- FARION MES( 6):ハロー・メッセージ ★ 今日のハロー・メッセージから 95/08/26 - 00108/00109 KFQ02761 しまうま RE^2:始まりは終わりと似ている ( 6) 95/08/25 18:34 00107へのコメント #00107 優位さん  こんにちは(^_^)。 :ただ、それを理解していない人にとって、終わりは終わりだけのものとして、 :虚しい世界観として捉えられてしまうのでしょうね…。  自分自身振り返ってみると、大学の頃、国民年金の支払いをするかしないか、 という話をしていて、僕は「どーせ1999年になりゃ、今のシステムなんて 崩壊しちゃうんだろうから、年金なんて払ってもしかたないよ」とか言って、 払わずにすませた覚えがあります(今は払ってます(^^;)。  なんかどっかで「滅亡を前提にした人生観」みたいなのが増殖しつつあるよ うな気がします。さらに「滅亡しちゃえば全部ご破算、だからそれまで何やっ てもOK」みたいな雰囲気さえ感じます。実際自分がそうだったし……。  いちばん怖いのは、自分(たち)で自分(たち)の滅亡を肯定し、ある部分 美化し、願っているところもあるような風潮ですね。そうでなければ、「滅亡 の危機」みたいなのを完全に茶化して笑いものにするか……。いずれにしろ、 まともに向き合ってなんとかしよう、という指向性が少ないように思います。 しまうま(KFQ02761) 00109/00109 KFQ02761 しまうま 例え泥道であっても ( 6) 95/08/25 18:35 :目の前の道が例え泥道であっても、軽い足取りで進めよ‥  泥道を歩いて楽しい、という人はたぶんそう多くはないはずだ。楽しくなく ても、とりあえず形だけでも軽い足どりで、自ら進んで入っていけば、その泥 道から得るものが何かあるかもしれない。あるいは案外さっさと乾いた道に出 ることができるかもしれない。  いやだな、いやだな、と思いながら、重い足を引きずって泥道に入ると、た だでさえ足を取られやすい泥道に、ずっぽりはまりこんでしまう。泥道を、長 々と味わうことになってしまう。  ほんとにその泥道がイヤなんだったら、迂回路を考えるべきだ。もし覚悟し て泥道に入るんだったら、そんなパグ犬みたいなしかめっ面はやめて、とりあ えず笑顔で、足どりも軽く、鼻歌でも歌いながら入ろう。犠牲者気取りは、も うやめにしよう。                  しまうま(KFQ02761) - FARION MES( 7):自己対面鏡 ★ ARIONを鏡にして 95/08/26 - 06368/06369 SDI00635 みれ この間、ARIONと話したこと ( 7) 95/08/25 22:40  人はハズレを引くのを厭がる。  アタリを引くために努力するけど、ハズレは引きたくない。  一般的に現代人は、子供の時から、例えば試験で悪い点を取る(ハズ レを引く)と褒められず良い点(アタリを引く)だと褒められる傾向の 環境にいることが多い。  だからハズレ(失敗)よりアタリ(成功)を欲しがり、ハズレを引く ことを嫌悪し、最終的には恐がるようになることが多い。ハズレるのが 厭だからと慎重になるあまり、新しいことをするのに躊躇してしまうこ とも多い。  ARIONは言った。  ハズレはアタリを知るために引かねばならないこと。  沢山ハズレを知った者だけが、アタリの感触を知ると。  ハズレもアタリも知った者だけが真の成功者と言えると。  ハズレを引いた子供を叱ったり怒ったりするよりも、何故ハズレを引 いたのかを考えさせる方向へ導くのが正しい方法だと。ハズレを知り尽 くし、どうすればハズレるかを知ったなら、アタリを引くのは時の問題 だよね。なんか当たり前の話だけど、なるほどなぁと思った。  ハズレを引くのを恐れないで、そこから学べるだけ学ぼうとする姿勢 こそがアタリを引く機会を自ら作り出すことが分かれば、ハズレを引く ことを恐れないで済むようになる。  