MRE - FARION MES( 2):【居酒屋1999】--------自己紹介・雑談 94/10/21 - 02831/02831 PXH04471 夢虹 RE:あるにんげんのものがたり(3) ( 2) 94/10/20 23:42 02827へのコメント   英雄さんへ     あるにんげんのものがたり「湖にて」。     毎回、楽しみにしています。     物語も3回めになって、英雄さんの筆にもノリが出てきたようです。     特に、今回の話しの後半は格調高い文章になっているし     英雄さんにとっては「新境地」を開拓したような感じではないですか?     「世界がわたしに向かって突進してきている」     うーむ、シビレますねぇ。     次回は、どうなるのでしょうか?     以上、英雄さんへ、励ましのファンレターでした。                    夢虹 - FARION MES( 6):∞・∞ 壁(カベ)・∞・∞・∞・∞・∞・∞・∞・∞・∞ 94/10/21 - 03007/03008 TBE03167 ねずみ 近況報告 ( 6) 94/10/20 20:21 コメント数:1 ノイローゼが治って今はまだリハビリで四苦八苦しています。 記憶力、反射力が落ちていて、すぐには回復しないみたいですけれど、まぁ、 時間がたてばなんとかなるだろうと思います。 仕事をやっていてすぐにミスばかりするのはちょっと恥ずかしいですね。 女の子もたくさんいる職場なので、バリバリ仕事をしてちょっとイイカッコを見せて みたい、なんていう気持ちもあるんだけど(がきんちょ)現実はその正反対だから 情けないですわ。ひゃひゃひゃ^^ ま、とりあえずは一つヤマを通り越したというところでしょうか。ホッとしています。 いずれまた、新しいヤマが来るのかもしれないけれど、しばらくはこのままぼんやり 過ごしていたいように思います。 今は、まだヤル気なんか、ちっともわいてきません。放心状態というのかな。 時間がたてば・・・多分・・・と思うのだけれど。 へへっ、まぁ、そんなところです。 03008/03008 JBH02324 なえ RE:近況報告 ( 6) 94/10/21 13:40 03007へのコメント  やは…ねずみちゃんだぁ。おっはよぉ。  仕事しながら女の子のオケツばっか見ててニマニマしてたら、  メッ!!しちゃうかんね。(ーー;  今日は雨だねぇ。雨は気分が憂欝になる事もあるけど、少しだけ  自分の気持ちを覗いてみる余裕が出来る気がして、少し好きさ。  窓を流れる雨の滴の、落ちて行く先には何があるんだろうね。  きっと、深い海の底の、貝殻の中の、小さな自分のココロかな。  ねずみちゃんのその真珠の珠は、目が醒めてしまって、少しだけ  戸惑っているのかな。でも、海は大きくて、鮫だの、うつぼだの  凶暴な奴も多いから、すぐに歯を剥いて、かかって行くのも良い  けどさ、海藻の隠れ場所があるんだから、さ。  そこで、破れた所はゆっくりツキハギしてね、それから、また、  自分の気持ちをよく確かめて、それからやる気でがんばろう。ねっ。  気合いってのは、さ、自分で作り出す事も出来るけど、内側から  自然に沸き上がってくる方が、自分らしい場合が多いし、シンプ  ルで、心に気持ち良いんだよね。で、それは、少しの辛抱と、が  んばりの努力で生まれてくる。  それが大事な事ぢゃないかなぁ。きっと…。 - FARION MES( 7):★世紀末書込み寺★・・・・・・・・・・・・ARION 94/10/21 - 03694/03702 GDB00064 オリハル RE:一部つっこみ ( 7) 94/10/20 19:15 03690へのコメント ごとうくまおさん、RESどうも。 | えー・・・。随分と反感を買ってるようですが・・・。なぜでしょうね。 いえ、反感、というより、人を馬鹿にしたような態度を感じるので、反応してます。 |《 こういう否定表現が問題なのです。 | | なぜに? それは「偏り」に感じるからです。例えば、「心が何かの支えがあることでは真実には 至らない」という発言は、自分を含めてのここでの多くの発言を根本から否定するから です。つまり、発言が偏り過ぎているのです。その偏りに、「特定の意図」を感じます が、再度質問します。ごとうくまおさんの意図は何ですか?(質問1) |《 支えがあっても無くてもどちらでも可能である事は明かです。 | | 私には明らかでないのですが。 私はスブド同胞会という会に入っており、神への全託によって自分に流れてくる神の力 に全てを任せるという修練(ラティハン)を行なっており、それは、人間側のいかなる 条件も必要ありません。その本人の自由意志による同意以外は。また、真実と言わなく ても、事実であっても、人間に支えがあっても無くても「その状況によって」どうなる ものでもありません。いわんや真実をや、です。 |《 確かにこの話の筋ではこの発言は妥当でしょうが、相手が証明を求めるなら、そ | のまま証明すればいいとは思いませんか。 | | この辺のエッさんの発言を読み返してみましたが、証明を求めるような文面はあり |ませんでしたよ。 そうでしたか、では、証明は不用ですね。 |《 結論やよりどころはあっても無くても同じです。 | | ほんとに? ええ、上記、スブドに関しての発言を。 |《 確信出来るのは言葉以外のものがあるからだと思います。 | | 言葉以外のものとは? 「事実」です。 |《 安心したり、安定するのは、大脳のソフトウエアの事にしか過ぎません。それ自 | 体は何の問題もありません。安定化するのは、必要なことです。 これは、一個人のコンディション的な事を言ってます。あなたの言うように、外部の崩 壊すべきものに精神が依存するのは「真の安定ノヒ」ではありません。あなたの言う、立 場や所有による精神の執着、「安定願望」は人間心理が求めているものですね。しかし、多くの人は、目先の一時的な安定を得ると、それに執着し、怠惰となりますが、しかし、いずれ、また、どこかへ流れ、動いて行きます。私は、その「安定願望」が問題だとは 思いません。確かにそれは原因ですが、問題ではない。問題なのは、人が自分を理解し てない事だと思います。 |なら、安定に浸っていたいのはあなたであり、それを許している限り、安定願望を正 |当化していられるからです。そうではありませんか? 私が人間の安定願望をどうごうすることなく、その上で何かをした方がいい、というの は、もっと本質的な事を言ってます。つまり、あなたがこのように私へ発言する動機も 何等かの安定を目指していると思いますが、そこらへんも徹底的に問題視出来ますか。 もし、そう出来た上での発言ならば、嘘はないですね。