- FARION MES( 5):**/////*/////*/////*/////*/////*/////** 95/07/19 - 00150/00150 CXK03125 月影 ひぇ〜(;_;) ( 5) 95/07/19 08:08    今朝、バイト先の販売員の人と、立ち話しをした。    なんでも、受験のお祝いに、『電子手帳』を社長が用意していると言う   のだ。    しかもそれは、今年の始めから用意してあったものであり、僕が受験に   失敗したことで、宙に浮いてしまっているのだと言う・・・・    胸が痛い・・・・ 僕ごときに何故ゆえかように高価なプレゼントを用意してくれたの?    僕の『甘え』は、他者の無償の善意までもをポリバケツに捨て去るほど に拡大してしまっているらしく・・・・    ほんと申し訳ない。真面目に勉強します。来年は、リボン付きでその電 子手帳をお受けいたします。    許して〜(;_;)>社長                         大学2浪中だよんの月影 - FARION MES(12):精神世界裏表 ★ ニューエイジビジネス を斬る 95/07/19 - 00584/00584 GFB00026 一輝 RE:講談社ブルーバックス【薬物依存】 (12) 95/07/18 22:38 00583へのコメント >#00583 TAOさん ご紹介ありがとうです。面白そうですね、その本。さっそく探してみます。 これを機会に洗脳本も含め、その手の本なども取り上げてみようかと思っています。 人間は、「意識の変化(変革ではなく)」を好む生き物であると同時に、「依存」 の生き物でもあります。「依存」の部分を巧妙に覆い隠して誕生体験と結び付けた のが、トランスパーソナル心理学です。この心理学がデッチあげられた背景には、 最終的に自立出来ない人間を育成する、という明確な目的が隠されていました。 トランスパーソナル心理学へ連なる流れの始流にいたティモシー・リアリーの話と いうのは、ある種のファンタジーであり、BE HERE NOWのラム・ダス( 60年代末にLSDをティモシーらと全米に広めた仕掛け人)のように、心地よいキ ャッチフレーズに満ちています。   『ラム・ダスは、”いまここにありなさい”というけど、    ぼくはあらゆる瞬間にあらゆるところにいたいね』 なんとカッコつけた臭いフレーズでしょう。しかし、これがジャンキーにはウケる んです。私もその昔カッコいいと思っていました。「キメこんでる(LSDをやっ ている)ヤツにしかわかりっこない」と思ってしまう。ここにニューエイジ業界連 中の薬物優越意識に通ずるものがある。「インスタントな覚醒でもいいじゃないか、 一般人と違って覚醒できる特権(麻薬ルート)が俺たちにはあるんだ」と。これは ナルシズムの何者でもありません。麻薬によって増幅する自己陶酔です。 リアリーの秘めた優越意識は、「人類は西まわりに進化し、アメリカから宇宙へ飛 び出す」ことに集約される。つまり、「我々は宇宙移民であり、DNAチップに内 蔵されたプログラムに司令されて、大気圏外へと向かう」。これはジェームス・E ・ラブロックなど進めていた、火星移民計画を代表するメッセージとも受け取れる。 なぜなら、この計画を進めるエリートグループの円卓会議のメンバー、トマス・ハ ックスレーの孫オルダス・ハックスレーが、リアリーの師匠だったわけですから。 選ばれた者たちだけの宇宙脱出、これが陰謀の最終到達点。選ばれた者たちは、選 ばれた事実を歴史に刻むため(階級を明確にする)に一般大衆へ、「末代まで永遠 に目覚めぬ羊となるための餌」を蒔いた。奢る人々の考えた奢った計画。それがド ラッグ。 リアリーもハックスレーも、エリート・グループの為に身を持ってドラッグを服用 した犠牲として、大衆に落とされたピエロだった、という見方ができるかもしれま せんね。すでにリアリーがファンタジーにしてネタをバラしていたわけですが、以 上のようにエリートたちの宇宙脱出と人類堕落の為の麻薬蔓延には、関連性があり ます。まるで〔と学会ネタ〕ですけどね。     >………先進国のなかで、ひとりわが国の麻薬汚染度が低いのは、     >   優秀なわが国警察組織と厚生行政が一貫して厳しい麻薬     >   取り締まりを貫いてきたおかげである。