MRE - FARION MES( 3):【めでぃあ室】--------本/映画/音楽 etc 94/11/04 - 00674/00674 PXB01563 おみゃー 漢字コード辞典 ( 3) 94/11/03 22:49 言わずと知れた文字コード表のオンパレード。漢字の讀みと畫數、區點コード、 JISコード(16進コード)、UNIXで使われるEUCコード の辭典。 僕がたまに使う舊漢字、ゐわゆる異體字(正漢字)を調べるのに使つてゐます そもそもは他のフォーラム話で恐縮ですが、FBOOKRのMES8に正漢字・正假名遣 の方が居て、其の眞似なんぞを企んだ譯です(^^;)、最初は其の方の使う漢字を 辭書登録してゐたのですが、讀めない字が夛いのです(^^;)角川の漢和中辭典を 使つていると重くて重くて(^^;)それに辭書登録していない字は出せないし。 (舊漢字變換フィルタープログラムを使つたらマシンがハングするし) なんとゐつてもこの辭書は當用漢字と舊漢字が竝んでゐるのが大變使ひ易ひです。 實教出版 ワープロ・パソコン漢字コード辭典 定價2800圓 おみゃー @名古屋 - FARION MES( 6):∞・∞ 壁(カベ)・∞・∞・∞・∞・∞・∞・∞・∞・∞ 94/11/04 - 03050/03051 PXH04471 夢虹 RE:RE^2:言ってみました ( 6) 94/11/04 00:36 03042へのコメント コメント数:1   「ここを過ぎて悲しみの市」     プラマタさん、ごめんね。     でも、     どうやら、プラマタさんも気に入って??頂いたようなので安心しました。     イタズラとして書いたとは言ったけれど、     この言葉には、以前から不思議な魅力を感じていたのです。     「ここを・すぎて・かなしみの・まち」     何かの窮地に立った時(そんな事、めったにありませんが)     この言葉を、呪文のようにつぶやいてしまう。     ダンテが地獄の悲しみの有り様さえ、ただ「見て」過ぎたように     どんな悲しみの時にも、これを唱えれば、     ダンテのように「過ぎていく」ことが出来るかのように。     あとね、自分でも気のつかないうちに      つぶやいている言葉が、もうひとつあるのです。     「巷に雨の降るが如く・・」、意味無し(笑)。   ***********************************************************     ここを過ぎて、     いくつかの街をすぎて、     人は訪ねて見る     はるかな蒼穹の奥深く忍従の帯に漂う永遠     何も所有しないといふことで     すべてを所有しようとする不遜     おお、今夜は調子がいいぞ。こんな詩のような文句がスラスラ出てくる。     ちょっと、ハイになっているのかもしれない。     この文句、いつか使おう(笑)。 ****************************************************************     ここから先は私も、会話形式にして書いてみます。 >>僕は詩はかけないです。        あのお・・プラマタさん、あなたに詩が書けない訳がないじゃないですか、   まっ、いいけどさっ。    >>朝焼け峠を越えて行くと、眼下に見渡すのは「笑いの市」でした。・・・とか。 >>そして住民は「軟弱者」と呼ばれ、尊ばれていた、とかね。(笑い)         朝焼け峠って、いったい・・・     「根が固い」と自称している割には、面白いことを書きますね。     本当に「根が固い」の? >>夜の不思議な色合い・降り注ぐ神秘の音色・・・ですね。     あっ・・あのお・・返事を返す時には、それを書いた本人よりも、     優れた表現をしないようにね。     書いた本人が形無しになるから。     私の書いた数行を、プラマタさんは、たったの一行で表現してしまう。     怖いお方だ。 >>高田の馬場のアパートの前の人影のない真夏の昼の >>動かない相当な高さを持った沈黙の十字路に踏み込んだ時の真っ白な記憶。    人は、繰り返し現れてくる心象風景の幾つかを忘れないでいるものなのですね。    しかし、それにしても「高田の馬場」かあ。    私は、大宮だったのに。差があるぞ。あっ、これは関係なかった。    つい、ひがんでしまって。(^^;;  *********************************************************** >>イエスが伝導の旅に、出かけようとする弟子達を前にして     そうですね。そんな場面があったような覚えがあります。     でも、実際にはどんな言い方だったのかは忘れているのですが。     イエスの言い方は、「思い煩うな」といふ意味がよく出てきますね。     *その時になって、どんな事を言えばいいのか、と「思い煩うな」、とか。     *空飛ぶ鳥をみよ、彼らは蒔かず刈らず生きている     *だから、明日のパンのことを「思い煩うな」、とか。    あとは・・えっとお・・・思い出せない うっ・・。    手元に聖書はないし・・    これは、私の記憶の中で「そのような意味の事を言っていたな」と思って    書いただけですので、実際にはもっと違う言い方なのでしょう。    そう言うことですので、    プラマタさんの書いていた場面の正確な描写は出来ませんが、    私も、たしかに「信頼」を言っていたように思います。    神に対する絶対的な信頼ですね。    いざ、と云う時に、どんな事を云えばいいのか、    どんな態度をとればいいのか、    そんな事を事前に「思い煩う」必要はない、    神に身をゆだねていさえすれば    その時に必要な言葉や、勇気は、神が与えてくれる。    そんな意味あいの場面。    聖書の中には好きな言葉が幾つかあって、    例えば    「私は山に向かって瞳を上げる、救いはどこからやって来るのか」    これを文語体で表現すると、    「我、山にむかひて目を挙ぐ、救いはいずこより来るか」となる訳ですが    こちらの方がより悲壮感があります。    でも、これも私の記憶だけで書いているので、正確なところは少し違うかも    知れません。    あとは「人の子に枕するところなし」とかね。    つらくなるような言葉です。   「一粒の麦、地に落ちて死なずば、ひとつにてあらず・・」あっ、思い出せない。    ところで、こんな事を書いていると、いかにも私が信心深い人間のように、    思われるかもしれませんが、    私は何故か、旧約の神、つまりヤーウェとかエホバが、    好きになれないのです。    この話はまたいずれ。    最後に、私が脚色した短い物語を、舞台で演じるように書いてみます。     題名は「路の傍らの蛇の如く」なんて、どうでしょうか?       さあ、早く答え給え。         汝に石を投げつける者、何処に在りしか?       汝に石を投げつける者など、何処にも在りはしない。       ...主よ、誰も?       そう、全く、誰も。                          夢虹 03051/03051 PXH04471 夢虹 RE:RE^2:言ってみました ( 6) 94/11/04 00:38 03050へのコメント   プラマタさん、   こんばんわ・の夢虹です。   でも、今夜は「哀愁の夢虹」と名乗ってもいいですか?   哀愁と云っても、べつに哀しい訳でなく、   もの想いの中に愁いが混じっている訳でもなく   ただ、じっとして   11月の静かな夜を味わっているだけなのですが。   