MRE - FARION MES( 2):【居酒屋1999】--------自己紹介・雑談 94/10/30 - 02881/02885 CXK03125 月狼 Re:最初のRT体験っていうと… ( 2) 94/10/29 20:35 02870へのコメント   どうも〜^^>優位さん >1000円でも「高い」という価値観が根付いていた時代 >でしたから、ホンの少しの時間が経過する度に、ドギマギしたのを >覚えています。   おお^^; だけど僕は課金を意識したことってあまりなかったんですよ。   通信始めた直後に割のいいバイトがみつかりまして、   「なんとかなるべぇ〜」   って感じで、ドンドンアクセスしてドンドン書き込んで、ドンドン課金 の桁を上げて、もう狂ってましたね^^; まぁ・・・・それだけチャットが面白かったせいもあるんですけど、   もう少し節制と言うものを覚えるべきだったなぁ〜と^^;   結局この一年貯金できませんでした(ToT)   おそらく課金に費やしたバイト代を合計すれば、今頃東京で優位さんと   会ってるね(笑)   ほんと後悔先立たずです^^;                                 月狼 02882/02885 CXK03125 月狼 Re:RE^2:私もRTをしてみたい ( 2) 94/10/29 20:36 02879へのコメント   こんにちわぁ^^>めのうさん >CBって、RTよりも沢山の人がいてコワイなーというイメージがあります。 >きっとやってみると全然違うんでしょうが...小心者だから、私(^^;   そうですねぇ^^; いろんな人がいますからね。   パラノイアから聖人までより取り見取り(おいおい^^;)   最初は、挨拶しかできなかったりとか、「わぁ凄いねぇ」「へ〜」   「きゃははは(笑)」と言うありきたりなセリフしか言えなかったりし   て、会話に入っていけない自分を凄くもどかしく感じるものなんです   が、慣れてくるに従って、ほんと「今私は、この人とリアルタイムで 会話してるんだ」と言う実感が追いついてきます。   だけど、一端はまったら最後。よほど意思が強くないと、すぐに課金   は、2倍3倍と膨れ上がっていくんですよ^^;   CBを薦めましたけど、回り道しないでFARIONRTに速攻かけるのもい   いかもしれませんね^^(みんな優しいし・・)   最近はたまにしか出ませんが、お会いできる日を楽しみにしてまぁす^^ P.S 月狼 テーマは会話していくうちに勝手に作られてゆくみたいですよ^^; 02883/02885 PXH01650 英雄 RE:クイズの答え ( 2) 94/10/29 23:29 02871へのコメント こらこら、人をまるでヲタクの権化のように言っとるが、小学生から RTをやるとは、ふてえやろうだい。わしは、髪の毛は長くないし、 顔の色も白くないし、太っていないし、アニメのTシャツ着ていない し、紙袋とショルダ―を下げていないし、SF大会に行ったことない し、同人誌を買ったことも作ったこともないし、銀縁の眼鏡じゃない し、人のことを「おたくは?」と言ったこともないし――ワシのどこ がおたくだああああああ!(←ジュウブン、オタクダッテ(^^;) 宿題の追加ぢゃ。 「おたく」「おたっき―」「マニア」「コレクタ―」「フェチ」の違 いについて、それぞれ50字以上100字以内で述べよ。 前回の答え) 写真を撮るためにも、文章を書くためにも、必要なことは共通してい ます。それは「よく見ること」です。さあ、どういう意味だろう? :おたっき―ますたあ: 02884/02885 PXH01650 英雄 RE:冬はいいが夏は(^^;) ( 2) 94/10/29 23:30 02873へのコメント 「もう片方はどういうわけだか私の股の間で寝る習慣」 ううむ、「ワタシモネコニナリタイ」(^^;。 :英雄: 02885/02885 PXH01650 英雄 初体験 ( 2) 94/10/29 23:30 02870へのコメント つっても、RTのことよん(こらこら、そこ、ヘンな期待をしないよ に!)(^^)。 思えば、今年の1月3日のこと。いよいよ、RTなるものに挑戦しよ うと GO FARIONしたのであった。そんなわたしを迎えたのは、某T氏 だった。初日は午後の3時から6時まで。正月割引を利用したのであ った。それから連続3日間。 いやあ、何か興奮しましたねえ。つうわけで即RT地獄にハマったの です(^^;。 会議室には顔を出さないRTオンリ―メンバ―もいて、会議室での会 話と違った魅力があるね。なんつったってARIONとのRTもある からね!(といっても、わたしはまだ1回しかないけれど) RTで神霊と話しをする――すごいですねえ。FARIONのRTならで は、ですよ(^^)。(別に、シ**タが本質だという意見もあるが(^^;)。 めのうさん、はよういらっしゃいな(^^)/。 :英雄: - FARION MES( 3):【めでぃあ室】--------本/映画/音楽 etc 94/10/30 - 00672/00672 GDB00064 オリハル アニメ話 ( 3) 94/10/29 15:46 セーラームーンでは聖杯が出現する時に正4面体が出現したぞ。 これは、もしかすると… ドラゴンボールZはもう凄いとしかいいようがない。 フランスの子供たちの熱中が社会問題となっているという話。                      オリハル - FARION MES( 6):∞・∞ 壁(カベ)・∞・∞・∞・∞・∞・∞・∞・∞・∞ 94/10/30 - 03032/03035 NAG02033 EX RE:終わり ( 6) 94/10/29 13:22 03031へのコメント コメント数:1  #3031 すまる さん 呼吸するように生きる。これはこれは近いものがあるように 感じます。 「呼吸、心臓の鼓動は実は只一つあるもので、その宇宙の鼓動 と一つになること。という体験がある。」という知花敏彦の講 話テープを聞いた事があります。 真我とは、全一のものとは、何かですが、まず、「それと一体 になっているかいないかは、誰が一番よく知っているか?自分 が一番よく知っているはずだ。」知花(以下C(^^;))というこ とだと思います。 真我のイメージから自由にならねばならない。ですが、ここでは Kの「個我の思考の構造全体を見極める事で、それを越える」と いう方法が有効な所かともおもいますが、うーん、待って下さい。 真我のイメージ?そんなものあるでしょうか?atmanてこと ですから、これは個性を離れた只一つあるものなので、イメージ などないのですが(^^;) 「無形無双の大霊意外には何者も、見ても聞いてもいけない。」C 「限定付けられた思考のあるところに、真の自由が存在するだろうか」K 「心が絶え間なくそれ自身の本性を熟考するなら、心のようものはない ことが知られる、これがすべてものものにとっての正道である。」R.M ここらへんで、だからどうしたの、いいんじゃないと突っ込んでくれる 人が出てほしいものだったりして... でも、すまるさんのやっておられるものが、客観視から自分のイメージを 越えるというあたり、Kに近いものなので、興味深いです。 Kと言えば、霞が関書房の「解脱の真理」「キリストのヨーガ」を読むと 内容はKそのものと言ってもいいもので、ラマ教の大師も儀式や教条を越 えて行き着いているひとがいるのかと感心した次第です。 心は愛しいものだ、は、本来真我の形容で言い表される「存在、意識、至福」 に基づくのでしょうか。様々なレベルで幸福を追い求め、行き着く先は終局的 には、元居た所でしょうというのがあるとおもいます。いま、地球、人類にと ってのバランスが、「そんなに急がなくてもいいよ。」