MRE - FARION MES( 2):【居酒屋1999】--------自己紹介・雑談 94/10/23 - 02835/02836 PXB01563 おみゃー 亜空間酒場へのアクセス環境 ( 2) 94/10/22 21:20 02832へのコメント ヒデオ >>>>英雄ますたぁ SUB:Windows環境から亜空間居酒屋壱九九九にアクセスするのに必要なソフト ヒデ 通信ソフト:英Term ヒデ エディタ :英丸エディタ エイ FEP :英TOK なんちって(^_^) おみゃー @名古屋 02836/02836 GBG02043 維/YUI お酒ねぇ〜>樹ちゃん ( 2) 94/10/23 00:02 やっほ〜!!  ねぇねぇ、このあいだ酒屋でみつけたんだけどさ、 高清水って、酒パックもあるのね〜・・・・・味はもちろんちがうんだけど。 高清水は、樽から出したのを飲んだイメージがあるんで、ちょっとがっかりした。 とはいえ、ついついその酒パックを料理用に・・とおもって買ってしまったりする>> 私 あ・・・そだそだ。 このあいだとつじょ金沢にいったんだよぉ。 そのとき、金沢の寿司やで飲んだお酒がおいしかったんだけど、酒屋においてないんだ わとりあえず、金沢で作っているのであんまり高くない奴があるからさ、ま・ま・・・ 安酒ってがっかりしないで、のんでってよね〜!!                  それでも、御銚子ならば、小さいの1本だけ!!                       それが限度>>維/YUI。 - FARION MES( 3):【めでぃあ室】--------本/映画/音楽 etc 94/10/23 - 00658/00659 PXB01563 おみゃー RE:「影武者、徳川家康」 ( 3) 94/10/22 21:20 00657へのコメント >>>>くりすさん 僕も大好きです「隆慶一郎」影武者では主人公が世良田二郎三郎だったり 甲斐の六郎だったり島左近だったりと場面毎に引き込まれる人物が変わる んですよね。中でも島左近が一番好きです。まさに「武将」です。 不肖わたくしめは「不精」ですが(^^; 他にも「吉原御免状」「一夢庵風流記」「花と火の帝」「風の呪殺陣」等々 面白い作品が有りますが、中でも「死ぬことと見つけたり」を是非読んで もらいたい。(自分が女性っぽいと思われる男性は特に)未完のまま隆氏 が他界されたので作品としては完結していませんが、ある種の男の理想像 が描かれています。 くれぐれも「峯 隆一朗」とまちがえないように(^_^;) おみゃー @名古屋 00659/00659 PFA03563 YAHATA 漫画の「影武者、徳川家康」 ( 3) 94/10/22 23:32 00657へのコメント  #00657 くりす さん  隆氏作の「一夢庵風流記」(だったっけ?)を原作とした「花の慶次」に続 き、原哲夫が週刊少年ジャンプで連載中です。 YAHATA - FARION MES( 6):∞・∞ 壁(カベ)・∞・∞・∞・∞・∞・∞・∞・∞・∞ 94/10/23 - 03011/03011 PXH04471 夢虹 海への手紙 ( 6) 94/10/22 14:04     海の椅子に腰をかけた     あなたが     つまんで入れた     世界はひとつの角砂糖ようだった     海の中道を過ぎた時から     海が溢れてきた     志賀の島のレストランで     海を背にして座ったあなたが     「海の椅子」に腰を掛けたように見えた時も     その海が     ラピスラズリの色のままに     深くて蒼い色をしているように見えた時も    あの日の海が何故あのように蒼く見えたのか    なぜあのように海が溢れていたのか    今になって不思議に思う     海が蒼いのは     空の青さを映しているからだ     けれども     あの日の空よりも     青い空は     もう何度も見たはずなのに     ただ海の色だけがいつも緑色だった    それから幾つかの季節を過ぎて・・       中田島砂丘の    長い海岸線に立っていると    太平洋がそのまま一望に見えるような    海の大きさと    どこまでも広がっていくような    広い空を見ることができる    夏には    風はいつも海から吹いてくるので    木の間から漏れてくる夏の日差しを避けながら    砂浜に沿った防風林の中を歩いていくと    潮の香りのする風の中に包み込まれているような    そして秋には、    風よりも波の音が大きいので    海そのものの音を聴くことができる    海の大好きなあなたに、    そんな浜松の海を見せてあげたいような気がして    それからあの夏の日    志賀の島で呑んだワインの味を想い出したりしているのだけれど    ゆるやかな砂丘を下っていくと    目の前には海が見える    とぎれることのない季節の爽やかさを全身に感じながら    わずかな隙間もないように吹いてくる潮風の中に    微妙な空気が混ざっている    それがあの日の「志賀の島」の空気だったような    砂丘の入り口から歩いて行くと    少しずつ高くなっていく砂の丘を登り詰めた時    いきなり目の前には広々とした太平洋が見える    砂丘を登って    ほどよい汗をかいた後に見る海は    あなたの瞳に感動的な光景として映るかも知れない    そして    あの夏の日のように    海が溢れてきて    ラピスラズリ色した紺碧の海に見えるかもしれないのに                             夢虹 - FARION MES( 7):★世紀末書込み寺★・・・・・・・・・・・・ARION 94/10/23 - 03709/03715 PXB01563 おみゃー RE^2:ゆうじ57世さんのこと ( 7) 94/10/22 21:21 03693へのコメント コメント数:1 >>>>アラミスさん 少し氣になるところが有るので割りコメさせてください。 今回のアラミスさんの発言に「みれさんがこう言った」「ARIONがこう言った」と 何度も書かれています。秀峰さんに対する話の流れから必要性が有ったのでしょう が、アラミスさんが御自分の言葉を使っていないような感触を受けてしまいました。 酷い例えでは有りますが「虎の威を借るなんとやら」のように・・・・ 誤解されるのが厭なのでことわっておきますが、バトルをふっかけているわけでは ありませんよ(念のため)もう少しアラミスさん自分の言葉だけで書かれたものを 読みたいと感じているROMが居ることを知っておいて欲しいってことです。 あっアラミスさんが自分の言葉をまったく使っていなかった訳では無いことも理解 しているつもりです。変なチャチャ入れみたいでごめんなさい。 おみゃー @名古屋 03710/03715 GHB02532 ごとうくまお RE:問「解釈は力ではないか?」 ( 7) 94/10/22 21:44 03705へのコメント エスペラントさん、こんばんわ。くまおです。 何だかほんとに面白くなってきました。わくわくします。 さて、一つめの問いは、意識とその解釈、そして限界ということですね。 私はここでひとつの問いを出してみたいと思います。 「自分はなぜ、解釈や説明を求めるのか?」と。これは、私が説明や解釈から逃げ るためではなく、ただ単純に問いかけています。自分自身にたいして、また、エッさ んにたいして。 私は、あるがままについての解釈には必ず限界があると思います。そして解釈の限 界とはすなわち意識の限界です。まず、意識というものを、客観的に観察してみます 。このように観察する時点で、つまり「観る」ことにおいて、ある種の飛躍が必要と されます。自分の考え方がどうだということを挟まずに、ただ観てみます。こういう のを「メタ視」とか言うんでしたっけ? そうすると、意識というのは、知覚したものをそれ自身の領域に取り入れようとす る性質を持っているということがわかります。