- FARION MES( 2):【居酒屋1999】--------自己紹介・雑談 94/10/29 - 02870/02880 JCF00616 優位 最初のRT体験っていうと… ( 2) 94/10/28 19:00 02869へのコメント コメント数:1 〔優位より月狼さんへ〕  こんにちは、月狼さん。 > 一番最初のチャットの時は、心臓が早鐘を打ち、手が震えたのを覚え >  てます(^-^;)  コレコレ(^-^)!僕の場合は、課金と電話代にハラハラしてチャットを  始めたというのを覚えています…といっても、小学5年生の時。  あの頃は、1000円でも「高い」という価値観が根付いていた時代  でしたから、ホンの少しの時間が経過する度に、ドギマギしたのを  覚えています。  めのうさんも、ここは一発、チャレンジされてはいかが(^^)? ∋- Tanaka 。◎ 。Masanori -∈ 02871/02880 JCF00616 優位 クイズの答え ( 2) 94/10/28 19:00 02850へのコメント 〔優位より英雄さんへ〕  僕も、RTなどで課金を浪費しすぎたクチでしたので、  来月以降は特別な用件の無い限り、RTには出没しないことにしました(^^)  (みなさんとRTで会えなくなるのは残念です(・_・、)) > 写真を撮ることと、文章を書くことには共通点があります。何だと思 > います?(ヒント:どちらにも必要だ、というもの)  わかりませ〜ん(^^; ちょっと曖昧すぎて、つかみ所が…(^O^;  スイマセン、答えを教えて下さい>マニアー オット、マスター(笑) ∋- Tanaka 。◎ 。Masanori -∈ 02872/02880 JCF02051 めのう ナゾな出来事、その後 ( 2) 94/10/28 21:27 02837へのコメント  「郵便物はなかっただろうから大丈夫」と思っていたのは大間違いで、どう  やらクレジットカードの請求書が入っていたようです。  あれってカードの番号が載っているよなあ。  ということは、チケットの電話予約とか通信販売とか、番号だけで使うこと  もできるじゃないの!  「このビンボーなときに万一悪用されたら...」と思うと急に心配になって、  結局カードを再発行してもらうことにしました。  皆様もお気をつけください。                         ◆◆ めのう ◆◆ 02873/02880 JCF02051 めのう RE:冬はいいが夏は(^^;) ( 2) 94/10/28 21:27 02860へのコメント  #2860 樹さん  するする、すご〜く「ほっ、、」とします。  旦那とほんとうに二人暮らしだったら、ウチって、きっともっと殺伐とした  家庭なんじゃないだろーか。まさに「子はかすがい」状態です。  そうそう、猫ってズルい。ちゃんと暖まったころを見計らって布団にもぐり  こんでくるのね。  うちの猫は、片方が私の脇の下、もう片方はどういうわけだか私の股の間で  寝る習慣がついてしまいました。よって私はいつも大の字になって、旦那を  けとばしながら寝ています。  日曜の午後に猫とお昼寝。幸せこの上なし(^_^)                        ◆◆ めのう ◆◆ 02874/02880 PXH01650 英雄 ブラントン ( 2) 94/10/28 22:18 02358へのコメント みれさん、YUKOさん ほう、ブラントンにはそんな思い出があるのですかあ(^^)。 いい飲み友達ができてよかったですね〜(^^)。 んじゃあまあ、つまみはサ―ビスしますわ。ハニ―ナッツとシナモン サラミでいいですか。 :ますたあ: 02875/02880 PXH01650 英雄 RE:提案で〜す(*^_^*) ( 2) 94/10/28 22:19 02863へのコメント 賛成で〜〜す(^^)/。 もう身がもたなくなったぞおい(^^;。ついでに課金も...(;_;) しかし、終わる時間は変わらないような気もするが...(^^;; :英雄: 02876/02880 PXH01650 英雄 RE:芸術会議室!? ( 2) 94/10/28 22:20 02862へのコメント コメント数:1 優位さん またまた酸性、もとい、賛成で〜〜〜す!(^^)/。 まあ、いずれは会議室になるとは思うけれど、とりあえず、この店内 につくっちゃいましょうか。なに、亜空間のこと、拡張なんて簡単よ。 さっそく...そうだ!宿題の答えは? (問題)「写真を撮る」ことと「文章を書く」こととの共通点は? :英雄: P.S   あら、いれちがいね。じゃあ、ヒントは後ほど...(^^)/。 02877/02880 GGD02212 スウ 寝言 ( 2) 94/10/28 23:42 忙しくて眠る暇も無い皆様、眠ろうとして眠れない皆様に代わって、私が タップリ睡眠をとらせて頂いておりますので御安心を…(=_=)(-o-)(_ _).zZZ ???          夢会議室[FARION.MES(10)]議長 スウ( ).。oO 02878/02880 JCF00616 優位 RE:芸術会議室!? ( 2) 94/10/29 00:05 02876へのコメント 〔優位より英雄さんへ〕  でわでわ、賛成を一票、追加しときま〜す(^^)  そういや、ここは次元も謎の亜空間だったんでした(・_・;  拡張とは言わずとも、物は試しで隅ッこの席に陣取らせて頂きますね(^-^)  賛同者の方々、ますたーが太っ腹で良かったですね(*^^*)  さァ〜て、さてさて、一体全体どんな展開になるのやら....(^^;  まあ、そこにお座りの皆様方も、とくと見物なさってくださいませ(笑) ∋- Tanaka 。◎ 。Masanori -∈ 02879/02880 JCF02051 めのう RE^2:私もRTをしてみたい ( 2) 94/10/29 00:09 02869へのコメント  #2869 月狼さん  どうも〜(^_^)  課金9万円...シャレにならないよー(^^;  それでなくても最近ダウンロード猿と化して、課金と電話代が膨れ上ってい  るというのに。シェアウェア代金もばかにならんし。  CBって、RTよりも沢山の人がいてコワイなーというイメージがあります。  きっとやってみると全然違うんでしょうが...小心者だから、私(^^;  そのうち勇気をふるってRTに参加するかもしれません。  常連さんの中にひょっこりお邪魔したら浮いてしまったりして。  無口になってもいぢめないでね(笑)                           ◆◆ めのう ◆◆  p.s.定例RTでは、その都度のテーマなどがあるのでしょうか。 02880/02880 JCF02051 めのう ジェネレーションギャップ ( 2) 94/10/29 00:10 02870へのコメント  #2870 優位さん  初めてが小学5年生!?.  小学生のうちからパソ通できるなんて、なんと恵まれているのでしょう。  私が小5の時はファミコンもまだなかったもんなあ。  初めてパソコン買った頃はFDドライブもついていなくて、外付けのデータ  レコーダでカセットテープに入ったデータを1時間かけてギーギーガーガー  ロードして...ああ、時代は変わったのね(^^;  私、今も通信ソフトの接続時間の表示がちょっと進むごとに、ドキドキして  います。緊張のあまり、ますますオンライン操作の手が鈍る(^^;  家計簿と相談しながら、ちょっとがんばってみようかなあ...。                         ◆◆ めのう ◆◆ - FARION MES( 3):【めでぃあ室】--------本/映画/音楽 etc 94/10/29 - 00670/00671 PXH01650 英雄 トレッキ-の世界(2) ( 3) 94/10/28 22:21 00668へのコメント 2.バルカン人について(その2) 我々は、バルカン人には感情がないと思っていた。ところがこれは まったくの誤りであった。彼等も、地球人と同様に感情を持つ。違い は、地球人のように感情「に」支配されずに、感情「を」支配しよう としている点にある。バルカン人といえど、笑い、怒り、悲しむ。た だ地球人のように、手放しではない。スポックの父サレックも、若い 頃には大いに笑ったことがある。スポックも、ヴィ―ジャ―を哀れん で(思わず)涙を流したこともある。 バルカン人の全てが感情の支配を達成しているわけではない。完全に 成就している者は、セレヤ山に住まう”導師”達である。感情の支配 を達成するには、”コリナ―ル”を果たさなければならない。スポッ クは、この行の最終ステ―ジにて、ヴィ―ジャ―によって断念せざる を得なかった。 このように、バルカン人は「論理」の仮面の下に地球人と何ら変わら ない豊かな感情を蔵している。