MRE - FARION MES( 2):【居酒屋1999】--------自己紹介・雑談 94/10/27 - 02849/02860 PXH01650 英雄 RE:おじゃましまーす ( 2) 94/10/25 22:12 02843へのコメント YUKOさん 早速のお越しありがとうございます(__)。ご注文はいかがいたします か?おっと、そこのお子様にはジュ―スですね(^^)。 / ここは、昼間は喫茶店、夜は居酒屋、と皆様の憩いの場 ▼ としてたくさんのお客様に御利用頂いております。どう | ぞ、お気軽に御利用下さいませ。  ̄ パソコンのこと、通信のこと等、ご不明の点などございましたら 遠慮なくお申しつけ下さい。 ちなみに、わたくしも東海地方です(浜松)。 では、末長くご愛顧の程を(^^)/。 世紀末喫茶&居酒屋1999ますたあ:英雄: 02850/02860 PXH01650 英雄 RE:写真の話題 ( 2) 94/10/25 22:13 02844へのコメント 今思えば、父が愛用していたカメラをとっておくんだったなあ。まさ か、自分が写真に興味を持つようになるとは思ってもみなかった。 写真なら、TAOさんとかCHARANさんとか専門家がいらっしゃるので、 あまりエエ加減なことは言えませんが(^^;。 今年は、寮住まいとRT課金で浪費しているので(^^;、カメラを買え そうもないな。煮干し、もとい、メボシとしては、やはりEOSを狙っ ています(^^)。 そうそう、視線入力も捨て難い。 親父はモノクロ専門だったので、いつかはモノクロに挑戦するかもし れない。R.キャパのような、現実を切り取るっていうのに魅かれま す。 写真を撮ることと、文章を書くことには共通点があります。何だと思 います?(ヒント:どちらにも必要だ、というもの) :英雄: 02851/02860 PXH01650 英雄 ちょっとした提案 ( 2) 94/10/25 22:14 優位さん 歴史に強い関心があるようですね。まだ影も形もない学問だけれど、 「心理歴史学(Psycho-history)」なんてのを構築してみない? 「歴史を作る強力な要因の一つは、集団心理である」とC.G.ユン グが言ったそうですが、人間心理と歴史の関係って興味ない? この発想は、何を隠そう、I.アシモフの「銀河帝国の興亡」がベ― スになっています(^^;。もし読んでいなかったら読んでみて(創元推 理文庫または早川SF文庫)。 小説では、集団心理を数式化して、未来の歴史を「設計」する(崩壊 した銀河帝国を再建する)ための道具としています。心理歴史学者達 は、テレパシ―や心理操縦等の精神技術を身に付けていることになっ ています。 数学と歴史と精神科学を結び付けたこの架空の学問は、A.E.ヴァ ン・ボ―クトの「総合情報学(ネクシャリズム)」と共に、10代の 夢でしたよ(^^;。 今のところアテはないけれど、数学と精神科学と生物科学を融合した 理論を作ってみたいな、というのが夢です。例えば、精神構造を数式 によって記述(精神幾何)して、脳のホロニック・ネットワ―ク構造 との対応を証明するとか、精神状態と内蔵器官の律動の方程式とか、 さ(^^)。 ああ、マニアック...(^^;:英雄: 02852/02860 PXB01563 おみゃー RE^2:亜空間酒場へのアクセス環境 ( 2) 94/10/25 22:40 02840へのコメント コメント数:1 SUB:DOS環境から亜空間居酒屋壱九九九にアクセスするのに必要なソフト エイ 通信ソフト:英やぁクラフト 苦しい(^_^;) おみゃー @名古屋 02853/02860 CXK03125 月狼 復帰だぁい ( 2) 94/10/26 08:39   通信に復帰しま〜す(゚-゚)   メール、会議室RES、RTなど再開しますので、 関係者のかたヨロシク〜                                 月狼 P.S とか言いつつ、先日RTに出没していた私(^^; 02854/02860 JBH02324 なえ RE:RE^2:亜空間酒場へのアクセス環境 ( 2) 94/10/26 11:50 02852へのコメント  −通信環境ニューアップロード冗報− 通信ソフト:英Term Ver 2.3    注意事項 回線設定           クリップでインターネットを選択するとホワイトハウ           スに自動接続され、来訪者記帳をする仕様になってい           ます。10回接続する毎に、大統領からアクセスプレ           ゼントの高画質花束メールが届きます。(別途電話料           金の割引制度もあります)           FARIONを設定すると、オリオン星系のθ2に接続           されます。ただし知的生命体とのアクセス環境が別途           必要です。 FGALAT の LIB 4 #1999 にフリーソフトがあり           ます。(ありか!んなの。(^"^)凸 ) エディタ :英丸エディタ Ver 4 注意事項 ファイルバッファ           テンポラリバッファのサイズを越えると、亜空間に作           成しオールトの雲に記載してしまうバグを発見。現在           メモリサイズの値変更を検討中。バッファサイズの変更設定           の差し分けを FGALAT LIB 4 #2001 に登録。 FEP :英TOK Ver 2    注意事項 文体設定           古代文字の中に、新たに真伝文字、ヒッタイト文字、           シュメール文字、中国女文字を追加。f.3 キーで選択出           来ます。(読めない文字を使うなっつーに。)  以上新着フリーソフト冗報でした。(あったらどーする) 02855/02860 KFR04742 YUKO たいしたことじゃないんですが ( 2) 94/10/26 12:27 コメント数:3 さっそく質問なんですが、定例RTって何ですか? そういえば、バーボンのロックでも(ブラントンなんか)hみたい気分ですね。 ちびもすやすや寝ていることだし… 02856/02860 GBG02043 維/YUI はじめまして>YUKOさん ( 2) 94/10/26 18:39 02855へのコメント 維/YUIです。 どうぞよろしく。 定例RTってのはですね、トップメニューの6番にあるリアルタイム会議ってところで 木曜と土曜の23時から、みんなで集まってあれやこれやの話しをくりひろげる・・というようなもんです。(^^;)うっ・・・ことばが足りない・・・。 でんし会議(3番)では、会って話すような臨場感はないんですが、RTだとすごい ときには、画面がどんどんスクロールしていって、話しについて行くのがやっとこさ・・・なんてこともあったりします。 とにかく、おひまがあったら、一度行ってみてください。 会議室でおなじみの面々も、来ているし、きっと歓迎してくれますよん!                                          維/YUI。 02857/02860 JCF00616 優位 定例RTの秘密 ( 2) 94/10/26 21:28 02855へのコメント 〔優位よりYUKOさんへ〕  どうも、はじめまして(^^)  7番などでたまに発言する優位という者です。  早速ご質問にお答えすることにしましょか(^^)  本来、「木曜、土曜の23時ころから開かれるRT」を指すのですが、  実際は0:00頃から開かれることが多いようです。23時にRTに  入っても、だあれも居ないという場合がございますので、御注意を(^^;  アクティブの皆さんはきっとお仕事等の都合で、夜も深まった時間  からしかアクセスできないのかもしれませんね。しかしこの頃は冬も  近づいてきて冷えて来るので、くれぐれも深夜のRTではお身体にお気を  つけてくださいね(^^)  それでは、また(^^)/ ∋- Tanaka 。◎ 。Masanori -∈ 02858/02860 SDI00635 みれ RE:たいしたことじゃないんですが ( 2) 94/10/27 05:18 02855へのコメント  #02855 YUKO さん  はじめまして、YUKOさん(YUKOちゃんって、あたしの親友と同じ名前ね)  RTのことは、皆が答えてくれてるんで…(^_^;)  ちびちゃんの寝てる間に女同士でバーボン飲みましょうか(^_^)  実はね、このブラントンってバーボンね、あたしと旦那さんの思い出の酒 なの(*^^*) 結婚する前に彼がウチに遊びに来る時に、いつもブラントン持 って来てくれてたのよね。旨いバーボン持ってきてくれる彼ってイメージは、 彼の評価に大いにプラスになったものでした(笑)  ではでは、お近づきの印に★ (^O^)/C□☆□D\(^_^ )カンパーイ! ★            ★世紀末フォーラム/SYSOP/SDI00635/みれ(北川恵子)★ 02859/02860 KFR04742 YUKO みんな、親切でとってもうれしい! ( 2) 94/10/27 07:40 自分のパソコン経験からして、もしかしたら読むのがせいいっぱいかもしれない けれど、ぜひ、参加したいと思ってます。 私もバーボンのなかで、ブラントンがいちばんおいしいっておもいます。 そう言えば、私の姉がカナダ旅行のお土産で TIME  というバーボンを くれたのだけど、けっこういけるんですよ。これが。さっそくこれもあけちゃい ましょう。 02860/02860 PXA06646 樹 冬はいいが夏は(^^;) ( 2) 94/10/27 12:54 02848へのコメント    めのうさんどうも〜(^^)/゛。    家に帰ると「ほっ、、」としませんか?なんか外でムシャクシャしてた   事も、あの子達の顔をみてると、、、「(^^;)ま、いいかぁ、、、」になる。    ウチも、昔はワタシをはさんで犬と猫が一緒に寝てたんですが、、、   今は、犬が「おもらし」をしてしまうので、猫だけと寝てます。    冬場はカイロと寝てるみたいでいいのですが、、、、、、夏は、、(^^;;   今年の夏は特に(^^;)でした。猫は気持ちよさそうに人の首に巻き付いて   ゴロゴロ言ってるんだけど、コッチにしてみれば、、、(^^;;;;;    ウチのずるがしこいアルは、人が冷たい布団に入ってガタガタしてる時は   ファンヒーターの前から離れないくせに、布団が人肌に暖かくなると入って   くる(ーー;)、、、、でもあのしぐさに(^^;)まぁ、、、いいかぁ、、、。 猫の伸びをしてる時に測ったら手からっぽまでで1M8cmあった(^^;)   樹 - FARION MES( 3):【めでぃあ室】--------本/映画/音楽 etc 94/10/27 - 00665/00669 PXB01563 おみゃー RE^3:「影武者、徳川家康」 ( 3) 94/10/26 06:42 00663へのコメント >>>>くりすさん 書き忘れていたことが有るので付け加えておきます。 僕は「吉原御免状」から隆慶一郎の作品に入ったのですが、影武者〜の 設定はこれが原点です。主人公の松永誠一郎は二天一流の宮本武蔵に育 てられた男で、家康が影武者であることを暗示している「御免状」を巡 って吉原の亡八とともに裏柳生と戦うストーリーです。が 内容はそんな単純なものではありません。「子づれ狼」にも登場する、 柳生義仙や秀忠を相手にしていますが、内容は道々の者に対するオマー ジュです。 僕はこの作品によって網野善彦氏を知り、被差別問題を考えるようにな ったのです。 関東大震災で遊女達の腰を紐で縛って、逃げられなくしていた亡八の話 は、実はパニックになった女達を救うためのアンザイレンだった。 などと、僕にとってはいろんな意味でカルチャーショックを与えてくれ た作品です。そのうち「吉原御免状」も読んでくださいね。 隆慶一郎をたく おみゃー 00667/00669 PXH01650 英雄 熱帯バリ・竹楽器ジェゴクが響く村 ( 3) 94/10/27 00:35 を、視た。とりわけ共鳴したのは、スエントン氏が言った「音楽は 作るものではなく、神様からの授かりものです」という言葉。 そして若い楽団員が語った「ジェゴクに神様がいるのを感じます」 という嘘偽りのないの感動。そして、音楽を神に捧げ帰し、感謝の 祈りをする人々の営み。 宗教というと、今や金もうけの代名詞のように思い、毛嫌いする向 きも多いこの頃だが、バリの人々のような純粋な感動と畏敬、感謝 の心が宗教心であり、宗教の本質ではないか。彼らはまことに神と 共に生かされているのだろう。 TVでは残念ながら、ジェゴクの重低音や熱気を聞き取ることはで きなかったが、それを「想像」して、短い時間ながらも、忘れてい た何かを思い出す時を持てた事に感謝したい。 :英雄: 00668/00669 PXH01650 英雄 トレッキ-な世界 ( 3) 94/10/27 00:36 コメント数:1 これから非常にトレッキ―(=スタトレおたっき―)な内容が続く (つもり(^^;)。 1.バルカン人について(その1) 先日、ONV(オリジナル・ノベル)「スポックの世界」を紹介した。 この作品は、他のものより描写が精密かつリアルで、見事に23世紀の 世界を描いている。エンタ―プライズ艦内に、「ネットワ―ク通信」が あったのも初耳だし、様々な生活物資(例えばコ―ヒ―豆!)はどのよ うに保存しているかについての技術解説、そしてもっとも際立った点は、 バルカン星の歴史とその住民についての知見だ。 われわれは、バルカン星人が、「論理」を第一とし「感情」を克服する という課題を自らに課していることを知っている。そして、バルカン人 のほとんどが、Mr.スポックのような「超人」と思っていたのではな いか。 ところが、これはまったくの誤りで、スポックはバルカン人の典型では なく、(生い立ちもさることながら)極めて特殊な(”ユニ―ク”な) 存在なのである。スポックの家系は、いわば貴族階級であり、バルカン 星の最高指導者であるトウパウと親戚関係にある。また、父は地球のバ ルカン大使である。当然、極めて裕福な家庭である。 したがって、バルカン人はみなスポックのように、論理的で冷静かつ沈 着、科学知識や精神技術に優れているというわけではない。 注意すべき点は、感情を抑制し論理を全てに優先するからといって、必 ずしも”善”行為ばかりを実行しているのではないということだ。 つまり「論理」には善悪といった基準はない。おわかりだろうか。バル カン人の中には、己の利益を最も「論理的」かつ「最大限の効率」をも って取得しようと企む”輩”も存在する。事実、スポックの元婚約者で あったトウプリングは、見事な論理でもって、スポックや連邦自体を混 乱に導いた。バルカン星では、結果は狂気であるが、「極めて論理的で ある」ことが存在する。 (読者がいれば)続く:英雄: 00669/00669 GBB03425 Paper Birch RE:トレッキ-な世界 ( 3) 94/10/27 13:10 00668へのコメント 英雄さ〜ん。読者はここにいますよ〜!(^^)/ 続きを楽しみにしてます。 では。                  △▼△ Paper Birch △▼△ - FARION MES( 6):∞・∞ 壁(カベ)・∞・∞・∞・∞・∞・∞・∞・∞・∞ 94/10/27 - 03013/03018 GDB00064 オリハル 男らしさ… ( 6) 94/10/25 15:59 私は今まで男らしさとか女らしさとかをほとんど意識した事がないです。 人間としてどうすべきか、という事をメインで来ました。 人を「男」とか「女」とかで見てない。相手がそう望むならそのように見るけど。 それは、「その人」に付随するものでしかないと思う。 ただ、例えば、「嘘をつかない」と決めたならそれを守る、というのは、 その徹底的な面を見れば、結果的に男性的な考え方かもしれない。 しかし、自分は男性的であろうとしたわけではないし。 しかし、例えば、「謙虚であるべきだ」という精神を実行する時は、 別に、男らしい行動ではない。小さな子供にも女性にもヘコヘコすることになる。 行動としてはなさけないのだろうが、精神は徹底してるのである。 形があまり気にならなくなっています。                                オリハル 03014/03018 HGE03563 SONIC カイシャをクビになってしまった・・ ( 6) 94/10/26 01:55 厳密にいうと、自分から辞めたのですけれど、 上司から先輩から圧力受けて耐えきれなくなって辞めちゃったので実質上は 僕の職場での適応不足と努力不足ゆえのクビであります。 わずか一年と二か月の社員生活であった。 生産業でプラモみたく組み立てるだけの簡単な仕事だし、 のんびりやっていけばいいや、ケっとタカくくってダラダラやっていたけれど、 甘かったです。ばちがあたりました。世の中きびしいです。 ・・で、今更バイト生活に戻るのもなんだかなーだし、 この先どうしようかな、と途方にくれていますが・・。トホホでござる。 一方、ホッとした解放感も味わってます。今まで会社に縛られている、としか 感じられなかったので、やっぱり僕はサラリーマンには向いていないのかな。 といって、独立あても・・ないわけでもないが自信無し! さぁどうしましょうSONIC!これを機会にさらなる?飛躍を企てるかっ?! 請うご期待!(誰もしていない) ・・ああほんと、どないしょ。