失敗とか成功とかって言葉遣いにも何か問題がありそうな気がするけ れど、とにかく失敗したり間違ったりすることを恐れて手を引っ込めて いたのでは、何がどうなれば失敗するのかさえ分からなくなるんだと思 う。幾ら本を読んでも、そこに書かれてあるのはその著者の経験であり、 私の経験では無いので、知識としてどうすれば失敗するのかが分かって も、試してみない限りは分からないんだということ。  さぁて、私はアタリもハズレも両方とも知ってやるぞ〜(笑) ・:*:・みれ・:・。,★ 06369/06369 VFD07310 NORI テーブルを蹴った ( 7) 95/08/25 23:37 (一度5番にアップしたですが、なんか「もったいないかな?」と思って7番に 移動することにしました。(^^;ぼくとしてはこの7番会議室の趣旨からははずれて いないつもりなのですが違っていたらそう言ってほしいと思いますm(..)m) 今日親と話し合いをした。(ぼくの遅刻のことについて) いくら父に話をきいてくれといっても、自分の意見を一方的に言うだけで聞いて もらえなかった。聞こうともしてくれない。 相手の話を全く聞こうとしないのだけは嫌だった。 それに対して母が父に「聞く振りをしてやれ」という感じに「ほら聞いてやれ」と 言っているように感じた。それで嫌になってテーブルを蹴った。 (もしかしたら本当にぼくの話を聞いてくれようとしていたのかもしれない。 それを思うと心が痛む。懺悔のつもりでさらに言わせてもらうと、そのテーブルで 一緒に食べていた祖母をもびっくりさせてしまったことにも心が痛む) あれは脅そうとしたんだ。でもそれは心からの会話をできなくしようとするような ものだ。あの後、ぼくの話を少しは聞いてくれるようになったのだけど、 「テーブル蹴られるといやだ」というのが絡んでしまったなら、心からの会話とは いえないだろう。 「下手に話すとまたテーブル蹴るかも」とレッテルを貼っているとすると、 これから先の心からの会話の妨げにもなってしまう。 (この2行は自分でもちょっとひっかかってます) 脅すということは相手の意思を制限させようとするもの。 心からの会話を望んでいるときにする行為ではないと思った。                               NORI - FARION MES( 8):恋愛錬金術  ★ 愛と性を本音で語る 95/08/26 - 01081/01081 MXJ04063 HOSOS RE:はじめまして、悩み聞いてください。 ( 8) 95/08/26 01:42 01079へのコメント  #01079 みれ さん  うーむ、私としては、あの文章は素直に質問なんですが、みれさんのRESに エネルギーとかが出てきたので質問としてもっと深く表現し、また私自身に対 する誤解を回避するために#01078をあんな風に書いたのです。  確かに私自身今の時点での哲学というか、そういったものはあるのです。 しかし、私がいまだ探求者である以上、それが完全であるはずもなく、それ故に 私はそのことに対するほかの意見を聞こうと思い、書いたのです。  まあ、自分の意見をあえて書かせていただきましょう。未熟なものですが、 どうかご勘弁を。  「汝、姦淫するなかれ」などなど(キリスト教などに限るものではありませんが ここではそれを例とします。)、性に対する警告がなされている反面、イエスが マグダラのマリアを「多くの人を愛した」ということで許したりしています。  また、タントラの様に性に解脱(真理への道)を求めているものもあります。 それを考え、それに加えて人間が動物であることを考える(より優れた種を残そう と多くの異なる遺伝子を求めるということ。)と、性というもの自体を邪悪視する のはそれが、大きな力、真理を含むからこそ、乱用せぬようにという警告としての 「悪」なのではないかと今の私は思っているのです。  つまり性(SEX)=悪、という表現は仮染めのものではないかということです。 姦淫したからといって、それ自体がその人を地獄に導くのではないのではないかと 思うのです。  ある意味で、性というものも一時の幻、無常のものだと思うのです。