賢明なわが国当     >   局は、ポルノやソフト麻薬の解禁度が、その国の文化水     >   準であるかのように論じる一部の進歩的文化人やマスコ     >   ミの論調にまどわされず、大麻解禁の轍を踏むことはな     >   かった。 (77p) ……………なるほど痛快。私もジャンキー時代、同じように論じていましたよ。文      化人たちのウケ売りでした。先進国への劣等感と自己正当化がモロ見え      ですね。文化人もジャンキー同様、「好きだからやっているんだ」と正      直に言わず理屈をかざします。麻薬の解禁度は、その国の文化水準では      なく、拝金主義と心的荒廃の水準です。                 FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 - FARION MES(15):マホロバ誕生 ★ 大和魂復活のために 95/07/19 - 00218/00218 MXK03704 ゆきぼう RE:末世思想考 (15) 95/07/19 05:25 00216へのコメント 遅くなりました。色々ありました。という訳で、早速レスです。 *今の修験道の基礎を体系付けられたとされる“役行者”さんが生きてお *られた当初において、『その修行の目的が真実どこに在ったのか』 行者様が自らの手によって残された文はありません(小生の知る限りで すが...)。したがって、役之行者様がどの様な御心で修行を為された のか確とは分かりません。そこで、修験道の修行三態をご紹介いたします。 1 荒魂行(あらたまぎょう)    自分を磨くための行と言って良いでしょう。祈り行、水行、瀧     行、断食行、山籠行等がこれに当たります。これが荒行と短縮     されたものと思われます。 洗魂行、新魂行と云う字をあてる方もおられます。 2 和魂行(にいたまぎょう) 他の方との間に真和を構築するための行と言って良いでしょう。 自分一人の決意でどうとでもなる荒魂行に比べ、相手がある行     ですので、時として荒魂行よりしんどいものです。 3 直魂行(なおひぎょう)別名を聖行(ひじりぎょう)と申します。 聖者を目指す行です。衆生救済に我が身を投げ出す行と言って     良いでしょう。この課程で、護摩法・施真法・験力が使われて     いきます。 以上三つの修行三態がありますが、それぞれは日々の修行の中ではっき りと分かれているものではなく、互いに関連するものだと思います。例え ば、和魂・直魂の中で困難にぶつかれば、荒魂を行ずるというようにです。 * 御釈迦様も当初は、“他の者の幸せの為に”という目的で修行された *訳ではなく、あくまで自分自身の悟りの為に(世俗から離れ)様々な修 *行されていた…ということは現在では定説となっておりますし、ある経 *典には確かに、そうした御釈迦様自身の心の推移・変化を描写されたも *のがあります。 仏教の経典は御釈迦様の生存中に書かれたものではなかったように思い ます。ひょっとしたら、後世の方の思い込みが入っているかもしれません ね。また、修行の目的という御釈迦様自身の内心の問題ですので、教典が 正確かどうかにも疑問があります。 翻って考えるに、御釈迦様が修行に旅立たれた動機はそれほど問題にし なくても良いのかもしれません。御釈迦様が「悟り」を開かれた後、何を 為されたのかを問題にした方が、我々の修行の目的とすべき所を示してい るのではないでしようか。この何を為されたのかは、御釈迦様の内心の問 題ではないので、かなり客観的な事実として伝承されているように思われ ます。 * 御釈迦様が悟りを求めてなされた修行は、いわゆる“苦行”と称され *るそれこそ身命を懸けた荒行でした。しかし、苦行は決して悟りへ導く *手段とはならないことに気づき、苦行そのものを否定されました。そし *て、以降の修行は「瞑想によって心を鎮め、自己を探求する」というも *のへ変わりました。  瞑想して宇宙の全てのことが認識出来たとしても、それは悟りではあり ません。