- FARION MES( 1):お知らせ ◆ 必ず読んでね 95/05/17 - 053/054 JBH02324 なえ 辞任の挨拶 ( 1) 95/05/14 10:18 コメント数:1   長い間お世話になりましたが、諸事情とわたしの無理なお願いから   こちらの SUB-SYS 及び9番副議長を辞任する事に致しました。   みなさまには随分と可愛がって頂き、心から御礼申し上げます。   また、みなさまのこれからの更なるご活躍を祈念致します。   本当にありがとうございました。 054/054 SDI00635 みれ RE:辞任の挨拶 ( 1) 95/05/15 20:02 053へのコメント  #053 なえ さん  長い間、Sub-SYSOPと副議長の兼任をありがとうございました。  お仕事もお忙しそうですが、ご自愛ください。  身体あっての人生ですから(^^;)アタリマエダケド。       ★世紀末フォーラム/SYSOP/SDI00635/みれ(北川恵子)★ - FARION MES( 3):Media Talk ◆ 本/映画/音楽を語る 95/05/17 - 00804/00816 PXH01650 英雄 おとぎ話 ( 3) 95/05/10 00:24   先頃創刊された超知ライブラリから、次の1冊がおススメです(^^)。   「小さな宇宙人アミ」エンリケ・バリオス著   よくあるコンタクト物だけれど、アミが言ったように、未来の子供達  への「おとぎ話」として書かれている。コンタクトしたのは南アメリカ  に住む10歳の少年。彼が会った宇宙人は、まるで子供のように見える。  けれど、それは単なる外見である。   今ではアダムスキーのような精神的要素が多いUFO物は、まったく  ペテン扱いであって、近年のニューエイジビジネスの影響もあって、鼻  も引っかけられなくなった。おそらくここに集う人達の中にも、書店で  見てアッサリと目を通した位はいるかもしれない。   けれど、僕はこれを読んでみて、久々に、純粋に理想世界を夢見てい  た頃が蘇った。正に「おとぎ話」だった。   一つ、今の日本の状況に符号したものがあった。紹介しておこう。   少年は、自分のような子供なんかと会わないで政治家や学者のような  「頭のいい」人に会えばいいじゃないか、と言う。するとアミは、知識  があったり弁舌がうまい人間が「賢い」とは言わない、人間には二つの  「脳」がある、頭にある「脳」と胸にある「脳」だ、この二つの脳が調  和している人間こそ「賢い」というんだ、たとえば自分の事を指で示す  時、どこを指す?胸を指し示してこれが自分だ、と言うだろう?本当の  自分は胸にあるんだーーーーと言う。   英語で弁舌ができたり、嘘を論理で積み重ねる事ができる人間が「賢  い」訳でない。こんな簡単な事がわからなくなる位盲いてしまった。   書かれてある内容が事実かどうかはひとまず置いて、いつの間にか忘  れてしまった純真さを味わってほしいと思う一冊である。 ☆英雄 - FARION MES( 4):オ   フ ◆ 出会いふれあいトーク 95/05/17 - 00010/00036 PXP02610 孔雀 ひとり事 ( 5) 95/05/13 00:49 コメント数:1     最近、実感する言葉。       『出る杭は、打たれる』     中途半端にでてるから、打たれるのかなぁ?     今に思いきり叩いてもびくともしない程、出っ張ってやる(笑)                            孔雀☆ 00029/00036 JBH02324 なえ ありがとうございました。 ( 5) 95/05/16 10:45 コメント数:4  みなさまと長い間楽しい想いをさせて頂く事が出来て、本当に感謝しています。  ありがとうございました。  人は、花に集まる蜂や蝶の様に自分の求める花を探して生きる。それが「いき  ざま」と呼ばれるものかも知れません。また、自ら花を咲かせる事を「希望」  と呼ぶのかも知れません。もし、自分が花ならば、その花に見合った蜂や虫や  蝶が集まります。この世界に生きる虫達は数多くいるけれど、相手はどうあれ、  自分の発する、その花の匂いや姿に、集まる虫も決まるのが、自然の姿という  ものなのでしょう。それが摂理なのでしょう。  いつかARIONが言った、光輝く事と光の輝きを反射する事の話しをしたけ  れど、同じ意味の事なのかも知れません。輝きを見るのは自分では無く他者な  のだもの。この世は鏡なのだもの。  遠い日、涙を輝かせるのは何かとARIONに問われて戸惑ったけれど、今は  答を見つける事も出来たように思います。人を人として慈しむ。その想いの深  さに涙は光る。その涙も一つの花になり、いつか咲く事を願うから。例えそれ  が遠い先の事になったとしても。  あたしは小さな種を蒔きました。その種は今、小さな芽を出しました。その芽  が育ち、どの様な花を咲かせるかは自然が知っています。また、自身も知って  います。それが摂理なのだもの。そして育った花芽を咲かせる事が出来たなら  ……。いつか寄り来る蝶も見る事が出来るでしょう。  知る事を知る。そして自らを知る者が自らを助ける。  あたしはその事を教えられ得て、そして幾つかの願いは叶えられた事を感謝し  ます。それは愛を持って応援すると言ったARIONに。そしてみなに。  ps  先日の雨が恵みの水になりました。今がわが家の農繁期のピークです。でも、  ちょっと苗が不揃いなのがマズイけれど…。同居の両親が年を取りましたので、  あたしの肩にも少しづつ荷が重く掛かるようになって来ました。でも、きっと  いつかはあたし達夫婦だけの米を作る時も来るでしょう。その時には、きっと  良い米を、農薬の少ない米を作りたい。何年掛かっても…それが願いです。  何かの喜びは、また重なるものなのですね。今月末には浦和の従兄弟も結婚式  をします。先日から広島の叔父の所と、もう今年だけで2件目です。更にこの  春から高校に通う娘と共に、昨年以来援助していた高校の功法の勉強を、一年  間通す事も決まりました。慌ただしい毎日ですけれど、疲れている暇はなさそ  うです。  今週の日曜日は、新空港に天皇陛下が植樹祭にいらっしゃいます。息子も緑の  少年団の一員として列席を許されました。陛下のそばで一緒に苗木を植えると  の事。これまで在った問題も解決しましたし、本当にありがたい事です。ただ、  厳戒体制の折り柄、何事も無く植樹祭が済む事を祈りつつ。  それでは、みなさまお元気で。 - FARION MES( 6):ハロー・メッセージ ★ 今日のハロー・メッセージから 95/05/17 - 00002/00019 HGC02325 ガッチャ この会議室は… ( 6) 95/05/11 11:34   当会議室は、毎日掲載されるハロー・メッセージについて、個々に感じたこ  とを話し合う会議室です。     ハロー・メッセージから感じた事を書込む。   それをきっかけに、縦横無尽に有意義な議論が始まる。     このような会議室になって欲しいと思います。     すでに #00001 で著美さんが感じた事を書かれていますが、ここでは先月と  今月の昨日までのハローメッセージを再掲載します。    ----------------------------------------------------------------------  1995年 4月分    04/01 柔らかなる穂の先、涼やかなる水の流れ。祖土(オヤツチ)よ、蘇れ  04/02 米俵に詰っているのは、本当にコメなのだろうか?  04/03 最大限に振り切った振り子は、元の方向へと戻るしか無い  04/04 表沙汰になる事々の裏にも確実に存在するものがある、見通す様に  04/05 皮を食す果実と食さない果実がある‥然し果実の存在意味は同じ  04/06 木を隠すには森、人を隠すには街が‥。