- FARION MES( 7):★世紀末書込み寺★・・・・・・・・・・・・ARION 95/02/03 - 05035/05046 GBF00776 何時もMTB END/電車で通過しながら見る信号は常に赤 ( 7) 95/02/02 18:14 04815へのコメント コメント数:1 このタイトル(#4815から)を此処までお読み頂いた方々へ ・本タイトルで続いていた発言は此処で終了させて頂きます。 ・此処までの無礼、深くお詫び致します。  又、全体が見辛い事も、 重ねてお詫び致します。 〜しかし、「改めてご説明すべきものではない」のは、 ご理解頂きたいのです。 05037/05046 GBF00776 何時もMTB 希望を忘れずに ( 7) 95/02/02 19:15 希望は 思わぬ力と勇気を 与えてくれるもの 希望を見失なわせるのは 満足という 甘い蟻地獄 進みませんか? 「希望」を忘れずに 「時の輪」が閉じぬ間に 05038/05046 GHB02532 ごとうくまお RE:私の意図した事 ( 7) 95/02/02 22:30 05028へのコメント オリハルさん、こんばんわ。 「唯一全能の神」もしくは「法則」ですか・・・その言葉が言い表そうとしている ものはおぼろげながら理解できます。 ところでオリハルさんは、「神」あるいは「法則」が、あなたの自由意志を保証し ているということがなぜ分かるのですか?また、どうして分かったのですか?オリハ ルさんは、自由意志が保証されているということを確信していますか? そして、「唯一全能の神」は、あなたの言われる「上位存在」として考えた場合、 どのくらい上位ですか?それとも、上位存在という分類にも属さない、絶対的な存在 でしょうか。 くまお 05039/05046 GCG01101 アマデウス 情けない話 > 損得勘定 ( 7) 95/02/02 23:32 >> 95/02/01 損得勘定で生きる者の人生は、損得で勘定できるものでしかない    読み流してしまうと、「うんうん、そうだねぇ」だけで終わってしまい   そうです。そういうときは、心のどこかで「自分は損得勘定なんかしてい   ない」と思っているようです。正当な範囲以上の報酬を得るために狡賢く   立ち回ったりはしていないよ、と。    しかし「損得勘定」の意味を広く捉えると、それはとんでもない間違い   であることに気づきました。例えば僕がよくやってしまうことに、雑踏で   反対方向に歩く人とぶつかってしまう、というのがあります。    雑踏の中では人の間を縫って歩かなければなりません。ところが反対方   向に歩く人が近づいてきたとき、こちらがぶつからないように体を捻って   いるのに、相手がそういう素振りを見せないで、しかもそれを当然のこと   のようにすました表情でいるのを見ると、ムカッとするのです。「なぜ僕   だけが道を譲らないといけないんだ?お互いのためを思って体を捻ってい   るのに、その態度は何だ?」てなもんです。(-_-;) で、次からは相手の   様子をうかがって、よける素振りを見せない人に対しては、こちらも体を   堅くして互いにショルダーアタックをかまし合う、ということになります。   (あーあ、書いてて情けない(__;))    ここで僕は、自分だけが大儀なこと(でもないですが(^^;)をするのを   「損をした」ように感じているようです。相手のマナーがなっていないこ   とは事実でしょうが、僕が損得勘定で行動してしまっていることに変わり   はありません。相手が譲る譲らないに関わらず、とにかく自分がマナーを   守ることが大切で、そこには損得勘定が入り込むはずはないのに、「自分   だけが体を動かすのは嫌、相手にもしてもらわなくちゃ」という我欲が   マナーを押しのけたからだと思います。    このように考えてみると、自覚しないでやっている損得勘定が結構たく   さんあって、その裏では我欲の虎がにんまり笑っているのではないか、と   思いました。気をつけねば。                               アマデウス 05040/05046 GGD02212 スウ RE:「ノアはもう居ない。方舟は無い。」 ( 7) 95/02/03 00:34 04991へのコメント  生き残りたければ、自分で方舟を作るしかないか。  一人だけでは生きて行けないから大勢乗れる船にしたいが。  大洪水を信じない人を引っ張り込むことはできない。  嘲り罵るばかりか船作りの邪魔をする輩には困ったものだ。    (スウ) (方舟作りならぬ箱庭遊びをやっている奴にも困ったもんである。(^_^;) 05041/05046 HGB02122 あもり RE:ARIONより ( 7) 95/02/03 00:59 04991へのコメント  発言が大分遅れてしまいました。  