しかし、そういう事は人間には 不可能だと思います。だから、「それを許し、認めた上で何を出来かだとは思いません か」と聞きました。そう思いませんか。(質問2) |えに依存している。何にも依存しないのであれば、その答えもいらないはずです。 私はこの解を使用していたのは、蛇と戦っていた時です。今はスブドで神の力に依存し ています。私は人間ですので、中点なる、バランスをどうしても必要とします。それで、実際、神に依存しています。「実際」と言いましたのは、何等かの過去ではないからで す。 | あなた自身に支えを提供している「私」とは何者でしょうか?そして「人間ソフト |ウェアの問題に過ぎない」と言っている「あなた」は、人間ソフトウェアそのものな |のではないでしょうか。 いえ、「意識」というものは、単なるソフトウエアではありません。「私」と言う時は、その力点は色々なポイントを移動します。それはプロセスであり、プロセス的な側面を 見れば、それは、ソフトウエアとも見えます。しかし、「意識」というものは、単なる ソフトウエアではありません。私が提供するものは、「単なる道具」です。道具とは、 「使うもの」であり、依存するようなものではないと思います。                                 オリハル 03695/03702 SGW00342 エスペラント RE:ゆうじ57世さんのこと ( 7) 94/10/20 22:21 03692へのコメント #03692 追伸(秀峰さんへ) >同じ目的を持った人同士なのに、どうしても同じ場を共有することができなかった >という結果だけが確かなものとして残されたのですが、それを純粋に悲しみとして >受け入れる用意があるか、それとも納得のいく解釈を必要とするかということだと >思っています。私は前者の立場をとりますよ。秀峰さんはどうでしょうか。  私がつい最近まで、感性的にかなりぐったりしていたことの1つの原因はこのこと  でした。今では、このことに関しては冷静です。いつまでも、そのことでうだうだ  と悲嘆にくれているわけではありません。ただ、今はあまり言葉がまとまりません。  自分の言葉の動機に確信を持てないでいるからです。  まずは、心を静かにして、確かなところからの声を聞くために耳を澄ましたいと思  っています。折角、ごとうくまおさんから、言葉に対する問題提起がなされている  のですから、その姿勢・態度に注意の焦点を合わせていこうと思っています。私に  とって、とても興味深いことでもあるからです。  秀峰さんも、本当に自分の話したいことに意識を対応させるということでいいと思  います。慌ただしく状況が変化してきましたし、会話の中で、相手から受け取った  言葉の印象が自分自身のものとして定着することもありますので、ときどき、本当  の自分の関心事がどこにあるのかを見つめ直すのもいいと思います。                       ≡△○ エスペラント ☆★ 03696/03702 PXH01650 英雄 落とし穴(長文77行) ( 7) 94/10/21 00:13 03684へのコメント ゆうじ氏の事について、わたしはこう考えている。 わたしが最も取り上げたい事は、ゆうじ氏の、いわゆる”宇宙存在から のメッセ―ジ”に対する心的態度である。つまり、度々指摘されている 事なのだが、現実的には証明しえない事柄を、まったく無批判かつ無抵 抗に受け入れてしまうその態度である。これは「無邪気」とか「素直」 とか呼べる代物ではないと思う。 たしかに、こういった事柄は、現在の科学や知識で証明することは容易 ではない。だからといって、一切の思考や良識あるいは常識を放棄して 易々と従うことは、時には生命の危険すらある。 わたしは、ゆうじ氏のメッセ―ジの内容に多くの矛盾を感じた。「愛」 に関する見解一つとっても、そこには根本的な誤謬が含んでいる事が見 てとれる。この点については、是非議論をしてみたかった。そう、彼は メッセ―ジ内容についての議論を始めようとすると、それをかわし、い つも何の疑念なく受け入れる人のみと話そうとしていた。彼は信者が欲 しかったのではないか?―――メッセ―ジをただ信ずる者のみをネット ワ―ク化したかっただけなのではないか。今回のメ―ルによる「宣言」 は、その事を実証している。そもそも内輪に対してのみ「宣言」をする という事自体、おかしな話である。 ARIONがその著書で示しているように、”チャネリング”は、非常 に困難な問題を含んでいる。この行為を実行する上で重要なポイントは チャネリングする側の精神レベル――心の状態・人格――である。 地球に住む我々が、精神的手段で受け取る”メッセ―ジ”の発信元には 実に多種多様なものがある事は既に御存じの事と思う。現在の地球の状 態では大変に混乱していて、その中から真実を汲み出す事は決して容易 ではない。 わたしは、ゆうじ氏のRESからは、そういった厳しい条件を無事クリ アして、真実のメッセンジャ―としてふさわしい者である要素を見いだ す事ができなかった。そのメッセ―ジは、あまり適切でない場所からの ものであるか、あるいは多くのノイズを含んだものであったかのいずれ かではないか、と考えている。 「気づき」の最初の段階では、いろいろな超常的体験をすることがある。 そしてそういった事柄や知識に夢中にもなる。しかし、それはあくまで も入り口であって、真の目覚めは、他次元存在との交流や知識によるも のではなく、人格そのものの磨きにあるということを強調したい。 謙虚・素直であるということと、盲信・無批判であるということは似て 非なるものである。どんなに宇宙存在との交流が深まったとしても、こ の現実世界の良識を失うことにはならない。 この態度は、この世界を歩もうとする者にとって基本的かつ最重要な事 である事を確信している。我々が頼るべき道標は、高い人格と品格、そ して現実世界での信頼である。真実に至る道は、極めて地味で目立たな い。我々はつい、派手で自分の知的好奇心を満たしてくれる道に心魅か れる。しかしそれは「落とし穴」である。 真のオカルトな知識というものは、我々が普段目にする知識と異なり、 深い魂域に浸透し心魂を変成させうる程のものである。口あたりの良い 「知識」は、知的満足感を得ることはできても魂には届かない。かえっ て、魂の悪しきフィルタ―と化すことだろう。この傾向は90年代にな ってから顕著になっている。 見かけの華々しさにだまされてはいけない。他次元存在との精神交流は 言うほどにたやすいものではない。先日も述べたように、命を捨てる覚 悟が必要である。僅かでも私心があれば、最悪の場合は肉体の破壊に及 ぶ事さえある。 