MRE - FARION MES( 2):【居酒屋1999】--------自己紹介・雑談 94/10/24 - 02839/02844 PXH01650 英雄 猫のいる風景 ( 2) 94/10/23 23:53 02834へのコメント コメント数:1 わたしも初歩の域を出ていないけれど...(^^; 外の猫を撮る時は、できるだけ風景と一緒にとるといいものになりま すね。コンパクトカメラでも、やはりズ―ムの幅が広いやつの方がう まく撮れますよ。 親父の影響で、いつの間にか写真に興味を持つようになりました。と いっても撮る楽しみを知ったのはごく最近。以来、年末は一眼レフカ メラを買うか、パソコンを買うか悩むようになりました。 そもそも写真を自分で撮るようになったのは、その空き地の猫の一家を 撮ろうと思ったからでした。その後、結婚式や合唱団のパ―ティでバシ バシやっている内に、いつしか人間を撮るのが好きになりました。 親父は風景等の静物専門でしたが、わたしは動物や人間を撮ります。い つか女性ポ―トレイトを撮ってみたいと思っています。 :英雄: 02840/02844 PXH01650 英雄 RE:亜空間酒場へのアクセス環境 ( 2) 94/10/23 23:54 02835へのコメント 「Windows環境から亜空間居酒屋壱九九九にアクセスするソフトの使 用上の注意」(ver 1.00) 通信ソフト:英Term 面倒な手間がいらない反面、悪想念を持ってアクセスすると、 ルルイエ、レン平原等の異界に接続される。その結果について 関知しない。 エディタ :英丸エディタ 虚言、観念論、中傷・非難等の文章を書くと、セ―ブ後、 WINDOWSディレクトリ以下のファイルがすべて消去される。 その後、システムの再インスト―ルは不可能になる。 FEP :英TOK 心と違った言葉を変換することはできない。例えば「あい」 を変換する時、ほんとうの愛の心になっていないと「荒忌」 としか変換できない。 なんかマニアックだナア....(^^;。 ますたあ:英雄: 02841/02844 PXA06646 樹 ポン酒の季節(^^) ( 2) 94/10/24 00:14 02836へのコメント    わ〜い(^O^)呑みたい〜>金沢の酒!!    いいねぇ、良い季節になったねぇ、、、これからは熱カンの季節、、、   こたつに御銚子、それに”鍋”なんか、、、、いいねぇ、、、、       高清水については、”秋田の酒”の代名詞みたいなモンだからピンキリで   色々あるダス(^^;)。今年の正月に維サン家に持ってたのは家のいとこが嫁い   だ酒蔵のオリジナル品です。だから名前に惑わされると、、、、(^^;;;    日本酒の呑み方は色々あるけど、呑んべいの呑み方は、、、、、   やっぱりマス酒に限る、、、と思ってマス。片手に塩を乗せてこぼれそうな   御酒に、、、、考えただけでよだれがぁぁぁ、、、    でもワタシは冷やで呑むのが一番好き、寒い時にわざと氷なんぞ入れて、、   んでもってこたつに肩まで入れて、、、、、ストーブに「あたりめ」なんか置   いて、、、これが結構いいんダワ、、、、、ちょっと(^^;)だけケド 今年こそ壊れたこたつを直そうと思う(3年前から思ってる奴です)  樹 02843/02844 KFR04742 YUKO おじゃましまーす ( 2) 94/10/24 18:11 さっそくおじゃまします。なbせ、右も左も分からないのに、いきなりパソ通なんて はじめてしまって、わくわくしてます。なんか、東海地方の方もいらっしゃるみたいで うれしいな…   私、名古屋生まれの名古屋育ちなので(いまはちがうけど。=jおみ ゃーさんbフ名前を見るだけでうれしくなってしまう。足元で「じゅっちゅ(ジュースの こと)!」さけぶちびにふりまわされ、いそがしいまいにちですが、暇を見つけていろんなことを、のたまってみたいとおもってます。どうぞよろしく。 02844/02844 JCF00616 優位 写真の話題 ( 2) 94/10/24 19:28 02839へのコメント 〔優位より英雄さんへ〕  英雄さん、こんにちは〜  (エイユウサンと入力して変換すると英雄算となるのは何故(^^;?FEPはWX2)  父親の血を受け継いだのか、それとも「カミコメ」の写真に感動したのか、  この頃は私も写真に興味をもつようになりました。書店でカメラ雑誌を  買い込んで色々と勉強しています(FPHOTOも覗いてます(^^))  95年のお年玉とバイトで稼いだお金でAF一眼レフでも  買おうかなと考えているんですが、メーカーの善し悪しなどは  雑誌記事だけでは判断がイマイチつきません(^^;。詳しい方に  使い心地などを教えて貰えるとありがたいな(^-^)>英雄サン  CanonEOSを取るか、Nikon 製品を使うか、迷っておりますデス(^_^;)  写真はよくカメラ専門誌のフォトコンテストに掲載されているような、  キチットした構図、タイミングがばっちりの凄いやつではなくて、  他愛ない日常のひとコマとか、ダイナミックな感動を与えてくれる  写真が大好きなんです(^ー^) カミコメに載ってる写真みたいな(*^^*)  そうそう、いっそのこと考古学者になって世界中で写真とってこようかしら(笑)  やっぱり、私は音楽よりも美術系のほうが向いてるみたい…? ∋- Tanaka 。◎ 。Masanori -∈ - FARION MES( 3):【めでぃあ室】--------本/映画/音楽 etc 94/10/24 - 00660/00660 PXH01650 英雄 男の理想像 ( 3) 94/10/23 23:52 00658へのコメント 男の理想像ってことで、内館牧子氏だかが、鬼平を挙げていたと思い ます。そういやあ、OLに一番人気だそうで。 漫画の話で恐縮ですが、「浮浪雲」のジョ―ジ秋山氏の最新作で「女 形気三郎」(おんながた・きさぶろう)というのがあります。勧善懲 悪ものですが、普段は髪結い、しかして女がだまされ、たぶらかされ、 危められれば、女に変身、裁きを下すというやつ。男の義を持ちつつ 女の姿で悪党を葬るというちょっと変わったヒ―ロ―。 「骨っぽい」=「いい男」という単純な図式ではない、男の姿。本物 の男とはどういうものなのか、を考えてしまうこの頃です(^^;。 男性再建委員会発起人:英雄: ↑ (勃Xデハアリマセン(^^;) - FARION MES( 7):★世紀末書込み寺★・・・・・・・・・・・・ARION 94/10/24 - 03725/03734 GHB02532 ごとうくまお RE:人間の意識は知識だけか? ( 7) 94/10/23 21:58 03719へのコメント コメント数:1 Sukeさん、こんばんわ。 《 例えば苦労して仕上げた仕事が成果を上げたとします。   この場合、成果そのものは職場の他の人間達と共有できるものですね。   しかし苦労したことの苦しみ自体は本人にしかわからないものです。   だからその成果が出て皆で喜んだとしても、苦労の成果として実感を得られるの   は自分だけです。それは自分だけの「感動」とも言えます。   ここで得た感動は、「成果が上がった」という知識情報だけで喜んでいる人間に   は決して分かち合えない、体験者だけの感動です。 何等かの目的を達成することによって起こる感動は、確かに満足のいくものではあ りますが、依然として自我の引き起こす「感覚」であり、時間に縛られた過程であっ て、真の感情とはいえません。「決して分かち合えない、体験者だけの感動」と言わ れるように、「自分だけのもの」という感覚が、自我を満足させるのです。自分はこ んなに苦労したのだという思いが、自己崇拝につながります。他人とは違う、特別な 自分・・・これが自我の持つ分離、排他性です。 分かち合うことが真の共感です。そこに「自分」はなく、他者との分離もない。真 の感情は、個人的とか、非個人的というふうに分離することはできません。 《 人間の意識を記憶や知識情報の蓄積とだけ認識してしまうと、体験から得られる   感動という中身を忘れ、結果や成果すなわち単なる符号情報としての形骸化した   知識だけで全てが説明可能だと思いがちです。 記憶されたものは、形骸化したもの、過去の残骸にすぎません。真理の持つ意味は 、記憶することができない。思い出されるものは、真理ではありません。真理は、記 憶の中にしまっておくことができるほど小さくはありません。私は、真理とは何かを 知りません。しかし、何が真理でないかはわかります。真理がどんなものか知らない ので、それを探すことはできません。その代わりに、真理でないものを否定します。 真理が抽象概念でなく、実在のものであるなら、私が何をどれだけ否定しようと、そ れだけは残るでしょう。 《 ただ観るということは、何も意識しないように意識する、というのでは達成出来 ないのではないでしょうか? 「何も意識しないように」すること自体が意識の働きであり、そうした努力はただ 観ることを妨げます。ただ観ることは、達成されるべき目標ではありません。