最初に感じた事は、矍鑠とした老人の姿を思い浮かべました。  「指導者はいない、個々がそれぞれ指導者にならねばならない。当然自分も   指導者にならねばならない。救いは何一つない。自分だけだ」  責任ある生き方をしなければと思います。  責任とは、「生活の責任」から「生まれた事への責任」といった幅広い曖昧  なものでしか捉えられませんが、現実を観ることを手掛かりに自分自身の責  任とは何か?を見つけて行きたいと思います。  最終的にこの質問が、自分自身の自立に繋がっていくものだと認識しました。  自立というものが恐い反面、味わって見たいと言う好奇心があります。誰に  も拠らない場所から見た世界がどのような姿を見せてくれるか興味がありま  す。                        HGB02122 あもり 05042/05046 SGW00342 エスペラント RE:END/電車で通過しながら見る信号は常に ( 7) 95/02/03 01:44 05035へのコメント コメント数:1  #05035 何時もMTBさん  こんにちは。  たしかどこかで推理小説みたいな、ようなことを言っていましたので、  一人の「傍観者」として(ごめんなさい)、つっこみ入れておきますけれど、  「#04738 維/YUIさん」の発言を踏まえて判断していましたか?                       □ エスペラント (○ 05043/05046 SGW00342 エスペラント RE:オリハルさんに質問です。 ( 7) 95/02/03 01:46 05032へのコメント  #05032 オリハルさん  そういえば、LOCKEさんのことを思い出しました(^^)  あの方は元気でやってましたし、他の出ていった人達も元気だと思います。  今日は自分の頭が疲弊しているので、引用に頼りますが、  * ここで生きているとすれば、もうよく慣れていることだ。    またよそへ行くとすれば、それは君のお望み通りだ。    また死ぬとすれば、君の使命を終えたわけだ。    以上の他に何物もない。だから勇気を出せ。            −− 「自省録 第10章−22」 (岩波文庫)    他 第6章−26・27、第8章−47・51、    第10章−3、第11章−16などの節が気に入っています。 > 延さないで、早目に終了させてほしいです。  わかりました。ただ、少しお待ち下さい。  今は疲れていますので、いい言葉が思い付きませんが、  土日にもう1、2回会話を往復しましょう。  「世界はまだ美しい。いずれは別れねばならないとしても、   なぜ出発を早める必要があるだろうか?」               −− 「幼年期の終り」(早川SF、クラーク)  あまり洒落にならないようなところから引用してます(^^;                       □ エスペラント (○ 05044/05046 NBB01420 SUKE 一生もつわよ ( 7) 95/02/03 02:10 05026へのコメント #5026 FLYING Vさん、こんにちは。 発言を読んでいてふっと連想した事を書きます。 最近「怪盗ルビィ」という作品を見直したら、主役二人の会話でいいなぁと思 うのがありました。  気弱男「ねぇ〜心臓がもたないよ〜(T_T;)」 (役:真田広之)  ルビィ「大丈夫! 一生もつわよ!(^_^) 」 (役:小泉今日子) 爆笑した後で、うーん、これって的を得ているなぁと感心してしまいました。 今心臓が持たなくても、確かに一生もったことになります。 一生がどのくらい長いのかは全く未知数ですね。 だから逆に、今死ぬ事を気にしていても始まらない…そんな感じを受けました。 こういう感覚で生きられれば、結構いろいろなことが出来そうです。            ちょっと外していたかなぁ(^^;)…☆ッテナモンダ Suke. 05045/05046 NBB01420 SUKE 集まらないように ( 7) 95/02/03 02:10 04999へのコメント #4999 エスペラントさん、こんばんは。  >>それでも、人は孤立してはいられないでしょう。  >>必ず思い思いに頼るべき人と場所を求めて集まるのではないかと思います。 孤立はしないでしょうけれど、自立はしていなければならないと思います。 頼って集まるというのは、自分の存在理由を自分の外に求めることだと思いま す。しかし自分の外にそれを求める限り、本当に自立することは出来ないと思 います。 自分の内側に自分の存在理由を持つことが出来るようになれば、他人に頼らな くても生きる力を得られるでしょう。 そうした自立した人間同士の組織無きネットワークが、このフォーラムで望ま れている趣旨の一つだったと思います。              