「隣人を愛すべきだ」という認識があっても、それに自身の行動 が伴わなければ、この様なものは到底悟りとは申せませんからね。 「悟り」とは認識ではありません。日々の生活の中で実践できるか否かだ と思われます。「知るは悟りにあらず」です。 * ゆきぼうさんがご自身の修行の目的とされている「他者への慈悲(愛) *」は、まさに大乗仏教(特に顕教)の精神そのままですよね。キリスト *教の無償の愛も同じ精神であろうと思います。もし、そうした慈悲(愛) *の実践だけが ゆきぼうさんの目的であるならば、仏教やキリスト教で *もよい訳だと思うのですが、なぜ「修験道」なのでしょうか。 小生は、修験道を選んだのではありません。気が付いたら修験道だった と云うだけのことです。仏教でもキリスト教でも良かったと思っておりま す。そもそも、信仰の根幹とするところに大差はありません。同じ頂上に 至る道は何本も有るのですから、自分が何を信仰しているのかに余りこだ わりを持たなくとも良いと思われます。 * 特に今もって不思議なのは、修験道に仏教が取り入れられ、教義の重 *要な位置をしめていることが、ゆきぼうさんの発言から推察されるもの *の、何故に御釈迦様が否定された命懸けの“苦行”を わざわざ修され *るのでしょうか。 修験道は仏教ばかりではなく、キリスト教も、イスラム教も取り入れて いると言って良いでしょう。この世に真理というものがあるのなら、それ がいかなる宗教のものであろうと採り入れるべきだというのが、修験道の 立場だと思われるからです。 また、修験道の場合、様々な時代に、直接御釈迦様やキリスト様のお話 をお聞きするだけの験力を持たれた方がお出になっております。したがっ て、修験道は仏教を採り入れたというのではなく、ある部分は仏教そのも のであり、またある部分はキリスト教そのものと言っても良いでしょう。 < なぜ命懸けの苦行をするのかについて。>  五感は、主として肉体を守る為に活躍いたします。したがって、自分の 命にこだわりを持っている間は、五感の束縛から逃れることは出来ません。 これが命懸けの行をする所以ではないでしょうか。 といって、命懸けの行と言えども、自分の命を粗末にすると云うことで は決してありません。  むやみやたらに熱湯をかぶったり、火の中に身を投じても駄目です。命 懸けであっても、命を捨てては何にもなりません。生きてこそ自信が獲得 したものを実践できるのですから。絶対に、先人の残した行法に従うべき です。 ある方は、神仏から行を命じられて、終戦直後山梨県の瑞垣山で三年の 山籠行を為されました。寂しさの余り下山しようとした折には、「何年何 月***死す」(***はその方のお名前です)というような文字が、空 に浮かんで見えたそうです。  何故自分だけが、絶望的な孤独のうちに辛い行をさせられるのか、見当 も付かなかったその方は、ある朝の瀧行が終わった後、凍死してもいいと いうような気持ちで、暖をとらずにぼんやりと雪の中に座っていたそうで す。  その時、「何のための修行ぞ 己を磨くだけの修行か  汝の命 汝の ものにあらず 汝待つ衆生のものなり」と云う声が、人一人いない筈の山 中で聞こえたそうです。    * 私が思うに、仏教と言っても顕教としてのものでなく、呪術的要素の *強い密教が修験道に取り入れられているからなのではないでしょうか。 *また同様に、道教の“仙人”思想も取り入れられていると聞きます。つ *まり総して考えてみると、「修験道」には“超人指向”が不可欠な要素 *のように思われてならないのです。 *それが良い・悪い(=正邪)の問題ではなく、修験道というものの本質 *…というか、大きな目的として、そうした指向があるのではないかと素 *朴な疑問を持つ訳です。 たしかに、修験道は未だ人間社会に明らかにされていない真理があるこ とを肯定しております。しかし、修験道を密教の一派として理解するより は、顕教・密教の教義に囚われず、人間としての本道を実践していくこと に主眼を置いた行法そのものと考えるべきだと思います。 実のところ、細かい教えなぞというものは何でも良いのではないでしょ うか。密教だろうが顕教だろうがそのようなことはどうでも良いことです。 自分が、何宗に属しているのかもしかりです。