窓を開け放ってみれば、   かすかに流れ込んでくる秋の温度が心地よくて、   それよりも、星も見えない暗い夜なのに、   何か清々しいものが夜の中に満ちていて   身体の中から湧いてくる「何か」と、ひとつになってしまうような、   穏やかで、心の底から暖かくなるような落ちついた時間。   この時間を、「甘い時間」と呼べるのなら   プラマタさんのいう「包まれるような、染み渡るような」、   「甘さのある沈黙」とは、こんなものなのかな?   と、ふと思う。でも、また違うのだろうな(笑)。   昨夜、プラマタさん宛に、   「いい夢をね」と書きながら、私自身はまったく夢を見なかったのが   ちょっとクヤシイけどね。   それはそれとしても、   今朝、出かける時に感じた秋の風の妙に爽やかなこと。   何かいつもと違うな、とは思ったものの   日中は、普段と変わらない状態だったので、その爽やかさを忘れていました。   ところが、夜になると、朝に感じていたその「妙な感覚」が   再び、やって来たのでした。   ハイな気分になった事がありますか?   意識が日常の精神状態からひとつ上の次元にトリップするような   そんな大げさなことでなくても   自然の中で感動する時、好きな音楽を聴いている時、いい絵画を鑑賞する時、   これらは、ハイな気分の入り口と言えるけれど、   それよりも、もっと不思議なものに、   何の脈絡もなく、突然にやってくる「ハイ」があります。   仕事をしている時、街を歩いている時、ぼんやりしている時   どこからともなく、それは突然にやってきたりします。      ある時、人の好さそうなお坊さんをつかまえて、   「こんな状態の時があるのですが、いったい何なのでしょうか?」   と、質問したことがありました。   すると、お坊さんはこう言うのでした。   「それは、安心といふものだよ」と。   「安心」は「あんしん」ではなく「あんじん」と読み、   「あ」の部分にアクセントをつけると、正しい発音になるようです。   お坊さんが、それを知っているところをみると、   仏教の教典の中か何かに書かれてある「心」の状態のひとつなのでしょう。   その時、仏教ってすごいなあ、自分が感じたそんな事まで書かれてあるのか、   と、感心したものでした。   神を信じている人なら、この場合、このように言うだろうと思います。   「神の御胸に抱かれている時のような・・・」   神を信じることのできる人ってステキだな、と想います。   そんなふうに素直に信じられることが。   あいにくと私、神を信じられないままでいて、 汎神論的な神ならならまだしも、   「絶対唯一神」なんて「絶対」に信じられない、   と、かたくなに思っているのだけれども。   それでも、時々、その「安心(あんじん)」を感じることができるといふのは   幸せな事なのでしょうね。   あ・・それから私、ギリシャや、西洋の文学なんて   そこまで詳しくないです。   絵画や、音楽はそれなりに鑑賞しますが   古典文学としては、ダンテの「神曲」、ゲーテの「ファウスト」   それから・・「マルテの手記」・・ああ思い出せない。   それ以外にも読んだことがあるかもしれませんが   いずれも断片的なものを読んだくらいで、覚えていないのです。   「ギリシャは東洋の永遠の敵である」   ギリシャと聞くと、こんな言葉を想い出します。   これはたしか、芥川龍之介の言葉だと記憶していますが、   感覚的には好い言葉だと思います。   けれども、それを言うのなら、   「ギリシャ(西洋)に・とって・東洋・は・永遠の敵である」   と書くべきではなかったか、と思えるのです。   ギリシャ(西洋)の敵が「東洋」なのであって、   東洋にとって西洋は、敵ではないような気がします。   西洋の「速度」は、東洋の「悠久」に包括されてしまうような気がしますから。   じゃあね。   また。   今夜も、また、心をこめて、おやすみなさい。                            夢虹 - FARION MES( 7):★世紀末書込み寺★・・・・・・・・・・・・ARION 94/11/04 - 03823/03836 GCC01413 YHVH RE:Re*2:礼儀 ( 7) 94/11/03 15:12 03820へのコメント  >> 月狼 さん  もう一つ、コメントさせてください。  |結局「その発言動機ってなんだろう?」と想像すると、  |単に会議室の中心人物になりたかっただとか、  |自己顕示欲の充足であったりだとか……。  |要するに、会議室の仲間は「ただの会話くん」であり、  |自分の欲望を満たしてくれるための餌にすぎない。  |そして、こういう気持ちを心のどこかに飼っている人は、  |一時、爆発的な発言を連発しますが、長くは続きません。  |太く短くの象徴であるかのように、意外に短命だったりします。  |僕は吐き出すことも大切だけど、やっぱり、  |その「ツチ」における仲間たちとの交流を大切にしたいと思ってます。  |そんでもって、通信での仲間との交歓の喜びを、  |現実にも役立てていきたい……そう思うんですよ^^(一部編集)  「ただの会話くん」というのは、まったく言い得て妙ですね。  是非とも避けたいです、そういうことは。  そうは言いつつ、現実の世の中を見回してみると、  維/YUIさんの話してくれた例ではありませんが、  なかなかヒドイわけです。ただ、全部が全部そうかというと、そうでもない。  ARIONの言う「ツチ」というのは、  FARIONの内であり外であり、「すべての場という場」だと思います。  「現実にも役立てていきたい」という文脈には、  いろいろな意味が含まれているとは想像するのですが、  少なくとも、ここでの様々な会話がここに限られたものではない、  そういう状況に、つまり将来的にはFARIONが解体してしまう、  そういう方向に進むのが、私はいちばん望ましいと思っています。  ただし、現実にはまだまだ、そういったところから程遠いわけですが……。                               YHVH 03824/03836 GCC01413 YHVH RE:60行の戯言 ( 7) 94/11/03 15:28 03819へのコメント コメント数:1   >> 月狼 さん   非常に普遍性のある話だと思いました。   みんながケースは違えど、同じような経験をしていると思います。    『だけど、うまく話せなかった』           ↓    『ARIONのメッセージを借用して、その場をしのぐ、     というなんとも言えず情けないことをやってしまった』           ↓    「宗教信者を引き止める時の心境だよ」    「何だかお前、酔っぱらってないか?」(相手の反応)           ↓    『なんとも言えない無力感と自己嫌悪に苛まされた』   ◆なぜ会話するのか?       一つ典型的なのは、好きな女の子との会話だと思います。       まず最初に、自分は相手のことを何も知らない。また、それと      同じように、相手も自分のことを何も知らない。ここが出発点で      すよね。そして、「相手のことをもっと知りたい」「自分のこと      とをもっと知ってほしい!」となるわけです。       いろいろ話してみると、お互いに知らなかったことが、本当に      すこしづつ、すこしづつ見えてくる。はっきり言って、疲れてし      まうぐらい時間がかかるでしょう。       同じアーティストが好きだとわかって喜んでみたり、想像もつ      かなかった自分との違いを発見したり……。       