つまり、解釈したり、説明したりする ことで、自分が納得しなければ気が済まないというような。意識は、表層から深層ま で、全てが言語、あるいはイメージ、つまり記憶によって成り立っています。表層の ものは、言語化の過程が比較的はっきりと見て取れるのですが、深層においては、「 言語化」ということではなかなかその動きを掴めません。要するに、頭の中で音声化 されない言語活動といったらいいんでしょうか。しかし、表層の意識が静まっている ときには、深いところで活動している言語も、音声として聞こえることがあります。 眠っているときには、表層の意識は静まっているので、深層の意識活動が表面化した りします。それが夢なのだと思います。 ちょっと話がそれましたが、意識は記憶によって成り立つということです。言語や イメージだけでなく、様々な感覚も意識の活動によって生まれます。憎しみ、悲しみ 、怒り、また、満足、快楽なども。それらは、普段観ているよりも深いところで、意 識が「言語による計算、計測」を行った結果、生まれるのです。そしてこの「言語に よる計算、計測」が、意識の持つ機能、性質です。しかし、あるがままは無限の広が りを持っているので、言葉によって測ることはできません。無限のものは計測できな いということです。 最初にあるがままの知覚があり、それを意識が捉える。意識が「これは〇〇だ」と いった時点で既にあるがままの知覚から離れているといえます。あるがままは常に新 しい。しかしそれを捉える意識は、過去から成り立っているのです。ですから、意識 があるがままを説明、解釈すれば、必然的に矛盾が生じます。意識が説明、解釈でき るのは、それ自身の領域にあるもの、つまり過去のものだけなのです。 ここではっきりしておかなければならないのは、知覚と、意識することは別である ということです。意識することが知覚であるなら、私達は決して、新しいものを観る ことはできません。意識が知覚を作るとするなら、肉体に備わった五感はまったく無 意味な飾りでしかないでしょう。意識の領域に無いもの、つまり、全く新しいもの、 知らないものにたいしては、意識はどうすることもできないのです。せいぜい、「何 じゃこりゃぁ?」と言えるくらいです。 では、精神が、意識することに囚われずに知覚することは可能だろうか?と考えて みます。これは、意識がそれ自身の限界を悟ることによって可能となります。「私は 決して未知のものを捉えることができない」ということを思い知るとき、意識の活動 はやみ、精神はあるがままに直接触れるようになります。その時精神は、意識ではな く、あるがままそのものになります。それが「曇りなく観る」ということです。 そしてこのように曇りなく観ることで、精神はあるがままを理解します。あるがま まについての理解があるとき、解釈や説明は全て意味をなくします。理解は言葉を必 要としないからです。 ¥くまお 03711/03715 GHB02532 ごとうくまお RE:問「真に自発的な判断とは?」 ( 7) 94/10/22 21:47 03706へのコメント エスペラントさん、続きです。 判断することに自由が感じられない、ということについて。 まずはじめに、判断する精神は自由でない、と言っておきましょう。判断すること が精神を制約する、と。判断は、意識による、外的または内的な現象の計測、計算で す。計測、計算によって結論を導きだすこと自体が、精神の限界を作るのではないで しょうか。自由な精神は結論を持たず、そのため、あるがままとともに行動します。 あるがままに則した行動が、精神を自由にします。あるがままは、結論として止まる ことがないからです。 外的な束縛、鳥の例に見られるような、物理的な制約は、肉体的にはたぶん越える ことはできませんし、またそんな必要に迫られることもまずないでしょう。「たぶん 」というのは、例外もあるらしいからです。肉体が物理的な制約を越えたという例は 、話には聞いていますが、実際に見たり、体験したわけではないので何ともいえませ ん。しかし興味深い話ではあります。 「別の高次元からの直接的な示唆」についてですが、こうしたものについては「考 えても無駄」と思っています。精神が高次元のものに触れ、それを理解するには、高 次元にたいして「低次元」のものである意識を越える必要があると思われます。 これを、私の得意(?)な、わかりやすい(??)例でお話しますと、まず私達が 二次元人であるとします。私達の意識は、二次元的な意識です。ここでちょっと考え てみます。私達は二次元の世界に住むがゆえに、二次元的な意識を持っているのか、 それとも二次元的な意識を持つがゆえに二次元の世界に住んでいるのか?と。さて、 二次元世界の平面に、三次元のものである円錐が先端から進入してきました。これを 二次元的な意識で捉えると、まず点があらわれます。そしてそれは小さな円から大き な円へと成長していきます。円錐が平面を通過しました。ここで、大きく成長した円 は、二次元の世界、意識から、忽然と消滅します。三次元的に見ると、円錐の通過に すぎないものが、二次元の意識には、誕生、成長、消滅というプロセスとして捉えら れるのです。 このたとえはあくまで概念上のものにすぎませんが、二次元の意識によっては決し て三次元のものを理解できない、ということです。しかし、精神は、二次元的な意識 を越えることによって三次元的なものを理解できる可能性があります。ここで注意す べきことは、三次元的な「意識」を持つことによって三次元を理解するのではない、 ということです。意識自体は二次元に固定されているので、精神がそれを脱ぎ捨てる ことによってのみ、次元を越えた理解が生まれるといったほうがいいでしょう。高次 元の意識を持つというのは、思考の生みだす嘘にすぎません。 《 私という存在は、不確かなものによって完全に決定されることとなり、つまり存 在として不完全、よって最後に私自身が否定され、すべてを無にキスすることに なりますが、そうなるでしょうか。 最終的にはそうなるでしょう。しかしそれは、結論としてたどり着くものではなく 、あるがままの事実として観られなければ、何の意味も持ちません。それは最終的な ものですが、すべての始まりでもあります。 《 私の判断を決定する最後の瞬間に起こる出来事、あるいは最後に拠り所とするも のは何かということを考える際に、私はその瞬間に至る段階で、判断は二者択一 の状態にまで絞られるのではないかと考えます。 二者択一・・・易経の陰陽二元理、コンピューターの0と1をほうふつとさせます ね。判断と同じく、選択を迫られる精神は自由ではありません。ふつうはこの逆と考 えられていますが、自由の中にはいかなる選択もありません。精神はただ、そのある がままに行うのみです。二者択一における最終的な判断も、精神の条件づけによって 決定されるものとみていいでしょう。善悪、好き嫌い、あれとこれ・・・あらゆる条 件を通した上での計算と判断、そして結果。二者択一は、精神の二元性、分離のあら われであると思います。精神が、意識活動によって自らをあるがままから分離するた めに、このような二元性が生じるのでしょう。しかし、精神、意識における二元性と いうものは実際にはあり得ない。二元性は嘘なのです。 あるがままの私、精神、意識は、実際には単一の過程なのですが、私達はそれを分 離します。あるがままの私とそれを観る私、意識と意識する私、思考と思考する私。 このように、あるがままと分離された「私」とは、思考によって生み出されるのでは ないでしょうか。実際にあるのは、意識、思考過程だけであり、それを行う私は、思 考の産物です。思考は、様々な影響を受けつつ、常に流れ、動いていきます。何の基 盤も持たない思考が、ある種の確実性、永続性を求め、「私」という偽の基盤を作り 出し、それがあたかも思考を操るかのように見せかけます。思考と、思考する者。