MRE - FARION MES( 2):【居酒屋1999】--------自己紹介・雑談 94/11/10 - 02909/02910 PXH01650 英雄 RE:馬 ( 2) 94/11/09 23:47 02906へのコメント SUKEさん きっと、農耕(定住)民族だったんでしょう(^^)。 :英雄: 02910/02910 PGB01143 魔界のめーそん 馬に嫌われて ( 2) 94/11/10 09:16  残念ながら、小生は馬に好かれないらしい。  以前、鳥取砂丘へ旅をしたとき、愚妻はラクダに乗り、小生は馬に乗ったの だが、10m程進んだ所で突然乗っていた馬が横に寝んねしてしまった。驚い て小生が降りると、何も無かったように立ち上がって帰りかける。  慌てて手綱を引き、首を海岸の方に仕向けて再び馬上へ.....  10m程歩くや、またもや「ゴロリ」......  腹立ち半分に諦めて手綱を離せば、一目散に馬溜まりへ.....それ以後 馬は諦めて、馬券も買わない。  話は変わりますが、英雄マスター..浜松はどちらの方面ですか、小生も 従姉妹等が佐藤.常盤.野口.富塚.中田島方面に散在しておりますので、時 々行きます。もしかしたら、顔を知らぬままに駅周辺のスナックで、同席して いたやも知れませんね。                        魔界のめーそん      - FARION MES( 6):∞・∞ 壁(カベ)・∞・∞・∞・∞・∞・∞・∞・∞・∞ 94/11/10 - 03066/03069 KFA05313 プラマタ RE^4:言ってみました ( 6) 94/11/09 17:00 03051へのコメント >  あいにくと私、神を信じられないままでいて、 > 汎神論的な神ならならまだしも、 >  「絶対唯一神」なんて「絶対」に信じられない、 そうだね。・・・・実際、 「信じる」と、言う時には何となく・「傲慢さ」(ごうまんさ)が、 あるのだろうね・と、思う。 知らないのに、知っている・と言うのに似ているからね。 ・・・・傲慢さからの涙・って、あるかな・・・などと 「信仰」を思う時に、不謹慎にも、思ってしまう。 夢虹さんには、私が余程・印象に 残ってしまって・いたようですね。 夢虹さんに、「あの・プラマタさん」と、言われると・・・・ なんと言ってよいやら・・・、 ジョークと思って笑いもするのですが、 私自身としては、反省の材料にこそなっても あまり自慢できた仕方ではなかったと、思ってしまいますので。 とりわけ、一点において、心配が付いて回るので 今日は、そのことを話してみます。 ・・・・それは、「闘争への渇望」とでも呼ぶのでしょうか?。 そうしたものが起点になってやしなかったかと 振り返ってみるのです。 自分では、無かった・と、思うのですが・・・・しかし確信もないです。 そうした時にもし誰かが、戦い方に魅せられた・と言う部分が あったとしたなら、私は間違った・と思います。  それだから「あの」・は、「あの愚かな」でもあるので・・・・ どうか、ただのプラマタさん・で、いさせて下さい・・・ませ。 戦争には反対・と言いながら、もしかしたら 依然として・闘争への渇望を持ち運んでいる。 ・・・気をつけなきゃね。 とは言っても、叩くべきものを叩かないと言うわけでは、ないけどね。 ・・・・ ・・・・・・・・しばし、ぼんやり状態がつづく・・・つづく  プラマタ(KFA05313) 03067/03069 KFA05313 プラマタ RE:くまおさんへ ( 6) 94/11/09 17:01 03065へのコメント 先日は、くまおさんには・・・・ 気の毒な事をしたかな・・・と、多少思ってしまう。 それで、返事のし直しです。 くまおさんの体験を聞いて   つらつら思ってみるに・・・・ 幾つか思い出す出来事が、あります。 「浮力のコツ」ともつながるので・・・奇妙かなと思いながらも #3065の続きの話として、話してみます。 一番近い話しとして、思い出したのは・キュウリィー婦人・?? 呼び方が、定かでないけど あの・女性の科学者の話しです。 彼女はある数式を解こうとして、一生懸命だったのだけど どうしても解くことが出来ませんでした。 ベットに入ってまでも離せなくて・・・・ けれど解けずに、サイドテーブルに置いて休んだそうです。 朝・目を覚ますと、なななんと・・・・解けなかった数式が、 結論を導きだして・ノートに書かれているではないですか! 彼女にはそれが信じられませんでした。 さらにその筆跡は、彼女自身のものであり 近くには、とうてい解く事の出来る人が、いるはずもなく・・・・。 そこでふと彼女は、昨日の夢の中で 何かしらが起こった様な気がする事を・思いだしました。 ・・・・・それは、夢の中で彼女は解いていた・のでした。 似たような出来事として、思い当たるのは おそらくだれでも知っている ・・・・・・・・僕が一番知らない・・・・誰だっけ?・アルキメデスで良かったかな? 王様に金の容積だか体積を知る方法を見つける様にと言われて あきらめて・お風呂につかって あふれるお湯をボーと・見た瞬間にひらめいて ユリーカ!ユリーカ!と、裸のまま通りに飛び出した・というやつ。 限界を越える秘訣は案外   可能な限りの努力の後で、忘れ去ること・に、あるいは消え去ることに あるかもね。   いつでも手を貸してくれる用意のある、何かしらと、ホントはつながっている。   こんな所で、いいでしょうか?   ・・・・あまり良くなかったけど、ごめんねー。   元気・出してね。 プラマタ(KFA05313) 03068/03069 PXH04471 夢虹 RE:RE^4:言ってみましたか? ( 6) 94/11/10 00:49 03057へのコメント   プラマタさん、   七色あんじん夢虹です(^_^)   あなたから、そう呼ばれると、   本当に「あんじん」な気持ちになりそうな。(^_^)   ああ、ありがたや。   開かれたハートのすぐそばに、   見えてくる扉って、どんな扉なのでしょう。   それも「さらなる扉」とか、   ミーハーな私としては、ぜひ それを押し開いて、   そして、あなたの占った運勢のように   「より多くの友を、あんじんの渦」へと引き込んでみたくなります。   それが可能な事ならね。   それにしても、なんとまあ不思議な文章でしょう。   文脈が波打つように蛇行して   それも、かなり ゆるやかな流れを保ちながら   押し寄せてくる訳でなく   弾んでいるわけでもなく   3拍子だと思えば、いつの間にか4拍子のようでもあり、   そのような、変拍子の部分を持ちながらも   ある一定のリズム感が基調になっているような感じでもあるし。   具体的な描写と説明があるかと思えば、   いつの間にか、プラマタさんの詩的な心象風景の中を   歩かされている自分に気づかされて、   ハッとさせられるのだけど   それでいて、   相手に伝えたいことが、とても上手に言い現わされている。   そして、それが    何だか分かりすぎる程、解りすぎて怖いくらい(笑)。   本当に分かっているのかどうか、   それは解らないのだけど。   私の場合、もともと面倒くさがり屋なのかどうか   それらの順序を踏みながら、ひとつひとつ「理解」しようとはしないで、   いきなり、それらを、全体のイメージとして「感じる」ことによって   理解した気になるような時もあるようです。   ところで、その方法が通用しない時があります。   いくら読んでも、その方法では、   まったくイメージの湧かない文章が存在するのです。   これは、何故でしょう。   私も長い間、日本人をやっていますし、   日本語の読み書きの基本くらいは出来る筈ですので、   そこに書かれてある日本語の文字の意味自体は理解できます。   でも・・・   さあて、前置きが長くなりましたが、   これからが、「ハイな気分」についてのプラマタさんへのRESです。   え?・・じゃあ 今までのは何だったのお?   ですからね、   今までのは、あくまで前置きです。   さあて、この話題の裾野は広いぞ。   なかなか飽きそうにもない。   少しづつ、遊びを入れながら書いて行くことにいたしませう。   余談。        いつか、プラマタさんが、      ヒゲと髪を後ろでまとめていると云うのを読んだとき、      浮かんできたイメージは、      シンセサイザーを弾いているキタロウのようでした。      瞳をとじて座れば、そのまま空中浮遊してしまいそうな人なので      そんな想像をしながら、クスっと笑ってしまいます。      前置きばかりで、何もRESになっていないね。アッハハ。                             夢虹 03069/03069 PXA06646 樹 今は泣かせて下さい ( 6) 94/11/10 13:01    知り合いが亡くなりました。往年35才。5才の子供の「製作者」   何故に「母」とか「親」だとか言えないかと言うと、彼女は一度も我が子   と共に生活した事ないまま逝ってしまったから。    妊娠3ヶ月検診で「子宮癌」が解り、廻りの「堕ろせ」の言葉を跳ね返し   「ワタシ産みます」といい切った彼女は、すでに”母”であったのだろう   いや、”母になりたかった”のだろう。    妊娠8ヶ月から病院暮らしが始まり、産む時には、他の臓器にも転移して   いてもう除去手術を受ける事すらままならない状況だった。   子供は3200のりっぱな赤ちゃんであったのが彼女の自慢であった。    今でも覚えている彼女は病院の喫煙所で片膝を抱えながらタバコに火を付け、   明るく笑っている姿だ。(骨盤が溶けてしまった為、片膝を抱えてないと座れ   なかった)彼女の言葉を思い出す度、涙が出て来る。   「ワタシ、子供の制作者だけど、母じゃないんだよねぇ。この間も子供が面会   に来てくれたけど、お父さんの後ろから出て来ないんだもん」   「癌との共存しかなくなった時、ダンナに離婚してくれって言ったんだけど、   この子の母親はお前だけだって言われて恥ずかしいけど泣いちゃったよ」   「ワタシねぇ、七五三、行きたかったんだけど病院が行かないでくれ〜って   言われちゃってねぇ、子供にワザワザ着物着せて連れて来て貰っちゃった。」   (この時彼女から着物着た子供と一緒に映ってるパジャマ姿の彼女の写真を   見せて貰った)   いつも明るく、人の前だと絶対に「痛い、苦しい」と泣き言を行った事のない   彼女が、ワタシと会った最後に言った言葉は「ホントに母になりたっかっただけ   なんだけどなぁ、、、うまくいかないねぇ(^^)。