- FARION MES( 5):**/////*/////*/////*/////*/////*/////** 95/08/20 - 00218/00223 SGW00342 エスペラント RE:過去も未来も、今に在る ( 5) 95/08/19 15:28 00212へのコメント #00212 みれさん  こんにちは。暑いですね(__;  夏バテ気味の人が多いみたいですね(笑)。  僕は、これから先ちょっと根気詰めて色々とやらなくては..  夏バテどころじゃないなぁ(^^; > この部分なんですけど、私の経験から言うと葛藤する経験を散々やって >いると、ある時から「あ、葛藤の最中だわ」と自覚できるようになってく >るんですよ。人間ってよくしたもので、何度も葛藤の経験があると見慣れ >た風景(^-^;)‥ってな感じになるんですよ。同様に恋愛でも口論でも何で >もそうですね。  なるほど、みれさんの“葛藤”というのは、普段はあまり歩かないけれど、  たまに歩くことのある不慣れな道筋みたいなものですね。  自分にとって見慣れた風景でも、誰か他の人と一緒に辿るのであれば必ず、  何か新しいことを見たり、感じたりすることがあると思います。その時の  その風景は他のどこにも見出せない、ただ唯一のものとして、それ全体を  〈わたし〉とする何らかの意味を持つのでしょう。  いつまでも新鮮な気持ちを忘れずに、未知の世界に対して自らを開くという  ことが、葛藤することの肯定的な側面ではないかと思います。  RESをどうもありがとうございました。                          エスペラント   00220/00223 QWB02723 まゆみ 宣言 ( 5) 95/08/19 19:35 コメント数:1   当分RTに出るのはやめ。今日で、最後。          話したいという奇特な方、メールでどうぞ まゆみ 00223/00223 QWB02723 まゆみ RT欠場は ( 5) 95/08/20 09:54 00220へのコメント   単にお金の為です まゆみ 00222/00223 QWB02723 まゆみ 感じること ( 5) 95/08/20 09:54 理解することと 感じることは違う  人が書き 人が読む 文章には心がつきまとう  書き手の読み手への配慮  読み手の書き手への想い  書き手は より判りやすく書こうと努力する  読み手のために 自分の想いを伝えるために  読み手は そのまま読めばいい 先入観を交えずに ありのままを  先入観とは 書き手或いは文体 内容への想い  好き嫌い 苦手得意 尊敬見下し 肩書き 過去えとせとら    でも 全ての先入観を消すなんて難しい  先入観があること自体 気づかないことが多い  そう 先入観があっても書き手の想いを受け止めることはできる  『本当の心』はちゃんと 書き手の心を感じているはずだから  『本当の心』に先入観の入り込む隙はない  先入観が余りにも強い時 『本当の心』は警告を発する  無視し続ければ 何も感じなくなる   本当の心に響く文章を書きたい   本当の心で書き手の心を感じたい まゆみ - FARION MES( 6):ハロー・メッセージ ★ 今日のハロー・メッセージから 95/08/20 - 00104/00104 KFQ02761 しまうま 自分の人生 ( 6) 95/08/18 23:32 :泣いても喚いても自分の人生、己で切り開くしか生き方は無い  そう! そうなんだよなぁ。 「あの人がああ言ったから、自分はこうするほかなかったんだ」  本当にそうだろうか? 人がどう言おうとも、最終的に「こうしよう」と決 めて、実行に移すのは自分自身だ。それを自覚しておかないと、自分の人生が 「あの人の人生」になってしまう。  僕は、比較的すぐに人の意見や行動に影響されてしまう。「こうすれば?」 と言われると(特にそれが好意で言われている場合)、それに従わないと非常 に悪いような気がして、気が進まなくてもついつい従ってしまったりする。で、 そういうときは、 「あの人にああ言われたんだから、しょうがないよなあ」  などと思ってしまったりする。こう思ってしまうと、なぜか元気がなくなる から不思議だ。落ち込む、というわけではないが、なんかいろんな面でやる気 が失せてしまう。  考えてみれば当たり前だ。その時自分は「自分の人生」を生きていないんだ。  そう気づいて、「あの時、自分が反論しなかったのがいけないんだ。反論す れば人の機嫌は損ねたかもしれないが、こういう事態は避けることができたは ず。