- FARION MES( 2):Wellcome All ◆ 四次元喫茶 カルフール 95/07/26 - 04403/04403 PXH01650 英雄 あるにんげんのものがたり(18) ( 2) 95/07/25 23:18 04388へのコメント 〜洗礼(その10)〜   「気が付いたか」   ここはどこだ?若い男が私をのぞき込んでいる。大工のイエスだった。   「ううっ」   体の節々が痛む。頭が割れるように痛い。体を起こそうと思ってもまった  く言うことを利かなかった。イエスは、わたしの右手をとり、彼の右手を額  の上に置いた。頭に冷水を浴びせられたように感じ、全身が熱くなった。   僅かな時間そうしていただけで、頭痛が消え去った。軽い脱力感はあった  がなんとか自力で起きあがることができた。   「あんたは、医者の心得もあるのか。大工のくせに変わった奴だな」  そう言うとイエスは楽しそうに笑った。   「いつものヨセフだ。よかった」   「ヨハネは?」   既に正午近く、いつものように説法が始まっていた。   「すまない、修行の邪魔をしたようだ」   「いえ、かまいませんよ。それはそうと、夕べはヨハネと議論してたね」   「議論?オレには彼の言うことの大半はわかっていないよ」   「今朝ヨハネが話してくれた。あなたはよく”わかっている”と」   わかっているのは己の愚かさだけだろう。だが口には出さなかった。イエ  スは私の心を読みとったように話を続けた。   「それが出発点なんだ。己が賢いと思いこんでいる内は一向に進歩しない。    水が一杯に詰まった瓶には、それ以上水を注げないのと同じように。そ    の水が腐っていても、それを捨てない限りは、新しい水はこぼれてしま    う」   「なるほど。その喩えはわかりやすいな。さしずめ、オレは今空っぽの瓶    か。ならばいくらでも入ろうもの。ま、この年になっては酒は入らない    がな」イエスも私も、大声で笑った。   ....結局、私はあの夜、ヨハネに何を聞きたかったのだろう。思いもかけ  ない激昂に駆られて、自身の心の傷まで話してしまったのだが。「息子の死  で己を縛っている」・・・・このコトバだけがやけにいつまでも心に残っている。   親として子供を守るのは当たり前だろう。そうでない親もいるが。だが私  は、息子が誇りだったし、その将来を夢見ていた。己が果たせなかった事を  息子に託そうとしたのだ。それのどこが悪い?息子を守りきれなかった事は  己の夢すら守れなかった事と同じだろう。陣地を守れなかった提督と同じだ。  戦場ならば、その報いは死だ。だが、私は生きている。責めという重荷を背  負って。死ぬまでこの重荷を担う、それが私の報いなのだろう。 - FARION MES( 5):**/////*/////*/////*/////*/////*/////** 95/07/26 - 00166/00166 KGH02737 弥沙 私の「自分を観る」こと ( 5) 95/07/26 00:52  この1年半で思ったこと。  自分を観るって、「自分を正確に観る」ってことだと思う。  よく観すぎてもいけないし、悪く観すぎてもいけない。  ただ、よくも悪くも自分の本当の心を正確に観る...そんな気がする。  すぐに解る時もあるかもしれない。  でも、長い時間がかかるかもしれない。  ある瞬間、ふっと解るかもしれない。  「あぁ、そんなことなんだ」なんてこともよくある。  早く答えを出すことだけに心が向いて、間違った答えを作ってしまうこともある。  そして、それを「本当の自分」だと思い込んでしまうかもしれない。  また、それを人に表してしまったら、自分だけでなく人をもあざむいてしまう  ことになると思う。  それが一番怖い。  自分で腑に落ちる答えが見えない時って、自分自身を見失っている時だと思った。  先入観や大きな感情などで自分の心が覆い隠されてしまっている時だったと思う。  そういう時、ふっと肩の力を抜いてみる...  そして、心を落ち着けて、紙に「自分のこと」を一つ一つ書き連ねてみる...  相手がいるなら、「相手のこと」を書き連ねてみる...  それについて自分はどう思うのか、それが「自分の本質」だと思う。  そして、それが「腑に落ちる答え」のヒントだと思った。  この時、なるべく多くのそれに対する「情報と経験」が必要だと思う。  それがなければ、自分のことも相手のことも誤解してしまう。  何かの拍子に「直感」を得ることがある。  それは、いきなり「腑に落ちる答え」を得る時だと思ってる。  もしかしたらその直感を得た時って、そういう「情報と経験」が「表の自分」に、  覆い隠されてる「自分の本質」の声を知らせた瞬間かもしれない。  でも、その時にまだ「自分の本質」が、何に覆い隠されているか分からないまま  ならば、「答えは分かるけど、なぜそう思うか」が分からないと思う。  その時、情報と経験を一つ一つあげて、自分の心に照らし合わせてみる必要が  あると思う。そうしていけば、「なぜそう思うか」が分かると思う。  