頭で理屈をこねているだけ ならば、そのような人間は屁の突っ張りにもなりません。実践してこその 教えです。 たしかに、修験道は、五感を越えたいわゆる心の目・心の耳で、宇宙の 真理を探究しようとします。それは、人間社会に未だ明らかにされていな い真理を探るためです。また、神仏から、各聖者方から直接御教示を受け、 後世の方の思い込みや、聞き違いの入らぬ、生の教えを頂くためです。し かし、それが修験道の本質かと問われると、そうではないと答えるのが適 当だと思えるのです。強いて云うならば、特徴とでも言うべきではないで しょうか。やはり、誰でもが知っていることを少しでも実践しようと云う ところに修験道の本質があると思われます。 > 超能力を手に入れたくて行をしたところで、決して超能力は獲得できま >せん。修行の目的を験力獲得に置いているうちは、験力は遠ざかるばかり >です。そんなことはどうでも良い、自分が少しでも他の方々の力になれれ >ばという気持ちで、修行することが肝心だと思います。 * 修験道に於いて、この考え方は全修験者共通の認識とされているものな *のでしょうか。それとも、ゆきぼうさんやお師匠さんを含めた御関係者の *間だけでの考え方なのでしょうか。 修験道は大峰山系以外にも、幾つかあります。したがって、小生の申すと ころが全ての修験道に共通かと問われると、「分かりません」と申し上げる 他ありません。 * 私は今もって「修験者とは、世俗から離れ、験力を求め、厳しい自然の *中に身を置いて行をされる人」と思っております。上記のご説明では「修 *験道」であらねばならぬ理由や特徴が見られないように思うのですが(^^;)。 小生一度も「修験道」でなければならないと思ったことはありません。験 力を獲得しても、それが自分の為にしか使われないとしたら、この様なもの には意味がありません。真理を知ったところで、自分一身の中で完結してい るならば、この様なものに一体どれほどの意味があるでしょうか。験力を求 めるために行をするのではなく、全ての者の幸せのために少しでも自身の力 が役に立てばという心根が最も肝心なものではないでしょうか。験力を求め て十年二十年と山に伏すのは一般の修験者がすべきことではないでしょう。 御釈迦様や役之行者と同じ行をして、同じ「悟り」を開くことは我々凡人 には不可能ではないでしょうか。そうだとすれば、御釈迦様や役之行者が既 に我々に教えて下さっていることを、少しでも実践することに時間を費やし た方が、より意味があると思われるのですが...。 * @ 修験道の“真に”目指すものは何なのか? 万物万精(あえてこの字を使っております)の調和です。 * A 修験道が日本と日本人にとってどんな意味を持っているのか? 全ての宗教者・信仰者・真ある人間が一つにまとまって、人類全体の問題 に対応する時の接点になれると思います。と言って、修験道が偉いと言って いるわけでは決してありません。修験道を自分の宗教・宗派とは別のものと 考える必要もありません。どの様な宗教・宗派も実践を大事にされているは ずです。その部分が修験道と考えることも不可能ではないでしょう。したが って、単位は日本ではなく、地球です。  B 昔と現在とでは、修験道の目指すものが変わってきているのかどうか? 変わっていないものと思います。 なかなか大問題が多く、十分にお答えできなかったことは承知しておりま す。小生とスワミノルさんとの見解の相違はないような気がいたします。ど の部分を強調するかの差に過ぎないように思えるのですが...。ミノルさ んのおっしゃるように、験力を求めて山に伏す行者もおります。しかし、そ れはあくまでも衆生救済という目的が必要ではないでしょうか。験力は衆生 救済の手段です。 運良く自分が求める以上の験力を持たれている方に巡り会ったならば、そ の方の弟子になって、その方の手足として使っていただくのも、良いでしょ う。大多数の修験者はこちらにあたるものと思われます。 レス有り難うございました。      合 掌 ゆきぼうより - FARION MES(19):世も末ばなし ★ ぶっ飛び話・罰当たり話 95/07/19 - 625/628 PAG03543 NOISE RE^4:おひさしぶりでした。