こんなことの積み重ねで、だんだんとお互いを理解し合う。       体の交わりにしたって、本質的には、これと同じ文脈上にある      はずです。   ◆ARIONの言葉       どんな言葉が耳に届くかといえば、それはもう、本心がストレ      ートに表われた時でしょう。あるいは「血肉化した言葉」です。       ARIONの言葉が月狼さんの内側で消化されていれば、それ      はARIONの言葉を超えて、多種多彩な表現形態を取り始める。       それはダンスのようなものだと思います。       本当にうまくダンスできている時というのは、ステップのこと      など忘れています。       コミュニケーションとは方法論ではなく、コミュニケーション      そのもの以外の何物でもありません。       私たちはダンスの仕方を学びたいのではなく、好きな女の子と      めくるめくダンスを楽しみたいのです。       そういった意味で、会話について問い直したいですね。            *      *      *    『今までこんなこと考えもせず、19年間生きてきたけれど、     これからは、相手と自分がいる今の瞬間、この時この場で、     何をどうしたいのか、よく考えて会話していきたいな……』   30年間の人だっているし、40年間の人だっていると思いますよ。   要は、気づいたことを一つ一つ実行する。これしかない。   今の世の中は、ある意味で自由なものですから、   何をしてもしなくても、それなりに時間が過ぎていきます。   したがって、誰に言われたからではなく、自分で進むことが大切ですね。   もちろん、ここのフォーラムがそのキッカケになるのなら、   FARIONの存在意義もあったというものですが……。   これからも精一杯、しかしすこしづつ、頑張ってください(^_^) 。                              YHVH 03825/03836 KHE02065 メルク 生きるってなんだろう ( 7) 94/11/03 17:47  私は目先の欲望で生きています。  はっきり言って快楽の虜です。  それ自体は、私にとってべつに否定すべきことではないと思うのですが、  今の状態を改善したいという欲求もわいてくるのは、  いまいちスッキリしないモノがあるからなんです。  それは、どういうことなんだろう?  たぶん、優先順位の低い欲望ばかり追いかけて、  優先順位の高い欲望を疎かにしているということかもしれない。  たとえば物質欲というのがあるけど、  それは肉体の生命維持という意味である程度有用だからあるんだろうけど、  それは「本当の私」にとっては優先順位の低い欲望で、  「本当の私」には他に優先順位の高い欲望もあるということ。  人は快楽を欲し、欲望が満たされることに快楽を感じる。  その繰り返しで生きている。  快楽といっても色々ある。  金が儲かるという快楽。美味しいものを食べて空腹が満たされるという快楽。  愛し愛されるという快楽。耳糞をほじる快楽。人に感動を与えるという快楽。  そこには生命エネルギーの流れがある。  二つのものが関わりあい、影響を与えあう。  二つのものの間にエネルギーの交流がある。  それは愛であり快楽だ。  食べ物を食べるというのは、一つの愛であり快楽だ。  大地を踏み締めて歩くということは、一つの愛であり快楽だ。  人は快楽という望みを達成しようとするが、  どうすれば満たされるかということを間違える。  幸せになるためにはお金があれば良いと考えて、それを達成しても、  幸せに離れなかったりする。  そういう2次的な欲望ばかりが渦巻いていて、  本当の純粋な望みに気がつかない。  より大きな、より純粋な快楽を私は欲する。  お金が欲しいというのは2次的な欲望なのに、  人はいつのまにか、それが手段の一つでしかないことを忘れてしまう。  自分の本来の望みを達成するための方法は、他にもあるはずなのだ。  私はより良い選択をするために、自分の欲望の本質を見極めたい。  より大きな、より純粋な快楽のためです。                            メ ル ク 03826/03836 GHB02532 ごとうくまお RE:わかりました ( 7) 94/11/03 21:37 03768へのコメント コメント数:1 RES:#3768 エスペラントさん、こんばんわ。 《 「お題」だなんて勿体つけなくてもいいですよ。これが本題なのですね。 勿体つけてすいません。これは「本題」というほどのものじゃないんですが、「本 題」を観るための一つの角度と言ったらいいのか、そんな感じです。たぶんこの問い には明確な答えは出ないと思うし、答えを求めるよりはこの問いによって自分の中に 何が生まれるかということを感じて欲しいんです。それで、みんながそれぞれの想い を出し合って、話の流れを作るもよし、各人が問いをかみしめるもよし、といったと ころですか。 《 ただし、自分の関わった全ての発言はファイルにまとめて、   これからも何度か見直すように、お願いします。 いや〜これまたすいません。一応まとめてあるんですけど、RESを書くときに「 どんなこと書いてたっけ?」と思って読み返すくらいで、あんまりしっかりとは・・ ・。私は自分が書いてることに筋が通ってるか、矛盾してないか、ということは気に しないんですよ。ただ、読んだときに自分が思ったことをそのまま書くだけで、自分 の考え、自分の発言が正しいかどうかなんて考えませんね。いつも「その時の自分」 に任せてるから。筋の通った考え方、矛盾していない理論に沿って考えて、そこから 答えるのは面白くないんです。できるだけ「読んだその時」に出てくるものを新鮮な うちに書くようにしてます。だから、前の発言と矛盾するところもかなりでると思い ますけど、自分の中では「矛盾している」って言う感じは全くしないので、それでい いんじゃないかと・・・いいかげんだなぁ。 ¥くまお 03827/03836 GHB02532 ごとうくまお RE:意識 ( 7) 94/11/03 21:39 03789へのコメント RES:#3789 オリハルさん、こんばんわ。 《 私は「実践的観点」から発言してます。 あなたは、多分、人間と言う存在を無視して、その上で、論理の追及だけが行過 ぎていると思います。たとえば、ごとえくまおさんは膝が反対側に曲らないから と言って不自由だと言いますか? 目が後頭部についてないからと言ってそれを あなたは不自由だと言ってるのと等しいのです。人間には人間としての自由の“ 範囲”があります。 「実践的観点」ですか・・・。しかし、自由に「範囲」なんてあるんだろうか。範 囲があったらほんとに自由とは言えないんじゃないかな。肉体的な自由と精神的な自 由とは全然別だと思うけど。人間としての範囲があるっていうのは「たかが人間の分 際で・・・分をわきまえなさい」と言われてるようで、どうもね。なぜ人間であるあ なたが、まるで人間を外側から観ることができるように「人間には範囲がある」と言 えるのか、疑問ですね。 《 | 人間として生きることの面白さを、十二分に引き出すことができるような生 | き方はあるだろうか? 《 これは実践的観点からの言葉ですよね。あなたのスタンスの矛盾はどう説明しま すか。 これは実践的観点からの言葉じゃないんですよ。私は「どんな生き方をしたらいい のか?」と言ってるんじゃなくて、こういう生き方は「あるかどうか?」と言ってる んです。「生き方」と言ったのがまずかったですね。別の言い方にします。 「人間としての面白さを十二分に引き出すように生きられるだろうか?」 