伝家の宝刀を持ち出す訳ではないが、やはり、絶えず原点に立ち戻り、 自己の軌道修正をしていくことを怠るべきではないと思う。 すなわち、ARIONのメッセ―ジ(著書、過去のログ)を熟読玩味し、 ここに集う者達と根気強い対話を続けるという、およそ地味な行動に徹 する事である。そうする事により、知らず知らずの内に、堅固なネット ワ―クが築かれてゆくのである。 :英雄: 03697/03702 GHB02532 ごとうくまお RE:体験-経験-智慧 ( 7) 94/10/21 07:56 03669へのコメント Sukeさん、はじめまして。くまおです。 《 体験を通して得たものは、単なる知識に止まらず、自分だけの(体験した者だけ の)血肉となる、ということだと思います。 自分が得るものとは、すなわち経験、知識、記憶、過去なのではないでしょうか。 「自分」という意識がそもそも記憶から成り立つものですから、自分の血肉とは過去 のことです。もし「自分」が自我の領域の存在としてあるなら・・・。 Sukeさんのいわれる「体験したものだけの血肉」とはおそらく、体験によって生じ る「理解」「悟り」といったようなものだと思います。そして、「わかった」という 感覚と共に悩みごとが消え去ったりするのですが、それが自分の「意志」や「努力」 によって起こるという錯覚が生じやすいのも事実です。そしてそこから「自分はもう わかっているのだ」という安心が生じてしまうのもまた事実です。 理解や悟りは、意識的に行うことはできないのではないでしょうか。問題を抱えて いるとき、それを解決しようとする自分の意志によっては決して解決できません。肩 の力がぬけて、自分の意志や努力といった雑音が消えた瞬間に、バシッと稲妻のよう にひらめくものだと思います。 問題は常に新しい状況によって生じます。しかしそれを解決しようとする自分が持 っているのは、過去の経験、知識といったものだけです。新しいものに対処するため には、過去である自分の活動は完全に止まなければなりません。その時にだけ、問題 を新鮮な目で直接観ることができます。そこには、問題を「観ている自分」はいなく て、ただ「観る」ということだけがある。その瞬間に悟りが生じるのだと思います。 新たなものが生まれるのは、必ず「自分」という意識が無いときです。「自分は新 しいものを観ている」という意識があるなら、それは真に新しいものであるとはいえ ません。 ¥くまお 03698/03702 GHB02532 ごとうくまお RE:キーボードの解釈? ( 7) 94/10/21 07:58 03670へのコメント Sukeさん、ふたたびくまおです。 《 事実は一つでも、受け取り方は千差万別ではないでしょうか。「基本的には同じ 」と言ってもなお、人は様々であると思います。 確かにそのとおりではありますが、受け取り方の相違にこだわると、人間同士の間 に分裂が生じるのではないでしょうか。受け取り方の相違は言葉が生みだすものであ って、心のものではありません。同じキリスト教の中にも、受け取り方によって宗派 が違い、同じ宗教の中でも、キリスト教と仏教は違います。宗教とはそもそも、真理 と共に生きることであるはずなのに、真理の受け取り方の違い、解釈の違いによって 様々な宗教が生まれ、争いの絶えることがありません。 《 知らないことに出くわすと必ずしもショックだとは限らず、むしろ喜々として取 りつく情景も存在すると思います。それは子供達の遊びの風景に近いものがある と思います。そうした無邪気さを失ってしまったのは、知識が武器であるかのよ うな錯覚に捕らわれ、知識で説明出来ないものを恐れるようになったからかもし れません。 そう思います。子供にとって、知らないことは喜びです。子供は常に新しいものに たいして開かれている。しかし、大人はヘタに知識を蓄えてしまい、それが精神の安 定する土台となっているために、未知のものを恐れます。未知のものは、既知のもの のもろさ、無意味さを暴くからです。そして既知のものとは、「私」という意識と、 それが持っている経験、知識、記憶です。未知のものの前では、「私」のもろさ、無 意味さが露呈される。それゆえ、未知のものを恐れるのです。 ¥くまお 03699/03702 GHB02532 ごとうくまお RE:#3609へのRESです。 ( 7) 94/10/21 08:00 03672へのコメント MAKOTOさん、こんばんわ。くまおです。 お名前の件、失礼しました。ちゃんとMAKOTOさんと呼ばせていただきましょう。 あなたにとっての事実と、私にとっての事実が違っているということはあります。 と言うより、はじめから同じ事実を見ることの方が難しいことだと思います。特に心 理的な事実については。だからこそ、ここでこうして対話しているのではありません か? 《 私には、例え話を間に挟む事によって、どんどん論点をずらしていっているよう に思えます。 そうですか・・・。私はこの対話の中には、まだ明確な論点が定まっていないもの と思っていました。 《 ごとうさんはご自分を真理を「知った」側だと思い、私は「知らない人だ」と思 っていらっしゃるようですね。 これは言い方が悪かったみたいですね。私は真理を知りません。真理は知ることが できない。知られたものは既にただの抜け殻にすぎない。というようなことをどこか で言ったような気がするんですが。私は知っていることしか知りません。当然のこと ですが。知識には必ず限界があります。限られたものによって無限のものを捉えるこ とはできません。私は、知っているというよりも、自我の構造を理解していると言っ たほうがいいのかもしれません。そのレベルがどの程度なのか、自我である私には判 断できませんが。知っていることと、理解していることとは全く別です。 しかし、こんな説明をしてもMAKOTOさんの中の抵抗は消えないでしょう。依然とし て、MAKOTOさんにとっての私は、高圧的で、傲慢な人間と感じられることでしょう。 なぜでしょう?なぜ、理屈を「押し付けられている」と感じるのでしょうか。私の言 葉が単なる知ったかぶりであり、中身のない理論だということが、MAKOTOさんにとっ てはっきりした事実なら、わざわざ受け止めて、不必要な抵抗を示す必要はありませ ん。ただ、無知な人間の戯言としてほうっておけばいいのではありませんか? MAKOTOさんが、ここまで私との対話に付き合っているということ自体が、MAKOTOさ んの中に抵抗があることを示しています。MAKOTOさんにとって私の文章は重く、高圧 的に感じられる。まるで、私の方が知っていて、MAKOTOさんは知らないと言われてい るように感じる。そしてMAKOTOさんもそれを事実として認めていますが、しかし、 MAK OTOさんはその事実にたいして抵抗している。