- FARION MES( 5):**/////*/////*/////*/////*/////*/////** 95/09/16 - 00286/00288 QWB02723 まゆみ ひとりごと ( 5) 95/09/15 21:00  うーん。最近ひとりごとが多いなあ……。 MES 14 #2966 をやっと読んだ。 >>「 もしかしたら、アリオンがこのフォーラムに出入りするのも、 >>  97年で最後になるかもしれない。」        (MES 14 #2966 ) ……ふーん。これに対する意見に自分の常連フォーラムが減るかも、という気持 ちが起ってしまったと書いてあった。  うーん、たとえARIONが居なくなっても、このフォーラムがある限り私はこ こにいると思う。だって私がここに居るのはここにいるみんなが、この世紀末をよ り良く生きようと一生懸命頑張ろうと思っているからだもの。そしてそーいう人達 が私は好きだし、私自身も皆と同じく自分なりによりよく生きたいと思っているか ら。だからARIONが居ようが居まいが、その世紀末フォーラムの基本的な主旨 が変らずある限り、私はここにいるだろうな。  ああ、でも本当は場なんて関係ないのかもしれないなあ。このフォーラムがたと えなくなってしまっても、共感したARIONの言葉は自分の心に残るし、より良 く生きようとする精神は忘れないもの。そう考えると場所に拘ることは全くないの であろうなあ。ここには同じ志の人達が沢山居るし、互いに挫けないように励まし あっている。それはそれでとても心強いことだが、たった一人でも頑張れるってこ とが本当は大事なことなのよね。そう、たった一人でも不安なことは少しもないよ。 だってARIONはいつも共に在り続けると言ったし。  もしARIONがここに居なくなっても、もしこの場が失われてしまっても、自 分の中に変らぬ心、俗に言う神様と繋がるもの、良心がある限り、それを指針とし て生きて行けばよいのよ。その一番大切な心は常に自分自身の中にあるのだから、 それが曇らないように問い掛けることを怠ってはいけないのね。  本当に大切なものは場所でも人でも他の何でもない、自分自身の心の中の確固と したもの、揺るがない心を曇らせないこと…。その心はARIONや他の宇宙意識 とも繋がりがあるのだろうから、たとえ見た目は孤立しているように見えても、そ んなことはない。ああ、これが組織なきネットワークなのかな。組織を意識するこ となく、いつの間にかその心を通して繋がっている。それは現実世界の組織とは全 く異なって、上下関係もなく、全ては個々の心によるもの。組織であり組織でない ……ネットワークでありネットワークでない……  ああ、その大切な心を曇らせないように……いつも気を付けないとね。 まゆみ 00287/00288 JCF00616 優位 RE^2:奥底から塗り替える ( 5) 95/09/16 00:08 00285へのコメント  #00285 アマデウス さん |  「全て自分に原因がある」という考え方(自因主義?(^^;)がありますが、 | 感情の傾向を先天的なものとすることは、決して自因主義ではなくて、自分 | にはどうにもできないもの(運命とか)に転嫁してしまう恐れがあると思い | ます。  果たして本当にそうでしょうか?  遺伝子とて、「自分」という、個々人の長い長い血の流れが、創ったものでは  ないでしょうか。人類が築いてきた過去の歴史も、人類自身の責任において、  刈り取らねばならない(戦争、核実験、金融、宗教問題…など)ものであり、  それこそマクロ=人類に対するミクロである、「自分」から変えてゆかねば  ならないのだ、と認識しています。  人類が、我々の「傾向」として、遺伝子に書き込んでしまったものを、  再び書き換える時期が来ているのだ、と思います。潜在意識の底の底から  塗り替えて行く… これ、やってみるとわかりますが、生半可な意志力では  到底できませんね(^^;) 水をも漏らさないような、ものすごい意志力が要求  されると思います(あくまで僕の経験からいうと、ですが(^^))。  * * *  そうそう、この「塗り替える」というのは、こんなイメージかもしれません。  「汚泥が底に沈んでいるコップに、清水を入れる」  「すると、汚泥が外に噴出して、清水だけが残る」  …あくまで、たとえですから(^^;)、物理的にどうこう…という話ではないで  す、いちおう。ただ、このイメージを使うと、更に面白いことが説明できます。  というのは、この世紀末に起こっている現象です。  