地球人が歓喜を覚え熱狂する時、バル カン人は、熱狂により我を忘れることを非論理的とみなし、歓喜の爆 発を抑制かつコントロ―ルするのである。これは、バルカン人が数々 の精神技術を有しているから達成できるのである。 バルカン人のこの「論理による感情支配」という特質は、元々備わっ たものではない。本来のバルカン人の姿を、現在ではロミュラン人に 見ることができる。ロミュラン人が、バルカンの真正なる子孫である ことは、既にバルカン科学アカデミ―および連邦歴史学研究所で確認 されている。 バルカンがどのようにして現在の統一された社会を築くことができた か、その歴史を簡単にさらってみよう。 続く:英雄: P.S Paper Birchさん、応援ありがとうね〜(^o^)/ 00671/00671 PXH04471 夢虹 「シーシュポスの神話」 ( 3) 94/10/29 01:43   訪れる人なき秋の夜   こんな静かな夜は本でも読もう、   私は、本棚から一冊の本を取り出した。 カミュ著「シーシュポスの神話」。   本を読むのに夢中になった私は、   いつものように、そのまま物語の中へ入っていく。   神の怒りを受けたシーシュポスは地獄に堕とされて、   これ以上の罰はないというような過酷な刑を課せられてしまう。   それは、大岩を休むことなく山頂まで押し上げると云うものだったが   ようやく山頂に辿りついても   石の重みで、大岩はすぐに転げ落ちてしまう。   それでもまた、彼は山頂まで石を上げなければならない。 けれども、上げても、上げても、石は落ちるのだ。   汗をかいて、懸命に持ち上げたとしても   また最初からやり直さなければならない。   この過酷な永遠の繰り返しが、シーシュポスに与えられた罰であった。   これが、まるで人間の人生そのものに酷似しているとは言うまい。   たとえそれが、単調で、希望のない毎日を象徴しているとしても。   まったく神もヒトが悪い。   いや、この場合は、相手が神だけに「カミが悪い」とでもいふのか、   私は以前から「神」の持つ、このような酷薄さに疑問を持っていた。   およそ神は傲慢である。   ギリシャの神も、イスラムの神も、そしてユダヤの神も。   特にユダヤの神は、ノアの時代は「水」で、   ソドムとゴモラの時には「火」で、   みんなを滅ぼしてしまった。   バベルの塔では、人間から共通の言葉を取り上げて   アブラハムには、その子、イサクまで殺させようとした。   このような神の傍若無人な振る舞いに許せないものを感じていた私は、   すっかりシーシュポスに同情してしまった。   ねえ、シーシュポスさん   ちょっと神の目を盗んで、その先にある「養老の瀧」に行きませんか?   いや、もう少し先にある「村さ来」のチューハイのほうが美味しいかな?   あっ、そうそう、先日行った、スナック「黒トカゲ」もいいかな。   そこのママは、ちょっと美輪明宏に似ていて   宇宙論から「下ネタ」まで何でも話せる面白い人だから、   一緒にウイスキーでも呑みましょうよ。   ・・・なんてね、そんな言葉でもかけてみたくなってしまう。   余談はさておき・・   神から罰を受けるまでのシーシュポスは勇ましい英雄だった。   「英雄」はまた、真面目な堅物でもあった。   ただ、単調で無意味な作業の繰り返し。   普通なら発狂してもおかしくない状況の筈である。   ところがここに、神さえも思いも寄らない事態が発生した。   シーシュポスが、石を繰り返し持ち上げるという過酷で単調な行為に、   いつの間にか「喜び」を感じはじめたのだ。   このような時、神への捧信者は決まってこう言うのだ、   「すべては神の意の中にある」と。   つまり、あらゆるものの、その最先の最後まで見通していると言うのだ。   しかし、いくら「神」であったとしても   まさか、あの過酷で無意味な作業の繰り返しの中で、   シーシュポスがその行為そのものに「喜び」を感じ始めるなんて、   想像もしなかった筈である。   ねえ、シューシュポスさん、何でぇ?   どうして、そんなところで喜びなんか感じるの?   何だか「神」といふのも訳のわからない存在だが   人間は、もっと訳のわからない生き物なんだなあ。   まったくぅ。   私は、何だかアホらしくなって   読んでいた本をベッドの上に投げ出した。                          夢虹 - FARION MES( 4):【宴会/オフ】--------プランとレポート 94/10/29 - 803/803 JCF02051 めのう 上京しま〜す(^_^) ( 4) 94/10/29 03:40  法事&有休消化のため上京します。  11月19日(土) 午後、東京着    (宿泊は千歳烏山の姉の所)    20日(日) 法事             ・     ・    23日(祝・水) 夕方、東京発  山梨に嫁いだ友人と会う予定がボツになり、20日の他は終日フリータイムと  なってしまいました。  姉も弟もそれぞれに予定があるようでかまってもらえません(;_;)ツメタイヤツラダ  よろしければ、どなたか遊んでやってくださいまし。                         ◆◆ めのう ◆◆ - FARION MES( 6):∞・∞ 壁(カベ)・∞・∞・∞・∞・∞・∞・∞・∞・∞ 94/10/29 - 03029/03031 NAG02033 EX RE:終わり ( 6) 94/10/29 01:20 03028へのコメント コメント数:1  #3028 すまる さん ええと、いま髪がぼさぼさなんです。 神を日常に探すとのことですが、わたしちょっと思うに、 「神を探すのはやめなさい。神は人知を越えたものであり、 発見すべくもありません。しかし、真我は自分のなかにあり、 発見可能です。真我に至ればそれが、神と異なるものではない ことが分るでしょう。」という言葉が思い当たりました。 これは、世俗を捨てきった修行者に対する言葉ダッタトオモウですが、 どうでしょう。一理あるんじゃないですか?(^^;) 「人は至るところに神を見ています。それに気づかないだけです。」 というのもあります。 私の引用するのは大部分、Kかラーマナ・マハリシです。 どちらかというと、ラ−マナの方が、表現に余裕があるというか、 そういう感じが上のなんかよく出ているなあと思いました。 前者は、神の超越的側面、後者は神の遍在的側面を言っています。 カルマを没した聖者の言葉には、何の計らいもない自在さが現れます。 怠け者には前者、極端な苦業者なんかには後者のアドバイスが出てくる のでしょうが、これは、不思議なんですよね、「バランス」「中道」と いうものは....あと、今の時代にあったバランスとは何だろう...とか ええと、何のお話でしたっけ?そうそう。 こういう具合ですから、私も友人関係はちょっと偏りがあるかな とおもいます。(^^;) 向かっている所が余りにも離れていると、自ずと意思疎通は、 表面的なもののみになりますね。 最大のライバルは、自分のこころなのだと思います。 EX (NAG02033) 03030/03031 PXH04471 夢虹 言わないでいること ( 6) 94/10/29 01:45   あっ、プラマタさんだあ   こんばんわ。はじめまして。   私がここに来た頃、   ちょっと風変わりだけど、個性的な感性と独特な文体、   そんな印象を受ける文章が書かれていました。   それが、プラマタさんだったのです。   そのうちに何か話しをしてみたいと思いながら、   毎回、楽しみにして読んでいたのですが、   いつの間にか書き込みがなくなってしまいましたね。   あれから・・40日間ですか?   その間に、私も少しずつ書き込むようになりました。   もし、よろしければ、のんびりとしたペースで結構ですので、   会話の相手をお願いできれば・・と思っています。 「言い尽くせないことばかり」について    私なんか、いつも「言い尽くせないことばかり」です。    けれども、いったい自分は何を云いたいのか、    そんなふうに考えていくと、    何だか歳月とともに「云いたい事」が薄れているような気がしています。    その昔、「云いたい事」が沢山ありました。    沢山あって、何から云ったらいいか、迷うくらいでした。    あれも云いたい、これも云いたい、    そして、本当に色々なことを「言って」いた時期がありました。    それは、ちょうど、    このフォーラムの7番会議室で会話をしている人達の文章のように、    こむつかしい言い方を得意としていた時期もありました。オイオイオイ(^^;;    自分なりの正義感に酔って、会社の上司に、くってかかった時期もありました。    それから、いつの頃からだったか    「人は、云わないでいる事の方が多い」といふことに気づいてきたのは。    