然し隠されたものは露呈し  04/07 あなたがたの思い、行い、考えの全ての尺度に「義」を用いること  04/08 悔い改めの言葉は行動が伴って初めて質量を持つ‥  04/09 久慈宮の霞渡りて威気通い。国津御祖(クニツミオヤ)立ちてあり‥  04/10 この祖土(オヤツチ)を汚し、国民(クニタミ)を蔑ろにする者、災禍あり  04/11 何時如何なる場合に於いても、自ら決め行なう事に責任を持てよ  04/12 憤怒のχ、金剛夜叉力為し給わん。国津御祖(ミオヤ)共に戦わん。  04/13 開かずの扉、残るは3つ。萬灯を掲げて百鬼夜行の列は進む‥  04/14 甘えを甘えと認識する事は、時に自己否定に等しい辛さを伴う  04/15 慎重に迅速に確実に一歩ずつ‥己の足で立ち、己の目で見なさい。  04/16 この祖土(オヤツチ)を守る為、出ず国の為、カミ・コメ・ツチ・ヒトを  04/17 十字に切られた印の下、燦々と降り注ぐ叡智を無駄にする勿れ  04/18 憂刻より来たり慟哭の印を表に見た‥大青龍摩王、そしてその眷族  04/19 ‥立ち昇りて、正に鉄槌に掛けたる抑え解き放つ。黄金色の夜明け  04/20 放たれた鳩は月桂樹の葉を持ち帰るか?‥全て民心の一致次第  04/21 祖土(オヤツチ)の恵みに感謝し、真心勿て祖土(オヤツチ)に働く者、幸い也  04/22 星沙から阿伽を取り去るなど以ての外、伽藍の内外、等しく揺れる  04/23 邪を知り邪を選ばぬ、正しさを知り正しさを選ぶ道を生きなさい  04/24 準備せよ。縄目はきつく編まれているか? 先端は尖っているか?  04/25 神名騙り神業を持するが如くの振る舞い、神々の名において浄めよ  04/26 見ようが見まいが存在する生死の営みから、目を背けるな  04/27 3つの櫛は夫々背中の部分で陰と交わる‥読みは黄泉に繋がる  04/28 深海から泡が立ち昇る、世界を抱く貝は真珠の夢から覚めた様だ  04/29 朋龍は戒めの鎖を焼き払い、獅子のたてがみを撫でる風に乗る  04/30 模倣はモデルがあってこそ。モデル無き模倣はあり得ない。    1995年 5月分    05/01 傀儡の傀儡たる由縁、鬼の鬼たる由を食うて何世紀‥離断せよ  05/02 それは漣のように静かに弧を描きながら、頑なな岩の心を侵食す  05/03 遠き空に鳴り響く鐘の音、夕刻を告げ。朝焼け空の下の羊は知らず  05/04 義を語るより生命賭けて行え。安全な場から他人事のように語るな  05/05 為すための方法論を何時間語ろうと、実行しなければ何も起きない  05/06 珠玉の言葉、唾棄すべき言葉‥生かすも殺すも受け手次第  05/07 思いも掛けない人、時、場所、場合‥それらに注意せよ  05/08 能力は負荷あってのもの‥負荷の掛からない能力は暴走する  05/09 胸の中に、小さな花を大事に育て咲かせることが幸福への道  05/10 心の望みと感情的な求めが一致しない場合、心に正直と言えるか?  ----------------------------------------------------------------------                      FARION SUB-SYSOP HGC02325 ガッチャ 00006/00019 GCG01101 アマデウス 「裏」とは外のことだけではない ( 6) 95/05/12 22:27 >>  04/02 米俵に詰っているのは、本当にコメなのだろうか? >>  04/04 表沙汰になる事々の裏にも確実に存在するものがある、見通す様に   これらを読むと、社会現象についてニュースなどからの表面に表れる情報  だけで物事を早計に判断しないように、との意味に取れます。   確かにその意味もあると思いますが、自分の心の動きについても同じ事が  言えるのだ、とも感じました。   自分の気持ちの表面上に表れる感情が、本心を表しているとは限らない。  いやむしろ、欲望を表していることの方が多いのかも知れません。   次のメッセージは、このことの発展形のように感じました。 >>  05/10 心の望みと感情的な求めが一致しない場合、心に正直と言えるか?                                アマデウス 00007/00019 GCG01101 アマデウス 「実行」の道 ( 6) 95/05/12 22:28   最近、「実行」を促すメッセージが多いように思います。 >>  04/08 悔い改めの言葉は行動が伴って初めて質量を持つ‥ >>  04/15 慎重に迅速に確実に一歩ずつ‥己の足で立ち、己の目で見なさい。 >>  05/04 義を語るより生命賭けて行え。安全な場から他人事のように語るな >>  05/05 為すための方法論を何時間語ろうと、実行しなければ何も起きない   自分では実行した気になっていても、実はそうではない、あるいはその  程度が甘いことが多いのでしょう。   最近、欲望に根ざした自分の嫌な面に気付く機会がありました。  それは、かつて自分の中に見出し、それを解決すべく行動を心がけて来て、  ようやくなんとか克服できつつあると感じていたことでした。しかし、  それが克服どころか、心のもっと奥深いところまでしっかりと根を張って  いることに気付いてしまったのです。   「実行」と一口に言うけれども、自分が思っているほど生やさしいもの  ではない。その厳しさが「生命掛けて行え」(05/04)に表現されているよう  に思いました。 >>  「戦士は見出し行動する。これだけだ。」                   (05/05 RT ARION発言より)                                アマデウス 00008/00019 GCG01101 アマデウス 「思い掛けないこと」から何を学ぶか ( 6) 95/05/12 22:28 >>  05/07 思いも掛けない人、時、場所、場合‥それらに注意せよ   最初、どういうことなのかピンと来ませんでしたが、考えるうちに  おぼろげながらこのようなことかな、と思いました。   「思いも掛けない」ことはつまり、予想もしていなかったということ。  予想することは精神の営みですから、そこに欲望の付け入る隙があります。  つまり、(大体において)人は物事を自分の都合に従って解釈・予測して  いることが多い。   とすると、「思いも掛けなかった」ことが起こった場合、それは自分の  欲望に反したことになります。それが自分の隠された欲望に気付くキッカケ  になるのではないでしょうか。                               アマデウス 00009/00019 NBB01420 SUKE 雨と龍 ( 6) 95/05/13 00:56 >>1995-05-12 始動。海龍王は容赦せず。赤き盟友は太古の力を露に‥。待機せよ 今日は強い雨が未だに降っていますが、雨−水−龍と連想してしまいました。 容赦せず、降りしきる雨… そういう意味ではないのだろうけれど、何となく連想してしまった(^^;)                       (^^)…☆ッテナモンダ Suke. 00010/00019 JCF02051 めのう 今日のHM ( 6) 95/05/13 15:26 》赤い横線3本の中央に直角に交わる群青の線1本‥浅黄色の裏地‥  これって服の模様じゃないよね(^^;  ん?国旗かな?こんなのあるのかな〜(?_?)                         ◆◆ めのう ◆◆ - FARION MES( 7):自己対面鏡 ★ ARIONを鏡にして 95/05/17 - 05582/05609 CXK03125 月影 フトノリコド ( 7) 95/05/14 08:13 コメント数:1   話力と言うのものは、ふだんの生活、生き方、意識の充実に伴い滲 み出てくるものなのだろうか?   上手に喋ろう、滑らかに対話しよう、TPOに沿った会話を・・・・   しかし、そう考えれば考えるほどに口は動かず、悲し時が過ぎてゆ   く。   