的に進歩している人もいれば、程度の低い 人もいる。 また、そういう高い低いばかりではなく、考え方のまったく違う人もいるわけ です。霊界のように、同じ程度の人ばかりで集まっているのと違って、お互い に衝突したり、学び合い、助け合う中で、霊界とは違う種類の勉強ができるこ とになります。  また、肉体的なこともあります。「食欲」「性欲」「睡眠欲」は、霊界では 存在しませんね。病気や怪我の心配をする必要もありません。霊界では、精神 が調和していれば、霊体も調和しているわけですから。  それに対してこの世では、心の調和とは別に、肉体の調和も考えないといけ ません。しかも、肉体の「欲」が心の調和を乱したりもしますね。  簡単にいってしまえば、肉体が一種の「霊性養成ギブス」の働きをするわけ です(^^)。僕なんかは、平均よりは強力なギブスをはめられているようで(^^; イロイロと嫌な思いもする地上生活ですが、霊性はなかなか発達しなくって 「なんだかなぁ」ですが....。(^^;;;  ま〜それはともかく(^^;。地上生活は、霊界のように心地よくないところに 意味があるということでしょうか。シルバーバーチの霊訓で重要なポイントと して「苦の哲学」というのがありますが、地上世界は、そういう種類の勉強が 非常に効率よく行える世界であると言えます。 ≫ 地上生活の悩みごとから逃れることはできません。必ず生じるものです。 ≫それなしには目的地にたどり着けない、踏み石のようなものです。人生の嵐 ≫を一つ一つ切り抜けていくうちに霊性が強化され、性格が高尚さを増してま ≫いります。困難こそ霊的な力と成長を身につけさせてくれるのです。ですか ≫ら、困難にしりごみしてはなりません。内部から引き出す力と、外部から引 ≫き寄せる力とによって克服して行くべき挑戦課題として、堂々と受け入れて ≫いくことです。             (シルバーバーチの霊訓より) なんだか上手くまとめられなくて申しわけありませんが、 また思いつき次第補足していくことにしますので、どうかご容赦を。(^_^;ゞ では、また。                       △▼△ Paper Birch △▼△ - FARION MES(14):★Room 666/預言解読の部屋★・・・・YHVH 94/10/06 - 02543/02545 GGD02212 スウ RE^?:SPASCIFICA (14) 94/10/05 19:38 02528へのコメント ASCIIはウケ狙いでしたが、spastic(痙攣性)はマジだったりして… 例えば、地球さんのカラダの部分的なケイレンが地震だとか…(-_-; ASCIIだって…アスキーコードと言えば8ビットからできてるから、 八面体と繋がるとか…うーん我ながらコジツケの天災もとい天才だ。 02544/02545 GBG02043 維/YUI ふくろう模様の皿 (14) 94/10/06 00:55 ふくろう模様の皿・・って本を昔読んだことがあります。 古い家のお皿に書かれた蔦のような模様を紙に写し取り、はさみで切って組み合わせるとふくろうの模様になり、それを作ったところから魔術が始まる・・・というものです。 なんとなく、預言解読ってのもそういうものなんじゃないかって、思うのです。 そのままでは、なんのことはない。 なんとなく不可思議な雰囲気のある詩や言葉。 けれど、その雰囲気を感じてなにか行動を起こし始めたとき、そこに力が生まれる。 詩や言葉をひっくり返してくっつけてみるんでも、世の中の事象に照らしあわせてみる んでも、自分の生活の中で思い付いたことをやってみるんでも・・・。 * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *  SPASCIFICA   SPA *** 鉱泉・温泉 SAP *** 血・活力・元気        〜の下を掘ってこわす・徐々に弱らせる   CAP *** CAPACITY(容量)・CAPITAL(都市)   〜の一番上を覆う CAPE *** 岬 ・ GOOD HOPE   PACIFICA *** 穏やかな、平穏、平和な  横浜にパシィフィコ横浜って、ところがあるけど・・・・。  埋立地なんで、なんか変な気分ですよぉ・・・。  オートバイで走っていると、海の水面を走っているかのようで・・・。  (景色が、どう考えてもちょっと沖にでたボートの上のようなんだもの)                           維/YUI。 02545/02545 PAG03134 はな 「十字」と「卍」 (その13) (14) 94/10/06 10:17  ● 「白い光」=「肉」 : 「黄泉の光」=「霊」  プラトン【Platon】:ギリシャの哲学者。ソクラテスの弟子。アテナイ           市外に学校(アカデメイア)を開いた。