もうちょっとだけ子供の側に   いたいなぁ、、ダンナの側にもね」   彼女はこの2週間後、意識不明になり、1ヶ月後意識戻らないまま、一度も   自宅に帰る事無く逝きました。            樹 (PXA06646) - FARION MES( 7):★世紀末書込み寺★・・・・・・・・・・・・ARION 94/11/10 - 03885/03894 GDB00064 オリハル 自分のスタンス ( 7) 94/11/09 13:29 自分は最初FARIONに入ってきた時から、多少、真剣に書込みをしてきましたが、 その為、内容を憂慮する発言なども出ましたために、少しそういう発言を控えました。 そして、つい最近私はフリーになりましたので、スタンスも変りました。 今はFARIONで、自分なりに気軽に関わっています。 つまり、別段真剣にしつこくしてる訳ではありません。 とりあえずRESしている、という感じです。 ただ、聞いてみたいこともありますので、そのテーマの元に展開しています。 疑問点が見つかりましたら、どんどん私を追及して下さっても結構ですよ。                               オリハル 03887/03894 SGW00342 エスペラント 余計な力を抜くこと ( 7) 94/11/09 17:23 コメント数:1  以前にも注意を受けたことがあるのですが、最近になって、無駄な動作が多すぎる  とか、1つ1つの動作に力が入りすぎているということに気がつきました。大学へ  は片道1時間半強かかるのですが、家に帰ってくると、心身ともに疲れてしまって、  その後積極的に色々なことができないで、時間を無駄に過ごしています。  電車の中とか、歩いている時とか、ただ座って講義を聞いて、ノートをとるだけの  時に、目とか、首とか、肩とかを不必要に緊張させる必要はないのですが、つい力  が入ってしまいます。余計な力を抜くために何かいい方法はありますか。                       ≡△○ エスペラント ☆★ 03888/03894 MXB01131 hay RE:余計な力を抜くこと ( 7) 94/11/09 18:07 03887へのコメント コメント数:1 MES 18を逃げ出してきて さらに独白は続くのであった。  熟語をよく使う人は真面目。  自分の思いをなるべく正確に人に伝えたくてそうなっちゃう。  でも熟語の多いのは逆効果なのさ。  思いが伝わらなくなりがち。   (でも、ただ単に頭が良いのかもシレナイ・・・)  もうひとつ。  理解することと、わかること とは違うものなのさ。                               hay                               03889/03894 SGW00342 エスペラント RE:余計な力を抜くこと ( 7) 94/11/09 19:55 03888へのコメント #03888 hayさん  こんにちは、エスペラントです。 > 熟語をよく使う人は真面目。 > 自分の思いをなるべく正確に人に伝えたくてそうなっちゃう。  あなたの好きな熟語を厳選して8つ選ぶとしたら、どうなりますか。                       ≡△○ エスペラント ☆★ 03890/03894 SGW00342 エスペラント RE:本当の思いやり ( 7) 94/11/09 19:57 03884へのコメント #03384 優位さん  こんにちは、優位さん。少しコメントしてもいいですか。  優位さんの最近話していることは、相手が自分のことについてどのように誤解して  いようとも、自分はそのことを気にせず、妥協したりせずに堂々としていよう、と  いうことだと思いますが、実際、優位さんの言葉の使い方は適切ですか?  意志疎通への「諦め」から、開き直って考え始めますと、だんだん言葉の使い方が  自分のことをよく理解してくれる人のためのものになっていくと思います。それは  少しマズイのではないかと思うのですが、そういう傾向はありませんか?  たとえば、「何か間違ってますか>ALL」という表現の仕方です。できれば、  「勿論、正しいですよね>ALL」と言うようにして欲しいです。間違いを指摘  して欲しいという意図で先のような発言をする人もいると思いますので。  内容としては、もう些細なことですが、私が「日常・非日常」ということを話して  いる最中に、突然、「日常・非日常・超日常」なんてことを言うのはなぜですか。  超日常の意味はもういいですが、私に配慮することは一切考えませんでしたか?  それと「あなたの考え方が、僕にとっては新しい考え方だった、ただそれだけの  こと」と言うために、わざわざ「未知の水路を見出せました。感謝しています。」  などと表現する必要がなぜありましたか?  あの時、私が言ったことは本当に優位さんにとって「それだけのこと」でしたか。  最近になって、色々と話が進んでいるようなので、もう一度、優位さんのその箇所  をのせますので、心境の変化があれば、説明して下さい。 > 「何故に視線を当人達に向けないのか?」と問われたら、 > 「自分で気付くべきではないのか?」と答えます。 > また、殴ならければ振り返らないような人達ではないことを、信じています。                             −−(#03365より)  「相手がどう思うか?」ということについて、架空の話を続けているのは良くない  のではないかと思いました。それで「相手がどう思うか?」の実際の話をしてます。  是非「毅然とした態度で…云々」を実践してみて下さい。よろしく。                       ≡△○ エスペラント ☆★ 03891/03894 GHB02532 ごとうくまお RE:おごりたかぶり ( 7) 94/11/09 22:24 03841へのコメント RES:#3841 SUKEさん、こんばんわ。 《 例えいくら高みに昇ってもその先はあると思いますし、その高さは他人と比較で  きるものではないと思います。技術や知識では比較は出来ますが、それはその時  その分野だけの比較であり、全人格的な視野に立てば、比較という感覚ではなく 、それぞれの色合いとでも言うべき「違い」でしか無くなるはずだと思っていま す。 これはすごく的を得た言い方ですよ。そうなんです。そういうことなんですよ。な んだか、こんなにすっきり言い表してもらえると、気持ちいいですね。 《 ところで変わったことによって今までの自分が終わるという風に考えてしまうと 、いかにも以前の自分は別人だと言って逃げてしまいそうなので、その落とし穴 には気をつけたいと思います。 なるほど。そういうこともありますね。ただ、ここで注意したいのは、以前の自分 から逃げるのはよくないけど、逆に以前の自分にこだわるのもよくないということで す。過去に犯した過ちを見て、罪の意識に縛られたり、過去の業績の上に胡座をかい て、これまた自尊心に縛られたりするからです。「自分」というのは過去から成り立 っているわけで、つまるところ、良い自分であれ、悪い自分であれ、「自分」=「過 去」にこだわること自体が束縛的なんですよね。 ¥くまお 03892/03894 PAF02400 湖の鷹 熊本から帰って来ました。だけども、 ( 7) 94/11/10 00:05 いきなし、家に戻って食べ物が無くなってることに気付かされて愕然としてし まいました。一口、白米食べて・・・、あっ、味が無い!!。一口、オカズを 口にして・・・、げっ、美味しくないっ!!。            ^^^^^^^^^^^^ 向こうに行っていた時は、家の前にささやかな菜園とタンボがあって無農薬・ 無肥料・無除草剤(んでもEMは使ってるとか(^_^;))のカキは甘いしカボチャ の団子(?)は甘くて美味しいし、イモのすり潰しも美味しかったし、肉類が全 然無かったのにも違和感無かったし、玄米はもちろんなんとも言えない味があっ たし・・・、 う〜み、なんてこったい、美味しくないメシってのが、こんなにも悲しいもの だとは思ってもみませんでしたね。心底、悲しくなって泣きたくなったもんな。 貧しい食が人の心を貧しくするっていうのが今回のことでよぉく理解できまし た。 んで、なんか、会社にまた行かなきゃならないってのがこれまたすごく淋しかっ たりもしますが・・・、取り合えずボーナスもらうまでは我慢しなきゃな、美 味しくない食べ物もしばらく我慢して、して、して、・・・、っても取り合え ず有機農法の玄米“だけ”は買ったけれど、豊かなオカズが毎日食べられるよ うになるのは、いつの日か・・・。 どうでもいいけど、なんかアドベンチャーゲームかRPGでもやってるような 気になってきたね(自虐的!!)。いろんなところを歩き回っていろんな人と 話をして、ヒントをもらったらそれを元にまた別の人に会いに行ってまた新し いヒントをもらって・・・、 とかなんとか言いつつ、今日、また有機玄米を買いに行った有機野菜を扱って る八百屋のオジサンとちょっと話し込んで新しいヒントを貰って来ました。ん で、結局、今の社会生活から、自給自足の生活に飛び込んで行ける人は、羨ま しいし、憧れるね、ってな話になってしまいましたね。だけども、少し前まで はそういう生活が当り前だったんだ、とも言ってくれました(^_^)。  ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ さてと、明日はどっちに風が吹くだろう? *********************************** 氏の本から、心に残った一文。     ・ 『即ち健康のもとである糠(ヌカ)を削り捨てて、白い米すなわち粕(カス)にした』 大事なものを捨てておいて、カスばかりを並べてウマイとかマズイとか判断し よう、ってのが現代日本社会なんだな。あっ、なんか、もひとつ付けようと思っ たけどうまく書けないな・・・、 *********************************** 今回泊まり込んだ熊本のウラ民宿の舎長(^^;)の野中さんの一言。    『自分が変われば、世界は変わる』 一番、心に響きましたです。あらゆる真実がここにありますね。そして、あら ゆる壁を砕ける力もある。そして・・・、                              湖の鷹 ps. あっ、奥さんの料理長様の美味しい手料理も深く心に刻まれましたです。   “本当の美味しさ”ってのをようやく知ることができました。感謝!!。 