こ の分離が嘘であることを事実として悟ることが、二元性を終わらせます。 「私」という概念上の存在は、人間という実在の精神上に刻まれた知識、経験、記 憶の蓄積によって作られます。人間が「実在」であるのにたいして、私は「虚在」で あるといえます。それは個人のものだけに留まらず、そのひとが属する家系、民族、 さらには人間全体の記憶の蓄積とつながっています。これは、わざわざ自分の意識の 奥深くを調べるまでもなく、外面的に観察できる事実です。実をいうと、私はまだ意 識の奥からアプローチしたことがないんですよね。でも、外から観ただけでも充分わ かりますよ。ほんとに。 それで、人間は全体として一つでありながら、それぞれが「私」という概念、自我 に囚われているために、あらゆる問題が生じています。自我は、個々人によってその 構成物が違いますが、その構造パターンは同じです。人間の意識は、人間全体が共有 するものであり、ひとつの大きな流れです。ひとつであるにもかかわらず、肉体的に 離れた一人一人に自我が共有されているので、そのことが人間を自己破滅に追いやっ ていると思われます。自我は、その構造上、必然的に分離、排他性、そして自己崩壊 を抱えているからです。 なぜそのようなものが、人間の精神を縛っているのか?なぜ「自我」があるのか? これは私の考えですが、自我、自己中心性というのは、脳の原始的な部分の活動なの ではないかと思います。原始時代、人間はまだ自然や、肉食動物などの脅威にさらさ れていました。そこでより強い子孫を残し、この地球上で生き残るために、自己中心 性が必要だったのではないでしょうか。厳しい世界で生き残るためには、他人のこと を考えたり、動物がかわいそうとか言ってられませんから。しかし、人間はすでに科 学的な進歩によって、肉食動物や、他の種族の人間を恐れたりする必要はありません し、自然の脅威にもある程度までは対応できます。しかし精神はいまだに原始的な部 分を引きずっている。それが科学技術を破壊的な方向に進めているのだと思います。 いま、人間が生き残るのに必要とされているのは、自己中心性ではなく、その原始 的な性質から自らを開放し、自由であることなのではないか。結局、私の言いたいこ とはそこに集約されると思います。 行き当たりばったりで書いているので、話があちこちに飛んでいるような気もしま すが、言いたいことはだいたい書けたと思います。わかりにくいところはまたご質問 を。 ¥くまお 03712/03715 KFR04742 YUKO はじめまして ( 7) 94/10/22 23:01 初めまして。パソコン初心者のYUKOと申します。 この日を私は待っていました。これから、いろいろなことを学んで生きたいとおもって います。どうぞよろしく。 E 03713/03715 PXH01650 英雄 愛を求める者へ... ( 7) 94/10/23 00:37 03700へのコメント ごとうくまおさん 「美しく、詩的な言葉」「感傷的で、ロマンチックな言葉」がだます のだろうか。 あなたの”愛することは自己の死であり、死ぬことはすなわち生きる ことです”――この言葉こそ「感傷的で、ロマンチックで、空虚な言 葉」に感じる。 :英雄: 03714/03715 QFH02012 アラミス RE:RE^2:ゆうじ57世さんのこと ( 7) 94/10/23 00:52 03709へのコメント どうも、おみゃーさん>> 「虎の威を借る・・」言われてみればその通りですが、今回はその様に思われても お構い無しにあの様な発言をしました。 何故かと言えば一つは「ARIONの話の共有化」の事・・私は偶々みれさんから聞いて ゆうじ57世氏の話の矛盾を再確認できたのですが、その話を私一人だけが知って いると悦に入ってよい訳ではありません、必要とあらば時を見計らって発表します。 ARIONの発言をこのフォーラム内で自由に引用してよいとわざわざ断わっているの は意味があるのですよ。(もちろんプライベートな事や会議室上で話してよいもの か判断に迷う時は別ですが) もう一つは(こちらが重要)「人の発言をよく見て考えろ」という事なのです。 私は今回ARIONは何と言っていましたか?という言い方を多用していますが、これ はそのままずばりなんですよ、 ARIONという存在は何か、何処から来たのか? ARIONはこの場で何をしようとしているのか? ARIONは我々にどうあって欲しいのか、何を伝えたがっているのか?等々・・・ じっくりと熟考して下さいよ、なのです。(私とて初めからARIONを信じていた訳 ではありません) 秀峰さんの話しになりますが、彼は私と同じくらいの古株になります。私は彼が ここから離れていたのだとばかり思っていましたから突然の発言には懐かしく感じ ました。ところがその内容はゆうじ57世氏支持の発言で今までずっとROMして いたとの事・・これは私にとって相当ショックな事でした。 今までずっとこの部屋を見続けていた・・なのに(言っちゃ悪いが)ゆうじ氏のあの 程度の話しにコロっと転ぶ・・ARIONが今までここで話していた事や参加者の様々な 会話は何一つ彼には届いていなかったのか?と・・これには愕然としました(秀峰さ んにはまたキツイ話しで申し訳ないです)。 * それ故に私はあの様なARIONは・・みれさんは・・といった言い方をしたのです、もう 一度見直して考えてみて下さいよと。 既に英雄さんも似たような事を述べていますが、この場に参加しようと考えている のならば、旧人新人を問わず過去のLOGより最低限ARIONの発言だけでも全て落して 読んで熟考すべきであると・・そうあって欲しいのです。 03715/03715 QFG00772 秀峰 発言目的など ( 7) 94/10/23 07:37 こんにちは 久しぶりに書き込んだら、多くのRESをいただき、嬉しいです。 それぞれの方が丁寧に本音の意見を書いてくださり、私も緻密にレスしたい のですが、時間が経ってしまいそうなので、取り急ぎ(すでに遅いカモ・・・) ざっと、まとめレスでご容赦ください。 またゆっくり追加レスしようと思っています。 なえさん  ゆうじ57世さんが、もう書き込みをされないのかは、私は予測できません。 そのように表明するメールを受け取った、としか言えないです。それも、頼まれて 書いたのではなく、私が勝手に、ゆうじ57世さんにも無断で書きました。 ただ私も、本人が一言、立ち去る旨をこの場に書き込むのがスジとは思いました。 私の書き込みは、もともとここの一部の人への批判の動機でしたが、だんだん この場一般への認識とダブってきて、あたかもここを閉鎖的、身内意識の強い場で あるという発言になってしまいました。でも、なえさんの発言を読んで冷静にふり かえると、私は一部の人のそういうふるまいに、焦点を当てすぎていたような気が します。 たまにここで、「宇宙意識との交信」などを声高に語って参入して来る人もいますが、 まったくトンチンカンでマナー無視の発言は、レスもつかずに自然消滅してきたと思 います。そういう自浄作用がここにはあると思います。 でも、ゆうじ57世さんは、私はその手の輩とは思えませんでした。今回のみなさん の反応を見ても、ゆうじ57世さんや彼と他の人とのやりとりへの関心があったと思 います。例えここが混乱を呈したとしても、平穏を装うよりも、みんながホンネを語 ることに意味があると思い、蒸し返すようなUPをしました。 YUKIさん 以前に、船井幸雄氏の著書のことを発言されていたと記憶しています。 彼は、経営コンサルタントとして超一級でありながら、いわゆる精神世界の 学びを積極的に取り上げ、実業界というまったく「現実、日常」の世界と無理なく 調和させた考えを主張してますよね。私はそういう学際的な思考や視野が大好きで、 愛読しています。そして、氏のまわりには、ワクにとらわれず、いろんな分野から、 自然に引き寄せられた人が繋がってくる。こういうネットワークこそ、これからの ホンモノだと思います。 