霊肉二元論           をとり、霊魂の不滅を主張、肉体的感官の対象たる           個物は真の実在ではなく、霊魂の目でとらえられる、           個物の原形である普遍者(イデア)が真の実在であ           ると説いた。このイデア論に基づいて、認識・道徳           ・国家・宇宙の諸問題を論じ、哲学者の任務はイデ           ア界を認識して、現実の世界をこの理想世界に近づ           けることにあるとした。(広辞苑より引用)  プラトンは、「霊肉二元論」を唱えました。  ここで、いままで白い光や上昇三角と捉えてきた△と▽を、それぞれ、 肉と霊になぞらえてみます。  白い光(△) = 物質(肉)の世 : 黄泉の光(▽) = 精神(霊)の世  このように置き換えると、これまでの解読は、いっそう文意がはっきり します。  「光よりの光」からアリオンが霊と肉についてどのように定義している かを引用します。アリオンは同書で、霊と肉(および知)について、かな りの紙面を割いています。 ■ 「肉」は人の体や、物質的なものすべてをひっくるめた存在の呼び名  である。これが一番そこの部分つまり基底をなす。 ■ 「肉」の見地は非常に狭い、その場だけの取りつくろいを得意とする。 ■ 「霊」は「知」が、「肉」の方向づけをするのを見守り、宇宙真理か  ら外れないように監視する。  正八面体には、「霊」と「肉」について、さらに、以下のように書き込 むことができます。             (図C) * *.**   ←  【肉】 * . ** 大なる十字 → * . * *    「白い光」 (=上昇三角 △) * . * * * . * * ↑ * . . . . .* . * * . * * * 【互いに逆回転】 * * * * * * * * * *  * . * * ↓ * . * * * . * * 三角(金色) → * . **   「黄泉の光」 (=下降三角 ▽) * . ** * . **  ←  【霊】 * * *   『 1. ようやく曙光が見えたと思ったら、     2. 嵐の前触れである大きな黒雲が見えるだろう。     3. しかし、勇気ある者たちよ、怯んではならない。     4. 嵐の力によっても、光を消すことは出来ないからだ。     5. 光を消すことの出来るのは、ただ一つ。     6. それは、光だけなのだから。                        (1992.05.07) 』  以前、白い光と黄泉の光とに分解して読み直したこのメッセージの、5 −6行目は、このような言い換えになります。      『 5. 光を消すことの出来るのは、ただ一つ。        6. それは、光だけなのだから。    』                ↓      「 上昇三角の白い光を消すことが出来るのは、        下降三角である黄泉の光だけである。  」                ↓      「 肥大化した「肉」の世を消すことが出来るのは、        これからよみがえる「霊」の光によってである。」  人間の衣食住の悩みは、物質を必要な分だけ摂取すればいいのであり、 まるっきり無くても困ります。白い光がまったく無い状態では、我々は 存在できません。白い光(肉)を総て否定し、消してしまうのではなく、 黄泉の光(霊)とバランスをとることによって、きれいなヘクサグラム ができます。なお、ヘキサグラムはARIONのコード・シンボルでし た。 * →・ はな ・← * - FARION MES(18):★二人三脚ネットワーク実験室★・・・・あもり 94/10/06 - 01886/01889 HGB02122 あもり RE:RE^2:虎の尻尾を踏んで見る (18) 94/10/05 17:54 01884へのコメント  #01884 Eddie 殿 § あもりは、なにを忙しそうにしているんだろう。  「忙しい」の「忙」の字を分解すると、「心が亡くなる」です。  私の「忙しい」のはまさにこの通りで、「忙しい」と「忙しい」の山の  間のキリカエがうまく行かずに、「忙しい」ことに流され過ぎている...  慣れ過ぎて...いることだと思います。  生活には必ず起伏(リズム)がありますが、「忙しい」とひっくるめて  捉えてしまって、貴重なはずの自分の時間さえも紛れてしまっています。  ここで、自分の心が「?」を提示して来ました。  「忙しい時間」と「自分の時間」とは違う時間なのか....?  「忙しい」ことは、自分の時間の中に含まれます。  私の場合は、「忙しい」ことを「外部からの干渉」にしてしまって、一  種の責任転嫁をしているわけです。「自分のしたい事が出来ない」とか、  「心が落ち着かない」などは、全て「忙しい」せいにしてしまって納得  しているのです。  