これでどうでしょう。 たぶん、「実践」することができるような生き方というものはないと思います。「 こういう生き方を実践すれば面白く生きられる」なんていう方法はないし、あったと しても、「方法」に沿って生きること自体が自由の放棄なんだから、面白いわけない でしょ。生きるってことは、どんな方法、パターンにも収まらないことだと思うんで すけど。 《 物事は徐々に進むものです。その上で、例えば、少しでも破壊的な結果を無くし て行く事だと思いますが、どうですか。 「物事は徐々に進む」というのは、物理的にはそうでしょうが、心理的にはあり得 ないと思います。悪を少しづつ取り除く、少しづつ善人になっていく、少しづつ進化 していく・・・というような「時間」を、心理的な世界に適用するのはどうかと思う んです。悪人が善人に変わるとき、努力して、時間を費やして、段々善くなるという ことは嘘だと思います。悪が消えるのは一瞬です。人が悪の愚かしさを理解するとき 、彼はもう悪人をやめていると思うんですが、どうでしょう。 ¥くまお 03828/03836 GHB02532 ごとうくまお RE:問「解釈は力ではないか?」 ( 7) 94/11/03 21:41 03809へのコメント オリハルさん、こんばんわ。 《 それ(面白い生き方)は、周囲との調和によって生れてくるものではないでしょ うか。 それも安定願望(の一つ)だと思いませんか。(質問D) 「周囲との調和」にも色々あると思います。安定願望による調和は、「関係を崩し たくない」という恐れから生じる同調だと思います。そこには抑圧があります。安定 願望によらない調和は、全く抑圧がありません。自由に好きなことをしても、それが 自然と調和を生む、というのが真の調和であり、自由な生き方といえるんじゃないで しょうか?安定願望は必ず恐れを生み、恐れがあったら自由はないと思います。 《 |あなたは愛するために目的や意図や理由が必要なんですか? 私が質問しました事は、あの“発言”の目指す処です。 そういうグローバルな事を聞いてません。 私は、「面白い生き方」が、愛と別のところにあるとは思えません。生き方を問う ことは十分グローバルだと思うんですが・・・。 《 「面白い生き方発言」の目指したものは何でしたか。(質問E) オリハルさんて、いつも何かを目指してるんですねぇ・・・。目指したものは何で したかって聞かれても、何て答えればいいんだろう。あの問いから、どこへ行くべき なんだろう。私はあの問いにどんな答えも期待してないんですが・・・。問いの外に 答えがあるのかな。問うこと自体が答えだと思うんだけど。オリハルさんは何か答え を持ってるんですか? 《 自意識はないと思いますが、「ここに居る」ということ、世界を知覚していると 言う自覚があるのは事実だと思います。でも、ごとうくまおさんが今まで「意識 」という言葉を「精神作用、認識作用」という意味で言ってた事は知ってますが 、あなたはそれを「精神」と呼び、今度は私との言葉のマッチングの都合を合せ てくれました。今は私と同じ意味で「意識」と言ってくれているはずです。再度 、質問させて頂きたいと思います。(この質問は、目的Aがあります) |「記憶喪失者」ではなく、「赤ん坊」が「意識」を持っている(吹u生きてい | る」)事を、ごとうくまおさんはどのように説明しますか。(質問F) そういえば、意識と精神は逆の意味で使ってたんですね。忘れてた。でも、オリハ ルさんが「精神」と「意識」というふうに分けて考えているものは、私にとってはひ とつの「意識」という言葉で捉えられます。オリハルさんは、0歳児の時の記憶を思 い出したということですが、記憶を思い出して「これは0歳児の時のものだ」と認識 しているのは、現在のあなたの意識であって、0歳児の意識ではないはずです。また 、「ここに居て、世界を知覚しているという自覚」は、自意識ではないでしょうか。 「ここに居る」と言うとき、何がここに居るのでしょうか。自分です。自分という主 体がなければ、「ここに居る」と言うことはできません。世界を知覚しているのは何 でしょう。自分です。知覚している「自分」が居る。しかしオリハルさんは赤ん坊に 自意識はないと言ってます。「意識する自分」が存在しないときに、意識があるでし ょうか。「意識」と「自分」とは別個の存在でしょうか。この自分は、個という殻の 外にいるかもしれない。しかし、個という殻の外に出た意識も依然として「自分」で あることに変わりはないと思います。 おそらく赤ん坊の脳にあるのは「知覚」と「記憶機能」だけであって、それらを意 識する自分はないと思います。前にも言いましたように、私は赤ん坊でないので、は っきりしたことは言えませんが・・・。 あ、それから、私は一応サラリーマンです。二回転職してます。今は小さな会社で 職人系の仕事をしています。 ¥くまお 03829/03836 GHB02532 ごとうくまお RE:問「解釈は力ではないか?」 ( 7) 94/11/03 21:43 03808へのコメント RES:#3808 hayさん、はじめまして。くまおです。 《 「人間の通常の認識(力)」のなかでは「考え(観方)」 =「事実」になっちゃう 話ですよね?    ですので私には、くまおさんの今までの(基本的な)意見としてはすんなりと 入ってきていたので相手に合わせたような印象がありました。   くまおさんが訂正された「事実」についてお話いただけたら幸いです。 なるほどね。確かに「相手に合わせた」というのはあるかもしれませんね。私はこ こで、「意志を通わせる」ということをしたいんですよ。そのためには、「考え方」 によらない一つの「事実」を双方が観る必要があるわけです。ここでやり取りできる のは言葉であり、考え方であって、その奥にある事実そのものではないですよね。事 実そのものを観るためには、考え方を通り越してしまわなきゃならない。だから、自 分の考え方と、相手の考え方がぶつかり合ったところで止まってちゃダメなわけです よ。考え方の向こうにある事実を観るために、考え方を崩して行こうと思うんです。 これは、自分が折れて、妥協するということじゃなくて、自分の考え方を崩すことで 、相手の考え方も崩れ、そして双方が同じ一つの事実を観る、ということを試してる んです。それで、相手の考え方とぶつかり合わないレベル(これは高い低いというこ とじゃありません)に自分を移していく必要があるわけです。それが「相手に合わせ た」という印象をhayさんに与えたのかもしれませんね。 私は考え方よりも、事実の方が重要だと思うので、考え方を捨てたわけです。私が 何等かの事実を理解していれば、考え方を持っていなくても、その事実について説明 できるでしょう。だから、その時その時に考えて、考えたことはいつまでも持ってい ないようにしています。じゃないと、事実よりも考え方の方が重要になってしまいま すから。 hayさんは私の話にすんなり入ってきてたということですから、hayさんと何 かについて話し合ったら、他の人の場合とはまた違った側面が出てくるかもしれませ ん。 ¥くまお 03830/03836 GHB02532 ごとうくまお RE:人間として・・・ ( 7) 94/11/03 21:44 03812へのコメント 維/YUIさん、こんばんわ。 《 問題が起きたときにさ、解決するにはまず、自分がその問題についてちゃんと正 面向いているかどうか。 面倒くさいから、なんとなくごまかせないかな・・・ なんてこと考えないで、はっきりと問題をみつめる。 うんうん、その通りですよね。問題から逃げようとすると、「どうすれば逃げられ るか」っていう別の問題が出てくるんですよ。そこからどんどん枝分かれして、しま いには収拾がつかなくなる。