それが、「自分の本質」そのものだと思うから。   いつも「表の自分」が「自分の本質」である為には、自分の心が  先入観や大きな感情などで覆い隠されていないかどうかを、常に確かめて  いなければならないと思った。  そしてその状態で、得られる情報と経験を、常にその「自分の本質」と  照らし合わせていく。  そうすれば、すぐに直感を得られるのではないかしら。  私の場合、「腑に落ちた答え」を手にした時には、自分の中でぽんっと  何かがはじけたような感じがする。  霧が晴れて、そう快な気分になる。それが合図なの。  そうして「腑に落ちる答え」を見つけた時、何かできると思えばすればいいし、  できないと思うのならばしなくていいと思う。  「できない」ことを無理にする時、裏目に出ることもあると思うから。  私はそれを、その時の自分の責任や状況で判断している。  また、過去の自分から何かを学んだら、その過去を捨て、今の自分に  生かさなくてはならないと思う。  同じ失敗をくり返さないようにすること...、  それは、自分を変えることだと思う。  自分を観るのは「前向きな生き方」をする為だと思うから。                                 弥沙  - FARION MES( 5):**/////*/////*/////*/////*/////*/////** 95/07/26 - 00167/00167 SGW00342 エスペラント RE:私の「自分を観る」こと ( 5) 95/07/26 21:25 00166へのコメント #00166 弥沙さん  こんにちは、弥沙さん。  自分を観ることって、すごく難しいですよね。  特に相手がいて、会話をしている時なんかは、  自分を見失ったり、取り乱したり、支離滅裂になったりするのが、  とても恐いなと思います。  僕の場合、相反する自分が絶えず葛藤していて、  それは理屈っぽい自分と、意味不明な自分なのですが(笑)、  その葛藤状態は、結構辛いものがあります。  最近では、両者がバランス良く保たれているのが  本来の自分のありかたなのかも知れないと思い始め、  といっても、理屈っぽく、かつ意味不明だと困りますので、  理屈っぽさと、意味不明さを自由自在に制御出来るようになるといいな  なんて思っています(冗談だよ)。  ..とりあえず〈調和〉というのが非常に大切なのでしょうね。  明るい自分も、暗い自分も、くつろいでいる時も、思い詰めている時も、  その一瞬一瞬が自分の本質だし、全体を通して見れば、  どれも大切なことで、否定したり、取り外したりしなくても  良いのではないかと思うようになってきています。  今の自分の視界に入ってこないところに、なお、  何か大切な本質が隠されているんじゃないかって思うことはありますし、  それを強く求める気持ちは、今でも強いです。  求めても得られないというのは、すごくもどかしいけど、  そういうふうに強く求めることによって、  少しずつ近づいてくるものなのかも知れません。   > 私の場合、「腑に落ちた答え」を手にした時には、自分の中でぽんっと > 何かがはじけたような感じがする。 > 霧が晴れて、そう快な気分になる。それが合図なの。  僕の場合、そういうふうに答えをつかむことは滅多にないですね。  一生懸命になって、色々やってみて、結局納得いく答えはでなかったけど、  自分の限界に到達した..ような感じがして、もうこれ以上できない!  しょうがないな..とりあえず、これで終わりにしよう..    という感じで、しばらくぼうっとしているうちに、いつの間にか、  自分の中で何かが終わって、何かが始まっている..ということが多いです。  いつまでたっても、本当に腑に落ちることはないのかな(^^;    この前も、7番会議室で会話していました。  結構僕なりに全力は尽くしたつもりだったけど、  やっぱり所々、甘い、いい加減なところが埋めきれなかったし、  結局、腑に落ちる会話としては終われなかったようです(^^;  でもなぜか、あまり悔いは残っていないんですけどね。  とりあえず今の自分の限界にぶち当たれたことが嬉しいかな..と。  で、しばらくは“会議室”への発言はお休みです(^^;  去年の9月初旬の頃のようなペースに戻せるといいんだけど..。  日常の方は、大学の試験があと幾つか大事なのがあって、  その後は、サークルで合宿行ったり、友達と色々企画したり、  バイトの方で、結構大きな仕事を任されましたし、  忙しく楽しくなっていきそうです(^^)。  自分を観ることに関しては、  その中で継続的にできることを見つけました。  本当の自分と、偽りの自分とに分けるというのは少し疑問あるけど、  少し〈呼吸〉することの意味を考えつつ、  いつでも自分がしている〈呼吸〉の中から、  自分を本質を見つめ、高めるための方法・姿勢を色々探っています。  またそのうち報告しますね。  ではでは。                        