「ただ 観る」という状態を達成しようとする動機が、ただ観ることにたいする曇りとなりま す。ただ観ることは、今という瞬間において自発的に起こるもので、意識的に引き起 こすことはできません。「自分は今、ただ観ているのだ」という意識があれば、ただ 観ているとはいえません。「ただ観る」ことは、意識の領域外にある状態のことで す。 ¥くまお 03726/03734 SGW00342 エスペラント RE:問「解釈は力ではないか?」 ( 7) 94/10/23 22:23 03710へのコメント #03710 ごとうくまおさん  こんにちは、エスペラントです。ゴクマさんの言いたいことが、だいぶ明らかにな  ってきました。ただこれから先は、あまり新しいことを追加しないで、現在までの  発言を自分でも深める方向で発言して下さるよう、お願いします。 >「自分はなぜ、解釈や説明を求めるのか?」  精神が意識する世界は〈既に〉、1つの解釈として現れてきています。その解釈と  しての世界が新しくされる時に、それまでの解釈は揺り動かされて、本来の不安定  状態に戻るだけです。「解釈や説明を求める」のは、言語としての理由があるから  ではなく、新しい解釈へ移る際の力の働きを感じ、そのように言語化するからです。 >私は、あるがままについての解釈には必ず限界があると思います。 >そして解釈の限界とはすなわち意識の限界です。  そのことは既に前提です。その限界・境界線において力が相互に作用しています。 >まず、意識というものを、客観的に観察してみます。  それは不可。〈客観的〉とは既に虚構、構成された仮説です。 >このように観察する時点で、つまり「観る」ことにおいて、ある種の飛躍が必要と >されます。自分の考え方がどうだということを挟まずに、ただ観てみます。  あるがままが絶対的事実として存在しているのであれば、その存在を確かなものと  して実感するだけでよいのであって、「ただ観る」はすでに不要です。「観る」は  すでに過去のものへの知覚へと移行しやすいものだとすれば、「今を観る」のでは、  遅すぎます。「一歩前を観ること」です。それには、言葉の情報としての側面のみ  でなく、力としての側面を意識することです。世界が自分に働きかけてくる力や、  時間的に過去から現在まで、自分を導いている力の向かう先を意識する、また自分  の中で、あなたの指摘する原始的な自己中心性から始まって、段階的に自分を解放  しようとする力の働きを意識する。その働きかけの行われる先を高次の意識として  受け入れる。とすれば、やがて自分を超えたところに、さらに自分全体を解放する  ための力を及ぼしてくる何者かの存在を疑いえない、それを神と仮に呼べばいいの  です。今のあなたを自由にするものは何か。さらにそれを自由にするものは…?                       ≡△○ エスペラント ☆★ 03727/03734 SGW00342 エスペラント RE:問「解釈は力ではないか?」 ( 7) 94/10/23 22:24 03710へのコメント #03710 ごとうくまおさん >意識というのは、知覚したものをそれ自身の領域に取り入れようとする性質を持っ >ているということがわかります。つまり、解釈したり、説明したりすることで、自 >分が納得しなければ気が済まないというような。  なぜ精神は、解釈したり、納得しようとする〈力〉を持っているのですか? >意識は、表層から深層まで、全てが言語、あるいはイメージ、つまり記憶によって >成り立っています。  それらの記憶を統合して、1つの体系を構築する能力はどこに依存していますか?  あなたのこれまでの説明によれば、記述・情報としての言葉を記憶として知覚する  という側面が語られていますが、外的に得られた情報を統合する姿勢・態度自体を  さらに外的に得られた情報に依存するということについては、初期の段階において  破綻する考え方です。〈あるがまま〉を構成する力の作用は、すでに私達の精神に  内在されていると考えられませんか?  >憎しみ、悲しみ怒り、また、満足、快楽なども。それらは、普段観ているよりも >深いところで、意識が「言語による計算、計測」を行った結果、生まれるのです。 >そしてこの「言語による計算、計測」が、意識の持つ機能、性質です。  違います。怒りには、エネルギーとしての側面と、情報としての側面があります。  それぞれを独立して存在すると抽象すれば、それは法則ですが、両者の結合として  作用します。精神は「私は〜への怒りを感じる」という言葉を知覚すると同時に、  エネルギーとしての側面を感じとっています。両者は不即離ですが、一方が虚で、  一方が実であるというのは間違いです。どこにも向かわない怒りは存在しませんし、  何らかのエネルギーを持たない、「私は怒っている」という単なる無機質な言葉は  存在しません。怒りのエネルギーは、対象を失えば自然に発散します。しかし言葉  によって、そのエネルギーを収束し、向かう方向に力を与えることで、その怒りは  1つの現象として作用します。自身で確認してみて下さい。                         ≡△○ エスペラント ☆★ 03728/03734 SGW00342 エスペラント RE:問「解釈は力ではないか?」 ( 7) 94/10/23 22:25 03710へのコメント #03710 ごとうくまおさん >しかし、あるがままは無限の広がりを持っているので、言葉によって測ることは >できません。無限のものは計測できないということです。  そうですね。しかし、計測できないということではなく、ここで言われている意味  での〈あるがまま〉とは、それを知覚しているあなた自身に対して、その方向性を  与えている力のことを指しているのでしょう。「自らを動かしている力」を動かす  ことはできませんから、その力を受け入れて自然に動かされるということを始める  ときに、自分自身の本来の姿が見出されるのだと考えます。あまり自分でジタバタ  動き回らずに、静かに、自分をつき動かす力に対して、逆らわないことです。 >あるがままは常に新しい。しかしそれを捉える意識は、過去から成り立っているの >です。ですから、意識があるがままを説明、解釈すれば、必然的に矛盾が生じます。 >意識が説明、解釈できるのは、それ自身の領域にあるもの、つまり過去のものだけ >なのです。  すでに矛盾しています。その時点で、あるがままが説明、解釈できないのであれば、  その後の時点において、説明され、解釈された言語として留まることはできません。  そこで遡ります。過去のものであれ、何であれ、説明・解釈するための言語として  記憶に蓄積することが可能なのは、その時点での説明・解釈が確かなものと認識す  るからです。しかし、その根拠さえも、過去の言語によるとします。いくら遡って  も確かさは得られませんね。その場合、真理はもとより、認識としての確かささえ  得られないという理屈になります。しかし、それは実感に反します。自分の認識を  疑うという姿勢を採用するまでは、普段の認識は素直に確かな事実だからです。 >では、精神が、意識することに囚われずに知覚することは可能だろうか?と考えて >みます。これは、意識がそれ自身の限界を悟ることによって可能となります。「私 >は決して未知のものを捉えることができない」ということを思い知るとき、意識の >活動はやみ、精神はあるがままに直接触れるようになります。…  あなたの仮説によれば、あなたの意識にとって未知であるものは、意識にのぼるこ  とさえありません。したがって、あなたの言う意識が、その限界を思い知ることは  原理的に不可能です。しかし「未知のものを…!」と意識するということは、知覚  以前に未知のものへの志向性があらかじめ意識の中に内在されているということを  意味しています。そうでなければ、「未知のものを捉えようとする」ことは不可能  です。既知から未知へ向かおうとする姿勢は、情報によって得られた知識によるも  のではなく、人間にあらかじめ備わっている力です。また、未知を既知とする作用  を有しています。それは人間の創造的な本質です。自身の創造的側面を自覚するこ  とができれば、自然に1つの流れが生まれるだろうと考えます。  PS. 次のRESはできれば、また次の土日ということにしたいですので、それで、    ごとうくまおさんも、急がないで、少しRESを遅めにつけてください。    会話の重さに応じて、ペース調整をしたいと思っています。他の方との会話も    頑張って下さいね。6番会議室の書き込み等を読んでみますと、あなたにとっ    ての必要性がなんなのか、分かると思います。納得行くまで、ここで自分の考    えをぶつけてみていいと思います。                       ≡△○ エスペラント ☆★ 03729/03734 VFD07310 NORI RE:キャパが足りない! ( 7) 94/10/23 22:51 03625へのコメント コメント数:1 *SUB:Re:キャパが足りない! こんにちは、優位さん。 >  が大きいんだと思う。