人は、いつも何かを喋っている。    人は、人と居る時には決して沈黙することはない。    人は、いつも何かを喋っている筈なのに    「云わないでいる事」の方が多い。    なんだか持って回ったような言い方で恐縮ですが、    このあたりを的確に説明できるだけの散文的な才能がないものですから    つい、文章が感覚的な表現になってしまいます。    最近になって、人と会話をするとき    「この人は、何を云わないでいるのだろうか?」とは考えないまでも    何を云わないでいるのかが分かる・・と言えば、これも嘘っぽいし    何となく分かる・・くらいかな?    でも、本当に分かっているのか、それは分かりませんね。    そんなふうに感じられるようになってから    最近、人と会話をする時、楽に話している自分に気づきます。    あまりに「楽に」話しが出来るようになってしまったために    最近、ある女性から「甘言男」とか言われて    カルチャーショック??を受けてしまったといふ笑い話しもあります。    あ・・最初から長くなってしまいましたね。    それに、話しが、ちょっと飛躍したような気もしますが、    お許しを。    これからのプラマタさんの文章を楽しみにしています。                             夢虹 03031/03031 GBG02755 すまる RE:終わり ( 6) 94/10/29 07:36 03029へのコメント ふむふむ>EXさん。 神を探すのを止めるについて。 少し前まで、何かに付け、神を求めて、神に答えを求めていました。 しかし、その行為が示す意味に思い当たるものがあって、 無駄ではないにしろ、神に至る道ではないことも理解したんですね。 それを理解したら、自然と、日常をただ呼吸するように生きている自分を 感じるようになりました。 「真我は自分の中にあり、至れば・・」とありますが、 果して真我とはどのような姿をしていて、どうなれば、至るとわかることに なるのか・・と言う問題があります。 まず、真我と言う言葉からイメージされるものから自由になることが必要で、 全く真我を意識しない状態になることが必要でしょう。 そこから始めなければ、「至る」ことはない。 しかしながら、「至った時」が自ずとわかると言うことでしょうか? 真我から自由になるには、徹底的に「自分」のイメージから自由にならねばならず、 自分の眼差しを客観的に見、判断することを抑え、自由に泳がせることでは ないかな?すると見えて来るものがあって、しかも、同じものを、いろいろな角度から 見えて来るようになって、、、、、だと思います。 この同じものがいろいろに見えると言うことには段階があって、時間を追うごとに 変化して行きます。それぞれの段階で見えたものを否定せず、認め(なぜなら 認めがたいほど違って見えるから)、判断ということをせず、保留状態にするんです。 すると、或程度、全体像が見えてきます。しかし、「見えた」と思うのは性急で すぐに結論を出さず、見守ることを続ける。 ってな感じですね。 これを、思い当たる事事に、行なって、やっと、自分の外と内側がぼんやりし始める と言う感じです。それでもまだまだ、自分のイメージから自由になれたわけではない。 内と外がぼんやりとしただけで、区別が始まっただけで、自分を捉えたわけでも、 ないんですね。これからなんですよ・・・・まだ始まりでしかない。 真我などと言うものに出くわすのは相当先のことでしょうね。 神は至るところに姿を見せ、また、姿を隠していると言うのが真実でしょう。 また、「バランス」「中道」と言うものは、「わかる」と自然に行なわれていると 言う実感があります。偏ることの方が難しいですね。 最大のライバルですか? 自分の心には違いないですけど・・・・ でも、最も愛しいものでもありますね。 抱きしめて抱きしめて、可愛がって、慰めてやるものだと思います。              髪を切りにおいでください。(^_^)  すまる PS いろいろわかった風なことを書きましたが、自分でもどこまでわかって書いているのか 本当のところは、さだかではありません。そういう意味ではかなりいい加減。 こんなところではないかなぁってところですね。 それを確かめる作業は、また別のところで始まるわけで、「実感」を 伴って始めて、確認作業は完結する。その繰り返しでした。 ここに書いたことは、実感を伴っているものもあり、考察の枠の中の事であり、 EXさんに、面白いところだけ拾ってもらえたら、それでいいんじゃないかなと 思います。 - FARION MES( 7):★世紀末書込み寺★・・・・・・・・・・・・ARION 94/10/29 - 03763/03771 MXB01131 hay こんにちは ( 7) 94/10/28 18:37 こんにちは、はじめましてARION. 「光よりの光」購入しました。(ARIONの本は初めてよみます)質問があります。 (メンバーの皆さん、私の通信状況ではBファイル等は読めませんので 今までにも重複した質問かもしれませんが) 質問1 >物質的な栄華は人類を狭い視野にするようだ ・・というのは避けれないものなのではないでしょうか? そういう世界に身を置いているから外がみえないのかもしれませんが。 (パパラギの本もあったが、インヂィアンやエスキモーの現状もある) アメリカや日本は物質的豊かさを経験したがゆえに疑問をもった。興味がかわった。 飽きた。痛い目にあって気が付いた。(気がついたとは思えませんが) アメリカは確か全世界のエネルギーの1/3を消費していると聞いてます。 しかし、アメリカや日本(の豊かさ)にあこがれをもってる世界の人々は多いと 思います。現状で皆がそこへいったとしたら(いく前に世界が壊れるだろうし、 もうその途中ですよね?)・・・ アメリカや日本のたどって来たやり方ではできない。 でも人はまず物質的豊かさを求めていくのでは?  いまの日本のブームとしての精神世界なんて、物質の豊かさがないと なかったと思います。 質問2  精神世界の流行、(環境保護とかも)それらも色んなヂスインフォメーションによっ て価値のないものにされてる。  TMの1%効果とライフダイナミクスの1%理論など。  闇の支配階級はそれらをどういった目的のうえで実行しているのか。  それはどういうふうにみればよいのですか? 質問3  人類の総体の意識としては自殺願望があるのでしょうか? 質問4  地球が人類を内包するというのは「地球自身」のカルマなのですか?                              hay 03764/03771 NBB01420 SUKE 漢字修正(^^;) ( 7) 94/10/28 21:34 03720へのコメント  #3720の誤字訂正します。  誤)既知の知識によって説明出来ないと安心できないという真理は、  正)既知の知識によって説明出来ないと安心できないという心理は、  話の脈絡の中で「真理」という言葉が出てきますので紛らわしいと思い、  わざわざ訂正アップします。                失礼しましたm(__;)m…☆ッテナモンダ Suke. 03765/03771 NBB01420 SUKE 自由の束縛と共感の愛 ( 7) 94/10/28 21:35 03749へのコメント #3749 ごとうくまおさん、レスどうもです。 ごとうさんの考え方は概ね、 「自分だけのものという考え方を否定することで、自分勝手な発想に反対し、 他人と共感を持つことで互いを愛し合う気持ちを持とう」 ということでしょうか。 これに私はどうもひっかかるものがあります。 自分勝手を否定し他人と共感することで如何にも「我よし」を否定しているかの  ようですが、「人それぞれ」を否定すると、実は一人一人の自由な可能性を束縛  していることになると思います。これは愛の逆です。 もう一つ気になるのは、この共感というものを軸とした愛です。これは逆に言え  ば共感を持てない相手には愛を持てないということになりませんか? 相手と自分が同じでなければ愛せないというのなら、それは相手を愛しているの  ではなく、自分を愛しているのではないでしょうか。 ごとうさんは私が私なりであることを許せませんか?                      (^^)…☆ッテナモンダ Suke. 03766/03771 GHB02532 ごとうくまお RE:問「解釈は力ではないか?」 ( 7) 94/10/28 22:34 03726へのコメント コメント数:1 エスペラントさん、こんばんわ。 このRESは多分、#3726,#3727の両方に通じると思うので、一つにまとめます。 《 新しい解釈へ移る際の力の働き これは、私の言った「納得しなければ気が済まない」という気持ちのことですね? たぶん。 《 >まず、意識というものを、客観的に観察してみます。 