609/612 GGA02514 KAZE 身体の近代化 (15) 94/12/02 00:00 三浦雅士「身体の零度/何が近代を成立させたか」(講談社選書メチエ)を読み、 明治以降、日本人は歩き方などの身体的なあり方が、驚くほど変化してしまってい ることにあらためて考えさせられた。 リズムにあわせて歩くことはいまでは簡単なことだけれど、かつての日本人はそれ を習わなかればならなかったのである。それまでの日本人の歩き方の基本のひとつ は「ナンバ」というもので、それは右足と同時に右手がでて、左足と同時に左足が でるというような歩き方のことで、いわゆる半身の構えなんかもそのナンバが基本 になっている。 その「ナンバ」が全国の学校で行なわれる「兵式体操」の実施によって、急速に失 われていった。それによって、リズムにあわせて行進することをかわりに修得した のである。日本人は、それまで集団で整然とした行動をすることには慣れていなか った。なぜそうしなければならなかったということであるが、それは軍隊の養成の 必要性ということと切り離しては考えられない。もちろん、軍隊にかぎらず、組織 において秩序だった行動、均一な身体動作を養成する必要があったということであ る。 これについては、この本でも紹介されているように1885年(明治18年)の、 森有礼の文部大臣就任演説が有名である。そのなかにこういう箇所がある。「思う 続き(改行で表示 S:次の発言) > に、人間日々の事柄はみな戦争ならざるはなし。すなわち外国に関したる工商業上 の戦争、また今日我々が身を立て志を定め我が日本国をして善良の国たらしめんと するがごとき、これみな戦争にあらざるはなし。」 こうした「兵式体操」に加えて、「運動会」がはじまる。日本でのいわゆる運動会 の最初は1883年に東京大学での「陸上運動会」である。そして1890年代か らは小学校での「遊戯体操」の実施を奨励することになる。 こうした身体の近代化とでもいえる動きは、日本だけではなく、ヨーロッパでも平 行して起こっていたことでもある。こうした近代化が何を準備したのかということ をあえて説明する必要なないであろう。しかし、それがこれから我々をどこにつれ ていこうとしているのかについては、多くを考えてみなければならない。身体の近 代化とは、身体から民族性をはぎとって、身体を「零度」に置こうとするからであ る。ひとつの方向性として、身体に民族性を復活させていくというのがある。また 別の方向性として、その「零度の身体」から開けてくる未知の可能性を模索すると いうのもある。 はたして、われわれの身体は、これからどこに向かっていくのだろうか。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 電子会議 (1:発言 改行のみ: 読む) ペアレントモード > 610/612 GGA02514 KAZE 日本人の表情の近代化 (15) 94/12/04 00:15 三浦雅士「身体の零度/何が近代を成立させたか」(講談社選書メチエ)から、 もうひとつ、今度は日本人の表情について。 ラフカディオ・ハーンに、「日本人の微笑」という「最初の本格的な日本文化論」 がある。「日本人の微笑は長い歳月をかけて丹念に作り上げた礼儀作法の一つな のである。それはまた沈黙の言語なのである」という。しかし、「西洋人は日本 人の微笑は不誠実を意味するのではないかと怪しんでいる。事実、不誠実以外の なにものでもあり得ない、と断定する人もいる」。この「日本人の微笑」につい て、ハーンは次のように描いている。  日本の子供は生まれながらこの微笑の仕合わせな傾向をもっているが、そ れは家庭教育の全期間を通して育てられる。まるで庭の樹や草花の天然の素 質を伸ばすために栽培に際して示される丹精と同じようなこまやかな心配り が子供の躾の際にも示される。微笑が教えこまれるのは、頭だけ下げるお辞 儀や、両手を突いてするお辞儀、また目上の人に挨拶した後で喜びのしるし として僅かに音をたてて息をすーっと吸い込む表現、また古風な礼法のあら ゆる細かなしきたりや優美な作法が教えこまれるのと同じ具合である。言わ ずと知れたことであるが、声をたたて笑うことは誰にも勧められない。しか し微笑することはあらゆる心楽しい機会に許される。目上の人に話しかける 時も、同輩と話す時も、また時には楽しいとはいえない時にされ微笑むこと 続き(改行で表示 S:次の発言) > は許される。それは日本人の身さばきの一つなのだ。一番気持ちのよい顔は 微笑む顔であり、その一番気持ちのよい顔をいつも両親や、親戚や、先生や、 友人や、自分に好意を寄せてくれる人に指し示すのは、世に処する定めなの である。そればかりか、世間に対して絶えず明るい表情を向け、人に向かっ てできるだけ気持ちのよい印象を与えるのもやはり世に処する定めなのであ る。