僕は自分の言葉の拙さは、『会話能力』それのみにあるのだと思っ   っていた。この動かない口が悪いのだと思ってたいた。   そうではなかったのだろうか?   地球樹の女神と言う小説に面白い一節がある。 『 それは布刀詔語(フトノリゴト)と同じことなのです。   あらかじめ用意していたり考えておいても無駄だし、   役に立ちません。その時、その場所でふと湧いて   きて正しい対応ができることが大事です。     』 P 107 地球樹の女神6/平井和正 著 この一文は、前後の関係からみると僕の書き込みとは少しズレるの   だが、何故か何時までも耳に残る言葉だった。   人との会話もまた、フト湧いてくる『話したいこと』をゴチャゴチ ャ考えずそのまま伝えるほうがうまくいくのかもしれない。 そしてこのフト湧いてきた思惟をストップさせないためには、自分   を信じている必要がある。自分を信じるためには、それそうおうの   生き方が必要・・・・   と、するならば、やはり僕に足りないのは会話能力云々ではなくて   基本的な生き方に対する指針であり、体感であり、内側からくる『   フト』に対する信頼なのかもしれない。   思えば、去年のRTでARIONに、 1994/09/10 (1,月狼)友人との会話がうまくいかないのですが>ARION (1,ARION)会話をしようなどと思うからではないのか?>月狼 月狼=月影   と、言われたことがあったのだった。 人に対して『伝えなくてはならない』と言う場面は多々あったが、 『伝えたい』は今までほとんどなかったように思う。   僕は人間に対して何か誤解をしている。   会話ができるできない以前の部分に見つめなくてはならない淀みが   ある。   それはなんなのか?   僕の『観る』テーマはここにあるようなきがする。                               月影 05589/05609 GHD00256 七穂 大事な問題、ということについて ( 7) 95/05/15 00:19 コメント数:2  5/4のRTの最後の方で、ARIONと話したことについて、もう10日も  経ってしまいましたが、書いてみたいと思います。  別にわざわざ書き込まなくても、と自分で思う気持ちもあったのだけれど、  思い切って書くことにしました。 (2,七穂)すいませんちょっといいですか?>アリオン (2,ARION)どうぞ>話したい人々 (2,七穂)くだらないことかもしれませんが (2,ARION)前置きはいい>七穂 (2,七穂)自分の記憶力がだいぶん鈍ってきているのですが、これは、     普段から、注意深くないせいなのでしょうか?>アリオン (2,ARION)記憶する必要が無いからでは無いのか?>七穂 (2,七穂)そうかもしれないですが、人と話をするときに、言葉がすっぽり記憶     から抜けて、こんなんでいいのだろうかと思ったりします>ARION (2,ARION)それで、何か相手に迷惑をかけたのか?>七穂 (2,七穂)自分がみっともないだけかもしれません>ARION  (2,ARION)みっともないことは嫌いか?>七穂 (2,七穂)いえ、あんまり嫌いではないつもりですが、でも、     気にしているということは、どうなのだろう..>ARION (2,ARION)あなたにとって、それが大事な問題なのか?>七穂 (2,七穂)あ、人にうまく説明できないことが、残念に思います>ARION (2,ARION)説明は必要ない。事実をそのままに語ればよい>七穂 (2,七穂)すいません。そうですね。特に大事なことではないように思います。     そうですね。事実をかたることのほうが大事だと思います>ARION (2,ARION)では、あなたにとって大事な問題とは何か?>七穂 (2,七穂)自分であれ、おかしいと思ったことを突き詰めていくことだとおもい     ます。今は、それをしないままでいると思えるから>ARION (2,七穂)有難うございます。他に、いまは浮かびませんので、これで失礼して     ロムにまわります>ARION (2,ARION)よろしい>七穂 (2,七穂)お手数おかけしました。ありがとうございました>ARION、みれ (2,ARION)礼はいいから、自分の大事な問題を話せるようになりなさい>七穂 (2,七穂)大事な問題 (2,七穂)自分の大事な問題を話せるようになること、で.すね。そうですね.. (2,ARION)その通りだ>七穂 (2,ARION)がんばりなさい>七穂 (2,七穂)今、大事にしていると思えるのは、失恋のことかも知れません<ARION (2,ARION)そうだね、その話をするべきだったね>七穂 (2,七穂)そういう大事でいいのかな? (2,七穂)あ、そっか。 (2,七穂)今の自分の認識としては、失恋の原因というのは、自分で認められない     自分を相手に認めてもらおうとして、そこから自分で抜け出そうとしな     かったことだと思っています>ARION (2,ARION)あと、5分 (2,ARION)あなたがたの心、魂のために (2,ARION)いつの日か、私を忘れるときのために (2,七穂)それで、失恋は当然だったと思います>ARION (2,ARION)七穂、とても優等生の答だね>七穂 (2,七穂)優等生の答え、と言う言葉は、良く言われました。     まだいってるみたいですね>ARION (2,ARION)七穂、もっと感情を見せなさい>七穂 (2,七穂)自分では、あれから立ち直ったと思っているのでしたが、>ARION (2,七穂)感情 (2,七穂)感情ですか (2,七穂)悔しい感情とかは、あんまりみせたくないと思ってる自分がいるみたい (2,七穂)ということかな (2,ARION)そのほうがスマートだと思っているからだね?         人生はスマートにはわたれないよ>七穂 (2,七穂)自分では、みっともない自分も見せているつもりでしたけど、     もしかしたら感情を隠していたかも知れない、     といま思いました>ARION (2,七穂)スマートですか。もっと感情を、出す、ですね>ARION (2,ARION)時間が無い (2,七穂)言葉にも、態度にも、出すということかな?>ARION (2,ARION)七穂、泣きたい時に泣きなさい>七穂 (2,ARION)では、これにて失礼する - FARION MES( 9):神々の曼陀羅 ★ 歴史と宗教を巡って 95/05/17 - 559/583 MHD02672 TAO 弥勒菩薩とは誰か  その5 ( 9) 95/05/09 23:40 コメント数:1  久々の再開です(と言っても前回は去年の9月でしたから、実に半年  以上も経ってしまっていますが… ^^;)。前回で予告した通り、日本  の近代オカルティズムにおける弥勒菩薩観を、大本教を中心にして取  り上げたいと思います。  ***  戦前最大の民間宗教団体であり、二度にわたる大弾圧に遭ったことで  も知られる大本教では、教祖の出口王仁三郎は、弥勒菩薩信仰に対す  る独特の解釈を唱えていた。  王仁三郎の弥勒観を説明する前に、王仁三郎の宗教活動において甚大  な影響を与えたとされる、神道家かつ言霊研究家でもあった大石凝真  素美について述べたいと思う。大石凝は、弥勒菩薩の日本下生説を唱  え、『仏説観弥勒下生教』(明治23年)『弥勒出現成就経』(同32年)を  著している。これらの弥勒の日本下生説は、やがて大本教に組み入れ  られ、メシア・出口王仁三郎の出現を予言した聖典として扱われるこ  とになる。  大石凝真素美は本名を「望月大輔」といい、滋賀県甲賀郡の油日村に  1832年(天保3)に生まれ、祖父の望月幸智は、秘教的言霊学を復興  した神道家の中村孝道の高弟であった。祖父を通して言霊学の秘儀を  学んだ大石凝は、やがて長じて神道オカルティストとなり、上記の二  冊の他にも『大日本言霊学』『天津金木之極典』等を著した。  大石凝がその言霊学を確立するにあたって、決定的な契機となったの  は、琵琶湖の水面に波立つ波紋に、一定の周期で文字のパターンが現  れるのを幻視してからだという。