《 それは不可。〈客観的〉とは既に虚構、構成された仮説です。 ここは、私も言葉に迷ったんですが、やはり客観的という言い方はあまりよくない ですね。私が言いたかったのは、「客観的に自分を観ている自分」がいない状態、一 元的な客観性ということです。自分が観るのではなく、ただ観ること、「観る」こと に、どのような意見、解釈、説明も挟まずに、思考の二元的な反応を挟まずに観ると いうことです。 《 あるがままが絶対的事実として存在しているのであれば、その存在を確かなもの として実感するだけでよいのであって、「ただ観る」はすでに不要です。「観る 」はすでに過去のものへの知覚へと移行しやすいものだとすれば、「今を観る」 のでは、遅すぎます。「一歩前を観ること」です。 「観る」ことは、知覚が今現在にあることで、過去のものの知覚への移行とは「意 識する」ということだと思っています。「今を観ているのだ」という意識が起こると きには、すでに今は過ぎ去っているのではないでしょうか。意識が働いているとき、 精神が思考の領域にあるときには、今を観ることはできないと思います。また、「一 歩前」つまり未来を観ることは不可能です。なにせ、一歩踏み出す間に何が起こるか わからないのですから。意識が作り上げる未来は、どれほど目新しいものでも、予測 の域を出ないのではないでしょうか。見た目の形は新しいかもしれませんが、それを 構成している部品の一つ一つは、過去のものだと思います。 《 言葉の情報としての側面のみでなく、力としての側面を意識することです。 確かに、言葉には力があります。しかし、その力はどのようにして生まれるのでし ょうか。 人間にはエネルギーがあります。命の源とでも言うような、何か根源的なエネルギ ーが。言葉は、それに方向=ベクトルを与え、力に変換します。言葉の持つ力は、精 神を動かし、変形させることができます。それは、物質的な影響力も持っています。 様々な修行を積むことによって、確かに精神は何等かの力を得ることができます。で すが、力は、ものを動かし、破壊し、変形させることはできても、創造することはで きません。「創造」は、力ではなく、エネルギーです。 《 世界が自分に働きかけてくる力や時間的に過去から現在まで、自分を導いている 力の向かう先を意識する、また自の中で、あなたの指摘する原始的な自己中心性 から始まって、段階的に自分を解しようとする力の働きを意識する。その働きか けの行われる先を高次の意識として受け入れる。とすれば、やがて自分を超えた ところに、さらに自分全体を解放するための力を及ぼしてくる何者かの存在を疑 いえない、それを神と仮に呼べばいいのです。 意識が時間を作ります。時間は、過去の蓄積があってはじめて成り立つものであり 、今という瞬間においては存在しません。時間とともに空間が作られ、そして意識は ここからあそこへと動くための力を必要とします。今という瞬間にある精神は、意識 から自由であり、空間を移動するための力も、時間も必要としません。意識があるが ままの自分を観て、そこから自由になろうとする。そしてあるがままから離れたとこ ろに、自らを自由にするであろう「神」を想定し、自らが作り出した空間を移動する ための時間と、力を必要とする。それゆえ、エネルギーを利用するのです。しかし、 意識があるがままと、そうでない何かを想定することは、全て虚構ではないでしょう か。 言葉自体は、何の実質も持たないものですが、言葉がエネルギーを利用して力を得 るとき、それがとてつもない重要性を帯びてきます。その力は、精神の条件づけに沿 って、利己的な破壊的の方向にも動くし、利他的な慈善の方向にも動きます。力は、 方向を持っているために、善にも悪にも動きます。そしてその働きかける先には、必 ず斥力が生じます。しかし、エネルギー=創造は、善にも悪にも属さないし、いかな る方向も、形も持ちません。太陽が、特定の方向ではなく、全方向に光を放つように 。私はこの創造のエネルギー、形も、方向も、そして中心も持たないエネルギーが神 なのではないかとおもいます。 精神が、意識・言葉によって方向を与えられていないとき、つまり完全に自由なと きにのみ、このエネルギー、神を感じることができるのではないでしょうか。 ¥くまお 03767/03771 GHB02532 ごとうくまお RE:問「解釈は力ではないか?」 ( 7) 94/10/28 22:36 03728へのコメント コメント数:1 エスペラントさん、続きです。 意識と、未知のものについて。 《 あなたの意識にとって未知であるものは、意識にのぼることさえありません。 事実そのとおりです。エッさんにとってもそうではありませんか? 意識は、決して未知のものを捉えることはできません。抽象的な概念としての「未 知のもの」を想定することはできるかもしれませんが、私が言っているのは、現実と して未知のもの、知らないものです。全く知らないものについて想像したり、それに ついて具体的に述べることなどできません。 ここでまた例え話をしますが、私はこれからジャングルに探検に出かけます。出か ける前に、探検資金を出してくれたオーナーから、「カミ」という生き物を探してこ いと言われます。ですが、私はそれを知りません。オーナーは、その生き物が何かす ごいものだということを聞いているだけで、それ以外は知りません。哺乳類なのか、 爬虫類なのか、鳥なのか、虫なのか、どんな生き物に似ているのか、その姿、形、色 、鳴き声も知らないのです。どうやって見つければいいのでしょうか。見つけられる はずもありません。知らないのですから。たとえ「カミ」が向こうからやってきて、 目の前で飛び跳ねたりしても、私はそれが「カミ」だとは知らないので、これは「カ ミ」だと認識することができません。私にわかるのは、それが今まで見たことのない やつだということだけで、こいつは「カミ」なのか、それとも別のものなのか、判断 できません。私は「カミ」を知らないし、どうすれば捕まえられるのか、どこに居る のかも知りません。それが本当に存在するのかどうかさえわからない。私は途方にく れ、「カミ」を捕まえるのは不可能だと思います。 というようなことで、意識は未知のものを捉えることができないというわけです。 未知のものとはこういうものだ、という想像を作り上げて、それを追求することは できるでしょうが、思考が想像できるのは既知のものか、それに少々変更を加えたも のにすぎません。それは目新しいかもしれませんが、本当に新しいものではない。未 知のものは新しいものです。そして新しいものを生み出すのは、思考ではなく、創造 のエネルギーです。 @おまけ これまで、エッさんや他の方たちと、意識、あるがまま、事実、などについてお話 してきましたが、どうも何かが違う、という気がしてきました。横道にそれてるよう な気がするんです。私がこれまで断定的に述べてきたことは、私にとって明らかな事 実、この目(?)にはっきりと映る事実です。「私」が概念上の実体、大掛かりな虚 構であること、意識の限界、その領域外からの観察、これらのことは、いくら人に「 間違っている」と言われたところで、どうにもなりません。はっきり見えてるんです から。私自身が、今まで述べてきたことを撤回し、否定したとしても、目の前にある 事実は消えようがないんです。私はむしろ、自分が今まで書いてきたことには、たい した重要性を感じません。間違ってるなら間違ってるで、捨ててしまってもいいんで す。皆さんは、それぞれ事実の捉え方が違うし、そうした違いについて延々と議論を 続けることはできるでしょう。言葉は絡まってしまうときりがありませんから。しか しそれぞれの捉え方、考え方というのは、あくまで二議的なものであって、本質的な ものではないという気がするのです。 そこで、こむつかしい理屈はほっといて、今までのことはさらりと水に流し、ここ にひとつの「お題」をだしてみたいと思います。これは、最近私の頭に浮かんできた 問いなのですが、私はこの問いを深めていく途中で、何か強烈な可能性というか、非 常に明るいものを感じました。しかしまだはっきりしたものは見えていません。エッ さんと、これを読んでいる皆さんは、この問いについてどう感じるでしょうか。また 、もっと他の問い方があれば、それを示してくださってもかまいません。 <問い> 人間として生きることの面白さを、十二分に引き出すことができるような生き方 はあるだろうか? ということですが、どうでしょう?興味がなければ無視してもらっていいし、今ま での議論を続けてもいいですよ。これはあくまで、私個人の生活から生まれたもので すから、皆さんにとってどれほどのものであるかはわかりません。何か感じるものが ある方はご意見を。 ¥くまお 03768/03771 SGW00342 エスペラント わかりました ( 7) 94/10/29 00:15 03767へのコメント #3767 ごとうくまおさん   ><問い> >人間として生きることの面白さを、十二分に引き出すことができるような生き方 >はあるだろうか?    