それだからたとい心は張り裂けんばかりであろうとも、男らしく微笑む のが外交上の務めなのだ。それに反して、深刻な表情や不機嫌な顔を見せる のは不躾なことである。そんな顔をすれば私たちに好感を寄せてくれる人に 心配をかけ苦痛を与えるかもしれない。……幼年時代からの習いが性となっ て、いわば義務のようにしつけられた微笑はじきに本能的なものとなる。ど んなに貧しいお百姓の頭の内にも個人的な苦悩や怒りを面に表わすことは益 がなく、およそ思いやりのない、はしたないしぐさだという考え方が確固と して宿っている。 この「日本人の微笑」は、もう多くが失われてしまったように思える。この「礼 儀作法」としての「微笑」の美しさを見かけることはほんとうに少なくなった。 この「微笑」は「個人的」なものではなく、いってみれば「共同体的」なもので あったのは確かであるが、その「共同体的」な「微笑」は、「近代化」され、現 在のようなきわめて「個人的」な「笑い」へと変化してしまったのだ。 そもそもそうした表情というのは、多くがかつては非常に「共同体」的なもので あったのは確かであり、泣くことでさえそうであった。先の金日成の葬儀でのよ 続き(改行で表示 S:次の発言) > うに、葬儀の際に大声をあげて泣くことは、日本では非常に異様に感じるが、そ れは「個人的」なものではなくきわめて「共同体的」なのだ。儒教における葬儀 は泣き女までを雇って行なわれる。しかし、日本人は、儒教におけるそうした要 素は受け入れることはなかったようである。それは日本における共同体の多くで は受け入れがたい「表情」の型だったのであろう。そこに、日本独特の非常に美 しい型があったことを、日本人としてうれしく思うのは私だけではないだろう。 さて、この「日本人の微笑」が失われてきたことを「近代化」ということもでき る。つまり、表情が共同体のものから個人的なものへと変化してきたのである。 もちろん、その変化のしかたは、多分に(無意識的なものであれ)共同体的な選 択はあったであろうが、表情が個人のものへとシフトしてきているのは確かであ ると思われる。 その変化を日本人の美点が失われてしまったという嘆きにすることもできるし、 またその失われた美点を惜しみながらも、表情が「近代化」し、個人化してきた ことを見つめていくこともできる。それを単純に評価することは非常に難しいこ とである。「礼儀作法」としての「表情」を個人化しながらも、それを共同体の 記号として習慣化することよりも、それを個の自覚によって洗練させていきなが ら、内なる「礼儀作法」として共同体化することなども夢想できたりはするし、 そうした共同体へのシフトができるような日本であればと個人としては望んだ りもする。 現在の日本人の表情は、いってみれば無法地帯に近い。美しい日本人の微笑は、 続き(改行で表示 S:次の発言) > もはや過去の幻影なのかもしれない。しかし、その無法地帯を過去へと遡らせる のではなく、そこに自覚的、内発的な「法」が芽生えることは不可能なのだろう か。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 電子会議 (1:発言 改行のみ: 読む) ペアレントモード > 611/612 GGA02514 KAZE ハーン/日本文化の真髄 (15) 94/12/12 18:42 ラフカディオ・ハーン「心/日本の内面生活の暗示と影響」(岩波文庫)を 読みながら、かつての日本人と現在の日本人とについて感じたことなど少し。 このハーンの「心」が出版されたのは1896年(明治29年)。ハーンは 1894年熊本での熊本第五高等学校の英語教師からから神戸の英字新聞 「神戸クロニクル」紙の記者として赴任してきたが、この「心」には、神戸 にやってくるまでに体験したことからくる「古き良き日本人」への深い愛情 と、神戸にやってきてから目の当たりにした日本人の西欧文明の模倣への嫌 悪が込められているように思う。 ハーンは「怪談」のなかの「蓬莱」の最後にも「西の国から邪悪の陰風が蓬 莱の島の上を吹きすさんでいる。霊妙なる大気は、かなしいかな、しだいに 薄らいで行きつつある。」とあるが、まさに、その後、日本からは、「霊妙 なる大気」は薄らぎ続けていて、いまやまさに消えなんとするかのようであ るとも感じられる。 この解説のなかで紹介されている無二の親友チェンバレンに宛てた手紙の一 節にこういう箇所がある。 日本の内地にいたあとで、ここの(神戸の)外国生活を見るのは、はな 続き(改行で表示 S:次の発言) > はだ不愉快です。ことに、居留地にくると、ただただ恐ろしくなります。 ……湯津や、日御崎や、隠岐に住んで、日本風に暮らしている方が、開 港場の最上の生活より、はるかに上々です。