大石凝に先だつ言霊学者の中村孝道  は、これを指して「水茎文字」と名づけていたが、大石凝はこれを実  際に“視た”ことで、その言霊学を発展、完成させるのに到ったとさ  れる。大石凝と見識を持っていた王仁三郎も、大石凝に連れられて琵  琶湖に浮かび立つ「水茎文字」を望見し、感じ入ったという。  さて大石凝によると、「弥勒菩薩が下生する」とされる「およそ五十  六億七千万年」という年数の出所及び根拠は、『弥勒出現成就経』に  おいて下記のように解されている。   ………故れ無事全盛なる大人の息は。一分間に三十六息也。一時間      に二千一百六十息也。一昼夜即二十四時間に五万一千八百四      十息也。一ヶ月即ち三十日十二分の五間に一百五十七万六千      八百息也。一ヶ年即ち十二ヶ月間に一千八百九十二万一千八      百九十二万一千六百息也。三十年間に五億六千七百六十四万      八千息也。三百年間に五十六億七千六百四十八万息也。三千      年間に五百六十七億六千四百八十万息也。是の如く概算して      深意を示したる者也。  実際に計算して確認した訳ではないが、大石凝の記述によれば、正真  弥勒出現の紀は、三十年(成道の紀)から三千年(弥勒の名の世に揚  るの紀)の間になるそうである。なお、三千年からは、弥勒の治化が  世界にあまねく成るの紀になるという。  ***  当の大本教内では、大本教の開祖である出口ナオの「お筆先」におい  て“王仁三郎の神格は弥勒の霊統”なりという御神宣が下されたのは、  大正5年であった。それまで開祖ナオに傾倒、心服していた役員信者  より「西洋かぶれ」と揶揄され、妨害・排斥(暗殺未遂もあった)の  浮き目に遭っていた王仁三郎の、大本内部における立場は大きく好転  する。後になって王仁三郎は「弥勒の霊統」を意識してか、大著『霊  界物語』の冒頭で、弥勒についてこう触れている。   ………天地剖判の始めより五十六億七千万年の星霜を経て、いよい      よみろく出現のあかつきとなり、みろくの神下生して三界の      大革正を成就し、松の世を顕現するため、ここに神柱を建て、      苦集滅道を説き、道法礼節を開示し、善をすすめ、悪をこら      しめ、至仁至愛の教えをしき、至治太平の天則を啓示し、天      意のままの善政を天地に拡充したもう時期に近づいて来たの      である。  ここにも、弥勒下生を“現在”に引き寄せながら、世界の終末とそれ  に続くユートピアの出現という、黙示録的な救世思想が顕れている。  「王仁三郎は弥勒の霊統なり」というお筆先が下ろされた大正5年は  辰の年に当たる。大本教では奇妙なことに、辰の年には常に大きな変  わり目が来るとしていて、例えば出口ナオのお筆先が始まったのは、  明治25年辰の年であり、明治37年辰の年には日露戦争を予言した  お筆先が下ろされ、大正5年には「神島開き」が行われている。神島  は兵庫県高砂市の南西沖合に浮かぶ無人島で、王仁三郎らの島開きに  よって聖地と化したのである(こないだの旅行では、これも見て行く  つもりだったのに、忘れてしまった-_-;)。  昭和3年辰の年は、王仁三郎自身が「今年は明治維新より六十一年目、  丁度戊辰の年……非常な変動のある年」と言ったように、大本教にと  って色々な意味で画期的な年だった。同年の元旦には、王仁三郎は下  記のような歌をしたためている。     「すみわたる五十六億七千万明けし昭和の初日の出かな」  話は戻って、大石凝の『弥勒出現成就経』が説くところでは、日本に  下生する弥勒は五十六年七ヵ月以上を経た大貴人で、応身の弥勒如来  として現れるという。王仁三郎の五十六歳七ヵ月は、昭和3年3月3  日に該当していて、しかも雛祭りの日で、いかにも変性女子とされる  王仁三郎らしい日であり、この符合には単なる偶然や語呂合わせと片  づけられない何かがある。  王仁三郎の解釈によれば、弥勒には「法身・応身・報身」の三段階が  あり、弥勒の世が現実化する最初の段階は、法身弥勒の世であり、こ  れは開祖出口ナオのこととされた。次の段階である応身弥勒は「弥勒  分身一千億」と言われる通り、様々な姿に変身してこの世に顕われる  という。王仁三郎は「応身の弥勒は非常な悪にも見える事がある。正  邪善悪を超越して、社会の毀誉褒貶は眼中に置かないで、天下国家の  為に一身を捧げる、是が応身の弥勒である」と述べているが、これは  正に、聖師と呼ばれ、逆に「山師、ペテン師」とも揶揄され、毀誉褒  貶が激しかった王仁三郎自身の姿にたぶる。  法身弥勒−応身弥勒と続いて、最終段階は報身弥勒となるが、これは  天下奉平・至善・至美というユートピアである。王仁三郎は、報身の  弥勒の世に到るまで「大峠」を経なければならないとしており、これ  は、大天災による世界の破滅の比喩的表現である。ここにも黙示録的  な世界観のバリエーションが現れていると言えよう。  但し、王仁三郎自身は「世界の破滅」を必ず避けられないものとして  はいず、人間の力で大難を小難に切り替えられると言っており、また  信者らに対しては「立て替えが来たら自分(信者)だけ助かり、大本  を誹謗罵倒した者は助からない」という考えを戒めていたので、そう  いう意味では大衆を徒に不安に煽り立てないだけの良識があったとも  言える。以上、大本教(王仁三郎)における弥勒菩薩観はこのような  ものであった。  松本健一の「出口王仁三郎」(リプロード刊)によると、「宗教を不  要にすることが宗教の理想だ」というのが、王仁三郎の宗教観であっ  たという。こういうことを言える宗教家は、他にはいなかったのでは  ないだろうか。王仁三郎にとっては、宗教も神も仏も不要な、人間の  みの力で至善至純に生きられる「松の世」が、すなわち弥勒の世だっ  たのだろう。  ***  この連載は一応、これで終わりたいと思います。読んで下さった方々  へ、どうも有り難うございました。  【了】  TAO 567/583 MHD02672 TAO 神が必要なくなる日は ( 9) 95/05/14 06:05 562へのコメント  >MAKOTO さん  RTではいつもどうも(^^)。コメントが遅れてすみません。  そうですね。本来なら、神を必要としない…というより、神を敬う気持ちが  あっても、人の世界を最優先し、努力して世界をより良くしようとするのが、  最も宗教的態度なのかもしれませんね。神の世界に閉じ込もり、逃避したり  するのは、一見いかに清純そうに見えても、結局は宗教の衣を纏った利己主  義なのでしょう。  こういう時勢になってくると、宗教を支配のシステムに悪用する輩も“報い  を受ける”ようになってくるかもしれませんね(^^;。報いと言っても、復讐  ではなく自業自得に近いニュアンスですが。  ARIONの台詞には、ロシアの思想家が言っていた言葉を思い出しました。  「神が人間を愛するのなら、神は人間の為に自らを消すべきだ」と。この場  合の神とは、森羅万象としての神ではなく、人間の同伴者としての神という  イメージですが、宗教における「神」という教権を人間が必要としなくなる  日は、果たして来ることやら。  TAO 574/583 GCG01101 アマデウス ローマ・フィレンツェ紀行(1) ( 9) 95/05/15 00:01 コメント数:2   4月23日から5月1日まで、妻と二人でイタリアへ行って来ました。   きっかけは、昨年末に入手した今年のカレンダーの中に「最後の審判」  (ミケランジェロ作)をデザインしたものがあり、それを見るうちに「どう  しても実物をこの目で見たい」と強く思うようになったからでした。   イタリアは遠いですから、折角行くのならイタリアに残る宗教武術・ルネ  ッサンス芸術をたっぷり堪能しようと言うことで、フィレンツェも予定に組  み入れました。   この旅で接した芸術について、印象に残る所を書いてみようと思います。  