それは、事実をあるがままに受け止め ていないということではないでしょうか。あるがままの事実は、何の問題も抱えてい ない。それにたいして、「抵抗」という問題を生み出しているのは、MAKOTOさんの信 念、観念、そして自尊心といったものなのではないでしょうか。 「私は知っていて、MAKOTOさんは知らない」これが事実なら、ただそれだけのこと であって、何の問題もない。しかし、現実としてMAKOTOさんの中には抵抗がある。な ぜでしょうか。MAKOTOさんは、あるがままの事実を観念によって解釈しているのでは ないでしょうか。「知っている者」と「知らない者」とを、上下関係に置くことで。 なぜ知っている者が上で、知らない者が下になるのでしょうか。MAKOTOさんは、私の ほうがMAKOTOさんよりも上にいると解釈している。それがMAKOTOさんの自尊心にひっ かかるので、抵抗が生まれるのではないでしょうか。 《 実際に、あなたは私のしらない事を知っています。それは動かしがたい事実です 。しかし、それは誰にでも当てはまるんですよね。全てを知った人はいない。た だ、ほんの僅かな欠片に、ふと気付かせていただくだけ… そして私は、誰もが 欠片を持っているのだと思っているんです… いままで、「人はみんなそれぞれ違う、私もみんなとは違うのだ」という立場を取 っていたMAKOTOさんが、ここで急に「誰にでもあてはまる」「誰もが・・・」という ふうに変わったのは、自分が「知らない」ということを弁護するためなのではないで しょうか。なぜ弁護する必要があるのでしょうか。なぜ「知らない」ということを恥 じる必要があるのでしょう? ここには「知識の崇拝」という問題が絡んでいます。これは私達の意識に、意外と 根深く巣食っている問題です。世間では、膨大な知識を持った専門家が、ただ知識が あるというだけで尊敬の的です。宗教の世界でも、真理を「知っている」と言う人間 がもてはやされます。「知る」ことのできない真理を。そして、あなたの近くにも、 自分の知識をひけらかして、たいそう自慢げにする人はいませんか?そして、そうい う世間で育ってきたあなたの中にも、必然的に「知識の崇拝」が植え付けられている 。それがあなたの中に「知らないことにたいする抵抗」を生み出したのではないでし ょうか。 知識は、社会的な生活、仕事や、技術の世界では必要ですが、それが心理的な世界 に持ち込まれると、恐ろしく破壊的な作用を及ぼします。知識は、物質を扱うための ものであって、生きた心を扱うためのものではありません。にもかかわらず、それを 心に適用したことが、人間が抱える問題の大きな原因となっています。 《 だって、自分の中に無いものは、口にすることはできませんもの…(^^;) そのとおりです。私が「知っている」のは言葉だけであって、「私」という意識そ のものが、言葉やイメージといった記憶から成り立っているのですから。だから、言 葉でない真理を直接言葉によって述べることはできないし、それを記憶することもで きないのです。 また勝手に話を進めていると感じたことでしょうが、MAKOTOさんは私の話について くるつもりがあるでしょうか。それともまた「独善」とか「言葉に縛られている」と かいって、私の口を封じるつもりでしょうか。もし私が間違っているなら、どこがど う間違っているのか、どの辺の文が、私が縛られていることを示しているのかを明確 に指摘してください。そうでないと、私も自分の間違いをはっきりと観ることができ ません。「文章を読んでると、なんとなくそんな感じがする」というような曖昧な指 摘では、この対話が文章のみのやり取りである以上、私にもわからないのです。また 、私の文章でわからないところがあれば、「ここはどういう意味なんだ」ということ をビシバシと質問してください。それから、MAKOTOさんが何か明確な論点に沿って話 を進めたいのであれば、その論点を示してください。ただ「言い方が気に入らない」 と言ってるだけでは、有意義な対話が展開しないと思います。 ¥くまお 03700/03702 GHB02532 ごとうくまお RE:船の荷物 ( 7) 94/10/21 08:02 03682へのコメント 英雄さん、こんばんわ。くまおです。 《 あなたの心が、わたしの心に響いてきません。 どんな言葉なら、響くんでしょうか?美しく、詩的な言葉ですか?感傷的で、ロマ ンチックな言葉ですか?私は、そうした言葉でさんざん自分自身をだましてきました 。他人までだまそうとは思いません。 《 否定は血液の流れを切断します。そして壊死を引き起こします。出血を恐れるあ まり、止血帯を締め過ぎているようです。 私は自分自身にたいして死にます。真理の中に自分の居場所はありません。自分に たいして死ねなければ、どうして愛することができるでしょうか。愛することは自己 の死であり、死ぬことはすなわち生きることです。 《 言葉は「船」です。人と人との間に広がる海を渡って行きます。言葉の船に何を 乗せたいと思いますか。空の粗末な船を迎えた港は、どうなるでしょう。 《 丸太をたばねただけのイカダであっても、宝物や食料が積まれていればどうでし ょう。 《 豪華な堂々たる船であっても、軍隊が乗っていればどうなることでしょう。 《 どんな船であっても、できるだけステキなものを乗せたいとは思いませんか。あ なたは、冷えた缶詰めと蒸留水を受け取るのと、暖かく新鮮な食物とおいしい水 や酒を受け取るのとどちらがいいですか。 船はどんな形をしていようと、何を積んでいようと、海の表面に浮いたものであっ て、海の深さを知ることはできません。船にどれほどおいしいものが積んであろうと 、それを食べつづけることが、精神を太らせ、身動きできなくさせることがわかって いれば、冷えた缶詰と蒸留水で充分です。船に頼る精神は、独力で泳ぐことを忘れて しまいます。独りで完結していない精神は、単独の存在である愛に出会うことはでき ません。 ¥くまお 03701/03702 JBH02324 なえ RE:魔 鏡 ( 7) 94/10/21 10:52 03691へのコメント コメント数:1  こんにちわ EX さん  あ、酸性雨ですね。多分この広島よりは、依り酸性度は高いのではないでしょう  か>東京都内(酸っぱいかどうかは知らないですが)(^^;  あたしはお魚飼っていますので、PHメーターを持っています。時々計ってみる  ついでに、雨のPHも計る事があります。大体平均して、5.6−5.9位ですねぇ。  地下5メートル位の所から取水している井戸は 4.7−9 です。(-_-;)オソロシイ…。  自浄効果が在るとしたら、その効果は何の姿で現れるのか、すこし心配ですね。  