それが世界の現状で、日常的な現実でもあるわけです。 日常的な現実の積み重ねが世界ですからね。「逃げる」ことは、問題をどんどん増殖 させてしまうんですよ。そういう問題に埋もれてしまって、本来の自分が見えなくな るのは悲しいことです。 ¥くまお 03831/03836 JCF00616 優位 可能性を追求する ( 7) 94/11/03 22:28  ここ、FARIONに入会してからはや1年になる。あの頃は、この場を  どう利用したら良いのか解らなかったし、知ろうとも思わなかった。  ただ、そこに人が楽しそうに会話しているから仲間に加わる、ただ  それだけで…まさか「存在意義」なんて考えた事は無かった。  だから、最近の状況を観るにつけて…等と憂慮の言葉を吐くつもりはない。  確かに、RTでメールで7番の話題が出る度に、嘆いたり困ったフリをしたり…。  だけども、呆れたこの日本の社会を構成しているのが僕等ひとりひとりなんだ  というように、ここはひとつ奮起して行動を起さねばと炎を燃やした。               * * * *  会議室、RT、電話、オフといった順序で意思の「伝わり易さ」が増して  行くのではないか?と思った事がある。そして、それは本当の事だと思う。  でも、もちろん会議室などの可能性を否定しようとしているのでは無く、  それぞれの特徴とその役割を改めて見直してみたい、とそう思っている。  なぜ伝わり易くなるのか?−−それはひとつに「場」の範囲が狭くなり、  よりプライバシーな会話ができるようになる、という理由があるだろう。  だから、オフという「場」に帰属意識を持つ人も居る可能性もある。  だが、そういった帰属意識の中で、所謂「家族(ムラ)的」な付き合いで  お終いになってしまうのも、悲しい。なぜなら、そもそも「場」が狭くなる  に連れて、より大きな「場」であるこのフォーラムの可能性を見殺しにする  ことにもなりかねないからだ。  ここは、ムラのようでいてムラではない、と思う。恐らくは、  会話する意志のある人なら、誰でも歓迎する、「大地(ツチ)」だろう。   ではFARIONの「カミコメツチヒト」とは何か?   ヒトは何処で働き、何を供することで、カミと交わるのか?  ここの「カミコメツチヒト」を真剣に考えてみたい。 ● Tanaka Yui (JCF00616@niftyserve.or.jp) ● 03832/03836 JCF00616 優位 RE:60行の戯言 ( 7) 94/11/03 22:28 03819へのコメント 〔優位より月狼さんへ〕  こんにちは(^。^) >  昔から僕は、友達や知り合いと共に時間を共有してる瞬間にお >  いて、「沈黙」と言うのが凄く怖かった。 > >  何か話さないと、会話しないと・・・・  僕もしょっちゅうあります、そういうこと(^^; | 朝、登校中に友人に出会う。お互いに「おはよう」としぐさして、 | 僕は友人の隣について歩いて行く。その時間、約5分。 | 友人が何も話そうとしないので、少し心配になって、こちらから | 何か話題を提供しようとするが、僕は不器用なので、思い付かない。 | 終いには、話す事がないから、お互いに会話しない。それで5分が過ぎる…。  沈黙の5分間は異様なものがある気がしますが、  無理に話そうとしてもギコちなくなったりするのでやめてます。  まあ、友人の殆どは僕の事を「つまらないヤツだ」と思っていたり  するんじゃないかな。だけど、別にもう気にしていない…気にならないと  いった方が正解かな(^^;? >  「その相手と自分が居る。何がしたいか?」  僕の場合は、「何もしたくない」から結果は「何もしなかった」だけ(^O^;  ところで皆さんは、相手と自分が居るとき、何をしたいのでしょうか? P.S.んにしても、こりゃ変カナ?↑「何もしたくない」ってのは(^^; ● Tanaka Yui (JCF00616@niftyserve.or.jp) ● 03833/03836 SGW00342 エスペラント RE:わかりました ( 7) 94/11/03 23:08 03826へのコメント  #3826 ごとうくまおさん  うん、まあ、そんなところですか。  じゃ、オリハルさんとの会話で訂正後の問いについて考えていきましょう。 >「人間としての面白さを十二分に引き出すように生きられるだろうか?」  そうですね…、  自分の辿った道筋をきちんと覚えていないと、新しい道筋が分岐点に現れても、  見逃してしまいますね。それではもったいないと思います。  色々な可能性に挑戦してみることが、面白い生き方だと思います。                      ≡△○ エスペラント ☆★ 03834/03836 HGB02122 あもり RE:印象 ( 7) 94/11/04 02:24 03815へのコメント  * 手放そうとしないことが、二千年の人の歴史に刻まれた憂いだ                  HGB02122 あもり 03835/03836 HGB02122 あもり RE:問「解釈は力ではないか?」 ( 7) 94/11/04 02:26 03800へのコメント  #03800 ごとうくまお さん  不思議な会話ですね。  後半の発言の方が私向きなので、そちらの方にRESします。 ------  義務を嫌う人間ほど、誠意に欠けた生き方をしているように見ているのは  私だけでしょうか?  「権利」と聞くだけで暴力に直結してしまう思考回路は、感情や情動の起  伏のないおとなしいヒツジ達を連想します。  私がごとうくまおさんに持つ疑念は、こんなところから発しています。  ごとうくまおさんが、「過去の蓄積」で虚構となってしまった「言葉」  の意味に囚われるのはオカシイと。  人として生まれたからには人として生きるのが義務であると、私は単純  に考える事が出来ます。それに責任の名の元での権利が付する。  これはオカシイことでしょうか? ------  「たくさんの人がいれば、たくさんの答えがある」  これも当然の言葉として使いました。  「〜だから、たくさんの人を教えようとする言葉は、一つではあり得ない」  と、これも単純に導き出せます。  「〜たくさんの答えがある」....だから自我を正当化している....これは  ヒネクレているように思えます。  それがごとうくまおさんの「自分を観ている」視点からの判断ですか?  私としては、自我があるのは当然だし、自我を悪だとは思っていません。 ------  「自分を観よう」とする人達の間で、突然「自分を観るとはこういうこ  とだ」との発言が出て来たら、誰しもぎょっとします。  増してや、この会議室の議長名も知らなかったごとうくまおさんには、  配慮があったとは思えないのです。  最初から、これはこうだと言い切っています。  自分が観れて他人が慮れないというのはどうもカンジンなところが抜けて  いるようにも思えます。  これらの事実から考えて、「影響される方にも一因はある」と言う発言は、  責任転嫁であるような気もします。  人間はこういうものだという視点に囚われ過ぎていませんか? §人の言うことがほんとか嘘かは自分が見極めるべきことで、相手がどん §な偉いヤツでも無思慮に受け入れてしまうのは良くないと思うな。相手 §が偉いから聞く、たいしたことないから聞かない、っていうのは「学ぶ」 §人間の姿勢じゃないでしょ。  嘘であっても、放って置く事も出来ます。  しかし、嘘を許しておくわけにはいかないのです。  この会議室の初めにもあった言葉ですから。                  