芸術に対する感性に自信はありませんし、それに何よりキリスト教に関する  系統だった知識も持ち合わせていませんので、大ボケをかます所もあると思  いますが(^^;、そこはひとつご愛敬という事で勘弁いただきたいと思います。 ●ヴァチカン宮殿   ヴァチカンは、言うまでもなくサン・ピエトロ大聖堂を中心としたカトリ  ックの総本山ですが、大聖堂に隣接するヴァチカン宮殿(ヴァチカン博物館)  もまた、人類の文化遺産とも言える膨大な美術品を納めた、西洋美術の総本  山とも言うべき存在です。今回の旅行の主目的である「最後の審判」は、宮  殿内のシスティーナ礼拝堂にあります。   世界的な観光名所とあって大変混雑すると聞いていましたが、開館時間に  到着してみると、はたして雨のぱらつく中、すでに宮殿の城壁に沿って長蛇  の列ができていました。   1時間あまり並んでようやく入場できしたが、とにかく展示物の量も見物  客の数も半端ではないため、とても芸術を落ちついて鑑賞する雰囲気ではあ  りません(^^; 全ての展示物を丹念に観ているととても時間も体力も足りな  いので、あらかじめガイドブックで目星をつけていたポイントを重点的に鑑  賞して、あとは足早に進んで行きました。(本末転倒ですけどね(__;))   ハイライトであるシスティーナ礼拝堂までの道のりは気が遠くなるほど長  く感じ、何を観てどう感じたか、その詳細は既に忘却の彼方ですが(^O^;)、  印象に残っているのは彫刻作品の生き生きした様です。大理石の塊に吹き込  まれた、まるで今にも動き出しそうな生命の息吹のようなものを感じ、圧倒  されました。   また、かつて法王の居室だったラファエロの間というのがあって、そこの  壁画が名高いルネッサンス画家であるラファエロの作品で、「聖体の論議」  や「アテネの学堂」など、是非とも鑑賞したい作品があるのですが、あいに  く修復作業中で一部しか覗けなかったのが大変残念でした。   さて、システィーナ礼拝堂です。   ゲーテをして「シクストゥス(システィーナ)礼拝堂を見ないでは一人の  人間が何をなし得るかを眼のあたりに見てとることは不可能である」(”イ  タリア紀行”、岩波文庫)と言わしめた天井画と壁画が、ミケランジェロに  より描かれています。その壁画というのが、「最後の審判」です。(これ以  外にボッティチェリなど高名なルネッサンス画家による壁画があるのですが、  完全に霞んでしまっています(^^;)   鑑賞順路に従って行くと、「最後の審判」が描かれている祭壇側と反対側  から入堂するものとばかり思っていたら、入り口が「最後の審判」の真下だ  ったので、心の準備をする間もなく(^^;放り込まれたような感じがしました。   入室してふと上を見上げたら、そこに青空を背景とした肉体の渦がありま  した。あまりに大きすぎて近くからでは全体像がつかめないので、人をかき  分けて中央付近に進んで見上げました。礼拝堂内は薄暗く、また距離を置い  てみているため、細部が不鮮明でしたが、何しろ226平米(約70坪!)  の大壁画です。やはり圧倒されるようなスケールの大きさをひしひしと感じ  ました。1536年に着手してから完成まで5年かかったそうで、その執念と持  続力には驚くばかりです。   全体として、上半分が空中携挙された天上の世界、底辺が地上、下左半分  に天上に救い上げられる人々、下右半分に地獄に落ちてゆく人々、という構  図です。   中央のやや上に右手を振り上げて立つキリストの厳しい表情と、その隣の  マリアの悲しげな様子。彼らを取り巻く人々(救われた人々なのでしょう)  や引き上げられる人々の、安堵感と言うよりも畏怖の表情が印象的です。   キリストを中心として、人々の肉体が渦巻いているように見える…と言わ  れているようですが、左手の昇天する人々には確かに今にも上へ動き出しそ  うな動感を感じるものの、右手の地獄に堕ちる人々からは、なぜか「墜ちて  行く」動きはあまり感じられませんでした。墜ちて行く人々を切り捨てるこ  とができないミケランジェロの思いがそうさせたのかも知れない…というの  は僕の感傷でしょうか。   天井画の方は、「人間の存在が神に還りゆく」というテーマで、1508年か  ら4年間で仕上げたものだそうです。「アダムの創造」「イブの創造」「原  罪と楽園追放」「大洪水」など旧約聖書の物語や、イザヤやエレミヤやエゼ  キエルなどの預言者の肖像などが、天井一杯に描かれています。一つ一つを  じっくり観て何かを感じ取ろうという気もおきず、「最後の審判」も含めた  堂内の荘厳さを感じて、ただ呆然と見上げるだけでした。   システィーナ礼拝堂を出た後は、ピナコテカ(絵画館)です。ここには11  〜19世紀のキリスト教絵画が展示されています。あまり古い作品(14世紀以  前)は、暗い色調と奥行きのない構図のせいか、どこか「抹香臭い(^O^;)」  感じがするのですが、15世紀以降のものになると、表現がのびやかに色彩も  鮮明になり、感覚的に受け入れやすくなってゆくのが解ります。   多くの作品があるのですが、中でもラファエロの「キリストの変容」が、  群を抜いて光彩を放っていました。うまく表現できませんが、他の作品と並  んでいても、これだけが浮かび上がって見えるような気がしました。   全体を回ってとにかく疲れましたが(^^;、十分な手応えを感じました。                           (To be continued) 576/583 GCG01101 アマデウス ローマ・フィレンツェ紀行(2) ( 9) 95/05/15 00:05 574へのコメント ●サン・ピエトロ大聖堂   ヴァチカンの中心であるサン・ピエトロ大聖堂は、東側に入り口があり、  サン・ピエトロ広場に面しています。この広場は17世紀に作られたものです  が、設計者のベルリーニは「神と人が出逢う劇場空間」を構想していたそう  で、幾何学的に美しく配置されています。   しかし、遠目には確かに美しい造形がわかるものの、実際に広場に足を踏  み入れてみると、石畳の上には紙屑や飲み物の空き缶などが沢山散乱してお  り、聖地らしからぬ猥雑さを感じました(-_-;)。   ただ、広場から大聖堂の正面玄関に近づいてゆくと、少し雰囲気が変わっ  て来て、気分が引き締まってくるのを感じました。   扉から中に入ると、巨大で静寂な空間が広がっています。天井の高さは、  数十メートルもあるでしょうか。奥行きは文献によると186メートルあるそ  うです。これだけの大空間に照明はほとんどなく、光は天井近くにある窓か  ら差し込む日光だけです。   天井は細かい装飾で覆い尽くされ、壁面には聖母や聖人の石像がはめ込ま  れ、床は大理石のモザイクで模様が描かれています。日本の神社のあっさり  ・さっぱり系に慣れ親しんできた(^^;僕には、少しなじめないものを感じま  したが、これだけ大きな空間になると、それらのゴテゴテした装飾がさほど  うるさく感じないものだということにも気がつきました。   聖堂に入ってすぐの右手にはミケランジェロの彫刻「ピエタ」があります。  磔から降ろされたイエスを膝に抱くマリアの像ですが、悲しみと落ち着きの  入り交じったマリアの表情に心を打たれました。贖いの子羊としての我が子  の運命を受け入れ従わざるをえない、その胸の内はどのようなものなのだろ  う、と思わずにはいられませんでした。   聖堂内を奥へ進んで行くと、ドームの下に来ます。このドームはクーポラ  と呼ばれ、ミケランジェロが設計したものだそうです。クーポラの下の空間  に、主祭壇があります。祭壇と言うよりも単なる演壇のように見えますが、  その上には4本の足に支えられたこれまた巨大なブロンズの天蓋(高さ29メ  ートルということです)があります。この主祭壇の手前には、床に半円形に  掘り下げられており、地下1階との吹きぬけのような形になっています。   実は、ここが殉教者ペテロの墓だったのですね。