アラミスさん ゆうじ57世さんのいう神霊とARIONが面識(?)があるか否か、それぞれの 本拠地がどこか、といったことは、「宇宙神霊勢力マップ」でもあれば真贋論争も 決着付くのでしょうが、基本的に人間には想像もつかない存在の仕方だと思うので、 情報に矛盾点や食い違いがあっても、それほどオカシイとは思わないのです。 私はオリオン座のベテルギウスへ行って確かめることは出来ないし、自分でチャネ リングすることもできない。だから、本当の所、アリオンの正体や出所の客観的な 確証はありません。あとは「語る内容」によって信憑性を見極めるしかない。 私がARIONを信頼しているのも、もっぱら「語る内容」がことごとく納得が行 くからです。 >>突き詰めればARIONの話しを信じるか?それともゆうじ57世氏の話しを信じるの >>か?(あるいは両方信じないか・・)になるのですよ。 これはまったく私の考えとは違います。私は、ARIONと共通する部分も多いし、違う 部分もあると思います。ゆうじ57世さんがARIONのメッセージに共感して、 自分の言いたいことを伝えようと引用するのを見ても、2者択一とは、違うと思える のです。 エスペラントさん >> 私は、そういう発言姿勢や使用用語などの言及は、実は仮の表向きの理屈で >> あって、本質的に波長が合わなかったのだと思っています。 ズバリ私もそう思いました。私が「オカルト用語の何が悪いの?」というときには、 オカルト用語を奨励しているのではなくて、こういう表向きと本質的な発言動機の 食い違いを読みとって、それを指摘したかったのです。話の流れはすっかり「表向 き」の理屈の応酬に行ってしまいましが、それは私の発言内容や姿勢にも責任があ りました。 >>同じ目的を持った人同士なのに、どうしても同じ場を共有することができなかった >>という結果だけが確かなものとして残されたのですが、それを純粋に悲しみとして >>受け入れる用意があるか、それとも納得のいく解釈を必要とするかということだと >>思っています。私は前者の立場をとりますよ。秀峰さんはどうでしょうか。 私も同じ場を共有できなかったことは、残念に思います。でも、私は完全な共感が なくても、ネットワークは結べるという考えです。この会議室という場での対話は なくなりましたが、それは誰が悪いわけでもなく、一連の騒動だって無駄だったと は思っていません。実際、波長の合う人とのコミニュケーションは続いているわけ だし。一石を投じて去っていく、と言えば褒めすぎかもしれませんが、ゆうじ57 世さんの登場には、今でも意味を感じています。個人的な事を言えば、こうして私 が書き込むようになったのは、ゆうじ57世さんが登場して、その話に批判的な人 の発言を読んでムカっと来たのが、そもそものきっかけです。そういう意味で、ど ちらにも恩を感じます。        * * * * * * * * * 私がこの場で最も言いたかったのは、特定の話題や内容を発言しにくくなること、 つまりタブーみたいなものがあったり、ここだけが唯一の真実の場であるという偏 狭から身内思想や排他性へとつながる風潮、これらを憂慮する、ということでした。 ただ、現状の認識につき、私にも偏見や先入観があったかも知れません。 私はゆうじ57世さんを援護したり、オカルト用語排斥に反対したり、色々と誤解 を受けそうな発言をしてきましが、私の発言目的を突き詰めると、上記のことにな ることを明らかにしておきたいと思います。             秀峰 QFG00772 - FARION MES( 8):☆恋愛玉手箱/風まかせ編☆・・・・・・・・・・・・・・ 94/10/23 - 00562/00563 VFD07310 NORI RE:同性愛考 ( 8) 94/10/22 23:00 00538へのコメント *SUB:Re:RE:同性愛考 こんにちは、オリハルさん。 > そうですか、「嫌われてもいい」ではなくむしろ「嫌われたい」という気分があるの で> すね。 これはたまに思うことなのです。今は思っていません。 >  NORIさんが、同性愛者だと決めちゃってるその目的は何ですか? つまり、 「自> 分は同性愛者だ」と社会的表明を行ない、発言を行なって他者に対して主張する 事で、> 目指してるのは何ですか? FARIONで話した理由は、ここでは嘘をできる限りなくそうと思っていたので 一番話しにくかった同性愛のことを言ってしまうことで安心しようというか、 同性愛のことを話すことはぼくにとって嘘をつかないことの象徴のようなもの だったのです。自分は嘘をつかないという証明が欲しかったのだと思います。 これは前にオリハルさんに聞かれて「違う」と言ったことですね。(^^; そして、クラスの人とかに話すのは、前に言った「相手を探す」というものです。 好みじゃないひとには特に話したいとは思わないんですよね。 最初に言っていた「嘘をつきたくないから」というのは少ししか気にしていない みたいですね。 > 『「小学校の時に周囲の同性から、“おまえ、本当は女が好きなんだろ”と言われた く> なくて“俺は本当に女なんか嫌いなんだ”」と社会的発言を繰返し、実行してる内 に、> 今のようになったけど、今は、そのことはもう忘れており、今、自分が同性愛者 なのは、単に男が好きだから。』 また前と言っていることが違ってしまいますが、 “おまえ、本当は女が好きなんだろ”と言われたくないからではなくて秘密を握られ たくなかったのです。それで、本当にそれが原因なのかということも、自信が なかったのです。前のログみてみたんですが、紛らわしいいいかたしていました。 ごめんなさい。でも、ぼくの文章って断定が少ないですけど文章の癖なんです。 これからは気をつけます。 > 『目指しているのは直接的には「嫌われる事」であるが、更にその目的は、周囲の人 間> からの干渉はNORIさんにとっては「阻害」にしかならなかったという悲しい記 憶が> あるので、「嫌われる事で阻害されることが今後、絶対に無いようにしよう」』 として> るのではないでしょうか。 原因はちがいますが、嫌われたいというのは「嫌われる事で阻害されることが今後、 絶対に無いようにしよう」なのです。言われて始めて気が付きました。 嫌われたいと思っているときはあまり関わられたくない、放って置いてくれという 感じがあります。今はないですけど。 > 『自分をひねくれさせた皆なんか嫌いだ』 というものではないでしょうか。 う〜ん、どうなんだろう、違うと思うけど。 > 『俺は、おかげで同性愛者になったぞ。どうだ、俺は本気の同性愛者だぞ。あんたら が> 求めたものは「女嫌いな男」だろ、ここに実物がいるぞ。どうだ、これで俺はあん たら> と“仲良く”出来るわけだ。』 これは違うと思います。(^^;周囲が求めたから同性愛者になったということに 関しては、あまり考えません。同性愛者であることで嫌われなくともいいと思って いたはずです。(多分) > いえ、物事をリアルに生き生きと感じる事が出来るようになる、という事でした。 ぼくも同じ事を言っていたのですが。どうも言い回しが悪いみたいでうまく伝わり ませんでしたね。 では、また。                              NORI 00563/00563 PXH01650 英雄 男の自立 ( 8) 94/10/23 00:39 00556へのコメント YAHATAさん 「男が自立したら人類は亡ぶ」――う〜〜ん.....何となくわかる気 がします....(^^; 「自立」の意味合いにあるんじゃないかなあ。男ってのは真の意味で の自立ってのはありえないのかもね。ARIONが言うように、男は 根本的に女性なしでは存在できないようだし。 しかしそう考えちゃうと、わたしのように支える女性もいない場合は どんなにがんばっても大成できないってことになってしまって、ジレ ンマに落ちいっちゃうなあ。 たしかにね、仕事なんかで業績を上げた人の話なんか聞くと、決まっ て「妻の支えがあったればこそ」って涙ぐむんですよ。