03893/03894 QGA01065 聖地恩 『見えない』について。 ( 7) 94/11/10 01:46 コメント数:1 こんにちは、アリオン。 #3865 の続きです。 なえさん、ねずみさん、レスありがとうございました。   なえさん。     過去のログは、世紀末書込み寺その3まで、                   PRTで印刷して読んでいます。     ライブラリーには、新しく<01><02><03> がありました。 これからコピー用紙3パック用意して印刷してみようかと思います。     《心に響く言葉》が何年の何月頃かということをご指摘いただくと     探したり、読んだりする私としては、少し手間が省けてありがたく                        思いますがいかがでしょう。         ローカル・ルールも読んでみました。     今回は、はじめまして編を書いているときと同時に用意して     ありましたから、そのままアップしますのでよろしくお願い致します。     ねずみさん。     ご自分の体験をもとに長いレスをいただきありがとうございました。     立っていられない程の頭痛ですか。私の頭痛も半端ではありません。     横須賀にいた頃は、後頭部の頭痛があまりにもキツくて、     このままでは死んじまうぅぅーという怒りとイラダチで、     後ろにいる姿なき声どもに『フザケンジャネェー、コノヤロー』と                     怒鳴っていたこともありました。     今は、市民プールでボイラーマンをしていたときに、                     頭痛に効くツボを教えてもらい、     自己流で自分の痛みのある部分に応じて、後頭部の完骨あたりを     丁寧に揉んだり、こめかみのツボ・耳の穴の手前周辺を、     揉んだりしています。ツボが痛みに効いたというよりは、     痛みの感覚がまぎれた感じになり少しは和らぎました。      精神的なお医者さんにも通っています。     国家試験を連続して受験している最中なので、                    あまり頻繁ではありませんが...     国立大学の助教授をなさっていた方で県立の病院の院長先生でも                              ありました。     医学的で少し曖昧なことを言うと厳しい断固とした語調に                            なられるようで、     科学的・合理的な相談なら伺いましょうという感じでもあります。     自分の相談は口で説明するのは難しいところがありますから、     100枚前後のワープロを持参して、幻聴・被害*想と言われることを     恐れずにできうる限りの客観性・科学性で相談もしています。     激しい頭痛は今も続いています。つくづく嫌気がさしています。 声・声・声に生活が脅かされる毎日。 前向きに、健全な考え方の方向性として、声の主・声の人物の姿が、 『見えたらいいな』『なんとかして見えないもんかな』といつも考えています。 もし『見える』ようになるならば、ただ一方的に絶望的に                        やられっぱなしではなく、 積極的に防御していける・霊的にも強くなっていける、 研究したい・深めていきたい方向にも加速度的に進んでいけるのではないかと                             思っています。 『見える』ようになるために、いろいろ模索しています。 八幡書店から発売されているシンクロエナジャイザー《メガ・ブイン》が、                    やっと入手することができました。 霊能力の開発を考えている人間にとっては、 わりと垂涎の的・喉から手が出る程欲しいものなのではないかと思います。 グリーン・エナジーのCD『幽体離脱』も購入し、 胸ワクワク・ドキドキもんで、ボリューム・ガンガンで聞いていましたが、                 耳が痛いやら何やらで今は少し休んでいます。 『ビデオ・ドラッグ・2』『フラクタル・ルミネーション』などのビデオも買い、 信じられないほどの色彩の鮮やかさを目をつぶった景色・脳裏に焼き付け、 光のトンネル・乱舞する七色の光・幻想のビジョン・思わずトリップなどを                       これからの楽しみにしています。 自分を見つめる、自分作り・自分探しという試みは、                     まだうまくできていません。 毎日は、自分を穏やかに愛情を持って眺めるという状態とはほど遠く、 国家試験の勉強に追われていたり、 聞こえる声に激しく侮辱・罵倒されていたり、深く落ち込んでいたり、                      強く闘っていたりします。 会議室に書かれている方々の余裕と邪魔されない自由は、                 ただただ、うらやましい限りです。    補助的なものとして、今は、本とかビデオなどを集めています。 他のチャネラーやニューエイジ・ムーブメントの本。 幸福の科学の角川文庫ものをズラリ、    隈本確さんの大霊界シリーズ・GLA当時の高橋信二さんの本、 本物を厳しく追求なさっている方の本としては、 元朝日新聞の編集委員をなさっていた、       本多 勝一さんのルポルタージュの文庫本も13冊揃えました。 『殺される側の論理』『殺す側の論理』 『戦場の村』『アメリカ合州国』『南京への道』『中国の旅』 『事実とは何か』『ルポルタージュの方法』『職業としてのジャーナリスト』 『検証・カンボジア大虐殺』『子供たちの復讐』 『そして我が祖国・日本』『山を考える』です。 『マルコムX自伝』を読んでから、 ビデオの『マルコムX』をレンタルし、ダビングもしました。 演説・インタビューをまとめた『いかなる手段をとろうとも』は購入し、 『マルコムXスピークス』は、これから注文の予定です。 小学館のビック・コミックス『美味しんぼ』も、最近、気に入って読んでいます。 調子の良くないときなど、頭をスッキリとクリアーにしてくれて助かっています。 歳とともにだんだんガンコ・エコジになっていく自分を感じています。 ガンコさ・エコジさが氷が溶けるように、雪解けするように、                だんだん戻ってきているような気がしています。 太極拳のビデオも4種類ほど手に入れました。 ゆったりとした動き・大きくスムーズで滑らかな身のこなし、 大陸的な心の落ち着き・自分自身の気のボールも練り上げていく。 ワンランク大人の雰囲気と気品を身に付けるためにも、                     そろそろ始めようかと思っています。 『オーラ・メガネ』はすでに買ってありますから、                 まずオーラ視から始めるつもりです。 オーラを見る心構えとしては、 まず手・人物を見つめる。だんだん回り・全体をボカしていく。 (一点を凝視していると回りがだんだん見えなくなる。  指・人物の情報を維持しながら、回り・全体の点の情報を                       だんだん少なくしていく。) すると指・人物の回りにオーラが見えてくる。 当たっているかどうかわかりませんが、        PC−VAN・未知能力/霊に書かれていたような気がします。 オーラ視が霊視につながっていくとも書かれていました。 学研の『奇跡のスーパービジョン』を見て基礎的な訓練もしています。 霊視できる人ならわかるらしいんですけれど、 『霊魂の無い人がいる』『光明が入らない人がいる』ということも                          気になっています。 日本では、“ 夜叉 ”といわれる人らしいんですけれど。 太陽の法では、光の天使には、『パワトロン』という          神の光の発散機能を持った装置が胸に輝いているらしい。 自分の《見えない》ということにどれだけの関わりがあるのでしょうか。         QGA01065   聖地恩。 03894/03894 JBH02324 なえ RE:『見えない』について。 ( 7) 94/11/10 11:59 03893へのコメント  こんにちわ聖地恩さん  そうですか、随分と古くからのLOGを読まれたのですね。あれれ?すると  こちらにいらしてからもう長いのですか?。あ、そんな風に感じたもので、  失礼が在ったらお許し下さいませね。  ふむふむ、心に響く言葉ですか・・。あたしに響いても聖地恩さんに当ては  まるかどうかは良く解りません。だから、出来れば、ARIONのLOGを  検索してみられたら如何でしょうか。それだけを抜き出して読めば、案外、  良い言葉にも出会えそうですね。  さて、処で太極拳のビデオを手にいれて始められるとか、少し差し出がまし  い様ですが、一言言わせて下さいね。  太極拳ははっきりいって師になる人が着かないで自分でされて良い事には成  りません。身体を壊すのが関の山です。必ず誰かに着いて下さい。何故なら  太極拳は身体の神経系と血液循環系と密接に連動する事で身体の内部を変革  させる動きが基本的にあるからです。ここはそんな話題を提供する場ではあ  りませんから多くは語れませんが、詳しい話がお聞きになりたい場合、武道  フォーラムもありますから、そちらに行かれては如何ですか?。  すこし突っ込んだ言い方になって失礼だったかも知れませんが、多少でも経  験した者として、恥ずかしい事ですが、ぜひ、お汲み取り下さると嬉しいで  す。  この身体という事一つ取っても、見えない部分は限りなく存在します。身体  の内部を見る事が出来得る人は誰も居ません。それでも皆誰もが当たり前の  様に自分の身体を使っています。見えないのに自由に使える事。実は不思議  な事だとは思われませんか??。仮に目が見えないから、と言って、世界を  感じる事が出来ない訳では在りません。人にはまず五感という感触を与えら  れて生を受けました。その五感をフル回転させてからでなくば、その他の感  触という者は理解出来難くはありませんか?。それからでも遅くは無いと思  いますが、どう思われますか?。  まず、自分自身の現実の感触からゆっくりと見きわめて見る事が大事ではな  いかしら?。自分の指の先から、そして爪の先まで、或いは髪の毛先まで、  本当に貴方の自由に使えるものですか?。感じる事が出来ますか?。  あたしはそんなふうに感じました。  でわわ。 - FARION MES( 9):★神々の曼陀羅/美と信仰と史★・・・・・・・TAO 94/11/10 - 406/411 MHD02672 TAO 旅行所感 その2 ( 9) 94/11/10 00:41 コメント数:1  続きです。 -----丹後編ーーーーー  ◆鬼獄稲荷神社(大江山)  同行者の車で大江山の八合目まで登ると、そこに鬼獄稲荷神  社が構えています。大江山は古くは御獄と呼ばれ、山岳信仰  と結びつき、大御獄神として尊崇されていたといいます。大  江山の酒天童子伝説と混交して「鬼獄」となまって呼ばれる  ようになったのではないか、という説があるようです。こじ  んまりした神社ですが、赤い鳥居、赤い社殿…と赤づくめが  いかにも鬼が潜んでいそうな印象を与え、趣が深かったです  ね。  ◆鬼の洞窟  鬼獄稲荷神社から下に400米ほど降りた山腹に、高さ2m  ほどの洞窟があって、奥にまだ真新しい白木の祠が祀られて  います。こうもりが一匹、奥の天井にぶら下がっていて、不  思議な印象を受けました。  ◆元伊勢内宮・皇大神社  かって出口ナオ・王仁三郎も修行に訪れたというエピソード  が残されていますが、確かに神代をほうふつさせるような、  霊気が漂う“ゾーン”でしたね。黒木の鳥居や社殿の背後に  控える原生林が、濃厚で静謐な空気を醸し出しています。境  内後方には、ピラミッドそっくりの日室岳がそびえ立ち、紅  葉がまだらに山を彩っていました。  ◆天岩戸神社  日室岳下の渓谷には、崖の上に天岩戸神社が建っており、社  殿までは、ぶら下がっている鎖を手繰って登って行きます。  渓流に湿った空気の中に、古びた趣を見せている社殿は、な  かなか粋でしたね。  ◆元伊勢外宮・豊受神社  ここは内宮とは対照的に、朽ち果てているという印象を受け  ました。社務所にも人は不在で、いかにも流行っていないと  いう感じでした。社殿も殆ど色が剥がれ落ち、モノトーンに  近くなっており、霊気のようなものも、人の熱さみたいなも  のも感じないということで、ある一種の廃虚にも思えました。 ーーーーー天橋立編ーーーーー  ◆篭神社  丹後國一の宮であり、国宝指定の日本最古の系図が納められ  いるという篭神社ですが、一目見た瞬間、何か拍子抜けする  ものがありました。車道からすぐ近いし、商業化され過ぎて  いるようにも思えました。少なくとも、霊気みたいなものは  全然感じなかった。そういう意味では、奥宮の真名井神社は  何かしら結構味わい深いものがあって、この方が興味深かっ  たですね。  ◆真名井神社  篭神社の奥宮であり、後方に控えているのですが、入り口に  例の六芒星をしるした石柱が立っていたのが、印象的でした。  この六芒星は、ユダヤのダビデの紋章だとも言われますが、  伊勢神宮にもこの紋が見られるように、神社に「ユダヤの紋  章」がしるされているのは何故だろうか、とも考え込んでし  まいますね。  入り口を通ると、天の真名井の水といわれる霊水が巨岩の中  からたらたらと流れ落ちていて、それでお清めをするように  なっていたのが印象的でした。  私達が参拝した時には、他には誰も居なかったこともあって、  山林に囲まれ、静粛でしかも清浄な雰囲気を漂わせ、打たれ  るものがありました。境内後方にも、巨岩が祀られていまし  たが、巨岩に神の顕現を見いだす感受性というのは、アミニ  ズム宗教の神道故でしょか。  以上、簡単ながら旅行所感でした。皆さんへのコメントが遅  れてしまって申し訳ありませんが、後ほどに。  TAO 407/411 JBH02324 なえ RE:機種依存文字? ( 9) 94/11/10 12:24 401へのコメント  やっ!おひさ。SUKEさん。元気そうでなによりです。(^-^)  北風のシーズンですが、紅葉も割と遅く、案外暖かい日も続きますね。  紅葉狩には行かれました??。季節の風はあっと言う間に行き過ぎて  しまいそうです。しっかりハートで受け留めて感じて下さいね。  あ、括弧の中は矢印でしたか。成る程ね。納得しました。  しかし、あたしゃ数学は弱いだす。必要十分条件って、簡単に言うと  「条件を満たす為の十分な理由」で良いのだしょうか。(^^;  数学オンチですんません。f(。。;) ポリポリ  それはそうと諏訪大社に参られたとか。この神様とは烏が縁があるので  しょうか。こちらの諏訪神社の言い伝えにはそんな話もあります。  ぶらっと出て、そして思いの侭に車を走らせるなんてステキですね。              …ッテナモンヤ の◇アンブレサリョ◇ なえ 408/411 JBH02324 なえ RE:RE^2:機種依存文字? ( 9) 94/11/10 12:24 405へのコメント  こんにちわ R.アール さん。  あらら、そんな事で思いやられてどーしますか。気にしないで下さい。  無理してはダメですよ。急がず慌てず、じっくり構えて下さいね。  無理すると後が続きませんですよ。(^ー^)  ここには自分のペースで書き込みされたら良いのですから、時間の余  裕が有る時で良いですよん。  お気楽〜ぅにいきませうね。                    ◇アンブレサリョ◇ なえ 409/411 JBH02324 なえ RE:旅行所感 その1 ( 9) 94/11/10 12:24 399へのコメント  NoBさん。こんにちわ。お元気でした??。  へ〜フェイクの十一面観音立像があるのですか?。知りませんでした。(って  割と何も知らないのだけど(^^;)海原さんと言えばひろさちやさんと良く会談  された著書がありますね。数冊読みました。どれもが慈悲の事など、ホトケの  慈愛が溢れていて、とても良い書ではないかと思います。  慈しむという事を知らされたのは、やはり子供という存在抜きには語れないし、  それが人としての一番奥深い部分をあからさまに溶出させ、自分と他人(子供)  という因果関係から、自分を捨ててしまうという状況に追い立てて行く道程を、  思い知らされた所はありますね。  配偶者とも決定的に違う遺伝子の半分は己と同じである。という現実が見える  自他確執のなせる技というのか、この辺りは面白い事ですね。  NoB パパさんになる日も間近でしょうか。(*^^*)  あたしは NoB さんが仮に親父になるなら、その事が随分とその人となりに、  良い影響を与えて、そして一段と磨きの掛かった NoB さんになれる予感もし  ます。(^_-)-☆                    ◇アンブレサリョ◇ なえ 410/411 JBH02324 なえ RE:正倉院展 ( 9) 94/11/10 12:25 400へのコメント  いらっしゃいませ おかもと さん。  そうですか、そんなに混んでいるのはゆっくり見る事も難しいのでしょうね。  近くに宿が有れば遅くまで待てますけど、日帰りでの行程では無理があるか  も知れませんね。  おかもとさんのお進めの場所等在りましたら、ご紹介下さいませねっ。  静かでゆっくり見て回れる所が在れば良いですね。                    ◇アンブレサリョ◇ なえ 411/411 JBH02324 なえ RE:旅行所感 その2 ( 9) 94/11/10 12:25 406へのコメント  お帰りなさい、TAOさん。  お元気な書き込みなによりです。  それにしても神社に依っては違う雰囲気があるのは面白いですね。  あたしは行った所に社務所があれば必ず謂れを記した記書を頂いて  帰る様になりました。これで幾つかの歴史は見えますし、面白い内  容に出くわす事もあります。(タダが多いし(^^;)  もしかすると、篭神社って、移転されたとか、そんな事は在りませ  んよね。良く道路改修だとか、用地の関係で移転する社殿もあると  聞きます。本来の社殿の場所の方に強い雰囲気が在ったりしてね。(^^;  龍穴だった事が感じる事もありますし、まぁ、世の中の流れに翻弄  される事も多いですものね。  何はともあれ、長旅お疲れさまでした。m(__)m                    ◇アンブレサリョ◇ なえ - FARION MES(13):★神秘学遊戯団★・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・KAZE 94/11/10 - 01903/01907 GGA02514 KAZE 愛の理屈ではなく、愛することに意味があ る (13) 94/11/09 21:20 01900へのコメント Paper Birchさん、どうも。 >やはり、あまりにも物質界から離れた世界のこと(ここでは第一ヒエラルキア >など)を、この世にいる人間が分かるものだろうかという疑問が残ります。 そういう疑問は当然のことだし、それを忘れるべきではないと思います。 そもそもシュタイナーは自分の言うことを信じなさいとは言ってません。 むしろ、「なぜあなたがたは私の言うことを盲信するのか」と叱ってたくらいだし 各自が自分で認識するということを要請していたわけです。 たとえ、そうした高次の世界のことを直接認識はできないにしても、 それを認識できないということはないというのです。 たとえば、直接、霊視をすることはできないとしても、 それを理解することができないということはないというのです。 そのための健全な認識力があれば認識できるということです。 それと、シュタイナーが非常に実践的だということも忘れてはならない点でしょう。 あるひとの言述がなんの実践的成果も生んでいない場合、 いかにそのひとがもっともらしいことを言ったとしても、 それらを真摯に受けとめる姿勢はとりづらいでしょうが、 シュタイナーの言述と実践というのは一貫していますし、 それを切り離すことはできないものとなっています。 もちろん、そうした言述がすべて正しいということではありません。 一貫した姿勢をもっているので、その姿勢を理解しないといけないということです。 そのためにも、シュタイナーの神秘学を学ぶということは、 まずその一貫した認識論的基盤をしっかりと自分で身につけることが必要です。 シュタイナーは、ゲーテの自然科学論文の校訂と解説ということから出発し その後、自由の哲学をはじめとした認識論的な基礎を構築していますが、 そこらあたりをしっかりやらないといけないということなのです。 ですから、シュタイナーの著作を読みにくいという方の多くは、 そうした認識力を要求する思考を養成していないということもあると思います。 たとえば、哲学的な思考に慣れてないということもそのひとつです。 もちろん、そういうことを要求するものばかりではありませんが、 そうしたすべてのものの前提となっている認識を理解しようとするなら、 そうしたことは欠かせないだろうということなのです。 