どう思いますか?(^^)…☆ッテナモンダ Suke. 05046/05046 GBF00776 何時もMTB エスペラントさんの突っ込み:回答 ( 7) 95/02/03 12:31 05042へのコメント エスペラントさん、今日は。 ・この突っ込みは、答え難いですね。 >>「#04738 維/YUIさん」の発言を踏まえて判断していましたか? ・思考過程では・・・・・・・YESです。 :大きくのしかかっていました。 ・発言への反映では・・・NOです。 :逆方向の発言です。 ・「#04738 維/YUIさん」の発言が、「電車で通過しながら・・・」 発言より前で有ったなら、「電車で・・・」発言は有りませんでした。 〜これへの再突っ込みには、ご理解頂ける回答は作れ無いと思います。 電子会議 (1:発言 改行のみ: 読む) 通常モード >RX 13 −会議室13 ★神秘学遊戯団★・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・KAZE 発言数 :2111 未読 :1− 電子会議 (1:発言 改行のみ: 読む) 通常モード > 02111/02111 GGA02514 KAZE 悪の役割1●不二と大和 (13) 95/02/02 23:51 シュタイナーのキリスト観をご紹介するにあたって、 非常に重要な視点に「悪」という問題がある。 そこで、数回に渡って(といっても、成りゆきでどうなるかわからないが^^;) 「悪の役割」ということについて、見ていくことにしたい。 善人なおもて往生を遂ぐ、如何にいわんや、悪人においてをや この親鸞の有名な言葉は、いまもその力を失ってはいない。 いや、むしろいまこそ、この言葉の深い力に 思いをいたすときがきたのかもしれない。 「悪」というテーマは、パソ通をはじめて以来のテーマで、 ほんとうはまだまだ本格的に言葉にするには時期尚早ではあるかもしれないが 少し前から長年苦手としてきたキリスト教への理解が深まり、 それと同時に、親鸞をはじめとする浄土思想への親近感を感じるようになり、 その両者の近親性を改めて実感するに至った。 いうまでもないが、「南無阿弥陀仏」の「阿弥」は「アーメン」である。 浄土思想はキリスト教思想の、日本における 仏教的バリエーションにほかならない。 それは、パウロと親鸞の親近性ということでも想像に難くない。 ぼくの思索のなかでもっとも長い歴史をもつのが仏教であるが、 禅や密教の深さや、華厳経や法華経の深さを感じるにつけ、 浄土教はずっと馴染みの薄いものであった。 その考え方を転回させてくれたのが、「妙好人」であり、 また「悪」についての、冒頭に挙げた有名な言葉である。 妙好人については、別の機会に譲るとして、 親鸞の悪人正機の考え方に通ずる見方は、 マタイ福音書の9−12〜13にもある。 「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。『わたしが 求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、 行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、 罪人を招くためである。」(新共同訳) もちろん、親鸞の視点は、みずからを愚禿と称したように、 みずからも悪人としての自覚に立った弱い人間の視点からのものであり、 福音書のそれは、いってみれば「阿弥陀仏」からの視点だといえる。 ここで大事なのは、悪人正機の善悪二元論であるかのようにみえる視点が、 実はそうではなく、仏教思想特有の「不二」の視点であるということであり、 それは単純な一元論でもなく、二元論でもなく、 善と悪を「不二」としてとらえているということである。 空即是色、色即是空、とかいうのも、まさにそうした不二の観点である。 これはキリスト教においてもいえることで、 よく誤解されているような善悪二元的な観点は、本来のキリスト教ではない。 とはいっても、通常のキリスト教では、そういう「解釈」が主流だから、 そう誤解されても仕方がないのではあるが^^;。 この「不二」ということが理解されないばかりに、 一元論か二元論かということで短絡的にとらえ、 「二元論がいけないから一元論だ」とかいうような きわめて二元論的!な見方に陥っていることが多いので気をつけたい。 たとえば、主客二元論の西洋はダメで、本来の日本精神に立ち返れとかいう あまりに単純すぎて誤解の多い見方などもある。 デカルトとベーコンはそのダメ西洋の張本人だというような批判も、 実はデカルト主義やベーコン主義をデカルトとベーコンであるとしていたり そうした、最近流行の見方の解説書からのアンチョコであることが多い。 