- FARION MES( 2):Wellcome All ◆ 四次元喫茶 カルフール 95/08/01 - 04415/04420 PXH01650 英雄 あるにんげんのものがたり(19) ( 2) 95/07/31 22:46 04403へのコメント 〜洗礼(その11)〜   ふと、妻を思い出した。己が腹を痛めて産んだ子を夫の不注意で失ったの  だ。ひょっとしたら、彼女は私を憎悪しているかもしれない。私は妻との会  話もロクにしていない。ほとんど家に戻ることはなかったし、わたしが退役 する頃には、彼女は子供をすべて失ったことのショックのあまり口がきけな  くなっていたのだ。   母はどうだ?世継ぎがないのだ、私には。家系が絶えるのだ。母も妻と同  じように心の奥では私を憎んでいるのだろう。なんてことだ!すべてが私の  せいではないか!これでは私は生ける屍に過ぎないではないか。いったいこ  んなにまでして生き延びる必要などあるのか?身内には憎悪され、自分の誤  りを背負い、老いさらばえた無様な姿をさらして・・・・・おお...   ・・・・戦場も地獄だったが、ここも地獄だ。この世はどこに行っても地獄だ。  人間なんてのはしょせん地獄をはいずり回るしか能のない地虫ぢゃないか?  鳩や蛇の方がよほど賢いのかもしれん。生きるも能ず、かといって死ぬのも  能ずーーー勝手なものだな、戦場ではあれほど生を望んだ。しかし、いった  んそこを離れれば戦争で死ねばよかったと思う。息子がもし生き延びていさ  えすれば、こんなことは思わないだろうに・・・・   不意にイエスがそこにいた事を思い出した。  「イエス、あんたは死にたいと思ったことはないのか」   イエスは私の突然の質問にたじろぐ様子もなく、しばらく私をじっと見つ  めていた。イエスの目は限りなく澄んで深い。しかしその眼差しには、まる  で幾多の戦場をくぐり抜けてきたような強さを持っていた。聞いたわたしが  たじろくほどだ。  「それに答える前に、逆に聞いていいかな?」  「ああ」  「死んでどうしたい?」  「死ねばすべて終わりだろう。こんな頭を悩ませたり、老いた体を引きずる   必要もなくなるじゃないか。サッパリだ、せいせいする」  「ということは、今抱えている問題から逃れたいからだね?」  「ああ、もう考えたくもないんだ。おれにはもうどうすることもできん。生   きる意味なんかどこにもない。厄介ものなんだよ、おれは。誰もおれを必   要としていない。世継ぎもいない、自分の家族を守れず己だけが生き続け   ている、こんなみっともない話があるか?なんでおれは息子の代わりに死   ななかったんだ、とな」  「ヨーセフは、息子の死を自分のせいだと思っているんだね?」 - FARION MES( 7):自己対面鏡 ★ ARIONを鏡にして 95/08/01 - 06329/06336 HQH01145 蜥蜴 RE:わりこめ ( 7) 95/08/01 00:18 06324へのコメント #06324 維/YUIさん >みれさんとのやりとりを読んでいて、蜥蜴さんの自由というのは、それが >あってはじめて人は完全になる・・・というような考えに基づいているの >かな・・・と思ったのですが、そうですか? 蜥蜴のいう「自由」=「責任ある意思決定のできる状態」を完全に全うできる のは、「神」しかいない、という意味です。蜥蜴は人間は不完全である、との認 識ですから、完全な「自由」がなくとも人は人として完結しています。 我々は限定された「自由」しか手に入れていない。そして、完全な「自由」を 求めて行く、これが人生ではないか、と思うわけです。 しかし、人間である限り、どうあがこうと完全な「自由」を手に入れることは できない。なかには、自由の重荷に耐えかねて「自由からの逃走」をする人々が でてくるわけです。「自由からの逃走」をする人々は、自己の外に絶対者を認め て、自分はそれに従う、という奴隷になりさがります。 * 蜥蜴の主張は、「絶対者の奴隷になるな、自らが自分の人生の絶対者となるべ きだ」ということです。 従って、ARIONのいう「自由」=「自己存在理由」を希求せよ、について は、「自己存在理由は希求するのではなく、自ら責任を持って決定するものだ」 といいたいところです。 * でも、ARIONの言葉を全て読んでいるわけではないので、何か場違い、と いうか、次元が違うお話をしてしまったのではないか、と思い始めています。 悩む 蜥蜴 06326/06336 GGA02514 KAZE 自由への道 ( 7) 95/07/31 19:59 コメント数:1 先週の土曜日、ぼくの上京を迎撃してくださったときに、 みれさんともいろいろお話することができたのですが、 そのオフがらみで、メールで少しお話しました。 で、その内容がけっこう参考になるのではということで、 みれさんのほうからこの会議室でその内容を、というお話がありましたので、 それをご紹介してみたいと思います。 もちろん、それだけでは不十分だと思いますので、 それを少し補足してみたいと思います。 まず、参考になるという、ぼくからみれさんへのメールの部分です。 > ぼくとみれさんとはどちらかというと現われ方が逆の部分が多いようですが、 >それがかえってぼくにとっては「観察」の格好な材料になります(^^;)。 >そしてそうしたなかで、根底で共通するものがあることがわかったりすると >けっこううれしいものです(^^)。 >「違い」があるからこそ、そこに「鏡」を磨くプロセスが生まれるんですね。 >「同じ」だとそこに自分が映っているのに気づきませんから。 >でも、多くの方は、「違い」を「敵」と思いこんでしまったりするから、 >そこでプッツンしてしまうことがあるようです。 >たぶん、自分のなかにある拘りや恐れなどを何かにすり替えてしまうんでしょう。 >そうしたものを直視するのは、とっても勇気のいることですが、 >つらくてもそれを見ていかなければ自由を獲得することはできないんですよね。 ぼくは、このFARIONの最初から会議室をもって参加していますし、 FMISTYのARIONの会議室に参加したときから数えますと、 みれさんとは約4年ほどのパソ通でのつきあいになるのですが、 実は、なぜか最近になるまでそんなにお話することはなかったんです。 ARIONとも4年ほどまえの最初の頃を除けばまるで話してません。 別に深い意図があったわけでもなんでもなくて、 ぼくとしては自分なりのテーマの展開できる会議室があればそれでよくて、 それ以上のことを望まなかったというのもありますし、ほんとうのところをいうと、 あまり近づきたくなかったというのも少しはあります(^^;)。 たぶん、みれさんに対して、ぼくは自分との「違い」の部分を かなり強く感じていて、わざと距離をとっていたということだと 今になってみれば思ったりもしています。 でも、そんなにそれを深く意識していたわけでもなくて、 けっこう自然にしていればそういう状態になったということに過ぎません。 でもって、そうしている内に数年が経過していまして、 つい最近になって、少しずつ話すようになってきていました。 そういう流れのなかでの上記のメールの内容であると思って下さい。 ぼくとみれさんというのは、上記にもあるように、 「現われ方が逆の部分が多い」ように思うんですけど、 少し深く話すようになると、「根底で共通するものがある」ということが 次第にわかってくるようになりまして、そのことをいろいろ考えてみますと、 その「違い」の部分こそが「鏡」になって、自己認識を深めることができる。 そういうことを具体的に強く感じるようになったんです。 「違う」からこそ「鏡」になってくれる。そういうことです。 ですから、むしろ、「同じ」だと自己認識の鏡にはなりにくいわけです。 そこで、大事なことがでてくるのですが、 それは、その「違い」をプラスにとるかマイナスにとるかということです。 「違い」は「敵」で、「同じ」は「見方」というふうに認識してしまうと、 その人間は、非常に独善的になってしまって、 自分を成長させることができないのではないかと思うわけです。 つまり、ほんとうは自分のなかの闇の部分として自己認識できない部分を どんどん闇の闇へと葬り去ってしまって、その闇が怪物化するということです。 その闇というのは、通常、自分にとってはふれられたくない弱い部分として なんとなくわかっていているものだから、そこからできるだけ逃げようとし、 その部分を「他」に見つけてしまうと、それを攻撃の対象、つまり「敵」として 対象化するようになります。 