けど、自己分析ばかりしていても、マイナス方向に >  進むばかりだから、やっぱりここはなんとか乗り越えないと…(^^)! いつまでもやっているようだったらマイナスの方向だけど、最初のうちは 分析があっても良いんじゃないかなあ。どういう状況なのか分からないのに 話を進めるのは出来ないと思います。今はまだ出口を探している状態なのでは ないでしょうか。出口が見つかったときが分析が必要なくなるときだと思います。 でもぼく自身本当は説明はいらないのかなと思っているので自信がないですけど。 ところで、「こうありたい自分」に関してのことと、自立の事って 別の話しとして進めて良いんですよね?それともつながっているの? 優位さんはその慌ててしまう人とはどうしたいと思っているのかなあ。 解決法といっても、ぼくも、同じで人と話すときに、慌ててしまうんですよ。 だから、なんかこれ以上話が進まないような...(^^; どうすれば良いんでしょうね。 >    1−−−人に迷惑を掛けない >    2−−−自分のことは、自分でやる >    3−−−力が余ったら、他の人を助ける 英雄さんが言っていたように、2番だけでいいと思います。2番をやれば、1番も できるようになっているんじゃないかなあ。自分が迷惑をかけたその責任を自分で とれるようになっているとおもいます。3番は他の人のことを後回しにしないで、 自分のことと一緒にやれば良いのではないでしょうか。それで自分のことが 中途半端になってしまっても、自分の選んだこととしてその責任を自分でとる。 と3番をやろうとするとけっこう厳しいですね。(^^; まず自分のことを自分でするようにすればそれでいいんじゃないかなあ。 (優位さんが望むなら)他の人が協力を必要としていると思ったときに協力すれば いいと思いますけど、特に必要としていないのに「力が余ったから」といって 手伝えばその人にとってはおせっかいになってしまうんじゃないかなあ。 (ちなみにぼくはテスト勉強のことを考えて言っています) 力を余らせる方法ということでしたが、どうすればいいんでしょうね。 具体的な事柄がはっきりしていないと答えられない気がしますよ。 またねっ。                              NORI 03730/03734 PXH01650 英雄 RE:はじめまして ( 7) 94/10/23 23:49 03712へのコメント YUKOさん、ようこそいらっしゃいました(^^)/。 この日を待っていた、とのこと。あなたの大きな期待が感じられます。 では、一緒に学んでゆきましょう! あ、詳しい自己紹介なんかは、2番の居酒屋1999でお話し下されば 嬉しいです。ティ―ブレ―クや、パソコン使用上でお困りの際には 遠慮なく聞いて下さいね(^^)。 居酒屋1999ますたあ:英雄: P.S あらっ、SUKEさんと同じ内容....(^^; 03731/03734 GDB00064 オリハル 意識 ( 7) 94/10/24 00:15 03711へのコメント ごとうくまおさんとの会話に何か空しい感じがするのですが、 一応、意見してみようと思ってエスペラントさん宛の発言にRESしてみました。 でも、ごとうくまおさんの文章は、「断定」がとても多いと思います。 例えば、エスペラントさんへのRESの中から抜粋しますと、以下の様になります。 私はこういうところが問題だと思うのです。 |意識は、表層から深層まで、全てが言語、あるいはイメージ、つまり記憶によって成 |り立っています。 意識とはあなたの言う記憶によって出来ているのではないと思います。 記憶喪失者が、記憶を喪失する前も後も、「意識」があり、生きているのです。 「意識がある」という状態は、丁度、肉体を電球に例えた時、その中を流れる電流のよ うなものだと思います。例えればの話ですが。あなたが「意識」と言う時、それは、 「精神活動」の意で言ってるのだと思いました。 |判断する精神は自由でない 自由な精神とは判断もすると思いませんか。 |自由な精神は結論を持たず、そのため、あるがままとともに行動します。 結論に依存しないかも知れませんが、その人なりの結論が記憶の中にあるのは、 当然の事だと思いませんか。 |二元性は嘘なのです。 では、なぜあなたは「二元性」を理解し得るのですか。二元性も一つの事実であり、 それは克服されるものだとおもいますが。 | 「私」という概念上の存在は、人間という実在の精神上に刻まれた知識、経験、記 |憶の蓄積によって作られます。人間が「実在」であるのにたいして、私は「虚在」で |あるといえます。 肉体に宿った魂=自分は、「自分光線=内なる我の光」を放射しているのです。 それで、自分が関わった事は、「自分が関わった事」となります。 それは、言換えれば、「自分光線が当てられた」ことになります。 それで、その事が人に批判されると、まるで自分が批判されてるような気になりますが、しかし、それは、自分ではありません。しかし、ここで、その事=対象が自分だと思っ てしまうと、執着となります。従って、“結論”としては、真の自分はあるのです。 |自我は、その構造上、必然的に分離、排他性、そして自己崩壊を抱えているからです。 分離、排他性と見えるものは、実は、人間が進むべき方向と関係があるのだと思います。つまり、神です。内へ内へと向って行き、どんどん自分を観、自分を知り、そうして多 かれ少なかれ自分の奥にある真実を見極めて行くのだと思います。しかし、人間は物質 社会の中にも存在する訳であり、そういう社会の善=協調、新和性、のようなものです から、あなたの言う分離、排他性とは反対なわけです。しかし、人間の内なる、真の我 は肉体の上で、自我を作り出します。それは、当然、自分へ向うように出来ています。 自分へ自分へと向えば、(その人なりの)神へ至ります。故に、「必然的に分離、排他 性」を抱えているわけです。自己崩壊というのは、自分を知らないために起こるのでは ないでしょうか。 |いま、人間が生き残るのに必要とされているのは、自己中心性ではなく、その原始 |的な性質から自らを開放し、自由であることなのではないか。 自己中心性は自分を知れば知る(「理解」でもいいけど)程、意味がなくなって来て、 調和性を発揮する人となって行くのではないでしょうか。                                オリハル 03732/03734 GDB00064 オリハル RE:一部つっこみ ( 7) 94/10/24 00:16 03722へのコメント RESどうも、ごとうくまおさん。 |歩き、これにもきりがありません。そして最終的なものに落ち着いてしまえば、彼ら |もまた死を待つだけのような人生を送るのです。私は、その対象が低俗なものでも、 |神聖なものでも、同じ「願望」であることに変わりはなく、それが生みだす悪循環に |も、根本的な差はないと思います。 いつも結論を否定形で終らせますが、その先に何を述べますか?(質問4) |安定願望から生まれた安定は、言い換えれば安眠であっ |て、覚醒ではないと思います。 おっしゃる事自体は、そうですね。 | 以上のような危険を考慮に入れた上で、決して終わることのない願望を静めること |ができるのは、唯一「愛」のみであると考えます。 ええ、それはそう思います。 | 私が否定するのは、肯定するためではありません。また、何等かの体験を得るため |でも、自分を呵責するためでもありません。目的、動機のある否定は、真の否定とは |いえません。肯定は、私がするものではなく、全てを否定し去ったときに生まれるも |のです。「私」が私自身を肯定するなら、それは自我の存続を図る思考の嘘です。そ |して自我がある限り、愛はあり得ません。 ええ、それはそうですね。人は愛に動かされてますよね。 安定願望が生れるのも愛からだと思います。 肯定は、生れるものですが、私はその方向を自覚(記憶)して肯定するようにしていま す。でも、ごとうくまおさんは言ってる事が同じでも表現が否定的なだけですね。                                 オリハル 03733/03734 JCF00616 優位 力が余ったら.. ( 7) 94/10/24 19:27 03729へのコメント 〔優位よりNORIさんへ〕  どうも、NORIさんお久しぶり〜(^^)/ >いつまでもやっているようだったらマイナスの方向だけど、最初のうちは >分析があっても良いんじゃないかなあ。どういう状況なのか分からないのに >話を進めるのは出来ないと思います。  自己分析というのは、際限なく自己の性質を事細かに調べ上げてゆく  作業です。でも僕は「自分を観る」まで行かなくても、状態を「確認する」  ことは常にしていると思います。これは分析行為とは違うよね?  こうありたい自分、と自立の話題は別にしましょう。  慌ててしまうことは、最近は随分と減ってきました。  相手の顔を直視したり視線に合わせられるようになりました(^^)  これもARION宛の発言が効いたかな、なあんて思ってます(笑)。 >自分のことと一緒にやれば良いのではないでしょうか。