……カーペット、ピアノ、 西洋窓、カーテン、真鍮のしめ金、教会、どれもこれもわたしは嫌いで す。それとホワイト・シャツ、それから洋服、……いわゆる文明なるも のに、自分はどれほど嫌厭を感じていたか、いままで気がつかないでい ました。それが、古い日本(むかしからあった唯一の文明国)に長く住 んでみて、文明の醜悪さというものがはじめてわかった、−−これがわ たくしの感慨です。…… …敷物、よごれた靴、くだらない流行、金をかけた暮らし、気どり、虚 栄、むだ話。そんなものより、やわらかい畳の上の、いつもしとやかな、 礼儀にあつい、うるわしい、清らかな、質素な日本人の生活の方が、ど んなに住みごこちがいいかわかりません。…… ハーンの姿勢は一貫してこういうものであったようである。こういうのを読 むと、たとえば、先日バリに行ったときに感じたことと共通しているところ があって、いろいろ考えさせられるところが多い。 ある古くからある形が、もろくも崩れさっていくということはどういうこと なのか。その「崩れさる」ということはいったいどういうことなのか。また、 崩れないでそのまま古い形を守っていくということがあるとすれば、それは どういう意味を持つのか。 続き(改行で表示 S:次の発言) > 「古き良き○○○」が失われていくときに、それを愛惜するのは非常に容易 だし、またその「古き良き○○○」を捨て去って新しい形に飛び乗っていく のもまた容易なことだ。そこで肝心なのは、「失ってしまう」ということが どういうことなのか、「失われてはいけないもの」はいったい何なのか、ま た「変わっていく」ということはどういうことなのか、そしてその「変わっ ていく」という必要性はどういうところにあるのか。そういうところを、で きるだけ広い視点で多面的に見つめていくことではないかと思う。もちろん その「見つめる」ことについては、さまざまな可能性があるがゆえに、さま ざまな危険性や陥穽が待ちかまえている。そうしたことに注意深くいながら 「自分の視点」を複眼にしながら、そこでいちばん大切なものはいったい何 なのかをじっくりと考えていかなければならないと思う。 さて、この「心」におさめられている「日本文化の真髄」の最後の方に、こ ういう箇所がある。 いったい、自我の錬成には、ふたつの形式がある。そのひとつは、高邁 な気質を異常に発達させるもの、他のひとつは、語らざるをもって善し とする、不言実行ともいうべきものである。ところで、新しい日本が、 今日考究しだしているところのものは、前者ではない。正直いうと、わ たくしなどは、人間の心情というものは、一民族の歴史の上においても、 知性よりはるかに価値あるものであり、おそらくそれは、遅かれ早かれ、 人生のスフィンクスの無情な謎に解答をあたえるためにも、比較になら 続き(改行で表示 S:次の発言) > ぬほど有力なことを顕わすにちがいない、と信じているひとりである。 今でもわたくしは、昔の日本人が、智慧の美よりも感性の美を優れたも のと考えることによって、人生の難問題を解くうえに、われわれ西洋人 よりもはるかに解決点の近くまで行っていたものと信じている。 最近感じることからいえば、確かに日本人は個を超えたところで優れた美点 を育成してきた歴史を持っていると思う。それに対して、西欧的なあり方で は特に近代、「個」ということを、そしてそれに基づいた物質的背景を育成 してきたようである。そして、明治以降、日本人は、過去の美点を巧妙にと いうかまさに絶妙にある種の形に変換してきたのではないかと思う。そして その変換によって美点は崩壊していった。そして、第二次世界大戦以降、そ の崩壊は、「個」の異常な導入によってさらにエスカレートしてゆく。それ は確かに悲しむべきことだし、美点をなんとか守ろうとする努力はどうして も必要だと感じる。しかし、その「変化」をその必要性ということから考え ていくことも忘れてはならないと思う。結果として何が良かったのか悪かっ たのかを語ることはまだできるものではないが、こうした百数十年の事件を できるだけ多くの視点から考えながら、それでは我々はどうすればいいのか を模索しなければならないと思う。ある理想からいえば、「個」が確固とし てあったうえで、個を超えた美点が発揮されればと思うが、そこへ辿りつく までに通らなければならない関門は大きな困難を抱えている。そのなかで、 さて私がなにができるかということをできるだけ具体的に考えていきたいも のだ。 続き(改行で表示 S:次の発言) > ☆☆☆KAZE☆☆☆ 電子会議 (1:発言 改行のみ: 読む) ペアレントモード > 612/612 GGA02514 KAZE 日本人の覚醒 (15) 94/12/17 00:06 内村鑑三の有名な言葉に 「余は日本の為め 日本は世界の為め 世界は基督の為め 基督は神の為め」 というのがある。 