なのか「何をぐずぐず しているのか」なのかどうなんでしょうね。 知花氏にしても、今は急いでいる様子で、意識での交流のあるサイババ同様の 物質化現象をそろそろ見せるといっておるようです。ありり、以前言ってませ んでしたか。「瞑想の目的は、宗教・宗派を超越した、普遍的な神性のみを想 い、大霊への一心集中をすることにより「神との一体感」を得ることです。世 界平和のため、天変地異防止のため等という瞑想は正しい瞑想ではありません」 と。Cさんもあまり雑多なものになってほしくないな、という思いもあります が、それは方便として、結局は自己の真理という根本に引き戻すためなら、別 に良いかなとも思います。同様にサイババより、ラマナの方が簡潔でずれてい ないような気がして分りやすいので好きですが、いいんじゃないですかサイバ バも、と思っています。 ということで、方法論いろいろある中、結局行き着き先一つだとおもいますか ら、体験そして日々の生活の関わりの中で、大いなる自己そして神を実感した いものだなーというかんじです。 EX (NAG02033) 03033/03035 KFA05313 プラマタ RE:言わないでいること ( 6) 94/10/29 14:51 03030へのコメント * 3030の 夢虹さんへ あらまあ*夢虹さん・ですね、 そういえば、やって来たのを確かに覚えています。 とてもうれしい便りを、ありがとう。 予期ぜす・のうれしさと、「甘言男」と、呼ばれた人に・・・心をこめて。 なんだろうね・って、私も思います。 夢虹さんの遍歴の過程って、私も振り返って確認してみる時に、 それは同じ順番で、確かにあるなって思う。 その質が、きっちり同じ順番なので、 たぶん、何か必然性があるのだろうけれど・・・その、通り抜けなければ やってこない自然さ・のようなもの・とか。 踏まなきゃ渡れない橋のようなものとか。 いつから、なぜそうなったのか 地点と理由は、全然はっきりしないけど 私にも、ときどきその >   あまりに「楽に」話しが出来るようになってしまったために の「甘言男」はやって来てしまう様です。 「相棒」の友達だ・と言われただけで、初めて紹介されるにもかかわらず 古い友達みたいな感覚で、話しだして笑ってしまう。 おまけに、口調が自由すぎて、笑いがなかったら ただの「あぶないおっさん」なのでした。 年を取ったというのとは、違うと思う。 自分を許せた・とか、自分と仲直り出来たとか、そういう方向のせいだと思う。 話は変わるけれど、 祖母と暮らしていた時期に、私は髭を剃るのをやめ、 はやしてやろう・と、つけてみたい誘惑に喜んで同意したのですが。 祖母は体験的に「髭」が、とても嫌いでした。 戦争を体験し、軍人を体験している・というわけなのですが・・・解らないでもない。 何もない所から、人は脅迫観念を作り出すことが出来る・と思う。 そして、また、それから自由になる事をめざして戦い 自由になったあかつきには、何かしらを達成したとか、 他者にはない、何かしらを手にいれたと・・・思いこむこともできるし・・・ 単純であからさまな物を 複雑にして挑戦を生みだし、喜怒哀楽を生じさせるのは 全て思考のトリックのようなもの・の様にも思う。 原初の地点を内側にもっていながら、 そうした幻想の渦に飛び込んで・・・ああ−しんどかった、と言っての一巡りかな。 「人は自由になれる」と言う時には、正確には もともとそうしたものであったのだから、あなたはそうなれる・にすぎない。 と思う。・・・難しいのだと吹聴される全ての事。 ・・・何を言っているのだろうと・・・夢虹さん、ごめんなさいね、 夢虹さん宛の返事では、ないですね。 とはいっても、他の誰あてでもないですけど。 また誰かに、この文章の内容の「必要は?」と尋ねられてもこまるので 先に思いつくことを言ってみるとします。 「ある種の基本的な理解を述べてみて、共感を呼び、     あるいは・放とうとしている」 また、その目的は?と、気になる人が出るやもしれんので、 一応、こんな風に述べておきます。 「頭が軽くなる様な話が聞きたい」・・・ 集まった人達で、注意深さを保ったままで より観念的でない、深刻さのない、頭の軽くなる様な、 滋養のあるおしゃべりがしたい。 そうした発言は、既にたくさんあるのだから これらは、単なる個人的な「覚え書き」かな、と思って許して下さい。 ああ、なんでか知らないけど、読み返して、挑戦的な何かが・含まれてしまった、 感じとれる文章になってしまったみたい。けど。 それでは、今日はこの辺で、 夢虹さん、飛躍は気にしないでね。しいていうなら 可能な限り飛躍に飛躍を重ねて、光速を得たような、飛躍話しが 僕は聞きたいと思っています。 ありがとう! プラマタ(KFA05313) 03034/03035 SGW00342 エスペラント ごくまさんへ ( 6) 94/10/29 23:44  少し休憩して、聞きたいことがありますが、ごくまさんは、もしかして自然からの  働きかけが圧倒的に強い世界に住んでいて、人間の理性が生み出す言葉を強く圧迫  して押し潰してしまうような環境にいる(いた)のではないでしょうか。  都市に住んでいますと、人為的に不快な要素がいやでも自分の世界を覆い尽くして  しまいますから、例えば、ラッシュの電車に何十分も乗っていると、心身共に消耗  しますし、淀んだ空気と騒音は、いやでも否定的に私の意識に入ってきます。  だから、都市に住んでいる私の発想からすれば、最初はただ受け身に否定的気分を  身にまといますが、やがて肯定できる何かを求めようとするのですが、ごくまさん  の場合は、どうも否定することに強くエネルギーを注いでいるんですよね。  自然の引き起こす現象というのは、言葉を失うほどに美しいものばかりではなくて、  地震や、火山の噴火や、昔なら、飢餓や疫病に至るまで、圧倒的な力で人為を否定  することがありますが、同時にその力を肯定することを強要しますよね。  ごくまさんは、人為的に肯定できるものを求めなくても、自然と肯定の力が外から  注がれているという、そういう環境で生きているのではないでしょうか。そういう  雰囲気を7番会議室の発言で強く感じるんですが、どうでしょうか。  自然には畏怖すべき要素があって、時として、恐怖とか絶望とかを感じながら肯定  しなければならないことがあります。そういう何かを知っていて、それを肯定でき  ないでいる理性(人為)を、否定したがっているのではないかと思いました。  違っていたら、ごめんなさい。でも、ごくまさんが、どういう環境で生活している  のか、もう少し話を聞かせて欲しいなと思います。                       ≡△○ エスペラント ☆★ 03035/03035 GBG02755 すまる RE:終わり ( 6) 94/10/30 00:47 03032へのコメント あらら、まだ会話は続くのかしらん・・・なんちゃって。(^_^) でも、こういう言葉遊びは楽しいです。 たまには、こういう楽しみがあってもいいですよね>EXさん。 えっとーえっとー すまるは、知花さんと言う人も、Cさんも、KさんもR,Mさんも知らないよ。 サイババに至っては女性週刊誌で読んだだけだしぃ。(^"^;) 実はKさんも、読んだ本は1冊、それも日記で、読んだページ数は20に至らないよ。 だははは、そんでも、わかった気になるところが恐い。(^_^;) でも、なんとなく分かればそれでいいわけだよ。 それから、精神世界の本とか、瞑想の本もほとんど読んでいないです。 (1、2冊なら、それも入門書ならちょびっと読んだ程度です) ARIONお勧めの「自分を見る」をやっていたら、つまりは、自分のイメージから 自由になる作業になっていたってだけです。 