ガーン・・ガーン                        ぷーのSONIC 03015/03018 GHB02532 ごとうくまお 終わり ( 6) 94/10/26 23:10 コメント数:1 J・クリシュナムルティの「星の教団の解散宣言」を読んだ。 放り出された、という感じがした。「彼(クリシュナムルティ)」という家から。 彼の本を読みはじめたころはよく感じていたものだが、最近はあまりなかった。 久しぶりだ。 私は彼の後を追いかけていたのかもしれない。 そのつもりはなかったが、どこかにそういう自分がいたようだ。 彼は、私が頼る最後の砦だった。 しかし、その砦も嘘であることがわかった。 私は彼と同じ人間である。しかし彼ではない。 彼の後はない。彼と同じ場所にたどり着くこともない。 先は見えない。 私は何者であるのか、どこへ行こうとしているのか、何をするつもりなのか。 わからない。 わかっていると思っていたが、今はじめてわかったことがある。 「ただひとりある」とは、こういうことか。 しかし、わからないことに変わりはない。 人間とは? 03016/03018 JBH00712 桂 桂 はんどる ( 6) 94/10/26 23:30  密かにハンドルを変えていた。  桂 桂(けい けい)って。  でも誰も気付かなかったので、やっぱり元に戻した。  やっぱり変りないって? チャンチャン 桂 桂(JBH00712) 03017/03018 SDI00635 みれ RE:お誕生日によせて ( 6) 94/10/27 05:17 03012へのコメント  #03012 めのう さん  なんだかとても素敵な誕生日メッセージなので、ついついコメントして しまう無粋な私です、ご容赦あれ。  以下の引用部分は、是非ともあたしも使わせて頂きたいです、ハイ(^_^;) | 私達はこれから先も、自分で決めたことの代償を払いながら、報酬を受け | ながら生きていくでしょう。 | 後悔は少なめに、前向きに、より良い選択ができたらいいですね。 | | 自分一人で歩けるけれど「旅は道連れ」のスタンスでまいりましょう。 | 今後ともどうぞよろしく。  そうなんですよね、自分で決めたことの代償を払いながら、報酬を受けな がら…一人で歩けるけれど、旅は道連れのスタンス…うぅ〜ん、とても素敵 に簡潔に表現されてる…手放しで感動 (;。;)ウルウル あ、あまり褒めすぎは良 くないかしらんね(^_^;)  めのうさんに素敵な誕生日メッセージを貰ったあなた、とても幸せね(^_-)  急ぎ仕事を終えて、フォーラムのログにゆっくり目を通している時に、素敵 な文章に出会える嬉しさって格別です。特に旦那さんが出張や社員旅行で居な い夜は。  外は遅い秋の夜更け、夜と朝の交代までの間。未だ鳴いている虫の声も寒そ うにかじかんでいるけれど、あたしの心は何だか嬉しさで満たされて暖かい。  さぁて…お腹を空かせた仔猫が暴れ回っているので、こんな時間だけど台所 に出向くとするか…睡眠不足の原因の一つに早急に対処せねば…。  ありがと、めのうさん。 ・:*:・みれ・:・。,★ 03018/03018 GBG02755 すまる RE:終わり ( 6) 94/10/27 07:17 03015へのコメント いろいろな出会いがあります。 そして、感銘を受ける出会いもあります。 この出会いなら、私を映せるかもしれないと感じるものもあります。 けれど、「嘘」があることがわかります。 嘘と言っても、人が嘘を言っていると言う意味ではなく、 私とは違うという歴然とした事実と言うことです。 クリシュナムルティにもしかしたらと言うものを私も探そうとしました。 しかし、あるところから、突然突き放されるんです。 それは、私の経験が足りないためなのではないかとも思ってみましたが、 それとも違うと今は感じています。 人にはそれぞれの生きる目的があるのでしょう。 彼が求めたものは、私とは違う。 「愛」と言うものは、人によって本当に姿が違います。 その人の「ただ在る」愛が、あるのだと思います。 誰とも共有出来ない・・・・・孤独。 私には「嘘」であると思うことが、人には歴然とした事実で有り得る。 その深い溝は、簡単には渡ることは出来ません。 人に出来ることは、溝を埋めても分かり合えることではなく、 溝を溝の侭に信じ合うことだけなのではないかと思います。 どこまでも人は一人なのでしょう。 そして、人はどこまでも自分に酔い続ける存在でもあるのでしょう。 こうして、言葉によって、共感を得ても、部分共鳴でしかない。 人は自分の得た感性のみが正しいと信じることしかできない。 また、そう思い込むことで、自分を成り立たせている。 その孤独性が、人を生きると言うことなもかもしれません。 自分の窓から見えたものでのみ、判断するしか出来ない。 そんな偏狭な存在なのかもしれません。 しかし、自分とは限りなく違う存在だけれども、隣にいる。 隣で、自分と同じように呼吸している。 その優しさは、孤独を癒すものでもあります。 分かり合えなくても、ともに生きているものがいて、その存在を感じられる、 それは、せめてもの、慰めです。 命とは、やはり「愛」なのかもしれませんね。                           すまる - FARION MES( 7):★世紀末書込み寺★・・・・・・・・・・・・ARION 94/10/27 - 03736/03755 GDB00064 オリハル ARIONに質問 ( 7) 94/10/25 13:12 ARIONに質問があります。 以前のハローメッセージで、 | 軽業師は盾琴の音に魅せられ、南の小箱は弧を描く宝を隠す。   ~~~~~~ というのがありましたが(記憶でタイプしてます)、 私の仕事は軽い仕事ですが、これは私の事を言っているのですか。 これは、全体として何を意味してるのですか。 絶対に答えてほしいと思います。                        オリハル 03737/03755 GDB00064 オリハル ARIONの言葉 ( 7) 94/10/25 13:33 ARIONは人間に対して「〜をせよ」と言う。 確かに、未来は見えているのだろう。 しかし、何故人間に選択の機会を与えないのか。 「これに関して〜のままだと、未来は〜のようになるが、あなたはどうするか」 みたいに人間に選択の機会を与えるべきだ。 始めから「〜せよ」などと言うべきではない。                             オリハル 03738/03755 GDB00064 オリハル 掟 ( 7) 94/10/25 14:22 愛に動かされて掟破りになったARIONを私なりに理解しています。 しかし、掟破りだからこそ、私はARIONに従う義務は無い事に気付いた。 もしARIONが全ての手続をクリアーして現れているのなら、 私は恐ろしくて逆らうことは出来なかった。 法則は、ARIONを越えて人間を自由にする。                             オリハル 03739/03755 SDI00635 みれ RE:発言目的など ( 7) 94/10/25 15:11 03715へのコメント コメント数:1  #03715 秀峰 さん  お久しぶりです、秀峰さん。ちょっと長文になってしまいましたが、読 んでくださいましね。  ここのところの私は、またぞろマスコミ関連の事々で多忙になり、思う ように会議室にRESを書く暇も気力も無かったのですが、今、ちょっと 時間が取れたので思うことを書いてみます…(余談ですが、26日(水) フジTVの深夜番組である「NONFIX」に3分程出演します。興味が おありでしたら、話の種にどうぞ(^_^;))  オカルト用語の氾濫も、精神世界ビジネスの功罪も、霊的な世界の話も、 それらについて語る時に、個人個人で様々な表現方法があり、各々異なる 発言基盤がある訳なんだけど、そこで「十人十色ね」と言ってしまっちゃ 話はそこで終ってしまって面白くもなんともない(^"^;)  十人十色だからこそ、その違いや共通点を見出してゆく道すがらに、色 々な拾い物があるわけで、だからこそお互いにとことん語り合いたいと思 うわけなんじゃないのかな。  私にとって最も興味があるのは「誰が、何の為に、何を話すか? そし て話をした後に何がしたいか?」に尽きるんで、何処かの誰かが何らかの 目的遂行の為にMES 7 にやって来ても、或は単に寂しいから友達が欲しい と思ったのでMES 7 に来たのであっても、そこら辺の話を分かるように話 してくれるのであれば、そして目的を明らかにしてくれるのであれば、会 話することは厭じゃないんですね。  ただ、会話していて相手の発言基盤がオカシイと思えばオカシイと言う、 それだけのこと。そう言われて傷ついた、排除されたと感じたり思ったり する人も居るみたいだけど、私に言わせれば、見ず知らずの他人と対面す るでもなく文字だけで会話する、パソ通の様な特殊な会話形態を選ぶ場合 には、最初から自分の発言基盤や発言姿勢が相手と異なることを認識して おくべきで、異なる点について指摘される事が即、批判だという風に感じ るのは、己が未熟なんだということに気付くべきだろうと思うのです。  私が厭なのは、ここの人達は分かっていないから啓蒙しなくちゃ…とか、 訳の分からない可哀想な人達に真実を教えてあげよう…とか、自分の信じ ている宗教や組織の方が素晴らしいのだから、FARIONの人達にも報 せてあげようとか、そういった姿勢の人達なんです。  こういう人達は自分の言っていることだけが正しいから、他の人と会話 出来ない。そもそもコミュニケーションを求めていないんだから、誰とも 心の交流が持てない。自分が信じる正しいことを演説に来るだけの人は、 このフォーラムに居ても目的が果たせずに、居心地が悪いだけだろうと思 いますよ。  秀峰さんの発言の中で私の目を引いた部分が以下に転載する部分で、そ れについて私の意見をコメントします。 |私がこの場で最も言いたかったのは、特定の話題や内容を発言しにくくなること、 |つまりタブーみたいなものがあったり、ここだけが唯一の真実の場であるという偏 |狭から身内思想や排他性へとつながる風潮、これらを憂慮する、ということでした。 |ただ、現状の認識につき、私にも偏見や先入観があったかも知れません。  こういう言い回しの論理は何度か目にしたのですが、目にする度に、毎 回何とも言いがたい不快感を胃の辺りに感じるのです。それが何だろう? と考えていたんですが、どうもこの論理展開に納得が行かないことに気付 きました。  特定の話題や内容を発言しにくいことは、これはどんな場であってもあ り得ることです。これを指してタブー(禁忌)と呼ぶには無理があります。  ここだけが唯一の真実の場であると感じていると人が居るとして、それ を「偏狭」であると規定し、そこから身内思想や排他性に繋げて、しかも それを既に存在することとして「風潮」と呼び、あまつさえ憂慮している という論理展開。直後に先の説に関するフォロー部分がありますが、自説 を追求された時のためのワクチンのためのフォローかな?とも受け取れま す(あくまでも私の感じることですが)。  秀峰さん、あなたの文章はあくまでも個人的な見解であるにもかかわら ず、それを説明するに当たって、「身内思想」「排他性」という一般的に (或は社会的に)「問題である」と認識されている用語を使うことで、個 人的見解ではなく客観的見解であるかのように錯覚する(される)怖れが あります。しかも直後に「風潮を憂慮する」という言葉が続く訳ですから、 既に秀峰さんご自身は錯覚しているのでは?と私には見えます。  タブーがあったり、ここだけが真実と感じる人の考え方を偏狭であると、 充分な説明や論拠を提示せずに規定するのであれば、それは随分と乱暴な ことだと私は思いますよ。それを更に「身内思想」「排他性」にまで結び 付けてしまうのは、これもかなり乱暴な論理展開だと私は思います。  しかもそれを「風潮」と呼び、それを憂慮する…秀峰さんの感じられた ことと、衆知の事実と、実際に起きている事々と、真実と…これらの全て がゴチャマゼになってしまっていませんか?  ゆうじ57世さんのことにしても、本当に何をしたかったのか?が不明 なままに出て行かれてしまった様で、私は残念です。オリオンがどうのと か神霊がどうの…とかの前に、とことん会話してみよう、自分の意思を伝 えよう、相手の意思を理解しようとし続ける姿勢が必要なんじゃないのか しら?  どこかの高級な神霊からの言葉だろうが、ARIONの言葉だろうが、 どっかの本からの言葉だろうが、要はそれを自分が如何に理解し、如何に 行動、体験しているか?…そして、体験したことから何を得たか?が大事 なことで、どこの誰の言葉か?なんて本当はどうでも良いことだと、私な んかは思っているんだけどね。自分の言葉でないものは礼儀として、出自 を明らかにするので充分だと思うんですよ。 ・:*:・みれ・:・。,★ 03740/03755 GDB00064 オリハル 愛>掟 ( 7) 94/10/25 15:24 コメント数:1 私のMSさんへの愛は本物である。 しかし、ARIONの言葉はそれを切裂く剣のようだ。 なぜ二人を切り離そうとするのか。 このようにタイプしてても、考えることに介入がある。 私がMSさんへ向おうとする判断を下すと、「違う」だとかなんだとか。 それも、のべつまくなしに。 こういうのはチャネリングの1形態なのか? いちいち人の頭の中で話さないでほしい。 私の頭脳は私が使用する。 そういう体験を下されるなら、 なぜもっと別の有効な事柄に関して無いのでしょうか。 そういう体験自体は興味があるのに。 ARIONは掟よりも愛を選んだのではなかったのか。 ではなぜ私がMSさんへの掟破りの愛を持つことを禁止するのだ。 そこまで介入するのか。 私は頭に来た。 同時に、私が従おうと努めていた神概念(掟)は虚構であった。 愛そのものが神である。(愛) 私はARIONに従う義務は無い。                         オリハル 03741/03755 GDB00064 オリハル 私の頭脳への介入の意図に関して ( 7) 94/10/25 17:03 03740へのコメント 少し自分の文章の意味が事実と違ってました。 以前のハローメッセージで、 | 軽業師は盾琴の音に魅せられ、南の小箱は弧を描く宝を隠す。 というのがありましたが、これを私とMSさんとの事を否定的に言ったのだと解釈した のです。筋としてはもっともなため、それを否定できなかった。そのため、その筋は私 の精神を切り裂いた。それで私はARIONに不満を持った。その不満を持つ事に対し て私の頭脳に介入がありました。考えていることごとくに対してコメントがついた。そ れは、MSさんと私を引き裂こうとしたのではなく、ARIONに不満を持つ事に介入 が続いたのでした。                                  オリハル 03742/03755 GBF00776 何時もMTB 預言は、気付きを願う、叫びの結晶 ( 7) 94/10/25 18:01 オリハルさん、割り込みレスで失礼いたします。 ROMを続けていました「何時もMTB」と申します。 もしや、ご参考になればと、預言に対する私の考えを上げさせていただきます。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 預言は、涙なのです。思わずこぼれる慈悲の涙なのです。 貴方の人生は貴方のものであり、貴方が切り開き成長する権利と義務が有るのです。 貴方の前に奈落が有ろうとも、それは貴方自身で気が付かなければならないのです。 その場の結果が不幸であるとしても、それが貴方のこの人生なのです。 ・・・・・・・・ ・・・・・・・・ 奈落が見えるものは、教えてはならないのです。 「注意せよ、危険は近い。」としか言ってはいけないのです。 「目の前が奈落だ。」と言えば、貴方の「自分で気付き成長する権利」を奪い貴方 のこの人生を無駄にしてしまうかも知れないのです。 貴方が気付かなければ、いくら悲しくても止めてはいけないのです。 ・・・・・ 預言は見えるものの、気付いて欲しいと願う、魂の叫びの結晶なのです。 「観よ。識れ。努力せよ。」としか声に出せないのです。 観ようと努力する人しか 、「こと」が事前に見えてはいけないのです。 これは、この世の「活ける魂」の法なのです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ PS:オリハルさん、神話を思い出して下さい。 私達は多くを失ったからこそ、「希望」を手にいれられたのではないのですか。 この世で活きていくのに「希望」と少々のもので充分ではないのですか。 貴方の「希望」は何なのですか。 03743/03755 CXK03125 月狼 遅くなりましたぁ(^^; ( 7) 94/10/26 08:38 03674へのコメント コメント数:1   こんにちわ>S・Nさん   月狼です >ところで、子供はなぜ「男らしくない」という理由でイジメをするんだろう?   これはようするに、自分達とは異質で、風変わりであると言う点が、   彼らには大いに、きにくわなかったのではないかと・・・・・(^^;   まぁ、大人でもそうなんですが、人間は異質な物に対して、   おそろしく不寛容にできていると僕は思います。 無視するだけならともかく、その異質な物を淘汰する方向で、 集団圧力を用いて対象物を排撃すると言う動きは、組織やある種の集団・・・・   ようするにムラにはよくあることだと思えます。   場の文化である日本。そしてそれを血脈に受け継ぐ、日本人であるが故の   異種排撃思考の発露は、ある意味で仕方がないのかもしれませんね。   