僕が“自分の意志”よりも“人の機嫌”を優先したためにこうなっただけ なのだ。もしこういう事態を避けたければ、次回、ああいう場面で“自分の意 志”を貫けばいいのだ」こういう風に考え直すと、なぜだか視界まで広がった ような気がして、前向きにいろいろ考えることができるようになる。事態はな にも変わらないのに。  おもしろいなぁ。 しまうま(KFQ02761) - FARION MES(12):精神世界裏表 ★ ニューエイジビジネス を斬る 95/08/20 - 00611/00612 JBH00712 桂 桂 夢と電子のドラッグヘブン(1) (12) 95/08/19 23:43 00597へのコメント  #00597 一輝 さん  えー御無沙汰しております。  それでは久々に「精神世界裏表」に相応しい(?)八幡書店と、そしてニュー エイジの時代潮流について、一寸書いてみましょう。  そもそもドラッグにしても、数有るニューエイジ思想群にしても、その根底 に有るのは「革命」の精神ではないのか、と最近思えて来た。  元々「レボリューション」という考え方は国家を形成して来た歴史にとって もそれぞれの時代の変革を要請して来たもので、何時の間にか何やら社会が閉 塞感を帯びて来るとどうにもぶっそうな考え方が巷間を賑やかにする。かつて のフランス革命の時では「自由な石工達」の怪しげなサロンが流行ったし、ロ シア革命の時ではユダヤ人と共産主義思想が一時代を形成したりしている。  日本ではどうだろう。  古くは黒船来襲の際の御伊勢参り「ええじゃないか」の民衆狂乱、そして江 戸から明治期に移り変わる時の様々な神話の復興が挙げられる。その最たるモ デルを挙げろと言われたら、大本教を挙げるだろう。  ここで言えるのは民衆が新しい「国家」、求心力を渇望していることだ。  それが、かつての時代では「大義」の備わっているものに引かれて行ったの が、最近ではどうにも違う。非常に個人まりとした、ミニマムな形態なものに 変化している。  アメリカで87年頃「ウォーカー」という映画が作られた。  ウイリアム・ウォーカーという実際の人物を半生を描いた映画だ。それによ るとアメリカへの移民の大半は当時流行した「運命顕示説」に従い、新大陸へ の移住者は隣国を文明化する「使命」があるとし、大儀に任せた略奪行為を平 然と繰り返した。ウォーカーはその遠征者の一人で、ニカラグアに進出し、現 在の南米問題の遠因を作り出す遠因になったと言う(この作品はまだ未見)。  アメリカの「新国家思想」というべきものは始めに侵略があり、そして新た なる神話を創出する。先の「運命顕示説(マニフェスト・ディスティニー)」 にしても「神の意志により・・・・」という前置きがつく。モルモン教はキリスト 教の中でも異端の一つであるが、その創始者によれば「天使に導かれ世界創造 神話の真の歴史を預かる経典を秘密の場所で授かった」のがその信仰の由来と される(モルモン教の聖地はソルトレイク市である)。  ガイアナで大量の自殺者を出した「人民寺院」事件。  最近では謎のカリスマ、デビット・ブライアンのカルト教団によるFBIと の「聖戦」(途中何故かCIAが介入し、教祖が爆死したため、何故か内情が 全て秘匿されてしまった)。  国家を変革しようとする思想は、それがどうにも現実的な政党政治の手を経 ずにいきなり人間の「精神の変革」へと結び付けられている。  言ってしまえば、アダムスキーをその始祖とする「UFOカルト」も、68 年頃のアメリカから発生したものだが、その流行の影にはベトナム戦争に端を 発するニヒリズムがあるような気がする。時代に対する無気力。それを煽るか のようにドラッグの流行と犯罪の増加が拍車を掛ける。  日本にも「CBA」という戦闘的なUFOカルトが既にアダムスキー的なヒュー マニズムを越えた立場で「日常の変革」を訴え掛けていたという(この詳しい 話は知らないのでここまで)。そしてその特集を日本で最初で最後に手掛けた のが、八幡書店社長武田祟元氏がかつて編集していた「地球ロマン」の誌上で あったという(この雑誌はもはや神田でも入手不可能だろう)。    「そもそもオカルティズムは、その運動性や内部的な力学、あるいはさ     まざまな観念との拮抗関係ときりはなして考える事は絶対に出来無い     と思うね(中略)そういう方法論でいくと、結局はみずからそういう     力学と関らざるおうえない。    