それで自分のことが >中途半端になってしまっても、自分の選んだこととしてその責任を自分でとる。  でもそれを選ばなければ、エネルギーの無駄を省くことができます。  やはり2ができてから、3に移行する形をとるのは、鉄則でしょう。  だって、自分のことさえできないのに、中途半端に世話をしていたのでは、  チームワークが崩れてしまいますから(^^; >具体的な事柄がはっきりしていないと答えられない気がしますよ。  ではアルバイトでの例をあげます。  レストランのウエイターをしていた時代に、他のウエイターの方から  何か仕事を頼まれたりする時、自分のことで手一杯で、結局その方から  依頼された仕事ができずに終わってしまう、とまあこんなとこかな(^^;  度胸が座ってくれば、自然とキャパも増量するのかな…、  なんて最近は思います(^^) 多少の改善はあったかもしれない←私  それでは、また(^^) ∋- Tanaka 。◎ 。Masanori -∈ 03734/03734 NBB01420 SUKE 土俵の違い ( 7) 94/10/24 20:35 03725へのコメント  #3725 ごとうくまおさん、こんばんは。  ごとうさんの言われるとおり、分かち合うことが出来れば分かち合いたいと思い  ます。ですが、分かち合いたくても出来ないものもあるということです。  つまり体験によってしか得られないものは、同じ体験を通してしか分かち合うこ  とが出来ないということです。  自分が得た感触を全て他人と共有できるという前提に立てばごとうさんの言われ  る通りです。  私は自分の感触を他人と共有できるとは、(実体験として)思えません。  ここに私とごとうさんの違いがあるようですね。  真理についてとか、観ることについては、根本的な土俵の違いがあるとわかりま  したので、今回は書かないことにします。       そのうち誰もがエスパーになって心を共有できるんだ!……              と言われると何も言えない(^^;)…☆ッテナモンダ Suke. - FARION MES( 8):☆恋愛玉手箱/風まかせ編☆・・・・・・・・・・・・・・ 94/10/24 - 00564/00566 PXH01650 英雄 どうしようもない ( 8) 94/10/23 23:50 00560へのコメント おう、くりすさん、道理はわかってるんだが....(^^;。 「をんながほしい〜〜〜〜〜!!」と叫ばずにはいられない時がある。 いわゆる生理現象。 しかし。 生理現象とはいうものの、精神的なものもあるね。別に満水状態でな くても、「ほしい!」と感じる時がある。 ま、当分の間、女性の事は押し入れにしまっておきます(^^)。 :英雄: 00565/00566 PXH01650 英雄 旦那はんに叱られるゾ(^^; ( 8) 94/10/23 23:51 00561へのコメント コラコラ、年上の独身男を誘惑するモンじゃありません(^^;..オイオイ ええと、気をとりなおして、と(^^;。 ううむ、これってけっこう厄介なテ―マだがや。でも、回りのカップ ルを見ていて、うん、この男はいい男だ、って見ていて安心できるの は少ない。それこそ、価値観をくつがえすような組み合わせ(^^;オオゲサ。 これからさあ、すんげえキビシイ時代が来るのにさ、こんな男ばかり で大丈夫かいな、って思っちゃうんだけど、大きなお世話かな? ソソ、オオキナオセワヨ ふっ、男女の仲ってのはこんなもんさ、そんなことばっか言ってっか らかのじょができねえんだよ、おめえは。 ――ってささやく声が聞こえるんだが....だけど、もしそうだったな らば、わたしは一生独身でいいと思うぞ。 本物の男の魅力はどこに行ったんだ〜〜!:英雄: 00566/00566 GDB00064 オリハル RE:同性愛考 ( 8) 94/10/24 00:16 00562へのコメント 丁寧なRESどうも、NORIさん。 そうですか。こちらの考察は多少、違うのですね。 でも、多少は、初期の頃には、考察の通りの原因があったようですね。 多分、そこらへんをきっかけとして、 多分、男性フェチになってしまったのかも知れませんね。 でも、「なってしまった」という外因性のものでは必ずしもないようですね。 というのは、あなたは、御自分を同性愛者と「決めている」からです。 これは、私には理由は解りません。 そのように決めて、行動しているのはあなたですから。 そこまでは干渉するつもりはありません。御安心下さい。 でも、御自分が同性愛者だと「本当の事」を勇気を出して言ったのですから、 何かが解決されたのではないでしょうか。 今までで失礼がありましたら、お許し下さい。                            オリハル - FARION MES( 9):★神々の曼陀羅/美と信仰と史★・・・・・・・TAO 94/10/24 - 388/388 JBH02324 なえ 古史ひとくちメモ 5 ( 9) 94/10/24 13:46   河童の川流れ  河童と言えば頭に皿をのせ、背中にコウラを乗せている。一見ひょうきんな  妖怪です。古くは河童の事を河伯と言われていたそうですが、折口氏等も、  これは水の神が零落したものだと言われているそうです。  古代中国では河伯の事を水の神として奉っていたそうで、仮に中国の渡来思  想を反映していたとしたら、さもありなん。という所でしょうか。背中の甲  らは玄武を連想させ、頭の皿は、昔の修験者が黒い角ばった物を、額の上部  に着けているのを想起させます。  ほつまつたえに依れば、昔の神祇の中に、角ばった箱を頭の上に乗せる内容  もあるらしい事から、案外、こうした人々を零落させて河童は生まれたのか  も知れません。そして、その人々が渡来人であるならば、海を渡る海人だっ  た可能性も否定出来ません。  海人は、その身体中に、鮫避けの為の「イレズミ」をしていたと言います。  玄武は北の星。北極星はそれに関わる天帝の星でもあります。北極星に繋が  る天帝が太一であり、それゆえに河童が天照皇大神宮とも関わると言えば、  言い過ぎでしょうか?。  ちなみに河童の居た痕は腐った匂いがすると言います。玄武は水であり、匂  いは腐り臭いだそうです。きゅうりが大好きで金物が嫌いという謂れは何を  物語るのでしょうね。武力を放棄した優しい心の持ち主だったのかも……知  れません。物語に現れる河童の多くは、よく「恩返し」をします。  あたしがアクセスし始めたばかりの頃にUPした話も地元の河童の話でした。 (あの時はみれさんに酒屋では無くて壁に書いてねって言われましたっけ。)                    ◇アンブレサリョ◇ なえ - FARION MES(13):★神秘学遊戯団★・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・KAZE 94/10/24 - 01848/01851 VYA01523 秋端 勉 魔術的磁気論その1(長文) (13) 94/10/23 22:37  コメントを頂いた皆様ありがとうございました。  NIFのメッセージは迅速な返事がもらえるのが最大の強みですね。 不勉強な分野(私の専門分野は、魔術とカバラが主体で、第2次世界 大戦以降の<新しい世代>のオカルティズムはさっぱりなので。)の 質問で礼を失したことを関係者に最初にお詫びしておきます。  KAZEさん。不躾な、しかも見当はずれの質問に返事を頂き、 ありがとうございました。論争する気はないのですが、2、3の 疑問点があったので追加コメントです。  >磁力というのは神智学的にいうとエーテル質料ですよね。  >たとえばある人が何かを肌身離さずもっていたとしましょう。  >その物はその人の「磁気」を吸収していき、  >その物を他の人が身につけたりすると、  >その物が発散するものの影響を受けるという現象があります。  >その影響は、その物のもつ本来の「形」からのものもありますが、  >その物にこれまで関わってきたもののさまざまな影響もあります。  実はこの<磁気>という言葉は非常に危険なので、私も何らかの 限定符を加えて使用しています。曰く、「動物磁気」または「魔術的 磁気作用」伝々・・・これが磁石のもたらす磁界とは違うからです。 わたしの現在の解釈では、その根源を人間にもつトランスパーソネル な体験で、ハワイ原住民の用いる<マナ>の作用に似ています。マナ は動物霊レベルから神霊レベルまで、マナ〜マナ・マナ〜マナ・ロア の3種類に分割されますが、その作用は質/量変換であるのも動物磁 気と似通っています。西欧魔術の世界ではパラケルススの用語を拝借 して、<アルケウス>とか、<活力流体:LIQUOR VITAE>という表現 を用います。これはほぼ、<気>と同じ概念です。  確かにご説のとおり、物体を磁化するという行為は存在します。  しかし、物質レベルでは、素粒子まで分解しても変化はしていませ ん。変化するのはその物体の精神、こういう言葉が適切ならアストラ ル成分なのです。(神智学の用語は便利ですが、思考停止する危険が あるので厳密な定義が必要です。)