この吹きぬけを見下ろす  手摺りの所まで一般の参拝者が近づけるようになっていますが、吹きぬけの  空間には何か気が渦巻いているように感じました。気のせいかな?(^^;   この主祭壇のさらに奥に、栄光の司教座と呼ばれる所があります。何でも、  中にペテロが使った玉座が納められているとか。ここにも祭壇があり、主祭  壇よりもよっぽど教会の祭壇っぽかったですが、通常のミサ(法王が行う以  外の)はここで行われるようです。   大聖堂には、これ以外にも地下の礼拝堂や聖者の墓所などがあり、とても  紹介しきれません。(^^;   主祭壇から栄光の司教座の祭壇あたりの空間は、華美な装飾にもかかわら  ず、とても清浄な気を感じました。また非常に敬虔な雰囲気に包まれており、  長い期間に亘る人々の祈りの積み重ねを感じて感動しました。   「光よりの光」を読んで、 >>  我々との話ができるのは、ローマ・カトリック法王と数人の巫女を >> 擁するいくつかのマイナーな宗教だけになってしまった。  (P28)   との記述を見たとき、「今のカトリックに、まだ神霊族と話ができる能力  が残っているのか」と疑問に感じた覚えがありますが、実際に大聖堂を目の  当りにすると、それも信じられるような気がしてきました。  (もっとも、お墓を一般人が見物したり、聖者の遺体{腐らないんだそうな}  にロウをコーティングして見せていたりするメンタリティは理解できません  が(-_-;))   これだけの信仰があるのに、なぜ人類は審判の時を迎えなければならない  のか…。複雑な思いで大聖堂を後にしました。                           (To be continued) 580/583 MHD02672 TAO イタリアは芸術の国ですね ( 9) 95/05/15 23:33 574へのコメント  >アマデウス さん  関西ではお世話になりました。素敵な旅行記を有り難うございます(^^)。  臨場感に溢れていて、まるでそこにいるかのような気になりました。  母もこないだの聖地ツアーで、バチカン宮殿にも寄った筈ですが、生憎  会えなかったようで(^^;。著名なカトリック作家の曽野綾子さん・三浦  朱門さんご夫婦が案内役を務めたツアーだったので、目立つ筈だと思っ  たのですが、日程が合わなかったようですね(^^;。  「最後の審判」「ピエタ」を見られたとは羨ましいですね。私もイタリ  アへ行きたくなりました(^^;。イタリアでは、ジオットやレオナルド、  ボッティチェリ等好きな画家が多いものですから。イタリア映画も好き  だし。  この会議室の主旨から言えば、バチカンの歴史についても触れなければ  ならないのでしょうが、キリスト教は専門外で。(^^;ゞ  またコメントしますので。デハデハ  TAO 577/583 JBH02324 なえ 辞任の挨拶 ( 9) 95/05/15 12:38 コメント数:1   長い間お世話になりましたが、諸事情とわたしの無理なお願いから   こちらの9番会議室、副議長を辞任する事に致しました。   みなさまには随分と可愛がって頂き、心から御礼申し上げます。   また、みなさまのこれからの更なるご活躍を祈念致します。   本当にありがとうございました。   この部屋のさらなる発展を心からお祈りいたしております。 - FARION MES(13):神秘学遊戯団 ★ 限りなき神秘への航海 95/05/17 - 02676/02701 GGA02514 KAZE 風遊戯58●こみあげてくる歌のような (13) 95/05/12 17:43 こみあげてくる歌のような思いの深みの 青の流れの鈴の響きの秘密の匂いのはてに あなたのほんとうの姿をみたのは幻?  かすかにきこえてくるのは  あれはことばがまだことばでなかったころの  そらのたてごとのようなねいろ こみあげてくる歌のような言葉の糸の 色の流れの模様の波のひいてはかえす鼓動に あなたのほんとうの熱を感じたのは幻?  だれがことばをつくったの  あなたのこえはことばなの  うれしくかなしくあつくふるえて  わたしのむねはこんなにあつい こみあげてくる歌のような祈りのはての 夜の流れの渦のつくる秘密の文字の響きに あなたのほんとうのいのちをきいたのは幻?  わたしいのる  そらにいのる  あなたのことば  ほんとうのことばで  わたしがみちますように ☆☆☆by KAZE☆☆☆ - FARION MES(14):預言解読村  ★ 預言・予言は何を語るか 95/05/17 - 03030/03047 JCF00616 優位 始動、…そして待機 (14) 95/05/12 01:28 コメント数:2  『95/05/12 始動。海龍王は容赦せず。赤き盟友は太古の力を露に‥。待機せよ』  「始動」とは、大洗濯の始動のことでしょうか。  地の底で嘆き続けた海龍王が容赦なく動く‥‥それの意味する所は  『水』に関するエネルギーの発動、と読めるような気がします。  赤き盟友とは、『百鬼夜行』の『鬼』のことでしょうか。  盟友なのですから、海龍王の発動と並行、または同時にそれらの  エネルギーが発動されることを意味するのでしょうか。    海龍王   +     太古の力      =   ???   (水の始動)   (租土(オヤツチ)=太古の地から)  火(カ) → 水(ミ) → 大地(ツチ) ‥‥この流れで遂に地上に到達した、  『揺さぶり』が現実世界に映されて来る様子を示すものと思われます。  つまり、「待機せよ」とは地上の人間達へのメッセージなのでしょう。  (感想など)   7番でARIONが出した『ノアの方舟』の話がどうも気になります。   というのは、水と大地の始動=『洪水』となるような気がするからです。   また、天候などを見ていても『龍神』が動いているのは確かのようですし。  「ノアはもう居ない。方舟は無い。しかし、待機せよ」  ‥‥と、こんなメッセージが聞えてきそうです。 ☆ Yui Tanaka (JCF00616@niftyserve.or.jp) ☆ 03031/03047 KFQ02761 しまうま RE:始動、…そして待機 (14) 95/05/12 07:55 03030へのコメント コメント数:2 #03030 優位さん  んちゃーっす(^^)。 93/08/23 ★赤き血のモノリスは振動を始めるために、集合を始めた… 94/05/28 闇は元々「赤の世界=隔り世」だが、黒は隔り世のことでは無い 94/06/04 解かれた封印から赤い色を頼りに、隔り世から鬼が来る… 94/06/05 解かれた封印から血の色を頼りに、あなたの心から鬼が出る… 94/10/19 谷間に響く呼び声は赤い飛沫を伴い、苦界の夢を呼び覚ます…  といったあたりのハローメッセージを見ると、 95/05/12 始動。海龍王は容赦せず。赤き盟友は太古の力を露に‥。待機せよ  の「赤き盟友」というのは「隔り世の盟友」あるいは「血の盟友」という 風にも読めますね。 93/09/22 群れて青きくぐつの惑わし、外れて赤き血の高揚や如何に?  というのもあり、ここには先日の傀儡(くぐつ)が出てきます。群れて青き 傀儡……青い服を着た集団の惑わし……そして同じ時期に、別のところで赤い 血が高揚するか否か? まさに今の時期のことを言っているようです。  「海龍王」ですが…… 94/10/03 重い渦と軽い渦、見えない亀裂と感じない地の嘆き…海龍王は来る 95/01/07 海龍王の瞬きを海鳥は報せる。愛し子は、囚われの身。蓮華は開く  の2つがありました。「重い渦と軽い渦」というのは、最新の地震理論であ る「プリュームテクトニクス」(だっけ? 相変わらずうろ覚え。プレートテ クトニクス理論をさらに発展させたもの)の理論を連想しました。  見えない亀裂、感じない地の嘆き……これは血の嘆き、赤の嘆き、隔り世の 嘆きにも通じるかもしれません。  で、後者には優位さんの解釈にあった「蓮華」が出てきていますね。 94/09/10 大地の轟きは、空に共鳴す…海神王は海鳥の鳴き声を合図に…。  