「それからポスト70年安保ということがでたけれど、新左翼の急進主     義的運動が空中分解して、どこに行くかと言う事についてね、やがて     自然食を食い『竹内文献』を語ってくれる大田龍のような人物を産み     出す力学と言うのは既に予見していたから、そういう状況そのものを、     うしろからポンと一押ししてやろうじゃないか、というそういう計算     もすでにあった訳です」    (UPU発行・「GS・神国日本<神道霊学のコンセラピー>武田祟元     インタビューから)  大田龍氏は70年代の沖縄奪還運動で頭角を現す。当時は文化人の平岡正明 氏と無頼のジャーナリスト竹中労(故人)氏と「世界革命浪人」を名乗り、後 右派に転向。有機農法を研究、この時カタカムナ研究団体とも接触している。 現在は「地球維新連盟」を主宰、世界を牛耳るエスタブリッシュメントと闘っ ている(らしい。宇野正美とも共闘しているという説もある。ちなみに都議会 選落選記録更新中)。  尚、自然保護運動が盛んな今日において、戦後その研究を大々的に行ってそ の影に有るのは世界救世教(初代教祖・岡田茂吉)である。  八幡書店から「永遠なるヒトラー」という書物が刊行されている。  これはドイツで今でも発禁扱いされている問題の本で、何しろ著者がドイツ 社会主義労働党(ナチス)が発展する過程を細かに見て来たダンツィヒ市の市 長なだけに、あまりにもヒトラーの人物像に迫り過ぎているからだ。  そこにあるヒトラーの言葉は確かにショッキングである。  「民主主義は梅毒である」「人類は発展途上の神である」  そして世界には戦争による死と再生の儀式を・・・・  それは世界の変革と呼ぶにはあまりにも荒々しい「治療」だ。  しかし、こう考えて見ると、どうだろうか。  今迄のオカルティズムの源流には「不断の刺激を与える事によって精神の均 衡を乱し、その結果現れるだろう<何か>を期待する」ものがあったのではな いのか、と。  それが即ち「精神のレボリューション」になっていたのではないかと。 桂 桂(JBH00712) 00612/00612 JBH00712 桂 桂 夢と電子のドラッグヘブン(2) (12) 95/08/19 23:43 00597へのコメント  その精神の「レボリューション」に値するものに、私は同じく八幡書店から 発売されている「シンクロエナジャイザー」にその影を見る。  これは同社のブレイン、武邑光裕氏(現在、京都美術大学助教授)がアメリ カから買い付けして来たリラクゼーションマシンだ。この機械はゴーグルの内 側に数個の発光ダイオードが備え付けられており、機械が簡単なパルス音とこ の光の点滅をアトランダムにコントロールする事により、目蓋の内側にマンダ ラ模様のビジョンを見させ、直接脳神経に刺激を与えさせ右脳の活性化やリラッ クスに使用するマシンなのだと言う。    「この機能は主に3つの局面から捉えています。睡眠を含めたリラクゼー     ション、そして瞑想を含めた鎮魂、そしてアストラルトリップまで含     めた幻視体験という領域です。しかし、これらは決して個々に独立し     ためのではなく、深い関係が有ると言う事をまず認識していただきた     いと思いますね。たとえば、脳がリラックスしますと、脳下垂体に対     する負担が少なくなる訳です。そうするとエンドルフィンが分泌され、     プロラクチンが活発化し、トリップ的な幻視体験を誘発され易い状態     になる訳です」     (八幡書店ニュース・NO.22より<非売品>)  一体幻視体験というのはどんな体験なのだろうか?  これではどうにもあのロックコンサートにおいて興奮状態になる余り失神し てしまうのと大して変わらないという気がするのだが。特に「誘発され易い」 ということはそれだけ、日常における体験への抵抗力を奪い「白昼夢」状態と どれだけ変わらないか、常々疑問に思える事である。  最近思えるのはどうしてもこの「シンクロエナジャイザー」と光と音の交錯 するディスコ、そしてオウムの「ヘッドギア」の3者が重なりあうような気が してならない。  「ヘッドギア」の役割は、オウム教団において尊師の脳波を送り込む修行と 説明されていたが、TBSの「スペースJ」の報道によると、実態は電気ショッ クと同等のパルス波が直接皮膚に刺激を与える為に強度の記憶喪失、あるいは 情動の破壊が行われるのだという。これでは洗脳マシンではないのか?  「シンクロエナジャイザー」を一度でも良い、体験して見ると、それが大き なバイブレーションを伴うボディソニックをかけられているような「Hi」な 気分を体感出来る。  既に80年代においては藤原新也氏が「乳の海」において、快感原則によっ て包まれた社会によって人間が抵抗力を失う事を警告していた。