マイッチャウヨナア.. で、今大きく膨らんでいるモノ、じゃない、疑問は、 「自分にはパ―トナ―がいない。しからば、何事も成就しえないのか」 ってことです。 たとえば、ここの会議室に欠かさずアップし続ける(これはシゲさん 快復祈願のつもりです)事はできても、仕事でヒットをかますような 事は、シングルのわたしには望めないのか、ってことです。 :英雄: - FARION MES(13):★神秘学遊戯団★・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・KAZE 94/10/23 - 01842/01845 GGA02514 KAZE 水の磁化のことなど (13) 94/10/22 13:51 01841へのコメント 秋端 勉さん、はじめまして。 そして、ようこそ神秘学遊戯団へ(^^)。 タキオンについては、ぼくの解答能力を超えたもので、 適切な答えの一端さえも持ち合わせていないので^^;、 そのタキオンに関連した宇宙論を展開されている 半田広宣さんに問い合わされるのがいいかなと思います。 ちなみに、それについては(株)ヌースコーポレーションから 「変換人のためのヌース用語辞典」(定価2,000円)というのがでてますし、 今はほとんど活動停止状態ではありますが、FMISTYのMESに 「有機体ノウスの宇宙論」として、それについてのログがありますので、 そこらへんをご参照くだされば幸いです。 ちなみに、(株)ヌースコーポレーションの連絡先は、 〒815 福岡市南区高宮1-13-25 TEL 092(524)7578 です。 「水を磁化したりする装置」とはたぶんNマシンのことだろうなとは思いますが それについてもぼくは不案内で、 実は、半田さんから水や化粧水、ビーズなどをもらって、 それを使ってみたら確かにそれなりに効力があるようで、 知人のアトピー的な症状がかなり緩和したということなどもあり、 あらためてその背景となっている「ヌース理論」について今勉強中なわけです。 で、実のところ、そうした「効能」云々についてはぼくの場合ほとんど余興的で^^; 現在のところ、その技術的応用よりも、 その宇宙論そのものへの興味があるにすぎません。 ということで、現時点では、ぼくの無理解故にこういうお答えしかできないようです。 で、少しはぼくなりのコメントができる部分についてですが、 >わたしはある種のエーテル体の振動が水の分子に影響を与えるとは思えません。 磁力というのは神智学的にいうとエーテル質料ですよね。 たとえばある人が何かを肌身離さずもっていたとしましょう。 その物はその人の「磁気」を吸収していき、 その物を他の人が身につけたりすると、 その物が発散するものの影響を受けるという現象があります。 その影響は、その物のもつ本来の「形」からのものもありますが、 その物にこれまで関わってきたもののさまざまな影響もあります。 たとえば、神社、仏閣、教会などの建築物の「形」は そのものが特定の影響をもつようにつくられています。 そしてその建築様式というのは、恣意的なものではなく、 多くの場合、明かな「意図」をもってつくられています。 それにプラスして、その建築物にこれまで関わってきた多くの人の想念などが そこに付加されていきながら、そこにいわゆる「磁場」が形成されます。 護符なども同じで、その形そのものに意味があり、 その形からくるパワーというのは明らかにあります。 それに、それに関わった人の「磁気」や想念が付加されて、 まさに「護符」になったり「呪いの象徴^^;」になったりします。 宝石なんかで、それを所持した人が続々と不幸な目にあうというのも そうしたことの一環なのだと思われます。 ですから、「物」とひとくちにいっても、 それはいわゆる純粋な物質体だけで構成されているとはいえませんし、 特に「物」というのは、高次の精妙な状態の「体」がその供儀によって 凝縮して形成されてきたものですから、 そこには可能性として高次のすべての要素が潜在しているともいえます。 >メスメルが誤って主張した磁化というプロセスは、心を持ったものに >しか行えません。これは狭義の魔術が、心をもったものしか対象としな >いのと同じです。 魔術というのはその多くの場合、エーテル質料の作用を使った きわめてアストラル的性質の強いものだとぼくは考えています。 アストラル体はエーテル体へ働きかけます。 エーテル体は肉体へ働きかけます。 これは、たとえば病気などという現象でもこうした プロセスが基本となって起こります。 人間は「自我」によってエーテル体やアストラル体、 そして肉体に働きかけるということによって「進化」していくというのが シュタイナーの神秘学の骨子のひとつだと思うのですが、 それを健全なプロセスにのっとって行うかそうでないかによって、 それが白魔術にもなり黒魔術にもなっていきます。 たとえば、仏教などで「反省行」をいうのは、 自我によってアストラル体を浄化しようというプロセスですし、 「ソフィア」というふうに呼ばれるのは「浄化されたアストラル体」のことです。 ですから、「狭義の魔術が、心をもったものしか対象としない」というのは アストラル的な作用を基盤として行うのが「供儀の魔術」だということでしょう。 ちゃんとしたお答えになっているかどうかわからないのですが、 少し角度を変えて説明すると以上のようになるでしょうか。 参考までに、水の磁化に関連した部分で、少しおもしろそうな箇所を 「神智学大要 1 エーテル体」(たま出版)より少し引用しておきましょう。  ある教派、特にカトリックで用いられている「聖水」は磁化の非常によい 例である。それは、水が極めて容易に磁力を帯びるからである。ローマ・カ トリック教の儀式規定を見ると、このことがよくわかる。すなわち、儀式を 行うに当たって、司祭はまず第一に塩と水をもって祓い清めなければならな い。すなわち、塩と水からあらゆる好ましからざる影響を浄化し、十字を切 って四大要素[地・水・火・風]を祝福しなければならない。すなわちまた 司祭自身の霊気(磁力)を塩と水に注ぎ入れなければならない。その際、司 祭は一切の邪なる思いと感情とを駆逐することを強く意志するのである。塩 は塩素を含有しており、塩素は「火」の要素である。したがって偉れた溶剤 である水と、偉れた消耗材である火とが混合すれば、浄化剤として最も効果 的であることは理の当然である。その他キリスト教会における多くの儀式、 たとえば、水を祝福してからその上で十字を切る洗礼式、教会堂、墓地、祭 壇の祭具、神父、牧師の法服、鐘、香料の聖別、堅信式、神父の叙任式、司 教、監督官の聖別などの底にあるのは皆同じ原理である。(p188-189) こうしたことを神道などに探すのも非常に容易ですよね。 以上、非常に簡単ではありますが、ぼくのコメントできる部分について 少しだけコメントしてみました。 では、今後ともよろしくお願いします。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 01843/01845 GBB03425 Paper Birch タキオンって!? (13) 94/10/23 01:29 01839へのコメント KAZEさん、どうも。 |EMは、それを手放しに肯定する方向性も、 |またそれをただただ批判する方向性も、どちらも慎むべきだと思います。 その通りですね。 比嘉さんの本を読むと、けっこう眉唾な話も書いてありますしね。 そういう部分は僕も「いくらなんでもそれは無いだろぉ。(-"-)」 と思いますし、批判される事があるとしたら、 そういう所が原因になっているのだと思います。 しかし、ある部分では、実際に役立っているのは確かですから、 何に使えて、何には使えないのか、比嘉さんの信奉者以外の人による研究が 待たれますね。 