火山の灰分はアルカリで、中和する一番の物にも思えますね。すると、この、世  界の酸性化を火山が自浄効果で下げてしまおう、と言うのでしょうか。  昨日はTVで火山灰がオゾンホールをさらに開けてしまう問題を放送していまし  た。ピナトゥボ火山の灰は、既に地球全体を覆っていました。さらに、ラバウル  も追い打ちをかけるように噴煙を上げています。まるで、鼻がムズムズとかゆい  から、地球がクシャミの様な鳴動をしているみたいです。  最近の火山活動は活発です。 > あまみず > 雨水 > 甘水  かざん  火山  過惨  過ぎたるは及ばざるがごとし。(--; 03702/03702 NAG02033 EX RE:魔 鏡 ( 7) 94/10/21 13:04 03701へのコメント  #03701 なえ さん >自浄効果が在るとしたら、その効果は何の姿で現れるのか、すこし心配ですね。 >火山の灰分はアルカリで、中和する一番の物にも思えますね。すると、この、世 >界の酸性化を火山が自浄効果で下げてしまおう、と言うのでしょうか。 >ついでに、雨のPHも計る事があります。大体平均して、5.6−5.9位ですねぇ。 >地下5メートル位の所から取水している井戸は 4.7−9 です。(-_-;)オソロシイ…。 >昨日はTVで火山灰がオゾンホールをさらに開けてしまう問題を放送していまし >た。ピナトゥボ火山の灰は、既に地球全体を覆っていました。 地球は、すでに健全なバランスを取り戻しつつある。 人間はどんどんバランスを崩している。 ことの様です。ともかく地球は大丈夫なのだと思います。 けさのニュースでM8のサイレント地震というのが、一昨年房総沖で あったのだそうです。プレートの振動が通常の地震の千倍ものゆっく りしたものなので、なんら被害はなかったとのこと。このあたりは、 大難を湘南にもとい、小難へというなんらかの動きなのかなと感じま した。 あと、北朝鮮関連での懸念も若干聞きますが、やはり巨大彗星の大洋 への激突というのが、なんか、暗黙の了解で知ってる人は知っていま す。 天文に詳しい方、本当でしょうか? 本当なら2年後にほとんどの都市の水没という事態になるそうで。 ま、肉から離れるだけだから、どうでもいいかな(^^;) 確か聖書によると世の中の終りは「飲み食いして、歌って踊って(?) 我を忘れているときに」やってくるんでしたっけ。 私は深川です。その際は近くの交通安全で有名な仏閣と縁結びの神社 とともに水没します。 EX (NAG02033) - FARION MES( 8):☆恋愛玉手箱/風まかせ編☆・・・・・・・・・・・・・・ 94/10/21 - 00555/00557 JCF00616 優位 演舞場に杏樹 現る(^^; ( 8) 94/10/20 18:44  注:恋愛とは関係ありませんが…  今日は学年で新橋演舞場に泉鏡花原作「滝の白糸」を観に  いってきました。まあ、国語の泉鏡花に関する研究の一環として  観劇した訳ですが、なんと演舞場内に鈴木杏樹さんが(^^)!  きっと杏樹さん自身はお客はオジさんオバさん達しか来ていないと  予想していたのでしょうか、その予想に反して私たちは、「高校生が  団体で観たのは、新派劇が始まって初」のことだそうですから、  杏樹さんの存在が発覚してからというもの、年頃の高校生2年生達は  その姿もガクランで追っかけ(^^;に走っていました(笑)。  2本だてでしたので、休憩中などはこぞってわんやわんやと  杏樹さんが動く度にどよめきが起る程の人気ぶり(^-^)  「滝の白糸」が終わり、泣いている杏樹さんを見て「泣いてる!」とかね。  観劇が終わってからも、すかさず逃げるようにして演舞場の向かいの  喫茶店に駆け込んだ彼女でしたが、それも誰かに嗅ぎ付けられて発覚。  それからというものは、制服姿の高校生が喫茶店の周囲を囲んで  しまいました(゚-゚;  スタイルは実際に見てみると、テレビで観る以上にセクシーな方  でした(^o^; でも、世間って、本当に狭いんだぁとつくづく感じました。  そーいえば、この間とある駅でみれさんらしき人物を見掛け  たので声を掛けようかと思いましたが、まさかと思い直して  やめました。だって間違ってたら恥ずかしいですもんね(^^; ∋- Tanaka 。◎ 。Masanori -∈ 00556/00557 PFA03563 YAHATA RE:女性心理に関する素朴な疑問 ( 8) 94/10/21 02:55 00554へのコメント  #00554 英雄 さん 》 一人で歩ける男には、女は必要ないように思える 》 ――「わたしがいなくてもかまわないのね」;  私は前々から「男が自立したら人類は亡ぶ」と思ってきましたが、この考え をどう思いますか? YAHATA 00557/00557 PGB01143 魔界のめーそん 玉手箱のたわ言 ( 8) 94/10/21 10:04  濁り、悪臭を放ち、薬物に侵された水も、浄水器を通ることにより解き 放されて、美しい水となって注ぎ出る。  元々「玉手箱」は時を封じた浄水器、樽に詰められた果汁がやがて熟成 し、芳醇な酒と成るように、思い出も玉手箱の中で静かな時を過ごす内に、 禍々しいもの.鬱なるもの.心へのわだかまりは消え去り、楽しくはなく とも浄化され、美しく静かな思い出となって過ぎし時を奏でる。  だから生きている限り、思い出は途切れない。声を掛けることもなく、 そっと離れて思いを馳せるのみで消えて行った人への思い出、後ろ髪を 引かれる思慕を自ら断ち切った思い出、互いに心を寄せながら、運命に 引き裂かれた思い出。  人が人として生きる限り、玉手箱を抱いて歩む事は避け得ない定め。  だから.....めのう殿...「ネタが切れそう..」とは言わな いで下さい。人生の暗い裏道に目を凝らして這いずってきた小生の玉手 箱にも、照らずとも透明な光が入っているのです。  的外れな話を書いたとすれば、いつもの戯れ言と笑捨てて下さい。 ARIONの皆様.......                        魔界のめーそん                        魔界のめーそん      - FARION MES(12):★アジア・チャンプル★・・・・・・・・・・・・・・一輝 94/10/21 - 00364/00364 GFB00026 一輝 バリはだめになってない? (12) 94/10/20 21:18    ”「バリはだめになってない?」というのがバリから戻った旅行者を迎    えるおきまりの質問である。言わんとするところはこうだ。島は旅行者に    荒らされていないか、それにバリ人はシャツを着ているんだろうか? 