氏はそれを過 保護によって生活力を失った青年をモデルにし、あるいは「ウロボロスの輪」 「仮面をかぶって生きる事によって自分の顔が解らなくなる」ということによっ て説明しようとしていた(この本の中に、大音響の音楽によって失神するロッ ク少女は明らかに神経症だという事が書かれていた)。  ここにオウム事件を持ってくる。  彼らも又独自の王国を築きあげ、そして恐るべき方法によって社会変革を成 し遂げようとした。  「革命」以後の期待感は、それは一体どのようなものであったろうか。  以前八幡書店の関係者にあって話しを聞いた事が有る。  それによると神道霊学関係の書籍を出版する事は、それは社会にこの思想の 価値を認めてもらい、勉強してもらためだと言っていた。大規模な知識の乱流 によっておこる思想的な変革もそこには含まれていたのかもしれない。  70年代には武田社長は「100万のファシストより、1万の光の子を」と いうフレーズを掲げていたのを思い出す。そのために不断の刺激を与えつづけ、 精神の変革を産み出す。だが実はその均衡を失った精神から産み出した者が、 数多のカルト教団のような社会生活不適能者の群れだとしたら・・・・それは一体 誰の徳になっただろうか。  一先ず、これにて了とする。 桂 桂(JBH00712) - FARION MES(13):神秘学遊戯団 ★ 限りなき神秘への航海 95/08/20 - 03260/03263 QZE03111 こむ Tea Break.I am broken. (13) 95/08/19 16:51 03256へのコメント  エスペラントさん、こんにちは。  家族ねぇ...ふぅ...疲れた。  しばらく旅にでます...いや、そこまで...お茶飲みに。  わぁ〜たぁ〜しぃ〜わぁ〜つ〜かれた〜 ろ〜む〜し〜ま〜すぅ〜     *****こむ より***** - FARION MES(14):預言解読村  ★ 預言・予言は何を語るか 95/08/20 - 03159/03159 JCF00616 優位 そこはどこ? (14) 95/08/19 22:45 95/08/19 瑠璃色の湖に浮かぶ小島に一際目立つ赤い鳥居‥チは浄まり準備良  これって日本国内の場所ですよね…?(鳥居って外国にもあるのかな)  それとも「赤い鳥」が居るってことなんだろうか?ううむ。  チが浄まった…ということは、地と血…大地と人間が浄まったということ?  それでなんらかの準備が整った…と。 94/04/25 舞い降りる夢の轍、くぐらぬ鳥居の跡、そして龍は咆哮する 94/05/18 倶利伽羅明けて、関門を抜ける。鳥は何処へ飛んだか? 94/09/08 勇躍ある時、水の木霊、地の轟き、浅間の煙、那須鳥海、鳥島…  単語別HM集の『鳥』の項をみてみると、ヒントになりそうなHMもあります。  関門を抜けた後、鳥はこの瑠璃色の湖に飛来したのだろうか…わからん(^^;)  鳥島ってどこだ…?あ、伊豆諸島に発見。うーん、ここは関係あるのかなあ。  小島のある湖っていったら、洞爺湖、屈斜路湖、琵琶湖…くらいのもの…?  それで神社があるっていえば……ボソボソ                   ぢつはわかってない優位(JCF00616) - FARION MES(15):マホロバ誕生 ★ 大和魂復活のために 95/08/20 - 00262/00265 QZE14371 雲上仙人 RE:誤読したのはあなた。 (15) 95/08/18 14:21 00260へのコメント コメント数:1  ご丁寧な説明、ありがとうございます。  目の前に相手がいると思い、一生懸命言葉をつくして説明してきたつもり。 それが、相手を見下し揶揄している…とまで言われては、語るべき言葉を失い ます。ワシは、誰一人として見下しても揶揄していもいない。出来うる限りの 言葉で何とか理解してもらおうとしていただけですよ。  しだれ柳までをも幽霊に仕立てあげられるのには僻僻します(率直な感想)。  申し訳ありませんが、皆さんに説明出来る言葉が見つかるまで、暫くROM になって、考えてみます。それと、第三者にも見てもらう事を考えています。  ワシって、そんなにもひどかったんだね。  謹んで、お詫びいたします。                                 雲上仙人 00265/00265 GGA02514 KAZE 今回のことから何が学べるかの感想 (15) 95/08/19 00:59 00262へのコメント 雲上仙人さん、どうもおひさしぶり。 