そして、最もアストラル成分を濃 密に保有しているのが、神、小神、大天使、天使、それらの逆存在な ど物質的肉体をもたない存在、人間を中心とする高度な脳神経組織を 有した知性体、エーテル的生命体(エレメンタルズ)、動物、植物、 かって生命を持っていた物体、鉱物などの順になります。  普通、われわれが魔術的相互作用を体感できるのはほとんどが人間 相手です。人間はアクセスしやすい意識を持ち、通信プロトコールが 確立していますから、天使などと交信するのは複雑なソフトウエアが 必要ですし、残念ながら純粋に鉱物を相手にした魔術には成功したた めしはありません。人間が関与すれば別ですよ。ゴーレムを人間に目 撃させることは可能でも、純粋に生命のない泥に仕事を命ずるのは非 常に困難です。(エレメンタルズを喚起する場合は別です。)  従って、魔術が意識に作用するのは、文字どおり確かだと考えてい ます。物体の磁化は、自分を含めた人間がそれに触れて初めて証明で きます。従って、われわれの<磁気>は物体を媒介として、無時間的 に第3者に作用しているのであり、磁化された物体は何も変化してい ない。という解釈も成り立つのです。  困ったことに明瞭に証明する方法がないので、実際に変化している ように見える(感じる)という主張に反駁できません。僕自身が見て もそうですから、前者の方が体感的に納得できる説なのです。  しかし、サイエンティア・エソテリカを主張する<魔術の学院>の 指導者としては、現代の心理学とも矛盾しない後者の自説が気にいっ ているので、いずれ明快な定義づけをやろうと考えています。  Paper Birchさん。  スピリチュアリズムに関しては英国心霊学協会や、シャーマニスティック なアプローチしかしりませんでしたので参考になりました。  あ、わたしの名前は<あきば・つとむ>と読みます。  >スピリチュアリズムというのは、  >「心霊を科学的に研究し、霊の存在を確信した上で  > どの様な哲学を持ってこの世を生きていくか。」  >を考える物(ちょっと乱暴すぎる要約ですね(^^;)なんですが、  >そうは言っても、長年心霊に関わっていると  >科学と疑似科学を見分ける感性が麻痺する事もあるようです。  わたしのやっている魔術も実は学問体系です。そのあたりを明確に意識した 先人は『陰秘哲学』全3巻<De Occulta Philosophia-Libri tres>を著述し たネッテスハイムのアグリッパからです。日本では無知から黒魔術師のよう に言われていますが、西洋では真剣な学問の対象になっています。基本的に 学者がラテン語で本を書いた時代なので原本を読むのは辛いのですが。  魔術のノウハウ面、つまり技術的なアプローチについては、実践魔術講座 の一部を国書刊行会の『召喚魔術』<黄金の夜明け魔法大系4>の解説に載せ ましたので、機会があったら立ち読みして下さい。わたしが責任編集した同 シリーズは箱入りなので価格が高く専門外の人には買って下さいとは言いづら いので。  Q.Ka.Ka.さん。  半田 広宣さん。  どうも、お騒がせしました。m(、、)m ペコリ  >どうもわたしのフェイクが暗躍していたようですね。  >それにわたしの会社は雑誌媒体の広告宣伝は一切やっておりませんし  全く私の不勉強でした。以前に雑誌の裏広告でタキオン・ジェネレータ の宣伝を見ていましたので、てっきりそれかと。・・・  早速、貴著を本屋に注文して、勉強します。  以後は、早とちり者のコメントです。                >素粒子間の空間構造をユークリッド幾何学に変換し、  >その幾何学的構造を高次元的空間構造のメタファーとして  >認識できる描像力を持つこと  これは、以下のように聞こえるのですが、 「あえて説明困難な素粒子の数学的アーキテクチュアーを、  多少の無理は承知で、一般の人にも理解できるよう  平面構成のユークリッド幾何学に分解して、  その上で難しい高次元の哲学を解説するのに使おうか。」  >「下位は上位の反射である」とするオカルトの伝統に従えば、  >わたしたちが物質と呼ぶ何らかの表象は当然、霊的な次元の変態  >(メタモルフォーゼ)、もしくは延長として理解されるべきもの  >ではないでしょうか。否、むしろ、物質も霊的な次元の或る階層  >(生命の樹で言えばマルクトに相当するものと考えています)  >として位置付けすることが、わたしとしては最も心理的に納得の  >いくものとなっています。霊と物質を二元論的に捉える姿勢は  >21世紀のオカルティストには似つかわしくないように思えるの  >ですが  ごもっともです。『エメラルド盤』<Tabula Smaragdina>の有名な 同文章は、<万物照応>という魔術における経験則を表しています。 正確には「・・下なるものは上なるものに同じく、上なるものは下なる ものに同じ・・・Quod est superius, est sicut quod est inferius,」 という風に上下の相互作用を説いたものです。  物質はカバラでは、ご指摘の四界のアッシャーに位置づけられており、 ひとつ隣のイェツィラーと相互作用することになります。  わたしのカバラ研究は一九世紀の先賢、『ゾーハルの書』の分冊である 『デヌダータ』をラテン語から英訳したマグレガー・マサースや、 『イェツィラー文』、『燃える炎』などのへブル語の基本カバラ文献の翻 訳をしたウィン・ウェストコットらが創始した<黄金の夜明け>団のカバ ラ解釈が元になっています。そのあたりは、『黄金の夜明け魔術全書』上 下巻に詳しく述べられています。大きな図書館にはあると思いますので暇 があれば見てやって下さい。(本の宣伝ではありません。)    >この生命の樹に描かれている4つの階層(アツィルト、ベリアー、  >イェッツェラー、アッシャー)にあります。内部空間とは「生命の樹」  >全体の構造が或るトポロジカルな反転作用を以て文字どおりマルクトの  >空間領域に映し出されたきたホロノミックな射影な続きのです。  >ケテルから放たれた「雷の閃光」が辿るアダムの転落のエネルギーは  >神のアースが接地するマルクト(物質世界)にそのプロセスのすべて  >をフラクタルに映し込んでくるということです。  >さらには、この転落に対し神はアダムが帰還するための復路にも変換の  >エネルギーを上昇させています。この双方向性はまさに物理学が電子・  >陽電子対として観察しているものです。  なかなか面白いですね。<生命の木>論は諸刃の論説で、魔術関係や最近 はニューエイジものでもときどき取り上げられるのですが、ほとんどが最終 形態の木を見ているだけなので、アリの五界論は勿論、楽園喪失以前の木に ついて知らないので表面的な論陣になります。  <木>を量子論解説の鍵にしようという試みは結構古いものです。お読み になったかもしれませんが、1976年英国発行の『THE QUANTUM GODS』 <ORIGIN AND NATURES OF MATTER AND CONSCIOUSNESS> JEFF LOVE著あたり が非常に興味深い論説を張っています。                             >磁場に関する考察は最も注意を払わなければならないところです。  >なぜならば磁場は銀河から光子に至るまで物理学的描像における宇宙の  >あらゆる空間的階層に交差をおこなっている基本的な場だからです。  これがちょっと良く分かりません。銀河レベルというなら重力場が一番効果 がありますし、光子は電磁場の振動によって発生しますが、発生した光は強い 磁界のなかを通過しても曲がりません。磁場の影響力はわれわれの生活レベル で一番強いのではないでしょうか。  >磁場を単に物質レベルの力と考えるのは避けた方が賢明だと思います。  >わたしの描いている磁場のイメージは生命の樹の上下・左右の両対  >称性を見いだす力と同等のものです。つまり、ケテルに描かれる  >ヘクサグラム内部の至高の三角形そのもののマルクトにおける顕現  >なのです。蛇足ながら上向きの三角形と下向きの三角形が電場の+と  >−に相当します。すなわち第一分化が磁場で第二分化が電場というこ  >とになります。この二つの三角形の上下対称性はその内部にある至高  >の三角形の底辺、つまりアイン・ソフに当たるものです。  先にも書きましたように<磁場>が、物理学の対象とする現象ではない のなら、混同しないように別の名称を付する必要があります。  これは老婆心ながらケテルに六芒星を入れ込むのはちょっと・・・  通常は<木>の中心であるティファレトに与えて太陽とします。ケテル すなわち王冠の表象するものは最初の流出、至高の領域へのアクセスだか らです。AIN SVPも、アリの<容器の破壊>や<収縮>論で詳しく 論じられていますが、日本で売られているカバラの解説書もどきはあまり 本質を論じていないので19世紀のフランスとどっこいの程度しか書いて ありません。AIN SVPは、アリによると1プロセスであり、ビック バンの恒温状態のようなものです。(ビックバン理論自体がカバラの濃厚 な思想的影響を受けています。) さて、色々書きましたが、貴兄のタキオン論哲学的な部分は今後勉強さ せて頂きます。