しかし・・・・・あのイジメの瞬間にあらわれる異種憎悪とも呼べる陰湿な   行為と想念は一体なんなのだろう??(ー_ー;)   異質なる(物・者)を、排除しようと言う考えかたは、 ARIONの言う、異質=未知→恐怖の図式で説明つきそうですが、   そこに、イジメに付き物な、湿度の高い邪悪さの発生と言うのは、   ちょっと説明つかず、未だに腑に落ちないものがあります(・_・;)   で、本題の男らしさ、女らしさなんですが、   結局、男とか女って理屈じゃなくて、体で識るものなんだろうなぁ〜とは、 思ってます。 そもそもあれこれ説明できない所にある感覚なんですよね。きっと。   僕は、ARIONの破壊創造を踏まえた男女エネルギーに関する考察に対して、   心のどこかでは、理解できているんだけど、実際にはどう言うことなのかと   説明しようとすると言葉を失ってしまうような感触が強いので、 今は保留の態度をとることにしています。   今自分がしなくてはならないのは、   自分の性格の中で女性的な所だと思えることは何か? 男性的な部分はどこか?   と考え、そして何故そう思ったのか? と言うARION的(?)アプローチの実行だと・・・・・ そして、その中で好ましくないと思える部分を減らして行く方向で努力する。   どうにも自分の中で何がどうなっているのか整理がつかなままに、   ARION宛でワケワカメな事を書き込んでしまった感があるので、   追々この点に関しては、整理整頓しなくてはなりません(^^;   そして、最終的にはS・Nさんの言われた、 「自分らしい男らしさを追求する」   に落ち着くんですね。                    月狼 P.S   S・Nさん、7番進出ですね。これからもヨロシク 03745/03755 JBH02324 なえ RE:発言目的など ( 7) 94/10/26 11:48 03715へのコメント  こんにちわ秀峰さん。  う〜ん、もう、ゆうじさんは発言されないのでしょうね。残念だけど。  仰る様にスジから言えば、本人がまず書いて表明する事が先決ですね。しかし、  あたしも、ただ、持論を展開して、それで終わりという騒いで終わる様な方には  見えなかったですね。何処か、いつも、何かを求めて居られた雰囲気がありまし  た。それが半端になったのが残念と言えば残念です。  焦点は大きく持ちたいとあたしも思いますが、つい、狭くなってしまいがちです  ね。でも、やはり、一端時間を置いて見つめ直すという事は、その解決に一役買  うと思います。冷静さって大事ですよね。頭で自分は冷静だと思っていても、案  外熱くなっていたりする事がありますから。  オカルトという分野は解らないけれども、この言葉から来る、一纏めにした暗黙  の納得性が在るのではないかしら。見えないけれど、固有の言葉が在る故の、了  解意識。それは戒めないとまずいですね、そこには意志の疎通を阻害する壁が、  作られてしまうからですね。  出来れば、そんな言葉を使わない。誰にも分かりやすい言葉を見つけられたらと  思います。 03746/03755 JBH02324 なえ RE:魔 鏡 ( 7) 94/10/26 13:25 03702へのコメント  こんにちわ EX さん  う〜ん。バランスと言えば、自浄効果は顕現しつつあるのかもしれませんね。  それにしても、仮に神と人が、陰陽の様に相身互いに相関関係あるとしたら、  わざわざ辛い選択をする事は出来る限り避けたいですよね。人にとっても神に  とっても。その為には、相互に補い合う意識が必要ですが、それが、使い古さ  れた言葉かも知れないけど、慈しみや優しさだとか、人として当たり前に自然  な心の交流が功を奏すると感じます。で、それを努める事が、別な面での、例  えばサイレント地震の様に、大難が小さい難で収まって行く材料になるのでは  ないか。とも思うのです。神からの補いという姿が、とどのつまり、人からの  そのアプローチで難を逃れる結果を生む・・のではないでしょうか。  そいう事から言えば EX さんと近い意見ですね。  ただ、結果は如何に在っても、それまでに「努力」が、まず為される事が前提  ですよね。しかし、結果を導く為に行動を起こすのは、違うと思います。つま  り、目的が自己中心に片寄る懸念があると、感じるわけです。何故なら、どう  しても結果が良好であるだけを望むなら、良好では無い結果に対して、不満を  持つからですね。  犠牲者が仮に出るような自浄効果が現れた。即、やっぱり神も仏も無い!。と  決めつける。そいう意識ですね。そこには、やはり、自己中心な姿が見えてし  まいます。  すこしきつい言い方ですけど、肉から離れるだけだなんて、少し寂しい言い方  だと思います。人は肉体という現物を持つから、楽しみも優しさも感じる事が  出来るのと違いますか?。離れただけ、というと、一種執着心が無い、高能な  感触を与えてしまいがちですが、実は、単に無頓着なだけ。という生半価な生  き方を選択してしまう事にもなりかねません。  ここは、まず、現物である肉体を十二分に使う喜びを感じて、それから、後は  ありのままに受け入れる受容力を持つ事だとは思いません??。  そいう点から言えば、例え星が落ちて来ようが、粗大ゴミになった、衛星の部  品が落下してこようが、果ては軍事衛星で動力に使われた原子力の死の灰が落  ちて来ようが、別段問題は無いという事になりますね。  様は、肉から離れるだけだ、と言いつつ、天文現象で水没する危険を危惧する  その離反した気持ちが変ぢゃないの??って感じたのでした。  最後に、天文は好きですが、仰る様に 彗星は落下する危険のあるものが、幾  つかピックアップされています。トータチスとかね。でも、これが落ちたら、  即、この星全体におおきなダメージを受ける事は必至ですね。そんな先の事を  心配すると胃が痛くなるので、あたしは考えない事にしています。(^^;  だって、今を生きないで、先は生きる事は出来ませんって。ね。  という事で、気に召さない部分が多々あるとは思いますが、ご一考下さると嬉  しいです。 03747/03755 GHB02532 ごとうくまお RE:意識 ( 7) 94/10/26 22:16 03731へのコメント オリハルさん、どうも。 《 ごとうくまおさんとの会話に何か空しい感じがするのですが、 この、空しい感じとは、どんな感じでしょう?別に文句を言いたい訳じゃありませ ん。ただ、具体的にどんなものなのか、詳しく聞いてみたいのです。難しいかもしれ ませんが、できるだけ詳しく。感覚的な言葉でもかまいません。お願いします。 《 記憶喪失者が、記憶を喪失する前も後も、「意識」があり、生きているのです。 この場合の「記憶喪失者」が、どのへんまで記憶をなくしているのかわかりません が、彼が言葉を覚えていて、考えたり喋ったりできるなら、思考の基礎となる「記憶 」が残っているということで、意識が過去であるということが言えます。もし彼が言 葉すら忘れてしまったとしても、何等かの出来事、刺激に反応するなら、彼は集合的 な意識に支えられているということが言えます。彼が生まれてからの個人的な過去は なくなったとしても、人間が蓄えてきた膨大な過去は、彼が人間であるために、彼の 中にあります。意識という巨大な、しかし限られた領域は、人間の過去によって、そ してその上にある個人的な過去によって作られています。「意識する」ということは 、現在を過去へと吸収することであって、意識によっては決して「今」を捉えること はできません。これは、私の信念や思い込みではありません。あなたが信じようと信 じるまいと、信念には関係ない「事実」なのです。この世界が「ある」のと同じくら いに確実な。ですから私はこの事をあなたに信じて欲しいとは思わないし、あなたも 信じるつもりはないでしょう。事実を「信じるか、信じないか」ということはありえ ません。事実を「観るか、観ないか」ということだけです。 《 あなたが「意識」と言う時、それは、「精神活動」の意で言ってるのだと思いま した。 そのとおりです。しかし、意識に縛られていない精神は、意識活動とは全く別の性 質、運動を展開します。それが瞑想です。精神は、意識と溶け合い、意識そのものと しても活動するし、意識によって捉えることのできない何かとして存在することもで きます。精神は、あらゆるものとして存在することができます。しかし、意識を離れ ることができない精神は、そのあらゆる可能性を閉ざしてしまいます。意識という限 られた領域内でしか動けないからです。 《 |二元性は嘘なのです。 《 では、なぜあなたは「二元性」を理解し得るのですか。二元性も一つの事実であ り、それは克服されるものだとおもいますが。 二元性を理解するのは「私」ではありません。二元性についての理解があり、それ が嘘であることを観る。それだけです。理解には私の入る余地はありません。私が理 解するのではなく、私が止まったときに理解が生まれるのです。 また、二元性を「克服」することはできません。克服されるべき二元性と、それを 克服しようとする「私」という構図がすでに二元性を作っています。そうした努力に はきりがなく、エネルギーを浪費します。 《 肉体に宿った魂=自分は、「自分光線=内なる我の光」を放射しているのです。 それで、自分が関わった事は、「自分が関わった事」となります。 それは、言換えれば、「自分光線が当てられた」ことになります。 それで、その事が人に批判されると、まるで自分が批判されてるような気になり ますが、しかし、それは、自分ではありません。しかし、ここで、その事=対象 が自分だと思ってしまうと、執着となります。従って、“結論”としては、真の 自分はあるのです。 これはつまり、執着の対象に自分を投影して、対象と自分とを同一視するというこ とですね。アイドルの熱狂的なファンの女の子が、そのアイドルのことをけなされる と傷ついたりするというような。しかし、なぜこの事から「真の自分はある」という 結論が出るのか、よくわかりません。あなたは、今まで自分が教えられ、学んできた こと、悟ったこと、あなたの理論、そして真の自分はあるという結論、それら全てが 嘘であるとして、完全に否定されたとしても、何の痛痒も感じないでしょうか。真の 自分など幻想にすぎないと言われても、全く不安を覚えないでしょうか。もしそうな ら問題はありませんが、そこに動揺があれば、あなたは「自分」に執着していたとい うことであって、「執着から自由な自分」とは幻想ではないでしょうか。私には、あ なたが実際のところどっちなのかわからないので何ともいえませんが、そのへんがは っきりしていないと、「自由」ということについてはまるっきり意味が違ってくるの でこんなことを書きました。 《 分離、排他性と見えるものは、実は、人間が進むべき方向と関係があるのだと思 います。つまり、神です。 神へと向かう方向はないとおもいます。神の居場所がわかっているなら、そこへ向 かって進むこともできるでしょうが、しかし神は、どんな居場所も持っていないので はないでしょうか。目標とされる神は、思考の作り出す幻想ではないでしょうか。 《 社会の善=協調、新和性 ここはちょっと無理にツッコませてもらいますが、社会に善はないとおもいます。 現在の社会の基盤は自己中心性にあり、愛のかけらも入る余地がありません。協調、 親和性があるのは社会の外においてだと思います。社会そのものに善があれば、犯罪 や戦争は一切起こらないでしょう。 ¥くまお 03748/03755 GHB02532 ごとうくまお RE:一部つっこみ ( 7) 94/10/26 22:17 03732へのコメント オリハルさん、ふたたびくまおです。 《 いつも結論を否定形で終らせますが、その先に何を述べますか?(質問4) なにも。何かを否定する代わりに答えを用意しているなら、否定とは言えません。 ¥くまお 03749/03755 GHB02532 ごとうくまお RE:土俵の違い ( 7) 94/10/26 22:18 03734へのコメント Sukeさん、こんばんわ。 分かち合うことができないのは、「自分だけのもの」という考えがあるからではな いでしょうか。 あなたの体験は他人の体験でもある。赤の他人が、あなたと似たような経験を持っ ているというだけで、あなたはその人に親近感を覚えたりしないでしょうか。「そう いうことってあるんだよねー」とか言ったりして。 私達は意識や感情を分かち合っています。怒り、悲しみ、憎しみ、喜び、愛情、等 々。あなたが「悲しい」というときに感じるものと、他人が「悲しい」というときに 感じるものは同じではないでしょうか。 それらを、「私の方が悲しい」とか、「私の方が愛している」というように、個人 的なものにしてしまうと、人と共感することができなくなってしまいます。他人と自 分を比較することは、人と自分との間に差をつけ、溝を作り、共感を妨げます。 はじめから共有している感情、意識を「自分のもの」というふうに分離してしまう のは、「私」すなわち自我です。この自我、自分を理解していくことで、他人との共 感が生まれます。自我を理解し、それが消滅したところに愛があり、愛のあるところ には完全な共感があります。自分と相手の心が相互に開かれているところに共感があ ります。 よく、「愛に言葉はいらない」なんていうでしょ。あれは単なる奇麗ごとかとおも うと、実はほんとのことだったりするんです。 ¥くまお 03750/03755 GHB02532 ごとうくまお RE:人のせいにする?? ( 7) 94/10/26 22:18 03735へのコメント 英雄さん、こんばんわ。 すいません。またまた言い方が悪かったみたいですね。 私は、愛と生と死が分離できないものであることを事実として観ています。私はこ の事実を言葉で表すことに、どんな意図も含めていませんし、感傷を持ち込んでいる わけでもありません。事実に、「私」の入り込む余地はありません。このような事実 の言語化を、私は「言葉の写実主義」と呼んでいます。ナンチャッテ。 冗談はさておき、英雄さんは、私の言葉が表す事実を観ているでしょうか、それと も言葉のかたちにこだわって反発を繰り返しているのでしょうか。 あなたにとって重要なのは、愛そのものか、それとも愛という言葉から連想される 自分なりの考え方なのか、どちらでしょうか。 ¥くまお 03751/03755 VFD07310 NORI ぼくはいつも信じていない?>ARION ( 7) 94/10/26 22:36 こんにちは、ARION。 信じるってどういうことだろう。盲信ていうのもどういう状態なのかわからない んだ。どうすれば信じることができるの?それとももう信じているのかなあ。 盲信しているだけかもしれないし。 レッテルを貼らなくなれば信じることが出来るかなあ。 「いつも〜しているから」って理由で「こんども〜するだろう」と思ってしまう。 でもかれは「〜しないよ」って言っている。ここでもまだぼくは「〜するだろう」 と思ってはいるんだけども「かれは〜しない」と思い込もうとしている。 「表面では〜しない」と思っても次に〜したときはすぐに「ああやっぱり」と なってしまう。 よく考えてみるとぼくはいつも信じていないような気がする。 信じていないけど、信じているふりをして「そういうことにしておこう」 といった感じなのだと思う。 (今、ぼくの生活って偽善がいっぱいあるんじゃないか、と一瞬思った。) 信じるってどういうこと?信じるにはどうしたらいいの?                              NORI 03752/03755 PXH01650 英雄 指針として ( 7) 94/10/27 00:34 03739へのコメント コメント数:1 みれさん 「とことん会話してみよう、 自分の意思を伝えよう、 相手の意思を理解しようとし続ける」(#3739 改行・抜粋は筆者) 「どこかの高級な神霊からの言葉だろうが、ARIONの言葉だ ろうが、どっかの本からの言葉だろうが、要はそれを自分が如 何に理解し、如何に行動、体験しているか?…そして、体験し たことから何を得たか?が大事なこと」(同上) これ、肝に銘じておきます(^^)。ありがとう。 :英雄: 03753/03755 SDI00635 みれ RE:指針として ( 7) 94/10/27 05:17 03752へのコメント コメント数:1  #03752 英雄 さん  こちらこそ、ありがとう(*^^*)  こうして抜粋されてみると、なんだか大仰なこと言ってしまったみたいで。 気恥ずかしさで一杯ですが(^_^;)  ほんとに肩書きやレッテルを抜きにして相手と対したいし、そして自分にも 対したいですね。  相手は自分の目の前に見えるから、反応もよく分かるし、肩書きやらレッテ ル無しで対するんだと思って見つめやすいけれど、自分自身って目の前に見え ないし…。意外にも自分自身に対するレッテル貼りや、自分自身の肩書きに対 するフィルタってあるものなんですよね。  英雄さんが肝に命じられることで、発言した私も色々と再確認できました。  こちらこそ、ありがとう★ ・:*:・みれ・:・。,★ 03754/03755 SDI00635 みれ まちがい発見 ( 7) 94/10/27 05:24 03753へのコメント  #03753の文章中に、 「こちらこそ、ありがとう(*^^*)」 「こちらこそ、ありがとう★」  と同意の文が二回ありますが、あれはどちらのバージョンがいいかな?と 考えていて、片方を選択後にもう片方を削除し忘れた為です。  ちなみに削除し忘れたのは、「★」のついている方でした。  