故に、それ 自体が悪であるといえるのであろうか、と思うのです。  私としては、多くのSEXからも多くのものをほかの精神修行と同じように得る ことができると思うのです。確かに、それには多くの危険性があることは認めます。 目的と手段が入れ代わる危険性もあります。ですが、可能性としては十分ではないか と思うのです。  私は、性の本質を知るために考えていて、そのために人の意見を求めたのです。 それと同時に、自分に対する誤解を避けることもやらねばならないので、読み手に 混乱をさせてしまうようです。  素直に性に対する意見を聞かせてほしいのです。私に対する意見ではなく、みれ さん自身の意見(経験なども《変な意味ではありません》)が聞きたいのです。  上の私の意見は、まとまりきれていませんが、とりあえずという感じで受け取って おいてください。                              HOSOS - FARION MES(13):神秘学遊戯団 ★ 限りなき神秘への航海 95/08/26 - 03299/03301 BYP00077 柳 風男 RE:聖杯 (13) 95/08/26 09:36 03296へのコメント みのる♪さん、KAZEさん、どうもこんちわ! >そういうことを念頭に置くと、やはり権威やその上にのっかった組織というのは >よほど自分に対する聖人に近いまでの謙虚さがないと、 >小さな暴走くらいは避けられなくなってくるのではないかと思われます。 >ぼくの知る限りでも、ドイツの人智学協会そのものがそういう温床のようですし >ぼくの知ってる範囲で人智学から変な方向に行ってしまった方はけっこういます。 確かにおっしゃる通りかもしれませんね。あくまでも自分を正当化しようとする態度 を組織を通して実現しようとすれば、その組織に構成員の自由は無いですよね。高橋 さんの組織に対する考え方が出ている部分がありますので、ちょっとUP致します。 (「神秘学オデッセイ」 平河出版社 / 高橋巌+荒俣宏 著) 神智学協会の歴史は分裂の歴史でもある。このことをおそらく地下のブラヴァツ キーはとても喜んでいることだろう。分裂がもっと徹底していって、数百年、数 千年の未来に、ひとりひとりがそれぞれの分派を形成することができたら、神智 学協会はその目的を実現したことになるからである。ある協会の成員のおのおの が一派を代表する人物になること、別の言葉で言えば「一人一宗」であること、 これが神智学の現代的意味である。(p120) あらゆる組織は霊的にはつねにひとつの必要悪である。神智学協会の中で立場の 異なる各派の並存が不可避になり、それぞれが相手の立場を尊重せざるをえなく なるにつれて、絶対的な寛容への方向が現在の各グループの中にあらわれるよう になった。そしてこの方向にそってますます未来の神智学運動は発展していくだ ろうと思う。(p121) ここでは神智学について述べていらっしゃいますが、人智学に置き換えてみてもその まま日本の現状にあてはまるのではないでしょうか。 常にこういう意識を持ち続けられれば、自分のみを正当化する危険から逃れられるの ではないかなぁーと思います。 >自由についていうと、我々は自由であるのではなく、自由になるのです。 >つまり、自由を獲得しようとすることによってしか自由であるとはいえません。 おっしゃる通りです。自由は積極的に獲得しなければならないと思います。そのきっ かけを与えてくれたのがルシファーだったのかなと思っています。もし人間が障害の 無い正しい道をずっと歩いて進化していったとしたら、おそらく努力とか自由という ものはなかったのでしょうね。ルシファーの誘惑を受けることが必要だったのでしょ う。 >それから、「救済を受けるための準備」という表現はどうかなとは思いますが(^^;)、 上文の絡みで考えればこの表現はちょっと消極的すぎたかもしれません。ただキリス トの再臨について人間だけが頑張っているのではないというイメージからこの言葉を 選びました。 >あらゆる存在は、霊的な事象も含めて相互に関係しあっています。 >そういう関係性のなかで、すべての存在が進化発展していくためには、 >そしてその契機としての「成仏」をしていくためには、 >そういう「縁起」を理解し、それを進化発展の方向に向けていくことが必要です。 おぼろげながら聖杯のイメージが掴めそうです。ここの理解は 地球とは高次の存在が自らをささげることによって現象しているものである。その意 味で全ての存在は仏性をもともと帯びており、皆成仏する可能性をもっている。そし てその可能性は実は人間に託されている。 地球は人間を含めた全ての存在(悪の存在も含む)が現状を超えて発展していくため の舞台である。人間は善と悪との戦いの中から自由、愛などの自らの可能性を実現し ていく。単純な善が存在するだけであったならばこのような発展は望めなかっただろ う。その意味で善と悪との戦いは必要なのである。 地球という凍りついた高次の存在達をよみがえらせられるのは発展した人間(+キリ スト)であり、そのキリスト衝動をうけとめる器が聖杯といわれるものなのである。 でよろしいのでしょうか?また、聖杯=人間の発展した魂 と取り敢えずは考えてよ ろしいのでしょうか?もちろん人間の魂だけが単独で存在しているわけではありませ んので、他の存在の共同作業もあるのでしょうが・・・ それから、浅野さんの「ハルマゲドンを超えて」を手に入れました。まだ全てを読ん ではいませんが未来が薔薇色的すぎるのが気になっています。ただそれは表現だけで 書いている内容はよくよく考えてみると凄いことになると書いているようにも思われ ます。物事の受け止めかたが大切なんだとおっしゃっているのかもしれません。 最後に最近のトピックスで統一協会の合同結婚式があると思うのですが・・・・ 私自身は合同結婚の意義というか、そこに価値を感じるメンタリティが今一つピンと こないんですよね。なにしろ結婚式(いや結婚そのものかもしれない)がいまだに感 情レベルで理解できていませんので(^^;;;;) 皆様のご意見ご感想はいかがでしょうか。ぜひぜひお聞かせくださーい(^^)。 ### 柳 風男 ### 03300/03301 PXP12545 南天 RE:伝えるということ (13) 95/08/26 12:33 03227へのコメント  こむさん、こんにちは。お元気ですか。  今年の夏は情け容赦なく暑いですねぇ。 脳味噌がストライキ起こしてます。思考停止!。  家は、田舎の旧家でエアコンがついてないし、 おまけに私の部屋は二階で、西日が差すんですよ。  近くには川がありますけど、もう干上がってしまってます。 朝方、町内放送で、役場から節水の呼び掛けがありました。 面白いことに、うちの犬は、放送の声に反応していつも遠吠えを始めるんです。 去年のような水不足にならないよう願うばかりです。  一昨日は地蔵盆で、信仰者が集まって心行(?)を繰ったそうで、 その時に雨乞いも行ったそうなんですが、二日目の今日も雨雲一つありません。  それでも、いくらか日が短くなって、 ツクツクボーシが、秋の気配を運んでくれるようになりました。  今年は、何の秋でしょう。「神秘学」の秋でしょうか・・・  ところでこの「私は私」という境地は、                思い考えることを止めたところにあるのでして、 決して、前提となる論理の上にあぐらをかいているわけではありません。 それはそうじゃないですか。 自分自身ではない正常人がどこに居るでしょうか。 「私は、私である。」この命題は、人間にとって自明の理です。  人間は、自我に目覚めて「私」というものを自覚し始めるわけですが、 子供の頃は保護者あっての「私」ですから、保護者が居ないのに気付くと 我を忘れて、べそをかきながら捜し始めます。  その保護者である親に対しても、「私」というものを自覚し始めるのは、 反抗期といわれる頃からでしょうか。それでもまだ家庭の内でのことです。  それから、家庭を離れて、他人という人間に対しても 同等の「私」を自覚し始めるのは、性に目覚める頃あたりからでしょうか。  