ここんところの経過をROMさせていただいてましたが、 結局、問題は、「受け取られ方」を予測できているかどうかという あたりのことなのではないかとぼくは感じていました。 雲上仙人さんはたしか学校の先生でしたよね。 やはり、長年培ってきたそれぞれの土壌での表現の仕方というのは おそらくこういうパソ通でも無意識のうちに反映してくるのではないでしょうか。 ぼくは広告の仕事を続けているのですが、 パソ通をして4年ほどになるんですけど、 そう大きく「受け取られ方」の予測を外したことはないように 自分では思っています(ほんとうは違ってたりしますが(^^;))。 少なくともそのことで議論になったことはあまりなかったように記憶してます。 それがなぜかとふりかえってみますと、 まずぼくは言語学のコミュニケーション理論を大学では勉強していて 言葉の形式や意味がどのように実際に伝わるのかをいろいろ考えてたのと、 その後十数年を生業にしている広告の仕事では、 表現したことをどのような広告効果として実現できるかを課題としてきましたので 表現したことの「受け取られ方」の予測というのは 日々の切実な課題となってきました。 ですから、「どうすれば伝われないか、誤解されやすいか」ということも ある程度は予測できるんですよね。 ま、ぼくのことはこの際おいておくとしまして、 >出来うる限りの言葉で何とか理解してもらおうとしていただけですよ。 という「出来うる限りの言葉」というのが 人にどう受け取られるのかということについて 今回は、やはり少し配慮が足りなかったのではないでしょうか。 どんなに心を尽くしても、伝わらなければどうしようもありませんから(^^;)。 いい意味でのレトリックというのは必要なんですよね。 どうすれば相手の感情を刺激しないで済むかというのも重要ですし。 ですから、今回のことは、雲上仙人さんにとって、 そういう部分の意識を広げる格好なケースになるように思います。 もちろん、それは雲上仙人さんのみに限らず、レスを返された方や ROMをされている方にとっても、 「思いを人に伝えるのって大変だなあ」 「どうすればちゃんと伝えられるのかを具体的に勉強しなくっちゃ」 といったことが切実な問題として浮上してきたのではないでしょうか。 ぼくにとっても、今回ROMしていて、 あらためてそこらへんのことをあらてめて意識しなくっちゃと思いました。 少しお節介ではありますが、今回のことから何が学べそうかについて ぼくなりの感想を書いてみました。 では(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES(18):武道にありて ★ 道の実践 95/08/20 - 02498/02501 HGB02122 あもり 「世界停止」は現実的なことでは? (18) 95/08/19 00:50 02493へのコメント  ##02493 アマデウス さん 普段見ているものが実際にはどれだけ頼りないものか、きっと誰にでも分かって いるんだと思います。 例えば背伸びをしてみると、ホンの数センチ視点が変わっただけで、見る景色が 大分違います。些細なことでも、これはアマデウスさんの解釈する「世界を止め る」要素の一つなのですよね? 日常の世界では(こういう表現もおかしいけど)現実的にはある程度の予測をし ながら生活しています。それは、生活のリズムがほとんどルーチン化しているか ら可能なことだと思います。 ところが、「きったはった」の非日常では、日常で通じるような予測が全く役に 立たなくなります....しかし、これが実は現実というものなんでしょう。人間な んていつ何時何があるか分からないのですから。 これを考えてみると、「ルーチン化」していると誤解している日常の本質を見極 めることによって、より自分を現実的な世界に置きます。その中で鍛えられる感 覚はきっと私達が想像しているよりも異質なものとなって当然だと思います。 武道は非日常な世界であるかもしれないけれど、その感覚は常に現実的であると 言えるのではないでしょうか? と、ここまで頭で考えたことですが、 問題は「背伸びをしてみる」ことの辛さだ と思いますよ。ホントに。 今まで自分の見ていた世界が実は思い込みの世界だったと気付くことは、非常に ショックな面があって、自然と背筋が丸くなってしまいます。これをT氏は「 浸っている状態」と言って笑い飛ばしましたが、全くそのとおりだと思います。 本当は「どうして現実の世界を虚構で組み立ててしまったか?」を考えなけれ ばならないのに、「どうしてこんなことになってしまったんだろう」と執着する こと多し、です。