なんとも格好の悪い失敗をしてしまったものです(__;)  どうもすみませんでした>ALL ・:*:・みれ・:・。,★ 03755/03755 KHA02710 S・N RE:遅くなりましたぁ(^^; ( 7) 94/10/27 07:24 03743へのコメント   月狼さん、もどってこられましたね。また、よろしくっス。   『異種排撃』....とても根の深い問題みたいです。   たしか生物学関係の本で読んだんですが、その原因として、人間だって生き物だ、   ってのがあるみたいです。   例えば、免疫機構っていうのは、人体外部から内部に侵入してきたウイルス、細菌   毒物、等の異物(非自己)を排除するシステムです。熱が出たり、傷口が膿んだり   するのは、このシステムが働いているためだし、AIDSが恐ろしいのは、この免 疫機構を破壊してしまう為なんですね。   人間の社会にも、こうした「生物としての人間」に根ざした「システム」がある、   のかもしれない。   また、感情の着物を着たり、経験・知識を上乗せして「虎、煩悩」と化す以前の   身体欲の力は、文字どうり身体に由来する、と思う。(自己保存本能) 肉体が異物を排除しようとする様に、共同体も異人を排除する....体の働きをその まま心や社会の在り方へ転化するのは単純すぎる理解といわれそうですが....。 『自分を観る』のが、とても恐ろしいことであったり、なんかイヤだったり、でき   れば「ないこと」で済ませてしまいたくなるのは、みずからが理解している範囲で   の、生半可な「善」では、心にガッチリ喰い込んだ「肉」には、太刀打ちできない   ってことに、気がついているからじゃないか、と考えてます。   ここで気がついたのですが、上記までの理解の仕方では、「邪悪さ」「憎悪」の原 因は、わかりませんねー。(あはは、俺なにが言いたいんだろ (T_T)ウウッ)   でも人間以外の生き物には、恐怖はあっても、それが「邪悪さ」「憎悪」にまで   至ることはほとんど無いように思える。(全く、とは言い切れない。)   ここらへん、「善」への指向とともに、人間の「秘密」があるのでしょう。自分で   言ってて実はよくわかってなかったりして...(^_^;;) 今、『幻ナントカ』を持ち出したくなる衝動に耐えてます。 (んなこと持ち出すのは、俺には10年早い、ってか?) ARIONの男女エネルギーから観た「らしさ」については、私も保留しています。  とりあえず.... やっぱ、イジメで他者を排除するエネルギーによって支えられる「男らしさ」なん   てカッコ悪りいぜっ。だからイジメッ子の「男らしさ」なんてパス、とゆーことで   よろしく、です。 〔この部分『子供はなぜ「男らしくない」という理由でイジメをするんだろう?』の   補足説明になってるつもり...。女性の破壊エネルギーをうまく取り入れられない   男性の創造エネルギーは、「小なる連続の破壊」を「排除」というあまり創造的   でない形で実現してしまう。....こりゃ、うがちすぎかな?〕                              S・N - FARION MES( 8):☆恋愛玉手箱/風まかせ編☆・・・・・・・・・・・・・・ 94/10/27 - 00570/00572 GBH01614 愛別離苦 やっと返事が書けるぞぉー ( 8) 94/10/25 21:17  やっとごたごたが終わって書き込みが出来るぞぉー!!  てなわけで、遅ればせながらレスポンスをば・・・・ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━  For NORI(00498の発言に対して) □ホームパーティ(HP)になら入ってますが、パティオは知りません。 ■噂は聞いたことがありますが詳しく知らないので紹介してもらいたいなあ。  了解♪  じゃね、こっちから主催者の方にメールで知らせておきます。  OKがもらえたらその方のIDをメールで知らせますので、その人に申し込んで下さい。  もし、無理だったらすみませんが諦めて下さい。  では、そこのパティオに来て、どうなるか、それは貴方次第だから頑張ってね♪  あ、そうそう。未読の読み方の説明、有り難う。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━  For 英雄 □ おお、さすがに、ハンドル名は体を表す(?)というごとく、鋭い ■ 見方です。恐れ入りましたm(__)mフカブカ。  恐悦至極ですぅ・・・・・ □ 敵にするにはチョトコワイ、テキはてきでもステキってネ!  どーも♪  でもまだまだ若輩。恋の経験なんてたかが知れてますからどうぞ御教示の程を♪ 00571/00572 PXH01650 英雄 理想が高い?? ( 8) 94/10/27 00:33 00569へのコメント コメント数:1 今までに何度言われたことか....理想を高く掲げてなぜいけない? 遥かな夢と高い理想を持たなければ。特に男にはそれが必要だ。 自分が納得する相手を探すことは、単なる夢なの? だとしたら、恋愛も結婚も必要ない。それもまやかしと思うから。 自分の理想....互いが互いのために存在し合う....ただ、それだけ。 :はぐれ雄牛: 00572/00572 JCF02051 めのう RE:理想が高い?? ( 8) 94/10/27 07:39 00571へのコメント  #571 英雄さん  別に「理想が高い」がイケナイとか、妥協しろとか言っているわけではあり  ませんよ。  高く掲げた理想によって女性を見る目にヘンなフィルターがかかってしまう  英雄さんではないと思っていますから。  恋愛や結婚に対して確固たる意志を持っているんだなあ、と感じたのです。  状況に流されるまま「恋愛みたいなこと」をしている人が多いでしょ。   》 自分が納得する相手を探すことは、単なる夢なの?  「まやかし」では納得できないと知った人には、夢ではないと思います。             はぐれちゃいやーん(^^; ◆◆ めのう ◆◆ - FARION MES( 9):★神々の曼陀羅/美と信仰と史★・・・・・・・TAO 94/10/27 - 390/390 JBH02324 なえ 仏像半眼 ( 9) 94/10/26 11:49  あたしは仏像の知識は、て〜んで在りません。。(豪語すんなって)  だから仏像が何故に半眼なのか、も、知りません。  それでも、少しだけ考えてみました。(つきあってね)間違いあれば容赦  無く叱ったして下さいね。  本来仏像はニルヴァーナに導くための存在ですから、何処からどんな形で  助けを求められるかは解らない訳です。つまり、全体を一度に引き受ける  寛容さと、何も固執しない自由が必要なのではないでしょうか。その上に  一人のココロをすくい上げる繊細な情も不可欠です。  自由で居ながらに目的ははっきりしている。と言うのは無意識の世界と言  えるのではないでしょうか。無意識とは、意識をしない事です。リラック  スして、しかも、目的は在る訳です。難しく言えば、無意識の中の意識で  すね。  すると、仏像は、常に  意識と無意識の中で、目的を持ちながら、遥かな遠大さで  広大な無辺の大地をたった一人の衆上をまずは助けんと  存在しているのでしょうか。  相対する二つの状況を持ちながら、そのどちらにも片寄らず、しかもその  それぞれの深い部分にも踏み込みながら拘りの無い姿。  これが半眼に現れているように感じます。  目を開けたら現界。目を閉じれば幽界。そして、半眼は宇宙の雄大さで、  繊細なココロを見つめている。  無意識という状態で居ながら、一つの行動(助け)を起こしている状態は、  いわば拘りの無い素直な気持ちで、身体(モノ)と精神(ココロ)とイノ  チ(流動するエネルギー)を、同時に見つめる事ではないのだろうか。  半眼はそんな姿に思いました。人の生き方にも、その道があるのかも知れ  ません。                    ◇アンブレサリョ◇ なえ - FARION MES(11):★平井和正/異界漂流★・・・・・・・・・・・・アキラ 94/10/27 - 825/825 NCD01751 しろおか 蝸牛角上の認識論だな!^^; (11) 94/10/25 20:37 ふみふみ!。最近の精神分析学では「逆転移」を治療に役立てる、などという観念があ るのですネ!。(独我論を完全に無視しとるナ〜(・・;)アッケ!! 私が「逆転移」という言葉で真っ先に思い浮かぶのはイルカのセラピ−ですかね。あの、海洋生物のイルカを自閉症の子供の治療に役立てようとする神秘的な治療法のあれです。セラピストとしては人間なんぞよりはるかに優秀なのではないかな?、なんせ、自閉症 の治療ですから。しかも、労務費はエサであるイワシ代のみ!!(^ ^;)。 ところで、心理学的還元主義が絶対に正しいなどという根拠はいったいどこにあるのか な?。 PS:「転移・逆転移」といった現象が「物理的?(魔術的?)に伝わる可能性がある」  といことは、あの大槻義彦教授ですら不承不承認めていますしね。しかし、「クライ  エントの内在化」などという与太話はこの私ですら信用しませんよ、それを言うのな  ら「相互作用性」と記述するべきでありましょう。 - FARION MES(12):★アジア・チャンプル★・・・・・・・・・・・・・・一輝 94/10/27 - 00366/00368 GFB00026 一輝 私たちは一体どこの国民なのか。 (12) 94/10/26 20:30 00365へのコメント >あもりさん   当会議室への初の書き込み、ありがとうございます。   まったくおしゃるとおりの状況ですね。「日本人は自分たちの国の話となると、  なぜか自虐的に語ろうとするのだが、理解しがたいよ」という話を在日アジア系の  方から聞いたことがあります。自分の出身地や国土を愛し、誇らしげに語るアジア  諸国の方々には、国家の戦争責任についての是非を、まるで自分とは無関係である  かのように語る日本人の姿が、奇異に映ってしまうのでしょうか。   戦争が終わった直後、こんな光景があちらこちらで見られたそうです。戦時中に  ”お国の為”と送り出された兵士が復員して待っていたのは、人々の復員兵に対す  る冷たい態度や蔑視の目でした。その一方で人々は自分の家族の復員を切望もして  いたのです。当時のこの身勝手な国民の復員兵への態度と、終戦から現在へと至る  ”国への自虐性”には、何らかの関連性があるのではないかと思っています。私た  ちは、平然とマスメディアで行われる卑屈な”国への自虐的態度”が、”自分たち  自身への自虐的態度”へ連なることに、気づいていないのではないのでしょうか。   戦争責任というのは、終わったとか終わらないというものではなく、未来にも戦  争は起こりうるわけですから、常にその責任を自覚せねばならないシロモノです。  それを、さも自分には責任が存在しないかのように語る在り方に、無責任な心がチ  ラチラと見えるのです。   これは何も戦争責任に限ったことではありません。戦前的であると思われる日本  文化の全てのモノモノに、この”責任”に匂いを感じては心のどこかで忌避してい  る傾向がこの国の人々に見られるのです。伝統や文化は長い歴史の中で培われた重  みのあるモノモノですから、継承する者には責任が当然のしかかってきます。”責  任逃れ”という慣習を身に付けた戦後日本人にとって、伝統や文化は大変ヘビーで  ”やっかいなお荷物”なわけですね。ですから、この責任の匂いに蓋をする為に、  「ダサい」という名の封印が、有効に使われているのではないでしょうか。   ガムラン演奏家である皆川厚一氏は、バリ島でのガムラン武者修行時代に、こん  なエピソードを残しています。   村人「おまえは何をしにバリに来たのか?」   皆川「ガムランを勉強しに来た」   村人「どこで勉強している?」   皆川「アスティ(国立芸術アカデミーの略称)で」   村人「何だって! あそこはバリ人でも入るのが難しいんだぞ。      どうして日本人のおまえが入れるんだ?」   皆川「留学生だからビザの関係でアスティに籍を置いているだけさ。      実際の勉強は村でやっている」   村人「そうか。バリが好きか?」   皆川「ああ、最高だ」   村人「日本とどっちがいい?」   皆川「今は多分バリの方かな」   村人「日本人のくせになぜ日本の音楽をやらない?」   皆川「うーん(絶句)。信じてもらえないかもしれないが日本の音楽大学では      自分とこの伝統音楽はほとんど習えないのさ」   村人「へぇー、先進国ってのはそんなもんなのか?」   皆川「ははは、まあね」             …………『神々の島バリ』吉田禎悟監修(春秋社)より   この「うーん」という絶句と「ははは、まあね」という最後の戸惑いこそが、私  たち日本人が異国で体験する”奇妙な気分の一瞬(=自分が日本人であることを思  い出してしまった一瞬)”ではないかと思うのです。日本人はひょっとしたら責任  逃れの果てに、文化や伝統だけでなく「日本人であることの自覚」さえも失ってし  まったのかもしれませんね。 |私は、日本の歌を歌ってくれたバリ島の老人に、本当に合わせる顔がありません。   私にもあもりさんと同じようなことがありました。   それは、三度目のバリの時に収穫期の田んぼで出会った、老人とのやりとりでし  た。彼は私が日本人であることを察知すると、稲穂たなびく夕闇の向こうで、私に  向けて直立し敬礼をしたのです。   「なぜバリの老人は敬礼をしたのか?」   私がバリ島やバリ島と日本との関係について、深く調べるようになったのは、あ  の老人の敬礼が始まりでした。                      《アジア・チャンプル》案内人 一輝 00367/00368 JBH00712 桂 桂 日中戦争異聞 (12) 94/10/26 23:30  ろ溝橋事件、果たして日本と中国どちらの軍が最初に発砲したかとは よく論争になる話し。それではどちらかといえば、巷間流布されるヒソ ヒソ話によると、どうにも中国側の方が最初に発砲したようだ。  おっとこいつは一体どうした了見だっと訳をこっそり聞いてみると、 あにはからんや日中戦争を起こさせれば、終戦後の疲弊した中国を共産 党が支配出来ると言うシナリオだそうでして。つまりその戦犯は中国共 産党軍になる次第。  国際紛争は一国の軍事観、平和観で計れるもんじゃないという皮肉で しょうかねー。 桂 桂(JBH00712) 00368/00368 JBH00712 桂 桂 安江仙夫を知っているか (12) 94/10/26 23:30  ハリウッドのスピルバーグが「シンドラーのリスト」を作った影響で、 最近日本人の杉原千畝(戦前の駐リトアニア大使。ユダヤ人のために独 断でパスポートを発行、多くの命を救う)が世界的に再評価される気運 が高まった。  しかし戦中一人の日本人軍人、それも特務機関員がその職務を越えた 精神で黄色の大地にユダヤ人の安息の国を建設しようとした計画は、戦 後50年を経た今でもそれを知る者は少ない。通称「フグ計画」、満州 国(当時の名称、現中国東北部)にユダヤ国家を実現しようとする計画 だった。そしてその計画には、たった一人安江仙夫中佐(大連特務機関) という人物が国際謀略の渦中に身を呈したのだ。  当時の世界情勢は「反ユダヤ主義」というべきものが横行していた。  いわゆる「シオン賢者の議定書」の流布によるいわれなきユダヤ人へ の迫害。日本も多分に漏れず、国内では「恐ユ主義」というべきものが はこびっていた。  当時の日本軍では世界各国に軍人を派遣し、査察を行わせていた。  安江中左はこのうちユダヤ問題の査察を任命され、そして独自にユダ ヤ人と関ってゆくうちにそのいわれなき迫害が歴史的差別行為である事、 陰謀論が事実無根なことを知り、尚且つ彼らのシオニズムへ傾倒してゆ く事になる。  彼はユダヤ人を上海共同租界へと導き、安心して生活する事が出来る よう簡単だが要を得た保護を打ち出した。その行為は日本から見れば、 「安江はフリーメーソンの一員か」といわれるほどであったという。  しかしこれは当然誤解で、安江は多くのラビと話しをする中、「この 度の(ナチスの)迫害は大変遺憾であるが、その原因はあなたがたにも ある」ということも述べている。これなど本当に親身にユダヤ人の将来 を憂いることなしには言えない言葉であろう。  同時に安江は戦争を回避させるために米国ユダヤにも種種の働きかけ を行った。これは当時海軍に籍をおいていた犬塚大佐(フリーメーソン 研究員)が主に行ったものである。但し、直接的な場面では安江はこの 工作にはタッチしてはいない。  また満州国にユダヤ人を受け入れさせようと、外務省、石原莞爾など に働きかけを行った(彼の接触した特務機関員は他に川島芳子などがい る)。しかしながらそうした和平工作は失敗に終わった。パールハーバー は敢行され、日本は次第に同盟国ドイツの影響を受け対ユダヤ工作を迫 害行為に移してゆく。  日本が玉砕した時、彼はただ一人北方の地に留まり日本軍人として南 下してきたロシア軍に捕まった。そして異国にて死す。  彼の力によって救われたユダヤ人はおよそ5万人といわれる。  ユダヤ人は、ユダヤ人の栄光と栄誉を称える者を「ゴールデン・ブッ ク」という書物にその名を記す。この書物に名を残す事は、ユダヤ人か ら最大限の尊敬を勝ち得るものである。安江の名前も又、これに記され ている。  それから一体どれくらいの月日が流れた事だろうか。  シオンの地に血は流され砂漠に平和の火が灯されようとする時に、今 安江がいたら彼らに何と声をかける事だろう。  