HGB02122 あもり 03836/03836 CXK03125 月狼 Re*2:60行の戯言 ( 7) 94/11/04 06:43 03824へのコメント   初めまして^^>YHVHさん >ARIONの言葉が月狼さんの内側で消化されていれば、それ >はARIONの言葉を超えて、多種多彩な表現形態を取り始める。 >それはダンスのようなものだと思います。   ええ、そう思います。   自分だけの極私的な経験を通じてのみ、出せる言の葉って物が   あるのだと、最近ではとみに実感できるものです。   友人が、僕の話す内容の空疎さを喝破できたのも、まさに、こ の経験と実感から滲みでる迫力というか、重みが欠落していた   からに他ならないと思いました。   先の書き込みで、ARIONのメッセージを借用して云々と書   きましたが、ARIONの言葉をそのままコピーしたというよ   りは、 ARIONのメッセージに見られる特殊な雰囲気・・・・   ARIONのパーソナリティーから出てくる独特な香り・・・・  そのARIONの癖(?)とも呼べる部分を必死に模倣して、   その示してくれる世界観、雰囲気に酔っている自分を相手に示 した・・・・   そんな感じでした。   でも、酔っぱらいはどこまで言っても酔っぱらいであるから、   シラフな人間には敵わなかった・・・・今回の経験はそのありたの   ことを少しだけ気づかせてくれたなって思ってます。                  *   ダンスのステップを先にするのではなくて、ダンスを楽しみた い気持ちが先にくる・・・・   会話でも遊びでも勉強でも・・・・ 「したい、やりたい、やってみたい」が先にこなくちゃいけな   んですね。   なんとなく、方法や環境を設定してから始めようとか、「しな くてはならない」が先行しすぎて、胸内からの熱い衝動を台無   しにしてしまってることって、多いですよ。   だけど、世の中を渡るためには、したいと思えなくてもしなく   てはならない会話ってたくさんあるようで・・・・   雰囲気を悪くしたくないだとか、場を取り持つためであったり   だとか・・・・   例えば、   バイトとかで、コンビニエンスストァーの深夜のレジの担当は   二人だけで、夜も遅いのであまり客もこない。   レジのパートナーとは別に話したいこともないし、性格もあわ   ないし・・・・会話を楽しみたいという気持ちにもなれない。   でも二人してシーンとしているのも気まずいし、何か会話しな   きゃと思う・・・・   それで引きつる顔を抑えつけて、無理くり言葉を紡ごうとする   と、悲劇がおこる。   くだらない例ですが、僕の場合は対人関係においてこう言う事   が凄く多いんです^^;   上手なステップを踏めるように。ステップのお上手な自分が周 囲に認められるように・・・・   軽やかなステップに固執するあまり、ダンスの楽しみを忘れて   しまってる。   楽しむことを大切に・・・・ほんとそうですね。                             月狼 - FARION MES(10):★夢酔い人の部屋★・・・・・・・・・・・・・・・・・・スウ 94/11/04 - 00621/00623 GGD02212 スウ RE:今朝の夢 (10) 94/11/03 23:20 00620へのコメント <業務連絡>書き込み御苦労様>副議長殿。  UFOやらUMA、超常・異常現象に対する驚きと疑念の混在した夢。 …これはもうそのまんま、預言の成就など、世紀末的現象に対する印象… ヒネった解釈をする余地も無さそうですね…。  さて、私も半月ぶりで自分の部屋に書き込みをするべし。(^_^;(スウ) 00622/00623 GGD02212 スウ 「私も未婚なの」 (10) 94/11/03 23:20 11/1夜の夢。高校の同窓会だったか、学生時代の同級生女子が出て来て、 私に「〜さん、未婚?…私も未婚なの。」と問いかけて微笑む。(よく考える と実際の彼女はとっくに結婚しているはずなのだが…その時は思い出せず、) 私はトボけて、「ミコン?ぼくロリコン。」と、夢の中でも馬鹿な駄洒落を 飛ばしている自分に呆れて笑いたくなるのであった。っはっはっは。(スウ) 00623/00623 GGD02212 スウ RE:ヒデキと明菜 (10) 94/11/03 23:20 00619へのコメント  前略 レスをサボってました。(_ _)  H樹とA菜さんというと、心の機能のうち感情(「情熱」とも表現したい) H樹さんは感情のアクティヴな側面、A菜さんはそのパッシヴな側面を表わす キャラクターとして適役のように思います。(無論、これは私個人の印象で、 御本人達の実際の性格や一般の各々の印象とは必ずしも一致しないでしょうが)  この二人を例によって夢を見た御本人の投影と解釈するなら、情欲の強さと 誘惑への弱さ、それらに対する警戒心の現れと見る事が可能かもしれません。 女たらしとの連想からかH賀K二にキャラクターがスリ変わったりするのは、 夢の中ではよく起こることですね。               (スウ) - FARION MES(13):★神秘学遊戯団★・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・KAZE 94/11/04 - 01888/01888 VYA01523 秋端 勉 応用魔術 第1章 訳文(長文) (13) 94/11/04 01:04  KAZEさんのシュタイナー講義録に触発されまして、  わたしが半分ほど翻訳を終了している今世紀の最も偉大な魔術の教育家 と呼ばれるダイアン・フォーチュン(1890-1946)の著作『応用魔術』を一章づ つアップさせて頂きます。これはわたしの主催する団体の機関誌『ホルスの槍』 で既に刊行した分に少し手を入れてあります。そのままでは芸がないので章末に解説 をつけるようにします。  日本で翻訳されたダイアン・フォーチュン(本名ヴァイオレット・ファース) の著作は、『カバラーの神秘』及び『心霊的自己防衛』(いずれも国書刊行)などで す。そして、愛弟子のWEバトラーが彼女の思想を継いで『魔法入門』『オカルト入 門』(いずれも角川書店。絶版)『魔法修行』(河出書房新社)などを著していま す。  フォーチュンの魔術的経歴については、月刊ムー1988年7月号にわたしが書い たものがあるのですが、デイスクが見あたらないので、いつか折を見てロードしま す。 応用魔術 第1章 オカルトの径 DNF著 秋端勉訳  人を神聖なる合一に導く「神秘家の道」は良く知られているが、外見上は全く違う 道程をたどりながら同じ目標に向かう別の「道」があることは、しばしば忘れられて いる。  われらは、世界の否定や自己の棄却が高次の魂へと導く、ただひとつの真実の径だ という考えに馴らされてしまったため、他の径があり、顕現する存在を支配し、自己 を神格化する径があると囁くのさえ難しくなっている。  神を拝む二つの方法がある。ひとつは、顕れざるエッセンスとして崇める方法、も うひとつは顕現した形を拝む方法だ。顕現した形を崇拝するとき霊的なエッセンスを 忘れずに、霊的なエッセンスを崇拝するとき顕現する形と混同しなければ、どちらも 正しいやり方である。これらの混乱は、妙な部分を強調したが故に起きた偶像崇拝者 の罪である。  神秘家は崇拝する神を霊的なエッセンスとして求める。だが、顕現せざる神の霊的 エッセンス、本質などは人間の意識ではなかなか捕えがたい。神秘家は、かれらの崇 拝する神を対象として思い描くため、通常の人間の意識を超越せざるを得なかった。 存在の最も内奥の状態について、その中に入り、どのような尺度においても、その経 験を共有することなく、知ることはできない。神秘家はそのとき目的を達するため意 識を習慣的な形の束縛から自由にしなければならない。