たとえば、九九ができないで、高度な計算方法を理解しようとするのと同じで、 電卓を使って答えを出すことはできるとしても、 なぜそういう答えがでるのかを理解するためには、 九九くらいは学んでおく必要があるのと同じようなものです。 そして、おそらくはそれを簡単に説明することは非常に難しくて、 実践的に認識を深めていく以外にないというのは確かでしょう。 「それを簡単に説明してくれ」という要請には答えがたいということです。 認識のあり方ということについて、シュタイナーは「神智学」(イザラ書房) のなかの「認識の小道」という章で次のように述べています。 どうしたら霊学の高次の認識内容を獲得できるのか、と問う者に対しては、 まず、そのような認識内容についての他者からの伝達を学ぶように、と告げ るべきである。そしてもしその者が、自分は他人の観たものについて知りた いとは思わない、自分で観たいのだ、と答えるなら、他の者たちの伝達を学 びとることこそ、みずからの認識への第一段階なのだ、と答えねばならぬ。 それでは盲目的信仰を強要されてしまうのではないか、と言う人もいるだろ うが、しかしこのような伝達にあたっては信じる、信じないではなく、聞い た事柄をとらわれずに受け容れる態度だけが問題なのである。真の霊学者な ら、盲目的信仰をもって聴かれることを期待して語ったりはしない。彼は常 にただ自分は霊的存在領域の中でこのことを体験した、自分が話しているの はこの自分の得た体験内容についてである、といっているのである。しかし 彼はまた、誰かが自分のこの体験を受け容れ、自分の話の内容をその人の思 考内容の中へ浸透させるなら、それはその人の霊的発展のための生きた力に なる、ということを知っているのである。 (P180-181) 高次の認識能力を獲得しようとするとき、真剣な思考作業を自分に課すこと がいかに大切なことか、どれ程強調してもし過ぎることはない。今日「見者」 になりたいと願う多くの人がまさにこの真剣で禁欲的な思考作業をいい加減 にしてるので、この点を強調することがますます必要になってきている。 「思考」はまったく私の役に立ってはくれない、とこのような人たちはいう。 大切なのは「感覚」、「感情」等だという。これに対していわねばならない ことは、どんな人も、あらかじめ思考生活上の精進を続けていなかったら、 高い(つまり真の)意味の「見者」になることはできない、ということであ る。或る種の内的安逸が多くの人々の中で不当に大きな役割を演じている。 彼らがこの安逸を意識していないのは、「抽象的思考」、「無駄な思弁」等 々の軽蔑を表層として身にまとっているからなのである。思考を、無意味に 抽象的思弁を重ねることと混同する人は、思考の本質を理解していない。                              (P182) 根拠のない不信は有害である。なぜならそれは受けとる者の内部で反発力と して働き、それによって生産的な思考内容を受け容れようとする行為が妨 害されるからである。盲目的信仰をもてというのではなく、霊学的思考世界 を、信、不信に係わりなく、ただ受け容れようとする態度だけが高次の感覚 を開くための前提となるのである。霊学研究者は弟子に次のような要求をも って相対する。−−私のいうことを信じなくてもよいが、それについての考 え、それを君自身の思考内容にして見賜え。そうするだけで、すでに君の内 部で私の思考が生きはじめ、君はその真実を自分で認識するようになるだろ う。−−これが霊学研究者の立場なのである。 (P183-184) >神話などの解釈にも同じ事が言えます。 >特に、あまりにも高い世界のことを語っている神話は、 >取り扱いが難しすぎて参考に出来ないと、僕は思います。 これについても同じでですし、また神話がいったいどこから来ているのかということを 総合的に一貫して説明できているかどうかもひとつのポイントになります。 >ただ、自分の想像もできない世界の話を聞くときは >注意深く行こうと、思っています。 そういう姿勢はとっても大切だと思いますし、ぼくもそうしているつもりですが、 さらに必要なのは、「想像もできない」ということを 自分の言い訳にしていないかどうかを問わねばならないと思います。 たとえば、微分積分が解けないということを、 「そういうのは解けるのがおかしいのだ」というのか、それとも できるだけそれを解くべく、地道な手続きを踏んでいく努力をするのか、です。 現代のようなマスコミの風潮では、 「自分にわからんことをいうのはおかしい」という傲慢を きわめて容易に共有してしまう大衆を容認する傾向にあります。 努力のないきわめておそまつな認識力で理解できることを強要するのです。 そういうことが可能ならばそうすればいいのですが、 すべてのものごとがそういうことが可能だとは思えません。 むしろ、認識の怠惰では何事も理解できないというのが正しいのです。 もちろん、難解のための難解というのは単なる逃避ですから そういうのには遠慮なくNO!を突きつければいいのですけどね。 ですから、シュタイナーの言うことを信じるとかいうのはどうでもいいことで、 では何が一番大切なのかということを自分なりに考えてみると、 何事も認識を深めていく努力そのものが意味があるんだろうと思います。 そのプロセスこそが必要なのだということです。 それは、愛について千万言を費やすよりも、 ひとを愛するそのプロセスそのもの、その行為そのものに意味があるのと同じです。 だって、Paper Birchさんが婚約者を愛しそこから学ぶことに意味があるのであって 愛についての理屈をいつまでも云々してもつまんないでしょ(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 01904/01907 GGA02514 KAZE シュタイナー●神秘学の記号と象徴・第四講の1 (13) 94/11/10 10:55 この第四講の理解のガイドとして適切なのは、 邦訳のルドルフ・シュタイナー「ヨハネの黙示録」(水声社/西川隆範訳)で、 その中に図版として収録されている7つの封印の図を参照されれば、 この講義での説明がイメージしやすくなるでしょう。 ●ルドルフ・シュタイナー  「神秘学の記号と象徴/そのアストラル界・霊界との関係」 <第四講の1/シュトゥットガルト 1907年9月16日>  象徴や形象のうち、そもそも私たちが所有していて古今の神秘学者たちからも 認められている最も意味深長なものは、人間自体です。人間は、今も昔も、常に ミクロコスモス、小宇宙と呼ばれてきました。これは、まったく正当な言い方で す。というのも、人間を詳細に綿密に知るようになる人には、ますます人間のう ちに人間の外部の自然の中に広がっているあらゆるものが含まれていることが明 らかになってくるからです。このことを理解するのは、はじめは困難かもしれま せん。けれども、これについて思索を深めれば、人間のうちには全自然からとっ た一種のエキス、精髄、あらゆる実質と力が見いだせるということの意味を理解 できるでしょう。皆さんが何らかの植物をその本質という点に関して研究し、充 分深く探求することさえできれば、人間の有機体組織の中に、より食傷された形 ではあっても、同じ本質が含まれていることがおわかりになることと思います。 さらに、外にいる動物を考えてみてください。皆さんは常に、人間の有機体組織 の中に、その本質に従って、あるやり方でその組織中に取り込まれているいるよ うに見える何かを指摘することができるでしょう。  このことを正しく理解するためには、もちろん宇宙の進化を神秘学的観点から 考察することが必要です。それで、たとえば神秘学者は、もし外部の自然の中に ライオンが存在しないなら、人間は決して今日のような性質の心臓を持つことは ないということを知っています。まだライオンというものが存在しなかった時代 へと遡ってみましょう。人間は最も古い存在ですので、その当時にも人間はいま した。けれども、その時の人間はまったく別様に形成された心臓を持っていたの です。自然の中には、至る所に、もちろん必ずいつも明白ではないにしても関連 があります。かつて人間がはるか太古の時代に自らの心臓を今日の形態へと発達 させた時、その時にライオンが生じました。両者は同じ力を形成したのです。そ れは、あたかも皆さんがライオンの本質を抽出し、神の如き巧みな技により、そ れから人間の心臓を形成したかのようです。皆さんは人間の心臓には何らライオ ンのようなものはないとお考えになるかもしれませんが、神秘学者にとってはこ れは本当なのです。あるものがひとつの関連、ひとつの有機体組織の中に置かれ る時、それが独立状態にある時とはまったく別の作用をすることを忘れてはいけ ません。逆のこういうふうに言うこともできます。皆さんが心臓のエッセンスを 取り出すことができたとして、この心臓に相応した存在を作り出そうとするなら、 そしてその存在が有機体組織の諸力に規定されないなら、それはライオンになる のです。勇敢さ、大胆さといった特性、あるいは神秘学者が言うような人間の 「王者らしい」特性のすべてはライオンとの関係に由来します。そして、秘儀参 入者であったプラトンは、王者のような魂を心臓の中に置いたのです。(注/プ ラトン「国家」では勇気(thymos)はホメロスに従って心臓に置かれる)  人間と自然のこのような関係に対して、パラケルススはたいへん見事な比喩を 用いました。彼は、「それはあたかも自然の中でひとつひとつの存在が文字であ るかのようだ。けれども人間はこれらの文字から組み立てられた言葉なのだ。」 と言います。外には大いなる宇宙−マクロコスモス、私たちのうちには小なる宇 宙−ミクロコスモス。外ではいかなるものもそれ自体として存在し、人間にあっ ては他の器官も共に織り込まれているハーモニーによってすべてが規定されてい るのです。そして、だからこそ私たちは人間の中に全宇宙の進化、私たちの一部 をなす全宇宙の進化を観照することができるのです。 (第四講続く) 01905/01907 GGA02514 KAZE シュタイナー●神秘学の記号と象徴・第四講の2 (13) 94/11/10 10:56 ●ルドルフ・シュタイナー  「神秘学の記号と象徴/そのアストラル界・霊界との関係」 <第四講の2/シュトゥットガルト 1907年9月16日>  皆さんは、私たちの一部をなしているこの宇宙との関連における人間進化の像 (すがた)を、ミュンヘンでの会議期間中、祝賀ホールに掲げられていた封印の 中に見ることができます。