参考文献:「大連特務機関と幻のユダヤ国家」八幡書店 桂 桂(JBH00712) - FARION MES(13):★神秘学遊戯団★・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・KAZE 94/10/27 - 01855/01867 PBC00367 Q・ka・ka RE:地球を救う大変革.読みました (13) 94/10/25 16:24 01854へのコメント わかりました。どうも申し訳ございませんでした。 01856/01867 GGA02514 KAZE RE:魔術的磁気論その1(長文) (13) 94/10/25 16:52 01848へのコメント 秋端 勉さん、どうも。 > 実はこの<磁気>という言葉は非常に危険なので、私も何らかの >限定符を加えて使用しています。曰く、「動物磁気」または「魔術的 >磁気作用」伝々・・・これが磁石のもたらす磁界とは違うからです。 そうですね、この「磁気」という言葉は非常に誤解を生みやすいですし ちゃんとした定義なしに、安易な使い方をされてることも多いようですから ぼくとしても、これまでそこらへんにはあえてふれないようにしてきました。 もちろん、不勉強で、それをちゃんと定義しがたいというのもあります^^;。 >     魔術が意識に作用するのは、文字どおり確かだと考えてい >ます。物体の磁化は、自分を含めた人間がそれに触れて初めて証明で >きます。従って、われわれの<磁気>は物体を媒介として、無時間的 >に第3者に作用しているのであり、磁化された物体は何も変化してい >ない。という解釈も成り立つのです。 ぼくは魔術を使えませんのでなんともいえませんが^^;、 それが人間の意識に作用するというのは確かだと思っています。 意識というのはある「形」をもっていますから、 その「形」に対する強力な変換作用とでもいうか、 それともその「形」と組合わさって何らかの新しい「形」を生み出すというか そういうのを魔術と呼ぶようにぼくはイメージしてます。 だからこそ、その「形」のもとになっている「数」ということが 非常に重要になってくるように思うのです。 ま、そこらへんのことは、けっこう危険な部分ではありますから、 ぼくはあえてそこらへんの実践を避けるようにしてますが、 その「秘密」については非常に興味をもっていますので、 できれば、そこらへんの「秘密」についても、 今後ご教授願えれば幸いです(^^)。 ノウスさんのタキオンについては、 ご本人のコメントがいただけてほっとしてますが^^;、 その「ヌース論」ななかなかのすぐれもののようで、 ぜひ、一度は目を通されればと思います。 ちなみに、たぶん、例の用語集は書店では販売してないんじゃないかな。 まずは、FMISTYのMES20のログを拾い読みするのがいいかもしれません。 ではでは。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 01857/01867 GGA02514 KAZE 音楽遊戯●井上陽水・永遠のシュール (13) 94/10/26 00:22 井上陽水の新譜「永遠のシュール」を聴いた。 今回の陽水の新譜はなかなかいかしている。 ここ数年の陽水のものはシュール感が希薄で満足できなかったが、 今回のはタイトルどおり、静かに歩んでいくシュールという感じで しばらくBGMとして活用できそうである。 しかし、陽水のボーカルはやはり特別だなと思う。 日本ものも洋ものも最近はポップスをすっかり聴かなくなったが、 井上陽水のほか、数人の新譜だけはかろうじてまだ聴いている。 たまには自分の偏見だと思っていろいろ聴いたりするのだが そのつどほとんど失望して聴くのをやめてしまうばかりだ^^;。 耳が腐る!って怒鳴りたくなるようなのが多すぎるのである。 こうした状況はどうにかならないだろうかと思うが、 やっぱりだめだろうなぁ^^;。 そうしたなかで、ときおりでてくる一品をけっこう愛聴するというのが ここのところの習慣で、たとえば 矢野あきこの「Super Folk Song」なんてのもそのひとつ。 この矢野あきこという人も、ほとんど天才ではないかと思う。 それに比べて旦那の坂本龍一はほとんど凡でしかない^^;。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 01858/01867 GGA02514 KAZE 音楽遊戯●大江光 ふたたび (13) 94/10/26 00:22 大江健三郎がノーベル文学賞を受賞したからというわけではないが、 まだ、その大江健三郎の出身地にいるからというわけではないか^^;、 大江光に「大江光 ふたたび」を聴いた。 たぶん、昨年かその前かに 「大江光の音楽」も紹介したことがあると記憶している。 今回は、その第二弾ということだが、 相変わらずその魂の透明さには心が洗われる。 ちょっと残念なのは、演奏がちょっと固いことで、 たとえば、「ピアノで名曲を」の3回目にでてきて ベートーヴェンを弾いた小学校4年の男の子のように 魂の純粋さをそのまま表現してくれたらもっとよかっただろうと思う。 しかし、あのベートーヴェンの演奏は素晴らしかった! 最近、音楽とはいったい何だろうとずっと考え、感じようとしている。 やはりそれは、作曲家や演奏家が、自分で作り出しているというより 自分というものを器にして奏でるかけがえのないファンタジーだと思う。 もちろん、この地上で、肉体を持ち、不安定な自我をもつという制約はあるが そうだからこそ、芸術というものがかけがえのないものになるのだろう。 そういうことを感じはじめると、 芸術だと称している活動の多くが、まったくの偽物であることの多いのに あらためて驚かされ、あきれてしまう。 しかし、その中で、「本物」に出会ったときの感動は大きなものがある。 そのためか、最近では、たとえば音楽演奏を聴きながら、 涙が出てとまらないことがある。 先の、ベートーヴェンを弾いた男の子の演奏もそうだった。 そういう感受性を身につけはじめると、 それまでの自分の芸術に対する感性が ほとんどイカサマだったのにあらためて反省してしまう。 ほとんどカッコだけの芸術受容にすぎなかったようなのだ。 虚飾でない、魂の感動を大切にしたい。 そう、切に思う。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 01859/01867 GGA02514 KAZE やっと8時間給水 (13) 94/10/26 11:14 01850へのコメント 隆ちゃん、どうも。 え〜、全国的にはもうほとんど話題にはのぼらなくなった渇水ですが、 数日前からやっと8時間給水になりました(^^)。 やはり、3時間、吸水時間がのびただけでとってもありがたいです。 そういえば、先日バリに行く途中で寄った福岡もまだ渇水中でしたし、 肝心のバリも、今年は全然雨が降らない状態が続いているのだそうです。 >最近のバリはひどいのだそうです。空港に着くと物売りがたかってきたり、タクシ >ーが法外な料金をふっかけたりで、おもいっきり観光ずれしているとか・・・。 そういう感じでしたね、けっこううるさいというか何というか。 観光地ではどこでも、日本人とみると何か売りつけようと寄ってきますね。 しかし、火のないところに煙は立たずで、 日本人全体の行動が原因なのは確かですから、仕方ないといえばいえます。 しかし、今度行くときは海岸部なんかのホテルには泊まらないぞと思ってます。 >第3世界の紛争も元を辿れば、その責任はみんな先進国(大多数は西欧列強)にあ >るような気がしてなりません。国連の介入にしても、医者があらかじめ毒を飲ませ >といて、後から薬を与えているのと同じようなイメージです。 それは確かですね。 考えていくと、現代の諸問題の多くは、そういうパターンが多いですね。 自分で原因なりきっかけなりをつくっといてから、 その後で、そういうことがなかったかのように対処するというパターン。 やはり、問題解決のためには、その根っこのところにある原因を究明し、 その原因の部分をなくさなようにすることが欠かせないのですが、 たとえば、不摂生しといてから病気になって病院に行き、 不摂生はやめないけど病気は直してほしいなんてことがあります。 病気を治すためには不摂生という原因の部分をなんとかしないとねぇ。 教育なんかでも、非行だとか登校拒否だとかいう現象そのものを後追いするのでなく 「なぜ」の部分をちゃんとおさえて、教育そもものの諸問題を 赤裸々にしていくことからはじめなければならないのだと思うのですが・・・。 >人間は進化する為に生まれてきたと僕も思いますが、進化の過程は必ずしも同じで >なくてもよいと思うのです。 そうですね、なにがなんでも同じ舞台にのっけてしまうのは危険で、 「違い」の部分を尊重し合っていくというのが理想だと思います。 その反面、いろんな「違い」が前提となりながらも、 同じ地球の同じ時代に生まれてきているということには、 それなりの意味があるのだと思いますので、 その共通の基盤を確認していくこともまた必要じゃないでしょうか。 もちろん、その両者をちゃんと同居させていくというのは至難の業ですが その難しい課題への解決を模索していくのも、 人類にとって大きな学びになっていくのでは。 >ちなみに、英語はあまり上達しない方が良いと我々夫婦は思っています。英語が流 >暢に話せるという事は、英語で思考するという事です。 ぼくも基本的にはその発想だったりして、 これまで英語を避けるように^^;、ドイツ語をメインで勉強してきたのですが、 やはり「道具」としての英語という意味では非常に重宝する道具なわけで、 「英語で思考する」という危険性をあえて冒してみるのもまた一興かと^^;。 そういえば、シュタイナーも、英語というのは 非常に唯物論的な言語だということをいってたようですが、 唯物論を避けるのではなく、それを超えていくという気概も大事でしょうから。 >死ぬまでに一度でいいからヒマラヤを見てみたいです。 相棒は、小さい頃からシルクロードやアフリカ探検や アマゾン探検などをしたいと思っていたのだそうですが、 最近は、どうも「どこ行っても同じよ」って感じになってきているようです。 つまり、自分が変わると世界も変わるけど、 自分が変わらないとどこに行こうが同じことだということです。 ちなみに、ぼくの場合、小さい頃から、宇宙に憧れてきたのですが^^;、 最近では自分のなかに反映している宇宙への興味に変換しつつあります(^^)。 ま、そういうことは別にして、相棒と、 来年あたりどこか行ってみようか、なんてことを話したりしています。 円高の影響で海外旅行がすごく安いですから、国内をうろちょろするよりも たまにはいいんじゃないかということもありますから。 >麻薬中毒患者の禁断症状なんて、普通の人にはわかるものではないですが、僕はそ >の1/10程度はわかる気がします。知識で理解できる人には必要ありませんが、 >僕はそうではないで経験させられているのでしょう。タハハ 「禁断症状」というと、麻薬ではなくても、テーマは違え、 多くの人がなんらかの禁断症状になっているということもいえるかもしれません。 幾度も幾度も同じことをくり返しても懲りないというのもそれで、 周囲からみると麻薬のような具体的なものがないだけに、 なぜその人がそれにこだわり続けるのかわからないのだけれど、 確実にその人は魂の部分で何らかの禁断症状に陥っている場合が多いのでは。 それぞれのひとが、それぞれの禁断症状に挑戦していて、 まずはじぶんが禁断症状に陥っているということからはじめて、 それを悪戦苦闘しながら解決していけば、魂の成長になるということかもしれません。 仏教的にいえば「執着」というテーマになるでしょうか。 >最近の出来事でちょっと驚いたのは、寿司屋で食事中にタバコを吸う人がいた事で >す。 食事中にですかぁ^^;。 そういえば、食事してて、近くの人がタバコをすぱすぱすってるのっていやですね。 タバコをすってるどうしだと、お互い麻痺してるからかまわないかもしれないけど あの臭いが食事の合間に流れてくるときの不快感は大きいです。 もちろん、タバコそのものがどこうではなく、気遣いの問題なのですけどね。 >ひとりでいると寂しくて仕方がないというのも、寂しいという感覚を理解できない >というのもまずいんじゃないでしょうか。そのどちらも何か感覚の欠如を感じます。 >人はそれぞれに性格の偏りや好き嫌いを持っていますが、どこかでそれを補ってい >るものだと僕は思います。 寂しいというと、ぼくは小さい頃からほとんど鍵っ子のひとりぼっちで、 そういう意味での寂しさというのは嫌というほど味わわされました^^;。 小学校1年の時、病気になって入院して数カ月過ごしたのも含めてです。 やはり、小さい頃の孤独な時間というのはひどくこたえるもので、 子供の頃はやはりそういう状態は決して望ましくないと思います。 小さい頃の寄る辺なさの感覚はおそらく大人になってからよりは、 はるかにきびしいものがあると思うのです。 (それで、ぼくの性格がかなり歪んだ側面も否定できませんけどね^^;) でも、ある程度成長した後は、その寂しさに負けてはいけないのだと思うのです。 人間の魂はある意味では孤独の中から成長しはじめるともいえるからです。 孤独のなかで何かをつかむ経験を積み重ねることで、 ひとはその時間の大切さ、かけがえのなさを知っていくのだと思いますし、 孤独でいられるからこそ、他の人と何かを分かち合えるのだとも思うのです。 ですから、ひとりでいると狂わんばかりに寂しいというのは、 まずは、一度実際に狂わんばかりの孤独に 放り投げられてみなければならないのではないでしょうか。 コミュニケーションというのも、やはり自分をある程度確立し、 「他」をきちんととらえることが前提となってはじめて可能性をもちます。 だから、いいかげん歳を重ねて、寂しいとかいって恥ずかしくないのは、 まだお母さんのおっぱいから離れられないでいる赤ん坊でしかないと思います。 赤ん坊なら純粋でいいのですが、心はいっぱい汚れてるから始末におえません^^;。 ちょっと厳しいというか偉そうなことを言ってしまいましたが^^;、 寂しさと逃避というのは裏腹ですから、 ぼくもそうした種類のことを自分のいいわけに使わないようにするための 自戒の意味で言ったつもりです。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 01860/01867 GGA02514 KAZE 感情のコントロールの両側面 (13) 94/10/26 11:15 01851へのコメント 隆ちゃん、どうも。 >当時何故大学院に行きたかったかと言うと、役所に勤めたい=楽して暮らしたいと >同じ様なノリがあったような気がします。 そう、そう、そういう逃避的な感覚はぼくにもありました^^;。 ぼくも最初は大学院に行って講師にでもなれば、 いわゆる「社会に出なくてもいい」状態を続けられると思ってました。 で、何事もなければたぶんそういうことになってたはずなのですが、 やはり人生には自分に必要な試練が訪れるという原則がありまして^^;、 仕方なく、かろうじて、いやいや、いわゆる社会にでてしまったわけです。 そういえば、ぼくの卒論は、「文学的テキストのコミュニケーション理論的考察」を テーマにしたものだったのですが、その最後に、半ば決意のような形で、 「世界劇場」というような内容を盛り込んだのを覚えています。 「書を捨てて街にでよう」ならぬ「大学を捨てて、社会に出よう」ってわけです。 >僕自身がまだまだ感情をコントロールできないので、偉そうな事は言えないのです >が、できないからといってごまかしているばかりでは、進歩がありません。 感情のコントロールというのはけっこう永遠の課題という側面がありまして ちょっとやそっとで克服できるものではないようです。 感情をコントロールすることを感情を磨滅させるというか殺してしまうことと 取り違える方がいるようですが、それはまったく反対のことだと思います。 深く豊かな感情というのは、たとえば芸術などを通じたり、 人との深い関わりを通じたりして、育成していくべきものです。 そのうえで、感情の低次のものへの堕落や暴走をしっかり見つめることのできる 主体の部分を同時に育てていかなないといけないわけです。 最近、以前はすごく学びのガイドにしていた仏教が どうもいまいち好きになれないようになってきたのですが、 それは仏教が感情を殺してしまいかねない方向性をもっているからです。 悪くすると、感情をものすごく貧しくしてしまって、 「悟りマシーン」のような状態をつくりだしかねないと思うのです。 もちろん、後世にはそうでない仏教者も多くいたのも確かですが、 そもそもの原点が、たとえば「女性に近づくな、考えるな、 考えるなら、女性が老いさらばえて死んで腐敗するところを想像せよ」のような 極端な「拒否」の姿勢になるのですから困ってしまいます。 >僕たちも自分自身の「今」と「そこ」「われ」にとって必要な事があるんでしょう >が、悲しいかな「今」の日本は混沌としているような・・・。 混沌というのは、よくすればそこから新しいものが生まれてくる前提でもありますが 悪くすれば、とことんひどいところまでいくということですよね。 ですから「必要な事」がいったいなにかを考え直すことから始める作業が必要で そのためには既成の「型」にとらわれないことが必要ではないかと思います。 「型」というのはともすれば「権力」的になって、 自分の型をひとに押しつけるようになりかねませんから よくよく注意が必要だし、そうならないだけの主体性が必要にもなってきます。   >僕は天を拝んでしまう口ですが、これも単なる方法論の一つに過ぎないと思います。 >勿論、神様を敬う気持ちはありますが、それは同時に自分自身をも敬う事なのです。 大事なのはそれを「方法論の一つに過ぎない」ということを ちゃんと意識していることだと思います。 でないと「拝む」のはすぐに固定化して「そうあるべき」に固まってしまいますから。 しかし、どうもぼくは発想的に信長的な部分というのがありまして^^;、 形に囚われているものに対する破壊衝動が濃厚にあります。 そこらへんは、ちょっと極端に走りすぎるきらいはあるのですが、 ま、こうした世紀末にはそういう発想も少しは必要なような、そんな、ね(^^)。 >確かに彼女は運動会が気に入らなかったのかもしれませんね。 ついでに極端なことを言ってしまうと^^;、 多くの場合、運動会が好きというのは決まりきった権力的なことが好きということで そういう意味では、「運動会が気に入らな」いというのは 非常に素直なのだと思います。 しかし、ぼくは入学式、卒業式をふくめて どうにも儀式めいた型を憎む傾向にあります^^;。 もちろん、そうした傾向はちょっと極端だとは自分でも思っているのですが、 どうもいらいらしてしまうんですよね。 ま、そういう中で、「これは大事だ」とその必要性が認められる儀式があれば それこそ本当に必要なことだと思いますので、 そこらへんの発想も少しはこれから必要になってくるのではとも 自己弁護しておくことにしましょう^^;。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 01861/01867 GGA02514 KAZE シュタイナー●神秘学の記号と象徴●第二講の1 (13) 94/10/27 01:09 最初に、用語とその翻訳についてですが、 オカルティスムおよびオカルティストという言葉を ここで神秘学、神秘学者と訳しています。 この時期のシュタイナーは神智学協会のドイツ支部長をしている頃で まだ人智学としての運動を本格的に展開する以前の場合、 神秘学、神秘学者に近い意味合いをその言葉で表す場合が多かったようです。 この時期には当然、まだ「人智学」は生まれてませんでした。 それに、オカルティスムおよびオカルティストという訳語では、 日本では要らぬ誤解を伴ったイメージが付随しがちですので、 そう訳すのが適切であると判断させていただきました。 では、それを念頭に置いていただきながら、 第二講を4回に分けて翻訳紹介させていただきます。 ●シュタイナー「神秘学の記号と象徴/そのアストラル界・霊界との関係」 <第二講の1/シュトゥットガルト 1907年9月14日>  昨日はノアの箱舟に言及したところで止まりましたが、この箱舟の高さ、幅、 長さの比率の中に、人体の寸法の比が表現されているということがわかりました。 聖書という宗教的古文献のこの箱舟がどういう意味を持つかを洞察するためには、 このとおりに考察せねばなりません。私たちは単に人間を救出しようという乗り 物が人体の寸法を思い起こさせる一定の寸法を取るということがどういう意味な のかを明らかにするのみでなく、あの人類進化の時代、ノアの物語に暗示されて いる実際の出来事が起こった時代へと沈潜することが必要でしょう。  神秘学(オカルティズム)についていくばくか理解した人々が、外界に何か対 象物を見いだした時、それはいつも人間の魂にとってまったく特定の目的、まっ たく特定の意味がありました。ゴシックの教会と大聖堂を、中世初期に成立し西 部から中央ヨーロッパに向けて広がったまったく独自のこの建築物を思い出して みてください。ゴシック教会は確固たる建築様式を持ちます。−−二つの、上に 向かって先の尖った部分からなる独自のアーチが、全体に上方を切望する気分と してあふれていること、支柱が一定の形態をとっていることなどの点で表される 様式です。このようなゴシック大聖堂が、単なる外的な必要性から、例えばあれ やこれやのことを表現したり意味したりすべき神の家をつくろうというある種の 憧れから出てきたものだ主張しようとする人はまったく誤っています。まったく 違うのです。ゴシック様式の基礎になっているのは、もっとずっと深い何かなの です。ゴシック建築物のために世界に最初の理念を提示したのは、神秘学に精通 した人々でした。彼らはある程度の秘儀参入者だったのです。  人類のこの偉大な指導者たちは、このような建築物、建築様式を生じさせるこ とに、まったく特定の意図を結びつけていました。ゴシック様式、ゴシック式大 聖堂と教会に足を踏み入れる人には、まったく特定の魂の印象が呼び起こされま す。そびえ立つ支柱群を備えに高く湾曲したドームの中では、まるで一種の苑 (もり)に踏み込んだような印象です。そこにとどまることは、魂に対して、例 えばあなた方が普通の家屋やルネサンス式丸屋根やロマネスク様式の丸屋根を備 えた建築物の中に入っていく時とは、まったく違った作用を及ぼします。形式か らまったく特定の作用が生じてくるのです。通常の人間にはこのことは意識され ず、これらすべては無意識のうちに彼の意識下に生きます。このような形式に囲 まれている時、自分の魂に起こっていることを人間はあまり理解してはおりませ ん。その時起こることは、その周囲の状況に応じて非常に異なります。人々の多 くは、現代の唯物主義はこんなにも多くの唯物主義的著作が読まれていることに 由来するのだと信じています。しかし神秘学者はその影響はそれほどではないと いうことを知っています。目で見ているものの方がはるかに重要なのです。目で 見ることの影響は、多かれ少なかれ無意識裡に進行する魂の経過に及ぶからです。 これには、きわめて実際的な意味があります。いつか精神科学が真に魂を把握す るとき、この実際的な作用が公共の生活においても目につくようになってくるで しょう。既にしばしば指摘してきたことですが、中世において通りを歩くとき、 今日とはまったく違ったものがありました。左右のどの正面(ファサード)にも、 その家を作り上げた人の銘が刻まれていました。どの対象物も、人々の周囲にあ るものは皆、どの戸錠も、鍵も、その製作者の魂が自らの感情を体現させた何か から作り上げられていました。ひとりひとりの細工者がいかにどの部分に対して も喜びを感じていたか、いかにその中に自分の魂を注いでいたかをはっきり感じ とってください。どんな物の中にも、作者の魂の一部が存ったのです。従って、 外的な形式の中に魂が存る所では、それを見、観察する人にも、魂の力がみなぎ りました。今日の都市と比べてみてください。今日、事物のうちにまだ魂は存る のでしょうか。靴の店、刃物の店、肉屋の店、それにビアホール等があります。 あのポスター芸術のみをとっても、これらはどんな成果を生むでしょうか。ぞっ とするようなポスター芸術!老いも若きも、このようなおぞましい制作物、意識 下の最悪の力を呼び起こす制作物の海の中をさまよっているのです。神秘学的教 育術は、目で見るものが人間の奥深く影響を及ぼすということに注意を喚起する でしょう。それに、現代の風刺雑誌をご覧下さい。いったい何が掲載されている ことか。何ら批判たろうとはせず、単に事実のほのめかしにすぎません。という のも、これらはすべて、人間をある一定の方向に導く力、時代を見定める力の流 れを人間の魂の中に注ぎ込んでいるのです。精神科学者は、それは人間がどうい う形式の世界に生きているかによるということを知っています。  中世の半ば頃、ライン河沿いにドイツ神秘主義と呼ばれる注目すべき宗教的運 動が発生しました。法外な深まりと内面化が、キリスト教神秘主義の指導的精神 たち、マイスター・エックハルト、タウラー、ズーゾー、ロイスブルーク他、 「坊さん方(プファッフェン)」と呼ばれた人物たちから発しました。13世紀、 14世紀においては、「坊さん(プファッフェ)」という呼称は、今日とは異な り、まだいくらか尊敬の意味合いを持っていました。当時ラインは、「ヨーロッ パの偉大なる坊さん横町」と呼ばれていました。それでは、この人間心情の偉大 な深まりと内面化、神的な本質的諸力との親密な一体化を求めるこの敬虔な感情 はどこで生み出されたのでしょうか。それは尖塔迫持(せりもち)、支柱と円柱 群を備えたゴシック大聖堂の中で引き出されてきたものなのです。この聖堂がこ れらの魂を引き出したのです。見られたものはそれほど強力に作用するのです。 人間が見るもの、人間の周囲からその魂に注ぎ込まれたもの、これが人間のうち でひとつの力になります。この力に従って、人間は−−次の受肉に至るまで−− 自分自身を形づくるのです。  ここでちょっと人間の進化からこのことを図式的に魂の前に引き出してみまし ょう。建築様式というのものは考え出されたものではなく、ある時代に秘儀参入 者たちの偉大な思考から生み出されます。彼らは建築様式を世界へ流入させるわ けです。建築物が建てられ、それが人間に作用します。人間の魂はこの形式の中 に生きている霊的な力を幾分か自らの内に受け入れます。建築の形式−−たとえ ばゴシック式−−を見ることによって魂が受け入れたものは、魂の気分の中に現 れてきます。高みを見上げる情熱的な魂として…。数世紀前に人々はゴシック式 の中に生きていたものを自らの内に受け入れました。そして今度は、これらの 人々、この建築の形式の力を魂の中に受け入れた人々の数世紀後を追求してみる と、彼らは今やその次の受肉において、その人相や顔貌に、この内的な心情の顕 現を示しているのです。人間の魂が顔を作り上げたのです。それでこのような芸 術がなぜ用いられるのかがわかります。人類の未来のずっとずっと先まで、秘儀 参入者たちは見ているのです。そのため彼らはある特定の時代に、外的な芸術形式、広 くは外的な建築様式を形成します。このように、人間の魂の中に、未来の 人類の時代のための胚珠が蒔かれるのです。 (第二講続く) 01862/01867 GGA02514 KAZE シュタイナー●神秘学の記号と象徴●第二講の2 (13) 94/10/27 01:10 ●シュタイナー「神秘学の記号と象徴/そのアストラル界・霊界との関係」 <第二講の2/シュトゥットガルト 1907年9月14日>  ここでちょっと人間の進化からこのことを図式的に魂の前に引き出してみまし ょう。建築様式というのものは考え出されたものではなく、ある時代に秘儀参入 者たちの偉大な思考から生み出されます。彼らは建築様式を世界へ流入させるわ けです。建築物が建てられ、それが人間に作用します。人間の魂はこの形式の中 に生きている霊的な力を幾分か自らの内に受け入れます。建築の形式−−たとえ ばゴシック式−−を見ることによって魂が受け入れたものは、魂の気分の中に現 れてきます。高みを見上げる情熱的な魂として…。数世紀前に人々はゴシック式 の中に生きていたものを自らの内に受け入れました。そして今度は、これらの 人々、この建築の形式の力を魂の中に受け入れた人々の数世紀後を追求してみる と、彼らは今やその次の受肉において、その人相や顔貌に、この内的な心情の顕 現を示しているのです。人間の魂が顔を作り上げたのです。それでこのような芸 術がなぜ用いられるのかがわかります。人類の未来のずっとずっと先まで、秘儀 参入者たちは見ているのです。そのため彼らはある特定の時代に、外的な芸術形式、広 くは外的な建築様式を形成します。このように、人間の魂の中に、未来の 人類の時代のための胚珠が蒔かれるのです。  このことを正しく目の前に置いてみると、アトランティス時代末期に起こった ことも理解できるでしょう。もう一度、アトランティスの最期、没落が起こった 時代に目を転じてみましょう。この時代にはまだ今日のような空気というものは ありませんでした。。空気の分布も水の分布もまだまったく異なっていました。 濃い霧がアトランティスを取り巻いていました。霧が雲に凝縮し、流れ落ちる雨 となって大洪水が陸地にあふれました。このアトランティスの沈没は、徐々に段 階的であったと表象せねばなりません。短期間のうちに起こったのではなく、何 千年も続くひとつの経過(プロセス)だったのです。外的な生活状況の変化にと もなって人間そのものも変わりました。それ以前、人々は一種の霊視により知覚 していました。それから雨が降り始めたとき、人々はしだいしだいにまったく新 しい生活の仕方、新たな見方、新しい種類の知覚に慣れなければなりませんでし た。人間の肉体も変化を免れませんでした。アトランティスの人々が今日の人間 とどれほど異なっていたか、はっきりと見ることにでもなれば、皆さんは驚かれ るでしょう。けれども、こうした変化がひとりでに起こったとは考えないでくだ さい。感覚器官を備えた人間の身体は、少しずつ形成されてきたのです。人間の 魂の力が長期間に渡ってこの人間の身体に働きかけ、先ほど簡単な例でお話した ような仕方で作用しなければなりませんでした。まず人間は、建築様式を見ます。 それが彼の心情に作用し、さらにまたこの心情が後世において、人間の顔相、顔 貌に作用するわけです。  アトランティス時代から後アトランティス時代に移行する時期になって初めて、 人間の魂は自らの形を変え、それに続いて肉体も作り変えられました。もう少し 深く入り込んでみましょう。正真正銘の古代アトランティス人を表象してみまし ょう。彼はまだ霊視的意識を有していました。このことは、生活している環境、 霧に満たされた大気と関わりがありました。この環境では、事物は明確な輪郭を もって境界づけられてはいませんでした。それらはむしろ彼の前に浮かび上がっ てくる色彩像、色彩の波浪といったもので、入り乱れてうねりつつ、人々の魂の 状態を彼に示していたのです。自分に近づいてくる対象物の代わりに、アトラン ティス人はひとつの光の形(フォルム)を知覚していました。青は愛、赤は熱情、 怒りなどという具合に。彼を取り巻いて、あらゆる人間の魂の力が広がっていま した。もしこういう状態がずっと続いていたとしたら、人間は決して現在の肉体 を獲得できなかったでしょう。空気が水から解放され、対象がますます明るくは っきりと現れてきて、現在のような境界をなすようになったとき、人間の魂が新 たな印象を受け取らねばならない時期が到来したのです。そしてこの印象に従っ て、魂は自らの肉体を形成しました。というのも、あなた方が考えたり感じたり するものに従って、あなた方は自らの肉体を形成するからです。さて、人間の魂 は、アトランティスの水の風土から救い出されて新たな空気の風土に移行したと き、肉体を今日の形に作り上げるために何を体験せねばならなかったのでしょう か。人間の魂は、後に形成されるべき肉体に合った特定の長さ、幅、深さを備え ているようなひとつの形(フォルム)に囲まれていなければなりませんでした。 この形は、聖書がノアの箱舟と名づけたものによって実際に彼に与えられたので す。神秘主義の気分がゴシック式大聖堂の形から形成され、その形に従ってどん な顔貌が形成されたかを霊視者なら確認できるように、古代アトランティス人の 肉体は徐々に形成し直されました。なぜなら人々は、偉大な秘儀参入者の影響の 下に聖書がノアの箱舟を記述している寸法に従って建造された事物の中で、実際 に生活していたからです。古代アトランティス時代の生活は、一種の水−海上生 活でした。人々の大部分は水上の舟で生活していて、しだいに陸上での生活に慣 れていったのです。というのも、古代アトランティスは単に水を含んだ霧の大気 に囲まれていたのみならず、アトランティスの大部分は海に覆われていたからで す。人々は肉体を今日のようなものに作り上げることができるように、このよう な舟の内部で生活していたのです。これがノアの箱舟の秘密です。聖書から再び 神秘学的な深い意味を読み取ることに通暁すれば、この古文献には、叡智と限り ない崇高さの輝きがあふれるのです。人々は、自分の皮膚に閉じられた印象を得 ねばならなかったので、舟上で生活しました。このように秘儀参入者たちは、何 千年にもわたって人間の育成に作用を及ぼしました。宗教的古文献においてあな た方が出会うものは、まさしく深く秘された真実から取り出されたものなのです。  また別の形象が聖書の第一章に見いだせます。今世紀の蛇の形象です。ローマ の地下納骨堂(カタコムブ)ではさまざまな魚の記号(しるし)が見られます。 この魚は古来、常に繰り返し図像として、キリスト教的なものないしキリスト自 身を意味するとされています。誰かがこうした形象について思索を深めようとす ると、おそらく多分に才気煥発なところが発揮されるでしょうが、それは単なる 思弁にすぎません。私たちは単に真実と関わりを持とうとしているのです。これ らの図像もまた霊的世界から与えられたのです。皆さんが人類進化の歴史におい て数分間私に従ってくださるなら、これらの蛇と魚の象徴にどんな真実が含まれ ているかおわかりになるでしょう。 (第二講続く) 01863/01867 GGA02514 KAZE シュタイナー●神秘学の記号と象徴●第二講の3 (13) 94/10/27 01:10 ●シュタイナー「神秘学の記号と象徴/そのアストラル界・霊界との関係」 <第二講の3/シュトゥットガルト 1907年9月14日>  今一度、地球は人間と同じくさまざまな受肉を経てきたということを思い出し てください。ご存知のように、この地球は地球となる前には土星、太陽、月でし た。人間の肉体はさまざまな惑星状態においてすでに存在していたのですが、自 我は地球上ではじめて人間に受け入れられました。さて、この地球がまだ最初の 受肉状態、つまりまだ土星であったとき、どのように見えたか観照してみること にしましょう。当時はまだ岩石や表土のようなものは存在しておりませんでした。 