- FARION MES(12):精神世界裏表 ★ ニューエイジビジネス を斬る 95/09/15 - 00632/00632 GEC00333 ぴの フリーメーソンの反論 (12) 95/09/15 02:01 一輝さん、ご無沙汰しています。 次男の誕生でいろいろと忙しく、あちらこちらで不義理をしていました。 プ○ン○ス○リ○セ○とか、□野□春とかK△Nとかが、セミナー出身 とは知りませんでした。言われてみれば、確かにソレ風の歌詞ですね。 さて、オウム事件後にフリーメーソン側からの反論が出てきています。 『宝島30』9月号には「ベールを脱いだ日本のフリーメーソンたち」 という、フリーメーソンの日本ロッジ元グランドマスターのクライプ氏 のインタビュー記事が載っていました。また、6月末発行のケビン・コ リンズ著『フリーメイソンの真実』(ごま書房)という本もフリーメー ソン側からオウムのデマゴーグを批難する目的で書かれています。 読んだ感想ですが、フリーメーソンはフランス革命やアメリカ建国など 世界史を変えてきたけど、歴史的な役割は既に終わったように思います。 現代の歴史を裏で動かしているのは、もはや彼らではないのでしょう。 しかし、「自由・平等・友愛」というフリーメーソンによって作られた 思想は今も現役です。国家の公式見解として「自由・平等・友愛」に異 を唱えることは、今となっては国際社会での立場を失うことになりかね ません。しかし、中矢伸一氏だけでなく、柄谷行人氏も指摘しているの ですが、自由と平等は互いに矛盾します。また、友愛にこの矛盾を止揚 する力はありません。この意味で現代社会は不完全な原理によって動か されています。この問題は、陰謀論の範疇ではなく、純粋に思想の問題 であると言えます。私はニューエイジ的な(というよりもAUM的な) フリーメーソンの取り上げかたを否定しようと思います。 イシヤ陰謀論については、私は別の視点を持っています。 8月に落合伸彦著『目覚めぬ羊たち』という本が出版されました。これ には、『JAPAN 2000』というCIAの対日工作がレポートされています。 また、8月7日の読売新聞には戦後のCIA対日工作の特集記事に一頁 が割かれています。同時期にCIAの対日工作が公にされた理由は未だ 読み切れていませんが、CIAの対日工作を知ることだけで満足するの ではなく、CIA対日工作の背後にイシヤを見る必要があります。 PINO - FARION MES(13):神秘学遊戯団 ★ 限りなき神秘への航海 95/09/15 - 03453/03455 GGA02514 KAZE 故郷喪失者からの「日月神示」読み (13) 95/09/15 11:05 03446へのコメント 柳 風男さん、どうも。 「ひふみ神事」を買われたのですね。 実はぼくはあまりに高いのでまだ持っていません(う、う、羨ましい(^^;))。 >まだ詳しくは読んでいませんがこの書物はシュタイナーの言っていることを日 >本的に表わしたような、そういうオリジナルの価値があると思います。 はい、ぼくもまったくそう思っています。 ここに盛られている内容をちゃんと霊学的に理解しようとするならば、 今ぼくらの手に入る範囲では、シュタイナー以上の良きテキストは ないのではないでしょうか。 >日本の神事を理解するためにシュタイナーを学ぶというのは。まさに一度 >日本を捨てなければならないのかなぁ。(^^) はい、その通りだと思います(^^)。 そのことをシュタイナーは、神秘学徒は「故郷喪失者」でなければならない という言い方で表現しています。 そのことは、読書会の中でも前にふれたと思いますが、 「民族魂の使命」(イザラ書房)に詳しく述べられています。   「故郷喪失者」というのは、偉大な人類の法則を認識し、把握するときに   民族が生きる場所から発するものすべての影響を受けない人間のことです。   故郷喪失者というのは、故郷から発する特定の感情や感覚のニュアンスを   交えることなく、人類全体の偉大な使命を受け入れる人のことです。・・   個々の民族精神の使命として、民族の土壌から、民族の精神から人類全体   の使命に具体的に寄与するという偉大な行為に対しても、自由な観点を持   つ必要があるのです。   ・・・故郷喪失者に対しては、つぎのように非難されました。「おまえた   ちは、民族の母なる大地との関連を失った。おまえたちは、人間にとって   もっとも大切なものを理解していない。」   そうではありません。故郷喪失というのは、ひとつのまわり道なのです。   故郷喪失という聖地にいたったあとで、民族の本質に帰る道を見出し、人   類進化において土着のものとの調和を見出すためのまわり道なのです。                            (P13-14)                             このことを理解したときにはじめて、ご紹介いただいた > 「日本人とは世界の民のことぢゃ。一度日本すてよ。日本がつかめるそ。日本 >つかむことは三千世界をつかむことぞ。」(下巻p6) ということが、真に理解されるのではないでしょうか。 「日月神示」には、あの特有の表現のなかに、 深い霊学的な内容が盛られているのですが、それだけでは、 それを明確に理解することの困難な場合がたくさんあるようです。 ですから、それをシュタイナー的な霊学に照らして理解するということに 「ひとつのまわり道」の意味深さがあるということなのだと思うのです。 そうした試みが、これまであまりになされてこなかったようですので、 ここでは、その試みの一端なり、できれば、と思っています。 