真我にイメージがないと言われるけれど、ではなぜ、真我を求めるのかって 問いかけがあります。そのイメージは、具体的にではないにしろ、 例えば神に至るものであるとか のイメージはあるわけで・・・ 言葉が存在するってことがすでに「イメージ」されていると言うことなので、 イメージはあるんですよ。 まあ、いろいろな人が真我について言葉にしているようですが、 どれが正しいとも間違っているとも断言するべきではないし、 はっきりいって、たぶん、どれも破片でしかないでしょう。 寄せ集めても、真我を捉えることが出来るかと言ったら、?です。 到達したと思っても、本当はわかりません。 その人がそこに至ることに納得しただけでしょう。 人は自分の器に応じたところで、納得するもののようですから。 人類にとってのバランスですかぁ?(^_^;) 直感では、急がねばならないと思います。 しかし、急ぐことで、大切な何かを見失うとしたら、本末転倒でしょう。 いそがば回れでしょうね。 「人」と言う観点ではなく、自分はどう歩めば、ちょうど良いのかと言う足元を 確かめることの方が大切でしょう。話は大きくすると、本質を見失います。 人は求めるものに出会うようです。 しかし、求めるものは、いつも求めた形ではありません。 ほとんどが、苦痛を伴い(それは、求めたものが、求めた形をしていないから) 認め難いものです。そして、手にするには、かなりの努力を要します。 形に固執せず、子どものような無邪気さで、受け取ることが出来れば、 きっと手にするでしょう。少なくともすまるはそう信じています。 また、実際にも、そうして手に入れています。 求めたものは、忘れた頃に現われたりして、またはいらない!って拒んだときに 押しつけられたりして・・・・(-_-;) 思うようにならないですよ、全く・・・・(;_;)                            すまる - FARION MES( 7):★世紀末書込み寺★・・・・・・・・・・・・ARION 94/10/30 - 03772/03779 GDB00064 オリハル RE:問「解釈は力ではないか?」 ( 7) 94/10/29 15:47 03767へのコメント またまたエスペラントさん宛のファイルに失礼してRESさせてもらいます。 大変にキツイ言葉になってると思いますが、「否定」を目指すあなた用です。 |間違っている」と言われたところで、どうにもなりません。はっきり見えてるんです |から。私自身が、今まで述べてきたことを撤回し、否定したとしても、目の前にある |事実は消えようがないんです。 | <問い> | 人間として生きることの面白さを、十二分に引き出すことができるような生き方 | はあるだろうか?   《安定願望》 では、これら、上記二つの発言の目的・意図は、 どのような「何等かの安定願望」に基づいた発言なのか、 「事実」に基づき、解答をお願いします。 「安定願望」自体を本当にあなたは問題視するのですか。(質問A)   《目的、意図》 それと、これらの発言の目的、意図は何ですか。 つまり、何を肯定するための言葉なのですか?  人間は肯定しかしていません。 ・あなたは、何を肯定するためにそんなに否定ばかりするのですか。 「事実」に基づき、解答をお願いします。 本当にあなたは「“何も”目的も持ってない」のですか。(質問B)   《意識》 「記憶喪失者」ではなく、「赤ん坊」が「意識」を持っている(吹u生きている」) 事を、ごとうくまおさんはどのように説明しますか。 「事実」をよく見て、説明をお願いします。(質問C)                               オリハル 03773/03779 GDB00064 オリハル 私の道 ( 7) 94/10/29 15:48 自分の道として私にはスブドのラティハンが与えられている。 私が外なるARIONを恐れるのは、私に、ある責任が存在するからである。 それは仕事であり、私個人の道としてARIONに関わっている訳ではない。 だから、私はFARIONに来たばかりの時に、ARIONから 「掟は破られた。長によって破られた。  残された民は自らの魂の声さえ聞く事が出来ない。」 と言われた時に、その示す方向を理解、納得し、従ったのである。                ~~~~~~~~~~~~ いったい、私の守備範囲はどこからどこまでで、どこまでの事をすればいいのか はっきりと認識していない。しかし、その認識は、やって来るものだろう。 つまりは、私自身の道としてスブドのラティハンなのです。 真如宛の接心とか受けた事もありますが、そういう特定の形や方法ではなく、 実際に常に新しく、神の力が人間をどんどん変革して行く道です。 真如宛の接心や、真光の手かざしなどは、外的な、画一的な方法です。 ただ、真光の場合は、その力が引起こす現象は注目するものがありますが、 やはり、私はペンダントを命よりも大切にする事など出来ない。 また、そのペンダントが外的である、という論理が、 当時の私の中の蛇に猛威を奮わせるきっかけにもなった。 真光の教祖が神と繋がっているから、会員のペンダント(御霊=おみたま)が 力を持つのだけど、スブドの場合は、人間が直に神の力と繋がり、浄化作用が 始ります。それは、私の道です。 P.S. ところで、ARIONが「誰に」RESをつけるかはみれさんが選ぶのですか。 みれさんが指定するとRESをつけてくれることはありそうな事だと思います。 上記の質問にお答え下されれば幸いです > みれさん ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~                                オリハル 03774/03779 SGW00342 エスペラント RE:問「解釈は力ではないか?」 ( 7) 94/10/29 22:49 03766へのコメント #3766 ごとうくまおさん  こんにちは。周囲の様子を見て、もう少し議論を続けようと思います。 >私が言いたかったのは、「客観的に自分を観ている自分」がいない状態、一元的な >客観性ということです。自分が観るのではなく、ただ観ること、「観る」ことに、 >どのような意見、解釈、説明も挟まずに、思考の二元的な反応を挟まずに観ると >いうことです。  あなたの定義と自己矛盾しています。あなたの「観る」とは、意見、解釈、説明を  する以前の根源的な意識現象のことですね。ならば「意見、解釈、説明を挟まずに  観る」という表現は、定義をもって、その語を形容するという悪循環です。  絶対的な事実として、〈すでに〉意見、解釈、説明が加えられた形の意識現象から  「自分を観る」という行為を始めるしかないのです。あなたが「観る」ことをして  いると感じている瞬間に、〈すでに〉それは、「意識する」に移行しているのです。  とすれば、いくら「否定する」としても、その意見、解釈から逃れられませんよ。 >「観る」ことは、知覚が今現在にあることで、過去のものの知覚への移行とは >「意識する」ということだと思っています。  それなら、私の先の発言の中に代入してみればいいでしょう。   「観る」はすでに過去のものへの知覚へと移行しやすいものだとすれば、  →「観る」はすでに「意識する」へと移行しやすいものだとすれば、  何の問題もありませんね。次いきます。 >また、「一歩前」つまり未来を観ることは不可能です。なにせ、一歩踏み出す間に >何が起こるかわからないのですから。意識が作り上げる未来は、どれほど目新しい >ものでも、予測の域を出ないのではないでしょうか。  行為としての「未来を観る」は可能、結果としての「未来を観る」は不可能です。  結果としての「未来を観る」は、過去の記述だから「未来を観る」と矛盾します。  