MRE - FARION MES( 6):∞・∞ 壁(カベ)・∞・∞・∞・∞・∞・∞・∞・∞・∞ 94/10/17 - 02999/02999 GBB03425 Paper Birch 今週のセーラームーン ( 6) 94/10/17 07:46 うわぁ! えらいこっちゃ。 セーラーウラヌスとセーラーネプチューンが、死んじゃったぞ! ちゃんと生き返って貰わないと困るぞ。(-"-) クリスマス商戦に向けて、人形を仕入れてあるんだから。 たのむよ。ホントに。                △▼△ おもちゃ屋の Paper Birch △▼△ - FARION MES( 7):★世紀末書込み寺★・・・・・・・・・・・・ARION 94/10/17 - 03660/03665 GDB00064 オリハル RE:体験-経験-智慧 ( 7) 94/10/16 14:49 03656へのコメント ごとうくまおさん、始めまして。 英雄さんへのRESに割コメ失礼します。 ちょっと思うのですが、ごとうくまおさんの文章の結語がいつも否定形です。 また、あなたの文章は、事実の記述に徹していないと思います。 徹していないところに変な感じがあるのだと思います。 それで、事実の記述があなたの目的だとは思えません。 では、あなたの目的は何ですか。                             オリハル 03661/03665 GHB02532 ごとうくまお RE:ごとうくまおさんへ ( 7) 94/10/16 19:14 03628へのコメント コメント数:1 エスペラントさん、こんばんわ。くまおです。 ゴクマですか・・・いいですね。ちょっと気に入りました。じゃあ私も、「エッさ ん」て呼んでいいですか?・・・なんかヘン? えーそれでは本題ですが、・・・いきなりリンゴを否定されてしまいましたね。リ ンゴを使ったのがまずかったんでしょうか。じゃあ、エッさんの目の前にある(ある でしょ?)このディスプレイを見てください。これを見ながら、手で触れながら、こ の存在のありようを意識作用によって左右したり、消去できますか?ということを言 いたかったのです。もしできたら、これはミスターマリックよりすごいですよ。ハン ドパワーどころの騒ぎじゃありません。 《 「あるがまま」を正しく認識しているかどうかを知る方法 ですか・・・。ありません。認識というもの自体があるがままから離れたものだか らです。あるがままを観て、それから認識が起こるわけですから。 《 注意を向け、判断・評価しようとするまでは、言語化されないと思います。 そうですか?判断・評価というものは、言語によるものではないでしょうか。言語 化がなくて、判断・評価することができるでしょうか?ここで言及されている「判断 ・評価」について、もう少し詳しい説明をお願いします。 《 照合できるのは、感覚を通じて送られた目の前のものの模写としての情報です。 ここはちょっと考えましたが、わかりました。そのとおりですね。しかしこれは、 難しいところです。感覚器官を通して入ってくる情報が、脳・意識に到達するまでに 加工されているかもしれないという疑いが生じます。これは私にはわかりません。た ぶんあなたにもわかりませんよね。 《 実際の事物と、模写された情報との一致を確かめる のは、意識、すなわち「私」だからです。そして、「意識する」こと自体が、情報 の加工であるかもしれません。そんな感じがします。 《 見るけど、記憶しないということで「判断」の速度が上がるのだと思います。「 記憶」することを意識しなければ、純粋に「観る」ことができるようです。けれ ども「記憶」したいという意識を捨てるのは難しいです。ここの部分について、 もう少し状況を段階的な説明が欲しいと思います。 記憶しないことは、脳が正常に機能する限り、不可能だと思います。記憶するとい う機能は、先天的に備わったものです。後天的に形成された意識がそれを抑制するの は、ある程度までは可能なようですが、それを進めると、脳・精神は、極度の機能低 下を起こします。つまり、心が鈍るということです。私はこういう人と、一年半ほど お付き合いがあり、いまも続いていますが、実地に観察してきたことですので、まず 間違いないとおもいます。 《 私もいつか、そのような状態を自覚してみたいと思っていますが、ゴクマさんの 話す内容は、その状態を実感した体験に基づくというよりは思弁的なので、その ような対応をしています。体験があるのでしたら、全然、あなたの方が、本質を 理解しているということになり、私の側に言葉はないと思います。 「体験」も、記憶することと関係があります。体験の瞬間は、それがどういうもの であるかを考えたりしないのですが、脳はそれを記憶しています。後からそれを思い 出して、「あれはどういうことだったんだろう?」と考えますが、しかし後から考え ても無駄なことです。体験をどのように解釈し、判断し、説明をつけようとも、それ らは体験とは何の関係もないからです。重要なのは、体験を自分に説明したり、証明 したりすることではなくて、体験を理解するかどうかだと思います。そして理解は、 意識的におこなうことができないので、「私という意識」には、どうすることもでき ません。私にできるのはただ「観る」ことだけです。 余談ですが、体験したいという願望は、それが起こる妨げになります。