実は、その闇の部分を直視していくこそが、自分の可能性を広げ、 自分を成長させてくれる原動力になるのですが、 それには、ほんとうの意味での勇気が必要とされるように思います。 つまり、自分の弱さをちゃんと自分で認め、 それを克服するべく努力するということです。 もちろん、その反面として、自分の強さに驕らないということも必要です。 そして、それこそが、「自由への道」にほかならない。 そうぼくは思っています。 以上、みれさんとの話を少し解説してみました。 ご参考になれば幸いです。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 06331/06336 SDI00635 みれ RE:自由への道 ( 7) 95/08/01 01:22 06326へのコメント  #06326 KAZE さん  早速のUP、ありがとうございました(^_^)  実にKAZEさんの言われる通りです。  私も最初の頃は、KAZEさんって苦手なタイプかな(^^;)と思い、あまり 深いお話はしていなかったんですよね。これって以心伝心っていうのか、 なんていうのか(笑)  お互いに「かなり違いがある」と認識することが、敵味方的な二項対立 図式の中にはまりこんでしまうと不幸な結果になるように思います。  幸いなことにKAZEさんも私もそうならないで済んだので、何年もお互い を不思議がって見ていれたんだなぁと思います。自分と大いに違うことが、 決して自分を(或は相手を)排する(される)ことに繋がらないという、 とても良い例だと思いましたので、KAZEさんにここにUPして下さいとお 願いしたんです。  パソ通では一般社会と異なる時間が流れているように感じることが多い と思います。一般的な社会で3日空いたって「ひさしぶりぃ〜」とは言わ ないのですが、パソ通では3日空いたら「ひさしぶりぃ〜」になります。  パソ通では、なんとなく濃密な時間が速く流れているように思えます。 そんなパソ通の中で、何年もの間お互いに「自分と違うな」と感じつつ、 でも敵味方意識も持たないで来れたのは、実に喜ばしいことだと思います し、これはKAZEさんのジックリゆくキャラクター(なんか変な言い方です が)に依るところが大きいと思います。  じっくり相手を観察することから始めて、相手が自分と大いに異なる場 合に「気が合わない」とか「分かってくれない」と考えずに、異なるから こそ見えるものが多いんだという面を大切にしてゆくべきだと、つくづく 思いました。私は、KAZEさんとのやり取りで色々と考えさせられました。  私達は、生活していて表面的な部分での同調を周囲に求めることが多い のでは無いか?‥と自問自答してみるのもいいかと思います。  自分と異なる意見を持つ相手に対して「なんで分からないんだ!」と苛 ついたりするのは、相手に同調を求めるからに外ならないことで、ここで 何故、自分は同調を求めるのか?を考えるべきだと思います。  以上、KAZEさんと私の体験を皆さんにお話したことで、そこから何かを 学びとって頂けたらいいな、と思っています。 ・:*:・みれ・:・。,★ 06332/06336 VED01575 VOL DE NUIT RE:自由とは自分の存在理由だということ。 ( 7) 95/08/01 01:45 06319へのコメント こんにちは、みれさん。 > 「選ばされた」という観点について、私は理解しにくいんです。 「選ばされた」というのは感じかたです。何かを自分の意に反して選ばされた と感じる、ということです。そういう感じかたの中にいようと、事実として存 在する自由が、人間にとって現実的な自由だと思います。「楽だろうと、苦し かろうと、あたりまえの事実としてある自由」の一方の極の例として言いまし た。「選ばされた」と感じていようがいまいが自由を感じることはできると思 います。ただし、「選ばされた」という感じかたをしているときには、自由は 「失われた自由」としてより強烈に感じられると思います。 「選ばされた」と感じていようと、「失われた」と感じていようと、感じかた を超えて、具体的な事実としてあることが出来る何かとして自由をとらえてい ます。