だから結果としての「未来を観る」は不可能です。  けれど、行為としての「未来を観る」も不可能・不必要だと言うかも知れません。  では、周囲が完全な闇に包まれている時に、あなたは目を開けていても開けないで  いても同じだからといって、さらに目を閉じて歩きますか。あるいは後ろを見たり、  キョロキョロしながら歩きますか。それとも自分が進もうとする方向へ、何も見え  ない先に視線を向けて進もうとしますか。試してみてください。                       ≡△○ エスペラント ☆★ 03775/03779 SGW00342 エスペラント RE:問「解釈は力ではないか?」 ( 7) 94/10/29 22:50 03766へのコメント #3766 ごとうくまおさん >人間にはエネルギーがあります。命の源とでも言うような、何か根源的なエネルギ >ーが。言葉は、それに方向=ベクトルを与え、力に変換します。  あなたは言葉は説明としての情報(過去)だと言っていましたが、方向=ベクトル  を与えるとは、当初一言も触れていません。それは「観る」を「意識する」に変換  する際の言語化の働きとは別の側面を表しています。  ただし「力に変換する」は不適切です。エネルギーは根源的なものですから、意識  することができませんが、言葉によって方向性を与えることで、「力」として作用  します。「方向=ベクトル」とは、現在における未来への示唆を表しています。 >力は、ものを動かし、破壊し、変形させることはできても、創造することはできま >せん。「創造」は、力ではなく、エネルギーです。  「する」は、エネルギーではなく、力です。 >意識が時間を作ります。時間は、過去の蓄積があってはじめて成り立つものであり、 >今という瞬間においては存在しません。時間とともに空間が作られ、そして意識は >ここからあそこへと動くための力を必要とします。  では、感覚を通じて知覚された情報を「空間」として意識する姿勢を、あなたは、  いつ、どのようにして身につけたのですか。蓄積された情報を「時間」として意識  する姿勢を、あなたは、いつ、どのようにして身につけたのですか。空間と時間が  一種の虚構であることは認めますが、その虚構を身につけたのはいつで、どういう  過程によるのですか。 >あるがままから離れたところに、自らを自由にするであろう「神」を想定し、自ら >が作り出した空間を移動するための時間と、力を必要とする。それゆえ、エネルギ >ーを利用するのです。  ですから、あるがままから離れている「意識の状態」から行動を開始して下さい。  その場合「あるがまま」から、過去となった「意識現象」への過程は、事実として  存在しているのですから、その過程を逆行する方向を意識しながら、徐々に意識を  解放していくことは可能でしょう?  >精神が、意識・言葉によって方向を与えられていないとき、つまり完全に自由なと >きにのみ、このエネルギー、神を感じることができるのではないでしょうか。  これは、河井 浩美さんのテーマですね。8月の発言まで遡って読んでみて下さい。  きっと、得るものがあると思います。                       ≡△○ エスペラント ☆★ 03776/03779 SGW00342 エスペラント RE:問「解釈は力ではないか?」 ( 7) 94/10/29 22:51 03767へのコメント #3767 ごとうくまおさん >《 あなたの意識にとって未知であるものは、意識にのぼることさえありません。 > 事実そのとおりです。エッさんにとってもそうではありませんか?  それを事実として確かめることはできません。 >私が言っているのは、現実として未知のもの、知らないものです。全く知らないも >のについて想像したり、それについて具体的に述べることなどできません。  では、あなたにとって経験の蓄積のない段階まで、意識の内部における時間を逆行  させてみて下さい。意識は時間の形式で、経験を蓄積させているのでしたね。その  一番根源となる初期の段階では、何もかも未知のものであるはずですが、どうして、  あなたはそれを「意識する」ことができたのですか。 >ここでまた例え話をしますが、私はこれからジャングルに探検に出かけます。出か >ける前に、探検資金を出してくれたオーナーから、「カミ」という生き物を探して >こいと言われます。ですが、私はそれを知りません。オーナーは、その生き物が何 >かすごいものだということを聞いているだけで、それ以外は知りません。哺乳類な >のか、爬虫類なのか、鳥なのか、虫なのか、どんな生き物に似ているのか、その姿、 >形、色、鳴き声も知らないのです。どうやって見つければいいのでしょうか。  ジャングルというのは、過去の情報に満たされた思考の迷路のことを示唆している  のですね。ジャングルは危険で満ちていますので、是非奥地にまで踏み込んでみて  下さい。目的なんていうのは、とりあえずあればいいのです。「カミ」を探すのは  不可能ですが、探検したければ「カミ」を探すことだと思います。 >というようなことで、意識は未知のものを捉えることができないというわけです。  その結論に、あなたの意識はその後どのように対応していくのですか。 >未知のものとはこういうものだ、という想像を作り上げて、それを追求することは >できるでしょうが、思考が想像できるのは既知のものか、それに少々変更を加えた >ものにすぎません。それは目新しいかもしれませんが、本当に新しいものではない。 >未知のものは新しいものです。そして新しいものを生み出すのは、思考ではなく、 >創造のエネルギーです。  しかしこの部分は、既知のごくまさんの発言に少々変更を加えたものにすぎません。  どうして同じ内容を何度も繰り返すのですか。新しい表現を創造して下さい。  おまけはまた、今度。                       ≡△○ エスペラント ☆★ 03777/03779 GBG02043 維/YUI 人間として・・・ ( 7) 94/10/30 00:08 ごとうくまおさん、はじめまして。 維/YUIです。 どうぞよろしく。 人間としていきることの面白さを、十二分に引き出すことが出来るような生き方って 話を読んで感じたことを書きます。 人間として生きることの面白さって、なんだろう・・・。 そのひとによって、感じ方も違うだろうし・・・。 私なんかは、生きていていろんな事があって、辛いことやら悔しいことやらが あっても、それを通り抜けてがんばっていくこととか、それがうまくいって なんだか嬉しくて、元気がでてしまうようなとき、その自分にとっての経過が とても面白く感じます。 たとえば、それを生きることの面白さだとすれば、 十二分に引き出すためには、もう、その都度その都度、そのときの自分に出来る 精いっぱいのことを、一所懸命やるってことなんです。 そのとき自分で自分に 嘘をついていたりすると、あとで心残りが出て、それが欠落になって十二分に ならなくなっちゃった・・・って、感じかな。 本当は、どこからか命をいただいて、ヒトとして生きるのだから、それをちゃんと 生かせるように生きてあたりまえ、そうじゃないから問題が起きちゃうのかもしれ ないな・・・なんて思ったりします。 ・・・、横入りになっちゃったかなぁ・・・・だったら、ごめんね。                                  維/YUI。 03778/03779 HGE03563 SONIC RE:80行の戯言 ( 7) 94/10/30 02:14 03762へのコメント こんにちは月狼さん 僕にも通信の世界と肉体の世界?のギャップに悩んだことがあります。 後で気がついたのですが、この両方どちらも現実世界でした。 