その結果、EMの応用範囲が思ったより狭かったとして、 水質浄化、家畜の臭い消し、無農薬農業、生ゴミ処理、健康食品として、 などなど....、そのうち何か一つだけの使用法しかなかったとしても 充分革命的なことですし、夢のような話には違いありませんから。 僕のペットのリス達も、三匹もいるとさすがに臭い時がありますから EMを買ったら、まずリスの檻の底に振り掛けてみようかな(^^; あ、もちろん、もっといろいろ有効に使うつもりですよ。 ところで、タキオンの話。 タキオンというのは、確か理論的に存在の可能性が提唱されているだけで まだ発見されていない....もちろん有るのか無いのかも、まだ分からないもの では無かったでしょうか。 発見もされていない物を、使えるハズは無いですよね。 ですから、KAZEさんがお使いの「タキオン」と称する物質は、 少なくとも科学用語の「タキオン」とは、何ら関係のない物と 思った方が良いと思います。 その「自称タキオン」が、何かに効いているとしたら プラセーボ効果か、タキオン以外の何かが入っているのか、どちらかでは? タキオン売りの話は FSF3 mes(8) 超科学お笑い劇場 のほうでも出ていましたよ。そちらで書かれているのは、 秋端さんがハマナコンで見たのとは違う会社のようですが 一度覗いてみると良いと思います。(#2からのペアレント発言です) 深野一幸博士の事も出ていますしね。(^^; ウ〜ム。もぉこんな時間かぁ。 と言うわけで、メールでの話の続きは、また今度にしますね。 それから類魂の話しも続けないとイケナイし、 絵も描かんとイカンし、 リスの世話もせなアカンし、 もちろん仕事も、ちょろっとしないと(コラコラ^^;)ダメだし、 忙しいなぁ〜(^_^) マイニチ、ジュウジツシテマス。                       △▼△ Paper Birch △▼△ 01844/01845 GBB03425 Paper Birch 歓迎! 物理屋さん、SFファン(^-^) (13) 94/10/23 01:30 01841へのコメント 秋端 勉さん、はじめまして。 Paper Birchと申します。以後、宜しく。(_ _)ペッコリ 秋端さんは、物理屋さんなんですね。 とっても心強い方がいらしたと、喜んでいます。 ROMはしていたそうですから、ご存知でしょうけど 僕は一応スピリチュアリストという立場をとっているんですが、 その割りに、残念ながら科学的な知識の方はからっきしなものですから。 スピリチュアリズムというのは、 「心霊を科学的に研究し、霊の存在を確信した上で  どの様な哲学を持ってこの世を生きていくか。」 を考える物(ちょっと乱暴すぎる要約ですね(^^;)なんですが、 そうは言っても、長年心霊に関わっていると 科学と疑似科学を見分ける感性が麻痺する事もあるようです。 詳しくは書きませんが、 最近ある所に、そういう人がいますので(パソ通関係ではありませんが) そちらを何とかするためにも、いろいろ教えていただければ....と思います。 ま、難しいことを話すばかりでも続きませんから 適当に雑談でもしつつ、時々真面目な話しもする、ってな具合で 末永くお付き合いくだされば幸いです。(^^) ところで....。恥を忍んでお伺いします(*^_^*) 「秋端」というお名前は、どう読めばいいのでしょうか? 産まれて初めて見る名字なんですけど。(^^;;                      △▼△ Paper Birch △▼△ 01845/01845 PBC00367 Q・ka・ka RE:地球を救う大変革.読みました (13) 94/10/23 08:20 01841へのコメント  秋端勉さん、こんにちわ、Q・ka・ka(きうかか)と申します。            FFORTUNEの書籍会議室では擦れ違ってしまいましたが、こちらでタキオンに関する    書込を拝見いたしましたので、タキオンの研究をしている夫の半田広宣からの      コメントを以下にお伝えしたいと思います。                     魔術と物理がご専門の秋端さんにはぜひタキオンについてもご理解いただけれ ばと   思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。                                                            KAZEさん、・・・というわけでこの場をお借りしますがどうぞよ ろしく。    シュタイナーの翻訳は面白く読ませていただいております。              NHKの「ピアノで名曲を」は私も欠かさず見ています。                                                        〜〜〜〜〜〜〜半田広宣からの文書ファイル〜〜〜〜〜〜〜〜 〜〜〜〜〜                                                 KAZEさん、ご無沙汰しております。ノウスです。妻 から会議室にわたしに関する 書き込みがあったと聞き、目を通してみました。それは 発言番号01841の秋端勉さ んのコメントです。                                 2,3年前に横浜のイベントでタキオンの発明者 の弟と自称する方が講義に来て云々 とありましたが、なぜか、わたしには横浜で講演 をした記憶がないのです。確かに当時 は、東京でいろいろな講演をやっていましたが、 秋端さんのコメントを読んだ限りでは どうもわたしのフェイクが暗躍していたようで すね。それにわたしの会社は雑誌媒体の 広告宣伝は一切やっておりませんし・・・・ ・。                   ま、その辺はどうでもよいことなのです が、その偽の弟さんに代わって秋端さんのご 質問にお答えしておこうと思いついつい 割り込んでしまいました。。                                                   秋端さん、はじめまして。タキオ ンの研究をしている半田広宣といいます。ご質問に 対するわたしなりの答えを差し上 げておいた方がよいと判断しましたので、失礼を承知 の上、書かせていただいており ます。                        まず原理についてですがこ れは一言で答えられそうにありません。敢えて言えば素粒 子間の空間構造をユークリ ッド幾何学に変換し、その幾何学的構造を高次元的空間構造 のメタファーとして認識 できる描像力を持つこととでも言いましょうか、最も、これで は何のことやらサッパ リ分かりませんね。ごめんなさい。。              わたしの研究して いるタキオンはファインバーグが提唱した概念と同一のものです。  タキオンとター ジオンの相互作用はルクシオンの場、すなわち電磁相互作用を媒介す る光子の構造の 中で行なわれているのではないかと考えています。物理学的な解釈を施 せば中性ヒッ グス・ボゾンがその作用に相当するでしょう。ヒッグス場は磁場の極性変 換に関係す る仮想的な物理概念ですが、タージオンに関与するタキオンはこのヒッグス 場を通じ てフェルミオンの磁場の極性バランスに何らかの影響を与えているのではない かと思 われます。ま、しかし、このような説明は物理学の抽象概念を用いたギミックに 過ぎ ず、何の本質的な説明も与えていないことはわたしもよくよく承知しています。そ こ でその本質について少しお話ししておきます。                    まず、タージオンとタキオンという概念について少々。               この二つの名称は、一般には光速度以下の粒子と光速度以上の粒子の区別に与えられ て いるものですね。しかし、これは非常に曖昧なカテゴリーだと思われませんか?速 度と いう度概念は基本的にはわたしたちの日常的な空間で培われたものです。原子内 部の微 視的な領域は数学的には複素数でしか表すことができません。