- FARION MES( 2):Wellcome All ◆ 四次元喫茶 カルフール 95/09/19 - 04544/04546 JCF02051 めのう RE^6:Windows95ってスゴイの? ( 2) 95/09/19 00:14 04540へのコメント  #4540 ねずみさん  NAっていわゆる98ノートですよね。    いいなぁ〜、私もノート型欲しいなぁ〜。  まあ、私が持ってても通信くらいしか使い道ないんだけども。  しかも出先で使う機会なんてないしー(^^;    でもデスクトップとノートと両方持ってるのって、なんだかカッコイイぢゃ  あーりませんか。              イメージ先行型(^"^; ◆◆ めのう ◆◆ 04545/04546 JCF02051 めのう 半導体ってスゴイのね(^^; ( 2) 95/09/19 00:14 04541へのコメント  #4541 SUKEさん  「二者択一に陥らない性質」ってコンピュータとは正反対のような気がする  のですが....「0か1か」がコンピュータの世界ではないの??(^"^;    (そもそも根本的に誤っているような.....>ぢぶん)  生活の隅々に半導体が行き渡っていると考えると、ちょっとコワイような。  なにしろミミズ状生物のイメージがあるもんで(^^;        ↑     一体どこで植えつけられたイメージなんだ?  ◆◆ めのう ◆◆ 04546/04546 JCF02051 めのう RE^6:Windows95ってスゴイの? ( 2) 95/09/19 00:14 04542へのコメント  #4542 YAHATAさん  えっ!  半導体とシリコンは同じ物だったんですか??  シリコンとゆーと、どうしても豊胸手術に用いるヤツを連想してしまいます。    ご説明をいただくほどに謎が深まってゆくのは何故(^"^;                     バカ丸出し ◆◆ めのう ◆◆ - FARION MES( 5):**/////*/////*/////*/////*/////*/////** 95/09/19 - 00294/00295 SDI00635 みれ RE:RE^2:みれにゃ〜 ( 5) 95/09/19 08:40 00288へのコメント  #00288 しまうま どん  おやぁ…パソコンに詳しくない私の、ちょっと知ってる程度の知識でも、 なんか凄い機種のようだなぁ…と思えてしまう「Pentiumの133MHz、Tritonチ ップ、PB SRAM、EDO DRAM」…でも、私にはきっと使いこなせないだろう(^^;)  でも、今マジでパソコンを買い替えようと思ってるんですよ。  近い内にアキバへ勉強に行こうかな、でもきっと店員の口車に乗せられて 訳の分からない高い機械を買わされるんだろうなとか思うと、中々足が進みま せん>私  その昔、アキバにPCの初期の頃のモノを買いに行った筈なのに、帰途には 店員に強く薦められた、シャープのMZ5500というものを携えていたとい う苦い経験があります(笑)  アキバに行く時には、しまちゃんにも付いて来て貰おうかな(笑) ・:*:・みれ・:・。,★ - FARION MES(13):神秘学遊戯団 ★ 限りなき神秘への航海 95/09/19 - 03480/03485 PXY03747 諏訪みのる RE:RE^2:シュタイナー:薔薇十字会の神智学●VI- 1 (13) 95/09/18 19:13 03479へのコメント  こむさん、KAZEさん、こんにちは。(^^;)  「嘘も方便」については私も感じておりましたが、ここで言う「嘘」を私は、 “保身とか邪まな利を得んが為の「我が為」「エゴ」から発せられたもの”とし て捉えました。  また「方便」は「他が為」という心から発せられたものだと思いますので、両 者の持つ「波動」(言葉としては不適当かも知れませんが)は別物ですから、両 者の作用は自ずと「破壊」と「創造」に別れるのではないか…と、勝手な解釈を しています(^^;)。  つまり、外への現れは似たようなものでも、発せられた元が違うということで しょうか。  このあたりをシュタイナーが どのように捉えておられるか分かりませんので、 KAZEさんのレスを待たせていただきたく思います。(^^;)ゞ ヨロシクオネガイシマス でわ、では(^^)/               みのる♪デシタ。 - FARION MES(18):武道にありて ★ 道の実践 95/09/19 - 02556/02557 GGA02514 KAZE 相互否定による相互成立 (18) 95/09/18 17:23 02537へのコメント アマデウスさん、どうも。 すっかり化石レスになってしまってますが、 アマデウスさんの説明は、とても具体的でわかりやすかったです(^^)。 ぼくの書いたかなり抽象的な話をご理解いただいて、ありがとうございます。 「考えなくちゃいけないけど、考えちゃ書けない」ということに関する 「相互否定による相互成立的なあり方」ですけど、 > 「否定」という言葉に少し違和感がありますが、これは丸投げしてしまう >ということではなくて、過度に集中することを避けるため、意識野から追い >出してみるという程度の意味なのでしょうか? でないと、お互いに否定し >合ったら無になってしまうような気がしまして。(^^; この「否定」というのは、たとえば「己を空しくする」とでもいうようなあり方で その「空しくすること」で「己」はまさに生きるというような意味での「否定」です。 たとえば相互理解ということを試みる場合でも、 自が他を受け入れるということは、一種の自己否定です。 そうしないと他が入ってこないからです。 