肉体を媒体とする世界が今までは現実ととらえていたんですが、 実は自分で思っていたほどの現実感をもって肉体の世界に挑んではいなかった。 同時に通信世界でも。 同じく本人しだいで両方を現実世界だととらえられるんだと思います。 過去に考えていたことは月狼さんと大体同じです。 容姿や肩書、力に対する恐怖感等が感じられないからここ、 通信世界では好き勝手言えるのでは無いか?・・と。 でも確かにそうではあるけれど、肝心な見方をしていないことに気がつきました。 「人を傷つけたり傷つけられたりする痛みが怖くて物が言えたり言えなかったりする 世界」です。 通信世界でも、いろいろトラブルやっていると、だんだんとその媒体とする自分や相手 の文字文章に感受性が出来てくるみたいですよ。(^_^;)感じる事が出来るようになると、 過去のおかしな基準の考え方がいかにつまんなかったなぁなんて思うようになりました。 自分の場合、どの世界でも、一番「怖い事」は、言いたいことを言った、でもその後、 逃げずにずっとその言った相手と顔を突き合わせて生活していくこと、です。 フォーラム脱会を考えるほど人間関係がこじれたときに、 初めて通信世界を現実と感じるんじゃないかなぁ。 今、通信世界を現実として振る舞っている大人の人たちって、(なぜかカッコイイと感じる・・) けっこう過去に通信世界で傷を負ったりとか死んだり(脱会(^_^;))とかしてる人、 多いんじゃないかなぁ。 脱会を何とも感じないっていうのは、やっぱり現実感が喪失していると思う。 実際の肉体の世界でも人間関係を軽んじてサッサと転職とか平気でしているのは、 肉体の世界での現実感の喪失だと思う。(といいながら、先日退社してしまった私) 現実感っていうより、責任感ってやつかもしれません。 やっぱ結局、自分はその世界の一部、としてとらえる現実感とか責任感とかは、 その「感じ」が全てだと思います。でもこの「感じ」って、あんまり積極的に受入れ たくないようにも思うなぁ。自由を束縛される感じがする。 そこでやっと自分には力(精神的社会的肉体的な)が無い事に気付くのであった・・。 現実は重く考えなくても重いものだとどこかに書いてあったし、深く考えないほうが 良いのかもしんないです。 うう、何だかまとまらなくなってしまったのでこの辺で。 03779/03779 NBB01420 SUKE 私の虎の話 ( 7) 94/10/30 03:42  前の会話で、実は酷く腹が立ったことがあります。  そこで虎の話を思い出したので、その時に何を考えたか書いてみます。  ただ、前の会話は引き金になったと言うだけで、この発言の内容はそれには関係  なく、むしろ私の独白です。                 =====  #3749 を読んだとき、私の発言を思いも寄らなかった解釈をされて、蔑まれたよ  うに読めました。  (もちろん相手にそのつもりは無かったのかも知れませんが、私にはそう読めた  という事です。)  腹が立ってその場でレスポンスを書いてみたのですが、アップはせず一晩寝かせ  てみることにしました。そして結局アップした文章は腹が立って書いた部分を全  く削除したものになったわけです。  「相手の文章を批判しても得るものは無いだろう」という漠然とした思いから、  「何故自分は腹を立てているのだろう?」と考えてみました。  結論は私が優れていない自分を許せないからなのですね。          ~~~~~~  つまり「自分は誰からも優れていると思われなければならない」という暗黙の制  約が相手への反発心を生んでいたのです。  そんなことに拘ることはないとわかっていても、今まで潜在的に私を動かしてき  たこの制約は、そう気が付いた後でも御し難く怒りを発憤します。  これが私の中に居る虎の一部なのでしょう。  そう思うと怒りはすっと抜けていきます。しかしすぐに「怒りたいときは怒れば  いいじゃないか」とけしかけてきます。虎が怒らせようとしていると言うよりは、  私自身が怒りたがっている、という感じ。                 =====  最終的に発言文章は「何が議論の主題だったか?」と考えて書きました。  でもこの虎の話は、自分を観る一つの過程だったかもしれないとも思い、どうし  ても書いておきたかったという気持ちです。  (この部屋で良かったかな???)      まだ虎は息を潜めて待っているみたいだ(--;)…☆ッテナモンダ Suke. - FARION MES( 8):☆恋愛玉手箱/風まかせ編☆・・・・・・・・・・・・・・ 94/10/30 - 00578/00578 MHF01607 える RE:自立って・・・ ( 8) 94/10/30 03:12 00577へのコメント  はじめまして>めのうさん  そっかー、「自分の選択に責任を持つこと」って納得です。 これなら抽象的じゃないし(私にとって)、意味もわかるしいろんな 場面にあてはめても納得できます。  そいでもって、自立と恋愛の関係性についても考えやすくなりました。  うーん、難しいですねぇ・・・これも同意。 努力して出来るとか そういう類ではなくて、自然にいろいろ人生で学んで(あ、抽象的な言葉 か(^_^;))、人間が大きくならないと なかなか・・・  他人を批判する決め台詞として「自立してない」って言う側 のほうも自立してないって、本当にそうだと思います(何にでも例外は あるけれど)。 かくいう私もあまったれた言動してる人(と、私が思うのは 大抵の場合イコール自分が嫌いな人なのが、ちょと恥ずかしい)を見ると 「あいつ自立してない」って評価しちゃう事あります。 何故か、そういうの って異性に多いんだけど(^_^;)                          えるっ - FARION MES(13):★神秘学遊戯団★・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・KAZE 94/10/30 - 01874/01878 GGD03030 《 隆 》 心神こう弱と言われても・・・ (13) 94/10/29 16:27 01859へのコメント  KAZEさん、こんにちは。    >え〜、全国的にはもうほとんど話題にはのぼらなくなった渇水ですが、  >数日前からやっと8時間給水になりました(^^)。  ほんとに喉元過ぎればですねぇ。いつのまにか報道されなくなった渇水ですが、ま  だまだ予断を許さない所も多いのに困った事です。我が家は相変わらず溜め水して  トイレを流していますが(習慣になってしまった(^^;))、その目の前でホースから  水をじゃーじゃー出して車の洗車なんかをされると、なんだか頭が変になりそうで  す。雪国以外の冬は渇水期なんだけどなぁ・・・。    >やはり、問題解決のためには、その根っこのところにある原因を究明し、  >その原因の部分をなくさなようにすることが欠かせないのですが、  >たとえば、不摂生しといてから病気になって病院に行き、  >不摂生はやめないけど病気は直してほしいなんてことがあります。  そうですね。「何故」という部分が欠落すると、どうも世の中チグハグになるよう  な・・・。しかし、いまどき不摂生はやめないけど病気は直してほしいなんていう  骨董品みたいな人っているんでしょうかね???。ちょっと想像できない。最近、  実社会でまともに働いていないからわからないだけなのでしょうか。    >その反面、いろんな「違い」が前提となりながらも、  >同じ地球の同じ時代に生まれてきているということには、  >それなりの意味があるのだと思いますので、  >その共通の基盤を確認していくこともまた必要じゃないでしょうか。  同じ地球の同じ時代に生まれてきているという事が、一番の共通基盤なんだと思い  ます。