これはミクロの 領域の計 量関係が実数で記述できる日常的な空間の計量関係とは違っていることを意 味します。 このへんはボーアやリーマン、アインシュタインなどが頭を抱えていた問 題でもありま す。もちろん、現在では、ある種の観測結果によって素粒子の運動速度 を導出すること は可能ですが、その計算過程には不確定性原理を考慮に入れなければ なりません。定常 状態にある電子の回転速度は光速度の約1/137程度と言われて いますが(この数値 には必然的な非常に深い意味があると思われます)、当然、この 速度は光速度より遅い わけですから電子はタージオンの範疇に含まれてしまうわけで す。しかし、それは決し て電子という小さな粒が原子核の周囲を光の1/137のス ピードで回っているという 描像として受け取られるべきものではありません。なぜな らば、このときに電子の位置 に関しては全く何も言えなくなるからです。                      本来、タキオンとはローレンツ変換の延長上にある 概念であり、これは相対論的時空 概念から提唱されたものです。しかし、一方のター ジオンは量子論的時空から抽象され ている概念なのです。この単純な区分けには空間 の計量という意味で大きなカテゴリー エラーが存在しています。タキオンの本質的理 解はむしろ相対論と量子論を統合する第 三の時空概念の中にある性質のものだと考え るべきです。                                                        さて、秋端さんはオカルティズムにも 造詣が深いとお聞きしましたので、物理学とオ カルティズムの関連についてひとこと。                        コメントの中に「霊的な次元のもの は霊的に、物質的な次元のものは物質的に作用す る」と書かれていたことに対して、 反論というわけではないのですが、わたしなりの考 え方を少しばかり述べさしていた だけたらと思います。                「下位は上位の反射である」 とするオカルトの伝統に従えば、わたしたちが物質と呼 ぶ何らかの表象は当然、霊的 な次元の変態(メタモルフォーゼ)、もしくは延長として 理解されるべきものではな いでしょうか。否、むしろ、物質も霊的な次元の或る階層( 生命の樹で言えばマルク トに相当するものと考えています)として位置付けすることが 、わたしとしては最も 心理的に納得のいくものとなっています。霊と物質を二元論的に 捉える姿勢は21世 紀のオカルティストには似つかわしくないように思えるのですが・ ・・・。                                      わたしは長年、 物質を構成するとされている原子の中の内部空間(陽子・中性子の荷 電スピン対称性 が成り立つ数学的な抽象的空間)について、その実際的な意味を考え続 けてきました。 つまり、数学的には高次元として表されてしまう空間構造を何とか日常 的な空間認識 の延長線上に描像する術はないものか、そのモデルを捜し続けていたとい うわけです。 いろいろな試行錯誤の甲斐あって、最終的にはどうにかそのモデルの骨格 を練りあげ ることができました。そこには或る種のトポロジカルな双対性を含んだ対称 性構造が 存在しているのですが、この構造を平易なユークリッド幾何学に変換するとそ のトポ ロジー関係が極めて単純な図形として表されてきます。わたしはこの図形を神か ら見 た宇宙の設計図と考え、大事に暖めていました。ところが、それからしばらくして 、 わたしはその図形と全く同一のものを予期せぬところで見つけたのです。それは、妻  から勧められた「神秘のカバラー」という本の中にありました。いわゆるオカルティズ  ムではお馴染みの「生命の樹」がそれだったのです。                  これはわたしにとっては実に衝撃的な出来事でした。何と数年来にわたって考え てき た相対論と量子論を結びつける空間構造の答えが、ごく象徴的なものとはいえ、 そこに 明示されていたからです。わたしがオカルトに興味を持ったのはこのシンクロ ニシティ ーが契機となっています。それ以後、わたしはオカルト的世界観と現代物理 学的世界観 の統合理論の模索を始めています。                          わたしの考え方によれば、わたしたちが物質の内部に見ている微視的 な世界の本質は この生命の樹に描かれている4つの階層(アツィルト、ベリアー、イ ェッツェラー、ア ッシャー)にあります。内部空間とは「生命の樹」全体の構造が或 るトポロジカルな反 転作用を以て文字どおりマルクトの空間領域に映し出されたきた ホロノミックな射影な のです。ケテルから放たれた「雷の閃光」が辿るアダムの転落 のエネルギーは神のアー スが接地するマルクト(物質世界)にそのプロセスのすべて をフラクタルに映し込んで くるということです。さらには、この転落に対し神はアダ ムが帰還するための復路にも 変換のエネルギーを上昇させています。この双方向性は まさに物理学が電子・陽電子対 として観察しているものです。                            物理学が核子レベルの領域で観察している正反の フェルミオンは、マルクトからクリ フォトへと向かう力によって反転させられたこれ らの高次元世界における意識の流れの 双方向の射影と考えることが今のわたしにとっ ては最も納得がいく解釈となっています 。中性子はティファレト、陽子はケブラー・ ケセド間のパス(これは「生命の樹」にお ける左右対称関係を作る力に相当します)、 反中性子はダート、反陽子はケテル・イエ ソドの対称関係(これは「生命の樹」の上 下対称関係を作る力です)に働いています。                                           磁場に関する考察は最も注意を払わ なければならないところです。なぜならば磁場は 銀河から光子に至るまで物理学的描 像における宇宙のあらゆる空間的階層に交差をおこ なっている基本的な場だからです。 磁場を単に物質レベルの力と考えるのは避けた方が 賢明だと思います。わたしの描い ている磁場のイメージは生命の樹の上下・左右の両対 称性を見いだす力と同等のもの です。つまり、ケテルに描かれるヘクサグラム内部の至 高の三角形そのもののマルク トにおける顕現なのです。蛇足ながら上向きの三角形と下 向きの三角形が電場の+と −に相当します。すなわち第一分化が磁場で第二分化が電場 ということになります。 この二つの三角形の上下対称性はその内部にある至高の三角形 の底辺、つまりアイン ・ソフに当たるものです。冒頭にも書きましたようにタキオンと はこの磁場における 極性を変換する性質の力としてわたしは解釈しているわけですから アダムをケテルへ と帰還させる源泉力と同一のものとなるでしょう。          わたしのタキ オン理論はれっきとしたシステムを持っています。ま、最も進化した科 学は魔術と区 別はつかないわけですから、わたしのやっているタキオン技術も21世紀 魔術の一つ と言えるかもしれませんね。                                                                時間 の都合上、ごく抽象的な書き込みとなりましたが、秋端さまが物理学にも、オカ ルテ ィズムにも造詣が深いとお聞きしましたので一言、書き添えた次第です。はじめて の 書き込みでの無礼、なにとぞご容赦下さい。あ、それと、タキオンの類似品とわたし  の類似品には十分、お気を付けくださいね。KAZEさん、いつもありがとうございま  す。体に気をつけて頑張って下さい。                                                                                          