- FARION MES( 5):**/////*/////*/////*/////*/////*/////** 95/07/28 - 00169/00169 SGW00342 エスペラント 本当の自分と、偽りの自分? ( 5) 95/07/27 22:56  こんにちは、エスペラントです。  実はずっと前の某会議室における問題提起に対して、  ある程度納得のいくプロセスが見つかったと思うのですが、  その後、会議室の性質も変わったことだし、  こっちに書き込みます(静かな環境が好き)。  「自分を観る」上での葛藤なのですが..、  よくしばしば、理想と現実の葛藤と言いますが、  実はこれは正しくないのではないかと思いました。  理想は理想、現実は現実で、別個に葛藤しているのではないか、  というのが私の体験してみる限りの意見です。  そこで言葉遣いを区別して、対象とする自分については、  現実の自分→【既知】の自分、理想の自分→【未知】の自分、とし、  今いるポジションとしての自分については、  〈現実〉方面の自分、〈心〉(魂?)方面の自分とします。  これだけじゃ分からないので、  チャートしてみます。   【既知】 「今の私はおかしい(偽りの自分)」     〈 心 〉            ↓↑                  ↓↑          「でもなくすことができない(そこにある)」 〈現実〉  【未知】   「こういうふうになりたい(本当の自分?)」 〈 心 〉            ↓↑                  ↓↑          「でも実現されない(そこにない)」     〈現実〉  なんとなく、わかるでしょうか?  一見ごちゃごちゃしてますが、少しは整理されたと思います。  事態が複雑になるにつれて、これでもさらにごちゃごちゃしてきますが..  それはそうとして、  【既知】との葛藤、【未知】との葛藤は共に深刻な場合には、  〈心〉方面と、〈現実〉方面との間を激しく往復して  結構辛い!ということがあると思います。  そこで、どうしたらいいのか..ということになりますが、  発想の逆転で、2つの葛藤を同時に展開してみたらどうなるか?  ということを考えてみます。  すると、劇的な変化として、  『葛藤は往復せず、回転する』!という状況が発生します。  これだけじゃ分からないので、  チャートしてみます。  | | | |  現実の中に本当の自分がいない ←  心の中に、本当の自分がいる  ことを肯定する        |  ことを肯定する(イメージする)       (1)        |        (4)                  |   | ―――――↓―――――――――+――――――――↑――――――――                 |                 |                 |  心の中で偽りの自分がいない  →  現実の自分が、偽りの自分である  ことを肯定する(掘り下げる) |  ことを肯定する      (2)        |        (3)                 |                 |  実は、回転の方法については、  本当にこれで完璧なのか、すごく自信がないのですが..  この方法で、意識を回転させると非常に大きな利点があります。  それは..『葛藤の振幅が大きい時、葛藤の回転速度が遅くなる。』  ということです。極めていい加減な理系的発想ですが..(^^;  そのことを実感した時には、自分でも驚きました。  こいつは使える! と思いましたね..フフフ。  ま..とりあえず、今回はこの辺でとめときます。  実際に試してみると、この方法の効果は割と分かりやすいのですが、  説明するのは少し難しいです。  本当はここまでは数ヶ月前にできあがっていたのですが..  分かりやすく説明出来ない(^^; ので苦労してます。    今回思い切って、不完全なままアップしてみました。  もし何かあれば指摘してくださると嬉しいです>ALL                         □ エスペラント (○ - FARION MES( 7):自己対面鏡 ★ ARIONを鏡にして 95/07/28 - 06301/06306 QZG02773 ウルヴィー 自由:わが所見 ( 7) 95/07/27 21:41 コメント数:1  どうも、みなさんの自由についての会話、興味深く承っておりました。 私にも少し言わせてくださいな。  ではまず、私がこの会話を読む前に思っていた自由について。  私は自由とは、「自らのうちに由があること」だと思っていました。  つまり、外部からの由によってではなくそのもの内部からの由によって 動いたり活動したりする状態のこと、だと。  