デカルトとベーコンの著作やその背景をみてみると、 そんなに単純なものでは決してないことはすぐわかるのであるが、 一度レッテルを貼られたものは、なかなか見直すのは面倒らしい^^;。 真の日本精神を尊重し、発展させるためには、そういう偏った見方ではなく もっとトータルな見方で歴史を観、また未来をみていかなければならない。 日本精神を実に深く尊重しながらも、 非常に高く深い見方をしているのは、安岡正篤氏で、 氏は、易の「陽」と「陰」の関係のように西洋と東洋をみながら、 その双方が必要であるとしている。 いってみれば「止揚」である。 氏の視点は、深い思索と実践にさせられているだけあって アンチョコによる独断と偏見、つまり「中道」を逸している見方からは遠く まさに「中」の視点であるといえる。 少し長くなるが、安岡正篤「人生の大則」(プレジデント社)から 引用紹介することにする。 今日の世界情勢を深く検討する人々が、よく西洋文化の行きづまりを論じ、 それを救うものとして、東洋文化の原理を説き、東西文化の比較論評が行 なわれる。当然のことではあるが、男女の特質や優劣を論じるのと同じこ とで、浅薄・軽率にやるべきことではない。もし同を求めれば、要するに 東も西も人間文化で、別に大して変わりはない。しかし異を求めれば、東 は東、西は西、それぞれ特徴を異にするが、柳は柳、花は紅で、天地の春 光はうららかである。 先に自然を完全なるものthe complete wholeとして観たが、それを言い換 えれば、宇宙人生は一者(絶対者)の限りなき分化発展ということができ る。単細胞から高等な生物に、直接経験から複雑な認識世界を開くように そしてそれは明らかに相待(相対)的原理ともいうべきものによって成立 活動している。その相待(相対)的原理、即ち宇宙人生の成立活動する所 以のものは、どういうものであるか。一つは無限に自己を分化し、形を執 って自己を現じてゆこうとする、いわば造化の代表的形式の働きである。 我々の細胞の分裂ということから考えると、一つの細胞が自己を分化し、 こういう肉体を形成してゆく。これを陽の原理ということができる。しか しこの働きばかりでは、要するに四分五裂になってしまうのであって、実 はこういう体を成すことができない。したがって造化に陽の働き、即ち発 現分化の働きがあると、必ずこれに即してその分化をそのままに統一し、 形を執って、自己を現ずるに対して、形なきに自ら統一含蓄しようとする、 いわば全体性および永遠性を司る働きがある。これが相俟ち相応じてここ に我々の肉体的生活、即ち生理が存するのである。この働きを先の陽の原 理に対して言えば、陰の原理である。実在は陰陽相待(相対)的原理によ って成立活動している。 (p151-153) 東洋文化と西洋文化との上において、このことはまたよい対照をなしてお る。西洋文化は以上の諸例から見て明らかに陽的文化である。これに対し 東洋文化の方は陰原理を本領とする文化といわねばならぬ。(p161) 要約するならば、つまり世界にこういう相対的原理があって大和(だいわ) しており、その分化発現、したがって往々抹消化・刹那化する性向を西洋 文化が代表し、統一含蓄、全体性と永遠性、それとともに停滞的休止性を 東洋文化が代表し、たまたま時命によってヨーロッパの方がその本分に偏 しすぎた結果、だんだん深刻に生命を傷ない、どうしてもこのままでは破 滅よりほかないというので、今やしきりに自然と人間との大和に返ろうと しているのである。・・・ あまりに主知的に功利的に、物質的に走りすぎている。それを中和しなけ ればならぬ。そういうことを考えてくると、我々の新しい世界文明という ものは、ちょうど我々が本領として持っておる精神・能力、それを根底と して、それに今まで発展してきた西洋の文化、彼らの本領を接ぎ木して、 初めて全(まった)きものになるということを知るのである。そうすると 世界文明というものの創造に我々の占めるべき地位・立場・使命がはっき りする。人類文化の大和的関係を知って、初めて真剣に自己の使命に生き ることができる。そこに矛盾も排擠(はいせい)もないのである。                            (p194-195) さて、少し脇道にそれたが、善と悪という問題も、 もちろん絶対化してとらえるとわからなくなるし、 またその反対に、それをまったく無意味な呼称の問題とすると 現実のさまざまな問題を見る視点が混乱してしまうことになりかねない。 まさに、善悪それぞれの現われとその「不二」という観点が大切である。 つまり、「悪の役割」という視点で、それを積極的に見ていくことで その「不二」ということの深い意味が見えてくるように思われるのである。 そのために、シュタイナーの宇宙進化論と日月神示をみていくと その両者の意外な類似点が見えてくる! その視点について、次回から検討を加えていくことにしたい。 ☆☆☆KAZE☆☆☆