エスペラント  - FARION MES( 7):自己対面鏡 ★ ARIONを鏡にして 95/07/26 - 06285/06289 GED03377 えの RE:自由って何? ( 7) 95/07/26 13:09 06259へのコメント E  初めまして、「えの」と申します。  休み時間に、何気なく「自由」についての討論を読ませて頂きました。  私にとっての「自由」とは、「束縛」・「権利」・「責任」という社会的な概念?  とは別に存在しているものであると思います。(信じていますかな?)  権利、責任、束縛とは、個人が属する社会の中で生じるものではないでしょうか?  もともと私たちの存在は、社会に属するものではなく、社会の方こそ、それを創造し  た、私たちに属するものではないでしょうか?  そういう意味では、真に私たちの「自由」を妨げているものは、私たち自身の思いこ  みではないのか?  つまり、自分自身にとって、自由を与えるのも、奪うのも自分自身ではないのか?  と私は考えます。  ということで、「存在」=「自由」という  ARIONの言葉は何となく理解できる気がします。  気まぐれな割りこみでした。スミマセン・・・。(^^;                              GED03377 えの - FARION MES(10):夢鏡/幻紀行 ★ 夢解釈/カスタネダ研 95/07/26 - 00903/00905 MXC03257 イストラン スクナさんはスウさんを愛しているね (10) 95/07/26 21:53 コメント数:1  いや冗談ですよ、ジョーダン!    ふうむ。難しいな。  ここの研究室はもともと夢が主体だったの  でしょう。だからカスタネダにアプローチする  のも夢から入る。しかしカスタネダとは  そもそも全体性だ。夢現象にのみ意味を持つもの  ではない。その差異がスクナさんを当惑させて  いるのではないのかにゃ。  そしてその全体性の狂気=凶器の中にスウさんを  巻き込むことが妥当かどうか呻吟した。  そこでみれさんが「なめている」  ことになりはしないか、と言ったのね。  全員発展途上だと。  私はスクナさんを非難し、えのさんはスクナさんを  守ろうとし、月影さんは(月影さんてVANのどこか  でお会いしたような)まあまあと仲裁したのですね。  ふうむ。このフォーラムは予想以上に配慮が  飛び回るのね。  だけれどもスクナさん、私たちの真の問題はそういう  ものでしょうか。  我々はあまりにスケールの大きな魂に狂っている。  よって、それについて語ることがしんどい。  あまりに深刻なんで真面目な人ほど沈黙する。  貴方とスウさんはカスタネダがフィクションを書いたということ  で合意していたが、私もそう思う。多少さめた目でこの狂気に  ついて語れる機会は逃したくはないんだが、いかんせん  相手が相手だ。だからね−−−ゆっくりお話ししたいですね。  それにしても850あたりまで書いていたカスタネダ狂徒は  みんなどこに行ったのだろう。ぽっと湧いて出た私みたいなのに  言いたいことを言わせておいていいんだろうか。  どうなっても知らないじょ(^_^)。                    IXTLAN 00905/00905 SDI00635 みれ RE:スクナさんはスウさんを愛しているね (10) 95/07/26 22:13 00903へのコメント  #00903 イストラン さん  どうも、いつも興味深くお話をROMさせて頂いております(^_^)  私のドンファンやカスタネダへの興味は、ARIONとの関りとい う体験からなんです。このARIONが曰く、ドンファンの師匠の師 匠をARION達が指導したということです。これは、まだカスタネ ダを全部読んでもいない頃に私がカスタネダ読者に聞いて、名前を確 認したりもしましたが、実際にARIONの言った師匠の名前はあり ました。本を読む前から色々と聞いていて、それを本の中で確認する というようなことが何度もあり、この本を読まざるを得ないという状 況に知らず知らずの内になっていたんですよ(^O^;)  それでついに、この何巻もあって読破するのが大変そうに見える、 カスタネダの本を読むことになったわけですが、この本に書かれてあ る内容の中にARIONが話してくれた事以外にも、実に自分の体験 した色々な事柄が寓意的にですが書かれてあることで驚きもし、感嘆 もしました。ああした特異な体験を本に著すことなど、私には到底考 え付かないことでしたからね(笑)  私はこの通りの記憶力の悪さで、カスタネダももう一度読み直しを しなければ、皆さんの会話には交じれませんが、もしかしたら体験し た事柄の中で、皆さんのご興味に沿うようなことがありましたら、役 に立てたいなと思っています。  勿論、私の話すことが眉つばものだ‥と思われる方が多いようでし たら控えます。信憑性云々の話になてしまっては、話したいことも話 せなくなりますからね(^^;)  スウさん、アラミスさんに断って、カスタネダ内外の研究をガンガ ンやりましょうか‥勿論、夢の話も歓迎ということで‥。 ・:*:・みれ・:・。,★