しかしそのことで自が主体性を失うかというとそれは逆で、 そのことで自は生かされるという可能性をもちます。 もちろん、相手もまた同じです。 ですから、それは「相互否定による相互成立」なわけです(^^)。 むしろ、否定がなければ、何も生かされませんから、 そのときにこそ世界はダイナミックさを失うということになります。 こういうとけっこうただの抽象的な言葉の遊びのように聞こえますが、 たとえば、共同体においての個と個のあり方、個と組織のあり方というのも、 まさに「相互否定による相互成立」というあり方が求められるというように、 認識論的な観点でも、社会的な観点でもそういう視点は重要です。 > 一部に集中するでもなく、ボーッと漠然と全体を眺めるのでもなく、全体 >に集中力を分散させる(表現が変ですが(^^;)。「木を見て森も見る」とも >言えるでしょうか。これは「慎重なる瞬発力」の一側面かも知れませんね。 >また、物事の認識方法全般に適用できるものなのでしょう。 そうなんですよね、まさに「木を見て森も見る」。 その観点をとることによって木も森も生かされる。 木でも森でもあり、木だけでもあり森だけでもある。 つまり、「場」としての認識が同時にそれを限定したあり方としての 「木」だけ、「森」だけという認識でもあるということです。 別の観点でいえば、「私」というのを「作用」としてとらえます。 そしてその作用をその場全体の作用の自己限定としてとらえる。 つまり、主−客という対象論理的な見方ではなく、すべてを場の作用として見て、 「私」をその作用の支点としてとる見方をするわけです。 これを「面」とその面が自己限定した「点」としてとらえることもできます。 >  これを一旦やめて(=不快だという気持ちはまだそこにある)、レンズを >超広角に変えて、自分の気持ちを見直してみることにします。 いろいろな >感情や思考が見えるでしょうが、その全てをただ漠然と見るだけでは無感情 >になってしまいます。 そうしたことは、「レンズ交換」というよりも、 二つのレンズを同時に使っているということですよね。 「不快だ!」という感情がそこに作用としてあって、 その作用が生じているその場全体の作用がそこにある。 不快という感情をスポイルするというのではなくて、 その感情が包み込まれているその場全体から不快という感情をとらえるわけです。 そのことで不快!という感情は変容せざるをえませんが、 それはその感情エネルギーをその場を生かす方向に変えるということでもあります。 もちろん、戦略的に、その場全体をある方向へと変容させるということも可能です。 > 僕は大学で機械工学を専攻し、就職してからずっと開発・設計の仕事をし >ているんですが、設計というのは分析(アナリシス)と統合(シンセシス) >を包括した作業な訳です。 そのアナリシスとシンセシスという観点はとても興味深いですね。 おっしゃるように、設計に限らず、 すべてのことはアナリシスとシンセシスを包括することが大切です。 アナリシスもシンセシスが相互否定することで相互成立するということですよね(^^)。 そのことを「逆対応」ということで表現してみてもいいかもしれません。 アナリシスとシンセシスは単に「対応」しているのではなく、 それらは「逆」方向にありながら、まさに「対応」しているがゆえに、 その両立ということが可能にあるわけです。 ・・・なんだか、あまりキレのよくないレスになったようですが、 これはまさに、「考えなくちゃいけないけど、考えちゃ書けない」のに、 考えようとしてあまり書けなかった例でしょうか(^^;)。 では、今後ともよろしく(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 02557/02557 GGA02514 KAZE 無思慮な瞬発力・・・なんて(^^;) (18) 95/09/18 17:23 02542へのコメント あもりさん、どうも。 >KAZEさんの発言から、思った事は、点への認識はすみやかになされるけれども、 >面として把握することは困難なことだということです。 >例えば、自分に向かって飛んでくる刀にはすぐ眼が行きますが、それを握って >いる相手のこといった全体性まで関知するのは確かに難しい。 そういう意味で、「自己否定」ということが必要なんだと思うんです。 いつもあまり適切な例とはいえませんが、パソ通で大量のレスを書く場合(^^;)、 相手の発言を一端「自己否定」して受け入れてしまい、 それを自分のなかで勝手に動きまわらせる。 そうしたことを通して、相手を自分の中に生かしたまま、自らの観点で貫いていく。 ・・・やっぱり、あまりいい例ではないですね・・・考えすぎですか(^^;)。 ま、ともかく、点が自己否定することで面から点をとらえるということです。 一つの点に二つの逆向きの認識を両立させるといいますか。 >複数で悩みを相談しあう局面があったとします。Aは壊れかけの恋愛問題で悩 >んでいて、中々「別れたい」という言葉を切り出せません。そこでBとCがそ >の悩みに乗りました。Aはうつむいて、どうしたらいいか分からないと言って >います。 >B「さっさと別れちゃえばいいのよ。別れ方なんてどうだっていい」 >C「だって、Aさんは辛いのよ。そんな言い方はないわよ」 ううむ、面白い例ですが(^^;)、 結局、そのABCすべての観点の総合が面であって、 その限定した一面としてAという観点があるわけですよね。 そのとき、Aが、面としての認識と自分の点としての認識を 自分のなかで両立させるということ。 でもなかなかそんなことはできなくて、単なる愚痴になると、 それは「無思慮な瞬発力」となって、人に当たり散らすだけとなってしまう(^^;)。 ま、そんな感じでしょうか。 ということで、こちらでも今後ともよろしく。 ☆☆☆KAZE☆☆☆