というのもあり、これと上のものを合成して読むと、「海龍王の瞬きを、海 鳥が海神王に鳴き声で知らせる」と読めなくもないです。 94/10/07 海神王の右手にはしっかりと三又の矛が握られ、左手には綱が…  「三又の矛」と「血」は、以前のはな議長のメッセージで関連づけられてい ました。たいへんわかりやすい図をはな議長が描いてくださっているので、引 用させていただきます。 ===================================        【空】 (白い光)  −−−【地 = 日本列島】−−−  【SAP = 血】 浮上し、星になる     ↑                 /   (三つ叉の矛で地を揺さぶる)      /     ↑               /      (真珠の光)     ↑【海】 (黄泉の光)  (浮上↑)     ↑             /  →→→→→ 百鬼夜行の道筋 →→→/ ===================================  つまり三又の矛で海神王が地を揺さぶるのと時を同じくして、SAPすなわち血 が浮上し、星になる……。  「真珠の光」…「活力ある血」=「活力ある地」=「活力ある魂(チ)」という、 これまたはな議長の説を再掲させていただきますと、先日のハローメッセージ、 95/04/28 深海から泡が立ち昇る、世界を抱く貝は真珠の夢から覚めた様だ  とも符合します。いよいよ……という感じですね。もっとも何が「いよいよ」 なのかあまりよくわかっていないのですが、「待機せよ」ということですから、 95/05/04 義を語るより生命賭けて行え。安全な場から他人事のように語るな  の気持ちを忘れず、常に一期一会の気合いでやってこまい!(←何弁?) しまうま(KFQ02761) 03032/03047 GBG02043 維/YUI RE^2:始動、…そして待機 (14) 95/05/12 09:33 03031へのコメント コメント数:1 どもっ!こんにちわ、しまうまさん。 95/01/07 海龍王の瞬きを海鳥は報せる。愛し子は、囚われの身。蓮華は開く のなかの、囚われの身な”愛し子”って、なにを表すんだろう。。 って思っているんだけど・・・見当つきます? ここからは、ちょっとお遊び *** 海龍王・・・海流王・・・潮流 海神王・・・海塵王・・・マリンスノー 海神と、海龍と、龍神って、別もん??? 海神王ってスサノオのことかなぁ・・・。 海龍王は・・・竜宮の主のこと?乙姫さまのおとっつぁんって、誰だ?? 龍って、地を駆ける龍と海を駆ける龍で、別なのかな。。。 空に昇ると、神になるって話もよくあるけれど。 維/YUI。 03036/03047 KFQ02761 しまうま RE^3:始動、…そして待機 (14) 95/05/15 00:38 03032へのコメント コメント数:1 #03032 維/YUIさん  お久しぶりです(^_^)。 :95/01/07 海龍王の瞬きを海鳥は報せる。愛し子は、囚われの身。蓮華は開く : :のなかの、囚われの身な”愛し子”って、なにを表すんだろう。。 :って思っているんだけど・・・見当つきます? 93/09/03 ★囚われの子は、高波に洗われる玉房の随所に光る足跡を残し… 93/09/04 龍神王はその住処を離れ、濁りたる水の都に爪痕を残すだろう…  というのがありました。  「玉房」というのは何なんでしょうね。貴人の部屋、みたいな雰囲気ですが。  「光る足跡」のほうは、 94/07/27 位取りに気遣わない麒麟は、その足跡を龍の鱗の光るに任せて…  を見ると、「龍の鱗が光っている足跡」=「龍の足跡」のことかもしれません。 93/09/11 ★然り龍の子は姿を変え、大いなる亀の文様は読み取られる…  というのもありますから、「囚われの子」は「龍の子」なのかなあとも思い ました。で、龍神王がそのすみかを離れて、「濁りたる水の都」に「子」を取 り戻しに来る、とか。 93/08/13 ★麒麟は咆哮し、龍は眼に炎を宿し、血のモノリスが震えるだろう 93/08/14 その時、夜の目をした真珠の子供は「時」を知るだろう  というあたりも何か関連があるかもしれません。むしろこの2つを見ると、 「囚われの子」は「真珠の子供」という気がしますね。最近のハローメッセー ジとシンクロする「血のモノリス」も出てきていますし。「龍の子」=「真珠 の子供」なのでしょうか? そういえば「人魚の涙」=「真珠」という話も以 前ありましたよね。 94/01/29 父は炎、母は水、子は風であった…子は亡き者とされ、今に至る  との関連も、なんとなく気になります。 しまうま(KFQ02761) 03042/03047 KFQ02761 しまうま RE^4:始動、…そして待機 (14) 95/05/15 20:01 03036へのコメント  またまた自己レス。思いつくままに書いたので、読みづらいかもしれません。 ちゃんとまとまったら整理しますね。 (1) 93/09/02 麒麟の咆哮は空を切り、龍の手に珠は帰る…海神王の声は届くか (2) 93/10/04 重い渦と軽い渦、見えない亀裂と感じない地の嘆き…海龍王は来る (3) 94/06/30 海神王は来る、矢頭(ヤガシラ)の馬はいななき八千代の鳥は飛び立つ (4) 94/09/10 大地の轟きは、空に共鳴す…海神王は海鳥の鳴き声を合図に…。 (5) 94/10/07 海神王の右手にはしっかりと三又の矛が握られ、左手には綱が… (6) 95/01/07 海龍王の瞬きを海鳥は報せる。愛し子は、囚われの身。蓮華は開く  (4)と(6)の2つのハローメッセージが一連のものだとすると、物事はこうい う順序で進んでいくように読める。 [海龍王が瞬く] → [海鳥が報せる] → [海神王が、海鳥の鳴き声を聞く]    ↓                     ↓ [海龍王は来る]               [海神王は来る]  (2)(4)(5)あたりを見ると、海龍王、海神王ともに天変地異、自然災害と関連 がありそうだ。  で、(6)「愛し子は囚われの身」(1)「龍の手に珠は帰る」(珠=真珠)と考 えると、「囚われの愛し子」は真珠のことかもしれない。 94/10/26 龍王は火炎を上げ、深海で真珠を抱く人魚は眠りから覚める…  ここでは「龍王の火炎」と「真珠を抱く人魚の眠り」が同時に語られている。 93/08/13 ★麒麟は咆哮し、龍は眼に炎を宿し、血のモノリスが震えるだろう 93/08/14 その時、夜の目をした真珠の子供は「時」を知るだろう  というメッセージで「「時」を知るだろう」という未来形だったのが、その 1年2カ月後に「眠りから覚める…」と現在形になったということだろう。 94/11/09 ひた寄せる波打ち際に残るのは、人魚の足跡かはたまた龍の涙か…  ここでは「真珠を抱いていた人魚」が波打ち際まで来る、という可能性が示 唆されている。「真珠が波打ち際まで来る」=「SPASCIFICAの浮上」?  また、「人魚の足跡」と「龍の涙」が、対照する単語として出てきている。 「龍の目に炎が宿された」ら、人魚が眠りから覚め、真珠の子供も「時」を知 る。「龍の目に涙」があると、人魚は目覚めず、波打ち際に「人魚の足跡」が 残ることもない、ということだろうか。 94/05/04 麒麟の慟哭は龍を涙ぐませ、百鬼夜行は滞る…夜鳴き鳥は何処? 95/02/03 龍哭の和らぎ、操舵の乱れ、紙一重の奇跡。断崖絶壁に萌ゆる生命  この2つのハローメッセージを見ても、「龍の涙」というのはネガティブな ことで、「龍哭の和らぎ」が紙一重で「萌ゆる生命」を長らえさせた、という 雰囲気だ。 94/12/28 幸いなるかな、無辺の境地に在る者よ‥蓮華の広がり数珠繋ぎに  ここでは「蓮華の広がり」の形容として「数珠繋ぎに」となっているが、こ れは「数々の真珠が繋がれている(囚われている)」と読めなくもない。そう だとすれば、上記(6)の「愛し子は、囚われの身。