それはおそらく、共通の課題を持って生まれてきている事の証なんじゃない  かとも思います。そしてその課題は「違い」を吸収する事による進化なのでしょう。  もちろん、同質の感性が重なる事による進化というのもあるんでしょうが、僕など  は「違い」に打のめされたり(^^;)、悩んだりしながらそれを認識して行く事が課  題なんだろうなと思い知らされる事しばしばです。    >やはり「道具」としての英語という意味では非常に重宝する道具なわけで、  >「英語で思考する」という危険性をあえて冒してみるのもまた一興かと^^;。  そうそう、道具としてはなかなか優れものなんですよね。僕はコンピューターを飯  の種にしていましたから、英語はほとんど必須条件みたいなものです。もちろん、  英会話ができるわけじゃないけど、コンピューターは英語圏の産物で、その中に英  語的な思考が散見されるわけです。    >そういえば、シュタイナーも、英語というのは  >非常に唯物論的な言語だということをいってたようですが、  >唯物論を避けるのではなく、それを超えていくという気概も大事でしょうから。  道具として使役できれば良いのですが、そのためには確固たる日本語的思考が必要  です。しかし、悲しいかなまだまだそれすらもおぼつかない僕としては、英語を使  役するのは難しいかも・・・。日本人にはまだまだ英語ができる=優秀とかいう変  な価値観が残っている人もいますしね。    >最近は、どうも「どこ行っても同じよ」って感じになってきているようです。  ちょっと違うかもしれないけど、そういう感覚って海外に出ると感じます。どこへ  行っても「僕の居るところは僕の居るところだ」という感じ。ワクワクしながら行  くんだけど、さほどの違いはないなぁと思う事が多いですよね。まあ、もちろん空  気や雰囲気はそれぞれなんですけど・・・。逆にもう一度あそこへ行きたいという  欲求は相変わらずで、これは自分の中の何かがその場所を呼ぶのでしょうか。    >「禁断症状」というと、麻薬ではなくても、テーマは違え、多くの人がなんらか  >の禁断症状になっているということもいえるかもしれません。  なるほどねぇ、そう言われてみるとそうかもしれません。  話が飛んでしまいますが、東京の青物横町でお医者さんが射殺された事件の容疑者  が、精神病院の通院歴があるとかで、報道の方々は匿名報道にするかしないかでギ  ャーギャーわめいていました。あれってなんだか変だと思いませんか?。僕は基本  的に事件の被害者も加害者も匿名でけっこうだと思う(わざわざ知る必要もない)  のですが、それはともかく、精神障害がある場合にのみ人権を考えるというのはち  ょっとおかしい。先ほどの禁断症状と同様にどんな人でもみんな精神障害に近いも  のは持っている(物理的な脳障害は除く)と思いますし、そもそも犯罪を犯す事自  体が精神障害のような・・・。    裁判でも心神こう弱状態かどうかで、無罪になったりしますが、プロの殺し屋でも  ない限り、殺人を犯すような時は心神こう弱状態なんじゃないんでしょうかねぇ。  自分が神経症だからかもしれませんが、最近の人は多かれ少なかれ精神を病んでい  るように思います。それもこれだけ身体機能とかけ離れた生活をしていれば、いた  しかたない事だとは思うのですが、その事に無策だったり気がつかないという状況  はまずいような気がします。このへんは水が大事なものだと気づかずにいるのと根  っこは同じなのかもしれませんが・・・。    >そういえば、食事してて、近くの人がタバコをすぱすぱすってるのっていやです  >ね。タバコをすってるどうしだと、お互い麻痺してるからかまわないかもしれな  >いけど、あの臭いが食事の合間に流れてくるときの不快感は大きいです。  いくらタバコを吸う人間でも、やはり嫌なものですよ。こいつはバカかと思ってし  まう(^^;)。確かに食後の一服はたいへん旨いのですが、周囲に気を配らなくては  ね。しかし、寿司屋のタバコって論外ですよね。シンジラレン    >やはり、小さい頃の孤独な時間というのはひどくこたえるもので、  >子供の頃はやはりそういう状態は決して望ましくないと思います。  そうなのかもしれませんね。僕はそういう記憶がないからはっきりとはわかりませ  んが・・・。まあ、小さい頃から神経症ぎみで、夜中に恐怖感で眠れなくなったり、  天井がクルクル回ったりはしましたが、昼間は比較的楽しく過ごしていたような気  がします。    >ですから、ひとりでいると狂わんばかりに寂しいというのは、  >まずは、一度実際に狂わんばかりの孤独に  >放り投げられてみなければならないのではないでしょうか。  誰だって苦しい事は嫌ですが、苦しみから逃げるばかりではどうしようもありませ  ん。場合によっては、あえて苦しみを受け入れなければならない事もあります。現  世的には辛い事ですが、そういう事が進歩のかてになる事もまた事実のようです。  最近になってようやくそれを少しばかりできるようになりましたが(こればかりは  苦痛を伴うので頭でわかっていてもなかなかできない(^^;))、やはり実行するのは  非常に難しいものだと痛感します。    >赤ん坊なら純粋でいいのですが、心はいっぱい汚れてるから始末におえません^^;。  いらぬ知恵があるだけ、ジタバタ逃げ口上が多くなっちゃうんでしょうね。僕もよ  く自分に言い訳しながら逃げたくなりますが、同じ逃げるなら、言い訳しないで素  直に「辛いから逃げるのだと」自覚しなければと思います。                                by 隆ちゃん 01875/01878 GGD03030 《 隆 》 圧倒的に変わらない風景に対する憧憬 (13) 94/10/29 16:28 01860へのコメント  KAZEさん、どうもです。    >ぼくも最初は大学院に行って講師にでもなれば、  >いわゆる「社会に出なくてもいい」状態を続けられると思ってました。  それそれ。とにかく社会に出たくなかったし、企業に就職したくなかったのです。  しかし、やはり僕も否応なしに引っ張り出されてしまいました(^^;)。とにかく当時  の僕はバカの考え休むに似たり状態で、今思うと「やらなくて良かった」事はすべ  からく失敗している事を感謝せねばなりません。神様は捨てたものではない。    >感情をコントロールすることを感情を磨滅させるというか殺してしまうことと  >取り違える方がいるようですが、それはまったく反対のことだと思います。  短絡的に考えると、感情の暴走を押さえる一番の方法は感情をなくす事ですが、そ  れってお湯のふきこぼれを防ぐためにお湯を沸かさないというのと同じですよね。  また、同じコントロールするにしても、ダイナミックな感情をコントロールするの  と、ほとんど暴れない感情をコントロールするのとでは、その意味あいも違ってく  るのでしょう。っで、やはりダイナミックな感情をコントロールするのでなければ、  その甲斐もないというものです。暴れ馬を押さえてこその乗馬の楽しみというのと  似ています。    とはいうものの、やっぱり凡人には大変な事なので、あまりコントロールしようと  思いすぎるのもかえって良くないなどと、言い訳しながら自分と付き合う今日この  頃です(^^;)。    >そもそもの原点が、たとえば「女性に近づくな、考えるな、  >考えるなら、女性が老いさらばえて死んで腐敗するところを想像せよ」のような  >極端な「拒否」の姿勢になるのですから困ってしまいます。  これってやっぱり変ですよね。もう少し突っ込むと、この背景にはセックスに対す  る異常なまでの拘りが感じられます。なんでああも否定するのか。ストイックであ  る事がそれほど「聖」なる事なのかと首を傾げてしまいます。    