人間の物質的肉体は存在してはおりましたが、非常に精妙なものでした。それが 徐々に濃密になって、ようやく現在の筋肉の形態となったのです。  今日の私たちの周囲の物質を観察してみると、個体、液体、気体といった異な った状態があることがわかります。神秘学ではすべての個体状物体が「土」と呼 ばれ、「水」と称してすべての液体状の物質、「空気」ですべての気体状、ガス 状のものが理解されます。「火」すなわち「熱」はこれらの状態より精妙です。 今日の物理学者はむろんこのことを認めないでしょうが、神秘学者はこの「火」 が実際、土、水、空気と比較されるものであり、ただこの三つよりももっと精妙 な状態であるということを知っています。皆さんが熱を感じとるところでは、空 気よりももっと精妙な何かが存在しているのです。私たちが神秘学的な意味で、 土、水、空気とみなすものに関しては、土星上には何もありませんでした。これ らの固定した有形の状態は、太陽、月、地球となってようやく成立したのです。 土星上で最も濃密な状態は、熱あるいは「火」でした。この中に人間の体が生き、 土星を取り巻く環−−つまり土星はどれも環を有するわけです−−、これは本来 反射された火の鏡像、火の分泌なのです。このことを更に詳しく述べていると、 本日のテーマから遠ざかることになってしまいます。  さて、土星から太陽へと移りましょう。ここで火に空気が加わります。太陽上 で最も濃密な状態は空気でした。これは一種の空気太陽だったのです。太陽上で 人間は空気存在であり、その時にエーテル体が注入されました。空気存在の他に は何もありませんでした。これらの空気人間は空気のように「透過できる」存在 でしたから、彼らを突き抜けていくことができたでしょう。空気人間たちは蜃気 楼と比較することができるでしょう。それほど彼らは軽くふわふわしていたので す。むろん、古い太陽上の空気は今日より濃密でした。古い月上でようやく水の 状態が生じ、この月上で生きるものはすべて水の凝縮によって形成されました。 今日でも見ることのできるクラゲや軟体動物がこうした水−存在についての表象 を与えてくれます。当時の物質的肉体はすべてこのような性質のもので、この種 の肉体のみがアストラル体を自らの内に受け取ることができたのです。進化はだ んだんと先へ続いていきました。このように物事は、つまり人間と地球は関わり 合っているのです。人間は自らの惑星に属しているのですから。さて今度は、こ の惑星進化の意味を考察してみましょう。土星上には物質体の萌芽・原基がはじ めて存在しました。太陽でエーテル体が付加され、月ではアストラル体が付加さ れました。月上ではしかしさらに別のことも起こりました。古い月が二つの天体、 すなわち一種の精妙になった古い太陽と本来の古い月という二つに分離したので す。当時、古い月上にとどまっていた人間は、基本的に今日の人間よりずっと劣 った存在で、その進化段階はずっと低次のものでした。というのも、アストラル 体は古い月上では荒れ狂う激情にあふれていたからです。ずっと後になって自我 が付加されてからようやくアストラル体の浄化が始まりました。  そのためにはさらなる進化が必要でした。つまり、月が再び太陽と合体し、古 い月と太陽という二つの天体が再びひとつにならねばなりませんでした。[筆記 に欠落]分離した太陽上に生きていた高次の存在たちは、彼ら自身の進化を続け ることができるためには、月から離れねばなりませんでした。けれども今度は、 この月上に残された存在、そこでさらに固化してしまった存在を救済せねばなら なくなり、それで太陽は再び月と一体化せねばなりませんでした。  さて、ひとつ問いを出してみましょう。もし太陽と月とが再びひとつにならな かったとしたら、両者が別々に進化を続けていたとしたら、どんなことが起こっ ていたでしょうか。その時は、人間は決して今日のような形態を保つことができ なかったことでしょう。古い月が自らの道を単独で進んでいったとしたら、つま り、太陽との合一によって新たなる力を創造することができなかったとしたら、 月が生み出すことができたであろう最高の存在は、おそらく今日の蛇のようなも のであったでしょう。それに対して、太陽存在は−−彼らが単独のままだったと すれば−最高のものとして魚の形態に到達することができたでしょう。魚の形態 は、人間よりずっと高度に進化した存在たちの外的な現れなのです。魚の集合魂 は、実際今日でもとても高度なものです。外的な形態は魂とはまったく別のもの なのです。それでは古い月の存在たちを蛇よりも高める力はどこからやってきた のでしょうか。この力は、太陽の存在たちから彼らのもとへやってきました。こ の高次の存在たちの太陽状態の清澄さが魚の形態の中に表現されています。それ は古い太陽存在たちが獲得できる最高の物質的形態であるからです。  それで太陽の力のすべてを地球に受け付けた太陽の英雄、キリストは、魚の記 号(しるし)によって象徴されるわけです。どんな深い直観をもって秘教的キリ スト教が魚の形態の意味をとらえたか、今や皆さんにはご理解いただけると思い ます。魚の形態は秘教的キリスト教にとって、太陽の力、キリストの力の外的な 表徴なのです。なるほど魚は外的には不完全な存在ですが、魚はそれほど深く物 質の中に入り込んでいないので、利己主義に満たされることが少なくてすむので す。 (第二講続く) 01864/01867 GGA02514 KAZE シュタイナー●神秘学の記号と象徴●第二講の4 (13) 94/10/27 01:11 ●シュタイナー「神秘学の記号と象徴/そのアストラル界・霊界との関係」 <第二講の4/シュトゥットガルト 1907年9月14日>  神秘学者にとって蛇は、古い月から進化した地球の象徴です。一方、魚は古い 太陽の霊存在たちの象徴です。固体的実質を備えた私たちの地球は、蛇の中にそ のもっとも深い存在、地球存在を象徴化しました。水の実質として分離されたも のは、魚の中に象徴として示されています。神秘学者にとって魚は水から生まれ たもののように思われます。さて、それでは空気から生まれたもの、火から生ま れたものとは何でしょうか。これは追求していくのが困難な分野です。ここでは いくつか暗示的なことをお話するだけにとどめておきます。  地球がまさに土星状態から太陽状態へと進化して移行した当時は、どのように 見えたのでしょうか?人間は一種の空気人間でした。今日の意味での死というも のを人間はまだ知りませんでした。人間は自らを変態させていたのです。人間が どのようにして今日のような死についての意識に行き着いたのか、ちょっと図を 描いてはっきりさせてみましょう。地球が土星状態から太陽状態へと進化してい った時、人間の魂はまだ太陽を取り巻いている気圏内で生きていたのですが、下 方に肉体として存在していたものと関わりを持っていました。今日において、夜 眠っている間、アストラル体は物質体から抜け出てはいても、物質体に属してい るように、古い太陽と古い太陽上においても、アストラル体はそのような状態で した。ただ、当時においては魂は決して物質体の中に入り込むことはありません でした。霊的な意識をもったひとつの魂がなるほど特定の肉体にすでに属しては いましたが、外から肉体を管理していたのです。それはこのように表象せなばな りません。  魂は<外的なもの>だったのです。この肉体はまだ死の法則に属してはいませ んでした。成長と死滅は今日の場合とは違う形で起こっていました。肉体がある 部分を失うと、新しい部分が再生されたのです。今日たとえば空腹と食物が関わ っているように、物質体の崩壊と再生とのこのような関係が生じました。長期に わたって魂が生き続ける一方で、肉体は変化していきました。当時は、いかなる 死もありませんでした。こうして太陽状態のある時点から、人間の魂がある特定 の肉体をまず形成し、それからその肉体をさらに別のさまざまな形に作り変えて いくようになったのです。最初にある一定の形の肉体が形成され、それから魂が この形を別の形に変化させ、さらに別の形に、それから第四の形に…という具合 に続いていき、再び最初の状態に戻りました。人間はその間ずっと同じ意識を保 持していました。形は変化を重ね、人間の魂が二つの状態を体験した後に、最初 の形に戻った時、魂は新たに受肉したように感じたのでした。このような進化の 過程は蝶において保持されているのがおわかりでしょう。蝶は、卵、幼虫、蛹、 蝶という形で変態しています。蝶は、古い太陽上での、空気状態の人間を表す象 形文字、記号なのです。まったく変化してしまった環境に生きている今日の蝶は、 むろんこの太陽状態の衰退した形です。蝶は、人間が乗り越えてきた空気状態の 象徴なのです。ですから、蝶は、神秘学においては、空気−存在と呼ばれるので す。同様に、蛇は土−存在、魚は水−存在と呼ばれます。鳥が空気−存在と呼ば れない理由は、後ほどもう一度述べようと思います。  さて、最初の土星状態まで戻りましょう。この時、人間は霊的−魂的存在であ って、総じて同じ肉体を持ち、低次の段階で自らの不死を知り、その肉体を絶え ず変化させていました。こういう状態も、ある存在の中になおも保持されていま す。その共同生活は非常に独特で、これを集合魂とみなしますと、ある意味で人 間よりずっと高次の存在といえます。つまり、蜂のことです。蜂の巣全体は個々 の蜂とは違うとみなされねばなりません。蜂の巣−−個々の蜂ではなく−−は、 ひとつの霊的な本性を持っています。これはある意味でかつての土星における低 次の段階での人間の本性と一致するのですが、人間は金星状態において、高次の 段階で再びこの本性に到達することになりまう。蜂の体は、古い土星段階にとど まったのです。私たちは蜂の巣と個々の蜂とをよく区別しなければなりません。 蜂の巣の魂は通常の集合魂ではなく、それ自体特別な存在です。個々の蜂は、形 態の中に、人間の肉体が土星で行ったようなことを保管したのです。蜂の巣の霊 は、個々の人間の霊よりも高次のもので、今日すでに金星−意識を有しています。 蜂は死すべき運命について何も知らない霊人の象徴なのです。この惑星がまだ火 のような状態[土星]であった時に有していた霊性に、人間はこの惑星が金星と なって再び火のようになる時、高次の段階でもう一度到達するでしょう。それゆ え、神秘学では蜂を熱−存在あるいは火−存在と呼ぶのです。  自然科学があまり多くを語れない平行現象を追求するのは大変興味深いことで す。いったい今日の人間は土星状態から自らの中に何を受け継いだのでしょうか。 熱です!血液の温かさです。当時土星全体に分布されていたもの、つまり熱が解 き放たれ、今日の人間と動物の温血を形成したのです。蜂の巣の温度を調べてみ れば、それが人間の血液とほぼ同じ温度であることがおわかりになるでしょう。 つまり、蜂の巣の全体が、人間の血液の温度に相応してこれと同じ進化段階に戻 るような温度を展開しているのです。そういうわけで、神秘学者は蜂を熱から生 まれたもの、熱−存在と呼ぶのです。同様に、蝶を空気から生まれたもの、空気 −存在と呼び、魚を水−存在と、蛇を土−存在と呼びます。  以上のような言及からも神秘学的象徴や記号が表現しょうとするものが、いか に深く惑星と人間の進化史と関わり合っているかおわかりになると思います。 (第二講終了) 01865/01867 GBB03425 Paper Birch RE:魔術的磁気論その1(長文) (13) 94/10/27 07:02 01848へのコメント 秋端さん、どうも。 「あきば」と読めば良かったんですね。辞書に登録させていただきました。(^^) | 魔術のノウハウ面、つまり技術的なアプローチについては、実践魔術講座 |の一部を国書刊行会の『召喚魔術』<黄金の夜明け魔法大系4>の解説に載せ |ましたので、機会があったら立ち読みして下さい。わたしが責任編集した同 |シリーズは箱入りなので価格が高く専門外の人には買って下さいとは言いづら |いので。 おお〜(*o*) 魔術の本格的な研究者だったんですね。 おみそれしました。 魔法大全のシリーズ、昨日、本屋さんで見ましたよ。 確かにあの価格では手が出ませんです、はい。(;_;) では、これからもよろしくお願いします。m(-_-)mm(_ _)mペコリン                        △▼△ Paper Birch △▼△ 01866/01867 GBB03425 Paper Birch RE:EMの事など (13) 94/10/27 07:02 01849へのコメント コメント数:1 隆さん、どうも。 |ただ、DUO230を日本語環境で使うのはどうでしょう。僕はCCIIでワープロを打つ気 |がしません(^^;)。レスポンスが悪くてイライラしてしまうのと画面が小さいので目 そうですか? 僕は、キーボードに入力する時点で既に遅いですし(^^;; 他のパソコンを知りませんから、何とも言えないです。 もしかして、文章の作成を最初からワープロソフトでやってませんか。 僕の場合、ワープロソフトは、統合ソフトのクラリスワークスのを使っていますが 確かにイライラします。はっきり言って、あれでは文章の作成は出来ません。 ですから文章を書くのは、専らエディッター(フリーソフトのEdit7)を使っています。 一応僕の場合、これでストレスが溜まることはないですよ。 クラリスワークスで書いているときよりも、変換のレスポンスも早いですし。 印刷したいときだけカット・アンド・ペーストで、ワープロ書類にしています。 |FirstClassのクライアントみたいなGUI環境だといいですね(^^)。歳をとるにつれて、 |だんたんズボラになって行く私・・・。 残念ながらGUIでは無いようですよ。 でもGUI環境の新しい通信ソフトも出るみたいですね。 マックライフに広告が載ってました。 ま〜、どんどん便利になっていきますねぇ。 |んがきちんと説明できるのかどうかは知りませんが、本の性質として、ややこしい |話は省略してある可能性もあるわけです。もちろん、理論的な説明はできないが、 |現象として確認したという類の話かもしれませんが、だから「非科学的」だとも言 |えないと思います。ま、あの本は現象の追認のような部分もあまりないとも言えま |すが・・・(^^;)。 いえ、ですから「そういう現象はあり得ない」と言うのではなくて あまりにも唐突に、そういう話が出てくるので 「ちょっと待ってくれ。ホントに根拠があって、そんな事言ってるの?」 と言う気持ちになったという事です。(←微妙に違うのだ^^;) しかし、そうですね。 いきなり「非科学的」とは、僕も言い過ぎだったかも知れませんね。(^_^;ゞハンセイ 確かにあの本では、そこまで踏み込んで説明は出来ないと思いますが 同時に、ただの思い込みで、ああいうことが書かれている可能性もあります。 両方の可能性を、それからその他のいろいろな情報も考え合わせながら 総合的に判断していきたいモノだと思っています。 多少いかがわしいところや、懐疑的な報告があるからと言って ヒステリックに否定に走るような事はしないつもりですから、ご安心を(^^) もう、お分かりかも知れませんが 僕の基本的なスタンスとして、懐疑的な方向からのアプローチというのがありまして。 どんなにもっともらしく思える理論でも、とりあえず疑ってかかる。 信じる前に、まずは否定的な情報に目を通す。 ....という事を、必ずするようにしています。 理性的な思考方法さえ失わずにいれば、どんなに疑ってかかっても 事実は、ビクともしないはずですから。 レ・ミゼラブルの一節に、こういうのがあるでしょ。 「事実は頑固なものだ。」(うろ覚え^^;) そうそう。今日、電車のなかでEMの本を読んでいたら 隣に座っていた人が話しかけてきまして(^^) その人は、実際にEMを使って農業をやっている人のようで いろいろと教えて貰えました。 すぐに降りる駅だったので、ホンの短い時間しか話せず残念です。 それにしても、こういう事もあるんですねぇ。                       △▼△ Paper Birch △▼△ 01867/01867 GGA02514 KAZE 理性と事実 (13) 94/10/27 12:05 01866へのコメント Paper Birchさん、どうも。 ちょい、割コメですが、 >僕の基本的なスタンスとして、懐疑的な方向からのアプローチというのがありまし て。 >どんなにもっともらしく思える理論でも、とりあえず疑ってかかる。 >信じる前に、まずは否定的な情報に目を通す。 >....という事を、必ずするようにしています。 シュタイナーも「咬みつくような疑念」(だったと思う)をもつ必要性について 「薔薇十字の神智学」のなかで言ってましたが、 ぼくとしてもやはり「信仰」ではなく「懐疑」から入る方です。 その「懐疑」というのこそは哲学的考察にとっても必要な方法論のひとつですし。 でも、魂の態度としては、なんというか、世界への信頼感のようなものがないと 懐疑のための懐疑になってしまいますから気をつけたいですね。 それと、「否定」と「懐疑」というのはちょっと違うと思いますので そこらへんの態度については気をつけたほうがいいかもしれませんね。 物事は、否定と肯定の二種類で測れるような そんな二元論では片づけられないからです。 特に、テーマによっては、「懐疑」ではなく、まず「信頼」が必要なことも多いです。 ですから、方向をかえていうと「盲信は慎むべきだ」ということなのでしょう。 >理性的な思考方法さえ失わずにいれば、どんなに疑ってかかっても >事実は、ビクともしないはずですから。 そこで問題になるのは「理性的な思考方法」ということと「事実」ということですね。 