不躾なコメントにも拘わらずRESをつけて頂きありがとう ございました。 01849/01851 GGD03030 《 隆 》 EMの事など (13) 94/10/24 18:08 01834へのコメント  Paper Birchさん、こんにちは。    >却ってこういう場違いな所だからこそ気楽に話せるのかも。  そうですね。あんまり突っ込まれても興冷めですものね。    >僕は、これ以上CRTで目を酷使するのはヤバイので  >液晶画面で目に優しいパワーブックは、真剣に購入を考えています。  そそ、僕も液晶のが欲しい。あと、何か思いついたときにメモするのもノートパソ  コンだと便利そうだし・・・。    ただ、DUO230を日本語環境で使うのはどうでしょう。僕はCCIIでワープロを打つ気  がしません(^^;)。レスポンスが悪くてイライラしてしまうのと画面が小さいので目  が辛いのとで、結局98に戻ってしまいました。イメージソフトやドローソフトと  のデータのやりとりとか、フォトレタッチソフトの充実を考えるとMACの方がずっと  優れているんですけど、とにかくまだまだ日本語が遅い。ま、以前に比べたら格段  に良くはなっていますが・・・。    >MAC用の通信ソフトですが、  >12月頃に、MAC用の新しい通信統合環境が売りだされるそうです。  FirstClassのクライアントみたいなGUI環境だといいですね(^^)。歳をとるにつれて、  だんたんズボラになって行く私・・・。    それからEMの事を少し。僕ももう使い始めて半年近くになりますが、悪くないで  す(^^)。もっぱら自分で飲んでいますが、カミさんは便秘が改善したと申しており  ます。ボカシは作っても埋める庭がないので休止状態ですが、ストチュウはそこそ  こ役だっています。リスさんの寝ぐらの匂いは改善すると思いますよ。あと、切り  花の持ちが良くなるようです。    >「生命情報の波動」とか「波動が水分子に磁気状に記録される」とか  >いきなりそういう「非科学的」というか「超科学」みたいなことが出てくると  >ちょっと考えてしまいます。  お気持ちはわかりますが、あの本でその原理を説明するのは難しいのでは。比嘉さ  んがきちんと説明できるのかどうかは知りませんが、本の性質として、ややこしい  話は省略してある可能性もあるわけです。もちろん、理論的な説明はできないが、  現象として確認したという類の話かもしれませんが、だから「非科学的」だとも言  えないと思います。ま、あの本は現象の追認のような部分もあまりないとも言えま  すが・・・(^^;)。    物理の専門家にとっても水は非常に不思議な物質で、わからない事は多々あると思  いますが、水がメディア(媒質と言うような意味)として働くというのもそういう  不思議な現象の一つなんじゃないでしょうか。磁化云々はともかく(僕はベクトル  解析の単位を2年がかりでとったくらいなので、電磁気学は得意ではない(^^;))、  あるパターンを保持する機能があるというような意味あいなのでは?。    実際、水にはいろんな状態があるようで、例えば水の分子の大きさ(一つの分子に  H2Oが幾つくっついているか)によって味が変わってくるというのはよく言われる  事ですが、これなんかも水の作っている磁場の状態が微妙に違っているはずです。    EMに関して懐疑的な報告があるのもまた事実のようですが、KAZEさんもおっしゃ  っていたように、賛否両論を検証するのがまっとうなとらえ方なのでしょう。っで、  良いところはどんどん取り入れるべきだし、ダメなとことはダメだという事で改良  するのが望ましいですよね。実際、沖縄生まれのEMが寒冷地でそのまま使えると  は考えにくいですし(5℃以下で保管すると劣化すると容器に書いてある)、ボカ  シによる生ゴミ処理も、長時間ほって置くとかえって匂いが強烈になります(カミ  さんのズボラのおかげでその強烈な匂いを経験しました(^^;))。    とにかく試してみるのが一番ですから、Paper Birchさんもぜひぜひお試しあれ。  人の話を聞くより自分で体験する方がずっと確かです。EMそのものも安いもので  すから・・・。                                by 隆ちゃん 01850/01851 GGD03030 《 隆 》 外国の事など (13) 94/10/24 18:10 01837へのコメント  KAZEさん、こんにちは。    >今ではバリじゅうが観光地化している様相を呈してますが、  >あの海岸部の観光地化はちょっと目を覆うものがあります。  そうらしいですね。一昨日、世界をまたにかけているおばさんに聞きましたが、最  近のバリはひどいのだそうです。空港に着くと物売りがたかってきたり、タクシー  が法外な料金をふっかけたりで、おもいっきり観光ずれしているとか・・・。ただ、  バリに観光目的で大挙して行く人間が悪いのか、ひと儲けたくらむ現地の人が悪い  のかはわかりませんが・・・。    ちょっと話がずれてしまいますが、第3世界の紛争も元を辿れば、その責任はみん  な先進国(大多数は西欧列強)にあるような気がしてなりません。国連の介入にし  ても、医者があらかじめ毒を飲ませといて、後から薬を与えているのと同じような  イメージです。武力闘争が起こる背景には必ず武器輸出があるわけですが、その出  所は間違いなく西欧の先進国です。一番手っとり早い紛争解決策は武器禁輸だと僕  は単純に考えてしまいますが、そんな事はまず行われない。    もっと極端な事を言うと、西欧(最近は日本もそうなのかもしれませんが)の先進  国が、自分達の価値観を押しつけなければこれほど多くの地域紛争が起こっていた  かどうか。インターナショナルを目指している方々には「野蛮人!」と罵られるか  もしれませんが、僕はそういう人たちの発想は単なる内政干渉なんじゃないかと最  近思ったりします。    人間は進化する為に生まれてきたと僕も思いますが、進化の過程は必ずしも同じで  なくてもよいと思うのです。西欧人が「未開」という地域の人たちは貨幣システム  も機械文明も知らずに生活している人たちが大半でした。彼らはそこで、時々は争  いながらも彼らのルールで平和に暮らしていたのだと思います。そこへいきなり貨  幣システムや機械文明を持ち込んだのは果たして良かったのか?。西欧人は「進化  の過程に乗り遅れた人たちを助けてやったのだ」と言いますが、本当にそうなのか。  僕には機械文明を知らない人たちは、その環境での進化があるように思えます。む  しろ彼らはそれが必要ないからこそ、そこに生まれてきたのかもしれません。    全ては神様のたてられた仕組みという見方もあるでしょうが、僕は最近なんともや  りきれない気持ちで一杯です。    >ひさしぶりに海外に出て思うのは、英語会話がほとんどできないこと。  おそらく10日もいればできるようになるのだと思いますが、滞在が短いと辛いで  すよね、意志の疎通が。でも、もう少ししたら優秀な同時通訳マシンができるよう  な気がしますが・・・(どこまでもズボラな私(^^;))。ちなみに、英語はあまり上  達しない方が良いと我々夫婦は思っています。英語が流暢に話せるという事は、英  語で思考するという事です。っという事は・・・思考がアメリカ人(イギリス人な  らまだましですが)になってしまう(^^;)。    >今は、なぜかロシアに行ってみたいなあと思ってます。  いいですね。暑いところはあまり行きたくないですが、ロシアは涼しそうです。僕  はあんまり海外に行きたいという願望はないのですが、ドイツにはもう一度行きた  いなぁと思います。それから、死ぬまでに一度でいいからヒマラヤを見てみたいで  す。    >癖にさえならなければいいや、って感じだといいんじゃないでしょうか。  そうそう、それが一番です。ただ、現在の自分の状況と言うのは「薬に対する理解  度」という観点からすると、それを実地で経験させられているという気がしないで  もないですが・・・(^^;)。麻薬中毒患者の禁断症状なんて、普通の人にはわかるも  のではないですが、僕はその1/10程度はわかる気がします。知識で理解できる  人には必要ありませんが、僕はそうではないで経験させられているのでしょう。タハハ    >やはり、アストラル的な要素が強い可能性はあるでしょうね。だから、一種の催  >淫的な効能があるものもあるんだと思うのですがどうでしょうか。  ふむふむ、なるほど。そういえば香水には動物性の香りが含まれるものがあります  ね。麝香(ムスク)なんて、鹿が発情期に出す匂いそのものだそうですし・・・。    >ぼくは最近とくにいわゆる飲み屋にいくのがちょっとつらいのですが・・・  そうですね。パチンコ屋もひどいですが、やはり飲み屋の比ではありません。最近  の出来事でちょっと驚いたのは、寿司屋で食事中にタバコを吸う人がいた事です。  僕はもう食べ終わっていましたから別に良いのですが、「せっかくの美味しいお寿  司がぁぁぁ」と思わず叫びそうになりました(^^;)。    >そういえば、数年前うちのマンションでも外壁の塗り治しをやってましたが・・・  >・・・しかし、あの無神経さはいったいどこからくるのでしょうかねぇ^^;。  さあねぇ。最近はどこもかしこも思いやりがなくなっていますから、そういう事の  一端なのかもしれません。うちもようやく終わりそうでやれやれです。    >やはり、「癒し」というのは、意図的な音づけとでもいえるものから  >一度自分の内的音楽の方向へと返してやることが必要なのではないでしょうか。  そうですね。僕の場合はまずTVの時間を減らさなくてはだめかもしれません。あ  れは音の洪水ですから・・・。    >帰ってからあらためてその布の素晴らしさに驚嘆してまして、  >お金をはたいても、もう1枚買っておくんだったと後悔したくらいです。  僕も経験があるのですが、現地での印象と日本に帰ってからの印象が違う事がまま  あります。光とかが違うんでしょうか。    >やはり、どんな生きたかをするにしても、全体のなかの一部分として  >自分がそのなかでどういうポジションを占めているのかを  >誇りをもって自覚できるような、そんなあり方が望ましいと思います。  ぜひぜひそうありたいものです。それこそがバランス感覚というものだとも思いま  す。まあ、そう思えるようになったのがつい最近というのがちょっと情けないので  すが・・・(^^;)。    >でも、やはりひとりでいると寂しくて仕方がないという方は、  >どこかまずいんじゃないかと思ってしまうのは、  >やはり偏見なんでしょうかねぇ^^;。  ひとりでいると寂しくて仕方がないというのも、寂しいという感覚を理解できない  というのもまずいんじゃないでしょうか。そのどちらも何か感覚の欠如を感じます。  人はそれぞれに性格の偏りや好き嫌いを持っていますが、どこかでそれを補ってい  るものだと僕は思います。KAZEさんの場合は当てはまらないかもしれませんが、潜  在的に寂しいが故に寂しさを否定する人もいるようです。もちろん、実際はそんな  に単純ではないのでしょうが・・・。まあ、複雑だから面白いという事なんでしょ  うが・・・なかなか難しい(^^;)。                                by 隆ちゃん 01851/01851 GGD03030 《 隆 》 「今」と「そこ」 (13) 94/10/24 18:10 01838へのコメント  KAZEさん、どうもです。    >でも、やはり大学院なんて行かなくてよかったなと思う今日この頃です。  ですね(^^;)。勉強はしようと思えばいくらでもできるし(ただ、資金面は厳しい  ですが・・・)、当時何故大学院に行きたかったかと言うと、役所に勤めたい=楽  して暮らしたいと同じ様なノリがあったような気がします。    >表明しようとしまいと、感情の共有を無意識で心地よく思いすぎて  >それをちゃんと意識化するようにしない限り  >傷口のなめ合いは避けられないような気がしませんか。  そうですねぇ・・・、どうなのでしょうか。そういう事を表明しないという事は、  心のどこかに「恥ずかしい」という気持ちがあって、少しはましかなと思ったので  すが、そうでもないかもしれませんね。「恥ずかしい」が意識化につながらないと  だめかもしれません。    >そういう意味でも、やはり、感情を自分でコントロールできるかできないか  >ということが、非常に大切になってくるのではないでしょうか。  そう思います。とにかく、もたれ合って自分をごまかしているはとてもまずい。  僕自身がまだまだ感情をコントロールできないので、偉そうな事は言えないのです  が、できないからといってごまかしているばかりでは、進歩がありません。    >そのように日常から聖なるものを祀りながら生活することは大事だと思う反面、  >果たしてああいう形をとることが今、そしてこれからベターなのだろうかと  >いろいろ考えるわけなのです。  進化には色々な過程があっていいと僕は思っていますから、そういうのも「あり」  だと思います(^^;)。「今」というのと同じくらい「そこ」っていう要素も大事なん  じゃないでしょうか。少なくとも「今」であっても「そこ」の「かれ」にはそれが  必要なのでしょう。僕たちも自分自身の「今」と「そこ」「われ」にとって必要な  事があるんでしょうが、悲しいかな「今」の日本は混沌としているような・・・。    >その天を拝むような形にしてしまうというのは好きにはなれませんね。  KAZEさんらしいなぁと思いました(^^)。これも人それぞれなのでしょうねぇ。僕は  天を拝んでしまう口ですが、これも単なる方法論の一つに過ぎないと思います。勿  論、神様を敬う気持ちはありますが、それは同時に自分自身をも敬う事なのです。  変な言い方ですが、自分を本当の意味で大事にできない人は天を拝む形が必要だと  思います。ただし、おっしゃるように天だけを見て、地を見ないのは単なるバカで  すが・・・(^^;)。    >ぼくなんか、運動会を俗悪だとずっと思ってる類の輩ですから、  >運動会に感動するよりもお弁当をに感動するほうがずっと健全に感じます^^;。  なるほど。確かに彼女は運動会が気に入らなかったのかもしれませんね。温泉の事  はあんなに覚えていて、「また三谷温泉に行こうね。今度は夏休みに行こう」と言  うのに運動会の事はこれぽっちも言いませんから・・・。マタ、オンセンニツレテイッテヤロウ                                by 隆ちゃん - FARION MES(14):★Room 666/預言解読の部屋★・・・・YHVH 94/10/24 - 02574/02574 PAG03134 はな 「十字」と「卍」 (その16) (14) 94/10/23 22:52 ● きれいなヘクサグラムをつくるために      「肥大化した「肉」の世を消すことが出来るのは、       これからよみがえる「霊」の光によってである。」  白い光(肉)と黄泉の光(霊)から、きれいなヘクサグラムを作るには、 これらをあらわしていた上昇三角と下降三角がバランスを保たなければな りません。  上昇三角と下降三角がバランスを取るとき、正八面体も上昇三角の肥大 さが無くなり、二つの三角は「黄金」になります。  広辞苑から引用しましたように、プラトンは「霊肉二元論」を説いた。 ここがポイントです。彼は、人間を「霊」と「肉」から成るととらえた。  これは、正八面体の上部である上昇三角を「肉」、下部である下降三角 を「霊」とした先述の図示に対応します。   プラトンの「霊肉二元論」      「正八面体」の各部       「霊」‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥「▽」・「黄泉の光」       「肉」‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥「△」・「白い光」  アリオンはしばしば、「真実の世界としての映し絵」と言います。 『 私たちの方法には嘘をつく根拠となるものが、存在しない。  私たちが選んでリーダー候補となる人々は、私たちの方法にダイレ  クトに触れて真実を自分の中にどうすれば歪みなく映すことができ  るかを学ぶ。             (光よりの光 p.184)』  ハローでも、  『真実は衝撃であるが、その映し絵である事実は日常茶飯事である』                           (94/05/01 ハロー)  この『真実の映し絵である事実をダイレクトに伝える方法』とは、以下 のように説明されています。  『 だからこそ光の子らよ、本当のことをさらけだして生きてもら   いたいのだ。だれも自分のモノサシで測ろうとしなくなる日、多   くの人々を罠から救えるのだ。モノサシで測れるようなものが、   一番大切なものではないはずだ。むしろ測れない、見えない、触   れないものこそ、一番大切なものなのだ。さらけ出して生きてゆ   くことが、どんなに楽で気持ちの良いことかを、自分の生活の中   で生き方として見せる。これが真実の映し絵である事実を、ダイ   レクトに伝える方法なのだ。   (光よりの光 pp.137-138)』  なぜ、このように長文を引用したかといいますと、アリオン達が言う、 『真実の映し絵である事実をダイレクトに伝える方法』と、プラトンが現 実世界を理想世界に近づけるべく採った方法が、非常に似ているのです。 * →・ はな ・← * - FARION MES(19):※精神世界/見聞録/ぶっ飛び話/アレコレ・・・・ 94/10/24 - 356/358 GDB00064 オリハル つっこみをありがとうございます。 (19) 94/10/24 00:18 353へのコメント RESをありがとうございます、メルクさん。 | オリハルさんは自分の目的を達成するために、 | 他の人の目的を絶ってしまうことがあっても、 | それを省みないところがあるのではありませんか? 