そして、思春期の頃には、自分の身体に対しての「私」を自覚し始め、 心と身体のちぐはぐさに悩み、文学書などを読み始めるのもこの頃からです。  こうして考えて見ると、同じ「私」であっても 自覚の度合いが違うということが分かります。  私が、初めて「私は、私である」ことに歓びを感じたのは、 学校を卒業して、職について経済的に自立し、 ひとり暮しを始めた青春時代でした。 その時が初めて、生身の身体で胸を張って「私は私」と叫んだ 一個の大人としての私でした。  この段階での私でも、今の社会あっての物種、 社会人としての「私」なわけです。  外面的には、この社会人としての「私」をベースにして 人間関係を広げたり、社会的地位を向上させたりして 「私」を広げる方向へ人生を歩んで行きます。  しかし、哲学や、宗教や、神秘学で扱っているような精神世界は、 「私」としての広がりではなく、深まりの方向へ歩んで行くものです。 私が、ここで話したいのは、もちろんこちらの「私」です。 ですから、こうして「神秘学・・」という会議室の場に参加している訳です。                       では・また・・・南天・・・ - FARION MES(14):預言解読村  ★ 預言・予言は何を語るか 95/08/26 - 03164/03164 PXH01650 英雄 空のしるし950824/25 (14) 95/08/25 23:13 03158へのコメント   8月24日14時30分/静岡県西部地区/東西方向と東北東から南南西に  向かう2筋の雲が交差する形が目撃された/中日新聞24日付朝刊より / /         *)新聞写真では、柄の長いはさみの様 /   /   ーーーーーーーーーーーーー ←幅が太い /  /   25日夕に見た空は、刷毛で描いたような雲が高空の全方向に展開していた。  低空には、嵐雲の千切れたような黒い雲片が西から東に向かって流れている。こ  このところ、この奇妙な2層の雲態が特徴的になっている。 天竜川水系は、30日より上水道5%の取水制限に入る。    report by A.u - FARION MES(15):マホロバ誕生 ★ 大和魂復活のために 95/08/26 - 00270/00272 GFB00026 一輝 看 脚 下 (15) 95/08/26 00:36 00268へのコメント コメント数:2 >#0268 ひろさん  初めまして。  ある機会に私は、東京大空襲の後でアメリカが都内各地を空撮した写真を 見たことがありました。私の働いている事務所も焼け野原となっていました。 あそこも、ここも、あんなところも…というくらいに焼けていました。東京 は、文字通りの焦土と化していました。  その昔、遺跡の発掘をやっていた頃、上司に「都心部なら数十センチ掘る 程度で東京大空襲の遺物が出てくる。場合によっては人骨も出てくるかもし れない。炭化や酸化を免れていればの話だけどね」と言われたことがありま した。  毎日、事務所まで通うあの道の、あのアスファルトをめくって掘ると、現 在の私のように、かつて日々の営みを繰り返していた数十万の人々の骨があ るのかもしれない、私は、かの人々の屍の上を踏みながら生きている、彼ら の死があったからこそ、今の私が生きている、そのことを忘れてはいけない、 ……そう思うようになりました。  だからこそ私たちは、かの人々の歴史をこれ以上に踏みにじることのない よう、善行悪行ともに事実を事実として冷静に受け止める義務があると思い ます。個人の欲望に目の曇ったフィルターで、一方的に「善行」「悪行」と 決めつけることで、肝心の「なぜ日本は戦争に至ったのか」というプロセス を見失うことのないようにしたいものです。 |2、虐殺もやったが、独立も助けた | |インドネシアの話は、此処で初めて聞きました。 |これはTVでは観たことがない。報道制御されているのだろうか。 |ネタ本を教えてください。 |インドネシアの人は日本に感謝しているのだろうか。 …………このことについてお答えします。     