ちょっと種類は違いますが、差別に対して異常に敏感になっている方にも同様な疑  問を感じます。意識し過ぎる余りに、通常は思いもよらない事を「差別」とおっし  ゃる。うがった見方をすると、「あんたが差別意識を持ってるから、差別だと感じ  るんじゃないの!?」と言いたくなる事しばしばです。    >「型」というのはともすれば「権力」的になって、  >自分の型をひとに押しつけるようになりかねませんから  >よくよく注意が必要だし、そうならないだけの主体性が必要にもなってきます。  むずかしいところです。そもそも「型」というのは、個人個人が勝手に作るもので  あって、わざわざ壊すものじゃないと僕は考えていますが、そこには他人から「型」  を押しつけらるような事はないという前提があります。だいたいなんで自分の「型」  を人に押しつけなきゃなんないんでしょうねぇ。ワカラン    しかし、おっしゃるように「型」が「権力」的になる事はしばしばあって、頭が変  になりそうです。自分と同じ「型」の人間をたくさん作っても面白くもなんともな  いと思うのですが・・・。    >しかし、どうもぼくは発想的に信長的な部分というのがありまして^^;、  >形に囚われているものに対する破壊衝動が濃厚にあります。  >そこらへんは、ちょっと極端に走りすぎるきらいはあるのですが、  >ま、こうした世紀末にはそういう発想も少しは必要なような、そんな、ね(^^)。  僕は逆に形式美に対する憧憬みたいな感情が強くあるのかもしれません。田舎で暮  らしたいなぁと思うのも、懐古趣味なのも、圧倒的に変化しない環境に抱かれてい  たいという変ちきりんな願望の現れなのでしょう(^^;)。もちろん、圧倒的に変化し  ない環境というのは、自然の営みに他ならないですから、それは大いなる変化の現  れでもあるわけですが、変化のしようがおもいっきり定常的なものを好むとでも言  うのでしょうか。ま、いずれにしても偏って暴走するのはまずいですから、それな  りに自覚を持って対処せねばとは思いますが・・・。    >多くの場合、運動会が好きというのは決まりきった権力的なことが好きというこ  >とで、そういう意味では、「運動会が気に入らな」いというのは  >非常に素直なのだと思います。  なるほど。確かに運動会でも「リハーサル」できる部分はおもいっきりつまらない  ものですよね。ただ、僕は違う意味で運動会がすきでしたよ。徒競争で1着になる  と貰える賞品が嬉しかったし、その日だけはヒーローになれますしね(^^)。実際、  大学生になって運動会がなくなると、なんだか自分の存在価値が一つ減ったようで  寂しかった(^^;)。    儀式もそれが好きな人にはそれなりの環境を残してあげなくてはと思いますが、嫌  な人に押しつけてまでする事はないですよね。勿論、嫌な事・不必要な事は全部排  除っていうのはまずいと思いますが、卒業式をするのに、わざわざ練習したり怒ら  れたりするのは、アホウとしか言いようがありません。こういうアホウな方々は儀  式の意味を全くわかっていないのだから論外ではありますが、論外だからと言って  ほっとくわけにもいかないですから・・・。ツカレルナァ(^^;)                                by 隆ちゃん 01876/01878 GGD03030 《 隆 》 DUOが遠のく(^^;) (13) 94/10/29 16:29 01866へのコメント  Paper Birchさん、こんにちは。    >もしかして、文章の作成を最初からワープロソフトでやってませんか。  もちろん、エディターを使っています。ワープロを使うほどの文章は・・・ほとん  ど書いていない(^^;)。ただ、98のエディターは仕事で使うという要求があったか  ら良いものを探しましたが、MACのエディターはちゃんと探してないですから、単純  に比較はできませんけど・・・。慣れもありますしね。    とにもかくにもまず自分のMACを手に入れねば。DUO280が安くなる事を望みたいので  すが・・・まだまだ無理かも。    >僕の基本的なスタンスとして、懐疑的な方向からのアプローチというのがありま  >して。どんなにもっともらしく思える理論でも、とりあえず疑ってかかる。  >信じる前に、まずは否定的な情報に目を通す。  >....という事を、必ずするようにしています。  そうでしたね。別に懐疑的である事を責めるつもりはサラサラないのですが(だい  たい僕自身が懐疑的だから)、なんかそういう書きようになってしまったようで、  面目ないです。(^^ゞポリポリ    ちなみにEMは元々根拠があってできたものではないですから、    >「ちょっと待ってくれ。ホントに根拠があって、そんな事言ってるの?」    に対しては、「むむむむ(^^;)」なんじゃないでしょうか。多分理屈は後からつけ  たのだと思います。まあ、考えてみれば、そもそも最初から根拠があって生まれた  り、発見されるものは少なくて、どえらい発見は偶然の産物である事が多いですか  ら、そういう意味ではEMも期待できたりして・・・(^^;)。    >そうそう。今日、電車のなかでEMの本を読んでいたら  >隣に座っていた人が話しかけてきまして(^^)  >その人は、実際にEMを使って農業をやっている人のようで  >いろいろと教えて貰えました。  確か、岐阜あたりだったと思うのですが、町ぐるみでEMを活用しているところが  あったような・・・。中部地方は結構頑張ってるのかもしれませんね。    DUOを買うための貯金を始めようと思ったら、下の娘がピアノを習いたいと言い出し  まして、なんだかまたしても遠のきそうな気配です。勿論、公団のアパート住まい  だからピアノは買えないのですが、かわりにミュージック・ワークステーションで  もと思ったりして・・・。嫌いじゃないだけに出費が恐い(^^;)。                                by 隆ちゃん 01877/01878 GGA02514 KAZE 読書遊戯●うろたえるな、日本 (13) 94/10/30 12:26 ●大前研一/ビル・トッテン/田原総一郎  「うろたえるな、日本/アジアから見た日米関係」(徳間書店) 今、そしてこれからは、アジアが面白い! そして、アジアを見ることで、日本をもう一度見直さなければならない。 しばらく前から、アジアの国々のことをいろいろ調べはじめているのだが、 これまでの自分の無知がいきなり露呈してきた^^;。 そして、その自分の無知をバネにして、しばらくはアジアについて できるだけ見ていこうという気になっている。 そのきっかけになったのが、司馬遼太郎さんの「街道を行く」シリーズの最新刊 「台湾紀行」(朝日新聞社)であり、 そこにでてくる台湾の李登輝総統である。 お恥ずかしい話、ぼくは台湾の歴史について、徹底的な無知であった^^;。 そして、この李登輝総統についても。 そうしてアジア及びその周辺の国々の指導者を見回してみると、 マレーシアのマハティール、シンガポールのゴー・チョクトン、 オーストラリアおポール・キーティング、フィリピンのラモス、 インドのナラシマ・ラオ、ベトナムのボー・バン・キエトなど 優れた指導者が続々とでてきていることに驚かされる。 国や地域が活性化するときには、そこに必ず突然変異のように 多くの優れた人たちが集約してくるようである。 そういう意味でも、アジアの今後は非常に面白いと思う。 ふりかえって日本を見ると、政治家のなんたる不作。 なんだか、まだ誰が天下をとるのかわからない時期の 戦国時代のようなありさまで、まだまだ混沌が続くのかもしれない。 この本は、日米関係の基本的な問題やアジアの可能性について提示しながら その上で、では日本はどうすればいいのかを考えさせてくれる好著である。