人間について言えば、外部(親や先生、会社や学校、世間や社会)から の原因によるのではなく、自分内部の中にある原因による、ということです。  もちろんこれは漠然と思っていたことでした。今回、みなさんの会話を見 て改めて自由について考えたことは、  普通一般に言われる自由とは、実は何らかの条件が付いている自由だと 言うことです。  言論の自由や、結社の自由は、言ったり論じたりすることや団体を結成 する事に関して、世間(それは法律であったり、近所の目であったりする のだけれど)からなんの干渉も受けないと言うことですよね。  このように、普通言われる自由とは何か限定された条件に対して初めて 発生する概念だと思うわけです。  どんなに人間が自由だと言ったところで、「人間であること」から自由 になれる(それはつまり人間でなくなるということなんだから)人間は一 人もいないわけでしょう?  自由という言葉や概念、それだけを取り出して論じるのはただの言語学 あるいは論理学になってしまうと思うんです。自由を語るときは自由その ものについて語るのではなく、その条件について正確な一致を見なければ ならないと思うのですが、いかがなものでしょうか。  しかしみれさんの言っている自由についてはどうなのだろう。  これは直感に近いものなんだろうけど、みれさんの言っている自由とは、 そういう条件付きの自由ではない自由の気がするんですよね。  これも直感にしか過ぎないのだけれど、この条件の付いていない自由と いうのは、”自在 ”に近いものなんではなかろうか。そしてそれはキリス ト教のアドーナイと発音される神の御名が、「ある」という動詞から派生 したと思われることと無関係ではない気がするのですが。  これは余談ですが、今回自由ということを考えていて、「言葉の絶対性」 ということに思い当たりました。これについてはまたまとめて、別途アッ プしたいと思っていますので、その時にはよろしく(7番向きになるか他 にアップするかはまだ不明ですが)。       京都への行き帰りでいろんなことを考えたウルヴィー       は、本日帰ってまいりました。 06306/06306 VED01575 VOL DE NUIT RE:自由:わが所見 ( 7) 95/07/28 01:23 06301へのコメント こんにちは、ウルヴィーさん。 >  普通一般に言われる自由とは、実は何らかの条件が付いている自由だと > 言うことです。 >  言論の自由や、結社の自由は、言ったり論じたりすることや団体を結成 > する事に関して、世間(それは法律であったり、近所の目であったりする > のだけれど)からなんの干渉も受けないと言うことですよね。 >  このように、普通言われる自由とは何か限定された条件に対して初めて > 発生する概念だと思うわけです。 ここでウルヴィーさんが言われている「普通一般に言われる自由」は、他者に 対する「自由」ですね。世間では確かに、自由と言う言葉をこんな風に使いま すね。これは間違っていると、私は思います。誰しも、他者に対する「自由」 など持っていない。他者に対して持ちうるのは「権利」であって、決して「自 由」ではない。自由は自分自身に対してのみ持ちうるものだと思います。試し に、世間一般で言われている「何々の自由」という表現を「何々の権利」に置 き換えて見ると、「自由」という言葉が正しく使われているかどうか確かめる ことと、「自由」という言葉の前におかれた「何々」の正体を吟味することが 出来ると思います。 >  しかしみれさんの言っている自由についてはどうなのだろう。 >  これは直感に近いものなんだろうけど、みれさんの言っている自由とは、 > そういう条件付きの自由ではない自由の気がするんですよね。 >  これも直感にしか過ぎないのだけれど、この条件の付いていない自由と > いうのは、”自在 ”に近いものなんではなかろうか。そしてそれはキリス > ト教のアドーナイと発音される神の御名が、「ある」という動詞から派生 > したと思われることと無関係ではない気がするのですが。 自由とは、生きている人間が自分の良い変化の可能性を発見する時の具体的な 感じかただと思います。あまりにも具体的なので、言葉で言い表しがたく、抽 象的に表現するしかない。それで、「自由とは抽象概念である。」という誤解 が生じ、自由を抽象的に定義するようになる。本来の自由をとりあえず言葉に 載せるための手段に過ぎなかった抽象的概念としての「自由」が、いつのまに か自由そのものだと思いこまれてしまう。本来の具体的な自由を、宙に浮いた 抽象的操作に閉じこめずに言葉に載せるには、どうしたらいいか? 人間が感 じる具体的な自由を、本当に表現している言葉はあるのか? それはどんな言 葉だろうか? 自由のまことの名は? ちょっとロマンチックですね。 VED01575, VOL DE NUIT