何が示されているか見てみましょう!  最初のものは、白い衣をまとった人物を示しています。その両足は金属、青銅 のようです。口からは炎の剣が突き出しています。彼の右側は諸惑星−−土星、 太陽、月、火星、水星、木星、金星の記号で取り巻かれています。ヨハネ黙示録 をご存知の方は、黙示録の中に、この像とかなり一致する記述が見られることを 思い出すことでしょう。ヨハネは秘儀参入者であったからです。この封印は、つ まり、言うならば、人類全体の理念を提示しているのです。ここにおられる古参 の方々にはすでにおなじみの表象をいくらか思い出していただくと、このことを 理解できると思います。  人間の進化をさかのぼっていくと、人間がまだ不完全な段階にある時代に到達 します。例えば、人間は、皆さんが今日両肩の上にのせているもの、つまり頭部 をまだもっていませんでした。当時の人間を描写すると本当にグロテスクに聞こ えるでしょう。つまり、頭部はだんだんと発達してきたのであり、さらにこれか らも進化していきます。人間においては今日、いわば終結に達した器官がありま す。自らを作り変えていく別の器官もあります。そう、喉頭は力強い未来を有し ているのです。むろん、心臓とも関連しています。今日、人間の喉頭はようやく その進化の始まりにあって、将来、霊的なものに作り変えられた生殖器官となっ ていくのです。今日の人間が喉頭を使って行っていることを明らかにすれば、こ の神秘についての表象を得ることができるでしょう。ここで私が話しますと、皆 さんに私の言葉が聞こえます。このホールが空気に満たされていて、この空気中 に一種の振動が引き起こされることにより、私の言葉が皆さんの耳に伝達される のです。私がひとつの単語、例えば「宇宙(ヴェルト)」という語を発音すると、 空気の波が振動します。−−これは私の言葉の受肉(物質化)です。今日、人間 がこのように作り出すものは、鉱物界における創造と呼ばれています。空気の運 動は、鉱物的な運動です。喉頭を通じて、人間は環境に鉱物的に働きかけている のです。けれども、人間は、自らを高め、いつか植物的にも働きかけるようにな るでしょう。単に鉱物的な振動だけではなく、植物的な振動をも引き起こすよう になるでしょう。人間は、植物を出現させるでしょう。その次の段階は、感受す る存在を語って出現させるでしょう。そして、進化の最高の段階では、人間は自 らの喉頭によって自分に似たものを生み出すでしょう。今日、人間は魂の内容の みを言葉によって語ることができますが、その時には自分自身をそのまま言い表 すようになるのです。そして、人間が未来において存在を語って出現させるよう に、人類の先駆者である神々は、今日存在するすべてのものを語って作り出した 器官を備えていたのです。神々はすべての人間、すべての動物、そしてその他す べてを語って生み出しました。これらはすべて字義どおりの意味において発せら れた神々の言葉なのです。  「初めに言葉があった。言葉は神のもとにあった。言葉は神であった。」これ は、思弁的な意味での哲学的な言葉ではありません。まったく字義通りにおこな われた太古の事実をヨハネは提示したのです。  そして、終わりにも言葉があるでしょう。言葉の具現が創造であり、人 間が未来に於いて生み出すものは、現在言葉であるものが具現化したものなので す。けれども、その時には、もはや人間は今日のような物質的形態はとらないで しょう。人間は土星上でとっていたような形態、火の実質にまで進歩しているで しょう。このように宇宙進化の始まりにおける創造的な力は宇宙進化の終わりに おける私たち自身の創造する力と結びついているのです。  今日あるすべてのものを宇宙の中に言葉で出現させた存在は、人間の偉大な模 範です。この存在は、宇宙に土星、太陽、月、地球−−地球は半分ずつで火星− 水星−−、木星、金星を出現させました。この七つの星が暗示しているのは、こ れらは人間がどの程度まで進化できるかを表す記号であるということです。火の 実質の中に、この惑星は最後に再び現れ、人間はこの火の実質の中で創造的に語 ることができるでしょう。これが口から突き出ている火の剣なのです。すべては 火のようになります。従って、両足も溶けた青銅なのです。見事に印象深く、進 化の意味がこの記号(しるし)に表されています。 (第四講続く) 01906/01907 GGA02514 KAZE シュタイナー●神秘学の記号と象徴・第四講の3 (13) 94/11/10 10:56 ●ルドルフ・シュタイナー  「神秘学の記号と象徴/そのアストラル界・霊界との関係」 <第四講の3/シュトゥットガルト 1907年9月16日>  今日の人間を動物と比較してみますと、その違いは「人間は個々人として、個 々の動物が自らのうちに有してないものを、自らのうちに有している」と言わな ければならないということに表されています。人間は個人の魂を持ち、動物は集 合魂を持つのです。人間のひとりひとりがひとつの動物の属全体にあたります。 例えば、すべてのライオンは共通でひとつの集合魂を持つのみです。この集合・ 自我は、人間・自我とまったく同じですが、ただ集合・自我は物質界にまでは下 降しません。アストラル界でのみ見いだされるのです。この地上では、各々が自 我を担っている物質的人間が見いだされます。アストラル界では、皆さんはアス トラル実質の中で、皆さん自身と同じような存在と出会います。ただ、物質では なくアストラル的な覆いの中で出会うのです。皆さんは、皆さんのような人と話 すように、彼らと話すことができます−−これが動物の集合魂です。  人間も以前の時代には集合魂を持っていたのですが、次第次第に今日の独立し た存在へと進化してきたのです。これらの集合魂はもともとアストラル界にあり、 それから肉の中に宿るために下降してきました。今、アストラル界の中に人間の 原初の集合魂を探してみますと、人間の由来である四つの種類が見いだせます。 この四種を、今日の動物の属をなしている集合魂と比較しようとすると、次のよ うに言わねばならないでしょう。四種類のうちのひとつはライオン(獅子)と比 較される。もうひとつは鷲と比較される、三つめは牛と、四つめはその自我が下 降してくる前の太古の人間と比較できる、と。けれども、さらに人間のより高次 の顕現のための集合魂、つまり子羊、救い主の徴(しるし)である神秘の子羊に より示される集合魂も存在しますし、地球が存在する限り、これからも存在する でしょう。これら五つの集合魂の分類−−すべての人間に共通する偉大な集合魂 を取り巻く人間の四つの集合魂−−これを第二の図像は描き出しています。  私たちが人間の進化をはるか彼方までさかのぼっていくと、何百万年もの助け を求めなければなりませんが、また別のものが現れてきます。現在、人間は物質 的に地球上にいます。しかしながら、この地球上を動き回っていたものが、まだ 人間の魂を受け取ることができなかった時代もあったのです。その時、この魂は アストラル界にありました。そして、さらにさかのぼると、この魂が霊界、すな わちデヴァチャンにあった時代に至ります。魂は、地球上で自らを浄化したあか つきには、未来において再び、この高次の段階に上昇するでしょう。霊からアス トラル的なものを経て物質的なものへ、そして再び霊へ…これが人間の長い進化 の道のりなのです。けれども、これを人間が土星及び他の惑星状態で経てきた進 化の時間と比べると、短期間のように思われます。人間は単に物質的な変化のみ ではなく、霊的、アストラル的、物質的変化を遂げてきたのです。こうした変化 を追求していくと、霊的世界にまで上昇しなくてはなりません。そこでは、天球 の音楽、この霊的世界で空間にみなぎりあふれている音が知覚されます。そして、 再び人間がこの霊的世界に慣れていくと、この天球のハーモニーが彼に向かって 響きわたるでしょう。これがオカルトでは天使のラッパの響きと呼ばれるのです。 従って、第三の図像はラッパです。霊的世界から啓示がやってきますが、それは 人間がなおいっそう進歩を遂げたときはじめて、姿を現すのです。それから、人 間に七つの封印を施された書物が開示されるでしょう。この封印はまさに私たち がここで考察しているものです。これらの謎が解かれるでしょう。ですから、中 央には書物、下部には人類が置かれます。というのも四頭の馬は、時代を経てき た人類進化の諸段階に他ならないからです。  けれども、もっと高次の進化があります。人間は、もっと高次の世界に起源を 持ち、そして再びこの高次の世界に上昇していくでしょう。その時、人間が今日とって いるような形態は世界の中へ消えていくでしょう。今日、外の世界にある もの−−人間を構成している個々の文字−−を人間はその時、再びすべて受け取 っているでしょう。人間の形態は世界の形態と一致していることでしょう。神智 学のある種の通俗的な記述において、自分自身の内に神を探し求めると教えたり 語ったりされています。けれども、神を見出そうとする者は、万有のうちに広が っている神の作品のうちに神を探し求めねばなりません。宇宙の中の何ものも単 なる物質−−それは単に見かけ上そうであるにすぎません−−ではありません。 実際はすべて物質は霊的なものの現れ、神の活動の知らせなのです。そして、人 間は来るべき時代の経過において、自分の本性をいわば拡大していくでしょう。 ますますいっそう人間は世界と一体化し、人間の形態の代わりに宇宙(コスモス) の形態を置くことで、自らを提示することができるのです。このことは、岩、海、 円柱を備えた第四の封印に見いだせます。今日、雲として世界を通り過ぎてゆく ものが、人間の肉体を形づくるための素材を提供するでしょう。今日、太陽の霊 のもとにある諸力が、さらに限りなく高められたやり方で、霊的な諸力を作り出 すことになるものを、未来において人間にもたらすでしょう。この太陽の力こそ、 人間が手に入れようと求めるものなのです。自分の頭部、つまり根を地球の中心 に向けて沈めている植物とは反対に、人間は頭を太陽に向けています。そして、 人間は頭を太陽と合体させ、より高次の力を受け入れるでしょう。このことは、 岩と円柱の上の雲の体にある太陽の顔の中に見てとれるでしょう。その時、人間 は自らを創造するものとなっているでしょう。そして、完全な創造の象徴として、 多彩な虹が人間を取り巻いています。ヨハネ黙示録の中にも、皆さんはよく似た 封印を見いだせるでしょう。雲の中に書物があります。黙示録では、秘儀参入者 がこの書物を飲み下さねばならないと語られています。