まず、「理性的な思考方法」ですべてが片づけられるかというとそうではありません。 たとえば、実験結果に意識が反映してしまうという問題などもありますし、 倫理的な問題もそこには深く関わってくるのは避けられません。 生物学や心理学でも、まともなものでいえば(まともでないもの多いけど^^;)、 感情や感性といったことを抜きにしては成り立ちませんし、 「事実」も決して一様では測ることはできません。 かつての唯物主義的な見地からいえば 「事実は、ビクともしない」のでしょうが・・・^^;。 そもそも科学の原点には「感覚」があります。 その感覚は非常に狭義の五感的なものに限定されていて、 それで測定したものをある観点から「判断」していきます。 その「判断」にはよくいわれるように「パラダイム」があって、 その科学的信仰・信念の枠組み^^;とでもいうべきものにそぐわないものは 「非科学的」とみなされてしまいます。 もちろん、それは多くの場合、適正な基準設定のためのものでもありますが、 それが同時に、悪くすると一種の魔女狩り的な様相を呈してきます。 それと、実験をするときに用いる感覚というのがくせもので、 それが果たしてどこまで「一般的」なものかもよノ かりません。 「一般的」なものとして誰でもが認める感覚というのは非常に陳腐なもので その陳腐な感覚しか認めない科学であれば、それは陳腐な科学でしかありません。 そしてもちろん、科学として認知されていることであっても、 実験によって追試できるものというのはほんのわずかなものです。 ですから、「懐疑」というのは、 >理性的な思考方法さえ失わずにいれば、どんなに疑ってかかっても >事実は、ビクともしないはずですから。 ということに対しても、無論、向けられなければならないのではないか ということも言いたかったわけです。 そこらへんの「前提」だと思っていることというのがけっこうくせ者で そこから一種の「否定」をつむぎ出していくことで排除される豊かさというが ほんとうは大事だったりすることもあると思うのです。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES(14):★Room 666/預言解読の部屋★・・・・YHVH 94/10/27 - 02576/02576 GBG02043 維/YUI どうでもいいような、コメント (14) 94/10/25 20:50 02575へのコメント このあいだ、能登半島へ行ったときのこと。 気多神社のおみくじには、鵜が描いてあった。 なんでも、古来より続けられている神事で、鵜が神前にお参りをする様子で、 来年の吉凶を占ったんだそうだ。 鵜がそういう鳥さんだとはじぇんじぇん知らなかったよん。                         それだけ。 維/YUI PS: ちなみに、今年の12月16日には、どんな参り方をするのだろう・・・。   興味ある方は、12月16日に羽咋の気多神社に行ってみてください。   いい感じの社ですが、ちょっと観光地化が進んでいるのが、つまらない。 - FARION MES(18):★二人三脚ネットワーク実験室★・・・・あもり 94/10/27 - 01908/01909 GBA01052 CHARAN RE:10年ね。。。 (18) 94/10/25 16:50 01907へのコメント いやあ、受けてますよ。最近の発言。 ところで、現実を観るのはもう始まったのかなぁ?なんて フト思ったりするんですが、やっぱし10年問題が片づかないとそうもいかない? とっても無責任な外野の一番はしからのヤジみたいなもんですから、 気にしないでね。 01909/01909 GDB00302 いのり 10年かあ、、 (18) 94/10/26 21:59 初めて発言します。 主に7番会議室をROMしています。 先日RTで、18番にもお越しくださいませと、 お呼ばれされたので、覗いて見ました。 10年という時間について いぜん通っていた英語学校の先生が、 毎朝、ラジオ講座を聴いていたそうです。 10年目のある朝目が覚めた時、 「私はもう、いつでもどこでも英語が話せる!!」と、 感じたという話でした。その先生は10年間、 1日も欠かさずに聴き通したという事でした。 10年の積み重ねのなせる技に私は感動しました。 毎日続けるということは、私にとって たいした挑戦であります。 せめて流れをとぎらせぬように、ぽつぽつ飛び石のような 努力を紡いで行くのが精一杯です。 思い返せば20代にはいって、いまひとつ焦点のさだまらぬ 目的意識しか持っていなかった。私のここ10年とはその様な日々でありました。 - FARION MES(19):※精神世界/見聞録/ぶっ飛び話/アレコレ・・・・ 94/10/27 - 359/364 TAB01276 ROマン RE:お願い致します  (19) 94/10/25 22:59 354へのコメント コメント数:4   あっ 英雄さん、こんにちは   結局、英雄さんも霊障者と判断したわけですね。アキラ  さんの危惧は、聞きかじりの知識で「この人は霊障者だ」  と判断することに対するものだったと私は受け止めています。  >あなたの示した方法も充分「半端」だと思いますがね。   そうです! 半端です。というか、即効性がなくて根気  のいる方法です。それをあえて言いました。   なぜならば、最初のコメントで申しましたように、霊的  な処置で仮に憑依がとれた場合というのは、単に蝿を追っ  払った程度のものなんですよ。蝿は追っ払っても追っ払っ  ても戻ってくるでしょう? それと同じなんです。そうい  うことはお勧めできません。   それだけではありません。そういう霊障者を治すような  霊能者の家というのは、救われたい悪霊の溜まり場になっ  ていて、とれた代りに他のものをもらってくることだって  多いと言われています。精神病院のようなところも、似た  ようなものでしょう。   憑依するには憑依するだけの理由があるのです。それは  人それぞれですから、私には判定できません。本人といつ  も会っている方なら少しはわかるかもしれません。結局、  本人の心が低級霊を呼び込んでいるのですから、この心が  変わらない限り、解決にはなりません。   自分が不機嫌な時を思い浮かべてください。その時に、  やさしい笑顔で接してくる人を見ると、自分が汚れて見え  ませんか。後ろめたく感じるなら、それが反省の心です。   他の人が「これが光だよ」と見せないと、闇の中にいる  人はそこが闇だと、なかなか気がつかないのです。心を変  える気になりません。ここが重要なんです。   もちろん、即効性のある方法もありますよ。幸福の科学  には憑依をとる修法もいくつかありますよ。講演会に行っ  てもとれますよ。講演会のビデオやテープを一日中かけて  いれば、悪霊はよりつけませんよ(^^)。簡単です。国家予  算並みの費用はいりません。テープは1本2千円からあり ます (^^) 。地元の支部に相談されたら適当な手段を教え てくれるでしょう。   ただ、私はやはり、原因を取り除くことを本人が決意し  なければ根本的な解決にはならないと思うし、本人が反省  できる状態でなければ、周囲の人に努力してもらうことが  一番だと思っています。   それと、今回は特別な例でしたが、私たちの全員が普段  の生活の中で、なんらかの形で悪霊の影響を受けているん  だということを知ったとき、単に症状が重ければ病院行き、  という考えではいけないな、と感じていただきたいのです。                     ROマン 360/364 SDI00635 みれ RE:お願い致します (19) 94/10/26 05:42 359へのコメント  #359 ROマン さん  こんなこと言うと非常に気を悪くされるだろうと思いますが、 あなたの「思い込み」は所謂、憑依の波動システムにとても似て いるんですよ、お気付きですか?  そもそも或る霊について、高級だの低級だのとランク分け出来 る程の能力を有した程の人が、一般の人に対して低級霊だの高級 霊だのと話すなんてことからして、私には信じられない事です。  幸福の科学の公演会に出かけたら憑依が取れるとか、テープを 一日中聞いていたら悪霊に憑依されないなんて、本気で話されて いるんですか? あなたは憑依現象を見たことがあるのですか?  やや不躾な質問の仕方になりましたが、悪意ある質問ではあり ませんので、その辺をご理解頂ければ幸いです(^_^;) ・:*:・みれ・:・。,★ 361/364 CXK03125 月狼 Re*2:お願い致します (19) 94/10/26 08:39 359へのコメント   初めまして>ROマンさん   うんと(^^; 特にどうと言うことはないんですが、   ちょっと意見しますね。   なんとなくですけど、ROマンさんのお話しは、某幸福の書籍に書かれている   事そのまんまって気がしますね。   本に書いてある事をそのまんま、しかも自分の血肉からの知識であるかのように 披露することを、 一般に「受け売り」と言いますが、こう言う姿勢はあまり褒められたものでは   ないと思うのですよ。(自戒もこめて)   僕は昔、高橋信次、高橋佳子両氏にいれこんでいた時期がありました。 彼らの書籍で得た知識をそのまんま他人に語り、しかもそれをさも自分独自   の考えかたであるかのような訳知り顔で他人に語ったなんてこともありました。   でそう言う事をなんの疑念もなしに続けていくうちに、 受け売りなのか自分独自の考えなのか、わかんなくなって、 結局、何が本当の自分の考えなのか(._・)??・・・なんてことがあったんですよ   自分を見失うと言う弊害はもちろんですが、情報の精度を高める意味でも、 相手への礼儀としても、 せめて、自分独自の学びなのか、他人の学びのか? の区別をつける書き込みかたをするのって大切なんじゃないかなって   まぁ、受け売りはいけません!と言うのも受け売りだったり・・・・・なんて話し   がなくもありませんが(笑)   ひとまづ  宗教界に蔓延している「受け売り」と言う害悪についてどう思いますか??                                   月狼 362/364 MGH00465 アキラ RE:お願い致します  (19) 94/10/26 08:51 359へのコメント  ROマンさん。  私が危惧したのは、聞きかじりの知識で判断することではなく、聞きかじり の知識によって、こうした微妙な問題について助言することにより、助言され た側がさらに悪い結果を招き寄せてしまう危険性を危惧したのです。  あなたの憑霊現象に関するコメントは、幸福の科学の「教義」を単にコピー したものにすぎません。その幸福の科学の教義ですら、GLAの教義の粗雑な コピーです。  以前の発言で、幸福の科学は「個性を尊重する」というようなことを書かれ ていましたが、その「個性を尊重する」という言葉すら「教義」にしかすぎな い。恐らく、幸福の科学の会員に同じ質問をしたならば、誰もがまったく同様 な返答をするでしょう。個性の尊重を言葉では唱えながら、その実、まったく 同じ言葉しか喋れないコピー人間を大量生産しているのが振興宗教というもの です。                       ↑新興  そこには、個性などどこにも存在しません。  新興宗教の信者は、誰かに「助言」する機会を探し求め、いざその機会が訪 れると、「教義」そのままを開陳することに夢中になります。それが相手のた めであると本人は確信しながら、その実、自分が学んだ受け売りの知識を開陳 することで自慢をしたいのです。 「自分はこれほどの素晴らしい知識を得た立派な人間なのだ。その成果を下々 の者に分け与えてあげよう」。そんな心理的傾向が明確に見られます。 |ここでもっとショッキングなことをお話しますと、私たちは日常的に |悪霊の影響をうけているんです。  このセリフには、「一般大衆には、こんな『真理』は知るわけないだろう」 という傲慢がありませんか?  私にとって憑依現象の存在は自明のことなのですが、そうした可能性は考え ませんでしたか?  ROマンさんは、私の見るところ、宗教という妖怪に完全に魂を売り渡すと ころまでは至っていないように思えますが、これ以上引き込まれないように願 うばかりです。                           MGH00465 アキラ 363/364 MXB01131 片岡 こんちは (19) 94/10/26 13:02 皆さん、こんにちは。 ROMしてますhayと申します。FARIONには初めての書き込みです。 ここの動きをみて、とくにアキラさんの書き込みをみて、 ちよっと発言したくなりました。 「自己啓発セミナー」 について皆さんはどう思われてるのか聞きたいんです。 (アクチィブの皆さんにはもう自明のことだとはみえるのですが・・・) 「自己啓発セミナー」と「新興宗教」って似てるなと思うのですが、セミナーには教義がない 分やっかいで人を惑わす怖さを僕は感じてます。 なぜかというと、「なにを手に入れるか」 「どんな価値を作り出すか」というのは 全く個人の問題で、何の指示も教えも取り敢えず表面上はないからです。 僕は1カ月ほど前にセミナーに参加して、多少の予備知識があったのもかかわらず すくなからずショックを受けました。 それは、その場で普通の人が手に入れるであろうものは言葉にすれば 「気付き」 「素直さ」 「信頼感」 とかいったものなのですが、 (それはユダヤ世界戦略用語(?)でいう所の「平等」 「博愛」と同じようなものだと思った) 「薄っぺらい」 「観念上の」 「見せかけの」 「ウソの」ものだと思ったわけです。 「偽物だぞ!!」そう思ったけど、その場にいる皆は感動!している・・・ その時の虚脱感・・・ しかし人が「欲しがってるもの」 は、僕は人に対する「信頼感」だと感じているので (ここで他の人もそうなんだと思ってしまうんですが) なんかそれが手に入ったような気になるんですね。 ただしセミナーのトレーナーは何も言わない。 何も。 ただ そこ(その場)で最大限の価値を作り出す方法は ・100パーセント参加する ・責任を取る ・援助する ・正直になる ・思ったことを発言する ということは言われます。 (卑怯だぜ、あんた!!!(トレーナーにむかって言ってる)蚊帳の外にいて知らんふりかよ!!うーーん、ヂィスインフォメーションだあー・・・ 皆さんの意見が聞きたいです・・・・・・ hay /E 364/364 JCF00616 優位 幸福の科学を知らない立場から… (19) 94/10/26 21:29 359へのコメント 〔優位よりROマンさんへ〕  はじめまして、ちょっと読んでいて気になることが少々ありました  ので、コメントさせてください。  私は、レスをつけた他の方と違って「幸福の科学」なる宗教団体に  じかに接して情報を収集したことはありません。もちろん、予備知識と  して噂は聞いておりますが、噂には責任を持てませんので、「幸福の科学」  を知らない立場として発言することにします。 >  それと、今回は特別な例でしたが、私たちの全員が普段 > の生活の中で、なんらかの形で悪霊の影響を受けているん > だということを知ったとき、単に症状が重ければ病院行き、 > という考えではいけないな、と感じていただきたいのです。  私は「単に症状が重ければ病院行き、という考えではいけないな、」  という部分に、甚だ疑問を感じざるを得ませんでした。というのも、  ROマンさんは、霊障を治療する方法として、いとも簡明に以下のように  答えられているからです。 >  もちろん、即効性のある方法もありますよ。幸福の科学 > には憑依をとる修法もいくつかありますよ。講演会に行っ > てもとれますよ。講演会のビデオやテープを一日中かけて > いれば、悪霊はよりつけませんよ(^^)。簡単です。  少なくとも私には、「簡単に直したいなら、幸福の科学の方法もあるよ」  と言われているように思えます。でしたら、先程ROマンさんは御自身が  示されたように「霊障なら幸福の科学行き、という考えではいけないな、」と  いった考え方に、必然的に行き着くのではないでしょうか?  それなのに、何故「即効性のある方法」として、幸福の科学の方法を挙げて  しまわれたのか…?これは、私の推測ですが「霊障に関しては、病院でなく、  霊障に関する専門医(=幸福の科学)を私は知っている」と言われている  ように感じられました。その点では専門的な知識は役に立つのですが、  その後の「責任」については触れられてはいません。  もちろん、この発言が他の方への好意に基づいているにしても、  その推薦した結果について、どれほどの自信がおありでしょうか?  もちろん、方法を選択するのは質問された方でしょうが、ROマンさんは  自らの経験に基づく適正な判断を、自信を持って「ある」と言えますか?  もしも、その判断に関して責任を持つことができないのであれば、  予め「私は知識はあっても豊富な経験(体験)はありません」と明言し、  「私の発言に責任を取る事が出来る/できない」ということを付記した上で、  質問された方に確認を取るという手順を採用されてはいかが?と思います。  余り良い噂は耳にしない「幸福の科学」という団体のレッテルを  ROマンさんに貼り付けずに、純粋に疑問を呈してみましたが、  いかがでしたでしょうか。  (もちろん他の方がレッテルを貼っているんだと決め付けているのではない  ということを、ご理解して頂ければと思います) ∋- Tanaka 。◎ 。Masanori -∈ >