では(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 03455/03455 GGA02514 KAZE 遊戯の精神 (13) 95/09/15 12:38 03451へのコメント 南天さん、どうも。 > 戦略を立てなければならないほど、目的を達成するまでには困難が伴う >ということでしょうか。 いえ、そういう観点ではなくて、「戦略」という言葉を そのまま「宇宙がみずから生成発展していく喜び」と言ってもいいような、 そういうとらえ方をしたほうがいいように思います(^^)。 宇宙に「戦略」がないということは、宇宙が展開することをしないということです。 宇宙がみずからのうちにみずからを照らす鏡を、合わせ鏡のように置いて、 そのことでみずからを自己認識しようとする戦略をたてたということが ここでいう「戦略」ということにほかなりません。 つまり、完全なるものがより完全なるものをめざす戦略的展開といいましょうか。 種を植えて、それを育み、芽吹き、葉がちゃんと茂っていくかどうかを 見守りながら、花が咲き、豊かな果実が実るのを、 そのプロセスそのものを喜びをもって見つめていくということで、 そのプロセスそのものがみずからのうちにあるというイメージでしょうか(^^)。 >生命は、目的ではなく、手段であるというのでしょうか。 このことを理解し、 >納得するためには、この論説を読む視点自体が、 >「多用な展開を為してゆく」ところの「生命や知性、物質あるいは精神、等々」を >超えていなければならないということでしょう。 生命は目的でも手段でもあります。 認識的には、まさに「一即多、多即一」ということがいえるでしょうか。 ですから、人間の自由には際限がありません。 もちろん、それが宇宙の生成発展そのもののあり方である限りですが。 それを「神に向かう自由」とでもいうことができるように思います。 もっといえば、自由であることと自由でないこと、そうしたことそのものが 宇宙遊戯とでもいえる生成発展の戯れのひとつにすぎないともいえます。 そのあたりのことについて、少し、また「宇宙の法」からご紹介してみます。   宇宙を創造した力は、人間の意識を通して「自己確認」をしています。これは、   人間が宇宙の自己実現であることを意味します。そして、このような事実を受   け入れ、「ビッグバン」として、また「引力活動」として、さらに「相互作用」   としての意識を日常化して生きてゆくことが、大戦略への参入に際して求めら   れることなのです。   そして、これらはいずれも混沌から秩序を形成し、秩序は更に偉大な秩序を形   成するため、再び混沌へと帰還してゆくのです。これが宇宙の創造戦略の根幹   を成すところの「遊戯戦略」であります。   「無秩序」の展開が、実はあらゆる可能性を試す場として作用するのです。冒   険的な遊戯や跳躍的な遊戯は、複合的に作用し、壮大な「多様性」となって開   花します。遊戯の精神を強化することで、人間は宇宙の意図である進化戦略や   創造的戦略を実現させてゆくのです。あなたがたが自らの任務を果たすならば   宇宙の方も宇宙の仕事を遂行するのです。あなたがたは、ひたすら探求し、実   験し、試行錯誤しながら前進することです。   「遊戯」にあっては、結果はあらかじめ分かってはいないのです。遊戯におい   て大切にされるのは、「その過程における楽しみ」なのであって、「結果」が   特に重要視されているわけではありません。宇宙の創造戦略もまた同様であり   ます。そしてその遊戯の前提にあるのは「自由」の意識であります。                               (P171) ですから、ここの会議室の名称にも「遊戯」という表現が使われています。 その遊戯性の前提となっているのは、まさに「自由」です。 シュタイナーの哲学的主著が「自由の哲学」であるのも偶然ではありません。 自由と遊戯と進化戦略。 そうしたなかを人間の意識がさまざまなものを照らしていくわけです。 では(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES(18):武道にありて ★ 道の実践 95/09/15 - 02554/02554 BYK00511 導 合気道草歌5 (18) 95/09/15 01:07 武道は命がけで修行するものです。飛べない空を飛んでこそ武道です。 腹が減っても、ひたすら求める道が求道心。 大先生(植芝盛平翁先生)は気合いが充実すると6尺は飛び上がります。 もし、そこまで武道を通して学ぶ思い、勇猛心がなければ一切学ぶものなし。 日々、2000本の木刀の素振り、300本の棒の突き 居合いの型20本、受け身100本は武道の基礎の基礎、そこを通り抜けて 初めて武道の入門なり、昔も今も変わらず。 命ぎりぎりの修行なくして何が武道か、道なのか。 この会が、そこまで求める意志なくば、我筆を折る也。 精神がどうの、技がどうの等、命がけの修行なしで語るはちゃんちゃらおかしい。 合気道、この本当の意志を継ぐもの。この意味が分かりますか。 愛も真剣に命ぎりぎりの想いがあってこそ愛也。 この他に我々はどんな道があるのか。切実である。 あもりさん、引土先生のご病気の件、私も知っております。知りながら、逢うこと すら出来ない。親以上の師弟のつながり 分かりますか。しかし近い将来再び先生と私は出逢わなければならない。 そのことは、恐らく引土先生もお気付きになられていることでしょう。 もし、あもりさんあなたが今、引土先生のそばにいるなら真剣に先生から学ぶべき です。大切なことは、突き詰める道です。突き抜けてこそ、空は寛い。 この意味を言葉に出来るなら、とっくに世の中は変わっているのですが。