そして、「良い変化の可能性を発見するときの感じかた」が、自由の証 拠として自由そのものと切り離すことのできないものだと思います。 人間の失敗とか暴挙とか言ったものは、むしろ、人間の「不自由」として論ず るべきだと思います。この区別を行わないと、他人事ではない自分自身のこと として「自由」を論ずることができなくなります。だれかの失敗や暴挙をその 人間の「自由」と呼ぶことは、あくまで他人事の論理に属することだと思いま す。また、この区別をすることにより、事実としての人間の自由の基盤と限界 をはっきりさせることができると思います。 >  例えば昨日からのある仕事をしている時に、上司から「悪いが、その仕事 > を置いて〜〜をしてくれ」と言われたとします。それで私は自分の手掛けて > いた仕事を置いて、上司の依頼の仕事を先に片付けようとします。そこで私 > は「仕事を選ばされた」ことになるのでしょうか? > > (中略) > >  話を戻して‥。で、上司の仕事をするならば自分の仕事の納期が間に合う > かどうか?が気になります。で、上司にその旨を伝えます。「そちらの仕事 > をしたいと思いますが、私の仕事の納期が遅れる可能性も出てきますので、 > そちらの納期を順延する方向でやってみます」と。そしてこれらの場面の中 > で私は常に「自分が選んでいる」感覚を持っています。 自由の実例かもしれませんね。自由は、「何々だ」とも「ある」とも「ない」 ともはっきり言えないのかもしれないと思います。「良い変化の可能性を感じ ることが自由の証拠だ」と言いましたが、「良い可能性の感じ」が自由とは無 関係に現れない保証はありません。自由ならば、必ず「良い可能性の感じ」が あるけれども、「良い可能性の感じ」があるとしても、自由とは限らない。自 由はあたりまえの事実で表現するのが唯一の表現方法かもしれません。 VED01575, VOL DE NUIT - FARION MES(15):マホロバ誕生 ★ 大和魂復活のために 95/08/01 - 00224/00224 KFQ02761 しまうま 日本は新世紀に何を失うか (15) 95/08/01 06:25 :特に、あなたがた日本人は先祖代々受け継いできたモノ(力と言っても良い)を、 :新世紀に失うか、どうかの瀬戸際にあるので、頑張って欲しいと思う。             (「ARIONより全ての人へ」[91/06/07 22:24]より)  これを読んで思ったのは、「日本と日本人がどうなろうとも、どうであろう とも、とりあえず“新世紀”は来るんだろう」ということだ。  僕はなんとなく、日本と日本人が本領を発揮しなければ、新世紀は来ないん じゃないかと思っていた。しかし上記のARIONさんの語調からすると、い かなる形であれ“新世紀”は来るようだ。日本人が腑抜けてぼやぼやしていて も、予定通り“新世紀”は来る。それは少々予定よりもいびつな形になるかも しれないし、あるいは何かしらの欠陥があるかもしれないけれども……。  僕たち日本人は受け継いできた力を、新世紀に失うのか、それとも生かすこ とができるのか。そしてその力とはどんな力なのだろう?  上記のメッセージには、以下の文章が続いている。 :日本人、日本という言葉が歴史書だけの記録とならない為にも。 :その為に、何を具体的にするか? :あなたがた、一人一人が次にあげる事等を真剣に考えてみて欲しい。 : :「明日、死ぬとしたら、今、何が大切なのか?」 :「政治や経済から目を背けず、何が行われているか見張る」 :「たった人りの実行でも理想は現実となる」 :「他人にも自分にも正直であること」 :「嘘と方便は異なる、嘘は相手も自分も活かさないが、方便は活かす為にある」 :「自分と自分の身内だけ良ければいいという考え方が、この日本を駄目にした」 :「当たり前のことを当たり前と言えない、表現できない社会を作るな」 :「自分と呼ぶ個体は、この世界中に満ちている」 : :流言飛語に惑わされずに生きる為には、自分の歩く方向に自信を持てなくてはならな :い。その為に、一瞬一瞬を精一杯生きることを目指して欲しい。 :あなたがたに出来ることは沢山あるのだ。 :まず、あなたから今までの考え方や生き方を検討してみて欲しい。