「お題」だなんて勿体つけなくてもいいですよ。これが本題なのですね。  それでは、今後は、この問いに対応していこうと思っています。  ただし、自分の関わった全ての発言はファイルにまとめて、  これからも何度か見直すように、お願いします。                       ≡△○ エスペラント ☆★ 03769/03771 HGB02122 あもり RE:問「解釈は力ではないか?」 ( 7) 94/10/29 04:19 03766へのコメント  #03766 ごとうくまお さん、はじめまして。あもりと申します。 /人間にはエネルギーがある /あるがままから離れた所に自由がある /自由になる為に力を必要とする /言葉はエネルギーを利用して力になる /力は破壊にも慈善にもなる /エネルギーは創造である /形や方向や中心を持たないエネルギーは神だと思う  冷静に読んで見ると矛盾してますね。  それはいいとしまして....  未来が全く未知のことであるのは普通の常識から判断しても、うなずける  ことです。  では、過去はごとうくまおさんにとって、確固たるものなのでしょうか?  「観る事」に対して、過去は正直にごとうくまおさんの前に姿を見せてく  れますか?  もし、確固たる過去がなかった時には、ごとうくまおさんの「自分を観る」  が全てマヤカシだった言っても過言ではないような気がします。 § <問い> § 人間として生きることの面白さを、十二分に引き出すことができるような生き方 § はあるだろうか?  「面白い」は二次的なもので、「充実」とか「満足」、「幸せ」などの後を  くっついて来るものです。だとすれば、それは人間の義務でしょうね。  反対に、やりたい放題して何ら良心に問う生き方をしない人間でも、「面白  い」といった生き方は出来るでしょう。それは人間の権利です。  ましてや多数の人間にとっては、生き方はそれぞれの胸にしまわれた大切な  思惑です。  このこと一つ取っても、たくさんの人がいればたくさんの答えがある。  ごとうくまおさんは、一つのやり方だけに執着して、人に影響させようと  しているように見えます。それがこの質問に表れているような、そんな気が  してなりません。(オォーッ、ノオーと言った具合です)                  HGB02122 あもり 03770/03771 HGB02122 あもり たかが眼球の視点で.... ( 7) 94/10/29 04:19  人間の言葉で神様を判断しようとすることが、今までどれくらいの悲劇を  産んで来たか?人間の言葉で語られた「神様」の結末は、誰でも知ってい  ることであろうに。  少なくとも、自分の外に神様がいるなどと判断した時点で終わってしまっ  たと、そう思うべきではないのか?>人間                  HGB02122 あもり 03771/03771 SGW00342 エスペラント 印象 ( 7) 94/10/29 08:31  * 自問自答ばかりしていても、自分の中にないものは手に入らない。                       ≡△○ エスペラント ☆★ - FARION MES( 8):☆恋愛玉手箱/風まかせ編☆・・・・・・・・・・・・・・ 94/10/29 - 00576/00577 PXH01650 英雄 実はネ.... ( 8) 94/10/28 22:17 00572へのコメント めのうさん、ありがとう(__)。 日頃エラそうな事をのたまわってるワタシも、この「理想が高いんで しょ?」というコトバを聞くと、つい過剰に反応してしまう(;_;)。 つまり、「理想が高いからいつまでも結婚できないんだ、早く妥協し ろよ」と言われ続け、めのうさんみたいな見方をする人はいなかった。 反論できるだけの実績がまったくないものだから、いわば「急所」み たいなものだな(^^;。 しかし、なんと言われようと、譲らない。このまま一生終わったとし ても後悔しない。もし、これが実現すれば、なぜここまでの信念を持 つ必要があったかがわかるかもしれない(自分がどうしてこうなのか 実はよくわからないんだ)。 6番では、みれさんもコメントしていたけれど、ステキな言葉でした。 わたしも思わずコメントしようと思ったけれど、やっぱ、無粋だナと 思ってヤメました(^^;。お二人の幸せを心よりお祈り申し上げます。 >めのう様&くりす様 手を伸ばしてもつかむのは風ばかり:英雄: 00577/00577 JCF02051 めのう RE:自立って・・・ ( 8) 94/10/29 03:40 00573へのコメント  #573 えるさん  はじめまして、めのうと申します。  「自立」にもいろいろな捉え方があると思いますが、私は「自分の選択に責  任を持つこと」と考えます。  自分で選んだことが良くても悪くても誰かのせいにしないこと、選択の結果  を自分で負うこと...そんなふうに考えています。これがとっても難しいの  ですが。  「自立していない」が批判の決め台詞になったらイヤですね。そういうこと  を言う側もきっと自立していないんだろうなあ(^^;                           ◆◆ めのう ◆◆ - FARION MES(13):★神秘学遊戯団★・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・KAZE 94/10/29 - 01871/01873 GGA02514 KAZE RE:タキオンって!? (13) 94/10/28 16:44 01869へのコメント Paper Birchさん、どうも。 >もう一歩踏み込んで言えば、「現代の科学の方法論」や >「現代の科学で有効とされているアプローチの仕方」だけが >科学的で有るわけでは無いとも言えるでしょう。 そうですね、さらにつけ加えていうとするならば、 科学的と非科学的ということにおいて、 「非科学的」を、「しかるべき手順を踏んでいない」という意味のそれと 「科学」という方法論を適応できないという意味でのそれとを ある程度ちゃんと分けて考えることが大事だと思います。 その意味でも、「科学」の対象領域をある程度明確にしていくことが必要です。 例えば、「脳死」ということについても、それを人の死と認めるかどうか、 また脳死後の人体をどこまで活用することが許されるかどうかといったことは、 現在においては「倫理」の領域であって「科学」の領域ではないからです。 つまり、「科学」は「科学」内部の議論では、歯止めが効かないわけで、 それは科学の「外」からの規制(制度的、倫理的を含め)が必要になるのです。 >たとえ旧来の科学から、はみ出すとしても、より理解しやすい理論を >選択する方が「真に」理性的ですし「真に」科学的なわけですよね。 そういうことです。 ノウスさんのヌース理論にしても、まさに、現状では 完全に「旧来の科学から、はみ出」していて、 世界認識の枠組みそのものを変換していこうとしているわけで、 そのぶん、「旧来の」認識のままではそれは理解不能です。 で、ぼくもその認識の変換の部分に今挑戦している途中です(^^)。 >ということで、僕が「科学的」とか「理性」と言ったときは >そういう意味で言っている----旧来の枠組みで言う科学ではなくて---- >と思って頂ければ幸いです。(^^) もちろん、それは最初から承知はしていましたが、 いちおう、そうした問題点を指摘しておく必要性からコメントしたわけです。 それと、最初にもふれましたが、そうした、いってみれば「新しい科学」と 芸術や宗教との関係についてもできるだけ考えていきたいものだと思ってます。 >ですから、自分に理解できないことを否定するとか >常識的概念を外れたら認めないという事ではないです。 >しかし、何らかの理論を見るときに、その反対意見を参考にすることも必要ですし、 >旧来の科学的方法論(たとえそれが全てでは無いにしても)では >どう考えられるのか、という事も知っておくべきでしょうね。 そうですね、そうしないと対話できなくなりますしね。 そしたときの視点ですが、大きく分けて二つの方向性があって、 ひとつは純粋に技術的というか、ある規制の認識の枠組みの中でのものと もうひとつは、現在の認識の枠組みやそのあり方そのものを変えていこうとするもので 後者の場合、議論がややこしくなりますよね。 「理解できない」のではなく「理解したくない」という場合が多いからです。 「理解したくない」というのは単なる「甘え」なのですが^^;、 それを正当化するために費やされる言葉はほとんど不毛の極致になります。 そうした場合、やはり旧来の認識の枠組みがもっている基盤の部分を みずからに問い、その基盤の有効範囲を深く認識し、 その有効範囲外のものについては、その可能性に耳を傾けようとすることが まずはどうしても必要になってきます。 