>ALL (19) 95/07/18 22:18 621へのコメント みれさん お久しぶりでございます。 東北の鬼の復権ですか。わたしは「鬼のような奴だ」といわれますが(^_^;) 神事は鬼の鎮魂に関ることと推測します。 東北といえば、『光の黙示録』のメッセージ[15]の一部に  仮宮にておわす  龍神 待つ 竜子媛  永きを待つ 巌のごと とありますが、竜子媛ってひょとして田沢湖の龍体の主、辰子姫(タツコヒメ)じゃ ないんですか。 十和田湖の八郎太郎(龍体)とのロマンスは有名な伝説で、日ユ同祖論者の山 根キクは八郎太郎=キリストという突飛な説を唱えています。もっとも現在の 田沢湖はもぬけの殻で辰子姫は今、女性に転生し東京に住んでいるとの情報も ありますが(^_^;) 会議室違いの話題でした。 626/628 GFB00026 一輝 恒武天皇…田村麿…アテルイ (19) 95/07/18 22:40 624へのコメント >#00624 みれさん まだ買っても読んでもいないんですけど、週刊ポスト連載時から注目していた井沢 元彦氏のシリーズ三冊目が本にまとまったそうです。参考になるかわかりませんが、 ご紹介します。 『逆説の日本史』3巻 古代言霊編 平安建都と万葉集の謎 井沢元彦著(小学館) たぶんこの巻で、恒武天皇の思想と性癖、坂上田村麿の行動、アテルイの行動など、 未だ知られざる三者の関係に言及していると思われます。現在の日本の状況に通ず る平和主義を打ち出し、怨霊信仰を恐れたはずの恒武天皇が、なぜアテルイを討っ たのか。この辺については様々な憶測がされていますね。 恐らく三者の死生観の微妙なズレが、皮肉にも最終的にはアテルイ側の霊性にとっ て、有利に働いたのではないかと思っています。だからこそ古代史論争に終止符が 打たれても、なお終わらないものが日本人の深遠に生き続けている。それはいった い何なのか。この霊性とは、護国(新生日本)の為に戦った特攻隊員たちの心[MES (12) NO.411]に通ずるものかもしれません。 大陸では彷徨える幽霊を”鬼”と記します。日本のように”霊”とは記しません。 香港映画でお馴染みの幼児霊キョンシーも、”鬼”に分類されます。恒武天皇が、 それまでのオニという概念に”鬼”という字を当てて、エミシを蔑んだのなぜか。 興味は尽きません。忙しさに筆をバキーと折ってしまった小生ですが、執筆応援し てま〜す。                                     一輝 627/628 QZA02327 ノロガメ RE:みれさん、今日は、ノロガメです。 (19) 95/07/18 22:52 620へのコメント          #620 みれさんへ      ノロガメ  今晩は、みれさん、RESありがとうございます。  ノロガメは宗教に魅せられていますが、組織活動には興味有りません。  宗教は今この瞬間の結果の原因を作り出す人間の言わば宗教心の元にあるものと 捕らえています。  宗教は親の愛であるとも捕らえています。  子を思う親心、うるさい親の小言が 子を持って初めて分かる親心であります。  神の働きを感じるのは 親の愛に触れるようなものであると感じています。 今難儀であると思われる事が実は神の愛である、難儀 苦労をくぐり抜けて人間の 精神は磨かれ鍛えられ成長して行きます。  人間には神に生かされる訳が分かっていない、其のことが問題の原因であり、訳 が分かると言う事、それは道理を見極める大きく広い心の持ち方の訓練でありましょ う。  神に生かされる身に何で生きることが難しいのでありましょう。  生かされる身に徹すれば、これ程容易い生き方は有りません。  全て神がいいように取り計らってくれます。  ARIONは人類の行く末を心配?しておられるように受け止めることが出来ま すが ノロガメのでしゃばりは7番では通じませんでした。  それはノロガメに原因が有ったことは認めますが、このままではいけない 其の 思いを消すことは出来ません。  この先も神がいいように取り計らってくれるものと信じて 信念の命じるがまま に求めて見ようと思っています。                             ノロガメでした。