親睦会とかいうのは、すること自体は反対した事はありません。  しかし、そういうことを「優先して」だらだらと時間を過す彼等に疑問を持つ事はあ ります。しかし、それを奪おうなどとはしません。私は組織のコミッティーとしてのや るべき事をやってました。会員情報を入力したり、プリントしたり、「全て」の会員情 報関係の依頼を受けていたので、大変でした。加えて会報の発送の時は、宛名シールを プリントして、もう一人の人(3/3生れ)と、封入、切手貼り等の作業をしたり、あ と、だらだらと時間を過している彼等が残した湯飲みやお皿を、その人と二人だけで洗 ったりしてました。でも、他の人も手伝ってくれたりも、時々あります。しかし、スブ ドでは強制しないので、私も他の人に頼む事はしませんでした。 私を排除しようとしていたのは、ほんの一部であり、原因は別の処にあります。 | 極端にそれを実行すれば、つまり他の人の目的の障害なのだから、 | それを排除しようという動きが生まれるのは、しごく自然なことだと思います。  当時の私はまだリハビリの習慣が残ってましたから、わざと怒ったり等、していまし たのは事実ですが、別に、親睦会や旅行そのものに異議は唱えませんでした。私を排除 したのは、一人の人間と、その一派であり、そいつはとにかく私と競争を始めるのです。私がやることをことごとく真似をして、異常にぶつかってくるのです。その人間の、私 に対する嫉妬心が原因でした。 | オリハルさんは、まわりの人の反感に不満を感じますか? いえ、「まわりの人の反感」は虚構です。 スブドの人も、問題を起こす人は一部なのです。大部分の人は「誰とも仲良く」的な人 です。私に不満を持つとしても、ある特定の事について不満を持つのだと思います。 私に嫌がらせをしていた人間も、自分が悪いという事はよくわかっています。それを、 肝心なことは明言を避けて、のらりくらりと逃げているから私は嫌なのです。のらりく らりしている内にも、自分を良く見せるだけならいいですが、悪意を追及する私を悪者 にして被害者顔をしたりするのです。彼はスブドに入って来た最初から私へのコンプレ ックス丸出しでした。最初は私を、洗脳しようとしました。いつも何かを画策し、用意 周到に計画的に迫ってくるのです。普通のスブドの会員は別に私と反感の関係などあり ません。今でもそうです。しかし、一部の人間の抵抗が凄い。つまり、彼は自分より年 下の人としかつきあわないのですが、そういう年下の人と一緒に私への偏見やら何やら をひそひそとささやいて、私と会えば、そういう色メガネで見、私の意見とはまるで反 対のような意見ばかりを披露したり、そのように執拗にまとわりつかれるのもいやでし たが、何が辟易したかというと、そのような、私への偏見、反感、排除の「念の集中」 が凄いのです。いくらこちらが善意や良い関係を持とうとしても、彼等は、宇宙人とコ ンタクトしたと主張する私、スブドの創始者が伝える神のメッセージがいつも組織の中 での私の立場を擁護するようなものばかりである私という存在を、排除しようとし続け ました。胸の痛みが2〜3日残ります。とにかく、私個人に焦点を当てて、執拗だった のです。それと、あのグロテスクな発想が嫌でした。 | 整理してみます。モデルケースを示したいわけですね? | これは第一目的を達成するための手段として、 | モデルケースを示すという方法が必要あるいは有用であるという意味ですね? | そういう手段を選択した理由はなんですか? これは、私の何等かの欲求ではないと思われるのです。そういう呼び掛けをあなたは感 じた事はないでしょうか。「何故、今の世界は皆、嘘をつき、人をあざむき、つけこむ のか。徹底した善を実行する人はいないのか。そのような人間も、勿論、存在可能では ないのか」と。そういう人間がいたら、面白いじゃないか。いや、むしろ、そういう人 間が居るべきである。ならば、そうなってみせようか。というものです。これは、しか し、私の性格的なことです。そのような、「手段」を「選択した」と言うほど、私は全 体像が見えません。それは、高次の存在が使う「手段」だと思うのです。 || それは、何の為(第一目的)でしょうか。分りやすく言えば、神、あるいは、 || 理想、あるいは、愛の為です。 | | オリハルさんがその目的に引き付けられる理由はなんですか? やはり、愛だと思います。私にとってはそれが美しいからです。 それにひきつけられるのは、それが愛だからだと思います。 そして、その意志を私と言う特性が表現するとこうなるのです。 私はその衝動を引受けて「世紀末研究」という本を自費出版したり、 チラシを配ったりとかはしました。                              オリハル 357/358 GBB03425 Paper Birch RE:お願い致します (19) 94/10/24 11:30 355へのコメント コメント数:1 新村 篤史さん、はじめまして。  随分お困りのようですね。残念ながら、病院に行ったとしても精神病----特 に憑依の場合----は完治するのは難しいですから、霊的な方策を求められるお 気持ちは分かります。しかし、やはり現時点では、病院につれていく以外の方 法は無いような気がします。  たとえ、良い霊能者に相談できたとしても、その時点で魔法にでもかかった かのようにたちどころに治ってしまうことはありません。気が遠くなるような 努力をして、薄皮を剥ぐように少しずつ少しずつ良くなっていく物ですから。  実害が出るほど症状が悪化している状態では、そんなことはとてもしていら れないでしょう?  霊的な治療を考えるのは、病院に行って貰って、ある程度症状が改善されて からにしたほうが、安全だと思います。で、憑依というと、僕はいつもある友 人の話を例として挙げるのですが、またお話ししますね。  彼は、その当時、悟りを開いたと自称していたんですよ。よく瞑想をしたり して、「今、僕の所に高級霊が飛んできたよ。ヒュヒュヒュヒュ〜ってね。」 などと(ワケのワカラン事を^^;)言ってました。僕としては、そういうのは 非常に危険だと思っていましたから、常々そう言うことは止めるように注意し ていたのですが、悟りを開いたと思い込んでいる人間が、僕ごとき、ちょっと 心霊をかじっただけの人間の言うことなど聞こうハズもありません。ある時、 とうとう完全に憑依されてしまいました。  しかし、彼が立派だったのは、自分の足で精神科の病院に行ったことですね。 本人が言うには、「他にどうしようもなかった。」と言うことですが、確かに その通りだと思います。もしも霊能者などに頼っていたとしたら、更に悪化し ていたのではないかと思いますし。  彼はその後退院して、今では、少しずつ社会復帰していますよ。結構がんばっ ているようです(^^)。  ただ、相談できる人が身近にいないと、不安であろうと思います。そういう 点で、日本国内で安心して相談できるオーソドックスな心霊研究団体としては ■(財)日本心霊科学協会  TEL.03-3362-7111 があります。関西にも支部がありますから、一度問い合わせてみてはいかがで しょうか。たぶんそこでも「最初は病院へ」と言われると思いますが、一応ま ともな霊能者(0能力者という噂もあるが^^;;)もいますし、少なくとも悪化 するようなことはされないと思いますので。  他に、精神病に詳しい信頼できる霊能者として、萩原玄明と言う方がおられ ます。何冊か著書を紹介しますから、読んでみると良いと思います。 ■「死者は生きている」   萩原玄明著 ハート出版刊 2000円 ■「精神病は病気ではない」 萩原玄明著 ハート出版刊 2000円 ■「精神病が消えていく!」 萩原玄明著 ハート出版刊 1600円  これらの本を読まれると分かると思いますが、憑依の治療には大変な努力が 必要です。家族の者が、命がけの決意をしなければ、難しいでしょう。まして や赤の他人がどうこうできる物では(残念ながら)ありません。 とにかく、まずは病院へ!です。 ....と、僕は思いますが、いかがでしょうか。                       △▼△ Paper Birch △▼△ PS. 僕も、大した知識や体験があるわけではないので、   僕が書いたことを鵜呑みにしないように願います。   ご自分で確認してくださいね。...では(_ _)ペコリ 358/358 GGB03631 新村 篤史 RE^2:お願い致します (19) 94/10/24 19:56 357へのコメント  有り難うございます。本当に万感の思いを込めて感謝致します。  早速連絡を取り、対策にかかりたいと思います。精神医学上のことについては、なん とか私にも(自然科学上のことですので)できますが、本当に困じ果てておりました。  後は、実行あるのみですので、連絡・書籍購入・相談と動きます。  ネットの有り難さを今回は痛切に感じました。  私自身の行動が求めれらるのでしたら、いくらでも!  やっと、光明が見えました。有り難うございます!!  とり急ぎ  新村 篤史 GGB03631 @奈良市 >