質    問をした人は大きなホテルやいい道路や自動車のことを聞くと落胆の色を    あらわにする。”          …………ミゲル・コバルビアス著『バリ島』(平凡社)より   これは半世紀も前の1936年、メキシコの画家ミゲル・コバルビアスによってニュ ヨークで刊行された世紀のロングセラー『バリ島』の一節である。研究者としてで  はなく画家としての視点から出された本書は、半世紀を経た今では貴重な民俗学的  文献として評価が高い。引用文は、バリを愛し魅せられ再び渡航せんと想う者が、  一度は口にする、時代を超えた言葉と言ってもいいだろう。「はじめから手に入ら ないとわかってはいるけれども、けっして失ってほしくはないもの」、それがバリ 島にあることをわかっているだけに、つい気になってしまうのだ。   かつて日本がバリであったことを証明するかのような日本の幕末期や維新期の写  真群を見ていると、コバルビアスの撮り歩いたバリの中にあるものと似たような「  心」が見えてくる。どちらも同じ人種・骨格・表情なのである。約一世紀で日本人  は戸惑いながらも、とうとう別人種となってしまった。私たちはバリの人々の選択  しようとしているひとつの未来の姿かもしれない。私は昭和30年代と60年代がごち  ゃまぜになったバリ島で、過去の日本人に会い驚嘆しているということになるのだ  ろうか。   誰かがどこかできっとこんな話をしているだろう。   「日本はだめになってない?」                      《アジア・チャンプル》案内人 一輝 - FARION MES(13):★神秘学遊戯団★・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・KAZE 94/10/21 - 01837/01840 GGA02514 KAZE バリでロシアのことを考えてたりして^^; (13) 94/10/20 16:11 01827へのコメント 隆ちゃん、どうも。 バリ行きはそれなりに楽しかったですし、 同じ物事でも場所を変えて考えてみるとまた違った味わいがあることも感じました。 しかし、どこに行っても観光地というのはどうにも気ぜわしくて好きになれません。 今ではバリじゅうが観光地化している様相を呈してますが、 あの海岸部の観光地化はちょっと目を覆うものがあります。 やはりのんびりゆったりが好きなぼくなどは、個人的に行くなら どこかの山の村などに泊めてもらって散歩でもしているのが性にあってるようです。 ひさしぶりに海外に出て思うのは、英語会話がほとんどできないこと。 筆記している余裕はないし、英語をしゃべってるひとが筆記できるとは限らないから やはりある程度の会話はできるようになっておきたいなとあらためて感じました。 トゥガナン村のイワン・コンドゥリさんとも英語がちゃんとしゃべれたら もっとつっこんだことを聞けただろうにと、ちょっと残念でした。 自分からあまり動こうとしないぼくだから今度いつ海外にいくかわからないけど やはり行く先の言葉をカタコト程度でも話せるようでありたいと思います。 もちろん今度バリに行くときは、バリ語は難しくとも、 せめてインドネシア語の少しなりと話せるようになっていたいものです。 海外というと、昔はアマゾンやアフリカなどに行ければと思ってたり、 その後はドイツ、オーストリア、中国なんかいいかなと思ってましたが、 今は、なぜかロシアに行ってみたいなあと思ってます。 で、バリではロシアについての本を読んでたりもしたのです。 バリとロシアというと変か取り合わせかもしれませんが、 その双方とも「大地性」という観点で注目すべきだと思っているのもあります。 ロシアで興味のあるのはやはりロシア正教で、 以前から気になっているソロヴィヨフなどについても もっと調べてみたいと思っているのです。 >やはり辛いのは「飲むも地獄・飲まぬも地獄」という状況でして、なかなか情けな >いものがあります。 ううむ、ぼくなら「飲まない地獄」を選択することが多いですが^^;、 歯の痛みなどが激しくてどうしても仕方がないときは 別にそんなに抵抗はありませんねぇ。 もちろん、ぼくの場合はじっと我慢してることが多いですが、 癖にさえならなければいいや、って感じだといいんじゃないでしょうか。 やはり、なんといっても薬に対する理解度さえちゃんとあれば、 それなりの使い方はあると思いますから、 拘りすぎはかえってそれ自体が毒になってしまう可能性もあるかもしれません。 もちろん「薬に対する理解度」とひとくちにいっても、 それをもっとコスモロジカルに考えたいとぼくは思っているんですけどね。 最近、シュタイナーの医学に関する原書も買いましたので、 そのうちそれについてもご紹介する機会があるかもしれません。 >逆に動物のエキス(って言い方も変ですが(^^;))はどういう影響を及ぼすのでしょ >うね。 やはり、アストラル的な要素が強い可能性はあるでしょうね。 だから、一種の催淫的な効能があるものもあるんだと思うのですがどうでしょうか。 香水なんかに一種の汚物が混じっているということも聞いたことがありますが 考えようによっては汚物もエキスといえるのかもしれませんね^^;。 >匂いは音と同様、周囲に影響を及ぼしますから、気をつけなくてはと思います。 そうですね、音に対する鈍感さもひどいものがありますが、 匂いということになると、もっと鈍感な場合が多くて困ります。 ぼくは最近とくにいわゆる飲み屋にいくのがちょっとつらいのですが、 まずそこにしばらくいると体中がタバコのにおいで染められますし、 そこにお化粧ぷんぷんのお姉さんがいるとそこにそのにおいがブレンドされます。 もちろん、喫茶店でもわりとタバコのにおいに染められることが多いのですが、 それは飲み屋の比ではありません。 >今、僕の住んでいる団地は外壁の塗り治しをやっていまして、ペンキやシンナー・ >ボンドのエーテル臭で少々まいっているのでした。 そういえば、数年前うちのマンションでも外壁の塗り治しをやってましたが、 それが真夏のことで、外にペンキなどがもれないように しっかりシートで覆ってくれまして、臭いやら暑いやらでかなり腹立ちました^^;。 もちろん、うちはエアコンなんかありませんから、 そのときに鍛えられた忍耐力はなまじのことではなかったと思います。 ですから、今年の暑さなんてそのときよりはましだったわけです。 しかし、あの無神経さはいったいどこからくるのでしょうかねぇ^^;。 >確かに最近の音環境は波動が荒すぎる感じがします。しかし、残念ながら僕の場合、 >まだヒーリングミュージックを見つけられないでいます。好きな音楽と癒される音 >楽とは必ずしも一致しないようですしね ぼくの場合、以前にくらべるとあえて何も聞かないことが圧倒的に増えました。 