有機体ノウスこと半田広 宣                                            〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 〜〜〜〜                                            長くなってしまいましたが、これで半田広宣からの伝言を終わります。        どうもありがとうございました。/きうかか。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      - FARION MES(14):★Room 666/預言解読の部屋★・・・・YHVH 94/10/23 - 02573/02573 KHE02065 メルク スサノオ=アメリカ? (14) 94/10/22 14:11  日本神話の予言的な解釈を一つ思い付きました。  まず、今の日本の不況を、アマテラスの岩戸隠れとしてみます。  その原因を作ったスサノオはアメリカということになるでしょうか。  スサノオが暴れた時たんぼをめちゃくちゃにしたのが、米の不作かな。  お人好しのアマテラス=日本は初めは善意に解釈していたけど、  ついに岩戸隠れしちゃった。  アマテラスがスサノオの行為を善意に解釈したのは、うけいで負けたから。  うけいは太平洋戦争ということになる。  挨拶しに来ただけのスサノオにビビッて、アマテラスは武装した姿で迎える。  太平洋戦争をしかけたのは日本の方だった。  スサノオは最初、黄泉の国の母イザナミに会いたくて泣いていた。  んで、父イザナギに破門状態で、イザナミに会いに天降った。  これは、スサノオをアメリカとすると、イギリスからの独立と解釈出来る。  ところが、アマテラスに挨拶しようと舞い戻り、  そこから上記のような経緯で、本来の目的をコロッと忘れてしまう。  イザナギがイギリスなら、憧れのイザナミはインディアン(オールドアメリカン)  と言えないだろうか。  黄泉の国は死者の国で、つまり過去に失われたものが保存されている場所だから、  古代の英知を受け継ぐインディアンに対応するわけだ。  ところがアメリカはイギリスのあとがまみたいになっちゃった。  自由を求めていたアメリカは迫害者になった。  さて、ここから先は未来の話になってくる。  スサノオはその先どうなるかというと、  岩戸から出てきて最高神になったアマテラスに爪と髭を抜かれ、追放される。  んで英雄になったりするのだが、世代が変わるころには、  いつのまにか黄泉の国の王様みたいになっているのだ。  なぜこれが未来なのか?  ひょっとして岩戸隠れは原爆で、そこから出てきて日本は経済発展、  アメリカは世界の警察=英雄に、という筋書じゃないのか?  いや、ちがう。アメリカは爪=武器をまだ抜かれていないし、  岩戸から出て最高神になったアマテラスにこんな不況はおかしい。  これから岩戸から出た日本は、アメリカの髭と爪を抜くはずだ。  では、ヤマタノオロチとは? クシナダ姫とは?  ヤマタノオロチは、イギリス・アメリカに続く、第3の「世界の暴君」だろうか。  まあ、それはともかく、  近い将来アメリカは想像を絶する生まれ変わりかたをするということになる。  おそらく、古代の英知を受け継ぐ国だろう。  しかも日本との立場も逆転して日本が上位に立つのだから、すごすぎる。  さて、もう一つの問題は岩戸隠れなのだが、  今の状態がそうなのか、これからが本番なのかが分からない。  神話だと、たんぼを破壊した後に、さらにショッキングな決定打があるのだが・・・・  ただ、岩戸隠れ自体は自己防衛的な自発的な行為だから、  他人は困っても自分は困らないという解釈も出来る。  そして、困った世界は日本を岩戸から引きずりだし、  世界に恩恵を投げかけさせる、ということかもしれない。                          メ ル ク - FARION MES(19):※精神世界/見聞録/ぶっ飛び話/アレコレ・・・・ 94/10/23 - 353/354 KHE02065 メルク RE:自分は本当に勝ちたいのか (19) 94/10/22 14:13 349へのコメント  こんにちわ、オリハルさん。  スブドの話はだいぶ分かりました。  ラティハンを受けて帰るだけの人もけっこういて、  べつにラティハンを受けることとスブドという組織に関わることとは、  必ずしも結び付いていないわけですね。  かなり謎が解けました。感謝です。  で、組織に関わることについては、  オリハルさんの経験では、無意味なものに感じられた。  しかし、他の人に取ってはどうか分からない。  それは各人の問題であって、自分が心配すべき問題ではないと、  そういう風に考えているわけなのですか?  あ、これはべつに批判とかではないです。  オリハルさんて、かなり合理主義なんですね。  合理主義が嫌われる理由の一つは、それが快楽の敵だからだと思います。  喜びとか、そういう心の事にとって、合理主義は息苦しいものだと思います。  合理主義というのは、ある問題を解決するために、  他の問題を無視するところがあるからです。  オリハルさんは自分の目的を達成するために、  他の人の目的を絶ってしまうことがあっても、  それを省みないところがあるのではありませんか?  それは多かれ少なかれ、必要なことでもあると思いますが、  極端にそれを実行すれば、つまり他の人の目的の障害なのだから、  それを排除しようという動きが生まれるのは、しごく自然なことだと思います。  私はそう思うのですが、オリハルさんはどう思いますか?  まわりの人の反感に不満があるとすれば、それは自分の合理主義に対する不満です。  オリハルさんは、まわりの人の反感に不満を感じますか? | 利己的な面 :勝って満足するため | 非利己的な面:一つのモデルケースを示す必要がある  利己的な面は分かり安いと思います。満足感というのは麻薬のようなものだから、  それで人はそれを再体験しようとするのだと思います。  つまり、生き延びるための「からだ」の本能に動かされているわけです。  非利己的な面の説明は、私にはいまいち不明瞭です。  「必要がある」では説明として不十分に感じます。  整理してみます。モデルケースを示したいわけですね?  これは第一目的を達成するための手段として、  モデルケースを示すという方法が必要あるいは有用であるという意味ですね?  そういう手段を選択した理由はなんですか? | それは、何の為(第一目的)でしょうか。分りやすく言えば、神、あるいは、 | 理想、あるいは、愛の為です。  オリハルさんがその目的に引き付けられる理由はなんですか?  ではまた。                          メ ル ク 354/354 PXH01650 英雄 RE:お願い致します  (19) 94/10/23 00:40 352へのコメント ROマンさん 「半端な知識で霊能者を紹介するような方が出る前に先手を打った」 との事ですが、あなたの示した方法も充分「半端」だと思いますがね。 重度の霊障者を抱えている家族にとって、「明るい心で包め」って言わ れて、ハイそうですかってできると思いますか?真理の本を読んだ位で、 そんな事ができると思ってらっしゃるのですか。アキラさんは、そうい った観点から危惧されたのだと思います。 現実には、周囲に実質的な被害を及ぼす場合は、病院に収容するしかあ りません。霊障者の治癒を専門に扱う団体はないようですね。 霊障者に対しては、家族なり世話する人が、心身障害や知能障害等のハ ンデイを持った人と同じくらいの覚悟と介添えが必要です。また治癒を 施す場合はかなりの危険を伴います。 霊障者の治癒には、国家予算並の費用と労力がかかると言われています。 真剣に、医学と同様、治療と研究が進むことを願う次第です。 :英雄: