- FARION MES( 2):Wellcome All ◆ 四次元喫茶 カルフール 95/08/05 - 04432/04433 PXH01650 英雄 太陽炎光、再び現る! ( 2) 95/08/05 02:34   去年の8/1〜3まで、正午時間帯に太陽炎光が目撃された。本年も1日  から3日間、空に様々な現象を目撃した。   8/1(火)朝。目覚まし代わりのFM放送の天気予報で、アナウンサー  がこう言うのを聞いた。「....夏ですが、まるで秋のような雲が点々と浮か  んでいます....」はたして外へ出てみると、なるほど、気温は既に30度近  いというのに空だけ見ると、澄んで高く、刷毛で描いたような雲が一面に乱  舞している。まさしく秋の空のようだった。夏とは思えない空の姿だった。   8/2(水)夕。帰ろうと会社を出ると、夕焼けのとてつもない美しさと  荘厳さに思わず絶句した。空は澄み、茜色に染まった美しく優美な雲。これ  程の美しさは、何十年ぶりだろうか。   8/3(木)昼。太陽に炎光が!去年の今頃に見たものと同じものだ。円  周部は虹色に輝き、まるで炎のような形である。   これらはすべて浜松にて目撃されたものである。他地域ではどうだっただ  ろうか?    スカイ・ウオッチャー☆英雄 - FARION MES(13):神秘学遊戯団 ★ 限りなき神秘への航海 95/08/05 - 03137/03144 GGA02514 KAZE シュタイナー:薔薇十字会の神智学●V-1 (13) 95/08/04 18:25 ●ルドルフ・シュタイナー「薔薇十字会の神智学」(平河出版社)読書会 <V-1/死後の生命・物質界への再受肉> --------------------------------------------------------------------------- また、かなり時間があいてしまいましたが、懲りずに読書会を続けます(^^;)。 これまでふれてきたことともかなり重なりますが、この章の最初には、 この地上世界だけで共同生活が行なわれているのではなく、 高次の世界においても共同生活が行なわれているということが述べられています。 地上で作られた人間関係は霊界でも継続されるというのです。 それについてここではいくつかの例が挙げられています。 「母と子」、「友情、仲間意識」といった例です。 まず、「母と子」ですが、「地上で作られるよりも遥かに密接で、 遥かに強固な結びつきが存在する」といいます。   母性愛は最初、動物的な性格を有した自然本能として生じます。子供が成長す   るにつれ、母親と子供との関係は道徳的、倫理的、精神的なものになっていき   ます。母と子がともに考えることを学び、共通の感情を有するようになると、   自然な本能を後退していきます。自然本能は最も高い意味での母親と子供の愛   の絆を与えるために存在するのです。相互の理解、真心からの愛へと発展して   いくものは、母か子のどちらかが先に亡くなって、後に残った者から切り離さ   れたように見えるときでも、霊的な領域で継続しているのです。地上で作られ   た絆は、死によって物質的な結びつきが絶たれた後でも、いききとした密接な   ものでありつづけます。母と子はともにいます。ただ、動物的な、自然本能か   ら脱しなくてはなりません。地上で、魂的感情、魂的思考としてある人からあ   る人へと紡がれていくものは、霊的な領域において、地上に存在するような制   限に妨げられることはありません。そのうえ、神界においては地上で形成され   た関係が目に見える形態を持つようになります。(P67-68) ぼくはどうも母性とかいう表現に対して苦手なところがあって、 「アブジェクシオン」というような母性が子供を取り込んで食ってしまうような そんなイメージのほうがピンとくることが多いのですが(^^;)、 そうした個人的な傾向性は横に置いておくとしまして、 確かに、母の愛を動物的なありかたをまず基盤としながら、 それを母胎として発展していくものととらえたときに、 その重要性をあらためて再認識する必要があるように思います。 ただ、あくまでもその愛を高めていくということが前提となっていますので、 高められない愛はそれなりに浄化される必要があるのは忘れてはいけないでしょうね。 しかし、どうもぼくの個人的な今回の地上生というのは、 家族や血縁とかいったことの関係性の度合いが希薄なようですので、 「母と子」といわれてもまるでピンとこないのですが、 こうしたことはそれぞれの人の傾向性によってさまざまななのだろうなと思います。 続いて、「友情、仲間意識」について。   魂的親和力から形成された友情、仲間意識は神界においても継続します。この   関係から来世における社会的関係が発展していきます。地上で魂的な関係を結   ぶことによって、神界のある形態に働きかけることになります。人から人へと   愛の絆を架けることによって、神界の形態に働きかけるのです。このことを通   して、私たちは地上にとって意味のあるものだけではなく、神界における関係   を創造します。愛と友情を通して地上でなされる相互理解は霊界に神殿を建立   するための礎石であり、この確信を抱いた者にとって、地上で結ばれた魂と魂   の絆は永遠の生成の基盤となります。(P68-69) ここで重要なのは、「愛と友情を通して地上でなされる相互理解は 霊界に神殿を建立するための礎石」であるということで、 この地上で、愛や友情を高めるということがいかに大切なことかがわかります。 つまり、この地上で行なったことによって、神界が形成され、 またそれに基づいて来世の関係も決まってくるわけです。 ですから、単に惰性で人とつき合ったり、なれ合ったりするのではなく、 真の「魂的親和力」から形成された「愛と友情」を持ちたいものです。 さて、地上に受肉してくるときの話に移ります。 受肉するときに、母親と父親を選ぶわけですが、 母親をどのようにして選び、父親をどのようにして選ぶのかを見てみましょう。   人間は自らの性質を通してアストラル体を纏います。このアストラル体の中に   あるものを通して、地上のある特定の存在への引力を持ちます。エーテル体を   通して、民族、そして、広い意味での家族に引き寄せられます。自らのアスト   ラル体を形成したのと同じような仕方で、母親に引き寄せられます。アストラ   ル体の本質、実質、組織が、人間を母親に引き寄せるのです。自我は人間を父   親に引き寄せます。自我は太古、魂が初めて神の内から地上の体の中へと下っ   たときに存在しはじめました。自我は数多くの輪廻転生を通して成長してきま   した。ある人の自我は、他の人の自我とははっきり異なったものです。自我は   父親への引力を形成します。エーテル体は民族、家族へ、アストラル体はとく   に母親に、自我は父親に人間を引きつけます。そして、自我、アストラル体、   エーテル体全体が新たな受肉を意志して下っていきます。(P70)      現代の進化期では自我は意志、感情衝動の要素を示しています。アストラル体   の中には想像、思考の特性が存在しています。後者は母親を通して、前者は父   親を通して遺伝されます。受肉しようとする個体は無意識の力を通して、肉体   を与えてくれる両親を探し出します。(P71) 「エーテル体は民族、家族へ、アストラル体はとくに母親に、 自我は父親に人間を引きつけます。」ということで、 そうした三つの観点から、トータルに両親を選ぶわけですが、 当然、なかなか適切な両親が見つからない場合もあるわけですよね。 転居したいが、なかなか思い通りの家が見つからない状態にも似ています(^^;)。 ここで、両親から何を受け継ぐかということを少しだけ見ていくことにしますと、 父親からは、魂が外界に対してどういう興味を示すか、 つまり、意志の衝動とでもいうあり方が遺伝され、 また、母親からは、知的な活発さ、ファンタジー能力、イメージ形成能力など、 つまり心魂や知性のあり方が遺伝されるといいます。 また、そうした受け継ぐものは男の子と女の子とでは異なっているようです。 男の子は、父親から、人間と外界との交流に関するものを得、 母親からは、精神生活のありよう全体を受け継ぐのに対し、 女の子の場合、父親の外的に現われていた性格が、内面化して現われるといいます。   母親の特性は息子において一段降下し、器官の能力となります。一方、父親の   特性は娘において一段高められ、内面化され、心魂化されて現われます。   (「シュタイナー教育の基本要素」(イザラ書房/P86) ここで少しだけ、遺伝を通して受け取るものと、 本来の自分の精神との関係に関して示唆しておこうと思います。   人間が地上に下降することについて、わたしたちは、つぎのようにいわねば   なりません。「この人間存在は、二つの側から、地上存在にいたる。内的な   存在は、精神的な高みから下ってくる。精神的、アストラル的な人間が高次   の世界から下ってくる。世代から世代へ、祖先から祖先へと遺伝されていく   ものをとおして、人間のまわりに見える外的な覆いと、肉体の崩壊に対して   戦うエーテル体に属するものの多くが組み込まれる。」   人間が二つの側から形成されていることを洞察すると、その二つのうちのど   ちらかが優勢な状態にあるとどのようなことが生じるのか、とわたしたちは   思います。人間がいくつかの特性しか精神の世界から持ってこなかったとし   てみましょう。そうすると、アストラル体のなかにわずかしか豊かな内容が   存在せず、エーテル的な覆いおよび物質的な覆いとして人間のまわりに組み   込まれたものの作用が優勢になります。つまり、乏しい内容しか持ってこな   かった人間は、祖先からの遺伝のなかにいることになります。人間が高みか   ら携えてくる内容が豊かになればなるほど、祖先から子孫へと伝えられる遺   伝による類似性は、個体的なものへと変化するように駆られます。精神宇宙   からわずかなものしか携えてこなかった人間の場合、人種、血統、家族、身   分などという外的なものが内面を圧倒します。そのような人は、民族や家族   が有する性格の特徴を自分の特徴として有します。豊かな内容、意味深い内   的な力をもって地上に下ってきた人は、はっきりとした輪郭をもった個体と   して現われます。その個性も、確かに祖先から子孫に伝えられるものから発   してはいるのですが、個体の精神的進化の結果である個々の特徴に対して、   遺伝による類似性は退いています。   (「シュタイナー教育の基本要素」(イザラ書房/P118-119) さて、このアーティクルの最後に、再受肉と受胎の関係について テキストから見てみましょう。      今お話しましたことは、本質的に受胎後三週間前までに完了されます。自我、   アストラル体、エーテル体から成る人間は受胎の瞬間から母親のそばにいる   のですが、外から胎児に働きかけているのです。受胎後、約三週間後にアス   トラル体とエーテル体は同時に胎児に結びつき、活動を始めます。この時点   までは、胎児はアストラル体、エーテル体の影響なしに成長します。この時   点以降、アストラル体とエーテル体は胎児の成長に作用することになります。   それゆえ、エーテル体が自分に適合しない以上に、肉体は自分と調和しない   のです。(P71) この「受胎後三週間」というのは、 ぼくの考えでは、必ずしもそうともいいきれなくて、 約3カ月間という説のほうが適切のように思うのですが、 どちらにしても、受胎してすぐに、「受肉」とはいえないわけです。 そして、その「受肉」して後に、いわゆる「堕胎」をすると、 その魂はそれなりの傷を受けることになるといいます。 また、受肉の程度が進めば進むほど、次第にその魂はバブバブ・・・となってきます。 ですから、胎教のような視点は、見直す必要があるんじゃないかなと ぼくは思っているのですが・・・。 長くなりましたが、ひさびさの読書会のアーティクルでした。 ☆☆☆KAZE☆☆☆