体験したい 、そういう状態を味わってみたいという意識がある限り、それは起こりません。ちな みに、私のいう体験とは、「頂上体験」「至高体験」と呼ばれるような、存在との完 全な共感ではなく、もっと浅いレベルの話です。あの状態が極まるとそんな風になる んだろうな、という程度のものです。私は、そうした体験よりも、変わらなければな らないという気持ち、自由への衝動、意識とは無関係な運動である瞑想の方が重要だ と思います。 ¥くまお 03662/03665 GHB02532 ごとうくまお RE:ごとうくまおさんへ ( 7) 94/10/16 19:16 03629へのコメント RES<#3629> 確信について。 《 「この世界は本当に実在するのだろうか」ということを思索して見極めること    は結局できない そのとおりです。私は「真実を見極めるための自由な思索」を、思考の嘘を見抜く ための懐疑の過程という意味で使っています。疑うための自由です。考えることによ って、直接真実に至ることはできません。考えることの嘘を見抜き、それを否定する ことによって自ずから真実があらわれてくるからです。 《 言葉以前にも、私達の精神を支えているものは多くあります。 それはなんですか?よろしければ教えてください。 《 私は真理は「法則」であり、「作用」として認識されると考えています。 そんな気もしますが、真理は認識することはできません。認識は過去からの反応で あり、真理は過去に属しません。「認識する私」は、意識の働きですが、真理は意識 とは無関係に「在る」ものです。 《 確信とは、「私は赤いリンゴを見た。だからそこには赤いリンゴが存在する。」 という判断を支えるものです。そのことを客観的に証明することはできません「 確信」がなければ、送られてきた知覚情報はすべて意味をなさなくなります。 精神は、なんらかの支えがある限り、真理に出会うことはできません。また、なぜ 証明する必要があるのでしょうか?証明もまたひとつの結論ではないでしょうか。す るとまた精神は結論に縛られてしまいます。確信によって与えられる「意味」は、言 葉の域を出ていないのではないでしょうか。「存在の意味」は、言葉に依存するもの ではありません。 安定所についてですが、これは比較的簡単なことです。宗教に群がる人達、それに 慰めを求める人達は、神を信じたり、それについての観念を持つことで、安心します 。イデオロギーについても同じことがいえます。また、個人的な信念、観念や特定の 人間関係、つまり恋人や、家族なども安定所となります。教祖や政治家も安定所です 。家、お金、地位といったものも安定所です。様々な対象と、自分自身を一体化、同 一視することで、自分は安全だ、安定していると考えるのです。 特定の人間関係や、財産などは、死や、時間の経過、なんらかの事故によって苦痛 や悲しみを残して遠のいていきます。しかし観念や信念は、それらよりも持続性があ るので、格好の安定所になります。人生の苦痛や虚しさを味わった人達が宗教に救い を求めるのはそうした理由からです。安定しようとする願望は非常に強いものですが 、それから自由でなければ、真実に出会うことはできません。安定という支えを持っ ている限り、それがなくなったら・・・という恐れは常にあり、恐れは精神を束縛し ます。支えがなければ、それが崩れたらという恐れもありません。精神は、一切の支 えなく自立していなければ自由ではあり得ません。 ¥くまお 03663/03665 GHB02532 ごとうくまお RE:ごとうくまおさんへ ( 7) 94/10/16 19:18 03630へのコメント RES<#3630> 鳥にとっての確信 《 実際は、地球は自転していますし、太陽の回りを公転しています。大陸はプレー トに運ばれていって、いずれ海の底に沈むでしょう。地上は、鳥にとって、飛ぶ のに疲れた時の休息所として、一時的に機能しているに過ぎません。 鳥は、自転とか公転とか、プレートがどうのこうのという知識を持っているんでし ょうか。 《 鳥は飛ぶ生き物であって、飛ぶという行為のなかで確信を得られなければ安心は 得られないでしょう。地上に降りたつことで見出された確固たる「存在」は不安 や恐れの反映であって、真の確信ではないと思います。 鳥は、「自分は飛んでいるのだ」ということを意識しながら飛んでいるのでしょう か。それともただ生きるために飛んでいるのでしょうか。なぜ飛んでいると確信しな ければならないのでしょうか。自分が死にそうに飢えているとき、目の前に食べ物が あったら、それをただ食べるだけです。生きるために。食べながら、「自分は食べて いるのだ」などと意識しなければ、食べられないのでしょうか。また、飛んでいなが ら、なぜ安心する必要があるのでしょう。どこにどんな危険があるかわからないとい うのに。飛ぶことがどれほど危険だろうと、不安だろうと、飛ばなければ生きていけ ません。それが鳥の生だからです(ペンギンとかダチョウは別ですよ)。そしてまた 、鳥が次の世代を創造するのは、大地の上です。子作り、出産、子育ては、確固とし た大地がなければ不可能です(木の上があるじゃないかと言ってもダメですよ、その 木は大地から生えているんですから)。 エッさんの言いたいこともわかります。私の、心理的な現象に関する比喩表現にた いして、強引に物理法則を適用するのは、「法則こそが真理である」というエッさん の姿勢に忠実な展開だといえましょう。しかし、心理的な世界に、物理的な法則が絶 対にあてはまるのでしょうか?確かに、私達の意識には法則性があります。私は最近 、意識も物質であるのかもしれないと感じています。私の肉体や、私のまわりの無機 物、有機物などとして認識される物質と同じ様に。そして私達が、物質としてものを 認識することが、物質を作り出すのではないかと。つまり意識が、固定したものとし ての物質を作るのではないかと思っています。 しかし、この世界にあるのは、物質が全てではありません。「物質でない存在」は 、確かにあります。結局のところ、物質は、物質でないものの「結果」としてあらわ れているにすぎないのではないかと考えています。その、物質を作り出すもと、物質 でないものが「真理」なのではないかと。しかし物質である「私」は、それを知るこ とができません。私が精神を占有している限り、それに出会うことはできません。私 にできるのはただ「観る」ことだけです。 ¥くまお 03664/03665 GHB02532 ごとうくまお RE:ごとうくまおさんへ ( 7) 94/10/16 19:19 03631へのコメント RES<#3631> 渡り鳥 国語のテキストに載っている物語にたいして、どんな感想を述べたら、先生は満足 するんでしょうね。感じることは大事ですが、わざわざそれを説明する必要があるの かと思います。まぁ、国語の授業だから、どう表現するかというのも採点の基準にな るわけで、そういう意味では無難な解答でもしておけばいいんでしょう。 《 「渡り鳥は、〈自分達は日本へ向けて飛ぶのだ〉という定義にしたがって飛んで いただけに過ぎず、その先に何か目的を意識して飛んでいたわけではないだろう から、途中で力つきたとしても、悲観する必要はなかったと思います。どの段階 で死んだ鳥も、自分達の定義を逸脱しなかったので、不安はなかったと思います 。しかし、人間は迷うということをしますので、この渡り鳥のようには飛ぶこと はできないだろうと思います。」などというふうに答えました エッさんらしいや。 私に言わせると、渡り鳥は定義にしたがったのではなくて、シベリアとかその辺が 寒くなってきたから日本に渡るつもりになったんだろうと思います。あんまり寒いと 子育てとかできないしね。気候の変化に体がついていけないので、長距離移動という 手段で種の存続を図っているのだと思います。要するに、生きるために渡るんです。 生きることに理由はいらないと思います。 かわいそうだの、残酷だのと、うるうる顔で訴えるのは、ヒマな人間です。だか らと言って、殺すことは正当化されませんけどね。 ¥くまお 03665/03665 SGW00342 エスペラント RE:ごとうくまおさんへ ( 7) 94/10/16 22:17 03661へのコメント #03661 ごとうくまおさんへ  どうもRESをありがとう。一応、ゴクミさんの書いたものは、すべてよく読んで  います。ゴクミさんとのやりとりは長くなりそうですので、周囲に迷惑をかけない  ように、次回、私としては、ある程度まとまった意見として、全体を完成してから、  少しづつ話すことをしたいと思います。うまくまとまらずに停滞するかも知れませ  んが、よろしくお待ち下さい。                       ≡△○ エスペラント ☆★ - FARION MES( 8):☆恋愛玉手箱/風まかせ編☆・・・・・・・・・・・・・・ 94/10/17 - 00551/00551 GGD02212 スウ 内なる異性(3) ( 8) 94/10/16 21:51 00547へのコメント  #540で異性愛をより喜びに満ちたものとするための「異性と同調する能力」 に関して述べ、#547では性的な欲求が異性化願望として表現されうることにも 言及し、誰しも同性愛的な要素を素材として備えていることを示唆しましたが、 真に同性愛を指向するか否かを何が規定しているかについて考察を試みます。  男色や男娼の歴史は古く、カゲマが武士の嗜み?だった時代もあったようで すが、多くの宗教で同性愛が罪悪とされて来たことの影響は無視できません。 現実問題として、社会的に冷遇され差別されがちな立場に陥りたくないという 恐怖心もあります。しかし、そういう罪悪感や恐怖心を差し引いても、やはり 同性愛に対する抵抗感は私の中に存在します。  自分の場合、男性的な要素(精神的には積極性、肉体的には筋肉)に乏しい と言う意識があり、人からも話し方が女性的とか女みたいな手をしているとか 言われたことがありますが、逞しい男に愛されることと美少年を愛することの 何れかの選択を強いられるならば後者を選択するでしょう。無論、美少年より 美少女の方が好ましく感じられるのですが。(^^;  さて、仮に美少年を'愛する'ことを選んだ場合、相手が妊娠し得ないことと 結婚を迫られる可能性が極めて少ないことが、私に限って言えば、互いの人格 を高め合うとかよりも、単に刺激を求める対象として相手を扱ってしまう要因 となるように思われるのです。これはそのまま、逆の立場に陥ることへの不安 につながり、逞しい男に'愛される'ことへの忌避感につながっているようです。  妊娠や婚姻を前提としない性愛が現実逃避的自慰行為の延長の如き退廃的な 方向に流され易いリスクを伴うことは、同性愛において際立ってしまうように 思われるのですが、対象が異性の場合にも言えると考えられます。そのような 退廃的とは逆方向の性愛を成就することが私の当面の課題と思われるのです。  以上で、このシリーズの書き込みは ひとまず終了とさせていただきます。  ウーン、 イマイチ キアイノ ノラナイ カキコミニ ナッテシマッタヨウナ・・・(--; シツレイ シマシタ (__) (スウ) - FARION MES( 9):★神々の曼陀羅/美と信仰と史★・・・・・・・TAO 94/10/17 - 379/382 TCC00116 NoB RE:11月旅行スケジュール(修正版) ( 9) 94/10/16 16:49 377へのコメント TAOさん、また旅ですか。いいですね。本尊の見返り阿弥陀は、間近でみたことがあ ります。意外に小さい仏様ですが、印象深いものでした。 NoB 380/382 JBH02324 なえ 死/視/至/思 ( 9) 94/10/16 17:05 139へのコメント  さて、西遊記の主人公三蔵法師はインドから多くの法典を持ち帰りました。その  中に「この国の南方、海に面した秣剌耶山の東に布咀落迦山がある」と書に記し  ています。そして仏教の伝播、特に観音信仰が、同時にこの内容も所を変えなが  ら、信仰の伝播ルートを通じて連面と今に続いています。インドは南端のカニヤ  クマリ、チベットのラサ、中国は船山群島の中の普陀山、朝鮮半島の洛山、そし  て日本の那智熊野、日光、室戸、足摺。そして共通項 は「海」「河川」が「山」  や「磐」に隣接し環境は厳しい事です。  仏教の説く「ポータカラ」は、日本に行き着いて「補陀洛渡海」になりました。  一時期、この渡海を巡り多くの人々が粗末な船に乗り、海を越えて大洋にと出て  行きました。生きながらにして、自らがホトケになるために。熊野年代記に依れ  ば、860年代に始めて起こってから、江戸時代までに19回もの数を数えてい  ます。また、一回に一人とは限らず、ある場合は十数人もの同行者がいますので、  その総数はかなりな人数と捉えられます。  その船と言えば、実際は棺桶の様相に近く、船の内部は全てが釘などで閉じ込め  られ、僅かな食糧だけを持ち、到底生きては帰れない事を前提に船出をしました。  熊野の補陀洛山寺蔵の「熊野那智補参詣曼茶羅」には、この補陀洛海渡の絵が残  されています。  変わっているのは、その、今まさに出航せんとする海渡船のその反対に、豊穣を  主張するかの様な米俵を積んだ船が接岸しています。何故にこの海渡が同時に豊  穣をもたらすのでしょう。つまりは、海渡が、同時に自己否定から始まる他者救  済に完結していたからでした。  自己の肉体をも解放し、同時に現世執着を捨てホトケを求め、そして五穀豊穣を  もたらさんと海渡は延々と進められたのでした。折しも、時代は混迷のまっただ  中、室町幕府(足利)の崩壊の一歩手前、応仁の乱を迎えていました。  さて、東北の日本海側に於いて、少し変わった風習が残されています。漁師が出  漁していて遺体の漂流を見つけますと、その遺骸が誰で在れ、丁重に扱い、祭の  様な雰囲気で葬儀を行う神事が今に残されています。この事は何を物語っている  のでしょうか。この前述を踏まえてみれば、案外、死体は海渡の、その名残の様  にも感じます。他者救済をする為に旅立つ者が、豊穣を連れて帰って来た。と捉  える事も可能です。豊穣が遺体と共にやってきた。  この死体は俗に胡様がやってきた。とも言われ、丁重に葬れば豊漁だったと言い  ますから、えびす信仰となった訳です。別にえびす神がいる訳ではなくて、海の  向こうには別世界、つまり、ヨミがあり、常世の国があったと言える訳です。  その海の彼方からやってくる遺体は、すなわち豊漁を意味し、それが恵比須信仰  と結びつき海渡で渡ったホトケが帰って来たのだと見なすのです。  しかし、又、もう一つの考え方で捉える事も出来ます。それが、朝鮮や中国の移  民に依って文化なり、技術なりを運んで来た。その名残と取る事も可能だからで  す。死体と同時に流れ着く多くの漂着物の中には、現地の者達に取っては非常に  価値の高い諸々が在った事は否めません。  大切に残されていく歴史の遺物。継承の難しさ。しかし、それでも続けられたか  らには意味もその重要性も在ったのです。その深さを辿る旅。今まさに、その旅  は始まったばかりかも知れません。現在の文化の四捨五入が何を切り捨て、何を  融合させて来たのか。今、大事なのは現実の中に潜む意味を紐解き、そして、そ  の中に存在したココロの流れを汲み取る事なんだと思います。  旅はもしかすると途切れ、見えなくなるかもしれません。それでも、何処かに手  がかりを求め、そして探していく事。自分のルーツが見えてくるかも知れません。  貴方の足元でひっそりとたたずみ、草の影に見え隠れする地蔵や道しるべ。それ  が、案外貴方の歴史に深く関わった名残であるかも知れません。現代医学という  万能選手が無かったヒトビトの時代。生きる事死ぬ事がどんなにか重要な問題だ  ったのか、もっと純粋に求めて求めきれなかった時代に、そのココロは、確かに  沢山の意味を残して来たのです。今も、何処かに。すぐそばに。                    ◇アンブレサリョ◇ なえ 381/382 JBH02324 なえ 古史ひとくちメモ 2 ( 9) 94/10/16 17:06    妙見菩薩 = 天御中主  神仏習合は色々な融合を起こしましたが、中でも、アメノミナカヌシという神様  が妙見菩薩を表している事は余り知られていません。  妙見菩薩は北辰信仰が原点です。北極星の星々は天帝の乗る車と見なし、その天  帝に仕える北斗が生死を司り、人の禍福を決める、長寿と繁栄の祈願対象となり  ました。  威力をはっきしたのは御符で、古くは陰陽師が仕切っていた様です。初期道教に  於いては、最高神を太一神とし、北辰北極星の事でもあります。その祈願符とし  ても意味を持ち、日本に入って来た時には、既に習合した後の姿だった様です。   「妙見菩薩とは、衆星の景勝、神仙中の仙」 と記述されています。  清和源氏の中で摂津に残った能勢氏や、加藤清正も熱烈信仰したようです。  武士の時代、生き残る事が最大の課題だった時、この「北斗」と「月日」の朱字  の御符を身に着け敵陣に参戦した者の多くが生き残ったとも言われている事から  武神としての位置付けも出来ます。時代は変遷し、馬の神、眼の神、そして、五  穀豊譲、安産、良縁恵与の神となります。  亀にも共通の意味を持ち、玄武との繋がりも見落とす事は出来ません。                    ◇アンブレサリョ◇ なえ 382/382 GGD02212 スウ およよ ( 9) 94/10/16 23:45 371へのコメント  割りコメ御免下さい>なえさん。  イ・ヨンヒさんの本、読んでるんですか。万葉仮名を古代韓国語の吏読に 準じた表記法と見て訓む、と言うやつですね。「日本」成立時の歴史に関し、 天皇の出自とか、なかなかスリリングな説が展開されていたり、「記紀」に 出て来る神様の名前の由来とかについても示唆に富んでいて目が離せません。 実は先日、「もうひとつの万葉集を読む会」に入会しちゃいました。それで 大伴旅人の歌の解読ですか、まだ解りませんが、何かヒントでも見つかれば またコメントさせていただきます。              (スウ) - FARION MES(11):★平井和正/異界漂流★・・・・・・・・・・・・アキラ 94/10/17 - 819/821 NCD01751 しろおか レミングの(道徳)法則 (11) 94/10/16 19:58 「大江 健三郎」さんがノ−ベル文学賞を受賞されましたね!!。 \(^o^)/ 《祝》 ヒュ〜 ドン!ドン! パフパフ しかし、御多分に洩れず私も、大江健三郎さんの小説は一度も読んだことがありません (*^^*)。平井和正さんのファンの方々であれば常に御存じの事とは思いますが。『狼 の紋章』(徳間ノベルズ)の巻末にて、「出さなかった手紙」と題して大江健三郎さん へ宛てた手紙の内容が掲載されています(題名の示す通り投函されなかった手紙)。そ の内容はといえば。戦後民主主義者と自他ともに認める大江健三郎さんへの、民主主義、ヒュ−マニズムといった先験的観念論のような価値観・世界観に対する批判の様なもの であったと私は捉えました。 投函しなかった平井さんの態度は適切な判断だったかもしれません。"人の認識と対象 との同一性"という問題は哲学上の未解決の難問でありますから、両者どちらの認識の 方がより客観的か?などといった議論は不毛であるのかもしれませんから(^ ^;)。 御多分に洩れず、私も、大江作品を読まなければイカンかなぁ〜?、などと考えている 今日この頃です。私は本来、小説を読むのはあまり好きではないのです。他者の、取り 分け作家などという人種の病的な主観を見せられることには辟易するものを感じてしま うからです。その点、新聞などで読む限り大江健三郎さんという作家は、超個人的主観 を重んじる作家という評価で紹介されてありますから比較的安心して読めるかもしれま せん。 PS:かなり以前に『続 マ−クゲインの日本日記』という本を読んだことがあります。そ  の本によると、戦後間も無い日本の政財界のリ−ダ−たちはこの著者でありユダヤ系  アメリカ人のジャ−ナリストに、占領軍の政策は左翼的だと能く零していたそうです。 早い話しが、戦中戦後の日本のリ−ダ−たちは左翼思想と民主主義の区別も理解して  いなかった、という笑うにも笑えない情けない内容でした。(;_;)シク シク   820/821 PXB01563 おみゃー エイトマン面白いですか? (11) 94/10/16 22:15 814へのコメント >>>>しろおかさん そうですか面白かったですか、そりは良かった。僕にとってはぜんぜんです(,,) 田中課長が部長になって一郎がイチローになってデーモン博士も登場してもちろん 谷博士も・・・ 100年経ってもなーんも変わってないじゃあーりませんか。 どーせそのうちサチコさんも出てくるんだろうし。 だいたいエイトマンが現役だったときにも005、007、フィンガーロボット、 ケン、サイボーグマン等などと加速装置を身に付けた敵キャラはいたのだから 2095年では加速装置なんてロボットの通常装備でしょうね。ましてや武器なんぞ どれだけ進歩しているかわかりませんね。これに対してエイトマンの武器といえば、 電撃と8マンナイフ、最終奥義のフォノンメーザーですか。やれやれ だいたい谷博士個人でエイトマンを改造したとしても21世紀の科学を個人で上まわ るなんてできるんかいな。 対してデーモン博士の科学力ならコズマ博士の元素転換技術なんぞとっくにコピー しているでしょうねぇ。 21世紀の代表的なロボットといえばアトムですがエイトマンはアトムを越えられ るのかしらん? 結局このエイトマンにはオリジナリティが感じられないし、言靈も感じられない。 子供騙しにしか思えないわけです。 谷博士の研究所?の奥に眠っているのは宇宙刑事でも○○レンジャーでも違和感を 感じません。エイトマンである必要性が無いのです。 これで「エイトマン=東八郎」だったら感情移入できるかも知れませんが期待薄だ からなぁ 求む反論>ALL おみゃー @名古屋 821/821 PXB01563 おみゃー BACHI☆GAMI感想いきます (11) 94/10/16 22:15 いやはやまったく言うことはありません(^^;) これではUPする意味が無いなぁ(;^_^;;) えっとぉ、ヒラリンが登場しすぎとの意見をよく見かけますが僕にとっては あとがきと本編を同時に読めるようでとっても面白いですハイ。 おみゃー @名古屋 PS P.488右上のバタロガラスの目がヒラリンの眼と同じに見えるのは私だけ でせうか? - FARION MES(13):★神秘学遊戯団★・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・KAZE 94/10/17 - 01825/01825 GBB03425 Paper Birch 日本画遊戯●竹内浩一の集中力 (13) 94/10/17 07:46 一ヶ月遅れの話題ですが、先月出版された日本画関係の本を紹介します。 ■人気作家に学ぶ日本画の技法 第9巻            竹内浩一「動物」を描く  A4変形 1980円  この日本画の技法シリーズは、一巻毎にそれぞれ「畠中光享」「平松礼二」 「中島千波」など、現代の日本画の世界で注目を集めている作家の、実際の制 作過程が紹介されるものです。毎月一冊刊行されるのですが、九月は、竹内浩 一先生でした。  竹内浩一先生は、日展会員で、審査員の経験もある方です。動物を主なモチ ーフに、非常に精緻な、そして深い精神性を感じさせる画風で有名です。  このシリーズの特徴は、上にも書いた通り、作家の実際の制作過程が紹介さ れることです。下絵の書き方から、下塗りの色は何を使っているか。筆の使い 方。色の置き方。仕上げの過程まで、事細かに写真入りで紹介されています。 この本を見ながらマネをして描いていけば、誰にでも一流作家と同じ作品が描 けるという寸法です。(^^)  し、しかし(^^;;。竹内浩一先生のは巧すぎます。おそらく一般の、趣味で日 本画を描いている人では、マネをするのは無理じゃないでしょうか。  巧すぎると言う表現は適当ではないかも知れませんね。しかし、常人にはマ ネのできない、凄い集中力の要る仕事をしているのは確かです。  動物というモチーフは、草花や無機物と比べると、非常に描くのが難しいも のです。その難しいモチーフを表現するために、とにかくいろいろな事をやっ ています。鉛筆で毛並みを書いたり、面相筆で全体に点描したり。凄い集中力 で、コツコツと作品を仕上げていっています。  この本に出ている部分を見ただけでも大変なものだと思いますが、実はこれ だけでは無いです。京都の竹内先生の自宅に伺ったときに、僕は大変なものを 見てしまいました(-_-;。本画とまったく同じ書き方で、練習作品をもう一枚 描いていたんです(*o*)。例えば、動物の前脚の部分、後脚の部分、顔の部分、 それぞれ別のパネルに、本画とほとんど同じ完成度まで仕上げていたのです。 御本人に言わせると、 「本番で失敗したら取り返しがつかないから....」 だから、一回練習しているのだということで、当たり前のことだという感じで したが、実際にそんな事までやっている人は、ほとんど居ないと思います。僕 は、驚きでひっくり返りそうになりました。(^^;;  というわけで、この本を見ても、そのまま真似して描くのは難しいです。し かし作家が、作品に向かう姿勢というのは、日本画を描かない人にさえ参考に なる部分があるのではないかと思います。優雅に水面を泳いでいるように見え る水鳥も、水面下では必死に脚を動かしているんですね。僕もガンバらなくっ ちゃいけないと、身が引き締まる思いです(^^)  もちろんテクニックの部分も参考になります。  一応補足すると、初心者向けの「初めての日本画」というコーナーもありま すし、他の現役作家が描いたスケッチや、近代の日本画の名作も紹介されてい ます。書店で見かけられたら、是非一度手にとってご覧ください。 ホトンドセンデンニナッテシマッタ。(^_^;ゞ                       △▼△ Paper Birch △▼△ - FARION MES(14):★Room 666/預言解読の部屋★・・・・YHVH 94/10/17 - 02555/02558 PAG03134 はな コメントありがとうございました (14) 94/10/16 15:00  Kony さん、しまうまさん、コメントありがとうございました。  卍と十字の方も、少しブランクをあけてしまいました。忘れられてしま ったかも?しれませんが、またアップしてゆきます。読んでくださってい る皆様、またよろしくお願いします。 * →・ はな ・← * 02556/02558 PAG03134 はな 「十字」と「卍」 (その15) (14) 94/10/16 15:01  ● 「鳥居をくぐる」とは 『 あなたがたよ、よく見なさい。   あなたがたの足の下には、何があるのか?   あなたがたの頭の上には何があるのか?   あなたがたの手は、何を掴もうとしているのか? 』                   [1992/02/19]  私達の頭の上には、空、つまり肥大化した肉の世があり、いまの地上は、 この世が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)した世界となっています。  足の下には、海、百鬼夜行が出てきた所である、「これから蘇る精神の 世」がこの世に出てくるべく、準備を進めています。(この準備は、スパ スシフィカの浮上に関係しています。既述)  そして、「わたしたちの手」は、さらに「肉の世」を追い求めるのか、 それとも「精神の世」を求めるのか? というアリオンの期待が上文に含 まれています。  私達が、さらに肉の世を求めようとするならば、空から「大鷲」は獲物 である我々を食い物に出来ます。これではますます「大鷲」の餌食になっ てしまい、人魚は悲しみの涙を出すばかりです。  これらと同様のことを、以下のハローは示唆しています。 『月は見ようとしない者の目に赤い矢を、白い色は轍に聞け』                           (93/09/20 ハロー) 『舞い降りる夢の轍、くぐらぬ鳥居の跡、そして龍は咆哮する』                           (94/04/25 ハロー)  「轍」が、キーです。白い色とは白い光と同義です。色と光をあえて区 別するならば、白い光を現実の世の中に移して「事実」としたときに「白 い色」に「塗られる」とみてもよいでしょう。(ならば、今の世を早く、 「黄泉の色」に塗らなければいけません。)  私達が肉に溺れて作り出してきたこれまでの世の中は「白色」です。そ れが何であるかは、これまで私達が通ってきた「足跡」、すなわち「轍」 を見れば、わかるであろう、とあたかも辟易した口調でアリオンが言って いるかのようです。  「舞い降りる」は、先程の「大鷲」が肉の世を「もっと、もっと」と誘 うべく、さらなる「肉の世」を提供することです。「二の轍を踏む」と言 いますが、「舞い降りる夢の轍」を踏み歩くと、従来の轍をさらに延長し てしまいます。  さらに、このハローでは、「くぐらぬ鳥居の跡」が残っています。「く ぐらぬ」を「くくらぬ」で読み直せ、というアリオンのヒントがありまし た。  これを解く前に、「括り(くくり)」とは何か? を知っておかねばな りません。  「括り猿」というのがあります。猿の両手両足がひもで縛られています。 私の住んでいる岐阜県は飛騨高山(私は美濃地方に住んでいます)に「さ るぼぼ」というお土産があります。これも括り猿として、お守りにされて います。  どうして猿の両手両足が括られるかと言うと、元気(あるいは、時とし て狂暴)な猿の力を手足を縛ることにより、身動きをとれなくする、つま り、力を抑制するために縛るのです。これが「括り」の役割です。  となると、これは私の推測ですが、人間が鳥居をくぐることは、「肉」 を括ることであり、狂暴で暴走してしまった「肉」の力を減ずるためです。 あるいは、「肉」が暴走しないようにする「おまじない」です。(このと き、「霊」もくぐっているのでしょうが、なんといっても、体を動かして 「肉」が鳥居をくぐるという動作を優先するべきです。) 『卍に十字を掛け合わせ、炎の祭典、彼岸の彼方…此岸への接岸』                           (94/07/20 ハロー)  いままで白い光(上昇三角=卍の部分)が主体であったわれわれの世界 に、黄泉の光(下降三角=底辺の十字)を知らしめるべく、これまで彼岸 (隔り世)にいた光が輝きを増し、白い光と調和を保つために戦う、その ために此岸(白い光)への「接岸」(卍と十字を「掛け合わせる」こと) が必要になってきます。  また、      『  鏡の向こうには、あなたが居る         鏡のこちらには、あなたが居る         境界は少しずつ溶け始めている            (I LOVE YOU 2 裏表紙)  』  鏡の「向こう側」と「こちら側」も「彼岸」と「此岸」の言い換えです。 以下の文は、お互いに補完しあっています。         「十字を卍に掛け合わすこと」               :           「彼岸と此岸の接岸」               :       「鏡の向こうと、こちらの境界が溶ける」               : 『カミシクミは滞りなく組まれ、合わせ鏡は完成する。…麒麟は吠える』               ‖           (94/09/04 ハロー)               ‖               ‖        「肉が肥大化した世に、霊を戻す」 * →・ はな ・← * 02557/02558 GCC01413 YHVH 大小逆回転 (14) 94/10/16 23:28      *[意外な舞台設定?]      十字の島はスラウェシ島という話がありましたが、      そのちょうど隣にハルマヘラ島というのもあります。      大きさがワンサイズ小さく、鏡像になっています。      したがって、回転するとしたら、逆回りになります。      それぞれが「大十字」「小十字」かもしれません。      これらの近辺には、アメリカ領のヘレン島の他にも、      セラム島・マンゴレ島・モルッカ海峡などがあり、      俗に言うハルマゲドンの役者が揃っているようです。      だからと言って、何がどうというわけでもないが。                         YHVH 02558/02558 GCC01413 YHVH 愚かであるから人間である。 (14) 94/10/16 23:52   *[建前と本音]   ちょうど今から一年ほど前、姜(カン)先生と一緒に仕事をしていたとき、   先生は「いま東南アジアは世界の縮図になっている」とおっしゃっていた。   その正確な文脈はわからなかったが、どうも利権の奪い合いがあるらしい。   ニュースを漠然と読んでいるだけでは、そのあたりがよく把握できないが、   日本の三井か三菱だかも、確かどこかでプラント開発を受注しているはず。   綺麗事のお題目がどれだけ溢れていても、行われていることは変わらない。                                YHVH - FARION MES(19):※精神世界/見聞録/ぶっ飛び話/アレコレ・・・・ 94/10/17 - 349/349 GDB00064 オリハル 自分は本当に勝ちたいのか (19) 94/10/16 14:50 347へのコメント メルクさん、どうも。 そうでしたか、メルクさんのRESが遅れがちなのは分りました。 | では、他の人には違うかもしれないとはいえ、オリハルさんはその組織に関わ |ることは勧めれれないことと感じているのに、その組織がやっているラティハン |をときどき無造作に勧めるのはなぜですか? その辺の態度に矛盾を感じるので |す。 私があの組織から色々なダメージを受けたのは、私自身が組織的な面での中心的な位置 に在ったからだと思います。それで、「狙われた」のです。私に対しては集中的に攻撃 していた人間は、他の人には態度か違ってきます。故に、形の上では多分、誰も損害を こうむる事はないように思います。色々な行事だとかやりますけど、スブドという組織 はいつもほとんど無意味な事をやっていると感じていました。しかし、ラティハンは週 に2回、30分程度行なって、それで、帰る人は帰ります。スブド内での人間関係を全 く持たないでラティハンだけをして帰る人もいます。そのほうが無意味な行事や事務、 労働に時間を割かなくていいからね。でも、それはそれで利己的な態度とも言えなくも ないですが。でも、そういった、スブドという組織の(私にとって)無意味な時間に意 味がある人もいるかも知れません。例えば、やること片付ける事が山程あるのに、親睦 会とか旅行とかやってるわけです。こういうのは私には無駄な時間だと感じます。いや、別にFARIONがそうだとか言ってません。そもそも、FARIONのOFFというのは出 た事がありません。以前、KAZEさんの3/14のOFFに出ただけです。でも、人によっては、 そういうスブドで費やす時間を無駄とは感じないと思います。そんなのは無くていいと 私は感じてましたのです。人類にラティハン(神の力とつながった人を増やす)を広め る事が大切なのだと思います。私はそのために、組織内部を整える必要上、パソコンと プリンターを当時120万円でローンで買いました。しかし、それに反感を持たれたり して随分と嫌がられました。「あなたは組織を整備すべきだとは思わないのか」と質問 すれば良かったかな。このような、利己的反応をほとんどの人が示します。例えば、私 が職場の身障者の人と一緒にスブドへ行ったら後で、いや、やめとこう。話がアブナイ。要するに、スブドでは、本当に自己修練の目的で入ったのではない人が多いということ です。こういうのは、どこでもそうなのだと思います。 | つまりオリハルさんは、そうした人達に勝つ目的のために、自分を改造するわ |けですね。で、それは遊びだと。遊びのためにそこまで出来るのはすごいと思い |ますけど・・・・。(^_^;) オリハルさんは、それは遊びだと自称する目的のために、 |死さえ恐れないのでしょうか。私は死にたくないし、目先の欲望でいっぱいです。 | なぜそうした人達に勝ちたいのですか?  「勝ちたい」と書きましたが、いかにも本当らしいでしょ(^_^;)。 それを両面的に受取った人は皆無だと思います(^_^;)。 利己的な面 :勝って満足するため 非利己的な面:一つのモデルケースを示す必要がある その心情は例えば、例として以下にARIONの預言を抜粋してみます。 ARION詩篇1 『神を恐れぬ者達よ』 ARION詩篇5 『虐げられるもののあることを許すまじ』 「人との関係に於て勝とう」という側面よりも「自分はこういうことはしたくないぞ」 という側面があります。どちらが大きく見えるかは人に任せます。その意識は、その裏 側に「懲悪」の意識が生じます。「自分はこういうことはしたくないぞ」という目標は 私が目指すものです。動機であり、原因です。しかし、「懲悪」の面は、結果的であり、その種の経験によって生じた意識であります。付随するものです。両面あって私です。 それは、何の為(第一目的)でしょうか。分りやすく言えば、神、あるいは、理想、あ るいは、愛の為です。                                 オリハル >