様々な予言(預言)などにあるように、新しい世の中が開けてゆく時に起こる  世紀末的現象…破壊、闘争、戦争、大事件、天変地変…というのは、コップの  たとえでいうと、「汚泥が外に噴出して清水だけが残る」ということになりま  すよね。ま、いちおう、蛇足ですが、自分というミクロから、世界の状況とい  うマクロに至るまで、説明できるんじゃないかな…と思いましたので、書かせ  て頂きました(^^)                          優位(JCF00616) 00288/00288 KFQ02761 しまうま RE^2:みれにゃ〜 ( 5) 95/09/16 08:38 00274へのコメント #00274 みれさん  どもです(^^)。  え〜、ちなみにMICRONというところが出しているDOS/Vパソコンにも、Millen niaという名前の機種があります。Millenniaの最上位機種は、Pentiumの133MHz、 Tritonチップ、PB SRAM、EDO DRAMという、今時の最速チームを勢揃いさせたよ うな超豪華なマシンです。うーん、憧れるぜぃ。  ただしお値段のほうも、メモリ8MB、HDD540MBで359,000円とそれ なりに豪華(^^;。でも、スペックから考えれば安いほうだと思います。  お手頃な値段としては、Pentiumの75MHzで225,000円というのもあります。も ちろんマウスやらキーボード、DOS、Windowsなんかは付属してます。買い換え の際はぜひ選択肢のひとつに……(^^;。 しまうま(KFQ02761) - FARION MES( 6):ハロー・メッセージ ★ 今日のハロー・メッセージから 95/09/16 - 00132/00132 KFQ02761 しまうま 「心」についてのハローメッセージ ( 6) 95/09/15 22:44  09/07 知ろうとする心を阻むのは、知られては困る欲の為せる業  09/10 白い波涛に乗り何度も岸に辿りつきはするが、降りようとしない心  09/11 響くことを最初から拒否している心に、何を以ってしても響かない  09/13 巷に溢れる厭な事々、解決改善の心無しには何も変らない  09/14 苦しむ魂は浄められることを渇望し、手当たり次第にしがみつく  09/15 滑空する夢々、崩落する希望…見極めよ、言葉だけでなく心で…  この一週間ほどの間、「心」に言及するハローメッセージが5つ、「魂」に ついて1つ、と、なんだか内面に目を向けさせるようなものが多かった。  最初の5つは、ひとまずはスッと胸に落ちる、というか、わかりやすいよう に感じた(またあとで味わい直すと、別の感触もあるんだろうけど)。  今日のは、ややわかりづらい。よくよく感じないとわからない、と思った。  で、「見極めよ、言葉だけでなく心で…」という言葉に従って、ちょっと理 性のタガをはずし、ここ最近のHMを読んで感じたことを、思うままに書いて みようと思う。  やっぱなんつっても自分が大事。僕は根本において「自分本位」でありたい。 「人様のため」なんて(僕には)100万年早い。  たとえ「人様のため」になることをするにしても、その根っこには「自分の ため」がある。それをちゃんと自覚しておこう。  もひとつ、思い切りも大事。見る前に飛べ。飛びたくないんだったらいつま でも崖をのぞき込んでいずに、ちょっと引っ込んで木陰でうたた寝でもしてた ほうがマシだ。  とにかく思い通りに生きよう。人目を気にしたかったら気にしよう。それも また、お望み通り。まずは自分が何をどう思っているのかはっきりさせよう。 話はそれからだ。  何が起こるかわからない。ならば一瞬一瞬を悔いのないように生きよう。人 に後ろ指を指されても、自分に恥じるようなことだけはするまい。  うじうじ悩みたければ、思う存分うじうじしよう。底なし沼のように落ち込 もう。もし落ち込みたいのならば。  自分の本当の望みは何なんだろう。僕は本当に何がしたいんだろう。何がど うなったらどれくらいうれしいんだろう。  自分、自分、何よりも自分。自分なくして相手もあり得ない。自分にこだわ らず、自分を大切にしたい。 しまうま(KFQ02761) - FARION MES(11):狼を生きる  ★ 平井和正の著作から 95/09/16 - 01762/01765 BYI05560 SHIBA :秋は大好き (11) 95/09/15 15:08 RE:01756 SUB:秋の長雨の季節に入ってしまいましたね(~_~;)ジメジメ  #01756 桂 桂議長様  秋は一年中で一番好きな季節なのですが、秋の長雨(菜種梅雨ともいいますね)は、 やはり好きにはなれないですね。 <  でも人間にはその己の愚かさを痛感出来る「恥」という感性を持って < いるんですよね(^^) そして自らの行いを反省し、明日の肥やしとして < 行かす徳性もまた持っているのです。  つい最近までは、自分の良心に正直に生きることが、人間らしく生きることの基本 であると思っていました。つまり、良心とは、自分がこの世に生まれてくる前の、い わば魂の記憶の核であり、善悪の判断における最後の拠り所である、と考えていたか らです。又、羞恥心を感じることが出来るのも、この良心というものがあるからだと 思っていた訳です。「幻魔大戦」において、東丈が、「正しい判断をした時は良心に 従った時であり、誤った判断をしてしまった時は、良心の声に耳を傾けなかった時だ」 という様な意味のことを言っていたから、それを鵜呑みにしていたのかもしれません。  しかし、昨今のカルト教団(註:ここでは、あえて実名ではなく、この表現を使い ます)の事件をみていて、その認識が砂糖よりも甘いということを痛感させられまし た。横浜の弁護士一家の遺体が発見されたというのにも関わらず、「警察のでっち上 げだ」とか、「教祖は最終解脱者だからいいのだ」とか、「教祖に惹かれて入信した のではなく、教えに惹かれて入信したのだ」とか、挙げ句の果てには、事件そのもの (サリン事件も含む)を肯定する者も現れる始末。最初は、「こいつらの羞恥心は、 いったいどの方角を向いているのか」とか、「良心の呵責に責めさいなまれることが ないのだろうか」と思っていたのですが、ある日、ふと、「この人達は、本当に良心 に従っていて、その結果、この様な言動をするに至っているのではないだろうか」と 思ったのです。もしそうだとしたら、私の今迄の考え方では、彼らも又、人間らしく 精一杯生きている、という結論に至ってしまうのです。  そういう訳で、なにをもって「人間らしい」といえばいいのか、今の時点では、自 分自身の考え方がまとまっていない状況なのです。と言っても、この問題は非常に奥 が深いから、解答例はあっても、模範解答というか、「唯一絶対の解答」というのは、 ないのかもしれませんが。ただしそれだけに、議論する意義は大きいと思うのですが。  あのカルト教団の事件で、今、私が非常に興味を持っていることがあります。それ は、実行犯として逮捕されている元大幹部の容疑者達は、教祖を除いて恭順の意を示 し始め、自らの行いを反省し、脱会を表明して本来の自分の有るべき姿を模索し始め ている(と言われている)一方で、事件に全く関与してない(と言っている)一般信 者達は、前述の通りのかたくなな態度をとり続けている、ということです。果たして、 この行動の違いがいったい何を意味しているのか。これを解明する事で、何が人間ら しいのか、考える上での大きなヒントが得られるのでは、と期待している今日この頃 です。  これは余談ですが、カルト教団の教祖が推薦図書として挙げたものの中に、我らが 平井和正氏の「幻魔大戦」があったそうです。ハルマゲドンとはどういうものかを知 るために良い図書、ということで推薦していたと、「筑紫哲也のニュース23」で筑 紫哲也氏が言っていました(私の記憶では、「日本沈没」やノストラダムスの予言書 等も挙げられていた)。「幻魔大戦」をちゃんと読んでいれば、あの教団に入ろうと は思わないだろうなあと、ついつい思ってしまいました。  長くなってしまったので、この辺でおしまいおしまい。      夏バテが今頃出てきたのか、最近体調がすこぶる良くない....                        BYI05560 SHIBA 01763/01765 BYI05560 SHIBA 今年も紅葉が楽しみだ (11) 95/09/15 15:09 01757へのコメント  #01757 小桜さんへ  はじめまして。SHIBA と申します。どうぞよろしく。 < 私も、自分自身に問いかけて見ました 「悪を見逃すべきか、否や」 < そして心の声に耳を澄ましてみました。 < 答えは「自分自身がいかなる被害を被ろうと、とことん追及せよ」 < でした。そして人間の持つ「恥」という感性を忘れている人々に喚起させ < ねばならない、のではないのでしょうか。  小桜さんは、非常に正義感の強い方なのですね。「自分自身がいかなる被害を被ろ うと、とことん追求せよ」とは、なかなか言えませんよ。しかし、「恥」という感性 を忘れている人々は沢山いますが、その人々に喚起させるのには、慎重にことを運ば なければならないでしょうね。 < 本来、人間には他人を裁く権利は持ち合わせないにも関わらず、神のスカ < ートのしたに隠れる事により、神の力を得、他人に説教を垂れる。  小桜さんは既に認識されているようですが、一歩間違えれば、我々もこの様になっ てしまうからなのです。「幻魔大戦」において、東丈は、”GENKEN”なる団体 を発足させる訳ですが、彼は終始、このことを常に念頭において行動していた様に見 受けられます。小説の中の話とはいえ、既成の宗教団体と”GENKEN”とが一線 を画しているのは、一つにはこのことがあるのではないでしょうか。平井和正氏も、 「ミカエルさん」の宗教団体にいた時、ミカエルさんの取り巻き連中と接して痛感し たやに聞き及んでおります。  「恥」という感性を忘れている人に説教されるのは非常に耐えられないことですが、 逆に、こちらの善意で注意を促した人にそう思われるのは、もっと苦痛ですから。で も、そうなると分かっていても立ち上がらなければならない時が、そのうちやって来 るのでしょうね。  なんか、急に予言めいたことを書いてしまいましたが、そんなに大それたことを言 おうとしているのではありません。「他人がなにをしようと、自分に迷惑がかからな ければ、別にどうでも良い」と言う考えに、自分が染まってしまっているのではない かと、ふと不安に思っただけなのです。平井氏の著作の中で、「本当に他人事という ものはない」というフレーズがありますが(どこだったか忘れた)、それを思い出し た訳です。  とにかく、小桜さんの正義感は賞賛されるべきもので、私も少しは見習っていきた いと思った次第です。                        BYI05560 SHIBA 01764/01765 BYI05560 SHIBA 人の生命っていったい何なのでしょう (11) 95/09/15 15:10 01760へのコメント  #01760 星也/明星さんへ  無礼を承知であえて質問しますが、中絶手術しなければならない時、どの様な気持 ちなのでしょうか。星也/明星さんは、「合法的殺人」と表現されていますが、そう しなければならなくなった方や、その対象となる小さな命に対して、どの様な言葉を おかけになるのでしょうか。  勿論、お答えにならなくても結構です。しかし、私のような若輩者には、とても想 像出来ない事柄なので、失礼を承知の上で、あえて質問させて頂きました。お気を悪 くされたのであれば、お詫びいたします。 < 飢えた子の前に暖かいスープを用意するためには、どうすればいいのでし < ょうか? < 誰が用意をするのでしょうか? < 飢えていないものが、飢えているものに分け与えるのですか? < 飢えていれば、誰かが暖かいスープを恵んでくれるのでしょうか? < そのスープは、他力依存という甘えを助長するものではないのですか?  人の魂には、輪廻転生というものがあると言われていますが、人の行いに関しても、 その様なものがあるのではないか、と私は考えています。飢えている子供に、自分の スープを分け与えたとします。その時は、それで終わりかもしれませんし、或いは、 次の日もまた次の日も、スープをくれとせがまれるかもしれません。しかし、その子 供が大人になり、すぐ隣りに飢えた子供がいたとします。もし、昔自分がスープを分 け与えてもらい、それを少しでも恩義に感じていたら、或いは同じことをするかもし れません。勿論、そうしないかもしれませんが、子供の頃に分け与えられていなかっ た場合よりは、確率はずっと高い筈です。この様に、人の行いにも、輪廻なるものが あるように思えるのです。良いことも悪いことも。  ですから、「他力依存という甘えを助長するもの」とは必ずしも断言出来ないと思 いますが。いかがでしょうか。       温泉かあ、うらやましいなー。私の夏休みは、いったい、いつ?                        BYI05560 SHIBA 01765/01765 JBH00712 桂 桂 台風が来ているぞ (11) 95/09/16 13:08 01754へのコメント  #01754 ふぁらんどーる さん  今日は台風が来ていますねぇ。朝から秋雨が降り注いでいます。うーん何となく ジメジメしているぞっ。でもこういう天気もまた風情があって宜しかな・・・・と。 < まり意味がない。予言の意味はそんなもんじゃない。その内容の「起こるであ < ろう事態」に対し、自分が何を出来るか、何を成せるかが、本当の意味になる < ということなんですよね。でしょ?(かなり乱暴な表現ですが)  ここの所、ナイスな表現ですね〜(^.