蓮華は開く」とあい通ずると ころがある(ちょっとこじつけかな?)。 93/08/28 揺るぎなき磐石の夢は、ゆらめく陽炎の向こうに垣間見える茜色  ちょっと話は飛ぶが、この「揺るぎなき磐石の夢」は、「頑なな岩の心」と 何か関連があるかもしれない。 しまうま(KFQ02761) 03034/03047 JCF00616 優位 RE:始動、…そして待機 (14) 95/05/13 21:36 03031へのコメント コメント数:2  #03031 しまうま さん  どうもどうも〜(^_^)  SPASCIFICAの浮上が間近ということでしょうか。  百鬼夜行の道筋の先に、星となって浮かびあがる『血』。  …今が、『誰の目にも明らかになる時』なのでしょうか。  『待機せよ』に対応しているのが、櫛の歯あわせの『準備せよ』です。  つまり94の歯合わせの準備が整い、待機する段階となったと読めます。  ‥‥ぶと、思ったのですが、ARIONは3つの側面について言及  する性質を持つのではないか、というものです。今までは、上・下・中道  という、『方向の三位一体』(←そもそも三位一体が何だかよくわかり  兼ねますが(^^;))を語ってきた訳ですが。  それが、HMに関しては、天・黄泉・地という『場の三位一体』に関して  語っているのではないか、言えるような気がします。  ARIONは、(天に在って)主として黄泉に働きかけ、  鬼や封印を解くことで、地上に変化を与える事を目標にしているのだと  思います。また、天に働きかけ、地上に変化を与える存在もきっと  存在するのでしょう。 ☆ Yui Tanaka (JCF00616@niftyserve.or.jp) ☆ 03046/03047 JCF00616 優位 表と裏のクロス(連繋) (14) 95/05/16 19:09 03044へのコメント コメント数:1  #03044 しまうま さん  このHMを見た時、僕は確信しました(^_^) >95/05/16 上昇三角と下降三角の間に、縦横に花開く蓮華を象る人心の連繋を  上昇三角の意味するところは、『白い光』。そして下降三角の意味するところ  は、『黄泉の光』でした。‥‥そしてそれは、ARIONのコード・シンボル、  すなわち『薔薇と鷹を含むヘクサグラム』に表れています。  また、僕の推測では、黄泉は43であり、『闇』と『赤』に繋がるものです。  そして、白い光は『光』と『青』に繋がります。  というのは、それが巧妙に表されているARIONの著書があるのです。  それは、『I LOVE YOU 1』の最初の数ページと裏表紙裏の写真です。  〈表〉には、『闇』と『赤』を、そして〈裏〉には、『光』と『青』が  それぞれ表現されているとは、言えないでしょうか?  (また、『光の黙示録』の裏表紙も参考になります)     【上昇三角】= 光 = 青(天)            \ /             ×            / \     【下降三角】= 闇 = 赤(地)  いよいよ、×(クロス)=人々が連繋する時が来たようです。  かの94の歯合わせもこの×(クロス)に対応したものだったのかも  しれませんね。  とにかく、青側にあった人心と、赤側にあった人心が連繋(協力)して  しっかりとした蓮華の花を開かせる時が来たのだと思います。 ☆ Yui Tanaka (JCF00616@niftyserve.or.jp) ☆ 03035/03047 SGQ02316 NOP 鳩 (14) 95/05/14 15:50 コメント数:1 *南の小箱の弧を描く宝 HMより |95/04/20 放たれた鳩は月桂樹の葉を持ち帰るか?‥全て民心の一致次第 |95/03/09 鳩の示す空の一点、輝く夢の動く水、軽業師の足跡を辿る幽現 |94/10/14 軽業師は竪琴の音色に魅せられ、南の小箱は弧を描く宝を隠す… *1 鳩+月桂樹=>ノアの放った鳩          関連:MES7 4991 ARION 「ノアはもう居ない。箱船はない。」 *2 軽業師=>サーカス団員、大道芸人、トリックスターなど *3 弧を描く宝=>1.蓮華;バイブレーション;水面に広がる波紋<-輝く夢の動く水          2.虹;虹のかけ橋;彼岸と此岸をつなぐ *「LIFE」 小沢 健二  このつたない書込みをUPしたきっかけは、今日購入した小沢健二のCDの歌詞カード に描かれた月桂樹をくわえた鳩の絵を見たことです。 ちなみにCDの表紙の裏面には「LIFE IS COMIN' BACK」とのコピーがあります。 「ぼくらが旅に出る理由」を聞きながら           NOP           NOP IS "NO OPERATION" 03040/03047 GBG02043 維/YUI RE:鳩 (14) 95/05/15 09:10 03035へのコメント コメント数:1 サンキュ〜 FOR 書き込み  >> NOPさん はじめまして、維/YUIです。 解読村の駄菓子屋の店番です。 どうぞよろしく。 小沢健二ですか・・・なんかCMで使ってませんか?彼の歌。 耳に残っていて、ある時TVの画面で小さく名前が出ていて、 今度一枚アルバムを聞いてみようと思っていたのです。 NOPさんの挙げてくれたハロ−メッセ−ジで、私がずっと ひっかかってるのは、”軽業師”です。    なんとなく良くないイメージをもってしまって・・軽業師 という言葉に。 よくよく考えるといいも悪いもないはず なんですけれどね。 弧を描く宝で、私がイメージしたのは、月、弓、虹、水平線か 地平線・・・でした。 蓮華・・・輝く夢の動く水・・というNOPさんの書き込みに あ〜、円も弧なんだった!!と、気がつかされました。 また、なにかひらめいたら、是非書き込みにきてくださいね!! おまちしてま〜す。 m(_ _)m 維/YUI。 03043/03047 SGQ02316 NOP RE:鳩 (14) 95/05/15 21:37 03040へのコメント  はじめまして、維/YUI さん、コメントありがとうございます。  小沢健二のCMですが、言れてみればそんなCMがあった気がしますね。音楽情報 には疎いものでわかりませんが。それから、小沢健二ですが先ほどまでダウンタウ ンの「ヘイ・ヘイ・ヘイ」という音楽番組に出演していました。くったくのない明 るい性格の人みたいですね。ダウンタウンとのトークでは、結構笑わせて貰いまし た。  あと、軽業師に良くないイメージをもたれていたそうですが、全然なかったです。 いわれてみてそうなのかと、確かにそうかなと思う次第です。  またHMで何か思いついたら遠慮なしに書込みますので、これからもよろしくお願 いします。 NOP 02424/02440 GBG02043 維/YUI RE^2:「慎重なる瞬発力」とは何か? (18) 95/05/14 11:20 02420へのコメント コメント数:1 あもりさん、新装開店おめでとうございます。 一連の発言を読んでいて、感じたことです。 連休前、合気道の練習を見学しにいったのですが、 その時のことを思い出していました。 師匠ってか、指導者が手本をやってみせるのを とりあえず、皆まねしてやってみる・・・。 カンが良いと、結果(?)もうまくいくけれど たいていは、あれ???なんで違っちゃうの? なんです。 同じしぐさのようでいて、全然違う。 同じ一瞬でも、密度が違う。 同じ一瞬でも、内容が違う、たとえ外見同じに思えても。 無駄がない、うかつじゃない。 集中する一点が狭義の 一点ではなくて、全体を見通した一点。 なんせ、初めての体験なんで、なぁんにもわからず、 ただ雰囲気だけの話なんですけれども。 師匠の手伝いをしにきてる上級者の人もいらしたけれども、 同じワザをしても、動きが派手でみたところ武道!!!って 感じなのは、上級者の方。 けれど、師匠はなんだかよく わかんないうちに、ワザがきまっていました。 言葉にうまく出来ないんですけれど、タイトルのイメージが すごく近かったので、書き込ませてもらいました。 維/YUI。