その部分というのは「科学」ではなくて一種の「倫理」なわけですが、 その「倫理」をもつためには、その科学者は常に「知行合一」でなければなりません。 つまり、自分の日常的認識の枠組み^^;と 科学の現場においてとっている認識の枠組みがばらならであってはならない。 唯物論的基盤をもってるとしたら、死んでも葬式なんかするべきではないですよね。 もちろん、ぼくは唯物論ではないけど、違った意味で葬式なんかしませんけどね^^;。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 01873/01873 GGA02514 KAZE 魂のバランスと統合 (13) 94/10/28 21:04 01870へのコメント Paper Birchさん、どうも。 >僕が考えている「理性的」というのは、そういう可能性も全て総合的に >(個人の能力で出来る限りですが)考え合わせて、 >いちばんもっともらしい仮説を取るということです。 たとえば、シュタイナーは魂を「感覚魂」「悟性魂」「意識魂」というふうに その三つのあり方に分けて説明していますが、 (それは「感覚」「感情」「思考」という言い方をしてもいいかもしれませんが) 基本的には、「理性的」というのは「意識魂的」といってもいいと思います。 で、この意識魂の発達というのは現代の非常に重要なテーマなわけで、 そういう意味では、Paper Birchさんの基本的な態度は、 現代的な意味で非常に健全なものだと日頃から非常に感心しているわけです(^^)。 その上、Paper Birchさんは日本画家でいらしゃるから(^^)、 感覚魂的な部分や、悟性魂的な部分についても、発達していると思われます。 と、ここまで褒めてきてしまったので^^;、これから提言に移ります。 先のアーティクルにも関連したことですが、 そこで問題になるのは、その三つの魂の態度のバランス度というか 三つの魂がそれぞれに優れた働きをしながら、相互補完的であるというか、 そういう必要性なわけです。 もちろん、理想的にその三つがバランス良くある方というのはたぶん非常に稀で、 たとえばぼくの場合も悟性魂的な部分がちょいと弱いかなって感じですねぇ。 冷酷な科学者なんてのは、意識魂だけが肥大してるって感じでしょうか。 中国なんかで、陽明学の祖になった王陽明って方は、 それまでお勉強主義的だった意識魂的にアンバランスな朱子学に あったかい人間らしさと決断力などを吹き込んだのですが、 それはやはり三者の統合ということを 重視したあり方ではなかったのかなと思われます。 ですから、これからの科学というのが 現在の枠組みを超えてより良い方向にいくためには、 そうした魂の統合的な態度についての模索が 欠かせなくなってくるだろうと思うわけです。 つまり、鋭い思考力を深い感情と洗練された感覚が裏付ける というような、そんなあり方です。 ですから、冷酷な科学者だとか、ダサい科学者なんてのは 存在してはいけなくなるのです^^;。 それを宗教家や芸術家にもあてはめてみますと、 頭の悪い宗教家やダサい宗教家はだめですし、 頭の悪い芸術家や冷酷な芸術家もだめなわけです^^;。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES(14):★Room 666/預言解読の部屋★・・・・YHVH 94/10/29 - 02577/02581 PAG03134 はな 「十字」と「卍」 (その17) (14) 94/10/28 16:31  ● 「真実」と「事実」  両者を比較してみます。    アリオン         プラトン      :            :    「真実」   「霊魂の目で捉える普遍性(イデア)」  ここで、アリオンの言う「真実」とは「白い光」ではなく「黄泉の光」 に閉じこめられていた部分にあります。すなわち「霊」の部分です。この 「真実」こそが、プラトンの言う「霊魂の目で捉えたイデア」です。  次に、その「真実」「イデア」を我々の実際すんでいる世の中に、どう 反映させるか。その方法も言葉の違いこそあれ、意図しているところは同 じです。つまり、真実を自分の生活の中で「己の生き方」として行動する、 すなわち「事実」とする。      ~~~~~~ 『此処であなたがすることは、あなたの現実そのものだ…忘れるな』 『あなたの現実は、あなたの心身が知り得る現象の一つの観方』                         (94/06/24-25 ハロー)  「真実」を事実に変えるのですから、上記のハローは、「あなたの現実 そのものだ」なのであって、「あなたの真実そのものだ」と書きかえるこ とはできないのです。  「あなたの心身が知り得る現象」とは、各人が捉えた「真実」を具現化 することであり、その表現方法は、人によって、まちまちです。  「あなたの心身が知り得る現象」 = 「霊魂の目で捉えたイデア」 なのです。この現象、あるいは真実、あるいはイデアを行動に移すことに よって、「事実」になります、これが自分の心身が知り得る現象の、一側 面だということです。  そのためには自分を観るという作業が必要になってくるようです。とい うのも、25日のハローは「観方」という漢字を使っています。「見方」 という単語はありますが、「観方」という単語は、広辞苑にも載っていま せん。  「人を愛する」という真実を、自分の心身が知りうる。これは「真実」 であって、「事実」ではありません。  アリオンは「カミ・コメ・ツチ・ヒト」のなかで、こう言っています。 長文になります。ご容赦ください。 『過去と未来の価値の平衡化がある時に、初めて「今」が見えてくる。  つまりすでに手にしたものの価値と、これから手にするであろうものの価値との  平衡化がある時に、全てを手に入れることと、全てを手に入れないこと、  そしてすでに手に入れたことと手に入れなかったこととが、  同じ意味を持つものと理解できる。  これを、あなたがたは「悟り」と呼んだりしている。  しかし、これは未だ悟りではなく、  悟りへ至る道の道標を見つけたに過ぎないのだ。  此処に至ったものの半数以上は、これが「悟り」だと誤解していたことを識る。  それを知った者の内、僅かな者だけが此処から始まる悟りへの道を  歩もうとするだろう。  残りの大半の者は、先の長い旅路を忌避し「悟った」という誤解を甘んじて受入れ、  それを「悟り」として他の者に教えようとするだろう。  知った者は「悟り」への道は、教えることが出来ないことを識るので、  教えの道に入らないが、誤解を甘受した者は教えようとするだろう。  悟りの道標から先は、言葉で話すことの出来ない世界になる。  悟りを教えようとする者に、気を付けなさい。      (写真43)』  「愛すること」は真実。この真実をどう活かすか。ある人は人に向かっ て「愛することが、人生では大事だね」と言って満足する。またある人は、 そう言わずに、実際に人を愛する「行動」をとる。  前者は「悟りを教えようとする者」であり、後者は「真実を事実に映し た者」。  愛することを「伝える方法」が、まるで違います。そして、真実を事実 に映す「行動」には、これで終わり、という到達点(終着点)がありませ ん。「悟りの境地にたどり着く」ということは、生きている以上、私には あり得ません。 * →・ はな ・← * 02578/02581 PAG03134 はな 苦しみの星 第二天階に在り (14) 94/10/28 16:32 光の黙示録に話題を振ります。 『 封印は解かれる   耳を澄まし 瞳を凝らし 心を清らかにして   総ての事々 起きつつある事々を受け止めよ   苦しみの星 第二天階に在り   其の朱き光と力 地にも及び   悪しき種を民の上に巻く   見極めよ 其方の炎の血で   愛と哀を以て       (光の黙示録 第20章 一部抜粋) 』 「其の朱き光と力」は「朱」を元に第21章をみると、 『 蟹星の夜に降りる星   朱き星の力の裏に、こっそりと降りる星   これが 私達の * の星   これが 私達の暁の星   真空の空に風が起こり   胎児は 再び私達の手の中に   死か生か   3番目の鐘は もうすぐに鳴り終わる       (光の黙示録 第21章 一部抜粋) 』 「朱き星の力の裏」   ・・・  木星の裏側 「こっそりと降りる星」 ・・・  シューメーカー・レビー彗星 でしたから、       「 苦しみの星 第二天階に在り         其の朱き光と力 地にも及び 」 より、「苦しみの星」は「木星」であり、木星が「第2天階」にいること になります。  この「第二天階」が分かりません。「天階」という字は「天界」と書か れていないところにも、なんらかの「階層」があることは読み取れます。  