^)  世の中富士山の噴火を予知したり、あるいは株価の暴落など世相不安を煽るよう な予言が巷間を賑やかせているものですが、本来の予言(預言、神の預かる言葉で すよね)とはこの世を糾すべく人一人ずつに向けられた言葉の筈です。それが仮に 悪い内容の物であっても、敷かれたレールの上で安寧をむさぼる訳には行かない。  何故なら必ず変える要素というものがある筈なのですから。  (ちなみに当フォーラムの14番会議室でも、そのような主旨で預言解読を行っ ていますので宜しければ御参照して見て下さい)。 < 「人類」とか「地球」とか、概念上の動機ではどこか嘘っぽいものがあります。 < 人間ってそこまで上等には出来てないと思いますし、円くんのよーにそのまま < 「愛する者のために」とゆーほーが素直でしょ?  犬神明も虎4も、行動原理はそうです。  「愛する者の為」いささか使い古されたフレーズですが、人間素直になってみれ ば目の前に有る愛しいものをこよなく愛する心を誰でも持っている筈です。あるい は小さな命を守りたいという欲求を、人間は本来的に兼ね備えているものだと思い ます。  ふぁらんどーるさんは奥さんもお子さんもお持ちなようですから、その身近な者 達を愛する念が滲み出ているようで、微笑ましいですね>^_^<  小説の中では、エミリーはかつてどうしようもない淫乱な女性として描かれてい ました。  しかし彼女は日本で本物の狼”犬神明”に出会う事で肉欲を越えた清らかな熱情 を自身に育て上げます。それはアリゾナの熱砂の中で出会ったパーミターに御しみ なく注がれます。彼の中に有る幼児性を断ち切り、パーミターから犬神明へと、少 年から成熟した男に生まれ変わる為に、彼女の母性・それは愛しい者に注がれた愛 ゆえの厳しさなのでしょう・は彼を奮い立たせる為に、わざと厳しい言葉をなげう ち自覚を促します。  その行動こそ、「愛する者のために」それは「人類」や「地球」のためなどとい う大義名分を遥かに越えた、人間の情愛の産物なのだと思います。  この時代にあって、阪神大震災の時のような危急存亡の時でも見知らぬ人同士が 助け合ったエピソードを数知れぬ聞きます。  非常時に会っても、そのような慈しみ合う精神を忘れないよう心掛けたいと思い ます。  何かこっちもまとまりがつかないようですけど(^^;それではでわでわ〜。 桂 桂(JBH00712) - FARION MES(18):武道にありて ★ 道の実践 95/09/16 - 02555/02555 BYK00511 導 合気道草歌6 (18) 95/09/15 23:19 前回、私は命がけの修行ということを書きました。 しかし、全ての人が滝に打たれたり、気絶するほど木刀で打ち合ったり、 出来る訳ではありません。そして大切なことは、過酷な鍛錬ではなく、 生死の淵に立つ事ではなく、命への限りない慈しみに出逢うことであると 申し上げます。 合気道草歌5までは極意です。合気道ははじめから極意なのです。これが この武道の素晴らしい所でもありますが、故に理解の難しい所でもあります 。極意とはとても単純で当たり前の事なのですが、それがとても遠い道に思 のは、全ての道は信に始まり真に至る道だからです。いわしの頭も信仰の対象に なる話は有名ですが、それも真実なのです。いかなる事も信に始まります。 我々は疑いの中に真実を見つけようとします。しかし、疑いの果てにたどりつい た真実も、信に寄らずば得られぬものなのです。 しかし、はじめから信、すなわち清濁併せ呑む精神の活用は難しい。騙される ことさえ無意味に思えるほど魂の器を大きく持つことは成しがたい。 大愚即ち大聖に至らんがための修行は疑いと信の錬磨によるものなのです。 これは、科学と信仰の交差点なのです。 合気道も正に愛から始まります。これが極意なのです。何故生死を分かつ技の 追求が不殺活人に至り、愛の実現なのか、この疑問と合気道への限りない信頼 が錬磨しあう内に見いだす生命の実相、限りない慈しみ、この道が武の極致なの です。合気は他人の動きに合わせてとか、宇宙の法則に合わせて、という事はみな プロセスであり、大切なことは合わせるという行為そのものであり、そこに至る こと、成りきる、棄てきる、澄み切る事。これを誠=まこと=真と言うのです。 真は愛より他にないのです。とても当たり前なことなのです。 平和、平等、自由なんて当たり前の事でしょうか。しかし、この道が険しいのは 真理が遠い事と同じ理由であることを、合気道により悟ること。それがそのまま 合気道、武を志す全ての求道者の使命。使命即ち死命也。 文章、及びパソコンの利用方法がまずい事はしばらくご勘弁願います。