結局、禁欲主義的修行に向か い、高次の精神が自由になり、神と合一し、それによって神を知ることができるよう に、低次の精神は圧殺されねばならない。「神秘家の道」は彼が低次の性質の総ての 束縛を払い、自由になる否定の道である。その場合、神から隔てる何物も残らず、魂 は上空へ飛び去り、「光」の中に入って2度と戻らない。  しかし、もうひとつの道は「否定の道」ではなく「充実の道」である。それは人間 の運命の径から離れるものでなく、運命に集中し昇華する径である。この径を選ぶ魂 は、この世に顕れ出でたときの総ての位相と断層を経験し、その経験を均衡させ、霊 化し、そのエッセンスを緩衝させるべく生きている。  この径に従う者たちの目的は、創造された生命の総ての位相において完全な支配を 得ることである。しかし、我々が支配と言うとき、奴隷所有者がその奴隷に対するよ うな支配を意味するのではない。音楽の巨匠が彼の楽器に及ぼすような支配、さらに 言えば、本人の力を彼の本質に適合させ、霊にまで到達させて、解明できる限りの総 ての底力を引き出せるようにする支配を意味するのだ。  月の球の支配力を得た達人は、月から世界に向けたメッセージを解明し、月の力を 均衡の取れた調和の中で表すのである。神殿の支配者の統治下にある王国は絶対君主 制国家ではない。王はその支配力を王座を築くためや、王権や、彼に奉仕する軍隊を 得るためにでなく、救いに関する神のメッセージを国民にもたらし、いと高き選民と なるために用いるからだ。彼は進化の侍従であり、混沌から秩序を、混乱から調和を 導き、不均衡な諸力を減殺し、均衡をもたらす。  東洋の伝統におけるヴェーダンタの教えは、未顕現の神、創造の霊的エッセンス、 顕現せる相もしくは神を明確に区別している。「自己と、ヨギや修行者(シッディ) の獲得した部分的な位相とを同じくしなさい。自己をマハー・ヨギニーそのものと同 じくしなさい、されば人は自由になり、もはや人ではなくマハー・ヨギニーと呼ばれ るだろう。… どんな人物がその望みに応じた者と同じくなれるだろう。それが何で あれ、彼がそのために意志し、働くならば、力を得るだろう」(『世界は力に、力は 現実に』ウッドロウ著)  人は何を望むべきなのか。これは我々が自分自身に問うべき第二の質問である。こ れに応ずる答えは、実際に我らが到達した進化の段階にかかっている。魂は神との合 一の準備ができる前に、人間としての経験を完成させねばならない。帰還の行程につ く前に、物質への降下の旅は底に辿り着かねばならない。誕生と死の運命の輪から自 由になるときまで、神秘家の道への準備はできていない。時期尚早に輪から離れるこ とを試み、行うのは訓練から逃げ出すことだ。レース中のヨットが外周表示ブイを回 り損ねたときのように、我々は資格を失ってしまう。さすれば、何物も忌避すること なく、学習し終え、均衡させ、脱却したもの以外は残すべからずと命令する解脱の条 件を満たすことはない。  何であれ神が植えた我々の性質を根こぎにせよと命ずるのは贋の教えであり、繁殖 させた子馬を、野性的で馴れていないからと言って、生きの良い物から吊すような愚 行にも似た、贋の愚かな行為だ。美への愛、清らかなものを熱望すること、普通の健 康な本能、戦いの歓び、これら総てが無くなればわれらは貧しい生き物になるだろ う。神がそれらを与え、何をしているか知っていたと推論しても良いだろう。われら のうち誰が神の手になる技を審判し、神が良きものとしたことを非難できるだろう。  神の法が禁じているのは、これらの誤用であって、その本来の目的に沿った使用で はない。自然への暴虐と神の手の技への非道をあえてしたテーベの隠者の洞窟での苛 烈な禁欲主義や自己放棄よりも、炉端の火の径は、本能を深く探る手段とより効果的 な修行法を与えてくれる。  浄化されず準備もない段階で四大の諸力と出会い脅かされるとき、行者は彼らが誘 惑されたと信じるものから逃げる。これは相互に対立する諸力を我々の性質の内部で 均衡させ、手におえない本能のチームを制して、魂の戦車を疲れ知らずの速度で曳く 力にする方針とは、大きくかけ離れている。  われらの一人一人が、誕生と死の運命の輪から自由になり「光」のなかに入り2度 と戻らない日が来るであろう。もし、四大とその問題をかの日が始まる前に取り除こ うと試みるなら、それは表示ブイを回る前に舟先を帰りの針路に向けることになる。 それは自分の才能を恐れるがあまり、才能を地に埋めた男のようだ。われらが主は不 毛な概念に誤った献身を捧げることを良しとせず、その者を怠惰な奴隷と呼ぶだろ う。  総ての問題の鍵は、他の多くがそうであるように、輪廻転生の教儀の中に横たわっ ている。もし、総ての人間の業績が1度の人生で達成され、その終わりに裁かれるの であれば、自然な成長の過程でまだ到達していないという理想主義に追い立てられが ちになるだろう。輪からの自由、物質の放棄、神聖な合一、これらは、進化の時に応 じてわれら総てにもたらされる。これらに到達させることが進化の目的だからだ。し かし、時はまだ来ていないかもしれない。もし、いかに進んでいるとしても、他人 に、自分が進化の階段のどの場所に立っているか判断させ、次の階梯は何かを決めさ せるなら、あまりにも愚かだと言えるだろう。自分に確信を持ち、内部の深い場所の 刺激に従う勇気を与えたまえ。もし、我々の熱望が神を顕現せる栄光の姿で拝むこと ならば、それを全身全霊でもって行わしめたまえ。この中にも達成への道がある。こ れは激情を解き放てと言うのではない、「自然の踊り」は規則的でリズミカルな動き だ。生活のパターンを崩したり、ないがしろにしてはいけない。自然が我らの太母で あるなら、自然が終わるまで一緒に働かねばならない。どの魂にも十分な修行法があ る。  逆に、我々の内なる刺激が神秘家の径への撤退に導くなら、自分がその径に従うの は、心の内部の神の呼び声が非常に強いためか、それとも人生があまりにも複雑でそ の諸問題から逃げ出したくなったためかを、自分自身に誠実に問わねばならない。 <第一章:訳者解説>  ダイアン・フォーチュンは回りくどい文章を書くのが好きで、悪く言えば文章力が なく、その発言の趣旨を理解するのはことのほか困難である。そんななかで、この 『応用魔術』は比較的、論旨も明解で、何よりカバラや魔術を学ぼうとする若き学徒 にとっては、この上もなく刺激的な内容となっている。  この第一章では、<神秘家>と<エソテリスト>を対比させて書いている。  彼女の用語では、<神秘家>は<否定の道>を行くとある。これは偽ディオニシウ スの三つの神学分類、すなわち<象徴神学><肯定神学><否定神学>のうち、最後 のもの、 <否定神学>(Apophatic Theology)を指すのであろう。偽ディオニシウスは、「神 について語るに最も相応しきは<非類似の象徴>−anomonia symbola−なり。」と語 っている。 神は火でもなく、光でもなく、霊でもなく・・・否定により具象的なイメージを消し 去った彼方に神の真実の姿が浮かびあがるという発想だ。  つまり、<神秘家>の道は、現実世界や、下層の次元との接点をすべて切り放し、 ただひたすら神への無私の愛と信仰に彩られていると結論づけている。どちらかと言 えば、彼女は<神秘家>を、現実放棄者、意気地なしの世捨て人として蔑視している ようだ。  一方、<エソテリスト>の赴くのは<充実の道>である。かれは宇宙を構成する神 学、霊学、力学を知り、それを用いる。目的は揺るぎない宇宙の秩序の維持・復旧に あるのだから、荒々しい四大元素(地水火風の元素霊。本書第六章参照)と対面して も臆することも、かれら低次の霊的存在を残虐に使役して、自分の本質を貶めたりし ない。  