また、1924年「聖書之研究」に掲載された「日本の天職」のなかに こういう箇所がある。 日本人は特別にいかなる民であるか。私は答えて言う、宗教の民であると。 かく言いて、私は私の田に水を引き入れんとするのではない。日本の歴史 日本人の性質を考えて見て、かく言わざるを得ないのである。人は明治大正 の日本人を見て、私のこの提言の全然理由なきを唱うるであろうが、しかし それは間違っている。国民の歴史において七十年は短き時期である。明治大 正の物質的文明は日本にとり一時的現象であった。あたかも人の一生に生意 気な時代があるがごとくに、明治大正は日本の生意気時代であった。そして この時代は今や終わらんとしている。日本は今や自己に覚めんとしている。 武をもって鳴り、商業工業をもって世界に大ならんと欲せし事の、全然おの が性質に適わざることを悟りつつある。そして外の出来事が内の覚醒を助け つつある。日本人は英国人のような商売人にあらず。また米国人のような、 肉と物にあこがれる民にあらざることに目覚めつつある。日本人は英国人と は全く質の異なった民である。そこに彼らの天職があり、偉大なる所がある と信ずる。 続き(改行で表示 S:次の発言) > 「明治大正は日本の生意気時代であった」ということだが、 結局、日本は、昭和も生意気の時代になってしまった。 昭和20年の敗戦までは軍事的戦争の生意気の時代だったし、 その後は経済的戦争の生意気の時代を経て、 それがいよいよエスカレートして平成の時代へと突入することになる。 まさに、「日本人は英国人のような商売人に」なり、 「また米国人のような、肉と物にあこがれる民に」なってしまったのである。 だから、そこには「天職」もなく、「偉大なる所」もない。 こうまで内村鑑三の希望を裏返した状態になってしまったのはなぜだろう。 シュタイナーはこの内村鑑三の発言に近い1910年代に 日本についてのこうした示唆を行なっている。 以下、「いま。シュタイナーの『民族論』をどう読むか」(イザラ書房)の中の 西川隆範「シュタイナー民族論への出発」からの引用紹介。 『宇宙・地球・人間』では、あらゆるモンゴル民族と同様に、日本人は「ア トランティス文化から遅れてやってきた者」であるとされ、今日の日本の発 展は外来文化に負うものであることが指摘されている。『宇宙・地球・人間』 で、シュタイナーは、「日本人は大きな進化を遂げた、といわれています。 それは幻想です。日本人は、自分たちの特性から進化を遂げたのではありま せん。先の戦争で日本が勝ったときも、日本人は外来の文化を用いたのです。 ある民族が他民族の本質から発したものを受け入れたのは、進歩ではありま 続き(改行で表示 S:次の発言) > せん。」と語っている。明治以降の日本の発展が洋才によるところ大である ことは明らかであるが、古代において帰化人の果たした役割の大きさも忘れ るべきではないだろう。また、『生の変容としての死』(1917)では、 「日本人が形成したような霊的な思考は現実のなかに侵入していきます。そ れがヨーロッパ−アメリカの唯物論と結びつき、ヨーロッパの唯物論が霊化 されないなら、その思考はヨーロッパの唯物論を凌ぐことは確かです。ヨー ロッパ人は、日本人が持っているような精神の可動性を持っていないからで す。このような精神の可動性を、日本人は太古の霊性の遺産として有してい るのです。」と述べている。(p76-77) 日本人の形成してきた「霊的思考」は、ヨーロッパを霊化したようにはみえない。 日本人は、太古の霊性としての遺産である「精神の可動性」を、 特に戦後は一丸となって、経済的・物質的な方面にふりむけてきたようである。 つまり、ある目的を与えれば、その可動性がいっせいに一つの方向をめざし 突進してきているのではないかと思われるのである。 そしてそれはおそらく「進歩」ではない。 そろそろ、内村鑑三のいうように 「日本は今や自己に覚め」なければならない時期にきている。 そして、真の進歩はおそらくその「目覚め」の後にしかないのだろう。 古事記には天磐戸開きの話があるが、 そのとき天照大神は騙されて岩戸からつれだされた。 騙された天照大神は贋の天照大神なのだろう。 続き(改行で表示 S:次の発言) > それもおそらく「進歩」なんかではない。 真の「進歩」としての天照大神が顕現しなければならないときがきている。 シュタイナー的にいえば、おそらく、それは 日本に天照大神の顕現としてのキリスト衝動が起こらなければならないのだろう。 さて、真の天照大神の顕現とはいったい・・・。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 電子会議 (1:発言 改行のみ: 読む) ペアレントモード