それだからこそ、ちゃんと音楽などを聴く場合は、 以前にくらべてもそれをちゃんと味わうことができるようになったように思います。 やはり、「癒し」というのは、意図的な音づけとでもいえるものから 一度自分の内的音楽の方向へと返してやることが必要なのではないでしょうか。 以前は夜も寝つかれなくて困ったものでしたが、 音楽づけの状態から離れるにつけ、すぐにぐっすりと寝られるようになったようです。 いまなんか、「おやすいみ→ぐーぐー」というAクイックですからねぇ^^;。 >ダブル・イカットは買えましたか?。 他のアーティクルでご報告したように、無事ちゃんと気に入ったのが買えました。 帰ってからあらためてその布の素晴らしさに驚嘆してまして、 お金をはたいても、もう1枚買っておくんだったと後悔したくらいです。 今度バリに行ったときには、一日中いろんな布を見せてもらおうと思ってます。 >なんでも「経済大国日本にもこんな時代があった。だから我々も頑張ろう」みたい >なノリのようですよ。 そういえば、バリでの現地のガイドさんと話してみてわかったのですが、 バリで日本人のお世話をしてお金を儲けているそうした方も、 はやく日本人のような暮らしがしたいとか思っていたようですが、 「それはたぶん誤解ですよ」といろいろ説明しましたら^^;、 少しだけ複雑そうな顔をされてました。 「頑張る」ということが結局どういうことかのかを ああした方もそのうちいろいろ考えることになるのでしょうね。 >教師や子供だけでなく、訪問される農家や漁師さん(もちろんその他の職業の方も) >にも子供を通しての発見があるかもしれませんしね。やっぱり、全てが有機的に影 >響し合うというのが理想だなと思います。 この世界(宇宙)は関係性の網目のようなもので、 互いが関係しあって壮大な織物をつくっているのでしょうし、 「社会」というのももちろんさまざまな存在たちの関係性の織物ですから、 子供や教師だけがそこに参加してないことはありえないのですが、 さもそうであるかのようなシステムがこれまで容認されてきたようです。 やはり、どんな生きたかをするにしても、全体のなかの一部分として 自分がそのなかでどういうポジションを占めているのかを 誇りをもって自覚できるような、そんなあり方が望ましいと思います。 >おせっかいも嫌だけど利己主義も嫌だなぁなどと思いながら、 >世の中難しいと呟くのでした。 ぼくはおせっかいが大嫌いですが、 世の中にはそれがなくては寂しくて生きてけない方もいます。 ぼくのようなおせっかいをするのもされるのも嫌いな人間が おせっかいを強要される立場に立ったり、 おせっかいの応酬にあったりすることが多いと、すごくストレスがたまります。 そしてその反対の方もいらっしゃるということです。 確かにその片方の方がもう一方を理解することは非常に困難ですが、 その理解することは大切だということはいえると思います。 たぶん、その必要性から現在の状況に陥っているのでしょう^^;。 でも、やはりひとりでいると寂しくて仕方がないという方は、 どこかまずいんじゃないかと思ってしまうのは、 やはり偏見なんでしょうかねぇ^^;。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 01838/01840 GGA02514 KAZE 社会にもまれにゃアカン^^; (13) 94/10/20 17:58 01828へのコメント 隆ちゃん、どうも。 >僕なんか大学院に落ちちゃったので(^^;)、渋々就職したのですが、就職活動を始め >たのは卒業式の1ヶ月前でした。 ぼくは最初なんとなく大学院に行こうと思ってたのですが、 生活に追われるようになって、そのうちどうでもいいやと思うようになって 卒業近くなって、やはりバーテンやるより一応就職なんかしてみるかということで 教育関係の出版社行ってみたら、最初は良かったのが、最終になって、 ぼくが集団討議のとき議長に指名されて半分あがって^^; 「教育の無意味さ」のような結論をだしてしまってどうも折り合い悪くなって ついでに寄ってた広告会社になんとなく入って今に至っているというおそまつ^^;。 でも、やはり大学院なんて行かなくてよかったなと思う今日この頃です。 たぶん、人間の成長という意味ではあそこで終わってただろうなと、 そのころ教わってた先生方の昨今をみてて思うのでありました^^;。 やっぱり、社会にもまれにゃアカン、ということでしょう。 >感情の共有を表明しちゃうと、傷口のなめ合いになってしまうような・・・。 表明しようとしまいと、感情の共有を無意識で心地よく思いすぎて それをちゃんと意識化するようにしない限り 傷口のなめ合いは避けられないような気がしませんか。 そういう意味でも、やはり、感情を自分でコントロールできるかできないか ということが、非常に大切になってくるのではないでしょうか。 コントロールできないからこそ暴走するわけで、 その暴走が無意識に共有されるととんでもないことになりかねませんから。 >自分の中に神棚があればそれで良いのかもしれません。僕はまだまだそんな段階じゃ >ないので、目に見える神棚が必要ですが・・・。 本来、神棚は自分のなかにしかないのでは、というのがぼくの考えですが、 それではぼくのなかに今ちゃんとそれがあるかというとウィとはいえなくて、 だからといってそれを「外」にはつくりたくないという拘りがあったりします。 バリに行って感じたことは、あそこは神棚だらけだ!ということで^^;、 家の入口の左右にも毎日お供えが置かれているくらいです。 そのように日常から聖なるものを祀りながら生活することは大事だと思う反面、 果たしてああいう形をとることが今、そしてこれからベターなのだろうかと いろいろ考えるわけなのです。 ここらへんのことについては、これからもっと考えていきたいなと バリに行って特に感じるようになっています。 >神道には教義がない。聖典もない。だから僕の感覚では宗教じゃない。 >それが心地よいのですが、わざわざ宗教っぽく色づけしてしまう人もいるんで >すよね。愚の骨頂だと思いますが・・・。 宗教というのは、人間が天から切り離されることによって それを何らかの形にして残す必要性から生まれたのかもしれませんが、 その天を拝むような形にしてしまうというのは好きにはなれませんね。 天も地も自分のなかにそれを見いだしていく作業が いまの我々人間には必要じゃないかと思うからです。 >美貴子ちゃんの運動会の作文はお弁当のおかずに終始していました。先生は「よく >覚えていましたね」と書いてくださいましたが、本人に「運動会の事は覚えていな >いのか?」