これによって、人間が単 に外的に叡智を受けることができるだけでなく、今日食物で自らを満たすように、 叡智で自らを満たし、自身が叡智を体現するようになる時が告げられているので す。  それから、宇宙における大いなる変化が目のあたりに怒る時に近づきます。人 間が太陽の力を引き寄せてしまうと、太陽が再び地球と一体化するというあの進 化段階がはじまります。人間は、太陽の力により太陽を生み出すでしょう。です から[第五の封印では]太陽を生む女なのです。その時、人類は非常に道徳的、 倫理的になっているので、低次の人間本性の中にある有害な力はすべて克服され ているでしょう。これは、七つの頭と十本の角を持つ動物によって描かれていま す。太陽の女の足下に、地球が用いることができず押し出していなかったあらゆ る有害な実質を含む月があります。今日、月が魔術的な力で地球上でなしてるこ とはすべて、その時に克服されるでしょう。人間が太陽と一体になるとき、人間 は月を克服したのです。  続いて[第六の封印で]、このように高次の霊化にのぼりつめた人間がいかに ミカエルの形姿に似ているかが表されています。ミカエルは、この世の悪いもの を龍の象徴(シンボル)の中につなぎとめているのです。 (第四講続く) 01907/01907 GGA02514 KAZE シュタイナー●神秘学の記号と象徴・第四講の4 (13) 94/11/10 10:57 ●ルドルフ・シュタイナー  「神秘学の記号と象徴/そのアストラル界・霊界との関係」 <第四講の4/シュトゥットガルト 1907年9月16日>  私たちはあるやり方で人類進化の初めと終わりが同じ変化の状態であることを 見てきました。この同じ状態が、流動する火の足を持ち口から剣を突き出した男 の中に描かれていることがわかりました。意味深い象徴学においては、私たちに 宇宙の全存在が聖杯の象徴において明かされます。皆さんにこの第七の封印につ いて二、三概略的にお話しておきたいと思います。  神秘学者としてこの世界を知ることを学ぶ者は、空間というものが物質的世界 にとって、単なる空虚なものとはまったく別の何かであるということを知ってい ます。空間は、すべての存在をいわば物質的に結晶化させて出現させてきた源泉 なのです。水で満たされた完全に透明なガラス製の立方体の器を考えてください。 さて、それからある冷却する流れがこの水を貫いて導かれ、さまざまなやり方で 氷が形成されるのを思い浮かべてください。こういうふうにして、世界創造のひ とつの表象、つまり空間を得ることができます。この空間の内部へと神的な創造 の言葉が発せられ、ありとあらゆる事物が結晶化し生み出されたのです。  神的な創造の言葉が内部に発せられたこの空間を、神秘学者は水のように透明 な立方体によって表します。この空間の内部でさまざまな存在が発達していきま す。私たちの最も近くにある存在を、立方体は三つの垂直方向、つまり三本の軸、 長さ、高さ、幅を持ち。これが立方体の三つの次元を示しているということで、 最もよく特徴づけることができます。さて、これらの、外の自然界にある三つの 次元に反対の次元を加えると考えてみてください。皆さんはおよそ次のように想 像することができます。ひとりの人物がある方向に進み、もうひとりが彼に向か ってやってきて両者がぶつかる、というふうに。同様に、各空間次元にも、それ ぞれ反−次元が存在するのです。従って、私たちは全部で六本の線を持つことに なります。これらの反対線は同時に人間存在の最高の構成要素の原初的萌芽を表 しています。空間から結晶化された物質体は、最も低次のものです。霊的なもの、 最高のものはその反対物で、反−次元によって示されます。ここで、進化におい て、まず最初に、激情、欲望、本能の世界に合流させることで、最もよく描かれ 得る存在、こういう存在の反−次元が形成されるのです。最初、これはそういう 存在です。それから、のちに何か別のものになります。ますますいっそう、この 存在は自らを浄化していきます−−どれほど浄化されるか、私たちは見てきまし たが−−が、もとは蛇によって象徴される低次の衝動から出発してきたのです。 この経過が互いに向き合った二匹の蛇の中での反次元の融合によって象徴されて いるのです。  人類は自らを浄化することで『宇宙の螺旋』と呼ばれるものへと上昇します。 浄化された蛇の体、この宇宙の螺旋は、深い意味をもっています。皆さんは、こ れについて次のような例でひとつの概念を得ることができます。現代の天文学は コペルニクスの二つの法則に基づいていて、第三の法則は顧みられず放置されて います、第三法則は、太陽もまた動いているというものでした。太陽は、前方へ ねじれながら進んでいて、その結果、地球は太陽とともに複雑なカーヴを描いて 運動しているのです。同じ事が、地球の回りを運動している月にもあてはまりま す。これらの運動は、初歩の天文学で受け入れられているよりもはるかに複雑な のです。螺旋が天体のなかでどのような意味をもっているのか、ここでおわかり でしょう。この天体は、将来、人間と一致するような形態を表しているのです。 その時には、人間の生み出す力は浄化され、純化されているでしょう。人間が浄 化された蛇の体として進化させていったものは、その時、もはや下から上へでは なく、上から下へと作用することでしょう。私たちの中で変化した喉頭は、聖杯 (グラール)と呼ばれる杯になるのです。そして、この生み出す器官と結びつい ているもうひとつの器官も同様に浄化されているでしょう。この器官は、宇宙の 力の精髄(エキス)、大いなる宇宙の精髄となるでしょう。精髄の中のこの宇宙 霊は、聖杯にむきあう鳩の図像で描かれています。ここで、鳩は、人間がいつか 宇宙(コスモス)と一体化する時に、宇宙から働きかける霊化された授精作用の 象徴なのです。この出来事の想像力全体が、虹によって示されています。これは すべてを包括する聖杯の封印なのです。  これ全体が、宇宙と人間の関係についての意味を、驚くべきやり方で他の封印 の意味もまとめるようにして伝えてくれます。従ってここにも封印の周囲の縁に 書かれた文字として、宇宙の秘密が現れています。この宇宙の秘密は、人間が原 初に根源の力から生まれてきたことを示しています。どんな人間も、振り返って みれば、意識の力から新しく生まれたなら、今日霊的に成し遂げている過程を、 原初の時代に経てきたのです。薔薇十字会ではこのことを(頭文字で) E.D.N=[ex deo nascimur](神から私は生まれた)と表します。  開示の内部では、二番めのものが加わることを見てきました。すなわち、生の ための死です。人間は、この死の中で再び死を見出すために生きとし生けるもの すべての源泉の中で、この感覚の死を克服せなばなりません。この源泉は、すべ ての宇宙進化の中心点なのです。というのも、私たちは、意識を獲得するために は死を見出さねばならないからです。しかし、私たちはこの死の意味を救い主の 秘密の中に見出す時、死を克服するでしょう。神から生まれたのと同様、私たち は秘教的な叡智の意味で、キリストにおいて死ぬのです。I.C.M [im Christo morimur](キリストにおいて死ぬ)  そして、何かが開示される所ではどこでも、第三のものに統一されるべき二元 性が示されるので、人間は死を克服したとき、自らが、宇宙を貫く霊(鳩)と一 体化することでしょう。人間は復活し、再び霊のうちに生きるのです。 P.S.S.R=[per spiritum sanctum reviviscimus](聖霊のうちに復活 する)  これが、神智学的薔薇十字です。これは、宗教と科学が宥和する時代を照らす のです。  さて、以上のとおり、このような封印には、宇宙全体が描かれており、しかも 宇宙は魔術師や秘儀参入者によって、この中にくみ入れられたため、封印には強 い力が内在しています。皆さんは、いつも新たにこれらの封印にもどってくるこ とができます。封印は、瞑想を通して無限の叡智を開くことができるということ を、皆さんは改めて見出すことでしょう。封印は、宇宙の秘密から創られていま すので、人間の魂に強力な影響を及ぼします。今日ここでお話しているような、 宇宙の聖なる神秘へと高めてくれるような、そうした事柄が語られている部屋に、 こうした封印を掲げるなら、それらは、人にそれと気づかれなくても、最高度に 生き生きと啓発する作用を及ぼします。けれども、同時に、こういう意味をもっ ているからこそ、世俗化されることを嫌います。奇妙に聞こえるかもしれません が、霊的なことは何ら語られず、俗っぽい言葉が語られている部屋にこういう封 印がぐるりと掛けてあると、やはり作用は及ぼすものの、この場合、肉体組織を 病気にするような作用をするのです。通俗的な言い方かもしれませんが、封印は 消化を損なうのです。霊的なものから生まれたものは、霊的なものにふさわしく、 世俗化されてはなりません。このことをそれ自身がその作用によって示している のです。霊的な事柄の記号は、霊的な事柄が起こり、作用を得る所にふさわしい のです。 (第四講終了) - FARION MES(14):★アリオン預言解読部屋★・・・・・・・・・・・・はな 94/11/10 - 02595/02595 GDB00064 オリハル RE:霊―血―肉 (14) 94/11/09 13:29 02594へのコメント 英雄さん、ちょっと気になるので、RESさせて下さい。 なお、個人的関係に於て、私は特別何も気にしていません。 | シュタイナ―は、実は、血液自身の運動により、心臓が動いているの | だと言います。 この箇所は、私もシュタイナーにしては変な事を言うな、と思っていたのですが、 これはもしかして誤訳ではないか、と思ったりします。物質的には心臓が血液の ポンプであることは事実ですが、シュタイナーは霊的な観点から言ったのだと 思います。つまり、多分、 心臓が動かなければならないのは、血液の存在の為 という意味なのだと思うのです。そういう観点から言葉にしているために 変なのだと思います。 P.S.誤訳にしては、シュタイナーが同じ事を沢山言ってるのかも知れない。                               オリハル - FARION MES(18):★二人三脚ネットワーク実験室★・・・・あもり 94/11/10 - 01940/01943 MXB01131 hay RE:RE^6:こんちは (18) 94/11/09 14:23 01939へのコメント 桂 桂さん、 まず、ここに発言したコメントについて釈明します。 