謝罪に徹する姿勢を貫きたい日本政府にとっては、インドネシア独立戦争     に数千名の日本兵が脱走して参加し、5年間に及ぶゲリラ戦を指揮してい     たという教科書にも掲載されていない事実は、大変やっかいな問題です。     インドネシア政府は、日本政府に対して何度か日本兵を讃えた独立英雄記     念館(前田記念館)設立の提案を打診してきたが、日本政府は断っていま     す。     そもそも終戦の前年から、350年間の植民地時代に終止符を打つべく、     民族主義者スカルノとハッタは、日本政府と独立の準備を着々と進めてい     ました。しかし、日本の敗北とGHQからの引き上げ命令で、日本とイン     ドネシアで交わされた独立への約束は反故になってしまう。これでは面目     が立たないと、ジャカルタにいた海軍・前田少将ら有志たちの独走によっ     て、スカルノ大統領を首班としたインドネシア共和国が独立宣言を掲げた     のです。独立戦争は、その宣言を認めないオランダの上陸によって火蓋が     落とされました。    この経緯については、叢文社から出ている『ジャランジャラン インドネ     シア』(杉田勘三著)を読まれることをお勧めします。著者は元海軍中尉     で、前田少将以外にも名将と呼ぶに相応しい軍人たちが、いかにインドネ     シア各地の民衆に人気があったのか理解できるでしょう。また、弘文堂か     ら出ている『もっと知りたいインドネシア』(綾部恒雄/永積昭編)では、     学術的な視点で当時の状況が詳しく説明されています。     他に戦時中〜終戦のインドネシアで活躍した日本人の記録としては、『戦     場への紙碑』(戸川幸夫著・オール出版)というバリ島で自決した日本人     のドキュメントがあります。内容を要約したものは、12番会議室の発言NO     .353にありますので、ぜひご覧下さい。     物的証拠としては、ジャカルタにある独立英雄墓地に行けば、日本兵の名     が記された墓碑を見つけることができるでしょう。しかし、ゲリラ戦で戦     死した日本兵の墓のほとんどは、地方の人里離れたところにあるそうです。     中には帰国を放棄し、独立戦争に命を捧げるため、インドネシア名を冠し     て戦闘に参加した日本兵も多く、独立義勇軍PETAの参謀・指揮官だっ     た市来竜夫や吉住留五郎などもその一人でした。     彼らはゲリラ戦で壮烈な戦死を遂げ、戦後スカルノ大統領(現在インドネ     シア大統領はスハルト)が1958年の来日に際して「市来竜夫君と吉住留五     郎へ、独立は一民族のものならず、全人類のものなり」と書いた石碑を、     東京芝の青松寺に建てて讃えました。     私はこれらの本を読んで、無名の気高き人々を輩出したこの日本という国     を大変好きになりました。そして、この事実を誇りに思い、後世に伝えた     いと思います。                                     一輝 00272/00272 GFB00026 一輝 インドネシア独立戦争に参加した日本兵 (15) 95/08/26 01:36 00270へのコメント <インドネシア独立戦争に参加した元日本兵の証言>について。 インドネシア独立戦争に参加した元日本兵を友人が取材した時のテープが、今 私の手元にあります。日本の歴史から抹殺された貴重な証言です。その元日本 兵の方は御高齢で、取材後まもなく癌で入院し現在は病床にあります。「多く の日本人に、この事実を伝えて欲しい」という伝言を、友人は預かって帰国し ました。 私はこのテープを起こして当会議室に全文を載せたいと思っていました。とこ ろが、仕事の多忙さゆえに何もしないまま半年が過ぎてしまいました。今、こ のテープを起こして下さる方を探しています。もし興味をお持ちの方がおりま したら、当方までメールにて御一報下さい。                                     一輝