と聞くと「覚えていない」のだそうで(^^;)、なんだかなぁです。 それだけお弁当がおいしかったということですから、 それはとってもいいことじゃないでしょうか。 ぼくなんか、運動会を俗悪だとずっと思ってる類の輩ですから、 運動会に感動するよりもお弁当をに感動するほうがずっと健全に感じます^^;。 運動会なんか覚えてないほうがいいんです。 ぼくなどはそれをすごく否定的に覚えてますから、 それくらいなら忘れてしまったほうがずっといい。 ・・・なんて、あいかわらず学校嫌いのぼくは偏見をもっているのでした^^;。 それにしても、美貴子ちゃんにはたくさん共感してしまいます。 やはりとっても相性がいいのかもしれませんね(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 01839/01840 GGA02514 KAZE RE:地球を救う大変革.読みました (13) 94/10/20 18:04 01835へのコメント Paper Birchさん、どうも。 EMは、それを手放しに肯定する方向性も、 またそれをただただ批判する方向性も、どちらも慎むべきだと思います。 ぼくも実際使ってみて、それなりに効果があると思うのですが、 それを無差別的になんでも適応可能だと 短絡させてしまうのはどうかと思ってます。 やはり、それがどういうふうな場面で、どういうふうに使われれば、 こういう効果が得られるというある程度確かなものを ちゃんと提示できるようでなければならないと思うのです。 その反対に、利権がらみのことから、その否定的な側面だけを羅列して 正義感を押し出して批判ばかりするのも愚かです。 やはり、有機微生物を使った新しい技術に対する適正な関心と認識を前提に それが有効に開発されるべく適正な批判をするということが大事です。 ぼくの現在の考えでは、EMは「大地性」ということと 非常に大きく関係しているようで、 その力を有効に引き出す可能性があるととらえています。 ですから、その「大地性」が過剰に作用している場では、 むしろそれが否定的に働く可能性もあるのではないかと思ってます。 EMと比べるのはちょっと変かもしれませんが、 ぼくは最近タキオンを使っていまして、そのタキオンの作用の方が、 ある意味では、エネルギーバランスを有効に調節する作用があるような そんな印象を持っています。 つまり、EMは作用に一定のベクトルがあるから、 その作用の方向性をちゃんと見定めた上での運用が必要だということです。 それに比べて、タキオンの作用というのは、作用の方向性を その都度のアンバランスを調整すべく働くのではないかと。 もちろん、その両者を同じレベルで比べるのはちょっと変ですが、 そういう側面もあるのではないかという印象があるということです。 ま、なにはともあれ、実際に生ゴミ処理や汚水処理などに 使ってみることをおすすめします。 こちらではまだまだ19時間断水が続いていますが、 汚水の再利用的な側面でもわりと有効なのではないかと感じてます^^;。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 01840/01840 HGB02764 *Beehive* 訂正します(^^;) (13) 94/10/21 02:02 01793へのコメント tenさんこんにちは 身辺がばたばたとしてなかなか書き込めません。遅ればせながら訂正です。 富士見にあったのは、ストーンヘンジではなくて、ドルメン類似遺跡でした。 イヤはや、何とも、まったく困ったもんだ。m(_._)m Beehive - FARION MES(14):★Room 666/預言解読の部屋★・・・・YHVH 94/10/21 - 02569/02569 PXH01650 英雄 悪夢再び... (14) 94/10/21 00:11 >>谷間に響く呼び声は赤い飛沫を伴い、苦界の夢を呼び覚ます…<< (ARIONハロ-メッセ-ジ94.10.19) イスラエルとパレスチナのことか。はたまた、イラクとクエ―トか。 かつての大韓航空機撃墜事件の時と同様に、悪夢の揺り返しなのだ ろうか。 :英雄: - FARION MES(18):★二人三脚ネットワーク実験室★・・・・あもり 94/10/21 - 01903/01903 GBG02043 維/YUI 10年ね。。。 (18) 94/10/20 23:52 01901へのコメント こんばんわ、あもりさん。 妙に納得のいく一言でした >>> 現実を観る事からはじめよ(だったっけ?) 10年ってさ・・・あっと言う間だよ。 10年ちゃんと心して現実をみることを がんばってやったとしたら、それはすごいんだけどね、ぼーっとしてても10年は 簡単に過ぎていってくれるよね〜っ。(^-^;) 現実を観るってことより自分を観るってことに魅力を感じているような気がしたんだ けど、そういうのってある??? 自分の生きるこの現実をしっかりと見据えることって、いずれは自分を観ることに つながっていくし、実際現実をみるときどこかで自分を観ているってところも一部 あるよね。  焦って自分を観ようとしたってさ、その自分がどこにいるのかさえ わからなかったら、観ようがないよね・・・・、現実と切り放された自分を観ても 生きるってことは分からない・・・なんてことを書き込みを読みながら、自分の中で 話し合ってしまいました。 なんだかさ、すっごく不思議な気がした。 あもりさんが、そういうこと言われなきゃなんないのかぁ・・・・って。 するってぇと、さしあたって私は・・・・なんて考え出すとハマルから、 やれることをやれるときにやれるだけがんばるって、いつもの方針をつらぬく ことにしたんだわ。(笑) 精神世界のいろんなセミナーなんかでも、よく自分を観るとか知るとかってあるんだ けれど、あれもなぁんか違うぞって、感じることが多くなったよ、このごろ。 現実逃避して自分を観ている人が、なんだかやたらと多いような気がするから。 現実なんて観なくてもわかるよ、だって今生きているこの世界だろ・・・って 言う人いるけどさ、それもどうなのかなぁ・・って思う。 だれかが作り上げた 仮舞台の上のことしか見えてないかもしれないのに。 自分がこうであってほしい と思い込んだ世界を現実に映して観ている気になっているのかもしれない。 10年か・・・。たいへんだけど、先送りにするより、”いま”だよねっ! はじめなければ、いつまでもなぁんにも自分の手につかめないもの。 うまくいかなくても、まちがっても、めげずに10年。 本当に求めることなら あきらめても、あきらめても、またやりはじめてる。 そういうもんだよね。                       維/YUI。 >