これを解読するためにヒントとなるであろう文章が、新約聖書の中にあ ります。 『 私も誇る必要があるのか。それは益ないことであるが、私はこれから  主の幻と啓示に話を移そう。  私はキリストにある一人の人を知っている。この人は14年前に第3天  にまで上げられた−−−肉体とともにかどうか、また肉体を離れてかど  うかを私は知らない。神は知りたもう。  私がこの人について知っていることは、この人が天に上げられたこと−  −−肉体とともにかどうか、また肉体を離れてかどうかを私は知らない。  神は知りたもう。  そして人に話してはならぬ言い表せぬことばを聞いたことである。         ( コリント人への第2の手紙 12.1 - 4 )   』  コリントにあるこれらの話は、第12章冒頭にあるように、「主の幻と 啓示」についてかかれてあります。それまでは、コリントの人々への手紙 でしたが、ここで話が、啓示へと変わっており、文章の流れに変かがある ところです。 「第3天まで上げられた」が「第2天階」と絡んできそうです。  苦しみの星「木星」は、第2天階にあるために「苦しんでいる」のであ り、「第3天階」まで引き上げられれば、苦しまなくてもよいように思わ れます。  「第2天階」と「第3天(階)」の違いが、分かりません。となると、 「第1天階」とか、第3より上の天階もあるのでしょうか? * →・ はな ・← * 02579/02581 GCC01413 YHVH WHEEL OF FORTUNE (14) 94/10/29 01:50     「大切なこと」というのが、そんなにたくさんあるわけもなかろう。     なのに多くの人は、「それは要らないから他のものをくれ」と言う。     その一方で、「よしよし、それではあげましょう」と言う人もいる。     需要と供給の関係であるという意味では、うまく回っているわけだ。     わかったら実行する…。でなければ、わかることなんて意味がない。     わかっていながら、わざわざ忘れたりする芸当は、もちろん論外だ。     しかし人間は、そうして忘れながら生きている。輪廻の渦は止まぬ。                               YHVH 02580/02581 GCC01413 YHVH 議長辞任のご挨拶 (14) 94/10/29 02:06   −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−   −−−−−−−−−−−[議長辞任のご挨拶]−−−−−−−−−−−−    当フォーラム発足以来、二年半もの長きに渡り、14番会議室の議長を   務めさせていただきましたが、職場環境の変化などもあって、十分にその   職務を遂行することができなくなりました。    このことを、SYSOP にも相談いたしましたところ、快く事情をお汲み取   りいただきましたので、誠に心苦しく、また勝手でもありますが、本日を   もちまして当会議室の議長を辞任いたします。    長い間、陰に日向に私を支えてくれた副議長の維/YUIさん。それか   ら当会議室を応援してくださった皆様方に、感謝の言葉もありません。本   当にありがとうございました!    尚、後任につきましては、SYSOP を含む運営陣と相談した結果、「預言   解読」に並々ならぬ力を発揮されている、はなさんが適任ではないか、と   の結論に達しました。また、幸いにも、ご本人の了解をいただきました。    はなさん体制のもと、今後も引き続き《Room 666/預言解読の部屋》が   ますます発展することを願って止みません。もちろん私も、時間の許すか   ぎり協力させていただきます。    それでは、皆々様方のご幸運を祈って・・・・good luck!!   −−−−−−−−−−−−−−YHVH−−−−−−−−−−−−−−−   −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 02581/02581 MGG01713 バトゥーラ RE:RE^4「十字」と「卍」 (その15) (14) 94/10/29 03:09 02571へのコメント はなさんRESありがとうございます。 一八十開きのことは一二三神示に詳しく説明されています。 ちょと引用してみます。 五十黙示録−扶桑之巻第四帖、「ツミケガレ今はあらじとはらえ給ひそ。空白とは九 八九であるぞ、八と九、九と八の境をひらくことが岩戸を開くことぢゃ、空白とは最 も根本を為す最も力あることであるぞ。」 ここでいっている空白のとは、九産白のこと、白とは、一二三四五六七八九十百千卍 (ヒトフタミヨイツムナナナヤココノタリモモチヨロズ)の百に関係してきます。 百に一つたりない、百マイナス一で九九、つまり九九理の道のこと、九と九を重ねる という意味で九重の道のこと。 この白は日本の国旗の白とも関係していて、 日本国旗の白地に赤の意味は、九九理の道を歩み赤きすがしきイッテンを見事磨きだ してくだされよという意味です。 それが日の本の皇(スメラ)の民(タミ)にたくした神の願い。 皇という字も分解すると、白と王でしょ。 この王という意味は、上から神幽顕(口心行、霊力体)を立て一本で結んで神幽顕の 三元を一如に真釣れという意味です。 アリオンの「数字を読みなさい」は、とっても大事なことです。 つまり数と字の二つを読みなさいということ、 数霊と言霊を使ってみてごらんということだと思います。 - FARION MES(18):★二人三脚ネットワーク実験室★・・・・あもり 94/10/29 - 01911/01921 HGB02122 あもり RE:10年ね。。。 (18) 94/10/29 01:59 01908へのコメント  #01908 CHARAN 殿  階段を登る帰宅客の頭の波が、とても見事な湿った夜。 §ところで、現実を観るのはもう始まったのかなぁ?なんて §フト思ったりするんですが、やっぱし10年問題が片づかないとそうもいかない?  「食って寝て排泄して」  どうしても分からない。  10年問題が空想の戯言か、現実の世界に足を踏みいれた混乱なのか、  分からない。  分かろうとすることすら、視点にヒズミを与えてるような気もする。  ただし、日々の生活の中で、現実から空想へとシフトする時が分かるような瞬間  を見つけた。  それも決定的な境界を越えるようなはっきりしたものではなく、ずるっと滑り込  む感じで、自分が空想の世界に入るような感覚。  これを頭で考えて見ると、「空想の粒々」が私の生活の中に無数に散らばってい  て、例えば悲哀感のようなものをきっかけにして「空想の粒々」が一斉に一ヶ所  に集まってきて自分を取り巻いてしまう、そんな有り様かな?  うまく説明出来ないけれど。  例えば、帰りの通勤電車で、みんな青白い顔をしてうなだれてるワケ。窓の外に  は物悲しい夜景が揺れてる。  そこで、「オレはあんたらとは違うんだ」といった感情がきっかけとなって、空  想の世界に入り込む。「オレはこんな生活に甘んじてるワケじゃない。好きでこ  んな貧乏な生活を続けてるワケじゃない....いつかは金持ちになれるし、ナワー  ルにだってなれる」  日常を自分の外に置いておきたい自分。  帰宅客の横顔を見て空想してしまう自分。  その世界から常に一線を画していたい自分。  ラ・ゴルダで股間を抑えてた方がよっぽど現実的ねぇ。                  HGB02122 あもり 01912/01921 HGB02122 あもり RE:10年かあ、、 (18) 94/10/29 01:59 01909へのコメント  #01909 いのり さん、はじめまして。  私は地道がキライです。  こつこつと小さなものを積み上げていって、大きなものと引き換えたり  作ったり、そういうことが大キライです。  さながら宝くじに当たるようにスッパリと一度に大きなモノを手に入れ  る事に心底憧れています。  私は現在、空手の道場に通っています。  物覚えが悪い方ではないので、型の一つや二つすぐに覚えてしまいます。  それだけで私は非常に無敵になった気がします。  この世界では喧嘩する事さえ滅多にないので、無敵になった自分は負け  る事はありませんから、安心しています。  道場には、小学生や中学生がたくさんいます。その子達の中には、既に  6年や7年通い続けて来た子もいます。  そういう子と立ち会いをしたりすると、体の中が空っぽになってしまう  くらい愕然とする事が、ごくたまにあります。  子供の方が、私よりはるかに敏捷で、タフで、巧妙です。  それを練習による成果だと考えたくない自分がいます。  認めたら、自分が努力しなければならないからです。                  