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 01878/01878 GGA02514 KAZE 読書遊戯●司馬遼太郎「台湾紀行」 (13) 94/10/30 12:27 ●司馬遼太郎「台湾紀行/街道を行く四十」(朝日新聞社) 司馬遼太郎の著書はどれを読んでも、深い。 そして、深いだけではなく、かなり広い。 その点では、ノーベル賞は大江健三郎よりも司馬遼太郎のほうがいい。 大江健三郎の作品は純粋さでは深いが、 それで視野が広くなるとは思えないからだ。 ぼくは、高校生の頃から大江健三郎の著書をかなり読んできたが、 読めば読むほど世界は広がるどころか狭くなっていったように思う^^;。 高校生から大学生のぼくにとって、 それがある種の刺激になったことだけは確かだが、 それで日本や世界、歴史などを深く見ることができなくなったことは否めない。 もちろん、ノーベル賞を批判的に見れば、 大江健三郎の受賞が適切だとは思うのだけれど^^;。 (そういう意味では、司馬遼太郎とノーベル賞はフィットしない) しかし、大江健三郎は、地元愛媛県を含めて勲章の類を拒否しているが、 なぜノーベル賞は拒否しなかったのかが疑問である。 (疑問であるといっても、ノーベル賞が国内の勲章の性格と どうちがっているのかを大江氏はどう説明するのだろうという疑問だが) 話がそれてしまったが、台湾についての今回のエッセイ集は ぼくの目を一気にアジアに開かせてくれた。 巻末には、李登輝総統と司馬遼太郎の特別対談も収められている。 紹介するべきテーマは多いが、その中でひとつ、 六十一歳の時に蒋経国晩年の「台湾化政策」によって副総統に指名され、 農業経済という専門から、望んだことではなく総統になった李登輝に関連して 「権力」ということについて。  世界には、多用で多数の国家権力がある。  李登輝さんは、そのひとつを持ちながら、しかもにこにこしている。 「よくそんな座にお着きになりましたね」 と、私は感心したような、あきれたような感想を、質問がわりに述べた。 李登輝さんは、即座に反応した。 「−−権力を自分にひきよせるのではなくて」 やや内気(シャイ)な微笑をうかべながら、 「まして自分が権力そもののになるのではなくて、ここ(机の上)に置いて いわば権力を客観化して、……つまり実際主義(プラグマティズム)でもっ て、権力から役に立つものだけをひきだせばいい、と思っているんです」 といった。 多年、そのことを考えてきたらしく、一気に述べた言葉がすべて体温を帯び ていた。 しかも言い方が初々しく、若い研究者が、実験装置を前に、学問としてその 主題を語っているかのようでもあった。すでに齢をとり、七十にもなるこの 人がである。 (P98) 人を、そしてその歴史を考えるのに、司馬遼太郎氏の著書は 素晴らしい力を発揮してくれる。 今回の「台湾紀行」はまた格別である。 この著書のおかげで、 他のアジアの国々の指導者たちについても非常に興味がでてきた。 まずは、シンガポールやマレーシアなどについても その歴史と現在について調べてきたくなっている。 司馬遼太郎は、人と歴史、そしてそのこれからについて どこまでも興味をかきたててくれる名手である。 少なくとも、司馬遼太郎の著書を読んで、人が嫌いになる人はいないだろう。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES(14):★Room 666/預言解読の部屋★・・・・YHVH 94/10/30 - 02582/02584 GDB00064 オリハル RE:議長辞任のご挨拶 (14) 94/10/29 15:49 02580へのコメント これからもよろしくです。        オリハル 02583/02584 PAG03134 はな 議長就任のごあいさつ (14) 94/10/30 01:15 コメント数:1  本日より、14番会議室長を賜りました はな です。  前議長のこれまでのご活躍ぶりを鑑みるにつけ、私のような若輩者に、 このような大役が遂行できるかと不安な門出ではありますが、この場を支 えてくださる皆様と共に、さらなる邁進ができればと思う所存です。  本会議室を引き継がせていただくにあたり、本会議室では預言解読のみ ならず、その外さまざまな話題を提供していただくという、前議長の主題 を踏襲させていただきます。  今後とも、皆様のより一層のご指導、ご鞭撻をお願い申し上げます。              * →・ はな ・← * 02584/02584 HGE02116 MAKOTO RE:議長就任のごあいさつ (14) 94/10/30 01:32 02583へのコメント 議長就任おめでとう(*^_^*) いつも、興味深く拝見してます。 これからも、面白い書込み期待してますので、頑張ってくださいね☆ YHVHさま  長らくの議長、お疲れ様でした。  議長止めても、書いてくださいまし。  ちと難しいけど、なんか面白い(^o^)                         MAKOTO でした☆ - FARION MES(18):★二人三脚ネットワーク実験室★・・・・あもり 94/10/30 - 01922/01922 MXB01131 hay RE:こんちは (18) 94/10/29 14:00 01919へのコメント あもりさん、こんにちは。 自覚がありながらハンパなことをしました。 連想したものとして、強引に自分の話にもっていきました。 申し訳ない。 説明しますね。(私の想いをはせたこと)  自己をみるまえに現実をみる。(でもそれって重なってることが多いよな)  地に足をつけることだよな。  自分の身の回りから始める、もしくはそれが全て。  「食う寝る排泄する」はすなわち日常そのものが勝負。(禅的な世界だなあ)  空想している状態は「死んでる状態」のことで「現実にはいない」状態。  理想を現実化しようとしているか?努力してるか?を一番評価しやすいのは   社会的(対外的)なものより血縁関係である(それは本音と建前を使わない   場所だからだ←私の場合)   大体以上のようになってました。  現実>空想へのシフトのはなしで連想したものの話にかわります。  「私」の「今」の「考え」「方」(・・・マドロッコシイノデ普通の書き方に  変えます)   私の今の考え方では神と悪魔というものは、あるひとつのものの違う側面  だと思ってます。(なぜそういった考えにいたったか、規定するようになったかは  覚えてないのですが)  それは瞬間、瞬間に(自分の行動の)選択をせまります。  そしてそれは自然なグラデーションのようなものなので、自覚することが  あまりありません。  いまの私にはMES 19でいってる「魔境」とはそういうものである、という  捉え方です(超常能力とか幻想、幻聴の話はおいといてね)  ・・で連想したことというのは「魔境」に似てるなということです。 > 「他人のためになにかをして〜誰かを守りたい」  というふうに自分ではなく他人が出てくるのはなぜなのですか? >「全責任を負うことへの覚悟」  失礼をお許しください。あもりさんは未婚者ですか?  私も自分のことを表明しておきます。あもりさんと同年代で未婚です。 hay - FARION MES(19):※精神世界/見聞録/ぶっ飛び話/アレコレ・・・・ 94/10/30 - 372/372 GDB00064 オリハル 虚構 (19) 94/10/29 23:51 356へのコメント |虚構です。 と言っちゃいましたけど、 |虚構になります。 と言った方が良かったかも、と思っています。               オリハル