(-_-; HGB02122 あもり 02501/02501 GCG01101 アマデウス RE:感情の結節点と予期 (18) 95/08/19 00:57 02497へのコメント  #2497 あもり さん >> しかし、待機状態というのは、私のニュアンスでは「何事もしない」時だと >> いうことです。 >> もちろんカスタネダを読んでいて納得したことですが、何も考えない「心に >> 何もない状態」であれば、自然な反応(理にかなった)が出来るのは自然な >> ことではないかと....   なるほど、少しわかったような気がします。#2493で述べた、カスタネダ  の「世界を止める」ことと同じ様な意味合いだったのですね。「呪師に成る」  では、傍点付きで「しないこと」という表現もされていましたが、こちらだ  と、よりあもりさんのニュアンスに近いように思います。 >> アマデウスさんもKUROさんのような「危険」な経験がありますよね。 >> その時、どうでしたか?   あもりさんがご存知の僕の「危険」な経験と言えば、阪神大震災ですね。  思い出してみると、もうドップリと「居付き」まくっていました。(^^;ゞ   激しい揺れで目が覚めたのですが、そのときには既に家中物が落下して、  食器などが割れたり家具が倒れる音が渦巻いていました。安眠の世界から  一気に混沌の中に放り込まれた訳です。幸い寝室には落下物をおいていなか  ったので、その下敷きになる心配はなかったのですが、なにせ震度7の揺れ  ですから、建物自体が倒壊するのではないかという恐怖に襲われました。  家はマンションの8階なので、倒壊したらまず助かりません。かといって、  立ち上がることもできない揺れの強さです。倒壊の危険、なおかつ身動きも  できない。このダブルバインド状態で、完全に恐怖に「居付いて」しまいま  した。   「居付き」の影響が出たのは、揺れが収まった直後だったと思います。  揺れが去っても恐怖に「居付いた」ままの抜け殻状態でした。今から思えば、  もし「居付いて」いなかったら、揺れが収まると同時に、玄関のドアや窓を  開けて今後起こりうる建物の変形や余震に備えて逃げ道を確保すること、  断水に備えてフロ桶に水を溜めること、などの行動を機敏に起こすことが  できたでしょう。   ところが実際には1分ほど呆然としてハッと我に返り、まず最初に取った  行動は、電話器を探して、実家の両親の安否を確かめることでした。もちろ  んこれはこれで大切な行動だったと思いますが、やはり自分の身を守ること  の方を先にすべきだったと思います。このような優先順位の判断の誤りは、  「居付いて」しまったことの影響だったのだと、今にしてわかりました。   しかし、あの地震の揺れの中で(しかもいきなり叩き起こされた状態で)  「居付」かずにいなければならないということを考えると、「何事もしない  状態で居る」ことは並大抵のことではないということが実感として良くわか  ります(__;)                               アマデウス 02499/02501 HGB02122 あもり RE:瞬間、動けといわれても (18) 95/08/19 00:50 02495へのコメント  ##02495 アマデウス さん、KUROさん (以下、本論には関係ありません) >>  「武産合気」によると、合気道の始祖・植芝盛平翁は、軍の将校達に10m >> 位の距離からピストルを構えさせて、いざ発射と言う瞬間に、相手の懐に飛 >> び込んであっという間になぎ倒していた、という話です(ホンマかどうか知 >> りまへんで(^^;)。道場での演舞も、植芝翁に技を掛けようとした相手の方 >> がいつも吹っ飛んでしまっていたらしいです。 あ、植芝翁の逸話ですね。(^_^) 道場の師範が(最近ぜんぜんご無沙汰している)これについても実践的に研究 していました。(研究が始まると家に帰れなくなるので(^_^;でした) 言葉で説明するのは難しいけれど、対峙すると相手に集中して視野が狭くなり ます。ここで、上体を倒したりせずに「すっ」というスライドする感じで移動 すると、相手から見えなくなるという現象を発見しました。(私ではないよ) 「同じ人間なのだから出来ないことはない」というのが師範のモットーでした。 (努力は並み大抵のものではありませんでしたが) 何かを発見するたびに、「壊しては作り上げ、壊しては作り上げの繰り返しだ ナァ」と、師範はよく漏らしていました。 HGB02122 あもり