かれらの本質は、学者であり、奉仕者だ。何より<労を厭わぬ者>である。  この章では明解に唱っていないが、<エソテリスト>または<魔術師>が、太古の 秘密の伝統を継承し世界を守り育てていく者だと彼女は言いたいのである。  わたしも彼女の系列に連なる五代目の弟子として、その意見に全く同意する。 (彼女を起点とするとDNF→WEB→DAN→TW→MESAの系列である。)  われら魔術師は、ネッテスハイムのフォン・アグリッパが語るように<神聖な学問 を修め世界に奉仕する者>である。それを忘れたとき、魔術師は堕落し妖術師となり 果てるのだ。 - FARION MES(14):★Room 666/預言解読の部屋★・・・・・・・・はな 94/11/04 - 02591/02591 PAG03134 はな みなさん、ありがとう (14) 94/11/03 18:37  議長就任にあたり、みなさんからメッセージをいただきまして、 ありがとうございます。  また、維/YUIさんには、引き続き副議長を引き受けていただきまして、 ありがとうございます。頼りない議長ですが、よろしくお願いします。  やはり、全議長の後継ということで、びびっています。でも、日頃のわ たしの発言と、議長職としての発言は区別するつもりです。  丁度、みれさんが、シスオペの立場からの発言は、文末に(北川恵子)と 記入し、そうでない場合は、単に(みれ)とだけ記入されるように、預言解 読は、一参加者として、皆さんとお話を続けてゆければと思っています。 (わたしは、文末に付くハンドルをこのように理解しています。>みれさん)  昼はサロン、夜は赤ちょうちん。そんな14番もよいかもしれません。  (・・・っつうと、英雄さんに「ショバ代はらっとるんかぇ?!」と聞か れかねないな。(^^; )  あらためて、みなさまのご協力をたまわりたい次第です。 m(_ _)m ペコ - FARION MES(18):★二人三脚ネットワーク実験室★・・・・あもり 94/11/04 - 01925/01927 HGB02122 あもり RE:こんちは (18) 94/11/04 02:25 01922へのコメント  #01922 hay さん  どうも未だ話が混乱していてよく分かりません。  しかし、神様と悪魔の2面性は何となく伝わりましたが.......  私としては、「現実を見る」こと自体よく分かっていませんので、判断が  付きかねるといった状態です。  ただし、「幻想」を忌むべきものだとは思っていません。  私の生活の中に何らかの変移点があって、それで現実を見なくなる、そん  な風に(今の所は)解釈していますので、その「変移点」を追求する事が  当面の課題だと考えている訳です。  その為に、日々の生活の中で、出来るだけ自分の情動を観察してこの会議  室に並べ立てているのです。  「現実を見ない」は結果です。  結果に対して努力するのではなくて、過程を遡って突き詰めて行くと言う  手段が、もっとも有効だと思うんですね。                  HGB02122 あもり 01926/01927 HGB02122 あもり RE:こんちは (18) 94/11/04 02:25 01922へのコメント  他人の為に何かをして、〜守りたい  他人が出て来るのはどうしてなのだろう....?  これも分かりません。  充実感を覚えたり、嬉しさを感じたりする時は、対象には決まって他人  がいました。  「私はリンゴが大好物です」  その感覚と非常によく似ているようです。  ....何故リンゴが好きなの?  「ええと、そうだなあ、甘酸っぱくて、紅い色が鮮やかだから」  ....ミカンやキウィじゃダメなの?  「リンゴよりももっとおいしくて、奇麗な果物があるかも知れない。し   かし僕はリンゴが好きなんです」  突き詰めていけば、リンゴを好きになった変移点があるのかも知れない  けれども、今はあまり追求する気が無いので、放っておいてます。  いつかは「何故他人を守りたいのか?」で思い悩む事があるかも知れま  せん。  「守りたい」という言葉を使った虎の演出だという結果が出てしまうか  も知れません。                  HGB02122 あもり 01927/01927 HGB02122 あもり RE:こんちは (18) 94/11/04 02:25 01922へのコメント  私は現在28才で未婚です。  寝坊して遅刻するし、煙草や酒も好きです。  他愛もないテレビドラマで感動してしまうし、有能な人を見ると嫉妬も  します。  課金が恐いし、同僚と女性の話をし始めると止まらないし、スケベな本  を見るのもまんざらではありません。  ニュースで国を追われた人々の顔を見るとやり切れない気持ちで一杯に  なるし、原発は大嫌いです。  日の丸の旗が好きで、日本が好きで、仕事で成功したいし、激しい恋愛  もしてみたい。  人としてもっとも高い所に到達して見たいと言う願いも人以上にありますし...  ごくごく、普通の人間ですよ。  それが何か?                  HGB02122 あもり - FARION MES(19):※精神世界/見聞録/ぶっ飛び話/アレコレ・・・・ 94/11/04 - 381/381 MGH00465 アキラ RE:#359へのRESに対する回答(長文です) (19) 94/11/03 15:36 380へのコメント  ROマンさん。 |まるで「私の言葉を聞いて信仰を捨てられないなら、その宗教はよほどの悪だ」 |と言っているように受けとれますが、そんな思い上がりはやめましょうよ。  言い方が悪かったようです、すいません。  私が言いたかったのは、新興宗教にハマっている人は決して他者の指摘により それを捨てることはありえない、という事実を指摘したかっただけです。別に私 が言おうと、他の誰が言おうと、決してその者は自らの思い込みを捨てようとは しません。自らが何等かのかたちで気づかない限り、他者がどんなに指摘しよう とも、その思い込みを改めることはまずありえません。それは幸福の科学だけで なく、大方の新興宗教がそうした吸引力をもっており、そして、信者の側にもそ うした心的傾向があります。  つまりは、私はROマンさんの「信仰」を変えようとは思っていませんし、そ もそもそれが不可能であることを自覚している、ということを宣言したつもりだ ったのです。  幸福の科学の批判(決して「誹謗」だとは思いませんが)をしたのは、ROマ ンさんがこの場で布教的発言をされた以上、他の会員さんへの影響を考えて、き っちりとそれを潰す必要を感じたからです。 「GLAの粗雑なコピー」については、別に信じていただかなくてもかまいませ ん。この論争をこの場で始めてしまうと、ROマンさんは幸福の科学の代弁者と して幸福の科学についてを語ることになってしまい、それはこの場にはふさわし くない、ということです。  ただし、もしROマンさんが幸福の科学に疑問を感じる心があり、その「真実」 を知りたいと思っていらっしゃるというのならば、そうしたことを語るのはやぶ さかではありませんが。  要は、ある宗教を絶対的に信仰している人とその宗教について語ることは、ま ったくの無意味な結果しか呼びませんし、お互い気分がよろしくなくなるだけな ので、それは避けたい、ということなのです。  もしあなたが、この場では幸福の科学の真偽についてはとりあえず横に置いて おくことができ、あなた自身の魅力であなた自身がこの場の支持を得ることがで きたならば、結果的に幸福の科学への評価も変わってくるのではないでしょうか?                            MGH00465 アキラ >