それは、あくまで あもりさんの 「自己を観るまえに現実を観るってどういうことだ?」ということに関しての 私の意見だった、ということは留意してください。 だから 「グダグダ言ってんじゃねーよ、だれの目にもわかるように証明してみせなよ!」 ということを言いたかったのです。(最初からそうすれば良かったのカシラ・・・) 「理想を語ることだけなんて猿でもできらあ!」 (以上、ちょっとコトバが下品ですが) 話が展開していくのはやぶさかではありません。 私もFARIONにアクセスしてるわけですから、 自己観察やめい想なんかの真似事をしたりしますし、その方面の先達の 話を伝え聞いたりしてます。 オカルト(隠された知)に興味があるし、迷いや弱さ、欲もあります。 この(世界や日本の今採用してる社会遂行システム)現状に不満や憤りを感じて ますしね。そしてもちろん、ぬるま湯にも浸からせてもらってます。 「ほんとうの現実」というものがあるとして、 それについて私は明確な答えをもってる訳ではありません。 他者の感覚、それは推測はできますが 自分の体験ではないものは「認める」以外に方法はあるのでしょうか? 「合意」や「共感」が大事なのは、 「受け取るものが違うから」という、あまりにも当たり前な、暗黙の了解があるからで はないのですか?  無意識の領域で合意しているもの、それが一般でいう誰の目にも明らかな「現実」 というヤツですよね?しかし無意識の領域で合意しているものなんて時代によって違う のですから、合意してるもの「現実」と思ってるものそのものが変わります。 そう思いません? それとも確固たる「現実」というものをあなたは説明・証明できるのでしょうか?  他人のことはさておき、あなた自身は「複数の現実」をお持ちなのですか?そうである なら三次元存在としては恥ずべきことにおもえます。 他人と合意できる、共有できる部分をさして現実と名ずけてるのだと解釈しますが これはあもりさんに私が言ったことそのものになるのではないでしょうか。 自己の内(にある思い)と外がシンクロしてる状態、これが人の理想としている状態な のだとおもうのですが、 大方においてそれはすれ違いがあり、受け取るもの(現実)は自身の感覚が優先されて るのではないでしょうか? そしてじっくり考えるとやはり内と外はシンクロしており、すれ違いを起こしてるわけ ではない。 「自己」や「感覚」というものもかなりあやふやなものだと思いませんか? しかし外界を認識するものさしは自己以外にはない。外界がなければ比較するとっかか りもなくなり自己は消滅してしまう。 さて、桂 桂さん。私は今のところ自分の考えを述べてるにすぎず、何らこの一連の会 話で得るものが無いままです。 桂 桂さんも自身の考えや意見といったものを明確には発言してませんし、 ただ少し種をまき、私からの発言を引き出してるにすぎません。 自覚されてるでしょうか? 私はただ、時間と金を浪費してるだけなのです。 元々、このFARIONにおいて発言し始めたきっかけ、私の欲っするものは 「自己啓発セミナー」をさかなにして、いろんな意見や情報が欲しいと思ったからです。  MES 19やMES 7に少し発言しているのですが目を通してもらえてますか? MES 7でくまおさんに対してつけたレスは今ここで取り上げてる「現実」について 補完するような内容になってると思うのですが、それは感じてもらえていたでしょうか?                                 hay 01941/01943 MXB01131 hay RE:RE^6:こんちは (18) 94/11/09 14:31 01939へのコメント 「わがまま」は「我(われ)がまま」でもあるわけです。 これは三次元世界(この世、現実という意味で使ってます)に「個」として存在する者 として観察すべきもの、自覚すべきもの、克服すべき課題でもあると考えてます。 < 感動するべき感覚 この文意が読み取れません。説明おねがいします。                                hay 01942/01943 MXB01131 hay RE:RE^6:こんちは (18) 94/11/09 16:20 01939へのコメント 悪ノリついでに、もうひとつ。 「二人三脚」になんか全然なってねーぞ! 失礼しました。               hay - FARION MES(19):※精神世界/見聞録/ぶっ飛び話/アレコレ・・・・ 94/11/10 - 386/388 TAB01276 ROマン RE:#359へのRESに対する回答(長文です) (19) 94/11/09 21:39 381へのコメント  アキラさん こんにちは  一連の会話の中で、私自身、いろいろと考えるところがありました。  宗教というのは本当にむずかしいものだなと思います。   私も宗教に関係するまでは、このような世界が理解できませんでし  た。今もそうですが、「宗教的素質」という言葉があるならば、私に  は素質はないなと思っています。それが、いま、信仰者という立場を  理解してもらおうとこうして話をしているのです。不思議なことです。  >私が言いたかったのは、新興宗教にハマっている人は決して他者の指摘により  >それを捨てることはありえない   そうだろうと思います。「ハマる」という言葉は適当ではありませ  んが、「信仰」を持ったということは、そういうことだと思います。  キリスト教や仏教に対してどう思っておられるか存じませんが、それ  を広めてきた方々は、やはり多くの言葉を他人から浴びせられながら  信仰を守ってこられた方なんですよね。とても強かったんです。残虐  な殺され方をされても信仰を貫き通した方々がいるんですよね。今の  私にはそこまで強くなれる自信はありませんが、宗教というのはそう  いうものなのかもしれません。うーん、とても難しいテーマです。  > 幸福の科学の批判(決して「誹謗」だとは思いませんが)をしたのは、  >ROマンさんがこの場で布教的発言をされた以上、他の会員さんへの影響  >を考えて、きっちりとそれを潰す必要を感じたからです。   はい。そういう問題なら、はっきりと警告していただいてもよかっ  たのです。ところが、団体批判という形をとられると、私も黙ってい  るわけにいかなかったのです。黙っていたら批判を認めたことになり  ますから。その辺の気持をご理解いただければ、わたしもこれ以上、  この議論を続けるつもりはありません。(^^)  >あなた自身の魅力であなた自身がこの場の支持を得ることができたならば、  >結果的に幸福の科学への評価も変わってくるのではないでしょうか?   はい (^^)。とても前向きな結論をいただいたことを感謝いたします。  今後もよろしくお願いします。                       ROマン 388/388 HGE03563 SONIC とあるセミナー団体に入れ込んでるおとーとの話 (19) 94/11/10 02:16 我がおとーとの事を話します。 何ヵ月か前から我がおとうとは、「ホロニック・マネージメント」とかゆう 思想団体(?)に入って活動しているらしいのです。 以前おとーとの部屋に遊びにいったら、幸福の科学の本が本棚にならんでいたり、 おおかわりゅうほう講演予告!のポスターが貼ってあったりと、アヤシゲな奴だなぁ、 とは思っていたけれど・・、まぁ僕には布教活動をしなかったことからみて、そう重症 って感じはしなかったです。彼わがおとうとは大川から鞍替え、ホロニックなんとかの 代表者を師匠としたってついているようです。 その団体活動にはそうとう入れ込んでいるらしく、滅多に布教・・ みだりに仲間を求める行動・・をしないクールな水瓶座のおとうとも積極的に自分らの 講演会に誘ってくるようになりました。中学高校時代と究極のおたくだった僕をおとう とは軽蔑していたらしく、僕に対して徹底的なポーカーフェイスを保っていたわがおとうとで すが そのときの顔つきといったら、まさしくその時の酔った顔つきです。 さかんに自分らの属する団体の素晴らしさをアピールするのですが、かなしいかなまだ その団体の初心者、宣伝だけで終わってしまっている。もうちょっとその師匠の下に付 いて勉強してほしいと思いました。 そのホロニック・・とゆう団体の活動はおもに講演会ですが、近ぢか定期セミナーも やるそうです。僕も一度だけ講演会に行ってきましたが、その内容は、政治、経済、 歴史などの物の見方を分かりやすく説明する、というものだったと思います。 正直な感想は、「へーおもしろいなー」でした。僕の好きでよく買ってしまう本と同じ ような波長なので、好感が持てました。「心」も問題も扱っているらしいのですが、 政治経済などの俗事(?)は弟子に任せて、師匠だけが「心」の問題を説教する、 という姿勢にも好感が持てました。 講演録画ビデオ販売の宣伝もちゃっかりしておりましたが 買うか買わないかは人好き好きなので、べつにいいんじゃないかな。僕の場合は 内容わりにコストが高いので買わない。ちなみに、僕がこういう話に興味がありながら そうゆうセミナーに通わないのは、ただセミナーのお金と交通費と時間がその内容につ りあわないと思うから・・で、あります。コストがかからなければやるってことです。 「こういう話」というのは、「新しい物事の見方を提示される事」です。 僕にとって、大川りゅうほうの本もこういったセミナーも アリオンの本も某神示も占い等のシンボリズムも肥田シュンジュウもどこの馬の骨か分から ん 奴の一言も、そして文学も芸術も、そういった意味で同一線上にあり、 僕がそれに感動すれば価値がある。ただそういう話ばかり掻き集めていても、 「新しい物事の見方、切り口、を提示される事」という域からは出ることが無いのを 自覚してるので、そういう話を聞くたびにちょっと嫉妬もする。 (発言元が「どこかの馬の骨〜」のばあい、嫉妬したりする・・) 嫉妬せず素直に受け入れても、感応する喜びはあるけれど、創造する喜びが無い。 ドラマなんかだと、神を知っている人の善行よりも神を知らない人の善行のほうが 胸をうつ。前者は義務の遂行であり仕事であり、後者は白紙からの創造だと思います。 両者は違うようだけれども、同じなのかもしれない。仕事をしている人をみると、 それだけで胸をうつし、創造にはそれなりの感性と知識が無いといけないから。 話が脱線してしまいました。 「ホロニックマネージメント」とは果たして如何なる団体なのか? ほっといていいのかなぁ。 ちょっと心配でもあるが、彼の師匠である快活そうなハゲオヤジ面を思い出すと、 まぁほっといてもいいかなぁ・・ってきにもなります。 >