「忙しい時間は自分の責任ではないから、仕方がないんだ」と思う事に  よって責任回避して、自分を守ろうとしているのでしょうね。  まさに「心が亡くなる」状態です。                  HGB02122 あもり 01887/01889 HGB02122 あもり なぜ、他人のせいにしたいのか? (18) 94/10/05 17:54 コメント数:1  「忙しい」ことについてアレコレ考えていると、自分の中に案外「他人の  せいにしている」事実が多いのに気付きました。  勿論、表面的には自分の責任において生きているように振る舞っているの  ですが、心の中では「責任転嫁」で処理してしまっていることが多いよう  です。  精神の自立という命題に則して考えてると、とてもマイナス要因であると  思われます。  石につまずいて転んだら、恥ずかしい余り石のせいにしてしまう....  こんなことは往々にしてある訳で、自分の不注意を自分の責任から切り離  してしまっています。  こんなときは、「転んでしまった自分」が「みっともない」として、巧妙  に取り繕うとする働きが生じます。その安易な解決方法が責任転嫁でしょ  う。「石があんなところにあるのがいけない」....心はもの凄いスピード  でその答えをはじき出します。  何故、「みっともない自分」がいやなのか?  普通にしている自分も、何かをしでかしてしまった自分も、同じ自分であ  るにもかかわらず、どうしていやなのか....?                  HGB02122 あもり 01888/01889 QFH02012 アラミス 情報欲求 (18) 94/10/05 22:16 01883へのコメント さて「情報欲求からの脱却」ですが・・・私がここを見回してみた限りでは情報を 得る事だけを目的にここに参加している人は極めて少数であると思えるのですが、 智美パパさんには多いと見えましたか? 私が思うに情報を得る事のみを主目的として、ここに参加してもその様な人は遅 かれ早かれ行き詰まるであろうと考えています。たぶんその様な人達から見れば、 このフォーラムは決して面白い場所では無いでしょうから・・ もし脱却を唱えるのであれば、やはりそれは情報欲求だけの人個人に向けて発せ られるべきではないでしょうか?確かに不特定多数に向かって広く呼びかけると いう方法はありますし(私もたまに使う)、智美パパさんの一連の発言はそれで しょう。しかし私の今までの経験からすれば、よっぽど上手くやらないと他人に は容易に伝わらないものなのです(これについては「誤解回避の発言方法の提案」 の話しも含めて別文章で書込む予定です) それから、前に智美パパさんの話していた「みれさんがRTから落ちると他の人 も一緒に落ちて行く」事に納得がいかないとありましたが、これが「情報欲求か らの脱却」の話しにも絡んでいるのでしょうか?・・でも私から見ればみれさんが 落ちる皆落ちるというのは昔はそうだったかもしれませんが、今はかなり違うと 思うのです・・少なくとも落ちて行った人達は情報欲求とは無関係に見えました。 私はむしろ智美パパさんのARIONやみれさんへの関わり合にて前は情報欲求が主で あったという発言の方が驚きでした。これも私とは大分違う所です、これについ ても別途書きたいと思います。 ここで私自身の情報欲の話をしてみましょう、昔・・と言っても20代前半ぐらい の一時期ですが私は当に「情報欲求の塊」でありました。 「知りたい」という唯それだけのものが私の人生の第一の目的と化している様な 時があったのです。知って得た知識を吸収して実践したり役に立たりするのでは 無く「知る」事それ自体が快楽だった訳です。 例えば当時の私の目の前に悪魔が現われてこう言ったならば・・ 「お前の魂と引換えに宇宙の真理を教えてやろう・・・どうだこれを受けるか否か?」 ・・私はためらいもせずにYESと答えたでしょう(例え話ですが)。 この情報欲もある程度満たしてやったせいか、それとも他に興味が移ったせいか 今では人並み程度に落ち着いた様です、流石に今はこんな事はありませんよ。 私自身振りかって見れば情報欲に捕らわれている間は薄っぺらい味気ない生活だ った様に思えます(所詮情報は刺身のツマでしかないです) 01889/01889 PFA03317 Eddie RE:なぜ、他人のせいにしたいのか? (18) 94/10/06 08:36 01887へのコメント  Eddie です。  なぜだろう?  自分に置き換えて見たとき、みっともないっていうのは、言い訳だなぁ。  みっともなくて嫌な感じをさせていることで、責任を取らずに済むようにする。  石にころんだのが自分の責任だとしたら、石になんらかの影響を与えることができる  例えば、どかすとか。  石のせいだとしたら、石に影響を与えることは不可能だなぁ。                                 Eddie >