HGB02122 あもり 01913/01921 HGB02122 あもり ヒトを守りたい(1) (18) 94/10/29 01:59  他人の為に何かをして喜ばれることが、私の最上の喜びである。  常に誰かを守りたいという希望を持っている。  大切な誰かの為なら、命すら惜しくはないと、思っている。  私が死ぬ時は、私の満足の内に死にたいと、常に願っている。  この間、電車の中で想像して見た。(電車の中はよりよい空想空間である)  隣にいたオジサンを何らかの必要があって、守って見ようと思った。  電車の危険な挙動や、はす向いにいる酔っぱらい、戸口に立っている三白眼  をしたあぶなそうな若者、このオジサンを取り巻く危険は無数にある。その  数多の危険からオジサンを守ってみようと想像して見たワケだ。  まったくのいきなり、自分の斜め横から、刃物を振りかざした男が、そのオ  ジサンを襲ってきた。(と自分でも驚くぐらいのリアリティがあった)  その瞬間、私は見事に逃げた。(想像をした)                  HGB02122 あもり 01914/01921 HGB02122 あもり ヒトを守りたい(2) (18) 94/10/29 01:59  単なる想像でありながら、少々ショックを受けた私は、知人の警察官に  「SPはどういう風にして人を守るんだろう?」と質問してみた。  返って来た答えは、物凄く意外なものだった。  「まず最初に、その人を愛さなければダメだ」  日本の警察官って........!?                  HGB02122 あもり 01915/01921 HGB02122 あもり ヒトを守りたい(3) (18) 94/10/29 02:00  また親友に聞いて見た。  「例えば、子供が危険な目にあいそうな時は、それが見ず知らずの子供   でも、必死になるわよね。動物なんかはもっとハッキリしてる」                  HGB02122 あもり 01916/01921 HGB02122 あもり ヒトを守りたい(4) (18) 94/10/29 02:00  本に書いてあった。  「路上に這いでたカタツムリを葉に戻し、助けた。しかし師匠は、2つの   重大な可能性を考えに入れていないと言った。   一つは、戻した葉の毒でカタツムリが死ぬ可能性、もう一つは、路を渡   り切るだけの個の力を持っていたかも知れない、それを妨害する事によ   って、助けるどころか苦労してそれが得てきたものを失わせた」                  HGB02122 あもり 01917/01921 HGB02122 あもり ヒトを守りたい(5) (18) 94/10/29 02:00  他人を守ろうとすることの一歩先に「強くあるべき事」があるだろうと思う。  しかし、私は「強くなる事」への努力をなるべく避けようとしている。  これを素直に考えて見ると、  「自分にとって人を守るという事は、絵に書いた餅のようなもので、私が常   に「他人を守りたい」と思う事は、餅を奇麗な色で彩色している作業に等   しい。   「守る」は殊のほか美しい言葉であり、良い(酔い)言葉だ。   しかし現実は、強くなろうとする事と重なって、非常に地道な事で、膨大   な時間がかかり、一過性のものではない。守って死ねればマシで、戦う事   で腕をもぎとられる事もあるだろうし、相手を回復出来ないくらいに傷つ   ける可能性もある」  これは、少し以前に考えたことであり、ほぼ頭で考えたことである。                  HGB02122 あもり 01918/01921 HGB02122 あもり ヒトを守りたい(6) (18) 94/10/29 02:00  人を守りたいと思うのなら、毎日10キロ走れ。そうすれば可能だ。  たとえARIONにそう言われても、自分には出来ない。  (ARIONは絶対にそんな事は言わないが)  それが現実だ。  しかし、現実に他人を守ってきた人はたくさんいる。  私が予想するに、常識をはるかに越える衝動と、一番深い所からの本能の  求めや、自らの存在が消えてなくなる位の相手への思い遣り、守る対象を  見極めた鑑識眼、全責任を背負う事への覚悟....そういった人達が、毎日  10キロ走る事を厭わなかったのだろう。  私には、人を守る事は出来ない。  出来る事は、砂粒を集めて星を作るような努力することだけだ。                  HGB02122 あもり 01919/01921 HGB02122 あもり RE:こんちは (18) 94/10/29 04:18 01910へのコメント  #01910 hay さん、はじめまして。  「10年の話」はですね、「話」だけでは終わらない、終わらせては  いけない所が一番のミソです。  終わらせてはイケナイと思っているのが私で、ナントカしなければ、  と考えて文章にしているのも私です。  こともあろうにフォーラムの1会議室を陣取って発言している訳です  から、これこそ「おこがましい」ことかも知れません。  しかし、その一連の作業は、それとなく自分を追い込んで行く働きを  しているようですし、数人の人が興味を示しているらしい。  その「興味」がどこにあるのかは分かりませんが、とにかく今の所、  文句は出ていないようなので....  hayさんのお話はどうも今一つよく分からなくて、頭をひねりました。  この会議室の不文律として、「文章は短ければ短いほどいい」というも  のがありますので、言いたい事一つに焦点を合わせて、一行だけでも良  いですから、分かりやすい文章を希望します。  これからもよろしくお願いします。                  HGB02122 あもり 01920/01921 HGB02122 あもり 浦和大田窪の寂しい人 (18) 94/10/29 04:19  「誰も話を聞いてくれない」から、お医者さんを射殺したそうです。  自分を分かって欲しい、話を聞いて欲しい、やっぱり誰でも思っている  ことなんですね。  それを封じられると、人間が壊れてしまう。  何ともはや、象徴的な....                  HGB02122 あもり 01921/01921 PFA03317 Eddie RE^2:なぜ、他人のせいにしたいのか? (18) 94/10/29 11:46 01900へのコメント Eddieです。 §「転んでしまった」という事実があるにもかかわらず、「恥ずかしい」と §いう気持ちを優先させてしまう、という事でしょうか? その場合の恥ずかしさが持続するとき、そのことになにか抵抗感がともなっていると き、 「恥ずかしさ」を持続させることで、その対象物に対して責任を取らない様にしている と言えると思います。 継続する「恥ずかしさ」は自分に対しての言い訳に変化します。 同様に恋人が浮気をしたショックが継続するようだったら、いつのまにかそのショック は自分に対しての言い訳に変化しているでしょう。 自分が浮気をしているっていう場合はどうなんだろう。 何かうしろめたさや、いやな感じを持続させながら浮気をしているなら、浮気に責任を 取っていないと言えると思います。                              Eddie - FARION MES(19):※精神世界/見聞録/ぶっ飛び話/アレコレ・・・・ 94/10/29 - 371/371 MXB01131 hay RE:RE:366 (19) 94/10/28 13:26 370へのコメント  EXさんこんにちは。 まず、すいません。EXさんの質問にちゃんと答えてませんでしたね。  ええ、皆感動でウルウルしちゃうんですよね。 (でも、「歌謡ショー」というのは「かなりの誤解」です。)(^^;) とくに社会の辛酸をなめてるだろう人ほどそうなんじゃないかと・・・ (私はここで西洋的合理主義、資本主義の社会といいたいんですが、「社会」って 似たり寄ったりかも。スリランカの悪魔祓いの話もあるし。) >演歌調歌手たちを「宇宙意識を得たアーティスト」などと言ってのけ  るセミナー関係の人 私これ初耳なんですがホントですか(¨)←ボーゼンの図 心理の面からいえば音楽療法の場合まずこだわりの感情をきっちりかみしめて(演歌調 ですね)それからEXさんのおっしゃられてたような自然音 へもってくのが王道かと ・・ (その方面に詳しい方、間違ってたら指摘ください) ただ、LIBの洗脳体験を書かれていた方がおっしゃてたように選曲は古い。  セミナーが上陸して17−8年、浸透しはじめて10年、マスコミの 話題にのぼるようになって5年くらいかと思いますが、マニュアルの変更 がないまま使ってる印象を私ももちました。 > この場合、環境が揃っている場合、危険な状況に導かれることなく  魔境の部分の話、EXさんの話むずかしいっス。 取り敢えず、「環境が揃ってる」というのはどういうことなんですか?